タケバタヒロシの当事者研究

たまに、普段なら読むことのない本を手に取ることがある。タイトルだけみたら、避けていたかもしれない。でも、とある書評で興味を持って、注文をかけた本が昨日職場に届いていて、結果的に一晩で読み終えた。かつ、今抱えているしんどさの原因が、だいぶすっきりわかってしまった。

「敗者が抱えている問題は『運』と『計画』を区別できないことである。」(マックス・ギュンター著、『運とつきあう-幸せとお金を呼び込む13の方法』日経BP社、p33)
ここには、随分深遠で本質的な命題が書かれている。そして、僕が混乱しているとき、ひどく落ち込むとき、実はここに書かれているように、「『運』と『計画』を区別でき」ていなかった。それは一体どういうことか? まずこの二つの言葉を定義する必要がある。
「運(名詞) あなたの人生に影響を与える出来事であるが、自分で作り出せないもの。」(p11)
ふむふむ、極めて真っ当な、かつわかりやすい定義ですね。確かに「運」は「自分で作り出せない」けど、「人生に影響を与える出来事」だもんね。で、「計画」はどう定義されているのか? 実は運ほどきれいに定義されていないが、次の例を読めば、筆者のいう「計画」の定義がわかる。
「車の運転をするときには自分の腕前(計画)を信じていれば、たいていは無事に目的地にたどりつく。まれに不運がめぐってきて、目的地にたどりつく前に飲酒運転の車に衝突されるかもしれないが、そんな不測の事態が起こる可能性は小さい。こういった状況は計画が運を凌駕する例の一つで、計画が99パーセントを支配し、運の役割は一パーセントにすぎない。」(p35)
確かに車の運転が自分でコントロール不能な「運」に支配されているなら、危なくて仕方ない。自分の腕前というコントロール可能な「計画」が支配的であるから、その基本的な腕前を身につける教習所に通い、検定に合格したら、最低限のコントロール可能性としての「計画」が出来るという免許がもらえるのである。ここまで、すんなり頭に入った。ここから、実に興味深い展開がはじまる。
「人間の欠点や能力と同じように人生も運に支配されている。不運に見舞われたら事態を冷静にみきわめることだ。本当に自分がミスを犯したために失敗することもあるだろう。何かヘマをしでかしたのか、そもそも能力が足りなかったのかもしれない。けれども、9割がたは運に支配されていたにすぎない。それならば『運が悪かった』と認めるのは決して恥ずかしいことではない。ニューヨークの心理療法士、ナンシー・エドワーズ博士は、患者の中でもっとも深刻なのは自分のせいではない出来事について自分を責めるタイプで、そうした人はたいてい不運続きの人生を送っているという。」(p42)
恥ずかしながら、僕自身の大きな課題の一つに、この「患者の中でもっとも深刻なのは自分のせいではない出来事について自分を責める」という行動様式がある。くよくよしがちで、発言に対する他者の対応や反応を気にしたり、あんなことを言わなければよかったという後悔が激しい。それが支配すると、悪夢のようにグルグルと自分の体内を駆け巡る。何度も何度も、スルメをかみ直すように、思い出し「くよくよ」をする。それで、随分心的エネルギーを浪費していると思う。しかも、メールや発言の一言でくよくよしているけど、案外他人は何とも思っていなかったりするので、それが無駄だと頭でわかっていても、やはりクヨクヨする。
少し横滑りするが、連休中にユングを読んでいて、どうもこのクヨクヨは単に否定的傾向、というよりも、一つの人格としての「アニマ」なのではないか、と思うようになってきた。
「男性のあるべき理想像としてのペルソナは、女性的な弱さによって補償される。個体は外的に、強い男性を演じる一方、内的には女性に、つまりアニマになる。ペルソナに対抗するのはほかならぬアニマだからである。しかし内面というものは、外向的な意識に対しては暗く、見えにくいものであり、またひとがペルソナと同一化していればいるほど、自分の弱さを考えることができなくなるため、ペルソナの対立物であるアニマも、完全に暗闇にとどまることになる。したがって、アニマはまず外部に投影されるほかなく、それによって、英雄も妻の尻にしかれる仕儀となるのである。」(カール・G・ユング『自我と無意識』レグルス文庫、p128)
僕は、英雄ではないが、妻の尻には確かにしかれている。また、それを望んで?気の強いパートナーを選んだ部分もある。また、ペルソナとしては、前回のブログで書いた単著の中で分析したけれど、大学教員というペルソナに圧倒されて、違和感を感じ始めたあたりから、どうも身体症状としての冷え性や肩こりが酷くなった部分もある。クヨクヨや後悔、という傾向も、大学教員としての社会的な人格が成長する中で、いっそう強まっていった部分もある。それをアニマ、とラベルを貼ってみたとき、ユングの次のフレーズがすごくすっと心の中に入る。
「彼がなすべき唯一正しいことはアニマの姿を自律的人格として把握し、それに人格的な問いをさしむけることなのである。」(同上、139)
そう、「クヨクヨさん」は、否定すべき、打ち消すべき弱点、ではなくて、「一つの人格」としてのアニマと考えてみたら、どうなるだろう。「それに人格的な問いをさしむける」って、まるでべてるの「当事者研究」そのものだ。確かにべてるの当事者研究は、自分でコントロール不能な幻聴や幻覚、妄想に基づく嬉しくない行動の発露に対して、「幻聴さん」などと「一つの人格」を与え、当事者やソーシャルワーカーなどの「研究仲間」とともに、その一つの人格と向き合い、その行動が変わるためにはどうすればいいか、を「研究する」というスタイルである。
と、研究者的に定義できる「知識」はもっていたが、まさか自分自身が「当事者研究する」とは思っていなかった。でも、そういえば、べてるでは、専門家だって、自分の当事者研究をする、って言っていたよなぁ、と、浦河に訪問したときに聞いた話がよみがえる。でも、あのときは一般論として他人事的に聞いていたのだな、と今、改めて感じる。
さてさて。
で、「クヨクヨさん」と「自律的人格として把握」して、連休中にクヨクヨさんがもたげてきたら、「あんたは、それで何をしようとしているの? どうしてクヨクヨしたいの?」とぶつぶつ問いかけてみた。妻は当然気持ち悪がっていたが。でも、アニマという一つの人格として問いかけはじめた矢先に、先の「運」と「計画」について読んだので、「クヨクヨさん」の構造が、かなりハッキリわかり始めた。長い迂遠の後に、『運とつきあう』の議論に戻る。
先の定義に従えば、運とはコントロール不能なものであり、計画は反対にコントロール可能なものである。努力して頑張れば誰でもその能力が高まるのは、定義に従うと、運ではなく計画である。逆に、頑張ったところで、自分がコントロールすることができないもの、それが運である。
で、「クヨクヨさん」は、運なのか計画なのか。あんなことをしなければよかった、というのは、する事の反省であるから、これは計画である。だが、「クヨクヨさん」が自分の中で支配的な時、それは行動の反省を超えている。その背後で、他の人はどう思うのだろうか、よく思っていないんじゃないか、という他者の評価や思いを推測する気持ちが大変強くなっている。その、他者評価や他人の思惑は、自分でコントロールする事が不能なものだ。ということは、制御可能な計画では無く、制御不能な運、ということになる。つまり、「クヨクヨさん」というのは、自分の行動の反省という「計画」側面が支配的に一瞬見えるが、その実態は制御できない他者評価に妄想的に振り回されているという意味で、実は「運」の側面が支配的な人格なのである。
そして、「もっとも深刻なのは自分のせいではない出来事について自分を責めるタイプで、そうした人はたいてい不運続きの人生を送っている」とは、コントロール不能な運を、コントロール可能な計画と誤認して、「自分を責めるタイプ」である、と見立てると、すっきりする。確かにそういうコントロール不能なことで「クヨクヨ」してたって、何の改善も見られず、疲れるばかりで、「不運続きの人生」になるよね。って、あ、僕自身も「クヨクヨさん」とそういう付き合いをしていたかもしれない!!! これが、タケバタヒロシの当事者研究的には「世紀の大発見」なのである。
これは、何でも計画制御可能である、という近代合理主義に落とし穴のような部分でもある、と感じる。そして、そのことは、計画制御について分析した別の本を想起させる。
安冨歩氏は『複雑さを生きる』(岩波書店)の中で、「調査・計画・実行・評価」という計画制御の枠組みを「人間の関与する事態に適用することは、原理的に不可能」(p109)と言い切る。単純な二足歩行や、砲台からの敵艦射撃を例にあげ、単純に見える動作でも、いかに技術やコンピューターで制御しにくいか、コントロールが難しいか、を分析した後、次のように述べている。
「仏教ではものごとの主要な影響関係を『因果』、副次的な影響関係を『縁起』と区別することがある。『因果縁起』ということばは、ものごとが単線的な原因結果関係で成り立っているというのとは正反対に、物事が複雑な相互関係にあることを示す。このような観点からすれば、世界がなんらかの安定状態にあるということは、事物の複雑な相互関係がそれなりの安定状態を達成するように『なっている』としか言いようがない。これを無理に『因果』だけを取り出して制御しようとすれば、ひどいことになるのはあきらかということになる。」(p119)
コントロール可能な「計画」という「因果」の世界の背後には、コントロール不能な「縁起」という「運」の世界が拡がっている。いくら行動を制御しきったとしても、それは「因果」の世界のみ。「複雑な相互関係」のなかで「世界がなんらかの安定状態にある」とき、それは「因果」だけでなく、「縁起」の部分が大きい。それを「因果」でコントロール可能だ、と思い込むことこそ不遜であり、計画制御やPDCAで全てが解決する、なんてはずはない。コントロールが本来出来ないことまで、計画制御をしたら可能だ、というのは誤認だ。こう、安冨先生は喝破している。
で、これを「クヨクヨさん」の原理に当てはめてみよう。(急に高尚な話から卑近な例に戻るが)
先に、「クヨクヨさん」というのは、自分の行動の反省という「計画」側面が支配的に一瞬見えるが、その実態は制御できない他者評価に妄想的に振り回されているという意味で、実は「運」の側面が支配的な人格なのである、と述べた。自分では「因果」の枠組みで制御可能だと思っているが、大半の部分はそう「なっている」という意味での「縁起」的世界が、クヨクヨさんの支配的構成要素である。そして、先に「クヨクヨさん」はアニマである、と言ったが、ユングが言うように、アニマの存在する「内面というものは、外向的な意識に対しては暗く、見えにくいものであり、またひとがペルソナと同一化していればいるほど、自分の弱さを考えることができなくなる」という性質のものである。つまり、「クヨクヨさん」という僕の中での自律的人格は、無意識の世界で「見えにくい」存在であり、かつ無意識の世界にお住まいの方なので、計画制御でコントロール可能なもんではない、「縁起」的存在である、ということなのである。
で、「縁起」的存在、つまり「運」の要素が強い「クヨクヨさん」と上手くつきあうにはどうしたらいいか。これには、実にシンプルな答えが用意されている。
「結果が悪いのは自分のせいではない。だから力の続く限りがんばればいい。」(ギュンター、同上、p45)
「運」と「計画」を区別する。区別した上で、起こってしまった出来事はコントロール不能な「運」=「縁起」だと割り切る。「うまくいかないのは運が悪かったからだと割り切」る。でも、努力可能な(=つまり「計画」できる)自らの技芸は磨く。それしかない。「クヨクヨさん」という自律的人格が強く自己主張をはじめられたら、こう語りかけたらいいのだ。
「クヨクヨさんは、今回は何をおっしゃりたいのでしょうか? 確かに、『こうすればよかった』と後悔したくなる気持ち、よくわかります。でも、自分でコントロールできない他者評価は『運』まかせ、ですよね。であれば、運でクヨクヨせず、次に出来ることだけを整理して、計画する、というモードに切り替えませんか?」
さらに、もう一つだけ、この「運」の本は「計画」についても、次のように述べている。
「長期的な計画を立てるのが悪いと言っているわけではないが、あまり杓子定規に考えない方がいい。計画は将来を見通すうえでの目安であって法律ではない。思いがけずに幸運が近づいてきたら、躊躇せずに、いさぎよく古い計画を捨てる-。これが運の良い人の態度である。何も考えず自然と振る舞うことによって、『長期計画の罠』に嵌まるのを直感的に避けているのだ。」(p118)
なるほど、知っている人は、ちゃんと「計画」や「因果」の枠組みに過剰に囚われず、「縁起」や「運」との巡り会いを大切にし、「躊躇せずに、いさぎよく古い計画を捨て」ているのですね。僕も「クヨクヨさん」も、この「運の良い人の態度」を見習うことにしよう。一人当事者研究の結論は、そういうことになった。

