本当に「楽しい人生」を送る為に

ふとした瞬間に感じることがある。

こうやって「忙しい」とか「大変だ」とか言っているけれど、そういう状況を作り上げているのは、他でもない自分自身だよな、と。
確かに社会的に引き受けている仕事、断れない用件、職場で義務として行うこと・・・などもある。だが、それらの構成要件も含めて、引き受けているのは、自分自身。それがshouldでありmustな状態に持って行っているのも、実は自分自身。嫌なら、その状況を変えるために、必死になって方法論を探ればいい。でも、その状況を変えるための努力を積極的にしないのなら、それは自らがその状況を消極的にであれ、引き受けていることに他ならない。
目の前のことが、特にスケジュールが詰まって迫ってくると、「すべきこと」に押しつぶされそうになる。すると、一歩引いてじっくり考える事もなく、次から次に、すべきことをバケツリレーのようにこなしていく。その際、しんどいな、とか、嫌だな、と思っても、我慢強く引き受けていく。
だが、それらは、所与の前提ではない。それをしなければ、自分の生命が維持できなくなる「すべきこと」なのか、と問われると、大概のことがそうではない。
そんなことはない。仕事や付き合いや○○のために仕方なくやらされているんだ!
そういう叫びも聞こえてきそうだ。
だが、少し深呼吸して、リラックスした頭で、改めて考えてみよう。
よく言われているように、これほど専門分化、タコツボ化した世の中では、みんなが何かしら、歯車の一つになって、働いている。そして、その一つが失われたり、なくなったりすると、確かに惜しむ声は聞こえたり、一時的にブーブー言う声や非難が聞こえたりするかもしれない。でも、それでも地球は回る。組織や社会は、その人の代替を見つけてきて、何とか廻る。廻らなかったら、一部を止めるとか、他に何かの手当をするとか、で処理していく。
すると、自分が「すべき」「しなければならない」と思い込んでいることは、良い意味でも悪い意味でも、自分の有責性、つまり責任があると感じている感覚、による。そして、それは、他の人に強制されたことではなくて、自分自身がそれを積極的にしろ消極的にしろ、引き受けたことである。
だから、自己責任だ、あんたが責任を取れ! そんな乱暴な議論をしたいのではない。
自分が、引き受ける主体である。であれば、「いやだ」「止めたい」「○○したい」という自由も、実は自分自身に担保されている。
ただ、その「○○したい」という自由が自分に与えられている、ということが、眼前の「すべきだ」「しなければならない」という有責性と思い込みによって、見えなくなってしまっているだけだ。その眼前の「すべき」「しなければならない」という思い込みの眼鏡(これを人は「先入観」という)を取り払ってみたら、自分自身の「○○したい」を選ぶ自由が浮き彫りになってくる。
とはいえ、この「○○したい」を選ぶ自由、とは、それを選んだ結果責任をも伴う自由である。そこまで引き受ける勇気がないし、面倒くさい。そう思うと、何となくこれまでの世間や社会、職場の関連性の網の目に取り込まれた「すべき」「しかたない」の連関に縛られている方が「楽だ」と感じる。これぞ、「自由からの逃走」の事態なのかもしれない。
そう、「○○したい」を選ぶ自由、とは、それ以外の何か、旧来の関係性に、一つずつ、区切りをつけていくことである。すると、これまでの関係性を変えられると思う相手は、何らかの文句や非難を言ってくる可能性がある。その表面上の文句や非難、糾弾に合うのが面倒なので、「まあ、いいか」となってしまい、「すべき」「ねばならない」の連関の鎖に自縛されたままでいる。
ただ、繰り返し言うが、その鎖につながれるのも、その鎖から解き放たれ、自分の「したい」を追求するのも、自分自身の選択に基づく。自ら、あと何年、何十年生きるかわからないが、人生が有限であることだけは、100%決まっている。その峻厳な事実を前にして、他者のコントロールに自ら縛られていく人生を引き受けることが楽しいだろうか?
僕は、楽しくない。改めてそう思う。
例えば、作家の村上春樹氏と森博嗣氏に共通しているのは、自分で「○○したい」の自由を獲得する為の、自己管理哲学の完遂、である。
深い深い物語を書く自由、好きな工作にいそしむ自由、これらを時間的に確保するための努力を、ずっと続けている。世間や社会の通例や慣行と違っても、自らの「○○したい」という自由を確保するために、自分なりのやり方を徹底している。この徹底ぶりって、本当に自分の限りある命を大事に使うための、大切な方法論だと感じる。
僕自身、日々「すべき」「ねばならない」に流される日々に、その昔は言い訳をしていた。でも最近、そんな悪循環から抜け出しつつある。「○○したい」を完遂する自由、この時間を確保することを優先順位の上位にどれだけおけるか? そのために、社会との付き合い方をどう変えられるか? これを徹底的に考え抜く中で、自分にとって、本当に「楽しい人生」を過ごすことが出来るのだと思う。
ふと、会議の為にスーツに着替えながら、そんなことを考えていた。

守り・育てる公共投資の必要性

山梨県民にとって、笹子トンネル事故は、人ごとではない。

僕は普段上京する際は電車派だが、羽田や成田から飛行機に乗るときは、高速バスにしばしばお世話になる。その際使っていたあの笹子トンネルに限って、ハンマーで叩く点検がなされていなかったなんて・・・。そういう落胆と、多くの犠牲者を出してしまった事への悲しみを感じる。そして、狭い20号や御坂峠が迂回渋滞になっている、という地元紙を読んで、社会的インフラ、かつ大動脈としての中央高速が止まる事への不安感も感じている。
民主党政権で、「コンクリートから人へ」と謳われた事への批判も、この選挙戦で聞こえてくる。必要な公共投資はやはりすべきだ、と。このフレーズに関しては、僕も同じ意見だ。ただし、次の留保をつけて。
「コンクリートから人へ」というフレーズは、元々ハコモノ型の公共投資から、ソフトの公共投資への移行をさしていたはずだ。教育や子育て支援の拡充を意味していた。この部分について、僕は否定するつもりではない。今の社会への不安を表層的な父権性欠如ゆえと早とちりして(これは前回のブログで考えた)、それは全て親や家族がやれば良い、国がそうやって甘やかす必要はない、なんて暴論を吐くつもりもない。父も母も安心して子育て出来る社会環境を作ることこそ、少子化への結果的な対応にもなる。これは、フランスやスウェーデンの取り組みをみても、間違いない。
一方で、今回の高速道路事故でも表面化してきたのは、老朽化した高速道路や新幹線、鉄道、上下水道、橋などの社会的インフラをどう維持・補修するか、という課題だ。昨日の朝日新聞では、脱ダムに関して、どうダムをうまく「壊す」かが問われていた。いらなくなった社会的インフラをどう減らすのか、その「壊す」公共工事と、それを通じて自然環境をどう再構築するのか。これは、原発の縮減とも相通ずる課題でもある。
こう考えてみると、戦後、我が国の公共投資とは、きわめて「攻める公共投資」であった、といえる。
発展途上国的マインドで、「まだない何かを作る」ことに心血を注いできた。ダムでもコンサートホールでも、高速道路でも整備新幹線でも、共通しているのは、「まだない何かを新たに作る」ことにより、発展を実感する、という深層意識だ。確かに、土木事業は地方に雇用の場を生んで、失業率を下げてきた、というのも事実である。そして、こういう経済成長型の攻める公共投資によって、国土が整備されてきたのも、また事実である。社会的インフラが整備される、ということを通じて、僕自身もその恩恵を受けている。
だが、世紀の転換点の少し前からみんなが薄々気づき始めているのは、このような「攻めるハコモノ公共投資」が限界である、という認識である。先の政権交代時に「コンクリートから人へ」というフレーズに多くの有権者が飛びついたのも、この部分であった。
とはいえ、現金給付主流の教育投資は、結局財源確保がうまくいかず、途中で頓挫した。また、バックラッシュ的に生活保護叩きが今年の前半から進んでいた。さらに言えば、昨年の東日本大震災後の復旧支援でも、住宅や仕事、生きる希望を奪われた一人一人の生活者に寄り添う支援が必要なのに、中央政府から出された対策は、どうしてもハードの整備が中心で、個々人の暮らしを支えるアプローチは「公平性にもとる」という理由で先送りや拒否にあっている。その隙を埋めるために、NPOやNGO、社会起業家やコミュニティ・ビジネスなどが被災地で必要とされている、というリアリティもある。
こう振り返った時、今求められているのは、公共投資の質的転換ではないだろうか。それは、攻める公共投資から、守り・育てる公共投資、への転換である。
どういうことか。
日本の社会保障費が増大している、という一方で、医療や介護、障害者支援の現場では、常にOECD諸国の平均に比べて低い財政投資の現実が叫ばれてきた。これは教育でも同じである。我が国の公共投資の多くが、年金という現金給付に傾く一方、教育や子育て支援、医療、介護、障害者支援などの現物給付には十分な投資がなされていない。ハコモノや現金というわかりやすい方法論に丸投げすることは、誰にもその結果が見えやすい。その一方、人的支援を手厚くする、ということは、「いくら再配分を受けた」「どのようなハコモノが出来た」という見えやすい成果が伴いにくいので、わかりにくい。選挙が個人の人気投票になる我が国の実情では特に、「わかりやすさ」が必要以上に問われ、こういう目に見えた「攻めるハコモノの公共投資」が喜ばれた。だが、その結果、ハコモノや道路は立派でも、そこに住む人はどんどん離れていく、という過疎化・シャッター通り化された地方と、過密で保育園の建築すらままならない都会、という二項対立的現実が展開された。
だからこそ、今から求められるのは、新しいハコモノを作る事に主眼を置くのではなく、これまでの社会的インフラストラクチャを守りつつ、そこで暮らす人の生活を守り、新たな暮らしを育む支援を行う公共投資である。
たとえば、介護士や看護師の不足に関して、EPA制度を利用して、東南アジアの専門家を「輸入」すればいい、という議論もある。これも、「攻める」公共事業の亜流である。なぜならば、介護や看護の単価を上げることなく、現状の低い単価でやってくれる人を輸入すればいい、という差別原理が働いているからである。医師不足は叫ばれても、医師の輸入は叫ばれない。弁護士の不足だって、ロースクール新設の方法論が選ばれたのであり、弁護士の輸入には結びついていない。これは医者や弁護士は専門性が高く代替性が効かないが、看護師や介護福祉士は専門性が低く、ならば移民でも代替可能だ、という外国人差別、および女性差別の原理が伏流しているとさえ、考えられる。(これついては以前ブログでも検討した事がある)
地方の公務員志望の学生が多い大学で働いていて気づいたことは、彼ら彼女らの中には、必ずしも公務員を志望している訳ではない、という学生が少なからずいる現実である。自分たちの生まれ育った町で一生暮らしたい。また、社会にも貢献したい。でも、今安定的な仕事で社会への貢献も出来る仕事といえば、地方では公務員しかない。だから、警察や消防、町役場などの地方公務員を目指す、という論理である。これは、本人だけでなく、その町で暮らす親御さん達も共通して持つ認識である。そういう学生さんにしばしば、「では介護や福祉の仕事だってその町に社会貢献出来るのでは?」と問いかけると、介護や福祉では食っていけない、という答えが返ってくる。これも、非常に平均的な認識である。
長い回り道をしたが、僕が言いたいことは、次のことだ。医療や介護、福祉、子育て支援、教育など、再生産労働に密接に結びつく領域にこそ、人的資本に対しての公共投資を分厚くする必要があるのではないか。福祉や介護、教育、医療の領域で、ある程度人件費に投資を行うことで、その地域での安心・安全と雇用を創出する政策である。これは、確かに新しいハコモノを作る、現金給付をする、というわかりやすい、目につきやすい「攻める公共投資」ではない。でも、その地域での持続可能な生活、安心・安全で心豊かに暮らせる社会基盤を守り、誰でも「生き心地のよい社会」を育てるための、必要不可欠な公共投資ではないか。このような公共投資がされないと、自殺者や心の病に追い込まれる人は構造的に減らないのではないか。そんなことを感じている。
国土を開発する、のではなくて、豊かな人間的暮らしを守り・育てる為の人的公共投資を積極的に行う。またハコモノの新設よりも、明治時代から構築してきた鉄道網、戦後ずっと創り上げてきた上下水道や道路などの社会的インフラを大切に使い続けるために、その補修や維持、そして改良のためにこそ、公共投資を積極的に行う。その一方で、ダムや原発など、一定の役割を終えた巨大なハコモノを縮減出来るような方法論こそを開発する。環境破壊のベクトルを逆にし、里山的な自然との共生を目指すための公共投資を行う。こう書くと、きっと「そんなに経済(現実・政治・○○)は甘くない」という批判も聞こえてきそうだ。だが、国土を開発しないと未来はない、という「攻めの公共投資」の骨法自体が賞味期限切れをしている。であれば、公共投資の構造転換、「守り・育てる公共投資」こそ、これから必要不可欠である。ただ、それを実現する為には、財源も含めた地方分権の推進、および、地方行政・地方議会・首長の認知転換も必要不可欠であるが。
というようなことを誰も言ってくれないので、備忘録的にしたためておく。

