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パブコメを書いてみた

実家のある京都市が、「京都市不良な生活環境を解消するための支援及び是正措置に関する条例(仮称)(ごみ屋敷等対策条例)の制定について、という文章を出した。いわゆる「ゴミ屋敷」への対応案のようだが、色々問題があると感じた。京都市民以外でも受け付けるようなので、パブコメを書いてみた。以下、貼り付けておきます。
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京都市保健福祉局保健福祉部保健福祉総務課
ごみ屋敷等対策検討プロジェクトチーム事務局御中
山梨学院大学で教員をしている竹端と申します。
京都市出身で、現在も両親が京都市で暮らしております。
今回、貴市の条例案に憂慮の念を抱き、意見を書かせて頂きます。
私は大学で福祉政策を研究しており、精神障害のある方の支援にも研究テーマとして携わってきました。その中で、「ゴミ屋敷」とされるご家庭の問題についても、見聞きしてきました。確かに、ご近所にとっての大きな迷惑になっており、その苦情が今回の条例案の発端になっている、ということも、容易に推察されます。また、沢山の市民からの苦情と、当事者への対応で、板挟みになっている市役所の方々のご苦労も、理解できます。
ただ、今回の条例案を拝見して、最も危惧することがあります。それは、
「ゴミを溜めたり、ペットの糞尿などの被害を、強制的に止めることだけが、本当の解決に繋がるのか?」
という問いです。
既にお調べになっておられると思いますが、同じ「ゴミ屋敷対策」でも、豊中市さんと豊中市社協さんが取り組んでおられるアプローチは、京都市さんの条例案とはかなりアプローチが異なります。それは、まず、その「問題」とされる方に寄り添って、本人の「ゴミを溜めざるを得なくなったプロセス」を伺い、本人との信頼関係を構築した上で、ご本人が納得してゴミを捨てることに同意するプロセスを、時間をかけて構築していく、という点です。この時のキーワードは、「信頼関係」と「納得」です。この2つを作り出すために、社会福祉協議会に配属された「コミュニティーソーシャルワーカー」が、時間をかけて、ご本人のもとを通い続けています。そのアプローチの前提として、「話せばわかる」「相手と対話できるまで、こちらがアプローチし続ける」という姿勢があります。
一方、京都市さんの条例案の概要をみていて、そのような丁寧な関わりをされた上で、それでも応じない場合の措置なのだろうか、という点について、大きな疑問を感じます。行政が指導しても従わない場合は、強制的な命令も仕方ない、というプロセス自体への問いではありません。まず、行政が「指導」するときに、一方的・高圧的にゴミを捨てよ、という「指導」であれば、本人が「納得」してそれに従うのだろうか、という問いです。
一般に、ご近所とのトラブルを抱えたり、ゴミ屋敷となってしまうような方には、「性格が悪い」「人格障害」「発達障害」などのラベルが貼られやすいです。ただ、それは病状のせい、というより、ご本人と社会関係のうまくいかなさが極まって、周囲からの孤立、信頼できる他者の不在、諦めや焦燥感・・・などが重なり、「生きる苦悩が最大化」した結果、、ゴミを溜めるに至った、と私は理解しています。その時、「ゴミを捨てる」ことのみを目的とした「指導」をすることは、ご本人にとっての不信感の増すばかりです。ましてや、強制的な執行をした場合、さらに行政への不信感の悪循環は強まり、ご近所との関係もさらに悪化する可能性もあります。
では、どうすればいいか。
