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メモリアルな一週間

この一週間は、あれこれメモリアルな出来事に遭遇しながら、あっちゅう間に過ぎていった。

11月9日の水曜日。冷え切っていたが、朝から澄み切った青空。大学に出かける途中、愛宕トンネルを抜けてすぐの右側に、甲府盆地が見える。この日はすごく天気が良かったので、富士山がスッと見えた。そんな朝から晴天のその日の2限は、来年度の3年ゼミの募集説明会だった。他の先生がお話になられている最中、窓から見える図書館前の紅葉を前に、1年前の11月9日のことに想いを馳せていた。

この1年前の11月9日も、今年と同じように晴れだった。そして、僕はその日、甲府の、山梨学院にいた。そう、それが大学の面接の日であり、生まれて初めて甲府で降り立った日でもあったのだ。澄み切った青空と鳥のさえずりの聞こえるキャンパスが妙に印象に残っていた。それから1年後、こうして実際に大学の一員として甲府に住んでいることに、摩訶不思議なご縁を感じていた。ちょうど1年前の11月頃、と言えば、フリーター生活二年目の後半を迎え、これもご縁あって3月までの研究資金は頂いていたものの、その後の見通しは全く立たず。しかも、二年間で大学の常勤職に書類を出した数は40を超え、もうダメかも、などと弱気になっていた。そして、自分の出身の人間科学部でも、あるいは自分が研究していた福祉学部でもない法学部、という未知の領域への期待と不安が膨らんでいた。ご縁、と言えば、確か朝9時か10時頃からの面接だったので、前日は富士見の恩師のお宅に泊めて頂いた。いつものように美味しいお酒と料理で面接前日の緊張をほぐして頂き、いくつかの貴重なアドヴァイスも頂いた。そんなご縁もあって、その数日後、採用の連絡が届いた。ちなみに変なもので、この採用通知の数日後、別の大学からも同様の連絡が届いた。「落ちるときは落ち続けるけど、通るときは続けて通るもんだ」としみじみ感じていた。

実はこの11月9日、というと、もう一つ大きなつながりがある。これは、僕がこのフリーター時代にスタッフとして働かせて頂き、貴重な経験とパースペクティブを与えて頂いた、NPO大阪精神医療人権センター(http://www.psy-jinken-osaka.org/)が20年前にスタートした日、でもあるのだ。博論は終えたが仕事が決まらなかった(ということは時間だけあった)この時期にこのセンターと関われたことが、今の自分に与えた影響は大変大きい。自分の視野を開き、そして現場第一主義や当事者の声を聞くことの大切さを身をもってOJTさせて頂いた、本当に貴重な日々だった。そして、様々な出会いにも恵まれ、精神保健福祉に関する視野がこの2年でぐんと深まった・・・。そんなことを、土曜日、大阪で、しみじみ思い出していた。この日はNPO大阪精神医療人権センター設立20周年記念集会に駆けつけていたのだ。

記念集会のタイトル「精神病院はどこまで変わったか?」に表されるように、この20年の日本の精神保健福祉の変わったこと、変わらなかったこと、をある種総決算するような、本当に濃厚なシンポジウムだった。4時間の内容が文字通り、あっという間に感じられた。180人の会場が一杯になるほど、多くの皆さんが興味を持って足を運んでくださったことも、元スタッフの一員として嬉しかった。そして、懇親会の場で、お世話になった様々な方々との歓談の中で、改めてこのセンターに関わることによって頂いたご縁への深い感謝を新たにしていた。

それ以外にもメモリアルはてんこ盛りだった。金曜日の大阪入りに際しては、西宮まで空港バスに乗った際、名神高速の車内から、3月まで住んでいたマンションをちらと見かけた。以前住んでいた部屋は、パラボナアンテナもついていて、新たな住人を獲得したようだ。あのマンションの近所にはお気に入りの花屋があって、兼業主夫の時代はガーデニングもどきにもはまっていったっけ。最近はすっかりそんな時間もないなぁ。帰りは帰りで、大学1,2年の一般教養の時代の通学路である阪急宝塚線に乗って蛍池へ。大学前半といえば、なんだかあか抜けず、バイト三昧の暗中模索で、あまり楽しくなかったよなぁ。もっと自分の殻に閉じこもらず楽しんでおけばよかったのに・・・。過ぎゆく駅と記憶が重なり、不思議な感じがする昼間の快速急行だった。

文字通り、この1週間は過去の自分を再確認する日々だった。でも、それが今の自分に繋がっていて、そして未来の自分への投企の第一歩となる、と思うと、大切な断片の数々だ。次の10年20年に、どんなご縁がいただけるのだろう、そう思うと、新たな週を前にして、ワクワクしてきた。

己の語り口を疑え!

