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向谷地さんへの反論、というよりも

向谷地生良さんといえば、精神医療のみならず障害者福祉の領域では超有名な「べてるの家」の支援者である。僕も当事者研究から多くを学び、毎年のようにゼミ生にも紹介している。師匠大熊一夫にくっついて、何度か浦河を訪問し、いろいろお話を伺い、臨床家としても尊敬している一人である。

その向谷地さんのインタビューを読んでいたら、気になる部分が出てきた。少々長くなるが引用したい。
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ーオープンダイアローグは、精神科病院をベースにしたシステムでは出来ないだろうという意見もありますが。
向谷地 それは逆で、全く可能だと思います。
ー現状の日本のシステムでも?
向谷地 この連載第一回で紹介したように、私は今全国3カ所の病院にお邪魔して、長期入院で治療やケアに一番困っている統合失調症の患者さんを紹介してもらって、スタッフといっしょに当事者研究のスタイルで患者さんとミーティングをしているんですけど、2年ほどのかかわりで、3人中2人が退院にこぎつけました。
 そこで思ったのは、その人達は、もちろん病状が悪くて退院できないわけですけど、それ以上に自分の人生に行き詰まっている人たちなんだと。彼らが退院する時にも、幻聴さんや妄想的な気分はそんなに変わっていないんです。むしろ当事者研究で話し合うことで、そういうところをかかえながら生きていこうとする土台ができていった。そんな気がしているんです。
(略)
 こういうふうに、幻聴や気分は変わらなくても大丈夫で退院できる人たちとの出会いって、現場の人間を励ましますよね。だから今の精神科病院の現場にこそ、オープンダイアローグ的なアプローチが求められている気がしますね。
(精神看護19(5)455-456)
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これを書き写していて、向谷地さんへの反論、というよりも、インタビュアーの「問い」への反論がしたいのだな、と気がついた。
ちなみに、「オープンダイアローグは、精神科病院をベースにしたシステムでは出来ないだろうという意見」を東大のセミナーで去年発表したのは、他ならぬ僕である。また「現状の日本のシステム」ではダメだ、と発言したのも、僕である。まず、僕自身の意図を表明した後、それに対しての向谷地さんのリプライを、僕なりに考えてみたい。
まず僕自身が「現状の日本の」「精神科病院をベースにしたシステム」では「オープンダイアローグ」が出来ないと思う根源的な理由。それは、圧倒的なマンパワーおよび基礎教育の違いである。そのことに関して、この5月に東京で開かれたオープンダイアローグのワークショップ時に書いた拙稿では、次のように整理していた。
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ケロプダス病院では、30人の病床(見学した時の入院者は20人で病床削減の計画もあり)に39人の看護師が働いています。1:1以上の人手がないと、上記の条件をクリア出来ないのです。あなたの病棟では、どのような人員配置基準で、何人の看護師が働いていますか?
つまり、病棟であろうがなかろうが、対等な人間関係を指向し専門家主導から当事者主体へと生まれ変わるための専門職の覚悟と、不確実な「対話」に柔軟に対応するために十分な人手を確保しトレーニングを積むことが出来る組織改革とが、日本の現場でオープンダイアローグを実践する上で問われていると、私は思います。
(竹端寛「日本の現場でオープンダイアローグを実施するための条件」)
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さて、このスタンスを示した上で、向谷地さんの発言を読み解いていきたい。
向谷地さんの仰るように、「長期入院で治療やケアに一番困っている統合失調症の患者さん」は、病状「以上に自分の人生に行き詰まっている人たちなんだ」というのは、僕も全くその通りだと思う。これはトリエステでも言われ続けてきたことである。また、「当事者研究で話し合うことで、そういうところをかかえながら生きていこうとする土台ができていった」ことにより、向谷地さんが関わった「3人中2人が退院にこぎつけ」たことも、頷ける。向谷地さんの実践そのものにケチをつけるつもりはないし、良い仕事をしておられるのだと思う。
ただ、気になるのは、「なぜ、向谷地さんが出かけないと退院できなかったのか?」という問いである。向谷地さんが訪問する以前のその患者さんには、なぜ「治療やケアに一番困っている統合失調症の患者さん」というラベルが貼られていたのか? そのラベルにその病棟のスタッフは疑問を抱かなかったのか? そして、なぜ向谷地それさんだけが、その病院の因習を突破して、「それ以上に自分の人生に行き詰まっている人たち」とラベルを貼り替える事が出来たのか?という問いである。
僕は、ここにこそ日本の「精神科病院をベースにしたシステム」の「まま」ではオープンダイアローグが実現「出来ない」と思う理由が詰まっていると考える。
簡単に言えば、目の前の患者さんに対するモノの見方を変えることなく、単にオープンに話し合いましょう、なんてやっても、患者と家族、支援者の関係性は変わらないのではないか、という問いである。精神科の一般病棟は3:1の基準である。ケロプタス病院の3分の1以下、である。そのような中で、従来の医学モデル的な看護スタイルで「病気や症状を診る」ことを重視している看護スタッフが、病気や症状と直接関係ない(と一見思える)「自分の人生に行き詰まっている」内容を、ちゃんとそのものとしてじっくり聞けているか、という問いである。向谷地さんのような、「治外法権的な外部者」がやってきて、「当事者研究」という触れ込みで介入できたからこそ、やっとその人の「本当の困りごと」が病棟内部であってもみえてきた。それを、「では皆さんもどうぞ病棟でやってください」と言われても、そう簡単に病棟の因習は変わらないのではないか。そう疑っている。
「今の精神科病院の現場にこそ、オープンダイアローグ的なアプローチが求められている」という点については、僕自身も同意する。でも、今の「精神科病院をベースにしたシステムでは出来ない」とも思う。それは、以前のブログにも書いた一言に収斂する。
「本当に精神病院の中でオープンダイアローグをしようとするなら、『その矛盾を社会ネットワーク全体の問題とみた上で、その関係性の不全に踏み込む』なら、精神病院という構造の『矛盾』をも、自由に話すことが出来なければならない。」
僕が「今の精神科病院の現場」にまず求めるのは、「オープンダイアローグ的なアプローチ」を真面目に実現する為の「専門職の覚悟」と「組織改革」である。向谷地さんは、浦河の地で、何十年とかけてその二つを実践してきた。それが、今の病棟現場にできるのだろうか? そこが、最大の疑問である。

「迷惑をかけない」「いい子」の「蓋」

岡本茂樹さんは、刑務所や少年院で長年、心理教育や更生支援をしてきた経験を元に、表面的な「反省」が逆効果になることを示した新書を何冊か出している。昨年亡くなられた彼の遺作『いい子に育てると犯罪者になります』(新潮新書)は、本当に力作だった。

