二次障害の相互作用モデルの迫力

僕が読む本を選ぶ際、自分で選ぶ事もあるけど、信頼できる他者がオススメするので読んでみる、というのも割合多い。今回は年若き友人の関西学院大学の柴田さんが、「地域福祉のホープですよ」と教えてくれた人の本を読んでみた。確かにめちゃ学びが多かった。それが加藤昭宏さんの『社会的孤立へのコミュニティソーシャルワーク実践:地域福祉推進の羅針盤』(ミネルヴァ書房)である。

彼は大学卒業後、愛知県内の社会福祉協議会でコミュニティソーシャルワーカーとして働いてきた後、自らの実践理論を探索的な博士論文にまとめたのが本書である。この本では、ゴミ屋敷やひきこもり、家族不和やご近所トラブルなど「複合的な課題」を抱えた個人や世帯の問題を「個人の病理」に閉じ込めず、「現象化している課題(例えばひきこもり、ゴミ屋敷など)の背景には、他者との関係性に関する課題があり(全容は見えないが、一部顕在化している状態)、さらにその背景に『福祉的なニーズ』が潜在化している」(p37)とした上で、その「他者との関係性の課題」に切り込んでいく部分である。その上で、そのようなしんどい状況にある人を以下のように解像度を上げて描いていく(p49-50)。

①発達障害などの『生きづらさ』があるだけではなく、
②それらの生きづらさに対する家族や友人・知人、地域住民など周りの人々の無理解・無配慮による不適切な対応(注意叱責、からかい、無視など)が繰り返され、内的世界における生育歴上の二次障害として、自己評価・自尊感情の低下、歪んだ認知や病的な判断等の対人関係の歪みや適応上の問題—例えば、周囲の働きかけを被害的、迫害的に解釈してしまう—を引き起こしている。
③さらに統合失調症、うつ病、双極性障害、不安障害、強迫性障害など「併存精神障害」が合併し、深刻化することで
④ひきこもり、ゴミ屋敷など制度の狭間の課題を抱えるに至るのではないかと考えられる。
⑤そして、制度の狭間の課題を抱えることによる家族関係の悪化、近隣トラブルなどが起き、現在(外在世界)においても他者との関係性における二次障害が生じ、社会的孤立(あるいは社会的排除)の状況となっている。

この整理が秀逸なのは、「問題行動」や「困難事例」として支援者の前に立ち現れる現象を、⑤「他者との関係性における二次障害」と喝破していることである。「二次障害」ということは、それ以前の悪循環の連鎖がある。それを①「生きづらさ」→②「生育歴上の二次障害」→③「併存精神障害」→④「制度の狭間」→⑤「他者との関係性における二次障害」、と見事に言語化してくれている。

その上で、悪循環の高速度回転を、以下のように描写している。

「内的世界における生育歴上の二次障害(②)は、併存精神障害の発現(③)や制度の狭間の課題が生じること(④)によって、相互作用を伴いさらに深刻化してきた。また、このように相互作用を伴って蓄積された二次障害は、現在における他者との関係性によってさらに悪化する(⑤)など、本人の内的世界における二次障害(②)と、外的世界における二次障害(⑤)も相互作用を伴うのである。より明確に述べるのであれば、①から⑤は階層的に存在するのではなく、常に相互作用を伴い、(本人の内的世界において)二次障害(②)として蓄積されてきており、また現在も(外的世界における他者との「関係性」の中で)蓄積され続けている(⑤)のである。そしてその結果、対象者の「生きづらさ」(①)はさらに増大しているのである。」(p51)

「二次障害の相互作用モデル」として描かれるこの説明は、「問題行動」「困難事例」と言われる現象に関して、実に解像度が高い描写であり、説得力と迫力がある。筆者も語るように、「①から⑤は階層的に存在するのではなく、常に相互作用を伴」うので、線形的な因果関係を同定することが出来ず、だからこそ、支援者は困惑しやすい。しかし、一つ一つのエピソードを時系列的に拾っていくなかで、どのように絡み合い、「生きる苦悩が最大化した姿」となるのか、を腑分けすることが可能になる。

これは、バザーリアなどトリエステの精神医療チームが捉えた、「病気そのものへの焦点化ではなく生きる苦悩の最大化に向き合う支援体制のパラダイムシフト」にも通じる。またぼく自身も10年前、「「合理性のレンズ」からの自由 : 「ゴミ屋敷」を巡る「悪循環」からの脱出に向けて 」という論文を書いたのだが、そのときに、非合理の合理性=当事者の内的世界のメカニズムを描いたつもりになっていた。しかし、本書を読みながら、10年前の僕が見落としていた&加藤さんの論考で気付かされたのは、②「生育歴上の二次障害」と⑤「他者との関係性における二次障害」である。そして、「ゴミ屋敷」や「ひきこもり」などが現場の支援者にとって支援困難になる最大の理由は、②と⑤の二つの「二次障害」であると、今回初めて気付かされた。「周囲の働きかけを被害的、迫害的に解釈してしまう」のは、②「生育歴上の二次障害」であり、「家族関係の悪化、近隣トラブル」などで「社会的孤立(あるいは社会的排除)の状況」に陥っているのは⑤「他者との関係性における二次障害」なのである。

このような構造が見えてくると、本書の副題が「地域福祉推進の羅針盤」とされた理由も見えてくる。この羅針盤を用いて、どのようにこの「しんどい状況」に関わる事ができるか、が「コミュニティ」を対象にしたソーシャルワークに問われてくるのだ。

実際、隣人H氏との「ご近所トラブル」に陥っていたG氏の事例では、以下のように加藤さんは関わっていったという。

「G氏の(併存精神障害の可能性を否定できない)『問題行動』に対して悩んでいたH氏ら近隣住民は、CSWの介入(面接、および地域福祉学習会の実施)によりG氏への理解が深まり(本人の人柄・性格と病気・障害を分けて考えることができ、またこれまでの言動の意味を解釈できるようになり)、自らの無自覚な態度(例えば、顔を合わせると避ける)がG氏の生きづらさを助長(歪んだ認知、迫害的な内的世界の強化に無自覚的に加担)していたことに気づき、(若干の罪悪感とともに)『我が事』となり、そこからはじめて本人支援のあり方を考えていった。結果としてH氏ら近隣住民らの対応が変わり(社会的障壁がなくなり、次第に二次障害も解消され)、G氏の『問題行動』(生きづらさ)が軽減した。」(p99)

この関わりは、本人の生きづらさや困難を支援するために、地域住民の態度や解釈の変更を「地域福祉学習会」などを通じて醸成していき、⑤「他者との関係性における二次障害」を減らしていくなかで、結果として本人の①「生きづらさ」や②「生育歴上の二次障害」、③「併存精神障害」の表現としての「問題行動」を鎮めていったのである。そして、これが「コミュニティ」ソーシャルワークであるゆえんを、加藤さんは以下のように二つの視座として整理している(p154)。

①ミクロレベル(対象者):対象者は「生活史の中で、(専門職を含む)他者との交互作用の結果、二次障害等の問題を抱え(させられ)た人」である。「内的世界における生育歴上の二次障害」および「外的世界における現在の二次障害」の2つが、支援における重要な焦点の一つである。
②メゾレベル(コミュニティ):無自覚、かつ強弱関係を伴う相互作用によって、コミュニティという一つの生態から、理解出来ないがゆえに「異物」として排除されるというプロセス(社会的排除)が生じている。支援においては、個別支援と地域支援を一体的に展開していく。

おそらく一般的なソーシャルワークや精神医療の世界では、②「内的世界における生育歴上の二次障害」については、エンパワーメントやリカバリーアプローチなどを通じて関わろうとするが、⑤「外的世界における現在の二次障害」については手出しがしにくい。なぜなら、それは対象者個人と家族や隣人、周囲の人という他者との相互作用であるからだ。それだけではく、⑤「外的世界における現在の二次障害」は、コミュニティという一つの生態から「異物」ゆえに社会的排除されている、という視点を持つと、排除している周囲の人々に働きかけることで、理解を増やし、周囲の人が本人への関わりを変えていく、という相互作用と相互変容が求められる。このミクロレベルとメゾレベルを一体的に支援していくソーシャルワークが、「コミュニティ」を基盤としたソーシャルワークである、と加藤さんは整理している。

その上で、彼は理論的基盤として、クライン派の対象関係論を位置づけ、以下のように述べている。

「内的対象関係、すなわち『個人の内的世界からみた環境との関係性』を重視し、個人への支援:『個人の内的世界からみた環境との関係性への支援』と、実際の環境への支援:『内的世界への理解の促しを通した共感に基づく関係性への支援』という2つのアプローチを志向する支援理論である。」(p133)

これも非常によくわかる。個人への支援と、本人とトラブルを起こしている周囲の人々への支援を同時並行的に行わないと、悪循環の高速度回転は止まらない。彼はその理論的基盤を精神分析家のメラニー・クラインに求めたが、ぼく自身は社会学のアプローチから「他者の合理性の理解」として捉えてきたし、前回アップしたブログでも、その内的合理性の理解にもとづく意志決定への関与について言語化してきた。ただ、ぼく自身はそれを、家族や隣人といった重要な・時には敵対する他者に『内的世界への理解の促しを通した共感に基づく関係性への支援』を促すアプローチは抱けていなかった。これが本書を読んでの最も大きな学びであり、己の盲点についての気づきである。

その上で、最後に、本書にではなく、本書と向き合うぼく自身の「もやもや」も付記しておきたい。

A このような実践が、重層的支援体制整備の担い手として期待されるコミュニティソーシャルワーカーに、普遍的に可能になるのか?
B 住民自治や市民活動支援を通じた住民エンパワメントを志向してきた、コミュニティワークとどう接点を持てばよいのか?

Aについて。正直に申し上げると、この加藤さんのアプローチはかなりレベルが高いと思う。それは、精神医療に関する理解をしっかりした上で、地域福祉と接続させる、というハードルの高さである。精神科ソーシャルワーカーが個別支援に埋没しがちであり、社協の地区担当は地域住民との関わりでいっぱい一杯になる現実において、両者のアプローチを統合させて、個別支援と地域支援の一体的展開を出来るコミュニティソーシャルワーカーはどれだけいるのだろうか、という危惧を持つ。

もちろん、加藤さんもそこは充分承知しておられ、個別支援と地域支援の一体的展開を「一人で行うか、異なる者が連携して行うのかは理論的にはどちらでもかまわない」(p108-109)としている。そしてぼく自身は、「一人では無理な場合が多い」という価値前提から、全方位型アセスメントに基づいたチーム連携や、そこからの多機関協働のあり方を論じる本を仲閒と作ってきた。それゆえに、コミュニティ・ソーシャルワークをこのレベルで出来るワーカーを養成できたら良いけど、それにはどうしたらよいのか、がぼくの中では未知数である。

Bについて。こないだ武庫女で開かれた地域福祉学会の大会シンポジウムで僕はファシリテーターをしたが、コミュニティ・ソーシャルワークとコミュニティ・ワークの価値対立が先鋭化された場面だったと記憶している。もちろん、加藤さんの実践やその理論化には最大のリスペクトを払っている。ただその上で、社協のワーカーがこのようなコミュニティソーシャルワークの担い手として期待されている現状に、一抹以上の不安を抱いているのである。その点について、以前のブログを引用する。

「今回、「社会福祉協議会基本要綱2025」は「国家と社会の不分明地帯」をより大きくするモーメントが働いている。それは、国家に対する社会の自立からの決別であり、「地域福祉の「推進」組織から福祉の「支援」機関化」への変節への危惧である。また、「福祉の「支援」機関化」になるということは、 「国が責任を負うべき社会権の保障を、肩代わり・代替・補完」する可能性の余地を拡げることへの危惧である。」
多様な「読み」が出来る大著

コミュニティ・ソーシャルワークは「国が責任を負うべき社会権の保障」であるなら、これは行政責任として行うべきである。ただ、それを社協が担うことにより、「国家に対する社会の自立からの決別」が生じかねない。それは、住民活動の支援を通じた主体形成やエンパワメント支援を行ってきたコミュニティワークの伝統を、ないがしろ、とはいわないまでも、横に置くことにならないか? コミュニティソーシャルワークの全面展開は、住民の「社会資源化」をもたらし、住民が面白い市民活動をしていくのを応援する社協というスタンスを見失わせないか、が、ずっとモヤモヤ気になっている。

だが、これは加藤さんの論の問題ではない。そうではなくて、今の重層的支援体制整備の「断らない相談支援」が前提となった「参加支援」と「地域づくり」の一体的展開が、住民自治の原則をないがしろにしながら進んでいかないか、ということへの危惧である。

つまり、コミュニティソーシャルワークはあくまでも大枠では、ミクロレベルの個別支援から見えてきた地域課題へのメゾレベルの支援、と矢印が一方的であるが、ミクロレベルとは直接つながらい・直接対象にしないメゾレベルの支援を通じて、ミクロレベルの個別支援に有機的につながっていく部分もあるような気がしていて、そのあたりをどう整理すれば良いのか、がぼく自身はまだよくわかっていない。

いずれにせよ、最後に書いた部分は僕の思考の整理であり、本書の加藤さんの論考が手がかりになったので、それを言語化することが出来た。そういう意味でも、地域福祉に関係する人は是非とも一読してほしい1冊である。

意志決定に関与する極意

意思決定について、内科医が書いた説得力ある本を読み終えた。

「患者に対して行われる医療に関する意思決定は、『決める』あるいは『決められる』ものではなく、『決まる』ものとしてとらえる。だとすると、患者自身に限らず、その意思決定に関するやりとりをしている者が行っていることは、『支援』ではなく『関与』であるということは、本書を通じて私が唱えたい主張でもあります。」
(尾藤誠司『患者の意思決定にどう関わるか? ロジックの統合と実践のための技法』医学書院、p92)

医療・福祉の支援を受ける、だけでなく、家や車を買う、裁判や確定申告を行う、など情報の非対称性の大きい領域に関わる時に、私たちは色々な人に「関与」してもらう。これまでなにげに「意思決定支援」とワンフレーズで捉えてきたけど、確かに昨年父の体調が急激に悪化し、要介護状態になり、大学病院に運ばれ、と悪循環をしていた時も、母や弟、僕や妻、だけでなく、多くの人に「関与」してもらいながら、父の支援の方向性が「決まる」プロセスを見てきた。それは僕たち家族だけで決めるわけでもなく、医者に決められるわけでもなく、まさに「決まりゆく」プロセスだった。

そして、「支援」と言わず「関与」の姿勢で関わる尾藤さんは、医師だけれども、「医師モデルの志向が支配的になる」「生活の医療化」として、次の様な問題を指摘する(p43)。

・ある個人を見つめるとき、しばしば「まとも」からの逸脱であり、その逸脱は「まとも」に回帰されなければならない問題点として認識される
・問題はすべて「解決すべきもの」としてとらえられる
・問題には常にその問題を引き起こす主たる「要因」が存在し、要因にアプローチすることで問題が解決される、という手法が選択される
・快楽は優先されるべき価値ではない。「長く、まともでいる」ことが優先される価値として扱われる。
・結果に至るプロセスが最短であればあるほど最善である

「朝から酒を飲んでいる」「風呂に週に一回しか入らない」「部屋がゴミ屋敷状態である」「支援者の説得に応じない」「クラス・職場の同調圧力に馴染めない」・・・これらの「問題」は、「しばしば「まとも」からの逸脱であり、その逸脱は「まとも」に回帰されなければならない問題点として認識される」。だが、そもそもそれは「逸脱」なのか、そもそも「長く、まともでいる」ことがそれほどまでに価値があるのか、と問われると、非常に怪しい。にも関わらず、専門家が一義的に「まとも」「逸脱」と査定する基準を持ち、世間一般の基準と適合できない人を「逸脱」とし、治療の対象にして排除する。この「生活の医療化」は、例えば普通学級とは別室で授業を受ける「通級」の子どもが20万人いる現実とか、「困難事例」「問題行動」が支援現場で忌避される現実とかをみていると、あちこちにあると感じている。

