運命へのチャレンジ

 

Duty first, Self second! (大儀が第一、私は二の次)

連休中に映画館で見たクイーンでの、エリザベス女王の台詞。久々に質の良い心理劇を見た。ダイアナ妃の突然の死亡から1週間、自身の信念に基づき声明も哀悼の辞も発しない女王に対して、国民的なバッシングがエスカレートしていく。女王は、滞在中の別荘で、マスコミの膨大かつ一面的な報道に心を痛め、就任したてのブレア首相は、最初冷ややかに見ていたが、やがて女王の信念に気づき、共鳴の考えを持ち始める・・・。もちろんこの映画もフィクションだが、一方でマスコミ報道とい事実の切り取り方(=フィクション)についても考えさせられた作品であった。私たちが「一次情報」として鵜呑みにしやすいマスコミ報道が、いかに本当の情報の中から取捨選択と価値付けをした「二次情報」であるのか。一端流れ始めたマスコミ報道という流れが、いかに暴力的な色彩を持つのか。その中で、どういう決断を、どの場面ですることが、筋を通すことになるのか。

この映画を見ながら、大阪からの出張帰りにの汽車の中で読んでいた一節を思い出していた。

「人生のすべての決定が賭けである。どのような行動をとるにしても、その行動が将来どのような結果をもたらすかわからない状況で、可能な行動の中から1つを選ばなければならない。」(繁桝算男「後悔しない意志決定」岩波書店、p42)

クイーンの選択、でなくとも、私たち一人一人の「人生のすべての決定が賭けである」。その際、自分の今まで守ってきた価値観を固守する選択が、時として「時代のムード」というものと合わずに、大きな反発を催すこともある。それに対して、全てを引き受ける立場という重責であればあるほど、あるいはこれまで重責を担い続けてきた期間が長ければ長いほど、その「可能な行動」の選択肢の幅は狭まり、結果として自身の「賭け」のレートは高まり、選ぶ事への厳しさ、しんどさも増えていく。それを意識して、なおかつどういう「賭け」が求められているのか、この映画を見ながら、そんな事を考えていた。

また、この徹底的に論理的で、僕の文章とは違い無駄な形容詞や接続詞の一切ない、シンプルで骨太なテキストには、多くの名言が内包されている。そして、そういう名著は、別のある名著を思い出させてくれる。

「社会科学的認識の芽がわれわれの中で育ってくる最初の結節点は、われわれ一人一人が決断という行為に迫られることです。決断、賭けということであって、はじめて事物を意識的かつ正確に認識すると言うことが、自分の問題になってきます。(中略)事物の認識が深まれば深まるほど賭けらしい賭けができる。逆に言うと、深い賭けが出てきて、はじめて、主観とか希望的観測ではなくて、客観的な認識が自分のこととして出てきます。」(内田義彦「運命へのチャンレンジ」『社会認識の歩み』岩波新書、p44-45)

統計学的に言うか、社会思想史の側面から言うか、の違いはあれど、二人は同じ事を言っている。「賭けらしい賭け」をする主体とは、徹底した「事物の認識」を深め、それが「主観とか希望的観測ではなくて、客観的な認識」にまで高まっている。そういう深い認識があるからこそ、ぶれない決断が可能となる。

「一貫して安定した効果評価は、一貫した価値観の反映である。」(繁桝算男、前掲著、p98)
「後悔しないためには、変化しない大きな目標をもつべきであり、また、能動的な意志決定の機会をなるべく多く持つべきであろう。」(同上、p101)

常に「私」よりも「大儀」を優先させる、これも「一貫した価値観」である。また、「変化しない大きな目標」とも言える。そういう視点を持っていると、「決断という行為に迫られる」場面でも、「一貫して安定した効果評価」を持ち続けることが出来る。このぶれない視点があるからこそ、「深い賭け」が可能になる。そうした「結節点」における、主体的かつ本質的で、さらには「能動的な意志決定」のくり返しの中で、人々の信任や評価というものも、少しずつ積み上がっていく。それが「伝統」という無形のものを構築していく。

「伝統の価値を高唱する保守主義者はその価値の源泉を超越性、すなわち伝統が有限な人間を超出しているところに求めがちであるが、子細に眺めれば、伝統もまた人間のさまざまな活動の産物であり、問題解決のプロセスを経て形成されたものであることがわかる。伝統もまた『主体』的に形成されてきたのであって、自然の形成物ではない。」(間宮陽介「丸山真男」ちくま学芸文庫、p170)

そう、今日見た映画の中で演じられていたのは、クイーンという「有限な人間」が、「問題解決のプロセス」の中で、一貫した価値観を保持しながらも、「主体」的にその時点で深い賭けをし続けた、結節点におけるドラマだったのだ。それは「伝統」という「超越性」で押し切ることが不可能な、まさに「その行動が将来どのような結果をもたらすかわからない」分岐点における賭けの場面での、「能動的な意志決定」の瞬間に関する優れたフィクションだったのだ。

もちろん、事実はどうだったのか、はわからない。でも、それを見る私たちにとって、むしろ大切なのは事実の判定ではない。そうではなくて、そこでどのような選択がなされ、何が選び取られたのか。その際、自身の中でどのような価値観が大切にされ、守り続けようとしたのか。それが、賭けにどう反映されたのか。その部分が大切なのだ。だからこそ、映画のラストシーンでのクイーンの発言が、胸にしみるのである。

Duty first, Self second!

私自身も、これから社会的な立場で仕事をする機会が増える中で、この矜持を持ち続けることが可能なのか。賭けの主体として、しみじみ自分に問い直していた。

コーチ運に恵まれて

 

昨日の夜中あたりから、ふくらはぎに違和感を覚える。
その理由は既に知っていて、悲しくなる。そう、月曜日に久しぶりにテニスで必死になったら、翌々日に来てしまう、というおじんパターンなのだ。ああ、悲しい。

月曜日の夜は、教員有志でテニスをしている。だが、ヘビー花粉症キャリアのタケバタは、2月末からしばらくおいとましていたのだ。しかしようやくピークも過ぎて、前回から再会。とはいえ前回は途中で雨が降り出したので、実質的に打ち込んだのは3ヶ月ぶりくらい。激しく隙をついてくるH先生に翻弄されながら最初から走り回っているうちに、やっぱり足に来てしまいました。

で、昨日は仕事を早めに切り上げ、某所へ打ち合わせ。前々回に地域自立支援協議会のことを書いたが、新しい仕事をするときには、あれこれ情報収集をするだけでなく、肝心なお仕事のパートナーと何度もあって、話し込んでおく必要がある。今回は、一番大切なお仕事をしてくださるIさんと、方向性やどういう展開にしていくのか、をざっくばらんに話し合う。メールや電話ではなく、こういうお顔の見える関係から、方向性の微妙なズレなどが、少しずつ軌道修正されていく。海外ではテレビ電話会議も主流で、カリフォルニアでは一番会いたかった人が、現地に行ってみると、「今日は子育てでお休みだけど、電話会議」なんて言われてしまった。相手の呼吸はつかめないし、何しろ母国語ではないし、お顔の見えない話し合いは、とくに外国語では相当不利。なんせ会っていたら、わかんなそうな顔、とか、理解されてなさそうな顔、という非言語的ニュアンスが多くを物語り、ちゃんと補足をしてもらえる。でも、電話ではそのニュアンスは伝わらないので、高速で議論が進んでいく。それはそれは恐ろしい会議だった。そんなわけで、非言語的ニュアンスを確認する為にも、大切な人とは「お会いする」というのが肝要なのだ。