原点回帰した連休

この連休中は、ずっとブログの更新が出来なかった。毎朝午前中はブラウザを開くことも無く、ずっと原稿を書き続けていた。

『学びの回路を開く』
こんな仮題で、僕自身がこれまでに考えて来たことを、一冊の本にまとめようとしている。生まれて初めての単著へのチャレンジだ。
東大の安富先生や阪大の深尾先生が主催される「魂の脱植民地化研究グループ」の皆さんが出される叢書の一つとして出してみませんか、というお誘いをうけた。実は、僕は共著や編著者の経験はあっても、単著は出した事がない。憧れに感じてはいたものの、まだまだ自分は勉強不足だし、先になる、と思っていた。ふつう、博士論文を単著にされる方もいるのだが、僕の博論は、その時点では満身創痍で提出し、何とか学位は頂いたけど、そのままで出せるものではなかった。自費出版してまで出す気にもなれず、またフィールド調査の新鮮みも失われてしまったので、結局、大学の紀要にまとめてそれでオシマイ、になっていた。
あれから10年弱。そろそろ、自分の言いたいことも溜まってきた。ブログでこうしてずっと書き続けているが、やはり一冊の本として、これまで考えて来たことを、きちんと形にしたい時期になっていた。勉強不足、知らないことが多い、と言い出したら、多分一生書けないままで終わってしまうだろう。確かに、碩学だが一冊の本も出さない先生、というのも、アームチェア学者の中にはおられる。何を聞かれても答えられるほどの博学だが、学べば学ぶほど、自らが知らないことが多くなり、その事に対して恐れるあまり(=知らないことに誠実であるあまり?)、知るという行為を優先し続けた結果、その知った内容をまとめる、書き表す、という事に結びつかない先達のことだ。
だが、僕自身は、明らかにそういう人とは人種が異なる。
まず、そこまで碩学ではないし、溜め込み続けることが熟成になるとは、僕の場合には思わない。ある程度、出力を続けながら考え続けないと、その知識がどのような意味を持つのか、僕自身にとって何の役に立つのか、わからない。僕はレヴィ=ストロースの言うところのブリコラージュ、つまりは「その場で使えるものを使い倒して何とかする」という思考法でしか、前に進むことは出来ない。であれば、自らが学んだ知識も、実際に自分の人生の中で使いながら、その知識を元に考えて、書き進めながら、その知識の使い勝手を学んでいくしかない、という癖を持っている。だからこそ、ブログにも書き続けてきた。そして、そろそろそれは、ブログ上だけでなく、ちゃんと一冊の本にまとめた方がいい、と思っていた。
そんな時期のお誘いだったからこそ、喜んで引き受けた。
とはいえ、400字詰め原稿用紙換算で300枚、というのは、これまで書いた事のない量である。査読論文などは、だいたい50枚以内が多いが、それだってひーふー言いながら書いている。その6倍である。いくら、博論や幾つかの原稿が元ネタとしてあるから、といっても、そう簡単に書ける量ではない。
それから、今回は書くスタイルも、大きな問題だった。なるべく自らの内側に深く切り込んで、前言撤回的に書き進める、ということが、今回の目標だった。それは、次の警句を、本を書きながら、戒めにしていたからだ。
『長く書いて、かつ飽きさせないためには、螺旋状に「内側に切り込む」ような思考とエクリチュールが必要である。そして、そのためには「前言撤回」というか、自分が前に書いたことについて「それだけではこれ以上先へは進めない」という「限界の告知」をなさなければならない。おのれの知性の局所的な不調について、それを点検し、申告し、修正するという仕事をしなければならない。それがないと、「内側に切り込むように書く」ということはできない。前言撤回を拒むものは、出来の悪い新書の書き手のように、最初の5ページに書いてあることを「手を替え品を替え」て250ページ繰り返すことしかできない。』(内田樹 『140字の修辞学』
僕自身が、ここ最近、「手を変え品を変え」同じ事を書き続ける「出来の悪い新書の書き手」のような状態に、実は陥っていた。それは、以前から愛読している「研究者の悪魔の辞典」という恐ろしくも本当のことが書かれているウェブサイトの「30代の危機説」そのものだ。そんなに30代で成功したかどうかは別として、実はこの1,2年、有り難いことに、執筆依頼が増えている。それはいいことなのだが、その依頼をされる方は、障がい者制度改革に関わっていたという「経験」とか、あるいは脱施設・脱精神病院を研究してきたという「業績」を見られて、依頼して来られる。これらの「経験」や「業績」を評価頂くのは確かに有り難いことではある。だがその一方、それは既に「過去」の事である。この「過去」に基づいて、その過去の延長線上の文章を書いていると、「失敗が起こるのは、たいした種がなくても従来型の依頼に応え続けるケース」という指摘に当てはまっていく。従来型の依頼に応えていれば、それに基づいた文章が生産され、それを読んだ人は「この人はこういうことが書けるのね(こういうことしか書けないのね)」と判断され、それに基づいた同種の依頼が再生産され・・・(繰り返し)。という過去の縮小再生産サイクルになりうる。そして、僕自身が実はその縮小再生産サイクルに陥っていたのだ。
そして、それは本人が一番よく気づいていることだが、ありがたいことに、研究仲間のある人から、その縮小再生産サイクルに入っていた論文について、次のような真摯な一言をいただいた。
『これまでの竹端論文を全て読んできたので、コアなファンの眼では「竹端論文ダイジェスト+新事例」という印象で、新鮮な発見が少なかったからかもしれません。もちろん、一般の読者にとっては、要旨明瞭で、竹端論文の美味しいとこ取りの論文だと思いました。』
これは、実は非常に危険な状態である、という警句と受け止めた。
まず、僕の論文を全部読んで下さる、というだけで奇特な方なのだが、その上で、「新鮮な発見が少ない」とお感じになられた、ということは、もう僕が縮小再生産に傾きつつある、という指摘なのだ。つまり、「手を変え品を変え」、依頼に応えるために、角度を変え、新たな事例を入れながらも、同じ事を書き続けているのである。そう気づいた時、ある社会学の大家の先生に言われたキツイ一言がよみがえった。
「それって、埋め草原稿じゃないの?」
新聞や雑誌で、急に原稿内容の差し替えがあり、空白や余白が出る。今から広告だけで調整できない。そんな中で、隙間を埋めるために書かれた記事や原稿のことを指す。別に僕が依頼されて原稿を書く場合、数時間単位で書き上げる、厳密な意味での「埋め草原稿」ではない。だが、どこかで書いた内容の焼き直しに近い内容であれば、それは読者からしたら、「新鮮な発見が少ない」(あるいはない)という意味で、埋め草原稿そのものではないか。それが依頼主にとっては「埋め草」ではなくても、その依頼を断らずに応じて、それで意図的ではないにせよ業績になってしまう、という心性そのものも、「埋め草業績」を認める何かに通底しないか。そのような警句として受け取った。
実は、僕はあるジャンルでは、それをコンパイルしたら一冊の内容を超える位の原稿量は書き上げている。そして、数年前、事実それを書籍化しようとしていた(=だからこそ、それを欲しい、という人には全部コピーして配れる準備も整っていた)。だが、その束を抱えて、件の社会学の大家の恩師に相談に行った時、ハッキリそう言われた。
「一冊目が、何よりも肝心だ。人は処女作を読んで、こんな事を書いている人だ、とあたりをつける。その一冊目がつまらなかったら、この人は所詮こういう人だと、以後、見向きもされなくなる。だいたいおまえだって、◎◎さんや□□さんがぼんぼん出している本を、ちゃんと読み続けているか? また同じ事を書いている、と思って読まないんじゃないのか? それと同じになっていいのか?」
そう、たしかにその先生が挙げた某二人は、書籍を沢山出しているが、だいたい同じような事が書いてあって、かつ難しいので、いつも放っぽりっぱなしにして、読むことはなかった。有名出版社から出ているのに読めないのは、僕が頭が悪いし勉強意欲に欠けているからだ、と思っていた。でも、もしかしたら、知識は沢山詰まっていても、それが「埋め草原稿」的な、「新鮮な発見が少ない」何かである事を本能的に察知して、読まなかったとすれば・・・。
そう思うと、僕は単著の計画を封印して、少なくとも、そのジャンルでは、しばらくは本を出さない、ということに決めた。何よりも、自分にとって、わくわくとした面白さ、新しい発見がないようなプロジェクトは、新たな論文であれ、単著であれ、したくない、と思い始めていた。
であるがゆえに、この連休中の単著執筆は、本気で必死だった。
書いている自分自身にとって、「新鮮み」や「発見」のない原稿を書きたくない。でも、僕が持ち合わせている知識や元ネタには限界がある。それをないから、と新しい本を読むことに必死になったら、クイズ王的なトリビアとしての「新鮮な発見」はあるかもしれないが、内容的には面白くない。むしろ、「新たな発見」とは、これまで見えている景色を、どう新しく解釈できるか、ではないか。それは、新たな情報を探し続けるネットサーフィン的なものではなく、村上春樹流に言えば、「井戸を掘る」ように、所与の前提とされた世界観の奥底に潜む、誰もが知らない集合的無意識のような闇に潜り込み、その中から、自分でしかすくい取れない視点や考え方を掘り当てて、この世の光に照らし直すような営みでは無いか。そして、その営みこそ、内田樹さんは「前言撤回的」と言ったのではないか。
なので、僕は今回、本を書き始めた時、これまでの論文スタイルから、方針を大転換した。
・誰かを説得するのではなく、誰かに評価される事を期待せず、まずは自分が納得する文章を書く。
・私や筆者という、自分の気持ちが完全に乗り切らない主語は使わず、ブログの時のように「僕」という主語で書く。
・「俺はこんなに知っているぜ」的なトリビアな知識の披露を目的とはしない。ならば、そういう知識の塊を引用で散らすことはやめ、本当に伝えたいことのみをシンプルに書く事にする。
・だから、客観性のルールからも、この際、距離を置く。自らの実存やこれまでの経験、あるいは直観として捉え、あるいは考え続けてきたことを、そのものとして書き進める。
・上記の方針を貫徹するため、「自分の内面の振り絞り」を、著作のテーマにして、前言撤回的に、自分の内側にどんどん切り込んでいく。その中から、見慣れた景色を未だ見ぬ何かに変える地点まで、自らを追い込んでいく。
さて、こう追い込んで、結果はどうだったか?
まだ、250枚の初稿を昨日書き終えたばかりなので、結論はつけられない。でも、現時点での感触として、書いていて、非常に何というか、ある意味、自己治癒的であり、ある意味で、「俺ってこんなことを考えていたんだ」とか「確かにこういう風にも考えられるよね」と書き上がったものに頷かされる展開になっていった。単純に言えば、書いていて、すごく面白かった。これは、「埋め草原稿」的な何か、では考えられない楽しさである。
確かに、依頼された原稿にも、もちろん魂を込めて、最善を尽くして書いてきた。もしかしたら、依頼された編集者の方がこれを読んでおられるかもしれないので、敢えて言い訳では無く、誠実に書きますが、誤魔化して適当に書いたつもりはありません。あしからず!!!
でも、単著、という一つの物語の中で、僕が10年かけて考え続けて来たことを、今の視点で並べ直し、再びその文章に火を入れ、息吹を組成させ、ある部分はばっさり落としたり、あるいは大胆に書き加えたりしながら、一つの物語の文脈の中で再度の賦活化をはかる作業は、実にチャレンジングでエキサイティングだった。ほんとうに、めちゃ面白かった。これを書いている間は毎日、ネットやSNSを見ている暇はないほど、原稿書きに没頭していた。書く楽しみ、という原点にやっと回帰できた連休であった。(逆にいえば、それまで没頭するほどの何かに出会えていなかったのかもしれない・・・)
昨日初稿を書き上げた文章は、しばらく寝かせて、再度頭から書き直そうと思う。なので、ようやく、ブログを書く時間が出来た。実はこのブログも、自分の考えをまとめたり、これまでの未分化だった何かに言葉を与える、という意味で、僕が考え続ける上で、非常に大きな役割を果たしてきた、ということも、今回の単著を書くためにブログを読み返していて、非常によくわかった。自分のサイトで幾つかの言葉に検索を書けてみて、「こんな原稿も書いていたんだ」と改めて気づかされたことも、沢山合った。それが単著の原稿にも取り入れられていくのだから、何だか思いも寄らなかった貯金に助けられてしまった格好だ。(ま、書いた内容をすっかり忘れる、というのも、僕の特性なのかもしれないが・・・)
ほんとうは、今日の講義で取り上げた「認知症ケアと魂」の話を書くつもりで、表題もそう書いていたのだが、どうやらその前に、書くべき事があったらしい。結局その話は次に置いておく、として、今日は楽屋話とでも、メタ文章論とでも、あるいは単なる自己治癒的な文章とでもいうべき、書く楽しみという原点についてのお話しでありました。

問題の一部は自分自身(連作その5)