この背景には、問題=逸脱=異常という評価や査定が内包されていて、患者をそう最低評価する医療者は正常=まとも=問題ではない、という二項対立が内包されている。これは病気を他者化する視点であり、患者の持つ、そして医療者だって持っている「生きる苦悩」を矮小化する視点である。(そのことについては以前、「病気」から「生きる苦悩」へのパラダイムシフト : イタリア精神医療「革命の構造」で論じたことがある)

で、尾藤さんの本を読んでいていいな、と思ったのは、この患者の「生きる苦悩」に関して医療者が無知である事を明確に認めて論を立てている点である。

「その他の重要な根拠である『患者の価値・選好』『その他の事情』について、医療者はいわば無知な状態にあるといってよいでしょう。そして、その部分を意志決定の根拠として医療者が補完し、患者とともに熟慮し協議するためには、患者から教えてもらうこと最善の方法です。医学・看護の専門家である医療者は、専門的な知識においては素人である患者に対して意志決定に必要な根拠を提供して補完する役割および義務がある一方で、患者の意向や価値については患者の人生の専門家である患者自身から教えてもらう必要があります。SDMにおける言葉のやり取りは、専門家が患者に対して医学的根拠を伝えるととにに、患者が自身の人生や価値について専門家に教えるやり取りの両方が存在することが条件になるでしょう。」(p66)

SDMとはShared Decision Makingの略で、「共同意思決定」のことである。治療や支援の方針を決める際に関与する専門家達は、「専門的な知識においては素人である患者に対して意志決定に必要な根拠を提供して補完する役割および義務がある」。これについては誰も異論をもたない。ただ、その専門家的目線で、対象者の「問題」や「困難」を、問題=逸脱=異常という視点で評価や査定してこなかった? なぜ・どのようにそのような「問題」や「困難」が社会的に構築されてきたか、という「患者の意向や価値については患者の人生の専門家である患者自身から教えてもらう」視点を持てているか? 専門家が一方的に専門知識を教えるだけでなく、「患者が自身の人生や価値について専門家に教えるやり取り」という双方向の対話がない限り、支援や治療方針が「決まる」ことはない、と喝破している。

これは我が意を得たり、である。社会学者の岸政彦さんはそのことを、「他者の合理性の連鎖と蓄積」と述べているが、その対象者の経験を聞かせてもらい、学ばせてもらうことなく、治療や支援の方針を決定することは、他者の人生の侵襲そのものである。

そして尾藤さんは、専門家と患者の「認識の違い」を意志決定における重要な鍵概念として掘り下げていく。

「ここで私が主張したいことは、患者の認識が、医療者の科学的な根拠に基づいた『専門家としての共通認識』と異なっているとき、評価する側の医療者は、その違いをもって『患者は認識能力がない』と考えるべきではない、ということです。むしろ、患者の主体性を持った認識は、医療者の認識と大きく異なっていることが当然です。」
「患者の認識は、患者が大切にしている信念や価値観としばしば強力に結びついています。私は臨床医として『ステロイドで人生がめちゃくちゃになった人を何人も知っているし、私もステロイドでひどい経験をした。どんなことがあっても絶対に私にステロイドを使わないでほしい』と主張する患者を何人か担当しました。この認識は、医学を専門的に学んだ集団からは荒唐無稽と解釈されます。しかしながら、その認識は、患者の人生の履歴の中で生まれた信念と強く紐付いており、認識する『能力』を有した人の正当な主観として尊重されるものであると考えます。」(p142)

ステロイドをワクチンや抗精神薬、ヘルパーや成年後見制度・・・などと置き換えてもよい。専門家の中では一定の効果や評価が定番となり、それを使うことは「科学的な根拠に基づいた『専門家としての共通認識』」となっている。そういう支援や治療ツールに関して、「どんなことがあっても絶対に私に使わないでほしい」という対象者は、専門家から「荒唐無稽と解釈され」『患者は認識能力がない』とラベルが貼られがちである。でも、尾藤さんはそれをしてはならない!と断言する。それは一体どういうことか?

その前提として尾藤さんは、「患者の主体性を持った認識は、医療者の認識と大きく異なっていることが当然」という認識前提をおく。これは、他者には自分には知り得ない他者性がある、という意味における「他者の他者性」をそのものとして尊重し、理解しようとする姿勢だと思う。それは、特に価値対立をする相手の合理性を知る際に、前提として抑える必要がある。(アメリカにおけうるトランプ主義者の「他者の他者性」を理解しようとしたホックシールドの名著については、ブログで書いたこともある。)

その上で、「その認識は、患者の人生の履歴の中で生まれた信念と強く紐付いており、認識する『能力』を有した人の正当な主観として尊重されるものであると考えます」という尾藤さんの指摘は重要である。「荒唐無稽」「認識能力がない」と専門家が対象者を査定・評価する際、対象者には認識能力がなく判断力に欠ける一方、そう査定評価する専門職には認識能力があり判断力を有する、という価値前提が内包されている。そして、それは対象者にとっては暴力的・差別的で排除的な評価査定基準であり、絶対に許せない事態である。だから、そういう専門家は対象者と大きくもめるのである。

では、対象者の言いなりに専門職はなってもよいのか? そうではない。尾藤さんは「認識する『能力』を有した人の正当な主観として尊重されるものである」と述べている。専門家集団の「主観」とは全く違う「主観」であるが、それは「認識する『能力』を有した人の正当な主観」であることには変わりない。だからこそ、自分たちとは全く異なる「主観」を有する人を、「荒唐無稽」「認識能力がない」と査定せず、専門家から見ると「「荒唐無稽」「認識能力がない」と思えてしまう主観」がどのように・いかなるプロセスで構築されてきたのか、を理解する必要が、専門家の側にあるのである。

その際の補助線として、家庭医療学領域におけるFIFEという考え方も紹介している(p143)。

・F(feeling):その状況についての心配や恐れ、あるいは喜びなど
・I(Idea):病状についての自分なりの解釈に基づく問題とその大きさ
・F(function):病状が生活に与える影響についての解釈
・E(expectation):病状を受けて自分が望んでいることや医療に望んでいる期待

これは福祉現場における「困難事例」「問題行動」とラベルが貼られる事例でも、全く同じ視点での精査が求められると感じた。以前から僕はこれらは「対象者本人が感じる困難・問題」ではなく「支援者や周囲の人にとっての問題・困難」であると、研修等では言い続けてきた。そして、「支援困難事例」の場合、「本人は困っていない様子だが、周囲の人がめちゃくちゃ困っている」という落差があると、しばしば聞く。そして、支援専門職はそういう事例に対して、対象者を「荒唐無稽」「認識能力がない」とラベルを貼っているのだ。そしてそう名指しをすることによって、対象者と良い関係を作れず、悪循環に陥っている。こういう状況って、専門職も「問題の一部」になる悪循環なのだ。

そして、その悪循環から逃れるためには、まず対象者の価値観について「認識する『能力』を有した人の正当な主観として尊重」する必要がある。その上で、自分の常識・視点・価値観とは違う主観を、そのものとして理解するために、FIFEの視点で、専門職が対象者の内在的論理を教わる必要があるのである。

「意志決定において患者に不安が発生しないのは、望ましいことでしょうか? 私はむしろそこに不安が出現するべきだと考えています。なぜなら、不安とともに患者は自らの欲望を形成するからです。欲望形成支援のところで述べたように、欲望の形成はそれほど自然に発生するものではありません。自分は何を求めていて、何を避けたくて、何を恐れていて、何を大事にしたいのか、という複雑な思考の中で欲望が形成されていきます。さらには専門家から将来の見通しや起こりうる事象について情報が提供されることで、患者は自分の欲望を明確にしていきます。」(p182)

この部分も非常に重要である。そもそも、「不安」がない・少ない問題であれば、人は一人で意志決定が出来る。むしろ、一人で決められない状況だからこそ、他者の関与が必要になるのだ。それは、情報の非対称性が大きかったり、自分一人では解決できないと絶望的な気分になっているなど、いずれにせよ不安が強い局面である。そして、その不安がドライブになって、「自分は何を求めていて、何を避けたくて、何を恐れていて、何を大事にしたいのか、という複雑な思考の中で欲望が形成されていきますと尾藤さんは喝破する。

パターナリズムで「いい子」の支援者ほど、不安を出来る限り早急に減らしたくなる欲望を持つ。でも、それは対象者の欲望ではなく、支援者自身の欲望であると認識すべきである。尾藤さんが書いているように、この不安と丁寧に支援者が向き合うことによって、「自分は何を求めていて、何を避けたくて、何を恐れていて、何を大事にしたいのか」というコアな人生の価値観と本人は向き合うのである。そのなかで、「こうしたい」と欲望を形成していくプロセスに支援者が関与できるかが問われているのである。

「安心は、結果として得られる感情状態です。安心そのものを医療者が患者に提供することはできないし、『安心してください』と患者に強要、あるいは懇願することも効果的な行動とは思えません。」(p181-182)

安心は不安の裏返しである。不安になるな、と強要・懇願しても、不安な人はその命令に従えない。だからこそ、不安な気持ちを徹底的に聞かせてもらい、一つずつその様相を解消していくプロセスに支援者が関与することで、「結果として得られる感情状態」としての「安心」が生まれてくるのである。

まだまだ引用したい箇所は一杯あるが、だいぶ長くなったので、最後、一カ所だけ引用しておく。

「AIを搭載したコンピュータやスマートフォンが、医療の意志決定を支援するための優れた『情報端末』として、現在よりもずっと有用性が高く利用される時代が到来したとき、生身の医師や看護師の仕事は、意志決定にまつわるドラマの中で絶えず変容する患者の理解・認識・価値・感情に対して、対話という技術を用いて応答していく『感情端末』としての役割なのだといえます。」(p127)

尾藤さんは生成AIが使える初期段階から色々使い続けた上で、上記の箴言に至った。これも僕が考えていたことを言語化してもらった、と思い、我が意を得たりである。

生成AIが登場する以前の20世紀中盤、アメリカの社会学者、アミタイ・エチオーニは医師と弁護士は完全なる専門職(full-profession)であり、それと対置する形で、看護師と教師、ソーシャルワーカーは準専門職(semi-profession)だと述べていた(関連するブログはこちら)。高度な知識や技術に基づく医師や弁護士は、それだけの報酬に値する職業と位置づけられ、多くの国では高額報酬を手にしている。

でも、生成AIが登場すると、どんなに高度であっても、標準的な知識は生成AIが瞬時に代替出来る。だから、弁護士に頼まなくても本人訴訟の準備書面は書けるし、専門医ではない普通の医師の診断と遜色ない診断が生成AIには出来るようになった。つまり20世紀の弁護士や医師が誇っていたfull-professionの前提が、大きく崩れているのである。

その状態において、専門家に求められる能力とはなにか。尾藤さんはそれを「意志決定にまつわるドラマの中で絶えず変容する患者の理解・認識・価値・感情に対して、対話という技術を用いて応答していく」と述べている。そう、これは看護師がベッドサイドで、教師が教室で、ソーシャルワーカーが相談室でやってきたこと、そのものである。つまり、生成AI登場以後の意志決定支援において、実は20世紀型のsemi-professionとfull-professionの価値前提がひっくり返る。標準化・規格化された知識なら、医者や弁護士がいなくても、生成AIで事足りる。むしろ、「絶えず変容する患者の理解・認識・価値・感情」を対話を通じて聞き出し、そこにあったオーダーメイドの支援を形作ることができるか、が問われているのである。「情報端末」はスマホやPCで充分。であれば、いかに専門職が「感情端末」として、対象者の意志決定に対話を通じて関与できるか、が大きく問われているのだ。

この本はこれ以外にも考えたい論点がめちゃくちゃあり、興味ある方は是非ともご一読をオススメする。

多様な「読み」が出来る大著

本というのは、購入してすぐ読むものもあるが、大半の場合、寝かせておく。今回ご紹介するのは、「14年モノ!」の分厚い大著である。若い友人達が研究会で読みたいというので、学期末の死ぬほど忙しい時期に、なかば渋々・なかば時間がなくて必死になって読み終えた。でも途中からぐっと惹きつけられていった。

「当事者運動は、右派からの『偽善』という批判に対する一つの答となる。その意味論形式は、自らのポジショナリティを発話位置に捉えることを通して、<贈与のパラドックス>も『偽善』表象の発生も抑えることが可能である。『自分たちの政治的実践は、自分たちのため』であり、その意味で『当事者主権』は<交換(win-win)>の文法で語ることが出来る。それ自体として全く正当な『当事者主権』の論理は、しかし、右派も使用可能な意味論的形式である。右派は、今ある『私』から『われわれ』の範囲を所与の『国民』や『民族』に設定し、その範囲のみを擁護する。またいわゆるゲイテッド・コミュニティも当事者主権のレトリックで擁護可能である。
一方で、左派においては『当事者主権』を掲げる立場であっても、 抑圧されている他の立場との連帯を志向する場合が多い。つまり、自らが被抑圧者であることをアイデンティティ・ポリティックスの賭金としつつも、自らの抑圧性に対しても敏感であり、それを通して他者へと開かれる。また、亀裂を生み出す支配的な構造を構成的外部として、『われわれ』という共通のカテゴリー(=当事者性)が構築・拡張され、『当事者主権』の意味論が継続される。しかし、『当事者』概念が拡張すればするほど、<贈与のパラドックス>の観察—「左翼仲間であり続けるべく『弱者の味方』自己イメージにすがる、『ヘタレ左翼』」—が発動する余地を拡げることになるだろう。多くの左派にとって、その『当事者主権』論は、その論理だけでは自らを記述しきれず、所与のカテゴリーやアイディンティを組み替えて他者へと跳躍し続ける、という論理の外部こそが重要な賭金となる。」(仁平典宏『「ボランティア」の誕生と終焉—〈贈与のパラドックス〉の知識社会学』名古屋大学出版会、p435)

優れた著作とは、10年15年の時を経てもその分析内容が古びることなく、普遍的な価値を提供する作品である。僕と同じ1975年生まれの仁平さんが、東日本大震災の直前の2011年2月末に出版したこの本は、2008年に出された博士論文を書籍化されたものである。36才でここまでボランティアをガッツリ捉えていたのか、と思うと、本当に驚愕の論の深さである。あちこちに線を引きまくりながら読んでいたのだが、最も痺れたのが、終章で書かれた、僕が障害者運動の「アライ(=ally:仲間)」としてなじみ深かった当事者主権に関する論考だった。

「右派は、今ある『私』から『われわれ』の範囲を所与の『国民』や『民族』に設定し、その範囲のみを擁護する。またいわゆるゲイテッド・コミュニティも当事者主権のレトリックで擁護可能である。」

そんなこと、考えたこともなかった! が、言われてみたら、確かにその通り。直近の参議院選挙では「日本人ファースト」の旋風が一部吹き荒れたが、あれは「今ある『私』から『われわれ』の範囲を所与の『国民』や『民族』に設定し、その範囲のみを擁護する」「当事者主権のレトリック」そのものである。だが、そのレトリックの問題点も、しっかり仁平さんは指摘してくれている。

「自らが被抑圧者であることをアイデンティティ・ポリティックスの賭金としつつも、自らの抑圧性に対しても敏感であり、それを通して他者へと開かれる。」

そう「自らの抑圧性に対しても敏感」であるかどうか、が「当事者主権」が排除型になるか、包接型になるかの分かれ目であり、これが右派と左派の分岐点である、と。そして、優れた論考は、今振り返って読むと、その当時には主題化されていなかった別の議論との接続可能性をも内包している。

