タイでの結婚式参列

バンコク、なう。

友人の結婚式に出席するため、タイにやってきている。週末はカンボジアとの国境まで15キロのシーサケット県の農村まで結婚式に出かけた。
その友人とは、5年前のバンコクのワークショップの場で初めてゆっくり話し始めるようになり、以来私的な勉強会や公的なお仕事などで議論を重ねる仲間となっていた。彼は昨年からタイに仕事の場を移し、今年その職場の同僚と晴れてゴールイン。そして、奥様のご実家で挙式および披露宴をする、ということで、5年ぶりにタイに訪れたのだ。何たる奇縁。
お盆の飛行機はめちゃ高かったが、タイの結婚式に参列するチャンスなど、おそらくこれを逃すと全くご縁がないかもしれない。だが、出かけてみて、実に良い結婚式であり、足を運んだ甲斐があった、と実感する。
結婚式は土曜日なのだが、朝7時半にホテルに迎えが来る。8時前に彼女のご実家に着くと、もうお坊さんがお経を上げいる。そして、家の前の縁側(という割には駐車場の広さのある空間)では、お供えをするお米をよそう儀式が参列者により、行われている。以後、僕もよくわからないまま、そのしきたりに従うのだが、日本との相違が非常に興味深かった。
まずは8時半からの「パレード」。これは村のメインストリートを、新郎側の親戚や関係者が音楽隊を引き連れて練り歩き、踊る、というもの。津軽三味線の音階を陽気にしたような、小太鼓やギターの音色に合わせて踊り、叫びながら、会場までゆっくり行進する。村の皆さんにお伝えする儀式のようだ。しかし、これは日本でも同じような「花嫁行列」があった、という。そういえば同僚のM先生も婚礼の際に同種の行列をされた、とおっしゃっていたことを思い出した。音楽の音階といい、なんとなくアジア的共通項を感じる。
そして、仏式結婚式。村の在家信者兼お世話役のおじいさんがマイクを片手に儀式を進めていくのだが、このあたりも、見たことはないのに「昔懐かしさ」を感じる風景。田舎の集会所での冠婚葬祭、というイメージを持っていただければ、大体当てはまるような場所で、儀式は進んでいく。その中で、サンスクリット語でお経を読んでいるとき、「ガッチャーミー」という懐かしいフレーズを聞いた。そう。僕の高校は東寺のそばの仏教高校で、毎月一度、三帰依という歌を歌っていた。それが仏法僧という三つへの帰依(ガッチャーミー)だった、と歌を聴きながら思い出す。このあたりも、仏教国の共通点だ。
さらに、結婚式の後、いったんホテルに戻って、夕方からの披露宴パーティー。地元の高校の講堂(という名の、屋根だけの吹き抜けの場所)で400名規模の大パーティー。近親者だけでなく、ご両親の親類や知り合いも含めた、大規模なパーティー。村や地域へのお披露目、という意味合いも込めていて、日本でも大家族的な色彩があった時代には、きっと規模は違えど、近所の寄り合いがみな集まるような会合だったんだろうな、と想起させる内容であった。
もちろん、違いもいろいろある。
たとえば結婚式の儀式の際、1000バーツ札を100枚!くらい重ねてお盆に載せ、それを持参金的儀式として見せる、という内容がある。あるいは、豚の顔の丸焼きが奉納される。参列者が新郎新婦の手に水をかける。ご祝儀は招待状の入っていた袋に入れる。・・・などなど、仏式結婚式のディティールは、日本とは大きく異なる。
だが、村全体、コミュニティ上げてお祝いしよう、という姿勢や、その中で持参金を持ってきて「妻をいただく」という儀式など、実にアジア的汎用性を感じる結婚式であった。

「底」の向こう側にあるもの

学生の夏休み期間は、ようやく研究にも時間がとれる。自由に本が読める。その間に、仕事の間には手に取りにくい、射程の広い本に出会って自分の思考と視野の範囲を広げておかないと、気づいたら狭隘な自家薬籠中の世界に幽閉、いや自縛してしうことになる。

と、前置きはもったいぶるが、引っ越して本棚を入れ替えたから、手に取りやすい位置にあった一冊。今だからこそ、強い感応をした。それは第一次世界大戦時のあるエピソードから。
「そのときに、レーニンはベルン図書館で、ヘーゲルの研究をはじめたのだ。『大論理学』『エンチクロペディー』『哲学史講義』・・・彼は、深く、深く『後退』した。より強く矢を射放つために、弓をいっぱいに引きわたるために、彼はマルクスをこえて、その思想の生みの父であるヘーゲルに、深々と入り込んでいったのである。なぜこのときに、ヘーゲルだったのか。レーニンはこの危機のときに、マルクスのしたことを模倣してみることで、突破口を見出そうとしたのだ、と私は思う。(略) レーニンは、このマルクスの創造の行為を再現することで、最大の思想的危機に、立ち向かおうとしたのだ。『資本論』を創造しているとき、マルクスの前には、広大な未知が広がっていた。そして、いまレーニンの前に広がっているのも、未知なのである。世界大戦発生という新しい事態に立ち向かうための、出来合いのマニュアルなどなにもなかった。彼は、それをはじめから、自力で作り出さなければならなかった。その創造のときに、彼はヘーゲルにまでたちもどることによって、マルクスの創造の身振りを、再現しようとした。」(中沢新一『はしまりのレーニン』岩波現代文庫、p69-71)
レーニンは、第一次世界大戦という自らの「思想的危機」を前にして、「深く、深く『後退』」することを選ぶ。最前線に出られない亡命環境にあって、なおかつ自身の「危機」とも戦うために、「より強く矢を射放つために、弓をいっぱいに引きわたるために」図書館に閉じこもるのだ。一見すると「世間の喧噪から隔絶された」図書館の中で、「弓をいっぱいに引きわたる」ことを通じて、自らの思想的危機を乗り越え、次の闘いのための準備に没頭する。僕の頭には、『獄中記』を書いた佐藤優氏の東京拘置所時代の姿が重なる。ロシア外交分析のスペシャリストの彼だから、きっとこの本も読んでいたのかもしれない。「弓をいっぱいに引きわたること」としての膨大な読書とそのノートが、出獄後の作家、佐藤優氏の仕事の大きな基板になっていることは、あまりにも有名なエピソードだ。
横道にそれたが、レーニンの話。
レーニンが「ヘーゲル研究」という「マルクスの創造の行為を再現」することで、「マルクスの創造の身振りを、再現しようとした」というフレーズが、深く身体に染みこんでいた。それも柔道場で。
ちょうど当該箇所を読んでいた日曜日の夕方、いつものように合気道の練習に緑が丘の武道場まで出かける。蒸し暑い道場のなかで、汗だくになりながら両手取りの二教を練習している時に、ふと頭に浮かんだのだ。
「なるほど、これは、あれか」と。
このブログに最も多く引用されているのは、思想家の内田樹氏のフレーズであることは間違いがない。彼の「商業デビュー」が2001年頃だと思うが、その直後から読み始め、以来貪るようにほぼ著作のほぼ全てを読んでいる。池田晶子と村上春樹と内田樹だけは、とにかく全部読む、という事にしているくらいだ(村上春樹に至っては、ついに全集まで買ってしまった)。内田樹氏には、フランス哲学やレヴィナス研究者という顔だけでなく、映画評論家として、そして合気道6段という武道家としての顔を持っていた。僕は映画はほとんど見ないので、彼の映画評論は面白いのだが、内容はあまりわかっていない。同様に、合気道もしていなかった当時は、彼の身体論は「想像」の範囲を超えることはなかった。
だが、ちょうど一緒に働いていた県庁の職員の方が合気道有段者であると知り、その方の勧めもあって、2年前から道場に通い始める。内田樹氏の思想に近づきたい、という想いも勿論あったが、その当時、いろんなことで煮詰まっていたので、それを打破する為にも、そしてダイエットのためにも、自分を変えたい、という衝動から、始めたのだった。始めた当初の理屈っぽい感想がブログに綴られているが、このときに感じたのは、身体で感じる壁と、それを乗り越える楽しさだった。自分の至らなさ、出来のわるさ、煮詰まり感を、身体を動かす事によってフィジカルに感じ、それを練習というプロセスを通じて一つずつ、型を身につけ、身体で理解し、乗り越えていく。そういう「模倣」としての合気道の体系にはまっていくなかで、内田樹氏の言葉が文字通り身に染み渡るのである。レーニンは、「ヘーゲルにまでたちもどることによって、マルクスの創造の身振りを、再現しようとした」。これは、次のようにパラフレーズ出来るのではないか。
僕は、合気道にまでたちもどることによって、内田樹氏の創造の身振りを、再現しようとした。
実はこのパラフレーズの仕方自体、内田師から学んだ骨法であり、よく見れば僕の文体の多くは彼から「真似びて(=学んで)いる。でも、道場で汗だくになりながら練習している合間、ふと浮かんだのだ。なるほど、レーニンと僕は、同じ事をしているではないか、と。そう思うと、自分の思考回路が開かれてくるような気がし始めるのだから、不思議なモノだ。
「新しい事態に立ち向かうための、出来合いのマニュアルなどなにもなかった。彼は、それをはじめから、自力で作り出さなければならなかった。」
これは、僕が感じていた煮詰まり感、とも共振する。僕の場合は思想的危機、とまではいかないが、2年前の段階で、本当に手詰まり感を強く感じていた。大学の准教授、という社会的役割に何となく適応してしまっている自分。しかし、それは役割期待(=という名の常識や同調圧力)への適応であり、自分が構築していく何かではないので、ぴったりフィットする訳ではない。現場で様々に「なんか違うなぁ」と感じることがあっても、それをオルタナティブな対案として提示できないもどかしさ。それは論文や学会に対する違和感に対しても感じていたのだが、何とも出来ない未熟さ。そういうった煮詰まり感を前に、「出来合いのマニュアル」に頼れないことを、思い知らされていた時代でもあった。
だからこそ、「自力で作り出」すためにも、レーニンはヘーゲルという型を、僕は合気道という型を、一から学び始めた、とも言えるかもしれない。大いなる「型」の世界と格闘する中で、自分が未開発だった、思い描くこともなかった何か、をつかみ直す。それがマルクスや内田樹という、自分が出会っていないのに「一方的に師事」する偉人に近づく為の、命がけの跳躍の手段だったのだ。それは「身振り」を真似ることを通じた、文字通りの「フィジカルな格闘」の中から、だからこそ、気づく何か、なのかもしれない。そう言えば、僕も合気道を始めて二年たつが、合気道の面白さにはまり続けると共に、内田樹氏の言わんとすることが、以前よりも深く、理解できるようになってきた(気がする)。
と、自分に引きつけ始めたら、本の紹介などほとんどそっちのけになってしまったが、もう一カ所、どうしても引用しておきたい部分がある。
「言葉が意識に『底』をつくりだし、そこからガイストが生まれるように、商品が資本主義の『底』」であり、『細胞』であり、そこから資本主義のガイストが発生しているのだ。(略) 商品社会のコスモスにたいして、まるで違和感をいだくことのない意識には、資本主義社会についてのこういう分析をできないし、またできたとしても、そんなことはたいして意味をもたない。そういう意識は、いってみれば、商品という『底』の内側にいても、そのことに気がつかず、自分たちの意識の『底』をつくっているもののむこうに、異質な運動をおこなうリアルが実在することを感知できないのだ。ところが、マルクスの知性は、商品社会のその『底』をはっきりつかみだそうとした。彼の精神は、商品の『底』のむこう側にひろがっている、異質なリアルの実在を、たしかに感じ取っていたはずだ。」(p179-180)
この資本主義分析は、以前のブログで触れた「現象学的還元」のプロセスとよく似ている。
私達は言葉や商品に、ごく当たり前に接している。このあまりのごく当たり前さに対して、言葉とは何か、商品とは何か、という事を考え出したら、頭の中が溶けそうになるので、普通はしない。でも、だからこそ、言葉や商品が「底」となり、その背後にある何かにまで思い至らないような仕組みが構築される。言葉を産み出す意識全体、商品を生み出す資本主義全体への疑いへの「蓋」として、「底」が機能し始める。すると、それは言語中心主義、商品中心主義の内在化を引き受けることであり、そこから生じる様々な歪みも結果的に引き受けてしまうことになる。
その「底」の向こう側に、何があるのか。言葉や商品という中心対象ではなく、その背景野としての「意識」や「資本主義」に眼を向ける。この現象学的還元の方法論を通じて、マニュアルなき「意識」や「資本主義」、「構造」分析を行ったのが、フロイトやマルクス、レヴィ=ストロースなどの知の巨人であり、中沢新一氏も、内田樹氏も、この三者との格闘を通じて、自らの思想的基盤を構築してきた。
そんな連関の延長線上に自分自身も位置づけられるのかもしれない。そう思い始めた夏の日の朝であった。