という表題を痛感する今日この頃。

その事を教えてくれたのは、短期大学の保育科で「地域福祉」の受講生の皆さんたちだ。
実は、この講義は、政治行政学科の「地域福祉論」とかなりの相関性がある。にも関わらず、政治行政学科と保育科では、同じ年の学生が受講してくれるのに、評判が昨年までは全く異なっていた。さて、どちらの方が受けが良かったでしょう?
普通、福祉に興味があるのは、政治行政学科より保育科の学生、と思われだろう。僕もそうだった。でも、蓋を開けてみると、政治行政学科では食いつきがよくても、短大では食いつきが非常に悪いのが、昨年までの通例だった。それは、なぜか?
去年までの僕の仮説は、短大生が内気すぎる、という仮説だった。確かに僕の講義では、毎回のテーマについて、ビデオや資料などを通じて考えた事をワークシートに書かせ、学生さんを当ててその内容を発表してもらい、それに対する問いかけをする中で、講義を深めていく、という形態を取っている。これは、短大でも4大でも、どこの大学でも変わらない展開である。だが、短大生は、去年までは、極度に当てられることを恐れていた。毎回、ワークシートで、「当てないで欲しい」「当てられるのが恐怖だ」というコメントが並んでいた。それに対して、去年までの僕は、短大生が「正解幻想」に囚われていて、間違ったことを言いたくないから、当てられたくないのだ、という仮説を立てていた。
この仮説は、半分当たっている。が、半分は大きく違った。
その最大の間違いは、「問題の一部は自分自身」というテーゼを入れていなかったことだ。つまり、「短大生が悪い」(=僕は悪くない)という他責的な文法で解釈・処理をしようとしていた。これが最大の「問題」であった。
この「問題」に気づいたのは、短大での講義を担当して3年目の今期に入ったときから。どうも僕は短大生にびびられている。そのイメージを変えるにはどうしたらよいか? そこで、第一回の講義では捨て鉢作戦に出た。自分に関する不利益情報や、自分自身が不安に思っていること、困っていることを、一番最初に皆さんにぶつけてみたのだ。
「僕の講義スタイルは、毎回、皆さんが書いてくれたワークシートの内容について、マイクを向けて皆さんのご意見を伺います。その際、『なんで?』と問いかけることがあります。これは、問い詰める訳ではありません。ただ、僕は興奮してくると、つい口調が強くなったり、声が裏返ったりします。すると、問われている学生さんは、『責められてる』と誤解することもあるようです。でも、僕は皆さんをいじめたくて問いかけているのではありません。この講義で扱う地域福祉課題は唯一で正しい『正解』のない問いです。なので、皆さんお一人お一人の率直な声に基づいて、講義をします。当然、僕も価値観を表明しますが、皆さんも価値観を表明して欲しいです。その際、皆さんの価値観が、どういう背景に基づくか、について聞きたいから、『なんで?』と聞きます。でも、繰り返しますが、皆さんを責めるためではありません。いや、むしろ、皆さんと仲良くルンルン講義をして行きたい、と思っています。どうか、怖がらないで、優しく見守ってください。普段の大学での講義は男子が過半数なので、女性の過半数のこの授業で、僕はいつも緊張しています。何百人の聴衆の前で講演するより、今、テンパっているかもしれません。なので、どうぞよろしくお願いします。」
我ながら阿呆だ、とも思うが、どうせなら思っている不安やためらいを全部最初にぶちまけてしまった。
すると、どうだろう。今年の学生さんは、すっとその事を受け止めてくれ、かつ過去二年間とは対比にならないほど、リアクションもよい。毎回の授業での、やりとりの内容も深まっている。理解度も高く、学生さんからの発言も、より深いものになっている。今日の講義も、学生さんのリプライがあまりに興味深かったので、その内容を突っ込んで一緒に検討しているうちに、これまでの講義で考えた事もないことが浮かび、それを整理している僕自身が興奮しながらしゃべっている、という事態だった。そして、その様子を、後から学生さんが、「今日の講義は非常に面白かった」と伝えてくれた。
何が違うのか。それは、たぶんようやく僕自身が、学びの回路を開く、つまり、学生さんからも学ぼうという器が出来、真摯に向き合い始めたのだと思う。
ちょうど、今、パウロ・フレイレの『新訳 非抑圧者の教育学』を読み直している。前のブログでも触れたが、フレイレは教育には「銀行型教育」と「問題解決型教育」がある、という。教える側は知っている人、教わる側は無知の人、だから一方通行で知識を詰め込めばいい、というのが銀行型教育である。一方、問題解決型教育とは、教える側と教わる側の真の対話から、共に学び合い、成長し合う中で、世界に対する見方を変えていく学び、とでも言えようか。この二つが大きく違うのは、教える側の方が、自らも学ぼうとするか否か、の違いである。
そして、そのことは「学びの回路を開く」という事とダイレクトに繋がる。僕自身、去年まで、短大での講義の時に、自分自身の「学びの回路」を部分的にではあれ、閉ざしていた。「短大生は○○だ」と臆断と偏見による都合の良い合理化を行い、その合理化に基づいて、ゆがんだ認識を行い、その認識に基づいて対応していた。また、僕自身がその歪みを学生たちにかぶせたので、学生たちはその呪縛の悪循環サイクルから抜け出すことが出来ず、結果として「タケバタは怖い先生」「この授業はしんどい」という臆断が既定事実化していった。つまり、問題構造を創り出したのは、他ならぬ自分自身であり、悪循環のサイクルに火をつけ、加速させたのも、僕自身であったのである。なんたるマッチポンプ!
そう気づいた後、結局当たり前のことだが、自分自身がまず変わろうとした。「問題の一部は自分自身」。ならば、他人を変えようとする前に、まず僕自身が変えるべき点を洗い出し、それを一つ一つこなしていくしかない。そう思って事態に取り組んでみると、あっけないほどがらっと学生たちの対応が変わった。去年までの学生さん、本当にすいません。おろかなのは、あなた方ではなく、私自身でした。
僕自身、この学びの回路を、教える側である学生さんに開いたからこそ、学生さんからプラスのフィードバックを頂き、その返礼に促されて、授業がルンルンと展開でき、そこから次のフィードバックとして、講義における新たなつながりや関連性の発見へと繋がった。そう思うと、悪循環から好循環へと循環回路を切り替える為に、まず自分自身の循環性そのものに気づき、それをプラスに切り替える一歩を自分から押すべきだ、という、こないだ読んだ『悪循環と好循環』の定義そのものだった。読んだだけでは、中々学べない。自分自身の実践での躓きを通さないと、そこから痛い思いをしないと学ばない。だが、マッチポンプ構造に気づいて、それを変える為に自覚化すると、変わらないと思い込んでいた構造が、丸ごと変容する。そういうダイナミズムを、講義という場面で感じた4月末、であった。

制度の自己組織化

中途半端な研究者(僕のような)より遥かに鋭い視点で問いかけをされるとみたさんが、次のような深刻な指摘をしておられた。

「制度の制度化」とでもいうのだろうか。ことば遊びのようだが、介護保険や障害者自立支援法の「制度」を利用・使用するために、「制度化されたルール」にのっとらないといけなかったり、制度を利用するためにさらに制度を利用しなければならないという循環に陥る。その一つは市場のルールである。
制度について、私のまわりにいる幾人かの人たちが、最近なんともいえない自分たちの違和感を訴えているが、私も含めてそこからお金をもらっている限り、その制度化の循環からは逃れられない。そのことは個人的には意識的でありつづけたい。だからこそ、どう「制度化」されたふりをして制度をつかうかというけとになるのだろう。
しかし、もう戦艦大和にのるしかないところまできているような気がしてならない。
僕はそれを読んでいて、「制度の自己組織化」という言葉が浮かんだ。
あるモデルなり実践例を抽象化して、制度が組み立てられる。自立生活運動から生まれた重度訪問介護、作業所運動から発展した!?地域活動支援センター、宅老所ムーブメントから出てきた介護保険の小規模多機能型。どれも、実践例の抽象化、モデル化、構造化である。だが、その抽象したシステムとは、ムーブメントが持っていた息吹や魂の捨象を伴う。いや、制度に組み込まれる、ということは、とみたさんの言うように、「制度の制度化」、あるいは「制度の自動律」「制度の自己組織化」が始まる。つまり、制度のもともと内在的に持つ志向性や動きに、取り込んだ新たなものも吸い寄せられてしまう。つまり、制度化する以前にもっていた、作業所運動なり自立生活運動なり、宅老所のダイナミズムのようなものは、より大きなシステムである「制度」の規範性の中に取り込まれ、そこに適合的でないものは、捨てられてしまうのだ。
これはどういうことを意味するか。
「制度の自己組織化」とは、「制度」の生存戦略、とでもいえようか。生物学的な比喩を用いれば、「制度」自身が淘汰圧を超えて生き残るために、様々なものを切り捨て、新たなものを取り込んでいく様相を思い起こす。その際、目新しい動き、時代に先駆けた展開も、キャッチアップして取り込んでいこうとする。先述の様々な運動の中から出てきた実践例の取り込みも、その一例である。
だが、この際、気をつけなければいけないのは、あくまでも「制度の根幹」を変えることなく、自らの制度に都合の良いように、新たなな何かを取り込む、ということの問題性である。ここは重要なので繰り返して述べるが、新たな何かを制度に取り入れるとき、特に日本の社会福祉の領域では、制度適合的な部分が選択的に取り入れられ(あるいはそうなるようにモデルが改変され)、それ以外の、特に制度の根幹への根本的な問いは、きっぱりと選択的に忘却される。制度が実情にあっていないなら、その根幹も含めて変えよう、という反省的な営みはそこにはない。実情がどうであれ、制度「さえ」生き残ればいいのだ、という意味での「制度の自動律」であり、「制度の自己組織化」戦略である。それゆえ、制度に取り込まれた新たなモデル、というのは、残念ながら制度化された時点で、その本質を失う運命にある。なぜなら、実情に合わせた支援をしたい、という新たなモデルの理念そのものが、制度化では捨象されてしまうからである。
そして、僕自身が今一番疑いのまなざしを向けているのは、官僚は何のために働くのか、という部分である。本来、制度とは、人々の幸せを導くための方法論であるはずである。その方法論が、現在の実情とずれたなら、方法論を変えて実情にそぐうようにする。これは、誰でもわかる話である。だが、ブログでしつこく書き続けた障害者制度改革の例を挙げるまでもなく、わが国の官僚制システムの中では、その方法論の維持こそが絶対的な目的とされ、実情とのズレは「仕方ない」と目をつぶってしまう。このような、方法論の自己目的化、としての「制度の自己組織化」が実に進展していると思う。とみたさんが「戦艦大和にのるしかないのか」という悲観は、この方法論の自己目的化の自壊的作用についての悲観なのだ。
ではどうすればいいのか?
僕はその処方箋を持っていないが、少なくとも、こうやってその「制度の自己組織化」の逆機能や問題点、方法論の自己目的化の自壊的作用について、指摘し、警鐘を鳴らすことから始めるしかない、と思っている。まずは、その問題性を言語化すること。その違和感を共有すること。それではだめだ、という認識を広げること。迂遠にみえても、ここからはじめるしかない、と思っている。そして、総合福祉部会の骨格提言のように、愚直に見えても、理想論と言われても、「制度の自己組織化」に歯止めをかける提言をし続けることからしか、光は見えないと思う。
制度は、ぬえのように自己組織化を突き進める。ジョージ・オーウェルの「1984」的世界は、今の介護保険制度の自己保身的態度やそのとばっちりとしての自立支援法への固執の論理と、人々の幸せより制度の自己組織化を優先する、という意味で通低する要素があるような気がしてならない。テクノクラートは、何のための技術者なのか。市民の幸せのためか? 制度の自己組織化維持のためか? この本質的な問いを、本当に問うてみるならば、答えはおのずと出てくると思うのだが・・・

雑種の先にあるもの(連作その4)

前回のブログでは慣れない丸山真男論を書いてみたので、今回はもういちど「学びの回路を開く」の連作シリーズに戻る。とはいえ、この連作、がっちりとした骨組みに基づいて書いているのでは無く、主題に関して思いつくままに書いているので、かなりの振幅の広い(とういか、とりとめのない)内容になっている。これを何とかまとめて一つの著作にしよう、という無謀な事も考えているが、まあ、そのための「ホップ」とでもいえようか。

