送り出す側、受け止める側

 

この一週間も高速で過ぎ去っていった。

日曜日の大阪に行って、水曜日まで調査などであれこれこなす。当然お宿はホテル京阪京橋で、朝からせっせとジム通い。で、食前に運動するとお腹が空いて、朝ご飯をもりもり食べていたら、何だか逆に太ってきたのか?、昨日甲府のジムのプールではかったら、79キロ。ううん・・・。ようわからんけど、食事量が多すぎるのと、あとは火曜の夜にイタメシ屋でチーズやら肉類やら最近さけていたものをドカ食いし、ワインをたんと飲んだことが原因か? あるいは、多少脂肪が筋肉になったのか? 両方のような気がしている。実は明日からもまた出張なのだが、なんと明日だけは定宿が満室でとれず! しゃあないので、明日は新大阪で宿を取るのだが、明後日から定宿が確保できたので、朝10時には京橋に向かい、荷物だけ預けて、執念のようにジムに行ってから、午後の現場に向かう予定。こうなったら、ジムが趣味状態になってきたのか・・・。

そう、水曜の朝まで大阪にいて、土曜にはまた大阪に舞い戻るのだったら、実家にでも泊まっていた方が移動を考えると楽なのだが・・・昨日今日と大学教員としてはずせない用事が。そう、昨日は卒業式だったのだ。2年前に初めて担当した3年生のゼミ生を、これも初めて送り出す日であった。先日カリフォルニアで買ったスーツと、年末に八ヶ岳のアウトレット屋で買った質のよい白シャツもおろし、新鮮な気分で大学へ。ギリギリ間に合った、3人のゼミ生の卒論を綴じた卒論集にメッセージを書いていると、今の3年ゼミ生達が花束を持って現れる。彼ら彼女らが自発的に考えた企画で、僕はその寄せ書きにもメッセージを書き込む。で、体育館での式典を終え、研究室でゼミ生3人に一人ずつ、卒業証書を手渡す。せっかくなので、お一人ずつ、代読しながら証書を手渡していると、いろいろな思い出がこみ上げてくる。

それまで大学や専門学校で授業はしていたし、専門学校の卒論は担当したことがあるが、大学のゼミを担当したことはなかった。しかも僕自身、大学時代は社会学系であり、母校の社会学講座は「自由放任」をモットーとしていたので、ゼミ単位、という発想が全くなかった。教育系や心理系の人々が毎週ゼミという場で集まっているのは少しうらやましかったが、でも大学3年生の時は学外でのボランティアにのめり込んで大学に寄りつかなかったので、ゼミがないのはありがたかった。しかも卒論時期になると、ちゃっかり社会学の重鎮の指導教官の先生のご自宅に指導をして頂きによく乗り込んでいた。大学院でも修士時代は同期がもう一人いたが、博士課程では講座では何名か同期がいたが、一期生で指導教官に対しては僕一人だけだったので、指導教官と僕、という枠組みには慣れていたものの、ゼミという場、は全くイメージすることが出来ていなかった。なので、試行錯誤のよちよち歩きからゼミはスタートする。

個性的な三人のゼミ生と、僕。私立大学としては珍しいたった計四人のゼミだったので、ゼミも研究室で行い、毎回お茶とお菓子を出しながら、とにかく色々しゃべっていた。最初は新聞記事を読んでのディスカッションなどもやっていたが、現場と離れたことをやるのがもどかしくなって、どうせなら、と車一台で出かけられる人数だったので、人づてにご紹介頂いた現場をいくつか訪問させて頂く。山梨の現場訪問は僕自身にとっても初めての経験なので、学生達と一緒になって質問したりしながら、ゼミ生達にもイメージを少しずつ抱いてもらう。そして、何となく興味が出てきた分野について、三人には夏休みにボランティアに出かけてもらい、夏休み明けにはそのレポートを提出。その後、その分野に関する本を読んで三週間に一度発表、という枠組みを作ってきた。三人によるとこのあたりから「だんだん大変になってきた」そうで、こちらも少しずつコツがつかめてきたので、グイグイと学生さん達を押していく。そこで、気づいた。あ、これって塾講師のやり方に似ているじゃん、と。

何度かこのブログにも書いたことがあるかも知れないが、僕は大学一年生の時から十年間、高校三年生相手の塾講師をし続けてきた。インチキ英語講師として、英語の担当者、というよりも、英語以外の受験指導や保護者面談、時には小論文指導なども一手に引き受ける何でも屋、だった。昔から「伝える」ということに興味を持っていたタケバタは、塾や予備校でも良い先生の授業の「型」をすごく学んでいたと思う。そして、それらの先生方から学んだ「型」を自分も伝える側になって試してみたい、とお節介にも思っていた。なので、大学一年の時から、そういうチャンスが巡ってきたのは、今から考えると、すごくラッキーだったのだろう。今にして思えば、よくもまあ、そういうアヤシイ大学一年生を、一つ下の子を教える、という世界に受け入れて頂いたものだ。

で、僕の青春時代の何割かは、この「教える」「伝える」という仕事に費やされていく。今にして思うと、もうちょっと勉強したり他のことに費やしてもよかったのだが、その当時、この二つが自分にとって一番面白いことの一つだった。たった一年、ないし二・三年(高校三年生のクラスだが、高一や高二の子もいる無学年英語クラスであった)のおつきあいで、一定の成果(大学合格)というゴールを目指し、相当密なコミュニケーションを取る。夜7時から10時、というのが一応の授業時間だが、その後第二部の裏授業をしたり、個人面談や相談にのったり、はたまた彼ら彼女らと語り合ったり、としているうちに、午前様になる、というのがごく当たり前のようにあった。そこで、忘れられない出会いをした生徒さんもいて、未だにやりとりをしたり、慕ってくださる方もいる。毎年10人から20人規模の少人数クラスだったので、今にして思えば、あれは明らかに一種のゼミナール状態、だった。

だが、大学で勤め始めた時、妙に塾世界と大学世界に線引きをしている自分がいた。塾では大学受験やセンター試験、という、割合ゴールがはっきり決まっていて、かつ○×がはっきりしている問題を解くためのスキルを身につけることに主眼がおかれている。成績が上がる、一定数志望校に合格させる、という絶対条件をクリアしないと翌年度の契約がない厳しい世界で、おかげさまで10年間、その条件をクリアし続けてきたのだ。だがこれまでは大学に送り出す側の視点しかなかった。それが、大学で受け止める側になった際、ゴールは一元的でないし、また内容も○×で解答できる課題ではないので、自分の中で「全く別」と考えていたのだ。ちなみにこのブログの母体であるsurumeの思想は、予備校講師時代に作り上げたものなので、大学教員になってから、それをうまく生かせずにいた。

でもよく考えてみると、表面的なゴール概念は違えど、1年2年というスパンで生徒とじっくり向き合って、こちらから一人一人にあった課題を出し、生徒はそれに必死になって取り組み、時には彼ら彼女らといろんな話題を語り合うことを通じて、大学受験なり卒論なりに向かって歩んでいく、という枠組み自体は、同じだった。そして、その枠組みなら、10年かけて練り上げてきたものがある、と、気づいたのが、山梨に来て半年を過ぎたあたりからだった。

