トサフィスト的再編集

 

こないだの木曜日、ジムでバイクを漕ぎながら読む本として、近所の本屋で何気なく手に取った一冊。週末もお風呂のお供にボンヤリ読み進めていたのだが、最後の二章での論考の鋭さに、思わず唸る。

中世ユダヤ教徒の中で、教典の写本の欄外に注釈や解釈、意見や見解を書き込む人のことを「トサフィスト」という。写本そのものには一切手をつけず、その欄外の注釈も、前時代のものを残しながら、その後に書き足していく。そういうルールが「トーラー」という、モーゼの律法を伝承していく際にどう伝わっていったのか。その点に触れて、こういうまとめが出てきた。

「それらの作業はすべて『過去を棄却して新しい発想をする』ことではなく、『過去への長い検討の集積を編集しなおす』という作業であった。(略)この作業は、実は、『生体である文化の改革と進歩』の基本なのである。『トーラー』は彼らの精神構造の基本であるから、これを停止して『改革』するわけにはいかない、といって、そのまま、ただ過去を守っていれば形骸化して消えてしまう。そしてこの矛盾を解消する方法とは、実は、トサフィスト的な作業しかないわけである。(略)ある時期の改革とか革命とかいわれるものは、実はその再編集にすぎないのであって、何か不意に『新たにはじまる』わけではないし、同時に、それが終わればトサフィスト的作業が終わるわけでもない。そしておそらく、われわれに最も欠けているのが、この基本的発想なのだと言える。」(山本七平「日本人と組織」角川書店、p186-187

福祉施設の組織改革についてボンヤリ考えているのだが、その施設に限らず、日本の組織は確かに『過去を棄却して新しい発想をする」ことを好む。山本氏もその動きに関して、「情動的に外部的条件に対応していく」ことに関して「『天才的』とさえいえる」と指摘している。新しいブームが来れば、それにパクッと飛びつくのは、組織だけでなく、日本人気質、なのかもしれない。だが、私たち日本人も、結局そういう表層的変化があっても、深層の部分では、変わっていないのだ。組織改革のために、色々な手を打ってみても、なかなか本質的に変わらない。その原因を考えていたのだが、それは、『過去への長い検討の集積を編集しなおす』という視点が欠けているからである、ということに、山本氏の著作から気づかされた。つまり、その組織の持つ「トーラー」と、そこに記された欄外注を、消し去ることなく、むしろ全てを分析する中で、どこで「躓いた」か、が見えてくるのである。

1977年に書かれたこの作品の中で、山本氏はそこから、最近ちまたで話題の失敗学について触れていく。

「過去の製品とは、現代を基準に見れば、すべて失敗した製品だと言うことである。だが、それをそのまま残すことが、進歩なのである。以下は聞いた話だから、あるいは単なる伝説かもしれないが、フォードには、第一号以来の部品が全部そろえてあり、いつでも受注に応じられるという。大変に無駄なことのようだが、実は、部品の変転史を実物で検証しうることは、決して無駄なことではなく、これがあるから、将来を模索できるのだという。」(同上、p204)

失敗を記録・保存し、必要に応じてその記録を引っ張り出して「実物で検証」する。そのことを通じて、「将来を模索」する。この「過去への長い検討の集積を編集しなおす」という「再編集」の作業があるからこそ、その組織は根本的に変容することが可能なのだ。ブームだから、時代が要請するから、法律が変わったから、と、その組織の「トーラー」を見つめ直すことなく、屋根部分のみを取っ替えひっかえしたところで、中身は全く変わらず、むしろ継ぎ接ぎが増えるだけで、余計に内容が混乱してくる。まるで政府の継ぎ接ぎだらけの年金システムのように。

逆に言うならば、継ぎ接ぎだらけのシステムに関して、何らかのメンテナンスなり補修工事を依頼された場合、下手に新しい支柱を立てるよりも、意識的にトサフィストになることが求められているのだと思う。その組織の(見えざる)屋台骨である「トーラー」の部分と、継ぎ足し、すげ替えられ、時には棄却された「欄外注」を峻別した上で、そのどちらも分析すること。『過去を棄却して新しい発想をする』よりは遙かに時間もかかるし面倒だが、そういう、見た目ではドラスティックなことをするよりも、地道に『過去への長い検討の集積を編集しなおす』ことの方が、実は本質的な組織の問題にアクセスでき、そこから実現可能な舵を切れる可能性があるのだ。

そうやって見ていくと、私自身、去年あたりまで外野から「改革改革」を迫ることが多かった。だが、色々な現場で、最近そういう外野からのヤジ、ではなく、中に入り込んで、コーチのような、プレーヤーのような立場で動き始めている。すると、必要なのは、派手な言説よりも、むしろトサフィスト的な「再編集」だ、と深く感じる。その組織の「トーラー」をどこまで理解するか。その上で、雲散霧消した欄外注までも、どこまで掘り返し、何を再編集出来るか。こういう姿勢がないと、本当の意味での、『生体である文化の改革と進歩』にコミットできない。そんなことを教えてもらったような気がする。

「余計なお世話」と「雪かき仕事」

 

大学が再開されると、日々本当にあっという間に過ぎていく。
夏休みも大変だったような気がするのだが、そんな記憶は本当に遠く遠くに消えている。夏休みのようにブログのマメな更新も出来なくなってしまう。何だか寂しい。毎日、グーグルカレンダーと睨めっこしながら、みちっと週末まで予定が食い込んでいて、ため息が漏れてしまう。

とはいえ、遊んでいない、というと、これまた嘘になる。金曜日の午後は、修理に出していた鞄が直った、と連絡を受けて、パートナーと共に八ヶ岳アウトレットに。服の在庫処分をした後だから、逆にどういうアイテムが足らんのか、もよくわかっているということを言い訳に、Tシャツやら秋物のセーターやら買ってしまう。まあ、三連休前日で、夏物処分も兼ねたバーゲンの準備をしていたので、掘り出し物にも巡り会えた。ほんと、甲府に来てから、服はアウトレットでしか買わなくなってしまった。

で、日曜日のお昼は新宿で金融系に勤める高校時代からの友人と久し振りに逢う。秋空のカフェテラスで、議論に花を咲かせる。20代に自分への投資に全勢力を傾けてしまった(だから自己資金が現時点でもほとんどない)私にとって、投資業務を本職とする友人の話は、「異国」の話として、大いに興味をそそられた。結局、自分のバランスシートも満足につけられていない現状に、色々問題もあることが明らかに。まあ、いきなり財テク(なんて旧い言葉)に走ることはまずないが、少なくとも「お小遣い帳」はちゃんとつけんとなぁ、と丼勘定の自身を反省する。これもダイエットと同じで、まずは「記録する」という事が肝心なのね。

