計算量爆発による高熱?

最近、季節の変わり目ということもあり、風邪を引いているひとも多い。

僕もご多分に漏れず!?先週末から調子を崩し、月曜日には38.5℃の高熱を出して寝込んだ。幸い、中国医学が専門の主治医、中田先生にすぐに診て頂き、大量の汗を全身でかきまくるうちに、何とか火曜日には平熱に下がって、社会復帰できたのだけれど。
で、今回の風邪は単なる体調不良とかハードスケジュールではない。その原因をいろいろ探る中で、最近自らがうじうじ考えていたことに原因があることが、ようやく見えてきた。
「この先の人生、どうなるのだろう」
このような漠然とした将来への不安を抱く人は、少なくないと思う。就活をしている学生と日常的に出会う僕にとっては、「よくある話」である。で、それが学生からの相談だったら、「予言者でもない限り、誰にもわからないよ」「とりあえず働いてから考えてみたら」等と言っている自分がいる。だが、今回その主訴を抱えるのが、学生ではなく他ならぬ自分自身だったので、話は別になる。
少し前のブログで「人生の正午」について書いた。この頃から、自分自身の生き方の様々な局面で、何をどうデザインしていけばいいのか、が宙づり状態になっている。その中で、具体的に今後何をどうしていこうか、という判断に迫られた際、自分の選択決定に関する判断根拠そのものに疑いの眼差しを向け始め、それによって、堂々巡りをする自分がいることに、最近気づいた。そのしんどさを、夜ご飯を食べながら妻にボソボソしゃべっているうちに、ふと、ある言葉が浮かぶ。
計算量爆発!
これは合理的選択に関する計算量が爆発的に増大してしまう事に関する、安冨先生の慧眼である。少し、その原理をみておこう。
「いま、財2種類で4組の選択肢があった。これが3種類になると、2の3乗で8組の選択肢ができる。4種類なら16組、5種類なら32組。いわゆるねずみ算式に組み合わせが増える。10種類で1024組、20種類で104万8576組、50種類になると、
1,125,899,906,842,620組
なってしまう。(略)こういう具合に種類が増えると組み合わせが激増する事態を、『組み合わせ爆発』あるいは『計算量爆発』と呼ぶ。この膨大な数の組み合わせを、望ましい順にならべるには、さらに長い時間がかかる。」(安冨歩『生きるための経済学』NHKブックス、p30)
そう、合理的選択とは、一つ一つの選択をきちんと理詰めで行っていく、ということだが、そもそも一つ一つの振る舞いを理詰めで行い続けたら、生きていけない。たとえば目覚めから出勤までの間でも、「今起きるのか」「今日はどの服でいくか」「朝食は食べるか・食べるとしたら何をどれくらいか」」・・・など、ものすごい数の選択を無意識にこなしている。これは合理的ではなく自動化された選択である。だから、短時間で何とか身支度が可能なのである。これはルーティーン化された内容だけではない。たとえば、「どの洋服を買うか」「夜ご飯はどこで食べるか」「どこに旅行に行くか」「10年後に何をしたいか」など、非日常、あるいは将来に関する未決定のことを決めていくときも、全く同じように無数の選択肢の組み合わせが生じる。
で、僕は愚かにも、「この先の人生どうしたらいいのだろう」という合理的選択が出来ようもない課題について、一つ一つ考えを巡らせているうちに、無意識でも歯止めがきかなくなり、計算量爆発の渦の中に飲み込まれ、その身体症状化として高熱に至ったのではないか。そんな仮説を立ててみる。するとそれだけで、元気が出てくるから、単細胞というか、不思議なものである。
では、計算量爆発の事態にどう対処したらいいか。それも、安冨先生は、名著『生きる技法』(青灯社)の中で、以下のように構造化してくださっている。
【命題6】   自由とは、選択の自由のことではない
【命題6-2】  成功とは、可能な選択肢の中から、最善の選択をすることではない
【命題6-4】  無数の選択肢の中から、正しい選択をすることなど、原理的に不可能である
【命題6-7】  不可避の選択に直面しているなら、どれを選ぶかは問題ではなく、どのように選ぶかだけが問題である
【命題6-8】  自分の内なる声に耳を澄まして、その声に従う
【命題6-10】 自由とは、思い通りの方向に成長することである
合理的選択や最適な選択という「ワナ」にはまるな、そんなものはない、という喝破である。その上で、「どうすればいいのか?」と一つ一つの選択肢を合理的に吟味して追い込まれるくらいなら、「自分の内なる声に耳を澄まして、その声に従う」、という自分の感覚を信じた方が、よほどましである、とも指摘している。論理や「正しさ」に呪縛されるより、感覚に素直に選ぶ方が、何を選んでも、結果的にうまくいく可能性が高い、ということでもある。そして、「選択の自由」や「合理的選択」概念の虜になる限り、思い通りの方向に成長」することはできない。それって、「不自由」だよね、という結論である。
そう、この間の計算量爆発による高熱とは、自らの将来を、自分で不自由なものにしようとしていることに対する、身体を張った抗議活動だったのだ。
その当たり前のことに気づくと、なんだか靄が晴れたように、自分の中でのしんどさがスッと消えていった。もちろん、まだ風邪の後遺症は残って、多少ゼイゼイ言っているので、用心しなければならない。でも、「人生はコントロール可能である」という不遜で傲慢な立ち位置、その根拠なき立ち位置がもたらす漠とした不安、その不安を振り切ろうと「合理的選択」に走る事による計算量爆発という暴発、という自らの悪循環を、風邪や高熱は知らせてくれた。いやはや、きちんと高熱や身体反応の内在的論理を伺う必要がある、と気づかされたこの1週間であった。とほほ。