「多くの左派にとって、その『当事者主権』論は、その論理だけでは自らを記述しきれず、所与のカテゴリーやアイディンティを組み替えて他者へと跳躍し続ける、という論理の外部こそが重要な賭金となる。」

これは抽象度が高くてわかりにくいが、今ならインターセクショナリティとの接点として捉えることも出来そうだ。(インターセクショナリティについては、以前のブログも参照)

抑圧されていると感じる障害者男性も、実は女性差別という別の差別には加担しているかもしれない。障害のある女性であっても、例えば在日外国人や被差別部落の人には無関心かもしれない。このような、交差する様々な権力関係を前提に、「人種、階級、ジェンダー、セクシャリティ、ネイション、アビリティ、エスニシティ、そして年齢など数々のカテゴリーを、相互に関係し、形成し合っているものとして捉える」のがインターセクショナリティとして近年言語化されてきたが、このインターセクショナリティ概念の論点において、仁平さんの言う「所与のカテゴリーやアイディンティを組み替えて他者へと跳躍し続ける、という論理の外部こそが重要な賭金となる」のである。

そして、この本の主旋律は、ボランティアという言動に常につきまとう「偽善」という呪いとどう歴史的に向き合ってきたのか、である。それを<贈与のパラドックス>と述べている。

「近代的な権力は、善意を装い贈与するふりをして、決定的な負債を与える存在として概念化されてきた。<贈与>は、贈与どころか、相手や社会にとってマイナスの帰結を生み出す、つまり反贈与的なものになるというわけだ。この意味論形式を、本書では<贈与のパラドックス>と呼びたい。<贈与>表象は、<贈与のパラドックス>の意味論に準じた観察を不可避的に生み出す—これは本書の中核的な仮説/仮定である。」(p13)

善意に基づく贈与としてのボランティアが「偽善」と見なされる。その背景には、「善意を装い贈与するふりをして、決定的な負債を与える存在」としての「近代的な権力」がある。それは、「ボランティアこそ私の敵 私はボランティアの犬達を拒否する」と痛烈にボランティアを拒否した、花田えくぼさんの「ボランティア拒否宣言」とつながっている。仁平さんはこの文章を引用した後、「無償の、愛情に満ちた<贈与>行為こそが、『障害者』を障害者役割にとどめ、その可能性を根こそぎ奪っていく」(p34)と付け加える。これが「善意を装い贈与するふりをして、決定的な負債を与える存在」としての「近代的な権力」行使的ボランティアなのである。まさに、一見正しく見えるが矛盾した表象としてのパラドックスそのものであると言える。

本書はボランティアという言葉がどのように用いられてきたか、奉仕という類似概念とどう交錯しているかを丁寧に辿りながら、ボランティアに常につきまとう<贈与のパラドックス>がその時代時代でどのように表象され、あるいはそれと向き合ってきたのか、を歴史社会学として辿っている。そして、第二次世界大戦後、一般市民の戦争への動員論である社会奉仕と線引きするための、「社会の民主化」の二要件として、ボランティアには二つの要件が求められる(p94-96)。

①国家に対する社会の自立:民主化の前提として、国家と社会の不分明地帯に切り込みを入れ、社会を独立した審級として自律させること
②国家による社会権の保障:国が責任を負うべき社会権の保障を、肩代わり・代替・補完しないこと

ボランティアを少しでも囓ったことがある人なら、この二要件の厳格な遵守は難しいとわかると思う。①確かに戦時中の隣組による相互監視は、ボランティアとしてなされていた。だからこそ、そのような権力監視・行使の内面化を防ぐためには、ボランティアは国家から自立することは不可欠だ。とはいえ、そうなると、ボランティアの募集や、ボランティアの運営に国の補助金などを投入することは、そのボランティアの自立性を疎外することになる。しかし実際にボランティアを継続する上で、財政面もボランタリーで継続するのは難しい。そこで、登場するのが中間支援組織としての社会福祉協議会である。本書は実は「ボランティアを通じた社協分析」としても優れている。

②については、「ボランティア拒否宣言」のなかでも、「ボランティアの犬達はアテにならぬものを頼らせる」と書かれていた。ボランティアはするもしないも自発性に任されている。障害者介助だって、ボランティアは、したくなければ、しなくていい。でも、介助を受ける障害者は、してもらわないと生活していけない。その意味で、「国が責任を負うべき社会権の保障を、肩代わり・代替・補完」されると、「アテにならぬものを頼らせる」状態が続き、障害者の生存権が脅かされたまま、国の責任放棄が認められてしまう。だからこそ、障害者運動は介助の公的制度化を求めて「当事者主権」論を主張してきたし、21世紀になってやっと重度訪問介護のような形で、ボランティアの介助は国レベルでの制度化にこぎ着けたのである。その意味で、民主化要件①と②はめちゃくちゃ重要なのである。

で、先に述べかけた、社会福祉協議会の成り立ちを、仁平さんは以下のように整理する。

「社協は『施設や地域社会との間に、より緊密な有機的組織を作るのが第一のねらい』であったが、同時にそれを通して—町内会とは異なり—地域社会を民主化していくことも期待された存在でもあった。この社会福祉協議会の思想基盤は—実は共同募金を支える理論的根拠ともされていたのだが—アメリカで盛んであったコミュニティ・オーガナイゼーション論であった。コミュニティ・オーガナイゼーションとは、その主要な紹介者の一人でもある牧賢一によると、『当該地域社会における各種福祉団体の参加を原則として、それらの団体のもつ専門的指導計画の立案、社会資源の造成と活用、連絡調整、住民の福祉教育、ソーシャルアクションなどの諸機能を総合的に実践すること』と定義される。この時期のコミュニティ概念は、アメリカからのコミュニティ概念を、日本で大正期に定着した<社会>の想像力の中で捕捉していたという側面があるが、そのイメージのもと、『「われら意識」を根底とした福祉の社会的有機体機構を育成すること』だという理解があった。この点から、地域住民は、「われら意識」に貫かれた<社会>=コミュニティに対して主体的・自発的に参加していくということが肯定され、社協はその構造を作り出していくという主要な存在になる。」(p110)

この本を、2011年でなく、2025年に僕は読んで本当に良かった。まず、社協がこういう成り立ちで設立されたのは、僕は不勉強でうっすらとしか知らなかった。にも関わらず、社協の研修とか地域福祉活動計画策定のお手伝いに結構関わってきた。つまり社協実践にこの15年くらいの間に濃厚に関わり、姫路に引っ越して、関西のコミュニティワークの実相に触れる中で、社協に関してモヤモヤしてきたことが、この本を読んでクリアになったからである。

社協は、民主化要件①と②をクリアし、またその当時危機として迫っていた「『過度』の『民主化』=社会主義化」も警戒し、「地域においてアメリカ型民主主義を着床させる役割」(p109)として「上からの民主化」の役割として期待された存在が、その設立経緯にあった。「地域社会を民主化していくことも期待された存在」であった。だからこそ、「アメリカで盛んであったコミュニティ・オーガナイゼーション論」がその思想基盤にあり、「地域住民は、「われら意識」に貫かれた<社会>=コミュニティに対して主体的・自発的に参加していくということが肯定され、社協はその構造を作り出していくという主要な存在になる」未来を目指して、社協がスタートしたのである。

そして、民主化要件①と②とも関わるこの設立の当初目的を、真面目に護っているのが、関西のコミュニティワーカー達だと整理すると、僕の中で非常に合点がいくし、先月の地域福祉学会の大会シンポジウムで死ぬほどモヤモヤしたことも、氷解する。

今、地域福祉の業界では、コミュニティ・ソーシャルワーク(CSW)とコミュニティーワークの両者を巡る言説争いが激しい。前者の方は、NHKのプロフェッショナルにも出た、豊中市社協の勝部麗子さんに代表されるように、支援が必要な個人に寄り添い、その中から地域課題を見つけて解決していくアプローチである。彼女たちの活動は社会的に評価され、国もそのCSWの活動に着目し、重層的支援体制整備事業の中で、「断らない相談支援」「参加支援」「地域づくり」として制度化も果たした。そして、全国社会福祉協議会も、今年に改定した「社会福祉協議会 基本要綱 2025」のなかで、この重層的支援体制整備の担い手の主要なアクターとして活躍出来るように、名乗りを上げている。

ただ、これに対して、主に関西の社会福祉協議会の有志(関西社協コミュニティワーカー協会)が中心になって、反論している。

「社会福祉法の改正以降、特に包括的支援体制の自治体努力義務化により、地域福祉の政策化・施策化が進められました。その中で、社協が制度福祉の委託機関として位置づけられる傾向が強まり、社協の存在意義が「生き残り」の観点で語られるようになっています。事業委託による官民関係の主従化、また、地域福祉計画と地域福祉活動計画の行政主導の一体化が進むことで、社協の自律性・民間性が低下していることも課題です。」(「基本要項改定からこれからの地域福祉を考える研究会」報告書

2017年に姫路に引っ越してきて以来、関西の社協は住民自治や住民主体をすごく大切にしていて、それまで僕が付き合ってきた東の地域の社協とはずいぶん違うなぁ、と漠然と感じていた。それは単に関西が独特なのではなく、「事業委託による官民関係の主従化、また、地域福祉計画と地域福祉活動計画の行政主導の一体化が進むことで、社協の自律性・民間性が低下していること」への危機感である。そして、「地域住民は、「われら意識」に貫かれた<社会>=コミュニティに対して主体的・自発的に参加していくということが肯定され、社協はその構造を作り出していくという主要な存在になる」という社会福祉協議会の成り立ちが変質することへの異議申し立てを、関西のコミュニティワーカー達は行っているのである。そして、それは仁平さんの示した「「社会の民主化」の二要件」とも重なる。

①国家に対する社会の自立:民主化の前提として、国家と社会の不分明地帯に切り込みを入れ、社会を独立した審級として自律させること
②国家による社会権の保障:国が責任を負うべき社会権の保障を、肩代わり・代替・補完しないこと

今回、「社会福祉協議会基本要綱2025」は「国家と社会の不分明地帯」をより大きくするモーメントが働いている。それは、国家に対する社会の自立からの決別であり、「地域福祉の「推進」組織から福祉の「支援」機関化」への変節への危惧である。また、「福祉の「支援」機関化」になるということは、 「国が責任を負うべき社会権の保障を、肩代わり・代替・補完」する可能性の余地を拡げることへの危惧である。そう捉えた時、住民自治や住民の主体的活動を支援してきた関西のコミュニティワーカー達が、今回の基本要綱改正のどこに危惧を抱き、何に反発しているのかを理解する為にも、この仁平さんの優れた大著は補助線になるのである。

あれ、気がついたらボランティア論ではなく社協論を縷々述べてしまっていた。本書はボランティアと政治の関係について、あるいは右派と左派のボランティアがどのように変遷していったかも辿っていて、議論したい内容はいろいろある。なんせ、僕自身も阪神淡路大震災の後のボランティア経験が大きなきっかけになり、卒論は『ボランティアと政治』というタイトルで書いたし、その後入った大学院は、大阪大学大学院人間科学研究科ボランティア人間科学講座、というまさに震災後に出来たボランティアの学際的講座だった。だが、僕は東日本大震災の後の震災現場でボランティアをすることが出来ず、そのモヤモヤも抱えたままだった(その僕自身のボランティアへの挫折やモヤモヤは、『モヤモヤのボランティア学』の中に一章書いております)。そして、自分が所属した講座も、大阪外大の吸収合併に伴う阪大の学部改組の中で消滅してしまう。そういう意味では僕は「ボランティア講座の誕生と終焉」も垣間見てしまうのだが、そんな背景を持っているが故に、本書は他人事として読めず、自分事として読んだし、また読み返したい一冊である。

僕自身の前提を揺らす入門書

ある人を表題に掲げた優れた入門書とは、論じる対象者だけでなく、その対象者が追いかけているテーマについてもよい見通しを付けてくれる。今回、ふと気になってよくわからなずに読んだ一冊は、そんな読後感をもたらしてくれた。バトラーという思想家が『ジェンダー・トラブル』という本を書いているのは、クイズ王的知識で知っていた。でも、バトラーという人がどんな人で、その本は何を書いているのか、さっぱり分からない中で読んだ本は、目が覚めるような鮮やかな記述で一杯だった。

「ラディカル・フェミニズムが『家父長制』という男性優位主義を問題にしたとすれば、レズビアン・フェミニズムはさらに、『家父長制』が社会の基盤的な制度といての『異性愛』と密接に関わっていることを問題にし、批判するものだった。つまり、ラディカル・フェミニズムは男女間の非対称な関係を問題にはしたけど、『異性愛』に関しては自明視していて、『異性愛』を家父長制という制度の根本問題として焦点を当てたのがレズビアン・フェミニズムだったと言える。」(藤高和輝『バトラー入門』ちくま新書、p32)

家父長制や強いパターナリズムという男性優位主義は確かに変だしおかしいと思っていた。でも、自分自身はいまのところ異性愛と自認しているがゆえに、この自らの前提自体を疑うこと、つまりは「『家父長制』が社会の基盤的な制度といての『異性愛』と密接に関わっていることを問題にし、批判する」ことを、してこなかった。そして、それ自体が問題を作りだしている、とロジカルに指摘されると、全くその通りなのである。

「そしてまさに、この『不確実性』—つまり、オスに生まれたら男になるというわけではな必ずもないこと、男だったら女性を性的な対象とするわけでは必ずしもないこと、男っぽかったらベッドで能動的であるというわけでは必ずしもないこと、メスに生まれたら女になるというわけでは必ずしもないこと、女なら男性を性的な対象にするというわけでは必ずしもないこと、女っぽかったらベッドでは受動的であるというわけでは必ずしもないこと、等々—、その肯定こそ、『ジェンダー・トラブル』の核心にあるものだ。あるいは、この『不連続性』の観点からジェンダーを読むこと、それが『ジェンダー・トラブル』の試みなんだ。」(p96-97)

この短い文章で、著者は6回も「ない」を強調している。逆に言えば、異性愛規範が染みついているマジョリティ(例えば僕自身)は、こうやって一々否定されないとわからないほど、当たり前の認識として刷り込まれているのだ。おちんちんがついているのだから男であるのは、当たり前。その男が性的な欲望を持つのは当たり前。女のひとはベッドでは受動的なのは当たり前・・・。こういう「当たり前」の価値前提にくさびをうつ。

ちなみに「不連続性」とは「欲望のスタイル」と「ジェンダーのスタイル」との間の「不連続性(discontinuities)」と筆者は表現しているが、女っぽかったとしてもベッドでは能動的な人がいるし、男でも男性を性的に対象にする人もいる。その意味で、「欲望のスタイル」と「ジェンダーのスタイル」が必ずしも連続している訳ではないというのが、「不連続性」だし、私たちがジェンダーってこういうものと思い込んでいることを不確定にさせ、異性愛規範の常識を困惑させる(トラブルに陥らせる)のが『ジェンダー・トラブル』だと言われると、バトラーの当該本を読んだことがなくても、なるほどと頷く。それはぼくたちのジェンダーの価値前提を激しく揺さぶっているのだと。

「一般に『生来の本質』が『外側』に表出されたものとして考えられがちなジェンダーという『行為』だが、実は、その『行為/パフォーマンス』の反復や積み重ねによって、『内側』にあるとされている『本質(と想定されているもの)』があたかも最初から存在するかのように事後的に作られていく、というのがバトラーの見方だ。」(p74)

これは娘の服を見ていると、わかる。赤ちゃんのころの「おくるみ」はユニセックスというか、男女の見分けがつかない。そして、乳幼児で男の子っぽい服を着せている子は、女の子には見えないときがある。ただ、親はその子のジェンダーに合わせた服を買おうとする。我が家のパートナーは、そこを意識して、ピンクなど女の子っぽい色味の服を買い与えようとしてきた。僕が青色の靴などを買おうとすると、「それはダメ!」と即答していた。これは、「『生来の本質』が『外側』に表出されたもの」ではなくて、女の子なんだからかわいい服じゃないと、という異性愛規範の親がピンクの色の服を買って子どもに着せるという「『行為/パフォーマンス』の反復や積み重ね」があって、娘の「『内側』にあるとされている『本質(と想定されているもの)』があたかも最初から存在するかのように事後的に作られていく」プロセスを、親の僕自身が見てきたので、めっちゃわかる。

そして、バトラーはこのことを「ジェンダー・パフォーマティヴ・モデル」と命名した。なるほど、パフォーマンス(行為)によってジェンダーが事後的に作られていくんだね。確かに。

「今風に、そして皮肉を込めて、言い換えるなら、『あいつは女じゃない』とジャッジするあれらの連中、『女の子らしくしなさい』と余計なお節介を働く人たちは語の厳密な意味で社会構築主義者なのである。つまり、彼/女らは(自覚はないだろうけどさ)、『ジェンダーが生まれつき決定されるものではなく社会的に構築されるものであるという事実』を私たちに実は教えてくれていることになるんだ(どうもありがとう!・・・なんてね)。」(p109)

ルビンの壺の例も出てくるが、これぞ文字通り図と地の反転のような鮮やかな整理である。『あいつは女じゃない』『女の子らしくしなさい』と何の疑問もなく・考えることなく口から出てしまう人って、「これこそが女だ」「女らしさはこうだ」というのには何の疑いも持っていない、という意味で、本質主義者のように社会的に評価されてきただろうし、本人もそこを一ミリも疑っていない。でも、その言説はまさに先に取り上げた、ジェンダー・パフォーマティヴ・モデルそのものなのである。女らしい仕草を躾ける、強制することによって、女らしい行為がその人に身につき、その人は初めて女として認定される。これは、社会の中で女として構築されていく、という語の厳密な意味で、社会構築主義者なのである。本質主義者と自分でも思い込んでいる人が、社会構築主義者だったとは!

