しみこむ経験と言葉

 

『僕に必要だったのは自分というものを確立するための時間であり、経験であったんだ。それは何もとくべつな経験である必要はないんだ。それはごく普通の経験でかまわないんだ。でもそれは自分のからだにしっかりとしみこんでいく経験でなくてはならないんだ。学生だったころ、僕は何かを書きたかったのだけれど、何を書けばよいのかわからなかった。何を書けばよいのかを発見するために、僕には七年という歳月とハード・ワークが必要だったんだよ、たぶん』(村上春樹「やがて哀しき外国語」講談社、p215-6)

たまに、村上春樹を切実に読みたくなる時期が来る。最初は院生になったころ、だっけ。その後、三,四回くらい通読しただろうか。ある時期、身も心もズタズタの時期にどうしても読みたくなって、彼の本に心からdisturbされてしまって、もう何にも手に付かなかった時期もある。本にかき乱される、ってこういうことだ、という見本のように、村上小説シリーズでイッてしまった。まあ、当時は大変ヘビーな事態が折り重なっていたことが直接の原因なんだけれど。で、これはいかん、と悪魔払いのように、彼の著作を全部捨ててしまったっけ。

でも、博論を書き終えた後、無性に読みたくなって、また西宮北口近辺のブックオフやら古書店で、せっせこ全てを買いそろえたのだから、変な話。ことほど左様に、自分のギアチェンジの時期、というか、自分のスタンスに違和感を感じる時に、村上春樹ワールドにどっぷりはまりたくなる。彼の小説には井戸がよく出てくるのだけれど、そういう「一人で深く掘り下げる」という沈思黙考モードを、彼の小説を通じて体感しているのかもしれない。この「掘り下げる」作業がクリアで、かつ自分も憑依しやすい形が組まれているから、彼の小説は言語を超え、海外でも評価されているのだろう。よく村上春樹の文体は翻訳体に近い、というが、何語で書かれても落ちるような、ある共通のメタ言語がそこに在るような気がする。こういう「井戸掘り」話こそ、世界の深奥にダイレクトに直結しているのかもしれない。

で、彼の小説と同じくらい好きな、エッセー集の数々。本当は、彼がヨーロッパ滞在中に書き上げた「遠い太鼓」が一番好きなのだけれど、今回はアメリカ在住時に書かれた「やがて哀しき・・・」を第五期?村上ワールドへの入り口に手に取る。知っているはずのストーリーなのに、新たな発見が今回も多い。その中で、今一番困っていることにダイレクトにつながっていることを、冒頭に引用してみた。

アメリカの大学で、日本文学を専攻する大学院生達へのレクチャーの際、学生達に尋ねられた質問に答えている部分。「自分というものを確立するための時間であり、経験」という箇所が、今の自分の現前にある問いに、ピッタリ来た。どうしてこうもしっくり文章が書けないのか、で悩んでいたのだが、そう、まだ「時間」「経験」が足りないのだ。そう思うと、くだらない肩肘を張らずにすむ、と少し楽になる。

この夏、またもやある論文を仕上げるべく格闘する中で、一番困ったこと。それは、「何かを書きたかったのだけれど、何を書けばよいのかわからなかった。」ということ。がむしゃらに書いて、査読でボツになった原稿。価値がないのか、表現が下手なのか、勉強不足なのか、その三つが重なるとして、どこからどう改善していけばいいのか、全く暗中模索、だった。でも、不思議なモノで、目の前が開けるためには、「自分のからだにしっかりとしみこんでいく経験」が必要だったのだ。僕にとっては、それは山梨でのフィールドワークの日々。特に、今年になってからの特別アドバイザーの仕事は大きい。「歳月とハード・ワークが必要だった」というほど、歳月は経っていないが、ある意味で、ハード・ワークに身をさらされている。ストレスも緊張感もない、といえば、嘘になる。でも、こういう日々のダイレクトな仕事があるがゆえに、その中で、様々なリアリティが絵空事ではなく、「からだにしっかりとしみこんでいく経験」を重ねたゆえに、一定程度の「発見」が内発的に産まれてくる。

もちろん、また査読でボツになるかもしれない。でも、以前に比べ、自分の「発見」を格段に編集できた。事実を積み重ねるのは小説ではない論文の基礎だけれど、でもそこにリアリティに基づいた「からだにしっかりとしみこんでいく経験」を投影させていくと、各文章に深みが出てくる。もちろん、今回の書き直しでその深みが出たか、というと、アヤシイが、少なくとも、「自分というものを確立するための時間であり、経験」を積み重ねると、何となく現時点の材料で解決出来そうなことが、ほわんと浮かんでくる。その編集作業が、しんどいけれど、「わかる」につながる隘路なんだな、と思う八月最後の夜であった。

内容と形式

 

「考える人にとっても、考えない人にとっても、言葉は誰のものでもあり得ないという事実です。考えない人は、言葉は自分のものだと思っているから、『自分の言葉を持て』『自分の言葉で語れ』といったことを安直に言いますが、これは逆です。私に言わせれば、人は、『自分の言葉』を語ってはならない。言葉すなわち意味の不思議を自覚して、はじめて人は、相対的な自分を超えた、誰にでも正しい本当の言葉を獲得します。したがって、自分の言葉だと思って語られる言葉など、たんなる個人の意見ですから、そんなものをやたらに主張すべきではない。これは自分の言葉ではないと、自信をもって語れるようになるまでは、沈思しているのがいいのです。沈黙は大事です。」(池田晶子「自分の消滅」『暮らしの哲学』毎日新聞社所収、p71)

この2月に亡くなった、私が大好きな哲学の巫女、池田晶子氏のラストエッセイの一冊。彼女が亡くなった直後から、いずれ池田晶子氏について何か書こう、と思いながらも、なかなか契機がつかめないうちに日々が過ぎていった。で、ようやく夏休みモードでじっくり仕事が出来ている時期なので、ふと手に取った未読の一冊。氏の著作の殆どを読んでいるけど、これは一風変わったエッセイ。直感に基づいたロゴスの展開を直裁的にズバッと切り込んでいくスタイルの彼女の作品では、心象風景はたまに舞台裏として出てくるものの、ほとんど表に出ない、あくまでも「裏」側であった。でも、タイトルが指し示すように、「暮らし」に焦点を当てた作品として、心象風景が割と前面に出てくる作品。さらりと、でも深みもあるこのエッセイ集が絶筆になるなんて。もっと読みたい、と思わせる「暮らしのロゴス」な内容である。

で、一番興味が惹かれるのが、「誰にでも正しい本当の言葉」というくだり。沈黙が怖くて、沈思が苦手で、ついついベラベラしゃべってしまうタケバタは、相対的な自分に囚われた、視野狭窄の「主張」をまだしているんだろうな。そうではなくて、きちんと考え抜いた上で、自分の枠組みからも自由になった、「本当の言葉」を語りたい、心からそう思う。特に、学生を前にして、福祉現場で、私は自己主張に終始していないだろうが。与する相手に、きちんと心にまで届く、「誰にでも正しい本当の言葉」を語っているのだろうか。それが紡ぎ出せるように、自身が「沈思」出来ているのだろうか? このあたりが、悩ましい。で、希代の名哲人は、次のページにこんな恐ろしいことまで、さらりと書き付けている。