続 わかりやすく書くことの難しさ

以前、国の会議の委員をしていた時、知的障害の当事者にわかりやすい資料を、と求められていたことをブログに書いたことがある。

今回、その委員会でご一緒したNさんが、僕の本を読んでみたい、とおっしゃった。
じぇじぇじぇ!
僕の本は、「すごく面白くて読みやすかった」と言う人と、「途中でさっぱり訳がわからなくなった」という人に分かれるのだ。つまり、万人受けに読みやすい文章ではない、ということである。こまった。
もちろんNさんには、会議の時にチョコなどを頂いてお世話になっているので、本を進呈したい。でも、そのままお送りすると、「さっぱりわからない」とダメだしされそうだ。なので、以前の意見書と同じように、拙著をわかりやすくダイジェストにまとめたお手紙を添えてみた。以下、その本文の一部をご紹介する。伝わるといいのだけれど・・・。え、難しいって? ううん・・・。
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<この本は何を言おうとしているのか(目的)>
この本を書き終えて、一番伝えたいこと。それは「法律や制度は変えることができる。でも、本当に何かを変えたい、と思ったら、まずは自分が変わらなければならない」ということです。
<なぜ書こうとしたのか(理由)>
国の障がい者制度改革推進会議は、本当にかなしい結果におわりました。僕たちがまとめた「骨格提言」を、厚生労働省はほとんど無視したのですよね。あの会議では、厚生労働省の役人は、いねむりをしたり、きちんと話を聞いてくれなかったり、ということがありました。そして、会議の外では「こんな会議はまとまるはずがない」と悪口を言っているのも聞きました。また、会議が終わったあと、「あんなまとめが法律になるはずはない」「夢のようなお話であり、現実的ではない」という悪口も、たくさん聞きました。
僕は、そういう悪口や、うまくいかなかった現実が、すごく悲しかったのです。その理由は、自分が心を込めて作ったものが否定されたから、だけではありません。多くの人が助け合いながら作ったものを、中身をきちんと読んで考えることなく、「どうせ無理だよ」「できっこないよ」「今の世の中では、しかたないよ」と最初から決めつけて、否定していたからでした。全く言葉も中身も相手に伝わっていなかったことが、最大のショックだったのです。
僕は「どうせ」「しかたない」という言葉が嫌いです。その理由は、「どうせ」「しかたない」と口にする人は、自分自身のことを見下して、自分自身の「あきらめ」を他人に押しつけているような気がするからです。そして、国の法律や政策を本当に変えたい、と思うのなら、まずはみんなが口にする「どうせ」「しかたない」という「あきらめ」の言葉を、どうしたら減らすことができるのか、を考えなければならないと思いました。
そこで、この本の中では、僕自身が「あきらめ」ていたダイエットや花粉症の話からはじめました。僕は他人に「変われ」と言いながら、自分自身のダイエットは「どうせ無理だ」と「あきらめ」ていたんです。でも、その「あきらめ」が、自分自身の「思い込み」であることに、気づかされました。そして、ダイエットができて、体重が軽くなると、その「思い込み」もなくなった分、心が「自由」になったのです。その話を書きながら、どうしたら「どうせ」「しかたない」という「あきらめ」から「自由」になり、心が楽になるのか、も考えました。心を不自由にする「枠組み」をどう「外す」ことができるか。その「枠」を「外す」と、どんな新しい「旅」がはじまるのか。それを「枠組み外しの旅」の中では考えました。
<どんな内容が書かれているのか(あらすじ)>
5点ほどにまとめてみました。
【①自分の「思い込み」が、世の中が変わらない最大の理由】
「どうせ無理だよ」「社会のことは、変えられないよ」「しかたないよ」
こういった言葉は、「本当のこと(事実)」ではなく、自分の「思い込み」です。でも、自分の「思い込み」は、「外せないめがね」のように、自分自身にくっついています。そして、いつもその「めがね」を通してみることが「あたり前」になっていたら、いつのまにか、「思い込み」を「本当のこと」と間違えて信じてしまいます。
僕たちの社会で「どうせ」「しかたない」と思っていることの中に、このような「思い込み」を「本当のこと」と間違えて信じてしまっていることが沢山あります。「政治家が悪い」「役人はだめだ」「マスコミは一方的だ」など、「○○が悪い」という悪口を、多くの人は言います。でも、その悪口を言うひとは、「○○が悪い、と言う僕は悪くない」と思っているのです。そして、この「僕は悪くない」というのを、みんな「本当のこと」だと「思い込み」をしているのです。
その「思い込み」こそが、世の中が変わらない一番の理由だと僕は考えました。
【②僕とあなたが「学びあう」話し合いの中から、学びの「うずまき」ができる】
では、どうしたら「思い込み」という「めがね」を外すことができるのでしょうか。それは、違う意見を持つ人と「話し合い(対話)」をする中からしか、始まりません。
ただ、「話し合い」とは、自分の意見を相手に押しつけることではありません。たとえば学校では、先生が生徒に一方的に知識や意見を押しつける、生徒はだまってそれを受け止める、というやり方がされている時もあります。これは、「話し合い」ではありません。なぜなら、先生の考えの押しつけ、だからです。福祉でも、支援者が障害者に同じように押しつけている場合もありますよね。これも、「話し合い」ではありません。
では、「話し合い(対話)」とは何でしょうか。それは、お互いが「学び合う」なかから生まれるものだと僕は考えます。僕はあなたに、僕の知っていること、考えていることを伝える。あなたは僕に、あなたの感じていること、考えていることを伝える。その「やりとり」をする中で、お互いが自分の知らない、感じていない、考えていないことを、相手から学ぶ。そのような関わりが、先生と生徒、支援者と障害者のあいだに生まれたら、お互いがもっと楽しく「学びあい」成長できると思うのです。
そして、お互いが「学び合う」関わりの中で、学びの「うずまき」ができます。うずまきとは、いろいろなものを吸い込みながら、大きくなっていきますよね。一人で学ぶのではなく、僕とあなたが一緒に「学び合う」なかで、学びの「うずまき」が少しずつ大きくなっていきます。
【③学びの「うずまき」が、「どうせ」「しかなたい」を超える力を持つ】
学びの「うずまき」が大きくなると、それはやがて僕やあなたが持っている「思い込み」を吹き飛ばしてくれます。「どうせ」「しかたない」と「あきらめ」ていたことは、僕の小さな「思い込み」に過ぎない。でも、その「思い込み」を「本当のこと」だと間違えて信じていることを、「学びあい」の「うずまき」は気づかせてくれます。
ただ、人間は弱い生き物です。自分自身が「まちがっていた」と気づかされることは、楽しいことではありません。だから、「話し合い」が嫌いで、自分の意見を押しつける「いばりんぼう」の人は、「思い込み」を「本当のことだ」と言い張ろうとします。でも、もし僕やあなたが「話し合い」を大切にして、あいての意見から「学ぼう」とするならば、このような「いばりんぼう」こそ、バカバカしいと気づけます。その「気づき」が増えると、やがて学びの「うずまき」が大きくなり、その中で、「どうせ」「しかたない」と「あきらめる」こともバカバカしい、と気づけるのです。
【④一人一人の「思い込み」という「枠」を「外す」と、「自由」な世界が見える】
僕は、学びの「うずまき」が「気づかせてくれること」を、「枠組み外し」と名前をつけました。その意味は、自分自身の「思い込み」というのは、自分が作りあげた「勝手な枠組み」であるし、その「枠組み」は「外す」ことが可能だ、ということです。
たとえば、福島で原発が爆発して、多くの人が福島に住めません。そんな中でも、「原発がなかったら日本はダメになる」という「思い込み」を「本当のこと」だと言っている人は沢山います。でも、それは「本当のこと」なのでしょうか? 少しでも減らす・なくす努力をまじめにした後に言うのなら、「本当のこと」かもしれません。でも、「原発は今すぐ動かすべきだ」と言う人の大半は、少しでも減らす・なくす努力をしようとしているようには、僕には思えません。つまり、「どうせ」原発がないとダメだ、原発があるのも「しかたない」という「思い込み」を「本当のこと」と信じて、その「枠組み」から「自由」になれない人たちだ、と僕は思うのです。
もしあなたや僕が、意見の違う相手と「学びあい」をしながら、「気づき」を増やし、学びの「うずまき」を作ることができたら、「どうせ」「しかたない」という「思い込み」を外すことができるかもしれません。そして、その「思い込み」を外してみたら、いろいろなできそうなことが見えてきます。「どうせ」「しかたない」とその先を考えなかったことについて、「自由」に考えることができると、もっと別のやり方を思いつくこともできるのです。そうやって「思い込み」を外す・減らすと、少しずつ、生きるのが楽しくなり、「自由」が増えるのです。
【⑤「思い込み」を外して、「学びあう」中で、一人一人の「個性化」が進む。そして、自分が変わることによって、社会も変わり始める】
実は、この本を書いていて気づいたのですが、「社会人」と呼ばれる人の多くが、いろいろな「思い込み」に苦しめられています。「どうせ」「むりだ」とため息をつき、「あきらめ」ているのです。「あきらめ」の毎日って、ずいぶんつまらないですよね。楽しくないですよね。
本当に「楽しもう」とするなら、周りの人がどう言っている、とか気にすることなく、自分が学びたいことを、相手からきちんと学ぶことが大切です。その「話し合い」が「学びあい」になるなかで、自分が何を本当はしたいのか、ということが見えてきます。その「本当にしたいこと」を追求するのが、少し難しい言葉ですが「個性化」といいます。
人はもともと「その人らしさ(個性)」をもっています。でも、大人になるなかで、「その人らしさ」よりも、社会の「あたり前」を大切にするようになります。すると、他の人について行くことはできても、自分一人で進んでいくことが苦手になります。「学びあい」を通じて、自分自身の「思い込み」に気づくことにより、少しずつ「どうせ」「しかたない」という「あきらめ」から自由になれます。その中で、「その人らしさ」をもう一度、取り戻すことができます。それが「個性化」なのです。
そして、「その人らしさ」を取り戻すことは、実は社会を変えることにもつながっています。
一番さいしょに、「本当に何かを変えたい、と思ったら、まずは自分が変わらなければならない」と書きました。それは「自分が変われば、社会も変わるかもしれない」ということでもあるのかもしれません。
そんなこと、前から知っているよ!という声が聞こえてきそうです。いや、もしかしたら、「難しくて、何言いたいのかわからない」と言われるかもしれません。
僕は、自分の頭で考えて、文章にしてみて、やっとこの内容がわかりました。ただ、まだまだ簡単に言うことが、上手ではありません。本の中では、もっと難しくしか、書けませんでした。すいません。
長い文章を最後まで読むのは、大変だったと思います。読んでくださって、ありがとうございました。

