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ノンと言うこと

 

ここしばらく、自らの視点の偏り、が気になる。
以前から同じ事を何度も書いているのだけれど、気になる感覚を活字という定着液で映像化しておくのが、このブログの位置づけだと自分では考えている。なので、今日は角度を変えての「変奏曲」をお届けする、予定です。

「私にとって、思考するということは必然的にみずからを否定することになります。思考する、それは否(ノン)と言うことです。この場合における否定には、二つの基本的な意味があります。
思考することはまず、その文化の中で蓄積されてきた同意によって成立している確信を拒絶するという意味を含んでいます。第二に、否を宣言することは、断固としてその価値を認めないという意味です。
『何も価値がない』という吟味を伴わない思考は健全なものとはいえません。したがって『懐疑論』は、あらゆる確信を解体するきっかけであり、ヘーゲルにすれば弁証法的思考の本質的なステップなのです。
懐疑論は文字通り、一つの見解や視線であり、事象の整合性をいったんばらばらにしてから確かめていきます。懐疑的な行為と思弁的な行為は密接につながっており、どちらもあらゆる現実を鏡のなかに映し出します。」 (カトリーヌ・マラブー『弁証法の可能性』 ハーバード・ビジネス・レビュー20074月号、p72)

「確信を拒絶」すること、しかも「断固としてその価値を認めない」という「吟味」。
タケバタに欠けているのは、おそらくこのあたりなのだろう。自身の議論の甘さには、この部分があるような気がしている。オプティミズム、といえば言葉は美しいが、その実態は手放しの信頼、と情報を鵜呑みにする場面がある。確信を解体するほどの「吟味」が出来ているか? いや、実際は事象の整合性の「枠組み」は、既存のものを流用して、その「枠組み」への問いが出来ていないのではないか? 自分自身には、そう見えてくる。

「弁証法は思弁的、すなわち反省的な思考です。語源であるラテン語では『鏡』を意味しますが、物を映す構造であるのと同じく、事象を同時に両側から見ることを可能にします。したがって、弁証法の鏡とは、事象とその矛盾を常に映し出すわけであり、それゆえ、すべての現実について二重の時間性、『現在から未来』『現在から過去』の視点が駆使できるようになります。」(同上、p71)

「現在」を「現在」として同語反復的に眺めている自分がいる。それは、「事象を同時に両側から見」た上で、私は私である、と確信する事とは全く違う。「反省的な思考」つまり、「二重の時間性」で検証した上で「私」に戻ってくることと、単に無批判に「私」をしていることは、全く意味合いが異なってくる。これは、タケバタ自身の課題でもあるが、正直に申し上げて、マスコミ報道にも広く蔓延しているような気がしている。

コムスン問題。授業でも取り上げ、色々見ているが、いったん悪い、と決めつけると、「断固としてその価値を認めない」が、その前に、「その文化の中で蓄積されてきた同意によって成立している確信を拒絶する」点がみられない。自由主義の中で、税や消費税方式でなく、社会保険方式を選択したこと。人材を一気に確保する為に「民間活力の活用」を行ったこと。サービス支給料はあくまで「家族の相互扶助」をアテにして決められた基準であった事。これらの、介護保険導入時に選択された(「同意によって成立」した)事象については、何ら批判の対象にならない。事後的に「そうなると思っていた」と責め立てるだけで、ではそうならないようにどうするべきだったか、という事前予防的発想にならない。これは、「事象を同時に両側から見る」視点が欠落しているから、と感じる。

欠落、といえば、一般企業で当たり前の事が福祉では違う、ということについての反省的な視点が報道に欠落していることも気になる。「介護はもうかるもんではない」という主張。なぜ、それが前提になるの? 事象として確かに現にもうかっていない。でも、「事象の整合性をいったんばらばらにしてから確かめ」てみると、たとえば儲からない背景にある、単価設定がなぜあのような安価なのか、という点が気になる。なぜ専業主婦層をアテにする、低賃金に据え置かれたのか。その背景に、介護への対価、に関してどういう思想が見え隠れしているのか。でも、「その文化の中で蓄積されてきた同意によって成立している確信」には触れず、トカゲの尻尾切りをしている限りにおいて、この問題は表面化されない。本来、「二重の時間性」で確かめてこそ初めて見えてくるコムスン問題の本質は、お忙しいマスコミでは、スルッと次の糾弾課題にすり替わる。その前からは年金で、今度はNovaか・・・。

二年前の5月、尼崎のJR脱線事故の後書いたブログも、基本的に同じ事が言いたかっただけだ。事後に犯人捜しするのに躍起になるのはいつものこと。でも、そうならないためにどうしたらいいのだろう、とか、私も「犯人」になりうる日本社会の問題性は何なのだろう、という「鏡」としての「反省」を、事象から導き出すことが苦手な私たち。「そうなると思っていた」と本当に思うなら、「そうならないための社会作り」への本気での自己投企が求められる。出来ないなら、安易にそんなことを口にすべきでない。

無批判な「そうなると思っていた」という言明の背景には、「世の中なんて結局変わらない」という「確信」が転がっているような気がする。そして、その「確信」にこそ、まず私は「否(ノン)」を突きつけなければならない、と深く思う。

ゼミブログのお知らせ

 

このブログは、まとまった話を書きたい、と思うので、なかなか筆が進まない時が多い。特に、〆切前、あるいは用事が立て込んでいる時など、書きたいことがあっても、躊躇することが多い。最近、とにかく予定が立て込んでいて、なかなか新規書き込みが出来ずに、内心苦々しい想いをしていた。

そんな今日、大学で「コンテンツマネージャー会議」に出席する。あんまりパソコンのことも知らないが、一応学科のHPの内容を盛り上げるための黒子役の一人という仕事を与えられていたのだ。で、全学的なHPに関する取り組みをあれこれお聞きする。そういえば昨年からブログシステムも機能していたが、ここだけの話、僕は自分のHPも持っているし、正直あんまり関係ないかなぁ、と思っていたのだ。(担当者の先生方、すんません)

でもでも・・・今日、伺ってみると、幾つかのゼミの学生達が進んで発信している。(例えばこちらなど) これは、実に教育効果が高そうだ。目から鱗の出会いに、びっくり。これなら、僕が忙しくても、学生さん達に構築して貰える。オーナーのタケバタは、たまにコメントしておけばよい。