本物の英雄とは?

30年まえの本が、これほどまでにアクチュアリティをもって響いてくるとは思っていなかった。
「『父権復興』を叫ぶ人たちの多くが考えているのは、日本的な父性、あるいは母性的集団とも言うべき日本的軍隊の復活ではなかろうか。今どきの弱い、あるいは身勝手な若者を徴兵によって『鍛えてもらおう』などと考えている人は、自ら父親の強さをもつことを放棄し、それを集団にまかせようとする、極めて母性的な発想を抱いているのである。このことは、われわれ臨床家が常に経験するところであり、自分の子どもを『厳しく鍛え直す』ことを主張する多くの親は、それを自らがやる意思はなく、他人にゆだねようとする姿勢を示し、その弱さ故にこそ子どもの強烈な反発を惹き起こしているのに気付かないのである。このようなことに気付かずに、父権復興のかけ声に乗せられ-かけ声に乗ることがそもそも父性の弱さを意味するのだが-あわてて徴兵制復活などをするならば、日本の誇る中空性の中央に、低劣な父性、あるいは母性に奉仕する父性の侵入を許すことになり、戦争中の愚を繰り返すことになるのみであろう。」(河合隼雄『中空構造日本の深層』中公文庫、p66)
憲法改正や国防軍の設置、といった議論が、衆議院議員選挙の争点の一つになっている。そのことの是非とは別の、メタレベルで、なぜ今頃そういう事を言うのだろう、という問いを持った時、この河合隼雄氏の指摘が、案外重みを持って響いてくる。
私たちの国で、次のリーダーになりたい、選んで欲しい、という人の中に、「自ら父親の強さをもつことを放棄し、それを集団にまかせようとする、極めて母性的な発想」を持つ人が少なからずいるような気がしてならない。彼らは口々に「強いリーダーシップ」を叫んでいる。だが、その威勢は口だけで、どうも自らが率先して実践する、というより、「集団にまかせようとする」発想が見て取れる。
為政者は方向性を示すだけであり、実際に自らが最前線に立つ必要はない。そう思っているのかもしれない。だが、「自らがやる意思はなく、他人にゆだねようとする姿勢」は、相手には丸わかりなのである。だからこそ、「子どもの強烈な反発を惹き起こ」す。これは、首相と政治家・官僚の、あるいは政治的リーダーと国民の関係でも、相関的な事が言えるのではないか。河合氏は痛烈な皮肉を込めて、「かけ声に乗ることがそもそも父性の弱さを意味する」と指摘しているが、アメリカの軍備拡張を進める財団主催の記者会見の場で尖閣諸島の購入を仰った某「太陽」氏など、典型的な「かけ声に乗る」論者のような気がしてならない。「NOと言える日本」なんて格好いいこと言っているけれど、その前に「アメリカが許してくれる範囲の」という形容詞が付いているとしたら、どうだろう。これなども、「低劣な父性、あるいは母性に奉仕する父性」の典型例のように見えてくる。ちなみに「父性」の象徴が「太陽」であるが、未だに若かりし頃の「太陽」にすがろうとした事も象徴的だ。河合氏のこの本は1981年に書かれたが、十分に現代批評でもある。
この論考で、もう一つ、アクチュアルな問いを投げかけられた。
「シラケよりは英雄待望のほうが望ましい、と思う人もあろう。しかし、その『英雄』は真の英雄でなければならない。集団心理によって倫理性を希薄にされ、唯一の神話原型によって正当化された単層構造の集団の動きに対して、それがいかに凄まじいものであれ、せめてわが身ひとつの重みであれ、それに抗するものとして立ち向かうものこそが英雄ではないだろうか。そのとき、集団の動きに抗する個人を支えるものとして、その個人の内奥にいかなる神話が存在するのかが問われることになろう。」(同上、p231)
昨年の東日本大震災以前に日本中を覆っていた「閉塞感」。そして、311後の日本社会が強く感じたのは官僚組織や政治家への幻滅感。その中で、「シラケよりは英雄待望のほうが望ましい」という「英雄待望」論が、我が国でもまた覆い始めている。だが、この時、河合氏は「真の英雄」とは何か、という鋭い問いを投げかけている。「集団心理によって倫理性を希薄にされ、唯一の神話原型によって正当化された単層構造の集団の動き」は、「真の英雄」ではない。それは、個人の内面での自己を獲得する闘いに晒されることなく、集団心理のかけ声に乗せられて、「低劣な父性、あるいは母性に奉仕する父性」を「唯一の神話原型」とみなし「正当化」する「単層構造」だからである。簡単に言ってしまえば「薄っぺらい英雄」なのだ。
では、本物の英雄とは何か。それは、自らの中心に、自らが闘いながら勝ち取った訳ではない、他者から借りてきた理論や主義をおかない、という厳しさを抱えた人である。口先では攻撃的な物言いをするものの、実際に自らが変わる努力をすることなく、それを集団や他者に押しつける、「低劣な父性、あるいは母性に奉仕する父性」との決別を意味している。他者を変えようと説得的言語をペラペラ饒舌に話す前に、まず自らが変わることによって、納得の言語を持つ人の事である。その例として、ふと浮かんだのが、宮崎駿の作品。宮崎アニメが日本の中であれほど熱狂的に受け入れられているのは、彼が描き出すナウシカや千、ソフィーが、「集団心理によって倫理性を希薄にされ、唯一の神話原型によって正当化された単層構造の集団の動きに」対して、「わが身ひとつの重みであれ、それに抗するものとして立ち向かうもの」であったから、とも言えないだろうか。あの主人公達の中に、「真の英雄」の姿を見て取ることができるのではないだろうか。
「われわれはもっとみずからの神話を探る努力を致さねばならないのではないだろうか。そして、われわれをあのいまわしい戦いに駆り立てた神話は一体何であったかについても、もっと詳細な分析と検討が必要ではないだろうか。」(同上、p230)
偽物の、よそから借りてきた、あるいは単純化された英雄神話を待望していても、何も変わらない。それは、自らが神話を探す努力をすることなく、チャンネルを変えるように英雄を使い捨てていく、という、劇場型の論理を超えることがないからである。政治家は、有権者の求めることをくみ取ろうと必死だが、劇場型の論理を有権者が求めていると、その論理に居着いてしまい、みな、口先だけの威勢の良さを競うようになる。いざ、それが実際の暴動や軍事的な動きに発展した時には、当然、他の人から借りた論理だから、その責任を他者になすりつけ、自らの正当性を担保しようとする。そのような「他責的」な言説に、重みはない。なぜなら、、「わが身ひとつの重みであれ、それに抗するものとして立ち向かうもの」の気迫がそこにはないからである。
今、大切なのは、一見するとマスコミに受ける言説、つまりは「集団心理によって倫理性を希薄にされ、唯一の神話原型によって正当化された単層構造の集団の動き」と距離を置くことである。自らも含めた日本人という集団がどのような「神話」に「駆り立て」られて、原発事故や被災地への対応をしてきたのか、をつぶさに、反省的に見つめ直すことである。その上で、まずこれまでの自らの振る舞いをどのように変えることが必要であるか、そのためには強固で支配的に見える「単層構造」(=という名の常識)とどう戦う必要があるのか、をわが身に問い直すことである。そのような、「神話」の問い直しと、自らの「神話」を求めた戦いに、歩み始めなければならない。ソファーでテレビを見ながら他責的に他者批判をしている、「高みの見物」では、何も変わらない。そんな劇場型の動きと決別し、自らがプレーヤーとして、自らの言動に責任を持って、まず自分から変わり、未知という名の暗闇の中に飛び込んでいく覚悟が出来ているか? 政治家の発言に求める覚悟とは、そのあたりなのかもしれない。だが、それを査定する有権者自身も、まず己にその覚悟があるのか、が問われている事も、忘れてはならない。