「なお厳しく言うと、普遍の真理を独自のスタイルで表現できないということは、じつはその真理は完全にその人のものとなってはいないのではないか。肉体となり血流となってはいないのではないか。文体は肉体、それこそが、その人であって他の人ではないことを示すその独自性だ。この世におけるその覚悟だ。だから文体を所有しない人は、思想家としても本物ではあり得ないはずだと、私は思っています。
 さっきは、内容を掴んだら、誰がそれを言ったかは関係ないと言いましたが、今度は逆、内容ではなく形式こそ命、文体が印象されなければ、何を言っても同じです。『何を言うか』ではなくて『どう言うか』。そうでなければ、文章を書く必要なんかないでしょう。」(同上、p72

「誰にでも正しい本当の言葉」ならば、内容については真に決まっている。すると、「その人」を「普遍の真理」が通過した証としての存在証明になるのが、「どう言うか」という「独自のスタイル」。自分が掴んだ、しかも自分の主張ではなく普遍的なロゴス。ただ、竹端某、などの固有の身体と精神を通過しているからこそ、きちんと咀嚼が出来、自分の「語り」として伝わる。そのための形式が大切であり、その形式を持てない間は、内容すら掴めていない、という厳しい指摘なのである。

そう、「正論だけどねぇ・・・」なんて言う時、その論ではなく、「どう言うか」の部分が全く受け入れられない形式なので、拒否されていることもある。福祉の分野では、わりとそういう「受け入れられない正論」が多い。そして、その背景には、「誰にでも正しい」普遍的真理の探索、というよりも、「あいつが間違い・悪い。(そして私は正しい)」という二項対立的、要求反対陳情的コミュニケーションがあるような気がする。こういう自身の中で完結した善悪の枠組みは、大変閉塞的であり、煮詰まってしまう。なんせ、みんなが「あいつが悪い」と責任をなすりつけあっていたら、全くコンセンサスなど生まれないからだ。

コンセンサス、つまりは積極的妥協、とは、そういう二項対立的是非論ではなくて、お互いが歩み寄れる、かつ「誰にでも正しい」言葉や実践にたどり着けるよう、お互いが一肌脱ぎながら、どう模索し、構築することなのではないか、そう感じている。この模索の際に大切なのは、どちらの方がより「正しいか」という内容についての討議・探索ではない。往々にして、どちらにも一定の理がある場合が多い。その理は尊重しつつ、「誰にでも正しい」言葉や実践という核心は残しつつ、両者が「どう歩み寄れるか」という形式の部分が大きな問題になる。その際、「肉体となり血流とな」った「形式」を駆使する中で、もしかしたら内容的な一致点(共通言語)は見出され、難局は超えられるのではないか。その共通言語の内容と形式こそ、「誰にでも正しい本当の言葉」への鍵だとも思っている。

確かにこういう模索や探索は、しんどいし、隘路を行く思いである。「あいつが悪い」となじっている方が、どれだけ楽か。でも、自分自身の中で咀嚼しきった「形式」で、誰にでも了解可能な「内容」(=誰にでも正しい本当の言葉)を伝える。これこそ、哲学の巫女が全著作を通じて私たちに教えてくれようとしたものではないか? 今になって、遅まきながら、ようやく気づいた。そして、私自身の仕事も、この隘路を突き進むための「内容」の探索であり「形式」の模索でないと、巫女のご宣託を全く「わかっていない」=「変わっていない」ということになるんだなぁ、と感じながら、読みふけっていた。

自戒

 

「タケバタって最近『増長』してるね」

大学一年か二年生の頃だったであろうか、バイト先の塾の教室長に言われたことがある。恥ずかしながら、その当時は「増長」の意味を知らなかったので、帰って辞書を引いてみた。そして、どっぷり沈んだ。
「増長=1 しだいに程度がはなはだしくなること。 2 しだいに高慢になること。つけあがること。」(大辞泉)
「高慢になっている」と指摘され、落ち込まない方がおかしい。しかも、それが「当たっていた」から、なおさらのことである。

当時は、バイト先で必死になって自分なりのスタイルを模索し、それがようやく見えてきた頃だった。教えていた学生達からも好評を得て、得意げになっていた。その塾の塾長が恩師の先生で、その人の背中を見て育った部分もあり、「塾長に教え方がそっくり」と言われると、得意げになったものだ。また、だからこそ、中間管理職の立場におられたその教室長に対して、自分が塾長であるかのような眼鏡をかけて見下ろし、驕り高ぶりの気持ちが出ていたせいであろう、「増長」、という言葉を指摘されたのである。

私には、「おだてられると図に乗る」、という性質がある。これは、例えば劣勢な情勢の時に、果敢に攻め込んでいく際の原動力になる。だが、一定の成果が出た時など、反転して「お調子者」となり、スキが出て、大失敗の原因にもなる。32年タケバタヒロシをやってきたので、そろそろこの機微は掴んできた。

その上で、何故このようなディスクロージャーをするのか。理由は簡単。今、多分「増長」しかかっている。「つけあがり」の機微があちこちに見え始めている。まだ「成果」など出ていないのに、「お調子者」になりかかっている。大きな枠組みでみれば「劣勢な情勢」には変わりないのに、情勢を読み間違えている自分がいる。アブナイ。

昔、母親に、「大人になったらしかってくれる人なんていいひんのよ」と言われたことを思い出す。
一定の立場を持つと、陰では言われているかもしれないが、面と向かって自身の問題点を指摘して貰えるチャンスがなくなってくる。もちろん、私だって立場ある方には、言わないし、言えない。逆もまた真なり、なだけだが、そうなれば、自分自身で気づくしかない。そう、アブナイのだ。自戒せねば。

お恥ずかしいディスクロージャーだが、胸に刻みつける為にも、負の情報開示、であった。

3泊4日1600キロ

 

このお盆の帰省ラッシュのど真ん中、標題にあるように、その渦中に飛び込んでしまった。

まあそれも仕方ない。この月曜日に5年ぶりに、母方の親戚一同が集うことになったのだ。前回の集いでは、私とパートナーの結婚を祝って集まってくださり、今回は別の親戚の結婚披露の会なので、何が何でも行かなければ。86歳になる祖母にも逢いたいし、お墓参りもしておかないと。

でも、何せ場所が島根県の山奥。甲府から広島まで新幹線でも飛行機でも6時間、そこから高速バスで1時間ちょっと揺られていくので、乗り換え時間も含めれば、計8時間半くらいかかるだろうか。鉄道なら一人往復5万円弱かかる。二人で10万円、というと、結構!な出費。ならば車で、と調べてみると、高速道路料金は往復で3万円。1600キロなので、50リッター入るアクセラ号なら、ガソリンを3回満タンにすればいけそうだ。これで大体2万円。すると、半額の魅力はやはり大きくて、車で出かけることにした。それに、「通常所要時間は9時間半」って書いてあったし。さて、実際は・・・

ご案内のように、皆さん同じ事を考えるから、「帰省ラッシュ」なるものが発生する。で、回避ができないのなら最小化したい、というのも、誰でも思いつく話。関ヶ原や滋賀県内の超渋滞ポイントを回避できないのなら、せめてそこを通るのを夜にしよう、と浅知恵で考える。よって、土曜の夜7時に甲府を出て、行きは関ヶ原から栗東まで地道で回避すると、なんとか6時間で実家の京都までたどり着く。偶然にも京都は甲府からも島根からも400キロ、という「中間地点」なので、そこでしっかり寝て、英気を養って、日曜日は松江まで出かける。ただ移動だけではつまらないので、魚料理と出雲大社への観光、という最低限の楽しみを設定したのだ。当然中国道の渋滞ポイントも、元京都人としては裏道を駆使して回避する。ここまでは、すごく浅知恵が大当たり、だった。