と、会議でしこんだ技術を早速応用して、竹端ゼミブログを立ち上げる。これは、リンク先にも書いたように、学生さん達のやっている活動を、順次アップして貰おう、という試みだ。

学生達も、誰かに見られている文書を書く、というのは実に刺激的であり、ちゃんと調べてくるし、彼ら彼女らのエンパワメントにつながる可能性が実に高い。というわけで、学生教育の一環として、明日のゼミで早速発表し、使い方も説明した上で、早速今週末には宿題を出す、という鬼教官タケバタである。

でも、あながち「鬼」でもない。教育問題に取り組もうとするY君がブログで報告してくれるはず、の「自信力が学生を変える」(河池和子、平凡社新書)のなかで、宿題や課題をたくさん課した方が、学生のやる気が出る、という調査結果が出ていた。(ただゼミでこの本をネタに議論した時は、その対象の設定や調査地を巡って議論はあったが)

なので、早速著者が言っていることの実践、ではないが、学生さん達に宿題を今年はバリバリ提供している。その一環で、ゼミブログも学生主体で、明日以後、本格的書き込みがスタートする予定だ。

僕自身のつぶやきはこれまで通り、このスルメで。で、そこに書くほどのものではないけど、教育者タケバタの小ネタはブログで、とちょっとやってみるつもり。なので、出来ましたら、両方ごひいきに。

最先端と最後尾

 

久しぶりにのんびりとした朝である。
文字通り、疾風怒濤の日々が続いていたが、この週末は珍しく「2連休」。っていうか、本来お休みは「休む」ためにある、と考えると、ワーカホリックを無自覚にマゾヒスティックに楽しんでいる自分がいた、ということだろうか。だから、変に空白があくと、何だか居心地が悪い、という昔の悪癖を思い出す。

土曜の用事を一個飛ばしてまで日程的に確保したのは、とある原稿の締め切り日が今日だったから。確保した時点では、書き直しの原稿のスタンスが定まらず、相当な危機感を感じていた。しかも、先月から今月にかけて、あれやこれやと〆切や発表で追われ、せっぱ詰まっていた事もある。だから、この二日を確保せねば、と時間を空けておいたのだ。

しかし、それが案外早く、昨日の朝には編者と出版社に送ってしまうことが出来た。先週の金曜日、大阪に向かう特急電車の中で、エイヤッと構成を変えてしまった。筋を複雑に考えていたのをやめ、一本の幹に統一し、その幹に肉付けをしながら論を進めていく、というごく基本中の基本に立ち返って話を整理して見ると、思わずサクサク出来てしまったのだ。もともと紀要に書いていた原稿を、あるテーマの論集の1章に取り上げてもらえる事になったのはよいのだが、「障害学」というその論集のテーマとどう引き寄せていいのかわからず、さんざん回り道し、あれこれにわか勉強もし、迷いに迷った。で、結局のところ、「『入院患者の声』による捉え直し-精神科病院と権利擁護」というタイトルに落ち着く。障害学のスタンスが、これまで専門家が「これはよい」「こうすべきだ」と思って教育・指導・治療してきた営みを、障害者自身によって「捉え直す」営みであるとするならば、僕が権利擁護というテーマで関わってきたのも、まさしく本人の声による「捉え直し」そのものである。そう思ったら、変な肩肘を張らず、スルッと話が出てきた。

精神科病院の権利擁護の話、というと、すごく偏狭な分野の研究なのですね、と水を向けられることもある。あるいは、それはごく一部の劣悪病院の話であって「もう古い」、という顔をする人もある。でも、私にはそうは思えない。

日本や東南アジアの中小企業のフィールド研究をしている関満博氏の『現場主義の知的生産法』(ちくま新書)の中で、言葉は正確ではないかも知れないが、「両端を追う」という表現があった。ある産業なりフィールドの、時代の最先端と最後尾の両端を追う中から、その分野の構造的問題が見えてくる、と。福祉分野(とりわけ障害者福祉)における「最先端」が、社会保障政策の激変であり、自立支援法の急展開であり、市町村への権限委譲、という部分であるとすると、それと同じように忘れてならないのが、入所施設や精神病院という、「旧態依然」と言われながらも、これまでの隔離収容型福祉の主翼を担ってきた施設福祉へのスタンスである。時代は変わってきた、と言いながら、21世紀の現時点で、そこに3障害合わせて政府統計でも50万人近い人が住んでいる。山梨県の人口の半分である。その方々の権利擁護がどうなっているのか、は決して古くない課題、なのだ。

この話は、私が市町村役場を訪問していても、現実の話として出てくる。東京や大阪のように障害者福祉の地域での拠点施設が山梨の、特に山間部にはない。すると、「家族で支えられないから」という理由で、入所施設に入っておられる町村民、というのも、リアリティとして話に出てくる。あるいは家の中で障害者を抱え込んでいて、福祉サービスに全くつながっていない、という話も出る。その際、最先端!の「地域移行」「相談支援」の話をしてみても、「実際にはねぇ」「この町では無理です」「ご家族もそう望んでおられます」「家族の問題には介入できません」という話で終わってしまいかねない。その際、気になるのが、「ではご本人はどういう想いを持っておられるのでしょうか?」という部分だ。

今、私はお隣の長野県の知的障害者入所施設である西駒郷から地域に移行した人々の聞き取りを進める「検証チーム」の一員にもなっている。そこで、いろいろなグループホームに訪れて、ご本人の話を伺う。すると、20年、30年と西駒郷に住んでおられた方々の、いろいろな想いに出会う。ご本人の希望ではなく、周りから行くように、と言われて、わけのわからないうちに施設で暮らしたこと。盆や正月に実家に帰れたのがすごく嬉しかったこと。でも、親が死んでしまったら、兄弟のいる実家は居心地が悪かったこと。施設を出てグループホームで暮らして、テレビや部屋を独り占め出来ることが嬉しいこと。地域でいろいろな出会いが始まっていること・・・。

これらの「声」と精神病院の「入院患者の声」とは、表と裏、光と陰、のように、見事にひっついてくる。そういう聞き取りをする中で、やはり障害者本人の「声」が尊重されてない、聞かれていない、という現実に突き当たる。そして、「特別アドバイザー派遣事業」として「相談支援体制の構築」という最先端の(わけのわからない)仕事で市町村を訪れた時に、結果として議論になるのが、最先端の話、よりも、ご本人が望んだわけでもないのに、入所施設や精神病院での社会的入院・入所、あるいは家族による抱え込み、という、この最後尾に取り残されてしまっておられる方々をどうするんだ、という当事者の権利擁護の話になっていくのだ。