で、その帰り道、7時過ぎに、ジムに寄っていく。一応僕はそのジムチェーンの全店で利用可能なコースだそうで、昨日はいつも行く石和とは違って昭和インター近所の店舗に寄ってみた。プールで泳ぎたかったので、「今空いていますか?」と尋ねると、7時半からレッスンしているけど、空いてるコースはあるよ、とのこと。何のレッスンか、と尋ねてみると、ウォーキングのレッスンと、クロール・背泳のレッスン、とのこと。実はクロールだけがどうも苦手だったので、場合によっては教えてもらってもよいかも、と思いながら、プールへ。ちょうど時間になって眺めていると、どうもクロール・背泳レッスンには、一人しか参加されてない模様。それなら、と意を決して(結構言い出すのが恥ずかしくて緊張していたり)、「クロールの泳ぎ方を見てもらえますか?」と尋ねてみると、どうぞ、と言われてコースをうつる。水泳のコーチに教えてもらうのは、小学生のスイミングスクールに通って以来だが、実に分かりやすく教えてもらった。そのクロールのコツとは・・・。

とにかくストレッチのつもりで、身体を出来る限り伸ばす。手はなるべく前にだすように。水をかいた手を真ん中にもってこようとせず、肩の位置くらいでいい。肩を回すことを心がけて。バタ足は使わず、肩を使って、全身で泳ぐ。鼻から息を出しておいて、口で吸う。すると、息が出ているので、息継ぎの際、短時間で空気を吸える。息継ぎに慣れないなら、水面で声を出しながら鼻からも息を出せばいい。とにかくしゃべっているときに鼻から出すのと同じような、普通の息継ぎを心がける。まずはこれが出来るようになると、ずいぶん楽に泳げる。

呼吸が整ってきたら、ストレッチを意識すると、もっと楽に泳げる。お腹のあたりを手でかいて、手が出たら、顔を出す右側などは、顔が出ている視線を塞がないように、肘を曲げ、手を大きく回して、水面に入れる。入れるときは親指と人差し指から入れることを意識する。水面から出た手を大きく回そうと肘を意識し、肩を回すと、肩に押し出される形で逆の方の(水中にある方の)手が自然に伸びて、ぐっと前に出て行くし、ストレッチがかなり効いてくる。また肩が上がるので、自然に顔が浮く。呼吸もしやすくなる。さらに、全身が伸びきっていると、推進力が増す。その際、足もバタバタさせずに、内股気味に、足が触れあうくらいにしておくと、足がつることもなく、また足が開いていると沈みそうになるが、両足をそろえておくと自然に浮力で沈まない。沈まないと、無理して顔を上げることもない。

これが出来てきたら、今度は泳ぐ際、まずキックで5mくらい、その後速度が弱まったら、バタ足で2,3m、そこから泳ぎ出す。それだけで、ストロークの数が減る。もっと、楽に泳げる。

前回のスキーのレッスン同様、少人数でみっちり1時間教えてもらうと、実にコツがわかってくる。しかも、今回のコーチもわかりやすく(理屈で)、らくーに泳ぐためのメソッドをきっちり伝えてくださる。競泳するわけではないので、長続きするための泳ぎ方が一番知りたかった。何でも平泳ぎよりぜったいクロールの方が楽、と言われたのだが、今まで正しいクロールをすっかり忘れていたので、25mが苦しくて、ついつい平泳ぎや背泳に逃げていた。でも、と一念発起してちゃんと教わると、あら不思議。1時間の間に、だいぶ感覚がつかめ、何より楽に泳げるようになった。腕をきちんと回し、鼻から出して口から吸う、と意識するだけで、ずいぶん泳げるのだ。これを続けたら、どうやらスキー同様クロールも克服出来そう。

スキーといい、水泳といい、どうもここ最近、コーチ運がよいようだ。そういえば、泳ぐ前に出かけたIさんも、僕にとっては大切なコーチのお一人。そのコーチに教わったことを、きちんと現場で実践して、うまく課題を克服していかなければならない。忘れないうちにコーチから教わった事を書いておいて、後はPractice makes Perfect! 習うより慣れろ、だよね。次は金曜あたりにみっちり泳いで来ようかしらん。

他責的文法を乗り越えるために

 

土曜日は朝一番の特急に乗って東京入り。早稲田で朝10時から午後4時半まで学習会に参加。よくわかっていなかった障害者権利条約について深い議論を聞きながら、なるほど、と頭の中にしみこませていく。久しぶりにパソコンでずっとメモをとり続けながら、なので、結構くたびれる。

で、その後、場所を変えて、今度は社会保障に関する勉強会。様々なバックグラウンドを持つ若手で集まって、障害者自立支援法や社会保障改革を規定している「大きな流れ」や枠組みときちんと向き合って、あわよくば「隙」を探そう、という勉強会。大学時代に所属していた社会学の授業すらまともにとってなかったのに、法学も、そして経済学も、これまでまともに取り組んだことはなかった。でも、権利条約をどう日本に取り入れていくのか、という議論は明らかに憲法や国内法の議論を掴んでおかないと頭に入らない。また、社会保障改革に関しては、経済財政諮問会議の流れや、その背後に伏流する新自由主義的なもの、そしてその文脈の中でのケインズやエスピン・アンデルセンなどの福祉国家論についても見ていかないと、全く見えてこない。現場のリアリティとマクロ政策をつなぐ中範囲理論を考えたいタケバタにとっては、どちらも抑えておかないと、説得力のある話は出来ない。ふーっ、結局両方勉強しなければ仕方のないことなのですねぇ・・・。

で、その勉強会飲みながらの議論、を終えて、土曜日は久々に新宿11時発の「終電」で帰宅。日曜日はぐったりしていたので、ソファーで寝そべって、ぶらぶら読んでいた一節が、実に面白かった。

「前近代の伝統も、近代の理性も、そして脱近代の感性も、自己を外部に開くよりはむしろ自己を閉ざす殻となっている。丸山は折に触れて、日本人の『他者感覚』の欠如について語っている。他者を他者=他在として認識するには自己を自閉の殻から解放しなければならない、というのがその積極的な主張である。自己を開かなければ、伝統主義は『ズルズルべったり』の共同体主義になり、啓蒙合理主義は理性や知性の専制主義に、ポスト・モダニズムは『処置なしのロマン主義』に変色してしまうだろう。モダニズムだポスト・モダニズムだといいながら、これらのイズムがえてして同類異種のイズムになりやすいのは、彼らの精神が閉じている点で共通しているからである。だがら時あってか、西欧主義者が一転して日本主義者となり、左翼が右翼に転轍する。ナショナリティの脱構築を唱えるポスト・モダン派がある日、ナショナリストに変貌しないと誰が保証できよう。全共闘の『自己否定』すら彼には自己の絶対的肯定と見えた。『現代流行の「自己否定」とは、昨日までの自己否定(=したがって昨日までの自己の責任解除)と、今の瞬間の自分の絶対肯定(でなければ、なんであのような他者へのパリサイ的な弾劾が出来るのか!)にすぎない。何と「日本的」な思考か』(「自己内対話」233頁)と、ノートに記されている。」
(間宮陽介著、「丸山眞男」ちくま学芸文庫、p46