「彼/女らは(自覚はないだろうけどさ)、『ジェンダーが生まれつき決定されるものではなく社会的に構築されるものであるという事実』を私たちに実は教えてくれていることになるんだ(どうもありがとう!・・・なんてね)。」

なんと痛快で、今風で、皮肉を込めた、かつ論理的でぐうの音も出ないステートメントだろう。そして、藤高さんは「はい、論破」と切り捨てるような決めぜりふの場面でこそ、「自覚はないだろうけどさ」とか「どうもありがとう!・・・なんてね」という「柔らかい言葉」を意図的に差し挟む。ジェンダーに関係なく、ロジカルな文章は言い切りで強い言葉(敢えてそれを男性的な・家父長的な言葉、と使ってみたくなる)で運用するのが「当たり前」とされている学術界を熟知しながら、決めぜりふで「どやさ!」とぐうの音も出ないほど見得を切る場面で、きちんと「自覚はないだろうけどさ」という言葉を差し挟み、アカデミックな文章とはこういうものだと思い込んでいる人の常識を揺らす(トラブルさせる)。このあたりも、さすが!である。

この藤高さんの下敷きがあるからこそ、バトラーの『ジェンダー・トラブル』の序章の言葉が響いてくる(引用は藤高さんの本から)。

「『可能性を開くこと』がいったい何の役に立つというのかと疑問に思う人もいるかもしれないが、社会的世界のなかで『不可能な』もの、意味不明なもの、実現不可能なもの、非現実的なもの、おかしなものとみなされながら生きるということがどんなことであるか理解している人の中にはそのような疑問を投げかける人はいないにちがいない。」(p168)

この記述を読んで、この社会において「狂った人」とラベルが貼られた人が置かれている状況と構造的同一性がある、と繋がってきた。

幻覚や妄想、幻聴がある状態の人をさして、そうではない人は、あの人はオカシイとラベルを貼る。すると、ラベルを貼られる側は、「意味不明なもの、実現不可能なもの、非現実的なもの、おかしなものとみなされながら生きる」ことを強いられる。これはその人の内在的論理や唯一無二性を毀損されることでもある。一般の人に聞こえない声が聞こえたり、感じ方が違っても、それは間違っている訳でもオカシイ訳でもない。その人なりの内的真実(=アクチュアリティ)がありありとある。それを「不可能」だと閉ざすことは、マジョリティの横暴である。(このことについては昔、「「合理性のレンズ」からの自由 : 「ゴミ屋敷」を巡る「悪循環」からの脱出に向けて」という論文を書いたことがある。) 

だからこそ、クィア理論はmad studiesとある種の価値前提を共有しているのだな、とやっと繋がってきた。

「クイア(queer)というのはもともとは『変な』とか『奇妙な』とかを意味する形容詞なんだけど、そこから派生して、セクシュアル・マイノリティに対する侮蔑語として用いられるようになった言葉だ。日本語に直訳すれば『おかま』とか『変態』と訳すことができる。他者をいじめたり、傷つけたり、侮辱するために用いられるから、基本的には他称として用いられる言葉だ。ということは、『クィア・セオリー』とか『クィア・スタディーズ』というのは直訳すれば、『変態理論』とか『おかま研究』になるだろうか。なかなかインパクトのある“きつい”言葉だということがわかると思う。」(p219)

この文章を書き写しながら、藤高さんは実に知的に誠実で、相手にわかってほしいという思いに溢れていると感じた。「これくらいわかって当然だろ!」と自分の価値前提を相手に押しつけることなく、相手のわからないところに関して、相手がわかるレベル・理解できる価値前提まで立ち戻って、丁寧にひもとく。「変な理論」であれば、その言葉の意味性がわからない。でも、『変態理論』とか『おかま研究』とまでハッキリ表現してくれることで、そう自称することは、「なかなかインパクトのある“きつい”言葉だということがわかる」のだ。この知的誠実さによって、ぼくはクィア理論の名称の背景が、やっと少しずつ、わかりはじめた。そして、精神病院を廃絶した医師フランコ・バザーリアの言葉に行き当たる。以前書いたブログを引用しておく。

『精神疾患が存在しないなんて、私は言ったことはない。精神疾患という概念を私は批判するが、狂気を否定しはしない。狂気は人間的な状況だからである。問題は、この狂気にどのようにして向き合うかということである。この人間的な現象を前にして、われわれ精神科医はどんな態度をとり、そしてこの[狂気の]必要性にどう応えることができるだろうか。』

バザーリアが言った「狂気」を「クィア」と言い換えてみたくなる。

「精神疾患という概念を私は批判するが、クィアを否定しはしない。クィアは人間的な状況だからである。問題は、このクィアにどのようにして向き合うかということである。この人間的な現象を前にして、われわれ精神科医はどんな態度をとり、そしてこの[クィアの]必要性にどう応えることができるだろうか。」

実は半世紀以上前までは、同性愛を異常性愛とか倒錯などのラベルを貼り、精神疾患と同定し、治療の対象としてきた。実際には治療は出来ないので、隔離収容の対象になってしまっていた。その意味では、政治犯を精神疾患とラベルをはるのと同じような、「政治的倒錯」を精神科医は同性愛者に対してしてきた。その背景には、家父長制の前提である異性愛を所与の現実として受け入れて、同性愛者を抑圧してきた歴史に、精神医療も加担してきた。その意味で、精神疾患という概念は厳しく批判されなければならないが、クィアは人間的な一つの状況として肯定されるべきだ。バザーリアの狂気の肯定の論理は、同じように『変な』とか『奇妙な』とされてきたクィアにも当てはまる。

その意味で、普段無意識・無自覚に使ってしまう「私たち」という表現そのものをも、藤高さんは問う。

「『家父長制』が“すべての女たち”に対する差別や暴力を説明する概念として振りかざされてしまうと、例えば『白人女性』と『黒人女性』『第三世界女性』・・・、それらの『女たち』の経験はみな『家父長制によって性差別を受けている女性』として一様に同じものとして扱われてしまうことになる。その結果、それらの『女たち』のあいだにある際は無視され、それどころか、西洋フェミニズムの下に『植民地化』されてしまう。」(p107)

家父長制を糾弾するために“すべての女たち”と使うことによって、異性愛のフェミニストはレズビアン・フェミニストの異性愛原則を押しつけられ、異性愛フェミニズムに「植民地化」されていた。そのことへの強烈な異議申し立てはこのブログの冒頭でも述べた通りである。同じように、「白人で中・上流階級で健常者の女性」のフェミニズムが是とされると、別の経験をしている「黒人の」「下層階級の」「障害のある」女性の差異のある経験が無視され、「植民地化」されてしまう。このような一元的な植民地化に抗うために、「交差する権力関係が、様々な社会にまたがる社会的関係や個人の日常的経験にどのように影響を及ぼすのかについて検討する概念」としてのインターセクショナリティ概念が出てきた(このことについてはブログでも検討しています)。

藤高さんもこのインターセクショナリティが産まれてきた背景についても言及している。

現実に存在しているのに『いないことにされる』ことになってしまうという差し迫った状況があったんだ。まさにそのような『抹消』に抗して生まれのが『インターセクショナリティ』なのである。」(p181)

これも以前ブログに書いたが、米津知子さんという女性障害者運動家が「モナ・リザ」にスプレーした事件を思い出してみても、米津さんは障害があり女性であるという二重の抑圧経験を持ち、「現実に存在しているのに『いないことにされる』ことになってしまう」というリアリティに対して、まさに「抹消」に抗してああいう行動を取ったのではないか、という妄想すら浮かぶ。

長々と書いたが、最後に藤高さんの知的誠実さが現れている場所をもう一カ所だけ引用しておきたい。それは『ジェンダー・トラブル』の日本語訳者である竹村和子さんへの言及箇所である。藤高さんは、原著を読んだ上で、竹村さんの翻訳とは違う解釈をいくつか提示している。その上で、以下のように言明している。

「読者のなかには私が竹村さんの訳に“いちゃもん”や“難癖”をつけているように思う人もいるかもしれない。でも、私は竹村さんの翻訳を介してバトラーに出会ったし、竹村さん自身の著作や論文に多大な影響を受けた人たちのひとりだ。もし竹村さんがいなければ、研究者としての私の存在は影も形もなかったにちがいない。だから、私が竹村さんの訳に“いちゃもん”や“難癖”をつけているにしても、それは私の竹村さんへの愛の表明、彼女に対する私なりの恩返しと考えて欲しい。」(p121)

この本を通じて、藤高さんはものすごく聡明でロジックもクリアだ、と受け取った。だが、自分の情報処理能力やCPUの高さを「はい、論破!」という形で相手を毀損するために用いていない。「私が竹村さんの訳に“いちゃもん”や“難癖”をつけているにしても、それは私の竹村さんへの愛の表明、彼女に対する私なりの恩返しと考えて欲しい」という言明は、自らの「すごさ」を賢しらに主張するのではなく、竹村さんの翻訳があったからこそ自分がいま・ここにいるのです、という先達への敬意溢れた表現である。そしてまさにそれこそ、アカデミズムの「正統派」なのである。

「『引用とは』、とサラ・アーメッドは語っている。『アカデミックなレンガであり、わたしたちはそれを使って家を建てる』。たとえば、『哲学』は明白に、白人の、異性愛者の、シスジェンダーの、健常者の男性たちからの引用=レンガから成る建造物である。その建造物はある人たちにとっては居心地のよい住処であり、ある人たちにとっては居心地の悪い場所であり、目の前に高く聳え立つ堅牢な壁である。引用—誰を、何を、どのように引用するのか—は決して事実中立的な行為ではない。それは政治的な行為なのだ。」(p257)

先行研究を引用する事は、一見すると価値中立であり事実中立的な行為に思える。でも、「『家父長制』が社会の基盤的な制度といての『異性愛』と密接に関わっていることを問題にし、批判する」論者の先行研究を引用しなければ、気づいたら異性愛規範を前提としている可能性がある。狂気を否定し精神疾患のみを肯定する言説を引用するうちに、生物学的精神医学の狭隘な枠組みから出られなくなってしまう(この問題点も、他のブログに書いてみた)。

つまり、藤高さんやバトラーは、「政治的な行為」として意識的・自覚的に引用している。だからこそ、本書の冒頭でファックやブッチやフェムなどの、学術書ではあまり見ない表現を引用して議論して、最初面食らったが、読み終えてみれば、そこに面食らう僕自身が「ジェンダー・トラブル」に面食らうという意味で、大切な通過儀礼への誘ってくれたのだ。この力量、しかもこの軽やかな文体で、本質を射貫く文体は、ほんまにすごいと思った。藤高さんの他の著作だけでなく、おずおずとバトラーの『ジェンダー・トラブル』も注文してみることにした。読めるかはわからないけれど。

二項対立的な枠組みをずらす

オンライン研究会で何年もご一緒している増渕あさ子さんの『軍事化される福祉(ウェルフェア) 米軍統治下沖縄をめぐる「救済」の系譜』(インパクト出版会)をやっと読み終えた。

軍事(warfare)は一見すると福祉(welfare)と相反するように思える。だが、米軍統治下だけでなく、そもそも戦前から地続き的に、沖縄では「救済」的な視点の中に「植民地支配」の暴力が内包されていた、ある種の同時並行であり時として共犯関係にあった歴史を丹念に辿っていく。一章では「アメリカ人宣教師」、二章では「公衆衛生看護婦」、三章では「ハワイ沖縄移民」、四章では「土地闘争の主体者」である。誰が救済の主体か、によって、その内実が大きく変化している。

一章「『神に見捨てられた島』で」では、「聖書とともに生きる村」というキリスト教的物語(ミショナリー・フィクション)の構造的問題が描かれている。

「聖書に象徴されるキリスト教信仰が『敵』と『味方』を峻別する文化的指標として機能している。誰が生きて、保護される価値があり、誰が『戦争の惨禍』の中に放置され、死ぬ運命にあるかを裁断する境界線として機能するのである。キリスト教は、米国社会において他者に関する公的言説を形成してきただけでなく、実際に冷戦政策構想の上で重要な役割を果たした。」(p45)

増渕さんはフーコーの生政治の概念を本書の下敷きに用いているのだが、これはまさに「誰が生きて、保護される価値があり、誰が『戦争の惨禍』の中に放置され、死ぬ運命にあるかを裁断する境界線」を当事者以外の誰か=権力側が保持している状況を指す。一般にキリスト教ではその裁断主体者は「神=キリスト」なのだが、植民地においては宣教師や軍隊が、その神の代理人として、神の論理に従順な人を「味方」とし、その論理に従わない・脅威となる人を「敵」と見なす。沖縄においては「ユタ」が最大の「敵」であった。戦後沖縄にキリスト教が他の植民地ほど根付かなかったのは、沖縄戦で生まれた膨大な「不幸な死をとげた者の魂(マブイ)」を鎮魂するためには、宣教師ではなく、ユタの需要が急増していったからである(p61)。植民地的な救済には相容れない鎮魂が、沖縄では求められていた。

第二章では、医療者が極端に不足していた戦後沖縄で養成された公衆衛生看護婦(公看)を主題化する。その際、注意しなければならない視点を増渕さんは指摘する。

「戦後沖縄の歴史学では、植民地主義に関する他の分野と同様、沖縄の人びとと米軍の関係を記述する際、しばしば『抵抗/協力』という二項対立図式が用いられてきた。鳥山は、このような枠組み自体が、沖縄社会の分断を再生産し、悪化させてきたと批判し、こうした分析枠組みから慎重に距離を置いている。そして、軍事主義の論理がいかに沖縄の現実を形成しており、人びとが米軍に協力せざるをえない状況を生み出しているかに焦点をあてている。」(p86-87)