1年ぶりの単著執筆プロセス

1ヶ月近くも、ブログに書く時間がとれなかった。

4月の後半は、講義やら学内委員会仕事やら、でドタバタ過ぎ去り、連休はうちの大学は幸運にも全部休みにしたので(近年15回授業必須の呪縛の影響でGW期間中も講義をしている大学も多い)、二冊目の単著となる予定の「権利擁護本」の序論を必死になって書いていた。
新たなテーマでまとまった何かを書くときは、深く自分の中に潜り込み、あるテーマに関して、これまで知っていること・考えてきたことを掘り下げて考え抜く中で、思いもよらなかった何か、に辿り着く。去年の連休も同じサイクルだったので、ちょうど1年前、人生初の単著となる原稿の初稿を書き終えた頃、ブログでこんなふうに書いていた。
『書いている自分自身にとって、「新鮮み」や「発見」のない原稿を書きたくない。でも、僕が持ち合わせている知識や元ネタには限界がある。それをないから、と新しい本を読むことに必死になったら、クイズ王的なトリビアとしての「新鮮な発見」はあるかもしれないが、内容的には面白くない。むしろ、「新たな発見」とは、これまで見えている景色を、どう新しく解釈できるか、ではないか。それは、新たな情報を探し続けるネットサーフィン的なものではなく、村上春樹流に言えば、「井戸を掘る」ように、所与の前提とされた世界観の奥底に潜む、誰もが知らない集合的無意識のような闇に潜り込み、その中から、自分でしかすくい取れない視点や考え方を掘り当てて、この世の光に照らし直すような営みでは無いか。そして、その営みこそ、内田樹さんは「前言撤回的」と言ったのではないか。』
これは、一冊の本を書き終えてみて、深く実感することである。
僕自身、「研究者」という肩書きに必死になって適応しようとしていた頃は、「クイズ王的なトリビア」に拘っていたのかもしれない。あるいは、「先行研究のレビュー」という「お作法」に雁字搦めになる、とか。実は、いままで権利擁護について書きためてきた論文集を出してもらえることになり、その序章を書こうと4月の後半から机の前に座っても、1週間ほど、固まっていた。その最大の理由が、この「お作法」や「トリビア」への無意識的こだわり、であった。まだまだ権利擁護について、Advocacyについて、知らないことは多いし、読むべき未読文献も少なくとも集めたものだけでも山ほどある。それを全部網羅して体系的に論述しないと何か言えないのではないか、と思い込んでいた。
ただ、ある時点で、「待てよ、読者はだれだ?」と問い直す自分がいた。
この本は、博士論文を取得するために書いているのではない。また、研究者向け、というより、ケアマネージャーや社会福祉士、PSWや行政職員など、権利擁護に日々関わる現場職員にこそ、読んでもらいたい、と思っている。であれば、そのような体系的な権利擁護やアドボカシーの理論的・概念的整理にエネルギーを注ぐ必要があるのか、を問い直した。確かに文献レビューをすることも、それはそれとして「新鮮さ」や「発見」があることは、僕も博論や査読論文を書く中で、多少なりとも経験している。だが、単著は、そのような厳密な科学的手続きの世界の枠組みに拘束されず、もう少し自由に、議論を展開できるはずだ。そして、権利擁護実践について伝えたいのは、現場を変えるための「武器となる知識」である。
また、前期のブログでも触れた、1年前に仲間に言われた次のフレーズも引っかかっていた。
『これまでの竹端論文を全て読んできたので、コアなファンの眼では「竹端論文ダイジェスト+新事例」という印象で、新鮮な発見が少なかったからかもしれません。もちろん、一般の読者にとっては、要旨明瞭で、竹端論文の美味しいとこ取りの論文だと思いました。』
実は上記の指摘は、とある原稿を書いた際に受けたコメントだったのだが、この時点で、「権利擁護」について、「縮小再生産になるくらいなら、原稿を書くのをやめよう!」、と決意した。そこで、これまで書きためてきた「権利擁護」についての原稿は一端横に置き、ここ数年続けてきた「魂の脱植民地化」研究を自分自身の実存にアクセスさせる中で、『枠組み外しの旅』という名の一冊に仕上がった。
で、結果的にこれまでの内容を捨てて、自らの「個性化」を先に探求してよかった、と、この連休、つくづく感じている。今年の連休に2万5千字ほど書き上げた、新たな単著用の「序章」では、「反-対話」から「対話」モードへの相互変容や、それを通じた「個性化」のプロセス、それを通じた「学びの渦」の形成などの『枠組み外しの旅』のコア概念を、権利擁護やアドボカシーの考察に注ぎ込むことが出来た。1年前に自分の中では「掘りきった井戸」は、これまで書きためて来たけれど、十分に掘り切れていなかった「別の井戸」を貫通させるために、非常に役立ったのだ。
「所与の前提とされた世界観の奥底に潜む、誰もが知らない集合的無意識のような闇に潜り込み、その中から、自分でしかすくい取れない視点や考え方を掘り当てて、この世の光に照らし直すような営み」までが出来たかどうか、は読者のご判断に任せるしかない。でも、自分の中では、近年地域包括ケア領域で盛んに「困難事例」と言われる「ゴミ屋敷」問題を主題として、その「ゴミ屋敷の主」がどのような内在的論理で世界を眺めているのか、をナラティブモードの知で再解釈する事から、「生きる苦悩に寄り添う支援」としての権利擁護課題を照らし出すことができた。その原稿を書く中で、「縮小再生産」ではなく、「前言撤回」的に、これまで考えてきたことを、別の新たな確度から光を入れて考え直すことができた。前回はユングの「個性化」論だったが、今回は木村敏氏の現象的人間学や臨床哲学を援用し、特に氏の初期作品から、大きな影響を受けながら、文章を書き進めた。
「枠組み外し」というのは現象学的還元だが、その現象学的還元の先にある人間理解、「病気」や「異常」な人という差別的見方ではなく「生きる苦悩」を抱えた人、という人間理解が、権利擁護の根本にある。今回の原稿を書く中で、深くそれを感じている。権利擁護は成年後見とイコールではない。成年後見は、権利擁護実践の大事な方法論の一つではあるが、その方法論が自己目的化している現実に、僕は違和感を持っている。なぜなら、あくまでも社会的弱者と言われる人の内在的論理や「生きる苦悩の最大化」に寄り添い、そこからエンパワメント支援を高めていくことこそ、権利擁護やアドボカシーの最大の醍醐味だからだ。その目的が薄れたところで、方法論が自己目的化することに、非常に大きな危惧を感じている。
・・・といったことも、新たに井戸を掘り直す中で、するすると言語化できた。
この連休で、何とか序論を書き終えた。あとは、掲載予定の原稿を、リライトする作業。これも時間がかかるだろうが、きちんと書き込み、訂正していかないと、リーダーフレンドリーではない。というわけで、まだしばらく原稿書きに没頭する日々だが、とにかく必死だった去年とは違い、このプロセスを「至福の時間」と思えるようになってきたのが、去年に比べての少しだけの進歩かも知れない。

「わからない」という「蓋」を外せるか?

今日の朝日新聞で、「15歳と語る沖縄」という座談会が掲載されていた。その中で、沖縄在住のライター、知念ウシさんが気になることを語っていた。

「気になるのは、みなさんから『難しい』『わからない』という言葉が出ることです。全部知って、初めて意見が言えるとか行動できるということではないと思う。『これっておかしい』だけでいい。おかしい、ショックだ、悲しい、逃げたくなった。まずそういう自分自身に気づく。そこから考える。伝える。全部わからないといけないなんて思っていたら、何もできません。」
僕はこの語りを、深く頷きながら読んでいた。
勤務先の大学の横には、系列の短大があり、その保育科で「地域福祉」の講義を担当して、4年目になる。法学部政治行政学科でも同様の講義をしているのだが、短大の保育科の学生と比較すると、大きく違う事がある。それは、短大の保育科の学生の方が、遙かに「正しいこと」を希求している、ということである。裏を返せば、「間違ってはいけない」という規範概念が強く、それゆえ、正しいかどうかわからないことについては、「難しい」「わからない」という言葉が比較的、多く出るということだ。
僕の講義では、できる限り双方向型にするために、毎回、あるトピックに関するビデオや新聞記事の素材に触れた後、そのトピックについて、どう考えるか、という設問をワークシートに書き込んでもらい、その書いた内容について、ランダムにマイクを向け、発表してもらうスタイルを取っている。これは大学でも短大でも同じなのだが、その際、マイクを向けると、大学よりも短大の方が、拒否反応が多い。最近でこそ、その理由がわかったので、オリエンテーションで「正しい意見ではなく、あなたの感じたことを話してほしい」「語ってくれたことについて、僕が『正しい』とか『間違っている』と査定するようなことはしない」と、繰り返し伝えるようになって、拒否反応がだいぶ消えた。それでも、授業の最初の方では、「当てられるとパニックになる」「『何で?』と突っ込まれるのが恐怖」「意見を言うのは怖い」などのコメントが、講義後のリアクションとして寄せられる。
僕は、その背後には、「正解幻想」という考えがあるような気がしている。これは以前ブログに書いたこともあるし、拙著『枠組み外しの旅』でも考えたことだが、「ちゃんとした正解があるはずだし、それに従わなければならない」という「思い込み」である。もちろん、センター試験に代表される高校までの勉強は、マルかバツか、の二項対立的な「正解」を求める思考様式に支配されている。高校生までは、比較的その考え方に親和的だ。だが、恋人や配偶者、仕事、居住地・・・を選ぶこと、あるいはどのような食事を取れば長生きするか、など、世の中の行動の大半には唯一で正しい「正解」はない。にもかかわらず、特に同調圧力の強い日本においては、空気を読み、世間にしがたいながら、「これをすれば正解だろう」という「正解幻想」に浸り、そこから抜け出せない雰囲気が蔓延している。そして、拙著ではこんな風に分析した。
「他人を治療・教育する、という医者や教員のエクリチュールそのものに、社会的に「望ましい」とされる「正しさ」や「正常」といった規範や社会通念がこびりついている。しかも、その「望ましさ」が、医師や教師はこうあるべし、という役割期待(=というエクリチュール)を作り上げている。」(竹端寛『枠組み外しの旅―「個性化」が変える福祉社会』青灯社、p38)
これは、僕自身が「正解幻想」に陥っていたことを分析したくだり、であるが、保育科の学生も、「ちゃんとした保育者にならなければ」という善意思が強ければ強いほど、僕が陥っていたのと同種の「正解幻想」に浸りやすいと思う。そして、社会的な役割期待に迎合しようと必死になって、その「望ましさ」や「社会的に評価される正しさ(Political correctness)」の範囲から逸脱するような内容については、「わからない」「難しい」と口にしやすいし、それ以上について伺うと、「頭が真っ白になる」というのである。
このことを以前から問題視していたのだが、今日の知念さんの意見を読んで、その前提というか、メカニズムがクリアになった。彼女は「わからない」「難しい」と口にする背後に、「全部知って、初めて意見が言えるとか行動できる」という規範意識を指摘している。つまり、「意見とは、一通りのことを全部知ってから、言うべきこと」「社会的な行動とは、一通りのことを全部知ってから、行うべきこと」という規範意識である。僕が接した学生たちが「意見を言うのが怖い」というとき、「一通りのことを全部知っていないのに、意見を言ってはいけない」という暗黙の前提があるような気がする。
それに対して、知念さんは「『これっておかしい』だけでいい」と言い切る。「おかしい、ショックだ、悲しい、逃げたくなった。まずそういう自分自身に気づく。そこから考える。伝える。全部わからないといけないなんて思っていたら、何もできません。」とも言う。これはどういうことか。
論理的な意見を構築する為には、その問題に関する多角的な情報を収集し、その正否を比較検討した上で、自分なりの筋道をつける事が求められる。これが「意見とは、一通りのことを全部知ってから、言うべきこと」という規範意識の前提にある。だが、知念さんが語ったのは、その論理的な意見構築以前に、『これっておかしい』という感情や感覚がわいたら、その感覚を大切にせよ、というメッセージである。「おかしい、ショックだ、悲しい、逃げたくなった。まずそういう自分自身に気づく」ことの重要性を指摘している。自分の魂がダイレクトに感じたことに蓋をせず、そう感じた「自分自身に気づくこと」が大切だ、という。その「気づき」をもとに、考えはじめたらいい、という。つまり、情報収集して正否の比較検討をした後に「意見」を持つのではなく、まず直感的に「意見」の元になる意思判断の感覚を持って、その感覚に基づいて情報収集して、自分なりに「意見」を育んだらいい、そう伝えてくれているように感じた。
こう書くと、もうひとりの、一応は科学的・学問的ルールを身につけたタケバタヒロシから、それって「科学的ではない」「最初から主観的なバイアスに左右された、一方的な議論や意見に偏る情報収集になるのではないか」という疑いの声が聞こえる。だが、僕は、先述の拙著の冒頭で、「蓋」概念を用いて、こんな風にも考えてみた。
「「どうせ」「しかたない」というフレーズは、自らの潜在能力の最大化にとって最大の「蓋」であり、「呪縛」の言葉である。「どうせ」「しかたない」と述べることで、自分の、社会の、世界の変容可能性を拒絶し、旧来の世界に閉じこもることを容認している。しかも、変えられない現実に対して文句や不満を持ちながら、「でも、しゃあないやん」と、呪詛のように、「諦め」の言葉を発して、自分に言い聞かせようとしている。あたかも自己洗脳のように。そうして、それ以外の世界に蓋をすることで、自分の中に澱のように「諦め」を沈殿させ、その「諦めの沈殿物」によって、自らの魂は毀損され、内側から腐り続けていく。気がつけば若い日に持っていた溌剌とした気持ちはすっかり萎え、日常生活はパターン化されたものになり、余計なことに手を出さず、ため息をつきながら与えられた仕事に我慢して堪え、様々な事も「見て見ぬ振り」をして、感覚や感情にも蓋をして、「つつがない日々」を送ろうとする・・・。」
「難しい」「わからない」というフレーズも、「どうせ」「しかたない」というフレーズも、「自らの潜在能力の最大化にとって最大の「蓋」であり、「呪縛」の言葉」であると感じる。つまり、それらの言葉を吐くことで、これ以上その問題にはコミットしたくない、という意思宣言になる。そして、僕が学生たちにマイクを向けたとき、ややこしい社会的問題について「あなたはどう思う」と伺った時ほど、この「難しい」「わからない」というフレーズを耳にする。つまり、どれを言えば「正しいか」という正解が見えにくい問題の場合、とにかく「難しい」「わからない」と言ってその場をスルーすることが出来ないか、という防御機制が働く。これは、「どうせ」「しかたない」という発言をするときの防御機制と全く同種の構造であると感じる。そして、これらのフレーズを言う時、「自分の、社会の、世界の変容可能性を拒絶し、旧来の世界に閉じこもることを容認している」ようにも受け取れる。
確かに、余計なことには関わらないことの方がスマートかも知れない。自分自身をコントロールしやすいかもしれない。だからこそ、沖縄の米軍基地の問題や、原発の是非、あるいは憲法改正の問題など、事が大きくなればなるほど、「難しい」「わからない」「どうせ」「しかたない」というフレーズになりやすい。そういう大きな問題について、「一通りのことを全部知って」いないのに、なんかの意見を言う立場にない、という考えだ。面倒なことには関わりたくない、という感覚もあるのかもしれない。
だが、「難しい」「わからない」「どうせ」「しかたない」という呪詛の言葉を多用する事で、「それ以外の世界に蓋をすることで、自分の中に澱のように「諦め」を沈殿させ、その「諦めの沈殿物」によって、自らの魂は毀損され、内側から腐り続けていく。」 これは、本を書きながら強く感じたことだし、そうやって「魂が既存された」た人の言葉のことを、安冨先生は「東大話法」と名付けていた。そのような魂の劣化を避けるために大切なのが、冒頭で引用した知念さんが言う、『これっておかしい』という感情や感覚なのである。論理の後に感情、ではない。直感的に感じたことを、本当にそうかどうか確かめるために、学び、考えていくのである。筋道が逆である。
教育や福祉など、「~すべし」という規範が強いところほど、直感や感覚的なものを抑圧する傾向もある。だが、大切なのは、まず自らの魂が蓋されることなく、しっかりと大地を踏みしめていることである。それがなしに、いくら知識を身につけたところで、それらは上滑りの知識であり、その知識を用いる者も、内側からの「溌剌さ」が抜けてしまう。
ある問題に接したとき、直感的に、「これっておかしい」という言霊がわき上がってきた。ならば、その感覚は「おかしくない」のである。その感覚を大切に育むことは、規範意識という名の蓋を突き破り、「自分の、社会の、世界の変容可能性」を信じ続け、実行に移すための、必要不可欠な要素である。
保育の現場に出る学生さんたちに、この真っ当な感覚を持ち付けてもらいたい、そう思いながら、教育現場でも「枠組み外し」にコミットしている。