そこで、大切なのが、豊中市さんのされているようなアプローチです。「ゴミを捨てる」ことだけではなく、ご本人が「ゴミを溜めざるを得ない」悪循環構造に入り込み、その悪循環構造からの脱却を、ご本人との信頼関係を構築しながら、作り出そうとされています。「要支援者が自ら不良な生活環境を解消できるよう働きかけ」を本当にしたいと思うのなら、一方的な指導ではなく、まずは本人との信頼関係を構築し、その中で、「生活環境を改善したい」という「生きる希望や自信を取り戻す支援」こそ、必要不可欠だ、と私は考えます。その為にこそ、行政職員さんの叡智を結集し、自治組織との連携の中で、より良い支援体制や支援実践を創り上げていって頂きたい、と願っております。
これらの実践を充分に行った上で、なおも条例が必要な事態が全く変わりない、というのであれば、話は別です。でも、条例案を拝見する限り、そのようなアプローチを充分に尽くされたようには、お見受けしません。
条例は、一旦動き出すと、市民に大きな影響を与えます。まずは、本人との信頼関係醸成を目的にした、ご本人が悪循環から抜け出す「対策プロジェクト」をこそ、して頂きたいと願っております。
それがなされていないなら、この条例案には反対です。

地域づくりの玉手箱

なんて魅力的なレシピにあふれているのだろう、と思った。
とは言っても、料理本のことではない。「地域づくりのレシピ」と銘打たれた本の中で、ぐっと捕まれるような、核心的な表現の数々に出会う。例えば、こんなフレーズ。
「人が力を発揮して働くということは、その人が個人的に備えている能力の問題ではないと思っています。その人のもっている力が引き出され、発揮できるかどうかは職場のあり方にずいぶんさ左右されるのです。どれだけ主体的にやりがいや目的意識をもって仕事に取り組むことができるか、ともに高め合える工夫ができるのか、働く人たちも利用する人たちもそして関係者もあらゆる形で関わる人たちが協働することによって、よりよい場が実現できることが重要だと思います。だから、どんな人も自分のもっている力や個性を存分に発揮できる職場づくりはとても大切なテーマなのです。」(『日置真世のおいしい地域づくりのためのレシピ50』日置真世著、CLC、p187)
日置さんは、お子さんが障害を持って生まれた事がきっかけで、親の会活動から地域の社会資源作りなどを通じて「ネットワークサロン」のプロジェクトを釧路地域でどんどん増殖させ、障害のある人の生活介護やグループホーム、児童デイサービスなどだけでなく、不登校や生活保護受給世帯など、地域で支援を必要としている人々への事業展開を、次々と実現しているプロジェクトリーダーでもある。
その彼女の仕事の仕方を端的に表すのが上記の発言。彼女の中では、支援する人・される人、とか、障害や高齢、児童、生活保護などの対象別という切り分け方がない。民間か行政かNPOか、という立場や属性にも、こだわりがない。真の部分で、「どんな人にも役割があり、魅力がある」という軸があり、その人の役割や魅力を発揮でき、誇りを持って生きるための仕掛けや仕組み作りが必要だ、というミッションである。飯を食うために行う、というより、この仕事を通じて「活かされいる」と実感できる人を一人でも多く作りたい、という野望に満ちている。ご自身の肩書きを、自称「緩やかな市民革命家」と書いておられるが、「すべきだ・しなければならない」、という道徳的規範を押しつける説得型ではなく、「こんな風になったら良いよね」という夢を共有化・言語化し、応援団を形成する中で実現に持ち込むという、人々の納得のネットワーク形成の達人である。
日置さんはサロンを「人と情報のたまり場」と定義する。付け加えるなら、彼女たちが増殖させているこのネットワークサロンは、事業ベースのサロンではなく、人々の「思いや願い」をベースにしたサロンのようだ。事業規模が年間3億を超え、120人の有給スタッフがいる釧路の一大組織に育っても、彼女の地域作りの視点は、非常にシンプルで、かつ説得力がある。
