忘れずに考え続けるために

 

先ほど、公開初日の「ユナイテッド93」を見てきた。

この映画や「ユナイテッド93」の事件に関しては、実に様々な角度から、正反対のコメントや指摘がされている。それらの評価を紹介する前に、僕の感想を少し述べておくと、「2時間全く息つく間もなかった」「映画終了後の数時間後の今も、心にズシンと残っている」ということである。

この映画や事件に関する主な賛否のコメントは次の通り。
Takuya in Tokyo:「ユナイテッド93」(2006)
「ユナイテッド93」は究極のジェットコースター映画
今日も明日も映画三昧:「ユナイテッド93
ユナイテッド93便をめぐる「ダイ・ハード」なミステリー
『ユナイテッド93』@ぴあメールマガジン/シネマ
ピッツバーグでの墜落旅客機の美談は本当なのでしょうか
MovieWalker – 「ユナイテッド93

真相がどうだったのか、この映画のストーリーと違う何かがあったのか、今となっては全くわからない。ただ間違いなく言えるのは、ユナイテッド93便の乗客全員が死亡した、という事実である。どこまでが真実で、どこまでが虚偽で、あるいは何らかの陰謀があったのか、を的確に判断するには、あまりにも多方面の情報で溢れすぎている。ただ、そこに居合わせた乗客、ユナイテッド93の行方を追い続けた管制塔の職員、のリアリティだけは、どのようなストーリーが背後に横たわろうとも、そのリアリティの現実性は少しも損なわれることはないと思う。この部分だけでも、この映画には十二分過ぎるほどの価値があると思う。

誰が正しくて、誰が間違いで、どの説が真実か、の虚偽判断は容易ではない。ただ、多くの遺族のインタビューに基づいて、分厚いリアリティを集積して作られたこの映画が、一見の価値があることだけは、紛れもない僕にとっての真実だと思う。その上で、この事件を忘れずに、考え続けることが、私たちには必要とされていると思う。そして、イランの泥沼化、イスラエルとレバノンの戦争激化、今週のロンドンのテロ未遂事件も含めて、この911にまつわる様々な出来事を、決して忘れることなく、様々な立場から、様々な角度で、しつこく考え続ける必要がある、それだけはハッキリした映画であった。

移行期の支援

 

日曜日に長野で知事選があった。
その日は丁度長野で調査の日。田中知事の県政下で、入所施設から地域移行を果たした知的障害を持つご本人への聞き取り調査をしていた。

選挙結果はご案内の通り、現職の田中知事が破れ、村井氏が新しい知事となることに決まった。
長野で聞き取り調査を終えて帰宅した我が家でこの速報を眼にしながら、「新しい知事でもこの地域移行の取り組みはずっと続けてほしいな」と思っていた。

政策は時の為政者によって変わる。例えば宮城では、浅野知事時代に続けてきた「脱施設宣言」も、次の知事では事実上の撤回となった。そう言えば浅野知事の次の知事も「村井知事」。同じ名前だから、といって、同じような政策を続けてほしくない、としみじみ思う。それは、グループホームで暮らす人々の意見を伺っていても、すごく感じる。

グループホームで暮らす当事者にお話を伺う際、必ず聞くことがある。それは「西駒郷の生活と今の生活のどっちがいいですか?」という事である。この質問に、実に多くの当事者が「そりゃあ今の方がいい」とお答えになる。「なぜ?」と聞くと、多くの人が一人部屋になった、自由が増えた、という答え。それほど多人数で集団一括処遇では自由がなかったのか、と思い知らされるエピソードだ。しかも、お話してくださる方々は、20年30年と集団生活をしてこられた方々が少なくない。その方々が、地域に出て、初めて個室を持ち、自分らしい生活スタイルを一歩ずつ築かれている様子を垣間見ていると、この地域移行の政策の普遍性をすごく感じる。

この地域移行というギアチェンジについて、前回の記事でも書いた村瀬さんは、映画レインマンの解説に寄せながら、実に適切な表現をされている。以下、少し引用してみよう。

「『町に出る』ことで、社会の持つ『規則的なもの』とぶつかりながら、少しずつ自分の流儀(儀式)を曲げて、社会の規則を受けいれてゆこうとする主人公の生き方である。施設の中だけで暮らしていたら、そんなふうに自分の流儀(儀式)を曲げることはなかったであろう。
 でもそうするためには、弟のように、彼に付き添って町の中で暮らす人の援助がいる。そういうことを含めて、この映画が作られていることを私は見ておくべきだと思う。つまり、この映画の『解説』をするのに、弟チャーリーの役割に一度も言及しないで、ひたすら『自閉症のレイモンド』を描いた映画のように説明するのは間違っているのである。」(村瀬学「自閉症-これまでの見解に異議あり!」ちくま新書p138)