個別化原理の危機、という岐路

最近、木村敏氏の著作を読み返している。自伝「精神医学から臨床哲学へ」というタイトルが示すように、現象学的人間学の観点から、精神医療を問い直し、哲学的な「木村人間学」を打ち立ててきた、精神医療と臨床哲学の架け橋をする第一人者である。彼の九十年代以後の著作は何冊か読んできたが、自伝を読んで以後、彼が三十代から四十代に書けて書いてきた、比較的初期の作品を読み直す中で、彼の視点の確かさ、に改めて驚かされた。それは、彼があくまでも、病者の症状を外形的に判断する、のではなく、病者の「内在的論理」に肉薄しようとする姿勢である。

「分裂病患者が世界をあるがままにあらしめることをえないのは、個を捨てて個に徹するということが困難になっているためと解せられる。自らの個別化が疑わしいものとなり、我を圧倒し否定しようとする非我の力が次第に増大していくにつれて、分裂病者は次第に世界から身を退いて自閉的な態度をとり、あるいは逆に自然な一貫性を欠いた意志的努力的仕方で、我を世界に向かって主張するのであるが、このような分裂病者の自閉性が形成されていくにあたっては、その最初から、分裂病特有の個別化の危機の様相が明らかに認められると思うのである。これをブロイラーやミンコフスキーのように『自閉性』の面で捉えるも、ビンスヴァンガーのごとく『奇驕性』の面で捉えるも、実は個別化原理の危機という単一の基礎的過程に対して患者がいかに対決するかの有様を、それぞれ異なった両面からみたものにすぎない。」(木村敏『新編 分裂病の現象学』ちくま学芸文庫 p199)
これは1965年、筆者が三十四歳の時に『哲学研究』に寄せた一文である。このときから木村氏は既に狭い意味での(つまり生物学的な)精神医学の範囲をとうに超え、あくまでも患者の世界観の内在的論理に肉薄しようとしているのがわかる。特に、統合失調症と名称が変更された精神分裂病を「個別化原理の危機」と捉え、幻覚や妄想、無為自閉などの「症状」を、「個別化原理の危機という単一の基礎的過程に対して患者がいかに対決するかの有様」である、と50年近くも前に喝破した点が圧倒される。
精神障害者の場合、ライセンスを持った精神保健指定医という医師が「この患者は自傷他害の恐れがある」と認めた場合、本人の同意がなくても、隔離や拘束など、強制入院をさせることが出来る。その背後には、急性症状を示す精神病の患者は、暴れたり、叫んだり、わけのわからないことをして、医師などの外部者と了解不可能であり、その沈静化の為には、「やむを得ず」強制治療を行うことも正当化される、という論理がある。これは、一言で言えば、「訳のわからない、本人もコントロールできない病状は、強制的にでも沈静化しなければならない」という、ある価値前提がある。だが、木村氏は、その単純な論理に異議を唱える。
「病者の治療は、病者の個別化を確立させて危機を克服せしめることによって達成しうると考えられる。これに対し分裂病の薬物療法は、病者の緊張状況を弛緩させることにより、この緊張から生じている諸種の症状を消失せしめ、病者がある程度の余裕をもって自らの危機的状況に冷静に対処しうるような状態を作ってやるものであるから、精神療法に対してはあくまでも従属的補助的なものと考えられるのである。」(同上、p221)
筆者は別の本(『異常の構造』)の中で、薬物療法を否定する反・精神医学とは違い、反・反・精神医学だ、と書いていた。だが、反・精神医学と共通するのは、薬物療法を第一義的におかず、「あくまでも従属的補助的なものと考え」ている点である。これは、昨年訪問したイタリアの地域精神医療にも共通する点である。筆者は薬物療法の効能について、「病者の緊張状況を弛緩させることにより、この緊張から生じている諸種の症状を消失せしめ、病者がある程度の余裕をもって自らの危機的状況に冷静に対処しうるような状態を作」ること、としている。つまり、あくまでも「個別化原理の危機」にある患者が、その「危機的状況に冷静に対処しうるような状態」になるためには、危機ゆえに極度に「緊張」して、そこから「生じている諸種の症状を消失せしめ」る必要がある、と指摘している。つまり、あくまでも目的は、「病者の個別化を確立させて危機を克服せしめることによって達成しうる」と考えているのである。
この論文から半世紀あまり、日本の精神医療の中で、「病者の個別化を確立させて危機を克服せしめることによって達成しうる」と考えている医者が主流を占めているだろうか? もし、主流を占めているなら、長期社会的入院がその「個別化原理の危機」に対応するベストプラクティスとなり得ているだろうか? そんな疑問が浮かぶ。
「精神病といいうるのはむしろ、対人関係の成立をまってはじめて出現するところの、いわば『人と人との間柄』の問題だということになる。」(同上、p243)
この視点に立ったとき、2つの視点がありうる。1つは、「人と人との間柄」の問題(=病気)なのだから、一般的な「人と人との間柄」から退却させる事によって対処しよう、という戦略である。隔離・拘束・社会的入院とは、一言で言ってしまえば、その退却の方法論である。だが、「人と人との間柄」だからこそ、その「間柄」の中で、支援チームが患者と向き合って、「病者の個別化を確立させて危機を克服せしめる」支援に当たることも出来る。イタリアでみた、三田や京都のACTなどで為されている「寄り添い型支援」とは、そのような方法論である。「我を圧倒し否定しようとする非我の力」を前に、「だから病院という世界に一生閉じこもりましょう」とするのか、「その力にどう対処するか、地域の中で一緒に考えましょう」というのか。これは、根本的な価値命題の違いだ。
「世界から身を退いて自閉的な態度をとり、あるいは逆に自然な一貫性を欠いた意志的努力的仕方で、我を世界に向かって主張する」精神障害者の、その「自閉的な態度」や「意志的努力的な仕方」での「主張」という表面を捉えて、それを薬で制圧する事が精神医療の本当の目的ではない。木村さんはそう訴えかけている。そうではなくて、その表面の背後にある「個別化原理の危機」にこそ目を向けてえ、その問題に寄り添い、それを「克服」する支援が出来るかどうか、が問われている、と主張している。僕は、この話と、以前ブログにも書いたバザーリアのあの発言が重なって見える。
「この仕事の基礎となっている接近法は決して病気が中心にあるという事実を避けようとするものではない。しかしながら、この新しい潮流の中ではこれまで患者に、あるいは少なくとも精神病院に内在するものとされていた葛藤がそれら葛藤が因って来たるところのより広い社会に投げ返される-というのは病気というものは本質的に社会的関連における自我の特異的な矛盾の歪んだ表現と見なされるものだからである。精神医療従事者にとってこのことは全く新しい役割を担うべきことを意味している。つまり患者と病院との関係の中にいて仲介者の役割を果たすのではなく、家族、仕事場、あるいは福祉事務所といった現実世界での葛藤に介入しなければならないのである。」(フランコ・バザーリア「管理の鎖を断つ」『批判的精神医学 : 反精神医学その後』.イングレビィ編、悠久書房、p321)
「個別化原理の危機」とは、「本質的に社会的関連における自我の特異的な矛盾の歪んだ表現」と同じである。であれば、単に病院の中で囲い続けることが治療ではない。「患者と病院との関係の中にいて仲介者の役割を果たすのではなく、家族、仕事場、あるいは福祉事務所といった現実世界での葛藤に介入しなければならないのである」という指摘は、この危機の克服に当たり、支援チームに求められている基本的視座を改めて示していると思う。

