民主主義の絶対条件

 

ジェラルド・カーティスと言えば、日本の政治に精通しているアメリカ人研究者。彼が大学院生の時に大分の自民党議員の選挙事務所にボランティアで入り込み、日本の選挙風土を実に丁寧にフィールドワークとしてまとめた出世作「代議士の誕生」(サイマル出版会)は、読み物としても大変面白い。現場にじっくり入り込んだ上で、その現場から一歩引いて日本の政治風土全体のコンテキストの中で問題点を指摘する。彼のクールヘッドとウォームハートに基づく分析を読みながら、私自身も彼の研究手法から多くのことを学ばせて頂いた。

そのカーティス氏が、実に興味深い事を書いていた。

「国家権力があくまでも公平・公正に使われていると国民が信じられることが、民主主義の絶対条件である。いま日本では政治家もマスコミも、さらには国民一般も、この問題にあまりにも鈍感になっていないか。今回の事件は一人の野党リーダーの問題だけではない。党利党略ばかりを考えず、法治国家としてのプロセスの正当性を守る意味においても、麻生首相をはじめ与野党の政治家たちは、検察の責任者が公の場に出てきて国民に説明責任を果たすよう求めるべきだ、と私は思う。」(朝日新聞2009年3月12日 私の視点)

国家権力の正当性という問題を、このように真正面に捉えている論調が、日本の新聞自体の社説なり論調に出ているだろうか。確かに、この記事は大新聞に掲載されたが、あくまでも新聞社の主張・社説ではなく、研究者個人の考えである。カーティス氏はその記事の中で、このようにも述べている。

「朝日新聞は3月10日、『民主党、この不信にどう答える』と題した社説を掲げたが、どうして『検察、この不信にどう答える』と問いかけないのか。検察のやることは絶対に正しく、疑う余地もないことでも思っているからなのか。マスコミは検察側が不機嫌になるような報道を自己規制して控えているからか。」(同上)

私がアメリカ滞在中に突如沸き上がった、野党第一党の党首を巡るスキャンダル疑惑について、事の真偽はわからない。別に、私はこのブログで、その善悪の判断をする気もなければ、どこかの党の主張と同調する気もない。でも、カーチス氏が言うことに、すごく同感する。日本のマスコミの論調は、「関係者の話に依れば」「調べに対して」といった形で一応の言い訳はつけるものの、国家権力の発表を「事実」のような体裁で表記している場合が少なくないからだ。「検察のやることは絶対に正しく、疑う余地もないこと」というカーティス氏の分析が、決して彼の妄想や誇張に思えない場合があるからだ。

私自身、日本という国に住む市民として、日本社会がより安定的なものであってほしいと希求している。だからこそ、「国家権力があくまでも公平・公正に使われている」と信じたい。この前提が崩れたら、「民主主義の絶対条件」にも曇りが生じる、と思う。だからこそ、日本をよく知る外部の目からのこの警告には、きちんと耳を傾けたいのだ。本当に国家権力が公平・公正であるのか、と。過度な一般化は常に禁物と思いつつ、佐藤優氏の一連の著作を読んでいても、「国策捜査」という文言が、頭の端をよぎる。

権力が悪、と言っているのではない。権力は、統治機構の維持において、必要不可欠である。だが、その権力に自覚的であるかどうか、また権力の無謬性に対して懐疑的かどうか、は常に大切なポイントではないか。無自覚な権力者は、意図的な権力者と同じくらい、権力の濫用に鈍感であり、それほど問題の根は深い。そして、無自覚な権力への同調者は、意図的な権力への同調者と同様に、これらの濫用を促進させる。国家の統治機能を真っ当に維持するために、住みやすい国を保つためには、警察や検察だって、「おてんとうさまに照らしても、真っ当と胸を張って言える仕事」をしてほしい。この3月に巣立つ我が学科の卒業生も、警察官になる学生が多いからこそ、切実にそう思う。

真っ当な主張と、真っ当な議論、そして真っ当な批判が、この問題に対してもなされることを祈るばかりだ。

積極的中途半端さ

 

成田エクスプレスの車内は暖房が効きすぎた。Tシャツ一枚で、雨模様の空を眺めながら、しかし車窓から梅の花を見て、帰国した事を感じる。

2週間弱、サンフランシスコに調査に出かけていた。これで4度目になる彼の地での障害者の権利擁護に関する調査研究だ。いつもより少し滞在期間を延ばし、腰を据えて調査に取り組んだ。それと共に、たまに日本を離れることを幸いに、少し自分のスタンスを俯瞰的に見つめ直すチャンスがあった。

とはいっても、4回もサンフランシスコに行っているのに、一度もゴールデンゲートブリッジ行く暇もないほど、なんだかんだ予定が詰まっている。日程表上では空いていても、調査先の関連資料の予習をしているうちにあっという間に時間は経つし、それだけでなく滞在期間中やその後すぐの〆切の「宿題」もわんさか抱えてきた。我ながら因果な商売だが、まあ引き受けた事には一応のけじめを付けなければならない。そうは言いながらも、ちゃっかりブータン展をやっているアジア美術館に2時間ほど滞在して、曼荼羅を久しぶりに至近距離で眺めていたりもしたのだが