そう、施設という「保護的」な場で、自分の流儀(儀式)と社会との接点がなかった当事者の方々は、今、地域移行という局面で、はじめて「社会の持つ『規則的なもの』とぶつか」る場面に遭遇している。でも、グループホームを訪ねていって感じるのは、実に多くの方が、「社会の規則を受けいれて」いきながら、自分らしく暮らすことも両立されておられる、という姿である。施設内での「訓練」でなく、実際に社会に出て、グループホームで暮らしながら、苦労を重ねながら、社会に「復帰」していく。これと同じ事を、精神科リハビリテーションの現場で活躍されている方も次のように整理していた。

「まず実際に地域のアパートや事業所に行って、そこでの生活や就労に必要な技術を、専門家の援助を受けながら学ぶほうが、保護的な環境での訓練よりも、より実現適応が良い」(香田真希子 「社会的入院者の退院支援にACTモデルから活用できること」OTジャーナル 38(12) 1097-1101

入所施設という「保護的な環境」で、ずっと「訓練」を続けているより、「まずは実際に地域のアパート」に移り住んでしまい、「そこでの生活や就労に必要な技術を、専門家の援助を受けながら学ぶほうが」よい。これは、ごく当たり前のことなのだが、「専門家」が支配する福祉や医療の分野では、このごく当たり前が、ごく最近まで「当たり前でない」というアブノーマルな現実が続いていた。

そして、このレインマンの逸話でもう一つ大切な点、それは村井氏が指摘するように「弟チャーリーの役割」である。つまり、「彼に付き添って町の中で暮らす人の援助」をどう組み立てていくか、という点である。先に移り住んだアパートで「実現適応が良い」結果になるためには、それ相応の移行期の支援、移行後の支援、というものが求められる。

障害を持つ人でなくとも、「少しずつ自分の流儀(儀式)を曲げて」他の別の「規則を受けいれてゆこうとする」ことは、並大抵なことではない。当然、入所施設からの地域移行においても、この部分での濃厚な支援が真に求められている。宮城ではこの部分への支援に対する利用者家族の不信感が募っていたようだが、幸いにも長野では、各圏域全てに地域移行の連携窓口となる障害者自立センターがあり、グループホームへの独自の助成制度などもある。また、西駒郷の支援チームが移行時や移行後に、ご本人の移行期を支える支援にも入っている。

まさにこのご本人の移行期、「社会の規則を受けいれてゆこうとする」その局面の障害当事者の「しんどさ」や「生活のしづらさ」に着目し、それをどう支えていけるのか、このあたりに支援のプロと言われる人々の、プロの本質というものが問われているような気がする。支援のプロではない「弟チャーリー」でさえ、「弟」とじっくり関わる中で、見事に移行時の支援が出来ていたのだ。まかり間違っても、支援者自身がこの問題から逃げて、ご本人も大変だから施設の方がいい、なんて安逸な結論にはまりこんではならない、そう感じている。

誰の何を調べるのか

 

「私は『自閉症の特異な記憶力』などと呼ばれて学者の間で珍重されてきた現象も、もっと私たちがふだんしている現象の中で理解すべきものではないのかとずっと感じてきた。そしてあるときにふと、『自閉症の特異な記憶力』というのも、『特異な記憶力』なのではなく、彼ら特有の『記憶術』によて覚え込まれているものなのではないかということに気がついた。そう考えることで、彼らと自分の距離はうんと縮まったし、さらには自分たちの『記憶術』について考え直す視点を与えてくれることになった。
(中略)
 しかしながら、大学の研究者は、自分たちのもっている知能検査法の尺度で『おくれ』をもつ人の行動を測るばかりで、一人一人違うその人の記憶術の所在を調べようとはしてくれなかったように私は思う。だから研究者の記述には決まって、彼らの『記憶術』のからんだ行動を、判で押したような『常同行為』とか『執着行動』として見てしまうところがあった。実際には『自閉症児』と呼ばれてきた人達の『記憶術』は、一人一人みんな違っていて、その実態はその人と付き合う中でしかみえてこないはずのものだったのである。」(村瀬学「自閉症-これまでの見解に異議あり!」ちくま新書p80-81

お隣の長野県で明日から明後日にかけて、知的障害者で、大規模入所施設を出て、地域で暮らしておられる方々へのインタビュー調査に出かける。このとりくみは「地域移行検証プロジェクト」として、HPでも紹介されているので、ご参照頂きたい。長野が全国に先駆けて行っている地域移行の取り組みを、実際に出た人へのインタビューからフォローしていこう、という取り組みである。で、もともと精神障害者の問題をやっていた僕なので、勉強の意味もかねて、インタビューをしながら色々知的障害関連の文献を読み始めているのだが、その中で思わず「そうよねぇ」と膝を打った言葉。