「人生の正午」にさしかかり

春は憂鬱。年度末のバタバタと、その後のどっと疲れも重なり、すっかりブログもご無沙汰していた。

こんなに桜が咲き、野菜も美味しくなり、暖かくなるのに、なぜ憂鬱なのか。精神病の友人・知人もみな、春はしんどい、とおっしゃる。寒暖の差がめまぐるしくかわり、自律神経のコントロールも効きにくい。気持ちは前向きでも、身体は冬眠モードからなかなか目覚めない。心と身体の一体感のなさ。そして、目まぐるしい気候の変動。そんなことがあって、調子を崩す人が多いと聞く。僕もそう聞いて、以前からの春先のしんどさを、やっと納得できた。爾来、春先はいつも気怠い、と納得している。
だが、タケバタヒロシ38歳の春は、その例年の気怠さ以外の、より大きな心身バランスの不全感を感じている。
分析心理学の祖、ユングは中年を「人生の正午」と名付けた。そして、「午前」にあたる30代までが、外向的・社交的な関係性や成熟を育む時期だとすると、「午後」の時期は、内向的・精神的な関係性や成熟を育む時期だと整理している。で、その「正午」にあたる中年が、外向から内向へ、社交から精神的関係性へ、と転換期にさしかかる時期である、と指摘している。これは理論的な話だけではない。彼自身の自伝を読んでいると、30代後半、フロイトと決別をした後から、彼は外向的な肩書き・成功を追い求めるのではなく、自らの内面世界との対決に迫られ、人生の危機にさしかかる。彼はその危機を乗り越える冒険の始まりにおいて、何故か住まいの近所にある湖畔の石を拾って、城や棟を作る建築遊びに夢中になっていった。
「私は自分自身の神話を見出す途上にあるという内的な確かさがあるのみであった。というのは、この建築遊びは、ひとつの始まりにすぎなかった。それは一連の空想をさそい出し、後になって私はそれを注意深く書きとめておいた。このようなことは私に適合していた。そして、この後も、何らかの空虚さに立ち向かうときは、私は絵を描いたり、石に彫刻したりした。そのような体験はすべて、成熟されかかっている考えや仕事のための入門の儀式となった。」(『ユング自伝1ー思い出・夢・空想ー』みすず書房、p250)
ユングにとって、建築遊びや絵描き、彫刻などの創作は、自らの内的な「成熟されかかっている考えや仕事のための入門の儀式」であった。つまり、内面の旅に漕ぎ出すための、入り口の役割を果たしているのである。その中で、彼自身の中で少しずつ「内なる声」がはっきりとしたイメージを持ち始める。この際、ユングは次のようなアプローチを用いて、対決していく。
「大切なことは、これらの無意識的な内容を、それらを人格化することによって自分自身と区別することであり、同時に、それらを意識と関係づけることである。これが無意識的な内容の力をとり去る方法である。それらは常にある程度の自律性をもち、それら自身の区別された同一性をもっているので、人格化するのはあまり困難なことではない。この自律性は、これらを自分自身と調和させるのに最も不都合なことであるが、無意識がそれ自身をこのような方法で示すという事実は、われわれがそれを取り扱う最上の手段を与えてくれることになっている。」(同上、p267)
ユングの言う「自分自身の神話」は、簡単に形作られる訳ではない。無意識のイメージは、茫漠で、しばしば不安感や空虚さ、焦燥感など、ネガティブな、しんどい気分で襲ってくる。ユングはそれらの空想を書き留め、やがてアニマという人格を与えることで、統合していく。彼は自らの中で蠢く、「ある程度の自律性をもち、それら自信の区別された同一性をもっている」存在を、アニマ(心の中での異性としてイメージされる何か)として「人格化」して、その「自律性」を促すことによって、自らの意識と区別し、「自分自身と調和させる」ことに成功し、やがて「集合的無意識」の発見からユング心理学の体系化へと、考えを進化・深化させていった。(アニマ・アニムスについて詳しくは復刊されたエンマ・ユングの『内なる異性』を参照)
そして、注意深く観察していると、このような「人生の正午」に、創作を通じて、自らの中での無意識のイメージを分化(differentiation)させていった存在は、彼以外にもいる。
例えば作家の森博嗣氏。彼は名古屋大学工学部の准教授だった39歳の時、『すべてがFになる』でデビューし、一躍人気作家になり、ご本人曰く「一生分稼いだ」とのことで、今は大学も作家業もやめて、もっぱら工作とガーデニングの日々を送っている。彼は最近のエッセーの中で、自らの物語形成に通じる何かを、次のように語っている。
「抽象的思考というものは、結局は、そういういう風に考えられる頭、面白い発想、新しい思いつきが生まれる『場』を作ることが第一であり、そういう『場』というのは、一朝一夕にできるものではなく、毎日毎日、自分の思考空間を観察して回り、具体的な雑草を見つけたら抜き、こんなのがあれば良いなというものの種を蒔く、そういう手入れを少しずつ続けてこそ、ゆっくりと、しだいに現れてくるものなのではないか。」(森博嗣『人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか』新潮新書、p179)
彼自身は、模型製作にまとまったお金が必要だから小説を書いたらあっという間に売れた、とよく書いている。事実、そうなのだろう。だが、彼の模型製作も、あるいは小説執筆も、本業以外での『場』を作ることであった、とも感じられる。そこで、「毎日毎日、自分の思考空間を観察して回り、具体的な雑草を見つけたら抜き、こんなのがあれば良いなというものの種を蒔く、そういう手入れを少しずつ続け」るなかで、小説や、あるいは自らの「人生の午後」の歩み方を成熟させていった。そんな風に感じてならないのだ。
あるいは、また作家になるが、村上春樹氏だって、そういう部分があるように思う。
僕はたまに無性に彼の小説やエッセイを読み返したくなる。この春は、どうしても『遠い太鼓』が読み返したくて、単行本を持っているのに、また文庫本を買って読み直していた。これは、彼が30代後半から40にさしかかるあたり、ギリシャやイタリア、イギリスなどのヨーロッパ生活を続けていた時期に書いたエッセイある。僕もちょうど彼がこの作品を書いた時期と同じ年齢にさしかかり、その内容の断片断片が、すごく心に刺さってくる。例えば、『ノルウェイの森』を書き終えた、38歳の時の、こんな一節など。
「朝が訪れる前のこの小さな時刻に、僕はそのような死のたかまりを感じる。死のたかまりが遠い海鳴りのように、僕の身体を震わせるのだ。長い小説を書いていると、よくそういうことが起こる。僕は小説を書くことによって、少しずつ生の深みへと降りていく。小さな梯子をつたって、僕は一歩、また一歩と下降していく。でもそのようにして生の中心に近づけば近づくほど、僕ははっきりと感じることになる。そのほんのわずか先の暗闇の中で、死もまた同時に激しいたかまりを見せていることを。」(村上春樹『遠い太鼓』講談社文庫、p250)
彼自身が小説を書く中で、「少しずつ生の深みへと降りていく」。そして、近づいていく「生の中心」とは、「死もまた同時に激しいたかまりを見せている」、生と死の交錯点でもある、という。そんなぎりぎりのところに、小説を書く中で降りていく。降りて行かざるをえない。その先にしか、彼自身が求める何かはないから。そこは「死の高まりが遠い海鳴りのように」震わせる危険をはらんでいるが、彼は降りて行かざるをえないのだ。
「人生の正午」。それは、そのような危険極まりない、無意識的なイメージや抽象的な思考の「場」に降りていき、そこでの世界と対決するかどうか、を、あなたにも、そして僕自身にも問いかけている、時間の踊り場。おそらくその際に、外向的・社交的な具体の世界にとどまる事も、不可能ではないだろう。だが、そのような「アンチ・エイジング」は、外見的にいくら取り繕えても、内面を蝕むばかり、僕はそう感じる。「人生の午前」と「人生の午後」は、物語のフェーズが違うのだ。そのとき、具体から抽象へ、外面世界から内面世界へ、意識のみの論理的・合理的世界から無意識の世界も含めた不合理な<生命>や<自然>の世界に、つまりは「生の中心」に、「降りていく」ことが出来るか? それが、問われている。
猪突猛進で、前ばかり向いて、突っ走ってきた。そんな僕も、そろそろと、「自分自身の神話を見出す途上にあるという内的な確かさ」と向き合い始めている。「人生の正午」が、春とともに始まった。そんな、2013年の春です。