先に「「聖書に象徴されるキリスト教信仰が『敵』と『味方』を峻別する文化的指標として機能している」と引用したが、「『抵抗/協力』という二項対立図式」も、まさにキリスト教的な植民者の論理である。だが、実際には「人びとが米軍に協力せざるをえない状況」という抵抗と協力の「あいだ」の状態があり、その中で人びとは協力しつつもその枠内に収まらないという形で抗ってきたのである。その「あいだ」の存在として公看を描こうとしている。

「公看は、占領下沖縄社会が抱えていた矛盾をより鮮明な形で体現し、またそれを間近で観察していた。彼女たちは、慢性的な医師・医療施設不足に悩まされていた米軍統治下沖縄社会で、地域医療の重要な担い手となった。米軍からは主として、基地周辺のいわゆる『キャンプタウン』における性病管理の担い手となることを期待されたが、実際の彼女たちの任務は生活改善、母子保健指導、衛生教育、結核予防、限定的な治療に至るまで多岐にわたるものであった。生活福祉に関わるあらゆる住民が必要とするもの/要求(ニード)を見つけ出し、自分たちの任務(ケース)として引き受けていった。」(p87)

自分たちは戦後沖縄の地域医療を支えたいと、アメリカ式の教育を受けて、公看になった。そのプライドを持って、「生活福祉に関わるあらゆる住民が必要とするもの/要求(ニード)を見つけ出し、自分たちの任務(ケース)として引き受けていった」。医師不足で日本の法律が適用されないという例外状況の中で、離島や郡部においては、この自由裁量に基づいた、創発的な仕事を展開できた側面「も」公看にはあった。でも、その一方、米軍が公看にミッションとして求めたのは、「『キャンプタウン』における性病管理の担い手となること」であった。この二重性は、公看内部でも矛盾や葛藤を生み出す。

「沖縄における性病対策は、占領者と被占領者の間だけではなく、沖縄女性たちの間にも境界線を引き、それを強化していたことがうかがえる。そこで公看は、職業行為を通して家父長制的異性愛規範を反復し再生産することによって、『敗戦の女達』との間に境界線を引いていた。」(p110)

「敗戦の女達」も公看同様、戦争の犠牲者である。だが、一方は植民地政府の庇護下の中で公看という性病管理の「専門職」として、他方は生活の糧としてキャンプタウンで自らの身体を売らざるを得ない売春婦として、境界線が引かれていく。それは、公看の内面であった差別意識、だけではなく、「職業行為を通して家父長制的異性愛規範を反復し再生産する」ことであり、その家父長制的異性愛規範は、まさにキリスト教的な前提に基づく支配者の米軍が求めたものでもあった。これも『抵抗/協力』という二項対立図式では描けない世界である。

第三章では、主にハワイに戦前に移住した沖縄人が、戦後の沖縄を救済しようと同胞として救済しようとしたプロセスが描かれている。ただ、ここにも、「軍事化された潮流」があったと増渕さんは述べている。

「『命を生かす』ことを本来の目的にしていた生政治的なプロジェクトは、実のところ、冷戦期アジア太平洋を横断するように拡大した軍事化・軍事介入による、いわゆる『殺す権力』の回路と緊密に連携しながら実施されていたのである。」(p149)

「命を生かす」ことと「殺す権力」の回路との緊密な連携とはどういうことか。増渕さんは「救済運動が帯びていた両義的な性格」として整理する。

「郷土の救済と解放を望めば望むほど、少なくとも公的には被占領民の救済と民主化を掲げていた米軍の沖縄統治計画と限りなく接近してしまう。」(p179)

アメリカに移住した沖縄人にとって「郷土の救済と解放」は、同じ郷土の同胞たちの「命を生かす」プロジェクトだった。だが、その救済と解放という理念そのものが、「公的には被占領民の救済と民主化を掲げていた米軍の沖縄統治計画」と通底している。その意味では、「拡大した軍事化・軍事介入による、いわゆる『殺す権力』の回路」と、繋がってしまうし、その影響力の範囲の中に組み込まれてしまう。占領者の論理や磁場に強く引きつけられてしまうのである。

第二次世界大戦中、敵国民と見なされたドイツ系や日系アメリカ人が、「モデル・マイノリティ」の兵隊として志願し前線で戦っていた。それと同じように、日系移民も「米国への忠誠を示す日系人」という「モデル・マイノリティ」(p169)として振る舞うことが期待されていた。その期待の内面化は、実は公看に求められた期待と同一地平上であった。これはまさに「救済と解放」が持つ米軍統治への協力の論理と同じである。その一端を担ってきた湧川清栄は、この矛盾について以下のように語っていた。

「琉球大学は急速に延びて大変立派な大学になりました。この大学はあくまで封建主義、天皇崇拝、軍国主義の温床である文科省によってあやつられている、いわゆる御用大学であります。(略)琉球大学の益々の発展を私は希望しますが、ただ植民地大学には転落しないでください。」(p203)

彼は戦後初期のハワイで沖縄の救済と再建のために大学設立に奔走した。だが、占領政府主導で出来た琉球大学は「植民地大学」であり、沖縄返還後に文科省に引き継がれた後も、「封建主義、天皇崇拝、軍国主義の温床である文科省によってあやつられている、いわゆる御用大学」である。この叫びは、「命を生かす」ことと「殺す権力」の回路との緊密な連携への苦痛の表明でもあるといえそうだ。

そして第四章では、「救済と解放」に抗う土地闘争を「『命』を乞う」という形で主題化している。自分たちが先祖代々受け継いできた土地を、強制的に「私有財産」として米軍による「買い上げ」の対象となった際、命がけで拒否する伊江島の住民が取ったのは、「乞食」だった。

「乞食することを、法に触れる恥ずべき行為としながら、それ以上に、武力でもって土地を取り上げ『乞食させる』ことこそが恥であると、米軍の暴力を糾弾している。土地から追い出され、生活基盤を奪われた人びとにとって、『法に触れる』乞食こそが、生きのびるための戦略となった。逆説的にいえば、『乞食する』という行為の、その無法性(lawlessness)ゆえに、米軍が行使し続けている主権権力に抗い、異議申し立てをする発話行為となりえた。すなわち、米軍によって強制された補償を受け入れて、『救済の法』の対象になるかわりに、自ら『乞食する』ことを選びとることで、強いられた『チョウダイ』という行為を、生への意思を表明する政治的・主体的行為へと転倒させたのである。」(p240)

先の公看やハワイに移住した沖縄人たちは、モデル・マイノリティとして、『救済の法』に協力し、その枠組みに従いつつも、植民地主義に抗おうとすき間を探していた。その一方、強制的・暴力的に土地接種をされていた伊江島の住民達は、「乞食」という形で触法行為をしながら、「武力でもって土地を取り上げ『乞食させる』」米軍の暴力を浮き彫りにさせる。法に触れる行為をさせるのは、法制定をして統治する米側にある。そこから、「『乞食する』という行為の、その無法性(lawlessness)」が浮き彫りになってくる。その無法性を際立たせるための「米軍が行使し続けている主権権力に抗い、異議申し立てをする発話行為」=パフォーマンスとしての「乞食」だというのだ。そして、この「生への意思を表明する政治的・主体的行為」は、終章におけるキャンプタウンの「コザ騒動」にもつながっていく。

僕は個人的に沖縄が好きで、プライベートで沖縄に毎年のように通い、昨年あたりから、沖縄の地域福祉や障害者福祉の人びとと仕事で交流をするようになってきた。その中で、沖縄に関する論考もぼちぼち読み進めてきた。沖縄こども調査などで、「いまだ2~3割の世帯が困窮世帯で深刻な状況にあるといえる」と指摘されていることも、眺めてきた。

その沖縄の貧困や困窮、生活支援の困難性の福祉課題のルーツとして、「軍事化された福祉」があり、『抵抗/協力』という二項対立図式がもたらした分断の歴史がある。このこんがらがった糸をほぐして理解するためには、沖縄の福祉の辿った道のりを歴史的に分析する増渕さんのような視点が必要不可欠だ。そして、この本では日本への返還以前の沖縄の歴史が整理されているが、その地続きとして、そこから半世紀の日本政府のアプローチの仕方を眺めていく必要があるのだと思う。

そういう意味で、沖縄の福祉を考えるのは、トランスパシフィックな視点に立った文脈と、日本政府の残余的福祉のあり方の交差性を捉える必要がある。

「戦後沖縄に関する学術研究はこれまで、協力と抵抗、支配と被支配の二元論に回収されてしまうか、あるいはそのいずれかの立ち位置に重心を置く傾向にあった。このような枠組みは、ある人びとがなぜ『基地との共存』のように見える道を『選択』したのか、そもそもなぜ『基地による経済発展』か『抵抗』か、いずれかを選択するように仕向けられているのか、といった問いの立て方を阻んでいく。
本書は、福祉と軍事主義の連携を分析するとともに、こうした状況でも、住民をケアし、命を守ろうとした人びとの日常的な抗い—『生への意思』—に焦点をあてたが、こうした視座が、これまでの二項対立的な枠組みをずらすことに少しでも寄与できればと願っている。」(p289)

そう、二項対立のほうがわかりやすいが、そのわかりやすさでは見えなくなっていることや、二項対立の図式を選択させるように仕向けた統治権力への問いを覆い隠していることを、本書では実感することができた。それと共に、日本人宣教師も、公看も、ハワイやアメリカでの沖縄人も、「乞食」闘争の人びとも、「二項対立的な枠組みをずらす」営みを続けている。そして、それは現在の沖縄の地域福祉や障害者福祉の現場でも、その潮流は続いているのではないか。そんな妄想を抱くこともできる。今度出張した時には、そういう議論もしてみたいと思った。

増渕さんの本は、本当に豊かな問いを生み出してくれるし、考えるきっかけを与えてくれる魅力的な一冊だった。

追記:ちなみにいきなり学術書を読むのはハードルが高いと思う人は、増渕さんのインタビューポッドキャストおすすめ。「第91回 増渕あさ子さんインタビュー『軍事化される福祉(ウェルフェア)〜米軍統治下沖縄をめぐる「救済」の系譜』」

原学級でのほんまもんの学び合い

仮住まいの我が家では本棚が足りず、段ボールに入れた本が落ちてきた。その本を拾い上げて何気なく読み始めたら、めちゃくちゃ面白くて一晩で読み終えてしまった。今日はそんな本のご紹介である。

「『ついてこれない』とは、その子どもがついてこなかったのか、ついてこれなかったのか、またついてこさせなかったのか、の状態の分析と原因を明らかにし、何とが子どもが意欲的に取り組むようにした。
また、ある集団から疎外されている子供を、その子自身の問題としてのみ受け止めるのではなく、むしろ、疎外・差別している集団の側の問題として受け止め、個々のケースでの研究、指導を行った。」(橋本直樹著『子どもを「分けない」学校(「ともに学び、ともに生きる」豊中のインクルーシブ教育)』教育開発研究所、p48-49)

橋本さんは、大阪の豊中市の公立学校教員である。そして彼が校長を務めた南桜塚小学校の研究紀要の1977年度研究に、上記の記述を発見している。

「ついてこれない」というと、どうしてもその子ども個人の問題のように、一見思える。だが、「ついてこさせなかった」と補助線を入れると、教員や学級など「疎外・差別している集団の側の問題として受け止め」る必要がある。このような視点を半世紀前から持っている学校なので、「すべての教職員がすべての子どもの担当である」という意識を持ち、「障害のある子どもが、通常の学級で他の児童・生徒とたちとともに学び生活することを保証する」「原学級」保証を半世紀かけて積み上げてきた。(その教育実践はルポ「教室から席がなくなるのはイヤ──「ともに学び、ともに育つ」大阪府独自のインクルーシブ教育、揺らぐ足元」などに詳しい)

この学校のことは報道で知っていたが、具体的な支援のあり方を読んで、すごい!と思ったのは、以下の部分だ。支援学級の先生が原学級に入ってアシストする「入り込み」について触れた場面である。

「支援学級に在籍する子どものなかには、子どもたちの人間関係や学級担任の配慮次第で十分学校生活を送ることができる子もいます。ほとんどの子どもが、学年が進むにつれて入り込みの時数を減らしていきます。人間関係の深まりや変化をよく見ながら、情報を教職員で共有し、議論もしながら、安心して学校生活を送ることができるように対応しています。
支援学級担任と3人の介助員の12人はインカム(無線)を常に身につけて、子どもたちの状況を共有しています。1日のうちに子どもの状況は変化していきます。たとえば、入り込みの時間にあたっていない教職員が廊下を巡回し、『○○ちゃんの状況がよくない』ことに気づけば、インカムで『○年○組の○○ちゃん、今入り込みないんですけど、気になるので入ることができる人いますか。いなければ私が入ります』と流すと『○○ちゃんなら私がいいと思いますので、行きます。こちら○年○組みのほうをお願いします』というようなやりとりをしています。また、緊急事態の際にも、すぐに集合して、早い対応ができます。」(p126)

この公立小学校では半世紀以上にわたって、「すべての教職員がすべての子どもの担当である」という理念が浸透してきた。だからこそ、支援学級担任も介助員も、自分の担当する特定の子どもだけに関わるのではない。インカムを通じたチーム支援が徹底していて、『○年○組の○○ちゃん、今入り込みないんですけど、気になるので入ることができる人いますか。いなければ私が入ります』と巡回中に変化に気づき、対応を始める。そして、この呼びかけを受けて、『○○ちゃんなら私がいいと思いますので、行きます。こちら○年○組みのほうをお願いします』と個別性の高いニーズへの対応を買って出てくれるのみならず、別のクラスのサポートにも回れる。この機動力と対応力がすごい。

「支援学級在籍の子どもだけでなく、応援があれば前に進める子どもがたくさんいます。子どもたちは入り込みの先生を『おたすけ先生』と呼ぶこともあります。支援学級担任が通常学級の担任と授業を交代し、通常学級担任が個別に子ども対応をすることもあります。とにかくそのときどきの最善を求めて柔軟に対応します。」(p127)

うちの娘も算数が苦手で、まさに「応援があれば前に進める子ども」なので、「おたすけ先生」がいたらめっちゃ喜ぶだろうなあと思う。特別支援学級・学校で区切られた場所にいたら、物理的には特定の子どもにしか相手は出来ないが、普通学級に入ってきてくれたら、支援が必要な子の相手をしながらも、その周りの応援を必要としている子どもたちもサポートできる。また、こういう風に「おたすけ先生」が機敏かつ柔軟に対応してくれるので、障害のある子も、その周りにいる子も、困らなくて済む。分けていなければ、より広範に・柔軟に助け合えるのだ。

「私たちは、『ともに学ぶ』なかで何度も何度も子どもたちの言葉や行動のなかに奇跡を見てきました。当初は分離したうえでの訓練や学習を望む保護者もいますが、ともに学ぶなかで、しだいに、奇跡のような出来事に出会い、子どもの成長を感じ始めます。
子どもに対して担当者・係をつくらないということと、もうひとつ大事なことは、特別な場所をつくらないことです。どんな親しみのあるいい名前をつけた部屋であっても、そこが特定の子どもが先生と向き合い学習をしたり、活動場所として使用している限り、他の子どもたちにとっては自分とはまったく関係のない特別な場所になってしまうのです。すでに特別視(特別扱いではない)されている子どもたちと『交流』の名のもと通常学級で一緒に学ぶ時間があっても、しだいに心のなかで排除が始まり、偏見は子どもの心に定着していくのです。」(p172)