丸山眞男氏が戦中から戦後にかけて日々付けていた3冊のノートが、氏の死後、「自己内対話」(みすず書房、1998年)という形で公刊された。この彼の思いの詰まったノートに基づき、「彼がどのような問題と格闘したかを理解する」ために、「思想家という生身の人間の歴史と社会の歴史とそして思想の歴史という三つの歴史の交わる地点」(同上、p13)を丹念に追いかけた力作が、この間宮氏による論である。大学1,2年の頃、社会思想史のO先生の講義で初めて丸山や大塚久雄、アダム・スミスやウェーバーの思想に触れ、その先生の研究室に通い、「日本の思想」や「忠誠と反逆」の読書会に参加してちっとは囓っていたので、間宮氏の議論はすっと頭に入ってきた。しかも、面白い。吉本隆明など、全共闘世代が信奉した思想家による丸山批判ともがっぷり対峙し、「丸山批判に一般的にみられる傾向は、丸山の思考の連鎖を追跡する労をとらずに、結論部だけをつまみ食い的にピックアップし、そればかりかその結論を自分自身の文脈に移植して、その欠陥をあげつらっている」(同上、p23)と喝破するあたりは、間宮氏の深い理解に基づく一刀両断に、すごい、と目を丸くしながら読んでいた。

以前から、全共闘世代とは何だったのだろう、と個人的に気になっていた。あんなに世の中を変えたい、旧体制を変革したい、と「身体を張って」運動していたはずの人々が、自分がいざ変革主体、というか変えられるポジション・世代になった時には、すっかり批判していた相手方以上に保守的になっている、この変遷はどう考えたらいいのだろう、と「団塊ジュニア」(最近では「ロスト・ゼネレーション」とか言われてますが)として考えていた。その疑問に、「現代流行の『自己否定』とは、昨日までの自己否定(=したがって昨日までの自己の責任解除)と、今の瞬間の自分の絶対肯定」と整理されると、なるほど、と見えてくる。結局、運動だ、社会変革だ、と言っても、それがその世代のみで通用する閉ざされたファッション(はやり)であり、自己変革を伴わない、他者に開かれないものであれば、潮の流れの向きが変われば、当然の帰結として、その中身も変容する。そのとき、ベルボトムをスーツに替えるような気軽さで、全共闘から保守主義へと着替える。その際、一応周りへの「エクスキューズ」として、「自己否定」という名の「昨日までの自己の責任解除」をしておく。それさえしておけば、「無責任男」は、社会の共同体の掟からはみ出さない限りにおいて、無罪放免、となる。なるほどねぇ。

僕自身、全共闘世代を生きていないのだけれど、何となく、あの世代の運動は、「他者を他者=他在として認識するには自己を自閉の殻から解放」出来るチャンスだったのではないか、と直感的に感じている。そしてそのチャンスに、本当に「殻から解放」せずに、内向きな同世代にのみ通用する論理で終始した結果として、その後の日本の物質的繁栄と、その代償としての民主主義の実質的放棄、というか、精神的貧困、のようなものへとつなげていったのだと思う。政治や選挙へのしらけ、も、彼ら彼女らの世代の「昨日までの自己の責任解除」の過程の中で醸成されていった部分が多分にあると思う。その上で、「今の若い世代の政治離れは・・・」なんて言われると、「自分の責任を問わずに他責的な文法で語って、なんて身勝手な」と思う。そして、団塊ジュニアの世代は、その「他責的文法」者達の物質的繁栄を「すり込み学習」し、いつの間にか、大人になること=他責的文法で語る事、と勘違いしていく。なんという悪循環。

その悪循環にくさびを打つにはどうしたらいいか、と以前からぼんやり考えていたのだが、結局は「隗より始めよ」。自分の中の「自己を閉ざす殻」をどんどん開く以外にはない。I am right, you are wrong!という「自分の殻に閉ざされた心情の表出」(同上、p17)ではなく、相手の論理と真正面から向き合って、どうしたら議論の可能性余地があるかを考える、という自己変容(自分の主張を変える必要はないが、少なくとも議論のアプローチを変える)こそ、求められているのだと思う。

「論点を共有しているならば、当の理論や思想は自己の思考の展開に活路を開いてくれる可能性を持つ。自分にとって死活の論点とは別の点で意見が分かれても、その不一致はささいな不一致である」(同上、p20)

そう、自分の不努力を「世の中はどうにもならない」と言い訳にすげ替えて諦めている暇はない。ちゃんとした論点共有のために、ちゃんとがっぷり勉強せねば。

教育と研究、スポーツの「型」

 

昨日、プールでの出来事。
クロールがどうもうまく泳げず苦しかったのだが、ゼミ生で元水泳選手、に聞いてみると、「息継ぎで顔を上げるとき、左手に顔をくっつけた形で、水面に半分くらい顔を出すつもりでやっていますか?」とアドバイスされる。「いいえ、溺れそうになるくらい沈んでいるから、必死に顔を上げていたら、何だか首がこって、こないだなんてサロンパスをはったくらいだよ」と答えると、「ちゃんと左手から顔が離れないよう意識したら、沈まないし、首がつることなんてありません」と。実際にやってみたら、ほんとその通りだった。

実はそのゼミ生には、平泳ぎについてもアドバイスをもらっていた。「水泳って、足でのキックより、ちゃんと水をかけるか、ですよ」と言いながら、どう水をかけばいいのか、教えてもらったのだ。それ以来、平泳ぎもずいぶん楽になり、背泳を泳いでいるときも、腕の使い方を気にしていると、泳ぎ方が変わってきたようだ。

結局、泳ぐ、というのは、きちんとした「型」を身につけておけば、実に楽に泳げるし、楽しめる、という実感がようやくわいてくる。で、そうやって昨日泳いでいながら、この「型」ってプールだけじゃないよな、と実感。以前スキーのレッスンを受けた事を書いたが、あのレッスンの中でも、「型」がいかに楽に滑るために大切か、を身をもって教わった。その昔、ちっとだけテニスのレッスンを受けたこともあるのだが、以後、運動不足のタケバタがテニスだけは好きなのは、テニスが楽に打てるから。力を込めなくても、すーっと返すことが可能だから。そういう「型」を教わり、実践することは、スポーツが長続きするために必須のような気がする。

この「型」は、何もスポーツに限ったことではない。仕事面だって、全く同じ。大学では、教育と研究という二つの大切な仕事を担っている。教育面では、何度もここに書いてきたが、10年間塾講師をやっていた時に身につけた「型」がずいぶん役に立っている。当初は「最高学府なんだから」と変にしゃちこばって、エネルギーが空回りし、授業もゼミ運営もうまく行けない、ということがあった。しかし、私が20代で塾講師のプロフェッショナルの先生方から学んできた「伝える」「教える」ということの「型」は、現場が大学に移ろうと、決して変える必要のない叡智だったのだ。大学教員3年目を迎えて、自分の「型」を改めて見直そう、と、斉藤孝氏の著作を数冊読んでみて、本当にそう思った。彼の著作は今まで何だかタレント教員なので「読まず嫌い」だったのだが、読んでみて「目から鱗」が多い。つまり、「伝える」「教える」の「型」に関して、徹底的な研究をした上で、そのメソッドを抽出化して伝えてくれているのだ。自分がこれまで現場のプロから非言語的コミュニケーションを通じて学んだことも、言語でわかりやすく書いてくれている。こういう事が出来る人こそ、「伝えるプロだ」と再確認。ちなみに彼は、ものすごい量の本を読みながら、常に研究し続けておられる、ということもよくわかった。