先日、ある歴史的経緯について僕と同じような見識を持たれた方の意見が、僕の知る他の方によって批判されていた。批判をした人は、その方の意見そのものに批判的なのではない。その人の語り口の強さや一面性について、問題視されていた。なぜそういう語り口をするのか、と。なぜそのような言い方で言い切っていいのか、と。そこには様々な歴史的ファクターがあるのに、それらを全てバッサリ否定して、一面的な正誤の判断をしてしまっていいのか、と・・・。

その話を聞きながら、すごく気になり始めた。実は僕だって、批判をされた人と同じ語り口をしてはいないか。つまり、「I am right, you are wrong」のロジックで話しているのではないか、と。

この二項対立的言説は大変クリアカットでわかりやすい。でも、その際、wrongと宣言された人に、反論の余地は全くない。何をどういっても、wrongの人の戯言だ、で終わってしまう。これは、対話の回路を全く閉ざすことである。論理的に相手が言うことの方が正しいと理解できても、感情的なしこりは全く消えずに、むしろ増幅される。そして、この世の中で、論理的整合性の破綻よりも、感情的亀裂の方が、問題をより深刻化する可能性が高いのだ。

要は、本当に問題を解決したいのなら、正邪の二項対立の論理を設定して相手を言い負かすのではなく、同じ方向を向かって、一緒にあるべきrightの可能性を模索しようよ、という語り口(言説)の方が、実際的に多くの人の共感を得て、物事を変えうる、のである。タケバタは、本当に物事を解決したいのか、はたまた誰かを言い負かしたいだけなのか?

もちろん僕は理論的喧嘩に勝って(言い負かして)自己満足をしたいのではない。多くの人の合意に基づき、この日本社会がもっと幸せな社会に変化していってほしい、と願っているだけだ。ならばその際大切なのは、正邪の判断を断定することではなく、どうすれば望ましいsolutionの道へと歩めるのか、を様々な立場の人が協働して見いだしていくことである。

・・・こう整理してみると、最近自分の周りで起きている現象も違って見えてくる。ここ最近、自分の周りでうまくいっていないこと、あるいは反発意見が寄せられたこと、を一つ一つ眺めていくと、実はその多くが、「I am right, you are wrong」のロジックで僕がねじ伏せていた例であった、ということを、今朝、大学に行く途中の愛宕トンネルの中で急に気がついてしまった。「そっか、あれがうまくいかなかったのは、他の誰のせいでもなく、僕自身の語り口に端を発しているのだ!」と。

そう思うと、気がつけば、僕の周りでは様々な警告ランプが点灯している。その警告ランプにきちんと自分で答えられるかどうか、はまさに自分自身にかかっている。自己満足から始まって他者満足まで志向するタケバタにとっては、自分の発言へのリフレクションは、次への一歩を進める上で、大きな一歩となるはずだ。難しいこっちゃない。自分の語り口そのものをまずは疑えばいいのだ。Am I something wrong?

失敗をすれば、こそ・・・

木曜は一日中こゆかった。

スウェーデンやオランダから知的障害を持つ当事者と支援者、またオーストラリアの研究者もゲストにお招きし、本人活動やその支援についての在り方、入所施設から地域に戻ることの意義、などについてのシンポジウムが一日あったのだ。実に内容が濃かった。

僕は主催者の研究班の一員として、裏方に回っていたのだが、僕がサポートに入った分科会がめっちゃ面白かった。そこでは、オランダとスウェーデンの障害当事者がプライバシーのことについても、基調講演で突っ込んだ発表。「僕はグループホームで世話人に自分の部屋のタンスの中まで全部見られてすごく嫌だった。だから、グループホームを出て、一軒家を借りて、そこで結婚して子供と妻と住んでいる。支援さえ受けられれば、集団生活する必要はない」とオランダ人のウィリアムさんが話せば、スウェーデンのジェーンさんは、「あたしは、障害があるから、といって低く見られたくない。私は今、結婚もして、自分の子供もいて、仕事も持って、いきいきと生きている」と発言。この2人の発言に触発されて、日本人の参加者からも色んな意見が飛び出してきた。

「僕はグループホームに住んでいるけれど、自分の部屋の鍵がもらえない。ほしい、といっても、許してもらえない」「あたしは、自分がいないときに掃除してほしいから、信頼できるスタッフには部屋の鍵を渡している」「自分も恋人がほしいが、どうしたら出来るのか教えてほしい」「お話をされたスウェーデンの方もオランダの方も、発言もしっかりしておられ、障害程度も軽いと思う。でも私の娘は大変重度。そういう重い障害では、プライバシーが大切なのもわかるけど、もしものことを考えると心配だ。その場合、どうすればいいか?」・・・

日本のこういったシンポジウムにしては珍しく、本音の質問がたくさん集まった。で、それに対するウィリアムとジェーンの答えもまた、深かった。

「鍵は自分を守る、という意味で、大事な『鍵』になってくる。なので、どんなに障害が重くとも、自分の部屋は自分で鍵をしめたい」「自分がいないときに掃除をしてほしい、という理由で鍵を渡すのは変だと思う。だって、もしも一軒家なら、その鍵を誰かに預ける、ということは不安なはず。信頼できるスタッフなら、自分がいるときに掃除して貰えるように頼めばいい」「結婚も、一度でうまくいくとは限らない。私は一度目のダンナはつまらない人だったので別れて、二回目で幸せになった」「重い障害を持っても、お母さんが想像する以上に『できる』可能性はある。だから、まずは任せて、やらせてみてほしい」