おかげで6時間ほどかけて、日曜日の夕方には京都から松江に到着。年間で一番宿が繁盛する時期なのに、1週間前までホテル予約も忘れていたので、当然殆どどこも空いていない。かろうじてネットで押さえられた宿は、二人で7000円。全く期待してはいなかったその格安のホテルなのだが、内装も人工温泉も非常に良く、すすめられた居酒屋の料理も非常に美味で、大満足であった。

で、翌月曜の朝にちょこっと出雲大社に「ご挨拶」に伺った後、地道で3時間走り続けてようやく祖母の実家にたどり着く。程なく大宴会のスタート。仕事柄、学生や福祉関係者としか会わない日々が続いているので、「親戚」という共通項のみでつながる皆さんとの再会は、実に新鮮だった。ごく「ふつう」の人々との会話を通じて、自分が視野狭窄に至っていることを痛感。夜は夜で、親戚のおじさんと、こないだのブログに書いた公共工事論について議論。「ひろっちゃんらは頭でそういうかもしれんし、確かに地方もこのままの公共工事ではダメだ、っちゅうことはわかっとるし、模索もしとる。でも、だからといって福祉に切り替えんさい、なんていうのは、田舎の実際としてはそがあに簡単なことではないけぇ」と、地元の建築業に関わるおじさんの一言は、重みがある。こういう重みとどう対峙するか、が問われるなぁ、と想いながら、ビールが進むこと、進むこと。

そして昨日の火曜朝には、あわただしく祖母宅にも別れを告げて、京都に向かう。6月に転倒したので本調子ではないそうだが、でも元気な様子の祖母に出会えたのが、実に嬉しかった。しかも、おみやげにありがたくも米を一袋、祖母特製の高菜漬けやらっきょう、梅干しまでもたんまり頂く。よーく浸かっていて、本当に美味しい。こういう美味しいものを頂けるなら、車の移動でも仕方ない。おまけに、京都まで全く道路は渋滞せず、すっと5時間ほどでたどり着いた。だが・・・難関は、最後に待っていた。京都で長めの午睡をして、名神に乗ったのが夜9時過ぎ。大垣で渋滞だから、と地道に降りたのが失敗だった。岐阜羽島を過ぎたあたりで、地道が全く動かなくなる。なんじゃこりゃ、と思っていたら、花火大会! しかも、終了後の渋滞なので、楽しみもなく、ただ道が混むばかり。ここを抜けるのに1時間以上かかり、身も心もグッタリ。その後、中央道のドライブもかなりしんどく、我が家にたどり着いたのが今日の朝2時半。最後の最後に、帰省ラッシュの醍醐味を心身共に味わい尽くしてしまうとは・・・。

なるほど、倍のお金を払うと、その分苦痛が半減されるのですね、と最後に実感。だが一方で、偶然立ち寄った蕎麦屋があたりだったり、祖母の手作りの味を持ち帰れたり、という役得もあった。ま、それならば、この苦痛も帳消しにできるかな、と思ってしまうから、また今度も車で行くのでしょうね。こうして、庶民的発想に基づく庶民的行動で、庶民的結論にいたり、結果は「民族大移動」の波にさらわれっぱなし、のお盆休みでありました。で、明日から二人とも仕事だし、ふう。

本当の謝罪とは

 

昨日は大学が停電、おまけにこの1週間、大学のサーバーは保守点検中のため、ネットが接続できない。よって一昨日などは、ネットにつながなくてもよい(むしろつながない方が良い)お仕事、すなわち採点業務に没頭する。200人分の出席と点数をエクセルでつけて、一定の基準で評価を割り出すと、あれまあ綺麗に分布した。結果として基準が間違いではなかったことが証明されて、一安心。でも、結構これをやるのは毎年の重労働で、一昨日も停電前の霜取りをしながら、クーラーをかけてパソコンの前で出席簿を整理しながら6,7時間格闘していると、肩がバッチリ凝ってくるのがわかる。

で、昨日はおうちで一日とある業務に関連した「インシデントレポート」の執筆。私が関わったとある調査でとんでもない失敗が起こってしまった。それを繰り返さない為に、何がどういう脈絡でケアレスミスの積み重なっていった結果、重大インシデントになったのか、を一日かけて整理する。関係者へのヒアリングは済んでいたものの、自分も含めた問題点を「反省」するレポートを書くのには、気力も体力も本当に必要だ。すごく大変だったが何とか原案を書き終えられたのも、次の本が指針となってくれたからだ。

「ある失敗を次の失敗の防止や成功の種に結びつけるには、失敗が起きるにいたった原因が経過などを正しく分析した上で知識化して、誰もが使える知識として第三者に情報伝達することが重要なポイントになります。他人の失敗のみならず、自分の失敗体験から何かを学ぶ時にもそのままいえることで、失敗情報を知識化することは、いわば『失敗学』の大きな柱の一つです。」(畑村洋太郎『失敗学のすすめ』講談社文庫、p92)

元はといえば、失敗の結果、大きな迷惑をかけてしまった相手の方に対して、責任者の一人として私自身が謝罪の電話を入れた時のこと。「直接お詫びに伺いたい」と申し出る私に対して、その相手の方は、「関わった関係者個々人がバラバラに謝罪にくるのではなく、きちんと組織的に総括してほしい」と言われた。「それは、今後同じようなミスを繰り返さないための総括と組織的対応ですか?」と聞いてみると、「それが必要だ」という相手の方の答え。怒り心頭のはずなのに、コミュニケーション回路を閉ざさず、きちんとこちらのすべき事を指し示してくださったのには、改めて相手の方に深い敬意を抱いた。と共に、そういうインシデントレポートをきっちりまとめることは、研究者として当該調査に関わった人間の、最低限の責務だと判断。だが、そういう分析をしたことがなかった私にとって、「失敗学」の提唱者の畑村さんの本は、本当に分かりやすく、すべきポイントが明晰に整理されている一冊だった。

「小さな失敗という水が貯められていく過程で放水という防止策を打てば、決壊などの問題が生じる心配はまったくありません。これを行わずに徐々に水を貯め込んでいくと、最も弱い部分にやがて小決壊が始まります。それでもなお放水を行わずに放置しておくと、ある閾値に到達したときについには大決壊が始まり、破滅に向かって一気に突っ走る、取り返しのつかない大失敗に成長してしまうのです。」(同上、p88)

そう、今回インシデントレポートを書く中で見えてきたのは、節目節目の防止策が打てる「はず」だった、ということだ。ただその手続きを踏まず、また「最も弱い部分にやがて小決壊」が生じた時に何の対応策も打たずに「放置してお」いた結果、「ある閾値」を超えて「大決壊が始まり、破滅に向かって一気に突っ走る」に至ったのである。その過程をつぶさに整理し、記述する中で見えてきたこと。それは、そういう「つもり」「はず」で集団的な仕事をすることの危険性と、責任体制が不明確であることの怖さ、であった。責任体制が不明確であった為、問題発生当初、インシデントの直接の引き金となった個人が責任感を感じ、まわりもその人の個人的ミス、と見ていた部分があったからだ。つまり、「決壊」原因が個人因子に矮小化され、組織的「防止策」の不全について、議論がなされてこなかったのである。