メガネの構造と方法序説

この夏は、自分のメガネの境界、だけでなく、自分のメガネの背景野そのものを眺めようとしている。だから結構頭を使う。

大学の紀要でこの夏、一本論文を書くことになっている。学科20周年特集号で、所属教員全員が、2万字で何かを書け、ということになった。
この夏、もう一本論文を書いているので、計二本、8月末締め切り、というスケジュールである。しかもその一本が、このブログに7月連作した内容を元に「枠組みはずしの旅」と題した内容にしようとしている。ようやく昨日初稿を書き終え、今はしばしの「寝かし中」。
で、今日からようやく正式にその紀要論文に取り組むことになったのだが、あと20日強! 一番安直な手段としては、以前に書いた未公開論文や報告書の焼き直しを行うこと。確かに、一本該当する論文は、あるにはある。だが、「生きている時間は長くはないのに、お茶を濁すような文章を書いて、時間を無駄にしたくない」と思い始めている。あるいは、いつもアドバイスを下さる学科のM先生に相談した際に、「もうD論も書いたんだから、もう少しノビノビ書けばいいじゃん」と背中を押されたことも、大きい。
僕は、査読論文の数こそ多くないものの、決してアウトプットの量は少なくはない。いろいろな現場で調査をしたことは、なるべく活字に残しておきたい、と思い、あれこれ書いてはきた。その時々に必要なことを、あるいは求められた内容を、その当時の自分なりに努力して書いてきた。だが、最近その書くスタイルに限界を感じている。どう表現していいのかわからないのだが、簡単に言えば、文章スタイルの脱皮を模索しているのだ。
もともとこのブログが、その文章スタイルの模索の場として機能してきた。だから、実験的に小難しい文章をこねくり回す機会が少なくない。(いつも読んでくださる方、すいません)
ただ、こないだの連作を書いて、それを論文に直す作業をしながら感じていたのだが、自分の感応した直観や経験した何かの「類同性」を、既成の何かの文脈や理論の中に無理やり落とし込むことなく、その「類同性」から立ち上がる何か、を文章化したい、という思いだ。それは、ちょうど前々回のエントリーで紹介した本から触発されたことでもある。
「私達が言語表象化出来るのは、さまざまなレベルの小さな全体-変動し続ける細部-の変動に現れる同一性を帯びた位相的類同性だけである。この位相的類同性を指標に、私達はある細部をひとつの全体として感受し、言語表象化することができる。」(石田秀実『気のコスモロジー』岩波書店、p323)
論文という形でまとめることは、ある一定の世界観なりコスモロジーの表明である、と今なら思う。だが、以前書いてきた論文の中で、どれほど「コスモロジー」を意識していただろうか。流動変化する世界を、その流動変化の本質が内包する「位相的類同性」を損なうことなく表現しようとしていただろうか。いや、今までの文章は、自分が理解できる範囲内での因果論に無理やり押し込めてはいなかったか。出来合いの因果論のコスモロジーに矮小化してはいなかったか。
「対象化した事物相互の間に、原因-結果の関係や、際限なく分けられる二分割過程、さらには事物をつらねる物語の網の目、といった関係性を設定しないと『分かったことにならない』と思ってしまうのは、『私-表象の心』のくせ、あるいは先天的病気なのかもしれない。」(同上、p126)
海外調査のレポートが「隔靴掻痒」に感じるのは、実はこのあたりだ。ある程度集められる文献を読み込んで、現地でインタビューをしながら確認しても、結局積み上げられる因果関係は、こちらの少ない情報(偏見)に基づいた範囲内でしか、ない。もちろん、それでもそれなりのストーリーは導き出せるし、その中での知見もある。だが、ある程度時間をかけて、その流動変化する全体を掴んだ上での記述でないと、書いていてわくわくしない。そのわくわくしなさ、は陳腐な因果論のコスモロジーに矮小化すること、と思えば、今なら大いにうなづける。なるほど、現場の流動変化する何かを、その位相的類同性を立ち上げる形でのコスモロジーなり体系化、構造化ができていなかったのだ、と。
だが僕だって、全くそれができていなかったわけではない。以前、半年間スウェーデンに暮らしていたときのレポートは、今から思うともう少し書きぶりは別にあるのでは、とも思うのだが、内容としては満足いっているのは、その当時、かなり時間をかけて、じっくり問題に向き合って、現場から立ち上がる「類同性」を看取し、自分なりのコスモロジーを小さくとも立ち上げようとしたから、だろう。
今回、紀要論文としてこれから書こうとしている内容は、少なくとも、ある現象を原因-結果の安直な物語で語る何か、ではない。そうではなくて、僕が見てきた現場、書いてきた内容、かかわった関係性の中に、どういう共通の要素があり、自分自身がその現場にどう向き合い、そこから何が見えてきたのか、の、自分なりの「方法序説」的な何か、である。自分には何が見えて、何を見ようとしてこなかったのか。どういうアプローチは得意で、不得意なのか。自分のメガネの偏りはどんな特徴を持っていて、捉えやすいものと、見失いやすいものは何か。そういった、自分の認知の偏り自体の記載、メタ認知的な何か、を気がついたら書こうとしている。だから、文体に迷い、今日は結局一行も書き出せなかった。(ま、夏バテもあったのだけれど)
「福祉現場の構造に関する現象学的考察」
そう、仮にタイトルをつけている。何かが立ち上がってくる予感はしている。でも、予感を実感に変えるために、自分の内奥に耳をもっと傾けなければならない。あなたは何を聞いて、何は聞かなかったのですか。あなたの感じるセンサーが取り上げたものと、取り上げてこなかったものは何ですか。
いつもは現場の誰かにインタビューしている。学生に問いかけている。でも、問いの対象は、ほかならぬ自分自身。書き手のタケバタは、調査対象者の竹端に鋭く迫らねばならぬ。だが、その迫り方を、ほかならぬ対象者も熟知している。だからこそ、下手をすると自己撞着になりかねない。ゆえに、そのメガネの境界を辿るような、単純なレトロスペクティブではない、深堀をしないと、書き手も対象者も、飽き飽きしてしまう。
自分についての論及で、新たに自己発見することの難しさ。
しかし、その作業を通じて、自分自身が思っていなかった・気づいていなかった何か、が立ちあらわれてくる内容でないと、自分自身が書いていてわくわくしない。ストックフレーズにまみれた、これまで使い古したレトリックでは、書いている自分自身が幻滅してしまう。生きている時間には限りがある。紀要であってもパブリッシュされる何かであれば、未知の世界に通じる穴を開けるような、そういう試みは忘れたくない。
自分自身のメガネの構造を分析する中での、方法序説。井戸の底を抜く作業。
思っても見なかった別の世界に出るために、一歩一歩、井戸をせっせと掘り続ける。どこにたどり着くかは、わからない。でも、穴を開けた先に、今より少しは見通しのよい、少しは色鮮やかな世界に出会うために。