現実でおこっていることや、これからキャッチアップしていかなければならないこと、という今や最先端の話を考えるにあたって、常に取り残されている最後尾の議論も踏まえないと、首尾一貫した政策は作れない。市町村の現場をフィールドワーク的に回っていると、深くそう感じる。このことに関連して、先週からマスコミをにぎわせているコムスン問題も関わってくるのだけれど・・・少し話がゴチャゴチャになるので、改めて稿を変えて論じることにする。

脱皮の苦しみ

 

連休明けのこの1ヶ月、多くの「試練」と直面している。

以前書いた県の障害者福祉に関する特別アドバイザーの仕事が本格的にスタートし、今月から来月にかけてのたった二ヶ月あまりで、県内の28市町村全てを訪問することになった。実際の訪問し始めると、行ってみて初めて体感する市町村現場のニーズがたくさんある。そもそも「相談支援」ってなんやねん、ということから始まって、福祉という非定型なものに対する、行政現場の人のとまどいに多く出会う。法や条例をはじめとした多くのルールに則って仕事をするプロフェッショナルにとって、「目の前の人を救うためにどうしたらいいか」が第一義的でありルールは二の次、となる福祉的現実との折り合いを、なかなかつけにくいのもよくわかる。でもその相異なる価値観の真ん中に立ち、どういうポイントから「橋渡し」が出来るのか、を現場を体感しながら考えていき、時には説明する場面に立たされると、私自身の理解力や説明力が大きく問われる。

また、リスニング能力、という点でも、大きな転機に差し掛かっている。もともと私自身、増長的性質を持っているのだが、最近いくつかの現場で、相手の話を遮ってまで「こうすべきだ」とわめいている自分に後から気づいてハッとする場面があった。相手に良かれ、と思って、忠告している気になっているのだが、それってよく考えてみれば、相手の話を聞くことなく、自分の価値観や思想を押しつけていることに他ならない。また、その背後には“You are wrong!”という不遜さと、そのもっと背後には“I am rightという無批判さが内包されている。こういう不遜さや無批判さは、「裸の王様」に直結するだけに、実に危険だ。

不遜さや無批判さへの自戒、というと、昔、祖母から結婚時に言われた箴言を思い出す。

「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」

実りがあるかどうかは別にして、社会的な責任や肩書きがついてしまうと、どうしても人間は増長傾向を増しやすい。その際、実れば実るほど「ふんぞり返る」人々を垣間見て、「あんな大人は嫌だなぁ」と思っていた。だが、今、「あんな大人」にも近づく危機にある、と気づかされる。また、これに関連して、昔から母親にことある毎に、「ひろし、大人になったら叱ってくれる人はいいひんのよ」と言われていた事も改めて思い出す。最近、「叱って」もらえるチャンスは極端に減ってきた。そういう中で、放っておけば、すぐに天狗になりうる。あぶない、あぶない。

なので、直言をもらえるチャンスは実にありがたい。ありがたいのだが、直言故に、自分の偏差と真正面から向き合う必要があり、正直見たくない現実をもみるようで、しんどい時もある。前回のブログに書いたように、今月は共同研究の成果を代表でまとめる機会が何回かあった。その際、研究班の皆さんからは、忙しいさなかにもかかわらず、即時的に本質的なコメントを多数頂戴した。尊敬する先輩や仲間からの本質的なコメントほど貴重で有り難いことはない。のだが、本質的、ということは、必然的にその中にクリティカルなものが内包されている。リスニング能力がまだ不完全で至らない私は、ズバリ言われる本質的コメントを、私の意見への批判ではなくて、私そのものへの批判(=You are wrong!)と感情的に受け止め、自己否定と勘違いして、落ち込むこともあった。もちろん後から冷静に読めば、実に有意義な助言であるのだが、〆切間際にぱっと字面だけ読むと、「俺ってこんなに至らないんだ」と勝手に悲観的になってしまう自分が、まだまだいるのである。

ことほど左様に、聞くこと、読むこと、解釈すること、伝えること・・・これら全ての面で、いま、一挙に自分が「脱皮」することを求められている。ついでに言えば、このブログだけでなく、来月10日〆切の原稿も書きあぐねている、ということは、書くことにも脱皮が求められている。産みの苦しみ、なんて言えば美しいが、直面している自分からしたら、実にしんどい。

「仕事で『一皮むける』」(光文社新書)という本の中で、著者の金井壽宏は、「一皮むける」経験を「量子力学的な跳躍となった経験(quantum leap expoerience)」の日本語訳として使っている。まさに、僕自身、「量子力学的跳躍」のごとく、とてつもなく「跳躍」することが求められている。そんな脱皮の苦しみに差し掛かった、5月末日であった。

己の偏差(増補版)

 

「あんたの文章は、ほんまジャーナリスティックやなぁ・・・」

昨日の朝、学会の抄録提出の最終打ち合わせをしていた際、共同発表者がふと漏らした。今関わっているとあるテーマで学会発表をする、と決めたのが、連休明け。バタバタしていて、作り始めたのが今週になってから。で、何度も練り直し、関係者に見て頂いて、多くの本質的なコメントを頂いて、ようやく提出〆切当日の朝になって、何とか形になった。その最終原稿を巡るやり取りである。

何人かの助言をまとめると、私の書くものには、「価値観が出過ぎ」で「口語調」、そして「くどい」とのこと。自分一人でるんるんブログを書いている分には良いのだが、共同研究を学会の場で発表するにあたっては、この3つは致命的。「価値観が出過ぎ」であれば事実ではなくその価値観のとらえ方で発表内容が攻撃されてしまう。「口語調」になりすぎると、せっかくの発表の品格が揺らいでしまう。で、「くどい」とそもそも話を聞きに行く気がなくなってしまう。だから、絶対やってはいかんことなのだ。

学会抄録って、印刷されたものが後に残るだけでなく、「顔見世興行」的に発表のダイジェストを書くため、多くの聞き手にとってはそれを頼りに「どれを聞こうか」と値踏みするものでもある。いや、聞けなくても、残された記録を頼りに、当該研究の進捗具合や成果などを、外部から眺めることが可能なものである。研究チームの一員として、外部資金も頂いて、一定の社会的使命を持つ研究であればなおのこと、その成果をストレートに世に問いたい。その際、事実ではなく価値論争になったり、品格がなかったり、そもそもまわりくどいなら、せっかくのチームのやっている意義が台無しになってしまう。だから、直前にもかかわらず、関係者の方々が時間を割いて見てくださったのだ。関係者のみなさま、ほんとうに、ありがとうございます。