この本は、「問題行動」といわれるものには、その行動に至る理由があり、その理由や行動に駆り立てる内在的論理を分析しない限り、どのように叱ったり、厳罰化したりしても、そのような行動は抑止できない、とハッキリいう。こう書くと、「わがままや逸脱行為に甘い」と思われるかもしれない。でも、それは「急がば回れ」。実は本当に犯罪や問題行動を減らしたい、と思うなら、その行為に至る根本的理由と本人が向き合うのを支援しない限り、そのような行動は減らず、「表面的反省」に終わり、再発を繰り返す可能性が高い、というのである。
それを、タレントの酒井法子さんの事例を元に分析している。彼女が一連の経緯を綴った手記(『贖罪』)を分析しながら、岡本さんはこう指摘している。
「覚醒剤に手を出したのは、『軽い気持ち』とは『安易』とか『自分が弱かった』という理由ではありません。人に素直に頼れなくなって、ストレスをモノ(覚醒剤)で埋め合わせていたからです。」(p166)
つまり、その時の彼女には「薬物が必要だった」(p146)と指摘している。だが、彼女は薬物が「必要だった」とは語らず、「自分は弱い人間だった」と語る。一方、岡本さんは、酒井さんの内在的論理を次のように読み解く。
「酒井さんの『自分の弱さや悩みをどんなときも一切見せない』姿は、周囲の人からは『芯の強さ』と映るでしょう。しかしこれはまったくの誤りです。酒井さんの内面を考えれば、『芯は脆い』と言うべきです。本当に『芯が強くなる』ための条件は、誰かに心を開いて悩みや苦しみを話して、人からエネルギー(=愛情)をもらうことです。そうして心はたくましくなる(=芯は強くなる)のです。」(p149-150)
酒井さんがどうして「弱みや悩みをどんなときも一切見せない」のか。それは、岡本さんによれば、彼女の幼少期の経験による、という。出生後に両親が離婚し、親戚に育てられ、7歳との時に「実の子ではない」「父が引き取ると言っている」という事実を突きつけられ、その後、父と2番目の母、3番目の母と暮らしてきた、という辛い幼少経験を持つ酒井さん。彼女は父に一度見捨てられた辛さや苦しさ、怒りを素直に表現せず、「良い子」として父や義母に認められたい、受け入れられたい、と必死になってきたという。そして、岡本さんによれば、犯罪者の中にはこのような幼少期の別離や過酷な体験により、「いい子」を必死で演じたり、逆に不良行動をしていくパターンが極めて多い、という。
岡本さんは、このような幼少期を持つ子どもが全て犯罪者になる、と言っている訳ではない。だが、このように「弱みを見せない」「迷惑をかけない」「いい子」が陥りがちな、次の特性が問題だ、と指摘する。
「酒井さんには『~ねばならない』という完全主義的な価値観があるのが分かります。『~ねばならない』という価値観は自分自身を追い詰める危険性があります。こうした考え方を貫こうとすると、どこかで自分に無理をすることになるので、生きづらさやストレスをもたらします。」
「大切なことは、『いい大人』を子どもに見せるように努めることよりも、親である酒井さんが息子に『ありのままの自分』を見せることです。そうすれば、子どもも『ありのままの自分』でいられます。」(p168)
そう、酒井さんも「ありのままの自分」を素直に出せず、「良い子」を演じてきたのである。その中で、数多くの「~ねばならない」を必死に演じ、その努力の甲斐があり、日本のみならずアジア圏にも人気が出るスターになった。だが、彼女は人に頼ることが出来ない生き方を、「芯が強い」と誤解したがゆえに、ストレスや苦しさも自分でため込み、薬物が「必要」になるほど、「芯が脆い」状態に追い込まれていったのだ。そして、こういう構造は、多くの犯罪者に共通している、という。つまり、「人に迷惑をかけない」「弱みをみせない」「いい子」だからこそ、その論理的帰結として、ストレスをため込み、自分を傷つけたり、他人に害を与える可能性がある、というのである。
では、どうすればよいのか。
岡本さんは、「ありのままの自分」を素直に認めることだ、という。そして子育てにおいては、子どもと親の相互関係のなかで、まずは親から変わるべきだ、という。
「テストで悪い点を取ってもOK、試合で負けてもOK、勉強でも運動でもお兄ちゃんに負けてもOKと伝える事で、子どもは『自分は今の自分でいいい』と思えます。そして、子どもが『自分は今の自分でいい』と思ったときこそ、自分から『頑張ろう』という気持ちを持てるのです。」(p215)
これは「ありのままの子ども」を、そのものとして受け止めること。親の価値観に当てはまった時にのみ褒める、という「条件付きの愛」では、子どもに我慢を強いたり、あるいは親の顔色をうかがう子どもに育ててしまう、という。だからこそ、「今の自分でいい」というメッセージを大人が子どもに伝えることで、子どもは安心して育ち、「頑張ろうという気持ち」が持てるという。
では、酒井さんのような事件を起こしてしまった人は、どのようにして回復していくのか。岡本さんは、こう語る。
「(自分は出生時に親に捨てられたという:引用者注)悲しい現実を、わずか7歳だった少女は『一人で抱え込』まざるを得なかったのでしょう。本当はつらいので避けて通りたいことですが、事件を起こした酒井さんが向き合わないといけないのは、このときに封じ込めた否定的感情なのです。」(p152)
「心の傷は、身体の傷と同じで、外に出さない限り消えることはありません。結局、否定的感情を出せないまま出所して、彼らの半数はまた何かのトラブルでカッとなって大きな事件を起こしてしまうのです。」(p163)
「酒井法子さんは、本当はものすごく傷ついていたのです。それもわずか7歳の時に。それをきっかけに人に甘えられなくなった(頼れなくなった)酒井さんは否定的感情をどんどん抑圧させ、長い時間をかけて傷は深くなっていきました。大きくなった心の傷は今も癒やされているとは思えません。」(P164)
「ありのままの自分」を承認する。そのためには、まず「ありのままの自分」を出せない原因になっている「否定的感情」を「抑圧」せずに、封印を解く必要がある。しかし「迷惑をかけない」「いい子」にとって、これこそが最も苦しいことである。一人でそれを行うのは、そう簡単ではない。また「弱みを見せることが出来ない」という表面的な「芯の強さ」=実質的な「芯の脆さ」を抱えていると、なおさらそれはしにくい。
でも、本当に更生しようと思うなら、「世間に迷惑をかけた」と謝罪する前に、自分の中での許せない・悔しい・惨めな・辛い「否定的感情」の蓋を開ける必要がある。この蓋をしたまま、表面的に強がることこそ、深尾先生の「蓋」概念そのものである。
「社会でよりよく生きるために、自分の本性に『蓋』をして、獲得された人格を懸命に生きようとする場合、もっとも恐れるのは、自分本来の本性を覗き見ることであろう。自分でも本性の姿を忘れてしまえるほど分厚い『蓋』を構築し、社会の期待する自己を首尾よく演じた場合には、もはや自分自身の本来の魂は、暴力的な発露の機会でもうかがう以外に表出する可能性はまずない。あるいは、それが内側に向かって蓄積されてゆく場合には、身体を蝕み、自己の崩壊を招く。」(『魂の脱植民地化とは何か』深尾葉子著、青灯社、p24)
酒井さんが、「身体を蝕み、自己の崩壊を招く」プロセスとは、「自分の本性に『蓋』をして、獲得された人格を懸命に生きようとする」プロセスそのものだった。だが、それを生真面目に追い求め続けた結果、自分自身の人生が破綻した。ゆえに、その後彼女が同じようにまた「本姓に蓋」をしたまま「いい子」を演じると、元の木阿弥になる。
彼女にとっては辛いだろうが、本当に必要なのは、「抑圧」し「蓋」をした「否定的感情」を、そのものとして眺めること。「社会の期待する自己」という「体裁」を脱ぎ捨て、「ありのままの自分」を捉え、「本来の魂」を取り戻す事である。そして、本当に犯罪者を更生させたければ、単に厳罰化したり、家族も含めてさらし者にしてバッシングするのではなく、このように「否定的感情」と向き合う支援をすることが、一番大切なのだ、と改めて学ぶことが出来た。
更にいえば、「それでも厳罰化が必要だ」と言う人もまた、「迷惑をかけてはいけない」という「いい子」の呪縛や「蓋」が強く、「自分自身の本姓をのぞき見る」ことが怖い、人なのかも、しれない。

そもそもなぜ、わけるのか?

相模原の事件に関して、ヘイトクライムは「あかんもんは、あかん」という原則を書いた。また、措置入院の患者は出すな・GPSで追跡せよという思想と、「障害者は生きるに値しない」という発想自体が、「同じ穴のむじな」であることも指摘した。その上で、もう一つ、原理原則として指摘しておきたいことがある。それは、「なぜ、人里離れた入所施設に、障害者は大量に集められて、隔離収容させられていたのか?」という問いである。「なぜ、重度障害者の暮らしは、他の人の暮らしとわけるのか?」という問いである。

僕は2003年の秋から2004年の春にかけての5ヶ月間、スウェーデンに暮らしていた。ちょうどスウェーデンは、2003年に知的障害者の入所施設をゼロにした。1999年12月31日までに入所施設を完全閉鎖にする法律を作って、その期限内には達成できなかったが、その3年後にはきちんと達成した。「やまゆり園」に集団で暮らしていた、強度行動障害とラベルが貼られた人も、また重症心身障害の人も含めて、日本では「この人達は施設しかない」と言われている人も、施設ではなく、地域で暮らしていた。その実態を調べるために、スウェーデンのイエテボリを拠点に、LSSという法律と支援の実態、それを理論的に支えているノーマライゼーションの原理を書いたベンクト・ニィリエのインタビューなどをして、一本の報告書にまとめた。

強度行動障害とラベルが貼られる人の中には、言語的なコミュニケーションが非常に苦手な人もいる。こちらが口で伝えることも、理解してもらいにくい、だけでなく、相手が何を伝えようとしているのかも、わかりにくい人がいる。そういう人と接する経験が少ない・あるいは相手の事を理解するノウハウに乏しい人だと、本人の訴えや主張が理解できず、「ああいう人に人格があるの?」という、恐ろしい差別発言をしてしまう。今回の容疑者も、そういう意味では残念ながら支援の素人だったと思われる。

ただ、強度行動障害や重症心身障害の人々も、接していると、実に豊かな個性を持っている。例えば、壁に頭を打ち付ける「自傷」や、他人に大声で怒鳴る「他害」とラベルを貼られる行為も、実はその人と関わる支援者との関係の中で発生している。例えば、ご本人にとって不快・不安なことが起こった時、それを表現する言語的手段がないが故に、頭を壁に打ち付けたり、大声で騒ぐことで、「わかってほしい」と必死の訴えをしている。その際、支援のプロに求めらるのは、本人の「自傷他害」行為を非難する事でも、「ああいう人って人格があるの?」と馬鹿にすることでも、ない。そうではなくて、そのような行為を通じて、何を訴えようとしているのか、どう関わればその行為が減り、ご本人の笑顔が増えるのか、を関わりを通じて考えることである。

スウェーデンの知的障害の理解に関する古典的教科書の中では、そのような知的障害のある人の内在的論理が書かれていて、どのように関われば、本人の快に導くことが出来るか、が整理して書かれていた。そして、重症心身障害のある人でも、パーソナルアシスタンス(日本でいう重度訪問介護)を使って一人暮らしをしていたり、あるいは強度行動障害に理解がある職員と共にグループホームで暮らしていた。そもそも、じっくり関わる事で関係性を築くことが大切なのに、集団管理と一括処遇をする場では、不適応を起こして、それが自傷他害という形での訴えを起こしているのだから、入所施設より少人数での暮らしの方が本人が安定する、と言われていた。

また、日本に帰国後、西宮の青葉園でもフィールドワークをさせて頂き、日本の中でも、そのような本人中心の関わりをすることで、重度の障害を持つ人でも地域で支え続ける仕組みを作り上げた現場がある事を、肌身で実感した。山梨では「国立病院重心病棟」のようなところに一生暮らしているような、医療的ケアが必要な障害者であっても、訓練を受けた介護・看護の人々のケアに支えられ、グループホームやアパートでの一人暮らしを続けている。そんな障害者が西宮には沢山いた。日本でも「やれば、できる」ということを実感していた。

だからこそ、事件の詳細を聞くにつれ、「なぜ、わけて、集めていたのか?」という根本的な問いが浮かぶ。本人中心の支援が出来る支援者と共に、グループホームや一人暮らしが出来ていれば、そもそも「入所施設」に暮らす必要がなかったのではないか。19人もの命が一気に奪われたのは、普通ではあり得ない人数が1カ所で暮らしていたことに、根本的な原因があるのではないか? 入所施設の警備を強化したり、防犯カメラを増やしたり壁を高くすることよりも、そもそも入所施設を減らし、地域での暮らしを支える態勢に切り替えたら、このような「大量虐殺」は防げるのではないか。なのに、障害者を「わけて収容する」ということへの問いは、なぜ主題化されないのか? 事件が起きて以来、ずーっとそのことが気になっている。

入所施設で30年、40年と暮らしていた人は、どんな気持ちで暮らしていたのだろう? 人生の膨らみのない、同じ場所にずっと収容され続ける事って、どんな気持ちだったのだろう? 諦めや絶望を感じていたのではないだろうか。そんなことが容易に想像出来る。

だからこそ、スウェーデンで成文化された「ノーマライゼーションの原理」に立ち戻る必要がある。この原理を提唱したスウェーデン人のベンクト・ニィリエは、今から半世紀近くまえ、1969年の段階で、こう整理している。