そのころから、ゼミや授業に関する態度も変わる。当初は同僚に「どないしたらいいのだろう」とよく嘆いていたのだが、後期あたりから、「本質は塾や予備校講師とかわんない」と気づいていらい、遠慮することがなくなった。そう、厚かましいタケバタが、遠慮していたのだ。塾講師時代、学生を伸ばすために、相当圧力もかけたし、課題もたんと出したし、一人一人にかなりコミットもしていた。一定の成果を出し続けられたのは、そういう「あつい(熱い?暑苦しい?)」関わりの結果、だったのだ。でも、大学という正規教育の場に移し、妙によそよそしくなった、というか、遠慮した、というか、その場の雰囲気に飲まれた、というか、少し様子を見ていた、というか、つまりは一歩引いてしまっていた。もともと一歩も二歩もずかずかと学生に近づいていくのが自分の持ち味だったので、結局それを減じるような方向で動いていた。であれば、授業はうまくいくはずがない。ゼミにしても同じ。なので、すごく運営に困っていたのだが、どうしたらよいか、気づかせてくれたのも、この卒論一期生だった。彼ら彼女らと毎週お茶を飲みながら、時には自分がうまくいかない愚痴などを聞いてもらいながら、気づいたのだ。よく考えたら、彼ら彼女らは、僕が10年間付き合ってきた受験生とたいして年齢も変わらないじゃん、と。そこから、ふっきれたのである。

と、とんでもなく回り道をしたけれど、ようやく卒論生の話に戻ってくる。以来、ゼミ生は塾生、という目で見始めたので、就職活動の小論指導もしたし、卒論指導の課題も塾講師時代のようにどんどん出していき、要求レベルのバーもどんどん上げていった。大学時代にこんなに勉強したことがない、とゼミ生に言わしめるほど、課題をあれこれ出していった。でも、塾生同様、彼ら彼女らが出来ない一番下の部分に目線を合わせることから初めて、一つずつステップを駆け上がり、段々そのステップを高くしていくと、グイグイ伸びていく。要求レベルを上げれば上げるほど、彼ら彼女らのポテンシャルはどんどん拡がっていく。これは全くもって大学受験でも卒論指導でも同じだった。だから結果として、一期生の三人は、三者三様の見事な卒論を仕上げてくれた。そして昨日、その一期生達が、無事に巣立っていったのである。彼ら彼女らの二年間の成長に、自分自身の成長も重ね合わせ、本当に感慨もひとしおだった。

で、今日はこれから、長野の上田まで模擬講義。もうすぐ高校3年生になる「未来の大学生」相手に、1時間授業をしてくる。高校生から大学生まで、お客様の幅が増えたので、こういうお仕事は実に楽しい。なんせこちらは、大学に送り出す側も受け入れる側も経験しているのだ。さて、今日はどういう出会いがあるか。学生達にどういう新しい発見をしてもらえるか。送り出した後だから、すがすがしい新たな気持ちで、出かけてこよう。

ステップを踏み続ける

 

前回のブログを「途方に暮れる」で終えたところ、今朝メールをひらけたら、

途方に暮れている場合やないでしょ!

と叱咤激励のメールを頂く。

コメントに書くつもりだけれど閉鎖されていたから、ということなので、お名前を出すと、知る人ぞ知る「とみたさん」である。めちゃくちゃお忙しい実践者&研究者であるにもかかわらず(この前お会いした折りには「自立支援法痩せ」で相当ほほがこけておられた)、私が危うい議論の方向性に行きかける時、ぴしっと襟を正すようなご指摘を頂くことほどありがたいことはない。そういえば、以前社会構築主義に関して書いた時も、「ある大きな落とし穴に陥ると思います」とご指摘頂いておりました。今、イアン・ハッキングの「何が社会的に構成されるのか」リンクはその書評)などでにわか勉強(泥縄式勉強?)をしておりまして、そのうち、その件についても返信しなくちゃなあ、と思っております。

さて、つっこみを頂いた点について、ご紹介しておこう。

「『よりまし論』を展開するにおいて、その『よりまし論』が、根元的な問いかけにつながっていくのかどうかが、研究者に問われるのではないでしょうか?
いまの社会に『社会的弱者』として、カテゴライズされ、レッテルをはられたときに、その枠組みから逃れようとするならば、いまの社会経済構造の中での社会的強者にならないといけないというのが、『よりまし論』とするならば、いまの社会に『社会的弱者』として、カテゴライズされ、レッテルをはられたときに、その枠組みから逃れようとせずに生きていく術を考えることができるというのが、『根源論』
『根源論』は、グローバリストでも人権派でもないような気がします
『よりまし論』にたつのであれば、それはグローバリストでも人権派でもたいした違いではないですよね。
でも、地域の安全な生活を守るというみんなが望むことを、排除論でやるのか、それともインクルージョンでやるのかは、根本的に違うように思いますが・・・。
途方にくれてないで、もう少し、議論と思考を楽しんでくださいな」

はい、すいません。
どこから踏み出せばよいのか、という入り口でとまどっていた私を、ポンと一押ししてくださった発言だと受け止め、少し考えてみております。

「その『よりまし論』が、根元的な問いかけにつながっていくのかどうかが、研究者に問われるのではないでしょうか?」という問いかけに、深く頷くタケバタ。そう、私自身のスタンスとして、「よりまし論」にルーツを持たない抽象的議論で生きていくことだけは、絶対したくない。現場や運動に疲れ果てて、「よりまし論」と結びつかない「観念の遊び」状態に陥っておられるご様子の方々をみるにつけ、それだけは絶対にしたくない、と思っている。ちなみに、だからといって、本質的(抽象的)議論が意味がない、と言っているのでもない。「よりまし論」と「根元的な問いかけ」をつなげて本質的議論をされている方も、どの分野でもおられる。ただ、その両者の「つながり」を意識せず(というか現実に立脚せずに)、本質的「っぽい」議論を大上段に構えている文章に出会うと、何だかなぁ、と脱力感を覚えてしまう。

横道にそれたので、元に戻そう。
私の立脚点は常に「よりまし論」にありながら、でもパワーゲームの「ぶんどり合い」の枠組みではない何かへの「枠組みの掛け替え」にどう迫っていけるか、それを通じて「よりまし論」をどう書き換えられるか、である。精神病院のことをしつこく追いかけていて思うのは、現在も人間らしい暮らしの前提が否定されている病棟内の人がいて、精神病院より少しだけ「よりまし」なものとして、退院支援施設構想が代替案として示されている現状に対する憂いというか、そりゃないよなぁ、という憤りが常に立脚点にある。私は、この構想は、あまりにもご本人の諦めさせれた夢や希望、隔離収容の何十年間という重い現実への反省のない、cost-effective一辺倒の、ひどい「よりまし論」だと思う。そして、それよりましな「よりまし論」もあるよ、と大阪の退院促進事のことなど触れながら、あれこれ書いたりもしている。

ただ、「よりまし論」の議論に終始していては、構造的に勝ち負け論の枠組みから逃れられず、いつまでたっても「負け続ける」というのは、実につまらんよなぁ、と思い始めている。ウチダ氏の指摘も、結局のところ、そのパワーゲームの論理内で「ぶんどり合戦」に無批判に参加している限りにおいて、グローバリストも人権派も一緒だよ、ということなのだ。ゲームの対戦相手への批判はしても、そのゲームの枠組みそのものへの批判ではない限り、結局のところ、取り分の大小で一喜一憂するに留まり、勝ち負けでない他の何か、へ通じる道が開かれていない、という批判として僕は受け止めている。

「いまの社会に『社会的弱者』として、カテゴライズされ、レッテルをはられたときに、その枠組みから逃れようとせずに生きていく術を考えることができるというのが、『根源論』」というとみたさんの切り口は、本当に鋭く、そうだよなぁ、とこれにも深く頷く。スウェーデンに住んでいた時から考えている、ノーマライゼーションやインクルージョンということを日本の文脈で真に花開くためには何が必要なのだろう、という議論と、まさに通層低音を持っている話だ。そして、「ぶんどり合戦」の現実をしっかと見続けながら、一方で「よりまし論」を「根元論」へと昇華させるポイントを求めて暗闇の中をまさぐっている自分がいる。ただ、まだ現時点ではどこに「一筋の光」があるかわからないので、途方に暮れていたのだ。でも、とみたさんは最後に、

