書き手の存在感と覚悟

珍しく二日連続でブログをアップする。昨日のマスコミ報道に関するブログに関連して、毎日新聞の若手現役記者、蒔田さんが大変興味深い文章を書いている。蒔田さんは「難病カルテ」というご自身の連載の中で、取材対象者には必ず実名で出てもらっている、という。その理由について、次のように書いている。

「一つは、「難病」と聞くだけで依然、偏見を抱く人がいることへの無理解を解消し「病気を持って暮らす」ことが、後ろめたいことではないということを、新聞記事という場を通じて、病気を抱えている人に訴えかけたい、という思い込めていました。顔も名前も隠すことなく、公の場に出ていい、ということをその患者さんに託した、とも言えます。

また、難病患者さんの中には、外見からはその症状が分からなかったりするため、周囲から理解、受けるべき配慮が得られなかったりする。写真を付けることで、「普通」に見えている人が抱えている状況をできるかぎり伝えたい、という意図がありました。」(蒔田備憲  実名掲載と被取材負担について~連載を通じて考えたこと )
その上で、メディアの実名報道問題について、このような視点を投げかけている。
「重要だと考えているのは、実名・顔出しについて、取材を受けることや記事が載ることへのリスクと負担について、被取材者にどれだけ説明できるのか、ということです。」(同上)
僕はこれを読んで、強く共感した。それとともに、研究者の書く研究論文と、新聞の共通点について考えていた。それが、「客観性への呪縛」、および「主語を消すこと」である。
新聞でも論文でも、「客観性」というものが大切にされている。科学論文では「反証可能性」「再現可能性」が重要視され、新聞では「事実をきちんと伝えること」が前提となる。また、論文では「私は・・・だと考える」という文体は原則アウトだ。事実や論理に語らせる文体なので、「・・・から○○と考えられる」という受動態になる。また、毎日新聞は以前から署名記事が多かったが、社説に代表されるように、無署名の記事が多い。さらには、署名入りの記事であっても、記者の個人的見解が全面に出される、というのではなく、「警視庁の発表によると・・・と見られる」などの文体がならぶ。
この新聞や論文の「文体」にこそ、実は不信感のまなざしが注がれているのではないだろうか?
一応これでも査読論文もいくつか書いているのだが、その際の事実の組み合わせには、明らかに僕自身の主観が入り込んでいる。新聞だって、書き手がどのように内容を切り取るか、どの角度から文章を眺めるか、には、主観が入っている。新聞はそれでも公平性を重視して、意見の分かれる論評については賛否両論を書いている。研究論文では、事実や論理の組み合わせに妥当性があるかどうか、査読者に評価される。だが、それであっても、消された「書き手である私という主語」は、どこかで厳然と残っているのである。それを、さも「無機質な事実」であるかのように語っているのである。
しかし、小沢バッシングや原発問題、あるいはTPPや尖閣問題など、その問題についての価値観が大きく分かれる問題については、さも「無機質な事実」であるかのように語っている、その語り口に不信感がもたれたのではなかったか? いっそのこと、記者や新聞社という「書き手」が、「私は○○と考える」とはっきり書いてくれたら、そっちの方がよほどすっきりするのではないか。「小沢はダメだ」でも、「原発は廃炉にすべきだ」でも「尖閣は国有化すべではなかった」でも、何でもよい(もちろん、各事象に関して、それとは逆の見解でも良い)。きちんと、「私は(わが社は)○○と考える」と書いたうえで、その根拠を説明する。そういう記事を読み比べる中で、読者は自分自身がどう考えるか、を判断する材料とする。それならば、ネット記事ではなく、紙の新聞を買い続ける価値があると思う。
では現実は、とみてみると、裏にある程度の意図や考えがありながら、表面的に客観報道の「ふり」をしているので、きわめてわかりづらいし、あいまいに見える。本当に事実のみを伝えているのなら、それはそれでわかる。だが、その事実をある角度から、こういう意図を持って伝えたいな、という「書き手の欲望」がありながら、、「私は○○と考える」とせずに、「・・・と見られる」などと推測的文体になってしまうため、いったい何のことかよくわからなくなってしまうのだ。
その点、蒔田さんの連載「難病カルテ」には、書き手である蒔田さんの姿が見える。彼は記事で「私は」とは書かない。だが、登場人物の姿に寄り添い、その方が社会の中でどんなに苦労をしながら、でも一人の人間として生きていこうか、を書こうという意思が、その文体には表れている。単なる「客観的表現」ではなく、その登場人物の内在的論理をつかみ、その人の目線から、病気のしんどさと生活のしづらさを書こう、という書き手の姿勢が見えているのだ。
先にも引用したが、蒔田さんは「実名・顔出しについて、取材を受けることや記事が載ることへのリスクと負担について、被取材者にどれだけ説明できるのか」が重要だ、という。その信頼感を構築する中で、取材をする側とされる側の相互行為が成立する。あくまでも新聞に出てくるのは、取材をされた難病の方である。でも、その人を連載の中で表現しようとする書き手である蒔田さんの主観も、この記事の中に盛り込まれている。お互いの主観や主体性が響きあう中で、記事という作品に仕上がっている。
実は、本来は論文だってそういう側面がある。特に社会学や社会福祉学のようなフィールドワークの論文であれば、そのフィールドで参与観察者がどのように感じたか、という感覚的な何かがあるはずである。それを、あたかも「彼らは・・・だった」と客観的に表現したところで、その観察をしている観察者である私の評価や視点が、どうしてもその中に入り込む。フィールド現場の対象者と、それを調査する私が、その現場で関わるのであれば、きっちりその関わりを主体的に研究者が受け止め、その中で、主体的にどのように切り取るのか、という覚悟が問われる。
阪神淡路大震災後の被災地では「調査公害」なる言葉がはやった。研究者が仮設住宅などにやたらめったらやってきて、信頼関係も構築されないうちに質問用紙を渡されて、自分の研究関心のためだけの調査が山ほ行われた、ということに対する批判である。これは、昨日のブログでも批判した、大きな事件や事故が起こるたびに、犠牲者やその家族のもとにマスコミが殺到して「お気持ちは?」と問い詰めるメディアスクラムと同じである。調査公害もメディアスクラムも、それが一過性であること、相手の論理を無視して取材者・調査者の論理だけが先鋭化すること、その後の姿をフォローもすることなく被取材者・被調査者には不信感と不満が残ること、が共通の問題である。つまりは、信頼感に基づく「お顔の見える関係」が構築されない、というのが、最大の問題なのだ。
個人の悲劇の物語、被災者のトラウマというデータ、などは、取材者・調査者にとって「おいしい」素材にみえる。それは、大して深堀しなくても、その劇的な表面だけで、一つの紋切り型のストーリが出来上がってしまうからである。でも、物語やデータの背後には、そうなってしまうまでの、紆余曲折や複雑な構造が背後にある。それらをすっ飛ばして、「うれしい」「悲しい」「つらい」「苦しい」「許せない」という表面的感情言語を捕まえて、それを表現したほうが、「わかったふり」ができる。そこに、いくつかの事実をまぶしたら、消費しやすい一つの物語が構築される。
しかし、感情の背後にある機微まで含めて表現するからこそ、物語が立体的に見えるはずである。なぜ「つらい」「許せない」のか。そうはいっても、それとは逆の気持ちに揺れ動くことはないのか。それを、何度も足を運んで、声に耳を傾けて、時には一緒に歩きながら聞き取るからこそ、ぽつり、ぽつり、と表面的な感情以外の何かが聞こえてくる。それは、語り手の「私」だけでなく、そこに具体的な手触り感のある、信頼できる調査者・取材者の「あなた」がいるからこそ、語れる何か、である。そして、その「あなた」に語る「私」の語りこそ、迫力があるのである。そういう意味では、いくら語り手の一人語りに見える文章であっても、そこに取材者・調査者の存在感が厳然としてある。だからこそ、一人語りが、立体的に立ち上がってくるのである。
新聞やモノグラフを読んでいて、そういう語りの背後にある取材者・調査者の存在感が立ち上がってくるものが、あまりない。それが、「客観性の呪縛」や「主語を消すこと」による、書き手の意図の去勢であるとしたら、随分不幸な出来事である。
僕自身は、初めての単著を書く際、悩んだ末、「僕」という文体を採用した。その理由を、こんな風に書いている。
「大学院生の頃は割と自らの考えをはっきりと述べていたが、大学教員になった後の僕の文体は、その発言に社会的責任が付与された(と自ら思い込んでいた)事もあり、なるべく内面の価値観を出さない文章にしよう、「正しい発言」をしようと、抑制的であった。いわゆる「正解幻想」に陥っていた。まして「僕」という主語は、個人ブログ上で用いることはあっても、論文や書籍などの公の文章で書く時には忌避していた。そういう意味で、僕自身は大学教員というものに文字通り「形(=エクリチュール)から」入り込んで、気がつけば自らの思考や感覚を縛る結果になっていた 。」(竹端寛『枠組み外しの旅―「個性化」が変える福祉社会』青灯社、p37-38)
論文を書く中で、いつの間にか「価値中立」の「正解幻想」に浸り、そこに呪縛されていた。客観的な「ふり」をすることに慣れていた。それが、自らの思考や感覚をも縛り、大学教員としての「正しさ」の虜囚になっていた。それをぶち壊したくて、あえて「僕」というブログの文体を使い、自分の頭でぎりぎり考え続けた。その中で、書き手の意図を去勢することなく論理を展開する中で、自分なりの「個性化」という大きな発見に出会えた。
だが、これは、単に主語を入れるかどうか、「筆者」と「私」と「僕」というどの主語を選ぶか、という問題ではない。文章の書き手が、その対象世界に対してどのように向き合い、どう取り組み、どう表現するか、という覚悟の表明が求められているのだ。その覚悟があれば、そこには主語がどうであろうが、書き手の主語がなかろうが、書き手はきちんと文章の中に存在している。そして、僕が新聞や論文を読んで心打たれる文章とは、どんな対象世界を論じるものであれ、書き手の存在感と覚悟がきちんと浮かび上がってくるものなのだ。
もちろん、僕だってまだまだ修行中の身ではある。だが、無味乾燥な、魂の抜けた文章だけは書きたくない。心からそう思う。