1,ノーマライゼーションの原理は、知的障害者に一日のノーマルなリズムを提供することを意味している。

2,ノーマライゼーションの原理はまた、ノーマルな生活上の日課を提供することでもある。

3,ノーマライゼーションの原理はまた、家族とともに過ごす休日や家族単位のお祝いや行事等を含む、一年のノーマルなリズムを提供することを意味する。

4,ノーマライゼーションの原理はまた、ライフサイクルを通じて、ノーマルな発達的経験をする機会を持つことを意味している。

5,ノーマライゼーションの原理はまた、知的障害者本人の選択や願い、要求が可能な限り十分に配慮され、尊重されなければならない。

6,ノーマライゼーションの原理はまた、男女が共に住む世界に暮らすことを意味する。

7,知的障害者ができるだけノーマルに近い生活を得られるための必要条件とは、ノーマルな経済水準が与えられることである。

8,ノーマライゼーションの原理で特に重要なのは、病院、学校、グループホーム、福祉ホーム、ケア付きホームといった場所の物理的設備基準が、一般の市民の同種の施設に適用されるのと同等であるべきだという点である。

(ベンクト・ニィリエ『再考・ノーマライゼーションの原理』現代書館、より)

「やまゆり園」に暮らしていて、容疑者に殺されてしまった方々は、そもそも「ノーマルな一日のリズム」が提供されていただろうか。一人暮らしや、居酒屋で飲んだり、ディズニーランドに遊びに行ったり、というような「ノーマルな発達的経験をする機会」を持っていただろうか。「本人の選択や願い、要求」が尊重されていただろうか? それらのチャンスが提供されず、集団管理と一括処遇が基本になるような場に収容されていたならば、人間的な暮らしが出来ず、人間らしい輝きや魅力がどんどん奪われていくのではないか。そして、本来はそういう非人間的な処遇のあり方こそ告発したり、本人と共に地域で暮らすチャレンジをすべき支援者が、「非人間的な処遇」ゆえに非人間的な表情やふるまいをする個人に「生きていても仕方ない」というラベルを貼り、抹殺するに至ったとすれば、そのような環境こそ、大きく問われなければならないのではないか?

繰り返し述べるが、スウェーデンではこのノーマライゼーションの原理が出来てから30年で、知的障害者の入所施設をゼロにした。理念のあるべき姿と方向性を愚直に追い求めたら、入所施設こそ必要ない、というシンプルな結論に辿り着き、それをしっかり実現した。一方日本では、ノーマライゼーションの原理が英語で発表されてから50年たっても、未だに入所施設での収容が続いている。そして、今回のような残忍な事件があっても、この入所施設への収容という構造自体が、問われることはない。

僕は、この構造こそ、問い直す必要がある、と思っている。「そもそも、わけることこそ、変であり、オカシイ!」 これも、繰り返し言っておきたいポイントだ。本当にこのような残忍な大量虐殺を防ぎたいなら、このような収容環境こそ、解体すべきである。地域で支援する為の施策をきっちりと打つべきである。防犯カメラや、高い壁を作ったところで、根本的な解決策にはなるはずもない。

障害者の入所施設への収容は、他の者との平等を重視する障害者権利条約にも違反しているし、差別政策である。そもそも、この施設入所の現状を、今こそ問い直す必要がある。

同じ穴のむじな

残虐な障害者連続殺害事件から1週間たった。原因探しに奔走するマスコミは、容疑者が措置入院の経歴がある事をいかにも「原因」であるかのように報じ始めている。

この事件に対する僕自身のスタンスは、前回のブログでも書いたように、「あかんもんは、あかん」である。これは明らかにヘイトクライムであり、絶対に許してはいけないことである。だが、その前提に立った上でも、「措置入院者は安易に出すな」という論調の姿勢も、「あかん」と思っている。詳細に関しては、大阪の池田小学校事件のことも踏まえ、NPO大阪精神医療人権センターが申入書を出していて、ほぼここに論点が言い尽くされているので、そちらをご覧頂きたい。あるいは、池田小学校事件の報道にも関わった読売新聞の原さんのコラムも、ズバッと本質を突いている。僕が今日、言っておきたいこと、それは、「障害者は死んでしまえば良い」というのと「措置入院の患者は出さない方がよい・出した後も厳しく追跡した方がよい」というのは、「障害者へのフォビア(恐れ・憎悪)に基づく排除」としては、全く同じ構造、同じ穴のむじなである、ということである。

人権センターの申入書にも書かれていたが、そもそも事件発生直後で、犯人がどのような経緯で殺害に至ったのか、が不明確な時点で、厚労大臣は既に「措置入院について検討する」と発表している。そして、首相も含めて、それを「再発防止策」としている。これは、ヘイトクライムに対して、新たなヘイトを生み出す、という愚策に思えてならない。

措置入院というのは、「自傷他害の恐れ」がある場合に、精神保健指定医2名の診察をうけて、強制入院をさせる、という仕組みである。だが、この「自傷他害」をそもそも一括りにして良いのか、という問いがある。それは、自傷については、医療で対応可能だが、他害については、そもそも医療の対象外ではないか、という大きな問いがあるからだ。実はイタリアでは、他害を強制入院要件に入れていない。それは、大熊一夫師匠の次の文章に理由が書かれている。

「この法律が世界的にユニークなのは、精神科医に治安の責任を負わせていないことである。それは法文の中で、治療(収容)の判断基準として、『他害のおそれ』がうたわれていないことでわかる。(略)バザーリアたちは『他害の恐れがあるかどうかは、警察の判断に任せるべきことで、精神科医の仕事ではない。精神科医は警察の役目を捨ててこそ患者と良い関係を築けるのだ』と主張してきた。それが180号法に反映された。」(大熊一夫『精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本』岩波書店、p108-109)

ここで重要なのは、精神科医の役割と警察の役割は違う、ということだ。警察は、犯罪予告があれば、未然に防止することが、その役割である。これは、容疑者が精神障害者であろうと糖尿病患者であろうと関係ない、はずである。だが、現状では、犯罪予告が糖尿病患者からなされても、糖尿病の医者の対応は求められない一方で、精神障害者による犯罪予告であれば、警察は精神科医にその責任を丸投げしてしまう。今回のケースでも、既に報じられている内容からすれば、その可能性が高い。

これは、明確な精神障害者差別である。

「自分を傷つける恐れ」に関しては、精神医療が介入して、その予防に向けて関与する。これは自殺防止などで、実際に効果があることである。一方、「他人に害を与える恐れ」に関しては、糖尿病の容疑者を警察や公安が監視の対象にするのであれば、精神病者だって同じ処置を受けるべきである。そうしないと、精神科医と患者が良い関係も築けない。

厚労省が対策を打つならば、実はこの部分こそ、対策を打つべきなのだ。精神障害者だけを別扱いして、精神医療に犯罪予防を任せる、という「筋違い」な政策をこそ、一から見直すべきである。それは、一度罪を犯した精神障害者は「自傷他害の恐れが消えるまで」無期限での入院を迫られる医療観察法自体の廃止ないし抜本的見直しを行うことも同様である。やるべきことは、真っ当な精神医療をきちんと提供することであり、闇雲に措置入院患者の退院要件を厳しくしたり、退院後の監視を厳格化することではない。精神医療に出来ない殺人予防は、出来ない、と認めた上で、警察に他害防止の権力を返上することである。そして、真っ当な寄り添う精神医療を展開することである。

だが、厚労省は、そのような本質的な議論に着手しようとしない。措置入院の内容をより強化せよ、障害者施設の警備をよりしっかりせよ、という「小手先の対策」しか出ていない。これは、言葉は悪いが「世間から怒られないように対策をしているフリ」をしているようにしか、みえない。更に言えば、「措置入院患者を外に出すな」という主張に繋がるような政策は、「障害者は生きていても仕方ない」と同様の、一人一人の個人の尊厳を踏みにじり、カテゴリーとしての「障害者」「措置入院精神障害者」への恐れや憎悪に基づく、一元的な対応に思えてならない。凶悪犯罪を防ぐため、と言いながら、凶悪犯罪者が抱いていたものと似た、「措置入院患者は何をしでかすかわからない」といった「恐れ」に基づく差別政策を本当に厚労省は展開してよいのか。この部分が非常に気になる。

このような残忍な犯行は絶対に許してはならない。だが、本当に犯罪を抑止したい、防ぎたい、と願うなら、精神障害への偏見を高めたり、措置入院をより厳しい制度にする方策が、本質的な解決にはならない、ということも、しっかりと押さえておくべきだ。必要なのは、犯罪予防という本来業務ではない内容を精神医療に委ねない、ということ。その上で、精神医療が地域の中で頼りになる存在として機能させることである。そして、ヘイトクライムを許さない事や、ヘイトクライムに繋がる恐れがあるヘイトスピーチへの予防や対策法を打つことである。何でも精神医療のせいにして、「わかったフリ」をすることは、精神障害者への差別であり、同じ穴のむじなである、と繰り返し、述べておく。

あかんもんは、あかん

今般起きた、障害者施設における連続殺人事件は、障害者への憎悪に基づく虐殺、という意味では、ヘイトクライム(憎悪に基づく犯罪)である。これは、絶対に許してはならない。「あかんもんは、あかん」のである。そのことについて、いくつか述べておきたい。

容疑者は、「障害者はいなくなったほうが良い」とか、「重度障害者は安楽死した方が良い」と言っていた、という報道がある。この発言を聞いて、二つの事を思い出していた。

先週の金曜日、渋谷で映画を見た。「風は生きよという」というドキュメンタリーである。呼吸器を付けて暮らしている「重度障害者」とカテゴリー分けされる人々の日常を追いかけたドキュメンタリーである。この映画は元々見たかったのだが、その主役のお一人で、『まぁ空気でも吸って』という素敵なを書かれている海老原宏美さんのアフタートークも聞きたくて、渋谷まで出かけた。

海老原さんはトークの中で、この映画の主人公として「撮られる側」になった理由として、尊厳死法案の存在を挙げていた。この尊厳死法案では、終末期医療にある人が、自己決定に基づいて、延命治療をやめることを医療がサポートすべきかどうか、が論じられている。海老原さんは、一度そのような法律が出来ると、人工呼吸器を付けなければ生きる事ができない人は、「延命治療してまで生きる価値があるか?」を問われる対象になるのではないか、と危惧する。その際、非常に気がかりな事を口にしていた。

「この国では、迷惑をかけて生きる、という事に対して、否定的です」「私たちは、そんなに迷惑を掛けていますか?」

そう、日本社会の文化的規範として、「他人に迷惑をかけてはいけない」というのは、ものすごく強い呪縛として、現代日本でも機能していると感じる。これは、ゼミ生と議論をしていても、感じる。「人様に迷惑を掛けないよい子でいなければならない」というルールを守ることを、自分のしたい事にチャレンジする事より上位に置いている学生達が少なくない。そして、個性を去勢化し、同調圧力に従って、同じような振る舞いを必死にして、疲れていく。

