ミッションとポジション

 

前回、甲府で微弱な揺れがあったことについて書いたが、先週末にはご案内の通り、中越で大震災が起こる。仕事場からの帰りのラジオで、「渋滞が発生し、乾パン以外の食料が届けられていない避難所がいくつも存在する」という報道に接すると、胸が痛む。学生時代であれば時間があったので、何かお役に立てれば、と現場に駆けつける事が可能だった。今は予定がタイトに入っているので、義捐金など別のやり方を考えなければ、と思う。

現場に駆けつける、と言えば、もう10年近く前、トルコでおそった大震災(トルコ中西部地震)の後、被災地KOBEから義捐金と復興に向けた経験を伝えよう、という想いの詰まった救援チームが結成された。専門性も何も持たない大学院生だった私も、ひょんな契機からこのチームに参加する事となる。「自分なんかが行っては邪魔になるのでは」という思いで一杯だったのだが、チームの一員になってしまった以上、現地到着後、とにかく自分にも出来ることを、と必死になって探し、チームの活動記録の作成や日本へのレポート送信などの後方支援活動のお手伝いをしていた。当時は「何かお役に立ちたい」という強い思いと、「でも僕なんかが行っても足手まといになるのでは」という無力感に引き裂かれ、とにかくしんどい想いだった。

しかし、今になって思うと、マスコミ報道などの断片的なこと以外、日本ではあまり知られていなかった被災地の現状を伝える、という仕事にも、一定の役割はあった、と思う。その昔、ボーイスカウトで緑化募金などをやっていても、義捐金がどう使われるか、について集める当の本人が理解していなかった。そういう「寄付金の宛先」についてディスクロージャーする役目が、現地での活動を報告する、という役割にもあった。「兵站」「ロジスティック」なんて言葉は当時は全く知らなかったが、そういう「縁の下の力持ち」の仕事をあの当時はしていたのである。

ただこれも、その後いくつもの国際会議などに参加して、ロジスティック担当(=ロジ担)の方々の活躍ぶりを垣間見て、その仕事の重要さを理解して、今にしてようやく「ああ、トルコでは僕もロジ担だったんだねぇ」と整理できた。ところが視野狭窄の当時、そういう「後方支援」の本質を理解していなかった私は、前方支援に立てない自分の無力さ・歯痒さで一杯いっぱいになっていたのだから、本当に情けない限り。「自分が」何かをする、という「自分」意識が前に出るが故の問題なのだ。被災地のためにチーム全体がうまく機能することが第一のミッションならば、専門性を持たない自分のポジションで何が出来るか、という全体像の中での自分の位置づけを考え、出来る範囲の最大限の仕事をすればいい、というクールさが足りなかった。使い古された言葉だが、cool headなきwarm heartの限界を、今改めて感じる。

話は変わるが、このcool headwarm heartは、先週末に開かれたシンポジウムの壇上でも聞いていた言葉だった。長野における障害者の地域支援体制を作り上げてきた第一人者のお一人、福岡寿さんを迎えてのシンポジウムで、福岡さんの口から、長野ではどう地域作りを「仕込む」か、についてcool headwarm heartを持って次々と手を打ってきた、という話を伺う。

2年前の自立支援法制定時に既に、「これからは市町村が主役だから」と、私が今やっている全市町村周りも既に終えておられた福岡さん。各地域の底上げをするなかで、もちろん前提としてwarm hearを持ちながら、地域の資源をどううまく活かして地域支援というミッションを育んでいくか、をcool headで分析した上での行動であることが、福岡さんの講演の端々にほとばしっていた。私自身、山梨でお手伝いをする立場にいて、福岡さんほどの視野の広さを持ててはいないが、せめて10年前の頃よりは「全体像」を意識したいものだ。間違っても「自分が」なんて囚われに陥ることなく、「山梨の豊かな地域支援作りというミッションを実現するために、私のポジションで何が出来るのか」というチームの一員としての意識を持ち続けたい。

そう、どんなポジションであれ、ミッションという全体像を忘れないポジショニングを意識化・内面化できれば、過たずに真っ当な行動が出来る。トルコと長野の話をつなげていくと、こういう整理が見えてきた。

二つの世界

 

今朝は地震で目覚める。微弱な揺れだが、久しぶりにグラッとくると、嫌な感じ。
今日は5時半頃の揺れだったが、それから15分後の阪神大震災のとてつもない立て揺れが酷かったので、それを思いだして、嫌な感じになっていたのだ。まあ、今日は微弱な横揺れで、当時は11階、今日は3階、なので大きな違いだが。

嫌な感じ、というと、昨日は本当にその感じが続いていた。前日最終の「かいじ」で東京から帰ってきたので、寝不足だった、というのがベースにあった。その上に、仕事上のストレスやもやもや感、そして運動不足にさらには湿度の高さまで加わって、全体的に鬱々とした気分だったのだ。口をつくと、ネガティブな言葉しか出てこない。こういう時は部屋の掃除をするに限るのだが、掃除をしてみても、まだ気分は超低空飛行。これは、フィジカルな環境を変えねばまずい、と、その日に〆切の書類だけ何とか仕上げ、早々に大学を退出。5時前にはジムの人に。エアロバイクにサウナでこってり汗をかくと、ようやく心も体も楽になってくる。なるほど、水が溜まっていたんだねぇ。科学的な説明ではないが、イメージ的には体内が余計な水分で充満していたような感じだったので、水抜きして飽和状態から下げると、ぐっと楽になる。私の場合、気分の落ち込みは、身体的変調とリンクしていることが多いんだよなぁ、とつくづく感じる。

昨日のジムのお供に選んだのは、積ん読本だった一冊。インタビュー分析のために読まねば、と半ば義務的に持って行ったのだが、目を見開かれる思いがした。

「同一の世界について異なった経験が生じれば、それらはこの決定的な世界、つまり信任された世界と対立するものとして吟味され、表現され、誤った経験として扱われる。そして結局は誤った主観性の産物とされてしまうのだ。」(メルヴィン・ポルナー「おまえの心の迷いです-リアリティ分離のアナトミー」『エスノメソトロジー』せりか書房、p45)