事件・事故報道の社会モデル

大きな事件や事故が起こったとき、マスコミはかならずその遺族のもとに殺到する。「今のお気持ちを!」と。確かに、不慮の事故で亡くなられた方は、実に無念だと思う。その方のご家族やかかわりのある方の落胆、憔悴は本当に大きいと思う。

だが、マスコミがその不幸な現場に殺到して報道合戦になる、という事態は、不幸の商品化のような気がしてならない。「知る権利」を盾に取り、視聴者・読者の欲望を建前に、人の不幸のど真ん中にズカズカと土足で入るような報道はないだろうか。
いや、単に報道被害の問題を言いたいだけではない。そもそも、大きな事件や事故が起こったとき、どうして「被害者の不幸」や「加害者の凶悪性」といった、個々の問題に「ばかり」目を向けるのか。きついことを言ってしまえば、「私ではない他人の不幸」「私ではないひどい凶悪犯罪者の愚行」に対する憐みや非難、興味本位の関心が、「客観」や「中立的」な報道の陰に隠されていないか。
本当にその事件や事故が「お気の毒」と思うなら、本当にその犯罪が「許せない」と報じるなら、なぜそのような事件や事故が起こったのか、を一個人や一組織の悲劇や性格、逸脱性、異常性といった個人因子に帰結させて満足していてはいけないのではないだろうか。
アルジェリアの事件では、イスラムの原理主義と独裁国家、という構造的暴力や貧困、搾取の問題が指摘されている。随分以前のブログに書いたが、尼崎のJR脱線事故なら、JR西日本という会社の体質、だけでなく、少しでも遅れたらヒステリックに怒り出す乗客や日本社会の時間への強迫性の問題が背後にあるはずだ。つまり、個々の犠牲者の不幸を、個々の加害者の無責任を、本当に許さないなら、個々の不幸・無責任を追い掛け回し、憐みと糾弾にエネルギーを注ぐより、再発防止やその問題の構造的課題の分析にこそ、調査報道として精力的に取材に取り組むべきではないか。
僕が専門とする障害者福祉の世界では、「個人(医学)モデル」と「社会モデル」という二つの考え方がある。前者は、障害は個人の悲劇や不幸であるととらえ、その障害を治すこと、健常者世界に戻ることが目標とされる。一方、後者の社会モデルでは、障害は一つの個性であり、障害があるままでの自立が目指される。すると、障害は個人の問題ではなく、障害ゆえに社会の中で生活しづらさがある場合、個人の不幸ではなく社会的差別や抑圧の問題、とされる。問題なのは個人、ではなく、社会の側をどう変えるのか、が焦点化される。
今のマスコミの事件や事故報道を見ていると、どうもこの「個人モデル」に依拠しているようにしか思えない。事件の特異性や奇異性、属人性ばかりを強調する。これは事件報道に限らず、政治の話題だって、政策的課題という社会モデル的視点ではなく、いつの間にか政局や政治家個人の資質といった個人モデル的な視点に歪曲化される。率直に言って、社会構造を扱うより、個人を称揚したり貶めたりするほうが、「わかりやすい」と考えるからだろう。
でも、それは「わかりやすい」のではなくて、「わかったふり」をしているだけではないか。本当に問題を理解し、より良い社会に変えていきたい、と願うなら、属人的要素の悲劇を追い掛け回したり、加害者の異常性・逸脱性をことさら糾弾するだけでは、何も変わらないことに、当のマスコミだって、気付いているはずだ。そして、心ある記者は、そういう地味な取材も続けておられる。
本当に必要なのは、複雑で、地味に見える、構造的な問題に目を向けることだ。それをひも解いていくと、アルジェリアの問題だって、笹子トンネルの崩落だって、JRの脱線だって、「他人事」では済まされない。問題を引き寄せて考えると、どこかで「私の日常」と地続きな問題である。決して遠いテレビの向こうの「他人事」の問題、と高をくくっていられない。今の自分だって、もしかしたら被害者にも加害者にもなりうる課題だって、決して少なくない。そのような社会構造の暴走や暴力と、逃げずに向き合い、自分事として考えること。そのための補助線や解説こそ、マスコミが果たせる役割のはずだ。池上彰氏の解説スタイルが視聴者に受けているのも、「複雑な問題を、無視せず逃げずに考えるための補助線」という視点で見れば、頷ける。
問題を個人化・矮小化させて、その不幸を追い掛け回す、他責的で消費者的な振る舞いをマスコミが続けていることは、果たして再発防止のために適切なアプローチなのだろうか。事件や事故報道も、やはりその背後にある構造的課題に肉薄する社会モデルに向かうべきではないか。
今朝テレビをつけたら、主要なテレビチャンネルが一斉に、アルジェリアから日本に帰ってくる政府専用機、およびそこから出される棺の映像を、生中継で大々的に映していた。この事件も、再発防止に向けて、社会モデル的にきちんと取材してほしい。政府から死者の実名が公表されたが、遺族や関係者を追いかけ回し、「お気持ちを」と迫るより、マスコミにしてほしいことがある。そう感じた。

相互主体と「問題行動」

今日は、元教え子が働く入所施設で「虐待防止法を機に考える、権利擁護と支援の質の向上」という研修をしてきた。

僕は入所施設や精神科病院からの地域移行について積極的に書き、話す論者である。だが一方で、実際に施設や病院現場で働く人の研修にも、時として呼ばれる。
今日も「先生って地域移行論者なんですよね」と言われた。もちろん、政策的にはその方向にすべきだ、と思っている。だが、明日から全部をそう切り替えるわけにはいかない。僕も関わった、障害者福祉の新法制定に関する骨格提言の中では、「地域基盤整備10か年戦略」も提言した。そのような方向性の転換を政策的に果たす中でも、一方で、今ある入所施設や精神科病院に暮らす方々の権利を擁護する取り組みも必要不可欠だ、と感じている。これは、学生時代から学ばせていただいているNPO大阪精神医療人権センターが一貫してとっているスタンスでもある。精神科病院を少しでも減らす政策提言と、今ある精神科病院での権利擁護活動。それは、車の両輪の課題である。
で、入所施設の中で利用者と密に接する支援者の方々と、少人数の場で話をする中で、気付いたら色々話していた。いくつか備忘録的に書いておきたい。
僕は、「意思決定支援」が必要な人を支える施設こそ、相互主体の考え方を徹底的に考えなければならない、と感じている。
この相互主体の考え方は、重症心身障害者の地域生活支援の拠点である、西宮市の青葉園の清水さんがしばしばおっしゃっておられることである。僕も何度も青葉園で学ばせていただいたが、やはり青葉園のやり方で一番重要なのが、この相互主体の考え方である。青葉園ではこれを30年前から言っているのだが、最近では、社会学者の三井さよさんが、次のように整理している。
「当事者のふるまいや思いを、自らの関与や多様な人たちとのかかわりのなかから探り、そのつどいま何が起きているのか、誰が何をどのように必要としているのかを問い直そうとする支援のあり方である。個別ニーズの判断に対してかかわりが先行している。そしてそのかかわりの内実は、支援者以外の人たちにも開かれた、多様な人たちが個別に当事者との間で育んでいくようなものである。」(三井さよ「かかわりのなかにある支援」『支援』vol1、三七頁)
対象者のニーズが、客観的な「個別ニーズ」として存在しているわけではない。支援者と当事者がかかわりあう中で、お互いの関わりのプロセスを問い直す中で、そのかかわりが支援者と当事者という1:1からより多くの関わり合いに開かれていく中で、ニーズそのものが変容していく。青葉園では、重症心身障害といわれる重い障害を持つ人と、その支援者たちが、本気のぶつかり合い、関わり合いをしながら、お互いの主体性を発揮させながら、相互に変容していくプロセスを大切にしていた。その中で、居酒屋で飲み会をしてみたり、カラオケや公民館活動に参加したり、重度障害者とカテゴリー化された人が排除されていた「ふつうの暮らし」にチャレンジする中で、その人の活き活きとした表情を増やし、わくわくや希望を膨らませていこう、という試みである。それを、言語によるコミュニケーションが難しい、意思がわからない、IQが測定不能、と言われた人と構築していこうとしてきた。
そして、多くの入所施設でこれまでも、そしてこれからも問われているのは、このような相互主体的な、関わり合う支援をどれだけ豊かに行ってきたか・これから行えるか、という問いである。これは、権利擁護の根本的課題とも通底する。
入所施設や精神科病院は、利用者と支援者の権力の非対称性が大きく、第三者の目が入りにくい密室性もあり、権利の侵害が起こりやすい構造を持っている。その中で、権利擁護を重視しようとするならば、利用者を変える前に、支援者の志向性を変える必要がある。権力の非対称性にどこまで自覚的か、がまず問われる。そのうえで、支援者が当事者から学ぼうとするか、そして支援者同士で支援の質を高めるための相互評価ができるか、も問われている。もちろん、権力の非対称性は、脱施設・脱精神病院をしないと拭い去れない。だが、今日明日の施設、精神科病院の権利擁護課題として、この部分は必要不可欠である。
先に支援者と当事者は相互主体的である、と述べたが、入所施設や精神科病院のように、生活場面においてずっと同じ関係性が継続する現場であれば特に、支援者の側の主体性が、当事者の主体性に与える影響は大きい。支援者が、当事者の将来の夢や希望、潜在的可能性について、「この人はこんなに重度の障害だから」「どうせ家族は施設入所希望だし」など、「どうせ」「仕方ない」と見切りをつけていたら、権力の非対称性が大きい現場で、支援者の顔色を見ながら暮らしている利用者にとっては、その影響は計り知れないほど大きい。
「僕はここでおとなしく我慢しているしかない」「ここしか、ない」
このような諦めや絶望は、やがて本人の主体性をどんどん矮小化させていく。逆に言えば、本人が諦めから絶望から自由になり、「どうせ」「しかたない」以外の可能性に気付くことができれば、潜在能力はどんどん開花される。これは、僕は西駒郷の地域移行調査に関わって、強く実感したポイントである。
つまり、入所施設や病院での支援者が「どうせ」「しかたない」とあきらめていれば、その諦めは利用者の主体性にも色濃く反映される。であれば、まず支援者があきらめず、施設現場でどう当事者との豊かな関わりを行い、その人の可能性開発にかけるか、が問われている。
そのためにも大切になるのは、「問題行動」「困難事例」への対処だ。
そもそも、ある行為に対して「問題」や「困難」というラベルを張る時点で、支援者から利用者に対して、あなたが「問題」「困難」なのだ、という宣言でもある。その際、支援者の側の力量不足、理解不足を棚にあげて、当事者の行為のみが「問題」「困難」とされる。そのような行為を通じて、その障害当事者がどのような自己表現をしたかったのか、その行為にはどのような内的必然性や内在的論理があるのか、という部分への推測や分析には
至らない。そういう「無理解」には、本人だってますます不満を強め、そのストレスとしてさらに劇的な行為という形で返礼し、その悪循環は加速度的に循環していく。
だがその際、相互主体的に考える、ということは、関わり合いを大切にする、ということである。支援者である私の側がどのようにかかわることによって、この知的障害の方は、どういう反応をされるのか。その相互行為の集積として、どのような行為が生まれるのか。それを「問題」や「困難」とみなすとき、それはある行為という形で当事者がアピールしておられる内容を理解できていない支援者の側の「問題」であり、「困難」なのである。つまり、問題性や困難性は、本人の側ではなく、支援者の側にあるのだ。
そう考えると、自らの支援や関わり方をどう変えることで、そのような「問題行動」や「困難事例」がどう変容するか、を自らの実践に問い直すことが求められる。これは、自閉症や認知症の人でも、まったく同じ論理である。主体性のコントロールに障害を持つひとと関わるときに、支援者の主体性や志向性が、本人の主体性に影響を与え、その相互関係の中で、「問題行動」「困難事例」と表出されてくる場合が少なくない。そこを、本人のせいと矮小化することが、もっとも危険な支援なのかもしれない。
もちろんこれは地域生活支援でも共通の課題である。だが、それが入所施設や精神科病院の中であれば、なおさらそのラベリングは重大な問題を含む。地域であれば、様々な機関の支援を受けるために、何らかのSOSの表現に関しても、キャッチされる可能性が高い。だが、入所・入院の場合は、生活の全場面を一法人、一施設、少数の支援者しか関わらない。ということは、そこで関わりの独占から、支配的関わりが構造的に生まれやすい。その中で、いったん張られた「問題行動」「困難事例」が、その人の名前と同じか、それ以上に強固なラベルとなって、それ以外の可能性に目を向けられないことも起こりうる。「あの人は問題行動が多いからね」なんてしたり顔で噂されているのは、グループホームでも、特養でも、あるいは老人病院でも共通して起こりうる事態だ。
だからこそ、本人と関わり合うなかで、新たな可能性を支援者と利用者が一緒に模索する、その中から、支援者にとっての「問題」や「困難」の背後にあるものを探り当て、新たな支援アプローチの模索へと転換を行う。そういうプロセスを通じて、まず支援者が変わり、その支援者の変容が本人の変容支援へとつながる。その中で、問題行動や困難事例というラベルもはがれていく。こういうプロセスに、入所施設や精神科病院のスタッフが積極的にコミットできるか、が大きな課題となっているのである。
つまり、「問題行動」や「困難事例」と突き放している限り、支援者にとっての「問題性」や、支援者の抱える「困難性」を責任転嫁する事態になりかねない。支援者と当事者が、その線引きやラベリングを超え、どのような相互主体の物語を構築できるのか。そのうえで、入所施設や精神科病院しかない、という「どうせ」「しかたない」の物語を、どう別の物語へと書き換えていくことができるか。これが、入所施設や精神科病院のスタッフに求められている課題である。
とまあ、こういう事を言いたかったのだけれど、書いてみたら随分話と違っていたような気もする・・・。