で、ある場所を定点観測的に眺めていると、その現場の変容を感じられるだけでなく、その現場を眺めている自分自身の変容をも感じる事がある。今回は特にそれを実感する。これまでなら見えていなかった視点、感じ取れなかった事が、「そうだったんだねぇ」と腑に落ちる。この腑に落ちかたは、新たな発見による納得も勿論あるのだが、それよりも自分が「わかる」範囲の外にあった(=故に未分化・未消化で検討の対象外だった)ものが、急に眼前に拡がる鮮やかさ、とでも言おうか。そういう理屈でこの仕組みが成り立っているんだね、と気づくことで、今まで断片化されていた知識が、少し整ってくるというか、そういう感じだ。

この種のバージョンの再編や改変は、やはり現場に行かないと見えにくい。ただ、だからと言って現場が全て、の現場第一主義者でもない。それなら、研究なんぞしているより、どこかの現場に専心した方がよいからだ。当たり前の話だが、医療でも福祉でも法律でも、現場の最前線で生起しつつあることは、研究者ではなく臨床家こそがダイレクトに接している。ただダイレクトに接しているから、といっても、その生起しつつある事がどのような価値を帯びていたり、今までの有り様とどう違うのか、という俯瞰的な眼差しをもっているかどうか、はまた別問題であるし、そんなことは臨床家には関係ない場合も少なくない。一歩引いて普遍的に言えることはどうだ、と講釈をたれても、今そこで困っている特定の○○さんの今日明日の暮らしにダイレクトに響かない場合の方が多いからだ。

でも、そうは言っても、明後日の、半年1年後の現場の現実をより良いものに変えるためには、それなりの戦略がいる。漫然と昨日から受け渡された今日、明日を続けているだけでは、バケツリレーは出来ても、そもそもバケツリレーを本当に必要としているのか、違う方法はないのか、バケツリレーの副作用は無いのか、ということを根本的に考えることが出来ない。だからこそ、一歩引いた抽象性や客観性が求められる。

ただ、生身の人間の性の有り様に深くコミットするソーシャルワークや社会政策の領域では、理論的な善悪を論ずるよりも、より良い明日のためにどうすればいいか、についての「具体の方法論」を求められる事も少なくない。準拠点になるものが、○○理論ではなくて、障害者の地域自立生活支援を実現するためにはどうしたらよいか、という前提に立てば、○○理論のadvocatesとは違う形での価値や態度表明になる。勢いその価値には純粋な理論的価値基準より、生の人間の感情が色濃く反映されたものになりやすい。だからこそ、学派間の論争とは違う形での「神学論争」的な、頭でっかちの議論になる可能性もある。

そうであるからこそ、たまには頭を冷ますために、現実に深くコミットしすぎている場合は理論的な水準に立ち返る必要があるし、逆に理屈で詰まっている場合には、いろんな現場を比較検討して歩く中で、よりよいものは何か、についての再評価をし直すことが求められるのだ。安易な神学論争に陥らないためには、「具体の科学」とグランドセオリーの間を、実践と理論の間を、何度もなんども自分の足で歩き、往復し続ける中で考えるしかない。そして、複合科学として人びとの生活のありように深くコミットする学の分野であるだけに、結局の所、現場に貢献する理論というか、理論的に高められる現場実践の抽象化というか、つまりはメゾ的なものが求められる。そう、積極的な中途半端さが肝要なのだ。

今まで、この中途半端さが、自分にとっては一番嫌な側面だった。もっと白黒はっきり付けたい、とそう思った。だが、この福祉の分野で、白黒を単純に表明することは、安易なイズムや主義につながる。そして、イズムや主義につながったものは、その色とは違う価値観を持つ人が、全く耳を傾けてくれない、それこそ「神学論争」になる。どちらにも態度保留な中途半端さではなくて、ある価値基盤に基づいてはいるけれど、その基盤以外は全く目にも耳にも入らないのではなく、積極的に吸収し、その基盤をより良い者にするために応用する、という意味での「具体の科学」の大胆さが求められるのだと思う。

カリフォルニアまで行ってみえてきたのは、そういう己のこれまでの器の狭さと、ちびっとではあるがその器の小ささも含めた自身の中途半端さを積極的に引き受けよう、という心の変化である。結局どこに行っても見ているものは一緒じゃんか、と言われたら、そりゃそうだ。同じタケバタヒロシなんだから。でも、環境を変えるからこそ、大事なことを発見出来る時もある。そんな、4回目のカリフォルニアからの帰りであった。

内なる対話と再生産

 

教師と生徒の関係について興味深い記述に出会った。

「教師が自らの仕事に専心するならば、教師はマネされることを目的とはしないロールモデルである。教師の与えられるものと言えば、およそ次のものである。1,話をすることによって、教師は自分の専門のある側面に関して、生徒の関心を向かわせ、生徒にとってそれまで馴染みが無かった問題への関心を引き出す。2,教師は生徒と教師の持つ知識を共有することにより、生徒が学びたいという願いに答える。3,教師は生徒に教えた情報を生徒が吸収出来るように、そして生徒自身が自分独自のやり方で(既にその情報を改変しながら)その知識を再生産出来るように促す。4,生徒が教師をマネすることを望む代わりに、教師は生徒が教えられたことを自分の言葉で話せるように変えるように求めることによって生徒の独自性を刺激する。」(Peperzak, A.T,, Thinking; From Solitude to Dialogue and Contemplation, Fordham University Press, 2006, 38)