これらのやり取りを聞きながら、「過保護」と「失敗を未然に防ぐ」ということが、日本の福祉における大きな問題だな、と感じていた。

重度の障害のある人ほど、支援者や家族が様々なお膳立てを最初からしてしまう。例えば「お金をすぐに使い果たしてしまうので、かわいそうだから、小遣い管理を支援者がする」というのは、結構多くの施設で日常的に行われていることだ。だが、それに対してもウィリアムは大きく反対していた。「僕だって以前、お金の管理が苦手だった。レストランでご飯を食べた後になってスッカラカンであることに気づき、こっぴどく問いつめられたことがある。だが、その経験があるから、お金の管理はきちんとしなきゃいけない、という事が肌身でわかった。なので、使い果たしてしまうのも、いい経験だと思う。」 このウィリアムの発言からも、「失敗をする」という貴重な体験が、自分なりの試行錯誤を促し、次に「お金をうまく管理する」というステップへと繋がる最大のやりかたなんだなぁ、と感じさせられた。逆に「町で怒られたらかわいそう」だからと、そういう「失敗を未然に防い」でしまったら、結局の所、本人の潜在能力開発のチャンスを奪うだけだ。それは「過保護」というか、大切な成長のチャンスを奪うだけ、ということが、この分科会を聞いていて、すごく感じられた。

で、はたと考えた。今の日本では、障害者にはもちろんのこと、普通の学生さんにだって、「過保護」になっていないか? 失敗するチャンス、を与えているか? それを適切にフォローできているか? これは大変大きなテーマであると思う。少なからぬ学生さんが、「失敗したら嫌だし・・・」とあらたな何かに挑戦することを渋っている。試行錯誤は、失敗してはじめて次の段階にいくのに、それが嫌だから、面倒くさいから、とはじめの一歩が踏み出せない。すると、障害当事者への支援も、学生支援も、実はこの局面ではほとんど同じ。いかに、一歩踏み出してもらうか、そして失敗したときに、必要なだけの、次に繋げるための支援が、出過ぎない(過剰でない)形でどれだけ出来るか、なのだ。そう思うと、大変深くてこゆいお話であった・・・。

長いようで短いような

30分という時間は中途半端だ。

あるひとまとまりの話をし終えるには短すぎる。だが、小話で済ますには長すぎる。
昨日、ラジオ局のブースでそんな事を考えていた。

大学が提供する「YGUラジオセミナー」の順番が僕に回ってきた。アナウンサーとの対談形式のこの番組、テーマが「自立支援法」そのものずばり、だったので、僕におはちが回ってきたのだ。広報部の方から電話がかかって来たとき、「あ、いいですよ」と気楽に受けたのだが、収録日当日になって、考え込んでしまう。結構たくさん言えそうで、でも本質的な話まで踏み込むと時間が足りない、しかも日曜の朝の、家事をしたり車の中で「ながら」に聞く番組なので、専門用語をまくし立ててはいけない・・・。むむむ、色んな制約があるなぁ、と。でもその一方で、なかなかメディアでは取り上げられない障害者の事を、大学提供の番組とは言え、広く多くの方に知って頂くチャンスはなかなかない。すると、やっぱり気が抜けない。いろんな想いが錯綜する。

収録前にディレクターから送られてきた台本案を見ていると、ますます混乱してくる。一週間前に行った打ち合わせ時は豆鉄砲のように言葉の乱射をしていたのだが、いざ時間枠の限られた公共放送となると、そうは言ってられない。伝えたいことは色々あるが、10言おうとしても3くらいしか伝えられないのが、メディアの特性。でも、考えようによっては大切な3は丁寧に伝えられる長さがある。困った、困った。で、困ったときには「大阪のおかあさま」と「東京の偉大なるおいちゃん」の両者に電話する。どちらも、大切なことだけきちんと言えばいい、という真っ当なご助言を頂く。そうよね。当たり前のことだけれど、それを信頼できる方に再度繰り返してもらうと、妙に納得するものだ。ま、なるようになるさ、といざスタジオへ。

で、収録開始。始まってみれば、まあ色々勝手にしゃべっていた。その昔、ラジオ少年だった頃のことを思い出しながら、船頭役のアナウンサーの方に導かれ、出来る限り関西弁を控えながら(とはいえ丸出しには変わりないが)、ゆっくり、短くしゃべろう、と多少も意識しながらしゃべっているうちに、あっという間の29分。緊張する間もなく終わってしまった。そして、話し終わった後、「こんなんでええのやろうか?」と疑問が頭に浮かぶが、まあ後の祭り。あとはケセラセラ、である。放送当日は運良く!?新潟出張なので、気にしないでおこうっと。

YGUラジオセミナー」
放送日時:2005年11月6日(日) 午前8時30分〜9時00分
放送媒体:YBS山梨放送(ラジオ)【 AM765Mhz 】
出演者:竹端 寛 法学部専任講師
吉岡 秀樹 YBS山梨放送アナウンサー
内 容(予定):「今国会で前回廃案となった障害者自立支援法案が審議されている。成立すると来年四月からの施行となる。おおむね障害者の施設などの利用料の1割が、個人負担となり低所得者が多い障害者には厳しい状況が予想される。この法案の主旨と障害者の現状をさぐる」