大学の講義でインクルーシブ教育について議論をするときに、学生たちのネガティブな記憶で必ず出てくるのが、「障害のある子どものお世話係をさせられて嫌だった」という経験である。これは、本来は教員がしなければならないサポートを「勉強の出来る子」に押しつけている、という意味で、本末転倒である。この小学校では、12人のインカムチームが「おたすけ先生」でいるので、そういう係は作っていない。それだけでなく、「ひまわり学級」であろうが「おおぞら学級」であろうが、「どんな親しみのあるいい名前をつけた部屋であっても、そこが特定の子どもが先生と向き合い学習をしたり、活動場所として使用している限り、他の子どもたちにとっては自分とはまったく関係のない特別な場所になってしまう」というのは、本当にそのとおりである。多くの大学生が、そしてかつての私自身が、障害のある子とない子が共に学ぶのは「理想論」だと思い込んでいた背景には、「特別視(特別扱いではない)されている子どもたちと『交流』の名のもと通常学級で一緒に学ぶ時間があっても、しだいに心のなかで排除が始まり、偏見は子どもの心に定着」したから、というのがある。ここを打ち破るためには原学級保証が必要であり、先日はイタリアのフルインクルーシブ教育を紹介したが、イタリアに行かずとも、伊丹空港のお膝元である豊中市でも半世紀かけて実現してきたのである。

そうすると、こんな学び合いのエピソードが生まれる。豊中で育ち、今は西宮のメインストリーム協会で活動している鍛治さんを巡るエピソードである。

「隣の席の友だちから『かっちゃんノート書きや!』と言われたので、『障害者やからノート書かなくてええねん』と返すと、友だちは『そっか』と言って、うまくさぼることができました。
鍛治さんは、『なんてすばらしい言い訳だろう』と思ったそうですが、その日の終わりの会で大変なことが起こりました。クラスの全員から、『鍛治君は都合のいい障害者だと思います。そんな都合のいいやつのために移動教室の手伝いとかやりたくありません』と言われてしまったのです。実際にそれから3日ほど、体育や音楽の移動教室の際に一人になってしまうことがありました。
『俺、小学校でやっていかれへんかもしれへん』と母親にこの間のことを相談すると、『それはあんたが悪い。障害者である前に一人の人間として、『鍛治のためやったら力になりたい』と思ってもらえる人間になりなさい』と諭されたそうです。
次の日、泣きじゃくりながらクラスのみんなに謝って許してもらいました。この間、担任の先生は見守ってくれていました。ここで担任が『みんな、鍛治さんは障害者ですよ。冷たいことを言わないで助けてあげて』などと言っていたら、その瞬間子どもたちの人間関係は切れてしまったでしょう。
『ともに学び、ともに生きる』なかで、子どもたちはお互いに批判できる関係、本気でけんかできる関係を育んでいるのです。」(p139)

障害のある子もない子も、ズルする子はいる。鍛治さんも、そんなズルをしていた。しかも自らの障害をダシにして。すると、クラス全員から『鍛治君は都合のいい障害者だと思います。そんな都合のいいやつのために移動教室の手伝いとかやりたくありません』と宣言される。これは、彼には死活問題であり、母親に泣きついたところ、『鍛治のためやったら力になりたい』と思ってもらえる人間になりなさい』と諭された。だからこそ、「次の日、泣きじゃくりながらクラスのみんなに謝って許してもらいました」という。障害の有無ではなく、クラスメイトとして対等に批判しあい、謝罪する。本気でぶつかり合うからこそ、ほんまもんの仲間になる。それを教員が応援している構図が、実に素敵である。

なぜ豊中でそんな実践が出来たのか。これは「すべての差別からの解放をめざす、民主的な人間の育成に努める教育」である「解放教育」のバックボーンがある(p11)。実際1971年に豊中市教育委員会によって定められた「同和教育基本方針」には、以下のような規定が書かれていた。

「同和教育を推進するうえで、障害児が人間として生きる権利、教育を受ける権利を保障することは重要な課題である。障害児の生活を守り、その社会的自立をめざし、障害の種類と程度に応じた教育内容と方法が創造され実践されなければならない。
しかし、現在まで、担当者による実践の積み重ねや問題の提起はあったとしても、障害児教育全体の充実にまで発展しなかった。すなわち、教育条件の不十分さと一般的な理解の不足などから、学校教育の中での正しい位置づけがなされないばかりか、重症障害児が教育を受ける機会の保障もきわめて不十分であり、父母や子どもの強いねがいを実現するに至らなかった。
したがって、障害児教育の総合的な推進をはかり、障害児の社会的自立への手だてを明らかにしなければならない。そのためには、系統だった教育施設の整備をすすめるとともに、関係者の研修機会を拡充するなど総合計画を樹立し、教師・父母・地域・医療関係者が一体となって推進しなければならない。」(p213-214)

この宣言に基づいて、「系統だった教育施設の整備をすすめるとともに、関係者の研修機会を拡充するなど総合計画を樹立し、教師・父母・地域・医療関係者が一体となって推進」してきた半世紀の積み上げがあるからこそ、豊中では「障害児教育の総合的な推進」が展開されてきたのだ。

インクルーシブ教育は、クラスを一緒にするだけではだめだ。原学級保証のような形で、障害がある子もない子も共に学び合い、担任の先生だけでなく、全ての先生が「おたすけ先生」として関わってくれる。そのような、目の行き届いた安心できる環境だからこそ、鍛治さんとクラスメイトのような本気のぶつかり合いが可能になる。そんな環境が豊中でも出来るのだから、全国に拡がって欲しい。本当にそう思う。

懲罰から対話と尊重へ

どんな内容かよくわからなくても、著者や訳者が信用できる人なら、ジャケ買いではなくても「ネーム買い」する本ってある。今回は、訳者に「プリズン・サークル」にも出てきた藤岡淳子さんと、同じ映画に登場し『刑務所に回復共同体をつくる』の著者である毛利真弓さんが並んでいたので、どんな内容かよくわからないまま購入して読み始めたら、めちゃくちゃ面白かった。

「誤解3:生徒は適切な振る舞い方を知ってから学校に来るべきです。
事実:多くの子どもや若者は、家や自分のコミュテニィの大人によって影響を受け、そこで示されたことを見て真似ています。もし彼らの生活の中にいる大人が適切な行動のモデルを示せなかったり、肯定的な社会的・情緒的行動をよく理解していなかったりすれば、生徒たちにそれらのスキルを持って学校に来ることを期待することはできません。私たちは教育者として読み書きや数学を教えるのと同じように、行動についても教える必要があります。」
『学校に対話と尊重の文化をつくる修復的実践プレイブック』明石書店、p30)

これは教育関係者がよく間違えやすい誤解であり、核心部分に触れる話でもある。

学校の先生は、子ども時代から「しっかり」「ちゃんと」勉強が出来た「優等生」が大半だ。つまり自分自身も「適切な振る舞い方」を身につけてきた経験を持つ。一方、学校をさぼりがち、遅刻しがち、嘘をつく、問題行動をする・・・といった子どもを目の前にすると、なぜそれが出来ないのか、が理解しにくい。そして、常識的な推論からして、「親が悪い」し、「適切な振る舞い方を知ってから学校に来るべきです」となる。

ただ、その親自体が「適切な行動のモデルを示せなかったり、肯定的な社会的・情緒的行動をよく理解していなかったり」する場合も、充分に考えられる。虐待やトラウマの連鎖ではないが、自らが養育不全のなかで育ってきた親の中には、子どもにどう関わってよいかわからない・大人自身がモデルを示せない親もいる。その際、「教育者として読み書きや数学を教えるのと同じように、行動についても教える必要」が学校にはあるのだ。そして、これは「貧困地区」に限ったことではない。

この本は、「学校に対話と尊重の文化をつくる」ことを目指した本である。ただ、実は「対話と尊重の文化をつくる」ことそれ自体を、僕たちは学校で学んでいない。だからこそ、親が子どもにそのやり方を理解していない可能性は充分にあるのだ。僕の場合は、ありがたいことに、娘の通ったこども園では毎月保護者学習会を開いてくれていた。そこでは「子どもをみたら、家庭環境や親と子の関わり方がすべてわかる」という明確な原理のもと、親が子どもにどう関わるか、について毎月理事長先生から教わっていた。そういう風に親が学んで変わる機会がなければ、そのチャンスを提供することも、学校に求められている、というのも、よくわかる。

そして、「問題行動」や「困難事例」と呼ばれる現象への、現状の学校への対応のあり方にも、この本は疑問を向ける。

「修復的実践は、80%は事前対応型/先回り型、20%は事後対等型/反応型という80/20モデルに基づいて構築されています。これまで学校の方針は懲罰的なものであり、正しい罰則を与えれば行動を変えられると信じてきました。しかし、幼稚園から高校までの学校で過ごしたことのある人なら誰でも、懲罰的な行動が必ずしも生徒に望ましい結果をもたらすとは限らないことを知っています。どこか上位の機関に送る、クラスから排除する、居残り、停学、あるいは退学といった従来の懲罰的な対処は、根本的な問題に取り組んでいないため、問題の解決にはなりません。」(p35)

これまで、学校で子どもが起こした問題は、子どもの問題とされていた。それは問題の個人化であり、発達障害や精神障害ゆえなどとラベルが貼られると、「医学モデル化」することにもつながる。そして、そのような現象に対して、「クラスから排除する、居残り、停学、あるいは退学といった従来の懲罰的な対処」がなされてきた。でも、「懲罰的な行動が必ずしも生徒に望ましい結果をもたらすとは限らないこと」は、自分自身の経験でもわかっていることである。つまりやってしまった結果に責任を取りなさい、と脅すだけの「事後対等型/反応型」の懲罰では限界があるのだ。だからこそ、「80%は事前対応型/先回り型、20%は事後対等型/反応型という80/20モデル」が大切になってくる。

では、どのような「事前対応型/先回り型」が必要なのか? この本の秀逸なのは、「事前対応型/先回り型」のアプローチの具体例がふんだんに紹介されている点である。

たとえば、能動的参加の連続体の図を紹介している部分について。授業に「参加する」がもっと意欲的になると、自分も積極的に関わる「投資する」モードになり、更にやる気になると、やったことへのフィードバックまでも求める「推進する」になる。他方、授業に気が乗らない場合は「撤退する」だし、更にやる気を失うと課題を「避ける」ようになり、もっとも強烈な場合は授業時間を「破壊する」行為にでてしまうかもしれない。このような能動的参加の連続体の鍵を教えてえいる学校では、こんなやりとりがなされているという。(p95)

「今日私は『参加する』ことを目標にしました。あまり実感はありませんが、これは重要なことだし、弁論エッセイを書く必要があることはわかっていたので、『参加する』にしたんです。でもその後、動物実験について話しているうちにとても面白くなってきて、『投資する』に移りました。」
「私は『避ける』でした。いろいろなことがあって気が散っていたんです。でも他の人に影響しないようにしていました」

これは、子どもたちが自分自身の授業への参加度を、自分自身に認識させる方法である。こうやって子どもたちは自分で決めた参加や関与度に自覚的になれるし、他者を邪魔しないでいることや、出来れば積極的に参加するきっかけにもなる。また、この連続体は教員にも役立つ。

「彼女がどこにいたのか教えてくれて感謝しています。もし私が少しだけでも彼女の位置を動かすことができたら、『撤退する』に移ってもらうことができて、『参加する』になるのもそう遠くはないでしょう。これを知ることで私の不満が解消されれば、私自身と私の生徒たちの目標設定ができます。そうすれば、私たちの間でそれほど大きな争いもなくなるでしょう」

教員の仕事は、子どもたちが積極的・能動的に授業に参加出来るようなデザインである。だが、子どもの状況によって、授業から「撤退する」「避ける」「破壊する」タイプの子どもたちもいる。その言動に対して、教員が懲罰的に排除したり叱責しても、根本的な解決にはつながらない。その際、子どもたちがこの「能動的参加の連続体」モデルを知っていて、自分がどの位置にいるのか、に自覚的だと、教員もその子どもの状態に寄り添うことが出来る。一方的に叱ったり、相互が理解し合えず対立するのではなく、共に「撤退」から「参加」に向かうためにはどうすればよいか、を一緒に考え合うことができる。これが修復的アプローチの特徴だと感じた。

そして、より「ややこしい」子どもと教員が良い関係を作るためには、教員が10分間、子どもとともの一緒に時間を過ごす「バンキングタイム」が重要であることも、書かれていた。その中で、教員が何かを蓄える(バンキング)するためのアプローチとして、以下のような内容が示されていた。

・生徒がリードすることについていく:教師型質問、方向づけ、指示は制限しましょう。安全であれば、むしろ生徒が活動を方向づけ、使うものを彼らの選択で決定するとよいでしょう。
・観察する:生徒の行動、感情、言葉、行動について心のノートを作りましょう。また、あなたの反応と相互作用についてもメモを取りましょう。
・ナレーションする:生徒がしていることを説明する言葉を使いましょう。(略)例えばプレーごとに描写するようなスポーツキャスター、生徒の言葉にコメントしたり繰り返したりするリフレクション、生徒のしていることを真似する模倣などがあります。
・感情にラベルをつける:生徒が示したポジティブ・ネガティブな感情について言葉にします。生徒の表現は言語的な場合も非言語な場合もありえます。あなたの役割は、それに気づき、触れることです。
・関係性についてのテーマを発達させる:これらのコメントは、あなたにとって彼らが重要で、その関係に価値を置いているというメッセージを生徒に対して送ります。
(p148)

これを読んでいて、支援困難事例に関してのソーシャルワークの関わり方のコツでもある、と感じた。「ゴミ屋敷」などに関わる場合、「ゴミを溜めることは悪いこと」という「常識的理解」が先行して、相手のしていることを冷静に「観察する」ことが出来ない。すると、対象者の言動を「ナレーション」なんて出来ない。ついつい「ゴミを捨ている」ということにしがみついて、相手が「リードすることについていく」ことができない。すると相手の「感情にラベルをつける」こともできない。結果的には相手との「関係に価値を置いているというメッセージ」を送ることができず、「関係性についてのテーマを発達させる」こともできない。

逆に言えば、ここに書かれている5点って、相手の内在的論理の把握の方法そのものである。例えば娘に関わる父である僕にとって、こちらの注意に従わない娘にガミガミ言いたくなる局面で、娘を観察することができるか、は大きな問いだ。注意や叱る行為をせずに、彼女がやっていることを実況してみれば、彼女もその行為に気付いてくれる可能性がある。そうやって、本人がリードすることについていきながら、彼女のポジティブ・ネガティブな感情に言葉を与えつつ、父と娘の関係性をよりよいものにすることも、できそうだ。親が変われば、子どもも変わる。教師が変われば、生徒も変わる。その具体的な方法論が示されていると読んでいて感じた。

そして、本書の原題は”The Restorative Practices Playbook”である一方、訳書タイトルは『学校に対話と尊重の文化をつくる修復的実践プレイブック』となっている点も、非常に興味深い。「修復的実践プレイブック」という原題に「学校に対話と尊重の文化をつくる」という修飾語が足されているのである。これが、味噌である。

毛利さんと藤岡さんは、刑務所における回復共同体づくりにおいて、かなりの苦労をされてきた。それは、硬直した刑務所文化を変えることへの抵抗感との闘いであったことは、毛利さんの本を読んでいても感じた。そして、その二人がこの本を訳す時に、「対話と尊重の文化をつくる」ことの重要性を痛いほど感じていたことも、想像に難くない。それは、刑務所でもまさに同じであり、もっといえば学校で修復的実践が展開されていれば、「問題行動」や「困難事例」にも予防的介入を果たせるようになり、結果的には少年院や刑務所に送られる若者が減るかも知れないのだ。

そのような「対話と尊重の文化をつくる」ことができるか、は非常に現代的課題だし、本書はその具体的な方法論や、教員や支援者が自分のアプローチを見直せるワークシートもついていて、非常に有用的である。それだけでなく、懲罰から対話と尊重を基盤にすることで、学校文化を変えうる、という意味では、認識論的な枠組みの掛け替えを実践を通じて目指している、濃厚な1冊である。学校の教員、だけでなく、対人直接支援に関わる多くの人が読んでみて、気づきや発見のある1冊だと思う。