「一つの失敗の原因をたどっていくと、複雑な階層性が存在していることに気づきます。ここで注意しなければならないのは、階層の上にいる者は自分に責任がおよぶことを恐れて、失敗の責任を下の者に転嫁することがよくあるということです。最近頻発している医療ミス問題でも、病院側が管理の不備、経営の問題を認めず、一看護婦のミスとして問題を処理しようとするケースをしばしば見かけます。階層性に存在するこうした問題を理解しないことには、やはり真の原因が見えてこないのがまさに失敗の持つ特性のひとつなのです。」(同上、p65)

今回のインシデントでは、上司にあたるポジションの人々のサボタージュや責任転嫁はなかった。だが、直接の引き金になった個人が、「問題の責任は全て私にあります」という善意志を持つ人であったばっかりに、抱え込んでしまい、そこから組織に情報が流れず、インシデント発生後の対応が後手にまわってしまう、という悪循環に陥っていた。「一つの失敗の原因をたどっていくと、複雑な階層性が存在している」にも関わらず、失敗を犯した個人がそれを自責の念から一人でせき止めてしまうと、「小決壊」の根本的解決にいたらず、「閾値に到達し」「大決壊」へとつながってしまう。本来すべき「複雑な階層性」に潜む問題の根元的部分まで検討されないから、結果として「次の失敗の防止や成功の種に結びつける」ことが出来ないのだ。すると、また同じ問題を繰り返す事になりかねない。このような「人災」を防ぐために、畑村氏は次のような提案をしている。

「失敗を知識化するための出発点となる『記述』は、文字どおり失敗経験を記述するという意味です。このとき、『事象』、『経過』、『原因(推定原因)』、『対処』、『総括』などの項目毎に書き表すと、問題が整理されて失敗の中身もクリアになります。(中略)記述した失敗除法は、次に『記録』をしなければなりません。前者は当事者の覚え書き程度のものでも構いませんが、それらをデータとして利用しやすいように整理する作業が『記録』です。失敗情報を手軽に使える知識にするには、必要に応じてすぐに検索できるように工夫をすることも必要です。」(同上、p117)

この畑村氏の整理に基づいて、「記述」された資料も用いながら「記録」を作成しようとしたので、しんどかったが、何とかレポートを書き上げることが出来た。畑村氏が言うように、「、『事象』、『経過』、『原因(推定原因)』、『対処』、『総括』などの項目毎に書き表すと、問題が整理されて失敗の中身もクリアにな」るのだ。ゆえに、組織として同様のケースに臨む際には今後どうすべきか、という提言も、クリアになった失敗の中身に添って構築すると、evidence-basedな(証拠に基づく)説得力のある提言が組み立てられる。おかげで、冷静にレポートを書くことが出来た。

失敗は注意していたって、多忙や偶然の重なりの結果、誰の身にも起こりうる。まだ大学院生だった頃、私が直接の引き金になり、何人かの人を巻き込み、ご迷惑をかけた「重大インシデント」を発生させたことがある。その際、私は畑村氏が描く次のような状態だった。

「失敗した本人にしても『どんな失敗でも悪』という凝り固まった考えから抜け出せず、実際にミスから事故やトラブルを起こしたときには、現実を直視できないほどにパニックに陥ったり、落胆したりすることがあります。平常心を失ったそんな状態では、失敗情報を正しく記述し、分析・検討して知識化する作業などできるはずがありません。」(同上、p131-2)

そう、問題発生時には、まさに私自身が「現実を直視できないほどにパニックに陥った」のであった。私に怒りをあらわにした相手に対して、「平常心を失った」私は、ひたすらごめんなさいと謝り倒していた。だが、相手の怒りは収まるどころか深化し、ついに全く無視されるに至った。私自身、一種のPTSD状態に陥り、相手の車を見るだけでその現場から逃げてしまう日々が続いていた。「申し訳ない事をした」という思いと、「確かに私も悪いが、なぜ謝っても許してもらえないのか」という思いがない交ぜになり、個人的に相手を恨む、という、生まれて初めてに近い経験もした。

だが、今から思えば、私自身が「『どんな失敗でも悪』という凝り固まった考え」に固着していたのが、事態を悪化させた理由にあると考える。「一つの失敗の原因をたどっていくと、複雑な階層性が存在している」はずなのに、私は「一つの失敗の原因」をずっと私の無限責任と考え、地獄のような悪循環回路に陥っていたのだ。そうではなく、構造的要因である「失敗情報を正しく記述し、分析・検討して知識化」する「平常心」を意識的に保つことが出来れば、あのような結末に至らず、もっと事態が打開していたかもしれない、と悔やまれる。

本当に悪い、すまない、と思う時、謝罪の気持ちを持つのは勿論大切だ。だが、それを再発防止に向けた努力につなげない限り、真の意味での謝罪にはならない、と私自身は考える。ごめんなさい、ごめんなさい、とひたすら子犬のように眼をウルウルさせて許しを請うたところで、インシデントの本質をつかみ取らない表層的な「謝り倒しモード」は、問題を矮小化させるだけで、余計相手との関係を悪化させる可能性もある。7年前に親しくさせて頂いた方とは、残念ながら未だに絶交状態にされてしまっているが、今回の対象者には同じ失敗を繰り返したくない。本当の謝罪とは、二度と問題を繰り返さないように個人・組織としての再発防止策を徹底的に構築することを通じて、つまり実践を通して個人・組織が「変わる」ことでしかあり得ない。そういう想いが、一日パソコンに向かって再発防止策を練り上げる気持ちを支えていた。

どっちにも向けない事態

 

甲府は梅雨が明け、いよいよ夏日が続いている。我が家は鉄筋コンクリート住宅最上階(といっても3階)ゆえ、めちゃくちゃ暑い。しかも、窓が北と東にしかないので、風通しもあまりよくない。夜、外は涼しくとも、部屋は30度以上、むんむんしているので、あまり望ましくはないけど、クーラーなしにはやってられない。部屋を閉め切ってクーラーをつけっぱなしで寝ると、熟眠感がないばかりか、どうも朝の目覚めが悪い。クーラーをかけない時期は5時半とかに起きていたのだが、もう最近は毎日7時過ぎ。ただ、夏バテしたくないので、まあしゃあないか、とも思う。

ようやく夏休み期間なので、色々溜まっていた仕事を片づけていく。と同時に、今週はこってりジムに通う。月曜日はマシンで、昨日と今日はプールでこってり汗を流す。おかげさまで今、76キロをたまに切る時も。しっかり食べてはいるので、だいぶ体重減が馴染んできたようだ。で、月曜日にルンルンマシンで運動しながら、の、「ながら読書」のお供に持って行った本に、唸りながら運動していた。

「新保守主義政権のもとで、市場主義にもとづく諸施策が矢継ぎ早に講じられた結果、『市場の力』が暴力と化し、社会的弱者をしいたげる傾きが際立ちはじめた。それらに対して、欧州諸国の選挙民はいっせいに『ノー』といったがために、中道左派政権の登場が相次いだのである。暴力と化した『市場の力』の犠牲となった弱者みずからが『ノー』とさけんだのはむろんのこと、ノーブレス・オブリージュ(貴族など高い身分の者にはそれに相応する重い責任・義務があるとする考え方)をわきまえる欧州諸国の中産階級の多数派もまた、おなじく『ノー』といったのである。」(佐和隆光『市場主義の終焉』岩波新書、p24)

