繭とたこ焼き、そしてゼミ合宿

河口湖でのゼミ合宿から帰ってきた。
甲府は今日も過酷な熱波だが、河口湖では夜はふとんをかぶって眠らないと寒かった。たった1時間弱で、全くの別世界。そりゃあ、河口湖の近所に住んでいる某先生が、「甲府にはいられない」という理由はわかります。まあ、冬の雪かきは大変そうだけれど。
実はゼミ合宿というものは、僕は学生時代、経験したことがない。学部生の頃は、「放し飼い」の社会学専攻だったので、指導教官の先生のご自宅や近所の喫茶店で卒論指導を受けていたし、大学院生の頃は、師匠に弟子入りしていたので、師匠のご自宅や近所の飲み屋でご馳走になっていた。(食べてばかり?) つまり、幸か不幸か、僕自身は1:1の指導というものを、ずっと受け続けてきた。
だが、自分が教員になると、事情が変わる。うちの大学では、教員の少なくない数が、自らもゼミ合宿を学生時代に経験され、そして今では主催しておられる。確かに僕が指導を受け持つ学生の数も、僕が指導を受けた大学と比較すると、格段に多い。よって、1:1のお付き合いは物理的に厳しくなる。でも、個々の学生達との関わりの濃度を落としたくない。すると、ゼミ合宿という機会は、実は結構大切な場になりそうだ。そういう事に、赴任して2、3年するうちに気づき始めた。
そこで、確か5年前くらいから始めたゼミ合宿。回を重ねるごとに、その面白さがわかってくる。今年の合宿では、その醍醐味のようなものが、やっと言語化できるようになってきた。
僕のゼミは、テーマを全くの自由としている。以前はそれでも福祉や社会問題、あるいはボランティアやNPOに関するもの、という限定をつけていたが、昨年あたりから、それも放棄した。というのも、こちらがテーマを限定しようとしても、学生たちがそれで「トキメキ」を感じない限り、卒論はうまく仕上がらないからである。これは一体どういうことか?
僕が卒論指導において大切にすることは、実は狭義の意味での「学術性」の担保ではない。こういうことを書くと同業者から怒られるかもしれないけれど、研究者に今のところなる予定のない学生たちに、狭義の意味での学術的方法論を身につけることを第一義的な目的にする卒論は、彼ら彼女らのトキメキと一致しない。もちろん、コピペをしない、とか、引用のルールを守る、とか、先行研究についてはできれば調べてレビューをする、とか、ある程度のお作法は学んでもらう。でも、それが自己目的化したら、学生たちのテーマとのつながりが薄れてしまい、結局のところ、わくわくできない卒論となってしまうのだ。
では、なにを卒論指導で大切にしているのか。それは、学生の自らの実存と直結する、内的なワクワクやドキドキを感じられるテーマを探求すること、である。それは、僕自身の枠組みや守備範囲の中での卒論指導をすることを放棄し、学生たちのテーマに寄り添った、産婆役としての卒論指導に徹する、ということへの方針転換でもある。結構大胆な方針転換だが、ここ二、三年で、気づいたらそうなっていた。その最大のきっかけを作ってくれたのが、四年生のMくんである。
彼は、昨年から「教育をテーマにしたい」と言っていたものの、なかなかそれで自分の中でトキメかなかったらしく、探索が進まなかった。また、ゼミも来たり来れなかったり、というスナフキン的な感じであった。こういうパターンの学生は毎年のようにいるのだが、こちらが鋳型をはめようとすると、一応僕に敬意を払ってくれて、その鋳型にはまろうと涙ぐましい努力はしてくれるのだが、結局うまくいかない事例が多かった。それでもこれまでは、他の方法論を知らなかったので、やいやい口うるさく「ああしたら」「こうしたら」と指導してきたが、なんだかそれもいらぬお節介のような気がして、「まあ、そのうち芽吹くだろう」と放ったらかしておいた。すると、今年度がスタートしてからのゼミで、急に宣言したのである。
「僕のトキメくテーマは、たこ焼き、です」
と。
た、たこ焼き、ですか?
お話を伺えば、築地銀だこが大好きなのだけれど、どうもネット上では、あれは邪道だとか、本流ではない、という悪口がかかれていて、それが悲しい、と。でも、僕は銀だこが大好きで、そういう悪口を言われるのは悲しい、と。そして、銀だこを食べながら卒論をどうしようか、と考えていて、トキメくテーマなら、このたこ焼きこそ、僕がトキメくテーマである、と気づいた、と。
もちろん、それを聞いたとき、一瞬唖然としましたよ、そりゃ。
でも、よく考えてみたら、彼の実存とたこ焼きが深く関係しているなら、そこから内的探求を始めた方が、ぜったいにうまくいくはず、である。そういえば、僕が大学生だった頃、一学年下の後輩たちが「浪速文化研究会」をやっていて、たこ焼きカルチャーの研究もしていたな。粉もん研究ってあったような・・・。そういう古い記憶がよみがえってきたので、これはご縁、とばかりにOKを出した。
で、今日のゼミ合宿での発表は、ある意味ですごかった。
「たこ焼きと世界平和の関係を調べたい」
す、すごいです。でも、よくよく伺ってみると、人種差別はたわいのないことで、人々を差別している。肌の色の違い自体に問題がある訳ではない。人間が、それを問題化しているのだ、と。同じように、銀だこと大阪のたこ焼きのどちらかが優れているか、も人為的ではないか。たこ焼き自体が悪いのではなく、そこに優劣を付ける人間の考え方に問題があるのではないか。
確かにそういわれてみれば、エスノセントリズムやナショナリズムの問題も、国境や民族間で線を引いて差違を際だたせている人間の方に問題があるわけで、この差違の問題をきちんと考えたら、たこ焼き論争にも応用できるの、かもしれない。そう思えば、このたこ焼き研究は結構深いのかもしれない。合宿の中で、こんな議論が深まっていった。
そして、おもしろいのは、そういう風に殻を破ってトキメキを表明する学生が現れると、その学生に背中を押されて、自らのトキメキや実存と結びつく話をし出す後輩たちが出てくる、ということだ。今回の合宿では、つりと哲学、とか、関ジャニと私、とか、そういう議論が展開されていく。もちろん、つりも関ジャニもたこ焼きも、僕の専門ではない。でも、自分の専門で区切りをつける、というのは、あくまでも僕自身がコントロールしようという、管理や支配型の思考だ。そう、今日のゼミ合宿をしていて気づいたのは、実は僕自身が、管理や支配的なゼミ運営を放棄した、ということなのかもしれない。僕が専門として指導できる範囲の内容に無理して学生たちを押さえ込もうとしたら、どうしてもその鋳型にはまらない学生たちが出てくる。そのとき、僕の考えを押しつけるのではなく、彼ら彼女らのトキメキに正直であってもらう。その結果、僕がぜんぜん専門外のテーマになったとしても、そこから出たとこ勝負で応援するしかない、そう踏ん切りができたのかもしれない。
こうなると、ゼミ合宿の意義は大きくなってくる。
僕がある程度予想や予見可能性が高いテーマであれば、合宿をしなくても、ゼミという限られた時間内でもコントロール可能だ。だが、学生たちの主体性や自主性、トキメキやワクワクを大切にする、ということは、彼ら彼女らの本音や想い、願いにじっくり耳を傾けなければならない。3年生は8人、4年生は4人いて、毎回のゼミで何名かに発表してもらい、全員から質疑応答してもらうスタイルでゼミを進めているのだが、このじっくり聴く、ということは、どうしても限られたゼミ内では限度がある。すると、どこかで一度根を詰めて、時間を気にせず、ゆっくり語り尽くす場面が必要になる。
すると、木曜午後の1時間半〜3時間、僕の研究室で、という限られた枠組み、時間内、のスタイルが、その彼ら彼女らのトキメキやワクワクを表明する上で、限定条件となる。もっと本気で自らも語り、仲間の語りに耳を傾ける、というある程度の時間とゆとりをもった集中的な議論の場がないと、その個々人の実存と向き合うことはできない。よって、ゼミ合宿は、そのような殻を破る場、となるのである。
今年のゼミ合宿も、多くの学生たちが、普段のゼミより何歩も自らの内側に入り込んで、内面に切り込んだ、自らの実存に密接に関連するテーマで発表をしてくれた。その後、議論もずいぶん深まった。土曜の午後の4時間半、そして日曜の午前の3時間半、と合計8時間の、実に濃密な時間。それは、あたかも蛹が繭の中で、孵化する時間のような、24時間寝食を共にする、濃度の濃い、かつゼミ内で閉ざされた時間と空間。だが、そういう共振の場の中で、共有化がはかられ、やがてその中から、一人一人のゼミ生のオリジナリティが生まれてくる。それが、非常に興味深い内容として発展し、他のゼミ生に伝播する。
このような間主観的な相互作用が現れる場として、ゼミ合宿は非常に効果的だな。
5回目にして、ようやくその効能が少しは言語化できたような気がした。