差異を肯定するインクルーシブ教育

日本で特別支援学校の教員をしていて、かつイタリア留学経験のある人って、ほとんどいないと思う。そんな逸材、大内さんが書いた本を読んでいたら、こんなフレーズに出会った。

「インクルーシブな教育を前提としているイタリアでは、特別なニーズのある生徒への配慮は、『いかにしてインクルーシブな学習環境をつくりだし、生徒がクラスの中に包摂されるようにするか』という集団的、社会的な包摂におのずと向けられることになる。まさしく、イタリアの支援教師に課せられた任務は、障害のある生徒がクラス集団に参加するための支援を、いかに有効かつ適切におこなえるかということにある。
その一方で、分離した教育を前提とした日本では、特別なニーズのある生徒への支援は、『いかに自分のことは自分でできるようにするか』といった、『個人的な自立や成長』を促すことに偏りがちになる。しかし、日本のこうした方向性での支援や配慮には、社会的な包摂への希薄さもあいまって、極端にいえば、かえって社会的な分離を推し進めてしまうというパラドックスに陥りかねないリスクも含まれている。」(大内紀彦『フルインクルーシブ教育見聞録――イタリアの現場を訪ねて』現代書館、p38-39)

イタリアでも日本でも、障害などの特別なニーズのある生徒への支援や配慮はなされている。ただ、『いかにしてインクルーシブな学習環境をつくりだし、生徒がクラスの中に包摂されるようにするか』と、『いかに自分のことは自分でできるようにするか』では、問いの向き先が全く違う。前者は特別なニーズのある生徒が普通学級で包摂されるように、クラスの学習環境を変えようというアプローチである。ただ、後者の問いは、特別支援学級での目標が「『個人的な自立や成長』を促すことに偏りがち」であるという警句である。そして、僕はこのイタリアと日本の支援観の違いは、ノーマライゼーションを巡る解釈の対立を思い出していた。

ノーマライゼーションの育ての父と言われるスウェーデン人のベンクト・ニィリエはノーマライゼーションについて、以下のように定義している。

「ノーマライゼーションとは、正常という意味ではないのだ。これは、人間を“ノーマルにする”べきであるという意味ではないのだ。これは、誰かに誰かの特別な基準(例えば隣人の51%の人たちがすることであるとか、“専門家”が最善であると考えること)に従うような行動を強制されるという意味ではないのだ。これは、知的障害のある人が“ノーマル”であるべきとか、その他の人たちと同じように振る舞うよう期待されるという意味ではないのだ。ノーマライゼーションとは、知的障害者が、可能な限り社会の人々と同等の個人的な多様性と選択性のある生活条件を得るために、必要な支援や可能性を与えられるべきであるという意味だ。ノーマライゼーションとは、“ノーマル”な社会で、障害も一緒に受け入れられ、他の人たちと同じ権利と義務、可能性を持っているという意味だ。」(ベンクト・ニィリエ『再考・ノーマライゼーションの原理-その広がりと現代的意義』現代書館 p178-179、強調は引用者)

ここで太字の部分をみてほしい。「知的障害者が、可能な限り社会の人々と同等の個人的な多様性と選択性のある生活条件を得るために、必要な支援や可能性を与えられるべきである」というのは、『いかにしてインクルーシブな学習環境をつくりだし、生徒がクラスの中に包摂されるようにするか』というのと通底している。

一方、このノーマライゼーションの原理をアメリカで受けいれられるように「改竄」したヴォルフェンスベルガーは、以下のように定義している。(ちなみに両者の価値前提の違いについて詳しくは拙著『当たり前をひっくり返す』(現代書館)参照)

「対人処遇の手段は、できるだけその独自の文化を代表するようなものであるべきであり、逸脱している人(その可能性のある人)は、年齢や性というような同一の特徴をもつ人たちの文化に合致した(つまり、通常となっている)行動や外観を示しうるようにされるべきだ、ということである。『通常となっている』という用語は、道徳的というより統計的な意味であり、“標準的“とか“慣例的“と同じと考えられよう。『可能な限り通常となっている』という語句が示唆しているのは、何が、どれだけ『可能な限り』ということになるかは、経験をしていくプロセスで決定されるということである。」(ヴォルフェンスヴェルガー「対人処遇における逸脱の概念」『ノーマリゼーション』学苑社、所収、強調は引用者)

ここでも太字の部分をみてみよう。「年齢や性というような同一の特徴をもつ人たちの文化に合致した(つまり、通常となっている)行動や外観を示しうるようにされるべきだ」というのは、『いかに自分のことは自分でできるようにするか』という「『個人的な自立や成長』を促すことに偏りがち」な視点そのものである。

そして、前者は差異を抱えた(障害があるまま)でも自立しているというノーマライゼーションの「異化的側面」と整理され、後者は障害がある人が『可能な限り通常となっている』という意味で、ノーマライゼーションの「同化的側面」と言われている。そして、この二つは本質的に対立する。なぜならば、後者は障害の差異を肯定せず、健常者に近づけること=ノーマル、と標準化を目指す思想だからである。一方、前者は障害という差異を肯定し、その差異がある人を標準化するのではなく、差異がある人でも馴染めるクラス環境をどう構築するか、と環境を変えることに主眼を置いているからである。

こう整理していくと、日本の特別支援教育はイタリアのインクルーシブ教育と真逆である理由が見えてくる。それは、学校教育において、障害者を健常者に近づける「同化的側面」を重視する日本に対して、障害のある子どもが普通学級で安心して学べるようにクラス環境を変えるイタリアは、障害という差異を肯定する、ノーマライゼーションの「異化的側面」を重視しているからである。

そして、障害という差異を抱えた子どもたちも普通学級で学ぶためには、当然環境を大きく変えていく必要がある。大内さんが見学した小学校の1年生はこんな風に構成されていた。

「40人弱の生徒がいる小学校の第一学年は、『パンドーロ』クラスと『チャンベッラ』クラスの2クラスに分けられていた。どちらのクラスにも、イタリアを代表するお菓子の名が用いられていた。(略) 最初に足を踏み入れたのは、算数をやっていた『チャンベッラ』クラスだった。2名の障害児を含む20名弱の生徒のクラスに、4名の指導者が配置されていた。もう一方の『パンドーロ』クラスには、1名の障害児を含む20名弱の生徒がいて、3名の指導者が配置されていた。」(大内、前掲書、p21-22)

普通学級のクラスサイズが基本的に20名前提でやっている! これはOECD諸国の平均(21.9人)であるが、日本は小学校1年で35名である。娘の通う小学校は1年生の時に105名がいたので、35名マックスだった。正直、障害があろうとなかろうと、こないだまでこども園や保育園で走り回っていた子どもたちを45分なり50分なり座らせておくだけで、先生はめちゃくちゃ大変である。(そのあたりについては『ケアしケアされ、生きていく』でも分析した)

一方、イタリアでは20名がクラスサイズで、複数担任制をしいていて、さらに障害のある子ども一人に指導者が一人つく。だから、2名の障害児なら4名の指導者がつく。こう書くとめちゃくちゃ贅沢なようだが、じつは日本では特別支援学校の建設費に20億とか40億円!もの費用をかけている。箱物の建築費にそれだけの費用をかけ、運営コストも考えると、その費用を人件費に充当すれば、十分に可能なようにも思われる。

さらに、これは昔スウェーデンで聞いた話を思い出す。スウェーデンでも障害のある子がいるクラスの方が保育園や小学校では人気だ、と聞いていた。それって、スウェーデンの親が意識高い系だから、と思った人、いませんか? もちろん、そうではなくて、教員の数が多いほど、障害がない子どもへの目配りも増えるのだ。だって、20人しかいないクラスで、4人の先生がいたら、障害のある子が2人いても、その指導員はつきっきりで障害のある子に関わっていたとしても、その周りの子どもたちに声かけとか、躓いている部分をアドバイスすることくらいできる。すると、よりきめ細やかな指導が、障害のない子へも与えられるのだ。

さらに、一人の教員が指導する状況は、ミニ王国を作り出し、指導力のない教員だと学級崩壊の危機がある。でも、複数担任でチーム支援にすると、クラス全体の指導力がある。インクルーシブ教育を進めるにあたって、こういう形でクラスサイズや学級運営の形を変えていくことは、現実的な選択肢である(複数担任制についてはこの記事も参照)。

そして、障害のある子を支援する「支援教師」養成講座の様子が書かれた部分でも、非常に興味深い箇所があった。

「注目すべきなのは、各々のグループの中で支援の対象の生徒が抱えている『困難』や『問題』が、クラス全体の活動の中に明確に位置づけられていることである。こうすることで、支援対象の生徒の課題は、クラスメイトの目にも見えやすくなり、クラス全体に共有することになり、さらには、この課題にどう対応し、解決し、乗り越えていくのかを、一緒に考える機会が生み出されていくことにもつながっていく。
たとえばグループAであれば、『電動車いすを活用するステファノの移動の不自由さ』、グループBであれば『見通しのもてなさに由来するエンマの不安』、グループCであれば、『生徒Pの人間関係づくりの不得意さ』といった事態に対する課題はクラス全体の協働学習を通じて改善されていくように道筋が立てられている。クラスの雰囲気や環境やルールに障害のある生徒を適合させていくのではなく、彼らの特性をクラスの側で受け入れて共有し、一緒に共存のための対処法を考え、解決策を講じるという方法がとられているのである。そして、この活動をいかにサポートするかが、まさに支援教師の腕の見せどころになっている。」(p54-55)

これは、障害がある子どもがクラスのなかにいることを前提として、障害のある子とそうでない子がどう協働学習をできるのか、をクラスの成長課題と捉えている部分である。障害のある子は差異がある=標準化されないので、他の子どもと同じ協働学習は出来ない、と切り捨てず、むしろ差異のある子との協働を、クラス全体の学びのチャンスと捉えている点が、非常に魅力的だ。その際、大内さんのこの指摘が本質的だ。

「クラスの雰囲気や環境やルールに障害のある生徒を適合させていくのではなく、彼らの特性をクラスの側で受け入れて共有し、一緒に共存のための対処法を考え、解決策を講じるという方法がとられているのである。そして、この活動をいかにサポートするかが、まさに支援教師の腕の見せどころになっている。」

同じ事が出来ないから排除するのとは、真逆である。障害という差異があり、違いがある子どもと協働するために、「一緒に共存のための対処法を考え、解決策を講じるという方法」が模索される。そして、そのためにこそ、支援教師がいるのだ。支援教師は、『いかに自分のことは自分でできるようにするか』ではなく、いかに障害のある子とそうでない子が協働するか、をサポートするために存在するのである。

実は、このことは、日本の義務教育でも求められている。学校教育法第21条では、以下のように規定されている。

「第二十一条 義務教育として行われる普通教育は、教育基本法(平成十八年法律第百二十号)第五条第二項に規定する目的を実現するため、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 学校内外における社会的活動を促進し、自主、自律及び協同の精神、規範意識、公正な判断力並びに公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。」

義務教育の目標の第一優先順位は、教科教育ではなく、「自主、自律及び協同の精神」を育てることにある。そのために、チーム教育、チーム学習は基盤である。そして、それは学校を分ける分離教育では出来ない。日本の学校教育法第21条を真面目に遵守しようとすれば、同化的側面で障害者をノーマルにしようとするのではなく、差異のある障害のある子とそうでない子が協働できるようにクラスサイズや学校運営のあり方を変える、ノーマライゼーションの異化的側面が求められている。そして、それこそ大内さんのいう、フルインクルーシブなのである。

まだまだ書きたいが、長くなったので、この本の紹介はこの辺で。すごく読みやすくて、イタリアのインクルーシブ教育がすごくわかりやすくわかるので、この本はオススメです。

ケアへの解像度をぐっと上げる一冊

毎回本を送り合う村上靖彦さんから、またまた魅力的な一冊が送られてきた。『傷つきやすさと傷つけやすさ ケアと生きるスペースをめぐってある男性研究者が考えたこと』(KADOKAWA)である。この本は村上さんの新境地の開拓にも繋がっていると、読んでいて思った。それは冒頭で以下のように宣言されたところから、はじまる。

「ところで、本書では一人称単数形を『僕』と表記する。幼稚かもしれないが、日常生活での僕は、自分を『僕』ないし『オレ』と呼ぶ。今までの著書では日常では使わない『私』を用いていたのだが、そうしてしまうと、僕自身の経験から切り離されてしまうことに気がついた。『私』『私たち』と書いているときには、僕自身が生活のなかで感じたことや戸惑いを切り落としており、記述している事態に対して責任を負っていない。なので、今回は実験的に『僕』と書いてみる。そして多くの人に当てはまるだろう一般的な事態を表現するときに『自分』『私たち』というニュートラルな代名詞で対比する。」(p8)

自分をどう名乗るか。これは大きな問題だと思う。多くの科学論文では、僕や私は登場しない。筆者や発表者、としか語られない。それは客観性が重視される自然科学の伝統に従い、主観性を排除した論理的な構成を目指す時に、僕や私などの主語が邪魔になる、という価値前提である。また、教授会等で発言する場合、あるいは新書や雑誌、新聞など一般向けに書かれる媒体であっても、私と表記する場合が多い。公的に自分の意見を表明する場合、私の方が一般的である、という社会通念がある。

でも今回の村上さんは、それらを分かった上で、敢えて「僕」という表記を使う。これは勇気がいったことだと思う。竹端も個人のブログではずっと「僕」と書いてきた。でも、最初の単著を書く際、どう考えても「私」という主語で書くと、内容が書けないことが見えてきた。それは村上さんの言うように「僕自身の経験から切り離されてしまう」からである。だから、怖々、おずおずと、僕と書いて、当時こんな註もつけておいた。

「例えば論文における「筆者」という立ち位置は、客観性を担保する為の装いであるが、書き手の意図を後景化させる効果がある。また、僕自身は「私」という表現を、個人的にはあまり使い慣れていない。そこで今回は敢えて、客観的な「筆者」や、普段使い慣れない「私」ではなく、普段のブログで書き慣れた「僕」という主語を用いる事で、大学教員というエクリチュールから距離を取ろうとしている。」(竹端寛『枠組み外しの旅 「個性化」が変える福祉社会』青灯社、p214)

なので村上さんのこの態度表明は、「同志発見!」的な嬉しさがあった。

さて、中身に入ると赤線引きまくり、のオモロイ一冊なのだが、その中でも僕自身が特に刺さったフレーズをいくつか引用してみたい。

「家父長的な資本主義が成立したのにともなって、<広い意味のケア>は家のなかで主婦に押しつけられ、<強い意味のケア>は病院などの施設に隔離された。」(村上、前掲書、p56)

これもすごくわかりやすい整理だし、手前味噌ながら、僕が昔書いた論文のタイトル「「家族丸抱え」から「施設丸投げ」へ─日本型“残余”福祉形成史」ってそういう意味だったのだ、と深く納得した。障害者や高齢者のケアは、「家のなかで主婦に押しつけられ」る一方で、それが限界を超えたり、主婦がいない場合、「病院などの施設に隔離された」歴史がある。広義の意味でのケアを<広い意味のケア>としたとき、それは家庭の主婦に押しつけられ、より集中的な支援が必要という意味で<強い意味のケア>は病院や入所施設などに押しつけられる。これはまさに「家族丸抱え」か「施設丸投げ」という、ケアの二者択一的現状なのだ。そして、村上さんは、そのような二者択一を超えるためにはどうすればよいか、を本書で考察している。

介護殺人について触れた場面で、こんな風にも語っている。

「やむを得ない事情から介護の負担を一人で背負い込んでしまっているが、この『やむを得ない事情』の多くは、『家族で面倒を見ないといけない』『人に迷惑をかけてはいけない』という『自助』の意識である。つまり社会が押しつける自己責任論を、内面化したことで生まれた感情だ。本書では『人に迷惑をかけられない』という意識を、『ケアが不足していて困っている』というSOSへと読み替える。」(p63)