「地域づくりとは地域のニーズを把握することであり、人を発掘し、育て、つなげることです。また、実際に地域の課題を解決することであり、新しい地域のあり方を提案することでもあります。そうした地域づくりのためのあらゆる機能を兼ね備えた新しい地域の課題を解決するツールが『コミュニティハウス』なのです。具体的な姿形が大切なのではなく、地域でつくりあげ、地域が考えながら協働して進めていくプロセスこそがモデルになるのです。」(同上、p273)
地域福祉の推進、とは、昨今の地域包括ケアシステム構築において、主流となる考えである。だが、そこに携わる行政や地域包括支援センター、社会福祉協議会というアクターが関わると、気づいたら予算や事業、お互いの立場といったものに絡め取られ、住民主体のかけ声とは裏腹に、支援者ベースになりやすい。しかし、日置さんは、地域づくりを、「住民活動の組織化」、などという表現では言わない。
 
「人を発掘し、育て、つなげること」。
 
なんて、魅力的な表現だろう。地域でまだ出会えていない様々な人々の魅力に気づき、その魅力を役割に変え、それをネットワークの中に投入して、様々なシナジー効果を生み出し、ご本人も、周りの人も、みんながハッピーになれるような好循環を作り出していく。実に魅力的な方法論である。かつ、彼女にとって、何らかの事業や箱物という成果物が目標ではない。「具体的な姿形が大切なのではなく、地域でつくりあげ、地域が考えながら協働してすすめていくプロセス」の重要性を説いている。これは、僕たちがチーム山梨で地域ケア会議を定義した時の「動的プロセス」論とも相通じる。
そう、地域の中でのネットワークサロンの展開とは、僕がブログで書いてきた表現を用いるならば、「拡大する螺旋階段」とか「渦づくり」の「動的プロセス」なのである。その中から産まれてくる「姿形」とは、あくまでも結果論であり、その「姿形」を創り上げる中で、「地域が考えながら協働」する、そのプロセスの中にこそ、「人を発掘し、育て、つなげる」動的ダイナミズムが体現されている。それこそ、今の事業型社協や上意下達型の地域包括ケアシステム推進に最も欠けて視点である。
その意味で、この「レシピ集」の中には、コミュニティーワークの無限の可能性が詰まっているし、このレシピを参考に、自分たちの地域でのオリジナルメニューの戦略がいろいろ浮かんでしまいそうな、実に愉快で、かつ学びの深い本であった。

残念な読後感

読み終わった後、これほど「残念」さを持つ本に、最近あまり出逢わなかった。というか、テーマが違ったら、決して最後まで読み通せなかっただろう一冊がある。

「調査を進めながら、私は一度も自ら『研究の中立性』を主張したことはない。決して『中立的な』研究はないし、福祉推進派にも福祉見直し派にも属さない自らの立場があると思った。ただし、立場が異なる人々が存在するなかで、対象が偏るとバイアスが生じる恐れがあることは自覚していた。こうした私の立場は、『研究の中立性』を求める人々にも、過去の福祉政策が正しかったと確信している人々にも理解されることは難しかった。私は、調査対象の偏りを避けること、また調査結果から得られた知見を忠実に記録すること、決して『結論ありき』の調査はしないことだけは約束した。実際の研究結果が、福祉推進派の期待も福祉見直し派の期待も『見事に裏切る』ことができること、これこそが私の目標であった。」(『地方自治体の福祉ガバナンス-「日本一の福祉」を目指した秋田県鷹巣町の20年』朴姫淑著、ミネルヴァ書房、p15-16)
この著者の博論に基づく一冊は、確かに読者の1人である僕の「期待も見事に裏切る」内容であった。しかも、それが残念な形で。
ただ、急ぎ付け加えておくが、僕自身も、「中立的な」読者ではない。僕の師匠は、この本曰く、「早い時期から鷹巣町の福祉政策において、距離を置いた外部支援者というよりも、当事者に化してしまった」(p79)大熊一夫氏である。僕自身、師匠に同行させて頂き、何度か鷹巣のケアタウンなどに見学にお邪魔した事がある。明らかに、この本のカテゴライズで言うところの「福祉推進派」のバイアスがかかっている。(ちなみに、鷹巣福祉のことをネットで知るには、この本曰く、福祉推進派の「外部支援者」である大熊由紀子さんのHPに色々掲載されています)