10月末といえば・・・

ようやっと、報告書にまともに取り組み始めた。

今朝は起き抜けに大学に行き、以前読んで重要そうなレポートをごっそり持って帰る。本当は昨日から学園祭が始まっていて、そっちに顔を出したい、とも思っていたのだが、どう考えてもこの週末しか報告書に使える時間はない。さすがにそういう瀬戸際で余裕をかましてもいられないので、朝一番に資料だけ取りに行って、あとは今日も家で引きこもり、である。

おかげさまで昨日ブログを書いた後、ようやく報告書でまとめる方向性が見えてきたため、今日は一日コリコリ中間まとめを基にブラッシュアップしているうちに、だいぶ大枠が定まってきた。何となく6割の壁は今日一日かけて越えたようである。あとはみっちり残りの4割を固めたら、来週末あたりには何とか脱稿出来そうだ。これまで読んできた資料を改めて眺めてみて、結構色々読んできたんだなぁ、そのわりに頭の中に残ってないよなぁ、と思う。でも、中間まとめを今より時間的余裕がある時にかなり真面目にやっていたので、その努力のおかげで何とか取り繕うことが出来そうだ。1月の自分に感謝、感謝、である。

明日は、朝5時15分!!発の高速バスに乗って、成田空港に。スウェーデン滞在中にものすごくお世話になった皆さんが日本に来られるので、お出迎えに行くのだ。そういえばスウェーデンに移り住む事になったのが、2003年10月20日。その直前は目の回るほどのドタバタで、当日朝は準備で一睡も出来ず、明け方から集中力も全くなくなりぼーっとしていて、「準備はどうなったの?」と妻に怒られる始末。その後、泥縄的にパッキングし、ギリギリの時間で空港バスに飛び降り、飛行機ではグッタリ。あげくの果てに乗り継ぎ地のシャルルドゴール空港では荷物を落としたのに2人とも気づかず、心優しき通行人に持ってきてもらう始末。しかも、スウェーデンでお世話になった人とは事前にメールでの連絡が取れず、電話でも数分話しただけで、ほんとに迎えに来て貰えるのか、来て貰えたとしてホテルは取れているのか、そもそも半年間の住居はどうするんだ・・・そういったことは全くわからないまま、のイエテボリ入りだった。なので、肉体的にも精神的にもボロボロな状態で、スウェーデンにたどり着いたのだ。そんな消え入りたいほど疲れ果てて辿りついたイエテボリの空港で、一度だけ会ったことのあるAさんが笑顔で迎えに来てくださった時、本当に涙が出るほど嬉しかった。実際、泣いていたような気がする。以来半年、Aさんには本当にお世話になりっぱなしだった。なので、今回は何が何でもAさんのお出迎えに出かけたい、と思ったのだ。

「そういえば」、つながりで言うと、今日、久しぶりに大学院時代の後輩からメールを貰う。彼も今、D論を書きながら、就職活動もしている模様。そういえば、一年前の今頃、と言えば、現大学の一次面接通過のお知らせを頂いた頃だ。ここ数年、この時期に毎年境遇が全く違っている。3年前の今頃、と言えば、D論をまとめるための調査がようやく終わり、泥縄的に調査結果の骨格が形作られ、あと50日あまりで何とかフィニッシュに向けて行けるかも、と一筋の光が見え始めたころだった。あのときは、もう自分の論文で精一杯で、生活は奥さまに全面的に支えてもらっていた。それが、2年前は、先述のようにスウェーデンにいて、10月末にようやく生活の拠点となるアパートが見つかって契約を終えた頃だ。拠点が見つかったことにホッとしながらも、本当に半年で何処まで調査が出来るんだろう、と不安で一杯だった。そして昨年の今頃、グランドデザイン案の分析をしながらも、3回落ちた二次面接の事を考えると、本当に次に通るんだろうか、そもそも就職が出来るんだろうか、と半ば絶望的な気分だった。そして、まだ見ぬ山梨に、色々思いを馳せていた。

そんなことを様々に思い出していたから、今日は溢れるほどの様々な想いが去来しながら、仕事をまとめていた。やっぱり、本業をコツコツボチボチやり続けるのが、一番真っ当なんだなぁ、とささやかな幸せを噛みしめていた。明日、Aさん始め皆さんに再会できることを楽しみにしながら、今こうして山梨で幸せに暮らせていることや、陰に陽に助け続けてくれている奥さまに、心から感謝しながら、ボチボチ眠りにつこう、と思う。来年の今頃は、どんな10月末を迎えているのだろうか・・・。

飛び込みと自家撞着

気がつけば秋真っ盛り。でもタケバタは自宅で引きこもり、である。

今月末が締め切りのアメリカ報告書が全然出来ていない。ので、今日明日と缶詰、のはずなのだが・・・。その前に、恐ろしいほど自分の部屋が散らかっている。これを何とかせねば、やる気が全くでない。今朝は2週間ぶりに二度寝も出来て熟睡はバッチリ。昼頃活動を開始し、2時間近くかけて、捨てる、処理する、メールする、電話する、クリーニングを出して取りに行く・・・などをしていた。そう、完全引きこもりではなく、近所までは出かけたのです。秋晴れの気持ちのいい青空、近くの山々はようやく色づき始めた。で、おうちに帰ってさらに整理を進めていると、気がつけばもう午後3時。