で、今日取り上げるのは、前回のブログで「戦後啓蒙主義」の丸山真男が「共同体を超える」ために「する」こと論理を取り出した事に関連している。丸山は「である」ことに内在する地縁・血縁の呪縛からの解放を「する」ことに託したが、それから50年たって、そもそも「すること」の商品化・自己組織化が進んでいないか? 「する」ことに人間が支配されていないか?という問いかけを前回のブログでは書いた。
そのような意味で、上記の問いは「モダン」を問い直す問いである。で、そういうお仕事は、理論社会学の分野で展開されているよなぁ、そういえば・・・と書架から引っ張り出したのは、大学時代からお世話になっている社会学の大家の先生に頂いた近著。紐解いて見ると、ちゃんと整理して下さっている。
「モダンの変容といった場合、二つのケースがあることに気づく。そのひとつが、欧米の歴史のなかで蒙ったような変容。もうひとつが、異なった社会的・文化的コンテクストのなかに移転されるなかで蒙る変容。前者が時間的移動に基づく変化とすれば、後者は空間的移動に由来する変化といえよう。ポストモダンとは時間的=歴史的経過に注目したモダンの変容の特徴付けのひとつである。空間的な移転あるいは文化伝播によって蒙るモダンの変質を何と呼んだらいいのか。文化伝播に伴うモダンの変容を『ハイブリッドモダン』と名づけることにしよう。」(厚東洋輔『グローバライゼーション・インパクト』ミネルヴァ書房、p27)
ハイブリッドとは、プリウスで一気にお馴染みの言葉になったが、蓄電とガソリンの混合で動く、つまり「雑種」という意味である。そう、僕らの世代なら受験勉強で必ず読んだ、加藤周一氏の「日本文化の雑種性」のことを、「ハイブリッドモダン」と指す。それなら、よくわかる。欧米で花開いた産業革命や市民革命の成果である工場制労働や議会民主主義を、「空間的な移転」として「輸入」し、「和魂洋才」という形で日本文化の中に入れ込んだのだから、確かに内発的なモダンでは無く、内発的文化と輸入した文化との融合という意味で、ハイブリッド・モダンそのものである。また、モダンの種別的特性として「高度な移転可能性」がある、とも厚東先生は述べる。
「近代文化とは移転可能性が極限にまで上りつめた文化複合体と規定できるだろう。とはいえ合理化されさえすれば移転可能性の程度が高まるというわけではない。合理化の進行が移転可能性の高まる方向で進んだのが西欧合理主義のひとつの特徴といえるだろう。モダンはたしかに西欧を基盤に生誕した。しかし異なった文化圏に移植されても有効に作動し続けるのがモダンである。モダンの種別的特性として高度な移転可能性がある。モダンにとっては移転に移転を重ね、『グローバライズされること』が運命となる。その限りでモダンの本来の故郷は、西欧ではなく、『グローバル・ソサイエティー』ということになるだろう。」(同上、p25)
なるほど、モダンの果てにグローバライゼーションがある、のではなくて、もともとモダンというのが「高度な移転可能性」を基軸に組み立てられるなら、その合理化の進行は当然の帰結として「グローバル・ソサイエティー」に至るのですね。タイでもトルコでもパリでもマクドナルドが幅を利かせているのも、「高度な移転可能性」の格好の例であり、それが「マクドナルド化する社会」なんて言われたりもした。だが、そのことよりも、この「移転可能性」で興味深いのは、「モジュール化への動き」について、である。
「モジュールとは、社会制度の機能単位のことで、社会制度はこうした(相対的に)自己完結した機能ユニットから組み立てられている『モジュール連結体』とみなされる。モジュールは、他の制度的要素からの支援をうけることなく、独自な情報-資源処理を通して、特定のタスク実現=課題達成を果たす事が出来るところに、その真骨頂がある。こうしたモジュールは、ギデンズの言葉を用いれば、コンテクストへの依存を断ち切られた『抽象性システム』の典型といえよう。もしもこうしたモジュールが識別可能なら、文化移転の基本単位はこのモジュールということになる。(略)モジュールをひとつずつ慎重に吟味し、その過不足のない移転の積み重ねによって、制度全体を作り変えていく。オリジナルな制度をモジュールに分解し、そのモジュールの無駄のない組み合わせによって新しい制度を作り上げる。モジュールを戦略地点に選ぶのが文化移転の最も効率的な方策であろう。」(同上、p37)
明治維新の時以来、日本がイギリス、アメリカ、フランス、ドイツなどの欧米列国で盛んに学び、導入した科学的英知は、実はモジュール単位だった、といえば、すごく納得が出来る。どうして別の国々の思想なり文化を移植する事が出来たのか。この問いには、それぞれの領域において、その国の「自己完結した機能ユニット」である「モジュール連結体」が、日本に役立つ、と思ったから入れられたのだ。で、この「モジュールの無駄のない組み合わせ」としての「モジュール連結体」の移転は、欧米から日本へ、だけでなく、日本国内でも中央主権的に地方に移転されていった。都道府県というシステムは、「モジュール連結体」を日本の隅々に移植するにあたって、270もの藩単位に一気に普及させるにはコストやエネルギーがかかりすぎるから、その上位機構として47というブロック単位を作った、という理解をするとわかりやすい。規格化・標準化されたモダンの「モジュール」としての病院、学校、工場、道路、法制度、警察・・・というシステムを一気に広めるには、そのようなコントロールが当時の伝播にふさわしい、という判断があったのだろう。そして、日本は幸運なことに、この「モジュール連結体」の移植で大成功を収めた。
だが、一世紀から一世紀半前に移植し大成功を収めた様々な「モジュール連結体」は、その制度疲労、というか、その限界に達している。丸山真男などの「戦後啓蒙」派の人びとは、日本に根付かなかった「市民革命」的な市民の主体性や自立性という「モジュール」を「する」ことの論理に仮託して、日本に移植しようと試みた。その成果があったのかどうか、はさておくとして、丸山らが当時負の遺産として考えていた身分・家柄・地縁・血縁などの「しがらみ」としての「共同体主義」(=「である」ことを支える論理)は、あれから60年で見事に吹っ飛んでしまった。それも丸山が希求したような「オープンな対決と競争を通じて、議会政治の合理的な根拠を国民が納得していく」という形で「共同体主義」が塗り替えられたのではない。前回のブログにも書いたように、むしろ「する」ことの商業化・自己組織化が進む中で、自己決定や自己選択に思える内容もマスコミや広告による巧みな誘導(洗脳?)として市場化されていった。これは「広告」「マスメディア」という「モジュール連結体」の大きな勝利でもあり、この「高度な移転可能性」のあるメディアと広告の力によって、「標準的な都市の論理」が日本の郊外の隅々にまで移転し、シャッター通りや過疎化・限界集落と国道沿いの金太郎飴のような大規模店の全国展開、が進んでいったのである。これもそのような「モジュール化」の大成功、とも言えるだろう。
とはいえ、それが限界に来ているのだ。丸山の時代は、ハイブリッドモダン化するにあたり、戦後民主主義という「モジュール」をどう日本に成功裏に移転するか、が課題であった。あれから60年を経て、今の日本社会で暮らす私たちに突きつけられている課題は、「出来上がってしまったハイブリッドモダンをどう乗り越えていくか?」という問いである。つまり、以前は「空間的移動」が主題化されていたが、それが変容しながら内在的論理になった今、問い直されるのは、そのハイブリッドモダンの「時間的移動に基づく変化」とどう向き合うのか、である。ポスト・ハイブリッドモダンとでもいえようか。日本社会でモダンを問い直す、ということは、そういうことを意味するのでは無いか。
で、ここでようやく「学びの回路を開く」という連作シリーズに戻ってくるのである。(今回も長い迂回路ですいません)
たとえばこのブログで主題化している、過疎化や少子高齢化の中でどうやって住み慣れた地域で、障害があっても、高齢になっても、シングルマザーでも、ターミナルケアの状態でも、自分らしく暮らしていくことができるか、それをどう支えるシステムを作るか? この問いに答えるためには、実はこれまでのモジュールそのものを問い直す必要があるのだ。厚東先生の言葉を借りるなら、「オリジナルな制度をモジュールに分解し、そのモジュールの無駄のない組み合わせによって新しい制度を作り上げる」必要があるのである。そういう視点で眺めてみると、以前のブログで紹介した岡山モデルや高知モデルも含めて、その推進役である小坂田先生や地域包括ケアを進める人びとがしてきたのは、「モジュールの分解と分析、再統合」であった。これは、その後のブログでご紹介した、中山間地の再生に取り組む各地の実践とも通底している。そして、これらの「先進地」で行われていることを、「コンテクストへの依存を断ち切られた『抽象性システム』の典型」としての「モジュール」として昇華させた上で、「移転可能性」を高めて他の地域に移植すればいい、という案が浮かび上がってくる。現に、厚労省の言う地域包括ケアの絵は、そういうものとして描かれている。
しかし、である。それはあくまでもハイブリッド・モダン時代の発想ではないか。ポスト・ハイブリッドモダンの時代にあっては、単に「抽象性システム」としての「モジュール」を当てはめるだけでは、うまくいかなくなっているのではないか。
ここからは、文献を離れて、ぐっと夢想的・妄想的な話をする。
戦後のハイブリッドモダンを移植する段階では、まだまだ土着的な土の力は、かなりの強固なものであった。丸山真男ら「戦後啓蒙世代」が必死になって引きはがそうとしても、なかなか人びとの心を支配している「村社会」の土着性であった。だが、「する」ことの市場化と「である」ことのハイブリッド化の進展の中で、この土着性こそ、とことん根絶やしの方向に進んでいったのではないか。たとえて言うなら、土壌改良されまくり、本来の力を失った土、というイメージが思い浮かぶ。「ジャスコ」や「洋服の青山」「パチンコ屋」「マクドナルド」「くら寿司」が並ぶ街並みをみて、どこの郊外か全くわからないほどの無表情化している、ということは、ある種の土着性の去勢のようにも思えてならない。それが「文化の伝播」の「学習」なら、真面目に学びすぎた結果でもある、といえるだろう。
で、去勢され、勢いがなくなった土着性は、実は人びとの「しがらみ」だけでなく、「帰属意識」も「安心感」も含めた「ふるさと」そのものを葬り去ろうとしている。雑種文化=ハイブリッドモダンによって日本は繁栄を得たが、それは均一化をもたらし、個々人のアイデンティティを裏打ちする個性や豊かさを奪う部分もあった。変な言い方をすると、「均一な雑種」とでも言えようか。「あなた」が「私」や「彼」と入れ替わっても、「甲府」の郊外が「八王子」や「堺」のそれと入れ替わっても、何の問題もなく動き続けていくシステム。その無表情なシステムの中で、個々人の魂が蓋をされ、「均一な雑種」がやがて、個々人の存在の発露に蓋をする呪縛として覆い被さる。それはあたかも以前「しがらみ的共同体」が蓋をしていたのと同じように。
そこから自由になるにはどうしたらいいのか。もう一度、呪術的な土着性に戻るべきなのか。そこに補助線を入れるとしたら、「世界の再魔術化」という副題のある本を思い出す。
「『対抗文化(カウンターカルチャー)』のさまざまな要素を結び合わせる共通の絆はあるのだろうか? おそらくそれは『回復』(recovery)という概念である。それらがめざすのは、本来の我々のものであるはずの、身体、健康、性、自然環境、原初的伝統、無意識の<精神>、土地への帰属、共同体人間同士の結びつきの感覚、そうしたものを回復することである。そこで唱えられているのは、単に『ゼロ成長』とか工業の減速だけでは無く、この四半世紀の間に失われたものを過去から取り戻そうという姿勢である。前進するために後退する。つまり、それは未来を取り戻そうとする試みなのだ。」(モリス・バーマン『デカルトからベイドソンへ』国文社、p328)
ただ、バーマンの表記は一見すると「復古主義」的に見えるので、注意が必要だ。リカバリーというと、精神障害者支援の分野でも最近「ブーム」から常識へ、と展開している。とはいえ、このリカバリー概念も、以前の状態に戻る、という単純な意味で使われているのではない。リカバリーモデルの提唱者の一人、リック・ゴスチャは「精神障害者は、自分の人生を取り戻し、再生し、改善させることが出来る」といっている。精神障害になり、それまでの仕事一辺倒とか家族関係とかそういう以前のシステム体系が一旦破綻してしまった、という前提のもと、その「人生を取り戻し、再生し、改善させる」か、が鍵になる。「回復」とは「以前と同じにするのではなく、今の状態からどう次のゴールを取り戻し、再生し、改善されるのか」という問いでもある。
そう思ってバーマンの定義をみると、「失った『本来の我々のもの』」としての「身体、健康、性、自然環境、原初的伝統、無意識の<精神>、土地への帰属、共同体人間同士の結びつきの感覚」を、復古主義的にではなく、現代のコンテキストの中で、どうリハビリテイトさせるか、という課題である。
ポスト・ハイブリッドモダンとは、「均一な雑種」の「先にあるもの」を探す営みである。そして、「均一な雑種」からの離脱であるならば、それを既存の「モジュール連合体」の文化伝播という形で乗り切る、という前時代の「ハイブリッドモダン」の振る舞いそのものを再帰的に振り返り、反省し、乗り越えていくことが求められる。つまり、「モジュール化」が「コンテクストへの依存を断ち切られた『抽象性システム』」によって支えられたとするならば、それによって土壌が改良されて土着力が根絶やしにされかかっているとするならば、その去勢された「コンテクスト」という土着力を、現在の視点で再発見し、その土地のポジティブな力として再生させる、という方向でしか、息吹を吹き返さないのではないか。「均一な雑種」の先にいくには、その「均一な雑種」が蓋となって抑圧してきた、その土地独自のローカリティを、「均一な雑種」とどう接合させるか、が課題になっている。
ただ、この際、土着の危険さにも注意が必要だ。
「モダニティの平板さに飽き飽きして、代わりに、差異を産み出す源泉として、土着の文化・文明にスポットライトがあてられる傾向もある。ここにファンダメンタリズム=原理主義が跳梁する根拠がある。」(厚東、同上、p59)
原理主義は、モダニティという平板さの否定として立ち現れる。だが日本社会で暮らす私たちは一方で、ハイブリッドモダンの恩恵を十分に受けていて、それを捨ててまで原理主義的になることは出来ない。であれば、この土着の文化・文明への「スポットライト」のあて方も、単に復古主義的なそれではなく、ハイブリットモダンの文脈と、土着の文化・文明の文脈を、どう対等な形で接合させるか、という視点が必要になる。それでこそ、「均一な雑種」から、その土地らしい「雑種」への昇華・変容が可能になるのだろう。そして、その際の方法論として厚東先生が示唆しているのが、文化と文化の間の相互作用としての「マクロ・インタラクション」である。
「今後問題なのは、二つの文化が出会ったとき、いったい何が起こるかである。相互に排斥し合う、あるいはどちらかが模範とされる、という両極端な場合は、もはや起こりえないであろう。お互いに、他の文化を学習し合い、自己変革を遂げることになると思うが、その結果どういう文化が生まれるのかについて考えようとすると、頼りになる指針が存在しないことにあらためて気づかされる。」(同上、p105)
この際の二つの文化、とは、ハイブリッドモダン化された日本の文化、とポストモダンでスローフードを実践しているイタリアのそれ、といったものにも当てはまるが、それだけではないと考えてみると、面白い。例えば「均一な雑種」としての都市と、徳島県上勝町のような「文化再生を果たした田舎町」、あるいは「均一な雑種」としての現代都市文化と、その同じ都市の150年前の文化、こういった、空間・時間的な文化の比較の中から、「他の文化を学習し合い、自己変革を遂げる」ヒントが隠されている。そういう学習のサイクルを回す中で、「未来を取り戻そうとする試み」としての「回復」が展開されていく。それこそが、ポスト・ハイブリッドモダンの時代に求められる展開なのではないだろうか。最後に厚東先生による近代化の定義を引用しておきたい。
「近代化とは伝統が消滅し近代のみが勝ち誇る過程ではなく、同時代を地平に『新(モダン)』と『旧』の新たな差異化が行われる過程である。伝統は消滅するのではなく、理念的に再編されるだけである。近代化とは伝統を<地>に近代が<図>として描き出される『複層的』過程である。」(同上、p130)
<地>だけ見ると原理主義に陥り、<図>だけに浮かれると開発至上主義者になる。そのどちらも、限界が来ている。だからこそ、既存の「モジュール」としての(=制度化された)設計図を当てにせず、その地域独自の<地図>を描き直す試みが必要なのだ。そして、この独自の<地図>の描き直しこそ、「学びの回路を開く」ことそのものなのだ。