村瀬さんは、「自閉症」とラベリングされる人々の行為を、「異常な行為」とラベリングすることに深い憂慮と嫌悪感を示している。むしろ、私たちが幼稚園から小学校段階で獲得していく、様々な認知上のスキームや、あるいはマッピング機能について、それを不得意な「自閉症」とラベリングされる人々が、自分が持つリソースを使いながら最大限の「防御反応」をするときに、こういう形で表象せざるを得ない、ということを分析している。その表象を、いわゆる専門家は「症状」と捉え、特異な例として研究対象に挙げてきたのだが、このラベリング機能そのものが、業界用語以上の意味があったのか、と筆者がずばりと攻め寄っているところが、すごく面白い。

専門家の外形的判断を退け、ご本人の立場なら「どう見えるか」を問いかけ、「なぜその手法を取ったのか」を論証していく、こういう作業が必要になってくるのではないかと思う。だが現状では、「自分たちのもっている知能検査法の尺度」以外のものをオルタナティブとして示せていない。そういう研究者への厳しい警告の言葉でもある。己の明日以後の調査にも、当然批判の刃は向いてくる。気をつけなくっちゃ。

あっという間に・・・

 

7月も気がつけば怒濤のごとく過ぎていった。

6月末も〆切に追われていたが、今月も輪をかけるように〆切があったような気がする。
詳しくは覚えてないが、講演のレジュメやら、査読論文やら、法律の翻訳やら・・・慣れない仕事が多いが、とにかく出来ればやってしまいたい、エイヤッ、と力づくでいろんなことに体当たりしてきた。

思えば事の発端は、数ヶ月前のこと。恩師の先生に、「ちゃんと調査で調べたものにはキッチリと片を付けてから、次に進みなさい」と言われたことに端を発する。それまで、海外に何度も調査に行くが、その割にアウトプットが少なかった。きっちり調べきり、一つの作品に仕上げるまでに、次のことに興味が出てしまい、なので現地で仕入れたネタを、腐らせる、とは言わないまでも、ちゃんと昇華(消化)しきる以前に、放ったらかしていた部分も少なからずある。「10取材して1を原稿に出来たら良い方だ」とは、ジャーナリストの指導教官の発言だが、僕の場合は、「1を原稿にする」ということすら出来ていない取材もあった。なんと、もったいない、というか、罰当たりな。なので、今回は粘りに粘って、その「1を原稿にする」というのを、何とか産み出そう、という産みの苦しみの7月だったのだ。

おかげさんで、結果として、カリフォルニア州の精神保健福祉政策と財源問題をある査読に出し、同じくカリフォルニア州の隔離拘束の最小化に関する法律の翻訳をある雑誌向けに載せてもらう手はずが、とりあえず整った。しんどいが、今月「二つの借金」を一応返済した気分で、今すこしすっきりしている。前者も面白いが、後者の法律の翻訳も結構面白かった。どんな内容か、というと・・・翻訳の前につけた、説明文をはっつけてみよう。

「この法律は、州立精神病院や障害者入所施設などにおける違法な隔離拘束による人権侵害事例を調査してきた公的権利保護・擁護機関(PAI)に所属する弁護士が、人権侵害の再発を防止するために作成に関与した、という点が大きな特徴である。そのため中身も、最も危険な拘束技術の禁止や、隔離拘束後の評価・報告聴取の実施、一つ一つの隔離拘束事例の記録化とその報告義務、集められたデータの情報公開、そして隔離拘束に関する技術指導やトレーニングプログラム開発など、隔離拘束を減らすための具体的な取り組みが定められている。今後の我が国における精神科病院や障害者入所施設での隔離拘束の最小化の取り組みに際して、この法律から私たちが学ぶことが出来る点は多い。」

どうです? 面白そうでしょう? え、マニアックだって? いやいや、真理は細部に宿る、ですよ。今回、この法律を作った弁護士に実際にインタビューしていたので、一文一文の法律を、大変よく噛みしめながら、訳すことが出来て、すごく面白かった。彼女はこういうことを意図しながら、こういう目的で、このセンテンスを書いたんだろうな。そんな推測を交えると、無味乾燥に見える条文も実に彩りをましてくる。というか、この条文自体が、ナース兼弁護士のPAIの弁護士の想いが一杯詰まっており、読み込めば、すごく魅力的な内容である。ご興味のある方は、是非とも9月発売の「季刊福祉労働112号」(現代書館)をお楽しみに。ついでに、110号と111号の二号連続で、そのカリフォルニア州の精神保健福祉政策や訳した法律の概要をご紹介しているので、そちらもよかったら読んでみてくださいませ。