みんな!殺すな

先月末、夫婦が知的障害がある長男と無理心中を図ったと見られる事件があった。その事について報じた朝日新聞福島版の中で、遺書の一部が引用されていた。その中で、「一人残しても、また皆様にご迷惑かけるだけなので」という表現が引っかかり、今朝それについてツイートしたところ、思わぬ反響があった。まずは、僕のツイートから。

生きている事が「迷惑」なのか? 「迷惑」をかけるなら、「死んだ方がまし」なのか? 地域でふつうに暮らすこと、に対する、構造的な圧力が未だに強い現在の社会構造的な問題でもあるが、それでもやはり「母よ!殺すな」の問題でもある。 http://mytown.asahi.com/fukushima/news.php?k_id=07000001211130009
これに関して、予想外の二つのコメントがあった。
「倫理の問題ということですか?私には、この母親に向かって、殺すなとは言えません。もちろん仕方ないとも言えません。申し訳ないという気持ちです。」
「わかる、わかるがでも夫婦の犯行でも「母」だけが持ち出されるのに違和感。フェミニスト含め母たちは女に子どもを殺させる社会についても問うてきたのに。」
どれも、僕がきちんと情理を尽くして説明していなかった故の誤解である。そして、それに対してコメントを書こう、と思っていたところで、ある他のことに思い至ったので、久しぶりにブログを書いてみることにした。
まず、誤解の多い、『母よ!殺すな』について。
これは、女性にのみ責任を押しつけるつもりで書いたのではない。障害者福祉業界では有名な横塚さんの『母よ!殺すな』(生活書院)のタイトルをそのまま用いたのである。業界内では有名だけれど、このタイトルをご存じない方のほうが多い、という単純な事実を忘れていた。だから、誤解を解くためにも、僕の本からこの本を取り上げた部分を引用しておく。
「1970年、横浜である殺人事件が起こった。障害児二人を育てる母親が、二歳の女児をエプロンの紐でしめ殺したのである。当時のマスコミは母親の犯行を日本の福祉施設の不備故に起きた「悲劇」であると報じ、地元では母親への減刑嘆願運動が起こった。これ対して、神奈川県の脳性マヒ者の当事者会「神奈川青い芝の会」は、強い異議申立をする。当時のその会の中心人物の一人であった横塚はその理由をこう振り返っている。
『普通、子どもが殺された場合その子どもに同情があつまるのが常である。それはその殺された子どもの中に自分をみるから、つまり自分が殺されたら大変だからである。しかし今回私が会った多くの人の中で、殺された重症児をかわいそうだと言った人は一人もいなかった。(略)今回の事件が不起訴処分または無罪になるか、起訴されて有罪となるかは、司法関係者を始め一般社会人が、重症児を自分とは別の生物とみるか、自分の仲間である人間とみるか(その中に自分をみつけるのか)の分かれ目である。障害者を別の生物とみたてて行う行政が真の福祉政策となるはずが無く、従って加害者である母親を執行猶予付きでよいから、とにかく有罪にすることが真の障害者福祉の出発点となるように思う。』(横塚二〇〇七、八〇-八一頁)
殺された障害児よりも殺した母親の方に同情が集まり、減刑を求める動きが拡がった。この動きに対して、「とにかく有罪にすることが真の障害者福祉の出発点となる」という強烈な主張は、当時の日本社会の支配的言説(=ドミナントストーリー)と真っ向から対立するものであった。だが、その論旨は明快である。障害児だから殺されても仕方ないかどうかは、「重症児を自分とは別の生物とみるか、自分の仲間である人間とみるか(その中に自分をみつけるのか)の分かれ目」である、という。この二つの人間観、価値観自体が大きな争点である、という問題の捉え直しである。だからこそ、施設を増やすべきだ、国家の問題だ、と論点をすり替え、彼女を無罪放免してはならない、という主張なのである。」(竹端寛『枠組み外しの旅-「個性化」が変える福祉社会』青灯社、p144-145)
僕が伝えたかったのは、横塚さんが書くように、「その殺された子どもの中に自分をみ」ているか、という問いであった。この無理心中された親子そのものを裁いたり評価したり、を第三者である僕が出来るはずもないし、その意図もない。ただ、こういう事件をマスコミが取り上げるとき、「殺された障害児よりも殺した母親の方に同情が集ま」るような表現がなされ続けている。これは、40年経っても全然変わっていない。母も父も辛かっただろう。でも、その子だって辛かったはずだ。
「一人残しても、また皆様にご迷惑かけるだけなので」
遺書に綴られた言葉の中で、一番引っかかるのは、この部分だ。重い障害を持つ人は、「皆様にご迷惑かけるだけ」の存在なのだろうか。そうではないはずなのに、そう思い込んでしまった、思い込まされてしまったご両親。であったとしても、そこで両親の「取るべき責任」は、子どもと共に自死を選ぶ、ということだったのだろうか・・・。
そう考えているうちに、ふと、こういう言葉が浮かんだ。
「みんな!殺すな」
母も、父も、障害を持つこの二人の子どもも、誰だってもっと生きたかったはずだ。なのに、両親が無理心中に追い詰められてしまう社会、そしてその時、「迷惑をかけるから」と、障害のある子どもが道連れにされる社会。それにこそ、NO!を突きつけたい。だからこそ、「みんな!殺すな」なのである。もちろん、これは父親や母親だけの問題、家族だけの問題、ではない。だが、自殺や無理心中という形で「殺す」ことを選ばざるを得ない社会だけは、まっぴら御免だ。改めてそう感じている。