昨日のジムに行くまでの鬱々とした気分。自分にとっては、どうも変な(=誤った)感じがしていた。だから、ジムで汗をかきながら、なんとかその感じを元に戻そうとしていていた。この変な、あるいは元に戻そう、という感覚は、「信任された世界と対立する」経験なのだ、という確信から生じる。一方で、「異なった経験」をしている、という事実はあるが、「信任された世界」への「決定的」な信頼があるがゆえに、その「異なった経験」のストーリーにはまりきることはなかった。「今日はあかん日やなぁ」と鬱々としていても、「いつもはそんなことはない」という「信任された世界」へのリアリティがまだ確実に残っているから、「信任された世界」に戻ることが可能だ。だが、それが戻れなくなるポイント、というのも確実に存在している。

「自己の最初の世界経験の正当性に対してコミットメントを放棄した者が再び基礎づけを獲得するのは、彼が以前に敵対していた者の世界経験を受け入れた後だけである。自己のコミットメントを変えること、つまり転向とはかつて敵対した集団に自己を加入させることに結局なる。彼は今や仲間であり、彼らの経験世界を共有する。彼が仲間だというのは、彼が『何が実際に起こったか』について彼らの世界経験に従い、それを準拠点として自分の昔の主張や経験がもとづいていた方法を主観的であり、にせもので、誤っていたことを明らかにするからである。」(同上、p62)

筆者はこの「転向」を「一つの基礎づけから別な基礎づけへの跳躍」(同上、p62)とも言っている。
僕が昨日体験していた鬱々とした気分は、まだ「一つの基礎づけ」の「世界経験」の枠内にあってのものだっただけに、「逸脱」経験の範疇の中にあり、「今日は変だ」という形でのコントロールなり、対処が可能なものである。だが、その「逸脱」経験が毎日継続的に続いていくと、やがて「逸脱」状態が常態化するようになる。すると、これまでの「基礎づけ」そのものへの不信感が募ってくる。「敵対していた者の世界経験」に近づいている、という意識を、それとは違う「世界経験」と併存させておくことは、すごくしんどい。だから、そのとき、元の世界に戻るか、別の世界に「転向」するか、の選択を迫られるのである。この「準拠点」の選択は、「跳躍」を時として伴うものであり、いったん飛んだら、もとの世界に戻れないものなのだ。

なぜそんなことが気になるのか? ポルナー氏の議論の先には、このような整理がなされている。

「研究者の世界経験がそれ以外の世界経験を考察するための準拠点として確立される。少なくとも分析者本人や彼の研究仲間は、分析者の世界経験に特権的地位を与えているため、それ以外の世界経験はただ単にどのような社会学的メカニズムや心理学的メカニズムによって維持されているのか探求されるだけになり、結局は皮肉られるのである。ここで分析者は、自己の世界経験に特権的な地位を与えることによって、まさに経験の政治学に従事しているのである。なぜなら、『何が実際に起こっているのか』を決定するとき、競合する世界経験に直面し、それに逆らっても自己の世界経験を準拠点として使うことによって、分析者はもはや合意を伴った経験のとどかない一つのコミットメントを選択し、それに基づいて行為しているからである。」(同上、p72)

ここに至って、最近繰り返しこのブログにも書いている、枠組みの限界性、ということと、ポルナー氏は同じ事を伝えていることに気づく。“You are wrong!”と何らかの対象に対して「問題がある」と宣言する時には、その背後に“I am right.”という暗黙の前提がある。この前提は、客観的なものを装っているが、実は「競合する世界経験」の中で、「合意を伴った経験の届かない一つのコミットメントを選択し」た上での判断基準なのである。つまりは、“I am right.”というのは、「自己の世界経験に特権的な地位を与える」ための、きわめて「政治学」的な言明なのである。

さて、話を昨日の話に戻してみよう。
私は昨日、大変鬱々とした気分だった。そして、それを「いつもとは違う」という形で「変だ」と有徴化してみていた。そのため、ジムに行き、サウナにも入り、汗をかいてスッキリして、「元に戻った」。これは、状態がその前の日と同じような形に戻った、つまりは「一つの基礎づけ」の枠内に留まったからこそ、昨日の自分を「皮肉る」ことが出来る。だが、もしも昨日のような気分がずっと続いていたら、どうなるのだろう? 「皮肉」ろうにも、その状態がずっと続いていたら、それは笑えない話だ。それまで自分が「競合する世界経験」と考えていたものを内面化してしまうと、「準拠点」そのものが揺さぶられる。その際、「転向」し、「自分の昔の主張や経験がもとづいていた方法を主観的であり、にせもので、誤っていたことを明らかにする」営みか、「自己の最初の世界経験の正当性」に固執する営みか、その二者択一しかないのだろうか? リアリティ分離の状態にあって、引き裂かれつつも両義的に考え続けることが出来ないのだろうか? この両義的な思考がなければ、障害者福祉の研究なんて所詮無理なのではないか?

そんなことを考えていた。

視座の往復

 

気が付けばもう7月。
ももやすももが美味しい季節になってきた。大家さんに頂いた甘酸っぱいすももを、今朝も三個ほおばる。

ここのところ、朝は6時前には目覚める。年を取った、のもあるかもしれないけど、カーテンのすき間から覗く明るさと気持ちのいい鳥の鳴き声(たまに鬱陶しいカラスの声もあるけれど・・・)で、勝手に目が覚めるのだ。以前はそれでも「まだ後1時間」と無理して眠ろうとしていた。だが、「身体が起きるのなら、起きて活動した方がいいよね」と思い直し、一人サマータイムの導入。その代わり、もう11時には眠くて床に入っております。

さて、最近読んで「おもろい切り口」と思ったのが、佐藤優氏の視点。養老孟司氏が書評で褒めていた本を買って読んでみると、確かに面白くて、最後までスルッと読んでしまう。ある新聞に載せた時評と後からの注釈、という形で進んでいく本論はもちろん面白いのだが、むしろ後書きの方が気になった。

「第二の要素である分析の視座について筆者の考えを述べたい。
いまから約200年前、ドイツの哲学者ヘーゲルは、『精神現象学』を著し、この世界に現れる出来事をどのように解釈したらよいかについて、ユニークな方法を提示した。(中略)ヘーゲルの分析手法の特質は視座が移動することだ。ヘーゲルは、特定の出来事を分析する場合、まず当事者にとっての意味を明らかにする。対象の内在的論理をつかむことと言い換えてもよい。その上で、今度は、対象を突き放した上で、学術的素養があり、分析の訓練を積んだわれわれ(有識者)にとっての意味を明らかにする。更に有識者の学術的分析が当事者にどう見えるかを明らかにするといった手順で議論を進めていく。当事者と有識者の間で視座が往復するのだ。この方法が国際情勢を分析する上でも役に立つ。」(佐藤優『地球を斬る』角川学芸出版 p266-7)