江里ママは社会起業家

ある本を読んでいて思わず引き込まれるのは、想定したジャンル・内容を裏切られる意外性や面白さがあったときだ。たとえば仕事柄、福祉の本に目を通すことは多いが、福祉業界の「想定内」のことが書かれている本には、正直そんなに感動しないし、読み飛ばす。場合によっては目次だけ眺めて終わり、だったりする。それが5000円とかする本なら泣きそうだが、そういう高い本に限って「目次で終了」だったりする。
今日ご紹介するのは、それとは全く間逆の一冊。狭い意味での「福祉」の本として読むと「想定外」だった気付きをいただく本を、しかも著者から贈っていただいた。
「障がいをもつ子どもを地域の普通学級で育てると、発達をあきらめたり、必要な教育が受けられないと思ったりしがちではないでしょうか。私たちは、『普通学級で育てることが、何かをあきらめることではない』と、はじめから考えていた気がします。何かをあきらめたり、失ったりするのではなく、『地域のなかでともに育ち学ぶために必要なものをすべて用意していく』という発想。『そのためには、どう動いていったらいいのか?』と考えてきました。」(西田良枝『ひとりから始まるみんなのこと-<パーソナル・アシスタンス とも>の実践』太郎次郎社エディタス、P28-29)
日本社会では、障害のある子は特別支援学校に行くことが「当たり前」になっている。小学校に上がる段階で就学前検診を受け、障害があるとわかれば、その障害者向けの学校に振り分けられることが「普通」になっている。もしも「普通学級」に行くことを望めば、最近は行ける場合も出てきたが、それでも特別な支援が受けられず、両親が付き添ったり介助をすることが求められる場合もある。医療的ケアの必要な人はなおさらハードルが高くなる。
そんな日本の福祉・教育業界のこれまでの慣行や「当たり前」に真正面から挑んできたのが、西田さんであった。原因不明の代謝異常による脳障害を持つ江里さんの母親になることによって、西田さんは様々な当時の「常識」とぶつかりはじめる。先ほどの就学前検診も、そのひとつだ。ただ、それに対する西田さんの対抗策が実に興味深い。
「『子どもの権利』として、行きたい学校に行かせてほしい、地域のみんなと分けられることなく一緒にいたいよ、と。みんなと一緒の場で教育を、言い換えれば発達の保障をしてほしいのです。そして、ひとつの具体的な結論が出ました。就学時健康診断を受けないことで、就学指導委員会を通らずに入学をしようと。(略)私たちの理屈はこうです。就学時検診にはふたつの要素がある。ひとつは健康診断。私たちの子どもは何らかの理由で医療につながっている子どもが多く、健康診断が必要なら、自分たちの主治医に診てもらい診断書を出せばいいだけです。就学時健康診断のもうひとつの要素は、知的な遅れを発見する場、イコール文部省(当時)の考える『適切な』就学の場への振り分けの機能です。少なくとも私たちは自分の子どもの状態は理解したうえで選んでいるのですから、振り分けられる必要はない。」(同上、p73-74)
就学前健康診断という文部省が用意した「枠組み」。その必要性や根拠について分析し、実質的に機能が担保される部分(診断書)と選別や差別につながる部分(振り分け機能)を峻別し、両者への対応を適切に示すことによって、当時の常識の枠組みの無効化を無意識的に勝ち取っていく。こう書けば小難しいけれど、江里ママが他のママたちと立ち上げた<浦安共に歩む会>の中で勉強する中で、「何かおかしい」「納得できない」という素朴な気持ちを、「どうせ」「しかたない」と諦めたり腐らせたりすることなく、あくまでもひたむきに取り組んでくる中で、たどり着いたひとつの戦略。そして実際に交渉術に長けたパパなどの協力もあって、それを実現してしまう行動力。
そうやって西田さんの実践を読み進めるうちに、この本は「お涙頂戴ものの障害者家族の奮闘記録」などではなく(とはいえぐっと泣きそうになった箇所は何箇所かあったが)、あるミッションに出会った一人の社会起業家の、社会変革の記録である、と気付き始めた。そういう視点で見てみると、西田さんは、これまでの教育・福祉の枠組み自体を問題にし、それとは変わるオルタナティブを提起し続けてきたことが、この本の随所にあふれている。
「いくら『市役所に要望を出す』といっても、会議になれば議論になります。自分たちが何も知らずにいるのは、あまりにも主体性がなさすぎます。いまある制度をはじめとする現状をそのまま『ありがたく受けるだけ』ならば、会の必要性はありません。悩みは持たずに解消です。『文句を言わずに暮らすだけ』です。けれども、私たちが望むのは、この子どもたちが『障がい』という理由だけで、みんなと同じように暮らせないのなら、『そこは変えていこう』とするものです。趣旨を実現するためには、自分たちが考え、勉強し、提案し、当然、人任せではなく、自分たちも動かなければいけないと思っていました。行政と話し合うにも、『こうしてほしい。そのためには、こうやったらできませんか?』とか『このようなものをつくってもらえませんか?』と、私たちの願いをより具体的に提案する必要があるのです。」(p56)
問題を解決するために、要求反対陳情を行う、というのが一般的だったその当時に、西田さんたちは単に要望書ではダメだ、と気付いた。お願いをするだけで、行政と対等な関係ではない。「ありがたく受けるだけ」の受身ではなく、自分たちが「主体性」を持って、「変えていこう」という趣旨を実現するためには、「人任せではなく、自分たちも動かなければいけない」。そのためにも「自分たちが考え、勉強し、提案」する。こう書けば実にごく当たり前のように見えるが、問題を抱えた当事者が、行政に「要望」することは当たり前でも、その枠組みにとどまるならば、要望が実現されたら『ありがたく受けるだけ』の形に戻る事になる。だが、「私たちが望むのは、この子どもたちが『障がい』という理由だけで、みんなと同じように暮らせないのなら、『そこは変えていこう』」という主張は、その枠組み事態への捉えなおしといえる。就学前健康診断を受けない、というのと同じように、障害を理由に平等な暮らしが出来ない理由(=教育委員会による枠組み)自体に疑問を呈し、おかしければ変えていけばいい、というのである。しかも、理念や運動、理論が専攻したのではなく、「これって変」という当たり前の母親の感覚から、枠組み自体を鵜呑みにせずに捉えなおす営みが進んでいく。
この枠組みの捉えなおしは、たとえば江里さんが林間学校に行くときをめぐるエピソードにも現れている。
「学校との話し合いのなかで、親の私には否定的な発言に聞こえることもありました。たとえば『江里ちゃんは山登りは無理なんじゃないか』『鍾乳洞には入れない。別のプログラムを考えるのはどうか?』など。けれども、その一つひとつにどんな気持ちが含まれているのかに注目して聞いていくと、障がいのある人とともに学ぶ経験の少なさ、責任感や管理体制、不安感が先生方のなかにあってそれらの発言になっていることがわかりました。それならば、先生方がしり込みしてしまったり、無理だと思うことを超える具体的な提案をすればよいのだと思いました。」(p134)
私たちは何かを否定されたときに、「どうせ○○だから無理」「仕方ない」と諦めるか、「それはおかしい」「許されない」と批判や反発を強めるか、の二者択一に陥ることが多い。だが、その二者択一は、否定の根拠まで辿ることなく、表面的な「否定」への、表面的な対応になってしまうかもしれない。その際、否定の発言の背景にある、相手側の内在的論理へと思いをはせることがないから、感情的な反発・諦念に終始する。それをもう一皮めくって、否定の裏側にある気持ちに注目して聞いてみると、「障がいのある人とともに学ぶ経験の少なさ、責任感や管理体制、不安感」という背景要因、先生方の思いの本質にたどり着く。では、その本質を捉えなおすような「具体的な提案」をすることによって、表面上に現れる否定要件を覆すことができるのではないか。そこからエアタイヤで山登りが出来る車椅子を用いる、などの具体的な方策を用いることにより、親の付き添わない2泊3日の林間学校を実現させたのだ。そして、この両親の枠組みへの問い直しは、江里さんにも伝播する。それは林間学校の翌日のことだった。
「翌日は、代休。江里と二人で家でゆっくりしていると、江里の様子がおかしいのに気がつきました。いままでに見たこともないような顔をして、ずっと考えているようでした。二泊三日、初めて家族以外の人と過ごした強烈な林間学校での体験を整理していたのでししょう。夕方まで考え込んで、やっと整理がついたようです。(略)どんな障がいがあっても、体験や経験が人を成長させるのだと思えた瞬間でした。親や介助者の都合でそれらを決して奪ってはいけないと思えて瞬間でもありました。」(p139)
江里さんの中で感じた、強烈な林間学校での体験。家族といることが当たり前、それ以外の暮らしの経験がなかった江里さんにとっては、おそらく世界観の転換、というか、常識の意味づけそのもののコペルニクス的転換だったのではないか。重い障害があっても、体験や経験がもたらす内的世界の変容は、同じようにもたらされる。であれば、その機会を他者の「都合」で奪ってはいけない。教育や福祉の専門家、行政担当者は、自らの枠組みや都合に固執するあまり、「○○だから無理」とその体験や経験、変容可能性のチャンスを奪うことが少なくない。それは江里さんの成長可能性を奪うことに直結する。それだけはダメだ、という西田さんの思いは、後に彼女が事業所を立ち上げた後も、きっちりとした柱として提示される。
「相談者や支援者にありがちなのは、『私がつくった』『自分がやった』というような発想。『ぼくがこういうふうに療育したから、この人は問題行動がなくなった』『私の最新手技でリハビリしたから、こんなによくなった』・・・、たしかにそれはそうなのでしょう。けれどもそれを施した人だけのお手柄にはしてほしくないのです。コントロールするのは全部私たちで本人は受け身、という関係性になっていないか、そんなふうになりやすいということを理解しながらケアに臨んでほしいと思っています。そうしないと、うまくいけば『支援者のおかげ』で、そうでなければ『障がいのせい』という構図からは抜け出せません。私たちは”黒子役”。本人が主体的に生きていけることをサポートしたいと思っているのですから。」(p212-213)
“黒子役”と自称する専門家は多い。だが、その実態は「うまくいけば『支援者のおかげ』で、そうでなければ『障がいのせい』という構図」から抜け出していない支援者は、決して少なくない。権力の非対称性が多い支援現場では、支援者が支配的、ひどければ全能感に浸り、利用者をコントロールする場面も、僕自身も垣間見てきた。西田さんも、江里さんへの支援者の接し方をみながら、そういうことを痛感してきただろう。だが、この本に通低するのは、その「全能者と受身」の関係性は「おかしい」といい続ける西田さんのスタンスだ。あくまでも当事者が主体的に生きることをサポートするためには、支援者の支配的アイデンティティ強化の枠組みを捉えなおすことを、支援者自身が行わなければならない。僕はこんな風に感じた。
社会起業家は「生産様式の革新ないし革命化」をもたらすといっているのは、かのシュンペーターである。西田さんたちの浦安の取り組みも、障害者への慈善・恩恵的な支援(支配)のあり方を革新し、あくまでも当事者主体として支援体制を作ることによって、どんなに重い障害がある人でも、人間的成長や経験が出来るように支援すべきだ、という枠組み(=生産様式)の捉えなおしと、それを事業として成立させることではなかったか。
「ひとりから始まるみんなのこと」。このタイトルは、西田さんのミッションそのものであり、そのミッションに基づく社会変革をしてきた西田さんの歩みそのものだと、読了後に改めて実感していた。