「箱の外に出る勇気」

表題のフレーズは、スタンフォード大学の別府晴海先生の名言である。以前のブログでもご紹介したが、改めて、ご紹介する。

「新しい概念を創出することが『箱の外に出る』ことだと思います。『箱の外に出る』ことは必ずしも生産性のある創出にはなりませんが、『箱の外に出る』勇気が、学問にはいると思います。英語でもthink outside the boxと表現します。『自己の呪縛を乗り越える』と同時に、『(学問上の)常識(ドミナントストーリー)の呪縛を乗り越える』ことだと私は理解しています。」(東洋文化92号、p12)
この「箱の外に出る勇気」は、学問だけで無く、日本社会のあちこちで必要とされている勇気だな、と感じている。
例えば、いじめ問題について。
ふと、ツイッターを読んでいて、ある知人が昔いじめられていた、という呟きに接した。その時、彼女は「窓際のトットちゃん」が、自分に自信を持ち続けるためのよりどころだった、と。その気持ち、僕にもよくわかる。
僕もトットちゃんは、貪るように何度も何度も読み返した。いつの間にか、その本は実家からも無くなっていたけれど、それはその本が必要なくなるくらい、僕の心の中に刻み込んだからかもしれない。トットちゃんは、言わずもがなの黒柳徹子さん。そのたぐいまれな才能も、最初の学校では「不的確」と診断されていた。窓の外のおじさんに呼びかける、絵を描いたら画用紙をはみ出して机にまで書き出す。こういう「状態」を見ると、今ならすぐにでも「○○障害」「○○病」、とラベリングがされるかもしれない。
でも、トットちゃんは違った。自分を丸ごとうけとめてくれるトモエ学園や小林先生がいた。(そう言えば等々力渓谷という言葉はトットちゃんで覚えた) トットちゃんの行動は、逸脱でも問題行動でも何でもなく、丸ごと受け止められ、みんなからも祝福され、そして愛された。その経験が、トットちゃんの根底的な生きる自信につながり、やがて大スターに育っていった。
この話を重ね合わせながら、そう言えばトットちゃんの世界に浸っていたのは、僕が「箱の外に出る勇気」を持ち合わせていなかった、小学校5,6年生の頃だったな、と思い出す。
あの頃、僕は毎日が本当につまらなかった。毎日が嫌で仕方なかった。マンションの11階に住んでいたのだが、「ここから飛び降りたら楽になれるのだろうか」とばかり考えていた。僕は、クラスの中でいじめられていた。
「ここじゃないどこか」への憧れ。それは、狭いクラスという世界内に閉じ込められ、そこで自らが肯定されず、毀損され続けることへの、大いなる反発でもあった。でも、当時10才のタケバタヒロシには、そういう「ここじゃないどこか」が、どこにあるのかわからなかった。あまり読書家でもなかったので、かろうじてトットちゃんを読み、桂川の河川敷を自転車でブラブラしながら、退屈な毎日、嫌な日々に倦んでいた。
なぜ今、こんなことを書いているのか。それは、今が、その当時の僕と比べたら比較にならないほど、めちゃくちゃ楽しいからだ。
3年まえに始めた合気道はやっと一級までこれた。次はいよいよ憧れの袴・黒帯の世界への挑戦。最近やっと様々な技の理屈が身体に馴染んできて、技が見えるようになってきて、すごく練習が楽しい。テニスも長らくお休みしていたが、うちのテニス部の学生コーチに教わったら、やっとサーブが入るようになってきた。イタリアから帰ってきて始めたイタリア語基礎文法の教科書は、7月末までに終える、という目標を達成できた。この夏は網笠山や甲斐駒ヶ岳の山登りにもチャレンジしようとしている。
と書くと、趣味の世界ばかりだが、仕事の世界も、楽しい。もちろん、義務的な関わりはゼロでは無いけれど、ゼミや講義の中身も、ここ数年、教えている僕自身の方がワクワクと楽しめている。研究も、単著用の原稿を書き終えた後にイタリアの精神医療改革の事を勉強し始め、社会を変える為の思想史を学び直そうと充実している。今日で講義は終わるけど、夏に研究したい課題は山ほどある。
こんな、仕事も遊びも、そして家庭環境も満足する日がくると、10歳のタケバタヒロシは想像もしていなかった。あの頃の記憶はほとんどなく、退屈そうに自転車でブラブラするか、ベランダや廊下から下を眺めて「ここから飛び降りることができるよなぁ」と考えていたイメージだけが強烈に残っている。そういう、「箱の中」の狭い記憶。
思えば、その後四半世紀かけて、ずっと「箱の外」を希求し、そこに「出る勇気」を持つために、試行錯誤してきたのかもしれない。小学校のクラスの中、という狭い狭い「箱の中」での権力関係や同調圧力。それが嫌で嫌で仕方なかった。でも、出る術をしらなかった。僕にとって、そこから脱出する術は、特に運動に対する苦手意識も強かったので、勉強しか無かった。中学校で出会った塾に救われ、塾長に対して議論をふっかけてもきちんと受け止めてもらった経験が、少なからぬ自信につながった。その塾で、議論が出来る仲間にも出会った。そして、高校、大学、と、京都市南区吉祥院という狭い世界以外の人が集う場に出かけた事により、僕の世界観、価値観は急激に広まった。予備校生の時、大阪の十三まで通ったことが、結果的に京都の呪縛(つまらん盆地根性)から離れるために大切だった。京都大学を志望したのに、センター試験で点数が足らずに阪大に入ったことが、その盆地根性から抜け出し、結果的に今、研究者になるための大切な条件だったのだから、不思議なものだ。
そうやって、徐々に世界観を広げる中で、自分自身の関わる日常世界や「世間」の狭さに気づき、その「箱の外」に拡がる世界の広さに驚き始めた。「箱の中」しか知らない人間にとって、その箱が何か、は問わないお約束になっている。「どうせ」「しかたない」と諦めの対象だ。だが、たまたま中学以後、自分自身が諦めずに変わるきっかけをもらえたから、承認される場を得たから、トットちゃんと同じように、自分の中で小さな自信が生まれ始めた。そこから、世界が変わり、気づけば今、甲府にいて、楽しい毎日を過ごせている。
大津のいじめ事件の報道は、ほとんど見ていない。だが、その繰り返される惨事に接していると、日本社会の「箱の中」の同調圧力の強さというものが、苦々しい記憶と共によみがえってくる。そんなしんどい境遇のただ中にいる人に、「大人になったら楽しいこともあるよ」なんて、無責任な事は言いたくない。でも、その自らの辛い環境が「箱の中」であると気づく事。そして、その「箱の中」から「外に出る勇気」を持てば、そして実際に外に出てしまえば、箱の中が実にちっぽけな、どうでもよい世界だったことに気づくのである。その、世界「間」移動を果たすことが出来たからこそ、今の学校教育という「箱の中」の構造的問題性が、やはり気になるし、ここは変えてほしいと思う。個々の教員や学生の問題では無く、これは管理教育とか、少人数学級に出来ない人員配置とか、そういう社会構造の問題である。
でも、その一方、今、しんどい思いをしている、四半世紀前の僕に向かっては、こう伝えたい。
「箱の外には、実におもろい世界が拡がっている。それを見つけるために、つまらん箱の中の流儀に縛られている必要はない。箱の外に出る勇気を持って、旅に出よう。そのために、本を読んだり、あるいは運動したりして、自分の中で、基礎体力・人間力をつけよう。そうして、嫌な時期が過ぎ去るのを待つのだ。嵐の中ではドタバタもがくより、今自分が出来る基礎体力・人間力作りをコツコツ積み重ねる方がいい。止まない嵐はない。嵐が止んだ時、船出すればいいのだ。死にたい、なんて考えていても、何も変わらない。自らが変わるための努力をする中で、嵐がやんだその一瞬のタイミングを捕まえ、脱出しよう。そのために、力をつけるのだ。」

産婆役という”かまえ”

昨日、ゼミ生から相談を持ちかけられる。これからの生き方に困惑して、どうしていいのかにっちもさっちもいかない、というご相談である。家から外にも出られず、悶々としていた、という。確かに顔の表情はこわばり、身体の動きも硬い。最近ゼミに顔を出さず、昨日のゼミも、先輩に相談してやっと出てこれた、という。

そういう学生さんを前にすると、講演や講義の時とは違う僕のモードが到来する。それは「対話」モードである。
昨日のゼミ生も実際に語っていたが、僕の前に相談に現れる学生達は、何らかの具体的なアドバイスを求めて現れるわけではない、という場合も少なくない。アドバイスを聞いてすぐに実行できるくらい余裕があれば、何もこんなに困り果てない。まず、自分の中でその困惑の正体が掴みきれず、どこから考えていいのかわからず、濁流の中に飲み込まれたように、とにかく困惑の海の中で疲れ果てている、という状態のこともある。
そういう学生さんと「対話」する際、まず大切なのは、じっくり時間をかけること、である。
木曜日は4限がゼミの時間だが、その後も、だいたい予定を入れないでいる。すると、ゼミを延長することもあるが、昨日のように特定のゼミ生とゆっくり対話する時間も出てくる。そういう時間的な余裕があれば、次にすることは「待つこと」である。
どう言っていいのかわからず、何から話していいのかわからない。そんな彼ら、彼女らが、でも僕を前にして、一生懸命、言葉を発しようとする。それは、未分化な気持ちや想念を具現化する、という意味で、「言分け」であり、身体全体から言葉を絞り出す、という意味で、「身分け」でもある。(言葉によるゲシュタルト化としての「言分け」、生身のアクチュアリティで世界を分節化する「身分け」については、丸山圭三郎の『言葉と無意識』講談社現代新書を参照)
そういう、ゼミ生の中から「世界が立ち上がる」瞬間に、間主観的な存在としてたたずむ僕。相手の「言葉」が「分かれて」くる瞬間を信じて、待つ僕。こう位置づけると、僕の役割は、助言者や指導者、ではなく、ソクラテスのような「産婆役」である。大切なのは、今、世界に向けて「身分け」をし、その中で自らの言葉を「言分け」ようとしている彼・彼女の呼吸に同期させていくことである。その波長をシンクロナイズさせていくなかで、そっとお餅つきの返し手のように、時には言葉を添える。すると、波長が合致してくるので、深い部分で、ゼミ生の中に、声が、届く。そこから、堅い殻の中に閉じ込めていた何かが、少しずつ融解し始める。そして、言葉が、出てくる。
生命が誕生する時と同じように、言葉が誕生する時、それはおずおずと、少しずつ、振り絞るように出てくる。時には、涙が先行する場面も少なくない。でも、そうやって、「身分け」しながら、そのプロセスの中で「言葉」が「分け」られていくなかで、全身を覆っていた緊張感が少しずつ、溶けていく。その中で、とつとつと、少しずつ、言葉が増えていく。
こういう場面に身を置いた時、しばしば、「お忙しい先生に時間を割いていただき、ご迷惑をおかけして、すいません」とお詫びされることがある。でも、僕は、昨日も次のように、返礼していた。
「あなたと共に、こうやって時を過ごす中で、僕はあなたから何らかの『元気』を頂いています。それは、二人の間で分かち合うものが増え、そしてあなたがそのわかちあいの中から、何かを産み出しつつある、その過程を共に出来たからこそ、頂けた気です。また、僕自身が、あなたの役に立っている、ということから得られる気でもあるのです。」
むかし、相談への「かまえ」が出来ていなかった頃、「取るべき責任と取ってはいけない責任」を理解していなかった頃、僕は相談を受けることにクタクタになっていた。だが、ゼミ生に鍛えられる中で、少しずつ、対話の”かまえ”のようなものを身につけ始めた。こちらから投げかけるのではない。相手から出てくる何かを、ただ信じて待つ。その中で、産婆役として、そっと手を添える。しかも、控えめに。
そういう波長を合わせる産婆役に徹していると、新たな言葉という「生命」が立ち上がる瞬間に出会えるのかもしれない。

