縮小都市・まちづくり・地域福祉

年末に読み終えた本と、正月明けの旅行や出張で垣間見た風景が重なった。
フックになったのは、『縮小都市の挑戦』(矢作弘著、岩波新書)。全国各地で地域興しを担う人材育成をしている尾野寛明さんと、12月に岡山でセミナーの打ち合わせをしているときに、紹介された一冊。オモロイ人物に紹介された本に外れはないので、早速ゲット。確かに、実に示唆に富む、興味深い一冊だった。
この本の中では、かつて自動車産業の城下町として栄えたアメリカのデトロイトとイタリアのトリノが、その後GMとフィアットの凋落と共に寂れ、荒廃した後に、スモールビジネスを中心とした活気を取り戻しつつあるプロセスが描かれている。そのプロセス自体も面白いのだが、僕が特に興味を惹かれたのが、都市再生の流れと、ポストフォーディズムに関する整理の部分だ。先取りして言っておけば、この二つは、大都市だけでなく、中小都市の再生や活性化にも示唆に富む指摘だと感じている。
昼間でもひとり歩きは身の危険を感じるほどだったデトロイト中心部の「決して行ってはいけない」危険地区。そこが再生するまでには、次のようなプロセスがあったという。(P66-69)
第一段階 衰退・荒廃した地域で、「アーバンパイオニア」が「開拓者精神」をもって新しい何かを始める。著者によれば、このアーバンパイオニアとは、①ぼろ住宅を安く取得し、DIY精神で自分で修繕して、そこを自宅に移り住むタイプ、②廃棄された倉庫や工場を安い賃金で借り、アーティストがそこをスタジオにするタイプ、③空き物件を活用してスモールビジネスを始める起業家型、の3つがあるという。これらのアーバンパイオニアは、補助金などに頼らず、その地域や場の可能性を予感し、「空き」をオモロイと感じる感性を持っている、という。
第二段階 このアーバンパイオニアが根付くと、地元のスモールビジネスが相次いで起業する。その中で、トレンドに敏感な若者のに人気のスポットが増える。
第三段階 その成功を見定めるように、コンビニやカフェ、ファーストフード店が出店する。この段階で、地元の不動産デベロッパーやチェーン系ビジネスが投資をし始めることにより、地区の改善が進展し、家賃が上がり、貧者が追い出される、という。
第四段階 このように賑わいが活気づくと、全国区のデベロッパーや金融資本が舞台に登場し、新築ビルや集合住宅が新設される。
地域福祉の視点で見れば、この第三段階で「貧者が追い出される」のは問題あり、であるが、それを除けば、第一段階や第二段階は、別に荒廃した危険地帯だけでなく、いわゆる「シャッター通り商店街」や、地場産業が衰退して活気がなくなった日本の地方都市にも十分に応用が出来そうなプロセスである。
次にフォーディズムとポストフォーディズムの違いについて(p151-154)。
フォーディズムとは、T型フォードを生産する時に開発された、ベルトコンベヤ式労働による大量生産型の生産様式である。それが都市に応用されると、デトロイトやトリノ、日本で言えば豊田のように、ワン・カンパニー・タウン、つまり企業城下町になる、ということである。このフォーディズムの企業活動は、主要な大企業が規格品の量産を行うために、単純な非熟練労働を雇い、コスト削減が目標とされる。下請けと大企業は垂直関係で結ばれ、行政も企業誘致政策を第一義におき、特定企業や業種のニーズに対応した「生産のための都市インフラ」を整備する。つまり、企業と政府は密月関係にあるが、工場移転の可能性をちらつかせながら、企業は自治体間競争をさせる垂直関係であり、結果として大企業の独占が進むと共に、郊外化が進展する、という。
ただ、これは大企業がその本拠地を構え、生産活動をし続ける限り循環するプロセスである。GMやフィアットのように、その看板企業が凋落すると、その企業に依存した企業城下町は、ガタガタと総崩れしていく。それは、規格化・標準化された一企業に依存することにより、街の多様性を見失うことに起因する、逆機能的側面である。フォーディズム都市の好循環は、企業業績の悪化と共に、もろくも簡単に悪循環へと転化する。
だが、その後にデトロイトやトリノでは、ポストフォーディズムの動きが展開し始めている。アーバンパイオニアやスモールビジネスが、新たな中小企業を興す中で、マーケットの創造を始める。その中で、規格化された安価な大量生産商品ではなく、知識・技術集約的労働に基づく、高付加価値品の生産がなされていく。これは、元請け-下請けの垂直関係ではなく、中小企業同士の水平でネットワーク的関係が展開する。すると、行政も大企業のみに目を向けるやり方から、その地域に定住する住民や中小企業が根付くようなQOL向上のためのインフラ整備に乗り出し、「我が町でしか出来ない○○」という都市ブランディングに乗り出す。それは、企業と政府のパートナーシップでもあり、他の自治体と競り合うのではなく、お互いが差別化した魅力を持つ街として連携し合う。その中で、みんなで街作り、というステークホルダー間の集合的協働が加速し、都市に賑わいが戻る(再都市化する)という。
この「都市再生」や「ポストフォーディズム」の動きの断片を、僕は長崎県の波佐見町で垣間見た。
正月明けに博多から長崎までの旅行に出かけた。その中で、目的の一つは、もともと有田焼だった。骨董や飾り物の陶磁器には興味がないが、普段使いの器が好きで、沖縄に出かけるたびに、やちむんの里であれこれ買い求めるのが、近年の楽しみである。今回もそんなノリで有田に行こうと予習用に買い求めた旅行本のいくつかで、有田ではなく、波佐見焼が取り上げられている。調べてみたら、昔からの焼き物の街だが、江戸時代は伊万里から出荷したから「伊万里焼」とも言われたり、お隣の有田焼と比べると生活に根ざした廉価な製品を作る産地、と言われていたらしい。でも、普段使いの食器としては、シンプルで非常に良さそうなものがありそうだ。有田は数年前出かけたから、近所の波佐見にも寄ってみるか。そんな気持ちで出かけたら、びっくりした。僕の中では、有田より遙かに面白そうなのだ。
有田に比べたら、波佐見のブランド力は格段に落ちるかもしれない。高価で華麗な焼き物でもない。江戸時代に庶民が使った「くらわんか椀」や、幕末から明治にかけて醤油を詰めて輸出する瓶として使われた「コンプラ瓶」など、実に生活に根ざした焼き物が波佐見焼の特徴だ。そして、その「用途の美」に、現代風のアレンジをした、シンプルでお洒落な食器が、波佐見の窯元にはザクザクあったのである。
それだけではない。波佐見の街中にあるショップ「HANAわくすい」では、波佐見焼の風景に似合うような雑貨や、全国各地から取り寄せた手仕事の品物を取り寄せたセレクトショップが、窯元の売り場に併設されて店を構えていた。目利きの中川正七商店が扱う商品なども、ごく自然に並べられている。気付けば焼き物だけでなく、様々なジャパンメイドの手仕事品と出逢って、段ボール箱を宅急便で送るほど、買い込んでしまった。当然、焼き物にかんしては仲買を通さないから、大変リーズナブルなお買い物が出来た。
このように、ポストフォーディズム的な街とは、質の良い「本物」と出会える街だと感じた。波佐見なら、「ほんまもんの、普段使いの器」と出会える街である。しかも、独占的な大企業がある企業城下町ではなく、小さな窯元が切磋琢磨している、文字通りの中小企業の街。でも、質とセンスの良い、東京のセレクトショップにもおいてありそうな器がそろっているので、また訪れたくなる街。その晩は僕たちは近所の武雄温泉に泊まったけれど、例えば武雄市や嬉野市の宿とコラボすれば、器と食と温泉の、豊かなツーリズムの可能性がありそうだ。こういう差別化した街同士の連携が、人口減少時代に元気な街として再生していくのだと、感じた。
そして、このような都市の再生に必要なのが、「開拓者精神」をもったアーバンパイオニア。大量の資金と生産量を投下するフォーディズム的な街作りの時代は、全く相手にされなかった存在かもしれない。でも人口減少が進む縮小都市においては、きらりと光る「オモロイこと」を始めた若者たちのアントレプレナーな展開は、大都市だけでなく、中小都市や中山間地の「町の中心地」にすら活かせるカンフル剤のように思えてならない。
そういえば、矢作さんは、日本の「まちづくり」を英語に訳すとき、こんな説明をしている、という。
「革新的なコミュニティを孵化させ、養育する取り組み(hatching and nurturing innovative communities)」(p204)
僕は、このフレーズは「地域包括ケアシステムの構築」や「福祉のまちづくり」においても、必要不可欠な要素だと思っている。それを、昨日の岡山でのセミナーでも実感した。
昨日は、岡山県社協主催の「無理しない地域づくりを考える~岡山県内で小さな挑戦をしている現場職員の話を聞く~」のファシリテーターを、先述の尾野さんと二人でさせて頂いた。2012年の春に尾野さんに出逢って以来、ずっと暖めてきた「まちづくり」と「地域福祉」のコラボが、ソーシャルなスナフキンの県社協職員、西村さんの仲人のお陰で、2015年に岡山で実現したのだ。その場で、尾野さんと剛速球の投げ合い対談の後、3人の挑戦者の話を聞き、会場全体と考え合う中で、「まちを元気にするには、こういう孵卵器のような場が必要不可欠だ」と思い始めている。
昨年はNHKドラマで「サイレントプア」が放映され、この4月から生活困窮者自立支援法がスタートし、併せて介護予防の施策が市町村の地域支援事業として重点化される時代にあって、コミュニティソーシャルワーカー(CSW)の必要性がますます叫ばれている。だが、地域のソーシャルワーカーが、本当に地域全体を視野に入れて眺めているか、というと、現状ではアヤシイ場合が少なくない。個別援助技術には長けていても、個別課題を地域課題に変換できないワーカーは少なくない。さらに言えば、地域の福祉課題を、まちづくりの課題に接続させる力量を持っているひとは、なおさら少ない。僕自身は、地域福祉が福祉に限定されることなく、コミュニティワークという形で、地域の様々な課題に接続され、開かれていくべきだ、と考えている。そして、昨日の岡山のお三方は、実際にコミュニティワークを地道に本気にやっている三人だった。
井笠市で若者就業支援と農業のコラボに取り組む山脇さん(ワッキー)。岡山市内で魅力的な大人と若者の出逢いの場を創るNPOだっぴを運営しながら、ご自身の住む限界集落では若者を呼び寄せるイベントを開いている河原さん(花ちゃん)。そして、弁護士事務所に所属する社会福祉士として、後見人や刑事弁護での支援に取り組む尾崎さん(リッキー)。この三人は、狭い意味での(教科書的な)地域福祉の枠を遙かに超えているが、地域の困難な課題を自分事として引き受け、自分の出来るやり方で、「無理しない地域づくり」をオモロク楽しんでいる三人である。その三人の取り組みを伺いながら、こういう三人のように、「役職」ではなく、「自分事」として地域にコミットする「わたし」が前面に出た人々を育ている「インキュベーション(孵卵器)」的な人材育成が必要不可欠だ、と改めて感じた。そして改めて、尾野さんが全国各地で人材育成塾の塾長として引っ張りだこなのは、「革新的なコミュニティを孵化させ、養育する取り組み」が切実に求められているゆえだ、と感じた。さらに言えば、コミュニティソーシャルワーカーも、権利擁護や当事者主体という当然の理念を踏まえた上で、この三人のように、「自分事」として地域作りにコミットするのが必要不可欠だ、と強く感じ始めている。
縮小都市の課題は、狭い意味での都市計画の話だけでなく、地域福祉にも直結する課題である。まちづくりや地域福祉の過渡期だからこそ、若者・バカ者・よそ者にも活躍できる素地や可能性は沢山ある。地域福祉においても、開拓者精神を持ち、スモールビジネスにも親和的な、都市再生の担い手がいても良いのではないか。そして、そういう担い手を養成するのは、専門が定まらないニッチ産業としてのタケバタの役割の一つではないか。そう感じている。
今日は阪神淡路大震災から20年目の節目。僕はあの当時、学生ボランティアとして被災地に入った事が原点になり、気がつけば研究者になっていた。直接神戸に関わることはないけれど、まちづくりや復興ということは、今も変わらぬテーマになっているのだと、改めて感じる。僕にしか出来ないことを、これまでも、これからも、地道に重ねていこう、と改めて感じた。