「私ー表象の心」を超えた何かに出会うために

7月末の東京出張時、松丸本舗でなんとなく「感応」した一冊の本が、今日のキーブック。

「脳は『変わり続ける事象』を、『変わり続けるままに』把握することが苦手である。脳は、変わり続ける事象が、ある位相をとった形で停止させ、その静止形があたかもかわらずにいつまでも続いていて同一なままであるかのように、概念表象を作る。」(石田秀実『気のコスモロジー』岩波書店、p117)
福祉現場で生起するメゾレベルの事象、例えば組織内の構造的問題が支援内容に与える影響や、行政からコミュニティ組織への支援アプローチ、といった事象を追いかけていると、学会発表や論文として記述しようとする際に、呆然とする事がある。書いてみて、何だか現場で感じた実感と違うのだ。それは、もちろん僕の言語運用能力や観察力、抽象化力が弱いから、という僕の側の理由でもある。だが、東洋と西洋の視点の違いの根源を辿ろうとする石田氏の論考を読んでいて、根源的な(しかも言われてみたら当たり前の)ことに、改めて気づかされる。確かに脳は、流動変化する事象が「いつまでも続いていて同一なままであるかのように、概念表象を作る」のである。つまり、動き続ける自体を、ある時点で切り取ってみて、それをモデルなり形として示すのが、概念やシステム、制度などの言語で示される何か、なのである。ということは、書いてみた時点では、動きつつある組織や構造の、ある一瞬の点を、しかも言語化しやすい部分のみ部分的に、切り取ったものに過ぎず、十分に書き表せるはずがない。
「対象化した事物相互の間に、原因-結果の関係や、際限なく分けられる二分割過程、さらには事物をつらねる物語の網の目、といった関係性を設定しないと『分かったことにならない』と思ってしまうのは、『私-表象の心』のくせ、あるいは先天的病気なのかもしれない。たとえばある事物と事物の間に設定された一対一の因果関係や物語だけが、それらの事物を含むその場全体で働いている関係性なのかどうかは、私達人間には多分確かめる術がない。もちろん『確かめうるように準備・設定した人工世界(典型的には実験系)』の中でなら、その因果関係や物語を『確かめる』のは用意だ。けれども、それは等号で結ばれた数式のようなトートロジー(同義反復)の世界であるからだ。現実の自然世界には、こうしたトートロジー(確かめうるように設定しているので確かめられる関係)は設定されていない。にもかかわらず私達の『私-表象の心』は、そうして設定された因果関係や物語に深くうなずいて、『わかった』ことにしてしまうのだから。」(同上、p126)
自分自身も関わる福祉現場の事が、別の人の手によって論文化されたのを何度か読んだことがある。なるほど、そういう風に主題化・抽象化して議論を積み上げていくのだなぁ、と勉強になる。だが、物足りない事が多い。「それだけじゃない」と思ってしまう事も少なくない。確かに方法論や手続きは見事だし、有名な解釈理論や信頼できるフレームワークで切っているので、「わかりやすい」し、鮮やかに表現される。でも、その物語に還元されない何か、を、同じ現場から感じ取っている僕自身にとっては、何だかなぁ、と思うことも、少なからずあった。だが、それは無い物ねだりや負け惜しみのたぐいだと思っていたし、僕だって書いた論文に対して、現場の方から同じ事を感じられている可能性もあるだろうな、と想像も出来る。
ただ、何はともあれ、ある生起する現象や関係性を因果関係や物語として提示することは、筆者が言うように、トートロジーの世界に過ぎない可能性もある。方法論的にいくら武装しても、切り取った現実だけが、「それらの事物を含むその場全体で働いている関係性なのかどうかは、私達人間には多分確かめる術がない」からだ。フィールドノート、録音テープ、公式・非公式の文章やメモ・・・それらの類いをいくら集めてみても、そこから構築できるアクチュアリティは、あくまでも「人工世界」の一種に過ぎないのかもしれない。
では、どうすればいいのか? まず、不変的同一性という視点そのものを手放す必要がある、と筆者は指摘する。
「『部分の集合からなる全体』という世界像は、外部観測者の超越的な視座から捉えられた人工世界像である。自然世界の内部から観測する限り、全体はさまざまなレベルの小さな全体-言い換えれば変化流動し続けるさまざまなレベルの細部-によって重層的になりたっている。(略) 私達が言語表象化出来るのは、さまざまなレベルの小さな全体-変動し続ける細部-の変動に現れる同一性を帯びた位相的類同性だけである。この位相的類同性を指標に、私達はある細部をひとつの全体として感受し、言語表象化することができる。」(p323)
ある出来事とは別に、神の視点から、時間を止めて、静止形として不変的同一性や普遍的概念として現象を記述すること。これは「超越的な視座から捉えられた人工世界像」に過ぎない。そして、因果や物語で綴られたその人工世界像では、流動変化する全体像は決して伝わらない。であるからこそ、外から見ずに、まずはその変化流動する小さな全体を内部観測者として感じること。その上で変化流動性や全体の「位相的類同性」をとりあえず描くことが、求められる。そのときに鍵になるのは、「ある細部をひとつの全体として感受」する、という、この感受の部分である。
「ひとつなりの変化流動する全体のうちに内部観測者が位相的類同性を通して感受するこうした重層的で複雑な関係性を、中国の自然学は『感応』という言葉で捉えている。感応は、原因→結果という線的時間軸上の一方向的関係とは対照的な、つらなりあう場の同時共振を中心とする、多様な関係性である。位相的類同性において感受されるさまざまな細部(物や象として名付けられるもの)についても、一対一の関係に止まらず、一対多、多対多、複数間の往復や循環など、様々な関係性をとる感応がある。」(p320)
この本は決して簡単に理解できる本ではない。でも、このフレーズに出会った時、ずきっとしてしまった。そう、いつの間にか西洋的二元論、外部観測的因果論の呪縛に支配されていた僕は、気づけばこの「感応」の力に蓋をしていた、と。
実は、もうかれこれ8年も前になるが、ある福祉組織の構造的問題について、フィールドワークや全職員へのインタビュー調査に基づいて、報告書にまとめたことがある。一つの現場に半年間入り込んでまとめたのだが、幸か不幸か、この現場で見つけた構造的問題は、決して特殊的例外ではなかったようで、この報告書を読まれた別の福祉組織の方からその後コンサルテーションを依頼された、なんてこともあった。そういう意味では、この報告書を書いた時点では、人工世界の同一性ではなく、現場を内部観察する事によって得られた「位相的類同性」を感受し、ある程度言語表現として落とし込むことが出来たと思う。ある現場の構造として見えたことを抽出しているのだが、それが不変同一のものではなく、構造が変化する中で実態として立ち現れている「類同性」を捉えようとした、とでも言おうか。石田氏はそれをこう整理している。
「言葉は変わり続ける事物を不変同一の固定的な形式として表象する、という制約が破られれば、表象行為と変化し続ける事物の関係性が全く変わってくる。言葉によって指し示されている類同性は、『変化し続けている事物』の類同性だからだ。ある言葉Aは不変同一の形式を採っている。だがそのAという言葉によって指し示されているのは事物aそのものではなく、aが変化のうちに現している『類同性』なのである。(略)荀子の内部観測は、そのようにして変化する事物から類同性を甘受し、表象することで、自然世界の事物の変化したえざる不同一に移ろうとする形を、ありのままにとらえようとする。」(p283)
もちろん荀子のような世界観を書ききってはいない。だが、この論文を読まれた別の福祉法人の代表の方が「うちの法人の事が書かれているのかとぎくりとしました」と仰ってくださったことからしても、この論文を書いた時点で、変化流動するものの「位相的類同性」に近い何かをつかみ取ることが出来、それを言語表象することが出来たからこそ、その類同性に感応された方からの予期せぬ反応が返ってきたのだと、今にして思う。
僕はその現場に報告書を書いた後も定期的に通い続け、体系的なインタビューも二度ほど、追加して行った。だがそのアウトプットについては、現場職員の前での口頭報告は出来ても、論文なり報告書なりという形で活字化することは、ついぞ出来ていない。インタビューデータは活字化されたものの、分析の段階で中断していた。その当時、その分析の中断は、仕事の忙しさや、時間の足りなさ、余裕のなさ故、と諦めていた。
だが、今回この本を読みながら、強烈にその現場を巡る「書かれなかった何か」のことを思い出している。「書かれなかった」のではない。書くための方法論が定まってはいなかったのだ。
8年前、その報告書を書いたときには、内部観測に徹していた。また、その現場では、身体感覚や直観が重視される、非言語的なケアの現場であり、僕もその身体感覚の何かに感応した。組織の構造的問題についても、外部観測的な因果律や物語論ではなく、流動する一対多、多対多、あるいは循環する全体を何となく感応し、そこから感受される位相的類同性を言語表象できたが故に、他の現場にもアクセスしうる何か、として表象する事が可能になった。
しかし、その後は、現場に赴く回数が減り、あるいはその現場を「既知」なものとして捉えてしまったが故に、「見れども見えず、聴けども聞こえず」の状態にあったのではないか。虚心に身体的感覚を発揮させて位相的類同性を探すより、前回の報告書の延長性にある同一性、因果論に安直にすがろうとしていたのではないか。それでは、全くもって『変わり続けるままに』把握することを拒否していたのではないか。だからこそ、その現場の事を、何も書けなくなってしまったのではないか。
「中国の精神生理学では、『私-表象の心』が志向性を働かせなくなることは、すなわち『私-表象の心』が鎮まって働かなくなり、身体場の受容=行為する働きが顕在化する事態である。脳の知が鎮まって、身体の知の働きが顕らかとなるのだ。」(p266)
実は明日、久しぶりにその現場に行くことになっている。特に調査という訳ではなく、現状についての情報交換、くらいの感覚で行くつもりではいる。でも、思い起こせばこの数年、その現場に関わるときに「脳の知」に依拠しすぎてはいなかったか。小難しい本を読んで、「わかった」気になってはいなかったか。虚心坦懐にその現場の声に耳を傾けていたか。「私-表象の心」に支配されていたのではないか。だからこそ、久しぶりに現場に行くときには、まず「脳の知が鎮まる」ことが大切なのだ。「身体場の受容=行為する働きが顕在化」するように、モードを切り替えなければいけない。そう感じていた。
えっ、なに? この文章自体の内容そのものも、「脳の知が鎮まって」いない証拠ではないか、ですって? だからこそ、まずブログで鎮めているのであります。はい。

ゼミ合宿に馴染んできた

7月はずっと連作を書いてきたが、今日は通常モードのブログ。

先週末、清里のペンションでゼミ合宿に出かけた。
ゼミを担当して7年になるが、ゼミ合宿を始めたのは、ここ5年くらいだろうか。
うちの大学の先生方、特に若手の先生方は、ゼミ合宿をされるケースが多い。ご自身も学部や大学院でそういう経験をされているから、なじみがあったのだろう。でも、僕は学部生の時には指導教官のご自宅で指導を受けることはあっても、ゼミという経験はなかった。院生も、ほぼ師匠と1:1であった。ゼミ自体は、自分が個人指導を受けたことを集団に切り替えたら、何とかイメージが出来た。でも、ゼミ合宿は、やりながら考えていく、という感じだったと思う。そして、今年の合宿のあたりで、何の意味でやっているか、が、ようやく体得された。
僕のゼミの合宿は、結構ハードにやる。お昼過ぎに現地について、午後は1時から6時前まで、みっちり4年生の発表と議論。その後、バーベキュー&飲み会をして、学生さんは遅くまで起きているが、翌朝は9時から13時前まで、またみっちり4年+3年生の発表と議論、というハードスケジュール。ゼミ生一人一人の発表と議論に平均1時間程度使うので、かなりの集中度と濃度になる。終わった頃には、学生達は「限界まで頭を使った」と口々に言う。
だが、そういう儀式が、学生さん達のブレークスルーに繋がる。
大学の研究室という日常から切り離される。涼しくて空気も良い、鳥のさえずりも聞こえる八ヶ岳のペンションの音楽堂、という落ち着いた空間。普段なら時計を気にして議論を「巻く」時もあるけれど、たっぷりと一人一人の発表や質問に時間をかけられる。三食を共にし、携帯もほぼ圏外なので、直接のコミュニケーションも深まる。同じご飯を食べ、同じお酒を飲み、同じ部屋で笑い合い、しゃべり続ける・・・。
そういう親密な空間と時間の中で、学生達の発表の質も、そして質疑応答の質も、断然バージョンアップしてくるのだ。これが不思議と。
また不思議、といえば、私の成熟度や興味関心と、学生のそれが、見事に同期している。
変な話だが、指導者である私が幼い、堅いと、ゼミ生の指導も幼い、堅いものになってしまう。多分就任時数年は、今より時間をかけて取り組んでいたが、多分その指導のやり方は幼さと堅さが残っていたと思う。一方、ここ数年はめちゃくちゃ忙しいので、合宿のような濃密な時間を作らないと、以前と同じレベルでの学生さんとの交流が出来ない、という物理的時間のなさが先行する。だが、以前より少しは柔らかく、のびのびと指導が出来るようになってきたので、ゼミ生達も、短期間でめきめき集中していく。このあたりは、指導される側より、指導する側の教育的力量の問題がかなり大きいのだな、と実感するところだ。
さらに言えば、これまでの連作で現象学的考察について取り組んできたが、教員がそれに関心があると、学生にも伝播するようだ。ゼミ生のKくんは、「生きづらさに関する現象学的考察」の発表。手品好きのKくんは、ミスディレクションを例に挙げながら、現象学的還元について考察する。「生きづらさ」の諸課題を、仕方ない、と感じてしまうことは、中心対象への居着きではないか。そうではない可能性としての背景野がある、と考えられないか。そして、背景野があるのに、そこにピントを合わせられず、今の「生きづらさ」に拘束されてしまうことは、手品のミスディレクションと同じで、錯覚を利用して魔術に引っかかるのと同じではないか。
竹田青嗣の 『現象学は《思考の原理》である』と一生懸命格闘しながら、上記のように整理していくKくんの姿は、そのまま自分自身と重なる。この本を紹介したのも自分だし、また現象学的還元について、ゼミで「目の前の課題」と「暗黙の前提」という整理でお話しした。それを受けて、自分なりに本と格闘し、ミスディレクションのような自分にわかる概念に引きつけて、考えを整理して、自分の卒論テーマである「生きづらさ」の議論に取り入れようという貪欲さ。いやはや、僕が20そこそこの時に、そこまで出来ませんでした。私の成熟度より、ゼミ生のそれの方が、むしろ高いかもしれない。
そして、驚きながらも実感したのが、そのKくんの抽象度の高い議論を、ゼミ生達は何とか理解しているのである。たぶん大学のざわついた、時間限定的空間なら無理だっただろうが、ゼミ合宿の親密な雰囲気の中では、わからないことも何となくわかってしまう、そういうquantum leapの空間になっていたのだ。なるほど、こういうブレークスルーがあるから、ゼミ合宿が大事なのですね。5年くらいゼミ合宿を主催してきて、最近その意義がようやく身体に馴染んできた。