自分の愚かさを勘定に入れる

先週火曜日から風邪を引いて寝込む。熱は治まったようだが、咳がひどくて眠れず、自宅療養の日々。なので、今週は結果的に布団読書の日だった。その中で、内田先生の増補版の本を読んでいない事に気付き、ゲホゲホしながらの読書。彼の論は雑だとか、あるいは資料的裏付けがなされていない、とか色々な批判も読むが、僕はそれより、物語の語り部としての内田視点から、学ぶことが多い。例えば、こういうあたり。
「人はどうしても、自分につごうのいい情報は過大評価し、自分につごうの悪い情報は過小評価しがちになります。でも、そのことをいつも念頭に置いておけば(つまり『自分の愚かさを勘定に入れる』ことを忘れなければ、あまり大きなミスは犯さないで済むはずです。」(内田樹『増補版 街場の中国論』ミシマ社、p84)
増補される前のバージョンの本も買って読んでいるし、彼のこのフレーズはブログや至る所で繰り返し読んでいるが、でも僕にとっては、すごく今日的で大切なフレーズだ。それは、「自分の愚かさを勘定に入れる」ことほど、言うは易く行うは難し、なのである。むしろ、自分の認知バイアスは不問に付して、認知バイアスを極大化させるような情報の取捨選択をしやすい。ツイッターが怖いのは、誰をフォローするかを選択できるので、自分が好きな言説をチョイスすると、結果的には自分の周りの世論はみんなこう言っているのにマスメディアは報じていない、という独りよがりが横行する。原発問題でも大阪市長選でもTPP問題でも、是非が分かれる問題においては、どちらの立場を取るかは自由だが、その立場に関する「自分の愚かさ=認知バイアス」を「勘定に入れ」ないと、問題の本質を全く読み誤ってしまう。
そして、もう一つ、様々な事象を読み解く上で、大切な視点がある。それは、内在的論理に寄り添えるかどうか、である。
「どのように傍目から理不尽に見えるようなふるまいであれ、たいていの場合、先方の政府や国民にとっては『主観的には合理的な根拠』がある。それを『おまえのしていることは私にはよくわからん』といくら大声で言ってみても始まらない。どうして、『そのようなこと』が先方にとっては『主観的に合理的であり、かつ正義にかなっている』ように思えるのか、その判断の構造を理解しなければ、生産的な対話は始まらない。」(同上、p32)
意見が分かれる問題というのは、こちらが正しいと思うことと、相手や他者がそう思うことに、極端な開きがある場合である。その時、自分と極端に違う意見に対しては、「理不尽に見える」。だが、それは自らの「理」からすれば「不尽」であっても、相手にとっては何らかの内的必然性があるから、行っているのである。つまり、「『そのようなこと』が先方にとっては『主観的に合理的であり、かつ正義にかなっている』」という内在的論理があるのだ。その内在的論理の構造を、相手の眼鏡にたって、虚心坦懐に理解しようと努め、あるいは徹底的に分析し続ける中で、初めて「生産的な対話」に結びつく、という。
これは、自分自身の判断根拠が「多くのあり得る根拠の一つに過ぎない」と認め、別のソリューションもあり得る、と認めること、つまり『自分の愚かさを勘定に入れる』こと、と繋がる。逆に言えば、自分が愚かではないという高見の視点から、『おまえのしていることは私にはよくわからん』というような不遜な発言が出てくるのである。「理不尽」に見える相手の行動にも、何らかの合理性がある。でも、その合理性を、現時点で私は理解していない。それを理解したい。そのような視点が、「生産的な対話」への道を開くのだ。
なぜこの視点が大切なのか。それは、次のフレーズを元に考えてみたい。
「僕たちにはうまく想像することのできない種類の心情や感動が隣国の人々を統合させているという事実を、僕たちはせめて知識としては知っておいた方が良い。」(同上、p239)
自分の想像や理解を超える何かが「他者」の内在的論理を構成している、ということを理解しないと「対話」が成り立たない、という骨法は、中国理解に限らず、イスラムでも、北朝鮮でもアメリカ人でも、あるいは発語が困難な人であっても、あるいは自分の大切なパートナーであっても、自分以外の「他者」を理解する上での、基本のき、であるのだ。例えば、家族間だって、普段からのおしゃべりや経験の共有によってわかり合えている、と思い込んでいるが、親密なはずの家族間でもわかり合えないことは少なくない。家族を恋人や友人、会社の同僚、隣近所・・・と置き換えていけば、どんどんその率が高くなる。にもかかわらず、ある程度の情報共有で、そこそこの理解が出来ていると思い込める(それが誤解であっても)関係性があるから、問題化していない。
だが、その関係性が十分に構築できていない相手とは、それが誰であっても、「わかり合えない他者」として存在している。その時、相手のことを理解したいと思うなら、自らの振る舞いの正しさを「当たり前の前提とする」(=という自分の愚かさ)を括弧でくくり、相手なりの『主観的には合理的な根拠』を探さなければならない。だが、例えば国際問題の専門家でも、障害者・高齢者支援の専門家でも、「専門家」と名乗る人ほど、自分自身の無謬性(=自分は正しいし間違いようがない)の虜に無意識になりやすい。特に、対象者が例えば中国内陸部の農民や、精神病院入院患者、など、一般の人がアクセスしにくい対象者であればあるほど、「こういう人は○○だ」という専門家の知識は絶対化しやすいし、素人はその専門家の言説を信じ込みやすい。だが、その専門家自身が、自らの「愚かさ」を常に検証しない限り、認知バイアスはどんどん膨らみ、自らの専門性は、自らの眼鏡を曇らせる、時には視野をふさぐ、邪魔な知識となり得るのだ。
専門家、と言われる人ほど、あるいは一定の年齢や経験を経るほど、これまでに構築してきた、自らの認知体系を固守したがる。だが、その認知体系は、残念ながら誰であっても、認知のバイアスとなる。誰だって、「愚かさ」を内包している。だが、その「愚かさ」に自覚的であるか、その「愚かさ」をなかったことにするか、で、自分自身の行動や判断は大きく異なる。大学教員という立場も、自らの知識の虜囚になり、その知識に縛られ、認知バイアスの中で窒息死しやすい職業である。
常に、他者の内在的論理を学ぼうとする気持ち、および『自分の愚かさを勘定に入れる』謙虚さ、は忘れたくない。風邪の寝床で、そんなことを考えていた。