2014年の三題噺

師走がガチガチにタイトなスケジュールで、ようやっとアップが出来る。気付けば、今年たぶん最後のエントリー。まだ年賀状も書いていないのだが、年賀状に書く文面も思い浮かばないほど走り抜けてきたので、ここいらで頭の整理をかねて、今年一年を三題噺風に振り返っておくことにしよう。

①インプットの時期、と位置づけてみたが・・・
一昨年に『枠組み外しの旅』、去年に『権利擁護が支援を変える』と二冊の単著を出した。前者は博論の内容を、後者は20代から暖めてきた権利擁護ネタをガッツリとアウトプットしたので、さすがに、ストックはある程度総ざらえした感じがある。なので、今年はあちこちに出かけて、いろいろな新しい出逢いやつながりを見つけにいこう、と思った。その狙い自体は、間違いではなかった。ただ、ちょっと出過ぎた。
正月明けから出張が多く、3月には岡山と東北にツアーに出かけ、改めて地域づくりへのコミットの面白さを感じ始めた。そして、4月以後は、某自治体の地域福祉計画関連のワークショップに関わりながら、6月は学会発表を国内で二つ、7月には韓国で一つこなし、それと平行しながら、山梨で実践してきた地域包括ケアのコンセプトをお伝えする講演も、お声がかかれば引き受けてきた。その合間に、大阪方面の出張もなんやかやと続き、気付けば泊まりがけの出張が重なる日々。風邪を引いたり、身体がクタクタになることもしばしばで、合気道にも山登りにも、全然行けない日々。「何のためにそんなに予定を詰め込んでいるのですか?」とパートナーに冷ややかに問われ、己のスケジュール管理のなっていなさにやっと気付く始末。阿呆の限りです。
グーグルカレンダーにスケジュールを書き入れるとき、移動の時間およびその負担については、これまで意識することはなかった。知り合いに、平然と全国をノマド的に(鉄道オタク的に?)動き回る猛者もいるが、30代も終わりの年齢になると、片道5時間とかの移動がしんどくなってくる。翌日や翌週に、出張のつけが回ってくる。今年は鍼や整体にもお世話になり始めたが、施術するたびに、ガチガチになる身体をほぐしてもらう有様。身体が資本のこの商売では、ちょっとマッチポンプ的な展開になってきた。ある程度関わり続ける現場を絞り、それ以外の新規の(一回限りの)仕事を減らさないと(=断る勇気をもたないと)、身が持たない。様々な現場を訪問させて頂き、その現場のリアリティを伺うことには価値があるけれど、僕自身のモチベーションを崩す位の忙しさになると、本末転倒になる。それと、ガッツリ本を読むというインプットが何より出来ていない。これが最も大きな問題であり、来年、なるべく出張予定を減らして、本気で確保しなければならない部分だと思う。
②領域越境性が強まる
専門を聞かれても、もともと「まだありません」と答える時もあるように、これだと言えるものがない。一応公の場で紹介される時は、障害者政策とか、権利擁護とか、地域福祉とか福祉社会学とか、それっぽい専門を言っているけど、どれもドップリの専門、とは言えない。講演で依頼される内容も、国の委員をしていた時は「障がい者制度改革の行方」がほとんどだったけれど、その委員も終わって、バックラッシュ的に!?障害者関連の講演はパタリと途絶える。その一方、去年の秋に社会福祉士会で地域包括ケアの講演をさせて頂いて以来、「私から始まる地域包括ケア」というタイトルで全国にお邪魔することが多くなった。山梨の実践で培ってきた、「自分事としての地域作りへのコミット」の内容が、全国的に求められているのだ。
でも、これは少し前でもツイッターで連ツイしていたが、決して障害者福祉や権利擁護の内容から離れた訳ではない。むしろ、高齢者福祉分野にここ3,4年、コミットの度合いを深める中で、「困難事例」といわれる領域を紐解いてみると、「認知症の疑いがある母の支援でケアマネが関わり始めたら、娘は統合失調症でシングルマザー、孫は発達障害の疑いがある」といった、家族内での様々な関わりや支援が求められる家族が少なくない。そして、そういう家族をケアマネさんは支援することに慣れていない場合、「困難事例」とラベルが貼られ、地域包括支援センターに丸投げになる。でも、地域包括支援センターだって、虐待対等に介護予防事業、地域作りに困難事例対応もやっていたら、パンク寸前になり、事後対応に終始する。成年後見制度=権利擁護という矮小化された図式ではどうしようもない権利擁護課題が山積されている・・・。このような悪循環なのだ。
そして、このような悪循環を好循環に変えるためには、「ないものねだり」の欠損モデルではなく、本人や家族のストレングスを「あるもの探し」で探り出し、それを強化していく生活モデルや社会モデル的な発想が必要不可欠になる。これは、専門職主導から当事者主体への転換と共に、障害者福祉の領域ではやっと当たり前に語られるようになってきたが、認知症支援や高齢者福祉では、まだまだ専門職や家族主導が大きくて、当事者主導にすら至っていないケースが少なくない。問題があれば包括に投げるか、入院・入所させて支援終結、なんて考え方も未だにみられる。こういう発送の中で、悪循環が増幅するのだ。であれば、障害者の地域生活支援の考え方は、高齢者福祉にも当たり前のように越境させ、使えるのではないか。そういうつもりで、地域福祉に関わってきた。
すると、行政も、学者も、セクショナリズムが強く、高齢者と障害者、地域福祉と越境的に関わる発想がなかなかない。ゆえに、僕のような「すきま産業」の人間にも、越境的な地域作りのお手伝いの声がかかる。実際、山梨県内の某自治体でアドバイザーをさせているのだが、権利擁護や事前予防を中心にした、地域福祉計画と障害福祉計画、介護予防計画の連動のパズルのピースが、少しずつはまりはじめている。こういう領域越境的な仕事に関わらせてもらえるのは、大変だけれど、めちゃくちゃ面白い。そうそう、少しフライング的な予告ですが、三月末あたりに山梨の実践は『自分たちで創り上げる地域包括ケアシステム』というタイトルでミネルヴァから編著が出そうです。これも、チーム山梨の皆さんと練り上げてきたもののアウトプットだが、こういう領域越境的な仕事が出てきて、僕の中でワクワク感が広まっている。
③福祉研究者の枠組み自体
も超えられるか
実はそういう取り組みをする中で、僕自身が今問われているのは、自分の専門用語や「自分の土俵」ではなく、「相手の土俵」で戦えるか、という問いかもしれない。例えば、コミュニティビジネスや中心市街地活性化の取り組みをしている人々にとっても、少子高齢化という同じ問題と向き合っているのに、「福祉は関係ない」とそっぽ向かれている。これは、福祉現場の人間が、街づくり系の人々が納得できる・グッとくる何かが話せていない証拠でもある。その際、相手を「わからずや」となじるのではなく、相手の内在的論理を理解し、相手の納得できる・腑に落ちる言語で地域福祉を伝えられるか、という問題認識を抱え始めている。あるいは、福祉にそんなに関心や知識もない地域住民のみなさんに、「自分事としての地域福祉」を考えてもらえるか、という課題もある。それに関しても、少しずつ、種まきをし始めている。
今年最後の出張だった、岩手県の釜石市と大槌町でチャレンジしてみたのは、地域住民の皆さんと考えあう「自分事としての地域福祉」のワークショップだった。それも、「お上への要求反対陳情」スタイルのものではなく、「官民が一緒になって考え合い、連携提案する」やり方への転換も兼ねたワークショップである。やる前は僕も行政の担当者も冷や冷や関わってみたが、蓋をあけてみれば、力を持ち、「自分事」として考えている地域住民の方々の声に助けられ、少しは皆さんの腑に落ちる何かが生まれたのではないか、と思う。僕が1時間半、自分のパワーポイントを使い、自家薬籠中のものにしたネタを一方的に展開するのではない。住民さんたちに考え合って頂き、その声を拾い、その声に基づきながら、現場で必要とされる叡智を探り合うワークショップ。これは、僕自身の器や人間性も鋭く問われる、楽ではない仕事である。でも、そっちの方が、遙かに実りが多い。
実は、大学の講義ではもう何年も前から、学生たちと考え合う形の授業スタイルを模索していた。近年になって、そういうスタイルは「アクティブ・ラーニング」という名前だと、後で気付いた次第である。名前はどうであれ、一方的に話を黙って聞く、のではなく、「聞く→考える→対話する→振り返る」のプロセスを繰り返す中で、地域福祉の課題を自分事にしてもらうプロセスに入ってもらう、という手法である。これは、専門職と住民、地域福祉と街づくり、という、領域や壁を越えるためにも必要な対話的なアプローチ(注)だと思う。僕自身が、その場を信じて、その場全体の変容を応援する形でファシリテーと出来るか、も問われている。でも、もっと大切なのは、そこに来る人々の力を信じ、参加者の「あるモノ探し」をする中で、現場から立ちあがる叡智を、よりよい何かにアクセスさせる編集役が僕にも求められていると感じるし、実際、そういう実験を研修や講演という場を借りて、この一年、し続けてきた。
こう書いていたら、その昔、社会学の大家の先生に、「タケバタ、研究者は落語家ではないぞ!」と強く諭されたことを思い出す。落語家は、同じネタのバージョンを変えながら、目の前のお客さんと同期させていくなかで、その芸を磨きあげていく。だが、研究者がそれをしたら失格だ、と。常に新しいネタを入れながら、something new & interestを追求し続けよ、と言われ、それを何とか遵守しようともがいてきた。