今日はお休みの奥さまが「鳥一」で美味しい唐揚げを買ってきたので、そうめんを茹で、ようやっとお昼ご飯。2人とも腹が減ってイライラしていたが、ご飯を食べたらようやっと落ち着く。奥さまは何だか頭が痛いようで再びお休みになり、僕はきれいさっぱり整った部屋で仕事の準備。半年前に書いていた「中間メモ」を元に、さてこの先どうしよう、と逡巡する。

で、逡巡しているうちに、肝心の仕事に関する集中力が切れてきて、メールを見たり、ネットサーフィン、そして読書ブラブラ・・・としていると、もう気づけば外は真っ暗。あかんがなぁ!の心境である。これって、受験生シンドローム、とでも言いましょうか。勉強しなきゃいけないのに、集中できず、ぼーっとしているうちに時間が流れ去り・・・というおきまりのパターンなのだ。一定のクオリティのお仕事を求めて、それが出来ないでいる自分にイライラして、最初の一歩が踏み出せず逡巡しているうちに時間が流れ去る、これってそういえばどこかで見たような・・・。

昨晩、仕事から帰ってきてクタクタになりながらこのブログを書き上げ、風呂に入って「さあ、ビール」と思ったが、冷蔵庫には一本もない!! 悲嘆にくれ、ふてくさりながら、焼酎ロックを作って久しぶりにボンヤリ深夜番組を眺めていた。あるバラエティ番組で、女性タレント3人に目隠しをしたまま10メーターの飛び込み台までつれて来て目隠しがはずされ、初めてその状況を認識する。そんな状態で、目隠しをはずしてから何分で下まで飛び込めるか、を実況する、まあわかりやすい番組だ。で、一人目の女性芸人は、下を見て逡巡しているうちに恐怖が全身に伝わり、飛び込み台の先端で文字通り「固まって」しまっていた。その後、大声で気合いを入れたところで、最後の一歩がなかなか踏めない。結局40分くらいたって、スタッフや他の出演者のじれったさを肌で感じたのか、仕方なしに飛び降りた、という始末。三人目のタレントも、同じような顛末だった。

だが、二人目のタレント(水野裕子)だけは違った。目隠しをはずされ一瞬とまどうも、ストレッチを十分行った後、「そろそろいいっすか?」と尋ね、その後すぐに何の逡巡もせず、いきなりドボン。番組的には本当は面白くない(だってスポーツタレントをビビラせて普段の活躍との落差を楽しもう、という趣旨がみえみえ)だろうが、彼女の行動は、なるほどなぁ、と思わせるものだった。だって考えて見てくださいよ、他の2人のタレントだって、どうせ飛び降りなければ番組的に「使ってもらえない」というのはわかっているはず。なのに「飛び降りなんてムリだよう」とマジでビビっておられたとしたのなら、それは明らかに戦略上の失敗だ。だって、「怖いと感じるほどの時間的余裕を自分で作ってしまった」から。

ある状況下で、それを遂行する以外に今日のお仕事が終えられない、というセッティングの中で、「怖い」という余計な事を入れてしまえば、結局心理的負荷が増えるばかりで、何の解決策にもならない。だって、「怖い」と考えたところで、収録中にその番組から降りることは出来ないからだ。ならば、怖いというファクターに全身を支配されないうちに、グタグタ考えないで、さっさと飛び込みなりなんなりすませた方が、心理的にごっつう「楽」だからである。しかしむろんそこは腐っても芸能人の皆さま。もしかしたら、そんなことは織り込み済みの上で、「普段の強気の私との落差がテレビ的にオイシイ」などと演技されている可能性もあるのだろうけど・・・。そんなことを、焼酎ロックでボンヤリした頭で感じながら眺めていた。

で、何が言いたかったのか、というと、今のタケバタに戻れば、最初の一歩に逡巡していてもしゃあないのである。だって、放っておいても報告書は書かねばならない。ならば、つまらなくても、稚拙でも、何か書き始めないと、永遠に終わりは来ないのだ。そして、スタート時期を延期すればするほど、考察する時間的余裕を自分で削っているだけだから、結局はためらった時間分、クオリティが下がる可能性があるのである。クオリティの高さを希求して逡巡するうちに、その高さを保障する時間を削る、これでは自家撞着そのものだ。

と、ここまで書いて、自分を追い込むタケバタ。さて、アップロードして、報告書モードに戻りますか。

おしゃべりガッパと花咲じいさん

今日でようやく一区切りがつく。

先週の月曜日以来、ずっと働きづめだった。しかも金曜から月曜まで講演ツアー、そして今日は南アルプス市の市民講座、とこの1週間で5日も講演やシンポジウムのコーディネーターなどをしていた。もちろん通常通り火曜から木曜にかけて授業3コマとゼミや演習が4コマあって、その上にお客様も学生、同僚の先生、マスコミの方々と千客万来であった。まあよくしゃべることしゃべること。節操なくしゃべり続ける自分にあきれる。だが、さすがに身体はキツイようで、もうグッタリしている。それでもなんやかんやと今日もヒートアップしてしゃべっている自分はいったいなんやねん、と思ってしまう。