そういう息抜きをしながらも、先週から今週にかけて、せっせこ「雪かき仕事」をする。このことは、よく引用する内田センセが、村上春樹論の中で、こんな風に書いていた。

「感謝もされず、対価も払われない。でも、そういう『センチネル(歩哨)』の仕事は誰かが担わなくてはならない。世の中には『誰かがやらなくてはならないのなら、私がやる』というふうに考える人と、『誰かがやらなくてはならないんだから、誰かがやるだろう』と考える人の二種類がいる。(略)ときどき、『あ、オレがやります』と手を挙げてくれる人がいれば、人間的秩序はそこそこ保たれる。」(内田樹『村上春樹にご用心』アルテスパブリッシング、p29-30)

僕は昔から割と「おせっかい」な方なので、今、結構忙しいのも、なんだかんだと目についたり頼まれたりした事も、断らずに引き受けてしまうから、自分で首を絞めている。そういう事について、「余計なおせっかい」なんじゃないか、と、自問自答することもあったのだが、内田氏にこう整理してもらうと、わかりやすい。

そう、僕が先週末書いていた「他人が書かなかった原稿の穴埋め」も、今日まとめた「これまで未分化だった課題の交通整理」も、「余計なおせっかい」ではなく、ポジティブに考えれば、『誰かがやらなくてはならないのなら、私がやる』種類の仕事なのだ。これを内田氏はセンチネルといい、村上春樹氏は「文化的雪かき」と表現しているのだが、どう形容しようと内容は同じ。「おせっかい」だけど、「余計」で「いらぬ」性質のものではなはない。でも、かといって、一部の場合を除き、特段に「感謝」「対価」がくっついてくる訳でもない。だけど、それを引き受けることによって、「人間的秩序はそこそこ保たれる」。そういう種類の仕事は、何だか僕のところに、割合廻ってくるような気がする。

結局そういうものを前にして、「誰かがやるだろう」と見ていても、誰もやる気配がないので、ついつい口出し手出ししてしまう。そういう性質の人間なのだ、タケバタは。それで、「人間的秩序」に「そこそこ」貢献できるのだから、ま、いっか、と納得してしまうから、単純なんだろう。でも、とにかく「雪かき」のように、目の前から一山消え、二山消えたら、その瞬間気持ちいいのは確か。さて、あと今月は幾山片づけたらいいのだろう、と思いながら、「雪かき仕事」に精を出すタケバタなのであった。

プロの本質

 

最近、我が家で飲むコーヒーが美味しい。
豆はいつもと同じ。違うのは、お水。大学の近所にあるスーパーで、カルキ抜きをした!?水をタンクに入れて持って帰ってくる。この水で入れると、全く味が違うと「発見」。それまでに何年かかったんだ?と思う。水の力に、改めて唸る。そう言えば大学でもM先生がブリタの浄水器をお持ちになっておられた。そのお水を頂くと、確かに美味しい。3000円ちょっとで買える、ということなので、僕もつられてネットで注文。水の力を「発見」した秋であった。

で、そんな些末な「発見」とは次元が全く違う「発見」のお話。

「リンゴが落ちるということは、ニュートンに発見される前から、数限りなく起こっていたことだった。リンゴは、人々の目の前で、はるか昔から数限りなく落ちていたのですよ。だけど、誰一人として、そのことを発見しなかった。そんなkとおは当たり前だと思って、見ていても見ていなかったし、ましてや考えなどしなかった。しかし、彼だけが、彼が初めて、リンゴが落ちるという恐るべき当たり前のことを『発見』した。発見して驚いた。『これは、どういうことなのか!』
天才というのは、他でもない『当たり前のことを発見する能力』のことなのです。普通の人が当たり前だと思って気にも留めないことに気がつく、気がついて追求する能力のことなのです。決していきなり特別なことを思いついたり考え出したりするわけではないのです。だて当たり前のことしか考えていないんだから。もしもそれが特別のように思えるなら、当たり前のことに気がつくという、まさにそのことが当たり前でないということなのです。だって、ほとんどの人は、当たり前のことには気がつかないんだから。」(『人間自身』池田晶子著、新潮社p70-71)

早逝した天才の最後の作品の一つをお風呂で読んでいて、目から鱗、の記述だった。
「普通の人が当たり前だと思って気にも留めないことに気がつく、気がついて追求する能力」、これは、別の言葉に代えて言えば、常識というフレームに縛られず、その常識そのものを疑って、その常識を構成する要素の不思議に気がつき、それを考える能力、ともいえるだろう。私たちは常識という「既存の眼鏡」(フレーム、視点)に無批判に頼ってしまい、「見ていても見ていなかった」部分があるのではないだろうか。それを、きちんと考える。これは、ほんとにやり始めたらとんでもなく大変なことだし、こういう「癖」でも持ち合わせないと、なかなか出来ないのかもしれない。

「私には、本質的にしかものが考えられないという、どうしようもない癖がある。いかなる現実であれ、その現象における本質、これを捉えないことには気がすまないのである。これはもう若い頃からの癖なので、今や完全に病膏肓に入る。
一方で、世間とは、言ってみれば現象そのものである。ジャーナリズム、あるいは大多数の人のものの感じ方、現象を現象のままに受け取り、そのまま次の現象へ流されてゆくといったていのものである。平たく言うと、ものを考えるということをしない。『考える』とは、現象における本質を捉えるということ以外でないから、ほとんどの人は本質の何であるか、おそらく一生涯知らないのである。」(同上、p24)

「現象を現象のままに受け取り、そのまま次の現象へ流されてゆく」、まさに私自身も、放っておけば、そうなってしまう。それでは何だか変だし、気持ちがよろしくないし、何より同じ事のくり返しのような気がして、最近少しは立ち止まってみる事にする。そして、このブログ上に書き留めておく。まだ、それくらいしか出来ないけど、少なくともそのまま「次の現象へ流されてゆく」ことだけは避けたい、という想いは、池田晶子さんと出会った大学生の頃から、少しずつ、育まれてきたような気がする。

そう思うと、最近読んだ、ある知識人についての批評を思い出す。この人って、「現象を現象のままに受け取り、そのまま次の現象へ流されてゆく」タイプの人だったんだろうなぁ、と。それに、彼の活躍していた場所が、まさに「現象そのもの」を追う、「ジャーナリズム」の世界だった。

「生涯に百冊ちかい著書を出版した清水だったが、そのほとんどは時代の変化とともに、発刊後数年を経ずして絶版となった。清水の著作で、彼の死後もロングセラーであり続けていたものは、『売文業者』を自称する清水が自己の文章技術を解説した、1959年の岩波新書『論文の書き方』のみである。」(『清水幾太郎-ある戦後知識人の軌跡』小熊英二著、御茶の水書房p80)

そう言えば僕も「論文の書き方」しか読んだことはない。その中で洒脱に文章技術を解説する清水氏に、大学時代の「初学者」タケバタは何となく親しみを感じていた。だが、その清水氏を「戦後思想」というフレームで分析し直し、膨大な氏の著作にも目を通した小熊氏は、清水幾太郎は違って見える。

「そもそも、彼に一貫した『思想』が存在したのかも疑問であろう。」(同上、p95)
「もともと清水は、自己の内部に『書きたい内容』があったからではなく、外部への憧憬から文章を書き始めた人間だった。」(同上、p15)