「本土復帰」と「社会復帰」

今日の甲府は朝から牡丹雪が降り積もる。おとといまで滞在していた沖縄本島とは20度の気温差。だるまストーブに首巻をしております。

僕は旅のお供に本を何冊か持っていく、だけでなく、空港や現地の本屋でも何冊か買ってしまう。「せっかくの旅行なのに」という指摘も受けそうだが、僕にとって、旅先の読書こそ、普段とは違う空気感、違う角度で味わえる絶好の機会なのだ。旅というスパイスは、「本の味わい」を何倍にも増す。
なぜそういうことになるのだろう、と考えていたときに、次のフレーズと出会った。
「時計時間はそれ自体、道具的合理性を根拠とした計算を成り立たせるための、質を剥ぎ取られた仲介物なのである。機械の時間は、労働を組織化するときや企業のバランスシート、また日常生活や公的な暦において、個別的な体験と社会のリズムとの間の区別を一切行わない。すべてが同質的な量でできている標準尺度を用いることで、すべてを測定し、すべてを分解し、すべてを計算するのである。」(アルベルト・メルッチ『プレイング・セルフ-惑星社会における人間と意味』ハーベスト社、P21)
そう、この社会は「時計時間」に沿って動いている。日本の鉄道の正確さは、時計時間を重要視する日本人的心性の賜物、である。電車だけでなく、宅急便の翌日配送(恩名村の農産物も、壷屋のやちむんも、那覇のジュンク堂の本だって・・・)も、この時間時計のなせる業だ。思えば僕の生活は、宅急便にずいぶんとお世話になっている。また、この標準尺度に個別的な体験を合わせる、というのも、日本人的な時間感覚に深く埋め込まれている。だからこそ、旅先で思い通りに物事が進まないと、いらつく。そして、いらついて改めて気づく。自らが、この時計時間に根深く支配されていることに。
そして、時計時間=社会的時間の意識化とは、それとは別のもうひとつの時間への気づきを導く。先述のメルッチはそれを「内的時間」と表現している。
「内的時間は、情緒や情動と結びついた時間であり、身体に宿る時間であることから、社会的時間と極めて異なる特徴を有している。それは多重/多層/多面的で不連続である。その時間のなかに、異質な時間が共存しており、それらが主観的な体験のなかで、互いに継起し合い、交わり合い、重なり合う。またそれは循環的な時間であり、神話的時間のように、出来事はだいたい元の場所に戻ってくる。その循環性は、身体のなかで、情動のなかで、諸々の夢、徴候、イメージ、そして何度も回帰する行動のパターンのなかに、はっきりと生起している。さらにそこには、同時的な時間が存在している。昨日と明日、私の時間とあなたの時間、ここと別のどこか、このようなたくさんの時間が、まさに同時に存在するのである。」(同上、p28)
旅の間の時間は、あっという間に過ぎ去る。前回の旅と今回の旅を重ね合い、思い出し、反芻する。美味しいものや見慣れぬ風景など、圧倒的な迫力を持つ瞬間の時間の深さと、移動中に内面に生起する様々な想念に身をゆだねる茫漠とした時間。それらはまさに、「多重/多層/多面的で不連続である」。時計的時間の制約から解放されるからこそ、かつての、あの場面の、あなたの時間と僕の時間が同期する。その中で、内的時間旅行が始まっている。
ただ、このような内的時間旅行は、あくまでも「旅の間」に限定することが、現代社会の暗黙のルールになっている。「つかの間のバカンス」で時計時間から存分に解放される。これは、旅が終わったら時計時間に復帰することがセットとなっているから、許容されているのである。あくまでも時計時間の支配的枠組みの中での、たまの逸脱。
このように、標準尺度=機械的時間がドミナント・ストーリーである社会では、日常からそれとは違う「内的時間」を生きる人は、夢見がち、とラベルを貼られる。子供、老人、芸術家、シャーマン、障害者、「未開社会」の人々・・・など「周縁」と名づけられた人々の中には、「中心」の機械的時間に対する「社会的不適応」という特徴を持つ人もいる。だが、機械的時間の支配力そのものが、そもそも個々人がもともと持っている内的時間を奪うことによる、魂の植民地化であるとするならば、この標準化圧力、というのは、個々人の生きられた時間の圧殺である、とはいえないだろうか。そして、旅とは、しばし、その生きられた時間を取り戻すための試み、ともいえるのではないだろうか。
そう考えると、一つの問いが浮かぶ。時計時間への過剰適応は、本当に好ましいことなのだろうか、と。
沖縄で垣間見たのは、「本土」の時計時間の標準化圧力に対する、厳然とした抵抗の時間であった。
旅の間、毎日沖縄タイムスを読んでいたが、期間中、辺野古埋め立て申請、あるいはオスプレイの増強配置などの唐突の計画浮上の記事が一面を飾り、それに対する激しい抗議の意見が表明されていた。「いつまで植民地扱い」というタイトルの記事も、紙面で読んだ。だが、甲府で溜まっていた一週間分の新聞を読んでいて、それらの記事がほとんどないことに、愕然とさせられた。そして、前回のブログで引用した奥田博子氏の、次のフレーズを思い出していた。
「本土の主要メディアは、沖縄の<抵抗>を『県民感情』と言い換え、一過性のものにすぎないとする価値付け報道に終始していた」(奥田博子『沖縄の記憶-<支配>と<抵抗>の歴史』慶應義塾大学出版会、p180)
確かに、本土のメディアの取り扱い方を見ていると、沖縄問題は局所的、部分的な扱いであった。安部首相の経済政策や中国メディアへの共産党の圧力と抵抗、などを大きく取り上げたいのがわかる。だが、最近、東京のテレビや新聞というメディアへの信頼が大きく損なわれているのは、その情報の重要性を推し量る物差しの狭さや偏狭さ、ではなかったか? ツイッターやSNSが、情報の断片だけれども、テレビや新聞の情報より重要視する人々が増えてきているのは、このメディア支配の「大きな物語」への疑いゆえではないか? 中央集権的な思考に基づく日本社会の同一化・同調圧力的な政策が、沖縄政策だけでなく、被災地復興政策や障害者政策など、様々な領域で破綻の局面に差し掛かっているからこそ、この機械的時間への疑いのまなざしがますます増えている、とはいえないだろうか。
うねうねと考えてきたが、実は今日話題にしたいのは、ここから、である。
あるドミナント・ストーリーに「復帰」することを「目的」とする、この機械的時間論で、私たちは幸せに生きられるのだろうか?
沖縄の「本土復帰」、障害者の「社会復帰」。これらの「復帰」概念には、元に復元し、回帰することこそが「正しい」という概念があるように思える。だが、そもそも本土の中央集権的同一化思想、あるいは健常者社会の強迫的な労働観念、そのものが、機械的時間の歪みの影響をもろに受けている、とはいえないだろうか。周縁から中心への「復帰」の文脈では、前者より後者が正しいとされる。だが、実は、周縁の独自の物語の中にこそ、中心が失ってしまった内的時間、個々人のアクチュアリティのある自己、が内包されているとはいえないだろうか。
ここからは、かなり暴走的に書き進める。
作家で元外務省の専門官だった佐藤優氏は、最近しばしば「琉球独立論」を説く。ソ連の崩壊時のバルト三国の分離・独立の動きと、今の沖縄の情勢が似ている、と。依存状態にある沖縄が、米軍基地の常設化と経済振興というアメとムチに頼る限り、ずっと本土との相互癒着関係は変わらない。それを「いつまで植民地状態なのか?」と怒りとともに表明する琉球人は、宙吊り状態を超えて、分離独立の道を模索しているソ連崩壊直前のバルト三国の姿に重なる、と佐藤氏は分析しているのである。
これは、障害者問題と重ねると、またもや共通性を感じる。例えば入所施設や精神病院への隔離収容政策は、三食昼寝つきの保障と、一般社会からの隔絶、というアメとムチの政策そのものであった。つまり、障害者は構造的な依存状態におかれていたのである。この構造的な依存状態そのものに「NO!」を突きつけ、ヘルパーの支援を受けながら地域の中で暮らしたい、という自立概念を、青い芝の会をはじめとした障害者たちは打ち出してきた。これは、中央集権的な支配とコントロールに対するNo!であり、自分たちの内的時間、内在的論理を大切にしながら暮らしたい、という訴えであった。そのためにも、健常者中心主義の社会構造こそ、変わらなければならない、と周縁から中心に対しての強烈な異議申し立てを行い続けてきた。
国はいまだに入所施設や精神病院には膨大な国費を投入し続ける一方、地域で自立して暮らしたい、という障害者の支援には極めて抑制的な現実がある。このリアリティは、国の提示する政策や枠組みに従い・依存し続ける障害者には支援の手を差し伸べるが、自立や独立心のある・国に異論や対論を提起する障害者は制裁しよう、という姿勢に重なる。この部分を沖縄人と入れ替えても、また共通性があるような気がするのは、僕の妄想だろうか。
また、精神障害者の「社会復帰」という文脈では、これとは別の問題を感じる。うつ病や不安障害など、様々な病気でいったん職場を追われた人が、フルタイムの仕事に戻りたい、と希求する。だが、そういう人の中には、機械的時間が個々の内的時間を消尽することで成り立つグローバライゼーションの抑圧的文化にへとへとになって、病気という形でSOSを出した人も少なからず、いる。その際、病気療養としてやっと抑圧的時間から解放されたのに、病気が治ったら、また元の抑圧的文化に「復帰」すること「しか」道はない、と思い込むことが、本当に「社会復帰」なのか、という疑いをもつ。
もちろん、それでは食べていけないではないか、という反論もあるだろう。だが、働くことは、必ずしも抑圧的機械的時間への迎合、と同一化ではない。健常者社会のドミナントな規範や枠組みに同調せずとも、自分の内的時間に適合的な形で働く、役割を持つ、という可能性はあるはずである。同じように、沖縄も、本土と同じような形で発展を遂げよう、本土の補助金を出来る限り引き出そう、という発想ではない形での独立の可能性もあるはずである。
つまり、時計時間が提供する標準的な働き方・生き方、これをグローバルスタンダードの支配的な生き方、とするならば、そのやり方にNO!といい続けるやり方を希求する道だってあるはずである。このような、内的時間と社会的・機械的時間を共存させるような、抑圧的でない時間を取り戻すことが、魂の解放にもつながるのではないだろうか。そして、周縁からの「復帰」概念は、単に中央に戻ることではなく、自らの内的時間を取り戻しながら社会的時間と折り合いをつけること、と書き換える必要があるのではないだろうか。
さらにいうならば、これは沖縄問題や障害者問題に限定されるわけではない。僕自身の中にある魂の本性を周縁化し、進歩・発展・標準化・序列化というドミナントストーリーを中心的概念として信奉してきた歴史そのものを見つめなおすことがが出来るか、も問われている。機械的時間への迎合や「復帰」を目的とせず、内的時間を大切に扱うことこそ、真の意味での「個性化」につながるのではないか、と。
深々と降り積もる雪景色の中で、そんなことを考えていた。