客観的時間の呪縛を超えるために

以前から気になっていたことがずばりと言語化されている記述に出会うと、圧倒される事がある。
「現代の人間たちは、時間を合理的に管理することを基礎において、人生を設計し、残された時間を有効に使おうとする。そうしてそうすればするほど、現代の私たちは、時計の刻む客観的な時間=量的な時間に自分の時間世界をゆだねながら、その固有の時間の一部を切り売りすることによって自分の固有の時間を維持するしかなくなる。すなわち他者に自分の時間を投げ出すことによって、時間の合理的管理を維持するのである。」(内山節『時間についての十二章』岩波書店、p251)
なぜこの表現にギクリとしたのか。それは、僕自身がこの「時間の合理的な管理」という病にかかっているからである。
一昨日から昨日かけて、大阪と三重で出張だった。このブログの原型も、電車の中で書いていた。移動が多いと、しかも移動先で予定が複数入っている場合、時間をこちらが主体的に管理しないと、うまく電車に乗り継げなかったり、あるいは目的地にたどり着けなかったりする。その場合には、当然、時間の合理的な管理管理は必要不可欠になる。それは、仕方ない。
だが、単に移動中だけでなく、たとえば休日を過ごすときでも、あるいは家や職場で原稿書きなどの仕事をしていても、常にこの「時間の合理的管理」を意識してしまっていることに、以前から気づいていた。「今日は一日有意義に過ごせた」かどうか、を自らへの評価基準として問いかける事が、僕にはしばしばある。そして、あまり有意義に過ごせなかった、と自己評価する際、それはイコール時間を合理的に管理できていない、とか、時間を効果的に使えなかった、という主観的評価と結びついている場合がしばしばある。
この問題性とは、「時間の刻む客観の時間」に自分の「固有の時間の一部を切り売りする」事によってのみ達成される、ということだ。評価基準として、一般的に「合理的」とか「効率的」「効果的」と言われる時間を使っているかどうか、という、究極の意味での客観的な時間や他者評価に自らの時間を売り渡していることの問題性である。
これがなぜ、どのように問題なのか。もう少し、内山さんの議論をたどってみよう。
内山さんは、客観的な時間に対置して、関係的な時間、という概念を提起している。農業や漁業、林業ならば自然と、職人なら対象物と、教員や支援者なら学生や支援対象者と、お商売なら顧客と、関わり合う中で、時間を共にする中で、「働く」という営みを成立させている。しかし、関わりを意識しながら働く、という当然の前提が、いつの間にか後景化していくなかで、客観の時間にあわせる、ということが、どのような仕事でも主眼となりはじめる。そして、客観的な時間が関係的な時間を、ある時点から凌駕し始める。
「技術革新はこの二つの時間世界の均衡に変化をもたらした。ここでモデルになったのは、テーラーやフォードがつくりだしたあの生産過程である。労働の単純化と、システム的な管理が進行していく。労働とは時計の時間とともにすすめられる作業である、とでもいうような構造ができあがっていく。直線的で等速の縦軸の時間が次第に労働を支配するようになり、私たちはこの時間世界に投げ込まれるかたちで、自分たちの労働存在をつくりださなければならなくなった。」(同上、p181)
このフォードのベルトコンベア式労働に代表されるのは、時間の標準化と規格化、平準化と均質化である。誰がやっても、同じような労働が成立するはずだ、という強い規範的意識を背後に持ちながら、標準化と規格化の圧力は強くなる。それが、大量生産や大量消費に結びつき、資本主義体制の強化の論理になったとき、この客観的時計世界の圧力を、個人が変えられない所与の前提として受け入れざるを得なくなる。それと共に、それ以外の時間の豊かさを「後ろめたい」と感じたり、なかったことにする。すべての時間の使い方を、この客観の時間で査定して、「有意義な時間」を管理できているかどうか、という評価基準に落とし込む心性へとつながっていく。その中で、関係的世界からますます遠ざかっていく。そして、客観の時間が唯一の査定基準となると、自らがますます追い込まれる事態となる。
「自分の労働に何らかの価値や意味があることをどこかで期待している私たちは、自分の労働の価値への自己確認をくりかえしつづける。そしてそうなればなるほど、労働は個人の個的な、自己完結的な労働になって、労働がもっていた関係の世界、労働存在の時間世界を喪失しながら、労働の時間基準は時計の世界へと純化していくことになるだろう。すなわち労働の価値を自己確認する時代とは、労働とともにあった関係的世界や、労働とともにあった、その労働に固有な時間世界の喪失した時代を表現しているのである。」(同上、p229)
本来、関わり合うことが主軸になる場面では、「労働の価値の自己確認」が主題化されることはあまりない。畑を耕すにしても、学生と向き合うにしても、関わり合う中で、自らも相手も変容していきながら、一つの関係を取り結び、その中から「他者」との協働の中で何かを作り上げる。この関係性が豊かに取り結ばれていれば、「この仕事に価値があるのか」「こんな事をやっていて意味があるのか」といった問いかけは、本来生まれてこない。
だが、「労働の単純化と、システム的な管理」の進行、とは、関わり合うあなたと私の関係性を主軸にした関係性から、「自己完結的な労働」へと転化してきた。「お天道様との関係性の中での農業」から、「単位面積当たりの生産性をどうあげるかを追求する農経営管理」に、「学生と教員の全人的かかわり合い」から「就職率(進学率・国家試験合格率・・・)の追求という教育管理」に、主眼が変わってきた。このような「成果至上主義」では、成果率という客観的な数値やデータが大切になり、その成果を生み出すためにどのような関係性が切り結ばれたか、というプロセスはなおざりにされる。そして、働きかける側も、働きかけられる側との関係性の豊かさで自己評価するよりも、「成果率」という「自己完結」的なデータにがんじがらめになり、ひいては「その労働に固有な時間世界」を「喪失」することになる。これは、視聴率とか市場独占率、四半期単位の営業成績、などと置き換えたら、多くの労働に共通する「疎外」である。内山さんは、単に労働者個人の労働における疎外ではなく、関わり合うという関係性からの疎外である、とも指摘している。
生きづらさやむなしさを感じる、あるいは労働以外でも客観的時間で自己管理・自己経営に気づいたらのめりこんでいる。これらの現象は、「労働存在の時間世界」の「喪失」の帰結であるのかもしれない。そして、生きづらい、むなしさが前掲化される社会、とは、労働における「かかわり合いの豊かさ」という関係性からの疎外の結果もたらされるものであるのかもしれない。
では、どうしたら関係性の時間を取り戻すことが出来るのだろうか。
「おそらく私たちは、関係によってつくられていく時間存在を、自己の存在として確立していく方法を確立したとき、はじめて近代的な疎外を克服する方途を発見するのである。」(同上、p192)
ごく当たり前のことであるが、自分自身の労働、という自己中心的な、「個人の個的な、自己完結的な労働」概念を放棄することが必要不可欠である。これは言うは易く行うは難し、だ。世間は成果主義で評価しようとしていても、自らの労働の価値判断を、成果ではなく関わりあいの観点でとらえ直すことが出来るか。顧客を、自らの成果率向上の一手段に貶めるのか、その顧客との全人的なかかわり合いの中で、ある商品なりサービスを通じて、お互いが変容する物語の共有ができる、と考えるか。大げさに考えれば、時間論の転換は、自らが関わる労働に対する価値観を大きく問い直す。何のために働くのか、どう生きたいのか? このような根源的な問いを、成果率の問題に矮小化させる事なく、抱き続け、関わり続けることができるか、が問われている。
関係性とは、一朝一夕では構築できない。どれだけ直接に対面していても、成果率などのデータでなく、その商品やサービス、支援などに関わる人の「お顔が見える関係」を築こうとしなければ、客観的な時間支配から脱出することは出来ない。だが、たとえインターネットでの間接的関係であっても、想像力を働かせ、相手との関係性を構築しながら何らかのプロジェクトを進めることも、不可能ではない。大切なのは、いま・ここでの出会いを、客観的時間の呪縛から離れて、関係的時間の観点で問い直し続ける、そういう丹念な時間の織り込みなのかもしれない。
「有意義な時間を使えているのか?」という問いかけを、「いま、ここで豊かな対象世界とのかかわり合いが出来ているか?」と変えてみよう。細切れ仕事であれ、家事であれ、合気道であれ、余暇であれ・・・。客観的時間の効率的管理、という脅迫的で息苦しい他者評価の物差しから解放され、自らの魂の喜びや豊かさとアクセスできるための鍵が、この関わりの時間の豊かさの「再発見」に隠されているのかもしれない。

自転車に乗って

自転車を手放してもう何年になるだろう。

関西に住んでいるとき、自転車は文字通り、日常生活になくてはならないものの一つだった。それが、甲府に引っ越してきて、坂道の途中にあるマンションに暮らしたことと、車で職場に通うようになったことが重なって、いつの間にか自転車から遠ざかっていた。家人がしばらく使っていたが、そのうち使わなくなり、甲府に来て数年で自転車を処分してしまった。

昨日、八年ぶりに自転車を手に入れ、乗ってみた。実に爽快なこと。この感覚を忘れていた。
ちょうど坂道の途中から街場の住宅地のマンションに引っ越したので、そろそろ自転車に乗ってもいいな、と思っていた頃だった。この前、職場まで何度か歩いて出かけたら、四十五分程度で歩けてしまった。これなら、自転車があれば、二十分程度で通勤できそうだ、という実感がつかめた。また、引っ越した後、身延線の善光寺の駅から二十分程度歩いて職場まで通っているので、それなら自転車で出かけた方が自由度も上がりそうだ、と考えていた。

そんな折りに、ホームセンターで手ごろな価格のシティサイクル車なるものと出会う。五段変速で、かごもついていて、パンクしにくいタイヤで、実にリーズナブルな価格。これなら、と思い、買ってみた。そして、昨日からルンルン乗り回している。すると、甲府盆地がこれまでとは違う風景で見えてくるから、不思議なものだ。

甲府に引っ越して八年、気がつけばいつの間にか、自動車移動の目線になっていた。八年も甲府市内に住んでいれば、だいたいナビなしでも土地勘はわかる。だが、昨日、今日と自転車でフラフラしていて気づくのは、いつもの風景が新しく見える、という不思議な体験だ。
例えば甲府市内は神社がすごーく多い。街中を走っていると、至る所で神社やその分所、御旅所などのような場所がある。これは、車では素通りしていて、気づかなかったところだ。あと、いつもいく目的地に行くのでも、自転車なら狭い路地をずんずん進める。これも、関西にいた頃はよくぶらぶらしていたのに、甲府に来て忘れていた感覚だ。そして、甲府市内はあまり高い建物がなく、富士山と日差しの方向を確認すれば、だいたい適当に走っても、大まかな方向感覚がずれない、というのもありがたい。
さらに、古い街に特徴的な事だが、狭い路地が非常に多い。これは、車なら恐ろしくて入り込めず、歩いていたら引き返すのが面倒なので後ずさりするが、自転車ならどんどん冒険できる。すると、車の通るメインストリートは実は後付け的にできた道で、路地のようなクネクネ曲がった道が、街中の、あるいは畦道の、本来の道であることがわかってくる。たぶんこの辺は、武田信玄時代や徳川時代の地図と重ね合わせて考察すれば、あるいはアースダイバー的に眺めれば、もっと色々掘り下げられるのだろう。
しかし最も驚いたこと、それは走っている僕が、昔のわくわく感を取り戻していることである。

そう、十代までの僕にとって、自転車はいつも相棒だった。

小学生時代、退屈な日は、桂川の河川敷や近所の街中を、いつも変速機付きの自転車で走り回っていた。何か面白いことはないかな、何にもないな、と思いながら、桂川の鉄橋から新幹線や在来線の走るのを眺めたり、たまには五条大橋や伏見あたりまで、時には嵐山・木津川までも、ぶらぶら自転車をこぎ続けていた。また、高校時代には、ボーイスカウトでヤマモリ君と台風警報が出ている中、琵琶湖一周をしたこともある。あるいは、亀岡から篠山、三田まで山道を走ったことも。雪の降る真冬、小説の続きを読みたくて、マウンテンバイクをこいで近所の本屋をハシゴした日々・・・。
そういえば、なにげに五段変速がついている新たなチャリをこぎながら、以前の自転車が相棒だった日々を、思い出していた。そして、二十代後半は、大学院の修業時代とバイトに明け暮れ、ずいぶん楽しみから遠ざかり、自転車も車も、生活の手段に成り下がっていたことに、改めて気づく。さらに言えば、今、三十代の後半にして、やっとチャリ生活を再び楽しめる状態になってきた、とも。
自動車や特急電車、新幹線、飛行機と、移動手段の選択肢が格段に増えた。そして、甲府に暮らし始めてからの八年間は、ひたすらあちこちに出張し、移動し続ける日々だった。そういう日々だったからこそ、自転車というスロースピードの世界観が、実に新鮮な表情で、再び僕の前に迫ってきた。待ち時間や接続時間、あるいは道の狭さなどに拘束されることなく、街中をすいすいと走る世界。身体にダイレクトに負荷がかかり、風がきついとしんどいけれど、それも含めて楽しく感じれるようになったことが、実にありがたい。最近都会でおしゃれで高級な自転車が流行っている理由もよくわかる。同僚や知り合いが自転車道にはまりこんでいくのも、何となくわかる気がする。まあ、今の僕には、ホームセンターの五段変速がちょうどいいけれど。