「なんやねん」と言えば、今日、生涯学習センターの方から、30分テープを頂いた。この前FM甲府の番組に出た時の出演テープだ。実は今度は山梨放送ラジオの30分番組の収録があるので、自分が以前出演したラジオ番組のテープを聴いて問題点をチェックしよう、と思ったのだ。夕方テープをもらい、南アルプスまで講演に行く途中に車内で聞く。ここでも、やはりタケバタはしゃべる、しゃべる、しゃべる・・・。聞き手のS先生の先導の元、まあ好き勝手にしゃべりまくっている。むむむ・・・。30分って意外と長いし、こんなにぎょうさんのネタをしゃべっていたのか、と感心しながら、聞いてしまう。以前は自分の録音した声が甲高くって大嫌いだったが、このときは意識的に低い声でしゃべったようで、まだ何とか聞くに堪えた。今度の収録では、低い声、センテンスと話は短く、簡潔明瞭な内容、の3点は心がけねば、と思う。実はこの3点が授業で一番出来ていない、と思うからだ。つまり、高い声で、話は長く、わけわからんまだるっこしさで・・・こりゃあこんな話を聞いたら、僕だったらイライラするよねぇ・・・。

そして、今日は3年ゼミの皆さんの夏休みの宿題の講評と、秋以後の課題について、の話し合いだった。1期生の皆さんは、ホントにがんばった。5000字レポートを全員ちゃんと書き上げてきたからだ。現場体験を言語化し、その中から課題点やキーワードを見つけようと模索している。それを、ゼミ生全員で講評しあい、次なる課題や、文章上の問題点などを指摘し合うのだ。こういう学び合い、お互いの意見のやり取りの中から、自ずと皆さんの課題が浮き彫りになってくる。やはり、ちょっと難しいくらいの課題の方が、格闘する中で皆さんのスキルがアップしていくし、これからもドンドン成長が期待できるだろう。

秋以後の3年ゼミでは2,3週に一度、本を読んでレジュメの発表、という課題を出していくが、皆さん関心のキーワードが絞れてきたので、その延長線上にある本の発表なら、「しんどいけれども不可能ではない」段階までやってきた、と思う。この「しんどいけれども不可能ではない」という課題と格闘する中で、もう一皮二皮向け、学びや発見、それを通じた喜びまでもがより深く形成されていく。人生は天秤だと思っているタケバタなので、学生さんの喜びの天秤を増やすためには、それに見合うだけの負荷(自分なりの努力)があってもよいと思っている。教員としては、その努力が無駄に終わらないように、きちんと適切に見守っていくことだ。

そう、僕の教育上の仕事は花咲じいさんでもある。学生さんの心の中に関心の芽を育て、ゼミ生の方々はその芽から大輪が咲くように支援すること、なのだ。たんなるペラペラしゃべり続けるおしゃべりガッパ、ではいかんのである。精進しなければ口ばっかり、となってしまう。気をつけようっと・・・。

壊れたパソコン

ノートパソコンが急に吹っ飛んでしまった。

ところは関西ツアーからの帰りの「しなの」の中。木曽路をずんずん突き進む振り子式電車に揺られながら、少しだけ仮眠をとって、さあて火曜の準備でもしようとダイナブック君を開け、起動時についでにワードを立ち上げようとした、ら、そのまま固まってしまった。あれま、と思い、強制的に電源を消して再起動させると、どうもいつもと様子が違う。立ち上げた後、真っ暗なままで全然先に進んでくれない。こりゃあふてくされたのかな、と思い、しばらく様子見よう、と電源を落とし、車内では田中康夫と浅田彰の対談集をボンヤリ読む。康夫ちゃんが相変わらずぶっ飛ばしているのを、ふふんと思いながら読んでいるうちに、塩尻に到着し今度は「あずさ」号に乗り換え、甲府にようやく到着。我が家にたどり着いてもいちどダイナブック君に電源を入れると、恐ろしい表示が。「起動システムが壊れたので、リカバリーCDを入れてやり直してください」 おお、本気で壊れてしまった。

思えばこの間、そうとうダイナブック君をぞんざいに扱ってきた、と改めて反省。スウェーデンに行く直前に購入したのだが、滞在中も帰国後も相当乱雑に扱う。鞄に入れて鞄ごと放り投げることがあったり、どすんと落とすことがあったり。そう思うと、よくぞ今まで何もいわんと持ちこたえてくれた、と感謝したくなるほどだ。で、リカバリーCDを入れたら直るのねん、と思いながら、それが入っている「はず」の所を探してみて、汗が噴き出る。ないのだ!!!! なんでよ。ここにダイナブック君関連のCDは全部まとめて入れておいたはずなのに・・・。ない、ない、ない!! 何度もその箱を調べなおしたが、出てこないものは出てこない。暗澹たる気持ちで東芝のHPを見てみると、「リカバリーCDは再発行出来ません」だって。どうする、タケバタ。このままリカバリーCDがなければ、あのパソコンはおだぶつなのか・・・。とほほ。でも、今のところ、研究室に置いているプリンタの箱に入っているかも、と最後の望みを託している。おだぶつにしたくないので、あとは文字通り「一縷の望みにかける」心境だ。