「彼は、知識を『出世』の手段にするというかたちで、社会科学を『活用』した人物だった。彼は後年、『我流のプラグマティズムを密かに信条としている』と述べており、知識人というものを『思想的な問題を書いたり喋ったりして妻子を養っている人々』と定義している。」(同上、p20

この小熊氏の分析を読んでいて、「冷たさ」より「哀しさ」におそわれた。
知識を「活用」して「出世」をするという「我流のプラグマティズム」。文才が人並み以上にある清水は、その「プラグマティズム」で、時代の寵児にもなった。だが、「一貫した『思想』」なるものが存在せず、世間に迎合しようと「次の現象へ流されてゆく」彼の作品は、「時代の変化とともに、発刊後数年を経ずして絶版となっ」ていく。知識人への「憧憬」そのものは悪くないのだが、その本質の取り違えた結果、ご自身は知識人的な『売文業者』で終わってしまったのだ。そのこと自体を生涯「発見」せずに亡くなってしまった、その事実に何だか「哀しさ」を感じてしまったのである。そして、その「哀しさ」の視点は、自身の仕事への自己点検にもつながる。僕自身、「一貫した『思想』」をちゃんと持っているのか。それとも「風見鶏」なのか? 何のために「書いている」のか?

「『食うこと』、すなわち他人や世間を横目に見ながら為される仕事は、それがいかに巧みに工夫された技なのであれ、最初から堕落していると言っていい。(中略)なるほど人は食わなければいきてゆけないが、これをするのでなければ生きていても意味がない。そのような覚悟にのみ、その人の神は宿るのだという逆説を、あまりにも人は理解しない。それで食っていることをもって『プロの誇り』だなど、片腹痛い。」(池田、前掲p77-8)

「これをするのでなければ生きていても意味がない」という「覚悟」を持っているプロフェッショナルとなっているだろうか? そうなろうと精進しているだろうか?これは清水氏にではなく、自分自身に突きつけられている。

体重喜怒哀楽

 

先週末、思い切ってごっそり夏物を捨てる。

いやはや、着ていない服が出てくること、出てくること。そりゃあ「安物買いの銭失い」だなぁ、と深々反省。ハッキリ言って、着てないものに囲まれると、着てもよさそうなものまで見えなくなってしまう。よって、今期全く着なかった服は、一、二の例外を除いて、みなリサイクルショップに回す。安物買いも塵も積もれば結構な額で購入したはずなのに、売り払う際は1キロ150円。結局妻の服も合わせて600円ちょっとにしかならず、とほほ、である。ほんと、次から吟味しないと。

で、整理していたら、タンスの奥から、スラックスを発掘。おお、昔々、師匠の取材のお供でスウェーデンに行った帰り、イタリアに遊びに行った際、ミラノのアウトレットで買ったおズボンではないか。早速、今日はいてみた。ぴったりというか、ちときつめ、というか。でも、ちゃんとはけた。ということはあれは博士後期課程1年の頃だから、7年前くらいのお話。その頃の体重にようやく戻った、という事も言えるし、その当時からそんなにウエストが昨今拡がっていたのか、と思うと、とほほ、である。

ダイエットを意識して10ヶ月目。最大84キロから始まって、今は76から77キロをウロウロしている。80まではすぐに落ち、77までも同じくらいのスピードで落ちたのだけれど、そこでピタッと止まってしまう。このサイトを自分で検索してみたら、4月の段階で、「瞬間最小体重!?76.8キロを記録」なんて言っているから、結局そこから半年近く、動かないまま。これを指して、「リバウンドがないから良かったよね」とも言えるけど、「この76キロの壁が大きい」という実感の方が強い。週に2回程度はジムにも行っていて、こうなのだから、あとはストレッチと食生活を見直さないと、やはり変わらないのだろうか。

そうそう、こないだ岡田斗司夫氏のダイエット本を読んでみる。彼の主張を簡単に言えば、「食べたものを全て記録する」「慣れてきたらカロリー計算もする」「それも定着したら、そのうち1日1500キロカロリーになるように、1週間単位で平準化する」、ということ。そうすれば、50キロ落ちるそうな。このうち、「記録する」というレコーディングは、僕もある種ブログで体重をレコーディングしているので、その通り。ただ、食べたものを全てブログに載せるのも趣味が悪いけど、メモ帳に書いておくのは有効かも知れない。まあ、食い意地が張っている、というか、美味しいものにはまだ後ろ髪引かれるので、カロリー計算&1500キロカロリーに制限、というのが本当に自分に可能か、というとだが。

しかし、真面目な話、体重が減ると、風邪も引きにくくなり、疲れも以前ほどひどくないので、やはり負荷が変わったことを実感する今日この頃。でも、大学院の頃より、明らかに大学生の頃の方が痩せていたから、まだウエストは絞りたい。それも、あまり禁欲的でなく、楽しくやりたい。そう言えば、岡田氏は、「今日は後何を食べていいのか、と考えるのが、テトリスのように楽しい」と言っていたが、そういう楽しさは僕にはないので、別の楽しさを考えないと。

食欲の秋だけど、よく噛んで、小食の秋にしないとまずいよなぁ、と改めてレコーディング(記録)して、記憶しようとするタケバタ。ああ、体重喜怒哀楽はしばらく続くのでありました。

虚往実帰

 

後期の授業が始まる。

学生も教員も息も絶え絶え。なんせ、季節の変わり目で温度変化が激しい。今日は真夏日だそうだが、朝晩はかなり涼しい。で、学生さん達は夏休み生活モードから授業モードに切り替えるのが大変そう。教員だって同じ。もちろん、って書くのも哀しいのだが、タケバタは夏休みもフル操業をしていたのだが、でも自分で一定のリズムを決めて働くのと、火~木まで授業が固定されているのでは、働き方の柔軟さが違う。固定された枠組みへの対応も、慣れてしまえば楽なのだが、そこに身体と精神を合わせるための「移行期間」。結構きつい一週間でありました。

で、そんな中、先週から読み始めた夢枕獏の空海本4巻を読み切る。最初のうちは異能者空海と凡人の橘逸勢の掛け合いが、陰陽師でいう安倍晴明と源博雅の掛け合いと、説話構造的に同じだなぁ、という部分が気になったが、伝奇小説の巨匠はそんなことおかまいなしに、話をグイグイ引っ張っていく。読み手は、気が付いたら楊貴妃伝説を巡るアヤシイ世界に引き込まれていく。それにしても、長い長い4巻ものであった。

僕は夢枕獏が好き、というより、彼が選んだ題材である空海に、高校時代から何故か惹かれている。母校が東寺境内の中にあり、遠い開祖は空海である、というだけあって、週1日の「宗教」の授業で、空海の「虚しく往いて実ちて帰る」などの名言の解説を聞いたり、あるいは夏休みに「高野山合宿」という勉強合宿にバスを連ねて出かけた折、空海が眠る「奥の院」まで歩いた、という「ゆかり」はあった。曼荼羅といった言葉も、ごく自然に耳に入る環境ではあった。