精神医療における「自愛」と「自己愛」

安冨先生にご恵贈頂いた『生きる技法』が非常にわかりやすくて刺激的だったので、3・4年ゼミ生全員に読んでもらい、数回のゼミで議論をし続けている。その中で、特に学生達にとって議論が深まった論点の一つに、「自愛」と「自己愛」の違いがある。安冨先生は、次のように命題化している。
【命題3】 愛は自愛から発し、執着は自己愛から生じる
【命題3-1】 自愛とは、自らその身を大切にすることである
【命題3-2】 自己愛とは、自己嫌悪を埋め合わせるために偽装することである
【命題3-3】 自己愛はいつも不安と隣り合わせである
【命題3-5】 自己愛を満足させるために、他人の美点に欲情することが、執着である
(安冨歩『生きる技法』青灯社)
これらの命題を僕なりに解釈し直すなら、自分のあるがままの等身大の状態を受け入れ、認める事が「自愛」である。一方で、今の自分をそのまま受け入れることが出来ず、他者との比較の中で自己嫌悪に陥ったり、あるいは「他人の美点に欲情」し、あこがれて執着することが、「自己愛」である。自らの今を認めることなく、他者との比較という相対軸の中でのみ自らを捉えようとするから、「自己愛」は不安状態の継続であり、「自愛」より振幅の幅が大きい。よって、「自己愛」の状態の人は、「自愛」の人と違い、もたれかかったり罵倒したりする相手に依存的である、とも言える。そのことを、安冨先生は次のようにも命題化している。
【命題11-4】 何かに強く憧れているとすれば、それはあなたが自己嫌悪に囚われていることを意味する
【命題12-1】 自己嫌悪は、他人(親や教師など)に押しつけられたものである
【命題10-2】 夢を実現する過程で得られる副産物が、あなたの糧になる
憧れと自己嫌悪は、不安に基づく「自己愛」のポジとネガの関係にある。そのどちらとも、他者との比較しか存在せず、しかも「他人に押しつけられたもの」でもある。実はゼミ生と議論をしていて、一番ゼミ生が困惑していたのは、「憧れ」と「夢」の違いである。「憧れ」は本当に悪いモノなのか。成長するためには、憧れは大切なのではないか、と。だが、この部分も、安冨先生はわかりやすく指摘している。
「魂がいるべき場所とは、言うまでもなく、この私自身です。そこを離れるというのは、つまり、自分が嫌になっている、ということです。自分の外部にある名声だとか都会生活だとかいった、どうでもいいものを『理想』として設定してしまい、それを手に入れていない自分は駄目な奴だと思い込まされている。そうすると、魂がふらふらさまよって、茫然自失してしまいます。それが『憧れる』ということです。」(同上、p150)
夢は、自らの内部から沸き出でるもの。それに対して、憧れは、他人やメディアから押しつけられたもの。こう整理すると、見通しがよくなる。自分の中でワクワクして、こんなことをしてみたい、と気づいたら思ってしまっている夢。一方で、憧れとは、今の自分への自己嫌悪に基づき、「ここじゃないどこかへ」を希求すること。しかし、どこか、はハッキリとは定まっていない。とにかく、自己否定と自己嫌悪の反転として、何でもいいから「理想」を設定し、それへ憧れて茫然自失になっていること、を指す。よって、「憧れ」だけでは、何も始まらない。一方で、夢とは自らの中から湧き出すもの。それに向けて一歩一歩成長する中で、自らの個性化に向けた道が進み始める(そのことは、少し前のブログで触れた)。だから、その夢が実現したかどうか、には関係なく、「夢を実現する過程で得られる副産物が、あなたの糧になる」のである。
さて、この補助線があると、「自愛」と「自己愛」の違いが見えてくる。それを、僕自身は今、イタリア語学習で実感している。
前回のブログでも触れたが、イタリアからの帰国後に始めたイタリア語文法学習が、途切れることなく毎日続いている。大学生の時にドイツ語学習に失敗した記憶があって、「どうせ」「むりだ」と思い込んでいた。だが、それは「英語以外の外国語がペラペラしゃべれる格好いい人になりたい」という憧れと、その反転としての、「俺には語学的才能がない」という自己嫌悪という「自己愛」の枠組みに埋没していたからであった。そのことに気づいた今、「自己愛」では語学は身につかない事も痛感する。なぜなら、憧れも自己嫌悪も、つまり「自己愛」には、ワクワクする学び、や、それを喜んで継続・反復しよう、という動機と実践に欠けているからである。自らが行動や努力を主体的に我が事として引き受ける、という自発性と有責性が、「自己愛」には欠けている。
「自己愛」に基づく他者への憧れと自らへの自己嫌悪、は、「どうせ」「むりだ」「しかたない」という「出来ない100の理由を並べる」動機にはなっても、「出来る一つの方法論を徹底的に模索する」ことにはつながらない。だが、「出来る一つの方法論の模索」とは、「自愛」に基づく夢の実現に向けた、自らのメタモルフォーゼのプロセス(=つまりは個性化)そのものである。
ながーい前置きになったが、今日一番論じたいのは、表題にも書いた精神医療における「自愛」と「自己愛」の話である。だが、別に臨床における「自愛」と「自己愛」の違いを語りたいのではない。今日ここで議論の遡上に上げたいのは、精神医療構造の「自愛」と「自己愛」の問題である。端的な問いで書くと、
・我が国の精神医療は、自己嫌悪と憧れに基づく「自己愛」の枠組みから抜け出ていないのではないか?
・脱精神病院というのは、精神医療の従事者が「自愛」に基づく「個性化」を果たす上で、必要不可欠な過程ではないか?
という二点である。この問いを一つにまとめるなら、「取るべき責任と取ってはいけない責任」をごっちゃにしていませんか?となる。
以前のブログにも書いたが、精神医療が対象として扱うのは「生きる苦悩」が最大化した(しつつある)人々である。幻覚や幻聴、妄想や問題行動という形で先鋭化した何かの背後には、この日本社会の中で、組織や家族の中で、他者との関わり・つながりの中で、あるいは自分自身の存在そのものと向き合う中で、生きる苦悩がきわまり、自分ではコントロールできず、にっちもさっちも行かなくなった、という背景がある。以前は、その「生きる苦悩」の最大化の表現手段としての「問題行動」に対して、「縛る・閉じ込める」という方法論しかなかった。だが、20世紀の中庸以後、そこに「薬」というものが登場し、制圧可能に見えた。
このことを、一般医療と精神医療の比較軸で並べてみるとわかりやすい。精神医療は、一般医療と常に「比較」して、一般医療ほどの「エビデンス・ベースド」になっていない事への自己嫌悪に陥っていた。逆に言えば、一般医療に近づきたい、という「憧れ」があった。それが、生物学的精神医学への過剰な傾倒や、脳科学への絶対帰依とも言えそうな信仰につながっていく。ドーパミンの動きに作用を及ぼせる薬があれば、きっと行動化は収まるはずだ、と。だが、この推論には、この生物学的な発想が主流を極める一般医療への憧れと、そこに近づけていない精神医療への自己嫌悪に基づく、「自己愛」の構造の部分があるのではないか、と。
繰り返しとなるが、精神医療が対象にしているのは、「生きる苦悩」に向き合うことである。この際、重要で当たり前なことを書くが、「生きる苦悩」とは、「この社会の中で生きる苦悩」のことを指す。脳の気質や機能という生物学的な領域で収まることのない、特定の時代、文化、社会、組織、家庭環境・・・に育つ中で極大化した「生きる苦悩」である。それを、生物学的な視点のみで捉えることに、そもそも捉え方の問題性や限界がある。もっと言えば、「生きる苦悩が最大化した人への支援」に、精神科医が出来る事には限界がある。
薬や精神療法で、その「生きる苦悩」が収まる部分も、もちろんある。その意味では、反-精神医療、つまり精神医療を全否定するつもりはない。でも、精神科医が出来る事には限界が有り、投薬や精神療法以外のことも、「生きる苦悩」に寄り添う支援には必要である。つまり、精神科医が出来る事には限りがある、という自らの限界性に気づく事。この自分のあるがままの等身大の状態を受け入れる、という意味での「自愛」が、今の日本の精神医療に欠けている部分ではないだろうか。だからこそ、イタリアやアメリカのような、脱精神病院やACTのような動きを見ても、「あれは日本には無理だ」「どこかに重病者が隠されているに違いない」「ホームレスになるはずだ」と「出来ない理由」ばかりを探しているのではないだろうか。
日本の、特に民間精神病院の経営者医師に問われているのは、自らが取れない責任まで取ろうとして入院患者を囲い込んでいる、という等身大の事実に向き合うことだろう。この、ありのままの自分を認めること(つまり「自愛」)が出来ないと、いつまでも自己嫌悪と憧れの「自己愛」モードから抜け出せない。政治家が悪い、とか厚労省が悪い、とか、地域の反対運動が大変だ、とか、「出来ない100の理由」を並べて、囲い込みの悪循環に嵌まる。だが、それは本来民間病院が「とるべき責任」を超えている。「取ってはいけない責任」を担わされているのである。
精神医療は、「生きる苦悩が最大化した人々」への、寄り添う方法の、一手段として機能はしている。これは統合失調症や躁鬱病だけでなく、発達障害や依存症にもあてはまるだろう。だが、精神医療「のみ」が役立つのではないし、精神医療が全能だと考えることは、「自愛」ではないく、「自己愛」の思想である。
イタリアで見たチームでの実践は、日本で言うところのチーム医療という枠組みも超えていた。ある利用者が、何らかのトラブルを抱えているとする。すると、その利用者に対して、医師は精神医学的な所見を述べるが、それに対してナースやOT、ソーシャルワーカーが、別の視点から別の見立てを述べる。コメディカルは「医師の指示の下」という呪縛には嵌まっていない。生活場面で生じたその人の生きる苦悩の最大化場面に対して、互いの専門性の観点から、どういう寄り添う支援が出来るのか、を議論して、方針を定める。もちろんそこには、本人の意見や考えが第一義的に尊重される、という前提もある。
精神病院だけで責任を取ろうとしない。医者が最終責任を全て引き受けようとしない。でも、無責任ではない。医師も看護師もコメディカルも、お互いの「取るべき責任と取ってはいけない責任」を自覚し、その中で、最大の努力を果たそうと連携する姿であった。これは、全能感への憧れや、その反転としての自己嫌悪といった「自己愛」とは真逆の、等身大の自分自身の出来る事を追求し、出来ない部分は多職種で連携する、という意味での「自愛」の思想に基づくチーム支援であった。
個々の専門家が、本当に自らの技量を磨き、個性化を果たして行くためには、まず自らの限界性を知る必要がある。だが、我が国の、特に精神病院の現状は、その自らの限界性を見ることなく、患者さんを病院の中に溜め込んで、パターナリスティックに囲い込み、医療化することによって、憧れと自己嫌悪に基づく「自己愛」を育み続けてきたのではないか。だからこそ、入院患者が治らないということに自己嫌悪して、ますますその現実を直視せず、患者を溜め込み続けているのではないか。それが、人口比で他国の5倍以上の入院ベッド数を持つに至ったのではないか。そして、今進行しているのは、従来の入院患者が入院してくれないから、と、認知症患者を精神科病床に穴埋めすることによって、自らの自己愛を増殖させよう・生き延びさせようとする努力ではないか。
安冨氏は、自己愛について、こんなことも書いている。
【命題4-1】 自己愛は、他人を犠牲にする
【命題4-2】 他人を愛することは、自己愛の否定による
「生きる苦悩」が最大化する中で、精神医療に救いを求めて来る人々。その人々を「犠牲」にして、憧れと自己嫌悪の手段として収容や囲い込みを行うのは、自己愛型の精神医療である。今、精神医療に求められている質的転換とは、その人々の「生きる苦悩」に寄り添いながら、精神医療に出来る事には限りがあることを、率直に認めること。その上で、元患者や家族、行政や地域の人々も含めた、医療保健福祉の枠を超えた広い支援チームをつくり、その「生きる苦悩」を抱えた人に寄り添いたい、と希求すること。このような、自己愛を否定し、患者の真の個性化や自己実現を希求するという「他人を愛する」姿勢を持つ「自愛」の存在となること。
抽象的に書いたが、日本の精神医療の構造に求められる質的転換とは、この部分が大きく関わっていると感じる。そして、精神医療に携わる人々も、憧れや自己嫌悪ではなく、脱精神病院や地域精神医療の実現といった、夢のある精神医療を実現する過程に、真剣に関わって欲しい。そう、強く感じる。

まず、自分から変わる(連作4)