その一方で、なぜ鷹巣福祉が2000年代以後、急速に凋落していったのか、そのわけを切実に知りたい、と思う読者の1人でもあった。その顛末は、いくつかの師匠の本にも書かれている。だが、「福祉見直し派」の内在的論理も知りたい、と思って、この本を手に取った。師匠が福祉推進派の「当事者に化した」と評されるなら、外部研究者という「非当事者」が「自らの立場」で、福祉推進派・見直し派の双方の中心人物に長時間インタビューした記録は、師匠とは違う切り口で、鷹巣福祉の変遷の本質を描き出してくれるかも知れない。それが、7000円を超える高額な本を購入した最大の理由だった。だが、結果は、「残念」の一言であった。
何が「残念」だったのか。それを説明するために、著者の次の表記が手がかりになる。
「私が鷹巣町で目撃したのは、誰かがつくり上げたものを、誰かが根源から破壊することであった。その破壊力はどこから来るのだろうか。その力は必ずしも利害関係でもない。いつか深く傷つけられた記憶が、その政策を破壊する原動力になっている場合もある。福祉政策を批判した人々は、これまでの鷹巣町の福祉政策の成果を自分たちのものだとは思わなかった。『我々の福祉』ではなく、デンマーク型福祉に憧れた政治家や外部支援者、一部の住民によってつくられた『あなたたちの福祉』だと思った。その破壊する力には、長い間の恨みや嫉妬が含まれていた。福祉政策を批判する人々は、これまでの福祉政策をつくり上げた人々の独善と放漫を厳しく批判した。『日本一の福祉』政策を実現することは、政策に反対する人々からすると、自分たちが否定される過程でもあった。」(同上、p342)
これは、事実かどうかはは判断が不能である。ただ、「福祉見直派」の心情や内在的論理が、割としっかりと把握されている記載であると感じた。「福祉見直し派」とカテゴライズされる人は、「鷹巣町の福祉政策」に関してこんな風に見ていたのか、という事を、鷹巣町に通っていた大学院生時代の僕は知らなかった。そういう「見直し派」の内在的論理を、丁寧な聞き取りで描き出したのは、「知らなかった事を知れた」、という思いがある。
ただ、このような「恨みや嫉妬」という「深く傷つけられた記憶」に関して、正直に申し上げて、著者は「不用意」に聞いてしまったのではなかったか。それゆえに、この「恨みや嫉妬」という感情を、そのままこの本の中に投影してしまった。それが、この本を読むのが途中で苦しくなった、最大の理由である。「恨みや嫉妬」を、研究者の視点で解毒すること無く、そのまま書き示す。この著者がとった方法論は、僕は良しとしない。なぜなら、それは結果的に「恨みや嫉妬」の感情を反復させることであり、その反復によって、そのマイナスの悪循環は、治まるどころか、高速度回転する可能性がある。そう、以前のブログで引いた、アーリの発言のように。
「反復によって、『局所的』な変化で最も小さいものが、無数のたび重なる行動を通じて、予想外の、予想不可能でカオス的な帰結をもたらし、そして時としてエージェントが、自らがもたらそうとしていたものとは正反対のものを生み出すことになる。」(『グローバルな複雑性』ジョン・アーリ著、法政大学出版会、p71)
鷹巣町の政争の「推進派」「見直し派」の主要人物にインタビューした著者が解明すべきだったのは、この「推進派」と「見直し派」が、どのような「反復」を繰り返すことによって、「予測不可能でカオス的な帰結」をもたらしたのか、それが両派の「もたらそうとしていたもの」と、どのような「正反対のものを生み出すこと」になったのか、という、その悪循環の構造の解明ではなかったか。著者も、結論部分で次のように語っている。