で、これにつながるのだが、研究においても、結局「型」が大切になってくる。僕自身は、大学院時代、元ジャーナリストの師匠について、徹底的に「ものの見方」を学んできた。普通の院生なら基本文献を読みあさっている時代、数々の現場に師匠について出かけ、師匠から多くのお話を伺い、様々に質問し、師匠の視点を徹底して盗もうとした。師匠を離れ、大学で教員を始めたとき、自身がこれまであんまり文献と付き合ってこなかったことに気づき、すごく恥ずかしい思いで、必死になって読み進め始めた。そして、今までのやり方でよかったのか、と自身に問うこともあった。でも、最近現場の人と話していて、どうやら私の話が現場の方に「通じる」「伝わる」のは、この院生時代に師匠に弟子入りして、徹底的に視点を盗もうとした、つまり「型」を学んだからである、と痛感し始めている。昨日もとある精神病院の家族会総会で、「退院促進支援」の話をしていた。普通、病院内でそんな話をすると、拒否的反応を受ける可能性もある。ただ、その病院が大変風通しのよい病院であることと、そして私が抽象的議論でなく、現場のリアリティに基づきながら、権利擁護の部分で筋を通した話をしたから、病院現場の方々にも伝わる話になったのでは、と思っている。つまり、ここでも「型」を身につけたことが、うまく作用したのだ。

論文は、一人でも読める。でも、視点という「型」は、自分一人で身につけるのは大変だ。スキーや水泳でアドバイスを受けたら変わったように、塾講師時代に様々なプロフェッショナルの先生方に身近に接して多くを吸収できたように、研究面でも、ちゃんと「型」を学んでいた、ということにようやく気づき始めた。だから、あんまり研究でもしゃちこばらず、楽しく肩肘張らず、20代で得たやり方をうまく活かしていけばよいんだよな。無心に泳いでいると、そんなことが頭に浮かんできた。

気がついたら「正念場」

 

今日の午後、山梨県内の市町村の障害福祉担当者が集まる会議の場にいた。山梨県における相談支援体制確立の為の「特別アドバイザー」に、就任することになり、市町村の担当者の皆さんとお顔合わせの為に伺ったのである。

実はこの地域自立支援協議会の枠組みが提示された当初から、「『地域自立支援協議会』といった自立支援法の枠組みは、うまく使うと『現場からのノーマライゼーション』の具現化、となる」かもしれない、とブログだけでなく、県内外の学習会や講演の機会の度毎に、言い続けてきた。(この地域自立支援協議会の枠組みに関してはこちらなど参照)

この地域自立支援協議会について、単に年に一度集まって終わり、の会合をしているようでは、その地域の中で障害者を支援体制はまともなものにならないのではないか、これをきちんと出来るかどうか、がその地域の福祉力を試す試金石ではないか・・・ということを言い続けてきた。それを聞いた県から、「ほな、あんさんやりなはれ」と、ボールを向けられてしまったのである。

今回の障害者自立支援法という法律では、三障害と障害児でバラバラだった法律体系を一元化した、ということが大きな柱なのだが、実はもう一つ大きな柱として、市町村に大きく権限移譲をしていく、という点もある。これは介護保険の保険者が市町村なのでそれに合わせた、という部分もあるのだが、身近な市町村への権限移譲、というのは、ノーマライゼーションの文脈でも、大きく意味のあることである。

「ノーマリゼーションという新しい福祉概念を前提とするなら、ナショナルな政府や機関の比重が大きく後退せざるをえない。それに代わり、自治体あるいは人々が暮らす『地域』が重要となる。というのも、一人ひとりの個別具体的なニーズを適切に理解し、それに迅速かつ的確に対応出来るのは、彼らの身近にあって日常生活をともにしたり、直接見聞き出来る範囲にある集団や機関だけだからである。国民国家を脱構築し、統治力(ガヴァナンス)を地域的単位へと分解していくことは、ノーマリゼーションを実現するために、まず第一に必要とされる制度的措置と言えるだろう。」(厚東洋輔「モダニティの社会学」ミネルヴァ書房、p142)

山梨県内においても、人口20万を抱える甲府市と、合併して7万人口規模になった市、そして人口が1万近くの町村、あるいは山間部・・・では、その地域における福祉のあり方、は当然違ってくる。障害者専門の相談員を配置できる大都市と、幾つかの町が集まって寄合所帯で支援体制を考える地域、あるいは高齢者・障害者・児童といったニーズを一手に引き受けて困惑している町村・・・このように違う実情に対して、「ナショナルな政府や機関」がマニュアルを作って上意下達的にやった所で、実践現場では必ず齟齬を来してしまう。なので、一気に「統治力(ガヴァナンス)を地域的単位へと分解していく」ことになったのが、この障害者自立支援法である。そして、権限がおろされた各地域で、「一人ひとりの個別具体的なニーズを適切に理解し、それに迅速かつ的確に対応出来る」ための支援体制作りの一環として、地域自立支援協議会というものが立ち上げられてきたのである。そういう意味では、地方分権の試金石の一つ、に私自身がコミットする事になってしまった、とも言える。

そういう「脱構築」の現場は、やりようによっては大変面白いのだが、でも市町村担当者としては、必ずしもそうは思えない方も少なくないと思われる。なぜって、県内のほとんどの市町村は、障害者福祉担当だから、といって、社会福祉士や精神保健福祉士などの国家資格従事者を担当者に配置する、というわけでは必ずしもない。むしろ、ゼネラリストを育成する、という公務員の建前から、数年毎の配置移動で、この障害福祉にかかわることになられた方も少なくない。今日の会議を見ていても、この4月に配置換えされて新しく障害分野を一から担当者として必死で勉強している最中の方も、少なくないようだった。そういうリアリティの中で、いきなり「脱構築」といわれても、何を壊して、どれを創造したらいいのか、がわからない、という困惑の声も聞こえてくる。

そこで、昨年暮れの国の緊急経過措置、として現れたのが、現場の市町村担当者の支援役割を担う「特別アドバイザー」だったのである。概要を見てみると、こんなことが書いてある。

先進地のスーパーバイザーや学識経験者等23名を特別アドバイザーとして招碑し、チームで都道府県内の相談支援体制の整備や充実強化に向けて、評価、指導等を実施する。
特別アドバイザーは、毎月1回程度(集中的に何日聞か実施することも可)都道府県を訪問し、都道府県の担当職員及び当該県のアドバイザーと十分連携しながら、以下の事業を行う。
・都道府県自立支援協議会の設立・充実強化の支援
・ 県内を巡回するなどして、市町村(圏域)ごとの相談支援体制や地域自立支援協議会の立ち上げ・運営等についての具体的で丁寧な支援」

正直、これは障害福祉分野の「大物」がなるもんだ、と思っていたし、私のような若造がまさか「先進地のスーパーバイザー」なんかではない。なので、自分とは無縁だと思っていたので、本当に晴天の霹靂、であり、最初はお断りしようと考えていた。だが、それでも引き受けることになったのは、数年前に書いたこんな文章が頭によぎったからだ。(以下、恐縮ですが、拙文を少し長く引用してします)