直訳調で本文の持つ雰囲気を伝え損ねているが、ぱっと開けたページにそんなことが書いてあると、思わず嬉しくなる。そう、「真似ぶ」ことから「学び」は始まるのだが、真似する(imitate)ことがゴールではない。「生徒自身が自分の独自のやり方で知識を再生産出来るように促す」ことを通じて、生徒がその知識を自家薬籠中のものにして、「自分の言葉で話す」「独自性を刺激する」、それが教師の役割なのだ。

この表現は、こないだ引いた橋本治氏の「『わかる』とは、自分の外側にあるものを、自分の基準に合わせて、もう一度自分オリジナルな再構成をすることである。」という発言と同じ事を言っているのが面白い。でも今日はこのPeerzakさんの考えをもとに、自分自身の経験について、自分なりの「再構成」をしてみたい。

彼の教師-生徒関係の議論は、これまで何人かの先達に師事してきた自身の学びとも一致する。最初は「真似する」ことから始まるのだが、師と同じ空間を共有し、師の話す中に自分が求めるべき何かを発見し、気が付けば自分もその師が追いかける何か、を希求するようになる(ステップ1から2)。ただ、ずっと師のやり方を真似ていても、師のやり方は師の性格に合ったやり方であり、自分がそのまま引き継ぐことが出来ない。ここで、弟子としては乖離状態、というほど大げさなものではないが、師のスタンスと、自分の出来なさの間に引き裂かれる。その際、師のやり方をずっと真似しているだけでは、真の意味での脱皮は出来ない。ここが苦しいところなのだが、「自分独自のやり方で(既にその情報を改変しながら)その知識を再生産」することが求められる。こういう考え方、理論、問題意識を、自分に引きつけたら、どう理解出来るだろう。これは自分の持っている世界観をどう改鋳し、拡げてくれるだろう。そのような内なる魂との対話が求められる(ステップ3)。この3番目のステップを通り抜けると、ようやく師に教わった内容を「自分の言葉で話せるよう」になる(ステップ4)。受験勉強の暗記数学で詰まった時も、大学院の世界に馴染むために苦悩した時も、結局はこの4つのステップを通らないと、少なくとも僕は「学ぶ」「わかる」「変わる」ことは出来なかった。

ちょうど今年度末で、いくつかの報告書に頭を悩まされている。毎日パソコンに向かいながら格闘しているのは、僕なりに、これまで追い求めてきたあるテーマについて、様々な先達から教わった内容を元に、自分独自のやり方で、その情報を改鋳させながら、自分なりの言葉で語り直そうとしている営みである。ついつい先達の言葉を鵜呑みにしてしまいそうになる。だが、そこで求められるのは、知識の複写ではなく、稚拙でもいいから自分なりに再生産することである。自分の頭を通さないコピー&ペーストではなく、がらくたしか詰まっていないかもしれないけれど、この自分の身体と脳を通して、自分の経験やこれまでのわずかなストックとも相談しあって、自分なりに理解出来ることを、自分が納得する文体で、語り直す。その作業が必要なのだ。そう思うと、今は本と格闘しているが、その本の筆者をどれだけ思い浮かべ、どれほどその筆者と対話出来るか、が求められている。この著者も言うではないか、「考える事によって、孤独から対話、そして深い思考へと導き出される」と。

内なる対話を通じて、「僕はあなたの差し出してくださったものをこう理解した」という自分なりの再生産の作業、やっていると、実はワクワクしてくるものでもある。

口を開けてPCの前に座るのは、

 

醜い。だが、気を抜けばそうなっている自分を発見し、愕然とする。

もともと、テレビを受動的に見るタチだった。小学生の夏休みなどは、朝7時から夜10時まで、ずっとテレビの前の子ども、という、今から考えるとなんと時間の無駄にしたのだろう、と思うガキだった。ニュースは一日5回くらい見たし、その間にアニメ劇場も、遠山の金さんや必殺仕事人の再放送(何度見たんだろう)も、ブレイクする前のダウンタウンが関西ローカルで出ていた「4時ですよーだ」(ふざけたタイトルだ)も、ずっとみていた。ファミコンを買ってもらえなかったかわりに、テレビ依存症だったのだ。今でも、放っておけば、テレビの前でぼーっと口を開けて、何も手に付かないお馬鹿な時がある。

だから、結婚したときに、「これからは、せめて食事中はテレビをみない」と決めた。あほらしい話かもしれないが、それほど依存的だったのである。妻よりテレビ、となると、妻に愛想を尽かされるのは目に見えている。だから、夕食の団らん時は、せめてテレビを消して、音楽でもかけながら、お互い今日あったことをぼそぼそ語る、ということを、我が家の枠組みとした。そのおかげもあり、僕が出張や不在が多いが、何とか妻からまだ愛想を尽かされていない。逆に言えば、それほどテレビは侵襲的、なのである。