アクチュアルな「論語」の「知」 (連作その3)

先月末の研究会で、安冨先生から、書店に並ぶ直前の新著を頂いた。読み始めて、あまりの面白さに一気にその世界にひきこまれてしまった。その本で一番大きかったのは、次の公式である。

(知/不知)→知
これは一体どういうことであろうか。
安冨先生の『生きるための論語』(筑摩新書)によると、論語に出てくる基本的用語である「知」とは「自己言及的表現」(p36)であるという。これはどういうことかというと、「『知る/知らない』という状態よりも、世界への認識の枠組みを遷移させる学習過程としての『知』」(p43)であるといい、それは「運動」でもある、という。これは、最近になってすごくよくわかる。
受験勉強などの「詰め込み型」の知識であれば、単に「知らないことを覚える」という形での「知」であった。そこにはワクワクやドキドキなどが伴わないので、僕はついつい読書やラジオに走ってしまった。(ネットがあったら絶対勉強しなかっただろうから、受験生時代にネットがなくて本当に良かったと思っている)。だが、受験勉強が終わった後、特に「知る」ことより、「知らなかった」ことに気づける事に、すごく嬉しさを感じる。興味の無いものには、そもそも「知りたい」という動機さえ沸かない。もっと知りたい、と希求する時、「こんなことを知らなかった・わかっていなかった」と前景化することは、恥ずかしい事では無く、むしろ取り組むべき課題が明確化された、と感じるのだ。それを「運動」と安冨先生が呼ぶのは、次のような理由がある。
「新たに産出された『知』は最初の『知/不知』に跳ね返って、また新たな『知』を創り出す。このような回路が繰り返し作動する。この全体が『知』である。『是知也』という断定によって、最初の『知』の意味が変化し、『知』が知っているという状態であると共に、『知』と『不知』を分別するその過程でもある、という意味が膨らむ。このとき、変化しているのは『知』の方ではなく、知ると知らざるとを分別している『私』自身である。言葉の論理展開とともに、それを展開し理解する『私』が変化し、その変化が言葉の意味を豊かにする、というダイナミクスが生じている。この自分自身の変化を伴う解釈の過程は、『学習過程』だと言ってよいであろう。」(p38)
「知る」事の魅力とは、単にクイズ王のように断片を頭の中に放り込んでいくことではない。「知る」過程の中で、「何をまだわかっていないか? 知らないか」が明確になる。すると、以前のその「知る」主体である「私」自体が変容し、それに伴い「知っている」内容も変遷する。「自己言及的表現」とは、「知る」という行為を続ける限り、常にその「知」の枠組みや構造自体が書き換えられ、それに基づいて「私」自身も変容していく、という好循環のプロセスに入る、ということである。そして、それこそ「学習過程」である、という。
「自分自身の既存の枠組みの中に外部から何かを取り込むことが『学』であり、それが自分自身のあり方に変化を及ぼして飛躍が生じる瞬間が『習』である。上の図式では、『知/不知』という部分の過程が『学』であり、それが自らに跳ね返って『知』が変貌する瞬間が『習』に相当している。」(p38)
上記のフレーズを打ち込みながら、改めて僕がブログでし続けてきたのは、この「学習過程」である、と強く感じている。例えば今回は、この安冨先生のテキストに強く感化された自分がいて、それをブログという媒体を通じて「取り込む」という「学」を行っている。だが、僕はこうして7年間ブログを書き続ける中で、「自分自身のあり方に変化を及ぼして」きた。そして、前回の連作や今回の連作を書き続ける中で、おそらくは「飛躍」が生じ始めているのだと思う。そのワクワク・ドキドキの瞬間やプロセスこそ「習」であり、僕の言葉で言えば、「枠組み外し」でもあり、「学びの回路を開く」ことでもある。そのことによって、まさに「知が変貌する」瞬間に、自ら立ち会いつつ、このブログを書いている。それは、少しオーバーな表現を使わせてもらえば、それを「知る」ことによって、以前とは違う景色が見えること、そして、見えてしまった景色を前にすると、もう以前の景色、以前の「私」(の認識)に戻れないこと、を指す。論語には、そしてそれを私たちにアクセスしやすく解説して下さる安冨先生のこの『生きるための論語』には、そのようなパラダイムシフトが内在されているのだ。
そして、この自己言及構造(A/非A)→Aは、「論語の論理構造」(p40)としてあちこちに出てくる、という。仁や和、も不仁や不和を知ることを通じて、一段と高いレベルでの仁や和を獲得する、という意味で、この論理構造の範疇にある、というのだ。そこには、論語の次のような人間観がある、という。
「自分を常にモニタリングして、人の言うことに耳を傾け、自分の間違いに気づいたら、直ちにそれを受け入れ、更に自分の行動を改める。これが孔子の追求する人間としてのあり方の根幹にある。」(p57)
これは多分に自戒を込めて書くのだが、「中途半端にわかっている人」ほどたちの悪いものはない。全くその領域を知らない人なら、それを知る為に必死になる。例えば福祉領域で言うと、毎年4月は、多くの自治体職員が新たに福祉課の担当になる。2,3年で次々に担当を変わる、という現行システムが良いかどうかは別問題として、多くの職員がゼロからのスタートになる。これは、一方では事業の継続性として大きな弊害ではある。ただ、必死になって福祉に関する法や制度、現場の事などを学ぼうとする行政職員の中には、しばらくの間、(A/非A)→Aというプロセスが働いている。その一方、長年同じ福祉現場で働いている職員の中には、「そんなことは知っている」とお高くとまっている人もいる。確かに「ある程度」は知っているが、では深く知っているのか、現時点の課題や他領域の動向も含めて幅広く知っているのか、というと、怪しい人も少なくない。「井の中の蛙」としては「知っている」としても、「大海」に照らせば、全然知らないくせに、「知っている」として、更に知ろうと努力をしない職員も少なくない。
その一方、正しく(知/不知)→知の回路を回し続けた自治体職員の中には、最初の半年こそ現場職員に比べて「知」のレベルが劣るものの、気づけば現場職員よりその本質や構造をよく「知っている」人はいる。現
場の人は「事例」は知っているかもしれないが、事例の背後に潜む構造までちゃんと「知っていない」場合が多く、さらに、それを「知らない」ということも知らない。そういう意味では、実は「自分は何を知らないのか」に無自覚な人は、この学びの回路から阻害されている、とも言える。そして、中堅職員やベテラン、と言われる人の中に、この「知らない」を知る、という自己言及プロセスからの阻害を往々にして感じる。だからこそ、「中途半端」なのだ。(こういう悪口を書き出したら筆が止まらなくなるが、今日の本題から外れたので、またにしておく)
さて、安冨先生のこの本では、他に引用したい部分も一杯あるのだが、学びの回路を開く、という僕の今日の主題と関連する部分を、あと二箇所ほど取り上げたい。
「ここに、AとBという二人の個人がいるとしよう。二人が相互に学習過程を作動させており、『仁』の状態にあるなら、Aの投げかけるメッセージをBは心から受け止めて自己を変革し、そこから生まれるメッセージをAに返し、Aもまた同じことをする。このとき両者のメッセージの交換は『礼』にかなっている。このときAとBとがそれぞれに解釈して把握する意味は、常に互いに異なっている。より正確に言うなら、違う人格がそれぞれに把握している『意味』が、相互に一致しているかどうかなど、原理的にわからない。そのわからなさを無視し、互いに『同じ何かを共有している』という思い込みを形成するのが『同』である。小人は『同』がなければ不安でたまらない。しかし、君子はこのようなことを必要としない。人は人、自分は自分である。人が自分の考えを共有してくれるかどうかなど、問題とならない。それはそもそも不可能なことだからである。それゆえ、君子の交わりは、相互に考えが一致しているかどうかなど問わず、むしろその相違を原動力として進む。こうした相互の違いを尊重する動的な調和を『和』という。」(p103-104)
ここには、福祉現場で昨今耳にたこができるほど言われている「連携」の本質が隠されている。論語や安冨先生は、「違う人格がそれぞれに把握している『意味』が、相互に一致しているかどうかなど、原理的にわからない」、とはっきり言う。だから、「同じ何かを共有している」というのは、あくまで「思い込み」である、と。では、同じ目標の共有に基づいた多職種連携というのは、原理的に不可能なものなのだろうか。それは、「『同じ何かを共有している』という思い込み」という「同」の状態に陥っていないか、と気づくことから始まるのだ。医師と看護師、ソーシャルワーカーと民生委員と、職種や社会的立場、そして個性も人格も違う人びとが、もともと「同じ何かを共有」している、というのは幻想である。でも、そこに集う人びとが「相互に学習過程を作動させて」、相手の「投げかけるメッセージをから受け止めて自己を変革」をしようとするならば、その「メッセージの交換」がその集った人びと全体の中で相互作用化するならば、そこにはお互いの「相違を原動力として進む」「動的な調和」としての『和』が作動する。
「和して同ぜず」とは、「相手も自分と同じ事を思っている(→だから自分が正しい)」という「同」の前提に立つことではない。むしろ、違う考えやスタンスの相手と学習過程を作動させながらコミュニケーションすることによって、一人の考えでは突破できなかった課題に対して、お互いの「相違」に基づきながらどのような風穴をあける「原動力」を見出していくのか。そのような「動的な調和」を「学習過程」中でどう作り込むか。そのためのコミュニケーションはどうあるべきか。これを「礼」にかなったやり方で追求する。これが「連携」の本質なのかもしれない。
あと一つ、どうしても取り上げておきたいのが、「正名」、つまり「名を正す」ということである。
「日本人はアジア太平洋戦争の際に、侵略を『聖戦』と呼び、侵略軍を『皇軍』と呼び、退却を『転進』と呼び、全滅を『玉砕』と呼び、自爆攻撃を『特攻』と呼び自分の国のことを『神国』と呼んだ。このような歪んだ名を与えて思考すると、何が起きるかは明らかであろう。これが『名を正す』ということの意味である。怖いものは怖い、嫌なものは嫌、好きなものは好き、やりたい事はやりたい、やりたくない事はやりたくない、死にたくないなら死にたくない。このように『名』を正しく呼ぶことが、人間がまともに生きるための第一歩なのである。ここを歪めてしまうと、そこから先は何が起きるかわからない。というのも、人間は、世界そのものを認識しているのではなく、『名』によって世界の『像』を構成し、それによって思考しているからである。名と名の関係性を組み替えたり、あるいは名を与えられた像の運動を構成したりすることで、我々は思考し、行動している。それゆえ、名を歪めてしまうと、我々は自らの世界に生じる事態についての正しい像を構成できなくなってしまう。(略)それゆえ孔子は、何よりもまず名を正すべきだ、と言うのである。名が正される人なら、どんなにひどい事態であっても、創造的に対応することができる。」(p138)
「『名』を正しく呼ぶことが、人間がまともに生きるための第一歩」なのである、が、この世界に、その反対の「名を歪める」事態が、どれほど起こっていることだろうか。
例えば、2月に集中的に書き続けたが、3月13日に閣議決定された「障害者総合支援法」。これなんて、明確に「名を歪め」た法律である。その根拠は以前シノドスに書いた原稿などにみっちり書いたのでこれ以上くどくど書かないが、結局のところ、「総合福祉部会」で提言された「骨格提言」を厚労省は「やりたくない」というか「やる気はない」のだが、裁判の和解(基本合意文章)の中で「新しい法律に変えます」と約束したから、「名前『だけ』変える」という、実に姑息なやり方である。そもそも今日は口が悪いので、悪口ついでにいうと、「障害者自立支援法」というのも、実に「歪んだ名を与えて思考」した法律だと感じる。本当に障害者の「自立」を「支援」するならば、応益負担問題以前に、入所施設や精神科病院への長期社会的入院という構造そのものに手をつける必要がある。だが、それは「セーフティーネット」なるこれも歪めた名をつけて温存し、地域社会への資源や財源配分を傾斜することなく、介護保険法に吸
収合併する為の骨格構造を描く主目的は全く「名」として前景化せず(しかもみんな知っている)、障害者運動が大切にしてきた「自立支援」という「名」だけをパクって、さも理解しているかのような法律にする。これぞ、欺瞞そのものである。この欺瞞を正そう、「名」を正そうとしたのが、障害者自立支援法違憲訴訟のはずだったのに(詳しくはHPを参照)、そして国は一旦「名を正す」ことを約束したのに、それを、この2月になって反故にしたのである。
この厚労省の「名を歪めた」思考や動きを批判すると、「訳知り顔」の方々が、「タケコプター的理想論だ」とか、「できねぇよ」とか、「現実論から遊離している」とか、「そもそもそれは政治の問題であって厚労省の問題ではない」とか、いろいろな反論をされる。僕自身も、山梨や三重で公務員の方々と一緒に仕事をする機会が多いので、人員削減を一律にする中で、障害者福祉行政の方々が、どれほど残業を繰り返し、必死になって現場を護ろうと努力しておられるか、はよくわかっている。だから、マスコミがやるような官僚バッシングをしたい訳ではない。ただ、明らかに厚生労働省は自立支援法の前あたり、つまり支援費の雲行きが怪しくなった2004年の当初あたりから、「名を歪め」た思考になり始めているのである。それが、支援費のたった100億程度の予算超過を「アンコントローラブル」と言ってみたり、上述の「自立支援法」なる歪めた名の法律を作ったり、その延長戦上で総合福祉部会の骨格提言を潰しにかかったり、という動きに出ている。大変厳しい言い方をすると、東大を出て優秀なはずの霞ヶ関のキャリア官僚の皆さんが「名を歪めてしまうと、我々は自らの世界に生じる事態についての正しい像を構成できなくなってしまう」という状態に陥っているのではないか、という強い危惧である。
だがら、僕は「何よりもまず名を正すべきだ」という孔子=安冨先生の提案に心より賛意を示すし、その一環として、2月あたり、集中的に厚労省批判の文章も書いてきた。これについて「学者の名を借りた運動家」という評価もあったが、僕自身は、「名を正す」ことは、学者としてすべき大切な仕事である、と感じている。こう書くと、「官僚は学者と違って出来ないとは言えない立場なのだ」という反論も来るかもしれない。しかし、何があって、政治主導で「名を正す」と決め、その決定に基づき国の審議会で議論の上でまとめられた「骨格提言」が実現できないのか、それは財源論の問題なのか、それとも本当にこの提言が机上の空論であったのか。そういう理由をきちんと厚労省は応答する責任がある。それでこそ、「名が正される」のである。そのことなく、「現行法でも裁判の和解内容は遵守できています」という本人も信じていない嘘を平気でつくのは、明らかに「名を歪めた思考」であり、それは天下国家を論じるべき厚労省のキャリア官僚がしては、自爆行為なのである。長く書いたが、厚労省のキャリア官僚には、「『名』を正しく呼ぶことが、人間がまともに生きるための第一歩」であることを思い出してほしい、という、懇請のような思いで、この間批判を書き続けていた。
随分長く書いたが、まだまだ安冨先生のこの本からくみ取れる部分、これに関連づけて自らの気づきを展開したい箇所が沢山ある。この本を読む前には、「論語」がこんなに自らの「学び」や生き方そのものにアクチュアルに響くとは思っていなかったけれど、安冨先生の本を読んで、僕は文字通り(知/不知)→知のサイクル、つまり、知ってしまった以上、今までとは違う景色を見始めている。その意味で、繰り返しになるが、この『生きるための論語』は僕自身の「学びの回路を開く」ためのキーブックとして位置付いている。