存在論的裂け目と枠組み外し (連作 その9)

これまで外伝も含めて9回ほど、枠組み外しの旅について、書き続けてきた。体重変容という身体的変化から始まり、福祉現場、教育、そして研究における「枠組み」への問いを書き記してきた。そして、ポスト311の局面の中で、その「枠組み外し」は、私自身の実存にも向けられていた。3月26日のブログを、少し長くなるが、引用してみたい。

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ポスト311の、何も手に付かない日々の中で、ふと手にした一冊に、その内在的変容のフックになる一節が書かれていた。
「われわれはみな個人的体験から、世界のなかでのみ、世界を通してのみ、われわれがわれわれ自身になりうるのだということを知っており、また、われわれがなくとも<世界自体>は存続するであろうが、<われわれの世界>はわれわれの死とともに消滅してしまうことを知っている。」(R.D.レイン『引き裂かれた自己』みすず書房、p18)
僕は、この一節に強い既視感を感じた。レインの著作は初めて読むが、この一節は、大学生の頃からずっと感じていたことでもある。きっと池田晶子の著作などを通じて、同様のフレーズに出会っていたのだろうと思う。
由来はこの際、どうでもいい。肝心なのは、今、このフレーズに強い共感を感じるのはなぜか、という点だ。今回のカタストロフィに際して、己の自己も「引き裂かれ」たような衝撃を受けた。ネットやツイッター、テレビなどでの情報の氾濫の渦に呑み込まれ、思考が停止し、「被災地に比べて自分は・・・」と比較不能な事で落ち込み、沈んでいた。ブログの文章を書きながら、頭の中でいくら冷静さを鼓舞しても、圧倒的現実を前に文字通り「身がすくみ」、頭よりも心がショートしていた。その2週間あまりの中から立ち直り始めた時、出発点として偶然(という名のご縁で)手に取ったレインのフレーズに、今、だからこそ、強い共感を覚える。20代から僕の中にあった言葉で置き換えてみたら、こういうことになる。
「僕をめぐる世界は、僕がいなくなれば、オシマイである。」
一見すると刹那的に見えるかもしれない。だが、それはレインの次の一節を補助線に引くと、違う様相を帯びてくる。
レインは、実存主義的精神医学の騎手であり、反精神医学のカテゴリーの中にも入れられている、精神科医である。生物学的な精神医学が隆盛になり始めた1960年代にあって、精神病者の実存に寄り添う形で、狂気を作り出すこの社会の問題性を鋭く指摘した。その意味で、同時代のフーコーと共に、精神医学の権力性・暴力性の問題を焙り出した先駆者でもある。そのレインの28歳の処女作の中に、ポスト311の僕自身の実存と触れあう箇所があるのだ。少し難しい言い方だが、そのまま引用してみよう。
「自己の存在がこの一次的経験的意味で安定している人間では、他者とのかかわりは潜在的には充足したものであるが、存在論的に不安定な人間は、自己を充足させるよりも保持することに精いっぱいなのである。日常的な生活環境さえが、彼の安定度の低い閾値をおびやかすのである。一次的存在論的安定が達成されておれば、日常生活環境が自己の存在に対する絶えざる脅威となるようなことはない。生きることについてのこのような基礎が達成されない場合には、ありふれた日常的環境でも持続的な致命的脅威となるのである。」(同上、p52)
ポスト311の局面で生じているのは、「一次的存在論的安定」への大きな裂け目、亀裂である。地震と津波と原発事故のトリプルショックで露わになったのは、2万人をはるかに越える人々の死であり、生き残った多くの人々の存在論的な安定を衝撃的に奪ったということであり、直接的な被災地だけでなく、放射能汚染の影響もあり、東京も始め、広範囲な地域において「存在論的に不安定」な状態が生まれてしまった。大量生産・大量消費型社会の宿痾のようなものや、蓋をして見なかった事にしていた日本社会の歪みやひずみが、一気に奔流のように表面化してきたとも言える。某知事のように「天罰」と他責的に言い放つ不遜さには全く同感出来ない一方、ポスト311に生じたこの「存在論的な不安定」について、他者の責任ではなく、私自身の本質(=一次的なもの)における「存在論的裂け目」と、個人としては感じざるを得ない。他者への罰、ではなく、私自身への存在論的問いかけに感じてしまうのである。
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この「存在論的な不安定」を、私は無意識的に「存在論的裂け目」と感じ取っていた。そして、ポスト311における「存在論的裂け目」を通じて垣間見た、「一時的経験的安定」の脆弱な基盤という現実。その現実に向き合った時、文字通り、「裂け目」と向き合った時、あの旅の始まりである体重変容のプロセスと同じような、ある強固な枠組みが外れていく感覚を持っていた。そして、それはどうやら「現象学」と名付けられた領域で考えられてきた事に、大きく繋がっている、ということが、後付け的にわかってきた。
「哲学者というものは単に存在しようと望むだけではなく、おのれのなすことを理解しながら存在しようと望むわけですが、ただそれだけのためにも、哲学者は、その生活の事実的与件のうちにひとりでに含まれている全ての断定を一旦停止しなければなりません。しかし、さまざまな断定を停止するということはそうした断定の存することを否定することではありませんし、ましてやわれわれを物理的・社会的・文化的世界に結びつけている鎖を否認することではなく、逆にそうした結びつきを見ること、意識することです。これが『現象学的還元』というものであり、そしてその現象学的還元だけが、そうした絶えざる暗黙の断定、各瞬間のわれわれの思考の裏に隠れている『世界の定立』を露呈してくれるのです。」(メルロ=ポンティ「人間の科学と現象学」『眼と精神』みすず書房、p17)
意識的にこの「断定」を停止することは、哲学者ではない小市民のタケバタにとっては容易ではない。だが、食べ過ぎが食毒であること、胃薬を飲むことによって食べ過ぎサイクルから抜け出せなくなっていること、に気づいたということは、タケバタが物理的・社会的・文化的な「食べ過ぎ」世界に結びつけられている「鎖」(=断定)の「結びつきを見ること、意識すること」であった。それを「現象学的還元」と言われてみるなら、なるほど、確かに私自身の枠組み外しの旅は、ある意味、現象学的還元の旅でもありうる。自分がどのような思考様式に無意識に陥っているのか、どのパターンから抜け出せないのか、その様式やパターンがどう呪縛的に、植民地化的に、己の魂を既存し続けてきたのか。それらを、「断定を停止」し、ぼんやり眺め、その総体の「結びつきを見ること、意識すること」ができはじめると、自身の断定が、自分自身の行動や思考そのものの最大のリミッター(=制約)になっていることにも、気づいてきた。凡庸な結論だが、自分の視野や可能世界を限定づけているのは、自分自身、と痛切に感じるようになってきた。そして、ポスト311の局面で僕が垣間見たのも、実はこの「現象学的還元」と大いに関係していることが、わかってきた。
メルロ=ポンティは「現象学的還元」について、「われわれの思考とわれわれの個性的な物理的・社会的状況とのあいだの、生によって設定された裂け目」(p18)である、という。確かに意識的に反省する事によって「裂け目」を見る、ということでは、「生によって設定された裂け目」である、と言える。だが、ポスト311の存在論的不安定の状態の中で私が垣間見たのは、「存在論的裂け目」であった。これは、「生によって設定された」(=つまり自分自身で意識的に設定した)裂け目では無く、外発的事象がもたらした、自然というより大いなる「生によって設定された裂け目」とは言えまいか。意図的・意識的に反省せずとも、圧倒的な地震や津波、原発災害というリアリティが、日本社会の存在そのものに大いなる「裂け目」を産み出し、これまでの自明性を揺さぶっている、とはいえまいか。
現代の日本社会で、「一次的経験的意味で安定している」状態で生きてきた私にとって、これまで「絶えざる暗黙の断定、各瞬間のわれわれの思考の裏に隠れている『世界の定立』」を見ることは無かった。メルロ=ポンティの本の訳注では「世界の定立」の部分で、「これこそがもっとも根源的・包括的な先入見」(p309)であると言っているが、その自明性について、疑うこと無く、それをよりどころにしてきた自分を、震災の後、発見した。つまり、震災というとてつもない現実が、「『世界の定立』を露呈」させたのである。官僚性機能の限界や逆機能、原発対応を巡る失態の数々、放射能漏れという「想定外」の現実に対応しきれないマニュアル・・・このような出来事一つ一つが、日本社会の暗黙の前提とした『世界の定立』そのものを、限界的状況として浮き上がらせているのではないか。こう感じてしまうのである。
では、この事態にどう対応すべきか。社会変革全体の処方箋を書くには荷が重すぎるが、自分自身の対処としては、方針は定まり始めている。それは、「脱植民地化した別の視点を持つ」ということである。確かに「現象学的還元」を続けていくこと、断定をせずにその断定を眺めていくことは、「ありふれた日常的環境でも持続的な致命的脅威」になりかねない。だから、ある程度は日常性を信じて疑わない方が楽だ。しかし、そこにこそ、「世界の定立」(=呪縛の枠組み)そのものに無条件的、無批判的に強固なものにする手助けに、結果的に繋がっているのではないか。
ゆえに出来る事は、その枠組みそのものを眺めること、それもメルロ=ポンティが言うように、「われわれを物理的・社会的・文化的世界に結びつけている鎖を否認することではなく、逆にそうした結びつきを見ること、意識すること」であろう。原爆から原発へとどう「鎖」が「結びつき」を強めてきたのか。政治家と官僚の構造とはどう結びついているか。中央集権的システムから地方分権に移行できなかった日本に、どのような構造的制約があるのか。そのしわ寄せとして、福祉現場で、もっとも権力の非対称性の枠組みの中から抜け出せない人々は、結果的にどのような処遇を強いられているのか。私自身が見てきた福祉現場のミクロな現実にも、日本社会のマクロな総体、つまり『世界の定立』にある呪縛作用が現れている。その枠組みを外してみる、「現象学的還元」をする、以前のブログの整理で言うと、「福祉現場の構造に関する現象学的考察」を続けることによって、何らかのブレークスルーが見いだせるのではないか。そう、感じている。