だが、それは領域「内」で深化するためには必要不可欠だが、領域越境的には、それでは足りないことも見えてきた。つまり、同じ研究者仲間という「内輪」向けなら、そのアプローチでもよい。でも、現場の実践者や、地元の様々な住民向けという研究者コミュニティの外に向かうならば、新ネタを仕込むだけでなく、もっと根源的に問われていることがある。それが、対話的なアプローチなのである。こちらの知識を一時間半で波状爆弾のようにしゃべり倒すのではなく、相手がその知識を自分事として受け止め、腑に落ち、その知識を元に自らの行動変容に結びつける支援、それが狭い意味での福祉研究者の枠組みを超える時に、求められるのである。

これに最初から気付いていた訳では、もちろん、ない。今年は研修や講演が多かったけれど、途中から自分だけがしゃべる事に、強い不全感を抱いていた。それは、新ネタに入れ替えていっても、本質的に変わらなかった。そんな折り、以前のブログにも書いたけれど、「手綱を緩め、場に任せる」と、場が劇的に変化し始めた。明らかに以前より反応が良くなり、講演や研修後の手応えが強くなった。変なたとえだが、「僕の話を減らせば減らすほど、皆さんの満足度が深まった」感じである。それが、僕の狭い福祉研究者役割の枠組みを超えるきっかけになりはじめた。

そういえば、先月に開かれた県内の専門職相手の勉強会で、このアプローチを使ってみたら、終了後の懇親会で、某お姉様に「タケバタ君も、成長したね♪」とお褒めの言葉を頂いた。曰く、「以前は早口でまくし立てて、自分の賢さをひけらかしているようにしか思えなかったけど、今日のやり方は、相手の行動変容を導くやり方で、相手に合わせたやり方で、すごく良かった」とのこと。僕自身は以前は単に必死だっただけなのだが、見る人が見ればそう映っていたのだ、と強烈に気付かされた瞬間だった。
ちなみに、この相手を見なければならない、というのは、合気道の基本でもある。今年はあまり練習できなかったけど、有段者になり、少しは技が身体に馴染んできたのか、最近技をかけている時も、相手の事を見ることが出来るようになってきた。すると、相手のかかわり方に合わせて、自らの関わりを変えることが、少しずつだけど、出来るようになってきた。それと共に、無駄に力を入れることなく技を繰り出すことで、より相手の力を活かしながら、自らの技へと誘うことの大切さがわかるようになってきた。
実は、領域越境性とか、福祉研究者の枠組みを超える、ということで求められていることも、僕自身の構えの問題なのかもしれない。自分で勝手に範囲や領域、枠組みを作らず、現場の内在的論理に耳を傾け、じっくりと全体像を見て・把握して、現場の人のエネルギーをうまく活かしながら、その澱みや詰まりを取り除き、再活性化させる支援をすることが、「すきま産業」としての僕に「出来ること」であり、「世間から求めら
れていること」だし、それが「したいこと」にもつながる
のかな、と思い始めている。
・・・というわけで、馬車馬のように働き、もがいてきましたが、こうやって改めてまとめてみると、自分のこれからやりたい方向性が、少しずつ整理されてきたような気がする。実は、近未来に、次の単著を出したい種が出てきて、それも少しずつ発芽させつつある。来年、時間を確保して、その執筆にもエネルギーを注ぎたいから、もう少しスケジュール管理もちゃんとしないとね、という教訓も、書きながら強く自覚化した、つもりだ。
みなさま、良いお年をお迎え下さい。
竹端寛拝
注・・・対話的アプローチのリンクを張ったブログは、ある研究会で、参加した一般市民から出された「一見すると突拍子もない質問」に端を発している。このときは、僕自身の器が小さくて、その「突拍子もない(ように見える)」意見に相手の納得のいくコメントも出来ず、「ご意見は承りました」で終わってしまい、対話になっていなかった。でも、この暮れにユング関連の本を何冊か読み直す中で、それは場全体を支配する集合的無意識に関わる問いではないか、と思い始めている。僕が研究者的論理整合性を大切にするならば、その「突拍子もない」意見を、論理的に反駁しておしまい、とすることも可能だ。あるいは、相手は僕の話を全く聞かずに単に自己主著をしたいだけ、と決めつけることも出来る。でも、その場でわざわざ自己主張という形で出される何かも、講演なり研修なりという場全体から生起したもの。そうであるならば、その発言に何らかの集合的無意識が投影されていないか、と考えてみるのも、面白い。これは、今後の僕自身の探求課題ということで、付記しておく。

治療から歓待への価値転換

11月22日、精神病院をなくしたイタリア・トリエステの実践を世界に広めるロベルト・メッツィーナさんの講演会が大阪で開かれた。僕は、大学院生の頃から関わっているNPO大阪精神医療人権センターのボランティアとして、当日の司会を、大熊一夫師匠の横でさせて頂いた。当日興奮しながら書いたツイッターメモ書きはまとめて頂き、また、会場にお越しになられたフリーライターのみわよしこさんはその日のうちに!講演録メモ書きもつくってくださった。