ずいぶん久しぶりのブログである。

海外に出かけている間は、エアポケットや真空状態のように、ぽこっと予定があき、開放的になり、楽になる。だが、直前まで仕事を根詰めたり、帰ってきてから溜まっている雑事に格闘するうちに、旅に出かける前の日常的世界に逆戻りする。それが、これまでのパターンだった。
だが、今回のイタリアの旅の後、もしかしたら少しだけ、それまでのパターンと変化が生じ始めているのかもしれない。それが、Io studio l’ italiano! そう、前回のブログで書いて以来、イタリア語の勉強が進んでいるのである。
正直、続くかどうか半信半疑だったので、自分自身が本当にびっくりしている。というのも、大学の第二外国語で、カントやヘーゲルやウェーバーを原書で読めたらかっこいいな、と、そもそも日本語でも読んだことがない哲学者・思想家への形だけの憧れでドイツ語をとって、本当に苦労した失敗の記憶が大きいからだ。そもそも、あのころは、やっと終わった受験勉強の反動で、しっかり勉強したい、という意気込みもなく、そしてドイツ語世界に対して具体的な願望もなかったから、まったくご縁がなかったのかもしれない。
さらにいうなら、今から8年前には、スウェーデンに半年も住んでいたのに、スウェーデン語は本当に挨拶程度しか出来ない。今から思えばイエテボリの語学学校もあるはずだし、そこに通っていたら、もっといろんなやり取りが現地の人とでき、そこからネットワークが広がったのかもしれない。だが、あの当時、とりあえず半年間で調査の成果をあげることに必死で、かつ「スウェーデン語が出来る日本人の福祉研究者はたくさんいるから、僕がスウェーデン語を学んだってしょせん・・・」と、思い込んで、語学学習に蓋をしていた。いや、そう思い込んで、怪しい英語(ブロークン・ぐろーびっしゅ?)でとにかく課題と向き合うことに必死だった。妻と二人、初めての海外生活で、サバイバルに必死だったと思う。
そういう苦い経験が重なるなかで、「英語を何とかこなすことは出来るかもしれないが、他の言語を僕は獲得するのは無理だ」と思い込んでいた。
だが、今回のイタリアでは、「Si puo fare! (やれば、できる!)」のアイデアをたくさんもらって帰ってきた。極端に言えば、ねじが一本、外れてしまった。
このブログで何度も書いてきたが、僕は「どうせ」「むりだ」「しかたない」という壁と向き合う機会が多い。たとえば、金曜は入所施設の職員労働組合に呼ばれて講演をしたが、そこでも「改革なくして改築なし」と仰る労組の方々に対して、「そもそも改築したら、入所施設をなくすことは出来ないのではないですか? もともと施設ありき、という発想そのものが、どうせ重度の知的障害者は地域生活は無理だ、しかたない、という思い込みに基づいていませんか?」と問いかけていた。
前回のブログでも述べたが、イタリアから帰国して感じるのは、日本はやはり、価値前提の問いかけに関しては「どうせ」「むりだ」「しかなたない」と、問いを発しない(=所与の前提とした)上で、その価値前提の上で、漸進的な変化をもたらそうとしているような気がしてならない。たとえば、入所施設の話でも、いかにそこでの待遇をよくしようか、という漸進的改善については、労働組合の皆さんは必死になって考えている。でも、それは「入所施設は今後も必要だ」という価値前提を所与の前提にしたうえでの考えである。この前提自体を疑い、「やればできる」精神で変えていこうとするのか、と言われると、しり込みする人が少なくない。そして、実は価値前提への問いとは、エネルギー問題や政治改革、社会保障改革など、私たちの生活全体に突きつけられている課題である。
にもかかわらず、価値前提については「どうせ」「むりだ」「しかたない」と蓋をして問わずに、小手先の技術論的課題だけで「国論を二分する」と言わしめる問題がどれほど多いか。消費税の増税、原発の再稼動、政界再編などの論点を巡っても、価値前提については問わずに事象や出来事だけを問うているので、そのときの気分や空気で流される議論が展開されている。だが、出来事の背後にあるパターンや構造、それを突き動かす価値前提をも見抜いて、「本当にそれでいいの?」という問いを発しないと、結果的に「井の中の蛙」のようなむなしい議論の枠の中から出れないのではないか。マスコミで報じる政治家や官僚の動向、だけでなく、「街の声」を聞いていても、あまりに空気に基づく小手先の感想が多く、またそれを選択的に取り上げるマスコミも少なくなく、うんざりしてしまう。
そして、それを「○○が悪い」と他責的にすごしたくもない。とはいえ、僕自身が大きな政治的課題に、他責的にではない形で今すぐにコミットするだけの準備も心構えも出来ていない。そんな中で、自分から出来る、自分の中での変容とは何か。それが、冒頭に戻ると、イタリア語の学習なのである。
他人に「どうせ」「むりだ」「しかたない」と諦めるな、と訴えている人間が、そもそも自らの第二外国語に関しては、その諦念を「しかたない」としていませんか、と。それって、自己矛盾ではありませんか、と。
もちろん、「バザーリアの実践をイタリア語で読みたい」というのが、最大の動機であることに間違いはない。でも、それだったら、ノーマライゼーションの原理について、スウェーデン語のニィリエの文献を読みたい、という気持ちはなぜ沸かなかったのか。あの時と今の違いはおそらく、知識としての学びと、実存に結びつく学びの違い、かもしれない。価値前提を問う現象学的精神医学を、トリエステ語と言われるバザーリアの論理を読み直す中で体得したい。それを通じて、自らの、支援枠組みの、そして日本社会の価値前提を問い直す論理を強固なものにしたい。そのためにも、まずはイタリア語の文法をきっちり身につけたい。
今回、そういう具体的な目的がはっきりしているから、語学学習の戦略もぶれない。イタリア語を学ぶ前に『外国語上達法』(千野栄一、岩波新書)『わたしの外国語学習法』(ロンブ・カトー、ちくま学芸新書)などを読んでみたが、これらの本に書かれていたのは、
・文法を、単に暗記するのではなく、法則性を理解し、日本語とどのように違うのか、を意識して学ぶと頭に入りやすい
・反復こそ、忘却に打ち勝つ最大にして古典的な方法
・週に10~12時間の学習時間を確保すべし
ということであった。
そこで、これらの原則に則って、イタリア語の文法書を7月末に終わらせる目標を立てて、取り組み始める。CDもipodに取り込んだ上で、出張する日は移動の電車内で、普段は朝に原則1コマ分、テキストと向き合っていく。男性名詞と女性名詞、あるいは冠詞の変化、と聞いただけでドイツ語の悪夢を思い出しそうになるが、上記のようなビジョンが明確なので、三日坊主にならずに、進んでいる。そして、こうやってブログに書くことで、ますますイタリア語学習が不退転になるように追い込んでいる。(なので、僕に今度あったら「続いている?」と尋ねてください(笑))
今のところ、規則動詞の変化あたりまでは、非常に順調に、楽しく学べている。これが時制の変化あたりで躓くのか、そのままスルッと文法書を越えられるのかは、わからない。でも、自分の潜在的な可能性が見開かれるような、そんなワクワク感が、現時点では僕の中で渦巻いている。その渦の勢いをとめてしまわないように、「やれば出来る!」の精神で、まず自分自身から変わることが出来ないか。そして、この一見すると非常に個人的で、デタッチメントに見られる内発的な穴掘りも、その穴を掘り下げ続けていくうちに、どこかで広い社会とのアクセスが出来る場面があるのではないか。他責的に陥ることなく、僕の中での閉塞感を越える突破口は、このイタリア語学習の中にあるのではないか。そんなことを夢見ながら、今日もこつこつ参考書に向かうのであった。

Si può fare 連作その3

「旅をするたびに私は、まるで空井戸に落ち込んだ子供みたいに、行く先々の現実にすっぽり溶け込んだようになって、それまでいた場所を忘れ去る。そればかりか、そのつぎに自分が行く、あるいは帰るはずの場所についても、まったく思考が働かなくなるのだ。ウラシマタロウ症候群とでもいえばいいのか、落ち込んでいる井戸の底でオトヒメサマやタイやヒラメを相手に、完璧に充足してしまう。飛行機あるいは鉄道の切符や、手帳に記した予定表があるから、いついつの日に、じぶんがどこそこにいるはずだとはわかっていても、私の中には、まえもって思考をつぎの場所に移すのを拒否する依怙地な虫が棲みついているようなのだ。」(須賀敦子『トリエステの坂道』新潮文庫、p174)
昨日、イタリアの研修旅行から帰国した。トレントとトリエステの二つの街で、精神病院抜きの地域精神保健福祉システムがどう展開されているか、を学びに出かけた。間を挟んだ土日には、その中間点に位置するヴェネチアにも立ち寄り、イタリアの風土や歴史、文化の断片を満喫した。旅先では、イタリアで長く暮らした須賀敦子の文章を、染み入るように読んでいた。
あっという間の旅程が終わり、日本に帰国した翌日、時差ぼけでまどろむ中に読み続けた本の一節に語りかけられたのかもしれない。
「もうまもなく、『落ち込んでいる井戸の底』での『完璧に充足』した日々のアクチュアリティは消え去るかもしれませんよ。書くなら、『依怙地な虫』が死に絶えていないうちにね」
日本に帰ってきて、メールやらツイッター、FBなどの「つながり」の輪に、別に拒否してもいいのに自発的に埋没していくと、確かに急速に陸に戻ったウラシマタロウのように「オトヒメサマやタイやヒラメを相手」にした記憶がすり抜けていく。それとともに、かの地でつかの間に解き放たれた「しがらみ」の鎖に、自らつながれていくのを感じる。その違和感を表明し、出来れば解き放たれていた時期のアクチュアリティを、まだ記憶が薄れぬうちに、備忘録的に記しておきたい。
イタリアで最も学んだこと、それは一言で表せば、”Si può fare”、日本語に訳せば「やれば出来る!」だ。
精神病院を本当に閉鎖し、総合病院の精神科病棟も最小化できる。その実践を、先進地のトリエステだけでなく、別の形で展開しているトレントでも見てきた。イタリアに出かける前のブログで二回ほど書いたが、統合失調症やうつ病、などの疾患別の分類と診断にエネルギーを注ぐのではなく、その人が抱えている、病を発病するまでに至った、極大化した「生きる苦悩」に寄り添い、時には薬を使い、あるいは薬を使わなくても、その苦悩を本人と共に縮減していくなかで、病と共に生きる術を取り戻す支援。それが、本当に二つの街で実践されていた。トリエステではこの考え方を、移民や高齢者支援など、他のマージナルな存在とされた人々の地域福祉の実践にも応用していた・・・。
このあたりの事実は、僕もそのうち文章でまとめるだろうし、あるいは今回の研修に参加された他の精神科医や研究者が書いてくれるかもしれない。そしてその大半の事実は、研修団長を務めた大熊さんの本に書かれている内容でもある。にもかかわらず、現地に行って良かったと思うことであり、まだウラシマタロウ症候群の間に書いておきたいのは、日本的な同調圧力のネジが緩んだイタリアで感じた開放感と、「やれば出来る!」のアクチュアリティである。
「空井戸に落ち込んだ子供」状態の僕が、その異世界で眺めたのは・実感したのは、人間の可能性をとことん信じ、その可能性にかけた人々の具体的な姿だった。
「精神病院は必要悪だ」「日本ではトリエステの光のみが紹介されるが、影があるにちがいない。どこかに重症患者が隠されているはずだ」「隔離拘束や電気ショックは、暴れる患者には必要不可欠だ」
こういった概念は、精神病院の経営者だけでなく、日本の精神科医療の現実という強固な枠組みの中で精一杯頑張っている人にとっても、変えることの出来ない所与の前提となっている。その自らの眼鏡「のみ」が真実であると信じ込んでいるからこそ、そうではない現実には「何か裏がある」「絶対できっこない」と思い込んでいる。だが、これが単なる「思い込み」に過ぎないことが、旅の中で明らかになってきた。
これは、非医療者の僕だけが感じたことではない。ご一緒した、日本の精神科救急やACTの現場で働く6人の精神科医も同感したことであり、旅先でもそのことは繰り返し議論し続けた。「精神病院・隔離拘束・○○はなくせない」というのは、「出来ない100の理由を考える」ことである。でも、イタリアで垣間見たのは、同じ「○○」をなくすための「出来る一つの方法論」を考え続け、それを実践に移した姿だった。
だからといって、日本人がサボっていて、イタリア人だけが偉大だ、とは思わない。これは入所施設をゼロにしたスウェーデンの実践を、半年間に渡ってフィールド調査で調べていたときに感じたことと同じである。どこの国にだって、いい人もいれば悪い人もいる。そして、スウェーデン人よりも、イタリア人よりも、日本人の方が遥かに長時間働いている。それぞれの現場で、個別的課題に寄り添おうとしている日本人も沢山いる。
ただ、厳しい言い方をすると、せっかくのその努力が「漸進的な努力」である場合が少なくない。ある枠組みを変えられない所与の前提として、その前提枠組みの中で現前化している問題を、出来る限り何とか解決できないか、と考える思考であるといえる。既存の枠組みや体系のバージョンアップやモデルチェンジを果てしなく続け、洗練させていく姿、ともいえる。これは福祉や医療だけでなく、日本のものづくりのお家芸的な部分であるかもしれない。
これがなぜ「厳しい言い方」なのか。それは、漸進的努力は、あくまで既存の枠組みや体系のバージョンアップであり、結果的にはその枠組み・体系の延命につながるからである。その枠組みや体系が依拠する前提自身が問題であっても、その前提自身を問い直し、変えることは、その漸進的努力の対象外となる。イノベーションとは漸進的努力ではなく、革新的な創発の中から生まれるが、日本ではイノベーションより、バージョンアップか、よくいってもモデルチェンジどまりである場合が多い。自立支援法だって、介護保険法と支援費制度を合体させた形でのモデルチェンジどまりで、革新的な総合福祉法の骨格提言は、障害者総合支援法という自立支援法のバージョンアップに矮小化されたことは、以前のブログで何度も書いたとおりである。
そして、残念ながら日本では、創発や革新を喜ばない風潮がある。出る杭は打たれる、ではないが、まだ見ぬ何かを語り・想起すると、「そんなのできっこない」「現実を無視している」「理想論だ」と片付けられる。確かに漸進的なバージョンアップやモデルチェンジのほうが、明らかに「現実的」であり「出来る可能性」が高い。だって、以前の枠組みや体系の枠内での移行であるので、前提は崩さなくてもよいからだ。
ただ、その前提が「精神病者は了解不能である・隔離拘束しないと対処できない」「精神病院は必要悪である」という価値前提である場合は、どうだろうか? これは事実ではなく、価値前提であり、思い込みである。しかし、日本という同調圧力の強い国では、他国にいると考えられないほど、この圧が強い。所与の前提として、絶対変えられない枠組みとして機能する。だが、それが事実ではなく、事実と誤認した価値前提であれば、話は全く別になる。以前のブログでオースティンの行為遂行的言語についてメモをしていたが、そう語ることによってその価値が事実認識され、一層強固な価値となるような言葉遣いがある。「○○は必要悪だ」という論理は、事実確認的言語ではなく、明らかに行為遂行的言語である。これは精神病院を入所施設だとか原発とかに入れ替えても、全く同じ論理である。
そう考えると、「出来ない理由を100考える」のではなく、「出来る一つの方法論」を模索する創発的な論理が非常に大切になる。それが、「やれば出来る!」の思考であり、イタリアで眺め続けたのは、その”Si può fare”の精神が結晶化した形での、地域精神保健福祉システムであった。
そう感じた僕自身、イタリアから帰って、自分自身の中で新たな”Si può fare”に挑戦しようとしている。イタリアの精神医療改革の精神的支柱を担ったバザーリアの本が原書で読みたい。そう思って、イタリアで何冊か買ってきた。もちろん、まったくイタリア語は未知の世界。でも、他人を批判する前に、自らの”Si può fare”に挑戦しようとしている。三日坊主にならないためにも、ここに宣言しておく。(大丈夫か、おい・・・)