「一縷の望み」と言えば、ここ3日間、自立支援法関連での講演が続いた。一昨日は神戸、昨日は大阪、今日は韮崎、だ。どの現場でも、地域でどれだけ実体的に自立生活支援の受け皿を作り出せるかが鍵だ、と延々としゃべり続けていた。自立支援法案は今週中にも国会を通過する勢いだが、これからは「法案の使えるところは使い倒し、使えない部分はどう地域で実体化していくか」という是々非々の論戦が始まると思う。そのとき、障害者内で「パイの奪い合い」をするような醜い泥仕合をするのではなく、3障害の障害者が連帯を組み、その輪を家族、支援者、そして地域の一般住民へと拡げ、どう実体的に地域自立生活支援体制を構築していくか、ここにかかっていると思うのだ。そういう意味で、一縷の望み、といえば、地域をより豊かにすること。なので、今日の韮崎でも、圏域ネットワークがどれほど大切か、に力点を置いてお話させて頂いた。ここ3日間、会場はどこも7,80人のお客様で一杯だ。改めて、この法案への関心の高さがよくわかる。なので、少しでも皆さんに「がんばらなくっちゃ」というポジティブなおみやげを持って帰って頂きたいから、地域での連携の大切さを説いてまわる。地域自立支援協議会含め、地域のしかけが実態を変える最大の契機になる、という「一縷の望み」を抱いて。

韮崎からの帰り、いつもの農産物直売所で、ルッコラを発見!! 日本ではロケット草とも言われているが、アクが強く、かおりも強いイタリア発の美味しい青菜。しかもしっかりつまって100円とは何ともお得。早速今宵の夕食にサラダで頂いたが、香草独特の香りの強さがアロマとして全身に広がり、なんともここちよい。あとはいつものコスパ!で買ったワインが昨日届き、チリ産の白ワインと合わせるが、なんとも相性の良いこと。ワインもルッコラもすっかり平らげてしまいました。

最後に報告すべしは雄大な富士山。今日は朝も夕方も、くっきり晴れて、初雪のかぶる富士山が実に雄大にかつ素晴らしく映っておりました。特に夕方の韮崎から帰りの富士山の風景は、ほんとに心から見とれてしまった。引き込まれるようなすっきりとした富士山の形よ。確かに太宰が照れくさくなるのがわかるくらい、「ペンキ絵」的なハッキリとした主張で詰まっている。しかし、こういった形容詞がいらないくらい、ほんまに心から美しく、心奪われる姿だった。

そんな富士山に心奪われた今宵、東芝に電話をかけたらなんと「もともとリカバリーCD」などなくても再起動できる、と教えて貰った。あら、ラッキー。早速動かしてみると、問題点が氷結。だがそれと当時に、新たな問題点も・・・。まあ無事に直っただけでも、よしとしようか。

般若心経とコーディネーター

京都の本屋では般若心経が流れていた。

所は近鉄名店街、なんて書いてもわかる人はごく少数に違いない。近鉄京都駅そばの書店での話。奈良での講演の帰りにふらっと立ち寄ったその本屋で、新刊書を探そうとしていたら、なにやら騒々しい。しかも、なんだかアカペラ! 耳をそばだてるまもなく、はんにゃーはーらーみーたー・・・と合唱がこだましてきた。まあ、そういうCDを聞きたくなるときも人生あるかもしんないけれど、どうせだったら本屋で大音量で流すのはやめてくれません? せっかく立ち寄ったのに、集中力はそがれまくり。宅建だの英会話だののCDが書店で流れていても気にならないが、大音量の般若心経は、入り口から一番離れた場所でも、音量は小さくても耳につく。落ち着いてブラブラ出来ないよ、でも立ち読み対策としてはいいかも、など呟きながらも、手には三冊しっかり持って、早々に退散する。

金曜日から関西3日間ツアー。初日は奈良県で精神保健福祉の情報公開に関するシンポジウムのコーディネーターの大役を仰せつかる。この問題、一度奈良の実状も調査した上で報告書にまとめたことはあるのだが、もう1年半以上前の話。以後新しい動きもあるし、何より自分自身がこの問題を忘れかけていた。なので、行きは朝一番の電車にのって奈良までやってきたのだが、車中では珍しく真面目に、付け刃的にわか勉強に勤しむ。

色んな文献にバラバラに精神保健福祉の情報公開のタイミング、方法論、開示すべき内容・・・などが示されているが、どれを読んでもその全体像は見えてこない。一方で、ごく一部の専門家を除いて、いきなり「情報公開」なんて言われても、ギョギョッとするか、あるいは他人事と気にしないか、のどちらかだ。なので、多くの人が精神保健福祉における情報公開を「関係ある」「自分事」と認識して捉えるためには、まずは精神保健福祉における情報公開についての基本的なポイントを押さえてもらったほうがいいのでは・・・。そう気付いて、乗り換えた新幹線の車中で、いつものようにるんるん車内で図解しながら、整理してみた。すると色んなことがわかってきた。それが「情報公開の5W1H」である。

なぜ情報公開するのか? 措置から契約制度に変わって医療も福祉も「選べる」時代になった、と言われる。でも実際に選ぶ際には、選ぶ対象のいろんな比較情報がないとわからない。これが一つ目。二つ目は医療や福祉は患者と当事者の間で情報の非対称性があり、専門家への「おまかせ」が進む中、一部専門家による権力性・密室性の乱用が進み、それが精神病院や施設における人権侵害の温床となった。なので、その乱用防止のために公開が必須。そして三つ目に、医療も福祉も税金や保険料など大量の税金を投入しているのだから、投入された公金に対するアカウンタビリティがある。つまり選択、権力監視、説明責任のための情報公開なのだ。