「心的現実」と枠組み外し (連作 外伝)

僕自身の思いも寄らない体重の10キロ減少と、その時期からシンクロニシティ的に生起し続けた、様々な「呪縛からの解放」のエピソード。魂の脱植民地化、という概念との出会いや、それによって明確になった宿命論的呪縛からの解放という、自らの生き方そのもののテーマ。そういう事を連作的に綴ってきた時に、まさにドンピシャ、の二冊と出会ってしまった。今日は自分のストーリーの記述、という正伝!?は脇に置いておいて、二冊の本から考えさせられた「外伝」を記したいと思う。

その二冊は田口ランディさんの『マアジナル』(角川書店)と『アルカナシカ』(角川学芸出版)。ともにUFOを主題にした小説とノンフィクション。前者は現実に近い何かを虚構の枠組みの中に示しているのに対して、後者は「トンデも話」と思われる世界をノンフィクションで描く陰陽図。二冊で一つ、の世界観、である。この二冊を読む前に偶然手にしたダ・ヴィンチの、小説『マアジナル』に関するインタビュー記事で、著者はこんな風に書いていた。
「実は今回、同じテーマを扱ったノンフィクションを同時期に出版する予定になっています。こちらのほうはもう少しわかりやすい構成になっていますので、この小説を読んで、あまりにもわけがわからないと思う人は、そちらを解説書として合わせて読んでいただくといいと思います。そうすれば、多少は途方にくれなくて済むかもしれません(笑)」(ダ・ヴィンチ 7月号 p45)
この週末に二冊とも読み終えた僕の実感は、著者の発言とは全く逆だった。
確かに『マアジナル』は、UFOとの遭遇や様々な現実と異界との境界(マアジナル)な話が出てきて、しかも各章が別の登場人物の声に基づく「多声的ストーリー展開」ゆえ、どこに持って行かれるかわからない不確かさと、その内容の迫真性故の鳥肌感、ドライブ感がある。だが、それでも「フィクション」という枠組みの中に収まっていて、「これは物語だから」というコード内での進行なので、すっと入ってくる。むしろ、『アルカナシカ』というノンフィクションの方が、一般の読者には拒否的反応を示す人が多いのではないか。それは、『マアジナル』の中では、あくまでも登場人物の「心的現実」を、そのものとして物語化していく展開ですんだが、一方の『アルカナシカ』は、UFOや神秘体験などの「心的現実」と、著者を含めた「それを感じられない私たち」を対置させて進めていく。一見わかりやすい構成のように見えるが、著者自身の「心的現実」自体が変容していく過程に、常識や客観という枠組みに固着している人は、途中でついて行けなくなるのでは無いか、と。むしろ、『アルカナシカ』の方が、「途方に暮れる」読者が出てくるのでは無いか、と。まあ、それも織り込み済みでの上記の発言なのかもしれないが。
なぜそう思ったのか。そして僕自身の経験とこの二冊がどう結びついているのか。以下ではそれを書いてみたいのだが、小説の種明かしになってしまうのは一番興ざめなので、以下は『アルカナシカ』だけを題材に取り上げてみたい。
このノンフィクションで、今の時期の僕と感応したのは、繰り返し出てくる次のような主旋律である。
「自分の頭脳が理解できないことに関して、中学生もマスコミも知識人も、ほとんど同じであるということだろう。つまり『思考停止』である。(略) なぜこんなにも『意識の理解を超えたこと』に対して無策なのだ。」(p29-30)
「凄まじいまでにリアルなUFOや宇宙人と遭遇しても、たかがUFOでは、多くの目撃者はその行動様式を変更しません。生々しいまでの体験談と、彼らの思考様式の変化のなさのギャップが不思議な気がします。いったい体験とは何でしょうか。人間はやはりカントの言うように認識できるものしか認識できない。知らないものは認識できないのでしょうか。もしかしたら、まったく別の現象を、それを認識できないがために既成の概念を当てはめて認識しているだけなのでしょうか。だとすれば、私たちは新しい認識をどのように手に入れることができるのでしょう。そうやって、コペルニクス的転回をしたらいいんでしょうか。」(p56-57)
「私は自分が『感覚によって呪縛された奴隷』であることを、あの夜にはっきりと認識するに至った。私は支配されている。私は実はもっと自由なのだ。人は意識によって構造化されていないものを認識するのは困難である。だが、困難であるということに気づくべきだと思った。私たちは意識によって構造化されたものだけを認識し、その小さな箱庭で生きているのだ・・・ということに。」(p76)
UFOや神秘体験、オカルト現象などの大半は、科学的に証明できないけれど、その体験者の中では大きな「心的事実」として経験されたものである。それを二元論的に「ある/ない」で切り分けると、「そんなものは、ない」という一言で終わってしまう。これはデカルト的心身二元論の世界では扱いきれない領域である。それであるが故に、組織的に科学の世界からはネグレクトされてきた。以前のブログでも触れた『デカルトからベイドソンへ』を著したバーマンは、そのプロセスを「世界の脱魔術化」と名指した。その上で、ベイドソン的世界観や非線形の科学が焦点化しつつあるのは、「脱魔術化」された科学主義・論理実証主義に基づく計画制御でははみ出してしまう、しかし現実社会ではネグレクトすることの出来ない叡智であり、バーマンはその世界を「再魔術化」と呼んだのである。
ここで「再魔術化」について考え出すと大いに脱線して戻ってこれなくなるので、あくまでも『アルカナシカ』の問いかけるものとの関連性の範囲内でのみ議論をするのだが、田口ランディ氏の二冊の本が問いかけるのは、「脱魔術化」して追い出さされてしまった「何か」と、それを「心的現実」として感応する人々、その一方で「脱魔術化」体系を信じ切っていて、それ以外のものを一切ネグレクトしてしまう私たち、その境界(=マアジナル)を「ない」の一言で終わらせ(=思考停止させ)ていいのか、という問いである。UFOへの遭遇を「心的現実」として経験した人でさえ、脱魔術化の強固な枠組みへの疑いを無意識的に忌避し、「新しい認識」を拒否して、「思考様式の変化のなさ」(=信じているパラダイムへの強固な服従)自体を疑おうとしない。それは、「意識によって構造化されたものだけを認識し、その小さな箱庭で生きているのだ」というパラダイムや認識の境界(=マアジナル)自体を認識・意識する事への忌避でもある。以前ブログで触れたフレイレの言葉に戻るのなら、「宿命論的呪縛」の檻の中にいて、その檻を所与の現実だと思い、その檻そのものが自分の認知枠組みのリミッターである、ということに対して意識化されない、ということでもる。もっと言うなら、「脱魔術化」というのも、科学崇拝という一つの「魔術」である、という相対的な視点に立つ事への忌避でもある。
そう思うと、佐藤優氏が、「国家と神とマルクス」(角川文庫)の中で言っていたフレーズとも、大きく繋がってくる。
「絶対的なものはある。ただし、それは複数ある。」
19世紀から20世紀にかけての「脱魔術化」した世界において、産業革命から工業化社会に向けたブレークスルーを先導してきたのは、「脱魔術化」の中での規格化・標準化・画一化の流れであった。その中で、大量消費に耐えうる大量生産型ベルトコンベアシステムが確立された。標準化された医療は、誰でも一定のスキルを持てばある程度の病気は治せる、という意味で、かなりの修行やカリスマ的素質がないとなれないシャーマンを凌駕していた。ある時期までは。だが、20世紀後半の「脱工業化社会」の流れの中で、「脱魔術化」的な単純化・一元化では対処できない局所的な問題が起こり続けた。阪神淡路大震災、サリン事件、911同時多発テロ、イラン・アフガン攻撃、リーマンショック、東日本大震災・・・どれをとっても計画制御の範囲外にある、「想定外」の出来事だった。そういう想定外の事態の数々を前にして、「意識によって構造化された」「小さな箱庭」の中で安住していていいのか、という疑いが、そこかしこで起こっている。手触り感と安心感がある「小さな箱庭」。その内部にいて、「想定内」とか「想定外」とか、「今のところ安全性に問題は無い」という言説をを振りまきながら、様々な見え隠れする「箱庭」の外を、「みなかったことにする」日々を続けていていいのか。それより、脱魔術化を一つの枠組み(=限界、箱庭)であるとハッキリ認識し、その外に拡がる世界をも、認識の対象にして考えることこそ、本当の意味での合理的な生き方ではないか。合理的の理を、科学的客観性という「理」に限定していいのか。
断っておくが、田口ランディ氏はここまでは言っていない。上記はあくまでも、著者に触発された僕自身の「妄想」であり、「暴走」である。だが、ちょうど去年から今年にかけて、自らの認識の「小さな箱庭」の構造を客観的に眺める機会が与えられ、世界に関する手触り感そのもの、心的現実そのものが、少しずつ変容し始めている。その中にあって、『マアジナル』『アルカナシカ』の世界は、「それも、アリ、か」と思っている自分がいる。だから、研究者としての合理性や論理実証主義まで捨て去ろう、としてはいない。ただ、田口ランディ氏の次のアプローチに、すごく親近感を持っている自分が居る。
「体験を体験として伝えるためには、体験の上に薄紙をおいて、それを木炭でなぞって凸凹を浮かび上がらせるような作業が必要だ。体験そのものの輪郭を別の媒体を使って確認しなければ、他者の体験をなぞることは難しい。ではその薄紙とは何か。たぶん、私だろう。田口ランディという存在を他者の体験の上に置いて凸凹を浮かび上がらせるプロセス・・・。私にとって、それが書くという行為にほかならない。」(p158)
 
田口ランディという人は、様々な人との出会いの可能性に開かれている人である。肩書きや他者評価で無く、自分の腹の底で信じられる人か、という内的な基準で、様々な人々とつながり、関わっていく。その関わりの中から、彼女でしか見いだせない独特の「筋目」を見つけ出し、薄紙として、それを織り込みながら、作品として仕上げていく。
 
僕自身が様々な福祉現場に通いながら、へたくそだけれど、試み続けているプロセスも、薄紙という触媒としての、書くという関わりだったのだ、と、遡及的に思い始めている。

正解幻想からの枠組み外し (連作その8)

枠組み外しの旅は、少しずつ、福祉現場のことから、日本社会の構造にまで対象が伸びてきてしまった。自分の手触り感のないマクロな話をするのは、正直得意ではないが、これまで目の前の現実から立ち上げてきた感覚の延長線上で、少し、大きな地図の中での位置づけをしてみたい。