「途方にくれてないで、もう少し、議論と思考を楽しんでくださいな」

と愛の鞭!?(笑)。
そうですね、ステップは踏み続けることによって、どこかに通じる、と村上春樹もどこかで書いていましたっけ。じっと立ち止まってないで、今日もとぼとぼ、かつちょっと楽しみながら、議論と思考のステップを踏み続けてみようと思います。

スタートラインに立ってみたものの・・・

 

ようやく出張モードから正常モードに戻りつつある。とはいえ、今月はあと2回、出張はあるのだけれど・・・。

出張が続いていると、ものをなくしたり、部屋が散らかったり、で段々テンションも下がってくる。今回、産まれてはじめて手帳をなくしてしまい、カリフォルニアのホテルと飛行機会社に電話をかけたのだけれど見あたらないようで、結構ショックを受ける。まあ幸いに、最近のアポイントメントの大半はメールでやりとりしているので、これを機にグーグルカレンダーに打ち込んでおいたから、ほぼカバーできるだろう。ただ、もしも漏れていたら・・・と思うと恐ろしいのだが・・・。

あと、昨日は部屋を片づける。アメリカの荷物、だけでなく、出張した際の資料や、原稿を書くために持って帰ってきた資料など、ぐっちゃぐちゃになっている。昔は似非文士気取りで「こういう無秩序がよい」なんて思っていた阿呆な時期があったのだが、結局のところ、僕自身は物理的整理整頓なくして、頭の中も整理整頓されないようだ。この春休み中に報告書1本、教科書のある節を二本、書くことになっていて、出張も多いからボヤボヤしておれないのだが、何だか部屋も汚くて、まったくこの間やる気が出なかった。そこで、ちゃっちゃか整理する。あと、研究室の資料を今から片づけたら、ようやく原稿への臨戦態勢が整いそうだ。残された時間も後わずか。こりゃあ、精力的にならなければ・・・。

で、部屋の掃除をしていたら、ブログに取り上げようと思っていた本を発見。今もそれについてどう考えてよいか、考えがまとまらない箇所がある。

「雇用機会の拡大にしても、職業訓練機会の拡大にしても、年金制度や奨学金制度の充実にしても、要するに『金が要る』ということである。
だから、金が要るんだよ。みなさん、最後にはそうおっしゃる。だが、それが『金があれば社会問題のほとんどは解決できる』という思想に同意署名しているということにはもう少し自覚的であった方がいいのではないか。」(「狼少年のパラドクス-ウチダ式教育再生論」内田樹著、朝日新聞社、p50)

この「『金があれば社会問題のほとんどは解決できる』という思想」については、ウチダ先生はもっと辛辣に次のようにも述べている。

「『金で買えないものはない』と豪語するグローバリストと、『弱者にも金を配分しろ』と気色ばむ人権派は、教育に関わる難問は『金で何とかなる』と信じている点で、双生児のように似ている。
日本の教育は『金になるのか、ならないのか』を問うことだけがリアリズムだと信じてきた『六歳児の大人』たちによって荒廃を続けている。どこまで日本を破壊すれば、この趨勢はとどまるのであろうか。
私にはまだ先が見えない。」(同上、p91)

大学で学生達を見ていても、あるいは僕自身が山梨に引っ越すまで足かけ10年続けていた高校生相手の予備校講師の経験からも、「金になるのか、ならないのか」を自らの行動規範にする若者が増えていたり、それを助長する「六歳児」戦略が大学側や社会の側にも蔓延しているような気がする。そういう意味では、『六歳児の大人』の視点が、日本をとことん荒廃させている、というウチダ先生の視点はシビアに現実を射抜く分析である。

この後半の段落には深く「同意署名」出来るがゆえに、前者がグサッとささっている。

自立支援法に関する話をする際、制度が出てくる枠組み分析をする中で、「もとはと言えばお金がないというのが法制定の源にあった」「1割負担というのは、そういう意味では、なけなしの障害者の金を巻き上げる部分もある」などということを、多くの場合口にする。そして、精神障害者への福祉のように本当にこれまでチョボチョボの予算しか付かなかった分野については、「真っ当な退院支援にこそもっときちんとした財源を」を主張している。その前提の上で、ウチダ先生に言われて、自分自身への二つの問いが浮かぶ。この僕は、はたからみたら、「『弱者にも金を配分しろ』と気色ばむ人権派」とカテゴライズされるのだろうか? そして、「『金があれば社会問題のほとんどは解決できる』という思想に同意署名している」という点で、「『金で買えないものはない』と豪語するグローバリスト」と「双生児」のように準拠点が同じなのだろうか? この二つの問いが、僕を揺さぶっているのだ。

「気色ばむ人権派」という言葉で、ウチダ先生が言わんと意図していることが何となく推測できる。僕もこのブログで書いているが、“You are wrong!”という語法の裏には常に“I am right!!”というメタメッセージが潜んでいる。このメッセージ自体、自身の枠組みに対する無根拠な確信に基づいていたり、しかも間違っているのは「お金の使い方」である、と言う点で、正しいお金の使い方を私は知っている、という不遜な物言いをしていたりする、という構造的要因をはらんでいるのだ。自身の知に対する無批判と、批判しているはずの当の枠組みの中での解決策を求める、という点で、ウチダ先生がよく挙げるフェミニストと人権派のような「批判勢力」は、一定の批判は出来ているけれど、結局万年野党的批判であり、文字通りの意味でのラディカルな(根元的)批判ではない、という指摘にはうなずける。

ただ、問題は、それは自分以外の人に対する分析なら、なるほどねぇ、と思うのだが、当の私がその矛先だとしたら・・・ということなのだ。

正直、この点については、現時点でどう考えてよいか整理できていない。一方で、「限られたリソースのぶんどり合戦」、という身も蓋もないリアリティの中で、「よりまし論」を考えない限り、今日明日の状況は改善されない、という状況がある。だがもう一方で、そういう「ぶんどり合戦」に身を置いている限り、「社会的弱者」はその枠組み内での「戦い」においては「弱者」であるが故に構造的に負け続ける、という分析も、頷ける。では、その枠組みから脱した上で、その枠組みを超えて、教育・福祉・女性政策に限らず、日本における諸々の「荒廃」を乗り越えるためにどうしたらよいのか?

ここからは、人の枠組みではなく、自分の枠組みで考えないといかんような気がしている。とはいえ僕は、「考えないかんなぁ」というそのスタートラインにようやく立てただけなのだけれど・・・。

そして、僕は途方にくれる・・・

お土産3つ

 

塩尻から甲府に向かう普通列車の中でラップトップを開いている。それにしても、何だかこの1週間はめまぐるしかった。先週はアメリカにいた、なんて実感がほとんどない。でも忘れてしまわないうちに、少しは旅の足跡を残しておこう。

先週の金曜日まで、毎日相当ハードな調査を入れていた。アポイントは一日にひとつ、ないし二つでも、各現場でかなり突っ込んだ質問なり議論をする為には、こちらに相当程度の「予習」が求められる。しかしながらアメリカ出張直前は、毎週のように国内調査で大阪に出かけていたので、結局のところ満足に予習はできていない。とにかく必要最低限の資料をプリントアウトして鞄の中に詰め込み、あとは機内ホテルと泥縄式に読みながら、聞きたいことの枠組みを構築せざるを得ない。ありがたいことに、今回の調査では現地の権利擁護機関に紹介や顔つなぎ、アポを取れないところには連絡までして頂いたので、こちらがターゲットにしていた現場はすべて押さえる事ができた。そういうチャンスなので、こちらの準備不足で取りこぼしてはいけない。そう思うと、ホテルでカリフォルニアワインを飲んで良い気分、なんてバカンスモードではなく、久しぶりにみっちりお勉強した上で、各現場に臨んだ。おかげで、相当程度、現地のリアリティが頭に入ってくる調査ができた。