で、その侵襲製は、ネットにもある、と思う。気が付いたら、何時間もパソコンの前で、ネットサーフィンに無駄な時間を費やしている。野口悠紀夫氏の「超超整理法」を読んでいて、テレビやネットにプッシュされることの害悪が書かれていて、片腹いたくなった。そう、テレビとネットの洪水を自覚的に遮断しないと、本当に「押されっぱなし」。ずっとその波に溺れ、気が付いたら数時間を無為に過ごしている。先述の野口氏は、そうではなく「積極的にプルせよ」と進めている。自覚的に考える主体になり、自分が必要な情報だけプルする、あとは情報の押しつけがましいプッシュを遮断した方がいい、という考え方である。

以前のテレビ、今ちでは若干ネット依存症的傾向のある人間として、非常にうなずける助言だ。

ネットで何となくだらだら時間を潰していると、本人は能動的にグーグルに検索語を打ち込んでプルしたつもりなのだが、結果として情報の洪水に押し流されてプッシュされっぱなし、という事態が僕にはよくある。そのアホらしさ、を考えた際、ネットというメディアのプッシュ力に驚嘆すると共に、テレビメディアに押し流されてきた嫌な過去の記憶が蘇る。口を開けて馬鹿面でテレビを見ていた少年ヒロシ君は、成長してPCの前で馬鹿面しているタケバタ氏になっただけだ。成長のかけらもない。

忙しい忙しいと言いながら、暇を見つけてそんな「暇つぶし」をしている余裕があるのか。それは明確な逃避ではないか。そう思うなら、どう実践が出来るのか、が問われている。もう少し、自覚的にならないと。

脳の暴走から逃れられるか

 

論理性が、自分の身体感覚や直感に寄り添ったものとして機能するためにはどうしたらいいのだろうか。内田樹氏の最新刊「街場の教育論」(ミシマ社)を読みながら、そんなことを考えていた。

この本の中で、内田氏は出版社の人びとの採用面接の極意を聞いたエピソードを披露している。曰く、採用面接でその人が残るかどうか、は、扉を開けて入ってきた5秒ほどで決まる、とのこと。この人なら一緒に働いてみたい、という気持ちにならない人は、あとは楽しくオシャベリして頂き、その場をどう気持ちよく去って頂くか、のサービスの為に熱心にお話を伺う。逆にこの人は採用したい、という人は、もう5秒でわかってしまったので、さっさと話を切り上げる。よって、試験の時に話が盛り上がったのに採用されなかったとか、逆に自分は絶対落ちているはずと思っていたのに受かってしまった、ということが度々生じるという。そして内田氏はそういう有り様が、協働作業の現場ではごく当たり前のように起こる、とまとめている。

その記述に、そうだよなぁ、と想いながら、実はもっと気になったのは、そういう気分や感覚、直感的なものを、論理の力で説明出来る内田氏の力量であった。私たちは、普段無意識のうちに様々な物事を決定し、判断し、処理している。その際、論理的に、なんて意図が働くわけもなく、直感や身体感覚で決めている場合が多い。なんでそう思うのか、と聞かれ、何となく、としか答えられない、その感覚である。しかも、その直感や身体感覚は、素直に無理せずわき出るものに従うときほど、精度が高くなる。この身体感覚の精度の高さを挙げることと、それを論理的に説明する力をつけること、この二つがどう両立可能なのだろう、と考えるのだ。

つい先日も、ふとしたことで、自分の頭の中の限界に突き当たる。身体感覚とは違うメッセージを脳が勝手に作り出し、状況的にはこういうことだよね、と判断する場面が出てきた。状況として確かにそういう事かもしれないが、それは脳が把握する、前例としての状況である。その前例を前提としている限り、いつまで立っても、その枠組みの囚われから逃れられず、身体のアラームに反応せずに脳の暴走に身を任せ、結果、より状況がまずくなる。そういうことが、脳と身体のズレだとは気づかなかったが、そういう視点で捉え直すと、デッドロッグにさしかかった少なからぬ案件に、そのズレがあることに気づき始めた。

そう整理出来てくると、さらに気になるのが、論理性との関連だ。僕自身の論理のリソースを、脳の暴走につきあわせている場面が少なくない。頭の中で作った「作り話」という名の妄想をふくらませ、その妄想から、「だからこうに違いない」という場面設定を論理的に導き出し、その穴ぼこに結果的にはまって、「やっぱりその通り」と悲憤する。しかし、これってよく考えてみたら、「そうでない可能性」もたくさんあったはずなのだ。そういう分岐点で、「そうではない可能性」を確かめることなくひたすら脳の暴走に追従した結果、論理的に導き出された陥穽なのである。世間ではそのことを指して「マッチポンプ」とも言うのだが

論理のリソースを、経験値も少なく考えの幅も浅いちんけな僕自身の脳の暴走に盲従させることなく、時には身体の微弱なシグナルの方にどう同期させられれるか。村上春樹のイスラエルでの講演ではないが、壁ではなく卵としての私、堅牢に見えるシステムではないフラジャイルな身体性を持つ個にどう同期させることができるのか。自分のピットフォールでもあり、しんどい部分はどうやらこのあたりにありそうだ、ということまではわかってきた。

安易な批判、の向こう側へ

 