今日のフックは茂木健一郎氏のツイッターから。
茂木健一郎
けて(5)教科書「検定」の世界観が根本的に間違っているのは、この世に「正解」があって、読むべき「情報」の「集合」があると思っているところ。実際には、ネットの上にあふれている情報を見ればわかるように、玉石混淆。問題は、その中から、何が有益な情報か、判断する能力。
kenichiromogi via web 011/07/16  14:21:03
教育現場のフロントラインに立つ人間の一人として、茂木氏の言わんとすることがよくわかる。大学生と接していて大変なのは、彼らは教科書的な知識を「正解」として受け止めている、という点である。しかも唯一の正しい解としての「正解」。私がやっている講義は、数学ではないし、法律用語の暗記科目でもない。地域福祉やボランティア・NPO論などの課題に関しても、学生たちは同じ「かまえ」で講義に臨む。そして、その「かまえ」自体が、すでに宿命論的に位置づけられている。「おぼえなきゃ、しかたないんでしょ?」と。
僕の授業は、いつも徹底的に学生たちを当てまくり、「なぜ?」「なぜ?」と問いまくる。どの授業でも、最初はすごく学生たちからいやがられるが、次のように彼ら彼女らに語りかけながら、当て続ける。
「皆さんは高校生までに、センター試験に代表されるような答えを一つに確定できる正解を求める練習ばかりしてきた。だから、僕の『なぜ?』という問いかけにかんしても、『正解』を出さなきゃ、という恐怖感と、それがわからない不安などでいっぱいなのだろう。もしかしたら、皆さんの中には『(先生が求める)正しい唯一の答え』が言えずに恥をかいた記憶があり、以来発表には苦手意識を持っている人も居るかもしれない。だが、福祉的課題に唯一の正解はない。だからこそ、自分が考える『こうだ』と思うことや、その根拠も、多種多様のはずだ。それを遠慮せずに言ってほしい。どんな荒唐無稽に見えることでも、僕は否定はしない。そこから一緒に考えよう。」
年長の読者の方なら、「そこまで言わないと意見が出ないのか?」と疑いの目をもたれるかもしれない。だが、フロントラインの立場からすると、「そこまで言っても、今の学生はなかなか自分の意見を言ってくれない」のが事実である。その理由は、表題にあるような「正解幻想」に縛られているから。学校が嫌いであっても、その学校が打ち出す強烈な価値に反発できないで制度内馴化されていく学生たちは、自ずと正解幻想という枠組みの中で思考するようになる。
その事に関連して、内田樹氏は今日のブログで、「マルクスを読み、マルクスの教えを実践しようとすることは、近現代の日本に限っていえば、「子どもが大人になる」イニシエーションとして、もっとも成功したものでした」と述べている。昔なら、教科書的・制度的智に対して、マルクス主義という強烈なアンチテーゼが機能していたので、マルクスというイニシエーションを経ることによって、唯一の正解に縛られない、複眼的視点で物事を眺める、というのが、70年代までに青春を過ごした日本の若者たちには比較的容易にできた。だが、資本主義社会や日本の法制度システムのアンチテーゼとしてのマルクスという指針を失った時、内田氏は「目に見えて「大人」の数が減少した」という。僕なりに再解釈すると、「唯一の正解という幻想」の枠組みを外れ、必要とされる解決方法の選択肢はいくつものオプションがありうる、という視点で物事を考える『大人』の数が減ったのだ。
これは、大学生に限ったことではない。福祉現場でも、「正解幻想」は跋扈している。
私は障害者福祉政策に関して、県や市町村などのアドバイザーとしての役割を求められることは少なくない。その時にも痛感するのは、行政や事業所の職員が、私に「正解」を訊ねてくるのだ。 「これはどうしたらよいのでしょうか?」と。もちろん、僕は障害者福祉のオーソリティではないし、「正解」なんて浮かぶはずもないから、問われたら大概、突き返すことにしている。
その地域の課題は、僕はよく知りません、と。全体的な国の政策の流れ、障害者福祉の理念の変遷は、伝えられる。あるいは、大きな方向性については、見通しもある。でも、その地域の課題を解決する仕組みづくりを、実際に現場で立ち上げていくために、「これをすれば正解」という処方箋があるわけがない。だから、一緒に考えませんか? と。
当事者や官民にどんな役者がそろっていて、社会資源も含めたどんな舞台配置があるのか、人口規模はどれだけか、政治家にやる気があるか、過去どういう経緯と歴史をたどったか、といったその土地のローカルな文脈に沿わないと、絶対にうまくいかない。そして、これは普遍的で規範化できる唯一の「正解」ではなく、その地域のローカルノレッジを活かした形での成功作でしかない。このことを、防災教育についての議論の場面で、次のように整理されている。
「どのような現場でも、また、いつの時点でも普遍的に妥当する真理(「正解」)を研究者が同定することが目標とされているわけではなく、特定の現場において当面成立可能で受容可能な解―「成解」―を得ることが目標とされている」「『成解』は、『正解』とは異なり、ユニバーサル(普遍)ではなく、常に、空間限定的であり、かつ時間限定的な性質を持つ。」(矢守克也『j防災人間科学』東京大学出版会、p32)
「正解」と対置した「成解」概念。ローカルな文脈という空間限定・依存的で、かつその時に求められるという時間限定的な制約を持つ。だが、その中で「当面成立可能で受容可能」で、その現場を変えうる力を持つ「解」としての「成解」。福祉現場で求められる知は、この意味での「成解」ばかりである。教科書的知識や専門職の思い込み・押しつけを外在的に押し付けた「正解」では、現場が大混乱する可能性は高いが、そのメガネですっきり課題が解決する可能性は、まずない。それほど、対人直接支援の課題は、文脈依存的なのである。
にもかかわらず、日本ではシステム自体が「正解幻想」に縛られている、ということも、福祉現場のアドバイザーやコンサルタントの実践を通じて、感じ続けてきた。何か新しいことをしようとすると、「前例がない」「法律で求められていない」「国がモデルややり方を示していない」「予算がない」「人手がいない」といった「○○がない」という「出来ない言い訳」がオンパレードとなる。それは、やるからにはちゃんと「正解」を導かねばならない、という強迫観念の裏返し、とは言えないか。法律に書いてあったり、前例があったら、「正解」は真似すればできるのだから、何とかできる。あるいは、法律や前例にないことでも、ちゃんと考えてくれる人手や丸投げするお金があったら、何とかなるかもしれない。でも、ジェネラリストの自分たちが専門的な、しかもまだ見ぬ何かを新たに作り出せ、と言われても、模範解答もないのにできっこない。これが、おおむね浮かびそうな理由である。
だが、これはあくまでも、昨年のやり方を踏襲することが前提になった、平時の思考方法ではないか。ポスト311の局面で特に強く意識されたのは、「正解」が「想定内」である場合に実に機能する官僚システムが、「正解」の「想定外」の事態に陥った時に、その現場のその時点での問題を解決する最適解である「成解」を求めて立場と役割を柔軟に変えることが、実に難しかった、という事実である。人手も物資も情報もすべてが圧倒的に足りない避難所、原発事故現場、役場・・・などで、「正解」にしがみついていても、何も動けない。確かに法律やシステムを無視する振る舞いは問題であっても、それはそれとして、ブリコラージュ的に、持ち合わせの何かで、とりあえずその場をしのぎながら、最悪の事態を防ぎながら、別の文脈を作り直していくしかない。
そう考えたら、重度の障害のある人を支える福祉現場は、常に「想定外」な有事の局面であり続けている、ともいえる。圧倒的にヘルパーや医療的ケアの支援者が足りない。障害者が一人で暮らせる住宅が少ない、行政の予算も理解も少ない、地域で応援してくれる人も少ない・・・そういう圧倒的な「マイナスカードの連続」の中で、でも入所施設や精神病院で単に安心・安全を護られるだけの暮らしより、地域で自分らしく暮らしたいという事を思い続けてきた重度の障害当事者や支援者たちが、その地域の行政や支援者たちと作り上げてきた仕組みは、まさにそのローカルな文脈に依存した「成解」であった。ただ、そのローカルな「成解」の積み重ねは、他地域での共感を呼び、一定の普遍性の担保するようになると、ボトムアップ的に「正解」になりうる。たとえば、富山の看護師の惣万さんが始めた時には「脱法行為」とまで言われた宅老所が、各地に伝播する中で、「小規模多機能ケア」という形で介護保険制度の中に組み込まれたのは、局所的な「成解」のユニバーサルな「正解」への昇華だった。
この昇華のプロセスの興味深いのは、あくまでも当事者の声に基づく仕組みづくりというボトムアップ性にある。きっと理念先行型のトップダウン型であれば、うまくいかなかっただろう。対人直接支援という福祉政策の領域では、何らかのブレークスルーは、常に局所的現場の実践解という「成解」の中に、そのヒントが隠されている。そして、それを帰納的に普遍化し、新たな制度やシステムとして「正解」として形作り、現場に演繹的に投げ返す。それを運用する中で、やがて出てきた新たな問題が「成解」という形で乗り越えられ、それがまた帰納的にフィードバックされ、新たな「正解」を生み出し、という好循環のフィードバックを繰り返していく。このダイナミズムをせき止めず、うまく流れるように局所的な部分を観察する。この「成解」と「正解」の弁証法的両立と統御が求められている。だが、それは言うは易し、というのが現実である。
今の官僚システムを外から見ていて、もったいないな、と思うのも、このプロセスからの疎外、である。中央集権的システムは「正解」を演繹的に確実に地方に伝えることで、全国一律の底上げを図ってきた。これは、システム創設期から安定期に至るまでは、非常に大切な循環である。今のアフガニスタンやイラク、スーダンなどでは、この演繹的システムがないがゆえに、国としての機能が維持できるか、の瀬戸際である、という。だが、いったん安定した仕組みは、やがて周縁から問題が噴出してくる。その時、現場のローカルな知を結集した形での「成解」を生み出し、そのエッセンスを抽出する中で、現場初のボトムアップ型の「成解」を「正解」のオルタナティブや修正版という形でフィードバックさせる。そして、それを再びトップダウン的に地方の現場に差し戻す。この循環がなく、責任の丸投げとしての地方分権という分化と、予算面での中央集権の独占維持が両立していることが、システム弊害に大きな影響を与えてはいないか。「正解」と「成解」がお互いにフィードバックして好循環していく仕掛けや仕組みがなく、「正解」の鵜呑みや押しつけに終始しているところに、今のジェネラリスト志向的官僚システムの、最大の劣化や限界が来てはいないか。そして、それが教科書検定という形や、学生の「なぜ?」という疑問への畏怖という形で、前景化しているのではないか。
「正解」がいらない、とは言っていない。法や制度という寄って立つルールや規範としての「正解」は必要だ。だが、普遍のカバーできる範囲には一定の限界があり、今、多くの現場の最前線で、その限界が臨界期を迎えている。その際、「正解」への自己呪縛から脱し、「正解」を参照しつつも、その地域におけるローカルな「成解」を探し出すことが出来るか。そして、その「成解」の集積から、「正解」自体の修正や書き換えを、「正解」を維持・主張してきた霞が関側が主体的に行う柔軟性があるか。そして、この「正解」と「成解」の互いのフィードバックと好循環を、うまく導き出すことができるか。
この枠組み外しと捉え直しが求められているのは、福祉現場だけではない、と私自身は思うのだが・・・。