で、僕はずぼらな人間なので、これまで基本的に一匹狼的に、学会発表も文章も一人で書いてきた。ということは、他人とのコラボレートでこのような発表を作る、ましてや研究チームを代表して、なんていうことがなかったので、今まで自分の偏差を指摘される機会があんまりなかったし、あってもすっと頭に入ってこなかった。それが今回、原案を書いたのは僕だが、それを共同発表者で僕より遙かに頭の切れるH氏と毎日のようにやり取りをしていて、かなり色々ダメ出しを受ける。これって院生時代以来のしんどさ。ある程度まとまった、と思って切り返しても、「これじゃあ研究発表ではなく、何だかまだ実践報告だね」「まだ変だよ」とクールに返される。もちろん、代案も示してもらうのだが、そこから格闘が続く。その間も県の仕事関連の打ち合わせなどもあり、いつも深夜か早朝にクチクチ直す始末。その結果、ようやく最終稿が固まった後で、冒頭の発言を、しみじみ言われたのだ。

大学院に入学の際、僕はあるジャーナリストに弟子入りした。その師匠からは文章のイロハからものの見方、人生観まで実に様々なことを学ばせて頂いたが、書くプロでもある師匠から何度も言われたことは、「文章は省略と誇張だ」、ということ。見出しの一行でいかに引きつけるか、でその後読者が読んでくれるかどうかわかる。徹底的に考え抜いて、インパクトのある一文をぴりっと書けるか、が勝負だ、と言われてきた。で、「くどい」と指摘されることは、まだ省略が足りない、精進が足りない証拠なのだが、「誇張」というか、価値観を全面に押し出して、インパクトのある言葉を探す営み、というのは、身に染みついているような気がする。その部分をさして、先の共同発表者は「ジャーナリスティック」というのだ。

実は彼から以前にもそう指摘されていたのだけれど、そのときはその意味が正直わかっていなかった。だが今回、そうやって僕の文章に赤を入れるやり取りの中で、わかってきたのだ。あ、この業界では、僕のやり方の方が偏っているのね、と。

ただ、だからといって師匠に教えられたことが問題、とは思わない。むしろ逆で、中途半端な「省略と誇張」だからこそ、研究者からも、ジャーナリストからも批判される文体になってしまっているのだ。超一流のジャーナリストは、凡庸な学者を遙かに超えたよい「研究」をされておられる。それを、二人の超一流ジャーナリストに身近に接するチャンスを持って、実感した。問題は、その教えを、きちんと自覚した上で、体内化、徹底化出来ていない己の問題なのだ。この偏差を、血肉化できるか、が最大の論点なのである。

ことほど作用に、一匹狼、ということは、お作法がなっていない、ということの証拠でもあった。基本が出来てない、なんて、あな恥ずかしや。でも、よう勉強させてもらいました。おかげで、昨日原稿を出し終わり、その後家を飛び出して、午前は県の仕事で役場への聞き取り、午後は講演、を終えて駅まで送ってもらって気が抜けたら、とたんに急にヒドイ頭痛肩こりに。あんまり真剣に頭を使わないタケバタは、基本的に肩がこらない。久しぶりに真面目に頑張った、のであろう。昨晩はサロンパスが本当にじわーっと効いた。どうやら偏りは、ほんとうに「身体にくる」ようだった。

胆識を体感するには

 

連休明けの1週間、寒暖の差も激しく、木曜日を迎える頃にはぐったりしていた。
で、土日は仕事なので、金曜日は「臨時休業」。裁量労働制なので、この辺の加減が出来るところが良い。教員になった当初は平日に休む、ということが出来なくて、でも研究会、講演、調査などは土日に多く、結果、休みなく働いてかえって平日の能率を下げる、ということを繰り返していた。なので、ようやく最近、オン・オフスイッチをはっきり切り替えられるようになり、多少能率もあがる。

で、能率を上げるために!?、休みで訪れたのは、八ヶ岳の麓のアウトレット。今回はパートナーが所望され、お昼過ぎから出かける。今回は僕は買うつもりはなかったので、文庫本を抱えて、青空の下で読書。南アルプスの山々を眺め、初夏の風と陽射しを浴びながらノンビリしていると、一週間の気持ちの張りがほぐれ、バカンスをしているかのようなリラックスが出来る。で、読んでいたのは、バカンスには似つかわしくない!?一冊。

「一つの問題について、いろいろな見方や解釈が出る。いわゆる知識である。しかし、問題を解決すべく『こうしよう』とか『かくあるべし』という判断は、人格、体験、あるいはそこから得た悟りなどが内容となって出てくる。すなわち見識である。ところが、見識だけでは未だしである。見識が高ければ高いほど、低俗な連中は理解できぬから反対する。この反対、妨害を断固として排除し、実践する力を胆識という。いうなれば、決断力や実行力を伴った知識や見識が胆識である。学問は実にその胆識を養うところにある。」(伊藤肇「現代の帝王学」講談社文庫、」p86)

とある著名人が、若くして親から会社を継いだ時に一番参考になった、というので、古本で入手してみた一冊。古今東西の箴言と、名経営者の格言を織り交ぜている「自己啓発系」と言ってしまえばそれまでだが、昨今の自己啓発本との違いは、その掘り下げ具合。論語や十八史略などの古典の世界が、まだリアルに読者に訴えた最後の時代なのだろうか。出てくる経営者達も、そういった古典を自身のバイブルとして、あるいは難局を乗り越える際のぶれない指標として用いている。この本が出たのが1979年だから、たった30年前。それまで漢文的素養が当たり前のように日本に残っていたのに、その伝統がこの30年で見事に消えつつあるとしたら、実に寂しい。大事な筋の一本が、日本人の中から抜けていったかのよう。筆者の言うように、「知識」や「見識」があっても、「胆識」なき日本人が昨今多いのも、そういう古典との巡り逢いのなさが、その理由にあるのではないか。