「対象の内在的論理」と「有識者の学術的分析」「の間で視座が往復」すること。これが実に鮮やかに出来ていることが、この佐藤氏の時評を引き立たせている。彼は「この方法が国際情勢を分析する上でも役に立つ」と書いた後に北朝鮮の「内在的論理」に肉薄し、「学術的分析」との「視座」の「往復」を鮮やかに示してみせるが、これはなにも「国際情勢を分析」するときにだけ、役立つものではない。福祉の世界だって、全く同じ事が必要とされている。

インテークや地域診断、アセスメントという言葉で語られる時、「対象の内在的論理」を掴むことが念頭に置かれている。ただ、佐藤氏の分析を読んでいてハッと気づいたのだが、その際に「対象」からの聞き取りをしながらも、「内在的論理」ではなく「有識者の学術的分析」をこそ、優先させていないだろうか。「この人は○○できないから、△△しないと仕方ない」という言葉を、アセスメントの場面で聞くことがある。特に、認知上の障害を持つ方やコミュニケーションの障害を持つ方へのアセスメントの際、「有識者」の側が、「よくわからないから」という理由で、しばしば本人の「内在的論理」に肉薄せずに、「われわれ(有識者)にとっての意味」だけですませてしまう場面がある。これは、福祉の「有識者」も陥りやすい手法であり、「内在的論理」をくぐらせることなく、外形的基準(しかも標準化出来る基準)のみで判断することの危険性を、障害当事者は身体を張って訴えてきたのだ。

福祉の世界では、この往復は、すごく難しい。「内在的論理」をきちんと聞くと、そっちに引っ張られてしまい、「対象を突き放した」議論が出来なくなることもある。逆に、「有識者の学術的分析」を前提にしすぎると、当事者の訴えの中から、分析者の側の視点に馴染みやすい部分のみを選択的に抽出し、結果として本人の「内在的論理」の構築に至らないケースもある。この視点の往復こそ、難しいが、それが出来なければ、インテークや地域診断なんて、絶対に不可能なのだ。

私もここ2ヶ月で、以前から書いている「特別アドバイザー」の仕事で、28市町村のうち、23市町村の役場に訪問を終えた。出かけてみて本当によかった、と思うのは、県庁や県の出先機関に集まってもらって話を聞くだけでは絶対につかめない、各市町村(やその担当者レベル)の「内在的論理」を肌で感じることが出来るからだ。「特別アドバイザー」としては、たぶんに「有識者の学術的分析」が求められるのだが、それを「内在的論理」とはかけ離れた「べき論」で片づけてはならない。あくまでも一つ一つの自治体を思い浮かべながら、「有識者の学術的分析が当事者にどう見えるか」という「視座」の「往復」をしつづけるからこそ、その地域にあったアドバイスなり支援が可能である。支援もアドバイスも助言も、当たり前のことだが、標準化できるものではない。「学術的分析」に一定の柱があったとしても、あくまでも「内在的論理」との呼応関係の中でのみ、その柱は生きてくる。そのあたりをきちんと理解して対話し続けるか、が私の仕事にとっても大きな課題になっている。

国際情勢を分析する「インテリジェンス」から、私自身へのアドバイスをもらえるとは思ってもいなかった。

「行き当たりばったり」ではなくて

 

昨日は東京で研究会。ネタは福祉国家。ここしばらく、気になって「にわか勉強」「ながら勉強」を続けているテーマである。ま、実質的にはいつもギリギリになって、の「付け焼き刃」的お勉強なのだけれど。

土曜日、オープンキャンパスが終わった後のジムで、「積ん読」状態だった社会学の大先生による福祉国家論を読みながら、エアロバイクをこぎ進める。政治学系統の学者が書く福祉国家論より、僕はこっちのほうが遙かに理解しやすい。以下、シンボリックに戦後日本の福祉国家の変遷をまとめた部分を引用してみる。

「戦後日本の福祉国家化は、敗戦の翌年に公布された日本国憲法第25条によっていわば道路だけ開通したものの、その道路に走らせる福祉国家という自動車を作る努力は、それから15年たった1961年までなされなかったので、道路は遊休設備にとどまっていた。やっと1961年からこの道路の上を福祉国家という自動車が走るようになり、さらに1973年にその自動車は高性能の新車と取り替えられた。ところがその直後に石油危機が到来したために、自動車のガソリンが給油切れとなり、この自動車を走らせるかどうかについて、国家的統一意志が解体してしまった。1990年代に、福祉国家推進派がゴールド・プランと介護保険という新車種を製造したけれども、福祉国家解体派が強くなりつつある現段階では、今後果たして国家予算という給油が続くかどうかが危ぶまれているのが現状である。」(富永健一『社会変動の中の福祉国家』中公新書 p196)

1961年というのは、国民皆保険と国民年金が整った年である。たった戦後16年で全国民をカバーする事が可能だった背景には、高度成長の恩恵が大きい。そして、田中内閣時代の「日本列島改造論」が叫ばれた1973年、老人医療費の無料化や生活保護の扶助基準引き上げ、年金の物価スライド制などが制定され、「福祉元年」とも呼ばれる。「ところがその直後に石油危機が到来したために、自動車のガソリンが給油切れとな」ったのが、最大の不幸。それまで二桁成長を続けてきた事を背景に、イケイケドンドン的に「福祉ばらまき論」を展開したのだが、経済が世界的に萎縮し、「福祉国家の危機」が叫ばれた70年代おわりには、早速その「危機」を輸入してしまう。そして、実質的な底上げが不十分なまま、「家族の相互扶助」「民間活力の活用」「ボランティアの振興」を端とした「日本型福祉社会論」へと方針転換。これは「小さな政府論」への序曲となっていった。

ただ、この「日本型福祉社会論」は「日本の伝統に基づいた」などとよく誤解されているが、そうではないことを、別の論者はわかりやすく整理している。

「『男性稼ぎ主』型の生活保障システムでは、壮年男性にたいして安定的な雇用と妻子を扶養できる『家族賃金』を保障するべく、労働市場が規制される。それを前提として、男性の稼得力喪失というリスクに対応して社会保険が備えられ、妻子は世帯主に付随して保障される。家庭責任は妻がフルタイムで担うものとされ、それを支援する保育、介護等のサービスは、低所得や『保育に欠ける』などのケースに限って、いわば例外として提供される。(中略)日本の『男性稼ぎ主』型については、それが『伝統的』なものではなく、高度成長期以降に導入され、1980年代に仕上げられたものであることに、注意しなければならない。」(大沢真理 2007 『現代日本の生活保障システム』 岩波書店:54-56