だが、自分から求めて空海に近づいたのは、大学に入ってからだろうか。浪人もしたが第一志望であった大学に落っこち、自分の入った大学を軽蔑している、愚なタケバタであった。大学一年の、身も心も浮き浮きしてよい時期に、憂さ憂さで満たされた心が解放される筈もなく。ちんけなプライドが邪魔をして、大学で友人はあまり出来なかった。「ここじゃないどこか」という下らん尺度に縛られて、眼前の現場の良さを全否定する、それはそれはつまらん大学一年生であった。そういう目線でしか見えないから、授業も、入ったサークルも、友人までも、どこか味気なく感じた。当たり前だ。自分が信用しないオーラを出しまくっているのに、相手からも信用される訳がない。一言でまとめると「嫌な奴」だったのだ。京都の実家から電車を乗り継ぎ、片道2時間かけて通いながら、心の中は虚しさばかり。何のためにという虚言がしょっちゅう口をついて出てくる、そんな時期だった。

そんな、一年の冬のことだった。
全く何もかも面白くなくて、冬休み明けの1月の平日、余っていた青春18切符を使って、高野山まで出かけてみた。大阪から和歌山経由で橋本までJRで出かけ、その後南海電車に乗り換えて、極楽橋へ。そこからケーブルカーに揺られて高野山駅までたどり着く。ガラガラの車内に出来た日溜まりに向かって、「自分はこの先、どこに行くのだろう」とボンヤリ考えていたことを思い出す。奥の院は高校時代に何度か参詣しているので、「ご挨拶」もそこそこに、霊宝館という宝物館で、様々な曼荼羅をじーっと眺めていた。誰もいない室内で、暖房も殆どなく、冷え切って、静まりかえった空間で、ただただ曼荼羅と向かい合っていた記憶がある。この世ならざる世界に、片足をちょっと突っ込みかけた、そんな気分になっていた。

だが、そこから数日後、急に現実世界に呼び戻される。
それが、阪神淡路大震災である。震度5の京都でも、11階に住んでいた我が家の被災状況は震度7相当のゆれだった。九死に一生を得た気分で、それまでのアパシー感覚は吹っ飛んでしまう。「ぐだぐだ屁理屈言ってないで、とにかく、何かせんと」。そんな想いで、昔ご縁のあったボーイスカウトの緊急援助隊に加わった事を皮切りに、学内でボランティア隊を組織したり、と自分が出来る貢献を必死になって模索する。そういうリアリティのある活動を通じて、人との本気の関わりを取り戻し、信頼できる仲間や居場所が出来、気が付いたらその後10年近く、嫌っていた筈の大学に席をおき、今では別の大学で「ボランティア・NPO論」を教えている。歴史にもしも、はないけれど、あの高野山に出かけた時の手詰まり感、というか、場面の極まり感がなければ、そして、その後の震災がなければ、今、自分は山梨で教員をしていなかったことは、ほぼ間違いない。何という「ご縁」なのだ、と改めて実感する。そういう意味では、高野山に出かけたのも、「虚しく往いて実ちて帰る」プロセスだったのだな、とも感じるのだ。

そういう「ご縁」のある弘法大師なので、あまり難しい密教の専門書は通読出来ないけれど、目に付いた小説類は結構買って読み進める。定番である司馬遼太郎の「空海の風景」も良いが、陳舜臣の「曼荼羅の人」のような中国での空海をクローズアップしたり、あるいは小説ではないけれど、編集工学の第一人者である松岡正剛による「空海の夢」も面白かったし、意外な所では「僕って何?」の三田誠広までが「空海」という解説+小説本を書いている。「お大師はん」(関西的な言い方)モノは、暁の明星を飲み込んだ修行僧の時代、入唐時代のエピソード(これは陳舜臣や夢枕獏さん)、帰国後の最澄との対決、高野山開祖、等々、どの切り口からでも楽しめ、意外な発見もあり、他の著者の作品も読みたくなるほど、半端なスケールではないことだけは確かだ。

このブログを書きながら、アマゾンで空海を検索するだけでも、知らなかった作品に山ほど巡り会える。さて、次はどの切り口を読んでみようか。そんなことを考えていたら、ギアチェンジのだるさも忘れそうな、そんな週末になりそうだ。この文章を書くこと自体が、まさに「虚往実帰」のプロセスなのかもしれない。

大きな地図の中での位置づけ

 

今日から大学では後期の授業がスタートなので、昨日は大学で午後から授業の準備。火曜は二コマの講義で、昨年一応ある程度のスタイルは作ったのだが、今年度はもう少し体系化しようと練り込んでいく。後期は特にゲストの方にも来て頂くので、その流れを崩さないようにしながら、重点的に伝えたいこととの前後関係も用い、学生さんにも理解しやすく興味を持ちそうな中身に「仕込む」ことが、この練り込み作業、つまりは講義の流れを構築する作業では大切だ。これも、3年目になって、ようやくわかってきたこと。お陰で、だいぶこの練り込みが早く、充実したものになってきたが、それと反比例して、2年前より遙かに仕事が増えている。世の中、そううまくはいかないものである。

さて、夏休み最後は大阪出張をしていたのだが、日曜日の帰りに書いた文章を、以下に貼り付けておこう。

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新大阪駅構内の喫茶店で、たばこの煙に渋々むせびながら、レッツノート君に向かっている。二日酔いなのか、旅の疲れなのか、その両方が重なってか、結構ぐったりしている。とにかく一息つきたかったので、煙まみれもしゃあないか、と味気ないコーヒーをすすっている。ただ、それよりも、今日ぐったりしているのは暑気あたりかもしれない。

なんせ大阪は暑い。季節はずれの太平洋高気圧の張り出しもあって、とんでもなくじっとり暑いのだ。そんな中、今日は朝から大阪市大に出かけての学会発表。西駒郷から地域移行をされた方々の「交流会」という場面を通じた権利擁護の問題について発表したのだが、タイトルや伝え方が下手くそだったのか、あんまり聞き手はたくさん集まらない。関わっている自分自身としては、すごく大切な課題であり、かつ今後の各地での地域移行政策にも大きく関わる話なのだが、その「大きな地図の中での位置づけ」をA4一枚の発表要旨や15分の発表時間にうまく落とし込めなかった為、少数の方々にしか関心を惹きつけなかったのだろう。

そうやってみてみると、私だけでなく、他の発表者の発表も、この「大きな地図の中での位置づけ」が出来ていなくて、あるいはそもそも意図していなくて!?、その大切さが伝わらない、というのもいくつも見かけた。勿論世の中には業績を上げるための研究、というのもあるかもしれないが、一方で、伝えたいことがあって、おもろいと感じることがあって、研究し、発表している方が大半である(と信じている、のだが、そうでないという人も結構いる)。ならば、少なくともご当人にとっては、すごく大切で、おもしろく、だから関わり続け、それに基づいた発表のはずだ。なのに、なぜ、と思うほど、発表場面でつまらなくなったり、何が大切なのかが伝わらないこともある。(もちろん、僕だってそう思われている可能性が充分にある)

その背景には、やはりポジショニングの不全、というか、どういう文脈のなかで、何が論点になっていて、その論点が全体像とどうリンクしているのか、の自覚や枠取りに不足しているのだ。何せ学会発表するくらいなのだから、その発表内容については、ご当人が一番よく知っている(でなきゃ、something newとは言えない)。だが、ご本人が知っていて、おもろいと感じていることを、それをよく知らない人に、わかるような言葉遣いや論理構築で、全体像との位置関係も明示しながら説得的に示すことが出来ていない、から、おもしろくないのだ。だから、午後からおもろそうな発表も一、二、あったが、身体がだるい事も重なって、こうして早引きしてしまう。(結局のところ、これはサボりの言い訳?)