『枠組み外しの旅』 一部公開

いよいよ10月27日に、人生初の単著が出る。『枠組み外しの旅-「個性化」が変える福祉社会」である。Amazonでもようやく予約を受け付けることになった。
ただこの間、講演の度に本のチラシをもって宣伝しているのだが、どうも最初はぽかんとされる。「難しい本ではないか?」「福祉と関係ないのではないか?」「福祉の話なら自分には関係ないな」など、反応は様々だが、もう一つタイトルとチラシ内容ではわからない、というご感想を沢山もらう。
確かに、2625円という高い本を買うとき、せめて目次や概要を知らないと、無名の新人の本なんて買う気にならない。僕だって、そう思う。そこで、出版社と相談の上、この本の概要とエッセンスを詰め込んだ「はじめに」と、「目次」を公開することにした。これを読んで頂いたうえで、ご興味があれば、是非ともご自身で購入頂くか、図書館でご注文頂ければ幸いです。では、どうぞ。
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はじめに
小さい頃から、「しゃあない」という言葉が嫌いだった。「しかたがない」を意味する関西弁である。
「どうせ・・・しゃあないやん」
なぜだかわからないが、この「諦め」のフレーズには反感を持っていた。宿命論的に可能性を閉ざす物言い、このフレーズを発語する時の歪んだ「したり顔」。そういう言葉や話し方を見ると、生理的な嫌悪感や反発を抱いていた。
今、改めてこの問題を考えてみると、「どうせ」「しかたない」というフレーズは、自らの潜在能力の最大化にとって最大の「蓋」であり、「呪縛」の言葉である。「どうせ」「しかたない」と述べることで、自分の、社会の、世界の変容可能性を拒絶し、旧来の世界に閉じこもることを容認している。しかも、変えられない現実に対して文句や不満を持ちながら、「でも、しゃあないやん」と、呪詛のように、「諦め」の言葉を発して、自分に言い聞かせようとしている。あたかも自己洗脳のように。そうして、それ以外の世界に蓋をすることで、自分の中に澱のように「諦め」を沈殿させ、その「諦めの沈殿物」によって、自らの魂は毀損され、内側から腐り続けていく。気がつけば若い日に持っていた溌剌とした気持ちはすっかり萎え、日常生活はパターン化されたものになり、余計なことに手を出さず、ため息をつきながら与えられた仕事に我慢して堪え、様々な事も「見て見ぬ振り」をして、感覚や感情にも蓋をして、「つつがない日々」を送ろうとする・・・。
こういう「どうせ」「しかたない」という「諦め」に支配された暮らしは、人間的ではない。人間誰もが持つ成長や変容可能性に蓋をするだけでなく、「諦め」の中で歪められた認知枠組みによって、魂が窒息してしまう。
では、どうすればその窒息しそうな現状、「諦め」に支配された暮らしを乗り越えることができるか?
この本で取り組むのは、この問いへの、僕なりの解決策や具体的方法論の提示であり、その方策を導く「枠組み外し」という認知転換の思想についての考察である。それは、人生における新たな段階への旅立ちであるがゆえに、『枠組み外しの旅』というタイトルをつけた。
「枠組み外し」とは何か。簡単に言えば、私達が「当たり前の前提」としている、「変えられない」と思い込んでいる「常識」「暗黙の前提」そのものを疑うことである。「どうせ」「しかたない」とわかった振りをせず、なぜ「しかたない」とされるのか、本当に変容可能性はないのか、どうすれば変える事が可能なのか、を徹底的に考え続けることである。これは、極めて個人的な、時として「反社会的」な営みである。なぜならそれは、あなたや僕の中に根ざした常識や社会通念そのものとの闘いでもあるからだ。決して楽な営みではない。だが、その枠組み外しをし続ける中で、穴が空く瞬間がある。絶対に変わらないと思っていた強固な常識の固い岩盤が崩落し、その下に、別の新たな可能性を見つけ出さす瞬間が訪れる。この別の可能性との出会いのことを、分析心理学の開祖、ユングは「個性化」と名づけた。この「個性化」を果たす中で、実はあなたや僕自身が、より大きな社会の中で開かれていき、そこから社会が少しずつ変わり始める。つまり、あなたや僕自身の「個性化」を通じて、あなたや僕という一主体が、社会を変える渦の発生源となることも可能なのだ。
この渦のことを、本書では「学びの渦」と呼ぶことにする。
「学びの渦」とは何か。それは、渦の主体となる個人が、自らが囚われている枠組みの限界に気づき、その枠組みを外す学習プロセスに身を置くことから始まる。それが個人の中での「枠組み外し」にとどまらず、その気づいた認知転換に基づいて、行動や態度を変え、世界に対してのアプローチを変える。このような「創発」から、少しずつ渦が拡がり、やがてその「渦」が、「どうせ」「しかたない」と諦めていた固い岩盤を地すべりさせ、その下にある新たな可能世界を発掘する機縁をもたらす。そんな、拡大し変容する渦的存在としての「学びの渦」。
本書では、その「学びの渦」の生成の中で、その「渦」作りに関わる個人が「個性化」を果たすということ、そしてその「個性化」が、福祉社会の変容にも大きく関わっていること、そしてあなたや僕自身も、そのような「学びの渦」に巻き込み・巻き込まれる変容主体になれること、それが「どうせ」「しかたない」という「諦めの壁」を超える方法論であること、といった物語を展開していこうとしている。そして、その「枠組み外し」の論理を支える現象学的還元についても考察したいと考えている。以下、簡単に各章の概要を示しておく。
第一章では、僕自身の「学びの渦」への気づきのプロセスを整理した。ダイエットや花粉症治療という、自分の中では「超えられない壁」と思い込んでいた「悪循環構造」。それらを乗り越える中で、そのフィジカルな変容が、実は「魂の脱植民地化」とつながっていた。また僕自身の変容プロセスの背後には、エクリチュールという枠組み構造への呪
縛がある。そのことに気づき、その枠組み構造という「箱の外に出る勇気」を持てば、自らの変容過程の中からこれまで知らなかった新たな「知」と出会う事が出来る。それは、「学びの渦」を駆動させる学習過程である。
第二章では、個人と福祉社会の相互変容プロセスについて考察した。支援現場が「支配構造」に簡単に転化しやすいことを、教員―学生関係との類同性から検討した。「反―対話」の構造は、支配者側の歪んだ枠組みの押しつけであり、それを超える「対話的プロセス」では、教える側・支援する側が支配的関係性を捨て、新たな関係作りに向けた相互変容過程に、教わる側・支援される側と飛び込むことである。その相互変容過程という学びの渦を開く中で、「地すべり的移行」が可能になり、社会が変わり始める。
第三章では、学びの渦がどう福祉社会を変えていったか、実例を用いて検討した。入所施設や精神科病院でのケアが当たり前、とされた重度障害者でも、地域で暮らせるはずだし、その方法論を模索しなければならない。今では当たり前になったこの概念を、「ノーマライゼーションの原理」として整理して提示し、当時の施設収容が当たり前という常識の固い岩盤を突き崩したベンクト・ニィリエ。彼の足跡を辿る中で、個人の「出現する未来」への気づきと変容が、どのように社会を変える起爆剤となったのか、そして実際に渦はどのように拡大していったのかを捉え直す。
第四章では、「枠組み外し」がどうすれば可能か、について現象学的還元をキーワードに考察した。「どうせ」「しかたない」で済ます常識世界の強固な蓋のことを、精神科医のレインは「一次的存在論的安定」と命名した。その呪縛的な安定を哲学者メルロ・ポンティは「世界の定立」と名づけたが、その「世界の定立」という「枠組み」を外す現象学的還元の旅をする中で、新たな可能世界が立ち上がる。東日本大震災や原発災害という未曾有の危機は、「どうせ」「しかたない」と蓋をして見ないようにしていた「一次的存在論的安定」に亀裂をいれた。これは日常世界崩壊の危機であるが、「世界の定立」構造そのものと向き合い、「枠組みの外」に拡がる新たな可能世界への旅立ちのチャンスでもある。後者に飛び出す「哲学する行動」に必要な視座とは何か、についても整理した。
その上で、第五章では「個性化」と「社会変革」を主題とした。「○○らしく振る舞う」というエクリチュールの呪縛を飛び越え、箱の外から捉え直すためには、一人一人が自らの内奥にあるユニークさを豊かにする、という意味での「個性化」を果たす必要がある。その極めて個人的な「個性化」の営みは、「諦め」を吹き飛ばし、他の個人を変え、地域社会を変容に導く原動力となる。個々人が宿命論的呪縛から「自由」になり、開かれた魂で他者と「かかわり合い」をする中で、新たな何かが創発される。その創発プロセスこそが、学びの渦の正体でもある。
ここに書かれた概要は、書いてみて僕自身も初めてわかった・気づいた動的プロセスである。あなたは、これを読まれて「ほんまかいな?」と疑念を持たれているかもしれない。でも、「どうせ」「しゃあない」と最初から諦めるよりは、たった一つの可能性でもいいから追い求めたい。そんな心意気で本書を書き上げた。よろしければ、この「枠組み外しの旅」にご一緒頂きたい。
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目次
序 深尾葉子
はじめに
第一章 渦を産み出す
 1.悪循環プロセスからの離脱
 2.香港でうがたれた窓
 3.窓の外に見える「魂の脱植民地化」
 4.常識の捉え直し
 5.私自身の悪循環構造
 6.復讐から贈与へ
 7.箱の外に出る勇気
 8.魂の植民地化という悪循環構造
 9.学びの回路とは何か
 10.論語の基本構造
 11.学びの渦
第二章 「反―対話」的関係を超える
 1.五つのステップ 
 2.問題の一部は自分自身
 3.反-対話から対話へ
 4.コミュニケーションシステムに着目する
 5.まず自分から変わる
 6.渦の生成と発展
 7.地滑り的移行
 8.相互変容過程としての私と渦
第三章 渦が拡がる
 1.ノーマライゼーションの育ての父
 2.ニィリエの目指したもの
 3.アブノーマルな現実
 4.析出されたノーマライゼーション原理
 5.U理論
 6.出現する未来を切り拓く社会起業家
 7.ノーマライゼーションという「出現する未来」
 8.渦の拡大と収束
 9.ノーマライゼーションと地すべり的移行
第四章 どうしたら「枠組み」を外せるか
 1.共通する要素
 2.枠組み外しの論理
 3.当事者主体というたたかい
 4.事実と価値の取り違え
 5.正解と成解
 6.構造的制約を括弧に入れる
 7.哲学する行動
 8.呪縛を解き放つということ
 9.渦巻きに必要なこと
第五章 「個性化」と「社会変革」
 1.エクリチュールと心的肥大
 2.箱の外から捉え直す
 3.個性化の先にある共生的価値創出
 4.地域全体の社会復帰
 5.関係性や場全体から読み取る
 6.社会を変える、の誤謬
 7.「諦め」からの解放
おわりに