これは富永氏の整理と一致するところだ。1961年にようやく福祉国家として走りはじめ、1973年にバージョンアップするものの、長続きせずに1982年から「福祉見直し」へと突入する。そして、当時の崩壊する直前の「イエ制度」や「地域の相互扶助コミュニティ」に依存する形での「日本型福祉社会論」を張り、なんとか政府の介入を縮小する形で(「○○に欠ける」=残余的に)社会サービスが作り上げられる。その「男性稼ぎ主」型として、20世紀終わりまで引っ張ってきた、というのである。

富永氏は2001年の段階で、「今後果たして国家予算という給油が続くかどうかが危ぶまれている」と予言していたが、それは見事に的中してしまう。経済財政諮問会議が説く社会保障費の削減は、まさに「ガソリンが不足していますから福祉分野にターゲット化して、給油制限をします」という宣言である。介護保険も結局のところ、主婦パート並みに低賃金を用いて「民間活力の活用」をしている。また、要介護認定の支給限度額は、在宅であれば家族の支援を前提にした「家族の相互扶助」の思想は脈々と残り続けている。

「現在の『参加型』福祉社会モデルの制度設計としての『多元的』介護サービス供給システムは、その機能の過程で在宅介護労働に対する『女性役割』『非専門的労働』『低賃金不安定労働』といった社会的認知の相互循環関係を創出し、それらの『一連の社会的認知』が維持・再生産されることに大いに加担しているのである。」(森川美絵 1998 「『参加型』福祉社会における在宅介護労働の認知構造」『ライブラリ相関社会科学5 現代日本のパブリック・フィロソフィ』サイエンス社:414

森川氏が整理するように、90年代は「参加型福祉社会」と言われたが、日本型福祉社会の三要素をうまく溶け込ませた社会政策、と見てとることができる。そのプラットフォームの延長戦上に、「介護の社会化」といわれた介護保険があり、その制度に近づける形での障害者自立支援法が形成されていくのである。そんな90年代を大沢氏はこう振り返る。

90年代の日本の社会政策は、男女の就労支援と介護の社会化という一筋の両立支援(スカンジナビア)ルート、労働の規制緩和の面では市場志向(ネオリベラル)ルート、不況のもとで女性と青年を中心に非正規化が進み労働市場の二重化が強まるという意味の「男性稼ぎ主」(保守主義)ルートを混在」(大沢200789

この「混在」に対して、富永氏は厳しい整理をしている。

「日本型福祉国家は『ハイブリッド型』であるということになろう。しかしこのハイブリッド型というラベルは、日本にとってけっして名誉なものではない。なぜなら、それはこれまでの日本が、福祉国家化についての明確な長期的政策目標をもたず、その場その場で行き当たりばったりにやってきた結果を意味しているからである。」(富永2001210)

混在、あるいは交配(ハイブリッド)という考えは、「行き当たりばったり」の結果だ、という老師の言葉通り、2003年あたりから政府はしきりに「燃料切れ」のサインを出し、高齢者福祉政策の抑制に舵を切り始めている。そういう意味では、「男性稼ぎ主」の終身雇用も怪しくなり、ネオリベラルルートでは格差社会も助長され、かといって増税と裏表の両立支援ルートも選挙前には言いづらい、という八方ふさがり状態なのかもしれない。こういう実情では、次の言葉が僕自身には実にスッと入ってくるのだが・・・

「(福祉サービスの家計内生産を外部化する)選択に直面する時に、間違いなくアメリカ型を選択してしまうのが、典型的日本人の癖である。しかしながら、アメリカには低賃金労働者がいるために家計生産の外部化が市場において機能しうるのであるし、なによりも「いくつかの国(たとえば、アメリカ)を除いて、ほとんどの社会サービスの成長は公共セクターのなかで起きている」という先進諸国の経験則を、われわれは知っている。ここで社会サービスとは、「保健、教育、一連のケア提供活動(たとえば、保健や家事支援)」が含まれ、これはまさに、家計で生産される福祉サービスの外部化のことである。ところが日本は、未だに、先進国の経験則に反した報告に進もうとする典型的日本人好みの選択をしようとしているようにみえる。しかしながらそうしたアメリカ型の方向では、労働者保護立法を緩め取り去り-いわゆる労働市場の規制緩和を図ることによって-賃金格差を拡大させでもしないかぎり、日本では早晩行き詰まるであろう。」(権丈善一 2004 『年金改革と積極的社会保障政策』慶応義塾大学出版会:162-163

「賃金格差を拡大させ」ながら、行き詰まりを回避しようと「行き当たりばったりに」もがく現代の日本。コムスン問題もその延長線上に見える。介護労働がもともと「『女性役割』『非専門的労働』『低賃金不安定労働』といった社会的認知の維持・再生産」の上に成り立っているのに、規制改革や介護報酬の単価切り下げやらが、さらに追い討ちをかける。公共セクターにおける擬似市場を、その不正を監視しながらも、育てようとするのか、単に潰しにかかるのか? 「典型的日本人の癖」を、選挙のときにこそ、自己点検・自己評価することが本当は求められているのだが・・・

「今後の課題は、どのようなレジーム類型を選択するかについて、明確な意識をもった国民世論を形成していくことにある」(富永2001211)

1ヶ月後の参議院選挙がその序曲になるのか、いつもの「行き当たりばったり」なのか。あ、これはエスピン-アンデルセンの言う「福祉レジーム」であって、脱却すべきと言われるとあるレジームではありませんので、念のため。

ノンと言うこと

 

ここしばらく、自らの視点の偏り、が気になる。
以前から同じ事を何度も書いているのだけれど、気になる感覚を活字という定着液で映像化しておくのが、このブログの位置づけだと自分では考えている。なので、今日は角度を変えての「変奏曲」をお届けする、予定です。

「私にとって、思考するということは必然的にみずからを否定することになります。思考する、それは否(ノン)と言うことです。この場合における否定には、二つの基本的な意味があります。
思考することはまず、その文化の中で蓄積されてきた同意によって成立している確信を拒絶するという意味を含んでいます。第二に、否を宣言することは、断固としてその価値を認めないという意味です。
『何も価値がない』という吟味を伴わない思考は健全なものとはいえません。したがって『懐疑論』は、あらゆる確信を解体するきっかけであり、ヘーゲルにすれば弁証法的思考の本質的なステップなのです。
懐疑論は文字通り、一つの見解や視線であり、事象の整合性をいったんばらばらにしてから確かめていきます。懐疑的な行為と思弁的な行為は密接につながっており、どちらもあらゆる現実を鏡のなかに映し出します。」 (カトリーヌ・マラブー『弁証法の可能性』 ハーバード・ビジネス・レビュー20074月号、p72)