ケアの二者択的現状を超えるための第一歩は、ケアに関する認識を変えることである。村上さんはその第一歩として、「『人に迷惑をかけられない』という意識を、『ケアが不足していて困っている』というSOSへと読み替える」ことを提唱する。これは、サラリと書いているが、実は本質的な読み替えである。

拙著『ケアしケアされ、生きていく』のなかで、「迷惑をかけるな憲法」の話を書いた。憲法にも各種条文にも書かれていない「人に迷惑をかけてはならない」を、日本国憲法よりも上位概念として護っている学生が山ほどいることを目にして、そう命名した。介護殺人も、他人の世話になりたくない、とか、他者に迷惑をかけてはならない、というこの規範意識や「迷惑をかけるな憲法」から、「家族丸抱え」に限界が来て、家族内殺人に至るのである。

この現象は確かに、「『ケアが不足していて困っている』というSOS」そのものなのだが、そう読み替えよう、というこの社会のコードはない。ただ、村上さんが長年フィールドワークをして、『子どもたちがつくる町 大阪・西成の子育て支援』(世界思想社)という著作にもまとめられた大阪の西成などでは、多くの支援者達がこの読み替えを自然にしていたのだと思う。そうしないと、虐待やセルフ・ネグレクトなど、かなりしんどい状況にある子どもやその親の苦境に対応することが出来ないからだ。そして、長年その現場に通い続け、支援者の言葉を聞き続けた村上さんだからこそ、「『人に迷惑をかけられない』という意識を、『ケアが不足していて困っている』というSOSへと読み替える」ことが出来たのだ。この命名のし直しは、ケアへの解像度をぐっと上げる効果があるし、「困難事例」を読み解く際の鍵にもなると思う。

「社会的困窮地域の子ども支援での調査を通して学んだのは、西野さんや松浦さんに限らず<かすかなSOSへのアンテナ>が地域の支援で共有されていることだ。かすかなSOSは自発性と能動性のミニマムな姿でもある。ケアの中の暴力の姿の一つは、困窮に気づかれないがゆえにケアを受け取ることができずにいることだ。SOSのかすかなシグナルを発する能動性と、シグナルを受け取る人の受動性を確保することは、ケア的な主体を確保するための最後の砦となる。」(p174)

最も困難を抱えている人ほど、それを言語的に表現出来ない。だから、援助されずに困難の悪循環に陥っている。その時に、支援する側が<かすかなSOSへのアンテナ>を持ち、それが地域の中で共有されているかいなか、によって、その困難を抱える人が放置されるか、受け止められるか、の違いが出てくる。「『ケアが不足していて困っている』というSOS」は、理路整然とした言語では語られない。冬なのに薄着であるとか、着替えがあまりなされていなそうだ、親子とも疲弊しきった顔をしている、怒鳴り散らして困惑している・・・そういう「違和感」を「かすかなSOS」と読み替えることができるか、でケア対象として受けとめるが出来る可能性がぐーんと上がってくるのである。

その上で、本書がこれまでの村上作品から一歩出て、新たな境地になっていると思う箇所について、もう少し述べておきたい。

「どこからか押しつけられた生産性でもなく隔離や排除でもなく、(個人の欲望をゆがめる)競争や管理にも頼らずに、自らのイニシアチブで自分が属するコミュニティを組み立てるほうが、おそらく僕たちは幸せになる。」(p114)

これは言われてみたらその通り、だけれど、「僕」を主語にしなかったら村上さんにも書けなかった記述だとおもう。なぜなら幸せか不幸か、は主観的な世界だからだ。そして、この村上さんの主観にごっつい共感を抱く自分がいる。

「生産性でもなく隔離や排除でもなく、(個人の欲望をゆがめる)競争や管理にも頼らずに」いるためには、その排除や競争、管理の論理そのものと真逆の者目指す必要がある。他者比較や能力主義的な何かと距離を置く必要がある。その時に村上さんは、その可能性がどこにあるかを考えて、「自らのイニシアチブで自分が属するコミュニティを組み立てる」という提案をする。その例として、友人の青木真兵・海青子夫妻がしている私設図書館ルチャ・リブロの話を例に挙げている。僕も何度か訪れ、二人と対話を重ねるなかで、たしかにあの二人が目指しているのも、その有り様だな、としっくりくる。

その上で、ケアをどんな風に変えて行けばよいのか、について出発点として次の二つをあげる。

「1,ケアを家族に、そして家族の誰か一人に閉じ込めない。ましてや主婦やヤングケアラーに押しつけない。家族に担えなくなった人を施設に閉じ込めない。ケアを可能な限り開き、分担する。
2,ケアに浸透してしまった管理と効率の追求を除去する。」(p115)

この二つも、めちゃくちゃ大切なことである。僕が20年以上、精神病院や入所施設を批判する仕事をし続けてきた。そこでの人権侵害や虐待状況の問題性を論じてきた。でも、その問題点を、こんなに端的に示すことは出来ていなかった。さすが、現象学的質的研究の第一人者は、ものごとの本質を射貫き、適切な形で概念や言語として提示するプロフェッショナルだ、と感じる。

1つめのほうは、「<広い意味のケア>は家のなかで主婦に押しつけられ、<強い意味のケア>は病院などの施設に隔離された」というこの家父長制的現実を変える提言である。ケアを中心に据えた社会に移行していくためには、「ケアを可能な限り開き、分担する」ことが大前提として必要になる。

だが、そのケアが抑圧的であれば、それは全体主義化された社会になる。だからこそ、2点目に指摘しているが、「ケアに浸透してしまった管理と効率の追求を除去する」必要がある。パターナリスティックで一方的な管理統制ではなく、この本では「応援」というフレーズを用いている(p131)。「生活を応援する」というのは、あくまでも本人に主体性が残り、その主体性が生きるように支援者も「一緒に○○する」というスタンスである。それは、こうすべきだと指示命令するabout-nessとは真逆の、共に○○するというwith-nessのスタンスである。ケアがこう読み替えられたら、相互エンパワーメント的な関係性が生まれてくる。

まだ一杯引用したいのだが、そろそろ今日の執筆のタイムリミットなので、最後にもう一点、村上さんの実存的な変化について、引用しておきたい。

「僕が一瞬感じた優遇されている側としてのいらだちは、パートナーが世界に対して日々負っているより大きな傷と怒りと鏡合わせになっている。」(p203)

実は村上さんが今回、主語を私ではなく僕にしたのは、この記述に象徴されているのだと思う。彼は、この数年間の間で新たなパートナーと生活を共にするようになり、そのパートナーから様々なことを学び続けている。その学びは、抽象化された情報処理能力の高さで処理できる内容ではない。文字通り、生身の人間とぶつかり合うなかで、身をよじるようにして相手に突きつけられる、実存的な学びである。その学びが、本書の迫力というか、彼の実存の揺さぶりに繋がり、それが村上さんのケア論を新たな地平にもたらす原動力になっている。その部分が、前作『ケアとは何か』(中公新書)との最大の違いであり、読んでいる僕にとっては最も面白い部分であった。

それは一体どういうことか? これ以上書くとネタバレになるし、本書のなかで、村上さんがパートナーから学んだこともしっかり書かれている。またその部分が本書のタイトル『傷つきやすさと傷つけやすさ』の種明かしにもなっている。なので、興味があったら、是非本書を手に取って読んで頂きたい。

精神医療の枠外から捉える「権力・支配・植民地化」

信田さよ子さんの『暴力とアディクション』(青土社)を読む。彼女の文章は大変読みやすいし、内容もめちゃくちゃ面白いのだが、読み通すのに時間がかかる。それは書かれている内容が、あまりに本質的で、かつ私たちの常識をえぐるような内容だからだ。

「家族に対する責任を放棄しながら、家長の権力だけをふりかざしてケアを要求する父親、経済的支柱である父親が倒れないようにケアを備給し支え続ける母親、両親の関心外に置かれ幼少時より親に代わって責任を負う子どもたち。父は仕事に、母は結婚生活にそれぞれ挫折し、子どもは目の前で日常的に繰り広げられる暴力的な両親の関係にさらされ続けることで、自らの存在が親の不幸の源泉ではないかという罪責観を刻印される。アルコール家族のこのような姿は、性別役割分業とプライバシー重視に貫かれた近代家族のひとつの典型のように思われる。誰もがどこかに思い当たる三者の姿ゆえに、それぞれの独立した三つの名前が必要だったのではないだろうか。」(p101)

アルコール依存症の父親と、共依存の母親、そしてアダルト・チルドレンの子ども。それぞれを別々の問題として表現するのではなく、その家族の相互作用の悪循環が極まった結果として三つの「現象」が生じている。しかも、その三つの「現象」を一つずつ因数分解して個別に理解しても、総和としての家族システムの病理にはたどり着かない。その三者がどのような関係性の悪循環に陥っているのか、どのようなパワーバランスの固着や仮の安定をしているのか。そういう力動を読み解かないと、総和としての家族の不幸をそのものとして捉えることができない。

信田さんの本はどれも、これらのダイナミクスをそのものとして捉えようとしている本だからこそ、迫力がある。しかも、それを普段の日常から切り離された「病理家族」として有徴化するのではない。そうではなく、彼女の切り口は常に、「性別役割分業とプライバシー重視に貫かれた近代家族のひとつの典型」として、「誰もがどこかに思い当たる三者の姿」として描こうとする。だからこそ、自分がアルコール依存や共依存、アダルト・チルドレンの当事者「でなくても」、その記述を読んでいたら、思い当たる家族関係の悪循環にたどり着き、グサグサときて、読みやすくて面白い文章なのに、時々に読むのが止まるのである。

「じつは日本では21世紀になるまで、家族の間に『暴力』は存在しなかった。正確に言えば、妻に『手を上げる』夫はいても、妻に暴力をふるう夫は存在しなかったのである。『法は家庭に入らず』という法の理念によって、『暴力』という判断は家庭の入り口で立ち止まらざるを得なかった。そもそも暴力という言葉には、すでに『正義(ジャスティス)は被害者にある』という価値判断が埋め込まれている。その判断の及ばない世界こそが家族だという考えは、今でも一部の人達に共有されている。家族の美風がそれによって壊されてしまうと真顔で主張する中高年男性は多い。法が適用されない=無法地帯が家庭だったのだ。」(p140)

「家庭」が「無法地帯」と言われると、何だかざわざわする。でも、この記述の通り、虐待防止法は21世紀になってようやく効力を発揮しはじめた。それまで日本に虐待や家庭暴力がなかったのではない。そうではなくて、暴力を暴力として認定しなかったのだ。妻に『手を上げる』夫に対して「暴力」だと判定しなかった。それは、信田さんによれば「『正義(ジャスティス)は被害者にある』という価値判断」と通底する。もしこの正義を被害者である妻に当てはめると、夫は「加害者」として認定される。そして、その夫による家父長的な=パターナリスティックな暴力の認定は、国家による暴力の認定と同じように否定したいことだ。それこそが「家族の美風がそれによって壊されてしまうと真顔で主張する中高年男性」の無意識・無自覚な価値前提ではないか。そういう風に彼女は踏み込んでいく。

「なぜ不介入なのか。この点に関して女性学では公的暴力と私的暴力の共謀性、密約を指摘している。国家の暴力を温存し不可視にするために、家族における暴力(家長である男性の)を温存しているという指摘である。筆者は90年代末までは目の前のDV事例とかかわりながらもがいていたが、この視点を得てまるで霧が晴れたような思いに襲われたことを思い出す。そうか、そうだったのか、と。
性暴力に関する法律も、つい最近改正されるまで明治憲法のままの内容だった。そのことにも国家の意思を痛感させられる。性にまつわる暴力や生殖に関する制度の改変において、国家の意思がもっとも露わになるのではないか。DVの問題も、加害者逮捕や公的な加害者プログラム実施には、防止法制定後20年以上経っても、相変わらず日本は及び腰なままなのである。」(p198-199)

信田さんは、独立カウンセラーとして、公的な=健康保険で支払われる精神医療の「枠外」に居続けていた。そこで「食べていく」ために、精神医療や臨床心理学だけでなく、社会学や女性学、哲学の議論もフル活用して、議論を鍛えていく。その中で、DVの被害者や加害者への自由診療のカウンセリングで見聞きする事例が、国家の暴力と相似形である事に思い至る。彼女が出会い続けてきた「夫が妻に手を上げる」というのは「私的暴力」であると認識し直すことで、「公的暴力と私的暴力の共謀性、密約」が、ありありと彼女に繋がってきた。それと共に、国家の暴力性が最も無意識・無自覚に放置されている現象として、家庭内暴力に対しての法制度の未設置や、性に関する暴力の放置を見いだした。

ぼく自身も、夫婦間のDVや子どもへの虐待の議論が90年代から増えてきたとき、社会のアメリカ化であり、アメリカと日本は違う、と思い込んでいた。でも、「ちゃぶ台をひっくり返す父」としてマンガでも映像でも絵が描かれる父親は、明らかに家庭内で暴力行使をしている。それを『法は家庭に入らず』という形で放置=無法地帯としていた、ということは、その暴力の承認や肯定である。それは、国家による暴力の承認や肯定とのパラレルであり、戦後の日本社会で第二次世界大戦を承認・肯定しようとするモーメントと相似形である、と言われると、なるほど、と頷かざるを得ない。これが信田さんの迫力である。

彼女は自由診療という保健医療の枠の外から眺め続け、現行の制度内精神医療の構造的問題をも知悉しているからこそ、自分たちはそれとは対極の有り様を目指す。

「ヒエラルキーや権威構造とは無縁のイコールパートナーとして、礼を尽くして相互リファーに徹すること。そして医療モデルとは異なる援助論に立脚し、診断的態度や用語とは別の言葉で援助する。その先に見えてくるのは、加害・被害、紛争処理・修復的司法といった問題群であり、権力・支配・植民地化といったキーワードである。」(p182)

日本の従来の制度内精神医療は、あくまでも医療モデルが基盤であり、医師が意思決定権をがっちり握り、看護師やソーシャルワーカー、臨床心理士はパラメディカル、コメディカルという名称で、脇役として据え置かれている。でも、彼女はその枠外を主戦場として、医師に頼らず意思決定の主体者であろうとした。その時に、自分の決定権を独り占めせず、「ヒエラルキーや権威構造とは無縁のイコールパートナーとして、礼を尽くして相互リファーに徹すること」を大切にしてきた。だからこそ、彼女の本を読めば、「医療モデルとは異なる援助論」が見事に言語化されている。そして、その医療モデルではない援助論には、「加害・被害、紛争処理・修復的司法といった問題群であり、権力・支配・植民地化といったキーワード」が基盤になる。

そして、僕が信田さんの本に惹かれ続けるのは、この問題群やキーワードである。精神病を個人の問題として医学モデル的に固着させれば、見えてこない問題群やキーワードである。でも、アルコール依存、共依存、アダルト・チルドレンという個別現象の関連性や連関性を、総体としての家族ダイナミクスとして眺めると、家族にそのような力動性を与える社会の歪みを捉えざるを得ない。それには、「権力・支配・植民地化」といったこの社会の抑圧体系との接点を見いださざるを得ないし、その歪みを減らし、弱毒化していくためには、治療ではなく「「加害・被害、紛争処理・修復的司法」という問題群との接点を見いだしていく必要があるのである。

というわけで、彼女の本は一冊読むと、また別の本を読みたくなる、という強烈な効果があって、これからまた何冊も注文して読み進めようと思う。重い議論で、読むのはしんどいけど、この社会の生きづらさ、生き心地の悪さの根底を理解するためには、信田さんの論考は決して外すことは出来ないことだけは、確信を持っている。