絶望的なアピールと人間的苦悩 連作その2

精神病院をなくしたイタリアで、その改革を主導したのが、故フランコ・バザーリア医師。彼の足跡を辿った映画C’era una volta la citt dei mattiが公開され、そのDVDがAmazonでも販売されている。

師匠からそのDVDをお送りいただき、昨日見ていた。イタリア語のストーリーで英語の字幕、だが、十分に楽しめる内容だった。以前、「人生、ここにあり!」を見たときにも感動したが(こちらのDVDは日本語字幕入りで発売されました)、あの映画ほど明るくない。むしろ、精神病院から地域に出て行く中で、精神病者も、そして彼ら・彼女らを支える支援者達も、等しく同じ人間として抱える「生きる苦悩」の深さを掘り下げた作品だ。そして、バザーリア医師やトリエステの人々が何を目指したのか、その際、どんな苦労の中でもがき苦しみながら新たな何かを産み出そうとしたのか、が実によく描かれている作品である。
この映画の基底には、バザーリアが生前、イタリアの精神医療改革を取材したスイス人ジャーナリストに語った次の思想が重なっている。
「人間に苦悩がつきまとう。これは社会組織が立ち入ることが全くないためなくなることはない。ある人が調子が悪くなると、何かを求める。しかし、誰も答えてくれない。この要求、つまり要請はいろいろな形態をとりうる。様々な様式、例えばある人が自殺したり、他人を殺したりとか、公の秩序をそこなうとか。ある人が死んだりする時は、それは絶望的なアピールである。しかしこれらのアピールにどのように答えてきたか。いつも答えは決まって抑圧である。そしてこれを正当化するために精神医学はその症状論-これが苦悩の成文化である疾病である-を生み出す。」(ジル・シュミット『自由こそ治療だ』社会評論社、p65-66)
「人間には苦悩がつきまとう」。これは、実に普遍的な命題である。そして、精神を病む人、というのは、この苦悩が極大化し、時として自傷他害、あるいは錯乱や暴言、引きこもりなど「絶望的なアピール」をせざるを得ない状態に追い込まれた人のことをさす。これは、精神を病む経験があろうがなかろうが、時として誰でも起こりうる危機であるが、たまたま「絶望的なアピール」に至る以前で事態が収束したか、しなかったのか、の差に過ぎない部分もある。
だが、その「一線」を超えた時、私たちは一見すると「共感」や「想像」しにくいような、破滅的で破天荒に見える行動化という「絶望的アピール」の表現に目を奪われてしまう。そして、その「絶望的なアピール」という表現で伝えようとする「苦悩」の極大化そのものが、見えなくなってしまう。あまりの激しい表現に、見る者の恐怖や不安も極大化し、なんとかその「絶望的なアピール」の沈静化こそが目指される。そのための「抑圧」手段として、「縛る・閉じ込める・薬漬けにする」という方法論が開発され、「これを正当化するために精神医学はその症状論」としての「統合失調症」なり「うつ病」なりという「症状論」を展開する。あくまで、「絶望的なアピール」の沈静化の方法論に過ぎないものが、医学や客観性の装いをまとうと一人歩きをし、その「科学性」「客観性」が「抑圧」の本質を隠蔽し、世間に流布していく。
バザーリアの興味深いのは、その際、「抑圧」の本質から目を逸らさなかったことである。
「私はバドゥア大学医学部の助手として12年間働いた。このことは重大なことだ。というのは当時拷問人としての教育を、つまり抑圧の論理全体をともに身につけ、内在化したしたからだ。精神科医の教育とは拷問人としての教育に等しいのだ。大学へ足を踏み入れると、もちろん世界を改革しようという観念で行動する。だが、それから大学内の地位序列に汲々としていく。対抗心、競争心、名誉心、だんだんと大きくなる権力の獲得。いつも研究機関の長の厳しい監督下にあり、それは自らを承認させられるまで続く。しかも、知を継承させるのではなく、権力を行使していくのだ。」(同上、p66-67)
彼がフッサールの現象学やサルトルの実存哲学を大学時代から愛読していた、と前回のブログでも書いた。だが、彼の興味深いのは、その現象学的還元の視点を、自らの因って立つ医学部の精神医学システムそのものに対して差し向けた、という点である。自らが「内在化」している「医学部」教育という「抑圧の論理全体」そのもの、因って立つ地盤そのものを疑いの眼差しで眺めた、というラディカルさである。自らが精神病への治療と考えている「知」が、実は「権力行使」である、という事の気づき。その延長線上としての、医学部教育が「拷問人としての教育」であることへの気づき。自らの暗黙の前提とした価値前提そのものを問い直す営みである。これは、このブログで何度も引用した、あのメルロ=ポンティの思想を想起させる。
「哲学者というものは単に存在しようと望むだけではなく、おのれのなすことを理解しながら存在しようと望むわけですが、ただそれだけのためにも、哲学者は、その生活の事実的与件のうちにひとりでに含まれている全ての断定を一旦停止しなければなりません。しかし、さまざまな断定を停止するということはそうした断定の存することを否定することではありませんし、ましてやわれわれを物理的・社会的・文化的世界に結びつけている鎖を否認することではなく、逆にそうした結びつきを見ること、意識することです。これが『現象学的還元』というものであり、そしてその現象学的還元だけが、そうした絶えざる暗黙の断定、各瞬間のわれわれの思考の裏に隠れている『世界の定立』を露呈してくれるのです。」(メルロ=ポンティ「人間の科学と現象学」『眼と精神』みすず書房、p17)
バザーリアは、精神医学が「暗黙の断定」としている「抑圧の論理」の「物理的・社会的・文化的世界に結びつけている鎖」を、「見ること、意識すること」という「現象学的還元」を行い続けた。その中で、自らの知そのものが、実は本当は知ではなく権力行使である、という事実に気づいてしまった。権力行使や拷問人教育という実態を見えなくさせている「われわれの思考の裏に隠れている『世界の定立』を露呈」してしまった、のである。だが、そこからのバザーリアの展開が非常に面白い。
「知とは弁証法的なものであり、教えられるものではなく、管理されうるものでもない。知は対話の中でのみ練り上げられ、あらゆる瞬間に繰り返し問題にされ、吟味されなくてはならない。私は他の人々と共同してお互いの知識をもとに知を吟味することではじめて新たな知を得る。そうでない時は、純粋に権力の行使となる。」(シュミット、前掲書、p67)
「権力行使」とならない「知」とは何か。それをバザーリアは「弁証法的な対話」と言う。映画の中でも、バザーリアは元患者たちと、繰り返し繰り返し対話をしていく。病棟の中での騒動、家族の元に帰った際の衝動的な暴力、共同住居の中での諍い・・・病院から地域に戻り、そこで抑圧されていた蓋が開き、様々な「生きる苦悩」が吹き出す。その際、バザーリアやトリエステの医療者たちは、縛ることも閉じ込めることも、そして薬漬けにすることもなかった。だから、問題はより大きくなり、混乱も続く。その中にあっても、常にその渦中の人々に寄り添い、彼ら彼女らの声を聞き、対話をし続けていた。「絶望的なアピール」を前にしても、それを「疾病」とラベルを貼ってわかったフリをしようとしなかった。その「絶望的なアピール」で、対象者は何を表現しようとしているのか。本人も時には混乱してわからなくなっている、そのアピールの背後にある「人間的な苦悩」の実態そのものを、医療者である自分は未だ知らない。その「無知の知」に基づいて、「他の人々と共同してお互いの知識をもとに知を吟味することではじめて新たな知を得る」という動的な対話のプロセスに身を置こうとした。映画を描かれたバザーリアは、白衣を着た医師ではなく、寄り添うソーシャルワーカーのようなスタンスで描かれていた。これは、「医学部教育」というヒエラルキー体制とは真反対の姿である、ともいえる。
この弁証法的な知について、シュミットは次のように解説している。
「バザーリアとスタッフはこの考え方が西洋の学問的思考構造の全体を基礎づけている観念論的、実証主義的傾向と矛盾することを自覚している。観念論的、実証主義的思考は原因と結果の直接の鎖の中を動いている。それとは異なって、弁証法的思考はいわば三角形を跳躍するように現実を捉えようとする。それはあらゆる対象-「テーゼ」-「アンチテーゼ、つまりその対極」-を内包する。対立した両極を対立させることから『統合』が生じる。そこでまたしても新しい矛盾の入口となる。バザーリアとその仲間がこの思考方法をとる際、彼らは当然弁証法的概念のいくつかを操作する。例えば『異常』と言えば、さしあたって弁証法的に相互に条件づけている『異常』と『正常』がどのような関係にあるのか、を問題とする。そこで『異常』という概念の自明性を問題とする。『病気』が討論される時には、『健康』も明らかにされる。『個人的』苦悩が話し合われれば、すぐに『社会的苦悩』が問題とされる。というのは彼らにとって個人と社会の間に相互作用があることは光と影の相互的役割と同様、明らかなのだから。」(シュミット、p62-63)
「原因と結果の直接の鎖の中」とは、「絶望的なアピール」という「結果」を「統合失調症」「破瓜型」「幻聴支配」などという「原因」と結びつける思考である。確かに「病気」だからそうなるんだ、という理解は、「わかったつもり」にさせてくれる。でも、たまたまそういう疾患状態であって「絶望的なアピール」をしたとしても、病気が人間を支配している、というモデルをバザーリア達はとらない。「絶望的なアピール」という形で現れる「異常」という「テーゼ」に対するアンチテーゼとしての「正常」との関係性をも問題にする。どうしてこんな「異常」な表現をするのか。その背後にどのような「正常」世界での追い詰められた何かがあるのか。そういう「『異常』という概念の自明性を問題とする」ことで、「異常」だけでなく「正常」世界そのものを問い直そうとする。幻覚や妄想、うつ状態という「病気」が討論される時、そういう「病気」にならなかった時や、あるいはそういう「病」が減退した時は本当に「健康」だったのだろうか、が問われる。
この問いかけは、あのべてるの家の川村医師が短冊に書いた「病気で幸せ、治りませんように」という名言をも想起させる。病気が不幸せ、健康が幸せ、という二項対立は、そのような対立軸を作る事により、病気と健康の意味を単純化させていないか。病という形で表現されていることの中に、どのような「生きる苦悩」が現れているのか。それを「健康ではない」と薬と共に消し去ると、病の中に現れている、その人の実存的な課題や、あるいは別の形で生き始めようとする契機や種のようなものも見えなくさせてしまうのではないか。「病気」や「異常」とは、そのような本人の「生きる苦悩」の前景化であり、それは確かに辛いことだし、なるべく治めて楽になりたいけれど、強い薬で意識共々吹っ飛ばすのではなく、地域の中で、苦悩の中で、少しずつ溶解させていく何かではないのか。
こう展開させていくと、「個人的」苦悩のアンチテーゼとしての「社会的苦悩」が討論の対象になることもよくわかる。自己決定・自己責任社会において、自分で決めて、選んだ結果として、訪れた様々な不幸や苦悩。それは「自己責任」だから、努力が足りなかったから、運がなかったから、仕方ないという思考。これは社会問題を個人問題とすり替え、矮小化して「わかったつもり」になる思考ではないか。そしてそのような「理解」は、「知」ではなく、「権力行使」の内面化ではないか。社会の構造的な暴力を「世界の定立」「暗黙の断定」として受け入れ、仕方ないと諦め、その犠牲になった人を「個人的苦悩」の中に押し込めて、それ以上踏み込まない姿勢。実はこれこそが、医療者や私たち、精神病者といった垣根を越えて、人間世界を覆う「抑圧の論理体系」の正体ではないか。この部分を正視せず、目の前の「絶望的なアピール」を制止する精神医療の思想は、「患者を治す」ように見せかけて、正常-異常、健康-病気という枠組み自体を維持・強化する権力ではないか。そして、この権力行使という枠組みから自由になって、本当に「生きる苦悩」と向き合い、その苦悩を少しでも緩和する支援こそ、精神医療という存在に患者が求めている内容ではないか。
バザーリアが、病院病院という構造そのものが問題である、としたのは、この権力構造からの脱皮の最大の障壁としての病院機能への問いかけではなかったか。そんなことを感じながら、映画を見ていた。(つづく)