そこで、詳細は上記のまとめやメモ書きに譲るとして、この日に考えたことを、忘れないうちに整理しておきたい。それは、精神障害による急性期症状を、「病気」と見るか、「人生の危機における大切な出来事」と捉えるか、というパラダイムシフトに関してである。(なので、前回のブログ「生きる苦悩から生きる喜びへ」と繋がっている)
メッツィーナさんのスライドで、もっとも対比的だったのは、OspedalizzazioneとOspitalitaの対比だった。イタリア語の表現の似ているこの二つ、前者は「病院化」であり、後者は「歓待」である。それまで急性症状の患者を治療を目的に収容することで、患者自身が「病院化」していったのに対して、トリエステで1970年代から実践し続けてきたことは、「病院化」をやめ、地域の精神保健センターで「歓待」することだった。この治療から歓待への価値転換によって、支援のあり方は大きく変わった、という。
この価値転換を、入院する精神障害者の内在的論理から眺め直してみよう。急性期で治療機関につれて来られる人は、錯乱したり、興奮したり、極度に落ち込んだり、自殺願望があったり・・・と、とにかく人生におけるとてつもない「危機」の状態にある。そのときに、本人は表面的な症状だけでなく、内心では自分自身がコントロールできないことへの不安・怒り・絶望・・・なども最大化している。また、そういう「いつもと違う自分」を「そうじゃないんだ」と否定したくても、それをうまく伝えられないコミュニケーション障害にも陥っている。周りから理解されず、自分自身も生じている事態の全容がつかめず、文字通りの「危機」的状態である。
この「危機」に際して、「あなたはオカシイのだから、治療しましょう」というアプローチと、「こういう大変な危機に、よくぞここまでこられた。まずはそれを歓待します」というアプローチでは、入り口が全く違う。前者は無能力な「一患者」として捉えるが、後者では「危機にある大切なあなた」という視点である。治療中心であれば、その標準化された治療枠組み(クリティカル・パス)の中に入ることが目指され、それが出来ない人は、縛る・閉じ込める・薬漬けにすることによって、とにかく沈静化することが目指される。でも、歓待を重視するなら、その人の危機的状況に共感しつつ、一緒にその危機を脱する為に側にいる、という約束をする。その中で、本人との信頼関係を構築し、対話の中から、薬も必要に応じて用いながら、急性症状の「嵐が過ぎ去る」のを共に待ち、落ち着いた後になって、「なぜそのような嵐が来たのか」を共に探る。
これまでの治療パラダイムであれば、とにかく症状を押さえつけ、沈静化させ、再び表面化しないようにすることがゴールとされた。だが、自傷他害や興奮、鬱症状とは、言語的コミュニケーションで表現できないほどの圧倒的な「危機」に際した人が全身で発してしまう、やむにやまれぬ非言語表現である。その際、その非言語表現「だけ」を隔離や拘束、薬物治療で取り去っても、その非言語表現に頼らざるを得ないご本人の「生きる苦悩」は消え去らない。「危機」とは「生きる苦悩」の「最大化」した状態であるだけに、そこから文字通りの「危機こそチャンス」ではないが、その「危機」と向き合う可能性を秘めている。だが、治療パラダイムは、この「危機」の沈静化を目標にこそすれ、その「危機」の意味を探り、「危機」を抱える本人がそれを乗り越える支援にまで、手を出さない。それは、標準化された治療枠組みを越えているからだ。
でも、トリエステでは、その標準化された治療枠組みを超えた支援を行う。メッツィーナさんはそれを、能動的な市民となっていくプロセスを取り戻す市民権と表現していた。つまり、危機状態で、市民としての権利が剥奪された状態にある人が、再び能動的な市民として人生の豊かさを取り戻すプロセスを支援することこそ、トリエステの支援において大切にする価値である、というのである。これが、「歓待」の大きな意味合いなのだ。
だが、このような「歓待」は、当然のことながら、一人の医師、看護師、ソーシャルワーカーでは無理がある。ある人の人生の危機に際して、その「危機」を鎮め、危機の悪循環パターンを共に解明し、その悪循環パターンから逃れる方法論を一緒に模索するためには、精神医学的・心理的・ソーシャルワーク的な様々なアプローチを統合したチームでの支援が必要だ。そして、このチーム支援において大切なのは、本人と家族、支援者の「取るべき責任」と「取れるはずのない責任」を峻別することでもある。治療者が本人の「取るべき責任」を奪いすぎることをやめ、なるべく本人の持っている(潜在的な)責任を取る能力を回復させる支援こそ必要不可欠である。そうやって、本人が「取るべき責任」を回復する支援をすることは、支援者が「取れるはずのない責任」を取らずに済み、かつ、支援者の専門性を活かした「取ることの可能な責任」をとることへとエネルギーと資源を集中することが可能になる。そして、その支援者と当事者の役割関係がうまく分担できるから、両者に信頼関係が生まれ、そこからリカバリーに向けた協働作業が始まるのだ。
そして、繰り返しになるが、その際大切なのは、支援者がご本人に対して、「こんな大変な危機にもかかわらず、よくここまで来てくださった。大変だったでしょう。まずは、このセンターで歓待します。とりあえず、混乱の嵐が落ち着くまでここにいて、一緒にこれからどうしたら良いか考えましょう。悪循環を好循環に変えるお手伝いをさせてください」という「歓待」の価値観である。この「おもてなし」があるからこそ、危機のまっただ中にある人も、「ここにいても良いんだ」という基礎的安心感を持ち、そこから、ぐちゃぐちゃに絡み合った糸を、支援者や仲間、家族や様々な支援的ネットワークの中で、ゆっくりじっくりほどくプロセスを進めるのだ。それこそ、能動的な市民として地域社会の中で暮らす権利を取り戻す支援であり、生きる苦悩を生きる喜びに転換する支援の第一歩なのだ。
そして、この話は、狭い意味での精神医療の話に限らず、「困難事例」「多問題家族」とラベルが貼られ制度の狭間や複数制度が重複する事例と言われる人々や、来年度から始まる生活困窮者自立支援法の対象になる人々への支援においても、共通する課題である、と感じた。大切なのは、「歓待」した上で、生きる苦悩に寄り添い、その悪循環を好循環に変えるための、継続的で包括的な支援なのである。
そう考えたら、トリエステのアプローチは、海外で行われている特異なケア、ではなく、まさに我が国でも先駆的実践がなされ、あちこちで求められているアプローチそのものである、と感じた。さらに言うならば、私たちの社会が、目の前で最大級に困惑している人を、「異常な病人」と排除するのではなく、「危機にある隣人」と受け止められるか、チーム支援を受けながら地域に戻っていく人々を先入観で排除せずに仲間として「おかえり」と言えるのか。このあたりの価値形成の問題でもある、とも感じている。これは、簡単にできることではないが、意識化しておく必要のある課題だ。
追記:メッツィーナさんが講演で「トリエステモデルを取り入れた」と仰っていた、WHOのメンタルヘルスアクションプラン、なんと日本語に翻訳されていました。

「生きる苦悩」から「生きる喜び」へ

こないだ、関西大学の研究会にお呼びがかかった。「アクションリサーチと枠組み外し」というテーマで、自著や自分がやってきたことを語ってほしい、という有り難いオファーである。現場での講演は沢山あれど、大学の研究会に呼ばれる事は、実はこれまでなかった。一匹狼的な研究を続けてきたので、こういう同業者を前にしたプレゼンは、めちゃ緊張するものである。

で、そのプレゼンを終わらせた後、ホストの草郷先生から、こんなことを言われた。「『生きる苦悩』より、『生きる喜び』の方がいいんじゃない?」
草郷先生は、ブータンの国民総幸福(Gross National Happiness)の研究をしておられる方である、ということは、一応知っていた。だが、僕自身の研究とそれが直接関係する、とは思ってもいなかったが、言われてみれば、その通りである。それは一体どういうことか?
僕が「生きる苦悩」という言葉を使うとき、それは、以前論文にも書いた「病気から生きる苦悩へのパラダイムシフト」というフレーズが頭にあった。これは、イタリアで精神病院をなくした原動力になった医師のフランコ・バザーリアの言葉から取っている。彼は、精神障害と安易にラベルを貼って、「縛る・閉じ込める・薬漬けにする」ことを良しとしなかった。ただ、反精神医学のように、精神病がない、と否定する訳でもない。幻聴や幻覚、妄想や自傷他害のような形でしか、自分自身を表現できないくらいにまで「追い詰められた」人の、その「生きる苦悩」にもしっかり向き合おうとした。病気しかみようとしない医師、ではなく、病気という形で「生きる苦悩が最大化」した人の全体と向き合うことで、本人と医師・家族・社会との関係性そのものに踏み込んだ関わりをしようとした。そうしないと、病状は収まっても、根本原因である生きる苦悩は減らないのではないか、という視点である。
バザーリアが1970年代にイタリアで提唱した、この「病気」から「生きる苦悩」へのパラダイムシフトは、21世紀の我が国でもキュアからケアへのパラダイムシフトが提唱され始め、今日的課題として位置づけら始めている。だが、「生きる苦悩」に「寄り添う」ことを支援目標にしても、それを抱えた当の本人は、そんなに嬉しくないかもしれない。「生きる苦悩」が減るだけではなく、具体的にどう変わるのか、の目標がないと、生きていく希望が生まれない。その時、「生きる苦悩」から「生きる喜び」へのパラダイムシフト概念が、大きな補助線になりそうである。でも、これとて、僕のオリジナルではない。
ここ半年くらい、ブリーフセラピーの本を読みあさってきた。このブリーフセラピーって、以前ブログでご紹介した本のタイトル通り、『“問題行動の意味”にこだわるより”解決志向”で行こう』という考え方である。不登校や摂食障害、自傷他害、「ゴミ屋敷」など、周囲との関係性がうまくいかず、周囲の人々から「問題行動」とラベルを貼られる事態。これらの「問題行動の意味」に「こだわる」のは、本人も支援者も同じである。だが、そこにこだわればこだわるほど、そこに「居着いて」しまい、その固着した関係性から抜け出すことが出来ない。であれば、その「問題行動の意味」は理解した上で、そこに「こだわる」より、現実的にその状態から抜け出す「解決」方法を一緒に模索した方が良いのではないか。それが、ブリーフセラピーの考えたかである。(たぶん)
で、この「問題行動」を「生きる苦悩」と置き換えた時、同じ事が言えるのではないか、と思い始めている。「生きる苦悩」が最大化した人を前にして、まずはその苦悩の内容やご本人にとっての意味を支援者が理解することは、必要不可欠なことだ。だが、伴走型支援と呼ばれる支援において、その「苦悩」ばかりに目を向けていると、当事者と支援者が共に隘路にはまり込んでしまう。そこから目を転じて、「生きる喜び」を一緒に探そうと模索する同伴者になるとき、従来の価値観が一転する。それは、GNHの本にも出ていた「地元学」の表現を借りるならば、「『ないものねだり』から『あるもの探し』」へのパラダイムシフト」である。精神障害者支援の領域では、人々の出来ないことをベースにした欠損モデルから、その人が持っている強みを活かすリカバリーモデルへの転換、でもある。
これは、個別支援だけにとどまらなパラダイムシフトである。過疎化や高齢化、核家族化などが進み、町内会や自治会など旧来のネットワークも弱まってきた地域においては、孤独死や老々介護など、「生きる苦悩」が最大化した事例が沢山出てきている。それを、個人の欠損や病気と捉えるのではなく、地域社会の弱み、と捉えた時、その地域で「生きる苦悩」を、その地域で「生きる喜び」にどう転換できるか、という課題とも重なってくる。その際に、改めて「我が町の強み」を探る、「あるもの探し」の視点が大切になってくる。「これはダメだ、あれも足りない」と問題構造の原因追及をしていても、ため息しかでない。でも、「うちにはこんな魅力や強みがあるから、これを活かして何とか解決出来ないか」と「解決志向」で望んだ方が、悪循環は好循環に転換しやすい。
「生きる苦悩」の悪循環構造の分析も、もちろん大切だ。だが、その構造を分かったところで、それを好循環に変えることがなければ、単なる批評家で終わってしまう。悪循環にはまっている人・地域・社会は、「わかったふり」をして上から目線で指導してくる評論家を求めてはいない。「ほな、どないしたらええん?(では、どうしたらよいの?)」という解決策を求めているのだ。ただ、これは、「誰かに答えを差し出してもらいたい」という他責的思考では、苦しい。一緒に解決策を考えて、これでやってみる、と主体的に自ら解決を望む、解決志向型のアプローチが求められる。それは、個別支援でも、コミュニティ支援でも、変わらないはずだ。
ただ、付言しておくなら、「生きる苦悩」や「ないものねだり」から、「生きる喜び」や「あるものさがし」へと転換する際に、従来の価値前提も変える必要があるだろう。新自由主義的な競争原理で「生きる苦悩」や「ないものねだり」の悪循環回路にはまり込んだのなら、それ以外の「生きる喜び」や「あるものさがし」をする必要がある。この従来の価値前提を捨て去ることが出来るかどうか。これが、実は苦悩を抱えた人にも、最も難しい部分かもしれない。べてるの家が提唱している「降りていく生き方」というコンセプトも、この価値前提の転換と、大きく関係しているのかもしれない。自分の当たり前にしていた価値前提から「降りる」プロセスを経ないと、「苦悩」は「喜び」に転化できないのかも、しれない。