単著に向けた旅立ち

この連休は、やっとゆっくり休めている。

スウェーデン・ノルウェーでの夏休みから帰って来たのが、8月中旬。そこから、単著のゲラを何度も何度も読み直して校正し、紀要論文を書くためにバザーリアの英語論文をコリコリ読み進め、色々な原稿を書きまくり、週に1度は研修に呼ばれたので、パワポを仕込みまくり、喋りまくっていた。合気道の合宿に初めて出かけ、こってり練習し、こってり飲みもした。そうこうしているうちに大学は再開し、大学に出かけた日には溜まった仕事をバッサバッサと片付けていった。そろそろ心身ともにくたびれたな、と思うタイミングで、奇跡的に連休に遭遇。睡眠もうたた寝もたっぷりして、ようやく息吹を取り戻しつつある。
そういえば、単著のことをあまりブログでご報告していなかったので、今日は裏話も含めてご報告を。
(リンク先では、青灯社さんのHPに掲載されている宣伝HPに飛びます。)
この本は、生まれて初めての単著である。
これまで、障害者福祉論精神保健福祉論の教科書、あるいは例の『障害者総合福祉サービス法の展望』の編者はしたことがある。でも、どの本もコンセプトが決まっていて、その中で僕に与えられた範囲で書く、ということから、脱していなかった。あるいは権利擁護脱施設化の本の共著者になったこともあるが、これも部分的参画、である。単著を出すこととは、全く重みが違っている。
実は、本当は9年まえに、単著が出てもおかしくはなかった。外見的には。
2003年の3月に、僕は大阪大学から博士号を頂く。
『精神障害者のノーマライゼーションに果たす精神科ソーシャルワーカー(PSW)の役割と課題-京都府でのPSW実態調査を基にして』
というタイトルで書き上げたのだ。
立派な博士論文を書き上げた人の中には、それを一般読者向けにリライトして、学術書として出版される人もいる。僕の友人や同僚も、そのような形で出版され、評判になった著作もある。それだけ、完成度とまとまりが高い論文なら、そういう事になる。あるいは、出版社からのオファーがなくても、自分の中での区切りをつける為に、学術助成や自費を突っ込んで、出版という形に高める方々もおられる。その中には確かにすごい本もあるのだが、昨今の博士号の急増と共に、博論本デフレ、とでもいうような出版ラッシュの中で、あまり面白くない本も出ていることも確かだ。
で、肝心の僕はどうだったのか?
博論の内容自体は、僕にとってすごく面白かったし、その後の僕自身の研究の糧になる、羅針盤の役割を果たしてくれている。でも、それはあくまでも僕自身に対して、であって、とてもそのまま書籍という形で社会化できるとは思っていなかった。117人の方にお話を伺った事を、その生の声のまま届けるのも一つの作戦であり、博論自体はそういうまとめの中から僕自身の発見を「5つのステップ」としてまとめたのだが、それをそのまま一般の人が読んでも面白い、という形で出すことは、難しかった。何よりも、僕自身の当時の力量が圧倒的に不足していた。というか、僕が発見した面白さや大切さを、その業界の事に全く関心がない人にもスルスルと読んで理解してもらうだけの文章力や器が足りなかった。ゆえに当時は、紀要論文にしただけで、お蔵入りにした。
それから10年弱。
この10年弱は、脱施設・脱精神病院や地域移行、権利擁護、コミュニティーソーシャルワーク、障害者地域自立支援協議会、地域包括ケアシステム、福祉組織・現場職員のエンパワメント、障害者制度改革・・・などと関わってきた。どれも、博論を書く事を通じて得られた問題意識を開いていくなかで、様々な現場との関わりを頂き、その関わりの中で考えを拡げていったものである。その中で、各種の媒体で書かせて頂いた文章もたまり、「権利擁護」に関してなら、一冊分にするだけの原稿が、既に3年まえの段階で揃っていた。それを持って、恩師のとある先生のところにご相談に出かけた時、強烈な問いかけをされる。
「これは、一冊目の単著として相応しい内容ですか? だいたい、人は一冊目の単著が面白くなかったら、他の本は読んでくれない。もっと言えば、いつも同じような内容の焼き直しをしている○○さんとか、△△さんの本とか、君も読んでいないだろう? そうならないためには、最初の一冊はきちんと時間をかけ、手をかけた内容にすべきだ。今まで書いた原稿をまとめて出すのは、その後で十分だ。」
まさに、仰るとおり。何も言い返せない自分がいた。
僕自身、自分が考えて来たことを、そろそろまとめたい、と熱望していた。もっとミーハーな感覚で言うと、同世代が単著を出しているのに、まだ僕自身は出せていないことに、若干の焦りも感じていた。だが、そこに冷や水をかける恩師の一言により、そういうミーハーな熱気は冷め、本当に僕が書きたいことは何か、どうしたら熱気だけでなく、中身まで伝わる内容になるか、を考え始めた。きちんと考え抜いた内容を出せるまで、自分から単著の持ち込みなどをすべきではない、と心に誓った。
そして、その1年後あたりから、このブログでも書き続け、今回の単著のタイトルにもなった、「枠組み外しの旅」がスタートする。きっかけは、香港で読んでいた一冊の本と、その1週間に出会った「魂の脱植民地化」概念であった。そこから、ブログ上で「枠組み外しの旅」の連作を書き続け、それを東洋文化の特集号の中に入れて頂けた。そして、この東洋文化の特集号が出された直後に東大で開かれた合評会の席で、安冨先生から「竹端さんも、今度青灯社から出す『魂の脱植民地化シリーズ』で一冊書きませんか?」とオファーを受ける。「もちろん、喜んで!」と即答している僕がいた。それはなぜか。
それは、やっと僕自身がこれまで考えて来たことをまとめる方向性が見えてきた、というのが一番だろう。東洋文化に「枠組み外しの旅 : 宿命論的呪縛から真の<明晰>に向かって」を書き進める中で、ブログで書いてきた内容と、論文の枠組みがオーバーラップしてきた。これまで、論文というメディアでは、確定的な事実に関してのカリッとした論考、という範囲から逸脱しない自己規制が働いていた。一方で、ブログでは、特に「魂の脱植民地化」概念に出会った後は、自らの関わる現場と、僕が刺激を受ける哲学や思想、そして僕自身の実存を重ね合わせて、深掘りするような文章を書き続けていた。例えば「授業における枠組み外し (連作その7)」、これは単著に入れなかったブログの内容だが、この文章に代表されるように、自分が関わる現場とそれに関連する理論や思想、自らの実存を重ね合わせ、僕自身の見解を書き始めたら、止まらなくなった。これまでブログは本の内容を紹介する事が多かったのだが、それにフックをされつつも、気付いたら論を展開し始めていた。
ゆえに、3月末にオファーが来た時も、すぐに出来そう、という根拠のない自信がむくむくとわいていた。実際、6月末〆切りだったのだが、6月にはイタリア調査に出かける予定でもいたので、2ヶ月弱という短期集中決戦で、原稿を書き上げた。その中で、改めて考え続けていたのが、僕自身の「個性化」の課題である。
これはその時期のブログにも書いたことだが、本というのは、肩書きでも立場でもなく、中身での勝負である。その時に求められるのは「やりたいこと」を全力投球で文章の中に放り込み、それを僕とは立ち位置も考え方も違う読者のあなたに届ける、ということだ。つまり、自分自身の「できること」や「世間に求められていること」にのみ埋没・迎合するのではなく、あくまでも一冊の本という物語を書き進める中で見えて来た世界観を突き詰めること、それが僕自身の「やりたいこと」につながるのである。そしてこの本の最終章を書き始めた時、そのことをユングは「個性化」と表現していた事に、再び出会う。そう、僕はソーシャルアクションとか、社会変革とか、どうしたら「どうせ」「仕方ない」と諦めずに、社会を変える渦を作り、展開することが可能か、を問い続けてきた。この本に書き直して入れた論文の中でも、渦が自生する仕組みを解き明かそうとした。
だが、本を書き進めた最終局面で、「社会を変える」という一方通行的な、上から目線の考え方自体のおかしさ、にも気づけた。自らの個性化を貫く中で、その個性化が他者にも開かれ、他者との真の対話が進む中で、社会をも変える渦が勝手に自生し、廻りはじめるのではないか、と。すると、これまで自分が見たこともなかった地平に、文章が僕を運んでくれた。そして、気がつけば、一冊の本として、原稿が仕上がっていた。
そういう9年あまりの「廻り道」の末に、やっと単著の出版にたどり着けたので、本当に素直に嬉しい。願わくば、より多くの方に手にとって読んで頂きたい。著者としては、それを願ってやまない。

「沈黙と孤立」を超える支援とは?

僕たちは、想像以上に「常識」の眼鏡に拘束されている。特に、自分とは関係ない、と思い込んでいること、普段接していないこと、関心をこれまでもってこなかったこと、関わりのなかったこと、に関しては、常識や通念をそのまま当てはめて、「思考の節約」をする。あるいは、周りの人やマスコミが言う事を、何となくそのまま受け止めている。