「確信を拒絶」すること、しかも「断固としてその価値を認めない」という「吟味」。
タケバタに欠けているのは、おそらくこのあたりなのだろう。自身の議論の甘さには、この部分があるような気がしている。オプティミズム、といえば言葉は美しいが、その実態は手放しの信頼、と情報を鵜呑みにする場面がある。確信を解体するほどの「吟味」が出来ているか? いや、実際は事象の整合性の「枠組み」は、既存のものを流用して、その「枠組み」への問いが出来ていないのではないか? 自分自身には、そう見えてくる。

「弁証法は思弁的、すなわち反省的な思考です。語源であるラテン語では『鏡』を意味しますが、物を映す構造であるのと同じく、事象を同時に両側から見ることを可能にします。したがって、弁証法の鏡とは、事象とその矛盾を常に映し出すわけであり、それゆえ、すべての現実について二重の時間性、『現在から未来』『現在から過去』の視点が駆使できるようになります。」(同上、p71)

「現在」を「現在」として同語反復的に眺めている自分がいる。それは、「事象を同時に両側から見」た上で、私は私である、と確信する事とは全く違う。「反省的な思考」つまり、「二重の時間性」で検証した上で「私」に戻ってくることと、単に無批判に「私」をしていることは、全く意味合いが異なってくる。これは、タケバタ自身の課題でもあるが、正直に申し上げて、マスコミ報道にも広く蔓延しているような気がしている。

コムスン問題。授業でも取り上げ、色々見ているが、いったん悪い、と決めつけると、「断固としてその価値を認めない」が、その前に、「その文化の中で蓄積されてきた同意によって成立している確信を拒絶する」点がみられない。自由主義の中で、税や消費税方式でなく、社会保険方式を選択したこと。人材を一気に確保する為に「民間活力の活用」を行ったこと。サービス支給料はあくまで「家族の相互扶助」をアテにして決められた基準であった事。これらの、介護保険導入時に選択された(「同意によって成立」した)事象については、何ら批判の対象にならない。事後的に「そうなると思っていた」と責め立てるだけで、ではそうならないようにどうするべきだったか、という事前予防的発想にならない。これは、「事象を同時に両側から見る」視点が欠落しているから、と感じる。

欠落、といえば、一般企業で当たり前の事が福祉では違う、ということについての反省的な視点が報道に欠落していることも気になる。「介護はもうかるもんではない」という主張。なぜ、それが前提になるの? 事象として確かに現にもうかっていない。でも、「事象の整合性をいったんばらばらにしてから確かめ」てみると、たとえば儲からない背景にある、単価設定がなぜあのような安価なのか、という点が気になる。なぜ専業主婦層をアテにする、低賃金に据え置かれたのか。その背景に、介護への対価、に関してどういう思想が見え隠れしているのか。でも、「その文化の中で蓄積されてきた同意によって成立している確信」には触れず、トカゲの尻尾切りをしている限りにおいて、この問題は表面化されない。本来、「二重の時間性」で確かめてこそ初めて見えてくるコムスン問題の本質は、お忙しいマスコミでは、スルッと次の糾弾課題にすり替わる。その前からは年金で、今度はNovaか・・・。

二年前の5月、尼崎のJR脱線事故の後書いたブログも、基本的に同じ事が言いたかっただけだ。事後に犯人捜しするのに躍起になるのはいつものこと。でも、そうならないためにどうしたらいいのだろう、とか、私も「犯人」になりうる日本社会の問題性は何なのだろう、という「鏡」としての「反省」を、事象から導き出すことが苦手な私たち。「そうなると思っていた」と本当に思うなら、「そうならないための社会作り」への本気での自己投企が求められる。出来ないなら、安易にそんなことを口にすべきでない。

無批判な「そうなると思っていた」という言明の背景には、「世の中なんて結局変わらない」という「確信」が転がっているような気がする。そして、その「確信」にこそ、まず私は「否(ノン)」を突きつけなければならない、と深く思う。

ゼミブログのお知らせ

 

このブログは、まとまった話を書きたい、と思うので、なかなか筆が進まない時が多い。特に、〆切前、あるいは用事が立て込んでいる時など、書きたいことがあっても、躊躇することが多い。最近、とにかく予定が立て込んでいて、なかなか新規書き込みが出来ずに、内心苦々しい想いをしていた。

そんな今日、大学で「コンテンツマネージャー会議」に出席する。あんまりパソコンのことも知らないが、一応学科のHPの内容を盛り上げるための黒子役の一人という仕事を与えられていたのだ。で、全学的なHPに関する取り組みをあれこれお聞きする。そういえば昨年からブログシステムも機能していたが、ここだけの話、僕は自分のHPも持っているし、正直あんまり関係ないかなぁ、と思っていたのだ。(担当者の先生方、すんません)

でもでも・・・今日、伺ってみると、幾つかのゼミの学生達が進んで発信している。(例えばこちらなど) これは、実に教育効果が高そうだ。目から鱗の出会いに、びっくり。これなら、僕が忙しくても、学生さん達に構築して貰える。オーナーのタケバタは、たまにコメントしておけばよい。

と、会議でしこんだ技術を早速応用して、竹端ゼミブログを立ち上げる。これは、リンク先にも書いたように、学生さん達のやっている活動を、順次アップして貰おう、という試みだ。

学生達も、誰かに見られている文書を書く、というのは実に刺激的であり、ちゃんと調べてくるし、彼ら彼女らのエンパワメントにつながる可能性が実に高い。というわけで、学生教育の一環として、明日のゼミで早速発表し、使い方も説明した上で、早速今週末には宿題を出す、という鬼教官タケバタである。

でも、あながち「鬼」でもない。教育問題に取り組もうとするY君がブログで報告してくれるはず、の「自信力が学生を変える」(河池和子、平凡社新書)のなかで、宿題や課題をたくさん課した方が、学生のやる気が出る、という調査結果が出ていた。(ただゼミでこの本をネタに議論した時は、その対象の設定や調査地を巡って議論はあったが)