なあんて書いてみるとごく当たり前のことなのだが、この当たり前のことをきちんと説明してくれていないのです。専門書、といわれるものには。なので、そんな「精神保健福祉の情報公開に関する『当たり前』」を5W1Hで整理しているうちに、自分自身がすっきりしてきた。これならまとめられる!と納得出来た段階で、気付いたらもう会場の最寄り駅。立派な会場で400人以上の皆様の前で、のコーディネーターのデビュー戦、である。

コーディネーターというのはその実、一人で講演するより遙かに大変だ。なんせ、自分勝手に1時間なり1時間半なり喋るのはおしゃべりタケバタとしては何の苦もない。だが、そもそも自分の持ち時間が限定されるだけでなく、しかも司会者として他のシンポジストのお話の魅力を引き出し、ひとつの流れにそれとなくまとめ、会場からいろんな質問を受け付けながらそれを各シンポジストに裁き、時間通りか5分遅れくらいで話をまとめ、最後に「今日は何となく面白かったね」「勉強になったね」と来客された方々に持って返ってもらえるようにうまくオチをつけなければ・・・。これは結構難題である。その昔、関西ローカルだったと思うのだが、笑福亭鶴瓶と桂ざこばが会場から即興のキーワードを3つもらい、その場で三題噺を演じる、という「らくごのご」という番組があった。コーディネーターというのは、ある種「らくごのご」的即興性が必要なのですね。果たしてちゃんと「オチ」たかどうか、それは来て下さった方々のみが知るはなし。その実は・・・さあて、ねぇ。

その後、シンポジストの一人であった、僕にとっての大阪の「お母さん」と、その「お母さん」の下で働く「妹分」と3人で打ち上げ。西大寺の駅前で、七輪で地鶏を焼いて頂くのが、いと美味しかった。出来はともあれ、仕事を終えたビールほど美味しいものはない・・・なんて、こんな月並みなオチでしか話を終えられないようでは、まだまだ「はなし家」としては未熟者ですなぁ・・・。

「おばかさん」な私

「私たちは知性を計量するとき、その人の『真剣さ』や『情報量』や『現場経験』などというものを勘定には入れない。そうではなくて、その人が自分の知っていることをどれくらい疑っているか、自分が見たものをどれくらい信じていないか、自分の善意に紛れ込んでいる欲望をどれくらい意識化できるか、を基準にして判断する。」(「ためらいの倫理学」内田樹著、角川文庫より)

この基準で判断すると、僕は結構「おばかさん」だと思う。自戒を込めて。

「自分の善意に紛れ込んでいる欲望」の「意識化」は、そうとう自分自身に言い聞かせないと難しい。ましてや組織に属している人間にとって、組織的行動における様々な自身の発言・行動に対して、この視点でのスキャンをし続けることは、結構大変だ、と思う。でも、このスキャンをしない「生」の考えや行動は、「僕は見たことがあるから」「経験したから」「これは論理的に正しいから」という一面的で偽善的な部分がある。だが、ものごとは論理的、だけではうまくいかない、とこないだお会いしたある会社の社長さんも言っていたっけ。論理的に正しい、ことを言っても、心情的にみんながついてこれるものではなかったら、どれだけ「正しい」と経験的・論理的にわかっていても、うまくいかない、と。だって、ある人の正しさと、他の人の正しさは微妙にその方向性や位相が「ズレ」ているから。ならば、その「ズレ」を自覚した上で、自分のみの「正しさ」に固執せず、周りの人々の「正しさ」の方向性や位相との「ズレ」も包含するような統一的見解を、その考えが受け入れられる、という環境が整うまで待って、そのタイミングを逃さずに「それとなく」ひろめていった方が、実質的にモノは動くのだ、というその方の発言は、まさに卓見だなぁ、と思った。

でもまだ僕は色んな局面で、まだ自分が「見た」「経験した」「考えた」正しさを、周りの温度や環境、雰囲気も考えずに「正しい」と提示している部分があると思う。しかも、それを自分の善意に基づいている、と信じ込んで提示しているから、「おばかさん」度も結構大きい。こういう「おばかさん」こそ、もともとタケバタ君自身が一番お友達になりたくないタイプなので、これなら近親憎悪ではないか、と気付いてしまう。あれまあ。

ま、それでも去年までは一匹狼でやってきたから、被害は自分自身にふりかかるだけで済んでいた。しかし、今は大学に雇っていただいてお給料を頂く組織人。なのに一匹狼の時のノリでやっていると、足すくわれるだけでなく、何より組織全体に迷惑をかけかねない。自分の器の小ささを自覚した上で、出来る限りおしゃべりタケバタの言動をスキャンディスクにかけながら、あまり調子にのらずにコツコツやっていこう、そう思う。あと、調子に乗りすぎない為にも、真面目に論文を書く準備と授業準備に専心しなきゃ、とも。そう、本業を本気でしなさい、ということなのです。