すでに皆さんもお気づきの通り、これは我が国の先般の参議院選挙の結果の整理としても、充分通用する。民主党が中道左派といえるか、「ノーブレス・オブリージュ」の精神を我が国の中産階級が持っているかどうか、という2点は議論が分かれるところだが、「『市場の力』が暴力と化し」た、と多くの選挙民が実感し、「いっせいに『ノー』といった」が為に、自民党が歴史的惨敗なる事態に追い込まれた。以上は、ここ10日ほどのマスコミの論調と同じで、何ら目新しい筋書きではない。ただ、この本が書かれた年度が注目に値する。欧米で中道左派政権が次々に誕生したのが、98年から2000年にかけて。そして、この本は2000年10月に刊行された。ヨーロッパで10年前に起きていたことに、今強い類似性がある、という事が何を意味するのか、が実に気になった。さらに、気になったのが次の部分。

「市場主義者、ないし保守主義者が、失業者をはじめとする社会的・経済的弱者を路頭に迷わせよ、といっているわけではむろんない。セーフティ・ネット(安全網)としての福祉制度導入の必要性は、たとえそれが必要悪であるにせよ、彼らも認めるにやぶさかではない。しかし、セーフティ・ネットという言葉から読みとれるように、経済の効率化をはかるためには、弱者は切り捨てられてしかるべきであり、切り捨てらえrた弱者に対して、最低限度の生活を保障するに足るセーフティ・ネットを用意しておきさえすればよい、との考え方の奥底には、弱者救済のセーフティ・ネットを用意するほうが、弱者を雇用して賃金を支払いつづけるようりも社会的コストは安くてすむ、との『強者の倫理と論理』が横たわっていることを見落としてはなるまい。」(同上、p38)

「弱者救済のセーフティ・ネットを用意するほうが、弱者を雇用して賃金を支払いつづけるようりも社会的コストは安くてすむ」というのは、ある意味えげつない言明だ。だが、一定の説得力を持っている。日本だって、90年代以後、規制緩和(=最近では規制改革というそうですが・・・)のかけ声の下、護送船団方式・終身雇用システムを解体しにかかったのである。福祉国家についてちょっとだけ考えた以前のブログでも、大沢真理氏の次の部分を引用した覚えがある。

90年代の日本の社会政策は、男女の就労支援と介護の社会化という一筋の両立支援(スカンジナビア)ルート、労働の規制緩和の面では市場志向(ネオリベラル)ルート、不況のもとで女性と青年を中心に非正規化が進み労働市場の二重化が強まるという意味の「男性稼ぎ主」(保守主義)ルートを混在」(大沢真理 2007 『現代日本の生活保障システム』 岩波書店:89)

「規制緩和」による「労働市場の二重化」という事態は、「弱者を雇用して賃金を支払いつづける」(=完全雇用)というルールから、「弱者は切り捨てられてしかるべき」というルールへ、日本社会がゲームのルールを変えてしまったことを意味する。

しかも、小泉政権の「三位一体の改革」以後、社会保障費全体の圧縮が加速し、「弱者救済のセーフティ・ネット」たる生活保護の部分への締め付けも相当厳しくなっている。「社会的コスト」を更に「効率化」しようとした政策のしわ寄せが、ご案内の通り、様々な「格差」として表面化し、選挙の際の有権者の投票行動の大きな要素になったと言われている。

ただ、ここから実は自分の考えがまだまとまっていない部分に突入するのだが、多種多様な「格差」を、「格差」という切り口から一元的に考えていいのか、という問題が、今の僕にはまだ考え切れていない。具体的に言えば、前回の選挙では、地方の一人区で自民党が負けまくった。この背景には、民主党への積極的応援、というより、安部政権にお灸を据える、という意味合いが大きかった、とマスコミでは報じられている。その背景として、小泉構造改革で公共工事が激減し、地方に大打撃をもたらしたからだ、とか、六本木ヒルズの金持ちと地方の格差は広まるばかり、という言説が流れる。だが、ここで問題なのは、じゃあケインズ型福祉国家でいいのか、と言われると、僕は口ごもってしまうのだ。橋脚を一本作るだけで1億円くらいする。山梨でも長野でも、ウルグアイラウンド対策予算だか何だかが農水省から出されていて、農道を造るのにじゃぶじゃぶ金がつぎ込まれていた、とも聞く。そういった「公共工事」を増やすこと「しか」格差の解消方法はないのか、というと、それも違うと思うのだ。

このときに、これも先述のブログでひいた、ある言葉を思い出すのだ。

「『いくつかの国(たとえば、アメリカ)を除いて、ほとんどの社会サービスの成長は公共セクターのなかで起きている』という先進諸国の経験則を、われわれは知っている。ここで社会サービスとは、『保健、教育、一連のケア提供活動(たとえば、保健や家事支援)』が含まれ、これはまさに、家計で生産される福祉サービスの外部化のことである。ところが日本は、未だに、先進国の経験則に反した報告に進もうとする典型的日本人好みの選択をしようとしているようにみえる。しかしながらそうしたアメリカ型の方向では、労働者保護立法を緩め取り去り-いわゆる労働市場の規制緩和を図ることによって-賃金格差を拡大させでもしないかぎり、日本では早晩行き詰まるであろう。」(権丈善一 2004 『年金改革と積極的社会保障政策』慶応義塾大学出版会:162-163

そう、行き詰まりを感じて現政権に批判票を投じた「典型的日本人」。だが、公共セクターも、土建型のハコモノ主義では成り立たなくなっていることも、まった一方で事実。ゆえに、「市場主義」や「格差」で「行き詰ま」ったからといって、ケインズ型、日本ではつまり田中角栄型のバラマキ福祉国家には戻れない。道路工事で誰も通らないところにでも警備員を雇うのは、ある種「弱者を雇用して賃金を支払いつづける」政策だったが、そういう事まで「格差是正」のために必要か、と言われると、それはクビをかしげてしまう。では、最低限のセーフティ・ネットだけで良いのか、と言われると、そうでもない。月並みな結論だが、「公共セクター」の予算配分を、「家計で生産される福祉サービスの外部化」である「社会サービス」へ重点化する以外には、活路が見えてこないような気が、現時点では僕には感じられる。ただ、ここで更に問題なのは、公共工事の削減で社会的弱者になった人々の中には、大沢真理氏が整理するところの「男性稼ぎ主」型そのものであり、子育てや家事労働などを女性に任せてきて、それを仕事にすることが得意ではない人々も少なからずいる。その人々(しかもある程度中高年齢)が、「家計で生産される福祉サービスの外部化」の現場で何らかの貢献が出来るか、というと、その現場は不得意だから・・・と尻込みする層も出てくるのではないだろうか。

田中角栄型の政治に戻るのはあまりに効率が悪い。だが、小泉改革路線ではあまりに経済の効率化が進みすぎ、格差が耐えきれない。このどっちにも向けない事態に、福祉国家の理論が何を提供してくれるのだろうか。私たちはどこの先進例から、何を学べるだろうか。「第三の道」は、本当に光り輝いた道なのか。日本流の何らかの「隘路」があるのか? その辺を注視しながら、ヨーロッパのこの10年の動きも、少し追いかけてみる必要があるように感じ始めている。

欠けていた方法

 