なので、早速著者が言っていることの実践、ではないが、学生さん達に宿題を今年はバリバリ提供している。その一環で、ゼミブログも学生主体で、明日以後、本格的書き込みがスタートする予定だ。

僕自身のつぶやきはこれまで通り、このスルメで。で、そこに書くほどのものではないけど、教育者タケバタの小ネタはブログで、とちょっとやってみるつもり。なので、出来ましたら、両方ごひいきに。

最先端と最後尾

 

久しぶりにのんびりとした朝である。
文字通り、疾風怒濤の日々が続いていたが、この週末は珍しく「2連休」。っていうか、本来お休みは「休む」ためにある、と考えると、ワーカホリックを無自覚にマゾヒスティックに楽しんでいる自分がいた、ということだろうか。だから、変に空白があくと、何だか居心地が悪い、という昔の悪癖を思い出す。

土曜の用事を一個飛ばしてまで日程的に確保したのは、とある原稿の締め切り日が今日だったから。確保した時点では、書き直しの原稿のスタンスが定まらず、相当な危機感を感じていた。しかも、先月から今月にかけて、あれやこれやと〆切や発表で追われ、せっぱ詰まっていた事もある。だから、この二日を確保せねば、と時間を空けておいたのだ。

しかし、それが案外早く、昨日の朝には編者と出版社に送ってしまうことが出来た。先週の金曜日、大阪に向かう特急電車の中で、エイヤッと構成を変えてしまった。筋を複雑に考えていたのをやめ、一本の幹に統一し、その幹に肉付けをしながら論を進めていく、というごく基本中の基本に立ち返って話を整理して見ると、思わずサクサク出来てしまったのだ。もともと紀要に書いていた原稿を、あるテーマの論集の1章に取り上げてもらえる事になったのはよいのだが、「障害学」というその論集のテーマとどう引き寄せていいのかわからず、さんざん回り道し、あれこれにわか勉強もし、迷いに迷った。で、結局のところ、「『入院患者の声』による捉え直し-精神科病院と権利擁護」というタイトルに落ち着く。障害学のスタンスが、これまで専門家が「これはよい」「こうすべきだ」と思って教育・指導・治療してきた営みを、障害者自身によって「捉え直す」営みであるとするならば、僕が権利擁護というテーマで関わってきたのも、まさしく本人の声による「捉え直し」そのものである。そう思ったら、変な肩肘を張らず、スルッと話が出てきた。

精神科病院の権利擁護の話、というと、すごく偏狭な分野の研究なのですね、と水を向けられることもある。あるいは、それはごく一部の劣悪病院の話であって「もう古い」、という顔をする人もある。でも、私にはそうは思えない。

日本や東南アジアの中小企業のフィールド研究をしている関満博氏の『現場主義の知的生産法』(ちくま新書)の中で、言葉は正確ではないかも知れないが、「両端を追う」という表現があった。ある産業なりフィールドの、時代の最先端と最後尾の両端を追う中から、その分野の構造的問題が見えてくる、と。福祉分野(とりわけ障害者福祉)における「最先端」が、社会保障政策の激変であり、自立支援法の急展開であり、市町村への権限委譲、という部分であるとすると、それと同じように忘れてならないのが、入所施設や精神病院という、「旧態依然」と言われながらも、これまでの隔離収容型福祉の主翼を担ってきた施設福祉へのスタンスである。時代は変わってきた、と言いながら、21世紀の現時点で、そこに3障害合わせて政府統計でも50万人近い人が住んでいる。山梨県の人口の半分である。その方々の権利擁護がどうなっているのか、は決して古くない課題、なのだ。

この話は、私が市町村役場を訪問していても、現実の話として出てくる。東京や大阪のように障害者福祉の地域での拠点施設が山梨の、特に山間部にはない。すると、「家族で支えられないから」という理由で、入所施設に入っておられる町村民、というのも、リアリティとして話に出てくる。あるいは家の中で障害者を抱え込んでいて、福祉サービスに全くつながっていない、という話も出る。その際、最先端!の「地域移行」「相談支援」の話をしてみても、「実際にはねぇ」「この町では無理です」「ご家族もそう望んでおられます」「家族の問題には介入できません」という話で終わってしまいかねない。その際、気になるのが、「ではご本人はどういう想いを持っておられるのでしょうか?」という部分だ。

今、私はお隣の長野県の知的障害者入所施設である西駒郷から地域に移行した人々の聞き取りを進める「検証チーム」の一員にもなっている。そこで、いろいろなグループホームに訪れて、ご本人の話を伺う。すると、20年、30年と西駒郷に住んでおられた方々の、いろいろな想いに出会う。ご本人の希望ではなく、周りから行くように、と言われて、わけのわからないうちに施設で暮らしたこと。盆や正月に実家に帰れたのがすごく嬉しかったこと。でも、親が死んでしまったら、兄弟のいる実家は居心地が悪かったこと。施設を出てグループホームで暮らして、テレビや部屋を独り占め出来ることが嬉しいこと。地域でいろいろな出会いが始まっていること・・・。

これらの「声」と精神病院の「入院患者の声」とは、表と裏、光と陰、のように、見事にひっついてくる。そういう聞き取りをする中で、やはり障害者本人の「声」が尊重されてない、聞かれていない、という現実に突き当たる。そして、「特別アドバイザー派遣事業」として「相談支援体制の構築」という最先端の(わけのわからない)仕事で市町村を訪れた時に、結果として議論になるのが、最先端の話、よりも、ご本人が望んだわけでもないのに、入所施設や精神病院での社会的入院・入所、あるいは家族による抱え込み、という、この最後尾に取り残されてしまっておられる方々をどうするんだ、という当事者の権利擁護の話になっていくのだ。

現実でおこっていることや、これからキャッチアップしていかなければならないこと、という今や最先端の話を考えるにあたって、常に取り残されている最後尾の議論も踏まえないと、首尾一貫した政策は作れない。市町村の現場をフィールドワーク的に回っていると、深くそう感じる。このことに関連して、先週からマスコミをにぎわせているコムスン問題も関わってくるのだけれど・・・少し話がゴチャゴチャになるので、改めて稿を変えて論じることにする。

脱皮の苦しみ

 