つまり、自分が直接関わったり体験したこと以外は、イメージ上の世界、であり、しかもそのイメージは、検証も考察もされていない、「何となくそういう感じだよね」という先入観や偏見に基づいたイメージ世界である。別にそれで生きていくのに困らないなら、それでいい。だが、実際にその世界に関わってみたり、あるいは自分がその世界の当事者になってみたら、世間の常識や通念と全く違うリアリティにびっくりしてしまうケースもある。
例えば、精神病、ホームレス、自殺、ゴミ屋敷、犯罪者の更生・・・こういうカテゴリーは、どれにも「社会の落伍者」といった偏見やマイナスイメージがついており、かつ「自分はそうならない」と思い込みたい人にとっては、見たくもない現実である。また、昔から「自己責任」論や懲罰・排除の対象論、あるいは「仕方ない」「どうしようもない」という諦めのラベリングの対象でもある。「ああいう人って、どうしょうもないね。誰か何とかしてくれないかしら」と。「臭いものには蓋」の対象者となる。身内なら「恥」の対象と言われる。
だが、この常識や通念を打ち破り、そういう人たちに本気で関わろうという人たちもいる。排除や蔑視ではなく支援を差し出す事によって、人間の変容可能性に賭けようとする人たちがいる。今日はその人々の記録について書かれた、二冊の本をご紹介したい。
①『生活保護200万人時代の処方箋―埼玉県の挑戦』(埼玉県アスポート編集委員会編・ぎょうせい)
②『ライファーズ-罪に向き合う』(坂上香著、みすず書房)
①は、「生活保護受給者チャレンジ支援事業(アスポート)」を3年継続する中で、生活保護世帯に本気の支援を提供した埼玉県の実践記録である。この事業の中核を担う大山さんは大学時代からの知り合いで、PHP新書で以前『生活保護vsワーキングプア』を書いた著者としても知られている。今回、彼から献本頂いた。(ありがとうございます)
この本は、具体例がふんだんに盛り込まれ、非常に読みやすいし、かつ夢と希望を読後に持てる一冊である。生活保護世帯が急増する中で、福祉事務所の機能が限界を超えている。ケースワーカーをどれだけ増員しても、こまめな対応がしにくい。かつ、昨今、例の芸能人がらみの「生活保護バッシング」のお陰で、生活保護全体への世間の言われ無き非難の風も強い。そんな状況を変える為の処方箋が、この本には詰まっている。特に興味深かったのが、その変わるきっかけは、「この緊急事態に県も一緒にやりくぬのだ」と覚悟を決めて、全県をまとめて支援体制を構築した(p177)点であろう。今まで「自己責任論」で、事後対応に追われていた行政が、初めてこの問題に真正面から向き合おうとした、という点が、変わるきっかけだったという。
真正面から生活保護受給者の支援に関わろうとしたとき、まず初めに福祉事務所へのニーズ調査を行った。すると、現場のケースワーカーが困っていたのは、「就職斡旋や職業訓練受講などの就労支援」「住居を失った離職者の住宅確保支援」「「ひきこもり・ニートなどの児童・若年層の教育支援」の三つだった。この三つに共通することは何か。それは、規格化・標準化された仕事とは対極の業務である、という点だ。どれも信頼関係構築がないと、そもそも支援が始まらない。また、一度就労や住居、教育から「外れて」しまった人々の復帰支援はすごく手間がかかる。さらにはその方法論がマニュアル化されている訳ではなく、関わりの中で、何度も試行錯誤をくり返しながら個々人にあった方法論を模索するしかない性質のものである。一言で言えば、お役所的に考えたら、規格外の・標準化不能な仕事なのだ。ただでさえ、対応する件数が多い福祉事務所職員が、そんなきめ細やかで長期・継続的な業務をこれ以上抱える事が出来ない。そういうSOSのサインが福祉事務所から出されていた。
埼玉のすごいのは、普通こういう「行政の出来ないこと」は、身内の「恥」として表に出しにくいのに、きちんとそれを真正面から受け止めよう、としたところ。そして、自らの限界を知り、民間団体に「助けて下さい」と協力を依頼し、500人のケースワーカーが配置されている埼玉県全体で、新たに116人の民間の相談支援に携わる人材を「支援員」として活用したのである。
「アスポートの活動は、地域の善意を引き出し、それを丁寧に束ねることで成り立っています。生活保護受給者の支援は、今まで役所が担うものとされ、ある意味では一般の方々からは隔離されたブラック・ボックスの中で行われてきました。それを思い切って外に協力を求めていくことで、多くの方に生活保護受給者の現状を知っていただくことができました。その結果、多くの方が、自分には関係のない特別な世界として『無関心』だった生活保護制度に興味や関心を持ち、『自分にもできることがあるよ』と手をさしのべてくれています。」(p176)
つまり、これまでブラック・ボックスの中で、福祉事務所が「抱え込んで」、結局たらい回しにしたり、自己責任と放置していた案件について、「福祉事務所では出来ないことを、ノウハウを持つ民間の支援員チームに委ね、行政の取るべき責任と取れない(それが得意ではない)責任をわけ、役割分担をして総力戦で取り組んだ」点であろう。そしてそこには大山さん初め行政のワーカー達の、「生活保護の問題は自己責任論ではないし、支援を手厚くすれば、悪循環を好循環に転換出来るはずだ」という信念があると僕は感じた。
この循環性の転換については、以前ブログで考察したことがあるが、ちょっとだけ振り返っておく。
「悪循環から抜け出るためには、その循環のプロセスを含む循環性を認識することが重要である。そしてすべての循環性を否定するのではなく、別の方向へと出発するプラスの循環に入ることである。人が復讐から逃れるのは、マイナスの循環をプラスの循環に反転させることによってだけなのである。」(アンスパック『悪循環と好循環』新評論、p174)
「悪循環から抜け出るためには、その循環のプロセスを含む循環性を認識することが重要である」。この時、循環性の認識とは何を意味するか。それは、表面上見えている問題の背後にある構造に目を向ける、ということである。例えば、「ホームレスの人は、住宅支援をしても、なかなかうまくアパート生活が定着しない」「仕事の斡旋をしても、すぐに『出来ないから』と仕事を辞めてしまう」「母子家庭の子どもは無気力で勉強しようとしない」という問題。これを自己責任と片付けるのは、明らかに「思考の節約」である。そうではなくて、この表面上の「問題」の背後に、どのような「生きる苦悩」があるのか、に徹底的に寄り添おうとすると、違う論点が見えてくる。「ホームレスや無料簡易宿泊所での生活が長くて、計画的に生活する暮らしから長年遠ざかっていた」「以前の仕事をしていた時のトラブルや人間関係の不信を引きずっていて、些細な躓きでも自信を失ってしまう」「勉強に取り残された経験があり孤独だから、学校なんて行きたくない」・・・このような「循環のプロセスを含む循環性」が、表面的な失業・ホームレス・引きこもり、の裏側に存在している。そして、表面上の問題を排除・隔離・蔑視して終わり、とせず、その背後にある「悪循環構造」に目を向け、それを断ち切るための手厚い継続的な支援を行う、というのが、埼玉県の挑戦のすごさ、である。
こう書くと、「そんなことをするのは甘やかしだ」「自己責任ではないか」という非難の声も聞こえそうだ。ただ、そんな安易な「思考の節約」をせずに、立ち止まって考えてほしい。では、そうやって自己責任論で問題を放置して、この悪循環サイクルは止まるのか? むしろ、10年まえには75万世帯だった生活保護世帯が200万を突破したのは、リーマンショックや不況、だけでなく、何でも自己責任論として社会的関与を放置してきた悪循環プロセスそのものの構造的な問題では無いか。であるならば、行政が取るべき責任は、生活保護バッシングの事後対応としての保護費削減という懲罰的対応ではなくて、この悪循環プロセスそのものの「循環性を認識」し、「別の方向へと出発するプラスの循環」構造を作り出すことではないか。そして、埼玉県はその好循環構造を、ブラックボックスを開き自らの限界性を察知し、アスポート事業という官民協働の事業を作る事で、乗り越えたのではないか。そんな風に受け止めた。
この埼玉県の事業の根底にある価値観を、「当事者の変容可能性を諦めずに継続的に支援する」「スティグマや偏見、自己責任論に問題を矮小化しない」「対象者を孤立や孤独から救い出す」「信頼関係の構築が関係性を変える」という点にあるとすると、実はこの悪循環プロセスを変える「好循環」構築支援は、そっくりそのまま、犯罪者の更正支援という②の話につながってくる。
「犯罪者は罪を犯したんだから、処罰されて当然。被害者だって許せないはずだし、そういうロクでもない連中は、一生刑務所に閉じ込めておけばいい。」「やっぱり死刑をきちんと執行する事で、犯罪を許さない姿勢を知らしめることが重要だ」という常識や社会通念。これも、冒頭に書いた事に照らしてみるならば、出来事への感情的反応であり、「思考の節約」である。それはなぜか。犯罪者への厳罰化が、犯罪そのものの抑止力になっているか、を見なければいけない。生活保護行政の厳格化が生活保護受給者の抑止力としては不適切であることは、①の本でも描かれていた。それと構造的類同性を持つことが、『ライファーズ』の中で絵が描かれている。この舞台となる犯罪者の更生を目指す「治療共同体 Therapeutic Community(TC)」のアミティ。このアミティが従来の関わりとどう違うのか。
「アミティとそれらとの大きな違いは、単に問題行動を止めるのではなく、人間的な成長を目指すところにあるといえる。そこに欠かせないのが、人とのつながりだ。大半のレジデントたちは、ここにたどり着くまでの間に他者を傷つけているが、その以前に自らが深く傷つき、人間不信に陥っている。家族や親族との関係はとっくの昔に断たれ、友人や知人と呼べる人もほとんどいない。いたとしても、利益のために利用しあうような関係だ。自分への関心が薄く、総じて人生に投げやりだ。アミティでは、そんなレジデントたちが、自分や他者に感心を持てるように促すところからはじめる。」(p36)
ここでも、①と同様に、信頼関係の再構築が支援の全ての基本になる。アミティが行っているのは、免罪活動ではない。贖罪につなげる以前に、「自分への関心が薄く、総じて人生に投げやり」な犯罪者達に、再び「人間的な成長を目指す」希望を持ってもらうことである。こう書くと「甘やかし」という非難を受けそうだが、本当に罪を購うためには、その罪を直視する勇気を持たなければならない。牢屋に何年入れられても、牢屋で出来ることは、個人の自由を制限するだけであり、外的な規制は出来ても、内面の規制は出来ない。むしろ、これまで「自らが深く傷つき、人間不信に陥ってい」て、自己への信頼を全く持てない人間に、贖罪という最大級の自己との闘いに向き合えといっても、無理だ。アミティの創設者、ナヤ・アービターもこう述べている。
「問題に直面することは決して容易ではない。なぜなら、それは自分を問題行動へと駆り立ててきた、過去の記憶に向き合うことを指すから。自分につながる他者の声を繰り返し、繰り返し、耳にしなくてはならないから。それは、薬物やその他の暴力で蓋をして、感じないようにしていた『真の痛み』を感じることを意味するから。そして、自分の人生を取り戻すためにも、繰り返し、繰り返し、その忌まわしい記憶を語らねばならないから。」(p42)
このアミティた大切にしているのは、刑務所や街中で「サンクチュアリ(本音で語り合える安全な場)」を作ることである。絶望的な人間不信に陥り、その結果として一線を越えて薬物依存や犯罪を繰り返してきた人々。もう「どうせ」「しゃあない」と自暴自棄になっている人々。彼ら彼女らが「自分の人生を取り戻すためにも、繰り返し、繰り返し、その忌まわしい記憶を語」る場を提供すること。その中で、その人の変容可能性を信じている他者に出会うこと。また、実際に語る中で更正をしていった「かつての仲間」の変容場面に立ち会うこと。このような、同じような「生きる苦悩」の極まりを共有する仲間と語り合うセルフヘルプグループがあることで、頑なに現実を見ようとしない犯罪者達が、少しずつ心を開き、罪とも向き合おうとし始めるのである。
犯罪者が罪を重ね続ける累犯。この問題を、単に厳罰化で乗り切ろうとしても、切り札にはならない。むしろ、累犯という「その循環のプロセスを含む循環性を認識すること」が悪循環を抜け出すために、もっとも必要とされていることである。そして、それは刑務所の独房で接見禁止になって正座をしているだけで、その認識に到達出来るわけではない。
「沈黙と孤立が最大の暴力行為だということです。折れた腕はいつかくっつくし、血が流れていてもその上からバンドエイドを貼ればいい。歯が欠けたら入れ歯を入れればいいのですが、沈黙や孤立に即効で効く治療薬はない。それらは強く感情を傷つけ、深い心の傷を残します。」(p236)
悪循環構造を成り立たせているのは、「沈黙と孤立」である。そう語るのは、現在はアミティの母子支援プログラムのディレクターであり、自らも児童虐待・薬物依存・DVを経験し、累犯を繰り返していたがアミティで人生を取り戻したシャナさん。そんな彼女の言葉は、本質を鷲掴みにしている。①を読んでいても感じたが、ホームレスや離職者、引きこもりやニートの若者にも共通するのが、「沈黙と孤立」だ。さらに言えば、僕が関わってきた精神障害者にとって、最も苦しいのも、この「沈黙と孤独」である。それは、標準的な家族や友人関係から疎外・排除され、「豊かな関わり合い」の関係性を見失い(あるいは幼少期から持たず)、自分自身の生きる希望を持てなくなった(そもそも最初からなかった)人々の、生きる苦悩の根源にある。
ここまで書くと、以前に紹介したイタリア精神医療改革の先導者、フランコ・バザーリアの言葉との共通性を感じずにはいられない。
「病気ではなく、苦悩が存在するのです。その苦悩に新たな解決を見出すことが重要なのです。・・・彼と私が、彼の<病気>ではなく、彼の苦悩の問題に共同してかかわるとき、彼と私との関係、彼と他者との関係も変化してきます。そこから抑圧への願望もなくなり、現実の問題が明るみに出てきます。この問題は自らの問題であるばかりではなく、家族の問題でもあり、あらゆる他者の問題でもあるのです。」(ジル・シュミット『自由こそ治療だ』社会評論社、p69)
精神病、ホームレス、引きこもり、犯罪者、薬物依存者、ニート・・・これらはマイナスの属性であり、ラベリングである。私たちは、そのスティグマ化された強烈なラベルの虜になりやすい。でも、このラベル「ではなく、苦悩が存在する」という補助線を入れたら、全く違って見えてこないだろうか。<病気><犯罪><失業><ホームレス><引きこもり>というラベリングは、多くの人にとっては、他人事である。だから、「自己責任」と突き放せる。だが、「生きる苦悩」の「絶望的なアピール」として捉えると、僕やあなたとも地続きの地平にある、と認知転換される。僕やあなたも、様々な絶望的な経験を重ねる中で、生きる希望を失い、このような苦悩の最大化に至る可能性もある。であるならば、その人々の悪循環構造を理解し、どう抜け出す支援が出来るか、というセーフティーネット構築支援は「自分事」の課題となる。そして、そこで大切なのが、絶望に結びつく「沈黙と孤立」から救い出す支援なのである。
繰り返し書くが、このような支援は「甘やかし」ではない。むしろ、本当に安全・安心な社会を目指したいなら、困り者を隔離収容しておわり、ではなく、「沈黙と孤立」ゆえに「生きる苦悩」を最大化させた人に寄り添い、信頼関係を構築しながら、その人々の人間的成長を再び願う、息の長い支援をするしかない。でも、人の苦悩は、人が本気で寄り添う中で、確実に変容していく。それが、二冊の本に書かれていたことの本質であり、僕がイタリア視察以後、感じ続けていることである。隔離や排除という暴力行為ではなく、沈黙や孤立を超える為の、一人一人に寄り添うパーソナル・サポートを構築する体制作り。これは、様々な悪循環構造を乗り越える為に、高齢・障害・児童・生活保護・虐待防止・犯罪更正・・・などの表面的なジャンル分けを超え、「生きる苦悩」が極大化した人々への支援の共通枠組みとして、見ていく必要があるのではないか。そんなことを感じた。