「結果的に、福祉政策を進めるなかで、ますます住民が分断されてしまうことが非常に残念に思われた。人々を和解させ、連帯させるのではなく、人々を分断させ、敵対させるとはいったい何なのか。」(朴、p343)
これは、「推進派」「見直し派」双方が、実は深く感じていた疑問であり、いらだちであった、と想像出来る。だからこそ、どちらの「味方」にも属していない、第三者であるこの著者に、これだけ沢山の人が自分の思いを語ったのではないか。そして、その際、著者に期待されていたのは、「人々を分断させ、敵対させる」現状をどうしたら回避できるのか。旧鷹巣町の「人々を和解させ、連帯させる」ためにはどうすればよいのか、という筆者なりの処方箋ではなかったか? そして、そういう期待をこそ、この本は「見事に裏切る」ことになった。
確かに研究者には、研究の自由が保障されている。僕は他の研究者の「研究の自由」を毀損するつもりはない。だが、この事例は、猛烈な「破壊力」を前に、「推進派」「見直し派」の双方の、多数の人々が「深く傷つけられた記憶」を辿る研究である。流された血の跡にようやく出来た瘡蓋を見せて下さい、と頼むインタビューである。そこには、他方に傷つけられた「痛み」や「苦しみ」が、つよく作用している。そのような「生々しい感情」は、話す側にも、聞く側にも、蔓延しやすい、毒性化しうるものである。だからこそ、ふぐを調理するように、発言からきちんと毒を腑分けする能力や、その毒に感化されないセンサーが必要だった。だが、この本全体を通じて、様々な立場の「毒」をそのまま記載することにより、両者の「深く傷つけられた記憶」そのものを「反復」してしまっている。これでは、「分断」や「敵対」を加速させる効果はあっても、「和解させ、連帯させる」ヒントをこの本からは得られないのではないか。それが、一読者の感じた、素朴な疑問である。
筆者は「両者の間には、コミュニケーション自体が成り立たない深い溝があった」(p17)という。その両者と「コミュニケーション」できた著者だからこそ、その「深い溝」という悪循環の構造を解き明かし、「和解」や「連帯」に向けた、好循環の可能性を探るべきではなかったか。それが、著者のタイトルにある「福祉ガバナンス」の可能性ではないのか。その可能性を追うのではなく、多くの人々のあまりにも生々しい感情的な発言を「そのまま」掲載することによって、「恨みや嫉妬」、「深く傷つけられた記憶」といった「破壊力」を「鎮魂」するのではなく、むしろ「反復」する結果にはならなかったか。
「実を言うと、鷹巣町の人々がすべての問題を『政治家のせい』にしたり、すべての結果を『政治が変わったから=町長が変わったから』のように説明することに対して、私は強い違和感を覚えた。(略) そうした態度では、相手に対する批判だけあり、自分自身に対する反省はないように思われた。」(p18)
鷹栖町の人々が「相手に対する批判だけ」に終始するのは、20年以上にわたって蓄積された「深い溝」ゆえである。だからこそ、ある種の「感情癒着状態」から抜け出せず、その「破壊力」を制御できず、苦しんでいる。両者への聞き取りを通じ、筆者はそのことを充分に知っているはずである。なのに、「自分自身に対する反省はないように思われた」と、ある種”クール”に指摘してみせる。だが、インタビューに応じた語り手たちが求めているのは、「反省のなさ」に対する批評ではない。両者が抜け出せない悪循環構造をこそクールに分析し、「和解」や「連帯」という「福祉ガバナンス」実現にむけた鍵や好循環の可能性を検討することではなかっただろうか。
僕が読後に感じた「虚しさ」は、このあたりに渦巻いている。

手綱を緩め、場に任せる

そのことに気付けたのは、僕にとっては、決して小さくはない変化である。
 
福祉分野の研修を依頼されることが、少なくない。現場職員のスキルアップの研修を、沢山引き受けてきた。