3週間ぶりに何もない日曜日。甲府はじっとり暑く、ナメクジのような一日をすごす。

午前中はテレビをぼーっとカチャカチャしながら過ごしてオシマイ。食器洗いに洗濯、食事作りと家事をして、素麺をすすってまたうたた寝。その後、起き出して1時間ほどぶらぶら本を読むが、暑くて集中できない。お風呂を浴びて、ついでに水浴びをして、近所のスーパーに夕食の買い出し。今朝、「今晩は赤ワイン! でも海産物も食べたくて、とろけるチーズも良い。明日は弁当がいるのでそれようのも少しは欲しい」という謎かけを残してパートナーが出て行ったので、車中で献立を巡らす。我が家の冷蔵庫には、頂き物のキュウリ、ゴーヤもある。それゆえ、「たこの酢の物」と「チーズハンバーグ」、ついでにゴーヤと野菜の炒め物、というレシピが決定。夕刻の混み合うスーパーで買い物をして帰宅した頃、やっと頭がまともに動き出す。いろんな事を忘却しているので、備忘録的に先週後半を整理してみる。

木曜は奈良に出張し、今やっている県の仕事の関連で、奈良県庁で実情の取材。以前から書いているが、今地域自立支援協議会という仕組みを作るお手伝いをしている。これは全く初めての試みなので、よそでどうやっているのか、が気になる。もちろん国も様々な参考例を出してくるのだけれど、正直出してくるモデルは山梨の実情には合わない。都会で社会資源が元々ある、とか、スーパーマンがいる、という地域のモデルは、典型的な場所にはうまくフィットしないのだ。そういう意味で、「ごく普通の地方」である山梨からの内発的モデルをどう作り出すか、という時には、奈良で今、構築されようとしているモデルは参考になる。各地域をまとめる人材をどう育て、そこから現実的に可能な地域作りをどう模索していこうとしているのか、が真剣に検討され、実践に移されている。この「形」だけでなく、「中身」「心意気」を、山梨でもどう活用できるか、頭をひねりたいところだ。

で、その後、京都の自宅に帰って一風呂あび、友人のナカムラ君と西大路駅前で再会。前日に急に連絡したのに、都合をつけて付き合ってくださる。古くからの友人との語らいは、社会的立場や規制なく好きにしゃべれるので、ビールが進むこと、進むこと。気が付いたら久しぶりにジョッキ6、7杯ほど飲んでいた。

翌朝、久しぶりに家でのんびりしながら、午後からの調査の戦略を練る。科研の調査で、「福祉組織の人材開発論、組織変革論」を、とある現場でフィールドワークしながら考えているのだが、なかなか方向性が見えず、他の仕事が立て込んでいた事もあって、煮詰まっていた。だが、台風一過の涼しい風が吹き込む自宅で、父親がヤンキースの試合を見ている横でぼんやり考えているうちに、今なすべきことが定まってくる。そう、こうやって煮詰まっている時って、対象となる課題に関しての「内在的論理」を掴み切れていないのがその要因として大きいはずだ。そう、恥ずかしながら最近、佐藤優氏の著作を通じてまともに知ったこのヘーゲル的述語をグーグルでひいてみると、何と二番目に己のブログが。何とも変な気分だが、自分がそのとき整理したブログを見ながら、午後の調査の戦略がだいぶ見えてきた。

そう、調査が行き詰まる時って、その現場に慣れてきた後のこと。そこのルールが見えてくるから、その現場について、一家言持ってしまい始めた後のことだ。一家言持つ、ということは、聞き取りをしている最中にも「有識者の学術的分析」がシャシャリ出てしまうことを意味する。それは、謙虚に「対象の内在的論理」をつかみ取った後なら有益かもしれないが、外部者による「分析」の眼は、自ずとその対象に対する「偏見」「先入観」「固定観念」へとスルリと変わってしまう。そうすると、考えが固定化、固着化してしまうから、自ずと考えが「煮詰まる」のだ。つまり、「煮詰まる」とは、対象の内在的論理を掴む運動をやめてしまう、という思考停止状態ゆえのことでもある。そう、思考が停止してしまう、というのは、インプットがなくなって、「視座が往復」しないから生じる。ならば、午後の調査では、虚心坦懐に相手の「内在的論理」を掴むことに心を砕こう・・・この方針が決まったので、ぐっと気持ちが楽になった。

午後、馴染みの店で髪の毛を切ってさらにさっぱりし、現場に行くと新しい発見が!! これだから、調査は大変だけれど、面白い。アイデアが出るモードになったので、アイデア続きにその後、現場で議論をしてから、最終の「のぞみ」「かいじ」と乗り継いで甲府までの5時間の旅。心の中が新しいエネルギーで沸き立っている時には、集中も出来る。昨年夏に書いたアメリカの論文が、査読の際にボツ評価されたことを以前書いたが、そのテーマについて去年出されたアメリカの研究者の本を読み始める。そこには、自分が前回論文を書いた時に、抜けていたこと、よくわからなかったこと、何となく大事そうだけれどどう大切かが整理できなかったこと、が分かりやすい言葉で、バチッと書いてある! これだ! と叫びそうになりながら、じっくり5時間かけて、該当する部分を辞書を引き引き読み進める。そう、このボツになった理由も、結局テーマの「内在的論理」を掴みきれずに、日本人の私の分析だけでごり押ししていた部分があったのが要因だった。このデータや論理をもとに、以前の論理を構築し直したら、9月締め切りの別の学会誌に投稿するのは、不可能ではなさそうだ。

そう思うと、少しだけ自分の方法論に自覚的になり始めた夏、なのかもしれない。えっ、何を今頃、ですって? すんません・・・。

ドタバタな7月末

 

前回、前々回と久しぶりに二日連続でブログを書いていたので、ようやっと「週刊タケバタヒロシ」状態か、と思いきや、すんません、また「週刊誌」状態に逆戻り。そんな余裕をかましている暇が、全くなくなってしまったのだ。

それが発覚したのは先週の月曜あたりのこと。お盆頃だ、と思っていたとあるプロジェクトの〆切が、今月末、ということが発覚したのだ。こちらは、火曜日にテスト監督を一日こなしたあと、ようやく7月末〆切の原稿二つにとりかかり、それを終えてから8月上旬にこのプロジェクト原稿に集中的に取り組もう、ともくろんでいた。でも、チームで取り組み、どのみち9月の学会でも報告するテーマなので、7月末が〆切なら、最優先課題にせざるを得ない。しかも、プロジェクトチームのブレーン役のH氏から火曜朝に届いたメールには、割り振られた箇所(10ページ分)の他に、「竹端とH氏の担当分となっている所は、今週末に原稿を上げてしまい」という記述が。そんなアホな!とわめきたくなりながら、でもネジを巻かねば仕方ない。とにかく、火曜日は自分の試験も含めて4コマ連続でテスト監督、水曜午前は午後の会議の書類作り、午後からは2時間半の長丁場の会議でヨレヨレ。で、ようやっと取り組みはじめたのが木曜日の午前で、午後は現場他大学で会議、だった。その後何とか金曜日にとにかく骨格を仕上げて、息抜きにプールで一泳ぎ。その後、土曜の朝に書き足して、午後はオープンキャンパス。そして、日曜の午前中に何とか脱稿して、そこからようやく次の原稿に。