でも、実はまだ7月末〆切(だけれど少しはのばせそうなもの)が二本、残っている。とある教科書に載せる「精神科ソーシャルワーカーの意義」についての原稿と、紀要に載せる予定の「精神障害者の権利剥奪の現状について」。7月に書いたものといい、予定の二本といい、久しぶりに「精神」モードの原稿をあれこれ書いている自分がいる。

夏休みは、このままではまとまった休日が取れなさそうだ。でも、原稿を書きながら、最近、少しずつノって、楽しんでいる自分がいることを発見している。何年か越しに考えていたテーマも、形を変えて、また原稿にしよう、という意欲もわいてきている。これまで現場で見聞きしたことも、調査で色々感じたことも、その多くをため込んで、アウトプット仕切れていない自分がいた。全てをアウトプットすることは不可能だけれど、出来る限り色んな方面から、様々な媒体を使って、とにかく書ける限り書き進めてみよう、そんなことを感じている7月末であった。

「越権行為」にならないために

 

「被害者との同一化によって『告発者』の地位を得ようとする戦略そのものは別に特異なものではない。『周知の被迫害者』とわが身を同一化することによって、倫理的な優位性を略取しようとする構えはすべての『左翼的思考』に固有のものである。『告発者』たちは、わが身と同定すべき『窮民』として、あるときは『プロレタリア』を、あるときは『サバルタン』を、あるときは『難民』を、あるときは『障害者』を、あるときは『性的マイノリティ』を・・・と無限に『被差別者』のシニフィアンを取り替えることができる。『被差別者』たちの傷の深さと尊厳の喪失こそが、彼らと同一化するおのれ自身の正義と倫理性を担保してくれるからである。」(内田樹『私家版・ユダヤ文化論』文春新書 p70

またも内田師の引用から始まってしまった。とにかく今の「マイブーム」なので、早速出た新刊を味読しながら、今日も思わず「ホホー」と唸る部分にドッグイヤーをつけていたら、あちこち耳だらけ、になってしまった。今日はその中でも一番「ホホー」度が高かったこの部分を引いてみる。

そう、障害者問題に関わっていて、自分を一番厳しく戒めなければならないのが、「彼らと同一化する」ことによって「おのれ自身の正義と倫理性を担保」しようとしていないか、という点である。これは二回前のブログで書いたことの繰り返しになるが(「代訴人」と「本人」)、代弁者は、その代弁する対象者の「傷の深さと尊厳の喪失」が深刻であればあるほど、自らの「代弁者」(=「代訴人」)としての地位を確固たるものとする。「こんなに可哀想な人達がいる」と声高に叫ぶことによって、その「可哀想な人達」のことに気づかずにいる無知蒙昧な市民と違って、ちゃんと彼ら彼女らの声を先進的に受け止めている知者としての「代弁者」たる己の地位を、自分の努力でなく、代弁するはずの当の「被差別者」を「利用して」、確立しようとしているのである。そして、この枠組みにひとたびのっかると、「代訴人」という特権的な地位や、その地位に基づき「○○は悪い」という他責的な非難のロジックで糾弾できることの快感に身を委ね、気がつけばその地位にしがみつきたくなる、という人が出てくるのも、理解できなくはない(事の理非は別として)。代弁者は、代弁する人本人に直接「語らせない」限り、一番弱いモノの味方である、という一番強いカードを手にすることになるのである。そこから、本人に直接「語らせる」ことを封印する「代弁者」が出てきてもおかしくない。

だが代弁者が不要だ、といっている訳ではない。そうではなくて、代弁者が、どこまでが「代弁」役割であって、どこからは「本人」の越権行為か、をきちんと理解しているか、が大切になってくる。僕も、恥ずかしながら山梨でいろいろな講演をさせていただく。その時、当事者の代弁者、という形で語るモードに入っていないか、をいつもチェックする必要がある。権利擁護の問題を考える時に大切なのは、権利剥奪状態の当事者の「代わり」に周りのモノがヤイヤイ言うとではない。そうではなくて、本人が言えないとしたら、なぜ言えないのか、なぜ「代わり」のものがヤイヤイ言わなければならないのか、本人が「権利剥奪状態」を「主張」出来るためには、どのようなシステムや支援が必要なのか・・・これらのことを分析した上で、提示していくことであるはずだ。つまりは、本人が言える仕組みになっていないのなら、その機能不全を指摘した上で、どういうことが「本人が言える」ためには必要なのか、を提示すること。これが、本来の「アドボケイト」(=権利擁護者)の役割だと思う。