すばやく・ぱっぱと・らくちんに、という効率や効用性の観点からいけば、自転車は劣るのかもしれない。でも、その効率や何か、は、規格化・標準化され、工業化・製品化されたそれだ。一方、自転車は、確かに商品なのだけれど、人の直接のエネルギーが介在し、その自由度が増えるだけ、標準化・規格化されたものから離れ、開放性も自動車より大きいのかもしれない。
そういう気づきをもたらしてくれた、自転車との再会。それは、常に猪突猛進になりがちな僕自身の社会への見方を、ちょっぴりと豊かで、そしてゆったりとしたものにしてくれるのかもしれない。
合気道とは違う筋肉を使っているようで、ふくらはぎに疲労感を感じながら、そんなことを考えていた。

語り合うという力

初めて出会う人による語り合いの場は、最初はおずおずと、ピリピリと始まる。ここは安心して話せる場なのか、どういうメンバーが参加しているのか、私の考えは的外れではないか。

だが、いったん落ち着いてはなせる場だとわかると、言ってみたかった言葉が口をついてでる。あるいはその話を聴いている人も、「そうそう、私も」と思わず合いの手を入れて、語るはずのなかった何かを語り始める。その雰囲気に引き込まれ、他の人が「そう言えば私の経験では」と話が広がる。深まる。その中で、気づいたら本質的な内容が議論されている。

先日、僕が出会ったのは、そんな「語り合うという力」が大きな何かを産みだそうとする瞬間だった。

ところは三重県。障害種別を越え、支援者や行政職員に自分たちの思いを伝える「研修リーダー」を養成するための、当事者だけの研修の場面での出来事だ。三重の自立生活運動の拠点、ピアサポートみえの松田愼二さんが総合司会を行い、西宮で長年自立生活運動に取り組み、近年はNHK教育テレビのバリバラ!でおなじみの玉木幸則さんと僕が助言者、そして松田さんと一緒に活動するお二人の障害当事者がファシリテーター、という陣容で取り組んだ。

こういう場は、障害当事者主催なら、以前から行われていた。だが、特筆的なのは、それを三重県が主催の研修で実現できた、ということだ。でも、今回の研修において、県職員はあくまでも書記役に徹し、当事者たちが安心して話せる場を作る、という松田さんの設定は活かされていた。そういう意味では、障害者運動が培ってきたノウハウが、都道府県レベルの研修で本格的に活用された初めてのケース、ともいえるだろう。

なぜ、そのような場が必要なのか。

その理由は、大きくわけて3つ、考えられる。

1つ目が、当事者同士で障害種別を越えて、自分たちの障害や病気のしんどさ、生活のしづらさ、生きづらさを共有できる場がないからだ。障害や病気を抱えて暮らす、ということには、特有のしんどさがある。手や足の自由が利かない、目が見えない、耳が聞こえない、幻聴が聞こえる、理解するのが難しい・・・。このような病気や障害があることでの特有のしんどさが、それぞれの障害にある。だけでなく、その障害ゆえに、日々の日常生活で、社会関係を営む上で、様々なハードルや障壁にであう。前者を機能障害とするならば、後者は社会的不利や生活障害、ともいえるだろうか。もちろん、障害が異なれば、病気や障害のしんどさは異なる。だが、そのようなハンディを抱えて日々暮らすことに、どのような生活のしづらさや生きづらさがあるのか、という部分では、障害の種別を越えた共通点がある。これは、語り合う中で、他の障害の人の話を聞きながら、「そう言えば私も同じような悔しい思いをした」「そういう気持ちは分かる」という分かちあいが生じる。そして、そういう障害種別を越えた当事者間での「思いや願い」の共有の場が、地方都市ではなかなかないのが実状だ。

2つ目は、そういう障害当事者の内在的論理を、支援する側や関係する行政職員が知らない、という問題点である。支援者は障害の特性や支援のやり方、については「知ったかぶり」が出来る。あるいは行政職員なら、現行法や制度、その運用実体や基準等について「知ったかぶり」が出来る。両者にあえて「知ったかぶり」と書いたのは、本当に知っている訳ではないのに、当事者の前でえらそうにその「振り」を必死にしている職員も少なからずいるからだ。まあ、その問題はおいておこう。だが、支援を受ける障害当事者が、その支援を受けての生活にどんなことを思っているのが、どういうしんどさや生活のしづらさを抱えているのか。そういうリアリティについては、実はちゃんと知らない支援者や行政職員も少なくない。そういうことは「知ってるつもり」になったり、あえて聴かなかったり、聴く必然性を感じていなかったり。そんな場合も少なくない。障害当事者に対しての行為が、相手の立場からどう評価されているのか。このような業務評価は、自らの行為の本質に関わる部分である、がゆえに、これを意識的・無意識的に避けようとする支援者も、少なくないような気がする。

3つ目は、上記の理由から、これまで障害当事者と支援者、行政職員が、お互いの役割や立場を越えて、「障害を持って地域で暮らすしんどさや大変さ、生きづらさ」について、平場で話し合う、という場面があまりに少なかった、という理由である。行政交渉などの公的な場面においては、「要求・反対・陳情」などの敵対的なモードが支配的であった。また、障害者地域自立支協議会という、市町村レベルでの関係者の議論の場が法的に整備されたが、その場で何を話していいのか、誰に話し合ってもらえばいいのか、について、自治体レベルでの当惑は未だにあり、十分にこの協議会が機能していない自治体も少なくない。ましてや、障害者の代表だけが形式的に参画するけれど、支援する側・される側の本音がつっこんで語られる場、になっている地域自立支援協議会がどれほどあるだろう。

このような状
況下にあって、都道府県が主催する研修会の場で、この3つの問題を乗り越えるために、障害当事者と支援者、行政職員が出会い、平場で「障害や病気のしんどさ、生活のしづらさや生きづらさ」について語り合い、学びあう機会を作ることは、非常に価値があることなのである。そういう意味では、こういう画期的な研修を主催する三重県もなかなか先駆的である。

ただ、いきなり「出会いの場」といっても、心の準備も必要なので、今日はまず1つ目の課題をクリアする為に、障害当事者だけの語り合いの場を作ってみたのだ。すると、出てくること、出てくること。

・ヘルパーが「風邪を引いてはいけないので外出を控えましょう」と保護的になる
・自己主張をわがままだ、と受け止められる
・職場で頭ごなしに叱られ排除されることが多く、何をどうしたらよいのか教えてもらえない
・恋愛の場面で、自分の思いをきちんと相手に伝えられない。受け止めてもらえない。
・困っている内容を抱えた一人の人間、ではなく、障害者として見られる
・私のしんどさ、を理解しようと話を聴くことなく、「あなたは○○だから」と決めつける

これらの内容に共通するのは、人と人という形できちんと出会えていない、という実体である。障害者と健常者、支援する側とされる側、という役割や立場の関係での出会いの中で、人間対人間の「本音」の部分のやりとりがされていない。「お顔の見えるおつきあい」がなされていない、というリアリティである。そして、そこで語られる中身を聴いているうちに、これは単に障害者だけの問題なのか、と考えさせされた。

このような「生きづらさ」の課題は、たとえば学生支援をしていても、しばしば耳にする話だ。あるいは、派遣労働の問題、正規社員でも「追い出し部屋」や「ブラック企業」などでは、同じように「人として扱われない」現状に対する怒りやつらさが、様々なメディアを通じて漏れ聞こえてくる。昨今しばしばバッシングにあう生活保護を受給されている方も、同じような蔑みや劣等感を感じておられる方も少なくない。すると、ここで語られている課題が、決して一部の障害者のわがまま、ではなく、あなたや私にも共通する、日本社会の構造的なゆがみや抑圧、同調圧力の表出形態である、と見えてくる。すると、これらの語りが、決して「他人事」ではすまされないのだ。

そして、障害理解、あるいは障害者支援の根本に、福祉政策の根本に、この「他人事ではない」という感覚の共有があるかないか、が、実は大きな分かれ道にあるのではないか、と僕は感じる。しょせん可哀想な方々の哀れな悲劇、と「他人事」で感じている限り、それはいつも周縁の問題、と「後回し」になる。だが、これらを「後回し」にし続けることで、結局自分自身の「生きづらさ」もどこかで後回しにしていないか。自分自身の、日本社会の閉塞感や生きづらさの問題を「自分事」として捉えるならば、障害のある人の「生きづらさ」の問題を「自分事」として伺う、語り合うことが、自分自身の「生きづらさ」「生活のしづらさ」の問題を見つめるための「遠回りなようでいて、実は近道」となるのではないのか。

だからこそ、問題の本質を直視するためにも、「語り合うこと」が想像以上の「力」を持っているのだ。

そういえば、参加したある人が、ぽつりとこんな感想をもらしていた。

「こういう場以外で、生きづらさ、とか、生きるとは何か?なんて語ることはありませんよね」

その通り。
いや、むしろ、こういう場がないと、「生きづらさ」や「生きるとは?」が語られる事のない社会の閉塞感こそ、問題の核心部分にあるかもしれない。だからこそ、「語り合うこと」が力を持つのだ。