「L型」枠組みを疑うメタスキル

昨日のゼミで、ゼミ生から、L型G型大学に関する質問が出た。ここ数日、ネットで話題になっていた話である。ソースは、文部科学省で開かれている「実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議」という会合の第一回で、企業再生などを手がけてきた冨山和彦委員の提出資料のなかで触れられていた内容である。

「我が国の産業構造と労働市場のパラダイムシフトから見る高等教育機関の今後の方向性」と題されたプレゼン資料の中で、ごく一部のtop tier校(top tierって一流という意味なんですね。わざわざそれを日本語で書かないのが、なんだか・・・)はG型(グローバル型だそうです)の大学として、「グローバルで通用する極めて高度なプロフェッショナル人材の排出」、そしてそれ以外の大学はL型(ローカル)大学なので、「生産性向上に資するスキル保持者の排出(職業訓練)」をミッションにすべきだ、と整理している。実は、この整理自体、G型の人はレベルが高くて、L型の人はG型の人の「生産性向上に資する」存在になれば良い、という「上から目線」がプンプン臭うのだが、その本領が発揮されるのが、プレゼン資料7ページで書かれた「L型大学(含む専修・専門学校)では、「学問」よりも、「実践力」を」という表題の例示である。これは極めて本質的なので、この部分は全部紹介する。
文学・英文学部:「シェイクスピア、文学概論」ではなく、「観光業で必要となる英語、地元の歴史・文化の名所説明力」
経済・経営学部:「マイケルポーター、戦略論」ではなく、「簿記・会計、弥生会計ソフトの使い方」
法学部:「憲法、刑法」ではなく、「道路交通法、大型第二種免許・大型特殊第二種免許の取得」
工学部:「機械力学、流体力学」ではなく、「TOYOTAで使われている最新鋭の工作機械の使い方」
を学ぶべきだ、と書かれている。しかも、この委員は経済学部出身らしく、(筆者は日本のトップ戦略コンサルタントの一人だが、ポーターの5Forcesは使ったことが無い)という「自慢」が書かれていた。
この資料について、昨日のゼミで説明した上で、「みなさんはどう思う?」と聞いてみた。すると、「ふざけんな!」という怒りの声がある一方で、「むかつくけど、そう言われたら従うのしかないのかなぁ」という弱気の声もあった。それに関連して、ネットの記事を見ていても、「経営者にならない人間には教養より実践力だ」といった意見も出ている事も知った。
ゼミでは時間が超過していて言えなかったが、このことについて、ゼミ生に言いたいことがある。それが今日の本題である。一言で言えば、次の様になる。
このG型L型という枠組み自体を「鵜呑み」に受け入れてしまうこと事態が、自らをG型と「自慢」している人々(=いわゆる「勝ち組」)の人の「思う壺」になりはしないか。
この二項対立的な図式には色々問題点があるが、最大の難点は、G型大学に行く人は「雇用する側」、L型大学に行く人は「雇用される側」とすっぱり分けた上で、「雇用される側」は「雇用する側」にとって、「生産性向上に資するスキル」さえ持てば良い、という、選民思想というか、ある種のカースト思想的発想である。そのカースト的思想の持ち主の言葉を借りると、「「経営学」などというものを大衆化した大学で教える意味はない。彼らの大多数は、経営者にはならないからだ」ということになる。
だが、待ってほしい。経営者しか経営学を学ぶ必要はない、というのは、ずいぶん狭い視野しかお持ちではないようだ。まともな経営学者の伊丹敬之先生は、「経営とは、他人を通じて事をなす」ことだと言っている。これは、別にG型大学を出ていなくても、大企業の社長ではなくても、課長や店長や部門長として、だけでなく、チームリーダーにも十分に必要とされる資質である。
ここまで書いていて思いついたのだが、確かに途上国では、L型の学校出身の人は「簿記会計ソフトや大型二種免許、工作機械の使い方に必要最低限の英語」といった実践力しか持っていない場合も少なくない。だが、それに比べて日本の企業や町工場の最前線で働く人材は「層が厚い」と言われる理由は、L型の学校出身の人であっても、単に「生産性向上に資する」=つまりは使い勝手の良い労働者としてのスキル、だけではなく、その「生産性向上」に関するメタスキルを持っている、ということである。
僕の父は、母子家庭で育ち、商業高校卒業後、呉服業界に就職した、この整理で言うところの、L型学校出身層にあたる。でも、単に企業経営者にとって使い勝手の良い人材、ではなかった。現場のチームリーダーとして、お客さんとの関わりも豊かにしながら、会社の業績向上にも貢献した。呉服業界自体が傾き始めた後も会社に残り、社長の息子に帝王学を教えたり、何とかその経営を営業面で支えた人材である。退職時の肩書きは課長だったが、実質的には経営幹部として会社の方針を支えてきた人材でもある。会社=大企業、としか思い浮かばない人には「盲点」となっているが、中小企業では、L型学校出身者がきちんと経営のサポートまで行う事で、企業として存続している。そういう会社は、東京では「盲点」かもしれないが、地方に行けば、むしろそういう会社の方が数として多い。
そして「盲点」として言うならば、「弥生会計」とか「工作機械」の「使い方」に関する知識、とは、長くて5年、下手したら2,3年しか通用しない知識である。技術革新が加速度的に進めば、こういう知識はすぐに過去のものになる。その時に、「生産性向上に資する」存在でなくなったら、「もういりません」と使い捨てが出来る存在、とも言える。企業としては、低賃金でそういう人材を獲得出来るから、「オイシイ」のかもしれない。でも、それは、社会での二極化をますます進行させ、L型大学出身者の階層を固定化し、カースト化のような格差社会の進展を進める機能を持ちはしないか。
知識だけなら、スマホでも学べる時代において、大学教育の要諦とは何か。それは、愚直に見えるかもしれないが、「批判的思考能力の涵養」である。つまり、「正しい」と言われていることを、「ほんま
かいな?盲点はないのかな?」と疑ってかかる思考である。それは、「生産性向上に資するスキル」というもの自体を疑う、という意味での「メタスキル」である。このメタスキルを持たないと、弥生会計や工作機械がバージョンアップされた時に、ついて行けない人材になる。それでは、真の意味での「生産性向上に資する」人材とはならない。
さらに言うならば、このような「メタスキル」を持った人材は、ブラック企業で唯々諾々と働くことに対して、NO!と突きつける人材である。仕事が嫌なのではない。その業務内容が人間の尊厳を奪うような働き方である場合、経営者にもきちんと「オカシイ」と言える人材である。こういう人材が育つと、確かに目先の生産性は落ちるように思えるかも知れない。だが、本当の競争力のある企業とは、社員1人1人が会社の質の向上の為に、時には経営層にもモノを言える環境を保持する企業である。もっと言えば、社員のメタスキルを、会社のイノベーションにつなげることの出来る企業である。知識基盤型社会において、知識を疑い、知識の価値を吟味するようなメタスキルを兼ね備えた人材が、経営層のごく一部にしかいないような企業は、退場を迫られるかM&Aの対象になる。本当の実力のある企業とは、経営者と労働者をカーストのように分けず、社員全てがメタスキルを活かして役割と責任を持つ企業である。(僕はそのことを、中川淳さんの本を読んで感じた)
そういうメタスキルを育てるためにこそ、地方大学の存在価値はある。この9年間、山梨で教えてきて、そう感じる。最初は支配的言説を「鵜呑み」にしている学生でも、「疑う技術」を学ぶうちに、これまでの自分の中での「当たり前の前提」が崩れ始める瞬間がある。「自分は○○になりたい」と思い込んでいた学生が、実はそう親やまわりに「思い込まされていた」と知る事がある。でも、それを知ったあと、清々しい顔をして、新たに「では僕は何をやりたいのだろう?」と気持ちを切り替え、俄然学び始める。この中で、ブレークスルーが起こり、人間的成長を果たす学生を、何十人と見てきた。そういう学生にとって、戦略論や刑法は、何十年後の知識として直接残っていないかも知れない。だが、それらの学びを習得するプロセスの中で、こうやって物事を考えたり整理すればよいのだ、という考え方・学び方の学習が出来るのである。それこそが、メタスキルの涵養である。僕の3年ゼミは、毎週新書一冊を読んでもらって、その内容に基づき議論をしているが、それも知識の習得だけでなく、その本や議論を通じて自分たちのモノの見方自体を捉え直す、メタスキルの獲得を目指している。そして、そういうプロセスこそが、弥生会計や工作機械のバージョンがアップして、目先のスキルが使えなくなっても、ずっと使い続けることが出来る、真の意味での「生産性向上に資する」スキルなのである。
企業経営にとりくむ実業家の方々は、確かにポーターの戦略論を使っていないのかもしれない。でも、ポーターなどの経営学者達が、従来の経営の何がどう問題か、を疑い、新しい枠組みで考えた、その批判的思考能力自体は、実は彼らの理論から学びうることである。たまたま、その実業家は、良い教師や良い教科書に出会えず、それを学べていなかったのかも知れない。だが、自ら学ばなかったことを理由に、「社会的に必要ない」と言い切ることは、言語道断としか、言いようがない。
本当に現場を変えたいコンサルなら、まず思い込みでモノを言う前に、現場をじっくり観察するはずである。その教育現場の実態観察がない中で、わかってもいないのに、余計な口出しをしないで頂きたい。

納得形成は「よく聴くこと」から

この秋も、恐ろしいほど、移動の日々。ブログの更新が怠りがちである。静岡に釜石・大槌、大阪と毎週のように長距離移動し、その合間にも東京出張もあったりする。落ち着いてものが考えられないので、よろしくない傾向である。