代弁者は、善なる意志を持って始めたとしても、気がつけば、己が意志を、本人の状況に仮託して語る可能性が高い。常にその部分にこそ「おのれ自身の正義と倫理性」を振り向け、おのれの逸脱にこそ、厳しい目を向け続ける、そういう己自身への「告発」の眼差しをこそ、しんどいけど持ち続ける必要があるのではないか、そんな風に感じている。

学恩の効用

 

「先行研究に何も負っていないまったくインディペンデントな学術研究などというものは存在しない。
だから、先行世代からの学恩に対して十分にディセントであること。
先行研究がどれほど「時代遅れ」に見えようとも「短見」に映ろうとも、その先行研究があったからこそ、どういう知見が「時代遅れ」であり「短見」であるかが後続世代に明らかにされたのである。
研究史外観や先行研究批判というのは、「こんにちは」のあとに、「ひさしくご無礼しておりましたが、今日は近くまで参りましたので・・・」とか「先般はまことに結構なものを頂きまして、今日はその御礼に・・・」とか続けるのとまったく同じことである。
自分のいまの仕事はいつだってある「続きもの」のなかの一こまである。
誰かが私をインスパイアしたのである。
その消息について論及するのが先行研究批判である。」
(内田樹ブログ20060721日「若い研究者たちへ」より)

僕には師は複数人いる。
研究や論文について常に暖かい助言をくださっている師以外にも、人生の様々な局面で導いてくださる師が、ありがたいことに何人かいる。それに加えて、内田樹師は僕が勝手に(一方的片思いで)弟子入りしているもう一人の師。本当に「参りました」の至言が多いが、数日前のブログにも参ってしまった。

大学院時代、いったいなぜ先行研究をこれほどReviewする必要があるのか、よくわかっていなかった。「この分野にはまともな研究がない」といつも呪文のように唱えていた。だが、その当時、自分自身は「その先行研究があったからこそ、どういう知見が『時代遅れ』であり『短見』であるかが後続世代に明らかにされたのである」という理路にはたどり着かなかった。「まともな研究がない」なんて言う前に、本当にそうか、を調べることをしなかった。そんな無知蒙昧な僕に、先行研究や抽象的議論の大切さを周りで仰る方々はいても、それがどのように大切なのか、を心に響く形で僕に伝えてくださる方はいなかった。だから、気がつけば「先行世代からの学恩に対して十分にディセント」ではないタケバタがいた。

今ようやく「学恩」に対して、少しは「ディセント」になりつつある自分がいる。
最近何度も書いているが、他責的かつタコツボ的に「○○が悪い」というのではなく、「どういう知見が『時代遅れ』であり『短見』であるかが後続世代に明らかにされた」、そのありがたい(反面)教師である先行研究に対して、ご挨拶してから、更なる論を進めていけばいいのである。「まともな研究がない」なんて不遜なことを言う前に、どうして現時点から懐古的に見れば「まとも」に見えない研究が出てきたのか、への謙虚な配慮を、当時の文脈にあわせながらReviewしておくことが、「ディセント」なのだろう。

同じ内田、つながりでは、内田義彦氏も、同じことを言っている。
「現代を、あたかも後代の人の眼によるかのごとく透明にとらえる作業の訓練のためにも、過去を-後代からの透明な眼ばかりでなく-同時代に生きる人の曇った眼を合わせもって捉える必要がある」(内田義彦「生きること 学ぶこと」藤原書店 p104)

内田師は、やはり、すごい。

「代訴人」と「本人」

 

「今の私たちの世界に『神の代訴人』や『神の遺言執行人』を自称する人々はもうそれほど多くはないし、その名乗りを信じる人も少ない。しかし、『死者の代訴人』、『死者の遺言執行人』たることをみずからの倫理的責務であると信じている『善意の人々』は数多く存在する。かつてマルクス主義者は『プロレタリアと第三世界の被抑圧大衆』の前に恥じ入ることで、おのれの『政治的正しさ』を基礎づけ、知的威信を獲得しようと望んだ。今また別の人々は、そのつどの『弱者』(被抑圧者、被迫害者、被差別者)を探し出し、彼らの『代訴人』という立場から正義を要請しようとする。その初発の動機がどれほど善意であっても、その理路はついに存在論的であることをまぬがれない。というのも、そのようなとき、『他者』たちは、まさに『私』の道徳的・知的卓越の『証人』として存在のうちに召喚されているからである。『他者』たちは『「私」を審問する』仕事を通じて、『「私」を基礎づける』作業に功利的に使役されている。『他者』たちは全体性のエコノミーの中にきちんと戸籍登録され、IDカードを発行され、その勤務形態についてことこまかな規則を課されて、『使役』されるのである。」(内田樹『死者と他者-ラカンによるレヴィナス』海鳥社、p188-189)