そして、この「迷惑を掛けてはいけない」という呪縛は、「他人に迷惑を掛ける存在は、あってはならない」と、容易に転化する可能性があるのではないか、という海老原さんの問いかけは、決して妄想ではない。現にそれを「実践」した国がある。それが、ナチスドイツである。

たまたま昨日の「福祉社会学」の講義で議論するために、『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』という分厚い一冊を読んでいた。この本に書かれていた事を簡単に要約すると、当時のドイツではアーリア人の優秀性を担保・根拠付けするために、公衆衛生にも力を入れていた。その中で、善意に基づいた医師達は、次の様な信念に取り憑かれていく。

「自分たちこそおは科学者として、患者の福利とドイツ民族総体の浄化に配慮していると信じていた。近代科学技術が医学に飛躍的な革新、リハビリテーション可能な障害者はリハビリテーションし、残りの『治療不能』な場合は抹殺するという治療の過激化の機会を提供したと信じたのである。」(p14)

この「治療不能」な障害者は「生きるに値しない命」と言われ、精神病院のガス室で抹殺され、火葬=焼却処分された。これはヒトラーのメモ書きによる許可に端を発するもので、その合法性が国内でも問われたが、やがてヒトラーの言うこと=合法、と認められると、医者や法律家も全国的に荷担し、官僚主義的でシステマティックな虐殺によって20万人以上が殺された、と言われている。そして、この「やり口」はユダヤ人の抹殺に、見事に引き継がれていった。

ここで論点になるのは、「生きるに値しない命」という価値判断である。

当時のドイツ社会では「治療不能」というのが、その判断基準の一つであった。だが、実はもう一つ、大きな判断基準があった。それが、「生産能力」=お金を稼げるか、という視点である。ちょうどこのテーマを昨年取り上げた、NHKのハートネットTV「ナチスから迫害された障害者たち (1)20万人の大虐殺はなぜ起きたのか」のHPに、その当時の記録映画のフレーズが記載されていた。

「健康な国民同胞を健全にする資金が、白痴者を扶養するために使われている。施設にはそのような者がうようよいる。この遺伝性疾患のあるきょうだいの世話にこれまで154000マルクかかった。どれほどの数の健康な人々がこの費用で家を買えるだろうか!」

簡単に言えば、「生産性のない人を養うために、これだけのお金を費やす位なら、殺した方が良い」という、戦慄する主張である。それが、「安楽死」「治療可能性がない」などと、医学のフレーズで装飾されて、さも専門家が決めたのだから仕方ない、とばかりに、歯止めが利かずに、虐殺の肯定化へとつながっていった。そして、当初は遺伝病などごくごくわずかな対象者が範囲だったのだが、やがて障害者やアルコール依存者や浮浪者など、「社会に迷惑をかける」存在が抹殺の対象として広がっていく。そして、「ヒトラーが認めたのだから」という錦の御旗の下で、このシステマティックな虐殺に、医師や法律家はごく一部を除いて反対することなく、粛々と従って虐殺に荷担していく。そういう実態が、法や官僚システム、医療への信頼が厚いドイツで、起こったのである。

そして、70年後の日本で起こった、相模原の障害者施設での凄惨な連続殺戮事件。容疑者とされる男は、障害者を不幸な存在だと決めつけ、社会的活動が困難な場合、保護者の同意を得て安楽死させた方がよい、と考えていた。これは、ナチスドイツが行ったことと構造的には同じである。生産性や治療可能性、そして「社会に迷惑をかけないか」とう恣意的基準で人の「価値」を判断し、「あなたにはその価値がない」「そう査定する私には価値がある」と、障害者と自分を分けて考えた上で、自分の「価値」観を絶対化し、自己正当化を図って、人殺しも正当化する、という、身勝手極まりない発想である。他人を殺してはいけない。それは「あかんもんは、あかん」のである。「こういう場合は良いのではないか」という留保を付けると、医学的・法律的理由なんて、どんどん拡大解釈される。それは、人間の理性の限界なのである。だから、「あかんもんは、あかん」と倫理的に基礎付けなければならないのである。

それから、この件に関して、反省を込めて、もう一つ述べておきたい。

僕はヘイトスピーチやヘイトクライムは許さない。ただ、これまでそう公に表明してこなかった。ヘイトスピーチをする団体へのカウンターデモをする人々の存在をツイッターなどで知る度に、「頑張って欲しいな」とは思っていた。でも、自分はカウンターデモには行かなかった。また、ヘイトスピーチはダメだ、と、こうやって公言してこなかった。「わざわざ僕ごときが口に出さなくても」と思っていた。

でも、そういう静観・傍観者態度が、ヘイトスピーチへの「消極的荷担」をしてこなかったか? 「これくらい、言っても良いんだ」という人間の醜さ・愚かさの結果論的肯定に繋がってこなかったか? そして、そのようなヘイトに甘い環境が、今回の相模原での障害者への憎悪(ヘイト)に基づく大量殺戮(クライム)へと導かれなかったか。

それは、例えば都知事時代に「ああいう人って、人格あるのかね?」と発言した石原慎太郎氏のような、常に差別発言を繰り返す人を、放置してきたこともつながる。「有名人や政治家が言っているんだから、これくらい言っても大丈夫だ」というのが、日本社会の暗黙のルールになっていたのではないか? そして、それを許容し、そういうヘイトに甘い社会を作っていたのは、他ならぬ僕であり、あなたではないか? すると、今回の犯罪の土壌を作ってしまったことに、僕自身が全く無関係と言えるだろうか? そういう問いである。

僕は、「社会を変える前に、まず自分自身が変わる」ということを、自分の原則にしている。

今回の凄惨な事件を繰り返さないために、まず僕に出来ることは何か。それは、こういう考えを整理して伝えると共に、「あかんもんは、あかん」と繰り返し言い続けることだ。「言わずもがな」の世界ではない。ダメなモノはダメだと伝え続けないと、いつしかズルズルと、ダメなモノが許容され、このような打ちひしがれるような事件に繋がる。ヘイトスピーチやヘイトクライムは絶対許してはならない。それが、日本社会が変わるための、原点として求められていると僕は思うし、ヘイトクライムやヘイトスピーチを僕は絶対許さない。改めて、ここに宣言しておく。

「手段の自己目的化」を超えるために

職場で同僚と、大学の自己点検評価に代表される数値による評価の問題をおしゃべりしていたら、それを小耳に挟んだ科学哲学がご専門の森幸也先生から、「教育効果におけるエヴィデンス主義・実証主義の限界」という論考を頂いた。この論考がめちゃくちゃ面白かったので、ご紹介してみたい。森先生は、大学の授業の評価に関して、次の四つの項目に分けて整理している。

A 授業の個別内容の理解・習得
B 科学論的批判精神の涵養と科学の特質に対する理解
C 社会システムに対する複相的洞察
D この社会内での生きる姿勢、あるいは人間的成熟。さらには共同体への影響
この上で、「教育活動に宿された豊穣性を信じるならば、成果の重要度は、A<B<C<D」であるが、「成果の測定可能性については、A>B>C>D」である、と指摘した上で、「成果の測定可能性」について、次の様な疑義を示しておられる。
「教員が『教育目標とは測定可能なものでなければならない』と錯覚してしまう危惧を捨てきれない」
「エヴィデンスや実証主義は、よりよい教育活動を展開するという目的のための『手段』なのである。方法論を『目的』と錯認する倒錯を侵している」(p10)
これは極めて大切なことを指摘している。
文部科学省は今、補助金や交付金をダシに、大学への改革を次々に迫っている。まあ時代の転換点なのだから、必要な改革であれば、しなければならない、とも思う。でも、彼らが示すのは、数値目標であったりエヴィデンスとして示せ、というものばかりである。つまり、実際にどれくらい達成できたかを数値で示せるもの、を、クリアするように、度々求めている。これは「成果の測定可能性」で、改革の要求をされている、ということである。
だが、教育は「測定可能性」だけで計るものでは、もちろん、ない。AやBの一部は何らかの効果測定で計ることが出来るかも知れない。でも、高等教育機関に最も求められる、「成果の重要度」として最も高いはずの、CやDを評価しよう、ということが、文科省の姿勢からは感じられない。これは、森先生の表現を使えば、「方法論を『目的』と錯認する倒錯」そのものである。
ただ、もっと怖い妄想を抱いてしまう。
それは、文科省はそもそもCやDについては、大学教育の重要性として重きを置いてはいないのではないか、という妄想である。これが僕の妄想であれば良いのだが、以前L型大学とG型大学の分類に関する批判的ブログでも触れたように、文科省は本気でこのようなわかりやすい二分法を採用しようとしたり、あるいは数値目標だけで成果を測れる、と思い込んでいるのだろうか、と危惧する。さらにいえば、普通のL型大学に行くような大学生には、CやDのような人間的成熟はいらない。お上や上司が言うことを黙って粛々と従う、自発的隷従を求めているのではないか、とさえ、疑ってしまう。
森先生は、科学哲学論の系譜を紐解きながら、これを「ガリレオの倒錯」である、という。
ガリレオは、自然界の神秘を数学で解き明かそうとした。これを「実証主義」という。この実証主義は、「自然界から『質』的なものを削ぎ落とし」「自然界を探求するのに、数学的手法の適用で十分」と考えた(p12)。これがなぜ「倒錯」なのか。それを、森先生は次の様に喝破している。
「言い換えると、『自分の方法で把握できる世界こそが、真の世界である』という放漫で倒錯した思考が、ガリレオには宿っていたと思われる。これは『方法論原理主義』の一形態である。(略) 教育成果や教育目標において『実証的に提示しうる事柄のみが大事である』と錯認してしまう『倒錯』と同型の構造が、ガリレオの自然観の中には織り込まれていた。どちらも、『手段』を『目的』と取り違え、『手段』が特権化・絶対化してしまっているのである。」(p12-13)
文科省という役所の「行政指導」のやり方を見ていると、「『自分の方法で把握できる世界こそが、真の世界である』という放漫で倒錯した思考」が見て取れるのだが、これも僕の妄想だろうか・・・。
そして、この倒錯の本質的構造を、森先生はガリレオに基づき、次の様に述べている。
「ガリレオ自身はおそらく、運動理論を確立する際に、そこに哲学的『意味』が混入するのを慎重に避けていたと思われる。アリストテレスの運動論では、『なぜ』運動が起こるのか、を問題にしていた。それに対してガリレオは、『なぜ』とは問わずに、『いかに』運動は進行するのか、という問いにのみ答えようとした。戦略的に、哲学の問いを避け、技術、あるいは数学の問いに課題を絞り込んだのである。その意味で、フッサールがガリレオを『発見する天才であると同時に隠蔽する天才』と評するのも頷ける。」(p13)
ここに至っては、単に文科省批判を超えて、「お役所仕事」への共通性を見て取れる。
僕はアドバイザーとして色々な行政や社協と関わってきたが、役所や社協で働く人の中には、「なぜ」を問わずに、「いかに」をいかに上手に遂行するか、にエネルギーを投入してきた人を沢山見てきた。つまり、何らかの問題なり政策課題について、「法律で決められたからやる」という前提で動き、「なぜそれをしなければならないのか?」「自分の自治体にとって、そのことを行う事にどのような意味があるのか」という原理的な(哲学的な)「意味」の問いをすることなく、とにかく「決められたからするのだ」という「いかに」にのみ、取りかかる人が少なくないのだ。そして、大変残念なら、「いかに」思考のプロは、「なぜ」と結びつかないから、それを「業務」でのみ行い、とにかく「いかに業務として形にするか」に拘る。その施策が対象者・地域にどのような意味があるのか、を考えない。だからこそ、形だけ出来上がっても、実質的に機能しない、成果が見えない施策に繋がってしまう。
このような「なぜ」のない「いかに」が、いかにダメなのか、を散々見てきた。
そういう実感を持つと、文科省のお役人さんたちも、この「なぜ」という「意味」を問うことのない、「いかに」という問いへの埋没の危険性を感じてしまう。そして、そのような動きが、大学教育改革という問題を『発見する天才であると同時に隠蔽する天才』になってしまわないのか、という根本的危惧さえ、抱くのだ。
森先生は、この「いかに」への倒錯や実証主義、客観性への傾倒に、警鐘を鳴らす。
「客観性は、そうした背景を覆い隠し、説得力を持たせる『戦略』である。『この客観性の理想は、科学的であると同時に、政治的なものでもある』。統計的数値の背後に、さまざまな前提条件や価値観が伏在していることを、忘れてはならないだろう。」(p16)
AやBのみで、評価が出来たと思い込んでいる。これは「科学的であると同時に、政治的なものでもある」。「いかに」を遂行する能力を求め、その指示なり政策なりを「なぜ」遂行しなければならないのか、を問う力を養わせようとしないのも、一つの「政治的」な力動、パワーポリティクスが「伏在」している。その「統計的数値の背後」にある、「さまざまな前提条件や価値観」をこそ疑う力が、CやDの要諦である。これこそ、大学教育で最も必要とされている視点ではないだろうか。そして、そのような真の力を去勢する動きこそ、いくらもっともらしい「いかに」であっても、手段の自己目的化、として厳しく批判しなければならないのではないだろうか。
森先生の論考から、こんなことを考えていた。