「一方で、日本の知的障害者への地域生活支援の実状を振り返ってみたときに、ノーマライゼーションという言葉が『歴史的な言葉』になるほどまで浸透したであろうか? 言葉だけは輸入されるが、ベンクト・ニイリエ氏が言葉に込めた思想まで、日本に届き、それが政策にも活かされているのであろうか? これを振り返ってみた時、日本とスウェーデンの二国での大きな違いを感じざるを得ない。
 しかし、だからこそ、単なる外国のシステムや知識の輸入にとどまらず、知的障害を持つご本人達の想いや願いに基づいた、日本独自の本人支援や地域生活支援の体系を構築していかなければならない時期に来ている、と私は考える。今回、筆者が行った5ヶ月の調査の結果を、単なる『海外の知識の紹介と輸入』にとどまらず、日本の今後の本人支援のあり方や地域生活支援ネットワーク構築の上で、理念的基盤の一部として『使える』知識となるよう、出来る限り日本の地域生活支援の実状や課題を思い浮かべながら、そして日本の参考文献も踏まえながら、本報告書をまとめたつもりである。
 この報告書が、日本の知的障害を持つ人々の現状を変える一つの『武器』となり得るなら、筆者としては存外の喜びである。そして、筆者自身も、今回の調査の知見を元に、知的障害者ご本人の声に常に耳を傾けながら、日本独自の本人支援や地域生活支援の体系づくりに、知恵を絞り、汗を流して関わっていきたい、と考えている。」
(竹端寛「スウェーデンではノーマライゼーションがどこまで浸透したか?」平成15年度厚生労働科学研究 障害保健福祉総合研究推進事業 日本人研究者派遣報告書)

これは、スウェーデンで在外研究できた半年間の調査報告の、結論の最後に書いた、自分への「檄文」である。博論が終わったけれど、就職先が決まらず「フリーター」状態だったときに、ご縁をいただいてスウェーデンで半年調査させていただく機会があった。現地に住んでみて、肌で北欧の福祉を感じて、そのことをまとめた報告書を書きながら、横文字から縦文字への単なる輸入に対する限界を感じていた。もちろん北欧の先例に関して、学べることをきちんと学ばせていただいた上で、「日本独自の本人支援や地域生活支援の体系づくり」をちゃんと考えないと、日本の中でのまっとうなノーマライゼーションの実現は無理だ、と考えていた。そして、その実践のために、帰国後は「知恵を絞り、汗を流して関わっていきたい」と書いてしまったのだ。

そう書いた者の責任として、「知恵を絞り、汗を流」すチャンスとしての「特別アドバイザー」役がまわってきたのなら、お断りする理由はない。スーパーバイズなんてできないけど、各市町村で困っておられる担当者をサポートすることが、その地域における地域自立生活支援体制、ひいては障害者の権利擁護体制の確立のためにつながるのなら、一緒になって市町村の方と、その地域でできることを模索したい。そういう思いで、引き受けることになった。

今までは、批判する側、文句を言う側であった。今度は、己の実践が、批判される側、文句を言われる側、に変わる。言行一致かどうか、がまさに試される正念場に、気がついたら立っている。大変だけれど、やりがいはありそうだ。さて、これから二年間頑張れるように、まずは今日もジムで体力をつけてこようっと。

スリム化への途上

 

つ、ついに瞬間最大風速、じゃなかった、(ここ最近の)瞬間最小体重!?76.8キロを記録。

たぶん大学1,2年の頃の体重まで戻ってきたようだ。歳月は一回りしたが、体重はプラス12,ではなく、増減ゼロに戻れたのなら、これほど嬉しいことはない。ただ、瞬間最小、と書いたのは、ちょうど仕事でクタクタだったので、ジムに行かず、風呂で1時間ほどこってり汗をかいた後だったから、ということ。あと、考えられるとすれば、夜に肉を食べるのを減らしたのと、お酒を控えるようになった、のも一因かと。これで手を抜いては元の木阿弥。明日はちゃんとジムに行かねば。これで夢の75キロという今年の目標も、少しは現実的なものになればいいのだが。

体重が減ると、細くなったのはウエストだけではない。最近感じるのが、首まわり、そして足と手の指まわりと手首が細くなった、ということ。鏡を見れば以前は「なかった!」首が生えてきたような気がしている、という気のせいだけでなく、現実的に靴も指輪も時計のベルトも少し余裕が出てきた。ま、足はもともと24.5と小さいのだから、出来たら足よりお腹の「段腹」がもっと引っ込んで欲しいんですけど・・・。でも、正直以前は鏡餅状態だったのだが、これも少しはマシになる。ここが最大の難関のようだ。

で、体重が減ったので、ひさしぶりにブログと向き合う余裕が出てきました。

ここ最近、余裕がなかった、というよりは、むしろ心機一転したので、いろいろ他のことに集中していた。まず、念願の新聞切り抜きのPDF化をアルバイトしてくれた学生さんのおかげで完了。おかげで今期の授業に使えるネタもいくつか思い出してしまった。そして研究室を片づけてみると、妙に他の部分が気になりはじめた。特に気になったのは、自宅の仕事部屋の汚さと、研究室の自分の机付近の書類の多さ。自宅の仕事部屋の汚さ、は主に衣類の収納問題だったのだが、これも週末を使ってバッサリ片づける。ついでに自宅の机の上もざっくり捨てると、あら不思議。気分が落ち着いてくる。

そして月曜日から大学でいよいよ本気で仕事モード。次の〆切原稿に向けた下調べをしていたのだが、どうも机付近の書類が気になる。ひとたび綺麗な環境が構築されてくると、汚い一カ所が、あまりに目立つのだ。手元に置いておきたい資料・・・という言い訳をしていた部分なのだが、えいやっ、とその部分もざっくり処理。おかげで、机の上も充分に書き物したり資料を広げるスペースが出来た。まさしく、保存資料、読まなければただのゴミ、である。どうもリスさんのように資料を溜め込んでいた事も忘れてしまう性質のようだったので、これは本当に危険。リスから脱却するために、と買ってみた、とある雑誌の特集記事は『なぜか「仕事が速い人」vs.「遅い人」の習慣』

我ながらベタなチョイス、と思いながらも、いやいやどうして、風呂につかりながらざっと目を通すと、意外に使える言葉が並んでいる。「机の上が汚い人はたいてい仕事が遅い」「仕事が遅い奴で一番目に付くのは、やっぱり段取りが悪い」「その場で処理できること、判断できることは後回しにせず、その場で処理・判断する」「二秒後も二時間後も、メールの内容は変わらないから、時間をかけない」「早朝にきっちり予定を立てる」「一日を、インプット、アウトプット、自分のための時間、睡眠時間と4分割する」・・・これらはどこかで聞いた事があるけど、言い訳が先立ってなかなか実現出来ないことで、なおかつ今の自分が大切にしたいこと。これだけの発見を520円で出来たら、お得感は強い。ま、問題はダイエットのように意識化出来るか、なんだけれど・・・。そうそう、M先生からのお尋ねメールも、明日の朝こそ返信しなくっちゃね。先生、リスのように溜め込んで、すいません。即答、が基本ですね。

そうそう、ざっと目を通して「お買い得」、といえば・・・の本を紹介したいのだけれど、たまに今日はエネルギーが少し切れてきた。こうやってたまにしか更新せずに、そのときだけどばっと書くよりは、時間は細切れ、出来ることは少しずつ、が仕事ノウハウ本を眺めていて、「達人達」のどうやら基本のようです。なので、明日空いた時間で、その本は紹介しましょうっと。

さまざまな整理

 