自分が気づきたかった(けど気づききれなかった)ことが明確に書かれていると、思わずそうそうと口に出てしまう。次のフレーズも、そう声を上げた瞬間だった。

「批判する人が気づくことは、当然気づいていて、その先、相手は、なぜ、こんな間違ったことをしているのかとか、そのことが自分たちにどういう意味を持っているかとか。そしていま、欠点が目立ったり、問題がある相手を、未来に向かってどう生かすか、というビジョンが求められる。」(山田ズーニー『おとなの小論文教室』河出文庫、p167)

そう、単なる批判の限界はわかってきた。人から説得されても、本人が納得できないと、ものごとは動かない、変わらない、ということも、文字面ではなく経験として浸みてきた。でも、気づいたら批判という形で説得してしまう愚をしょっちゅうおかしている。おせっかい、というか、過剰なのである。しかし、その過剰なエネルギーを、お互いにとってもメリットが少ない(聞く方も嫌になるし、言う方も甲斐がない)説得や批判ではなく、それを乗り越えて、相手の納得を導く何かをするにはどうしたらいいのか、それを考えあぐねていたのだ。その時に、小論文指導の名人が、書くことを考えるコラムの中で導き出した先のフレーズにぴぴっときたのだった。

相手が批判される問題をしている。その時に、それが悪い、と糾弾していたら、いつも繰り返している、You are wrong(裏を返せばI am right!)の思考パターンに陥ってしまう。そういう糾弾的な枠組みは、聞く方だって(時として言う方だって)、実のところ飽き飽きしていたりする。「そうそう、わりぃーよ、でもしかたねーんだよ」と相手が開き直ることだってある。その際、回路を開くためには、単に自分が善で相手が悪、という二元論に矮小化せず、相手の論理を徹底的にトレースすることが大切なのだろう。なぜこういう論理に相手がなっているのか。その論理はどこから導き出せるのか。どこに突破口があり得るのか。そもそも本当にこの論理は間違っているのか。自分が悪いと決めつける、その決めつけの方こそが間違っていることはないのか。

こうして頭を冷やしながら対象化していくうちに、独善的な偏見の殻が破れ、「未来に向かってどう生かすか」というビジョンが開けてくる。頑なな相手とも対話が生まれる。すると、事態打開に向けた芽が生えたり、突破口が生じるのだろう。

こうまとめてみて、あることに気づかざるをえない。これまでどれほど沢山のチャンスを、良い出会いの可能性を、変革の芽を、恐れから来る不安や決めつけによって遮って来ただろうか、と。

思えば、つい最近まで本当に「批判的」物言いが全面に出ていた。批判することに安住していた。だが、それは、馬鹿にされたくない、相手より優位に立ちたいなどの自己顕示欲やびびりの裏返し、でもある。自分の努力不足の言い訳でもある。そして、相手の声を、本音を、聞いていないことの証明でもある。つまりは、僕自身が行っていた「批判」の表明は、己の愚かさの開陳ともつながっていたのだ。

これは世の中の批判が全て間違っている、ということをではない。「未来に向かってどう生かすか、というビジョンが」ない批判ほど、自己満足の域を超えない無内容なものはない、ということが言いたかっただけである。

明日で34歳になる。節目だから、ではないが、そういう無内容な批判に安住せず、どんな状態に直面しても、どんな人と出会っても、「未来に向かってどう生かすか、というビジョン」を持ち続けられる人間に成長したい。

蔵出しと再構成

 

今日は比較的早い時間に「あずさ」のひとである。

昨日、西宮の現場で1年ぶりの追跡調査を再開する。ある現場を定点観測的に眺め始めて気が付けば5年目。その間、現場も変わるが、私自身も変わる。仮説を立てていたことが、あたったり、見事に崩れ去ったり。そこで、現場へ再度足を運び、考え直し、考えあぐねる。バームクーヘンのように、何度も何度も同じような所を巻き直しながらも、しかし、巻いている内に、出口、とはいかないまでも、「こうも考えられるのではないか」という新たな契機が見え始める。そろそろ、原稿としてまとめなければ、という想いが芽生え始める。

この「書きたい」という想いは、関わりの時間の長さとは関係がないようだ。現に、三重の研修のことは、まだ関わって半年なのだが、こないだ紀要原稿用に入稿してしまった。8月から根詰めて3ヶ月、通い詰めた熱気は、忘れないうちにスケッチしておかねば、という想いがむくむく出てきたのだ。ワインにたとえるなら、ヌーボーのようなもの。その年の成果を、まずはフレッシュなうちに瓶詰めにして届けてしまいたい、というタイプの原稿である。一方、昨日訪れた西宮の現場も、あるいはお昼によった大阪の現場も、こちらはどっぷりと関わる蔵出しタイプ。何年か通い続け、蓄積を続ける中で、そのうちに尖った刺激だけでなく、全体のバランスがとれて、独特のアロマが出始める。そのアロマをうまく整え、論理の流れと整えを施して、インパクトだけでなくしっかりとした味わいまで出せるかどうか、が問われている。