ただ、ありがたいことに、最近、講演に出かけた先で、以前より「言葉が伝わる」率が高くなってきた。それと共に、以前に比べれば、8割くらいの熱量で話をしても、その話の伝わり方は以前より2割増しのような気がしている。
それはなぜなのだろう、と考えて、ふと思いつくことがあった。それは、
説得より納得!
このフレーズは、現場向けの講演でもよく使っている言葉である。人は、納得しない限り、行動変容しない。いくら必死に心を込めて相手を説得しても、相手の内在的論理に届いて、腑に落ちて、あるいは「してみたい」と思って、相手が「納得」しないと、相手は動かない。これは、コミュニティソーシャルワークといわれるような、住民参加型福祉を推進する際の、当たり前だけれど、一つの肝でもある。そんなことを、講演では話していた。
で、お陰様で、講演しながら自己洗脳!?しているので、僕自身も以前に比べたら、講演が「説得」型から「納得」型に、少しは変わってきたのではないか、と感じている。
以前は、ジャ○ネット○カタのおじさんのようなハイトーンな声で、しゃべりまくって、情理を尽くして語ればよい、という説得モードだった。でも、最近の講演では、事前に主催者の方々と打ち合わせをするなかで、「納得」のヒントを掴んでから、登壇することにしている。そのヒントとは何か?
めちゃ簡単な話だ。主催者の、現場の声を、しっかりと聴くこと。それに尽きる。
あまりに当たり前すぎて、簡単すぎる説明に思うかもしれない。でも、案外それが僕には出来ていなかった。
毎回、話をするために、パワーポイントを仕込む。僕は以前恩師のお一人に「研究者なのだから、落語家にはなるな」と言われたフレーズを大切にしている。同じ話を繰り返しする落語の素晴らしさは評価するけれど、研究者が同じ話を繰り返していたら、話し手である僕自身が堕落する。なので、なるべくsomething new & interestを放り込みながら、角度を変えながら、話を切り込んでいこうとする。当然、パワポにもその工夫はする。だが、一番の工夫は、現場の声をしっかりと聴き、それと僕が考えてきたこととを、講演のその場で、即興的に対話させていくことである。そして、それは、受ける。
主催者はおおむね、その地域の福祉現場の方々である。その方々に、その地域の実情や福祉課題を聴く。自治体の特徴や、お国柄、その地域のリアリティをいろいろ聴いていく。場合によっては、主催者が感じている問題意識もしっかり聴いておく。そして、それらの「現場の声」と、僕自身が考えてきたり準備してきた内容を、まさに即興演奏のように、あるいは「熊さんハッつぁん」のように、講演の場で対話させていく。すると、聞き手の方々は、自分たちの現場の課題がライブで織り込まれていくので、自分事として聴いて下さる。それが、こちらの伝えたいことと織り込まれていくと、皆さんの中での感度が上がっていく。
講演を、対話の機会にするのは、簡単ではない。でも、聞き手となるべく対話的な関係を構築しよう、と思えば、いくつもの工夫が可能なのだと思う。
あと、質疑応答でも、こちらの対話の仕方によって、大きく変容可能性がある、と感じている。
時として、予定調和とは真逆のような質問を受けることがある。「あなたの言っていることはオカシイ。厚労省はそんなことは言っていない」とか、「あなたのお話は余裕がある人間には出来るけれど、毎日の生活費を稼ぐのに必死な人々には無理だ」とか、実際に言われたことがある。言われた時は、まだ未熟で、情理を尽くして、必死に「説得」しようとしていた。でも、それでは相手の「納得」は見いだせず、質問者も僕も、消化不良のまま終わることが多かった。
だが、その際、僕は相手の内在的論理を聴いてはいなかった、のかもしれない。相手は、わざわざ僕のタイトルを見て、やってくるのである。そして、僕が厚労省とは違う意見を持っていることも、あるいは「お金を稼ぐこと」以外の価値観の大切さを説いていることも、百も承知である。ただ、それが自分の中でこれまで信じてきた「信念体系」と大きく乖離しているし、簡単に飲み込めないから、違和感を表明しておられるのである。その際、僕が説得モードで話をすることは、相手の違和感をより増幅させる、悪循環の高速度回転につながるような気もする。(この悪循環の高速度回転については、以前のブログ参照)
語られている中身の事実を争っているのではない。その事実を語る僕自身の価値前提に同意が出来ない、という批判なり意見なのである。その際、僕が熱量を込めて語ることは、文字通り「火に油を注ぐ」ことになる可能性がある。その場合、相手の内在的論理を形成する価値前提をじっくり伺った上で、自分の内在的論理の価値前提との違いを整理し、「どちらの価値前提かによって、事実の見え方が分かれますよね」とお答えするしかないのである。ただ、残念ながら、短い質疑応答の時間でそんなことをしている暇がないので、尻切れトンボになってしまう。でも、本当は、その価値前提を巡る違和感の表明にこそ、じっくり耳を傾けるだけの価値があるものも、ある。ただし、対話者が「自分の価値前提が絶対だ」と思っていたら、対話は成り立たない。お互いが、自らの価値前提や信念体系を、括弧に入れて考える余裕を持っているか、が鍵にはなるが。
これは、講演だけでなく、大学での講義でも全く同じだ。僕は、講義の中で、価値前提や信念体系の話に踏み込む。福祉やボランティアの議論においては、唯一の正解がある、というわけではなく、どの価値前提や信念体系を選ぶか、という問いが、沢山含まれている。例えば、重度障害者でも入所施設ではなく地域生活支援を、とか、特別支援学校ではなく普通学校で、などの課題は、明確に価値前提の問いでもある。事実の背後にある、このような価値前提の問いに対して、きちんと学生たちの意見を聴きながら、どのような納得形成が出来るか。これは、大学教員にとって大切な仕事だったりもする。
こんなことを感じながら、講演現場では、なるべく心穏やかに、支援現場の方々の語りに耳を傾けようとしている。

現場から変える福祉政策

「福祉政策を変えるためのノウハウをまとめた、わかりやすい新書がほしい」

そう言われて、その気になっている僕がいる。

日曜は津に前入りし、三重県が主催する「市町障害福祉計画研修」の担当チームの皆さんと事前打ち合わせ+飲み会、だった。その飲み会の際、県の担当者のお一人から、「先生が自治体支援を通じて実践されてきたことを、わかりやすい新書のような形で書いてほしい」と言われた。
 
月曜日は朝から夕方まで、1日研修+今後の展開に関する戦略会議。みっちり現場支援に携わった後、4時間半かけて津から甲府に帰る列車内で、ふと考えてみた。言われてみれば、30代って、ずっと自治体福祉政策を底上げする仕事に携わってきたな、と。山梨県と三重県では、障害者福祉のアドバイザーとして7年以上コミットし、山梨県ではここ3年は地域包括ケアシステムの展開のお手伝いもしている。その際、ずっと大切にしてきたのは、「厚労省の指示待ち状態」を超え、現場からのボトムアップ型の政策形成、だった。タイトルを付けるなら、「現場から変える福祉政策」。地味かもしれないけれど、こういうタイトルで、地域福祉の現場でどのような変化が起こっているのか、地方自治体レベルでの福祉的支援の現場で起こっいる課題を乗り越えるために、どのようなツールを使って、どう変えて行けば良いのか、を障害者・高齢者福祉政策に関して、整理して言えそうな気になっている。
とは言っても、出版社からのオファーを受けた訳ではない。新書を出している出版社に、つてがあるわけではない。ただ、運が良ければつながったら、という淡い期待で、どんな本が書けそうなのか、章立てを考えてみた。
序章 上意下達・中央集権型福祉の限界
→序章で書くとすれば、標準化・規格化された福祉政策の限界、だろうか。介護保険法や障害者総合支援法は、全国一律の最低限度の量と質を定めた内容。でも、それが「最低限」の保障しか出来ていないがゆえに、歪みや限界があちこちに生じている。介護保険の要支援・要介護1の切り捨て、あるいは障害者の長時間介護保障が国基準とならない、ということなど、大きな矛盾がある。それに加えて、施設福祉中心の限界もあり、地域自立生活支援への転換が求められている。少子高齢化の中で、当事者主体を貫きながら、持続可能な福祉制度を作るには、現場からの創意工夫が必要不可欠だ。
1章 手作りの福祉計画
→現場から創り上げる手作りの地域福祉の実践例としては、僕がアドバイザーとして関わっている某市の事例を取り上げてみると面白いと思う。児童・高齢・障害・貧困の縦割り福祉を超え、福祉総合相談窓口を作り、そこでの困難事例の検討の中から、地域課題を発見し、それを地域福祉計画という行政計画に乗せて、ミクロの個別課題をマクロの福祉政策へと転換するプロセスを歩みつつある某市。ここでの、行政・包括・社協・地域住民の協働プロセスを描いていくと、「現場から変える」のダイナミズムが描けそうだ。
2章 自治体現場をサポートする
→市町村の福祉行政は、何とかよりよい仕事をしたい、と思う。でも、いかんせん、人減らしと業務過多の反比例の中で、国が求める仕事をこなすだけでも精一杯で、最低限度以上のことや、況んや新規事業にまで中々手が付けられない。そんな実態を超える為にこそ、都道府県の広域的・専門的支援が必要不可欠だ。昨今、都道府県の不要論とか道州制とか言われているけれど、本気で都道府県が地域支援に向き合えば、自治体が地方分権における自由裁量を活かした自治体独自政策を生み出す支援が出来る。そのサポートをしてきた山梨県の相談支援体制の整備支援、三重県での障害福祉行政に関わる市町職員エンパワメント研修、そして山梨の地域包括ケアシステム構築支援の体験から、国と市町村の間に立つ都道府県の福祉政策の「あり得る(けどあまり実践されていない)可能性」を検討する。
3章 NPOからのボトムアップ型政策提言
→現場から変える福祉政策、というのは、何も自治体行政で完結する話ではない。自治体が把握していない現場の政策課題について、NPOが水先案内人として施策化を主導することもできる。NPO大阪精神医療人権センターが行っていた大阪府の精神科病院訪問活動を「精神医療オンブズマン制度」という形で政策化したことは、NPOから自治体への、ボトムアップ型の政策提言の成功事例の一つ、といえる。この取り組みの可能性と限界を通じて、官民協働の可能性や限界を考える。(これは『権利擁護が支援を変える』に入れた論文のエッセンスをまとめる形)
4章 国の政策だってボトムアップで
→民主党政権時代に僕も委員として関わった、内閣府の障がい者制度改革推進会議総合福祉部会は、国の法律の対案を、当事者や事業者、自治体などの現場レベルの委員が集まって議論・整理しまとめ上げた画期的な提言である。だが、上意下達・中央集権型福祉の厚労省はどうしても受け入れることが出来ず、自民党政権への政権交代が濃厚になった為、完全にその内容をネグレクトし、実現には至らなかった。だが、この内容には、ボトムアップ型の政策形成が、国の政策でも不可能ではない、ということの萌芽が示されている。この部会のプロセスを振り返り、ボトムアップ型の福祉政策の可能性について検討する。
こんなラインナップを新書でいかがでしょう?
ご興味のある出版社さま、ホームページに記載されているメルアドで、ご連絡くださいませ。
なんて書いて、そんなに都合良くオファーなんて本当に来るのだろうか・・・