今回の調査は、障害者の権利擁護を多面的に調べる、というのが一番大きな目的であった。いつもお世話になっているカリフォルニアの公益法律事務所(Protection & Advocacy:PAI)での議論だけでなく、今回はcountyレベルでの患者の権利擁護官(Patient Rights Advocate)や虐待対応機関(Adult Protective Services)にも訪問する。どの現場で議論をしていても、civil rightsを護る法律が障害者に関してもきっちりしているので、その法に基づいて徹底的な調査や介入、改善案の提示などが示せている現状が見えてくる。我が国の場合、その法的な裏支えが希薄な中では、なかなかここまで踏み込んだ介入ができにくい、と実感。福祉政策を対外比較の視点で見ていると、それは北欧との比較であってもアメリカとの比較であっても一緒なのだが、結局現場レベルのミクロなリアリティとstate, countyのメゾレベルの枠組みの背後にある、法制度やそれを支える市民感覚といったマクロ的背景が見えてくる。日本にいて、現場の問題と向き合っているとなかなか見えてこないこのメゾ、マクロ的問題は、海外との比較、それも法制度や理念的比較、ではなくて、海外の現場のリアリティとの比較からこそ、浮かび上がってくる、と今回もひしひし感じる。この複眼的思考がないと、福祉政策は往々にしてイデオロギーや価値論の枠組みに陥ってしまうので、こうしてたまに海外の現場で自分のレンズを磨き直す、というか、再点検することは、そういう意味では「リフレッシュ」できてよろしい。ま、ほんとは海外になんか行かなくとも常にreflectiveであればよいのだけれど・・・。

さてさて、そうして金曜日までみっちり仕事して、帰国前日の土曜日は予備日で取っておいたのだけれど、せっかくなので向こうでも争点の的になっている某病院を「ぶらり訪問」。サンフランシスコに最後まで残っている、1300床の巨大病院。築50年以上のボロボロの病棟で、メディケイドというアメリカの公的保険機関が「この病院は基準を満たしていないから支払いができない」と言い出すほどの病棟。突然の訪問だったので病棟内部までみれなかったが、開放区域である廊下ごしに覗いてみるだけでも、日本の精神病棟に似た病棟空間が拡がっているのがわかる。この病院には多数の身体障害者や精神障害者、エイズ患者などが混在していて、少なからぬ数が社会的入院患者であり、権利擁護機関がその是非を巡って裁判を起こしているほどなの「いわく付き病院」。何だか強い既視感のある病棟を眺めていて、こういう社会的入院や隔離収容を放っておくとどうなるのか、については、洋の東西や文化的背景を超えた実に普遍的な問題性があることもよくわかる。その同じ問題に対して、社会的入院は差別だ、とクラスアクション(集団訴訟)に持ち込むアメリカと、何となく中途半端な退院促進事業と不自然な病院内住居(退院支援施設)の建設のセット、という曖昧な解決策に逃げようとする日本の、問題に対するアプローチやプロセスの違いが、非常に際だって感じられた訪問であった。

というわけで、帰国前日までみっちり働いていると、たまには良いこともある。ちょうどメイシーズという伊勢丹か高島屋のような百貨店が、我々が訪れた金曜土曜にかけて、二日間だけのバーゲンを開催していたのだ。ダイエットに勤しんでいても日本の「標準体型」よりオーバーしているタケバタにとって、欧米の服の方がすっと入ったりする。何だか海外での冬物バーゲンにはご縁があって、二年前の冬、山梨に就職する直前に超格安パックツアーで出かけたハワイではバナナリパブリックのスーツを、スウェーデンのイエテボリに住んでいた三年前には何故かイタリア洋品店でスーツを買っていたのだが、今回も良いご縁があった。

実は金曜の晩にご一緒したK先生と出かけた折りには、K先生は茶色の渋いスーツを買われたのだが、正直僕自身はあまり買う気もなく、特にピンとくるものはなかった。だが・・・土曜日、病院訪問後、チャイナタウンで「最後の晩餐」に出かける前に、何となく再訪してみると、昨日とは違うスーツが掛かっている。見ればウンガロの795ドルのスーツ。そりゃ十万円もすれば良いスーツよねぇ、と思いながら、そのコーナーの表示を見ると、149ドルの表示が。まさか、二万円そこそこで買える訳ないでしょう、と思いながら、スーツの値札をみると、395ドルの表示が。ま、半値なら妥当でしょうが、私にはご縁がありませんねぇ、と思いつつも、もしやもしや、と「念のため」売り場のお姉さんにおそるおそる、「あのう、もしかしてもしかすると、これは149ドルなんかで買えたりなんか、しないよねぇ」と恐る恐る尋ねてみると、お姉さんはにっこり「ええ、今日だけ149ドルよ」と仰るではないか。ま、そうはいっても、こういうブランドものって、結局上着は入っても、ウエストでアウトな事が多い。金曜日も一着だけよさげに見えたスーツも、結局ウエストがアウトで駄目だった。で、今回もあんまり期待せず、「念のため」と試着してみると、なんとなんと、上も下もぴったり。これほどダイエットに感謝した事はない。しかも売り場のお姉さんによれば、「少し拡げられるよ」だそうな。ものすごく着心地が良いだけでなく、高級スーツは細やかな気配りだ。そんな逸品を二万円弱という量販店価格で買えてしまうのだから、申し訳ないほどラッキー。みっちり働いていると、たまには良いことあるのね。

というわけで、貴重な現場のリアリティとスーツをお土産に、日曜日の昼の飛行機に乗って、機内で11時間すごすと、時差の関係で日本到着は月曜日の午後三時。ここから三時間とことこ列車を乗り継いで甲府まで帰り着き、風呂に入ってお約束の体重計に乗る。カリフォルニアのホテルでは1週間の滞在中、40ドルで七回利用できるジムのチケットを買ったのだが、結局なんとか5回利用して、一回10ドル、という元は取る。あと、ハンバーガーやステーキ、といった超脂っこいアメリカ料理はいっさい口にしなかったのだが、でも、K先生も僕もグルメなので、タイ料理にパキスタン料理、チャイニーズと探し当てた美味しいアジアン料理の各店で、毎度腹一杯食べまくっていた。なのでまたもや80キロ代に逆戻りか、と内心すごく恐れていたのだ。しかししかし、量ってみると79.6キロ。ずっと機内ではブロイラー状態だったにしては、上出来すぎる体重。三番目のギフトは、一番嬉しい「お土産」だったかもしれない。

そんな嬉しいお土産満載で、身も心もリフレッシュしたので、何だかその後、怒濤の日々をこなす。火曜日は朝一番の特急に乗って東京で会議を二つ掛け持ちし、水曜日は卒論発表会追い出しコンパ。木曜日は久々にプールで泳いだ後、たまっていた事務処理を大学でさくさくこなし、ついでに〆切期限になっていた次の火曜日の研修のパワーポイント用に新ネタを仕込む。ちなみにこの日の体重はついに78.2キロまで下がり、喜びは一塩。そして、金曜は朝6時半の静岡行き特急新幹線で大阪に到着し、かかりつけの漢方医に嬉しくなって体重減を報告。「もっと痩せないとね」とクールに言われて少しとほほとしながら、馴染みの髪切り屋でばっさり切ってもらい、夕方から西宮の現場職員への聞き取り調査。そして、京都の実家に泊まって今日土曜日は10年来のおつきあいのある友人の結婚式に参列。その後、一緒に列席していた、「大阪のお母様」と慕う大先輩と寺町のイノダコーヒーで久しぶりに議論。和やかな心温まる結婚式に、美味しい料理とお酒、そして久しぶりの楽しい会話に身も心も満腹になって、甲府に帰る車内の人になっていた。ふー。