定型発達でない、という「強み」

先週末、本棚を入れ替えたら、積ん読本に新たな光が差してきた。そして、1年以上書棚で待ってくれていた本を、ようやく手に取る。読み出したら、貪るように読み終えていた。

「かえりみれば教師から級友からいじめに遭ったとき以来、私はそのことに異議を申し立てたり、不快な気持ちを訴えたり、別のところで新たな人間関係を築こうとしたりはせず、ただひたすら勉学の世界に閉じこもっていた。20代のある時期まで、いつも自分にこう言って聞かせた。『人間は裏切っても、勉強は裏切らない』と。考えてみれば、私にとって勉強とは常同行動そのものだった。(略) 私は自分が思い決めた『勉強の形』に固執した。『形がすなわち意味そのもの』であったから、それは自分が生きて存在することの証でなくてはならなかった。こうして『勉強は裏切らない』という非論理的な観念に呪縛された私は、志望校に合格するという目的合理性ではなく、被虐的なまでの刻苦勉励という行為それじたいに意味を措き、快感を見出してやまなかった。つまり、ある種の精神論、形式美に生きていたのである。」(真鍋祐子『自閉症者の魂の軌跡-東アジアの「余白」を生きる』青灯社、p269)
この本の帯に「自閉少女から東大教授へ。その体験の壮絶な記録」と書かれているように、真鍋さんは韓国の民衆運動や韓国人の内在的論理を研究する東大教授である。拙著『枠組み外しの旅』と同じシリーズである「叢書 魂の脱植民地化」の6巻目に出された本である。この叢書はどれもズシンと重い。それはこの本の最後に「刊行のことば」として編者の安冨歩・深尾葉子両先生が述べているように、「客観主義」という「学術ダム」を決壊させるプロセスの記述、つまりは「対象への問いを通じて自らを厳しく問う不断の過程」だからである。実際、この本を通じて、真鍋さんご自身も、自分自身の生きてきたプロセスや日本社会、韓国社会との向き合い方を問い直すことによって、ご自身のありようを「厳しく問う」こともされている。これこそ、「観察される対象者と観察する私」という「客観主義」に揺さぶりをかけ、決壊へと導くプロセスである。
真鍋さんのこの本が圧倒的に魅力的なのは、彼女自身が「当たり前」に感じていた感覚や行為に揺さぶりをかけ、「自閉症」の構造から捉え直し、そこに新たな意味付与をして、内在的論理を整理し直して言語化する、というプロセスにある。例えば自閉症の常同行動とは、身体を前後にゆらしたり、同じフレーズを繰り返したり、回るものをずっと見続けたり、というパターン化された行動のことを指す。そして、その行動は定型発達の人にとっての「意味」を見出しにくいから、「常同行動」という形でラベリングされている。だが、例えば勉強やスポーツのように、「意味」が強くあるものに拘り続け、繰り返すことをさして、「常同行動」とは言わない。大変熱心に取り組む人、とむしろ、プラスに評価される。
だが、『形がすなわち意味そのもの』であった真鍋さんにとって、定型発達の人が極度に拘る「志望校に合格するという目的合理性」を、重視してはいなかった。「志望校合格」という「意味」ではなくて、その為の手段である勉強という「被虐的なまでの刻苦勉励という行為それじたいに意味を措き、快感を見出してやまなかった」というのだ。これを、定型発達の人(=日本社会のマジョリティ)が聞くと、「信じられない」と返ってくるが、よくよく耳を澄ませてみれば、そういう人は、実は一定の割合でいる。
僕のゼミ生でも、いろんなタイプの学生がいる。例えば過度に他者の評価を気にして、その牢獄に陥って、「ありのままの私」は努力不足だから、認める事が出来ない、という学生もいる。他方、他人は他人で、どれだけ褒められても評価されても、その評価という「意味」を求めようとしない学生もいる。ある学生には喉から手が出るほど希求して止まない他者評価を、全くといってよいほど重視しない。前者にとって「仙人」のように映る後者の学生の内在的論理を伺うと、実は他者と自分の感覚や志向のズレを小さい頃から自覚していて、「他人と同じように出来ない事」を悩んでいたりする。そういう学生の中には、真鍋さんと共通の方向性を持つ人がいる。
ゼミ生の中には、その自らの独特さについて、「自閉症」の論理との共通性を見出し、卒論を書いた学生もいる。その学生達の研究や発言から学んだのは、例えばスポーツ、特に個人競技に秀でた学生の中には、練習そのものを、結果的には「常同行動」のようにこなす人もいる、というリアリティだ。例えば大会で優勝する、とか、オリンピックに出る、とか、マジョリティからみたら「羨ましい」と思える成果を出している人であっても、成果=意味、と捉えるならば、『形がすなわち意味そのもの』である人にとっては、それは重要なことではない。大会で勝っても、どことなく他人事として眺めている自分がいて、周りの喜びようや、大会に向けた他者からの圧力やプレッシャーも、何だか違和感をもって受け止めている。それは、本人にとっては、その大会にどんな「意味」(関東大会、日本の王座決定戦、オリンピックの出場権争い・・・)が込められているか、という「目的合理性」に価値があるのではなく、「常同行動」的な「形」の反復こそに、意味や価値を見出しているからである。
そして、勝負そのものに強いのは、実はこういうタイプの人なのかも知れない。他人が期待していると、そのことがプレッシャーになるタイプ、とは、他者の期待や評価を内面化し、それを自分自身の中に取り込んで、その査定に合う・合わない自分を勝手に評価しようとする行動である。それをすれば、緊張し、ガチガチになり、パフォーマンスは下がる。これは、僕自身にとっては合気道の演武会がまさにそうである。「みんなの前で演武する」という「意味」に居着いてしまい、そこから自由になれず、その意味に固執することで合気道の形がグダグダに崩れていく、ということを指す。
だが、このような「意味」から自由になる人にとって、他者の期待や評価の重要性は極めて低い。普段の練習と、師匠やコーチの前での練習と、観客の前でのパフォーマンスにおける差は、遙かに小さい。なぜならば、「人に評価されている」という「意味」に重みを付けるより、常同的な(いつも行っている)パフォーマンスを繰り返す、という儀式的な側面の方が強いからだ。すると、過剰な「意味」の牢獄に囚われてパフォーマンスを下げる人よりも、普段と同じ感覚で(=常同的に)パフォーマンスを本番でできる人の方が、勝負する前から、その能力が発揮しやすい、ということも見えてくる。
とはいえ、こういうタイプの人だって、仙人ではない。むしろ定型発達の人が何気なく出来ていることに苦しさを感じているのだ。真鍋さんはこうも語る。
「このような定型発達者の無意識のスキルは、最近の言葉で『スルー力』と呼ばれるものだ。了解不能な現実を隠蔽する論理構造は、私の場合、例の『更年期障害』から始まっている。ただし、それはこうむった苦痛の意味を自分に納得させ、相手も同じくらい苦しんでいると思い込むことで憂さを晴らし、一時的にでも楽になることが目的であったから、了解不能な他者の行為の意味を『独立した次元』ととらえるのとは根本的に異なるのである。表面上はスルーしているように見えて、その後も長らく『見返してやる』という思いに縛られてきたのは、了解不能な現実を『欠損』とくくって間接的に受容するまでには至らなかったことを意味する。」(p260)
「了解不能な現実を『欠損』とくくって間接的に受容する」、つまり「見ないことにする」「わかったふりをする」という意味での「スルー力」を持ちにくい、という。定型発達の人は、形より意味にこだわるので、逆に言えば、意味さえ付与すれば、スルーできてしまう。「ああいう人だから」「世の中、そういうもんだから」とラベルを付けても、本当のところは、何もかわらない。でも、「とりえあえずそういうこと」という意味付与が出来れば、「了解不能な現実を隠蔽する論理構造」は通ってしまう。まさしく、「スルー」する事が出来る。
でも、意味より形にこだわりがつよいと、「了解不能」であるという「形」こそに、こだわってしまう。他人と話していても、価値観が違うので話が合わない、と悩んでいる学生もいる。でも、定型発達の学生だって、実のところ、価値観が相手と合っているとは限らない。ただ、「スルー力」が高くて、「了解不能な現実を隠蔽する論理構造」を上手に働かせて、「わかったふり」をして、相づちを打っているだけ、かもしれない。だが、そのような意味付与が苦手だったり、そのような意味付与に「意味を見いだせない」人にとっては、了解不能な現実という「形」こそが気になってしまう。それが、日本社会の中での「生きづらさ」とつながってくる部分があるのかもしれない。
そのことを越える為には、冒頭でもちょっとだけ触れた、安冨・深尾先生の「刊行のことば」が手が掛かりになりそうだ。
「何かを知りたいという、人間の本性の作動は、知ろうとする自分自身への問いを必然的に含む。対象への真摯な探求を通じて、自らの真の姿が露呈し、それによって更なる探求が始まる。これが知ることの本質であり、これによって人は成長する。この身体によって表現された運動を我々は『魂』と呼ぶ。(略) 『魂の脱植民地化』とは、この<知>の円環運動の回復にほかならない。それは、対象への問いを通じて自らを厳しく問う不断の過程であり、修養としての学問という、近代によって貶められた、人類社会の普遍的伝統の回復でもある。『魂の脱植民地化』研究は、この運動を通じて、魂の作動を阻害する暴力を解明し、その介助を実現する方途を明らかにしようとする学問である。」
長くなったので触れられないが、真鍋さんは、韓国社会や韓国の社会運動との出会い、そして大学院生時代の「研究」における試行錯誤を通じて、「知ろうとする自分自身への問い」と直面された。そして、そこに蓋をして、「客観主義」の作法を身につけ、その枠組みに当てはめて「わかったふり」をすることなく、「自らの真の姿」の露呈にひるむことなく、「それによって更なる探求」への旅に漕ぎ出された。そのような「<知>の円環運動」が、本書の中に余すことなく記載されている。
副題の「余白」に関して、真鍋さんは「既成の構造」からのの「裂け目」(p319)とも表現している。これは、同調圧力の強い日本社会においても、様々な境界線上に「裂け目」があることを意味している。真鍋さんは韓国研究を通じてその「裂け目」に出会われたが、例えばそれはトップスポーツ選手が何らかの事情で「引退」した時や、就職や転校など、あるいは東日本大震災といったカタストロフィー時など、場や文脈が大きく変わることで、自明的なはずの意味に「余白」が生じる瞬間でも、「裂け目」は生じる。だが、私たちは往々にして、その「裂け目」に対して「見ないふり」をして、ひたすら昨日と同じ今日という「常同的日常」に意味を持たせようとする。だが、反復する形が昨日と今日では大きく異なっているのに、同じだと扱う「常同的日常」自体が、同じ形の反復にこだわってきた人にとっては、「了解不能な現実を隠蔽する論理構造」に映ってしまうのだ。そして、研究とは、そのような「常同的日常」の「裂け目」や「ズレ」を、そのものとして指摘し、そのような「裂け目」という「対象への問いを通じて自らを厳しく問う不断の過程」でもある。それが、結果的に「魂の作動を阻害する暴力を解明し、その介助を実現する方途を明らかにしようとする学問」へと繋がっていく。
非常に多くの事を真鍋さんの著作から学ばせていただいた。