「居住福祉」と地域移行

早川和夫先生の最新作、『居住福祉社会へ』(岩波書店)を読んだ。早川先生は、建築学の観点から、日本の住環境の貧困さ、劣悪さを論じるだけでなく、「住まい」の環境の向上と住居の公的保障こそ、社会保障の基盤である、と唱え、「居住福祉」という概念を提唱した第一人者である。今回の一冊は、その早川居住福祉学のエッセンスを詰め込んだ、集大成であり、かつ入門書の役割も果たす、お得な一冊。

この本を読んでいると、地域包括ケアシステムや街づくりの基本にも、「住まい」があり、居住福祉が基盤になければならない、と痛感する。
今回、この本を通じて初めて知った事実として、1961年のILO(国際労働機関)による「労働者住宅に関する勧告」がある。これは、早川先生によれば「労働者の拘束的役割を果たす『使用者による住宅の供給』の禁止と社会的責任による住宅供給を満場一致で採択した」(p115)ものであった。これは簡単に言えば、社宅の禁止を求める勧告である。なぜ、社宅が問題なのか。それを、早川先生は、イギリスのホームレス支援団体「シェルター」の報告書を解説として引用している。
「社宅の利用がつづくのは住宅不足のあらわれです。雇主が従業員をあつめるさいに、社宅を(ゴキブリをあつめるのと同じ)誘引剤として使用できるという事実は、従業員が社宅を受け入れる以外に道はないと考えるからです。良質で安価な住宅の供給さえあれば、社宅の利用は減少するはずです。社宅は一種の落とし穴です。いったん社宅に移り住むと、多くはそこから出られない。社宅の居住権については法律上の保障がありません。だから職を失うことは、すなわち家をうしなうことを意味します。つまり多くの人々は借家人でなく、奉公人が住まわしてもらっている状態なのであり、主人の気まぐれで追い出されるのです。」(p118-119)
この記述を引用しながら、様々な日本のリアリティが目に浮かぶ。リーマンショック時の派遣切りの際に問題になったのは、派遣労働者が社宅に住んでいて、解雇と共に家からも追い出され、あっという間にネットカフェ難民やホームレスに陥っていた。派遣労働者だけでなく、そもそも日雇い労働者も、「ゴキブリを集めるのと同じ誘引剤」としての「社宅」に吸い寄せられる。これは、「良質で安価な住宅の供給」がないが故、である。阪神・淡路大震災でも、東日本大震災でも、仮設住宅の狭さ・質の低さが大きな問題になっているが、そもそも国自身に「良質で安価な住宅の供給」という発想がない。
一般人に対してもそうなのだから、障害者や高齢者の住宅政策は、さらに貧困だ。上記の報告書の「社宅」を「精神科病院」「入所施設」と置き換えてみたら、「利用者が施設・病院を受け入れる以外に道はないと考える」「いったん移り住むと、多くはそこから出られない」「借家人ではなく、奉公人が住まわしてもらっている状態」というリアリティは、そのまま通じてしまう。そういう意味で、「社宅」や「入院・入所施設」は「一種の落とし穴」であり、「良質で安価な住宅の供給さえあれば、入所施設・精神科病院の利用は減少するはずです」とも言えるのである。
僕は2ヶ月ほど前に、精神科病棟の一部を居住施設に転換する病棟転換型施設構想に反対する文章を書いた。その文章を書いた同じ時期に、旧知の新聞記者から、「では、どういう条件なら認められますか?」と尋ねられた。僕がその際答えたのは、早川先生の居住福祉を念頭に置いて、次のように話した。
「今の病棟転換型施設は、病院の利益を前提とするなら、まともな居住空間を作ろうとは考えていないはず。たぶん、ワンルームマンションと同程度か、それより狭い6畳一間にトイレだけついている、という程度を想定しているはず。それでは、単に個室に変わっただけで、退院とは言えない。本当に退院、というならば、たとえば元精神科病棟だったところを徹底的にリノベーションして、せめて1LDK、出来れば2LDK以上のマンションして、普通の人も住みたいと思い・実際に居住するマンションにして、そこに障害当事者も住んでいる、のであれば良いけれど、そういうものを作る気は、経営者にはないでしょうね。」
この意見は突飛すぎたのか、新聞記事には取り上げられなかったが、でもこの考えは、以前早川先生の本を読んでブログを書いた時から変わっていない。そもそも日本の居住環境の質が低すぎ、部屋が狭すぎるのだ。でも、これは日本に限った話ではない。早川先生によれば、「ヨーロッパでも20世紀初頭までは『ブタ小屋』に近かった。それが住宅大国になるについては、国民と政府の様々なとりくみがあった」(p170)という。我が国では、未だに隣の声が聞こえるワンルームマンションに普通の人が住んでいるからこそ、生活保護世帯はボロボロのアパートでも仕方ない、とされてしまう。そもそも、これを「居住の貧困」の問題として、社会問題化出来ていない、という課題でもあるのだ。そして、そのしわ寄せは残念ながら、生活保護世帯や障害者・高齢者などの社会的弱者にはよりシビアに響く。6畳一間でふすまを開けたら隣の人が暮らしている、というグループホームを見たことがあるが、見知らぬ人とそういう「共同生活」をさせることこそ、まさに「居住の貧困」そのもの、とは言えないだろうか。
では、どうすれば良いのか? 早川先生は、「居住民主主義」というアイデアを提示する。(p174-176)
①公共財としての性格を持つ住宅→勤労者の賃金に見合った良質の借家供給は、市場メカニズムではなく、公的資金による社会住宅(公的住宅)として提供する
②都市生活・福祉施設の一環としての住居→住居を市民社会構成の基礎単位と捉え、地域コミュニティをつなぎ、都市的生活諸施設と一体化してはじめて居住性を確保しうる存在と位置づける。
③住宅政策における民主主義=市民的自治の確立→「居住の権利」意識の涵養と、自分たちが住む住宅政策や地域社会に関しての意思決定への住民参画
これは、障害者の施設・病院からの地域移行政策にも、実に必要不可欠な視点である。
①’→収入の低い障害者に良質の借家を供給するには、市場メカニズムにお任せ、ではなく、「公的資金による社会住宅」は必要不可欠である。これは、例えば民間のアパートを政府が買い取り、その質を向上させて提供する、という方式もありうる(これを早川先生は「住宅産業の社会化」と述べている。p189)
②’→病棟転換型施設の問題は、それが病院の敷地内にあり、地域から断絶されている、という点である。厚労省の検討会で、担当課の課長は「病院も地域です」と言い放ったが、病院の敷地内にある施設に暮らして、地域のコミュニティや生活諸施設と断絶されていては、「居住性」を担保されない。気軽に飲みに出かけたり、近所の図書館でDVDを借りたり、スーパーで買い物したり、電車に乗って気ままに出かけたり、という「当たり前の暮らし」が「一体化」されない住居は、「市民社会構成の基礎単位」とは言わない。
③’→長期にわたっての入院中の精神障害者・入所中の知的・身体障害者にも「居住の権利」がある。だが、「どこで誰とどのように暮らすか」という当たり前の「居住の権利」そのものが奪われている。これは、今年日本政府が批准した障害者権利条約19条の言う、「居住地を選択し、及びどこで誰と生活するかを選択する機会を有すること並びに特定の生活施設で生活する義務を負わないこと」に違反している。
こう書いてみると、早川先生はごく当たり前のことしか書いていない。だが、なぜこれが多くの日本人にとって、馴染みが薄いのか。その背景に、ある種の洗脳がある、と指摘する。
「『住宅は自己責任』という政治的プロパガンダのもとで、国民は『持ち家取得を目標に人生を費やす』か、甲斐性のなさをかこちながら貧しく危険の多い住居で我慢するか、という住意識が受け付けられてきた。人間として生きていくのにふさわしい住居に住むことは基本的人権であり、生存権の基礎であり、日本国憲法第25条が掲げる社会保障も安心できる住宅保障がなければ成り立たない、といった前述の認識と要求は全く育たなかった。住宅は経済政策の一環として景気浮揚の手段、大手不動産・土建産業による経済活動の一環として閉じ込められた。住居の確保は私的努力で行われるので、住宅は私有財産という考え方が浸透した。」(p172-173)
「住宅は自己責任」というのは、一種の政治的プロパガンダである。これは、「民間活力の活用」と「残余主義」を前提とした日本型福祉論には、この「自己責任」論は実に好都合であった。また、昨今の新自由主義的な流れにも、うまくフィットする。だが一方で、ヨーロッパでは20世紀初頭まで、このプロパガンダが流通していたが、第二次世界大戦後の福祉国家の形成の中で、「公的資金による社会住宅」という「良質で安価な住宅の供給」を公的政策として進めた。我が国だって、そのような方向に政策的に転換することは、不可能ではないのだ。
今こそ、居住福祉の視点で、福祉政策を見つめ直す必要がある。改めて、そう感じる一冊であった。