最近、大学で担当している1年生向けの補習授業では、「声に出して読みたい日本語」(斉藤孝著、草思社)を用いて、みんなで音読している。「大学で朗読?」と思われる方もいるかもしれない。でも、高校までで、そういった古典との出会いに目や耳を閉ざし、つまんねえ、とシャッターを下ろしてきた学生達のエンパワメントには、力強い日本語が大きな励みになる。正直僕自身も、斉藤氏の一連の著作を「有名人だから」とさけてきた。だが、大学での補習授業(リメディアル教育って奴です)に向き合うようになってから斉藤氏の著作を読み始め、そういう臆断を反省。「教え育む」という営みと真正面から向き合って来た人の編み出した様々なメソッドは、使える、を超えて、一つの人間学として学びが多い。

日本語の暗唱や反復練習を重視した氏の教育論は、スポーツで秀でた能力を持つ学生達の勉強面のサポートの上で、彼ら彼女らの得意なメソッドが使えるため、実に役立つ。実際今年はそのリメディアル授業において、最後10分間、全員立ち上がって大声で、「祇園精舎の鐘の音・・・」なんて叫んでいる。担当する柔道部の1年生達も、身体を揺らして叫んでいる。そういった古典の「体感」の中で、少しでも「胆識」が育まれないだろうか。それが、担当教員の切なる願いでもあるのだ。

運命へのチャレンジ

 

Duty first, Self second! (大儀が第一、私は二の次)

連休中に映画館で見たクイーンでの、エリザベス女王の台詞。久々に質の良い心理劇を見た。ダイアナ妃の突然の死亡から1週間、自身の信念に基づき声明も哀悼の辞も発しない女王に対して、国民的なバッシングがエスカレートしていく。女王は、滞在中の別荘で、マスコミの膨大かつ一面的な報道に心を痛め、就任したてのブレア首相は、最初冷ややかに見ていたが、やがて女王の信念に気づき、共鳴の考えを持ち始める・・・。もちろんこの映画もフィクションだが、一方でマスコミ報道とい事実の切り取り方(=フィクション)についても考えさせられた作品であった。私たちが「一次情報」として鵜呑みにしやすいマスコミ報道が、いかに本当の情報の中から取捨選択と価値付けをした「二次情報」であるのか。一端流れ始めたマスコミ報道という流れが、いかに暴力的な色彩を持つのか。その中で、どういう決断を、どの場面ですることが、筋を通すことになるのか。

この映画を見ながら、大阪からの出張帰りにの汽車の中で読んでいた一節を思い出していた。

「人生のすべての決定が賭けである。どのような行動をとるにしても、その行動が将来どのような結果をもたらすかわからない状況で、可能な行動の中から1つを選ばなければならない。」(繁桝算男「後悔しない意志決定」岩波書店、p42)

クイーンの選択、でなくとも、私たち一人一人の「人生のすべての決定が賭けである」。その際、自分の今まで守ってきた価値観を固守する選択が、時として「時代のムード」というものと合わずに、大きな反発を催すこともある。それに対して、全てを引き受ける立場という重責であればあるほど、あるいはこれまで重責を担い続けてきた期間が長ければ長いほど、その「可能な行動」の選択肢の幅は狭まり、結果として自身の「賭け」のレートは高まり、選ぶ事への厳しさ、しんどさも増えていく。それを意識して、なおかつどういう「賭け」が求められているのか、この映画を見ながら、そんな事を考えていた。

また、この徹底的に論理的で、僕の文章とは違い無駄な形容詞や接続詞の一切ない、シンプルで骨太なテキストには、多くの名言が内包されている。そして、そういう名著は、別のある名著を思い出させてくれる。

「社会科学的認識の芽がわれわれの中で育ってくる最初の結節点は、われわれ一人一人が決断という行為に迫られることです。決断、賭けということであって、はじめて事物を意識的かつ正確に認識すると言うことが、自分の問題になってきます。(中略)事物の認識が深まれば深まるほど賭けらしい賭けができる。逆に言うと、深い賭けが出てきて、はじめて、主観とか希望的観測ではなくて、客観的な認識が自分のこととして出てきます。」(内田義彦「運命へのチャンレンジ」『社会認識の歩み』岩波新書、p44-45)

統計学的に言うか、社会思想史の側面から言うか、の違いはあれど、二人は同じ事を言っている。「賭けらしい賭け」をする主体とは、徹底した「事物の認識」を深め、それが「主観とか希望的観測ではなくて、客観的な認識」にまで高まっている。そういう深い認識があるからこそ、ぶれない決断が可能となる。

「一貫して安定した効果評価は、一貫した価値観の反映である。」(繁桝算男、前掲著、p98)
「後悔しないためには、変化しない大きな目標をもつべきであり、また、能動的な意志決定の機会をなるべく多く持つべきであろう。」(同上、p101)

常に「私」よりも「大儀」を優先させる、これも「一貫した価値観」である。また、「変化しない大きな目標」とも言える。そういう視点を持っていると、「決断という行為に迫られる」場面でも、「一貫して安定した効果評価」を持ち続けることが出来る。このぶれない視点があるからこそ、「深い賭け」が可能になる。そうした「結節点」における、主体的かつ本質的で、さらには「能動的な意志決定」のくり返しの中で、人々の信任や評価というものも、少しずつ積み上がっていく。それが「伝統」という無形のものを構築していく。

「伝統の価値を高唱する保守主義者はその価値の源泉を超越性、すなわち伝統が有限な人間を超出しているところに求めがちであるが、子細に眺めれば、伝統もまた人間のさまざまな活動の産物であり、問題解決のプロセスを経て形成されたものであることがわかる。伝統もまた『主体』的に形成されてきたのであって、自然の形成物ではない。」(間宮陽介「丸山真男」ちくま学芸文庫、p170)

そう、今日見た映画の中で演じられていたのは、クイーンという「有限な人間」が、「問題解決のプロセス」の中で、一貫した価値観を保持しながらも、「主体」的にその時点で深い賭けをし続けた、結節点におけるドラマだったのだ。それは「伝統」という「超越性」で押し切ることが不可能な、まさに「その行動が将来どのような結果をもたらすかわからない」分岐点における賭けの場面での、「能動的な意志決定」の瞬間に関する優れたフィクションだったのだ。

もちろん、事実はどうだったのか、はわからない。でも、それを見る私たちにとって、むしろ大切なのは事実の判定ではない。そうではなくて、そこでどのような選択がなされ、何が選び取られたのか。その際、自身の中でどのような価値観が大切にされ、守り続けようとしたのか。それが、賭けにどう反映されたのか。その部分が大切なのだ。だからこそ、映画のラストシーンでのクイーンの発言が、胸にしみるのである。

Duty first, Self second!