連休明けのこの1ヶ月、多くの「試練」と直面している。

以前書いた県の障害者福祉に関する特別アドバイザーの仕事が本格的にスタートし、今月から来月にかけてのたった二ヶ月あまりで、県内の28市町村全てを訪問することになった。実際の訪問し始めると、行ってみて初めて体感する市町村現場のニーズがたくさんある。そもそも「相談支援」ってなんやねん、ということから始まって、福祉という非定型なものに対する、行政現場の人のとまどいに多く出会う。法や条例をはじめとした多くのルールに則って仕事をするプロフェッショナルにとって、「目の前の人を救うためにどうしたらいいか」が第一義的でありルールは二の次、となる福祉的現実との折り合いを、なかなかつけにくいのもよくわかる。でもその相異なる価値観の真ん中に立ち、どういうポイントから「橋渡し」が出来るのか、を現場を体感しながら考えていき、時には説明する場面に立たされると、私自身の理解力や説明力が大きく問われる。

また、リスニング能力、という点でも、大きな転機に差し掛かっている。もともと私自身、増長的性質を持っているのだが、最近いくつかの現場で、相手の話を遮ってまで「こうすべきだ」とわめいている自分に後から気づいてハッとする場面があった。相手に良かれ、と思って、忠告している気になっているのだが、それってよく考えてみれば、相手の話を聞くことなく、自分の価値観や思想を押しつけていることに他ならない。また、その背後には“You are wrong!”という不遜さと、そのもっと背後には“I am rightという無批判さが内包されている。こういう不遜さや無批判さは、「裸の王様」に直結するだけに、実に危険だ。

不遜さや無批判さへの自戒、というと、昔、祖母から結婚時に言われた箴言を思い出す。

「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」

実りがあるかどうかは別にして、社会的な責任や肩書きがついてしまうと、どうしても人間は増長傾向を増しやすい。その際、実れば実るほど「ふんぞり返る」人々を垣間見て、「あんな大人は嫌だなぁ」と思っていた。だが、今、「あんな大人」にも近づく危機にある、と気づかされる。また、これに関連して、昔から母親にことある毎に、「ひろし、大人になったら叱ってくれる人はいいひんのよ」と言われていた事も改めて思い出す。最近、「叱って」もらえるチャンスは極端に減ってきた。そういう中で、放っておけば、すぐに天狗になりうる。あぶない、あぶない。

なので、直言をもらえるチャンスは実にありがたい。ありがたいのだが、直言故に、自分の偏差と真正面から向き合う必要があり、正直見たくない現実をもみるようで、しんどい時もある。前回のブログに書いたように、今月は共同研究の成果を代表でまとめる機会が何回かあった。その際、研究班の皆さんからは、忙しいさなかにもかかわらず、即時的に本質的なコメントを多数頂戴した。尊敬する先輩や仲間からの本質的なコメントほど貴重で有り難いことはない。のだが、本質的、ということは、必然的にその中にクリティカルなものが内包されている。リスニング能力がまだ不完全で至らない私は、ズバリ言われる本質的コメントを、私の意見への批判ではなくて、私そのものへの批判(=You are wrong!)と感情的に受け止め、自己否定と勘違いして、落ち込むこともあった。もちろん後から冷静に読めば、実に有意義な助言であるのだが、〆切間際にぱっと字面だけ読むと、「俺ってこんなに至らないんだ」と勝手に悲観的になってしまう自分が、まだまだいるのである。

ことほど左様に、聞くこと、読むこと、解釈すること、伝えること・・・これら全ての面で、いま、一挙に自分が「脱皮」することを求められている。ついでに言えば、このブログだけでなく、来月10日〆切の原稿も書きあぐねている、ということは、書くことにも脱皮が求められている。産みの苦しみ、なんて言えば美しいが、直面している自分からしたら、実にしんどい。

「仕事で『一皮むける』」(光文社新書)という本の中で、著者の金井壽宏は、「一皮むける」経験を「量子力学的な跳躍となった経験(quantum leap expoerience)」の日本語訳として使っている。まさに、僕自身、「量子力学的跳躍」のごとく、とてつもなく「跳躍」することが求められている。そんな脱皮の苦しみに差し掛かった、5月末日であった。

己の偏差(増補版)

 

「あんたの文章は、ほんまジャーナリスティックやなぁ・・・」

昨日の朝、学会の抄録提出の最終打ち合わせをしていた際、共同発表者がふと漏らした。今関わっているとあるテーマで学会発表をする、と決めたのが、連休明け。バタバタしていて、作り始めたのが今週になってから。で、何度も練り直し、関係者に見て頂いて、多くの本質的なコメントを頂いて、ようやく提出〆切当日の朝になって、何とか形になった。その最終原稿を巡るやり取りである。

何人かの助言をまとめると、私の書くものには、「価値観が出過ぎ」で「口語調」、そして「くどい」とのこと。自分一人でるんるんブログを書いている分には良いのだが、共同研究を学会の場で発表するにあたっては、この3つは致命的。「価値観が出過ぎ」であれば事実ではなくその価値観のとらえ方で発表内容が攻撃されてしまう。「口語調」になりすぎると、せっかくの発表の品格が揺らいでしまう。で、「くどい」とそもそも話を聞きに行く気がなくなってしまう。だから、絶対やってはいかんことなのだ。

学会抄録って、印刷されたものが後に残るだけでなく、「顔見世興行」的に発表のダイジェストを書くため、多くの聞き手にとってはそれを頼りに「どれを聞こうか」と値踏みするものでもある。いや、聞けなくても、残された記録を頼りに、当該研究の進捗具合や成果などを、外部から眺めることが可能なものである。研究チームの一員として、外部資金も頂いて、一定の社会的使命を持つ研究であればなおのこと、その成果をストレートに世に問いたい。その際、事実ではなく価値論争になったり、品格がなかったり、そもそもまわりくどいなら、せっかくのチームのやっている意義が台無しになってしまう。だから、直前にもかかわらず、関係者の方々が時間を割いて見てくださったのだ。関係者のみなさま、ほんとうに、ありがとうございます。

で、僕はずぼらな人間なので、これまで基本的に一匹狼的に、学会発表も文章も一人で書いてきた。ということは、他人とのコラボレートでこのような発表を作る、ましてや研究チームを代表して、なんていうことがなかったので、今まで自分の偏差を指摘される機会があんまりなかったし、あってもすっと頭に入ってこなかった。それが今回、原案を書いたのは僕だが、それを共同発表者で僕より遙かに頭の切れるH氏と毎日のようにやり取りをしていて、かなり色々ダメ出しを受ける。これって院生時代以来のしんどさ。ある程度まとまった、と思って切り返しても、「これじゃあ研究発表ではなく、何だかまだ実践報告だね」「まだ変だよ」とクールに返される。もちろん、代案も示してもらうのだが、そこから格闘が続く。その間も県の仕事関連の打ち合わせなどもあり、いつも深夜か早朝にクチクチ直す始末。その結果、ようやく最終稿が固まった後で、冒頭の発言を、しみじみ言われたのだ。