「支配」と「抵抗」の自覚化

あけましておめでとうございます。

ずっと自宅で原稿を書く年末年始。その合間に読んでいた、読み応えのある一冊の本のご紹介から。
「沖縄の<抵抗(レジスタンス)>とは、日本(本土)という枠組みに囲い込まれることで米国の覇権主義という『秩序』に回収されてしまう構造的差別と政治的抑圧との闘いである。それはまた、構造化された『依存』との闘いでもある。」(奥田博子『沖縄の記憶-<支配>と<抵抗>の歴史』慶應義塾大学出版会、p363)
この本を読み通す中で、結論に書かれた一節を読んで、「これは障害者運動の歴史と通底する部分がある」と感じた。沖縄を障害者、米国の覇権主義を資本主義に置き換えてみると、共通要素があまりに多い。その事を説明する為に、「障害の社会モデル」を主張するイギリス人のオリバーの著作に寄り道する。
「資本主義社会において障害を定義するヘゲモニーは、個人主義の有機的イデオロギー、医学的介入を支える医療化の恣意的イデオロギー、社会政策を支える個人的悲劇理論から構成されている。ここには、正常さと心身ともに健康なことについての概念に関連するイデオロギーが組み入れられている。」(マイケル・オリバー『障害の政治-イギリス障害学の原点』明石書店、p88)
障害の社会モデルは、依存し無力な存在と見なされがちな障害者は、生得的に無力であるわけではない、と喝破する。個人主義=能力主義を称揚し、その「能力」がないとされる人には医学による管理・支配を正当化すると共に、「社会的弱者」とカテゴリーかされる人を社会構造の抑圧の問題とせず「個人の悲劇」と矮小化する。これらのパッケージを覇権=ヘゲモニーとして支配的枠組みにしてしまう。しかも、一旦それが支配的枠組みになると、それ以外の可能性が忘却されるドミナント・ストーリー。
この資本主義ヘゲモニーのドミナント・ストーリーの強化の事を、さらに寄り道になるが、マルクス-廣松渉は「物象化」と整理した。ちなみに物象化とは、本来動的なものであるはずの人と人との関係が、いつのまにか物と物のような固定的関係であり、それ以外の可能性はないと思い込むことである、と整理している。その上で物象化された諸個人について、次のように整理している。
「諸個人という”能動的な営為主体”は、その真実態においては『対自的かつ間人間的諸関係の結節的な一総体』として定住・相在するのであって、現実的には、既に物象化された一定の関係によって所謂”個性”や”性向”、”行動条件”や”行動様式”ばかりか、行動の”動機”や”目標すら規制されている。」(廣松渉『物象化論の構図』岩波現代文庫、p140-141)
難しい表現だが、かみ砕くと、自分自身は「自発的」「能動的」「自主的」に考えている、と思っていても、物象化、つまり支配的な枠組みの中で生きている個人の「個性」や「行動条件」、「動機」や「目的」は、その支配的枠組みが許す範囲内に規制されている、というのである。
この物象化がなぜ障害者や沖縄の問題につながるのか。
先に見たように、障害者は生得的に「無力な」「依存的な」「かわいそうな」人である訳ではない。その障害者が生きる資本主義社会が称揚する能力主義=個人主義=新自由主義的枠組みと適合的でないが故に、あるいは専門職支配の枠組みに適合的であるが故に、自らの意図せざるうちに、気付けばそのような「支配-被支配」の枠組みにおかれているのである。この支配的枠組み=ヘゲモニーについて、日常生活を送る障害者は、それが「当たり前の前提」である、と受け止める。つまり、その枠組みの正当性に疑いを持たない、それ以外の可能性を考えられない、という意味で、動的な関係性を導き出すことが出来ず、関係は固定化=物象化されているのである。
例えば、入所施設や精神病院に長期社会的入院をしている人に、「ここはどうですか?」「将来どうしたいですか?」と伺っても、「もう、ここでいいです」という答えが返ってくることがしばしばある。これを「自己選択に基づく自己決定」とすることは問題であることは、以前のブログにも拙著にも書いた。物象化論やヘゲモニーの論点を用いるなら、精神病院や入所施設でしか生きていけない、という「支配-被支配」の固定化された枠組み(=物象化)の中で暮らす人は、その生活の「目標」も、あるヘゲモニー枠内に規制している。その「支配-被支配」を内面化しているのである。それは、沖縄について語る奥田さんの言葉を借りるなら、「構造化された『依存』」なのである。この資本主義や米国覇権主義という物象化された「構造」=「秩序」と「闘う」こと、これが<抵抗(レジスタンス)>なのである。これは、青い芝の会や自立生活運動、ピープルファーストや精神病患者会運動など、我が国の障害者運動が「健常者社会」と闘い続けてきた、その<抵抗>と実に通底している。
そういう眼差しで、奥田さんの本を読み返すと、共通する要素が沢山出てくる。
「沖縄は『(日本)本土の縮図』ではなく、『NIMBY(Not In My Back Yard: 施設の必要性は認識するが自らの居住地には建設してほしくないと反対する姿勢)問題』の先行例である」(奥田、同上、p335)
精神病院や入所施設が人里離れた山奥に作られ続けたこと、そして90年代から住み慣れた地元で暮らしたいと願う障害者達のグループホーム建設に反対運動がおこること、なども、沖縄と同様のNIMBY問題である。障害者は自分たちの近所に住んで欲しくない、地価が下がる、という偏見と、米軍基地は迷惑だから沖縄に固定化してほしい、という論理の共通性がある。また、マジョリティの冷たい視線、も共有化出来そうな部分である。
「本土の主要メディアは、沖縄の<抵抗>を『県民感情』と言い換え、一過性のものにすぎないとする価値付け報道に終始していた」(p180)
自立支援法に対する反対運動、総合福祉部会の骨格提言を反故にした厚労省への抗議、などについてのマスコミ報道も、<抵抗>として、というより「障害者感情」という「一過性」のものとして、矮小化して報じていたように思える。だからこそ、年末のブログにも書いたが、「批判するだけでいいのか。障害者福祉の行方を大局観に立って考えてはどうだろう。」といったパターナリスティックな主張が可能になるのだ。
ただ、事の責任をマスコミだけに押しつける他責的な展開には出来ない。マスコミだけでなく、本土の人間も沖縄の人間も、そして健常者も障害者も、その大半が、物象化されたヘゲモニーを「疑う必要のない、当たり前の前提」として受け止めている。それが、絶対的真実、ではなく、他にもありうるストーリーの一つだけれども現時点ではドミナント・ストーリー、であることを意識することが出来るかどうか。この部分は拙著『枠組み外しの旅-「個性化」が変える福祉社会』の中でも中心的に論じてきたところだ。自分が当たり前だと思い込んでいる常識の眼鏡、その眼鏡自体がいかに構築されてきたか、そのなかでいかなる「規制」を受けてきたのか。そして、それ以外の可能性を考える事を制限してきたか。そのことに自覚的でないと、沖縄や障害者の問題は、マイノリティの「感情」問題に矮小化されてしまう。だが、実際には、私たち自身も「感情」問題に矮小化する枠組み=ヘゲモニー=物象化の<暴力>の圧制に<支配>されているのである。知らず知らずのうちに。
「<支配する視線>を介した関係性には、単に見る/見られるという関係にとどまらず、身体化される/するという体験にも注意を払う必要がある。本質的に規定されている身体のあり方は、どういう生得的な性質を備えているかという問題ではなく、その身体で何をして、何をされるのかという行為や実践を媒介として実体化される。つまり、体験にはそれにともなう行為や実践-<身体化される実践>がともなう。」(p355-356)
私たちは「支配-被支配」という物象化された関係性を「当たり前」だと思い込むことによって、沖縄や障害者が<抵抗>として示す<身体化される実践>を「感情問題に過ぎない」「依存的体質である」と切り捨てる。すると、その<身体化された実践>の意味を掴みかねる。単に相手の内在的論理を知る、だけでなく、相手と私、支配と被支配の関係性が、どのような前提=ドミナント・ストーリーの中で<身体化される実践>を行っているか、についての「枠組み」の自覚がないと、その本質に迫ることが出来ない。そして、その枠組みを書き換えることから、「支配」と「抵抗」以外の、新たな別の物語を構築する事が可能なのである。
「不正や不平等に気づいたとき、それを拒否し、声を上げ、真実を明らかにし、そして歴史に遺してゆくことが不可欠である。そのためには自らの考えを持ち、自らの行動に責任を持つ自立した個を確立してゆくことが不可欠である。個の確立が史実を見抜く知性と感性、そして良質のことばを持つことへとつながることを期待したい。」(p364)