ただ、学会以外にも今回はもう一つ、ミッションがあった。それは、科研で調査をしているある福祉現場での中間発表会。この週末に発表する機会が重なったので、どちらも準備が大変だった。特に金曜の現場での中間発表会は、調査データに基づいて見えてきた事実を元に、具体的にその現場・組織を変えるための提案までしてしまう、という、何だか研究の領域を逸脱している!?かのような、アクション・リサーチなので、これまた大変である。ただ、僕自身、現場をよりよいものに変えるための研究でなければ興味がわかない、という変な癖を持っているので、仕方ない。その通所施設の全職員への二回目のインタビューと、新たに入れた職員へのインタビュー、をこの春と夏に行って、そこから見えてきた課題を整理し、具体的な改善提案に持ち込んでいった。その時に役だったのは、研究者の本より、むしろコンサルタントの本だったのである。

ただその前にコンサルティングのことについて、僕自身も含めて偏見が多いので、ちょっと書いておく。経営コンサルタントは勿論福祉分野にも入っている。例えば障害者自立支援法に謳われた障害福祉計画だけでなく、多くの福祉計画策定が90年代以降言われ、市町村職員は大きく困惑し、その労力の肩代わりとしてコンサルタント会社に「丸投げ」しているケースも散見される。そして、コンサル会社の中には、もちろん良質な調査と分析を行う会社がある一方、儲けを重視するあまり、同じフォーマットで同じ枠組みでの調査・分析で、結果として誰も見てくれない報告、というものもある。

これは決してコンサル会社だけが悪いのでなく、委託費が極めて低かったり、依頼者側に明確な指示(この範囲でお願いします)がなく「丸投げ」している、あるいは市町村が言う(国が指示する)納期がめちゃくちゃタイトなため、そうしか出来なかった、など、様々な要因が複合している。そして、そういう調査であれば、「何が問題なのか」は示せても、「あるべき姿」との乖離がきちんと示せていなくて、「そりゃそういう意見もあるだろうけど、だからどうするの?」が抜けているものも少なくないのだ。

それに対して、この夏、いくつか当たりのコンサルタントの本を読み進めていってわかってきたのは、優秀なコンサルタントは、そういう現状分析だけに終始してはいない、ということである。掘り下げるなかで、現場との対話を通じてその企業の構造的問題を探すだけでなく、その企業がこれまでどういうミッションを持ち、今どこで躓いていて、将来に向けてどういう「あるべき姿」を描くのがより良いのか、を対象企業と一緒に模索する。その模索を通じて、コンサルに委託する程に混迷・低迷している当該企業の「あるべき姿」を捉え直し、その捉え直された「あるべき姿」と現実との乖離を、問題として抽出し、対策を立てているのだ。そう、コンサルティングの本領は、問題分析もそうだけど、むしろ過去の歴史に基づきながら当該企業がこれからの「あるべき姿」を捉えなす、その部分の「問題発見」の部分にある、と、とある本を読みながら気づいたのである。問題解決に向けたノウハウ本はあまたあるが、適切な「問題発見」が出来ない限り、あまたの方法論は活かされない。そういう意味で、ほんまもんのコンサルは、この部分を深く掘り下げるのだ、とよくわかる一冊だった。(もちろん、そこまでしてくれるコンサルは相当の「代金」をおとりになるのだけれど

そういう風に考えると、研究にもダイレクトに当てはまってくる。現状が問題です、という報告は、今日の学会発表を聞いていても山ほどある。だが、なにが「あるべき姿」との落差として問題か、という枠組み、「大きな地図の中での位置づけ」が見えないから、面白くないのだ。逆に言うと、これが出来れば、説得力があるし、何より現場の皆さんに納得してもらえる話になる。今日の学会発表はうまくいかなかったかもしれないが、少なくとも金曜の現場での発表は、この部分を注意して、支援者の語りの中から、この現場が今考えている「あるべき姿」の拡大の模様を描き出し、その拡大された「あるべき姿」と以前のままの職員組織・運営システムという現状との「問題点」を整理して、「あるべき姿」を変えたくないのなら、職員組織・運営システムを変えないと、ミッションは達成できない、という整理をさせて頂いた。すると、お説教ではなく、一応evidence basedなので、現場の皆さんも、前回の整理より耳を傾けてくださる。この部分で、多少は今回成功したかもしれない。

そうやって成功に気をよくしてしまい、金曜は現場で、土曜は友人と、連日深酒をしてしまい、酩酊気味でホテル京阪京橋まで舞い戻った。最近ここが大阪出張の定宿になっているのは、もちろん京橋駅からすぐ、というアクセスの良さもあるが、ホテルの下にあるフィットネスクラブの利用券とセットプランがあるから。今日は朝一から学会発表で無理だったので、二回分(二泊分)をこなすために、金曜は早めに大阪入りし、現場に行く前に汗を流し、土曜は学会に行く前に脂を出した。だが、昨日はグルメな旧友に美味しい焼き肉屋に連れて行ってもらったので、その努力は帳消し、というか、午後3時過ぎでもまだ二日酔いが残っているほど飲み過ぎたので、むしろ帳簿はマイナスだ。明日のミッションには、明後日から大学なので授業準備も泣きながらやる一方、ちゃんとジムにもいかねば、と決意表明をしたためてみた。

と、途中「ひかり」車内に場を移して書き続けたが、やはりちょっと乗り物酔いになりそう。列車は京都に着き、ここからぶっ飛ばし始めるので、そろそろ今日はこの辺で。気持ちわるー。

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後日談。単なる二日酔い、だけでなく、暑気あたりと夏バテのトリプルパンチだったようです。でも、身体が軽くなって運動もしているからか、何とか半日の休養で乗り切れました。今日から大学。でも、夏休みの宿題はまだ残っているし。小学生から変わらないなぁ。

勧善懲悪はやめませんか?