パブコメを書いてみた

実家のある京都市が、「京都市不良な生活環境を解消するための支援及び是正措置に関する条例(仮称)(ごみ屋敷等対策条例)の制定について、という文章を出した。いわゆる「ゴミ屋敷」への対応案のようだが、色々問題があると感じた。京都市民以外でも受け付けるようなので、パブコメを書いてみた。以下、貼り付けておきます。
-------------------------
京都市保健福祉局保健福祉部保健福祉総務課
ごみ屋敷等対策検討プロジェクトチーム事務局御中
山梨学院大学で教員をしている竹端と申します。
京都市出身で、現在も両親が京都市で暮らしております。
今回、貴市の条例案に憂慮の念を抱き、意見を書かせて頂きます。
私は大学で福祉政策を研究しており、精神障害のある方の支援にも研究テーマとして携わってきました。その中で、「ゴミ屋敷」とされるご家庭の問題についても、見聞きしてきました。確かに、ご近所にとっての大きな迷惑になっており、その苦情が今回の条例案の発端になっている、ということも、容易に推察されます。また、沢山の市民からの苦情と、当事者への対応で、板挟みになっている市役所の方々のご苦労も、理解できます。
ただ、今回の条例案を拝見して、最も危惧することがあります。それは、
「ゴミを溜めたり、ペットの糞尿などの被害を、強制的に止めることだけが、本当の解決に繋がるのか?」
という問いです。
既にお調べになっておられると思いますが、同じ「ゴミ屋敷対策」でも、豊中市さんと豊中市社協さんが取り組んでおられるアプローチは、京都市さんの条例案とはかなりアプローチが異なります。それは、まず、その「問題」とされる方に寄り添って、本人の「ゴミを溜めざるを得なくなったプロセス」を伺い、本人との信頼関係を構築した上で、ご本人が納得してゴミを捨てることに同意するプロセスを、時間をかけて構築していく、という点です。この時のキーワードは、「信頼関係」と「納得」です。この2つを作り出すために、社会福祉協議会に配属された「コミュニティーソーシャルワーカー」が、時間をかけて、ご本人のもとを通い続けています。そのアプローチの前提として、「話せばわかる」「相手と対話できるまで、こちらがアプローチし続ける」という姿勢があります。
一方、京都市さんの条例案の概要をみていて、そのような丁寧な関わりをされた上で、それでも応じない場合の措置なのだろうか、という点について、大きな疑問を感じます。行政が指導しても従わない場合は、強制的な命令も仕方ない、というプロセス自体への問いではありません。まず、行政が「指導」するときに、一方的・高圧的にゴミを捨てよ、という「指導」であれば、本人が「納得」してそれに従うのだろうか、という問いです。
一般に、ご近所とのトラブルを抱えたり、ゴミ屋敷となってしまうような方には、「性格が悪い」「人格障害」「発達障害」などのラベルが貼られやすいです。ただ、それは病状のせい、というより、ご本人と社会関係のうまくいかなさが極まって、周囲からの孤立、信頼できる他者の不在、諦めや焦燥感・・・などが重なり、「生きる苦悩が最大化」した結果、、ゴミを溜めるに至った、と私は理解しています。その時、「ゴミを捨てる」ことのみを目的とした「指導」をすることは、ご本人にとっての不信感の増すばかりです。ましてや、強制的な執行をした場合、さらに行政への不信感の悪循環は強まり、ご近所との関係もさらに悪化する可能性もあります。
では、どうすればいいか。
そこで、大切なのが、豊中市さんのされているようなアプローチです。「ゴミを捨てる」ことだけではなく、ご本人が「ゴミを溜めざるを得ない」悪循環構造に入り込み、その悪循環構造からの脱却を、ご本人との信頼関係を構築しながら、作り出そうとされています。「要支援者が自ら不良な生活環境を解消できるよう働きかけ」を本当にしたいと思うのなら、一方的な指導ではなく、まずは本人との信頼関係を構築し、その中で、「生活環境を改善したい」という「生きる希望や自信を取り戻す支援」こそ、必要不可欠だ、と私は考えます。その為にこそ、行政職員さんの叡智を結集し、自治組織との連携の中で、より良い支援体制や支援実践を創り上げていって頂きたい、と願っております。
これらの実践を充分に行った上で、なおも条例が必要な事態が全く変わりない、というのであれば、話は別です。でも、条例案を拝見する限り、そのようなアプローチを充分に尽くされたようには、お見受けしません。
条例は、一旦動き出すと、市民に大きな影響を与えます。まずは、本人との信頼関係醸成を目的にした、ご本人が悪循環から抜け出す「対策プロジェクト」をこそ、して頂きたいと願っております。
それがなされていないなら、この条例案には反対です。

地域づくりの玉手箱

なんて魅力的なレシピにあふれているのだろう、と思った。
とは言っても、料理本のことではない。「地域づくりのレシピ」と銘打たれた本の中で、ぐっと捕まれるような、核心的な表現の数々に出会う。例えば、こんなフレーズ。
「人が力を発揮して働くということは、その人が個人的に備えている能力の問題ではないと思っています。その人のもっている力が引き出され、発揮できるかどうかは職場のあり方にずいぶんさ左右されるのです。どれだけ主体的にやりがいや目的意識をもって仕事に取り組むことができるか、ともに高め合える工夫ができるのか、働く人たちも利用する人たちもそして関係者もあらゆる形で関わる人たちが協働することによって、よりよい場が実現できることが重要だと思います。だから、どんな人も自分のもっている力や個性を存分に発揮できる職場づくりはとても大切なテーマなのです。」(『日置真世のおいしい地域づくりのためのレシピ50』日置真世著、CLC、p187)
日置さんは、お子さんが障害を持って生まれた事がきっかけで、親の会活動から地域の社会資源作りなどを通じて「ネットワークサロン」のプロジェクトを釧路地域でどんどん増殖させ、障害のある人の生活介護やグループホーム、児童デイサービスなどだけでなく、不登校や生活保護受給世帯など、地域で支援を必要としている人々への事業展開を、次々と実現しているプロジェクトリーダーでもある。
その彼女の仕事の仕方を端的に表すのが上記の発言。彼女の中では、支援する人・される人、とか、障害や高齢、児童、生活保護などの対象別という切り分け方がない。民間か行政かNPOか、という立場や属性にも、こだわりがない。真の部分で、「どんな人にも役割があり、魅力がある」という軸があり、その人の役割や魅力を発揮でき、誇りを持って生きるための仕掛けや仕組み作りが必要だ、というミッションである。飯を食うために行う、というより、この仕事を通じて「活かされいる」と実感できる人を一人でも多く作りたい、という野望に満ちている。ご自身の肩書きを、自称「緩やかな市民革命家」と書いておられるが、「すべきだ・しなければならない」、という道徳的規範を押しつける説得型ではなく、「こんな風になったら良いよね」という夢を共有化・言語化し、応援団を形成する中で実現に持ち込むという、人々の納得のネットワーク形成の達人である。
日置さんはサロンを「人と情報のたまり場」と定義する。付け加えるなら、彼女たちが増殖させているこのネットワークサロンは、事業ベースのサロンではなく、人々の「思いや願い」をベースにしたサロンのようだ。事業規模が年間3億を超え、120人の有給スタッフがいる釧路の一大組織に育っても、彼女の地域作りの視点は、非常にシンプルで、かつ説得力がある。
「地域づくりとは地域のニーズを把握することであり、人を発掘し、育て、つなげることです。また、実際に地域の課題を解決することであり、新しい地域のあり方を提案することでもあります。そうした地域づくりのためのあらゆる機能を兼ね備えた新しい地域の課題を解決するツールが『コミュニティハウス』なのです。具体的な姿形が大切なのではなく、地域でつくりあげ、地域が考えながら協働して進めていくプロセスこそがモデルになるのです。」(同上、p273)
地域福祉の推進、とは、昨今の地域包括ケアシステム構築において、主流となる考えである。だが、そこに携わる行政や地域包括支援センター、社会福祉協議会というアクターが関わると、気づいたら予算や事業、お互いの立場といったものに絡め取られ、住民主体のかけ声とは裏腹に、支援者ベースになりやすい。しかし、日置さんは、地域づくりを、「住民活動の組織化」、などという表現では言わない。
 
「人を発掘し、育て、つなげること」。
 
なんて、魅力的な表現だろう。地域でまだ出会えていない様々な人々の魅力に気づき、その魅力を役割に変え、それをネットワークの中に投入して、様々なシナジー効果を生み出し、ご本人も、周りの人も、みんながハッピーになれるような好循環を作り出していく。実に魅力的な方法論である。かつ、彼女にとって、何らかの事業や箱物という成果物が目標ではない。「具体的な姿形が大切なのではなく、地域でつくりあげ、地域が考えながら協働してすすめていくプロセス」の重要性を説いている。これは、僕たちがチーム山梨で地域ケア会議を定義した時の「動的プロセス」論とも相通じる。
そう、地域の中でのネットワークサロンの展開とは、僕がブログで書いてきた表現を用いるならば、「拡大する螺旋階段」とか「渦づくり」の「動的プロセス」なのである。その中から産まれてくる「姿形」とは、あくまでも結果論であり、その「姿形」を創り上げる中で、「地域が考えながら協働」する、そのプロセスの中にこそ、「人を発掘し、育て、つなげる」動的ダイナミズムが体現されている。それこそ、今の事業型社協や上意下達型の地域包括ケアシステム推進に最も欠けて視点である。
その意味で、この「レシピ集」の中には、コミュニティーワークの無限の可能性が詰まっているし、このレシピを参考に、自分たちの地域でのオリジナルメニューの戦略がいろいろ浮かんでしまいそうな、実に愉快で、かつ学びの深い本であった。