奥田さんのこの本は、膨大な資料を丁寧にクールに参照しながら史実を捉え直す視点、なのだが、後半少しずつヒートアップし、最後の結論部分では、熱いハートを覗かせている。「沖縄の声」に基づく分析をしていれば、至極当然のことだと思う。ゆえに、上記の引用には、ストレートに同意するし、いま、日本の障害者支援の現場でも再び求められていることだと改めて感じる。「自らの考えを持つ」こと、に対して、この国の空気や同調圧力は非常に否定的だ。物象化の<暴力>とは、魂の植民地化のことでもある。マスコミや中央官僚の中にも、障害福祉の現場や沖縄にも、もちろん「自らの考えを持ち、自らの行動に責任を持つ自立した個」は沢山いる。だが、一方で、どの世界にも、「不正」や「不平等」に対して、「まあ、いいか」「どうせ、しかなない」「何をいまさら」「世の中そんなもんだろう」と、見て見ぬ振りをして、自らの魂をも毀損している人々も沢山いる。原発問題や福島の現状についても、同様な姿勢が数多くある。
僕たちに必要なのは、自らの眼鏡の歪みに気がつくこと、その上で歪みを「歪みだ!」と言葉に出来ること、そしてきちんと自分の頭で考え、その上で「良質のことば」を生み出し、「自らの行動に責任を持つ」、こと。それが、拙著でも描いた「個性化」の世界につながっていると感じた。つまり、「支配」と「抵抗」を乗り越える為には、まずはその構造を自覚することからしか始まらないのである。
苦しくても、面倒くさくても、恥じらいや情けなさを感じても、劣等感を感じても、ここを逃げてはいけない。そう感じた年始であった。

2012年の私的三大ニュース

2012年の最後のブログである。毎年最後のブログでは一年間の総決算をしているのだが、今年は三大ニュースを私的にピックアップしてみた。
1,人生初の単著が出る
これは文句なく、僕の中では今年一番のトピックスである。実はこの本は、僕の中でのリミッターを切ることによって産まれてきた、と言っても過言ではない。そのリミッターを切る事態は、2番目の課題ともつながっている。2番目は、「総合福祉部会が無残に終わる」なのだが、2010年4月から2年弱かけて取り組んできた課題(後述)があっけなく葬り去られるのを見ていて、僕の中で何かがブチッと切れた。
と言っても、衝動的になったのではない。お上品に、世間や周りの目を気にしながら、言いたいことを控えていても、誰も見向きもしてくれない、という当たり前の事に気付いたのである。僕の中で、研究者っぽくないと、とか、あまり言い過ぎたら嫌われるのでは、とか、論文のお作法の枠内でないと、とか、福祉の研究者だから他領域に顔を突っ込むなんて、とか、様々なリミッターをかけていた。でも、そういう自己規制をしていても、結局自らの魂は抑制されるだけである。自らが溌剌と出来ない、だけでなく、自らの言いたいことを表現していかないと、何も変わらない。いや、社会が変わらない、より、自分自身が変わらないと、何も始まらない。
そんな踏ん切りが付いたので、単著執筆の旅に出た。
「枠組み外しの旅」というタイトルになったが、結果的に、この本を書きながら、僕自身の枠組みを疑い、その枠から抜け出る、という旅をしていた。自己治癒的、というか、自らの眼鏡を外して、眼鏡を再構築するように、書きながら、考えながら、脱皮に向けて格闘していた。
そして書き上げてみて、こういうスタイルで考えれば、自らの考えをまとめることができる、という自信というか、根拠のようなものができた。査読論文のお作法とか、業界の流行とか、そんなことを一切気にしなくとも、単著というのは、読者に向けて、伝えたい何かを情理を尽くして語ればいい、という当たり前のことを、書きながら身につけていた。
そうそう、ブログでは告知しなかったが、著作改題的な文章もシノドスに載せて頂いた。
幸い、読んで下さった方から、ありがたいコメントを幾つか頂いている。(例えば森先生とか、中谷先生とか)
ただ、なにぶん無名の著者の初めての単著なので、手にとって頂くまでが大変であるということも、出してみてよくわかった。講演会の場で「手売り」もさせていただき、沢山の方にお買い求め頂いた。誠にありがとうございます。来年も講演会の場では頑張って「手売り」せねば、と考えている。
2,総合福祉部会が無残に終わる
ご承知のように、12月の衆議院選で安倍内閣に政権交代した。そもそも去年の段階でねじれ国会が進んでおり、民主党から自民党に政権交代がされる事が噂されていた。だからこそ、民主党の政治主導で出来た障がい者制度改革推進会議の議論は無視して良い、と厚労省は政治判断し、2月に厚労省が「ゼロ回答」案を出した。また、それだけでなく、マスコミの一部も「それが現実的だ」と書いたのである。その厚労省とマスコミ、政治が一体になって、これまでの議論をなし崩しに葬り去っていくやり方を、目の当たりにしてしまった。
たとえばこの2月のゼロ回答の直後の毎日新聞の社説における「批判するだけでいいのか。障害者福祉の行方を大局観に立って考えてはどうだろう。」という物言いも、自民党-厚労省のこれまで構築してきた法体系の中で考えなさい、という温情的なお説教に聞こえた。本当に久しぶりに、心の底から腹が立った。「ふざけるな!黙ってられるか!」と感じた。
ゆえに、「拝啓 毎日新聞社説さま」を書いたりしてみたが、もうこの時に流れは決まってしまっていた。ただ、それでもできる限りのことは微力ながらしよう、とシノドスにも2,3日で書かせてもらったし、それに関連してTBSラジオDigにも生出演させて頂いた。だが、これもご承知の方が多いと思うが、2年の年月をかけて議論した内容は殆ど無視され、「名ばかり改正法」である「障害者総合支援法」が来年4月に施行されることになった。これは、自立支援法と殆ど変わらない。
変えられない岩盤が、これほど固いとは、葬り去られてやっと気付いた。またその終止符を、訳知り顔で「ほら、言わんこっちゃない」と冷笑する人や、次の与党幹部に急に尻尾を振り始める人など、この問題に関わる人々の、あまり見たくない本質も、よーく見せつけられてしまった。
3,イタリアで精神病院なしの実践を実感する
総合福祉部会の無残な結果に茫然自失だった3月末、師匠から運命的な電話がかかってきた。
「タケバタ君、6月にイタリアの精神医療の視察ツアーをするけど、行く?」
僕はその時、何も考えずに、「是非とも行かせて下さい」と即答していた。
厚労省の法体系や枠組みをいじろうとするだけで、国の委員会にもかかわらず、無残にもゼロ回答で拒絶された。その後だっただけに、「精神病院を廃絶した国」のリアリティを知る事で、何か僕自身の中でリミッターを外す事が出来ないか、と考えた。
実際に6月にトレントとトリエステを訪れ、その旅の最中、日本の精神医療を変えたいと願う同志の人々と飲みながら、語り明かすなかで、僕自身、一からの学び直しが始まった。精神病院は必要悪だ、とか、「どうせ」「しかたない」というリミッターをかけていたが、イタリアの現実を見ると、それがあくまでも「リミッター」という「自己規制」であることが、よくわかった。イタリアの精神病院廃絶の立役者の医師、フランコ・バザーリアが語る、「病気ではなく、苦悩が存在するのです」という言葉を突き詰めて考えると、精神病を医学モデルで矮小化して捉えるのではなく、「精神病による生きる苦悩の最大化」をどう支援するか、という社会的課題である、と改めてわかった。そうやって振り返ってみると、生活保護など他の社会的弱者の課題も、「生きる苦悩の最大化した人」に対する支援として共通言語で議論できることが見えて来た。
そして、「生きる苦悩の最大化した人」への支援のあり方を、物語論的なアプローチから捉え直そうとしている。この年末も、これに関連した論文の草稿を書いていたのだが、ちょうど単著を書いた後だったので、書くスタンスに腰を据えられるようになってきた。書いているテーマや素材、内容は違っても、考えて論を進めていく型というかスタイルのようなものが出来てきたので、ニュルニュルと新たな何かが湧き出し始めている。これも、2の出来事によってリミッターを切った結果である、と思うことにしよう。
ちなみに、枠組みや思い込み、どうせ、を外して新たに今年取り組み始めたのが、イタリア語学習。イタリアから帰ってきて、一念発起でスタートさせた。初級文法書は難なく終わるも、二冊目のリーダーの途中で挫折しかける。その後、試行錯誤をして、今は村上春樹のノルウェーの森、イタリア語版をAmazonの古本で1000円程度で見つけて、読み始めている。日本語でも何度も読み、英語でも読んでいるので、筋はわかっている。ただ、辞書を引きまくりながら、なので、ものすごーくのろい。まだ読み始めたばかりなので、一日、半ページ進んだらいいところ。まあ、こんなに「結果的精読」になるとは思いも寄らなかったが、好きな小説家の作品なので、それなりの発見もあるし、良しとしよう。来年は、何とかイタリア語のレッスンに通いたいが、東京に行かないとダメなのかなぁ・・・。
という訳で、大変長くなったが、今年の私的三大ニュースでした。
来年は、これまで書きためてきた権利擁護の内容を考え直して、単著としてまとめるプロジェクトが既にスタートしているので、何とか出版にこぎ着けたい。あと、今回の単著で書いた内容・文体が難しい、というおしかりも頂いた。新書レベルで、さらりと、もう少しわかりやすい言葉で伝えないと、と何人かに指摘されたのだが、そんなご縁があるかどうか・・・。
何はともあれ、今年もブログにお付き合い頂き、ありがとうございました。
みなさん、良いお年をお迎え下さい。