「ひっくり返し」の醍醐味

気がつけば、3週間近くブログを放置していた。

この間、ツイッターにぶつぶつ呟く時間はあったのだが、ブログにまとめて議論する時間が取れなかった。授業がない「夏休み」だが、何だかその内実、めちゃんこ忙しいのだ。
ノルウェーから帰ってきた後、イタリア語の勉強を再開すると共に、バザーリアの英訳された論文集を読み始める。そのタイトルが、Psychiatry Inside Out、日本語にするなら「精神医療をひっくり返す」。確かに、既存の価値体系そのものをひっくり返す面白さがある。毎日10頁程度しか読み進められないが、やっと半分を超えたところ。その間に三重や東京や大阪への出張が入ったり、あるいは単著原稿のゲラが送られて校正をしていたりして、なかなか読み進められないが、とにかく現時点で気になる「ひっくり返し」の醍醐味をいくつか備忘録的にメモしておく。
現象学を学び、サルトルを手放さず、弁証学的な対話を続けてきたバザーリア。マルキシズムに親和的な事もあって、彼の文章はかなりの左派的な過激さを帯びている。が、深く読み込んでいけば、すごく真っ当な「ひっくり返し」の論理である。例えば「狂気」を議論しているとき、では「健康」って一体何だろう? 健康な人の中に狂気は潜んでいないのか?と問い直す。あるいは、障害者は生産能力が低いとして隔離収容の対象になるが、そもそも「生産性」って一体何だろう、と問い返す。劣っている、狂っている、不適応である・・・といった「逸脱」のラベリングに対して、そもそもその「逸脱」のラベルを貼ろうとする資本主義体制そのものの「狂い」や「不適切さ」を問いの主題とする。精神病者の暴力行為をとがめる資本主義社会の暴力性そのものを問いかける。私達の社会で「当たり前」「正しい」とされている事そのものに疑いの眼差しを入れる(call into question)。このあたりが、実に興味深い。
で、この社会での「当たり前」「正しさ」への疑いを持つ、という視点は、何も69年的な発想で時代遅れ、ではない。現代日本社会においても、実に必要とされている視点である。
ちょうど昨日は、某市役所での職員研修だった。福祉課だけでなく、商工や環境、土木課の職員も対象にして、「孤立死・自殺・虐待を防ぐために、市職員として出来ること」というお題で話をする。その中で、一番興味を持ってもらったのが、いわゆる「ゴミ屋敷」問題と「用地買収」問題の共通性だった。
「ゴミ屋敷」と「用地買収」の共通性とは何か。それは、異なる思惑を持つ人と、どのように共通の理解を構築し、変容可能性を模索するか、ということだ。たとえば、「ゴミ屋敷」の場合、近隣住民から市役所に対して「何とかしてほしい」という苦情が入る。あるいは、例えば道路や施設を作る際、用地買収に応じない家が一軒だけ残ると、建設が進まない。その時、「ゴミを捨てない家庭」「立ち退きを拒否する家庭」は、社会秩序に従わない、逸脱者、というラベリングを貼りたくなる。
だが、そのラベルを貼ってみたところで、問題は解決しない。それどころか、対応に当たる役所の担当者が、その相手にラベリングを貼って、斜め上からの目線で接している、ということは、必ず「逸脱者」とレッテルを貼られた相手に伝わる。すると、まとまるはずの問題でさえ、まとまらない。これは一体どういうことか?
以前、用地買収のプロのお話を伺ったことがある。その中で、今はやってはいけないけれど、当時のプロは、例えば絶対に土地を売らない、と頑なに拒絶する家庭には、日本酒の一升瓶を下げてご挨拶に伺っていた、という。そして、売って下さい、というのではなく、日本酒を酌み交わしながら、売ってくれない訳をじっくり伺うというのだ。ゴミであれ、土地であれ、そこにこだわりを持つからこそ、手放したくない。その「こだわり」を「変だ」とか狂っているとか逸脱している、と片付けず、その人らしいこだわりとして、その背後にあるその人の人間性、人生観、これまでのパーソナルヒストリー、それらにじっくりと耳を傾ける、というのである。そういう風に語ってもらう中で、少しずつ、その人の中でも何かが溶け始め、結果としてそこから解決策がじんわり産み出されることもある、というのである。
もちろん、これはどんなときにも解決する魔法の方策、ではない。でも、少なくとも「強制代執行」とか「強制入院」とか、警察権力を活用して強制的に排除する思考は、明らかに高圧的であり、「反ー対話」的である。問題が解決しないとき、それはどちらか一方が「逸脱している」「狂っている」「おかしい」のではない。実は、対話をする中で、単にそうやって排除する側、追い詰める側の方の矛盾や問題点が表面化することだってある。その時に、私達の社会の主流となる「正しさ」や「常識」そのものも問い直し、書き換えるような柔軟性を持ち、現場で必要な解決策に結びつけていくことが出来れば、実は「困難事例」とラベリングされるケースであっても、動き始めるのだ。そして、動き始めてみると、「困難事例」とラベルを貼っていた支援者側の「困難性」が、その事例への対応に析出されていた、なんてことも、少なからずある。
つまり、常識に従うことが正しい、という論理自体を「ひっくり返す」「問い直す」ことによって、その論理の持つ暴力性やイデオロギー性、あるいは抑圧的権力性そのものにも目を向ける事が出来るのだ。
ひとは、納得しないと、態度を変容しない。説得では、山は動かない。その時、納得出来ない人を「わからずや」と糾弾したり、縛ったり、閉じ込めたり、薬漬けにしたりしても、態度は変わらない。態度を変えられない、変えたくない、その根拠にこそ耳を傾け、共感する。その中で、変えたい社会と変わりたくない人の双方にある「歪み」も先鋭化される。その歪みの構造的問題をお互いが理解し、その中で、とにかく妥協できるポイントを少しずつ探る中からでしか、解決策は見いだせない。「ひっくり返し」の醍醐味とは、現象学のエポケーにも通じる、「常識的な通念を一旦括弧に括った上で、根本から問い直す営み」なのである。なぜこの人はゴミを溜めるのか、なぜ土地を売ってもらえないのか。ゴミや土地を通じて、その人が大切にしているもの、表現したいもの、信条としているものはなにか。そういう自分とは異なる世界観を排除せず、それを尊重する「ひっくり返し」の論理を、ご本人に寄り添う中で構築していければ、そこから事態を打
開する信頼関係も生まれてくるのではないか。
現に用地買収をしている、「ゴミ屋敷」への対応をしている、自治体現場の最前線で働いている人が、一番頷いてくれた場面であった。

9 years have passed

 