いたりあ・のおと

『精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本』の著者であり、大学院時代からの師匠大熊一夫氏が主催するイタリア調査ツアーに近々同行させて頂く事になった。

イタリアのことは師匠から何度も聞いていたし、岩波の本も読んでいたが、ずぼらな僕は、それ以上の勉強をしていなかった。今回、せっかく現地に行くなら、と、以前からあれこれ集め続けてきたイタリアの精神医療する日本語と英語の文献を読み進めている。そして、今、この時期に、イタリアのことを学べてよかった、と強く思い始めている。そこで気づいたことや感じた事、をメモ的に綴ってみたい。
実は、イタリアの精神医療改革や脱施設化の本質を理解する為に外せない鍵の一つが、現象学的思考だと感じている。以前の僕なら、そのことの凄みには気づけなかった。だが、ブログで「枠組み外し」の連作を書き続け、それを東洋文化で『枠組み外しの旅』として論文化し、その後5月の1ヶ月間でその内容も含めて単著に仕上げるプロセスを経る中で、現象学的還元のすごさ、というか、私たちが当たり前と思っている暗黙の前提や、メルロ・ポンティ流に言うなら「世界の定立」にいかに縛られているか、を考え続けてきた。(ご興味のある方は、「存在論的裂け目と枠組み外し」参照)
そして、自分の中である程度、現象学的視点について、書くプロセスの中で考え続けてきた後に、イタリア精神医療改革の本を読み進めると、「めちゃ、わかる!!!」の連続なのである。
実はイタリアの精神医療改革の父とも言われる、故フランコ・バザーリア医師は、フッサールの現象学やサルトルの実存哲学を深く学び、精神医療に取り入れようとした。その中で、ゴリツィアの精神病院の院長として精神医療改革に着手するも反対に遭い、その後、トリエステの病院を解体するプロジェクトを完遂させ、世界的な精神医療改革の旗手となる。バザーリアは従来の精神医学と自らのアプローチの違いを、次のように述べている。
「この仕事の基礎となっている接近法は決して病気が中心にあるという事実を避けようとするものではない。しかしながら、この新しい潮流の中ではこれまで患者に、あるいは少なくとも精神病院に内在するものとされていた葛藤がそれら葛藤が因って来たるところのより広い社会に投げ返される-というのは病気というものは本質的に社会的関連における自我の特異的な矛盾の歪んだ表現と見なされるものだからである。精神医療従事者にとってこのことは全く新しい役割を担うべきことを意味している。つまり患者と病院との関係の中にいて仲介者の役割を果たすのではなく、家族、仕事場、あるいは福祉事務所といった現実世界での葛藤に介入しなければならないのである。」(フランコ・バザーリア「管理の鎖を断つ」『批判的精神医学 : 反精神医学その後』.イングレビィ編、悠久書房、p321)
僕自身も以前はごっちゃになっていたのだが、バザーリアやイタリアの精神医療改革は、精神医療そのものを否定する、という意味での「反」精神医療とは違う。この点はあとで論述するが、投薬や治療をするものも、大熊一夫氏の表現を用いるなら「縛る・閉じ込める・薬漬けにする」という形態ではない形での、精神障害者へのケアを展開していくのである。だから、バザーリアが言うように、「病気が中心にあるという事実を避けようとするものではない」。ただ、病気を個人の疾病や病理、という形で認識しない点が、最も興味深い点である。バザーリア自身は、「病気というものは本質的に社会的関連における自我の特異的な矛盾の歪んだ表現」である、と述べている。これは、○○病というラベリングを張って理解した、つもりになることへの強烈な批判であり、病気という形で「表現」されている「本質的に社会的関連における自我の特異的な矛盾の歪んだ」何か、に、医療者と患者が協働で目を向ける必要があることを指し示している。そして、この難しい「表現」を理解するためには、「葛藤」という概念も理解する必要がある。
この葛藤概念については、フランコの妻であり、精神病院の構造について鋭く分析した社会学者ゴッフマンの名著『アサイラム』のイタリア語訳者でもあった社会学者で政治家のフランカ・バザーリアが次のように指摘している。
「新しい個人(女性、青年、老人、精神病者、精神遅滞者、同性愛者、囚人など)は、対象化し疎外されることを拒否した象徴であった。現在ではその人たちは、事実、彼らの社会的不平等を確かにすることにしかなっていない、『自然な多様性』という捉え方の中に再び閉じ込められることを拒み、直面し経験するべき社会的葛藤の源となっている。新しい家族の権利、離婚法、性の平等法、妊娠を告知される権利、家族相談サービスの開始、青年雇用促進法、精神医療および保健改革、そして刑務所の改革派、今でも積極的に取り組んでいるとは言えないし、また不完全であったり実施されていない状態であるとしても、こうした葛藤の産物なのである。葛藤は伝統的な文化の自明性に疑問を投げかけたのだ。この自明性は、伝統的な科学の自明性が仲間である人間を全面的に対象化することに基礎を置く場合にのみ可能であったのだが。」(フランカ・バザーリア「社会の鏡としてのイタリア精神医療改革」ラモン、ジャンニケッダ編『過渡期の精神医療』海声社、p398)
対象化し疎外される、というと、これも難しく見えるが、これは深尾先生の言葉を拝借するなら、「魂の植民地化」である。この魂の植民地化、ということは、例えばテレビのCMの言うように「食べる前に飲む」ことで胃薬への依存症状態にあった僕自身の「対象化」と「疎外」にもあてはまる。その社会での常識や「自明性」を鵜呑みにして、それを疑うことなく受け入れた「健常者」とカテゴライズされる人は、実は、「疎外」され「魂の植民地化」された状態であった、といえる。この「対象化」や「疎外」という言葉遣いに、マルクス主義的イデオロギーの匂いを感じる人もいるだろう。確かにイタリアの精神医療改革にはイタリア共産党の存在が大きく影響を与えているが、バザーリア達は、共産主義イデオロギーを患者に当てはめようとしたのではない。マルクスが解き明かし、現象学的還元が見えるようにした、この「疎外」や「自明性」そのものを疑う
、と思考方法で、精神医療そのものを再考する実践を始めたのである。すると、精神障害者の置かれている状況が、「単に病気になった人」とは全く違った地平で見えてくる。「葛藤は伝統的な文化の自明性に疑問を投げかけたのだ」。これは一体どういうことか?
「伝統的な科学の自明性が仲間である人間を全面的に対象化することに基礎を置く」。客観的で合理的で分析的な「科学」によって、「統合失調症」なり「うつ病」なり「反社会性人格障害」というラベルが貼られる。この際、ラベルの持つマイナスイメージが強い場合、ラベルを貼られた人間の主体性よりも、その病名なり障害名が一人歩きする。病気や障害が「人間を全面的に対象化する」のである。そのような病や障害の自明性そのものに「疑問を投げかけた」のが「葛藤」なのである。僕はそれを、次のような疑問として受け止めた。
「この人が暴れているのは、統合失調症だから、でいいんですか? この人が暴れるのは、単に幻聴のせい、というより、幻聴で暴れざるを得ないような状態に、構造的に追い込まれているのではないのですか? その追い込まれている構造を見ることなく、本人の暴れている状態を薬や隔離、拘束で沈静化させたところで、本人が抱えている内在的論理や生きづらさ、あるいは社会の中で生きるつらさや葛藤そのものに目を向けない限り、状態の沈静化はあっても、根本的な解決にむけて動くことはないのではないですか?」
フランコ・バザーリアが「これまで患者に、あるいは少なくとも精神病院に内在するものとされていた葛藤がそれら葛藤が因って来たるところのより広い社会に投げ返される」と述べるとき、病気を患者や病院の中で抱え込んではならない、という警句として、僕は受け止めた。サラリーマンが鬱病になり、自殺未遂をして精神科救急に運ばれる。その際、もちろん救命措置をして、命を救う処置を医者はする。だが、そのサラリーマンを鬱病に追い込んだ「葛藤」そのものは、単にサラリーマンの個人的因子によるものではない。人件費削減や成果主義的志向、新自由主義的発想が強まる中で、社会構造が本人に「自明なもの」として求めている負荷そのものの中に、実は問い直すべき、捉え直すべき「葛藤」があるのではないか、と。それを、あの人は「鬱病だから」と、病名や個人のせいにして、そして治療の対象だからと責任を治療機関になすりつけて終わっていいのか、と。「葛藤が因って来たるところのより広い社会に投げ返される」ことがなければ、本質的な関係性の改善はないのではないか、と。
このブログで考えて来た「魂の脱植民地化」概念とつなげてみよう。会社や日本社会の同調圧力などの強い負荷を、暗黙の前提や自明性として個人化・内面化して受け入れ、「蓋の上の人格」を引き受けるところに、「魂の植民地化」が進行していた。そして、それを「精神病」という個人の病だから、「縛る・閉じ込める・薬漬けにする」形で治療しよう、という精神医療は、実は「魂の植民地化」の片棒を担ぐ役割を構造的に担っている。葛藤の内面化・呪縛化を支援する精神医療役割、ともいえる。この時、現象学的還元を行う、とは、そもそもその葛藤の内面化・呪縛化に手を貸すことが、精神医療の役割期待としてあったとして、それで本当に良いのか、という問いである。社会防衛機能に手を貸す精神医療、という構造そのものへの疑問を差し挟む。これが「自明性」や「世界の定立」そのものを疑う、という意味での現象学的還元の営みであった。そして、その延長線上にしか、葛藤の呪縛化を開くことはできないし、「魂の脱植民地化」もあり得ない。
「治療と保護の矛盾が、医者が採り入れた方針そのものに帰せられる問題なのではなく、実際は社会制度としての精神医学に基本的に備わっているのだということに医療チームは気づく事になった。精神病院という問題以外に精神医学が社会の中で広く果たしている役割について検討することが必要となった。というのも、精神医学的診断は一般に受け入れられていた道徳的秩序に基づいており、この秩序が正常と異常とをその堅苦しい術語で定義していたからであった。またこの道徳的秩序は階級制度そのものであり、これが『下級階層の人々』が精神科患者になるという事実を引き起こしていた。科学的客観性という名の下に隠蔽されていたが、精神科医の伝統的な役割には社会的問題や軋轢を孤立化し吸収するという仕事があった。この役割が精神科医に現実的な社会権力をもたらした。」(フランコ・バザーリア、前掲書、p314)
科学としての精神医学は、社会制度の体系の中で位置づけられている。その政治性に目を向けたとき、現実的に患者よりも精神科医が「現実的な社会権力」を持つ。その背後には、「異常」者を「正常」社会から区分けし、排除する、という「道徳的秩序」維持役割が精神科医に課せられている。これが「科学的客観性という名の下に隠蔽されて」いるが、だが、その「隠蔽」の「蓋」を外してみるならば、広い社会問題としての矛盾や葛藤の内面化・呪縛の問題が現前化される。このような「社会的問題や軋轢」を、解決すべき課題として考えるか、「孤立化し吸収する」ことで「隠蔽」する役割なのか。科学の名を借りながら、医療者はどちらに進むべきなのか、という問いかけである。
こう書くと、なにやらバザーリア派と呼ばれる人は、治療はせずに社会問題を問うてばかりいるのではないか、という疑いをもたれるかもしれない。だが、バザーリア自身が言うように、「この仕事の基礎となっている接近法は決して病気が中心にあるという事実を避けようとするものではない」。ただ、治療や支援をする時のスタンスとして、社会の中での「葛藤」や「魂の植民地化」、その帰結としての「本質的に社会的関連における自我の特異的な矛盾の歪んだ表現」としての症状と向き合おうとしているのである、と僕は理解した。
で、それが具体的にどのようなものであるか。それは、「のおと」第二回に譲ることとする。