私自身も、これから社会的な立場で仕事をする機会が増える中で、この矜持を持ち続けることが可能なのか。賭けの主体として、しみじみ自分に問い直していた。

コーチ運に恵まれて

 

昨日の夜中あたりから、ふくらはぎに違和感を覚える。
その理由は既に知っていて、悲しくなる。そう、月曜日に久しぶりにテニスで必死になったら、翌々日に来てしまう、というおじんパターンなのだ。ああ、悲しい。

月曜日の夜は、教員有志でテニスをしている。だが、ヘビー花粉症キャリアのタケバタは、2月末からしばらくおいとましていたのだ。しかしようやくピークも過ぎて、前回から再会。とはいえ前回は途中で雨が降り出したので、実質的に打ち込んだのは3ヶ月ぶりくらい。激しく隙をついてくるH先生に翻弄されながら最初から走り回っているうちに、やっぱり足に来てしまいました。

で、昨日は仕事を早めに切り上げ、某所へ打ち合わせ。前々回に地域自立支援協議会のことを書いたが、新しい仕事をするときには、あれこれ情報収集をするだけでなく、肝心なお仕事のパートナーと何度もあって、話し込んでおく必要がある。今回は、一番大切なお仕事をしてくださるIさんと、方向性やどういう展開にしていくのか、をざっくばらんに話し合う。メールや電話ではなく、こういうお顔の見える関係から、方向性の微妙なズレなどが、少しずつ軌道修正されていく。海外ではテレビ電話会議も主流で、カリフォルニアでは一番会いたかった人が、現地に行ってみると、「今日は子育てでお休みだけど、電話会議」なんて言われてしまった。相手の呼吸はつかめないし、何しろ母国語ではないし、お顔の見えない話し合いは、とくに外国語では相当不利。なんせ会っていたら、わかんなそうな顔、とか、理解されてなさそうな顔、という非言語的ニュアンスが多くを物語り、ちゃんと補足をしてもらえる。でも、電話ではそのニュアンスは伝わらないので、高速で議論が進んでいく。それはそれは恐ろしい会議だった。そんなわけで、非言語的ニュアンスを確認する為にも、大切な人とは「お会いする」というのが肝要なのだ。

で、その帰り道、7時過ぎに、ジムに寄っていく。一応僕はそのジムチェーンの全店で利用可能なコースだそうで、昨日はいつも行く石和とは違って昭和インター近所の店舗に寄ってみた。プールで泳ぎたかったので、「今空いていますか?」と尋ねると、7時半からレッスンしているけど、空いてるコースはあるよ、とのこと。何のレッスンか、と尋ねてみると、ウォーキングのレッスンと、クロール・背泳のレッスン、とのこと。実はクロールだけがどうも苦手だったので、場合によっては教えてもらってもよいかも、と思いながら、プールへ。ちょうど時間になって眺めていると、どうもクロール・背泳レッスンには、一人しか参加されてない模様。それなら、と意を決して(結構言い出すのが恥ずかしくて緊張していたり)、「クロールの泳ぎ方を見てもらえますか?」と尋ねてみると、どうぞ、と言われてコースをうつる。水泳のコーチに教えてもらうのは、小学生のスイミングスクールに通って以来だが、実に分かりやすく教えてもらった。そのクロールのコツとは・・・。

とにかくストレッチのつもりで、身体を出来る限り伸ばす。手はなるべく前にだすように。水をかいた手を真ん中にもってこようとせず、肩の位置くらいでいい。肩を回すことを心がけて。バタ足は使わず、肩を使って、全身で泳ぐ。鼻から息を出しておいて、口で吸う。すると、息が出ているので、息継ぎの際、短時間で空気を吸える。息継ぎに慣れないなら、水面で声を出しながら鼻からも息を出せばいい。とにかくしゃべっているときに鼻から出すのと同じような、普通の息継ぎを心がける。まずはこれが出来るようになると、ずいぶん楽に泳げる。

呼吸が整ってきたら、ストレッチを意識すると、もっと楽に泳げる。お腹のあたりを手でかいて、手が出たら、顔を出す右側などは、顔が出ている視線を塞がないように、肘を曲げ、手を大きく回して、水面に入れる。入れるときは親指と人差し指から入れることを意識する。水面から出た手を大きく回そうと肘を意識し、肩を回すと、肩に押し出される形で逆の方の(水中にある方の)手が自然に伸びて、ぐっと前に出て行くし、ストレッチがかなり効いてくる。また肩が上がるので、自然に顔が浮く。呼吸もしやすくなる。さらに、全身が伸びきっていると、推進力が増す。その際、足もバタバタさせずに、内股気味に、足が触れあうくらいにしておくと、足がつることもなく、また足が開いていると沈みそうになるが、両足をそろえておくと自然に浮力で沈まない。沈まないと、無理して顔を上げることもない。

これが出来てきたら、今度は泳ぐ際、まずキックで5mくらい、その後速度が弱まったら、バタ足で2,3m、そこから泳ぎ出す。それだけで、ストロークの数が減る。もっと、楽に泳げる。

前回のスキーのレッスン同様、少人数でみっちり1時間教えてもらうと、実にコツがわかってくる。しかも、今回のコーチもわかりやすく(理屈で)、らくーに泳ぐためのメソッドをきっちり伝えてくださる。競泳するわけではないので、長続きするための泳ぎ方が一番知りたかった。何でも平泳ぎよりぜったいクロールの方が楽、と言われたのだが、今まで正しいクロールをすっかり忘れていたので、25mが苦しくて、ついつい平泳ぎや背泳に逃げていた。でも、と一念発起してちゃんと教わると、あら不思議。1時間の間に、だいぶ感覚がつかめ、何より楽に泳げるようになった。腕をきちんと回し、鼻から出して口から吸う、と意識するだけで、ずいぶん泳げるのだ。これを続けたら、どうやらスキー同様クロールも克服出来そう。

スキーといい、水泳といい、どうもここ最近、コーチ運がよいようだ。そういえば、泳ぐ前に出かけたIさんも、僕にとっては大切なコーチのお一人。そのコーチに教わったことを、きちんと現場で実践して、うまく課題を克服していかなければならない。忘れないうちにコーチから教わった事を書いておいて、後はPractice makes Perfect! 習うより慣れろ、だよね。次は金曜あたりにみっちり泳いで来ようかしらん。