本当に「楽しい人生」を送る為に

ふとした瞬間に感じることがある。

こうやって「忙しい」とか「大変だ」とか言っているけれど、そういう状況を作り上げているのは、他でもない自分自身だよな、と。
確かに社会的に引き受けている仕事、断れない用件、職場で義務として行うこと・・・などもある。だが、それらの構成要件も含めて、引き受けているのは、自分自身。それがshouldでありmustな状態に持って行っているのも、実は自分自身。嫌なら、その状況を変えるために、必死になって方法論を探ればいい。でも、その状況を変えるための努力を積極的にしないのなら、それは自らがその状況を消極的にであれ、引き受けていることに他ならない。
目の前のことが、特にスケジュールが詰まって迫ってくると、「すべきこと」に押しつぶされそうになる。すると、一歩引いてじっくり考える事もなく、次から次に、すべきことをバケツリレーのようにこなしていく。その際、しんどいな、とか、嫌だな、と思っても、我慢強く引き受けていく。
だが、それらは、所与の前提ではない。それをしなければ、自分の生命が維持できなくなる「すべきこと」なのか、と問われると、大概のことがそうではない。
そんなことはない。仕事や付き合いや○○のために仕方なくやらされているんだ!
そういう叫びも聞こえてきそうだ。
だが、少し深呼吸して、リラックスした頭で、改めて考えてみよう。
よく言われているように、これほど専門分化、タコツボ化した世の中では、みんなが何かしら、歯車の一つになって、働いている。そして、その一つが失われたり、なくなったりすると、確かに惜しむ声は聞こえたり、一時的にブーブー言う声や非難が聞こえたりするかもしれない。でも、それでも地球は回る。組織や社会は、その人の代替を見つけてきて、何とか廻る。廻らなかったら、一部を止めるとか、他に何かの手当をするとか、で処理していく。
すると、自分が「すべき」「しなければならない」と思い込んでいることは、良い意味でも悪い意味でも、自分の有責性、つまり責任があると感じている感覚、による。そして、それは、他の人に強制されたことではなくて、自分自身がそれを積極的にしろ消極的にしろ、引き受けたことである。
だから、自己責任だ、あんたが責任を取れ! そんな乱暴な議論をしたいのではない。
自分が、引き受ける主体である。であれば、「いやだ」「止めたい」「○○したい」という自由も、実は自分自身に担保されている。
ただ、その「○○したい」という自由が自分に与えられている、ということが、眼前の「すべきだ」「しなければならない」という有責性と思い込みによって、見えなくなってしまっているだけだ。その眼前の「すべき」「しなければならない」という思い込みの眼鏡(これを人は「先入観」という)を取り払ってみたら、自分自身の「○○したい」を選ぶ自由が浮き彫りになってくる。
とはいえ、この「○○したい」を選ぶ自由、とは、それを選んだ結果責任をも伴う自由である。そこまで引き受ける勇気がないし、面倒くさい。そう思うと、何となくこれまでの世間や社会、職場の関連性の網の目に取り込まれた「すべき」「しかたない」の連関に縛られている方が「楽だ」と感じる。これぞ、「自由からの逃走」の事態なのかもしれない。
そう、「○○したい」を選ぶ自由、とは、それ以外の何か、旧来の関係性に、一つずつ、区切りをつけていくことである。すると、これまでの関係性を変えられると思う相手は、何らかの文句や非難を言ってくる可能性がある。その表面上の文句や非難、糾弾に合うのが面倒なので、「まあ、いいか」となってしまい、「すべき」「ねばならない」の連関の鎖に自縛されたままでいる。
ただ、繰り返し言うが、その鎖につながれるのも、その鎖から解き放たれ、自分の「したい」を追求するのも、自分自身の選択に基づく。自ら、あと何年、何十年生きるかわからないが、人生が有限であることだけは、100%決まっている。その峻厳な事実を前にして、他者のコントロールに自ら縛られていく人生を引き受けることが楽しいだろうか?
僕は、楽しくない。改めてそう思う。
例えば、作家の村上春樹氏と森博嗣氏に共通しているのは、自分で「○○したい」の自由を獲得する為の、自己管理哲学の完遂、である。
深い深い物語を書く自由、好きな工作にいそしむ自由、これらを時間的に確保するための努力を、ずっと続けている。世間や社会の通例や慣行と違っても、自らの「○○したい」という自由を確保するために、自分なりのやり方を徹底している。この徹底ぶりって、本当に自分の限りある命を大事に使うための、大切な方法論だと感じる。
僕自身、日々「すべき」「ねばならない」に流される日々に、その昔は言い訳をしていた。でも最近、そんな悪循環から抜け出しつつある。「○○したい」を完遂する自由、この時間を確保することを優先順位の上位にどれだけおけるか? そのために、社会との付き合い方をどう変えられるか? これを徹底的に考え抜く中で、自分にとって、本当に「楽しい人生」を過ごすことが出来るのだと思う。
ふと、会議の為にスーツに着替えながら、そんなことを考えていた。