Since I lived in Gothenberg.
学校英語に載っているフレーズそのものを話している自分がいた。
2003年の10月から、2004年の3月までの5ヶ月間、調査研究でスウェーデン第二の都市、イエテボリに暮らしていた。結婚して丸一年が経った時期で、妻も仕事を休んで付いて来てくれた。そう話すと、「羨ましいですね」とよく言われる。僕も、「隣の芝生」としてなら、いいなぁ、と感じるだろう。だがその実、当の本人達は、生き抜くのに必死だった日々だった。
何とか博士号は半年前に頂いたものの、就職先が全く見つからない。そもそも博論を書き終わった1月から、研究者公募サイトを眺め始めて、4月からの仕事にありつけるはずもない。だが、博論調査に必死で、また新しくできた大学院講座の一期生だったため、博論後の人生設計についてアドバイスをもらえる状況では全くなかった。よって、それまで博論完成に向けて全力投球だった日々から、急に「無職」状態に追い込まれる。僕が大学院に入った年から大学院重点化政策が広まっていった為、院生が急増し、一方で若手向けの常勤ポストは高倍率になる、という需要と供給のアンバランスが始まった、と理解できたのも、自分が無職になってから。詰めが甘い、といえばそれに尽きるのだが、とにかく、仕事がなかった。
そんな折り、調査研究チームに加えて頂いた先生のご好意で、海外調査研究に応募するチャンスが廻ってきた。初めての海外長期滞在を、求職中に行くのもどうか、と思ったが、どうせ仕事がないなら、 と思い切ってその話に乗せてもらうことにした。常勤職を持ったら、なかなか長期に海外に行けない、という常識すら、その当時は持ち合わせて居なかったのだから、どこまでも世間知らずだった。
選んだ先は、スウェーデンのイエテボリ。そこに、知的障害者のセルフアドボカシーグループとして国際的にも有名な、Gurundenという団体がある。お世話になった先生もその団体と懇意にしておられ、僕自身も2年ほど前に見学させて頂いたご縁もあった。そんな関わりから、その団体の支援者アンデシュをご紹介頂き、彼をコンタクトパーソンとして、調査をスタートする事になった。研究所や大学を受け入れ先にするのではない、という事が、結構特異であるということも、当然のようにわかっていなかった。
そんな何もわからないひよっこが、いきなりスウェーデンに住むことになった。もちろん、スウェーデン語は全くわからない。関西弁英語も実に怪しい。でも、とにかく行って何とかするしかない。幸いにして研究者公募サイトはインターネット見れるから、スウェーデンから就職活動すればよい。そんな、向こう見ずな「冒険」が始まった。
それは、僕自身にとっては、文字通りの「冒険」だった。
一応のテーマとして、グルンデンセルフアドボカシーの実態を調べることと、彼ら彼女らの活動を支えるスウェーデンのLSSという法律の運用実態を調べること、という二つの課題は持っていた。だが、それをどう形にするか、行ってみなければわからない。いや、それより遥か以前に、受け入れ先の支援者アンデシュは本業で忙しく、なかなかメールでのコンタクトもうまくいかない。仕方ないから、切羽詰まってどぎまぎしながら生まれて初めての国際電話をかけ、なんとかビザもギリギリ発給されるものの、住む場所も決まらず、そもそもアンデシュが空港に迎えに来てくれるか、も半信半疑なまま、とにかく荷物をまとめて飛び立った。留学経験も無いため、何をどれだけ持参してよいのかもわからず、荷造りは出発当日の朝まで全く進まず、妻に叱られながら、何とか手当たり次第にようなスーツケースに詰め込んで、とにかく飛行機に乗り込んだ。もう出発時点で、先の全く見えない旅の始まりだった。
そんな不安だらけの出国だったので、イエテボリの空港でアンデシュが迎えに来てくれただけで、涙が出るほど嬉しかった。なんとか、無事、着いたことに。もちろん、それは試練の終わりではなく、始まりだった。家探しに時間がかかり、ホテルやユースホステルをスーツケースを抱えて転々としていた。やっと決まった借家でも、電話やネット回線を一から契約するのに時間がかかる。携帯電話もインターネットにしても、海外パケ・ホーダイとかWifiなんてなかったので、新たに向こうで回線をひき、電話機やモデムも買い求める。それらの一つ一つのインフラの整備に時間がかかり、かつ全てスウェーデン語での手続きなので、アンデシュの支援がなければ何も始まらない。でも、彼は支援者業務という本業が忙しい・・・。つまり、日本でなら一人でさっさと出来る生活形成の一つ一つを積み上げるのが遥かに大変で、ついでに!調査も始めなければならないので、毎日たいしたことはしていないはずなのに、くたびれ果てる日々であった。
でも、多くの人に支えられ、何とか調査だけは進展し始める。スウェーデン語障害!を持つ僕のサポートは、アンデシュだけでなく、知的障害を持つグルンデンの会長、ハンスが引き受けてくれた。なんでも学校を途中で行けなくなって、家にずっと閉じこもっていた時期があったそうだ。その時期見ていた昼間のテレビは、アメリカやイギリスの映画、ドラマの輸入番組。しかもスウェーデンでは吹き替えをせず、字幕だったので、見ているうちに英語を覚えてしまったそうだ。彼の話を聞いていると、一体知的障害とは何か、がよくわからなくなってしまうが、そのハンスが、イエテボリの21の自治区のソーシャルワーカーへのインタビュー調査にずっと付き合ってくれた。彼がいなかったら、そもそも 調査現場にさえ辿り着けなかったりろうし、英語が苦手な 調査対象者とのコミュニケーションは絶望的だっただろう。
また、現地在住の日本人通訳のTさんにも、公私ともにお世話になった。ノーマライゼーション原理の育ての 父であるベンクト・ニイリエさんに生前にお会いでき、半日の貴重なインタビューができたのは、Tさんのアレンジと通訳の賜物だ。また、それ以外にも、彼女のネットワークを通じて、沢山の現場のインタビューをさせて頂いた。そしてその際は、家で引きこもりがちだった妻も同行させていただき、我々夫婦にスウェーデン生活での細々とした相談に載っていただいた。時にはご飯をご一緒したり、ご自宅にお招き頂いて、日本語で話せる時間と空間を与えてくださったことが、夫婦にとっては本当にこの上なく貴重で有り難い経験だった。
そんな、毎日生き抜くのに必死な日々だったので、今より遥かに時間はあったはずだが、全く生活に余裕はなかった。スウェーデン語を学ぼうとしなかったのも、ズボラではなく、本当にそこまでの余裕が回らなかったのだ。ましてや、イエテボリ市内だけでなく、スウェーデン国内も、殆ど観光に行けていない。今から考えたらもったいない話だが、その当時は、そんな悠長な事を言える器ではなかった。就職活動もうまくいかず、最寄りの郵便局から大学宛てに履歴書を送り続けるも、大半がなしのつぶて。ようやく二次面接にこぎ着け、自腹で!日本まで帰国するも、不採用。そう言えば、面接後、イエテボリに帰る日、関空への橋を渡る列車の中で、別の大学から携帯電話あてに二次面接の通知が届き、当日飛行機をキャンセルして、追加料金をたんまり払い、ましてや、またもや東京まで面接を受けに出かけ、挙げ句の果てに両方不採用、といむ憂き目にもあった。
さらに言えば、白夜で有名なスウェーデンは、裏を返せば冬はほとんど日差しから遠ざかる日々。我々が着いた10月末の一週間は晴天に恵まれたが、その後は「魔の11月」の到来。急に日照時間ががくんと減り、朝九時にならないと明るくならない。スウェーデン人ですら、自殺者が増えるこの時期。やっとスウェーデンに馴染んだ頃の我々には、気候的変化もきつい試練であった。
そういう様々なマイナスカードに喘ぎながらも、なんとかスウェーデンでの五ヶ月間を、文字通り、生き抜いた。
あれから、もう9年。(やっと本題に戻る。今日も前置きにしては長すぎました。)
白夜を知らない、だけでなく、楽しいスウェーデンでの観光をろくに出来なかった妻に、結婚10年の節目に夏の北欧を楽しんでもらいたい。 ついでに、お世話になった方々にも再会したい。そんな思いで、授業が終わった直後に、イエテボリに二人でむかった。
9年ぶりのイエテボリは、ほとんど変わらぬ街並みのまま、暖かく我々を迎えてくれた。お世話になったTさんのお宅に寄宿させていただき、郊外の美しい公園や、街が一望出来るお城にもお連れ頂いた。どちらも、もちろん初体験。初めて、といえば、いつもそばを通り過ぎるばかりだった美術館にも、初めて出かけた。我々が拠点としたお宅を外から眺めたり、よく通った近所の八百屋や魚屋、酒屋のあたりをウロウロもした。やっと、月並みな旅行者として、イエテボリを楽しむことが出来た。
そしてイエテボリを離れる日の朝、休暇中だったアンデシュが何とか時間を作り、会いに来てくれた。彼からその後のグルンデンの発展ぶりや、ハンスを始めお世話になったメンバー達の近況を伺ったあと、ふと、彼にこう漏らした。
「あの当時は全く余裕がない日々だった。あなたに助けてもらわなかったら、私たち二人は生き抜くことは出来ませんでした」
すると、アンデシュは笑顔でこう応えた。
「何にもない中から、調査をやり遂げ、五ヶ月間、二人で暮らしていた。よく、冒険をやり遂げたと思うよ。」
その語りを聴いて、万感の想いが胸にこみ上げた。そして、その科白と出会うために、9年ぶりにイエテボリを再訪したことに、ようやく気がついた。9 years have passed.  僕たち夫婦にとって、時間はかかったが、以前に比べ、少しは成長したことをも実感できた再訪でもあった。

至福を求めよ

「神話の力」のシリーズ映像をYouTubeからダウンロードして、見続けている。そのなかで、神話学者のジョーゼフ・キャンベルが私たちに、こう問いかけている。
「自らの至福を生きているか」
キャンベルはサンスクリット語を研究するなかで、永遠と完全性、そして至福の三つが重要だと知る。そして、生きている間に実現可能なのは、最後の至福だけであると気づく。そこから、自らも至福を求めて生き続け、また教え子達にもせよそう語り続けた。
「至福を求めてごらん。すると、思いがけないところから手がさしのべられ、自らの至福の世界へと至る扉が開かれるよ」
彼の言葉は、神話研究という人間世界の古層を掘り続けてきた第一人者の確信・核心として、強く胸に突き刺さる。深い共感と共に。
僕自身が至福を生き始めたのは、つい最近になってから。それまで、社会の規範的な「空気」や社会的立場に拘束されていた。いや、それはあたかもシートベルトを締めるように、常識になっていた。車の場合は、物理的な事故に陥るリスクに備えてシートベルトをするのは、理にかなった発想である。規範や空気、立場の「拘束衣」に従うのも、車と同様、リスクヘッジだ、と思いこんでいた。
物理的事故への対応のためのシートベルトは、身を守るものである。では、社会的規範や空気、立場という拘束衣は、身体や精神を護ってくれるだろうか。実はその真逆で、身も心も拘束衣の枠の中に押し込め、縛り付ける、奴隷の道具として機能しているのである。そして、その拘束衣の権威と信頼を護る為、その拘束衣から自由になろうとする人のことを、「わがまま」だとか、「狂ってる」とか、「逸脱者」というラベルを貼って、ごく一部のはぐれ者である、と矮小化する。勧善懲悪的二元論で、拘束衣に従うこと=善、という世界観の維持に必死である。科学や医学も、時としてその根拠付けの手段と成り下がる。
その「もっともらしい」世界観は、でも僕やあなた自身の世界観とイコールではない。両者は必ず矛盾だらけである。そのとき、わかったような声で「人間、好きなことばかりしては生きていけない」と囁く声が聞こえる。その声が、拘束衣を纏ったマジョリティから繰り返し聞こえてくる声だからこそ、私たちは惑わされそうになる。「世の中って所詮、そういうものなのか」と。
だがこれは、神話のエピソードを用いるならば、自らの前に立ちはだかる試練、とも言える。人生の大きな岐路において、一見安逸に思える拘束衣世界に留まるか。あるいは、不安や危険に満ちていそうな、自らの個性化という物語世界を切り開こうとするのか。前者に身をゆだねれば、自らの諦めと引き換えに、予測可能な手堅い世界が待ちかまえているように、思われてきた。だから、特に戦後日本では、自己を拘束衣と同一化して、積極的にその服に身体を慣れさせる中で、会社人間的メンタリティーを作り上げた。その結果、物質的繁栄は見事に獲得できた。
今、日本的な拘束衣システムそのものの岐路に差し掛かっている。自らの至福を求めるという個性化に至る道に蓋をして、必死で働いて、獲得した物質的繁栄。そこでは、プライスレスなものまで商業化しようと企てていた。個性化や至福はマーケットえは絶対に買えない、という事実を忘れさせる偽装工作を、拘束衣世界は巧みに構築した。「夢の国」「憧れのブランド」「貴重な逸品」という差違を表す記号は、拘束衣世界の本質を眩惑させた。だが、それは確かに社会的規範や空気、立場の護持には役立つが、自らの至福を切り開くモノではなかった。
自らの至福を追い求めるにはどうしたらよいか?
その答えは、数千年前から、実は変わっていない。自らの内なる声に耳を傾け、魂の想いに蓋をせず、そのワクワクドキドキを維持し、高め続けるしかない。以前に比べて移動や行動、商品獲得の自由はこの数十年で爆発的に増大したが、それと引き換えに情報化社会の中での拘束衣は、よりソフトに、そして巧妙に、しかも着実に、私たちを締め上げようとする。
拘束衣世界に「世の流れだ」と迎合するのか、「にもかかわらず」魂の声に耳を傾け続けるのか。
至福を求め続ける戦いは、極めて現代的な問いでもあるのだ。もちろん僕は、どちらに進むか、とっくに決まっているけれど。