個性化への道

2週間ばかり、ブログの更新が止まっていた。
連休明けの週末から週明けにかけては、大阪や三重の現場で、研修をしたり、議論をしたり、の外回り。一方、先週末から今週の冒頭は、今取り組んでいる単著の書き直しに没頭。そして、平日は大学の講義もあるし、今年から学内委員会の委員長になってしまったので、その学務の段取りや仕込みもある。とかく、いろいろ忙しい。
だが、そうやって日々動き、考える中でも、とくに今の時期は、自らのあり方を捉え直す時期なのだと感じている。たとえば、個性化について。
何を今更、個性なのよ、と言われそうだ。そんな、くよくよ悩んでいるのですか、と。
いや、そうではない。自らの個性化への道に、素直に向き合いたい、とようやく思うようになってきた、ということだ。
以前のブログで、福田和也氏の本に出てきた「やりたいこと」「できること」「世間が求めること」について、取り上げた。久しぶりに自分が2年前に書いていたブログの内容を読み返して、この2年での変化を感じている。2年前の段階では、「世間が求めること」に取り組むこと、そして「できること」のレパートリーを広げること、に必死になってきたのだが、それだけでいいのだろうか、と疑問を感じ始めた頃だ。もちろん、自らの技芸を磨くことは大切である。また、対価を頂く仕事として、その品質を保つことは社会人として当然の責務である。だが、その一方で、技芸を磨き、責務を果たすだけでは、常に「他者」という評価軸を意識していることになる。その「他者」軸に依拠し続けることに、何だか閉塞感というか、苦しさというか、そういうものを感じ、それを乗り越える為にどうすればいいのか、もがき始めたのが、ちょうどこの2年前という時期であった。
そして、今更ながらだが、個性化についての古典の中に、自らのプロセスが見事に言語化されている一節があった。
「個性化とは、まさに人間の集合的な使命を、よりよく、より完全に満たすことになるのである。というのは、個人の特性に十分な配慮が払われれば、それが軽視されたり抑圧されたりしたときよりも、より大きな社会的功績を期待できるからである。すなわち個人のユニークさとは、けっしてその実質や構成要素が変わっているということではなく、むしろ、それ自体は普遍的な機能や能力の組み合わせが、ユニークであり、分化のしかたが少しずつ違っているということなのである。」(ユング『自我と無意識』レグルス文庫、九四頁)
そう、「人間の集合的な使命を、よりよく、より完全に満たすこと」としての個性化。それは、たんに「やりたいこと」をやるだけでは、僕の場合は恐らく達成できない。「できること」を広げ、「世間が求めること」に応え続けるなかで、少しずつ醸成されてきた何か、ともいえる。
大学の教員になって8年目になるが、去年あたりから、少しずつ変化していることがある。去年までは、講義において、ある程度確定的になった理論や価値観について、その背景知識も含めて説明していた。その際、それを説明なり解説なりする僕の価値観、についての表明はなるべく抑制的であった。僕自身の「押しつけがましさ」という限界は理解しているつもりであり、それが教育場面で逆効果にならないよう、様々な社会問題そのものを学生にぶつけ、そこから考えてもらい、対話しながら論点を深める、という形での講義を展開していた。
その際、学生さんにしばしば問われたことがある。それは、「一つ一つの講義で取り上げる素材は面白いけど、全体としてどう繋がっているのかわかりにくい」ということ、また、「先生はその問題についてどう思っているのか、教えてほしい」ということ。この2つは、何度も言われてきた。でも、敢えて言わない方がいいのではないか、と思い込んでいた。それが、先ほど書いた自らの「押しつけがましさ」に関してのわきまえである。だが、最近波長が少し変わってきた。それでは、学生を信じていないのではないか、と。僕が、「自らの価値観の表明だから、鵜呑みにしなくて良い」と宣言した上で、事実や理論と、自らの価値を分けて表明したら、学生さんにも誤解なく伝わるのではないか、と。
実際、そうしてみると、実に伝わる。昨年より、反応が随分よい。また、僕自身、講義で取り上げるひきこもりや自殺、認知症ケアやシングルマザー支援などについて、講義の最後に自分の価値や考えをしゃべってみると、実はこういう事を「語りたい」と思っていたことに、遡及的に気づき始めた。つまり、僕はこれまで教員として「できること」のレパートリーを広げ、学生に「求められていること」を伝えているつもり、になっているが、それと自らの「やりたいこと」を講義という枠組みの中でつなげきっていなかった。それが、自らの中で消化不良であり、学生さんにとっても不全感や消化不良として残っていたのではないか、と。
僕自身は、音楽や絵画、スポーツなどでの自己表現が得意ではない。ただその分、しゃべったり、書いたり、という表現方法を選んだ。いや、最初のうちは、それしか考えられなかった。でも、その書く・話すという表現方法においても、「できること」の幅を広げ、「世間に求められていること」に応える中で、いつのまにか、「やりたいこと」の追求がおろそかになっていた。そして、数年来感じていた閉塞感とは、この自己表現としての「やりたいこと」の追求が出来ていないことに起因する何かではないか、と感じ始めている。たとえばこのブログでの自己表現だって、読んだ本から考えた事を表明する、という意味で、「できること」の拡充の手段であり、そして、無意識に書く内容を「世間に求められていること」から逸脱しない範囲に勝手に自己規制している側面がある。そういう点で、「やりたいこと」としての自己表現から、随分逸れた中身になっていたと気づき始めた。
そして、昨年あたりから、講義や講演、あるいは書き物で、少しずつ、自己表現しはじめている。話したいことを話し、書きたいことを書く、というシンプルなことだ。すると、今までより評判が良くなってくるから、不思議なものだ。それは、僕の中で、「できること」と「世間に求められていること」の全体像がおぼろげに見えてきた上で、単にそれに応えるだけでなく、その上で、僕が表現したいことを付け加えようとしているから、かもしれない。それが、ユングの言う「普遍的な機能や能力の組み合わせが、ユニークであり、分化のしかたが少しずつ違っている」ということなのだろう。そんなにオリジナルなことを書いても語ってもいない。だが、その「組み合わせがユニークであり、分化のしかたが少しずつ違っている」ことに興味を持ってくださる方が、少しずつ増えてきている、のかもしれない。
すると、この個性化の過程、というのは、何もどんなブランドに身を包んで、とか、どういう思想に傾倒して、ということではない。むしろ、日々の暮らしの中で、「できること」の技芸を磨き、対話の中で「世の中に求められていること」の責務を理解し、それに応えながらも、その2つに埋没しないこと、を意味しているのだろう。そのうえで、自分なら、どのような「組み合わせ」と「分化」を選びたいか。この「したい」の本性を大切にし、この本性の流れに身を任せて、自己表現を続けて行く。それが、僕の場合はたまたま本業に近い、文章を書いたり、講義をしたり、で実現できそうだ。だが本業でなくても、土との対話、もの作り、山登り、絵や音楽、スポーツ・・・でも何でもよい。そういう自己表現の中に本性を落とし込むことができたとき、人は個性化の道をたどり始めるのではないか。
今朝起き抜けに「個性化の過程にいる」と感じた。その直観がどこまで文章に落とし込めたかはわからない。でも、僕自身、そんな個性化の旅に身をゆだねようと決意した。そういう自己表現を大切にしよう、と。今週末も、その創作期間に入ります。