うららかな春の日差しの今日、大学では入学式である。
僕自身もすがすがしい気持ちになっている。その最大の理由は、ようやく念願の「本棚整理」を果たしたからだ。

ずいぶん卑近な話に戻ってしまうが、でも物理的整理は頭の整理につながる。というか、ここ最近、「あの本って持ってなかったよなぁ」とアマゾンで「ワンクリック購入」した後になって、当該の本がひょっこり顔を出すケースが重なっているからだ。2年前、この大学に着任当初はある程度把握出来る範囲の本であり、かつそれまで8畳の部屋に重ねて置いていた本を、ようやくまともな本棚に置ける、とあって、ずいぶん書架にも余裕があった。それが、この二年の間に、少なくとも2つの新しいジャンルに手を染めはじめ、もともと追いかけていた分野の蔵書も当然増えていくので、伸びが加速度的になっていった。しかも、二年前に割ときっちり詰めた部分に後から追加で新しい本を入れる余地は少なく、もともとジャンル別に分けていたはずなのに、いつの間にか、あっちこっちとバラバラになる。さらに、仕事で必要な時に取り出して、別の所にしまい込むので、もうグタグタ。挙げ句の果てに仕事が立て込んで片づける機会を逸したのが最後、ジャングル状態になってしまっていたのだ・・・。

そこで一念発起。新年度を迎えたからには、と、一昨日昨日と、学生さんにバイトで手伝ってもらい、サクサクと整理していく。昔から、整理整頓の途中で出会った本なり資料なりを読み込んで、結局自分一人では絶対片づけられないたちなので、人に見られている、という環境に追い込んで、どんどん書類を捨てる、という方針でやってみた。段ボール箱で3箱分の書類を捨て、ここ最近さわっていなかった書類箱の幾つかにも手を入れ、ごっそり処分した。それと共に、本棚の再構築。以前より多くの列に本を分散させ、余裕スペースを置くようにした。その過程でいくつもの「読むべき本」「学生に読ませたい資料」などにも出会い、ついでにこれから数ヶ月の仕事上で必要な本のピックアップまでしてしまう。おかげさまで書架と共に頭の中も整理され、研究室でこうして本棚をぼんやり眺めていると、本が呼んでくれている、という状態にようやくなってきた。つい最近までひしめきあっていた本から聞き取れなかったメッセージを、ようやく聞けるような余裕が、本棚にも、心の中にも、出てきたようだ。ああ、仕事しなきゃ。

で、新年度の初めに相応しい、と言えば、本棚整理だけではない。昨日届いた本の第部を今朝読んでいて、実によいフレーズに幾つか出会った。

「私はこの本を書くために、さまざまな分野の変革について調べてみた。その際には必ず、ビジョン、誠実さ、まわりを説得する力、目を見張るほどの体力などを備えた人物による、がむしゃらなまでの努力があった。」(デービット・ボーンステイン「世界を変える人たち-社会起業家たちの勇気とアイデアの力-」ダイアモンド社、p197

最近リーダーシップ論の本を読み漁っているが、この4つについては、変革をもたらすビジネス界のリーダーにもまさに共通する要素である。ちなみに、社会起業家、とは、起業家の前に「社会」がつくのがミソ。ビジネスの分野の起業家とは違って、営利追求を第一にしない、社会のために役立ちたいけど既存の仕組みでは無理、という時に、新たな枠組みやサービスモデルを作り上げて行く人々のことを指す。本来、福祉の世界に入っていく人の中にも、少なからずこの「社会起業家」のマインドを持って入る人も少なくなかった、はずである。だが、いつの間にか、「現実」とやらと妥協して、そのマインドが薄れていく。そういうのって、つまんないよなぁ、と思っていたので、実にこの本は刺激的だ。

実はこの訳本の本来のタイトル、“How to change the world -Social Entrepreneurs and the Power of New Ideas”がすごく気になって、原書を1年程前に買っていたのだ。でも、忙しさにかまけて読めずにいたら、その間にちゃんと日本語訳になっていた。しかも、ざっと目を通して中身が分かるほど、わかりやすい訳文で、大切なところを強調までしてある。で、装丁や訳の良さ、だけでなく、中身も本当によい。

「世界を変える組織には、共通の特徴があるようだ。
(1)苦境にある人々の声に耳を傾ける
(2)予想外の出来事からひらめきを得る
(3)現実的な解決策を考える
(4)適材を見つけ出して大切にする」(同上、p218

福祉現場の組織論、人材開発論についてここしばらく考えている僕にとって、この4つも実に納得がいく。福祉現場で(1)を疎かにしてしまう組織は、動脈硬化を起こしていて、組織としての寿命が危うい。人々の幸福を考える仕事では、当然その反対に位置する立場に置かれた人々(業界用語では「困難事例」)との出会いが、真価が問われる瞬間だ。その時、普通の解決策では上手くいかないから、「困難事例」であり、当然の事ながら、何らかの新たな(現存していない)策が求められる。で、それを(2)にあるように、いろんなチャンスを活かしてひらめきを得る、だけでなく、(3)にあるように「現実的な解決策」に落とし込んでいく必要がある。その際、それらを一人で全部こなすのは無理だから、(4)にあるように適材を活かす、任せる力がないと、「燃え尽き症候群」になってしまう。

そして、優れた多くの社会起業家にインタビューした著者が抽出した「成功する社会起業家の六つの資質」というエッセンスも実に興味深い。

(1)間違っていると思ったらすぐに軌道を修正する
(2)仲間と手柄を分かち合う
(3)枠から飛び出すことをいとわない
(4)分野の壁を越える
(5)地道な努力を続ける
(6)強い倫理観に支えられている

この6点を見ながら、博論のために京都の117人のPSWにインタビューしていた時のことを思い出した。自分が「この人は面白い」「この地域・団体は何だか活き活きしているぞ」というキーパーソン的役割の人々も、上述の6つの要素を持っている方が多かった。既存の枠組みで解決出来ない問題では、時として(3)にあるような「飛び出す」ことが求められる。でも、多くの人にとって、既存の枠組みが間違っているとしても、「どうせ無理だから」と諦めて、(1)の姿勢を貫けない。でも(5)にあるような地道な努力と、時として(4)に書かれたような異分野の(狭いタコツボの外の)人々とのコラボレーションによって、道が開かれる時がある。しかし、突き抜けた人、に共通するのは、「我が我が・・・」とはしない、という意味で(2)のようにわかちあいをいつも忘れない人であり、その背景には(6)の「強い倫理観」がキーになっている。

こうやって書いていて思ったのだが、この本も、自分の頭の中の整理に実に役立つ本であった。もちろん、第部の実際に世界を変えた10人のストーリーも、目次だけ見ていてもすごく面白そうだ。これは週末のお楽しみ、と取っておこう。

外を見ると、新入生や保護者の方々がぞくぞく体育館に向かっていく。彼ら彼女らと、どんな出会いが出来るのか。講義やゼミを通して、社会に対して「諦めない」という姿勢を持ってくれる人を、どれだけ生み出せるか。この本を通じて、僕自身も勇気をもらったようだ。今年度も、頑張ってみよう。

44+12

 

今朝、国道58号線沿いの食堂「みかげ」で朝食を食べていた。
ここ2ヶ月ほどの忙殺スケジュールの「ご褒美」ではないが、つかの間のリフレッシュである。豆腐チャンプールが、朝から妙にうまかった。

そう、溜まったマイレージで夫婦二人分の国内旅行が行ける事になっていたので(それほど仕事で貯めてしまっていた)、初沖縄してみたのである。しかも、決めたのが、3月頭、ということもあり、飛行機はほぼ一杯。ようやくとれたのが、木曜午後1時羽田発、土曜午前11時45分沖縄発、という往復便。ということは、沖縄滞在がたったの44時間、である。ちなみにタイトルの+12、とは甲府-沖縄の移動時間である。片道6時間かけて出かけて、丸二日も現地に滞在できず、帰ってくる。実にあわただしい旅だが、しかし、本当に出かけて良かった。