グサリと胸に突き刺さるフレーズである。
障害者福祉政策を研究している一人の人間として、僕自身のものの考え方が、「彼らの『代訴人』という立場から正義を要請しようとする」枠組みの中にないか? 正直に言うと、ないとは言えないような気がする。だが、内田氏は彼の師のレヴィナスの「他者論」を元に、こう断言する。
「そのようなとき、『他者』たちは、まさに『私』の道徳的・知的卓越の『証人』として存在のうちに召喚されている」
タケバタの「道徳的・知的卓越の『証人』」として、「おのれの『政治的正しさ』を基礎づけ、知的威信を獲得しようと」するその手段や道具として、「代訴人」や「遺言執行人」役割になろうとしてはいないか? そういうスタンスで障害者を「他者」として見立てようとするのならば、障害者とカテゴライズされる人々からすると、タケバタという「私」によって、「『「私」を基礎づける』作業に功利的に使役されている」という疑いを抱かれる可能性がある。実際に、ある知人の障害者は繰り返し、専門職や研究者を「障害者をダシにして生きている」と告発している。その言説の鋭さ、厳しさに違和感を覚えながらも、でも「功利的に使役されている」側からの強い反発の主張と考えたら、それにはごく当たり前の正当性を感じている自分もいる。

ではどうしたらいいのか?この問いに一元的に答えられるマニュアルとか模範解答などないように思う。ただ、現時点で感じているのは、常にこの「代訴人」や「遺言執行人」的役割に自らが陥ることがないか、をチェックする姿勢、であろう。障害者政策で言えば、障害当事者が繰り返し主張してきたことは、「私たち抜きで私たちのことを何も決めないで(Nothing about us without us!)」であった。つまり、「代訴人」や「遺言執行人」に障害者が全てを委ねた覚えは全くない、ということである。「代訴人」や「遺言執行人」ではなく、自分自身が訴えることに耳を傾けてほしい、ということである。障害者に関する政策を形成する過程に、「代訴人」でなく「本人」を入れてほしい、ということである。

この現実から見てみると、障害者自立支援法の政策形成過程でも、あるいは福祉現場の調査をしていても、「代訴人」や「遺言執行人」が跋扈しているのを、本当によく眼にする。問題は、「本人」が訴える力、主張する力を信じることなく、はなから無理と決めつけて、「代訴人」がシャシャリ出てはいないか、という点である。あるいは、「本人」を「功利的に使役」しながら、「本人」の想いや願い、ではなく、「代訴人」の想いや願いの実現のためにアクセクしてはいないか、という点である。「本人」の自己実現の為の法や制度や福祉政策のはずが、気がつけば「代訴人」達のそれとなってはいないか、ということが一番の問題なのだ。

だが、「本人」の「訴え」だけで、必ずしも物事が通らない時もある。例えば国政を左右する国会議員は、国民の「代訴人」として機能しているともいえる。その時、「代訴人」役割を引き受けるものに大切なのは、「代訴人」の自己実現の為ではなく、「代わりとなる」べき「本人」の声をどう政策に反映させるか、という点である。この辺の誠実さが「代訴人」に欠けているから、長年の「代訴人」である政治家に対する不信に結びついている。

だが、これは何も政治家に限ったことではない。この批判の眼を、他責的に、ではなく、常に自分にも「有責的」に引き受け、自覚できるかどうか、が、僕自身がこれから仕事をしていく上でも、一つの分かれ目のような気がしている。

出会いの有り難さ

 

「師が弟子にもたらすもっとも重要な教えとは、何よりも、外部が存在することを教えることである。それは『師の現前』というそれ自体『外部的』な経験によって担保される。
師は、なにごとか有用な知見を弟子に教えるのではない。そうではなくて、弟子の『内部』には存在しない知が、『外部』には存在するという知を伝えるのである。『師』とは何よりもまず『知のありかについての知』を弟子に伝える機能なのである。」(内田樹『他者と死者-ラカンによるレヴィナス』海鳥社、p59

そういえば、僕自身、師との出会いはまさに自分自身の「外部的」な経験そのものだったような気がする。自分がそれまで持っていた、これっぽっちの矮小な世界観が吹っ飛んでしまうほど、師の教えは僕自身の「内部」とは全く異なる「外部」世界だった。それは、世界が拡がる経験、というか、「こんな世界があるのだ」と再発見する旅を誘う導師の役割を師が果たしてくださった、というべきか。

自分がまがりなりにも大学でゼミを持つようになり、今さらながら、自分が師事できた複数の師匠の方々の存在を、心より有り難く思う。中には「師事する」ということに、上下関係を見いだして嫌悪感を抱く人もいるかもしれない。だが、僕自身、自分の大変狭い視野を広げる上で、思いも寄らなかった視点を獲得する上で、10代から20代にかけて出逢えた何人かのかけがえない師に対して、本当に師事できたことを心から感謝している。きっと、自分の今の視点、今の観点、今の物事の捉え方は、そういった師を媒介とした「外部」世界とのアクセスなしには持ち得なかっただろう。