他責的文法を乗り越えるために

 

土曜日は朝一番の特急に乗って東京入り。早稲田で朝10時から午後4時半まで学習会に参加。よくわかっていなかった障害者権利条約について深い議論を聞きながら、なるほど、と頭の中にしみこませていく。久しぶりにパソコンでずっとメモをとり続けながら、なので、結構くたびれる。

で、その後、場所を変えて、今度は社会保障に関する勉強会。様々なバックグラウンドを持つ若手で集まって、障害者自立支援法や社会保障改革を規定している「大きな流れ」や枠組みときちんと向き合って、あわよくば「隙」を探そう、という勉強会。大学時代に所属していた社会学の授業すらまともにとってなかったのに、法学も、そして経済学も、これまでまともに取り組んだことはなかった。でも、権利条約をどう日本に取り入れていくのか、という議論は明らかに憲法や国内法の議論を掴んでおかないと頭に入らない。また、社会保障改革に関しては、経済財政諮問会議の流れや、その背後に伏流する新自由主義的なもの、そしてその文脈の中でのケインズやエスピン・アンデルセンなどの福祉国家論についても見ていかないと、全く見えてこない。現場のリアリティとマクロ政策をつなぐ中範囲理論を考えたいタケバタにとっては、どちらも抑えておかないと、説得力のある話は出来ない。ふーっ、結局両方勉強しなければ仕方のないことなのですねぇ・・・。

で、その勉強会飲みながらの議論、を終えて、土曜日は久々に新宿11時発の「終電」で帰宅。日曜日はぐったりしていたので、ソファーで寝そべって、ぶらぶら読んでいた一節が、実に面白かった。

「前近代の伝統も、近代の理性も、そして脱近代の感性も、自己を外部に開くよりはむしろ自己を閉ざす殻となっている。丸山は折に触れて、日本人の『他者感覚』の欠如について語っている。他者を他者=他在として認識するには自己を自閉の殻から解放しなければならない、というのがその積極的な主張である。自己を開かなければ、伝統主義は『ズルズルべったり』の共同体主義になり、啓蒙合理主義は理性や知性の専制主義に、ポスト・モダニズムは『処置なしのロマン主義』に変色してしまうだろう。モダニズムだポスト・モダニズムだといいながら、これらのイズムがえてして同類異種のイズムになりやすいのは、彼らの精神が閉じている点で共通しているからである。だがら時あってか、西欧主義者が一転して日本主義者となり、左翼が右翼に転轍する。ナショナリティの脱構築を唱えるポスト・モダン派がある日、ナショナリストに変貌しないと誰が保証できよう。全共闘の『自己否定』すら彼には自己の絶対的肯定と見えた。『現代流行の「自己否定」とは、昨日までの自己否定(=したがって昨日までの自己の責任解除)と、今の瞬間の自分の絶対肯定(でなければ、なんであのような他者へのパリサイ的な弾劾が出来るのか!)にすぎない。何と「日本的」な思考か』(「自己内対話」233頁)と、ノートに記されている。」
(間宮陽介著、「丸山眞男」ちくま学芸文庫、p46

丸山眞男氏が戦中から戦後にかけて日々付けていた3冊のノートが、氏の死後、「自己内対話」(みすず書房、1998年)という形で公刊された。この彼の思いの詰まったノートに基づき、「彼がどのような問題と格闘したかを理解する」ために、「思想家という生身の人間の歴史と社会の歴史とそして思想の歴史という三つの歴史の交わる地点」(同上、p13)を丹念に追いかけた力作が、この間宮氏による論である。大学1,2年の頃、社会思想史のO先生の講義で初めて丸山や大塚久雄、アダム・スミスやウェーバーの思想に触れ、その先生の研究室に通い、「日本の思想」や「忠誠と反逆」の読書会に参加してちっとは囓っていたので、間宮氏の議論はすっと頭に入ってきた。しかも、面白い。吉本隆明など、全共闘世代が信奉した思想家による丸山批判ともがっぷり対峙し、「丸山批判に一般的にみられる傾向は、丸山の思考の連鎖を追跡する労をとらずに、結論部だけをつまみ食い的にピックアップし、そればかりかその結論を自分自身の文脈に移植して、その欠陥をあげつらっている」(同上、p23)と喝破するあたりは、間宮氏の深い理解に基づく一刀両断に、すごい、と目を丸くしながら読んでいた。

以前から、全共闘世代とは何だったのだろう、と個人的に気になっていた。あんなに世の中を変えたい、旧体制を変革したい、と「身体を張って」運動していたはずの人々が、自分がいざ変革主体、というか変えられるポジション・世代になった時には、すっかり批判していた相手方以上に保守的になっている、この変遷はどう考えたらいいのだろう、と「団塊ジュニア」(最近では「ロスト・ゼネレーション」とか言われてますが)として考えていた。その疑問に、「現代流行の『自己否定』とは、昨日までの自己否定(=したがって昨日までの自己の責任解除)と、今の瞬間の自分の絶対肯定」と整理されると、なるほど、と見えてくる。結局、運動だ、社会変革だ、と言っても、それがその世代のみで通用する閉ざされたファッション(はやり)であり、自己変革を伴わない、他者に開かれないものであれば、潮の流れの向きが変われば、当然の帰結として、その中身も変容する。そのとき、ベルボトムをスーツに替えるような気軽さで、全共闘から保守主義へと着替える。その際、一応周りへの「エクスキューズ」として、「自己否定」という名の「昨日までの自己の責任解除」をしておく。それさえしておけば、「無責任男」は、社会の共同体の掟からはみ出さない限りにおいて、無罪放免、となる。なるほどねぇ。

僕自身、全共闘世代を生きていないのだけれど、何となく、あの世代の運動は、「他者を他者=他在として認識するには自己を自閉の殻から解放」出来るチャンスだったのではないか、と直感的に感じている。そしてそのチャンスに、本当に「殻から解放」せずに、内向きな同世代にのみ通用する論理で終始した結果として、その後の日本の物質的繁栄と、その代償としての民主主義の実質的放棄、というか、精神的貧困、のようなものへとつなげていったのだと思う。政治や選挙へのしらけ、も、彼ら彼女らの世代の「昨日までの自己の責任解除」の過程の中で醸成されていった部分が多分にあると思う。その上で、「今の若い世代の政治離れは・・・」なんて言われると、「自分の責任を問わずに他責的な文法で語って、なんて身勝手な」と思う。そして、団塊ジュニアの世代は、その「他責的文法」者達の物質的繁栄を「すり込み学習」し、いつの間にか、大人になること=他責的文法で語る事、と勘違いしていく。なんという悪循環。