この次の原稿は、編者をさせて頂いているとある教科書なんだけれど、とある先生が〆切を2ヶ月もすぎてから「書けない」とバンザイされてしまったので、一番下っ端の私が穴を埋める必要が出てきた。しかも、編集者曰く「11月に出さないと私のクビがアブナイ」という大変な事態。で、初稿は7月末にこちらも入れないと、間に合わない。当然の事ながら、とてもひとりでは出来ないので、最近仲良くさせてもらっているMさんに泣きつく。何とかその章の3節分はお願いできたのだけれど、21世紀に入った後の福祉改革の歴史は、こちらが引き受けざるを得ない。これまで書き散らかした原稿を編集し、重複をさけ、さっさと整理してエイヤッと日曜日に仕上げてお送りする。Mさんがその前後を見事に整理してくださっていたので、何とか格好はついた。

以上、非常事態下にあった原稿を優先すると、25日が〆切だったアメリカの精神障害者の権利擁護に関するレポートに、ようやっと取り組みはじめたのが、〆切を5日過ぎた昨日になってから。その雑誌の編集者に8月第二週まで待って欲しい、と事前に交渉はしておいたけれど、でも情勢は非常によろしくない。というのも、一般に流通する雑誌に書かせてもらう、というのは、僕のような実力のない下っ端の研究者にとって、すごく大切な機会。編集者の信用を失うのは死活問題だから、〆切とその内容の両方を、きちんと守らねばならないのだ。実力もない私が〆切延長、というのは、信用失墜の一歩手前、崖っぷちなのである。

タイトな日程だけれど、きちんと書く事を決めておかないと、特に海外物は英語を読み返すのが億劫になって、お蔵入りしてしまう。そう思って「夏休みなら大丈夫なはず」と思って、お願いした連載のスペース。編集者のKさんも大変よくしてくださるので、期待を失望に変えてはいけない。トラブル続きで1週間、書き始めるタイミングを逸した、から、と言って、ズルズル〆切を延ばしてもいけないし、中身が薄くなったら、もっとやばい。でも一方で、英語の資料は、身体に馴染むまで数日かかる。馴染まないうちに書いてしまうと、何のヒネリもない、どうしようもない報告になる。さて、どうしようと焦りながら先週から仕込んでいたけれど、英語がようやくじんわりしみてきたのが、昨日の夕方から。ただおかげさんで、一端しみこんでみると、なぜ2回の連載をお願いしたか、という「書きたいポイント」もようやく思い出す。と、同時に、今回書くべきフレームも、やっとのことで見えてくる。この輪郭さえ見えると、あとは早い。今日は会議を挟みながらも、一日粘って、ようやくこちらも骨格が固まる。明日、書き上がったものをシェイプすれば、とにかく週末までに編集者に送れそうだ。

と、自分が忙しい事をひけらかすようで、何だかイヤな感じなのだが、世の中には僕より遙かに忙しい人々が確実に存在する。次の文章を読んでいると、えげつない、という思いが半分、これぐらいで根を上げてはいかんよなぁという思いが半分、ためいきがそれ以上、出てくる。

「仕事をしながら勉強を続けていくことは難しい。特に、能力があると見なされると、仕事が自分の要領をはるかに超えて任されるようになるので、それこそ睡眠時間を削り、土、日も大使館に行っても仕事を全部処理することは出来なくなる。『何を切り捨てるか』について真剣に考えなくてはならなくなる。僕の場合、大学で講義をする、学会で発表する、締め切りのある原稿を引き受ける等、のっぴきならない状況を作り、新しいことを勉強するようにした。」(佐藤優『獄中記』岩波書店、389-390

ご承知のように、僕に特段何らかの能力があるわけではない。だが、確実に30代に入ってから、「仕事が自分の要領をはるかに超えて任されるようにな」りはじめた。睡眠時間も削りたくないし、かといって全く休みをゼロにするのも忍びない。今回7月末の10日間、うんと集中できたのも、7月の中旬までに、何回か家でゆっくり出来たり、息抜きが出来たからだ。だからといって、「何を切り捨てるか」という局面で、「仕事をしながら勉強を続けていくこと」を僕が選択すると、これはおまんま食い上げ、の事態になる。すると、「学会で発表する、締め切りのある原稿を引き受ける等、のっぴきならない状況を作り、新しいことを勉強する」ことが、唯一の両立の機会になるのだ。

そう思うと、今回の締め切り直前のドタバタも、これを通じて一定の整理や、また新しいテーマ、それに積み残しの宿題の再確認とモチベーションアップなど、いろいろな「勉強」になった。標題通りのドタバタタケバタであったが、それはそれとして何かを得られたのだ。それにしても、これからは何らの事を「切り捨てる」ことも視野に入れないと、回りきらないのも事実。選択と集中、それをかみしめた7月末でもあった。

「宿命論」と恋バナ-限界状況を超えること(その2)-

 

「眼に見えぬものさえ名という呪で縛ることができる。男が女を愛しいと思う。女が愛しいと思うその気持ちに名をつけて呪(しば)れば恋」(岡野玲子「陰陽師1」白水社p85)

昨日ブログに陰陽師のことを思い出して書いていたが、実は当のコミックをなくしてしまっていたので、早速帰り、近所の本屋で購入。あらためて、この漫画のクオリティの高さに恐れ入る。と同時に、前回書いた安倍晴明の文言が全く漫画の文章と違うことに驚き。自分が記憶しているのは、自分の記憶したい様な記憶の仕方であるんだなぁ、と改めて思う。

で、改めて引用してみて思うのは、「眼に見えぬものさえ名という呪で縛ることができる」ということの重みだ。それに「宿命論」をかけると、どうして「名付け」(=name)に自分がピピッときたのか、がよりクリアに整理できる。

なぜだか知らないけれど、僕は昔から「どうせ・・・」「○○したってしゃあない」という諦めの文言が大嫌い、という癖をもっていた。参議院選挙の報道でも、選挙には関心があるけど、自分の一票で変わると思わない、と考える層が少なくない、という調査結果が出ていた。そう、このような、最初から「どうせ」と既定路線の枠組みに宿命論的に従う、ということに、生理的違和感や嫌悪感を感じているのだ。確かに諦めなければならない時も、僕自身にもたくさんあった。でも、何でもかんでも「どうせ」で片づけて、そのくせ飲み屋の端っこでくだを巻いているオヤヂにだけはなりたくない、そういう気持ちを子供の頃から持っていた。変な少年である。まあ、たぶんに小学校の頃からテレビっ子で、特にニュース番組大好きっ子だった事も左右しているのかもしれない。アニメやドラマよりはニュースステーションや報道特集、NHKスペシャルに鼻をふくらませていた変なガキんちょだったので、そういう「刷り込み」があったのかもしれない。そのあたりは定かでないが、とにかく「どうせ・・・」と言ってしまうことは、体制内順応であり、結局何も変わらない事を唯々諾々と受け入れる、そのガス抜きの文言として「どうせ・・・」という言葉があるんだ、と何となく受け止めていた。

で、フレイレに戻ると、昨日この部分を引用していた。

「対話とは、世界を命名するための、世界によって媒介される人間と人間との出会いである」(訳文p97)

なんだか日本語のつながりがわかりにくいので、昨日アマゾンからもう届いてしまった英語版をひいてみると、この部分はこんな風にかいてある。

“Dialogue is the encounter between men, mediated by the world, in order to name the world.”Freire pp88)