塩尻から甲府まで、特急あずさでは1時間なのだが、ちょうど運悪く普通電車しか接続しておらず、30分甲府までよけいに時間がかかる。でも、この1時間半で、おかげさまでこの一週間を4000字にまとめられた。そう思うと、てーへんだったが、良い一週間だった、そういうことですね。あ、あと一駅で甲府だ。では、この辺で。

運動とお吸い物

 

く、くやしい。

今日も午前三時のカリフォルニア。おかげさまで運動したら、よく眠れております。

何がくやしいって、せっかくこの三日間のことをきちんとブログにまとめて、最後の数行の段階になった折りに、なぜかファンクションキーをさわってしまったら・・・文章が丸ごと消えてしまった。

なんたる悲しさ。
ちょうどホテルの近所のスーパーで買った赤ワインが身体全体に回ってきたころなので、もうあきらめて、今日は寝ます。ちなみにこの赤ワイン。BYロバート・モンダビって書いてあるのに、たった9ドルだから、てっきりあの有名なナパバレーの、一杯50ドルくらい試飲でもぼったくる有名店のセカンドクラスかな、と思って買ったのに、裏のラベルを見ると、「Product of France」。よりにもよって、フランスのぶどうでできたワインをカリフォルニアで飲むのもなぁ、と思っていたのだが、意外といける。夜中までお勉強していて、少し空腹の身にとっては、心地よいライトに近いミディアムボディー。ええ気持ちになってきたので、自分の失敗も許せてしまう。

さて、今日は6時間半後に、以前からものすごくお世話になっていて、かつすごく博識の弁護士3人衆とのディスカッションだ。そろそろ寝て、鋭気を養わねば。

あ、そうそう、ジムにも行っております。すごいよ、朝5時から、行列ができているのだから。アメリカ人は、こってりしたものを食べるから、あれくらいストイックじゃないと、体型維持は厳しいんだろうね。

かく言う僕も、カリフォルニアで極端に野菜を食べる機会が減ってしまったので、フルーツとジムはmustのプログラムである。ホテルのジムの7回チケットも40ドルはたいて購入。一回10ドル、3回券で25ドル、なので、最低5回行かないと、と自分に課している。でも、こうやって運動とフルーツをちゃんと毎日の生活に組み込むと、海外旅行でありがちな口内炎と便秘からは逃れられているから、ありがたや。今日の朝は無理だけれど、夕方にちゃんとジムに行っておかないとね。でも、おそらく一番効果てきめんなのが、「松茸のおすいもの」。日本人は必須アミノ酸を出汁から取っている、という話を聞いて、今回は8袋持ってきて毎日飲んでいる。疲れが身体にたまらないのは、たぶんこれが最大ファクターのような気がしている。

なんて、二度目のブログ書きなのに、長々書いてしまった。早く寝ないと、明日の早口英語について行けない。では、おやすみなさいまし。

時差ぼけ

 

ね、ねむれない。

月曜日夕方に日本を発ち、カリフォルニアには「月曜日の正午」に到着。。日本とは17時間の時差があるので、今は2月20日火曜日、午前5時前である。カリフォルニア到着時にレンタカー屋で一悶着あって、ぐったりしてホテルにたどり着く。飛行機の中でもほとんど眠れなかったので、ホテルで2時間ほど爆睡。その後、ホテルのジムにはいていく靴を持ってくるのを忘れたので現地調達のお買い物などをして、夕食を食べて、明日の調査のお勉強をして(いちおう今回も仕事なので)、現地時間の午前2時過ぎにワインも飲んで、ではおやすみ、のはずだったのだが・・・。

午前4時頃、ばっちり目覚めてしまう。そりゃそうだよね。パソコンの時計を見たら、今は午後10時前。酔っぱらってちょっと飲んだときに、午後7時頃からうたたねしたら、9時過ぎには起きるよなぁ。完璧に身体が日本モードなのである。

でも、今日は調査初日だし、何よりフリーウェイを片道2時間のドライブもしなければならない。なので、睡眠は必須、とはいってもベッドサイドで1時間、全然眠れないし・・・。

というわけで、せっかくシューズも買ってしまったし、朝5時から開いている、ということなので、今からジムにいってこってり汗をかき、ついでに「朝飯」を食べて、それから寝ます。朝の二度寝って気持ちよいもんねぇ。さて、この暗示(というかストーリー)に身体が言うことをきいてくれますかどうか。

また、報告致します。

叩き出すことと待つこと

 

出張からようやく帰還。久しぶりに午前の東京行き新幹線に乗る。いつもは夜に帰る事が多かったのだが、昨日は講演先で宿まで確保して頂いたので、ご厚意に甘えたのだ。朝の御堂筋を久しぶりに歩いてよい気分だった。

今日は運動できなかったけど、昨日おとといと泊まっていた京橋のホテルでは、ちゃんとフィットネスクラブで、朝から一汗をかいていた。昨日朝はかったら、体重がなんと78.8キロ。79キロを瞬間風速的にでも切れた事は、大変よろしいことである。そういえば、久しぶりに電話でお声を聞いたKさんからも、「ダイエットがんばってる? 80キロ切った?」と励ましをいただく。こういう声があると、やはり励みになる。何より今回出張にはいてきたズボン、お気に入りだったのだが、去年とうとうはけなくなって「お蔵入り」していたズボンであった。それがすっと余裕を持ってはけるのだから、これほど嬉しいことはない。来週はまたアメリカ出張なのだが、滞在先のホテルにフィットネスクラブがあるようなので、身銭を切って脂肪を落とさねば、アメリカはこってり料理、だもんね。どうやらダイエットモード、という「枠組み」を何とか「身体化」し始めているようで何よりである。

そうそう、「枠組み」といえば、今回の旅のお供に持参した一冊から、思わずはっとさせられた一言を引いてみる。

「言葉が訥々としかこぼれ落ちてこないにしても、長い沈黙があいだに挟まるしても、それでもひとは聴かなければならない。なぜか。苦しむひとがみずからその鬱ぎについて語るというのは、その鬱ぎを整序し、それから距離をとるということだからだ。語ることで、その鬱ぎとの関係そのものが少しずつ変わってゆく。溺れたままでは語れないのである。とすれば、この溺れから脱すること、そのプロセスをたどりきることが苦しみについての語りの要だということになる。が、聴くひとは、とぎれとぎれの語りの、その遅さに耐えきれない。耐えきれずに、つい言葉を挟む。『あなたが言いたいのは、あるいは言いよどんでいるのはこういうことじゃないの?』というふうに。鬱ぎの中にあるひとは、ついこの『物語』に飛びついてしまう。とぎれとぎれにしか語りえないこと、整然とは語りづらいことを滑らかに語る言葉が、そこに並ぶからである。-『そう、わたしが言いたかったことはそのことなの。』
が、これはなんの解決でもない。語る、つまりは自分を鬱ぎから解き放つそのプロセスが、そのことで省略されるからだ。そのときはすかっとした気になるが、問題の解決は先送りされたにすぎない。語る者がみずからの鬱ぎから距離をとるそのチャンスが、聴く者によって横取りされたのである。
聴く者はつねに待機していなければならないのに、ついに待ちきれなかった。」
(「『待つ』ということ」鷲田清一著、角川選書 p71