大学院に入学の際、僕はあるジャーナリストに弟子入りした。その師匠からは文章のイロハからものの見方、人生観まで実に様々なことを学ばせて頂いたが、書くプロでもある師匠から何度も言われたことは、「文章は省略と誇張だ」、ということ。見出しの一行でいかに引きつけるか、でその後読者が読んでくれるかどうかわかる。徹底的に考え抜いて、インパクトのある一文をぴりっと書けるか、が勝負だ、と言われてきた。で、「くどい」と指摘されることは、まだ省略が足りない、精進が足りない証拠なのだが、「誇張」というか、価値観を全面に押し出して、インパクトのある言葉を探す営み、というのは、身に染みついているような気がする。その部分をさして、先の共同発表者は「ジャーナリスティック」というのだ。

実は彼から以前にもそう指摘されていたのだけれど、そのときはその意味が正直わかっていなかった。だが今回、そうやって僕の文章に赤を入れるやり取りの中で、わかってきたのだ。あ、この業界では、僕のやり方の方が偏っているのね、と。

ただ、だからといって師匠に教えられたことが問題、とは思わない。むしろ逆で、中途半端な「省略と誇張」だからこそ、研究者からも、ジャーナリストからも批判される文体になってしまっているのだ。超一流のジャーナリストは、凡庸な学者を遙かに超えたよい「研究」をされておられる。それを、二人の超一流ジャーナリストに身近に接するチャンスを持って、実感した。問題は、その教えを、きちんと自覚した上で、体内化、徹底化出来ていない己の問題なのだ。この偏差を、血肉化できるか、が最大の論点なのである。

ことほど作用に、一匹狼、ということは、お作法がなっていない、ということの証拠でもあった。基本が出来てない、なんて、あな恥ずかしや。でも、よう勉強させてもらいました。おかげで、昨日原稿を出し終わり、その後家を飛び出して、午前は県の仕事で役場への聞き取り、午後は講演、を終えて駅まで送ってもらって気が抜けたら、とたんに急にヒドイ頭痛肩こりに。あんまり真剣に頭を使わないタケバタは、基本的に肩がこらない。久しぶりに真面目に頑張った、のであろう。昨晩はサロンパスが本当にじわーっと効いた。どうやら偏りは、ほんとうに「身体にくる」ようだった。

胆識を体感するには

 

連休明けの1週間、寒暖の差も激しく、木曜日を迎える頃にはぐったりしていた。
で、土日は仕事なので、金曜日は「臨時休業」。裁量労働制なので、この辺の加減が出来るところが良い。教員になった当初は平日に休む、ということが出来なくて、でも研究会、講演、調査などは土日に多く、結果、休みなく働いてかえって平日の能率を下げる、ということを繰り返していた。なので、ようやく最近、オン・オフスイッチをはっきり切り替えられるようになり、多少能率もあがる。

で、能率を上げるために!?、休みで訪れたのは、八ヶ岳の麓のアウトレット。今回はパートナーが所望され、お昼過ぎから出かける。今回は僕は買うつもりはなかったので、文庫本を抱えて、青空の下で読書。南アルプスの山々を眺め、初夏の風と陽射しを浴びながらノンビリしていると、一週間の気持ちの張りがほぐれ、バカンスをしているかのようなリラックスが出来る。で、読んでいたのは、バカンスには似つかわしくない!?一冊。

「一つの問題について、いろいろな見方や解釈が出る。いわゆる知識である。しかし、問題を解決すべく『こうしよう』とか『かくあるべし』という判断は、人格、体験、あるいはそこから得た悟りなどが内容となって出てくる。すなわち見識である。ところが、見識だけでは未だしである。見識が高ければ高いほど、低俗な連中は理解できぬから反対する。この反対、妨害を断固として排除し、実践する力を胆識という。いうなれば、決断力や実行力を伴った知識や見識が胆識である。学問は実にその胆識を養うところにある。」(伊藤肇「現代の帝王学」講談社文庫、」p86)

とある著名人が、若くして親から会社を継いだ時に一番参考になった、というので、古本で入手してみた一冊。古今東西の箴言と、名経営者の格言を織り交ぜている「自己啓発系」と言ってしまえばそれまでだが、昨今の自己啓発本との違いは、その掘り下げ具合。論語や十八史略などの古典の世界が、まだリアルに読者に訴えた最後の時代なのだろうか。出てくる経営者達も、そういった古典を自身のバイブルとして、あるいは難局を乗り越える際のぶれない指標として用いている。この本が出たのが1979年だから、たった30年前。それまで漢文的素養が当たり前のように日本に残っていたのに、その伝統がこの30年で見事に消えつつあるとしたら、実に寂しい。大事な筋の一本が、日本人の中から抜けていったかのよう。筆者の言うように、「知識」や「見識」があっても、「胆識」なき日本人が昨今多いのも、そういう古典との巡り逢いのなさが、その理由にあるのではないか。

最近、大学で担当している1年生向けの補習授業では、「声に出して読みたい日本語」(斉藤孝著、草思社)を用いて、みんなで音読している。「大学で朗読?」と思われる方もいるかもしれない。でも、高校までで、そういった古典との出会いに目や耳を閉ざし、つまんねえ、とシャッターを下ろしてきた学生達のエンパワメントには、力強い日本語が大きな励みになる。正直僕自身も、斉藤氏の一連の著作を「有名人だから」とさけてきた。だが、大学での補習授業(リメディアル教育って奴です)に向き合うようになってから斉藤氏の著作を読み始め、そういう臆断を反省。「教え育む」という営みと真正面から向き合って来た人の編み出した様々なメソッドは、使える、を超えて、一つの人間学として学びが多い。

日本語の暗唱や反復練習を重視した氏の教育論は、スポーツで秀でた能力を持つ学生達の勉強面のサポートの上で、彼ら彼女らの得意なメソッドが使えるため、実に役立つ。実際今年はそのリメディアル授業において、最後10分間、全員立ち上がって大声で、「祇園精舎の鐘の音・・・」なんて叫んでいる。担当する柔道部の1年生達も、身体を揺らして叫んでいる。そういった古典の「体感」の中で、少しでも「胆識」が育まれないだろうか。それが、担当教員の切なる願いでもあるのだ。