下手くそながらこんな風に訳してみると、自分では腑に落ちた。

「対話とは、『世界』によって左右される二人が、その当の『世界』に名付けを行うために、邂逅することである」

ここで二人がmenと書いてあるのは男性中心主義だ、と1970年の文章に対して、今の文脈や政治的正しさ(political correctness)から目くじらを立ててはいけない。そうではなくて、英語を読んでみてわかったのだが、当の「世界」に縛られているはずの二人、しかも抑圧者と被抑圧者の関係にもなりうる二人が、偶然に出会って、そこからお互いが納得できる形で新たに「世界」を名付けなおす。既存の「世界」への言明に唯々諾々と従うのではなく、二人でコンセンサスを得る形で、「これってこうなっているんだよね」と状況を主体的に定義し直す。その過程の中から、「どうせ」「しゃあない」と諦めきっていた状況が変化し、「もしかしたら変わりうるかもしれない」「事態が打開できるかも知れない」という希望が宿ってくる。つまり、この対話の過程に、希望の生成過程があるのではないか、そう感じたのだ。

先ほどの陰陽師の話に戻ると、「あ、俺って恋しているかも」って心の中で唱えることによって、恋が始まるケースなんて、これまで少なくともタケバタにはたくさんあった。正直に言えば、気が付いたら誰かを本当に好きになっている、なんてことはなく、「好きなんじゃないかな」という名付け(name)が心の中でなされてから、後付的に心の中にその気持ちが宿り、時間を経て熟成されていったような気がする。その行為をクールに言えば、岡野玲子が安倍晴明に語らせた様に、「愛しいと思うその気持ちに名をつけて呪(しば)れば恋」なのだ。

ここで肝要なのは、「気持ちに名をつけて呪(しば)」ることである。つまり、名付ける時点までは「なんとなく」というとりとめもない感情に、「恋」という一つの概念、イメージ、方向性を与えて固定化・確定化させてしまうことが、「呪」の本質である、ということだ。その時点までは、友達以上恋人未満、で、なんか良い感じ、だけど、どうなんだろう・・・っていうもやもやした中途半端な気持ちに、「恋」という命名をしてしまうや否や、私たちは当該文化における「恋」のドレスコードに見事に拘束される。「これって恋、かも!!??」という枠組みに囚われるやいなや、それまで意識しなかったのに急に相手のことを意識しはじめるし、どきどきもするし、他人の恋バナが急に気になるし、めざましテレビの「今日の占いカウントダウンハイパー」を急に真剣に眺めはじめるのだ。いやはや、人間って、なんて単純なんだろう。(え、人間じゃなくて、それはあんた自身のことじゃないかって?ええ、その通りでございます)

恋愛話で脱線したが、日本語を運用する私たちは、日本文化がその言語に託したイメージを、その語を口にすることによって、内面化してしまうのである。だから、「しゃあない」「どうせ」と口にすればするほど、そのイメージなり世界を内面化してしまい、ますます「しゃあない」「どうせ」スパイラルに陥るのだ。(また脱線するなら、演歌的歌詞の世界はスパイラル世界の究極的形、とも言える。) そして、そこから抜け出す方法として、フレイレが「対話」という手法を編み出したから、この本が世界中で売れた名著になったのだ。そういえば真っ赤な表紙の英語版は30周年記念版なのだが、「世界中で75万冊売れた」って書いてあるしね。

で、恋バナ関連で妙に盛り上がってしまったので、肝心の「対話」の話を書こうと思ったら、あれまあ今日もお弁当を作る時間になりました。では、続きはまた。

限界状況を超えること(その1?)

 

日曜は東京で有志が集まっての勉強会。真面目に議論する場があると、にわか勉強にも弾みがつく。取り上げたのが、パウロ・フレイレ『被抑圧者の教育学』(亜紀書房)。30年以上前の古典だが、噛めば噛むほど味わい深い。以下、議論で出たことも踏まえながら、備忘録的に面白かった部分をふくらましておきたい。

全員が各自本を読んだ上で、担当者がレジュメを切って発表、というスタイルだったのだが、当日発表者のHさんの次の箇所にまずはピピッと来てしまった。

「相互主体的な関係にある人と人の間で世界を指し示す(name)言葉が発せられ、対話となる」(Freire pp.88-89)

nameなんて部分があったっけ?と思って本をめくるが、なかなか該当箇所にたどり着かない。それもそのはず、Hさんは英語版の“Pedagogy of the Oppressed”を読んでいて、それを元にレジュメにしてくれていたのだ。で、該当部分を確認して、日本語訳を見てみると、こんな風に書いてあった。

「対話とは、世界を命名するための、世界によって媒介される人間と人間との出会いである」(訳文p97)

「命名」と言われても、もう一つピンとこなかったのか、ここにチェックは入れていなかった。だが、世界を「指し示す」(=名付ける“name”)といわれて、しかも、Hさんのレジュメのその下には、こんな気の利いた参考文献までついていた。

「ものの根本的な在様を縛るというのは、名だぞ」「この世に名づけられぬものがあるとすれば、それは何ものでもないということだ。存在しないと言ってもよかろうな」(夢枕獏『陰陽師』文春文庫)

僕は思わず膝をたたいた。何故って、僕もこの『陰陽師』の「呪」(しゅ)という考え方を思い出していたからだ。聖書の「初めに言葉ありき」も同じだが、世界に名前を付けて、口に出すから、その世界が始まる。たしか、安倍晴明は、口に出して言うということは、すなわちそこに言霊が宿り、そこから恨みも含めた気持ちが込められる、だから安易に口にしてはならない、というようなことを言っていたなぁ、と、岡野玲子のクールなタッチの漫画を思い浮かべながら、連想していたのだ。(本当はこの先に言語論の展開もあるのだが、「ある」ということを知っているだけで、不勉強なタケバタはそれ以上論じる力量はございません)

で、世界を「指し示す」(=name)することが出来る、ということは、その世界に対して自らが枠づける(frame)ことも出来るし、場合によっては枠組みを変更する(reframe)ことだってできる。キリスト教的にはこの命名は「神のみぞ知る」世界なのかもしれないのだが、実は「被抑圧者の教育」においても、このことは決定的に大切な要素を持ってくる。「どうせ世の中って・・・」と悲嘆にくれる、現実世界を「諦め」ている人々の多くが、自らが決めた枠組みではなく、他人の(=フレイレの文脈では「抑圧者」の)枠組みを「宿命論」として受け入れている。そして、「宿命論」として受け入れている枠組みに対しては、疑う、という行為は起こりようがない。だが、自らを呪縛している枠組みの状況(=フレイレはそれを「限界状況」(=limit situation)と整理している)について自覚的になり、これってこういう枠なんだよねぇ、と世界を「指し示す」ことが出来れば、その枠組みに対する「捉え直し」をすることが可能であり、それはこれまで宿命論的に受け入れてきた自身の世界観の変更(reframe)にもつながるのだ。

「この状況そのものを課題として人間につきつける。状況がかれらの認識対象になるにつれて、かれらの宿命論を生み出してきた閉じられた呪術的知覚は、現実を知覚する時でさえもその知覚行為自体を知覚することができ、かくして現実を批判的に客体化することができる知覚に道を譲り渡すのである」(訳文p90)

そして、この「呪術的知覚」と「知覚行為自体を知覚」の違いの背景には、教育観の二つの違いがあるのだが・・・ぼちぼちお弁当を詰めて「テスト監督」に出かける時間なので、この続きは、また次回に。