 

何だか昨夜、寝る前にふと気になったこと。

和泉某とかいう、その昔ワイドショーを賑わせた狂言師の話題が朝のテレビで流れていた。スポーツ紙が「離婚騒動」を報じたので、マスコミ各社が彼を追いかけた。そんな事実はありません、と否定する和泉某氏や彼の母親に対して、「なんでこういう騒動になったと思いますか?」と食い下がるマスコミ。「それはわかりません」的なことを、母親が答えていた

この中で気になるのは、「なんでこういう騒動になったと思いますか?」というマスコミの聞き方である。この質問は、「こういう騒動になった原因は個人のあなたにあるに決まっている」という断定に基づいて、「どうして騒動になったか総括せよ」と迫っている、と思えるのだ。「わからない」「知らない」と答えても、「事実関係を否定した」、と整理できるし、「それはマスコミが勝手に騒いだからだ」と答えると、「マスコミに責任転嫁した」と言える。つまり、どう答えても、「離婚騒動」報道そのものの誤報性について全く検証されず(というよりそれを所与の事実として)、その報道と向き合わない個人和泉某が悪い、という伏流するメッセージを倍加させるだけなのだ。ゲームのルールはマスコミが最初から決めている。何だかこれって極めて分かりやすいワンサイド・ゲーム。またの名を、集団いじめ、って言うのではないのだろうか。

私はこのブログで、自身の偏狭な視野の問題を時折考えてきた。「○○は悪い」と責め立てる時、その背景にある「私は悪くない」という“You’re wrong, I’m right!”の語法の独善性について、だ。この他責的語法は、つまりは無責任な論理そのものである。その昔、テレビが大好きで、小学校の夏休みなど12時間近くも見ていたタケバタは、無批判にその枠組みを受け入れてしまっていた。もちろん、だからテレビが悪い、なんていうと、その論理そのものに取り込まれてしまう。責任は、それ以外の考え方を知ろうとしなかった私自身にある。だから、30も超して、ようやくその偏狭な視野という枠組みそのものと向き合い始めているのだ。

この偏狭な視野って、勧善懲悪的視点、とも言える。悪い奴は見た目はどうであれ悪いに決まっていて、嘘を言い、とんでもない奴として描かれる。そういう奴がどんな言い訳を言っても、「こいつは悪い」というメッセージが倍加されるだけなので、決してそれ以外の選択肢を見ているものが選ぶことはない。時代劇なら「お話」の空間であり、面白かった、で済まされるが、ワイドショーだけでなく報道番組も、最近とみに「お話」化しているような気がする。今更言うのも何だけど、大衆迎合的で一面的で平板な「わかりやすさ」ではない、「わかりやすい」報道もあるはずだ。事実を丹念に調べて、整理した上で「わかりやすく」報じる事も可能だと思う。でも時間がない、視聴者はそこまで求めていない、という言い訳を用意して、マスコミはどんどん勧善懲悪的視点に特化している。そして、その薄っぺらさに気づいた視聴者は、飽き飽きしてテレビの前から立ち去り、残ったお客様の為にどんどんその薄さに拍車をかけたマスコミに、ますます薄っぺらさを感じた読者は(以下、くり返し)。

どこの新聞社でも放送局でも良い。「うちはそういうチキンレースには加わらない」と言ってくれるメディアがいたら、と思う。広告収入の事を考えたら、新聞・TVは期待薄で、せいぜい週刊誌レベルかなぁ。今のメディアは「視聴者は馬鹿だから(そしてマスコミの俺らはそうではないから)」という前提に囲い込まれているような気もする。もう少し、視聴者を信用してくれてもいいし、その前に、まず他人を批判する前に、ご自身のスタンスにこそ、「批判的」な視点を持って貰えれば、と思うのだけれどでも競争率の高いマスコミに入る人ほど、その枠組みを無批判に受け入れないと、やっていけないのだろうか。少なくとも僕は、そんなチキンレースに加わらない週刊誌があれば、年間購読料を支払って読んでも良い。もちろん、無批判に信じる訳ではないけれど。

暑気あたり?

 

昨日は何だか疲れがどっと出てしまった。

大阪から帰った翌日は大学でドタバタ働き、土曜日がソーシャルワーカーの皆さんへの「半日研修」。午前中は家で締め切り目前の仕事をパタパタ打ち込んでいて、昼過ぎに現場に着いたのだが、暑いせいか妙に汗がダラダラでる。身体もだるい。そう言えば、朝からお腹がすこしゆるい状態だった。でも、何か食べないとエネルギーが沸かないので、現場の近所の定食屋で黒酢あんかけ定食を食べながら、資料を読み込もうとする。おかしい、全く頭に入ってこない。むむむ、疲れているんだろうなぁ、と諦めて、少しフラフラしながら現場へ。その時点では、講演を始めたら何とか持ち直すだろう、と高をくくってた。

実はたまーにしんどくて、しゃべり出す前にテンションが低い時もある。だが、口から出任せ男の真骨頂!?、しゃべりはじめれば、勢いが付いてきて、しゃべり終わる頃にはすっかり快復、ってなことも少なからずある。だから、今回もそのモードなのかしら、と思ったら、さにあらず。講演でしゃべりはじめても、滑舌が悪い。舌がまわらない。最後まで言い切れない。一応前の日にパワーポイントでストーリーを作っておいたので、何とか話をつなげていけるが、いつもの講演のように、話しながら枝葉をつけていく、という事がうまく行かない。だいたい講演原稿なんて作ったことはなくて、しゃべりながらキーワードを思いつき、あちこち寄り道しながら筋を練っていく、というのが僕のパターンなのだが、頭に靄がかかっているようで、全然筋が見えてこない。こうなると、パワポで作った筋に必死にしがみつくしかない。急に視野狭窄になったようで、脂汗も出てくるけど、とにかく時間通りの講演時間で内容は話し終えて、休憩に入った瞬間、主催者の方に伺ってみた。

「何だか支離滅裂なことを話していませんでしたか?」
「いえ、いつものようによどみなくお話しでしたよ。でも、あまりに水も飲まれないので、大丈夫かなぁ、と思いながらみていましたけど」

あ、そういえば、水分を取っていない。その日は夏が再来したように、暑くなっていた。もしかしたら、暑気あたりなのかもしれない。急いで残りのお茶を飲んで、自販機にもう一本水を買いに行って、ガブガブ飲んでみる。まだフラフラは残るけど、少しすっとしてきた。

そして、演習を終え、発表後の講評時には、何とかいつものタケバタに戻る。論点整理と最初の話との接点、それから最後に持って帰って頂きたいことを数珠繋ぎして、まとめをすることが出来た。この部分こそ臨機応変力が試されるので、靄がかかっていては、それこそ支離滅裂になる。何とか復帰出来ていたので、事なきを得て、とにかくほっと一息。せっかく夕食会の席にお招き頂いたが、すいませんと謝って家に帰る。パートナーから、日程管理の甘さを指摘される。まさに、その通りなので、深く反省。それにしても、講演時にあんなに言葉が出てこない、というのは、まるで辞任直前の安部首相と同じようだ。

週末朝のニュースバラエティー?番組では、「安部首相は無責任」という論調で一致していた。確かにそうも言えるが、でも、体調不良や入院の話を聞くにつけ、「ごく普通の人だったんだよな」と思う。他人にそそのかされたら「増長する」「有頂天になる」。プライドが高いから「高楊枝」の振りをするけど、ほんとのところ悪口を言われたら「めっちゃ傷つく」。思い通りに事が運ばなくて「地団駄を踏む」「腸煮えくりかえる」。こういった事が同時多発的に重なると、「にっちもさっちもいかなくなる」。そう、僕も含めた普通の人が踏むプロセスを、首相というポジションの安部氏が普通に踏んだ結果、耐えきれなくて辞任を選んだ、そんな「普通の人」だったんだな、と思うのだ。