研修の場で、これまでの僕は、その場をうまく収めることを意識していた。僕はなるべくいろんな人に発言を求めるのだけれど、その話を聞きながら、全体の流れの中に入れ込むことを常に意識していた。時として、想定外のボールがくると、たじたじになったり、あるいはお恥ずかしい話だけれど感情的になることだって、あった。そうして、必死になってハンドリングして、何とか一定レベルの研修の場を作ろうとしてきた。だから、一日研修の終わりは、たいがいグッタリしていた。
場のコントロールに必死になり、手綱をしっかりと握り、とにかく一日が終わるまで、ハイテンションだった。「元気を貰いました」なんて言ってもらえるのを喜んでいたけれど、それだけ「気」を使い、僕自身の生きるエネルギーというか、僕の気の流れは悪くなっていった。ここ数年、漢方治療に取り組んでいるが、一番最初に主治医に言われたのが、「気の巡りが悪い」ということ。つまり、文字通り「身を削って」研修していた。「もう少し、講演も研修もリラックスしたら?」とアドバイスされるのだけれど、せっかく話を聞いてもらえるチャンスなのだから、とどうしても必死になり、入れ込んだ話になっていた。
でも、昨日の研修現場では、ふと、手放してみたくなった。無理して発言をハンドリングするのではなく、その場の力を信じてみようと思った。全体討論の中である人から提起された、少し想定外なボール。「これに対して、誰か応えられる人はいませんか?」と、場全体に問いかけてみた。すると、ちゃんと応えてくれる人がいる。僕がアヤシイとってつけた発言をしなくとも、現場のリアリティに基づきながら「私なら、こうする」と言ってくれる人がいる。そこに、僕が合いの手を挟みながら展開すると、無理なく自然に落ち着くべきところに収束していく。
これまで、収めることばかりを意識化して、もしかしたら場全体の力を信じていなかったのかもしれない。いや、僕自身が場全体の力を信じ切れるほどの力量がなかったのかもしれない。でも、ふと、手放してみたら、場全体の物語が進行し始めた。そして、その場全体の物語の傍観者になっているほうが、随分と実りが豊かで、面白かった。そうなってみて初めて気づいたのだが、これまでは僕自身の物語に場を押し込んでいたのかもしれない。だからこそ、必死になって手綱を握りしめ、ぐいぐいと押し込んでいくことしか出来なかった。だから、研修の感想には、「面白かった」「元気を貰った」という感想と共に、「少し強引な展開に思えた」というのも、時として混じっていたのだ。
昨日の研修では、特に全体討論の時間で、場全体にバトンを託してみた。すると、僕が言及しておきたかった事が、どんどん会場内の発言から出てくる。僕は、それに対してポジティブな評価をしていくだけで、するすると進んでいく。参加者たちも、大学教員のきれいごと、ではなく、会場内の同業の研修仲間から出てきた迫力ある発言ゆえに、学びが多い。みんな興味深く話に聞き入り、メモを取り続けている。単なる双方向の空間を超えた、濃密な学び合いの空間が、気付いたら構築されつつあった。何気なくマイクを差し出した相手が、前の発言者の話を受けて議論を展開するシンクロニシティが、何度も起こっていた。僕は、マイクを持って歩きながら、その場全体の流れの展開の面白さに、ある種、くぎ付けになっていた。そんなライブだからこそ、終わった後は、心地よい疲れ、だった。いつものようなグッタリとした感覚は、全くなかった。
実は、僕自身が、研修のリーダーシップをとることに、これまで必死になっていたのかもしれない。でも、僕に求められる役割は、ファシリテーション。参加者がもともと持っている経験値や潜在的な可能性をうまく引き出し、別の角度から再検討し、新たな可能性を見出す支援。リーダーからファシリテーターへの変革は、支援者だけでなく、僕にも不可欠。1年前にブログで整理していたことは、支援者の変容課題だけでなく、僕の変容課題でもあったのだ。