障害のある人や支援者への聞き取り調査をする事が多い僕にとって、この鷲田氏の指摘は、身につまされる部分がある。何気なく、あるいは時には確信犯的に、あれこれ聴いていく質問者の僕の前で、訥々とお話される、あるいは長い沈黙の状態におかれる方も少なくない。障害ゆえにお話しにくかったり、まとめることが苦手な方が、こちらの問いかけに苦吟される現場に立ち会うことも少なくない。そういう場面で、僕という「聴く者はつねに待機していなければならないのに、ついに待ちきれな」くて話しかけてしまう、そんなことがしばしばあったのだ。

「とぎれとぎれの語りの、その遅さに耐えきれない。耐えきれずに、つい言葉を挟む。『あなたが言いたいのは、あるいは言いよどんでいるのは、こういうことじゃないの?』」

そういえば以前、ある後輩はこのことを指して、「叩き出しインタビューだね」と言っていたっけ。相手が話し終わるまでじっくり聴いて待つ、という事ではなく、自分の関心のあるポイントでどんどん叩いていって、その相手の反応から、さらに叩いていく、そういう鋳型作りのようなインタビュー形式だ、というのである。

この形式は、こちらがある程度、こういうものを把握したい、という枠組みがしっかりしている時には、有効である。だが、その枠組み自体が、話し手の枠組みではなく、聞き手である私の枠組みであることに注意が必要だ。その枠組みで話してもらうと、相手は「すかっとした気になるが、問題の解決は先送りされた」にすぎない。いや、相手ではなく「すかっとした気になる」のは、実は僕だけなのかもしれない。

今ここまで書いていて気づいたのだが、これって田原総一郎的なやり方である。話を強引に途中で遮り、こちらの聴きたい方向性の枠組みに強引に持って行く。テレビ的にはおもしろいかもしれないが、しかしそれでは討論のつもりであっても実質は聞き手のモノローグになってしまうのだ。こういう「無自覚な自身の枠組みへの埋没」がどれほど危険か、ということに、もう少し自覚的でないとまずい、と書きながら気づいた。

ダイアローグにするためには、常に自分を開いておくことが寛容。そのためにも、バイアスのかかった自身の勝手な枠組み(物語)に自家中毒にならないような、待ちの姿勢が求められているのである。

投稿者 bata : 23:25 | コメント (0)

20070212

年越しそばと有言実行

年越しそばは塩尻駅のなめこそば

と言っても年末のことではない。大阪出張に向かう、2月8日のことである。そう、翌日のニクの日は、32歳になる日なのだ。今年も年越しは、旅先であった。去年・今年と連続で呼んでくださったとある組織の会合で講演をさせて頂くために、教授会の後、神戸のポートピアホテルへと向かう。三宮で幹事役の方々と餃子をつまみながら歓談しているうちに、あっという間に31歳は過ぎてしまった。

で、32歳の朝は、1000円払ってポートピアホテルのプールで一泳ぎ。水着とゴーグル、キャップも付いているので、まともなホテルにしては、決して高くないお値段。常連っぽい先客がいたが、一レーン一人で泳げるので、いい気分。昨晩は餃子をパクパク食べてしまったので、朝からこってり汗をかいておかねば、と、32歳の今年はダイエットに燃えている事を、朝から自分に再確認。プールの後、ミストサウナも気持ちよく、たっぷり汗をかいて、美味しい朝食をバッチリ食べたら、会の始まりの時間に少し遅刻してしまう。本来の僕の講演開始時間はもう少し後だったのだが、さっさと司会進行が進んでしまい、昨晩ご一緒した方が先に話をしてくださる。すんません。頭がのんびりしていたが、バトンタッチされて、エンジンをフル回転。朝ご飯と運動が効いてか、結構頭がクルクル回っていた。

その後、午後はシンポジウムのコーディネーター。「医療観察法と退院促進事業」という大変なテーマで、かつ論客揃い。会自体は何とかまとめてみたが、今の自分の実力では、正直きちんと迫りきれなかった、と不全感が残る。対象の本質に迫りきれない、きちんと各シンポジストの本当の想いに聞き耳を立てきれていない、自分の狭い枠組みのの要因を取り込めていない、ある言葉の背景因子やイデオロギー、思惑をきちんと析出した分析が出来ていない・・・そういう意味では、実力のなさをも見せつけられる「年明け」の日であった。

その日は、無理してその日中に甲府に帰る。週末は妙高高原にスキーに出かけてみた。三連休で今期一番人が多い、とホテルの人が言うだけあって、とんでもない人だらけだったが、でも土曜の晩に大雪が降ったおかげで、日曜日は抜群のパウダースノー。というか、ちょっと降りすぎで前が見えず、それはそれで大変だったが、以前Tコーチに教わった「足の裏で滑る」という教えを実践しているうちに、おぼろげながらうまくターンが出来るようになってきた。いきなり上級こぶだらけコースに迷い込んでしまったが、何とか乗り切れたのも、Tコーチのおかげ。本当にあのときのレッスンは、価値ある時間だった、と感謝しまくっていた。

また、明日から大阪出張なので、今日は半分休み、半分仕事の準備な一日。どうも風邪を引く直前きわきわで推移していたので、午前中は大学で資料整理をした後、昼ご飯を家で食べて、ぐっすり眠る。体重を気にし始めて、最近、身体のサインに少しずつ気がつき始めた。そう、何だかのどの調子が優れない、という微妙な兆候は、身体から発されているのである。その微かな徴に気づいて、ちゃんとそれに従うか、あるいは「忙しいから」と無茶するか、で後の大きな分かれ目にさしかかる。32歳は、こういう兆候にも敏感でありたい、と想う。

そんな気持ちで、風呂読書には、以前の「てこ読書」に推薦されていた「フォーカル・ポイント」(ブライアン・トレーシー著、主婦の友社)。絶版で、アマゾンでは3万円!という高値で古本が売り出されていた(今日見たら、5000円というのもあった。でも1680円の定価なんだけどね)ので、図書館で取り寄せてもらう。

アマゾンの書評でも書かれているとおり、「具体的なノウハウが整然と書かれて」いる本。「7つの習慣」やら、ドラッカーやら、ナポレオン・ヒルなどのエッセンスを取り込みながら、筆者流のアレンジを交えつつ、上手な整理が出来ている。そういう意味では、ここしばらく色々この手の本を読みあさってきた僕にとっては「復習」的な本だったのだが、読みながら、ふと気づくことがある。そう、この手の本に書いてあることは、結局は実行しなければ意味がないのだ。

Practice makes Perfect!  やらん限り、どれだけ読んでも意味がない。ダイエットしかり、仕事の選択と集中しかり。口で色々言っても、それを行動に移す、という点で、多くの人が挫折し、このごくごく当たり前の格言が貴重な意味を持ってくるのである。能書きをあれこれ読むのは、もうそろそろやめにしよう。それより、理解した「つもり」になっていることを、きちんと実践しよう。明日からの出張も、今日のこの意気込みをちゃんと活かせるようにしたい。何よりまず、宿泊先のホテルでは「ジム付きプラン」を選んだから、こってり汗をかかなきゃね。32歳は、“carry out one’s word!(有言実行)な年になりますように。ダイエットと年始の言葉を思い起こすためにも、出張中の夕方はカロリーオフのそばでいきたいものである。そう、やはり入り口はまず、「動くこと」と「食べること」なのだ。

4つのP

 