守り・育てる公共投資の必要性

山梨県民にとって、笹子トンネル事故は、人ごとではない。

僕は普段上京する際は電車派だが、羽田や成田から飛行機に乗るときは、高速バスにしばしばお世話になる。その際使っていたあの笹子トンネルに限って、ハンマーで叩く点検がなされていなかったなんて・・・。そういう落胆と、多くの犠牲者を出してしまった事への悲しみを感じる。そして、狭い20号や御坂峠が迂回渋滞になっている、という地元紙を読んで、社会的インフラ、かつ大動脈としての中央高速が止まる事への不安感も感じている。
民主党政権で、「コンクリートから人へ」と謳われた事への批判も、この選挙戦で聞こえてくる。必要な公共投資はやはりすべきだ、と。このフレーズに関しては、僕も同じ意見だ。ただし、次の留保をつけて。
「コンクリートから人へ」というフレーズは、元々ハコモノ型の公共投資から、ソフトの公共投資への移行をさしていたはずだ。教育や子育て支援の拡充を意味していた。この部分について、僕は否定するつもりではない。今の社会への不安を表層的な父権性欠如ゆえと早とちりして(これは前回のブログで考えた)、それは全て親や家族がやれば良い、国がそうやって甘やかす必要はない、なんて暴論を吐くつもりもない。父も母も安心して子育て出来る社会環境を作ることこそ、少子化への結果的な対応にもなる。これは、フランスやスウェーデンの取り組みをみても、間違いない。
一方で、今回の高速道路事故でも表面化してきたのは、老朽化した高速道路や新幹線、鉄道、上下水道、橋などの社会的インフラをどう維持・補修するか、という課題だ。昨日の朝日新聞では、脱ダムに関して、どうダムをうまく「壊す」かが問われていた。いらなくなった社会的インフラをどう減らすのか、その「壊す」公共工事と、それを通じて自然環境をどう再構築するのか。これは、原発の縮減とも相通ずる課題でもある。
こう考えてみると、戦後、我が国の公共投資とは、きわめて「攻める公共投資」であった、といえる。
発展途上国的マインドで、「まだない何かを作る」ことに心血を注いできた。ダムでもコンサートホールでも、高速道路でも整備新幹線でも、共通しているのは、「まだない何かを新たに作る」ことにより、発展を実感する、という深層意識だ。確かに、土木事業は地方に雇用の場を生んで、失業率を下げてきた、というのも事実である。そして、こういう経済成長型の攻める公共投資によって、国土が整備されてきたのも、また事実である。社会的インフラが整備される、ということを通じて、僕自身もその恩恵を受けている。
だが、世紀の転換点の少し前からみんなが薄々気づき始めているのは、このような「攻めるハコモノ公共投資」が限界である、という認識である。先の政権交代時に「コンクリートから人へ」というフレーズに多くの有権者が飛びついたのも、この部分であった。
とはいえ、現金給付主流の教育投資は、結局財源確保がうまくいかず、途中で頓挫した。また、バックラッシュ的に生活保護叩きが今年の前半から進んでいた。さらに言えば、昨年の東日本大震災後の復旧支援でも、住宅や仕事、生きる希望を奪われた一人一人の生活者に寄り添う支援が必要なのに、中央政府から出された対策は、どうしてもハードの整備が中心で、個々人の暮らしを支えるアプローチは「公平性にもとる」という理由で先送りや拒否にあっている。その隙を埋めるために、NPOやNGO、社会起業家やコミュニティ・ビジネスなどが被災地で必要とされている、というリアリティもある。
こう振り返った時、今求められているのは、公共投資の質的転換ではないだろうか。それは、攻める公共投資から、守り・育てる公共投資、への転換である。
どういうことか。
日本の社会保障費が増大している、という一方で、医療や介護、障害者支援の現場では、常にOECD諸国の平均に比べて低い財政投資の現実が叫ばれてきた。これは教育でも同じである。我が国の公共投資の多くが、年金という現金給付に傾く一方、教育や子育て支援、医療、介護、障害者支援などの現物給付には十分な投資がなされていない。ハコモノや現金というわかりやすい方法論に丸投げすることは、誰にもその結果が見えやすい。その一方、人的支援を手厚くする、ということは、「いくら再配分を受けた」「どのようなハコモノが出来た」という見えやすい成果が伴いにくいので、わかりにくい。選挙が個人の人気投票になる我が国の実情では特に、「わかりやすさ」が必要以上に問われ、こういう目に見えた「攻めるハコモノの公共投資」が喜ばれた。だが、その結果、ハコモノや道路は立派でも、そこに住む人はどんどん離れていく、という過疎化・シャッター通り化された地方と、過密で保育園の建築すらままならない都会、という二項対立的現実が展開された。
だからこそ、今から求められるのは、新しいハコモノを作る事に主眼を置くのではなく、これまでの社会的インフラストラクチャを守りつつ、そこで暮らす人の生活を守り、新たな暮らしを育む支援を行う公共投資である。
たとえば、介護士や看護師の不足に関して、EPA制度を利用して、東南アジアの専門家を「輸入」すればいい、という議論もある。これも、「攻める」公共事業の亜流である。なぜならば、介護や看護の単価を上げることなく、現状の低い単価でやってくれる人を輸入すればいい、という差別原理が働いているからである。医師不足は叫ばれても、医師の輸入は叫ばれない。弁護士の不足だって、ロースクール新設の方法論が選ばれたのであり、弁護士の輸入には結びついていない。これは医者や弁護士は専門性が高く代替性が効かないが、看護師や介護福祉士は専門性が低く、ならば移民でも代替可能だ、という外国人差別、および女性差別の原理が伏流しているとさえ、考えられる。(これついては以前ブログでも検討した事がある)
地方の公務員志望の学生が多い大学で働いていて気づいたことは、彼ら彼女らの中には、必ずしも公務員を志望している訳ではない、という学生が少なからずいる現実である。自分たちの生まれ育った町で一生暮らしたい。また、社会にも貢献したい。でも、今安定的な仕事で社会への貢献も出来る仕事といえば、地方では公務員しかない。だから、警察や消防、町役場などの地方公務員を目指す、という論理である。これは、本人だけでなく、その町で暮らす親御さん達も共通して持つ認識である。そういう学生さんにしばしば、「では介護や福祉の仕事だってその町に社会貢献出来るのでは?」と問いかけると、介護や福祉では食っていけない、という答えが返ってくる。これも、非常に平均的な認識である。
長い回り道をしたが、僕が言いたいことは、次のことだ。医療や介護、福祉、子育て支援、教育など、再生産労働に密接に結びつく領域にこそ、人的資本に対しての公共投資を分厚くする必要があるのではないか。福祉や介護、教育、医療の領域で、ある程度人件費に投資を行うことで、その地域での安心・安全と雇用を創出する政策である。これは、確かに新しいハコモノを作る、現金給付をする、というわかりやすい、目につきやすい「攻める公共投資」ではない。でも、その地域での持続可能な生活、安心・安全で心豊かに暮らせる社会基盤を守り、誰でも「生き心地のよい社会」を育てるための、必要不可欠な公共投資ではないか。このような公共投資がされないと、自殺者や心の病に追い込まれる人は構造的に減らないのではないか。そんなことを感じている。
国土を開発する、のではなくて、豊かな人間的暮らしを守り・育てる為の人的公共投資を積極的に行う。またハコモノの新設よりも、明治時代から構築してきた鉄道網、戦後ずっと創り上げてきた上下水道や道路などの社会的インフラを大切に使い続けるために、その補修や維持、そして改良のためにこそ、公共投資を積極的に行う。その一方で、ダムや原発など、一定の役割を終えた巨大なハコモノを縮減出来るような方法論こそを開発する。環境破壊のベクトルを逆にし、里山的な自然との共生を目指すための公共投資を行う。こう書くと、きっと「そんなに経済(現実・政治・○○)は甘くない」という批判も聞こえてきそうだ。だが、国土を開発しないと未来はない、という「攻めの公共投資」の骨法自体が賞味期限切れをしている。であれば、公共投資の構造転換、「守り・育てる公共投資」こそ、これから必要不可欠である。ただ、それを実現する為には、財源も含めた地方分権の推進、および、地方行政・地方議会・首長の認知転換も必要不可欠であるが。
というようなことを誰も言ってくれないので、備忘録的にしたためておく。

本物の英雄とは?