ダイアローグな症状論

中井久夫氏の本は元々好きで読んでいたが、『統合失調症をたどる』は、非常に良い。中井氏の統合失調症の発病から経過に関するテキストと、その時期に当事者がどう感じたか、のエピソードが、うまく折り重ねられていく。例えば「発病時臨界期-身体症状の現れ」という項目では、中井氏のテキストでは、次の様に述べている。

「身体の乱れと感覚過敏のこの時期は、病気への入り口であり、頭痛、緑内障、便秘と下痢の交代など自立系の乱れが身体にあらわれたものから、インフルエンザや虫垂炎のような身体病まである。悪夢をみたことをあとで話す人も多い。さらに聴覚過敏がおこる。(略)ここで、身体の最後の警告を聞けば危機が回避される。」(p114)
それに対して、当事者たちはご自身の経験を次の様に語っている。
「【ウナム】胸が苦しくて病院を転々としたが、どこも悪くないといわれた。この本の編集に参加して、経過を知る事で、あの胸の痛みが何だったのか腑に落ちた。胸の痛みが『状態が悪くなるよ』と教えてくれた。」
「【星礼菜】腹痛があり会社を早退していた。その後、幻聴が自分をほめちぎってきて、うっとりと高揚した状態になったが、しばらくすると過去の失敗などを責めさいなむ声に変わる。持ち上げられたぶん、たたき落とされたときの痛みは大きかった。その繰り返しに疲れ果て、どうすることもできず無気力になった。」
「【のせ】発病前に強烈な胸の痛みに襲われました。それがまったく嘘のようになくなったと思ったら、世界が変容し、幻聴が聞こえはじめました。」(p118)
中井久夫氏は、患者の病理を外から観察する文体ではない。確かに実際には外から観察しているのだけれど、患者の感覚や感情をしっかり聞いた上で、統合失調症の「異常体験」的な何かの内在的論理を、しっかり掴む天才だと思う。しかも、無理からあせり、発病時臨界期、いつわりの静穏期、発病、恐怖からの救いとしての幻覚妄想、回復時臨界期、などのプロセスの、統合失調症者の身体症状や感情、感覚などの内在的論理も実に精緻に描いていく。その中井氏のいくつかの著作のダイジェストが抜粋されていて、それだけでも読む甲斐があるのに、この本のミソは、その中井氏の論理と、実際の体験者の「対話」があるところだ。
「病の体験を言葉にして力に変えよう」という事をキーワードに創られた、就労継続支援A型事業所でもある鹿児島のラグーナ出版。そこに集う患者達とこの本を創り上げた精神科医の森越まやは「本書ができるまで」で、こんな風に語っている。
「いつしか私は、ラグーナ出版で働く統合失調症の患者とともに中井の著作を読みはじめました。『病気の前よりもよくなることを目指す』などの治療目標は患者の腑に落ち、日々を生きるための確かな力になったことを実感しています。本書の”考える患者”の一人は、『病気を説明する本はたくさんあるのに、病気になったときにどうすればよいか、これからどうなるのかを教えてくれる本がなかった。だからこそ、役立つ本を作りたい』と語りました。読書会の様子を中井に伝えると、とても喜んでくださり、『それでみんな(患者)はなんていっているの』『この時期ではみんなどう思っているんだろう』などと尋ねられ、この本が生まれました。編集を終えて、ある”考える患者”は、『多くの人がこの本を手に取って発病を未然に防ぎ、統合失調症を正しく理解してほしいと願うばかりです』と語りました。」(p5)
この本では、中井の著作から、その時期ごとの記述がテキストとして引用されている。だが、それを聖典としてあがめ奉るのが目的ではない。見開き2ページ程度の中に、わかりやすく、スッと頭に入る解説分のパラグラフが、3,4つ挿入されている。そして、次の見開き2ページには、”考える患者”による体験ノートと、中井・森越による解説が付けられている。
実際に、”考える患者”と中井が対談している訳ではない。だが、この中井のテキストを通じて、”考える患者”が自身の体験談を語る中で、テキストとしっかり対話がなされている。それを、中井・森越の対談が受けている。そのような往復作業の中に、テキストをリアルなものに変え、患者の内在的論理が彩られ、「分厚い記述」が生まれていく。実際に直接の対話をしていなくても、テキストを通じた対話というポリフォニーが展開していく。それを読み進める程に、読む側はそのような「多声性」のグルーブの中に、はまり込んでいく。僕もそうやって、一気に読み進んで行けた。
あと、”考える患者”の声にもあったが、「病気になったときにどうすればよいか、これからどうなるのかを教えてくれる本」は、確かにあまり見ない。特に、次の部分の対話など、思春期の子ども達は絶対に読んでおいた方が良いと思う。
「【中井】人はいつも『余裕の状態』にいるわけではない。無理をし、焦る。この三つの段階を上下しているのがむしろ人々の日常であろう。ただこの三つの状態の『風通し』がよく、状況に応じて『余裕』への方向をとりうる者が健康者であろう。困難にぶつかると発病への準備性の高い人はいわば氷雪を頂く山頂の方に向かって逃げる。」(p87)
「【ウナム】子ども時代から何か困難があると『休む』ことより『頑張る』方向を選択していた。そもそも休みの取り方を教わった記憶がない。高校時代、睡眠三時間の生活を続け、周囲にとってもそれが当たり前の現実となり、半年後に原因不明の胸の痛みが起こり発症した。あせりを本人は気づきにくいので、注意してくれる人の存在が必要である。今回、自分の病気の経過を知り『そうだったのか』と腑に落ち、治っていくような気がした。」(p88)
実はこの部分を読んで、自分自身にも当てはまる部分が大きくて、すごーくびっくりし、腑に落ちた。「余裕→無理→あせり」のプロセスは、確かに僕自身もあてはまり、そこで「氷雪を頂く山頂の方に」漕ぎ出すことも、時としてある。だが、身体が正直で、眠ることを削らないだけ、何とか「風通し」が良い状況に戻れている。というか、自分が悪循環に入り込んでいるときは、睡眠不足と、無理があせりに変容した時である。それを他人のせいにしたり、しょっちゅう被害的な事をネチネチ考えたり、ネットを夜中まで弄っていると、ろくな事はない。そういう時はさっさと寝るに限る。逆に言えば、そうやって睡眠を確保できない状態が続くと、どんどん「氷雪を頂く山頂の方に向かって逃げる」にはまり込んでいく。
そして、僕の場合は幸いにも、パートナーがちゃんと注意してくれる。「あんた、眠くないの?」「無理してるけど、大丈夫? 休んだら?」 僕自身はウナムさんと同じように、「そもそも休みの取り方」がへたくそなタイプで、「何か困難があると『休む』ことより『頑張る』方向を選択」する傾向もある。だから、20代後半は、クタクタだった。それが、結婚してから、パートナーにそういう注意をされ、最初は不承不承だったが、少しずつ休むようになり、身体が楽になってきた。未だに「あせり」はしばしばあり、「頑張る」方向に行きがちだけれど、「休む」というのが、創造性を高める為に、非常に大切だ、とやっと身体がわかってきた。9時間くらい眠ると、頭がスッキリする。6時間以下の睡眠が続くと、文章も書けなくなる。そういうリズムに、「余裕-無理-あせり」のサイクルは、すごくフィットして来る。
このように、精神的・身体的な「風通し」をよくする為の本が、「心の健康」のためには、実に大切だ。そして、この本は中井の精緻な理解に基づく統合失調症の発病から回復に向かう内在的論理の記述と、”考える患者”の「この時に堂感じ、考えたか」の対話がポリフォニーのように響き合い、自分だったらどうだろう、と問いかけてくれる、ダイアローグの性質が高い本である。第四巻まで続くそうなので、早く続きが読みたい、とワクワクしている。