これまで、まだ書き手としての蓄積もない中ではとにかく遮二無二書いてきたが、そろそろ、こういう書き分けのようなものを意識化しないとなぁ、と思い始める。ヌーボーにはヌーボーなりの美味しさと社会的使命があり、でも熟成された旨みはなんと言ってもオーク樽に何年も寝かせているほうがしっかり付く。一度知り合いの酒屋で、50年もののブランデーを分けてもらったが、あのトンでもないまろやかさとアロマは忘れられない印象を刻みつけている。さて、僕の文体に良いアロマ(臭みではなく!)が出てくるのは、一体いつのことなのだろう。

アロマ、と言えば、今回の旅行のお供に持っていた橋本治の「窯変源氏物語」(中公文庫)は、非常によい。実は彼の「桃尻娘」を読もうとして挫折し、遠ざかっていたのだが、新書の「わからないという方法」(集英社新書)を読んで非常に好感を持ちはじめた。

「『わかる』とは、自分の外側にあるものを、自分の基準に合わせて、もう一度自分オリジナルな再構成をすることである。」(同上、p105

彼の文体はくどいのだが、くどいのには、自分がわからない事を徹底的にわかるために、敢えてくどく思考していく(書いていく)彼なりのスタイルである、ということがわかってきたのだ。この「窯変源氏物語」には、その彼のスタイルが見事にはまっていて、よい。源氏物語という「自分の外側にあるものを、自分の基準に合わせて、もう一度自分オリジナルな再構成を」見事に果たしている。そのことは、文庫版の第一巻の終わりにも、こんな形で表明されている。

「本書は紫式部の書いたという王朝の物語『源氏物語』に想を得て、新たに書き上げた、原作に極力忠実であろうとする一つの創作(フィクション)、一つの個人的な解釈である」(窯編源氏物語1巻、p369)

そう、彼は「源氏」を徹底的にわかろうとして、「自分の基準」の中に全部飲み込んだ上で、「もう一度自分オリジナルな再構成」までしているのだ。この「わかる」プロセスが踏まれた作品であるために、読み手も非常に見通しがよく、「王朝の物語」という異次元の話なのにグイグイ引っ張られる。つまり、橋本治オリジナルゆえに、下手な翻訳本を読んでいるときの「わからなさ」がないのだ。

これは古典の現代版や翻訳小説だけでなく、僕が取り組んでいる世界でも切実に必要とされていることだと思う。山ほど取材したって、資料を読んだって、「自分の基準に合わせて、もう一度自分オリジナルな再構成をする」ことが出来ない限り、わかったことにはならない。そう思うと、わかっていないのに書かれたテキストのなんたる多いことか。もちろん、自壊も込めて。わかるための格闘、それが、完遂した時に、先に書いた独特のテイストなりアロマが醸し出されるのだ。

どんな「再構成」が出来るのか。そろそろ蔵出しが楽しみになってきた。

理解していないのは、どちら?

 

久々にのんびり出来た日曜日。

朝から定番のジムよってけし(JA直売所)に出かける。本当はこの土日、長野で気になるフォーラムがあって、そこに行く予定にしていたのだが、1月末〆切の二本の原稿がどうしても終わらず、日付変更線ギリギリで、ようやく脱稿したのだ。身も心もクタクタになっていたので、長野まで足を向けられず、さぼってしまったのだ。久しぶりに先輩Mさんにもお逢いできるチャンスと思っていたのだが残念。

で、今日もジムで運動しながら、「積ん読」状態だった本に手を伸ばす。そしてまた、ハッとさせられるフレーズに出会う。

「『ずいぶん分かりやすく話したとおもっていたのだが』と、ぼくはいった。『理解してもらえなかったようだ』。『理解していないのは、あの人たちを理解していないのは、あなたのほうじゃないの、パウロ?』。そういって、エルザはつけ加えた。『あの人たち、あなたの話はだいたいわかったと思うわ。あの労働者の発言からしても、それは明瞭よ。あなたの話はわかった。でも、あの人たちは、あながが自分たちを理解することを求めているのよ。それが大問題なのよね。」』(パウロ・フレイレ『希望の教育学』太郎次郎社、p34)

ブラジルの民衆教育のリーダーも、後に「被抑圧者の教育学」という名著につながる叡智を、若かりし日の失敗から見いだしていた。当時フレイレは、後に自らが否定する事となる、一方向型の詰め込み型教育(銀行型教育:banking education)を行っていた。「無知な民衆」を前に、子供への罰がいかに子供の心に悪影響を与えるか、科学的知識に基づきながら分かりやすく「啓蒙」しようとしたのである。その彼の話が終わった後、聴衆の1人が、「よい話を聞きました」と前置きした上で、「先生は、ぼくがどんなところに住んでいるか、ご存じですか? ぼくらのだれかの家を訪ねられたことがありますか?」と切り出す。その上でこの聴衆は、フレイレが住む暖かな家庭とはほど遠い住環境や社会状況で暮らす実態を述べた上で、こう締めくくったのだ。「わしらが子どもを打ったとしても、そしてその打ち方が度を超したものであるとしても、それはわしらが子どもを愛していないからではないのです。暮らしが厳しくて、もう、どうしようもないのです」