昨年のちょうど今頃は、タイ、ミャンマー、ラオスの三カ国を巡っていた。そのときのブログにも書いていたかもしれないけれど、僕はアジア旅が基本的に好きである。なんてったって、日本に比べて、のんびりしていて、温かくて楽天的で、かつ食べ物が美味しい。この3拍子が揃っているのでタイにいきたい、という思いは強かったのだが、今回沖縄に出かけてみて、灯台もと暗し。沖縄も、立派にこの三拍子が揃っている。海やリゾート、という固定観念が強かったが、そういった要素のない「下見旅」でも充分楽しめたのだ。

そう、今回の沖縄はあくまで「下見旅」。直前に旅行を決め、まだ海のシーズンに早いので、泳ぐことも出来ない。しかも、タダの航空券のため、時間指定もままならない。たった44時間しか滞在できないから、リゾートホテルに予約しても、落ち着かない。なので、ホテルは那覇市の繁華街近くの、ちとこましなビジネスホテル。レンタカーも12時間でガソリン代をいれても5000円強、と大変リーズナブルな旅だった。でも、美味しい刺身も食べ、泡盛もたくさん頂き、デューティーフリーにアウトレットまで出かけ、夏物のジャケットまで買ってしまった。と書くと、こないだのカリフォルニアでスーツの話同様なんだかブルジョアチックなので、念のために申し添えておくと、ここ数年、服は最近アウトレットでしか購入せず、かつスーツやジャケットなどの「大学教員としての」基本的アイテムの持ち合わせはほとんどない。あか抜けない院生ファッションしかワードローブにはないので、まあ、この辺のお買い物は「必要経費」の範疇なのである。

お買い物といえば、こういう内地でも買えるもの、だけではない。最高気温27度の夏気分の中、道ばたで売られる沖縄の野菜や果物もたっぷりと買い込み、国際通りで典型的な観光客歩きも満喫する。市場では、沖縄仕込みの味噌も1kg買ってしまう。もちろん、自宅用の泡盛に、研究室で学生と食べるサーターアンタギーまで。こうやって現地でバクバク食べていると、去年のタイから帰国後なんか、ものの見事に太っていた。でも、沖縄料理は油を使っている割にはあっさりしていて、帰って体重計に乗っても、78キロ台をキープ。なんとか体重も許容範囲だし、明日以後再びせっせとジムに通えば、体重はまた元通りになるだろう。ほんと、よい気候と美味しい食べ物で、南国的雰囲気にすっかり身も心もほぐれていた。

だが実は、木曜日の段階では、かなり危なかったのだ。朝から扁桃腺はちょっと腫れているし、寒気もする。葛根湯を飲んで、厚着をして、列車でも飛行機でも昏々と眠り続けていた。なので、この旅は本当に大丈夫なのだろうか、という不安が先行していたのだ。だが・・・現地についてみたら、思いの外、暖かい。しかも緑の多い那覇市内で、時の流れも、のんびり穏やか。奥様所望のDFSに出かけた後、国際通りや公設市場を覗いていると、バンコクの喧噪を思い出す。しかも、その晩入ったホテルの近所の居酒屋では、超絶品な刺身の盛り合わせに、魚のバター焼き。オリオンビールと泡盛でクラクラしかけた頃には、すっかり風邪も二ヶ月間の仕事の疲れも吹っ飛んでいた。

タイに行かなくても、充分に南国の良さは満喫できる。しかもたった丸二日でも、めちゃくちゃ楽しめた。次は、もう少し作戦を練って、是非とも石垣島などの離島にも寄りたい。もう少し時間も取りたい。あれも食べたい・・・などと、「また来たい」と思うくらいの、満喫であった。甲府に帰ってくると、月末の原稿の最終チェックの仕事やら、年度明けの仕事のあれこれやら、急に現実に引き戻される。でも、2月3月の多忙の後に、こういうギアチェンジのための「潤滑油」がさされたので、何とかまた走り出せそうだ。4月以後、大学の仕事だけでなく、とある公的な仕事に相当翻弄されそうなので、その前に、身も心もリフレッシュできたのは、本当に良かった。さて、明日から新年度。早く沖縄時間から、仕事モードに立ち上げないと・・・。

落とし穴にはまらないために

 

恥ずかしい話なのだが、今年になって初めて「出汁」を取り始めた。

きっかけはまたもやダイエット。今年初めに読んだある栄養ジャーナリストの本を読んでいたら、煮物には一切砂糖を使わない、ちゃんと出汁を取れって、料理酒で味付けをすれば充分よい味が出る、と書いてあったのだ。とはいえ竹端家は結構砂糖を使った煮炊きものが多い。母親に聞いたところ、母親の実家(島根)では砂糖はそんなに入れなかったが、京都で育った私の祖母は醤油と砂糖で甘辛く煮る、実に内陸的な(京都的な)炊き方をしていたらしい。なので、父親からのリクエストで、次第に味付けも甘辛くなっていったそうな。母の味を再現する事がまず第一だった僕も、当然甘辛く煮ていた。でも、確かにこの本の著者の言うように「砂糖は百害あって一利なし」かもしれない。それなら・・・と、近所のスーパーで「そば・うどんに最適の鰹節」がうってたので、試しに買ってみた。すると・・・。

意外と簡単に、かつめちゃくちゃ美味しかったのだ。まず、安い昆布を買っておいて、それは一切れ、水煮する。ぐらぐらきたら、鰹節か、あるいは諏訪の魚屋で買った煮干しを放り込む。どちらにせよ5分程度、グラグラする。で、昆布と鰹節ないし煮干しをすくって、だし汁のできあがり。味噌汁ならあとは具をいれて一煮立てしたあと味噌を入れる。今日みたいに魚の煮付けなら、ここで具材を放り込み(今日はブリのあらに笹がきゴボウ)、酒とみりんで味付けてグラグラ。最後に醤油を適量いれたらオシマイ。どちらもやってみてわかったのだが、某「だのもと」時代とは全然違う、素材本来のおいしさが見事に引き出されている。いかにこれまで人工甘味料と砂糖味、で誤魔化してきたのか、と深く反省。それと共に、本来の出汁の素材を引き出す力、うまみを構成する力、に改めて恐れ入る。ヘルシーで、ほんとに美味しい。

ということをブログに書けるくらいなので、まあ何とか元気です。ただ、出張が終わった後、今度は年度末が締め切りの原稿3本に追われているので、なかなかドタバタしております。木曜日は研究室のお片づけに、土曜の講演レジュメ作成、そして我が家の仕事場のお片づけをやっているうちに日が暮れる。あけて金曜日は、大阪の「お母様」と共同作業である原稿の、自分の担当部分をサクサク書き上げて、また「お母様」にメールでお送りする。原則として他人との共同作業は自分のペースが守れないので好きではないのだが、尊敬する「お母様」との仕事は別格。いつも共同作業から、様々な叡智を頂き、多くのことをインスパイアされる。きっと、「お母様」からしたら、いい加減な僕の仕事に合わせることの方が大変なのだろうけれど、それでもこちらの問いかけ、書き方にも誠実に答えてくださるので、ありがたい限り。金曜の夜中までみっちり書き上げて、メールで送信する頃には、既に丑三つ時だった。