呪いの言葉を超えるために

何気なく読み始めたら一気読みしたコミックエッセイがある。マンガは引用できないので、文章を引用してみる。

「『どうせ何をやってもうまくいかないよ』
その声が聞こえると
『そうだよね、うまくいくはずがないよ』
って あきらめてた」
このフレーズを読みながら、ゼミや授業で出会う何人もの学生達の顔を思い浮かべていた。彼ら彼女らの話を聴いて居ると、いわゆる「よい子」で、かつ、自信のない子が結構多い。自己肯定感が低く、他者承認を求めて必死になっていたり、「自分の意見なんて出したらウザいと思われるのではないか」と必死になって自分を「消している」人も少なくない。そして、どうしてそのように他者承認に必死になっているのか、の根源をたどっていくと、実は親や教師など、身近な大人から無条件で承認されてこなかったことが契機になっている人も、少なくない。
そんな現場の実感を見事に表現してくれたのが、細川貂々さんだった。彼女は、自分自身をモデルにしながら、自分自身の魂がどのように母の言葉によって毀損されていったのか、を明らかにしていく。(ちなみに彼女の『十牛図』の解説マンガも、魂の遍歴を辿るよい作品です)
「人に自分のことを話すときは『自分なんて何もできない』って言いなさい」
「あなたは何もできない子なんだから何もしなくていいのよ」
これらの言葉が、子どもの自発性や自尊心を、どれだけ深く傷つけていることか。そして、健気な子どもは、その母の言葉を真に受けて、自分自身が「やってみたい」と思うけど、親が承認してくれなさそうなことを、数多く引っ込めるようになる。そのうちに、ネガティブ思考に囚われて、自分自身のパフォーマンスは下がり、本当に「何も出来ない」と思わされ、親の期待通りの「何もできない子」ができあがる。
そういうストーリーを伺っていると、素朴な疑問が浮かぶ。
「そんなの、嫌だったら嫌だ、と言えばいいじゃん」
と。
でも、ゼミ生に聞いてみると、「それが出来たらこんなに悩まない」と言う。嫌であると言うことで、相手に嫌われるのは、怖いし、不安だし、そんなこと、とても出来ない。それよりも、自分さえ我慢すれば相手が喜んでくれるのであれば、そっちに従った方が楽だし、それ以上考えたくない。
これは、ちょうど今ゼミでの議論に浸かっている安冨歩さんの名著『生きる技法』(青灯社)の命題にもつながる。(この本についてはブログでも何度か触れている)
【間違った命題4-2】×他人を愛することは、自分を犠牲にすることである。
この【間違った命題】を、「正しい」と思い込んでいた学生達も、少なからずいる。両親やパートナーが承認してくれるのであれば、自分を犠牲にすることをいとわない人々である。でも、自分を犠牲にして相手のために尽くしても、それは本当の愛情関係ではない。とはいえ、子ども時代からそういう経験をすり込まれてきた人々は、それが当たり前と思い込んでいるから、それ以外の選択肢に踏み出すことが怖くて怖くて仕方ない。だから、自分を犠牲にしたくないので他人を愛さないか、他人にすり寄って自分を犠牲にして、結局疲れて果ててしまう。
そんなゼミ生達や僕が出会う学生達の背中を押してくれそうなのが、この貂々さんのコミックエッセイである。他者承認の牢獄に陥らなくても、まずは「私は 私のために生きる」(p113)。そう宣言してみる。そして、それを実践するために、少しずつ、自己否定という名の洞窟から出て、自分の楽しいこと、ワクワクすること、したいことをやってみる。他人にどう思われようと、「よい子」の自己検閲やリミッターをかけずに、自分を犠牲にせずに、大切にしてみる。それが、「何にもできない」という呪縛の悪循環から、一歩踏み出し、「箱の外に出る勇気」を持つための、最初の一歩につながる。
「どうせ」「しかたない」は呪いの言葉であり、それを振り切るところに、自由な世界があるのだ、と。
そんな勇気や希望をもらえる一冊である。
追伸:今朝配信された安冨先生のインタビューの「目に見えない暴力に取り囲まれていると、苦しみが終わらない」というフレーズは、まさに貂々さんが囚われた牢獄と構造的に同質だと感じた。

オープンダイアローグな4日間

木曜日から日曜日まで、フィンランドのオープンダイアローグにドップリ浸かっていた。『オープンダイアローグ』の著者、ヤーコ・セイックラさんとトム・アーンキルさんの二人のセッションが、木曜日は京都で、金曜夕方から日曜までは渋谷で、行われた。この濃厚な4日間に立ち会った記録を、友人向けにメモ書きしていたら、「それを公開してほしい」というご要望を頂いた。なので、皆さんにお裾分けさえて頂きます。なにぶん僕自身の感想なので、本当に学びたい人は、上述の本などをしっかり読んでくださいませ。