この記述を読んでいて、かのフレイレ氏も若かりし頃、自分と同じ過ちをしたのだな、と親近感を持つと共に、身につまされる思いをした。何度もこのブログに書いていることだが、「あなたは間違い」という表現の裏側には往々にして「私は正しい」という文言が張り付きやすい。しかし、その「間違い」とされる側にも、単純に切って捨てることの出来ない、本人なりの妥当性がある。「便こね」という「問題行動」をする認知症のお年寄りも、その行為の背景にはかなりの意味世界がある(何かわからないものがお尻に付いていて、気持ちがわるい、でも、どう処理していいのかわからないから、とにかくタンスの中に隠しておこう)。

この「本人の側から見た世界観」を「それは間違い」と切り捨てるか、あるいは「なぜそんな世界観に立つのだろう」という「対話」を試みるか。この点は、その後の歩みを大きく変えてしまう。フレイレもこんな風に言っている。

「人びとの世界の見方は、具体的な現実そのものによって条件づけられており、ある程度まで、前者は後者によって説明される。具体的な現実が変われば、そのことをとおして、世界の見方も変わっていくだろう。しかしさらにまた、(認識行為をとおして)現実が暴き出されていき、自分のこれまでの世界の見方を規定していた諸要因が見えてくると、そのことによっても世界の捉え方は変化しはじめるものだ。」(同情、p33)

そう、対話という「認識行為をとおして現実が暴き出されてい」くことにおそれをなすと、自分が持つ「標準的」知識から逸脱することに拒否的になる。自分の世界観(=自分にとっての標準的知識の枠組み)に固執する。しかし、自分の枠組みと相手の枠組みを「対話」させる事からでしか、別の見方を獲得することは出来ない。研修や授業という現場で、自分がうまくいかない時は、たいてい対話でなく、私の世界観の押しつけになっている。つまり、僕自身が相手の世界観から現実を「暴き出す」ことを面倒だと感じたり、恐れている場合に限って、僕は無意識的にではあるが、高圧的になるのだ。そういう場合って、自分が知らなかった「自分のこれまでの世界の見方を規定していた諸要因が見えてくる」絶好のチャンスなのに、いやそうであるが故に。

「あながが自分たちを理解することを求めているのよ。」

対話相手は、理解を求めている。福祉現場の職員研修をしていて、もっと障害者の声を聞いて、と伝える前に、まずはその研修現場に来ている職員の皆さんを理解することが基本となる。こう書くと、妥協的だ、とか、当事者よりも支援者贔屓なのか、という声も聞こえてきそうだ。しかし、違うはずだ。支援者という1人の人間が置かれている現状がどういうもので、構造的に大変な部分とは何か、に思いを馳せることなく、「良い支援をすべき」と銀行型的詰め込み教育をしても、人の考えは変わらない。本人が納得して初めて、何かが変わる。そして、納得とは、相手がわかってくれている、という安心感がベースにあって、その上で、説得力ある話が上に乗っかると、自分にも確かに非はあるかもという動きにつながるのだ。そこで大切なのは、まずは「信頼」である。信頼構築無く、いきなり説得だけで来られたら、それが正論であればあるほど、論理的反発が出来ないから、感情的に反発する。そして、それは講師の側にも強いハレーションの形で跳ね返り、互いが感情癒着状態になる。ああ、失敗した講義や授業って、だいたいこのパターンだった。

当たり前のことを、自戒を込めて繰り返すが、まず僕自身が、「認識行為を通して現実を暴き出す」ことに同意署名することが大前提になる。見えてきた「自分のこれまでの世界の見方を規定していた諸要因」の中に、改善点があるのであれば、潔く変えていくことが大切なのだ。それが、対話の回路を開く第一歩なのである。

「あの人たちを理解していないのは、あなたのほうじゃないの、パウロ?」

この言葉は、私自身への呼びかけそのものでもある。

バトンについて

 

久々のエントリー。

今月末に二本の原稿〆切+センター試験やらテストやら大学雑務+相変わらずの研修が重なり、10日以上書く余裕もない日々が続いていた。そして、今日は、そう、相も変わらず「かいじ」号の人。今日は、いつもと違って最終の一本前に乗れております。移動中だから、ぼんやり原稿が打てる。

で、今日の東京出張は、私の母校、阪大人間科学部のボランティア人間科学講座が、「店じまい」するので、それを期に作るメモリアル報告書のための座談会。お茶大で、講座出身の4人の仲間と議論するチャンスがあった。研究分野は、社会心理、教育援助、人道支援、病院ボランティア、そして僕のノーマライゼーション論と実にバラバラ。でも、共通していたのは、「ボランティア人間科学講座」という得体の知れない講座だからこそ、自分が何をやっているのだろう、という説明責任と、他の人は何をやっているのだろう、という好奇心から、タコツボ化せず、幅を拡げて議論を縦横無尽にし続けてきた、ということだろうか。大学院生の時は、それこそしょっちゅう議論をしていたが、あれから6年以上。お互いに現場を持つ中で、久々に出会った人びとが、しかし共通の何か、に関して議論をスパークさせる内に、あっという間に3時間というタイムリミットが過ぎ去っていた。