ボタンの掛け違えは、「普通の人」が「普通でない職」についた後も、「一皮むける」ことが出来なかったこと。その理由は「お友達内閣」にあるのか、「派閥の冷ややかな領袖」にあるのか、ご自身の「能力の限界」にあるのか、あるいは何らかの陰謀なのか、わからない。でも、「普通ならざる」ポストについて、「豹変」しなければ耐えきれない職責を、「普通の人」のまま1年過ごしてしまったから、ストレスも溜まるし、喉も通らないのだ。そういう意味では、安部さんにはある意味「お気の毒様」、である。ただ、そういう「普通の人」を日本国のコントロールタワーの最高司令官に据えてしまった私たち自身も「お気の毒様」であることには変わりないのだが。

少しここしばらく働きすぎて、僕自身も「普通」に「くたびれた」ので、「普通の休暇」を今日はのんびり過ごそうと思う。でも、後一週間の夏休み期間で、授業準備に学会の準備、もう一つ発表にと考え出したら、「普通」に「とほほ」なのだけれど。

外堀を埋める

 

久しぶりに雨の甲府の朝である。
先週は台風がかすめたようだが、そのころは韓国にいた。我が家の植木や物干し竿がそのままだったので心配だったのだが、何もひっくり返っておらず、とりあえず一安心。しそもバジルも心なしか以前より元気だったりするから不思議。ただ、日月と合宿で訪れた旧大和村で伺うと、台風で国道20号が止まり、孤立状態になった、とか。山梨でも他にも山村での爪痕が残っているようだ。今日も結構な雨、これから身延線に乗るが、降水量が一定規模を超えると止まってしまう。電車が止まらないか心配だ。

そう、8日ぶりにこのブログを書くのだが、この間火曜から土曜まで韓国に行き、日月はゼミ合宿で、火曜日は半日みっちり県の仕事、そして今日明日と大阪出張と何ともなぁ、というスケジュールなのである。もちろんそれを組んだのは自分なので自業自得なのだが、相変わらずドタバタ続き。口いっぱいに食べ物をほおばるわがまま坊やのような、欲張り日程である。

実はゼミ合宿は、僕自身も生まれて初めて。大学時代、院生時代通じてほぼ師と1:1が原則だったので、多人数で合宿する、それに教員も合同で、というのは、殆ど経験がない。院の講座全体の合宿に1,2度参加したが、あれは50名規模だったので、それとは何か違うような気がする。公務員試験直前の4年生1人は欠席したが、あとの4年生と3年生の合計7名と僕で、車二台に分かれて大学から出発。途中で酒とおつまみをわんさか買って、30分ほど走ると、山間の「自然学校」に到着。会議室を借りて、最初はアイスブレーク的なおしゃべりをした後、各人の夏休みの課題についての発表に移る。ゼミで1時間半という時間しかないとどうしても時間を気にして内容を掘り下げられないのだが、ここでは時間がたっぷりある。一人に1時間弱かけて、みんなでコメントをしながら、ひとり一人の研究テーマについて考えていく過程は意義深い。結局一日目は3時間、二日目は4時間ほどみっちり議論をした。ゼミ4回分くらいだ。ゼミ生はもちろんクタクタ。

ただ、当然その間に、バーベキューもし、お風呂にも入り、ご歓談タイムといった「お楽しみ」も設定する。これも当然のことだが、学生さん達はそのお楽しみタイムは大いに盛り上がる。一方、当方は韓国の疲れがどっと出て、バーベキュー直後から意識がもうろうとする。学生によれば宿泊棟の玄関先の椅子で寝ていたそうだが、まあ貸し切り状態なので、それもご愛敬。その後また飲んでいたが、11時過ぎには早々に退散。翌朝までバッチリ寝たので疲れが取れたが、学生さん達は3時半とか4時半までしゃべっていたので、青春モードだなぁ、と親父発言もしてみたくなる。しかし、宿泊棟を朝の9時には明け渡さなければならないので、9時に全員着替えて、そこから4時間みっちりお勉強。朝ご飯を食べながら、も最初のプレゼンをしてもらうのだから、少しタイトなスケジュール。学生さんには多少は過酷な経験だったかもしれないが、まあこれも「一夏の思いで」になるのだろう。良い場所だったので、来年も活用させて頂くつもりだ。

合宿の教育学的な効果は何か、というと、やってみて思うのは、大学という日常空間を離れた異空間で、ゼミ生同士が普段持っている鎧を解いて、本音でより深く議論が出来る、ということ。あと、まとまった時間がある、ということは、うまくモデレート出来れば、共有できる価値や知識、枠組みを掘り下げて考える事が出来る。タケバタゼミでは個々人の課題を掘り下げてもらっているのだが、今年のゼミ生達のテーマは育児休業、中途障害者、スポーツNPO、不登校、自閉症、高齢者福祉、男性の育児と実に多岐にわたる。でも、合宿で整理する中で、「外から中へ」「中から外へ」という二タイプに分類できる事がわかってきた。

既に自分が経験した事がある(現に活動している)個々人の具体的内容があり、それをより普遍的・客観的に他人に伝えるために、様々な文献を読みながら「言葉を探す・知る・持つ」ことがメインの「中から外へ」のタイプ。逆にこのテーマに関心がある、という抽象的な(漠然とした)思いからスタートし、具体的事実と文献や本を通じて出会って特定のテーマで固有の経験をしようとする「外から中へ」のタイプ。どちらにしても、その往復が必要なのだが、そんな風に分類できる、という風にまとめると、彼ら彼女らにもその概要がよくわかったようだ。

「言葉を探す・知る・持つ」とは何か? 
自分の経験、というのは相対化しないと往々にして独善的になる。不登校の経験がある学生さんには、とりあえず大学で借りれる関連書籍を全部読んでごらん、と夏休み前に伝えておいた。37冊のうち10冊を読んで発表に臨んでくれたが、10冊分あるだけで、彼の語りは俄然変わってくる。以前は「俺の経験では」「俺はこう思う」というのしかなかったのだが、それに他人の視点・切り口・論理が入ると、「それと俺の視点はどう違うのか」という、「○○ではない何か」の外堀をドンドン埋め始めることが可能になる。すると「俺は」という言語でしか話せない時には他人にはわかりにくかった、彼の言いたい経験の輪郭が、おぼろげながら見えてくる。ひとたび「俺は」以外の他人のロジックや言葉を「探」す作業をするなかで、自分とは異なるスタンスを「知る」。すると、「○○ではない(=非A)」という形で、結果的に言いたいAの本質に一歩近づく言葉を「持つ」ことが出来るのである。すると、その発表は俄然光を帯びてくる。こういうキラリと光る佳き深化に遭遇すると、俄然、こちらも元気になってくる。

というわけで、せっかく韓国では久しぶりに英語漬けになっていたのだが、日本に帰って早速日本語漬けになったので、モードがすっかり日常モードに切り替わってしまった。権利条約関連の内容は、そろそろ大阪に行く準備をしなければならないので、また今度!?