復讐から贈与へ(続 学びの回路を開く)

パラダイムシフトについて、非常にわかりやすく書かれた本にであった。

「人は別のサイクルに入ることでしか、あるサイクルから抜け出ることは出来ない。復讐というマイナスの相互性から贈与交換というプラスの相互性に移行するときには、眺めている時間の方向が逆転するのと同時に循環性が保存される。『これからくれる人に与える』、私がこのようにプラスの交換を定義したのは、復讐と贈与との間にある対立関係と並行関係に同時に注目させるためなのである。もし私が、『すでにくれた人に贈る』と言ったとすれば『殺した者を殺す』という公式にもっとも近いところにとどまっていただろう。『すでにくれた人に贈る』というのは伝統的な交換の概念に一致しているかもしれないが、それは、復讐と贈与の二つの相互性の間の並行関係しかつかまえておらず、復讐と贈与のそれぞれが目を向けている時間の方向の違いは見ていない。このような見方が不十分であるのを知るためには、復讐における最初の行為と贈与における最初の行為を比較するだけで十分である。復讐における最初の行為はいつでも過去に先行してなされた攻撃に対する反応であって、未来に受け取る贈与を予期しての反応ではない。他方、最初の贈与は先手を打つことでなければなされない。」(マルク・R・アンスパック『悪循環と好循環』新評論、p34-35)
モースの贈与論から互酬性の形を再考した同著で、一番興味深かったのが、「すでにくれた人に贈る」と「これからくれる人に与える」の比較である。これは、非常に本質的で、含蓄の深い「対立関係と並行関係」である。
復讐に代表される「すでにくれた人に贈る」という論理は、時間の方向で言うと、常に「後追い」である。自分ではコントロール不可能なある行為に大きく影響され、それに何とか返礼するための「贈る」という行為。PTSDであろうと、「お中元のお返し」であろうと、自分が予期せずあるサイクルに巻き込まれてしまい、それへの返礼として「贈る」という論理である。内発的論理というより、外在的に、どこかせかされた感じで「せねば」という気持ちに急き立てられる論理、ということも出来るかもしれない。
一方、「これからくれる人に与える」というのは、文字通り「先手を打つ」ことである。相手がどうするのかわからないけれど、まず「贈与」する。その際、「せねば」と追い立てられるような義務感はない。文字通り「与えたいから与える」のである。「せねば」と比較するならば、「したい」からするのである。これは、魂の赴くままの贈与でもあり、自らの感情に無理矢理鋳型をはめたり蓋をしなくても出来る行為であり、内在的論理に基づく。
この「後追い」と「先手を打つ」の違いは、アジェンダ(=枠組み)設定とも関係している。「すでにくれた人に贈る」のであれば、「すでにくれた」という枠組みや論理にどう対応するか、に主眼が置かれている。その際、既に駆動している他者の意図や枠組みを、肯定にしろ否定にしろ、どうしても参照しなければならない、という点で、相手のペースに乗っている・乗らされている。一方、「これからくれる人に贈る」という際には、最初から誰に何を贈るか、も含めて、こちらで枠組み設定が出来る。振り回されることはない。
「すでにくれた」というのは、「最初に受け取るから得だ」という誤解も生み出す。だが、実は受け取ってしまう、ということは、ある種の返礼義務を課し、さらには復讐やPTSDなどのように被害も受けると、心の傷まで取り込んでしまうことになる。そして、この悪循環贈与のサイクルは、それを意識しないと、ずっと炉心はネガティブな回路で燃え続ける。相手から受けた呪縛の論理が自らに乗り移り、その他者の枠組みでずっと自らの内面を燃やし続ける、というしんどい回路にはまり込むのである。では、それをどうやって抜け出せばよいか。
「悪循環から抜け出るためには、その循環のプロセスを含む循環性を認識することが重要である。そしてすべての循環性を否定するのではなく、別の方向へと出発するプラスの循環に入ることである。人が復讐から逃れるのは、マイナスの循環をプラスの循環に反転させることによってだけなのである。」(p174)
実にシンプルな答えである。「すでにくれた人に贈る」循環性に自らが陥っている、ということに、気づくことでしか、抜け出せない。前回のブログでも触れた拙稿が載っている東洋文化92号の副題が「『箱』の外に出る勇気」とされていたが、このこととつながる。これは、この特集号の編者である深尾先生と安冨先生がスタンフォード大学の別府晴海先生から受け取った言葉である。東洋文化の中で、先生の言葉がこのように引用されている。
「新しい概念を創出することが『箱の外に出る』ことだと思います。『箱の外に出る』ことは必ずしも生産性のある創出にはなりませんが、『箱の外に出る』勇気が、学問にはいると思います。英語でもthink outside the boxと表現します。『自己の呪縛を乗り越える』と同時に、『(学問上の)常識(ドミナントストーリー)の呪縛を乗り越える』ことだと私は理解しています。」(東洋文化92号、p12)
内田樹先生の考えを借用すれば、学問とは、前時代の叡智を受け取り、発展させ、後生にパスをするリレーである。ということは、常に「すでにくれた人に贈る」という論理からスタートする。知識の獲得とは、もちろん、「既にある知識を受け取る」ことからスタートする。だが、どこかで「受け取る」ことを基盤にした「後追い」の枠組みには限界が来る。その時に、実は大切になるのは、「自己の呪縛を乗り越える」という意味での、「後追い」からの開放なのだと思う。それがあって、はじめて「(学問上の)常識(ドミナントストーリー)の呪縛を乗り越える」ことが可能になる。それは、自らが呪縛されているシステム全体を見つめることであり、それは「箱の外に出」て、「悪循環のプロセスを含む循環性を認識する」ことである。そして、それが出来て初めて、「別の方向へと出発するプラスの循環」に入ることが可能になるのである。するとようやく「これからくれる人に贈る」という主体へと変遷が可能なのだと思う。
この悪循環から好循環への、後追いから先手への、立ち位置の転換。「学びの回路を開く」上で、このパラダイムシフトは欠かすことが出来ない点であろう。

学びの回路を開く

昨年の7月、ブログに書き続けた「枠組み外し」に関する一連の考察が、かなり手を加えた上で論文となった。ご縁あって、東大の東洋文化研究所の紀要『東洋文化』の92号「特集 脱植民地化(3)-「呪縛」からの脱却・「箱」の外に出る勇気-」という論文集の中に、「枠組み外しの旅-宿命論的呪縛から信の<明晰>に向かって」というタイトルで、掲載頂いた。