以前から気になっていた本を「風呂読書」していて、面白い記述に出会った。

「以下は高品質ソフトウェアの品質管理への確かな道のりを始めるための、考えられる最小限の活動である。0次計測を達成するには、四つの基本ステップがある:
1.高品質製品をもたらすために、適切に定義された、計測可能なタスクからなるプロジェクトをどう構成するかの知識
2.所望の品質を目指すプロジェクト進捗について、オープンな視点を創りだし維持するシステム
3.品質が何を意味するかを文章化する要求仕様システム
4.品質を目指す進歩のあらゆる結果を計測する一貫したレビューシステム」
(「ワインバーグのシステム洞察法」ワインバーグ著、共立出版株式会社、p295)

ソフトウェアの品質管理に関する著者の分析は、社会科学の分野にも充分な洞察を与えてくれている。とくに、ある組織の質的な管理やプロジェクトマネジメントを考える際には、古くさい精神論や価値論を並べ立てるより、このようなクールでロジカルな論理構成の方が、眼鏡を曇らさずに眺めることが出来るような気がする。いや、むしろシャープに、とも言えようか。一次計測である観察を有意義に行うための前提条件として示された「0次計測」を達成するために、必要な4つの基本ステップ。だがこれは単に0次計測だけでなく、実に多くの場面で応用が可能だ。それを感じたのは、次の一節を読んだからであった。

「人のコミュニケーション・システムのこれらの基本ルールは、0次計測システムへの必須条件を指し示す。次の三つの必須条件がある:
1,組織はオープンでなければならない。
2、組織は誠実でなければならない。
3,組織は人々の相互学習を奨励しなければならない。」(同上、p312)

そして、この必須条件をクリアするために次の4つのPが大切だそうな。

1.計測可能なプロジェクト(project)計画を創る。
2.計画を目で見えることが出来るポスター(poster)に翻訳する。
3.ポスターは、オープンな組織にふさわしく、公表(pulic)する。
4.ポスターは進捗(progress)を見せるように毎週更新する。

あらためて見てみると、日本はこの4つのPが、特に公金を原資金に事業展開する福祉分野で弱いような気がする。自立支援法なんかは顕著なのだが、プロジェクトやそれを規定する予算がまずありきで、このプロジェクトが本人のwell beingに対してどういう点で良いのかというゴールを共有すること(計画の見える化:ポスター化)や、それに対するオープンな議論とその公表もなく、進捗状況は何ヶ月かに一度の「大本営発表」でしか更新されない。厚労省は福祉現場に対して第三者評価や多くの書類提出などを通じて4つのPを実践することを求めているのだが、肝心の厚労省という機構自体に、この4つのPの視点が足りないような気もする。

だが、問題は厚労省というマクロ組織だけでない。いわんや福祉現場をや、である。目の前の支援と事務仕事に忙殺されていると、ポスター化やその公表、更新、といったことには、どこもなかなか手が回らないのが現状だ。ケアプランや個人総合計画といった「計画」策定の際も、その計画がご本人の何をゴールとして立てられるものか、という「品質」の規定や、その「品質」を目指すための「オープンな視点」、実際にやったことに対する確かな評価・・・などが欠けていると、「ヶ年計画」のような計画倒れになってしまう。

ワインバーグ氏の言う、組織の「オープン」「誠実」「人々の相互学習を奨励」という3つの「0次計測システムへの必須条件」は、結局の所、組織の構成員が、互いに誠実に持ち味を生かし、うまく行かないところは忌憚なく議論しあい、その議論からお互いが学ぶ、という組織であれば、計画倒れには終わらない、と指摘してくれているのだ。

振り返って僕自身が、この「オープン」「誠実」「相互学習を奨励」という条件に合致しているか。割合オープンなのだが、誠実さには、ちと欠けているかもしれない。そして、自分と意見を異にする人からも学べているか・・・と言われると、アヤシイ。ま、ブログで自分の核となるprojectposter化して、progressをコツコツpublicにしている間は、まだマシなのかもしれないが。さて、皆さんや皆さんの組織の4つのPは、どうですか?

いい加減な言葉を使わないために

 

ひさしぶりにパジャマな一日であった。
どれくらいぶりだろう、全く家から出ずにのんびり過ごせたのは。

元々貧乏性なのか落ち着きがないのか、休みの日でもちょこまかちょこまか、ジムだの買い物だのと出かけているうちに、結局休みの日なのにあんまり休めない、という笑うに笑えない日々を過ごしがちだった。さすがに最近スケジュールがきつい(なんせ2週間前から毎週大阪出張が入り、大阪に行かない週はサンフランシスコに行く、というえげつない日程な)ので、この週末は家で休もう、と予定を空けておいたのだ。

本当はとある締め切りを過ぎた原稿と向き合うはずだったのだが・・・それは書きあぐねていたら共同執筆者の方が一端引き取ってくださったので、奇跡的に「何もない週末」が生まれる。良きことである。昨日はプールで泳いだり、お買い物に行ったり、という典型的な週末を過ごしたので、今日は買い置きも一応あり、家から出なくて良い。しかも昨晩はよく寝て、キムチやニンニクも食べたし、エネルギーも充分。ということで、したかったけど出来なかったあれこれ、をこなしていく。

午前中に4ヶ月も出来なかった懸案仕事をこなして、少し肩の荷が下りる。なので、午後からは、前回の「てこ読書」でご紹介した「てこメモ」作り。「てこ読書」の本を含め、最近読んだ三冊の本を「てこメモ」化する。どれも大事な本なので、メモし出すだけで半日が過ぎていった。とくにメモしていて、印象に残ったものを、いくつかご紹介してみよう。

「反対意見に接した場合、できるだけ、『なるほどそういう考え方もあるのか』『私は反対だが、あなたの意見はわかった』という態度をとりたいものである。反対意見をあしざまに批判するのは、自信のなさの裏返しである。情報を集めるには、選り好みをしないことである。嫌いな人の話であっても、もたらす情報の価値がないわけではない。『何かの手がかりを得られるかもしれない』と考え、先入観をもたずに耳を傾けることが有用である。『反対意見』と受け取らず、『情報収集の一環』として聞く態度が必要である。批判に耳を貸すとき、思索は一段と深まる。反対意見を聞くのは、他人のデータ・ベースにアクセスするようなものである。」(「プロ弁護士の思考術」 矢部正秋著、PHP新書 p130-131

反対意見を「他人のデータ・ベースにアクセスする」とは、なるほど、その通りである。でも、どうしても論理より感情を先行させて、「あしざまに批判」していたタケバタがいた。でもこれって、「自信のなさの裏返し」なんだよねぇ。確かに自分と同意見よりも、反対意見の中にこそ、「何かの手がかり」の要素が詰まっている場合が多いはずである。というか、反対意見をひっくり返したい、と思うのであれば、なおのこと、相手の意見表明を感情的敵対視するのではなく、「『情報収集の一環』として聞く態度が必要」なんだよなぁ。そう思っていたら、同じようなことを、別の「てこメモ」でもメモしている。

「対話というプロセスが生産的に進むための重要で当たり前の条件は、相手が言っていることの内容、真意を正確に理解することである。(略)『まず相手のことを理解する』というスタンスの人が少なく、『自分の言いたいことを相手にぶつける』ために対話をしてしまう人が多いのである。そのために、正確に相手の言うことを理解するのができにくくなってしまっている。」(「創造的論文の書き方」 伊丹敬之著、有斐閣 p245