昨日感じた解放感とは、無理にリーダーシップを取らなくてもよい、ということの解放感だった。取るべき責任と、取れるはずのない責任。それを見間違うと、自分がしょいきれない重荷を抱え込み、不全感を抱く。思えば大学教員になって、研修や講演の場で、必死になって求められることに応えようとしてきた9年間は、そんな背伸びばかりする、力みまくりの日々だった。
ここ5年くらい稽古に励んでいる合気道につなげて考えるなら、力づくの技が、一番ダメだといわれる。相手の身体のエネルギーや動きたい方向性を邪魔せずに、かえってその動きを活かしながら、その力も活用しながらこちらの技を導いていく。すると、小さなエネルギーでも、簡単に相手の動きを変え、こちらと一体になり、相手を崩すことが可能になる。
研修で必死に手綱を握りしめていた僕は、合気道の練習で体ががちがちになり、とにかく技を決めることに必死だった時代を思い起こさせる。有段者の兄弟子たちは逆に、しっかりとしたぶれない筋を持ちながら、柔軟に、こちらの力量を見極めながら、こちらの技にあった展開をしながら、うまく導いてくださる。これも、一つのファシリテーション。大切なのは、相手の動きをしっかりみて、その動きに合わせながらこちらの出力や方向性を変えていく柔軟性。でも、技を決めることに関しては、ぶれない一貫性をもちづける。この二つの絡み合ったファシリテーション。
一貫性にばかり目を向け、必死になっていた僕も、ようやく場全体の力を信じ、その場に身をゆだね、そのエネルギーにそった展開に歩みだす柔軟性を、少しはもち始めたのかも、しれない。

「学びの本質」を学ぶ

僕は、受験勉強なるものには、馴染めなかった。自分の頭で考えることは好きだったのだが、闇雲に暗記するというプロセスはどうにも好きになれなかった。中学時代の社会科は大の得意だったのに、高校の日本史や世界史では暗記的勉強が嫌で挫折。今から思えば歴史を放棄した事の代償は大きいと悔やまれるが、後の祭り。

でも、学ぶことは、素直に好きだ。クイズ王的に知識を溜め込むことには何の興味も持てないが、何かを学び、それによって自分の内側の組織編成が変わり、成長できるプロセスは、すごく魅力的だ。大学以後、試験科目に縛られない自由な学びの世界に見開かれ、専門や領域を限定せず、心の赴くままに学び続けて来た。そんな「学び」のプロセスや本質が、ものすごくわかりやすく書かれている本に出逢った。
「私見によれば、ドラッカーのマネジメント論の要点は以下の三つである。
   ①自分の行為のすべてを注意深く観察せよ、
   ②人の伝えようとしていることを聞け、
   ③自分のあり方を改めよ。
自らの世界に生じているものごとの本質に触れたなら、世界の見え方は一変する。世界の見え方が変われば当然、そのなかにいる『自分』のあり方も改まる。この時まさしく、パッと目の前が大きく開けた感じになり、自然と涙があふれてくる。そこには『恐れ』はない。」
(安冨歩『ドラッカーと論語』東洋経済新報社、p24)
このドラッカー=安冨論の要諦は、他者や世界を知る前に、まず自らの行為に目を向けよ、という部分。そういえば、安冨先生は、数年前に出された『生きる技法』の中で他者との比較に目を奪われ、憧れか自己嫌悪に終始することを「自己愛」と呼び、それとは反対に自らのあるがままの等身大の姿を受け入れることを「自愛」と呼んでいた(そのことは以前のブログも参照)。自己愛と自愛の最大の違いは、②→①か、①→②か、の違い。まず、「他者との比較」が先に来てしまうと、自分の実像がわからないままなので、ついつい他者の良い部分に目を奪われ、憧れや自己嫌悪を抱きやすい。でも、それで「あるがままの自分自身」を理解せずに、他者の真似ばかりしていたら、心ここにあらず、でいつまで経っても苦しい悪循環から抜け出せない。思えば20代前半まで、僕もこの回路にはまり込んでいた。