一昨日の木曜日、その特集号の合評会が東洋文化研究所で開かれ、その論文集の著者や、あるいは「魂の脱植民地化」研究に関連の深い方々と議論をするチャンスに恵まれた。その時、様々な刺激や気づきを受けたのだけれど、その議論を通じて一番大切に感じているのが、今回の表題にもある「学びの回路を開く」というフレーズだ。
これは、前回のブログで、「魂の脱植民地化」研究の先鞭を切っておられる安冨先生の著作を引用する中で、心惹かれたフレーズである。そして、この「学びの回路を開く」ということが、コンテキストを変え、渦を作り出し、何かを創発していくために、本当に必要不可欠なのだ、と感じている。
「学びの回路を開く」とは何か。これは、この研究会の議論の際に思いついたフレーズを使うとすると、「服従」と「学習」の違いから説き起こすことが出来ると思う。
「服従」の論理とは、一方通行の論理。教える側と教えられる側、支援する側とされる側、という権力の非対称性の関係をそのまま内包した論理。一方が何かを授ける・与える。他方はそれをそのまま受け取る。その際、一方の側の枠組みを、他方は例え内心疑ってたとしても、口に出してはいけない。ありがたく受け取るのみ。そして、その枠組みの中で、従順に受け止める事が「よい子」「扱いやすい利用者」として評価される。逆に与える側の差し出す何かを素直に受け取れない人は「不良」「問題行動」「逸脱」というラベルが貼られ、治療や処分の対象とされる。この際、権力が非対称の関係なのだから、権力保持側(=つまり与える側)の論理が疑われることはない。オカシイのは、そのせっかく「与えてやった」何かをありがたく受け取らない逸脱者の側にあるのだ。そして、誰のどのような行為を評価・罰するのか、を見ている教えられる側・支援される側は、権力の非対称性という自らにとっては不利な環境を生き抜くために、「服従」する事を学び取り、「お伺いを立てる」という構図を身体化させる。それが、自らの生存戦略上有利になる、と肌身に感じているからだ。ただし、「服従」を学ぶ事からは、「学びの回路」が「開かれる」ことはない。盲目的に従うことのみを学ぶのだから、むしろ「閉ざされた学び」とも言えようか。
一方、「学びの回路を開く」という意味での「学習」とは何か。安冨先生のフレーズを借用するならば、好循環のフィードバック機構を創り出す営み、とでも言えようか。前回のブログで引用した安冨先生の文章を再掲すると、こういうことになる。
「働きかける側と対象となる側に切り分けるのではなく、両者を、相互に依存し、影響しあう一つのシステムとして認識しようとする姿勢である。この共生的関係を明確に認識しあいながら、そこに結ばれる新しい関係によってなんらかの新しい価値を創出することがめざすべき方向となる。」(安冨歩『複雑さを生きる』岩波書店、p128)
そう、教える側・教えられる側や、支援する側・される側といった「切り分け」をやめ、「両者を、相互に依存し、影響しあう一つのシステムとして認識」する。すると、知識や介護をA→Bへと一方的に渡す、という「服従」的論理は崩壊する。なぜなら、AからBに何かを伝える時、切り分けの思考から脱することが出来れば、BからAへも何かが伝わっていることに気づけるからだ。それが「わかった」「ありがとう」という言葉だったり、あるいは「聞きたくねえよ」「そんなことされたら嫌だ」という表情かもしれない。知識や支援内容が物流のようにA→Bへと一方的に伝わるのではなく、その知識なり介護なりが与えられる際、当然そのリアクションが相手から帰ってくる。そのフィードバックを、B→Aのコミュニケーションと受け止めて、その言語・非言語のコミュニケーションを自分に向けたメッセージだと受け取り、そこから新たな何かを差し出す、という関係性に漕ぎ出すことが出来るか、がAの側に問われている。AとBの間に一つのシステムとしての双方向な関係性がある事に気づくか、の分岐点でもある。
その際、「これは決められたルールだから」「教科書にこう書いてあるから」「これは僕の仕事ではないから」・・・と、B→Aで伝えられるメッセージやコミュニケーションを受け取ることを事実上拒否したのなら、それは双方向コミュニケーションの断絶であり、そこからA→Bの一方的なメッセージの増幅と「服従」の論理が強化される。だが一方、「B→A」のメッセージにきちんと応答し、自分なりにそのメッセージを受けとめた上で、相手に何らかのフィードバックをしよう、と働きかけるならば、それは「対話の回路」が開かれることになり、そこから「学びの回路を開く」という循環が始まる。
そう、ここまで書いてきて気づいたのだが、僕が「学びの回路を開く」という際に大切にしているのは、教えられる側・支援される側の回路を開くことももちろんだが、それよりむしろ遙かに開きにくい、教える側・支援する側の「学びの回路を開く」、ということなのかもしれない。
そして、これは先述の昨年7月の連作シリーズの中でも、今回の「東洋文化」の原稿でも引用した、パウロ・フレイレの有名なテーゼと繋がってくる。
「『銀行型』教育の概念では教育する者は教育される者を偽の知識で『一杯いっぱいにする』だけだが、問題解決型教育では、教育される側は自らの前に現れる世界を、自らとのかかわりにおいてとらえ、理解する能力を開発させていく。そこでは現実は静的なものではなく、現実は変革の過程にあるもの、ととらえられるのである。」(パウロ・フレイレ著、三砂ちづる訳、『新訳 被抑圧者の教育学』亜紀書房、p107-108)
以前は僕自身、この銀行型教育と課題解決側教育の違いを、一方通行か双方向か、の違いでは捉えていたが、それでも主に教わる側・支援される側が、「服従」するのではなく、「学び合う関係」「問いかけ合う関係」に変化できるか、という視点で捉えていた。だが、今ようやく気づいたのだが、実は、教える側・支援する側が、「服従」の論理で相手を「一杯いっぱいにする」のか、教わる側・支援される側と一緒に「変革の過程にあるもの」を眺め、その動的プロセスの中にダイブする事が出来るか、が問われているのである。そして、前者の方が前例踏襲的で「常識」的であり、後者に踏み出すことは、時として大きな負荷がかかる。
社会のドミナント・ストーリーは、前例踏襲的な「常識」である場合が多い。「子どもは黙って従うもの」「支援されるだけで有り難い」といった押しつけは、それが「社会化」されるなかで、有無を言わさぬ恫喝的ドミナント・ストーリーとして、「服従」の論理に転化しやすいし、そういう本人もその枠組みを所与の現実として内面化しやすい。だが、社会のドミナント・ストーリーや「常識」は、実は固定的なものではない。
ちょうど昨日、半年前に放映された「STOP虐待! ニルスの国のたたかない子育て」という番組の録画を見ていた。その中で、スウェーデンでは30年前に親子法という法律の中で次のように規定された。
「子どもは世話と、安全と、質のよいしつけを享受する権利を有する。子どもはその人格と個性を尊重しながら扱われなければならず、体罰にも、その他のいかなる屈辱的な取扱いにも、遭わされてはならない」
これに関してセーブ・ザ・チルドレンの実に良いパンフレットを見つけたのだが、このパンフレットにも、その後30年間で、体罰を実際に行う人が劇的に減り、体罰に関する肯定的評価も同様に劇的に減ったことが図で示されている。体罰は仕方ない、という「服従」の論理は、1960年代までのスウェーデンでも支配的であったのだが、1970年代に社会問題になり、1979年に体罰を禁止する法制度を整えて以後、「どうしたら体罰をなくせるか」という「学びの回路」が国の政策レベルでも開かれた。その中で、様々な両親へのサポート体制なども整えられる中で、30年後には、見事に「体罰をしない子育て」を学び取り、社会が変わっていったのである。つまり、「たたく側」である両親(=教える側・支援する側)が、「たたく」という行為を「しつけ」から「体罰」と認識転換し、それをしてはいけない、という社会的な風土を作り替える動的プロセスの中に身を置くことが出来たため、スウェーデン社会は変わっていった、とまとめる事はできる。そして、切り分けない一つのシステムとして考えれば、以前「たたかれていた」子どもは、「たかれない」(=暴力の服従の論理に従わなくて良い)という環境下で生育することにより、本人の成長や個性の尊重に、よい影響を受けていることは、十分に想像出来ることだ。
僕は以前スウェーデンに住んでいた事もあるので、どうしてもスウェーデン贔屓になってしまうのかもしれない。もちろん日本の方が良い部分も一杯あるが(消費生活をするなら間違いなく日本の方が楽しい)、でも、問題があったら社会的にそれを蓋をせずに可視化し、前例踏襲の呪縛から抜け出して、何とか変えようとする、という「学びの回路を開く」福祉システムはすごく好きだし、日本にも学べる部分はあると思う。具体的なこういう制度を取り入れたらいい、というのも勿論あるが(以前はその事に目が行きがちだった)、それより思考法、というか、誤りから学んで変わるフィードバックシステムと学びの回路を開く、という姿勢こそ、スウェーデンの福祉社会から学べる点である、と感じる。法や制度は文化や土地の歴史・文脈に強く依拠しているものであるが、「学びの回路を開く」というフィードバックシステムは、文化や地理的距離を超えた、ユニバーサルな何かだ、と感じている。
まあ、そういうことを書いても、学びの回路を閉ざしている人は、「所詮スウェーデンは人口規模も違う」「25%の消費税、43%の所得税国家とは違う」「キリスト教が支配的な国とは違う」・・・という反論が必ず出てくる。以前はそういう時にムキになって反論した事もあった。だが、今回のブログを書きながら非常にすっきりしてきたのは、確かに文化も制度も考え方も違う国であっても、「失敗から学ぶ」「学びの回路を開く」「開いた上で新たな試みに賭ける」という部分は、通文化的な何かがあるのではないか、と感じている。そして、「スウェーデンとは違う」という際に、単に文化や制度の違いだけで無く、通文化的な「学びの回路を開く」ということまで否定してしまうと、それは「閉ざされた学び」となり、「服従」の論理への埋没では無いか、と危惧するのである。
そして、この論考を閉じる前に、もう一つ、触れておきたい論点がある。
「主体は関係のなかに存在していることを、そしてすべてを記号に置き換えてシステム化させる構造が関係的主体をみえなくさせていることを、私たちは直視しなければならないのです。『正常』と『異常』という記号を基にシステムをつくり上げるのが現代社会です。それが関係のなかにある主体をみえないものに変え、個のシステムのなかに自ら取り込まれていってしまう。こう考えていけば、『正常』、『異常』というかたちで記号化するのではなく、ともに生きていく関係をどう取り戻すのかが見えてきます。」(内山節『内山節のローカリズム原論』農文協、p155)
内山節氏の論理も、安冨先生の論理と通底する部分が多い。影響を与える側・与えられる側を「切り分ける」のではなく、「両者を、相互に依存し、影響しあう一つのシステムとして認識」する。このことは、「主体は関係の中に存在」する、という事と等価であり、「関係的主体」として生きる、ということでもある。しかし、この「関係的主体」という視点が後景化しているのは、「記号」化システムである。高度消費社会とは、マーケット化、記号化することによって、記号そのものへの欲望を加速させ、ある商品を購入しても、またその商品とは違う記号(=差異)のある別の何かを欲望することで、商品購入を加速させるプログラムを構築した。そして、商品購入のゲームが前景化する社会とは、その商品を購入している自分自身が「関係の中に存在している」ということを、見えなくさせていた。
たとえば、胃薬は、それを必要とする人しか飲まなければ、必要以上に売れない。だからこそ、「食べる前に胃薬を飲む」という論理転換(倒錯?)を広告で流し、胃痛の予防的に飲み続けることで、いつしか胃薬無しでは暮らせない人を創り出す。だが、それが製薬会社の儲けの最大化との関係の中で購入している、という自らの「関係的主体」に気づかれては、売り手の側は困るわけである。だからこそ、さらなる「記号」をテレビで流し続け、その「関係的主体」を後景化し、「記号的主体」として、ある特定の「正しさ」を信じ込むように人びとを誘因してきた。そのコマーシャル内容に自主的に「服従」する人びとを生み出してきた。
ながーい迂回路になったが、「学びの回路を開く」とは、「正常・異常」「よい子・悪い子」「標準的行動・問題行動」といった二項対立的で、時として背後に権力や情報の非対称性の大きい局面で、「服従」の論理に従わせるのではなく、フィードバックの回路の中からお互いが学び続けること、である。それは、「真理の探究」と言ってもいいのかもしれない。「たたくのはしつけ」とは、前時代の「真理」だったかもしれない。でも、それがオカシイと感じるなら、「それ以外にしつけの方法はないか」と「探求」するのが、「真理の探究」である。私たちは、その「真理の探究」よりも、昨日と同じ明日、という意味での「日常性の保持」や前例踏襲的な「服従の論理」に傾きやすい。しかし、その宿痾が、現在の日本社会に蔓延する閉塞感であったり、あるいは矛盾の表出であるとするならば、それは「学びの回路を閉ざした結果」とも受け止められるのではないだろうか。
どうやって「学びの回路を開く」ことが出来るか?  何かをする側・される側の双方が、切り分けられるのでは無く、関係論的にフィードバックを交わし続ける中で、どのような変革の動的プロセスや渦、ムーブメントが創発していくのか。「そこに結ばれる新しい関係によってなんらかの新しい価値を創出すること」はどうしたら可能か? 「ともに生きていく関係をどう取り戻すのか」?
このあたりを、もう少し考え続け、再び書き進めようと思う。(もしかしたら、連作化する、かもしれない)。

地域包括ケアに求められる動的ダイナミズム

街おこしや地域の再生、を考える際、無から有を生み出す、という意味での「創発」との関連性が高い。そして、この「創発」に関しては、最近やりとりをさせて頂いている東京大学の安冨歩先生の本から学ぶことは多い。先生の著作に刺激を受けて、ノーマライゼーションの原理と創発をつなげた論文「ボランタリーアクションの未来」を書き上げたくらいだ。
最近、このブログでは地域包括ケアについて色々考え続けているが、その中で気になって、安冨先生の『経済学の船出』『複雑さを生きる』を相次いで読み直していた。その中で、残念ながら今、品切れになってしまっている『複雑さを生きる』の中に、地域包括ケアを考える際の重要な視点がある事に、改めて気づいた。その事を長々と今から書くのだが、一言で言えば、
創発は、PDCAサイクルの外にあり、計画制御が出来ない
ということだ。これが、高齢者や障害者、末期がんやターミナルの患者さんも、住み慣れた地域で暮らし続ける為の、安心と見守りの地域支援システム作りにどうつながっているのか。
「ブリコラージュによる思考の特徴は、目的を固定しないことである。すでに与えられたものから出発し、その組み合わせによってうまくできることを目的とする。目的を固定しないので、状況の変化には対応しやすい。なぜなら出来なくなった目標は視界から消え去り、常に手元にある資源を利用して新しい組み合わせの可能性を探り、目標を動かし続けることになるから。そして達成された目標が手段に組み込まれ、新しい目標が見出される。目的と手段は一つの円環を描き、動き続けていく。これに対して、計画制御というアプローチは、まず目的を固定するところから始まる。」(安冨歩『複雑さを生きる』岩波書店、p177)
行政内部で完結するプロジェクトではなく、地域住民の力を活かしながら、自助や共助の力を高める営みを地域包括ケアとするならば、計画制御アプローチには限界がある。なぜなら、住民の暮らしや営みを「固定」することは不可能だからである。そして、特に中山間地など、社会資源が少なく、自治体の財政力が弱い地域においては、その地域にすでにある人・モノ・支援・ネットワークをどう上手く活用しながら、支援システムを再構築するか、が求められている。その際に必要になるのが、レヴィ・ストロースが提唱した「手元にある資源を組み合わせながら何とか活用する」という意味でのブリコラージュである。(このブリコラージュについては、以前ブログで福祉分野との接合点を考えた事がある)
さて、地域包括ケアにおいても、対象とする地域の住民の「状況の変化に対応」する中で、「常に手元にある資源を利用して新しい組み合わせの可能性を探り、目標を動かし続けること」が求められる。そのプロセスを続ける中から、渦という動的プロセスが生まれる。
「渦の運動がその中心の移動を欲するなら、運動を提起した人物がその中心を離れる必要も生じうる。渦が起きやすいところから、渦を起こし、あちこちで生じた渦を相互に接続し、大きな渦を創り出すことを目指すのが、『共生的価値創出』の重要な点である。」(同上、p130)
この際、大きく問われるのは、生成しつつある渦を大切にするのか、あるいは計画や概念図の実行・履行を大切にするのか。どちらの優先順位を高くするのか、である。地域福祉計画、地域自立支援協議会、地域包括ケア・・・など様々な現場で、計画や概念図が作られるが、それは渦を創り出す為の参照枠組みなのか、あるいはその計画にあくまでも縛られる計画制御の絶対基準なのか、どちらなのだろうか。
「まず始めに問い直すべきは、外部の力によって特定の対象社会に働きかけ、なんらかの方向を目標として資金や人的リソースを投入するという『操作』の姿勢そのものである。これに対して本書は『共生的価値創出』という概念を提唱する。それは働きかける側と対象となる側に切り分けるのではなく、両者を、相互に依存し、影響しあう一つのシステムとして認識しようとする姿勢である。この共生的関係を明確に認識しあいながら、そこに結ばれる新しい関係によってなんらかの新しい価値を創出することがめざすべき方向となる。」(同上、p128)
地域包括ケアシステムは、何らかの「操作」の結果、生まれるものではない。支援する側と支援される側を「切り分ける」という介護保険の準市場的アプローチでは、限界がある、という認識から、この仕組みの導入が求められたのである。そこでは、ケアする側もされる側も、あるいは働きかける側も対象となる側も、「相互に依存し、影響しあう一つのシステムとして認識」するという視点の捉えなおしが必要不可欠になってくる。「この共生的関係を明確に認識しあいながら、そこに結ばれる新しい関係によってなんらかの新しい価値を創出すること」こそ、まさに新たな「渦」を作り出すことであり、共生的価値創出そのものであるのだ。
では、計画制御が不可能であれば、計画そのものもいらないのであろうか? この点について、安冨先生は、次のように指摘している。
「計画はそれ自身としては事態を解決したり推進したりする機能を持たず、逆にそれを阻害する機能を持っている。しかし計画は、その事業に関係する人々のメディアとして機能することができる。たくさんの人間が事業にかかわる場合は、そこに紛争が生じることは不可避といってよい。その場合に、あらかじめ参照基準となる計画が策定されており、人々の合意が一応なりとも成立しているなら、その紛争を事前に回避し、あるいは生じた紛争を迅速に解決する上で、計画が交渉メディアとして役立つことがある。計画もまた法と同じく、メディアとして立ち表れた場合に、有効に機能しうるのである。」(同上、p142)
計画に関連する人々のコミュニケーションを円滑にする「メディア」としての計画。これは、現場の実感にも合致する。ただ、ここで「目標」とも「絶対基準」とも書かず、「参照基準となる計画」と書いていることに、注意をする必要がある。先述したように、地域包括ケアでは、PDCAサイクルや線形制御ではなく、ブリコラージュの動きの中で渦を作り、「共生的価値創出」(=新たな何かを「創発」すること)が必要とされている。そのとき、一応の前提としての「見取り図」としての計画があることで、関わる人々のコンセンサスは得られるが、渦が動き始め、自己組織化が始まると、その渦に合わせて、計画もアプローチも変容することが求められる。
「渦が起きやすいところから、渦を起こし、あちこちで生じた渦を相互に接続し、大きな渦を創り出すことを目指すのが、『共生的価値創出』の重要な点である」ならば、それを実現するためには、「出来なくなった目標は視界から消え去り、常に手元にある資源を利用して新しい組み合わせの可能性を探り、目標を動かし続ける」というブリコラージュの方法論が必要不可欠になる。この動的プロセスを、地域包括ケアに組み込むことが可能か、が問われている。
だが、そもそも地域包括ケアシステムの構築とは、ソーシャル・アクションの営みそのものである。そして、ソーシャル・アクションとは、計画制御の枠組みからこぼれた弱者を救うための、枠組みの捉えなおしとしてのアドボカシー活動に端を発したのではなかったか。当事者の抑圧されていた思いや願い(=本音)を聞く中で、計画制御で執行されている法や制度の問題点に気づき、それを何とか変えるために、現場レベルから、渦を作り始めたうねりであった、といえるのではないか。
そして、実は僕は過去のブログで、創発の渦が出来ていく、ブリコラージュの過程を、繰り返し考え続けてきた。(たとえば「ボトムアップ型の創発と自己組織化」「創発の渦の螺旋階段的拡大」など)
福祉現場の渦の生成と発展を垣間見る中で実感しつつある事、それは、このような渦を広げていく営みの中で、後付け的に使命が見つかり、ビジョンが拡がっていく、ということである。つまり、最初から計画制御が出来ると思わず、とにかく目の前の課題に取り組むために、対象者と自分を切り分けることなく、渦を作り始める。その中で、渦の自己組織化したがって、必要とされるビジョンが切り開かれていく。計画は、あくまでもその際の「参照枠組み」に過ぎない。
法律や制度の枠内で考える、社会システム適応的視点であれば、計画制御は一定機能する、というか、信憑性があるように思える。だが、特に対人直接サービスの領域では、法や制度は常に現実の問題の「後追い」である。であれば、「社会システム適応的視点」は、常に事後対応に終わり、問題の本質にたどり着くことはない。むしろ、法や制度の問題点を徹底的に分析した上で、それを乗り越える策を考えていく、という「社会システム構築的視点」がソーシャルアクションには求められる。そして、この社会システム構築的視点、こそ、地域包括ケアで必要不可欠とされる視点なのだ。
ただ、何もそういうことを力まなくても、現場の、お役所仕事をしていない人々、たとえば街づくりのNPOの人などは、既にこの力を持っている。ようは、行政の側が、そのオルタナティブな力、を信じることが出来るか、それにかかっているのだ。
「市場だけが人間を疎外するのではない。共同体も家族も人間を疎外する。問題は『紐帯』があるかないかではない。人々が相互に学習過程を開いた形でコミュニケーションを形成できるかどうかである。(略)人々を苦しめ、社会を崩壊させるのは、学習過程の停止である。」(同上、p210)
学習過程を開いて、対象とする人、される人という二項対立を超えて、相互に学びあう、コミュニケーション回路を開き続けること。そこから、渦が生まれ、創発につながり、「共生的価値創出」が始まる。この「学びの回路」を開き続けるためには、法や制度、計画、共同体・・・が「所与の前提」や足かせとして、リミッターになってはいけない。この思考のリミッターを外し、ブリコラージュ的に、現場で使えるものを使い倒しながら、まだ無い未来を想起する。この中に、現場の困難事例や閉塞感を超える、新たな可能性があるのである。
そのとき、高齢者や障害者福祉、介護保険、地域福祉、という狭い範囲内でとどまっていては、学習は限定的である。ブリコラージュとは、その現場に落ちている何か、を徹底的に活用することを指す。であれば、観光や商工、街づくりなど周辺領域で、あるいは農村振興や限界集落対応など、使えるツールを使い倒す精神が求められているのである。
「真の意味での責任は、つまるところコミュニケーションにおける学習過程を作動させるということと等価である。この学習過程を停止させている限り、自己の変革はありえず、責任を引き受けることもない。人々が自分の価値を信じ、感受性を開き、学習過程を活発に作動させているとき、そこに背近ある、規範にのっとった、まっとうな社会が出現するのである。」(同上、p145)
カリスマソーシャルワーカーへの依存を超えた地域福祉を展開していくためには、一人一人のワーカーに求められているのは、この意味での「責任」を取る覚悟、学習過程を開き続ける覚悟、なのかもしれない。
追伸:こんなことを地域福祉学会で発表しよう、なんてちらっと考えているのだが、ちょっとぶっ飛び過ぎだろうか・・・