「まだない何か」の模索

 

久しぶりに朝4時頃、目覚める。
ようやく懸案の論文を昨晩脱稿したことで、少し気が高ぶっているようだ。いや、カラスがかぁかぁうるさいから、というのが、本当のところかもしれないが・・・。

去年の夏にとある学会に投稿し、正月にボツとして帰ってきた論文を、バラバラにひもといて、データを入れ直して、新たに綴じ直す、という作業。結構な難産だったので、感激も一塩。前の枠組みを崩して、問題点を整理して、足りない部分を調べ直して、新たな枠組みを作り直す。慣れないカリフォルニア州の精神保健政策のことでその枠組みの再構築をしていたものだから、非常に骨が折れる仕事だった。どこまで探っても、情報公開大国ゆえにざっくざくと資料は出てくる。だが、肝心の決め手となる骨格は、資料を探るほど見えにくい。そう、自分の頭でみっちりと考えて枠組みを作ろうとしない限り、情報の海に溺れるだけ、となるのだ。

「下手な研究者は無駄に情報ばかりを求める」

恩師の言葉を、同じ師のもとで学んだ友人からのメールで久しぶりに思い出す。「無駄に情報ばかり求め」て、自分の頭で考えないから、何が何だかわからない「右から左」論文になるのだ。事実の整理、にも、一定程度の編集がいる。その際、何を捨てて、どういう方向で、どういう意図を持った整理なのか、という主体的編集が出来るか否か、で文章の性質が全く変わってくるのだ。そういう意味では、前回ボツになった原稿を、一字一字打ち直しながら7割以上書き直したのが、多少は功を奏したのかもしれない。再編集するなかで、前回の論文がいかに情報の交通整理が出来ていない代物か、「こんだけ勉強したから認めてよ」的な、夏休みの宿題やっつけ仕事的論文であったか、を思い知る。情報に流されて、自分が主体的に編み込む、ということが出来なかったのだ。そりゃあ、読まされる査読者も苦痛でしょうね。だから、C評価をつけられた方には、厳しいお言葉が書き連ねてあったのだ。だが、そのお陰でどういう論点が足りないのか、を身にしみるほど感じられたので、これにも感謝しなければ。ま、もちろんぬか喜びは禁物で、査読者からのリプライが来て、初めて判断できるのだが。

さて、これで何とか予定通り「8月の宿題」に区切りをつける。だが、まだ大学の夏休みも残っているが、「宿題」だってたんまり溜まっている。大学の教科書用の原稿に、紀要に書こうと思う支援者組織の論文、あと調査と言えば今週は韓国で障害者団体の世界大会のお勉強に出かけ、来週は科研の調査で大阪へ。再来週ってそう言えば学会発表をするんだっけ、と想いながらカレンダーを眺めると、その次の週から、うえっ、大学は再開される。その間も県の仕事も入っているし、大学の業務関連の宿題も全く手がついてない。さらには後期の授業準備も考えると・・・。とてもとても、「休み」とは言えない。まあせめてもの慰めは、明日以後の韓国で美味しいモノを食べまくることだろうか。

今回の韓国では、昨年暮れに成立した「障害者の権利条約」を受けて、各国で、国際的に、どのような取り組みが進んでいて、何が課題になっているのか、が議論される。2004年の夏にニューヨークの国連本部で特別委員会の議論を垣間見て以来、ちょっとずつ囓っているが、まだきちんと理解しきっていない。昨年春にバンコクでアジアの障害当事者代表による会議を傍聴する機会もあったが、そう言う場で議論を聴くたび、「charity basedからrights basedへ」という言葉に心揺さぶられる。恥ずかしながら、rights based(権利に基づくアプローチ)とういものを初めて知ったのも、ニューヨークに行った時のこと。気になって、国連本部の地下にある国連ショップの本屋さんで“Human Rights Approach to Development Programming”というUNICEFの本を買ってみて、帰りの飛行機で辞書を引き引き読み進めていったのが、最初の出会い。国際協力系では慈善に基づく(つまり上下関係になりやすい)援助から、被援助者のエンパワメントを促す支援を行うにはどうすればいいか、が大きな議論の争点となっていたのだ。ここから、「そういえば僕が所属していた大学院には、そういうことを研究している人がいたよなぁ」と記憶とご縁をたどっていくと、灯台もと暗し、そういう研究をしていた仲間がぎょうさんおったんです。で、何人かの国際協力論の仲間との交流も、そこから始まったりした。

こうやって考えると、改めて、自身の視野の狭さが問われてくる。大学院に入学した時、「自分は日本の障害者福祉のことをやるので、国際協力論なんてあんまり関係がないかも」と不遜にも思っていた。でも、NYの国連本部の本屋で買った一冊の本を読むうちに、「どうやらright basedでつながっているかも」と気付き始めた。で、気づいてみると、パウロ・フレイレのようなルーツにたどり着く。これは前に「その1」「その2」と書いた後息切れしたが、障害者政策の研究会で読んでも充分に新鮮で、内容の濃い名著だ。入所施設や精神病院にいる障害者を「能力のない人」とみるか、「抑圧されている人」とみるか、で、その後の支援は全く方向性が違ってくる。どういうパラダイムで政策を眺めるか、で、実現すべき政策内容も全く違ってくるのだ。

で、自立支援法でも一応「地域移行」「地域での相談支援体制の整備」と言っている。問題が多いこの法律ですら、慈善から権利ベースに、形は変わりつつあるのだ。問題は、表面的形式に変容があっても、内実が変わらなかったら意味がない、ということ。そのあたりを突き詰めるために、この権利条約という外圧がてこにならないか、を模索している人々も少なくない。僕もその視点で、韓国で権利擁護についての学びを深めてこよう、と思っている。そう考えたら、しまった、予習すべき本も溜まっていたんだ・・・。

書き直した論文にしても、権利条約のことにしても、情報の海に溺れるか、自分が主体的に枠組みを作り直すか、で、その深さや拡がりが変わってくる。虹が何色に見えるか、の逸話ではないが、自分が主体的に編み込めば、2色が7色にも見えるのだ。で、もっといえば、その編み込みが進むほど、彩りが鮮やかになり、深みを帯びてくる。「これはこうでしかない」と限定づけることは、単純化ではあるのだが、固着的で、一番深みがない。「これはあれにも使えるかもしれないなぁ」「あれはそれにもつながっているかも」と、ブリコラージュ的に、あるものを駆使して、「まだない何か」を主体的に構築する能力が僕にはまだ欠けている一方で、それが出来るブリコロールに強く憧れていることは確か。今できることは、目の前にある課題とどう格闘するか。その中からどう「まだない何か」を模索・構築出来るか、だ。アメリカの精神保健政策も、権利条約も、その部分で自身が模索する「まだない何か」の一部のはず。さて、ここからどう転んでいくのだろうか。

あ、気が付いたらもう6時。ぼやぼやしていたら、仕事に出る時間。そろそろ渡航準備に戻ります。