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<①5月13日:オープンダイアローグセッション@キャンパスプラザ京都>
僕は『オープンダイアローグ』の翻訳をされた高木さんにご指名を受けて、日本評論社主催のセミ・クローズドなセッションのファシリテーターとして立ち会う。即興性を大切にして、セッションをガチガチに組まなかったので、わりと緩い感じのセッション。対話がしっくり行き始めた段階で、2時間半のセッション終了、という感じ。
たぶん東京セミナーのかりっとした構造化とは違う、ゆるい枠ゆえに、まとまりも緩かったけれど、でもきらりと光る断片も色々伺えました。
特にメモしておきたいのは、感情を表現するということ。ある夫婦が関係性のしんどさを抱えていた。で、そのしんどさの源流をたぐるうちに、どうやら夫の父親が軍人で気持ちを表現しなかったことがわかってきた。また、お母さんは、ご本人が8歳の時に、「自分は他の男の人と付き合っている」ということを聞いて、ショックだったという。そこで、ヤーコさんが「私はその話を聞いて、心がズンと沈む」と話すと相手は泣き始めた。ヤーコさんも、一緒に泣いていた。そこから物語が動き始めた、と。
専門職は「泣いてはいけない」「巻き込まれてはいけない」と信じ込まされているけど、もっと感情を素直に表現しても良いのではないか。なぜなら、患者と医療者、ではなく、人間対人間、のつきあいであれば、そういう感情を表現するのもごくナチュラルなことだから。そう二人は言っていた。
そして、その時大切なのは「あなたは大変でしたね」と解釈することではない、という部分。「私はそれを聞いて胸が痛みます」と、自分を主語にして、自分の主観性を出した上で、相手の主観的話にコミットすると、お互いが相互作用的に「共進化」し始める、ということ。ようは、専門家と患者、という枠組みに縛られず、本気で本音で人間としてぶつかることが出来るか、という部分。ここが、オープンダイアログの鍵の一つなのかもしれない。そう感じた夕べだった。
<②5月14日:オープンダイアローグワークショップ@渋谷、一日目だん>
「ここで話されていることと、自分の人生とを結びつけていますか?」という問いが、最も本質的に感じられた。先にツイッターでも書いたが、自分を開いて、自己開示をして、相手と本気で対話するというのは、ある種の生き様が問われる話。とても、技法論やマニュアルうんぬんの話ではない。
目の前に、不安や心配で押しつぶされそうな人がいる。その人と接する私も、ある種の押しつぶされそうな気配を感じる。そういうダイレクトな感情を、相手にも伝わる形で、「私は○○だ」と自分を主語にして伝える事ができるか、という問い。そして、自分がそうやって教師とかセラピストとか立場や役割に固着化せず、それを隠れ蓑にもせず、一人の人間として、相手と「いま・ここ」で時間と空間を共有する覚悟を持っているか。それが、生き様が問われている、ということなのだろうと思う。
セミナーの後、森川すいめいさんとも話していたが、例えばホームレスのおっちゃんは、その覚悟がない人とは会話が成立しない。立場や肩書きなんて気にせず、人間として「なんぼのもんか」をしっかり見ているのが、おっちゃん達の強さ。それは、「私はこう思う」というのを、まず差し出す勇気を持っているかどうか、ということを査定する目でもある。
確かにトレーニングも必要だし、技法論的な事もある。でも、やっぱり構えや生き様の部分もあるようにおもう。相手を変える前に、まずは自分が変わる。他者性を尊重する、ということは、自分自身の固有性とかユニークさを尊重することがないと、成り立たない。
「どれだけ会話を深めても、ヤーコはトムになれないし、トムはヤーコになれない。でも共有する部分が多くなり、ダイアローグがより豊かになる。」
この語りが教えてくれるのは、教師-学生、支援者ー対象者という切り分けた境界を越えて、つながることが出来るか、という問い。これが「共進化」の鍵なのだと改めて感じた。
<③5月13日:オープンダイアローグセミナーメモ その3>
昨日のセミナーでもう一つ印象的だったのが、「水平の対話」と「垂直の対話」。水平とは、会話している人々の間での横での対等なやりとり。そして、垂直とは、内なる声との対話。
そもそも、権威主義的な関係であれば、水平の対話がままならない。そのなかで、不満や違和感という内なる声が出てきても、「どうせ」「しゃあない」と蓋をしてしまう。すると、垂直の対話の回路も閉ざす。つまり、権威主義的な関係性であれば、水平方向にも垂直方向にも閉ざされた、二重の意味でのモノローグになるのだ。
だからこそ、その関係を変えるために、まず自分自身の内なる声に耳を傾けることが重要なのだろう。これは、言語的表現に限らない。ある対話環境の中で胃のむかつきや圧迫感、身体のだるさや哀しみ、不安などを感じたら、その身体表現が何のお知らせなのか、をちゃんと内なる声として主題化した方が良い、ということだ。そういえば、これって昔読みふけったアーノルド・ミンデルのプロセス心理学でも同じ事を言っていたな、と思い出す。
そう、内なる声としっかり対話が出来た上で、相手(集団)との対話を始めると、軸が定まる。だからこそ、それが権威的な関係でも、あるいはそうでないものであっても、その雰囲気そのものとの対話が可能になるのかもしれない。そして、このことに自覚的である事は、対話のファシリテーターとして、決定的に重要なのかもしれない。
「他人と対話する前に、自分の内なる声をしっかり聞いて、受け止めていますか?」と。
この「構え」が技法以前に決定的に大切なような気がする。
<④5月15日:オープンダイアローグセミナー感想その4>
木曜日からの移動続きの疲れがピークになったのか、昨日は10時半頃に寝落ち。結局朝7時まで寝ていたので、朝ランも断念。でも、すがすがしい朝。
昨日のセッションですごく心に残っているのが、「集合的モノローグ」という話。トムがチェーフォフの演劇を用いながら話していた事で、人が沢山集まっても、みんな自分の言いたいことや立場の話しかしていないと、それは集合的モノローグだ、と。多職種連携の会議でも、そんな集合的モノローグになっていませんか、と。
そういえば、参加していてつまらない会議って、集合的モノローグになっているのですよね。それは、「つまらない」という内なる声と、そこでなされている議論がアクセスしないから、結局モノローグで終わってしまう。
それから、ダイアローグは創造的なものであるとも言っていた。そう、何かお互いが知らない新しい価値なりアイデアが生み出される瞬間は、そこに存在する歓びのようなものがある。これは、文字通り創造的瞬間。そういう歓びは、自分が「いま・ここ」にしっかりとコネクトしている(結びついている)からこそ、生み出されてくるもの。裏を返せば、集合的モノローグとは、みんながその場にいるのに、「いま・ここ」とは時制の異なる自分の「過去」「未来」の世界(内なる声)に埋没して、そこには「いない」状態なのかもしれない。
未来想起型ダイアローグなんかで、ファシリテーター役割に求められるのは、集合的モノローグから、ほんまもんのダイアローグに転換するための、「いま・ここ」へのチューニングなのだろう。それは、ファシリテーター自身が、ちゃんと自分の内なる声に従って、「いま・ここ」につながった上で、他の人が「いま・ここ」に繋がれるように、意図して「1年後、もしあなたの状況が劇的に改善されたら?」という「未来」の質問をして、みんなをその世界に誘うのかもしれない。そして、当事者や家族がその未来語りを共有し、専門職もその話の世界に調和していくなかで、「その未来語りをしている」という「いま・ここ」にみんなが乗ってくる。それが、トムが何度も言っていた「フロー」(流れ)に乗る、とういことなのだと思う。この流れに棹せず、うまく流すのを支えるのが、ファシリテーター役割なのかもしれない。
だからこそ、ファシリテーターは、その事例と関係のない人で良い、むしろ関係のある人なら、その人はそこに既に巻き込まれているから良くない、ということなのだろう。ファシリテーターに求められているのは、柔軟に流れに合わせて、その流れ全体に同期しながら、人々の語りの促す、ということなのかもしれない。
<⑤5月15日:オープンダイアローグWSメモ その5>
今日は会場内の仕切られた場所で実際のミーティング行われ、全ての参加者の音声が聞こえ、また映像にはヤーコさんが映し出されることで、オープンダイアローグの実際を感じるセッションだった。昨年9月にケロプダス病院では生のセッションに参加させてもらったが、その時はフィンランド語がわからなかったので、雰囲気を垣間見るだけだったので、今日の音声とつなぎ合わせながら思った感想を。
「大事なことは最初の1,2分で生じる」と言われていたが、1回目のセッションは、期せずしてその通りになる。冒頭では当事者に名前をお尋ねた際、自分が乗っ取られた幻聴の名前を話し始めた。なので、最初は訳がわからなかった。でも、ヤーコはその意味を聞き、悪魔の名前だ、という説明を聞くところから話がスタートした。
後で考えると、たぶん名前やその意味を最初にヤーコが聞くとき、こういう風に「乗っ取られた名前」を言う人もいるのだろう。そして、それは支援者に対して、「さあ、どうする?」という突きつけなのかもしれない。でもヤーコは当然のように、その乗っ取られた人の名前や意味を聞き、またボブやジミーなど、様々な乗っ取る人の話もスーッと聞いていく。日常の中でこの人はそういう多様な声に出会っているのだから、「その声のある日常」として接しているのが、非常に印象的だった。
とはいえ、そこには家族も参加している。家族には、「その声のある日常」についてどう感じているのか、を尋ねていく。事実確認でも、尋問でも、解釈でもない。あくまでも、「声のある日常」とはどういうものか、をもう少し詳しく本人から教わりたい、そしてそれを家族はどう感じているのかも知りたい、というアプローチだった。そういう意味で、専門性が日常性とスーッと結びついている感じがした。だからこそ、本人も家族も初対面のヤーコに対して、彼らの日常を沢山話してくれているようだた。
また、「あなたの話を聞いていて僕に思い浮かんだことは」とか、「僕がその場面だったから、こんな風に感じる」とか、「僕の経験では」という形で、自分の意見をあくまでも「いま・ここ」に結びつけて話をしているのも、印象的だった。
「相手を変えよう・治そう」というアプローチは、どうしても操作的になる。そして、それは特に困難を抱えている人にとっては、自分達のしんどさや不安、大変さを理解されることなく一方的・教条的なアプローチに映る。当然、反発も起こる。でも、「今日の話から○○を私は学んだ」というヤーコのフレーズに象徴されるように、自分が相手から学ばせてもらう、というのは、文字通りの双方向に感じた。支援者の聴き方が変わる・違うからこそ、その家族世界以外には開かれていない、「閉ざされた煮詰まり感」が少しずつその場に表現されていくのも感じた。
相手を変える前に自分が変わる、というのを、ヤーコは常に実践しているのだなぁ、という姿勢を垣間見た瞬間だった。
<⑥5月15日:オープンダイアローグWS感想 その6>
ある福祉現場の参加者の方から、会の終了後、「今回の経験をどう活かせば良いのでしょうか?」というお尋ねを頂いた。僕自身も一参加者なので、よくわからないし、そんな事は軽々しく言えない。でも、僕自身が活かせるなら、ということで、こんな事をお伝えした。
「まず、誰かへの直接支援の現場で、いきなりこれを使おう、とは思わない方が良いと思います。それは、百害あって一利なし、だから。そうではなくて、自分の職場の中で、例えば同僚とか、連携する同業者に対する自分のアプローチを変える。そういう練習から始めてみるのも、一つかもしれません」
これはヤーコとトムの本でも、繰り返し書かれていることだ。「相手を変えるのは難しい。それより、自分が変わることの方が簡単だ」と。逆に言えば、自分を変えることも出来ない人が、他者の変容に立ち会えることは無理だ、という厳しい警句とも言える。このセミナーで学んだことを、自分の日常世界にどう取り込むことが出来るのか。これが、専門性と日常性を切り分けない、専門性を日常性の中に取り入れる、という事の真意なのだと思う。
高木俊介さんは『オープンダイアローグ』の訳者解説の中で、仏教の「往相」と「還相」の話を引き合いに出している。「往相」が専門性を学ぶ時期であるとするならば、専門性を身につけた後、日常世界の中で専門性を前面に出さずに仕事をする構えを導き出すのが「還相」である、と。そういう意味では、ワークショップで学んだ時間を「往相」とするならば、それを日常に生きる、普段の仕事の場面で、まずは同僚や同業者など、比較的害のないところで、そのスタンスを「日常の構えとして生きてみる」ということが「還相」に近いのかもしれない。そして、それは行きつ戻りつ、を繰り返すプロセスなのかもしれない。
これは実は、僕自身のこれまでの生き様と重なる部分も少なくない。僕は、大熊一夫師匠や大熊由紀子さんなど、何人かの方々に弟子入りし、知識や経験のみならず、先達の生き様を学ばせて頂いてきた。特に、大熊一夫師匠には、文字通り「内弟子」として、大学院生の頃、行動を常に共にさせて頂き、ご飯をご一緒し(ごちそうになり)、師匠があちこちに出かけるのにずっとくっついていった。その中で、師匠の生き様を文字通り習得しようと、必死になった。そして、師匠のもとを離れ、大学教員として、ある種の「真打ち」になってしまった後も、折に触れ考えるのが「師匠だったらどう考えるだろう」という点である。大学院生として師匠に弟子入りしていた頃が「往相」だとしたら、大学教員になった後の僕は、「還相」モードに入った。でも、師匠に学ばせて頂いたり、今回のような新たな叡智を学ぶ時には、学び手として再び「往相」に戻る。そして、明日以後の日常の中で、今日の学びをどう生きることが出来るか、の模索が始まる。
一日目、トムから「あなたの人生にどうコネクトしていますか?」という問いがなされた。その問いは、ワークショップでの学びを、あなたの日常の中で、どう生きますか、活かせますか、という問いなのだろうと思う。僕自身は、授業やゼミの場面で、あるいは会議や事例検討会などでも、もっと「いま・ここ」に結びつこうと思う。なるべくそこに参加する多くの人の声との多声性やポリフォニーと響き合う水平の関係を大切にしながら、一方で自分の「内なる声」との対話という垂直の関係も、常に意識しようと思う。特に、「焦っている」「いらだっている」「操作的・支配的になろうとする」という、不安や否定的な声を蓋したり、見ないふりをすることなく、もっとその声に素直を聞き、その声とも対話しようと思う。これが、WSという往相で得た学びを、明日以後の生活という「還相」において生きるための、僕にとっては大切なポイントなのだと思う。
そのためにも、力んだり、勢いづいたり、必死になっている時ほど、「少し落ち着け」と自分に語りかける必要がありそうだ。もっとリラックスして、自分の声と相手の声に耳を傾けてみようよ、と。ネガティブな思い込みに支配されず、水平と垂直の関係性をもっと大切にしてみようよ、と。そういう実践の積み重ねが、少しずつ、自分の「還相」と結びつくように、生きてみたい。
帰りの「あずさ」の中で、そんなことを感じた。