同じ事を逆から眺める

ここのところ、中山間地における地域包括ケアシステムと、コミュニティのあり方や街づくりとの接合点について考えていた。そんな矢先の先週末、広島で開かれた日本NPO学会のシンポジウムにおいて、
そのことを逆の方向から考えている方々と出会った。

「中山間地域におけるNPOの役割」というセッションで、NPO法人ひろしまねの理事長の安藤周治さんと、過疎と戦うインターネット古書店エコカレッジ代表でNPOてごねっと石見副理事長尾野寛明さんのお二人である。お二人とも、広島と島根の間という中山間地で過疎化が進む地域において、コミュニティ・ビジネスや街おこしなどを通じて、中山間地を活性化しようと取り組んでおられる。この営みが、実は僕自身が最近ブログで書き続けている、地域包括ケアやコミュニティの再生において、必要不可欠な部分である、と、お話を聞きながら痛感し始めた。
前回のブログでも触れたが、厚労省が提唱するサービス当てはめ型ではない、本物の地域包括ケアを実現していくためには、行政だけでは、あるいは行政のトップダウン的な発想では、うまくいかない。そして、日本はスウェーデンのような政府信頼型国家でもなければ、貯金をする代わりに税金を沢山納めようという高福祉高負担型国家には、今までも、そして多分これからもなれないので、政府(=公助)が出来ることには限りがある。
そんな中で、個々人が、高齢になっても、障害を持っても、末期がんなど病気が重くても、住み慣れた地域で役割を持って自分らしく暮らしたい、という自助力を持ち続けるためには、公助だけでは限界があり、地域の助け合いシステムという共助が必要になってくる。従来はそれを地縁・血縁組織である町内会や自治会、あるいは社会福祉協議会などが担ってきたが、都会だけでなく、山梨であっても町内会や自治会の組織率は年々低下し、また介護保険以後、少なからぬ市町村の社会福祉協議会は、独立採算と事業に追われ、
地域福祉のミッションを展開できていない。
そこで、地域における「お顔の見える関係作り」から、支えあいの体制、あるいはその町で暮らし続けるための支援システム作りは、役所や介護保険の地域包括支援センター、また障害者地域自立支援協議会などに託されているのだが、これらの機関やそこで働く人々とお付き合いし、また研修をする中で、高齢者や障害者の支援のプロは一般に、ミクロレベルの1;1の支援には非常に優秀であっても、そのミクロの課題の集積としての、その地域におけるメゾレベルの課題を見つけ出すこと、またそれをメゾからマクロレベルの課題として解決する力はまだまだ弱い人が多い、ということを痛感し始めている。個別援助技術には長けていても、ソーシャルアクションを非常に苦手とする人が大半ではないか、とすら思える。
これも前回のブログに書いたが、多問題家族などの「困難事例」と呼ばれるケースは、「その地域における解決が困難な事例」である。個人の問題だけではなく、支える仕組みが不十分である、という点で、地域課題そのものである。そういう地域課題と、地域包括支援センターや社会福祉協議会の職員、あるいは民生委員の方々は日々向き合っているのだが、その個別ケースというミクロ課題をメゾ・マクロ視点という「より大きな地図の中の位置づけ」でマッピングしなおすという、「地域診断」の力が欠けている。ゆえに、問題がおきてしまった後の、個別ケースへの事後対応に終始し、そういう類似の問題が次に起こらないための、予防的なアクションへとつながらない。これが、介護保険の地域包括支援センターや障害者の相談支援事業所がまじめにケースに取り組めば取り組むほど疲弊する、という悪循環にもつながる。この悪循環から抜け出すためには、狭い意味での高齢者福祉、障害者福祉の領域だけに埋没していてはいけないのである。
と、ここまでは山梨や三重での障害者福祉のアドバイザーや、山梨の地域包括ケアのお手伝いをする中で感じていた。だが、その先に、具体的なビジョンというか、どういう方向で、メゾ・マクロ的な課題を解決するか、についての具体例や手がかりが、僕の中で、まだつかめていなかった。
ながーい前置きになったが、それであるが故に、安藤さんや尾野さんのお話には、僕が感じていたメゾ・マクロ的な地域福祉的課題の解決の一例が示されていたのである。
お二人が拠点を置かれる中国山地の山間は、早くから高齢化率が高まり、過疎化や限界集落の問題を抱えていた。消滅寸前の部落、というのも一つや二つではない。そんな地域において、安藤さんは「過疎を逆手に取る会」の活動を展開する中から、街づくりのNPOが生まれてきた。これまでの町内会や自治会中心の「総ぐるみ型の集落運営には限界がある」と、「もうひとつの役場」としての集落支援センター構想を立ち上げ、地域プランナーを配置した、集落の維持・継続支援に力を注いでこられた。 この地域マネージャーが集落の全戸訪問=悉皆調査をする中で、集落の課題をつぶさに聞き取り、課題を析出して、事後救済ではなく、事前予防的に問題に対応しようとしている。
一方、尾野さんは西日本で二番目の蔵書数を持つ古本屋を島根県川本町に作り、そこでは積極的に障害者雇用もしている、という。また、NPOではU・Iターン創業の仕掛け作りのため、行政とタイアップして、江津市でのビジネスプランコンテストや「しまねでコトおこし・弾丸ツアー」など、島根県内に若者を呼び込むプロジェクトをいくつか手がけている。ご自身は東京と島根を1週間ごとに往復しておられ、都会と田舎の、都市部のNPOと地方自治体の、若者と年配者の「通訳者」の位置づけにいる、とおっしゃっておられた。
このお二人の活動は、表面的に見れば中山間地域を活性化させる街づくりや、コミュニティ・ビジネスの支援、という感じと捉えられるかもしれない。だが、田舎に人を呼び込む、顕在化しなかった集落の課題を「開く」、という営みは、実は、自助力や共助力に限界がある地域の課題を、福祉だけでなく産業や商工、観光などあらゆる手段を使いながら開いていくことでもある。その中から、地域の活性化が生まれ、それはひいては自助力や共助力の強化と、公助力の効果的な集中投入の道を開く鍵となるのではないか、と感じているのだ。
こんな気づきや出会いがあったNPO学会、記念シンポジウムに『災害ユートピア』の著者、レベッカ・ソルニットさんの基調講演があった。彼女の本の中に、実はこのブログで書いた内容と非常に親和性のある記述がなされている。
「近年の歴史は民営化の歴史だとも読めるが、それは経済のみならず、社会の民営化でもあった。市場戦略とマスコミが人々の想像力を私生活や私的な満足に振り向け、市民は消費者と定義し直され、社会的なものへの参加が低下した結果、共同体や個々人のもつ政治力は弱まり、民衆の感情や満足を表す言葉さえ消えつつある。”フリーアソシエーション”(自由に誰とでも係わり合いになれる権利や能力)とはよく言ったもので、それでは深い人間関係はできない。代わりにわたしたちはマスコミや宣伝により、互いを怖がり、社会生活を危険で面倒なものだとみなし、安全が確保された場所に住んで、電子機器でコミュニケーションをとり、情報を人からではなくマスコミから得るようにうながされる。」(『災害ユートピア』レベッカ・ソルニット著、亜紀書房、p21)
「社会の民営化」とは「つながりの市場化」のことでもある。高度消費社会において、つながりや人間関係も消費財として市場化されていった。確かにそれまでの地縁・血縁は、人々をその紐帯の枠内に押しとどめる、抑圧的な作用ももたらした。よって、つながりの開放としてのフリーアソシエーションやグローバライゼーションによって、閉塞感を超えて、つながりを勝ち得た「つながり勝者」もいる。その一方で、「つながりの市場化」の結果、特に中山間地域ほど、もともとあった紐帯がずたずたになりつつある。そこに、過疎化と高齢化が重なり、日本の中山間地域は三重苦を抱えている。
レベッカさんの本の中では、実は「災害時」こそ、その紐帯を取り戻し、「つながりの市場化」以前の世界に戻る世界が世界各地で垣間見られる、と書いている。だが、何も「災害」でなくとも、限界集
落や中山間地の少なからぬ地域が、過疎化や高齢化問題が、放置できないほどの問題として極まってきている。この問題の顕在化局面において、地域包括ケアの問題と、街づくりの問題を分けて考えていては、大きすぎる問題は解決不可能ではないか。むしろ、福祉の人間こそ、福祉に埋没するのをやめ、町おこしや産業振興、観光振興などの異なる領域で、その地域の持続可能な発展や住みやすい・暮らしやすい街づくりといったテーマについて「同じ事を逆から眺める」人々と手を携える時期に来ているのではないか。地域福祉計画や介護保険事業計画、障害福祉計画が、そういう他領域とつながらないで、タコツボであっては、問題の解決からは遠のくのではないか。
広島からの帰り道、そんなことを考えていた。