我が師は皆、「『師』とは何よりもまず『知のありかについての知』を弟子に伝える機能」を持っていた。ぼちぼち今度は、僕自身がゼミ生や学生達に対して、このような「伝達機能」を持っているか、が試される時が近づいている。そのためにも、もう一歩、「外部」に歩み出でる必要が僕自身にあるような気がしている。

運命へのチャレンジ

 

ヘラクレイトスの「運命は性格にあり」という箴言に寄せて、池田晶子氏は次のように書いている。

「これはその人の性格が運命的に決まっているということではありません。その性格が、その性格によってその人をつくっているという、気がついてみると、あっと驚くほど当たり前のことなんです、運命は決してどこからか与えられているのではなくて、その人の性格そのものですね。(中略) 別の言い方をすれば、その人はその人がするようにしかできないということです。これは完全な同語反復ですけれども、でも事態は確かにそうですね。誰も自分のするようにしかできない。そうですよね。だから、まさしくこれが運命というそのことなんです。」(「人生のほんとう」池田晶子著、トランスビュー p140)

人生について考える、という時に、私たちが普通思い浮かべやすい「処世術」とは全く違う形で、「人生のほんとう」を考え続けている池田氏の著作はずっと読み続けて来たが、講演録に基づく今回の作品も、また色々な気づきを与えてくれるものだった。

「タケバタはタケバタがするようにしかできない」。でも、これは裏を返せば「タケバタがするよう」なやり方を変えれば、タケバタの「運命」は変わりうる、ということでもある。性格そのものは変えにくい性質かもしれないが、性格の特質を掴んだ上で、その性格の中の活かせる部分をうまく活かそうと働きかけることによって、「運命」の変化へと繋がっていく、そう読み解くことも出来る。そのために必要なことも、ちゃんと池田氏は書いてくれている。

「キャラクターを生きている人間は、必ずその物語を生きざるを得ないのですが、その巻き込み巻き込まれ関係から、巻き込まれつつそれを見ているという、そういう生き方ですね。つまり、自分の人生を自分が生きているのを、芝居をしているのを見るような感じで生きるのかな。」(同上、p154)

そう、ここで必要なのは、「物語」への「巻き込み巻き込まれ」を「見る」自分の存在だ。
「見る」ことが出来る、からといって、だから人生全てをコントロール出来る、なんて不遜なことは思わない。コントロールしようにも、思いも寄らぬ方向から、知るよしもなかった様々なことが、次々とおそってくる、というのが「世の常」であるからだ。でも「巻き込まれつつそれを見ている」のかどうか、は、人生の様々な結節点への対応として、大きな分かれ目になると思う。

「つまらない物語に巻き込まれて、それを本当だと思い込んでいるよりも、この方がずいぶん面白いと思います。」(同上、p154)

「巻き込まれ」た時に、その「巻き込まれつつ」ある状況をじっくり考えることなく、「それを本当だと思い込」むことの問題性は大きい。「○○だからしかたない」と私たちが他責的修辞で語る時、しばしば私たちは「巻き込まれ」た事象を自明のものとして受け入れている。だが、「巻き込まれつつそれを見ている」自分がいれば、事態は別の方向に進みうる。「巻き込まれつつ」あることは事実であっても、それを「見ている」自分が考えることによって、諦めずに考え続けることによって、「しかたない」と諦念する以外の他のやり方、が見つかるかもしれないからだ。そういう意味では、その昔読んだ内田義彦先生の「運命へのチャレンジ」という言葉は、決して昔物語ではない。「誰も自分のするようにしかできない」ということは、繰り返すが、「自分のするよう」の在り方を変えていけば、「出来ること」も変わっていくのだ。

このことを、現実的問題に当てはめても、そう思う。障害者の分野では、4月に出来た「障害者自立支援法」という一つの「物語」を巡って、諦めや失意など、関係者は様々な気持ちを持っている。昨日、福祉施設で働く介護職の現任者講習の講師を務めてきたのだが、現場の方々からは「いろいろしたくっても、とにかく書類やら雑用やらが多くって、時間がなくって・・・」という言葉も聴く。だが、そういう現状を「言い訳」にしているのも、もしかしたら「自分のするようにしかできない」という意味で、運命への諦念であり、諦めでないか。キツイ言い方をしてしまうと、「つまらない物語に巻き込まれて、それを本当だと思い込んでいる」部分はないか? 本当に時間は全くなくて、本当に新たな時間を作りようがないのか? 