30年まえの本が、これほどまでにアクチュアリティをもって響いてくるとは思っていなかった。
「『父権復興』を叫ぶ人たちの多くが考えているのは、日本的な父性、あるいは母性的集団とも言うべき日本的軍隊の復活ではなかろうか。今どきの弱い、あるいは身勝手な若者を徴兵によって『鍛えてもらおう』などと考えている人は、自ら父親の強さをもつことを放棄し、それを集団にまかせようとする、極めて母性的な発想を抱いているのである。このことは、われわれ臨床家が常に経験するところであり、自分の子どもを『厳しく鍛え直す』ことを主張する多くの親は、それを自らがやる意思はなく、他人にゆだねようとする姿勢を示し、その弱さ故にこそ子どもの強烈な反発を惹き起こしているのに気付かないのである。このようなことに気付かずに、父権復興のかけ声に乗せられ-かけ声に乗ることがそもそも父性の弱さを意味するのだが-あわてて徴兵制復活などをするならば、日本の誇る中空性の中央に、低劣な父性、あるいは母性に奉仕する父性の侵入を許すことになり、戦争中の愚を繰り返すことになるのみであろう。」(河合隼雄『中空構造日本の深層』中公文庫、p66)
憲法改正や国防軍の設置、といった議論が、衆議院議員選挙の争点の一つになっている。そのことの是非とは別の、メタレベルで、なぜ今頃そういう事を言うのだろう、という問いを持った時、この河合隼雄氏の指摘が、案外重みを持って響いてくる。
私たちの国で、次のリーダーになりたい、選んで欲しい、という人の中に、「自ら父親の強さをもつことを放棄し、それを集団にまかせようとする、極めて母性的な発想」を持つ人が少なからずいるような気がしてならない。彼らは口々に「強いリーダーシップ」を叫んでいる。だが、その威勢は口だけで、どうも自らが率先して実践する、というより、「集団にまかせようとする」発想が見て取れる。
為政者は方向性を示すだけであり、実際に自らが最前線に立つ必要はない。そう思っているのかもしれない。だが、「自らがやる意思はなく、他人にゆだねようとする姿勢」は、相手には丸わかりなのである。だからこそ、「子どもの強烈な反発を惹き起こ」す。これは、首相と政治家・官僚の、あるいは政治的リーダーと国民の関係でも、相関的な事が言えるのではないか。河合氏は痛烈な皮肉を込めて、「かけ声に乗ることがそもそも父性の弱さを意味する」と指摘しているが、アメリカの軍備拡張を進める財団主催の記者会見の場で尖閣諸島の購入を仰った某「太陽」氏など、典型的な「かけ声に乗る」論者のような気がしてならない。「NOと言える日本」なんて格好いいこと言っているけれど、その前に「アメリカが許してくれる範囲の」という形容詞が付いているとしたら、どうだろう。これなども、「低劣な父性、あるいは母性に奉仕する父性」の典型例のように見えてくる。ちなみに「父性」の象徴が「太陽」であるが、未だに若かりし頃の「太陽」にすがろうとした事も象徴的だ。河合氏のこの本は1981年に書かれたが、十分に現代批評でもある。
この論考で、もう一つ、アクチュアルな問いを投げかけられた。
「シラケよりは英雄待望のほうが望ましい、と思う人もあろう。しかし、その『英雄』は真の英雄でなければならない。集団心理によって倫理性を希薄にされ、唯一の神話原型によって正当化された単層構造の集団の動きに対して、それがいかに凄まじいものであれ、せめてわが身ひとつの重みであれ、それに抗するものとして立ち向かうものこそが英雄ではないだろうか。そのとき、集団の動きに抗する個人を支えるものとして、その個人の内奥にいかなる神話が存在するのかが問われることになろう。」(同上、p231)
昨年の東日本大震災以前に日本中を覆っていた「閉塞感」。そして、311後の日本社会が強く感じたのは官僚組織や政治家への幻滅感。その中で、「シラケよりは英雄待望のほうが望ましい」という「英雄待望」論が、我が国でもまた覆い始めている。だが、この時、河合氏は「真の英雄」とは何か、という鋭い問いを投げかけている。「集団心理によって倫理性を希薄にされ、唯一の神話原型によって正当化された単層構造の集団の動き」は、「真の英雄」ではない。それは、個人の内面での自己を獲得する闘いに晒されることなく、集団心理のかけ声に乗せられて、「低劣な父性、あるいは母性に奉仕する父性」を「唯一の神話原型」とみなし「正当化」する「単層構造」だからである。簡単に言ってしまえば「薄っぺらい英雄」なのだ。
では、本物の英雄とは何か。それは、自らの中心に、自らが闘いながら勝ち取った訳ではない、他者から借りてきた理論や主義をおかない、という厳しさを抱えた人である。口先では攻撃的な物言いをするものの、実際に自らが変わる努力をすることなく、それを集団や他者に押しつける、「低劣な父性、あるいは母性に奉仕する父性」との決別を意味している。他者を変えようと説得的言語をペラペラ饒舌に話す前に、まず自らが変わることによって、納得の言語を持つ人の事である。その例として、ふと浮かんだのが、宮崎駿の作品。宮崎アニメが日本の中であれほど熱狂的に受け入れられているのは、彼が描き出すナウシカや千、ソフィーが、「集団心理によって倫理性を希薄にされ、唯一の神話原型によって正当化された単層構造の集団の動きに」対して、「わが身ひとつの重みであれ、それに抗するものとして立ち向かうもの」であったから、とも言えないだろうか。あの主人公達の中に、「真の英雄」の姿を見て取ることができるのではないだろうか。
「われわれはもっとみずからの神話を探る努力を致さねばならないのではないだろうか。そして、われわれをあのいまわしい戦いに駆り立てた神話は一体何であったかについても、もっと詳細な分析と検討が必要ではないだろうか。」(同上、p230)
偽物の、よそから借りてきた、あるいは単純化された英雄神話を待望していても、何も変わらない。それは、自らが神話を探す努力をすることなく、チャンネルを変えるように英雄を使い捨てていく、という、劇場型の論理を超えることがないからである。政治家は、有権者の求めることをくみ取ろうと必死だが、劇場型の論理を有権者が求めていると、その論理に居着いてしまい、みな、口先だけの威勢の良さを競うようになる。いざ、それが実際の暴動や軍事的な動きに発展した時には、当然、他の人から借りた論理だから、その責任を他者になすりつけ、自らの正当性を担保しようとする。そのような「他責的」な言説に、重みはない。なぜなら、、「わが身ひとつの重みであれ、それに抗するものとして立ち向かうもの」の気迫がそこにはないからである。
今、大切なのは、一見するとマスコミに受ける言説、つまりは「集団心理によって倫理性を希薄にされ、唯一の神話原型によって正当化された単層構造の集団の動き」と距離を置くことである。自らも含めた日本人という集団がどのような「神話」に「駆り立て」られて、原発事故や被災地への対応をしてきたのか、をつぶさに、反省的に見つめ直すことである。その上で、まずこれまでの自らの振る舞いをどのように変えることが必要であるか、そのためには強固で支配的に見える「単層構造」(=という名の常識)とどう戦う必要があるのか、をわが身に問い直すことである。そのような、「神話」の問い直しと、自らの「神話」を求めた戦いに、歩み始めなければならない。ソファーでテレビを見ながら他責的に他者批判をしている、「高みの見物」では、何も変わらない。そんな劇場型の動きと決別し、自らがプレーヤーとして、自らの言動に責任を持って、まず自分から変わり、未知という名の暗闇の中に飛び込んでいく覚悟が出来ているか? 政治家の発言に求める覚悟とは、そのあたりなのかもしれない。だが、それを査定する有権者自身も、まず己にその覚悟があるのか、が問われている事も、忘れてはならない。

みんな!殺すな

先月末、夫婦が知的障害がある長男と無理心中を図ったと見られる事件があった。その事について報じた朝日新聞福島版の中で、遺書の一部が引用されていた。その中で、「一人残しても、また皆様にご迷惑かけるだけなので」という表現が引っかかり、今朝それについてツイートしたところ、思わぬ反響があった。まずは、僕のツイートから。

生きている事が「迷惑」なのか? 「迷惑」をかけるなら、「死んだ方がまし」なのか? 地域でふつうに暮らすこと、に対する、構造的な圧力が未だに強い現在の社会構造的な問題でもあるが、それでもやはり「母よ!殺すな」の問題でもある。 http://mytown.asahi.com/fukushima/news.php?k_id=07000001211130009
これに関して、予想外の二つのコメントがあった。
「倫理の問題ということですか?私には、この母親に向かって、殺すなとは言えません。もちろん仕方ないとも言えません。申し訳ないという気持ちです。」
「わかる、わかるがでも夫婦の犯行でも「母」だけが持ち出されるのに違和感。フェミニスト含め母たちは女に子どもを殺させる社会についても問うてきたのに。」
どれも、僕がきちんと情理を尽くして説明していなかった故の誤解である。そして、それに対してコメントを書こう、と思っていたところで、ある他のことに思い至ったので、久しぶりにブログを書いてみることにした。
まず、誤解の多い、『母よ!殺すな』について。
これは、女性にのみ責任を押しつけるつもりで書いたのではない。障害者福祉業界では有名な横塚さんの『母よ!殺すな』(生活書院)のタイトルをそのまま用いたのである。業界内では有名だけれど、このタイトルをご存じない方のほうが多い、という単純な事実を忘れていた。だから、誤解を解くためにも、僕の本からこの本を取り上げた部分を引用しておく。
「1970年、横浜である殺人事件が起こった。障害児二人を育てる母親が、二歳の女児をエプロンの紐でしめ殺したのである。当時のマスコミは母親の犯行を日本の福祉施設の不備故に起きた「悲劇」であると報じ、地元では母親への減刑嘆願運動が起こった。これ対して、神奈川県の脳性マヒ者の当事者会「神奈川青い芝の会」は、強い異議申立をする。当時のその会の中心人物の一人であった横塚はその理由をこう振り返っている。
『普通、子どもが殺された場合その子どもに同情があつまるのが常である。それはその殺された子どもの中に自分をみるから、つまり自分が殺されたら大変だからである。しかし今回私が会った多くの人の中で、殺された重症児をかわいそうだと言った人は一人もいなかった。(略)今回の事件が不起訴処分または無罪になるか、起訴されて有罪となるかは、司法関係者を始め一般社会人が、重症児を自分とは別の生物とみるか、自分の仲間である人間とみるか(その中に自分をみつけるのか)の分かれ目である。障害者を別の生物とみたてて行う行政が真の福祉政策となるはずが無く、従って加害者である母親を執行猶予付きでよいから、とにかく有罪にすることが真の障害者福祉の出発点となるように思う。』(横塚二〇〇七、八〇-八一頁)
殺された障害児よりも殺した母親の方に同情が集まり、減刑を求める動きが拡がった。この動きに対して、「とにかく有罪にすることが真の障害者福祉の出発点となる」という強烈な主張は、当時の日本社会の支配的言説(=ドミナントストーリー)と真っ向から対立するものであった。だが、その論旨は明快である。障害児だから殺されても仕方ないかどうかは、「重症児を自分とは別の生物とみるか、自分の仲間である人間とみるか(その中に自分をみつけるのか)の分かれ目」である、という。この二つの人間観、価値観自体が大きな争点である、という問題の捉え直しである。だからこそ、施設を増やすべきだ、国家の問題だ、と論点をすり替え、彼女を無罪放免してはならない、という主張なのである。」(竹端寛『枠組み外しの旅-「個性化」が変える福祉社会』青灯社、p144-145)
僕が伝えたかったのは、横塚さんが書くように、「その殺された子どもの中に自分をみ」ているか、という問いであった。この無理心中された親子そのものを裁いたり評価したり、を第三者である僕が出来るはずもないし、その意図もない。ただ、こういう事件をマスコミが取り上げるとき、「殺された障害児よりも殺した母親の方に同情が集ま」るような表現がなされ続けている。これは、40年経っても全然変わっていない。母も父も辛かっただろう。でも、その子だって辛かったはずだ。
「一人残しても、また皆様にご迷惑かけるだけなので」
遺書に綴られた言葉の中で、一番引っかかるのは、この部分だ。重い障害を持つ人は、「皆様にご迷惑かけるだけ」の存在なのだろうか。そうではないはずなのに、そう思い込んでしまった、思い込まされてしまったご両親。であったとしても、そこで両親の「取るべき責任」は、子どもと共に自死を選ぶ、ということだったのだろうか・・・。
そう考えているうちに、ふと、こういう言葉が浮かんだ。
「みんな!殺すな」
母も、父も、障害を持つこの二人の子どもも、誰だってもっと生きたかったはずだ。なのに、両親が無理心中に追い詰められてしまう社会、そしてその時、「迷惑をかけるから」と、障害のある子どもが道連れにされる社会。それにこそ、NO!を突きつけたい。だからこそ、「みんな!殺すな」なのである。もちろん、これは父親や母親だけの問題、家族だけの問題、ではない。だが、自殺や無理心中という形で「殺す」ことを選ばざるを得ない社会だけは、まっぴら御免だ。改めてそう感じている。