授業における枠組み外し (連作その7)

認識が新たになると、これまでの実践も新たな視点、別の文脈で読み解くことが可能になる。「枠組みはずし」、「宿命論的呪縛」からの解放、魂の脱植民地化・・・これらの言葉が自分ごととしてストンと落ちてみると、実は自らの実践自体が、これらの概念と非常に近い部分で呼応していることが遡及的にわかる。今までは福祉現場を対象に書いていたが、これは教育だって同じだ。
私は法学部政治行政学科で「福祉政策」「地域福祉論」「ボランティア・NPO論」などを教えている。非常勤ではこれまでに「精神保健福祉論」「ノーマライゼーション論」などを受け持ったことがある。実はそのどれもが、タイトルと毎回の内容はもちろん違うけれど、枠組み外しという文脈では非常に通低していることが、今になってわかってきた。
たとえば「地域福祉論」、この講義では認知症、引きこもり、自殺、シングルマザー、ホームレス、ごみ屋敷、限界集落・・・など様々な福祉的課題を取り上げる。教科書を使っても興味のない学生にはイメージが浮かばないので、なるべく30分程度のドキュメンタリーを授業内で見るようにしている。そして、映像のbefore/afterで、学生たちの意見を書かせていく。様々な社会問題に関しての学生たちのbeforeの感想は、実にステレオタイプなものばかりだ。
「ボケたら何も覚えていない」「引きこもりはサボりだ」「自殺は心の弱さの反映だ」「離婚したんだから自業自得だ」「ホームレスは自堕落だ」「ごみをためる人は、ごみ好きなのでは」「限界集落は仕方ない」
これらのステレオタイプな意見は、それらの社会問題への関心のなさや無知を背景にして現れる、偏見や先入観、社会の固定観念の反映だといえる。そして、映像を見て、対象者の生の声に接した後で、これも必ずといっていいほど、学生たちはステレオタイプを越えた「別の可能性」の視点を発見して、驚くのである。そこから、新たな問題や課題を発見し始める。
「認知症の人への周りの接し方やケアが、本人の混乱を助長しているのではないか」
「引きこもる人々の方が、自分たちより人生について真剣に考えているのではないか」
「自殺は個人の要因より、社会構造的な要因の方が大きいのではないか」
「母子家庭政策の不備の背景に、家父長的な日本の制度・政策の不備があるのではないか」
「ホームレスは、日本社会の産業構造のゆがみやひずみの反映の部分があるのではないか」
「ゴミ屋敷問題を解決するには、本人の納得できる支援のあり方構築が必要ではないか」
これらの視点の捉え直しから、学生たちはあるひとつの共通する疑問へと疑問が構造化されていく。それは、「こういう社会問題を引き起こす背景に、何が問題にあるのか?」と。
この問題を考えるために「社会システム適応的視点」と「社会システム構築的視点」という二つの見方を、私は学生たちに対比してもらおうと試みる。前者は法や制度を所与の前提とし、それは変えられないものだから、そのルールや枠組みの中で、現実に当てはめて考えていこう、という視点である。一方後者は、法や制度を理解するものの「鵜呑み」にせず、そのルールや枠組みと現実を照らし合わせたときに何が問題であり、ルールや枠組みをどう変えたら現実に即応するか、を構築的に考える視点である。社会問題を眺めている皆さん自身は、どちらの視点で物事を捉えていますか、と学生たちに問いかけるようにしているのだ。
すると、大半の学生が「社会システム適応的視点」である、と答える。その理由も、割とステレオタイプ化されている。曰く、「制度やルールは一人では変えられない」「制度なんだから従うしかない」「新たな仕組みを一から考えるのは大変だ」。だから、社会システムは、構築するものではなく、適応すべきものだ、という考えである。
実は、大学院生のころから研究テーマとして取り組んできた、私自身がこだわってきた、そして昨年からは自分ごととして実践してきたのは、この「社会システム適応的視点」との戦いだった。本当に「無理」「仕方ない」なのか? それは「バカの壁」に通底する可能性の限定ではないか? 社会システムという人為的枠組みを、「自分ひとりでは変えられないから」ということで、歪みも含めて内在的論理に組み込んで所与の前提とすることは、魂の呪縛(=植民地化)につながらないか。そういう「鵜呑み」「丸呑み」「諦め」の発想こそが、社会システムの硬直化や負の側面の自己組織化も加速させ、歪みの構造の強化に結果として手を貸してしまってはいないか。そんな唯々諾々で、本当によいのか。
それでも日本の社会システムのマジョリティにいる(ことを信じて疑わない)学生たちには、講義の最初の段階では、この問いは感情的な反発を生む。「言っている意味がさっぱりわからない」「理想論だ」「考えを押し付けられたくない」といった悲鳴にも近いコメントが、授業の最初のほうでは聞こえてくることもある。彼ら彼女らが信じて疑わない価値の前提事態を揺さぶってしまうことで、動揺した、反発の感情が表面化してくることだって少なくない。
だが、授業で見せるビデオに出てくる当事者たちは、学生たちよりも遥かに問題に直面している「当事者」たちである。社会システムのマジョリティから何らかの理由で落ちこぼれたり、排除されることによって、マイノリティ化、マージナル化された人々である。そして、どの社会においてもそうだが、日本社会においても、マイノリティやマージナル化された人々への視点や対応は、非常に厳しいものがある。差別や排除、偏見、蔑視の対象になる可能性が少なくない。それは学生たちの、映像を見る前のステレオタイプなワーディングからも明らかだ。で、「当事者」にとってつらいのは、そのステレオタイプのワーディングの呪縛から抜け出しにくい、という構造的問題である。自分はもっと別の形で問題解決をしたい、そうではない暮らしをおくりたい、あるいはその状況の中で最良の幸福を勝ち取りたい・・・。そう思っても、「社会的弱者」とカテゴライズされ、問題のある人、とみなされることによって、一人一人の自発性や関係性、ニーズに基づく支援、という側面が、どうかすると専門職主導の援助にすり替わりやすいのである。
その際、そうではない、という当事者たちの内在的論理をきちんと扱っている映像を、私は講義で学生たちに見せ続けている。「支援」や「社会サービス」の提供対象者お一人お一人に、どんな世界観や考え方があるのか。それがどれほど多様か。その「生の声」と比較した時、固定観念で見てきた私たち自身の先入観がいかにステレオタイプなものか。そこに縛られていることが、いかに社会システム適応的視点に呪縛されているか。そして、その枠組みへの固着は、既存システムを、その歪みも含めて強化することに、どれだけ手を貸しているか。
これらのことに気づいてもらうために、オルタナティブな実践をしている人々の映像も、あわせてみてもらうことにしている。たとえば引きこもりの当事者たちのセルフヘルプグループで展開される「引きこもりのススメ」。そこでは、「薄っぺらいつきあいでごまかして、引きこもる勇気もないやつに勝手なことを言われたくない」という当事者の声が、学生たちに突き刺さる。ゴミ屋敷支援を行うコミュニティソーシャルワーカーの実践では、「ゴミの片付け」はあくまでも「方法論」であり、その人の孤独やつながりのなさとどう向き合うかが課題だ、という、気づきもしなかった視点と出会う。認知症の当事者の語りからは、「私は全てを忘れてしまっても、その一瞬一瞬で幸福だったという経験をしていることを大切に思ってほしい」と語りかけられる。映像という間接的な形の出会いではあるが、どれも、学生たちにとっては、自分が信じてきた信念体系にはまったくなかった視点に出会い、驚き、気づかされるのだ。
これまで出会った問題は、どれも他人事ではない。外在的論理や専門職の見立ての押し付けでは解決しない。本人なりの理由、という内在的論理を重要視した当事者主体の視点が大切である。それに対して、日本社会の現状の社会システムは、外在的論理であるマジョリティのルールや規範の押し付けが多く、決してマイノリティの内在的論理に沿う枠組みになってはいない。すると、社会システム適応的視点には限界がある…。
だが、そうは言っても彼ら彼女らは、一足飛びには社会システム構築的視点に飛べるわけではない。「一から一人でやるのは無理だ」という他人事的呪縛は小さくない。そこで、「小さな制度」の実践ビデオをみてもらうことにしている。ある集落を変えた実践、社会起業家の試み、障害者の自立生活センター作り、プロボノという本業ボランティア、など、局所的かもしれないが、ある現場の実践を変えつつある取り組みも、映像で対置してみてもらうことにしている。すると、実際に変えた現実を目にする中で、「変えられないはずだ」という彼ら彼女らの呪縛も解き放たれ、「ではどうやったらそれが可能なのか」と視点は移行する。ここで、それが「○○さんだったから出来た」とカリスマ化・属人的要素に矮小化しないためにも、それらの事象に共通する、社会システムの構造的問題を超えるための、現場レベルでのソーシャルアクションの仕組み・しかけとしての共通点を整理して伝える。その中で、15回の講義の終わるころにはなんとなく、社会システム構築的視点も「ありかも」と思い始める学生が出てくるのである。
このことを別の視点で捉えると、宿命論的呪縛を事実ではなく価値観と捉える難しさとの格闘、ともいえるだろう。社会システム適応的視点に立てば、法や制度、社会システムで「決まっている」ことは、「しょせんお上の決めたこと」なんだから「しかたない」「変えるのは無理だ」という考えを暗黙の前提として信じて疑わない。このとき、その宿命論的呪縛を、それ以外にはあり得ない「事実」と受け止めてしまっている。だが、講義を通じてオルタナティブな現実を見せられ、社会システム構築的視点に立って現状を変えつつある、現状に異議申し立てをしている、違う現実を創り出す試みの存在を垣間見た学生たちは、自らの視点との違いに疑問を持ち始める。「むりだ」「しかたない」と思い込んでいたのに、その思い込みを超えてしまった現実(=事実)との出会い。その中で、自分自身の事実認識、というか、価値体系そのものが、揺さぶられる。授業で毎回しつこく「なぜ?」を問い続けるうちに、「何を信じていいのかわからない」と不安になる学生もいるが、それはある種の蓋が開きそうになる恐怖なのかもしれない。だが、その蓋が開いてしまって、別の価値観の骨太なアクチュアリティに接すると、学生たちの視点は、反転するのだ。
もしかしたら、自分が「当たり前」の事実だと思い込んでいたことは、実は価値観の一つなのではないか。そして、その価値観に、自らが宿命論的に囚われていたのではないか。
この価値相対性に気づく中で、社会システム適応的視点の限界に気づいた学生たちが、覚束ない足取りの中で、社会システム構築的視点を獲得する試行錯誤に出始める。教員の私は、その学生たちの旅立ちを支援する。そういう仕事をずっとしてきたのだ、とこのブログを書き終えて、初めて気づくのであった。
たぶん、つづく。