事後対応型を超える為に

ブログを書き始めて、今月で8年目に突入する。

山梨で大学教員になった2005年の5月に、今はウェブデザイナーをしている高校写真部の友人に、ドメイン取得からブログサイト構築までお願いして作ってもらった。やっと定職に就いた、という嬉しさと、大学教員という肩書きのすごさへのビビリと、がないまぜになる中で、身辺雑記的なものを記録しておきたい、と思って始めた。当時はツイッターもFBもなかったので、また僕はミクシィとはご縁がなかったので、身辺雑記のウェブでの公開、というのはブログという手段しか無かった。
で、久しぶりに8年まえのブログを読み返して、自らの当時の「ビビリ」の姿勢がよくわかる。例えばJR西日本の列車脱線事故に関するブログ。事件発生の当時から、マスコミの糾弾の仕方に違和感を感じていた。事故を起こした運転士やJR西日本という会社を徹底的に糾弾する一方、なくなられた方々の遺族に「お気持ちは?」とカメラを向けまくる手法。これは、祇園や亀岡の車の暴走事故や、あるいは長距離バスの追突事故とも全く同じ構図である。確かに、事故は本当に許せないものだし、加害者である運転士・手や、管理する立場の運行会社の問題は、徹底的に追求すべきである。でも、この当時のブログに書き付けた違和感は、加害者の糾弾と、被害者家族に「お気持ちは」と追いかけるだけがマスコミの仕事なのか、という問いである。8年まえはそれを「個々の個人、会社”だけ”の責任なのか?」「時間感覚について」の二点で考えていた。
だが、8年まえは、この二つを書く事すら、こわごわと書いていた。だから、最近のブログと比較すると、実に文章が短い。事故が起きた直後に、こんなことを言うのは「不謹慎」ではないか。そういう「空気」を読んで、マスコミ報道の潮流とは違うことを言うことを、恐れている自分が一方でいた。根拠も無いのに、直感だけでこんなことを言っていいのか。ちゃんと勉強もしていないのに・・・。そんな恐れをなしていた。
あれから8年。今振り返ってわかったことは、直感は案外正しい、ということだ。ただし、ある程度、知識や情報で論理的な肉付や構造化をしないと他者には伝わらない、という限定付きではあるが。
この列車脱線事故にしても、その後の事件報道にしても、この時の直感で感じていたことを、今なら次のように構造化できる。
マスコミ報道の違和感は、問題を「事後対応」型で処理し、しかも「個人モデル」で検討している点にある。
こう書くと、次のような反論も来そうだ。起こってしまった事件を取材するのだから、当然「事件後」の「対応」じゃないか。しかも、過失責任のある個人や、それを監督する立場にある組織の問題を徹底的に追求するのは当たり前じゃないか。
確かに、一見すると、その通り、である。だが、この「事後対応」で「個人モデル」型の糾弾の仕方は、大岡裁きや水戸黄門を見ている観客のように、事故や事件に関係ない一般市民にとって「勧善懲悪」的な関心を持たせる。「本当にひどいねぇ」「言語道断だ」「被害者はいたたまれない」といった感情を持ち、マスコミ報道に「憑依」していく。被害者のつらさに共感し、加害者・組織への怒りを強める。
だが、その感情を、何ヶ月、何年と持続できるだろうか・・・。
マスコミは、毎日毎日、ニュースを追いかける。それはsomething newでありsomething interestである。新しさと面白さがある素材を追いかける。連日報道する内容は、新事実という面白みがなくなった段階で、「賞味期限切れ」であり、次の事件や事故の報道に切り替わる。読者・視聴者も、めまぐるしく報道される新しい何かに釘付けになり、あれだけ怒ったり悲しんだりした以前の事故は、すっかり忘れてしまう。厳しく言えば、「他人事」だから、マスコミ報道に「憑依」して共感や怒りを持ち、「他人事」であるがゆえに、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」。ニュースのワイドショー化が言われて久しいが、事件を「ドラマ」化して、「他人事」として消費している。
だが、本当にある問題を「問題だ」と感じるなら、構造的類同性の方にこそ、目を向けなければならない。8年まえに感じていた「時間感覚」や「個人責任への矮小化」の違和感とは、結局のところ、「問題の一部は自分自身ではないか?」という問いであった。もちろん、その当時、そんな言葉を全く持っていなかったが。
電車が1分でも遅れたら、運転手や車掌が「お急ぎのところ、申し訳ありません」と謝罪する。ちょっと待ってよ。たった数分じゃない。でも、1時間とか2時間とか遅れようなら、駅員に喰ってかかり、時には傷害事件にすら発展する。「そんなに急いでどこにいく」。この「早く」「正確に」という事への強迫的願望が、僕やあなたの中にすくっていて、それが、遅れを許さない、遅れに罰を与える、という鉄道会社の内在的論理に組み込まれた。その内在的論理に抵触する「遅れ」に焦った、「出来の悪い」運転士が挽回しようと必要以上に速度を出した。すると、そういう事を要請した私たち自身の「早く」「正確に」という強迫的願望が、事故の背後にあるのではないか。
そして、これは高速バスの事故でも同じような構造的類同性を感じる。デフレで規制緩和をすることによって、バスの価格破壊がすすみ、安全の担保よりも値下げ競争が強まった。それは、過剰な安さを求めた、僕たち自身の願望の裏返し、とは言えないのか。確かに、日本では必要以上の規制が多すぎるし、それは緩和しなければならない。でも、安全や安心に関わる規制まで緩和の対象にして、本当に大丈夫なのか。これは、混合医療に向けた規制緩和を求める声、あるいは義務教育のバウチャー制度化を求める声、にも同じように感じる危惧である。規制緩和や自由化は、情報の非対称性が強く、安心や安全を担保すべき領域では、馴染まないのではないですか、と。
こういう、出来事の背後にあるパターンや構造こそ、問題がある。これは、8年後なら、やっと言える。最近読んでいる分厚い本にも、こんな風に書かれている。
「なぜ構造の説明が重要かというと、それをもってしか、挙動パターンそのものを変えられるレベルで、挙動の根底にある原因に対処することができないからだ。構造が挙動を生み出すゆえに、根底にある構造を変えることで異なる挙動パターンを生み出すことができる。この意味で、構造の説明は本質的に生成的(根源から創造する)である。また、人間のシステムにおける構造には、システム内の意思決定者の『行動方針』も含まれるので、私たち自身の意思決定を設計し直すことがシステムの構造を設計し直すことになる。」(ピーター・M・センゲ『学習する組織』英治出版、p104)
ある事件や出来事の背景には、共通の挙動パターンや類同性がある。その背後には、何らかの問題が構造化可能だ。そして、その構造を解き明かし、説明することが、問題を本質的に解決するためには必要不可欠だ。本当に感情的に「許せない」と絶叫するなら、その気持ちを、論理的に問題を解決するためのエネルギーとして使った方がいい。だが、加害者やその会社、関連団体に苦情電話や誹謗中傷をするエネルギーがある人も、それを構造問題を解き明かすために使おうとしているかどうかは、甚だ疑問である。祇園の事件の後、日本てんかん協会に誹謗中傷攻撃を仕掛けた人のどれだけが、てんかん病のある人が追い詰められずに働ける構造を作る為の構造的説明に時間をかけているだろうか。
「○○が悪い、許せない、責任者出てこい」
こういう風に他者を誹謗中傷するのは、ある種の人にとっては、勧善懲悪のドラマの主人公に憑依できているようで、気持ちよいだろう。だが、その一瞬の「すかっとさわやか」はあっても、そこから問題を本当に解決しようとしていないのであれば、事件をダシに消費しているだけで、他人事であり、無責任であり、そういう事件を消費して楽しむスタイルだって、言語道断、とは言えないだろうか。
長くなってきたので、結論を急ごう。本当に問題を解決したければ、「事後対応型」の「個人モデル」ではダメだ。起きてしまった事故を繰り返さない為には、事故を教訓に、「事前予防型」の「社会環境改善モデル」を採らなければならない。
「システムの構造を設計し直す」には時間がかかる。そして、そのシステムで安住している自分自身の「根源」も時には揺らぎかねない。変化を求めない人にとっては、個人に問題を矮小化し、「あいつが悪いからあいつが変わればいい」と他人事で見ていた方が楽だ。でも、「挙動の根底にある原因に対処」しない限り、問題は本質的に解決しない。本当に「異なる挙動パターンを生み出す」=つまりは、事故を繰り返さない、ことを求めるならば、「根底にある構造を変えること」が求められる。こういうラディカルさがないと、本質は何も変わらず、「熱さ忘れた」頃に、また同じような事故という挙動パターンを繰り返すことになる。失敗学が提唱している失敗から学ぶ、というのは、そういう「システムの構造を設計し直す」ための学びなのだ。そして、それを設計しなおすことは、そのシステムの構造に影響を与えている・与えられている、意思決定者の一人である僕やあなたの考え方を変える、ということも求められる。だからこそ、問題の一部は自分自身、でもあるのだ。そういう構造的類同性に気づけるか。問題の一部を自分自身、と引き受けられるか。
最後に現在から未来の問題について。原発災害で、脱原発か原発再稼働かで国論を二分している。この時に大切なのも、「事前予防型」の「社会環境改善モデル」で構造から根源的に考え直す視点だ。その時に、別に原子炉の構造や資源エネルギー政策を詳細に熟知している必要は無い。新聞記事レベルでも始められる。「問題の一部は自分自身」という視点で、電力に過度に依存する自分自身とシステムの問題を見つめ直すことが、まず決定的に大切なのだ。自分が変わらないのに、他者に変われ、と言っているだけが、最も他責的で、傲慢なのではないか。僕はそう感じている。
追伸:今日のブログは、ちょっと前に読み終えた佐々木俊尚さんの『「当事者」の時代』(光文社新書)にかなり感化されている部分がある。ただ、研究室にその本を置いてきてしまったので、引用は直接出来なかったが、メンションしておく。分厚いけど、マスコミの「憑依」の問題を徹底的に問い直す、非常に良い本です。あまり売れていない、と佐々木さんはツイッターで呟いておられたが、あれはロングテールのように、長期的に読まれ続ける良書だと個人的には思っている。少なくともAmazonで平均☆三つの評価、は酷い。僕なら間違いなく五つ星にする。