で、土曜は朝から別の草稿をサクサク書いて、講演に出かける。講演が終わって、地元のスーパーできのこをたんまり買い込んで、キノコパーティー”。薬膳料理的に、久しぶりにたんまりキノコを使い、また一個25円だった手羽元を20個買い込んで、寸胴鍋で大量にキノコスープを作る。日曜の朝はうどんをいれてキノコ汁、昼はそこに味噌も加えて味噌煮込みうどん、と一度の手間で三度美味しい料理だった。で、今、このリンクをはる為に調べていてびっくり。2006年1月7日は81キロだったんだね。その後、20070104日のブログではついに84キロを記録し、そこからダイエット開始。先ほど入浴後に体重計で測ったら、77.2キロ。今日は朝から夕方4時頃までみっちり別の原稿と格闘して、その後ジムでプールサウナ、で汗をかいた後なのだが、それでもよう頑張っているよね。というか、去年の正月より3キロ太っていた今年の正月って一体・・・、である。これらを、食生活改善と運動、という根本的な正攻法で改善するのが、今年の戦略なのだ。だから、出汁作りと、ダイエットは、きわめて真っ当である。

で、そういえば最近このブログでは書評らしきものはあんまり書けていない。本当は紹介したい本が数冊あるのだが、きっちり腰を落ち着けて紹介する余裕がないのだ。今日もちと酔っぱらってしまっているし。そんな折、ぱらっと開けた、最近読んで深く納得の一冊に、今日のこの流れと合致する箇所を発見。

「言いたいことは、初心を忘れないことがいかに困難かということだけだ。それに、手段であった信用蓄積が、いつの間にか目的に変わってしまい、かつての夢や志が消え失せていく政治家がいたとしても、だれが笑ったり、批判したりできるだろう。現実に染まっていくのは、政治家だろうが、ジャーナリスト、教育者、ビジネスマン、官僚だろうが、同じなのだから。」(野田智義、金井壽宏「リーダーシップの旅」光文社新書、p145)

理想を実現したい、という初心を貫徹するためには、多くの他者の理解が必要だ。その際、理解を得る上では「信用蓄積」という手段が大きな効力を発揮するが、いつの間にかその手段が自己目的化すると、気が付いたら初心ではなく、信用蓄積のための行動、という本末転倒な「現実に染」まる事態に陥ってしまう。だがこれは、何も政治家だけでなく、彼らを批判するジャーナリストや、私のような教育者、あるいはビジネスマンや官僚と、職種を超えて共通の「落とし穴だ」と著者達は指摘している。

他者を巻き込むことですら、これほどの落とし穴があるのだ。それだけ、自己をきちんと律することが求められる。その前に、まずは他人を巻き込まない自分だけで完結する場面でも、きちんと初心貫徹、という理念の内面化と完遂が求められる。

僕自身、脇がすごくあまい人間だし、いつも逃げるための言い訳を考えている人間だ。去年の時点で、81キロという自分の体重にも「忙しいし」「まあ何とか許容範囲だし」なんていう、よく考えたら何の説得材料にもならない事に自家中毒状態になって、結局その「現実に染」まった結果が、今年年始の84キロ越えにつながったのだ、と思う。他人に協力を仰ぐ以前の問題として、自分だけで解決できうる問題でも、これだけ苦しいのだ。そういう意味で、ちょっと偏屈なくらい、このブログでもかき立てたし、半ば意地になってダイエット作戦にここ3ヶ月取り組んできたが、「夢や志が消え失せ」ないためにも、ある種のよいリハビリになったように思う。問題は、これでよしとせず、だからこの体重を維持(ないしはさらなる減少)をさせながら、さて次はどういう「夢や志」で頑張りますか、ということである。

ま、それをちゃんと考える前に、まずは年度末の原稿を綺麗さっぱりと終わらせることの方が先ですよね。締め切りは、遅らせるため、ではなく、守るために存在している、はず。あと数日で終わる年度末前に、ちゃんと雁首そろえて出しておかないと、気持ちよく「年が越せない」。さて、あと数日、気張って頑張るとしますか。

「死のロード」を振り返る

 

長かった出張モードもようやく今日の日帰り東京出張でおしまい、である。

2月3月はとにかくひどかった。この2ヶ月で、記憶に残っているだけでも、大阪出張が6回、東京出張が2回、長野出張が2回、カリフォルニア出張1回、である。その間手帳も消えてしまったので、記憶も曖昧だが、たぶんこんな感じだっただろう。あ、その間に二泊三日で妙高高原に滑りにもいったっけ。ということは、ほんと、半分以上家にいなかったことになる。まるで夏の高校野球が開催中の阪神タイガースの「死のロード」のような日々であった。

身体はちとしんどいが、それでも風邪を引かずになんとか乗り越えられたのは、ひとえにダイエット&運動モードに入っていたから、だと思う。昨日帰宅後にはかったら78.4キロだったが、体重の減少だけでなく、この1月からの3ヶ月で、体重の減少で身体が軽くなったと共に、幾分体力がついた。ばてにくくなったのだ。ああ、しんど、と思っても、そこからもう少しだけエネルギーが出るようになってきたのだ。

この間、カリフォルニアのホテルでは5回、大阪のホテルでは7回ジムに行き、神戸のホテルで1回泳いだ。何だか執念、というかとりつかれたようにジムに行っていたことになる。そういえば数年前、イギリスの著名な地域精神保健福祉の研究者兼精神科医の講演会に出かけた折のこと、講演の内容はほとんど忘れたのだが、彼が「私は日本滞在中も毎日プールで泳いでいます。自分のメンタルヘルスのためにも」と言っていたことだけが、妙に頭の片隅に残っていた。で、今回それを実践してみて、確かにその通り、と体感。出張中はただでさえ枕と食事と生活パターンが変わるので、リズムが狂う。あと、インタビューにしろ、講演にしろ、確実にたくさんの人に会う。そういう出入力が普段と違った意味で過剰になってくると、どこかでバランスを取り直す瞬間がないと、身が持たない。それが運動していると、汗をどばっとかくと共にすっとバランスまでも取り戻してくるのだ。身体の軸がしゃんと戻ってくる気分である。

でそうやって身体をジムモードにしていくと、身体から欲するシグナルも以前より聞き取れるようになってきたような気がする。現に今も身体が「運動せえへんの?」と問いかけてくれているのだ。「ごめんね。今日は10時半の特急で東京に行かなあかんので、明日の夕方まで待ってね。」 山梨のジムには引っ越し直後から入会していたのだが、以前は「仕事が忙しいand/orしんどいジムを先送り」という悪循環に陥っていた。でも、実は心身のバランスを保つためには、「仕事が忙しいand/orしんどいだからこそジムで気分転換」が必要だったのだ。言われてみたらごく当たり前のことなのだが、心から納得する、というのはなかなか難しいものである。

ここ最近、福祉専門職の「態度変容」ということが、研究の焦点に挙がっている。講演でもあれこれしゃべり、インタビュー調査もそういう内容で行った。4月からは、大規模に地域に入ってそのお手伝いをすることになりそうだ。その際、人に言う前に自分が変わっていないと、と思っていたので、ある種の「人体実験」を今回挙行したことになる。で、自分で試してよくわかったこと。それは、納得しないといくら他人からやいやい言われても変わらない、ということ。で、納得するためには、納得しない限りは後がないと言うところにまで追い込むのも一つの方法である、ということ。それから、後がないところで、いきなり高いハードルだけでなく、すぐに出来そうな低めのハードルも提示しておけば、重い腰を上げることも不可能ではない、ということ。これらの体験知を、ちゃんと仕事に活かせれば、それこそもうけもん、である。

ま、こういう「もうけもん」があったから、「死のロード」も最終的にはよかったことにしよう、と楽観的に結論づけて、そろそろ東京行きの準備を始めるとしよう。