その悪循環にくさびを打つにはどうしたらいいか、と以前からぼんやり考えていたのだが、結局は「隗より始めよ」。自分の中の「自己を閉ざす殻」をどんどん開く以外にはない。I am right, you are wrong!という「自分の殻に閉ざされた心情の表出」(同上、p17)ではなく、相手の論理と真正面から向き合って、どうしたら議論の可能性余地があるかを考える、という自己変容(自分の主張を変える必要はないが、少なくとも議論のアプローチを変える)こそ、求められているのだと思う。

「論点を共有しているならば、当の理論や思想は自己の思考の展開に活路を開いてくれる可能性を持つ。自分にとって死活の論点とは別の点で意見が分かれても、その不一致はささいな不一致である」(同上、p20)

そう、自分の不努力を「世の中はどうにもならない」と言い訳にすげ替えて諦めている暇はない。ちゃんとした論点共有のために、ちゃんとがっぷり勉強せねば。

教育と研究、スポーツの「型」

 

昨日、プールでの出来事。
クロールがどうもうまく泳げず苦しかったのだが、ゼミ生で元水泳選手、に聞いてみると、「息継ぎで顔を上げるとき、左手に顔をくっつけた形で、水面に半分くらい顔を出すつもりでやっていますか?」とアドバイスされる。「いいえ、溺れそうになるくらい沈んでいるから、必死に顔を上げていたら、何だか首がこって、こないだなんてサロンパスをはったくらいだよ」と答えると、「ちゃんと左手から顔が離れないよう意識したら、沈まないし、首がつることなんてありません」と。実際にやってみたら、ほんとその通りだった。

実はそのゼミ生には、平泳ぎについてもアドバイスをもらっていた。「水泳って、足でのキックより、ちゃんと水をかけるか、ですよ」と言いながら、どう水をかけばいいのか、教えてもらったのだ。それ以来、平泳ぎもずいぶん楽になり、背泳を泳いでいるときも、腕の使い方を気にしていると、泳ぎ方が変わってきたようだ。

結局、泳ぐ、というのは、きちんとした「型」を身につけておけば、実に楽に泳げるし、楽しめる、という実感がようやくわいてくる。で、そうやって昨日泳いでいながら、この「型」ってプールだけじゃないよな、と実感。以前スキーのレッスンを受けた事を書いたが、あのレッスンの中でも、「型」がいかに楽に滑るために大切か、を身をもって教わった。その昔、ちっとだけテニスのレッスンを受けたこともあるのだが、以後、運動不足のタケバタがテニスだけは好きなのは、テニスが楽に打てるから。力を込めなくても、すーっと返すことが可能だから。そういう「型」を教わり、実践することは、スポーツが長続きするために必須のような気がする。

この「型」は、何もスポーツに限ったことではない。仕事面だって、全く同じ。大学では、教育と研究という二つの大切な仕事を担っている。教育面では、何度もここに書いてきたが、10年間塾講師をやっていた時に身につけた「型」がずいぶん役に立っている。当初は「最高学府なんだから」と変にしゃちこばって、エネルギーが空回りし、授業もゼミ運営もうまく行けない、ということがあった。しかし、私が20代で塾講師のプロフェッショナルの先生方から学んできた「伝える」「教える」ということの「型」は、現場が大学に移ろうと、決して変える必要のない叡智だったのだ。大学教員3年目を迎えて、自分の「型」を改めて見直そう、と、斉藤孝氏の著作を数冊読んでみて、本当にそう思った。彼の著作は今まで何だかタレント教員なので「読まず嫌い」だったのだが、読んでみて「目から鱗」が多い。つまり、「伝える」「教える」の「型」に関して、徹底的な研究をした上で、そのメソッドを抽出化して伝えてくれているのだ。自分がこれまで現場のプロから非言語的コミュニケーションを通じて学んだことも、言語でわかりやすく書いてくれている。こういう事が出来る人こそ、「伝えるプロだ」と再確認。ちなみに彼は、ものすごい量の本を読みながら、常に研究し続けておられる、ということもよくわかった。

で、これにつながるのだが、研究においても、結局「型」が大切になってくる。僕自身は、大学院時代、元ジャーナリストの師匠について、徹底的に「ものの見方」を学んできた。普通の院生なら基本文献を読みあさっている時代、数々の現場に師匠について出かけ、師匠から多くのお話を伺い、様々に質問し、師匠の視点を徹底して盗もうとした。師匠を離れ、大学で教員を始めたとき、自身がこれまであんまり文献と付き合ってこなかったことに気づき、すごく恥ずかしい思いで、必死になって読み進め始めた。そして、今までのやり方でよかったのか、と自身に問うこともあった。でも、最近現場の人と話していて、どうやら私の話が現場の方に「通じる」「伝わる」のは、この院生時代に師匠に弟子入りして、徹底的に視点を盗もうとした、つまり「型」を学んだからである、と痛感し始めている。昨日もとある精神病院の家族会総会で、「退院促進支援」の話をしていた。普通、病院内でそんな話をすると、拒否的反応を受ける可能性もある。ただ、その病院が大変風通しのよい病院であることと、そして私が抽象的議論でなく、現場のリアリティに基づきながら、権利擁護の部分で筋を通した話をしたから、病院現場の方々にも伝わる話になったのでは、と思っている。つまり、ここでも「型」を身につけたことが、うまく作用したのだ。

論文は、一人でも読める。でも、視点という「型」は、自分一人で身につけるのは大変だ。スキーや水泳でアドバイスを受けたら変わったように、塾講師時代に様々なプロフェッショナルの先生方に身近に接して多くを吸収できたように、研究面でも、ちゃんと「型」を学んでいた、ということにようやく気づき始めた。だから、あんまり研究でもしゃちこばらず、楽しく肩肘張らず、20代で得たやり方をうまく活かしていけばよいんだよな。無心に泳いでいると、そんなことが頭に浮かんできた。