自立支援法がこうだから、制度がこうだから、つまり「○○だからしかたない」と言っているのは、「つまらない物語」を「本当だと思い込んでいる」姿に私には映ってしまう。自立支援法なり、社会保障費の削減なり、そういう現実に「巻き込まれつつそれを見ているという」自分がいれば、そこから考えることが出来れば、この現状の中からでも、次の一手、別の一歩、を歩み出すことは不可能ではない。現に、私がこれまでお逢いした多くの福祉関係者の中で、「この人はオモロイ」と思う人の多くは、現状を「しかたない」とせずに、その現状を変えるために、「巻き込まれつつ」ある自分を冷静に分析した上で、どう様々な組織・機関・人を「巻き込」んでいこうか、を意識的であれ、無意識的であれ、考えている人々だった。このスタンス、つまり「運命へのチャレンジ」をしていこうという姿勢に、現場を変えていく力がある、私はそう感じている。

身と心の大掃除大会

 

週末、わるいもんを出し切っていた。

ここしばらくあれこれ仕事が重なり、口内炎だけでなく、身体のあちこちからSOSのサインが出されていた。挙げ句の果てに、他責的になりかけている自分がいた。“I am right, you are wrong.” この文法だけは使いたくない、と思ったのに、他人のメールやら電話やらに思わずこの他責的修辞句を吐き捨てている自分がいた。いかんいかん、刺が出過ぎている。こういう時は、荊を抜きに行く「湯治」がよろしい。というわけで、生まれて初めて伊豆に行ってみた。

今回の最大の発見は、甲府から伊豆って、意外と近い、ということだ。
あちこち寄り道しながらでも、往復で260キロほど。名古屋に行くより近いのである。
ただ、箱根の山越えと、帰りの富士山の麓を通る時は、まさに「イニシエーション」のごとき、辛い道であった。何が辛いって、全く道が見えない。そう、行きも帰りも、雲が低く垂れ込めていた為、山の中腹の「スカイライン」は、景色が全く見えないだけでなく、数m先が見えない、という霧の立ちこめた状態だったのだ。

ガイドブックに載っている箱根の山越えも、富士山麓も、緑豊かな美しい光景。しかし、運転している目の前は、真っ白な世界。例えると「三途の川」として描かれるような風景だが、僕自身、まだあの世には行きたくないので、慎重に、ゆっくり運転する。それでも、3時間ちょっとでたどり着くのだから、案外近いのね。

今回は、「海の見える客室で、露天風呂つき」というガイドブックの文句に引かれ、熱海にほど近い、網代温泉のお宿に泊まる。塩分を含んだ濃厚なお湯は、手荒れ(洗剤負け)の治療に丁度良い。海に浮かぶ初島を眺める絶好のポイントで、海をボンヤリ眺めていると、何ともクサクサしたものがスコーンと抜けていく気分。結局、5回も入ってしまった。うち1回は、夕食をたらふく食べて、8時半には床につき、夜中1時頃目覚めて、の深夜風呂。海の音を聞きながら闇夜の世界に同一化するのは、大変よろしい。翌朝の「貸し切り露天風呂」も、開放感溢れる感じでよかった。

そうやって、身体から毒素を出しながら、ゆっくり荊を取っていくと、いつしかシンプルな気持ちが生まれてくる。自分が「こういう大人にはなりたくない」と思っていた他責的で唯我独尊的尊大さを持つ姿に気がつけば近づいていたこと、「こういう大人」というカテゴライズは、いつでも自分に置き換え可能な、決して他人事ではない「今ここにある危機」であること。しかも「こういう大人」を他責的に非難している時点で、その非難の文法こそ「他責的」で「尊大」な「こういう大人」と同じフレームワーク内にあること・・・。湯船に浸かりながら、我が身が最近隘路に陥りかけていた、その無理さ加減が、汗と共にジワジワ現前に現れてくる。そうか、クサクサしていたものの正体は、忙しさや他者との関係という外的要因よりも、むしろこの内面からの腐食だったのかぁ・・・。伊豆の海はそんなことを優しく教えてくれた。

帰ってあまりに疲れていた為か、今日はこんこんと一日眠り姫状態。ようやく起きあがり、今、キノコと鳥の手羽元をグツグツ煮込んだ薬膳スープ(我が家の名前は「毒素出しキノコスープ:略して毒キノコスープ!?」)を作っている。睡眠とともに、心と体のグタグタも取れ、ようやく少しはすっきりし始めた。薬膳スープでさらにドバッと汗をかきかき、今週末の「身と心の大掃除大会」の締めくくりとしよう。

来週は月曜日の現場訪問に始まり、講演や出張、そして週末には調査も入っている。忙しくなりそうだ。わるいもんが取れた身体で、たまった仕事をコツコツ片づけていこうかしらん。