何度も繰り返しているが、対話とは、結論を留保して、相手側の意見への回路をきちんと開いておくことである。“I am right, you are wrong!”と決めつけないのはもちろんのこと、相手と反対の意見を持っていても、最初からそう宣言する事はせず(自分の判断を一端留保して)、まず「相手が言っていることの内容、真意を正確に理解する」ことが第一義的に大切なのだ。でも、僕自身は、ある後輩に指摘されたこともあるのだが、「『自分の言いたいことを相手にぶつける』ために対話をしてしまう」部分がある。インタビューをしょっちゅうしているもんだから、どんどん「なぜ?なぜ?」と聞いていくやり方をよくするのだが、でもそれって自分の枠組みの中での「なぜ」から抜け出せていない場合もある。「正確に相手の言うことを理解する」ことをする前から、途中で遮って、「なぜ」モードに入ることは、相手の意見の正しい理解を遠ざけ、自分の枠組みを相手にぶつける、という可能性があるのだ。もう少し落ち着いて、じっくり聴かねば。来週からまたインタビュー調査も再会するしね。と、てこメモで反省しきりである。

で、この伊丹氏の「創造的論文の書き方」はすごく今の自分にとって大切だったので、二読したら、メモだらけだった。当然てこメモも膨大に増え、気が付けば7ページに。でも、このメモは、てこメモ提唱者のいうように、なるべくなら身体化したい内容だ。

「いつも持ち歩いて繰り返し何度も読むと、その内容が、だんだん自分になじんできます。使い込んだ道具が手のひらになじむように、ものの考え方や行動習慣が自分自身のものになっていきます。」(「レバレッジ・リーディング」 本田直之著、東洋経済新報社 p156

僕はいい加減な人間なので、論文のお作法に関しても、現時点でも相当いい加減な部分がある。言葉の使い方にしてもしかり。だから、先人の叡智を学び、「ものの考え方や行動習慣が自分自身のもの」にしたいから、メモをとってみた。で、そういう自分のこれまでのいい加減さに関しては、先に挙げた「創造的論文の書き方」の最後で、伊丹氏は次のようにびしっと総括してくれている。

「言葉を大切に使うということは、考えるプロセスをきちんと行うということと同じ事なのである。的確な言語表現を考え、言葉を厳密に使うことは、じつは概念的思考力を鍛えることと同じである。だから私は、言葉を大切に使うことをことさらに強調する。言葉をおろそかにする人は、言葉の逆襲を必ず受ける。(「創造的論文の書き方」 伊丹敬之著、有斐閣 p269

こないだ査読論文にrejectされたのも、結局「言葉をおろそかに」した故に、「言葉の逆襲」を受けたのである。そういえば、大学院時代の師匠は、超一流のジャーナリストでいらっしゃるのだが、口を酸っぱくしていつも、「いい加減な言葉を使ってはいけない」と教えてくださっていた。でも、正直、それが自分の心の底に届いていたか、というと、怪しい。わかって、努力していた「つもり」でいたが、実はちゃんと身体化出来ていなかったのだ。正しい言葉を使うために苦悶すること、それは面倒なことではなく、「概念的思考力を鍛えること」そのものだったのだ。

自分自身が「概念的思考力」に弱さを感じていて、ここしばらく方法論の本を読みあさっていた。だが、「灯台もと暗し」。実はこの点はずいぶん前から指導教官に何度も指摘されていたのに、僕自身の「『まず相手のことを理解する』というスタンス」の欠如ゆえに、そのことに今まで気づけなかったのだ。ああ、ほんとに人の話をちゃんと聞く余裕が今までなかったんだなぁ、と情けない限り。せめて、この「無知の知」を、同じ過ちを繰り返さないために活用せねば。

「てこ読書」をてこに

 

今日は死ぬほどクルクル働いていた。

成績評価ともう一つ別のレポート30人分の採点・講評が今週末締め切り。しかも、明後日から出張ということは、必然的に今日明日にしないとまずい。そんな事実に今朝気づいたもんだから、さあ大変。今日は何とかレポートの採点・講評を終わらせる。とはいえ、その間にも二年ゼミの報告書や会計に関する打ち合わせの学生も来るし、この二年ゼミをうちの大学が所有するコミュニティーFMで紹介してくださる30分番組の収録もあったり、卒論学生3人が代わる代わる来たり、と対応も結構忙しい。そして、レポートの採点だけなら楽なのだが、講評を相手に返す場合、どうエンカレッジドな文言を講評の中に入れていこうか、ということは結構頭を使う。

5時前に切り上げてテニスに行くつもりが、6時半頃までずれ込んで、ようやく終わる。その後、急いでテニスコートに向かう。そう、教職員テニスクラブに出かけたのだ。今日は何故か職員の方々がおらず、教員+αだけの少数精鋭。それでものっけから、こってりH先生にしごかれて、汗だくだく。ついでに、後半は球出しのコーチもどきの役割も引き受ける。1時間ちょっとしか時間がなかったが、それでも有意義でみっちりと動いた。おかげで今日お風呂後の定例体重計測は、再び79.6キロ。良い兆しが続く。

もともとお風呂読書をよくするタイプなのだが、今日のお風呂読書の友は、「レバレッジ・リーディング」(本田直之著、東洋経済新報社)。日本語に訳せば「てこ読書」。1冊の本には、多くの叡智が詰まっている。だから、てこの原理のように、一冊の読書から100倍以上の価値を見出せばよいし、仕事読みの本は思い切ってエッセンスのみを抽出してたくさん読めばいい、というビジネスコンサルタントによる分かりやすい主張の本。この著者、本をビジネスを生み出す道具、と割り切って、斜め読みの乱読を年間400冊以上するそうな。その方法論が面白い、と、昼食時にに眺めていたあるブログで読んで、テニスの後に夕食を買いに出かけたついでに購入。著者の主張を参考にして、この本自体を「てこ読書」。この本の主張に沿って、サクサク斜め読み、30分で読了。まあ半分くらいは知っていたり、自分もそうだよなぁ、と思っていることだったので読み流したが、でも半分は大変使える内容であった。

一番参考になったのが、「レバレッジメモ」。簡単に言えば、線を引いた箇所をちゃんとメモ書きして、それを分野ごとにストックして、ちゃんと読み直せば、それはパーソナルキャピタルになるよ、という部分。「え、そんなこともしてなかったの?」と碩学のM先生あたりに笑われそうな話だが、はい、すいません。読みっぱなしでメモを整理して使う、なんて、面倒くさくてつい、してなかったのです。このブログで一部メモ代わりにしているが、紹介しているのは、やはりごく一部にすぎない。線を引いたり気に入った箇所はもっとあるが、振り返らないので、つい忘れてしまう。それを、この著者は週に一度、ちゃんとメモ書きして整理しているのだ。ううん、アホな研究者(自分のこと)より、よほどストイックで研究者っぽい。

こういう部分のマメさ、あるいはストイックな習慣化が、後で大きなストックになっていく、と実感。だって、こないだ仕事で読み直していた本の中に、「こんな大切なことが書いてある」と思ったら、そこにバッチリ線を引いた後が。どう見ても僕の字の、僕の線で、僕のメモなのだが、すっかり覚えてない。そう、レバレッジメモを整理・ストックして、それを見直していたら、もう少し賢くなっていたのかもしれないよな。何だかせっかくの吸収機会なのに、超粗めのザルで大半落とすような読書になっていた、と風呂の中で大いに反省。若くもないし、頭も良くないんだから、こういうマメな努力をしないと、ブレイクスルー出来ないよな、と心を入れ替える。

そう、これが出来ただけでも、筆者の主張する一冊1500円の本が15万円分(100倍)の価値になるのだ。・・・そうまとめると、まるで下手な広告のような文章になってしまった。でも、以前から考えていたことを後押し・補強してくれるような著者の主張なので、改めて読み方の整理につながって、そういう意味では価値があった、とと心より思う。こりゃあ早速、週末からメモ魔になりそうだ。でも、その前にちゃんと明日、成績をつけなければ。てこを動かす前に、まずは目の前の仕事の整理・整頓、そしててこ入れ。そっちの方が先だよね。やっぱり。