ボランティア、というと、世間の人は、やれ「無償」だの「偽善」だの、「奉仕活動」だの、その言葉にこびりついた特定のイメージに埋没しやすい。しかし、今日の議論の中にも出ていたのだが、私たちがあの講座で学んだこととは、そういう矮小化された固定観念ではない。むしろ、その対極にある、「枠組みを疑う・作る」という意味での、メタ知識的なものであろうか。知識を鵜呑みに学ぶための講座、ではなく、どうすればその知識を持って現場を変えられるか、もっと言えば、現場を変えうる知識とは何か、あるいはそもそも現場を変える事が必要なのか、といった根本から疑い抜く、「枠組みへの問い」というものと向き合う智慧のようなものを、あの講座から「学恩」として受け継いだのかもしれない。だからこそ、ボランティアという語も、矮小化された「善意」「無償」「公共」ではなく、社会的な何かをより高める・伝える・変えるためのツールとしての、「ボランタリー」という用語法であった。something newなんだけど、とりあえずどう命名していいかわからないから、一時的に「ボランティア」と名付けるような感覚だ。

しかし、面白かったのは、講座内で専攻も指導教官も違う5人が、議論をする中で、結局その「根っこ」のようなものとしては、同じモノを受け継いでいる、という点だ。アプローチは違っても、まだ見ぬ「同じ山」に登ろうとしている、その中でお互いを高め合おうとしている。同床異夢、だけれど、何かが一緒、そういう差異と共通性を改めて再確認した一日だった。

そして、共通と言えば、みんなその受けた「学恩」を、誰かに、何らかの形で伝えなくてはいけない、という社会的使命感のようなものを持っている、という点で共通していたことだろうか。我が我が、ではなく、うけとった何かの社会性や公共性を重要視した上で、次代に託せるバトンとして認識している。そういう意味での「根っこが同じ」という感覚を共有することが出来た。それこそ、「同じ釜の飯を食う」仲間だからこそ、見えてきた共通性。何だか、久々に「母港」に帰還したような清々しさを感じた。講座としての実態はもう亡くなった。しかし、そのソウルを受け継ぎ、次代にバトンする、というミッションを共有できたひとときだった。

いつもの「最終」より

 

2009年に入ってから初の「最終かいじ」号のひとである。

思えば昨年は本当にこの「最終かいじ」号にはお世話になった。22時20分頃まで、神保町で研究会があり、そこから都営新宿線(22時28分)に乗って新宿駅へ。研究会の間にご飯を食べ損ねた日(例えば今日)は新宿駅のキオスクで腹の足しになるもの(今年から再びダイエット計画なので、今日は98kcalのシリアルビスケット)を買って、行きに予約しておいた新宿23時発の「最終かいじ」の8号車4番あたりに座る。昨年は前期の月曜、立教で非常勤(1・2限)をしていたので、朝5時50分の普通電車!に乗って新座まで行き、二コマした後、東京に出てきて夕刻から研究会、というえげつない日程が4,5回はあったので、よくもまあ無茶したなぁ、と改めて驚嘆する。今日だって、4時半まで授業教授会で、終わるや否や電車に飛び乗って、だったのだけれど

大変だけれど、無理をしてでも出かけるのは、ずっと続けてきた研究会の成果として、一冊の本にまとめる最終段階だから。障害福祉政策のトップランナーの集まりの末席に加えて頂き、その場での議論についていこうと必死になりながら、にわか勉強を続けてきた。その議論と検討の成果が形になっていき、私自身の分担部分のドラフトも何とかおおむね了解も頂き、ほっと胸をなで下ろす。こういう「大きな背伸び」をすることが、学びの本質(の一つ)であるのだな、と改めて感じる。もともと絵に描いたような凡人なので、気が付けばずっと「大きな背伸び」ばかりだ。でも、こうして受け止めて頂く土壌があるから、伸びきったり筋が切れたりすることなく、何とかアジャスト出来ている(つもり?)のである。

実は明日も授業後、今度は徳島に出張なので、また今日帰る道の逆戻りなのだが、まあそれは仕方ない。それに、土日は全国の大学教員が総動員される例の「センター」とやらで、文字通り朝から晩まで詰めている。タイトな日々だが、まあ好きで選んだのだから、仕方ない、か。それに、こないだの3連休は文字通り「引きこもり」のように、家でずっといた。まあ、今日議論のまな板の上に上げたドラフトを書いていた、というのが主な理由だが、でも比較的のんびり本も読めたし、多少風邪も引きかけたが、そのおかげもあって身体もゆっくり休めた。まずまずの休暇であった。こういう休暇の後なので!?、馬車馬のように働くのも、まあしゃあないか、と諦めもつく。卒論の〆切もいよいよ来週火曜日なので、その追い込み学生の指導も明日だけで終わらない可能性も大いにあり得るし

忙しいことを言い訳に、モノを考えないでただ単に右から左、に済ます人もいる。一方、どれほど忙しくても、いや忙しいからこそ、きっちりと筋道立てて優先順位を考え、ロジカルな判断と組み立てを基本にして、次々と課題を整理していく人もいる。昨年の暮れあたりから、自分が前者であること、そしてそれが問題であること、を遅まきながらようやく強く意識し始めた。忙しいから「こそ」、徹底的に考え抜き、必要とされる事は何か、手持ちのカードで出来ることは何か、を突き詰めないと、突き抜けることはできない。そうようやくわかり始めた。このあたりが、今年の超えるべき課題だ、といつもの車内で改めて整理してみたくなった。