ゆえに、その悪循環の反復から抜けるためには、②ではなく①から始めよ、とドラッカー=安冨論は伝える。これは、言うは易く行うは難し、の世界である。なぜなら、膨大な情報の海に流されずに、自分のあるがままとは何か、今していることはどういうことか、を「注意深く観察する」のは、「時流」に反することだからである。「時流」=世間の流れに乗る方が、一見するとラクに見える。だが、それは憧れや自己嫌悪の無限増幅回路に乗っかる事をも意味する。この無限地獄から降りる為には、時流に反してでも、まず「自分のあるがまま」を注意深く観察することがある。そこに、マネジメントの入り口というか、本質が隠されている、というのだ。
上記の部分は、僕が『枠組み外しの旅』でウンウンと考え続けてきたことを、実に平易な日本語で鮮やかに示されていて、まさに脱帽した。と同時に、何度も何度も頷いていた。
論語に関しても『生きるための論語』という示唆深い作品を出しておられる安冨先生は、ドラッカーと孔子の本質的な共通点を次のように語る。
「フィードバックなしに組織は決して作動しない。これは、学習回路の開いた『君子』が存在しなければ、国家は存続が危ういと述べた『論語』と同じ主張である。社会のあらゆる組織の根幹には『フィードバック』がなくてはならない。ドラッカーは二十数世紀前に孔子が唱えた『學而時習之』を、現代の組織運営に再発見した人物と言えないだろうか。『マネジメント』の根本概念は何かと問われると、『顧客の創造』をあげることもできようが、私は『フィードバック』こそがドラッカー経営学の最重要概念だと考えている。」(同上、p46)
フードバックに基づく行動や認知の変容
これが学びの本質であると、ドラッカー=論語=安冨論は語る。自分の中に取り込んだ「入力」によって、以前の自分とどんな違い(=「出力」)が生じたのかを理解するというフィードバック。これは、自らの学習回路を開き、「自分が何を知らなかったか・わかっていなかったか・出来ていなかったか」を理解するプロセスである。このメタ認知がないと、どう変わるべきか、の具体的戦略が描けない。そして、その前提として、自分の未熟な部分も含めて、まず「あるがまま」の等身大を受け入れる必要があるのだ。
卑近な例だが、昨日まで韓国の国際学会に出かけてきた。社会起業家精神という言葉がここ数年の研究上のキーワードであり、それを深く学べそうな学会で、様々な発表を聞き、僕自身も発表してみた。アウェーな領域で、海外の学会。当然、誰も知り合いはいない。かなり緊張もしたし、準備も相当大変だった(何せこの1ヶ月で3つの学会発表のフルペーパーづくりに追われていた)。でも、そういう新たな場に身を置いて、アジア各国の研究者の発表を聞いたり、そこで知り合った日本人研究者と飲みながら議論している中で、「自分が何を知らないか・気付いていないか」に気づく事ができた。
英語がうまくしゃべれない。きちんと聞き取れない部分もある。フレンドリーに英語で話しかけるのが苦手だ。ディスカッションの輪の中に入りにくい自分がいる。懇親会ではやっぱり「壁の花」になりそうだ・・・。そういう苦々しい思いは、4年前の国際学会の時からあまり変わっていない。そういえば、そのトルコの学会発表の後の4年間は、障がい者制度改革推進会議と二冊の単著執筆に忙殺され、国際学会から遠ざかっていた。
ただ、4年前より少し成長しているのは、様々な「出来ない」「わからない」事に関して、そういうストレスフルな自分をありのまま受け入れようとし始めたこと。英語でアウェーな情報が渦巻く環境の中でも、②に巻き込まれる前に、①を少しは自覚していたこと。そうは言っても、憧れや自己嫌悪がもたげそうになったけれど、でも何とかフィードバックに基づく学習モードを維持できたこと。だからこそ、「己のわからなさ」を自覚した上で、「他人の伝えたいこと」から学び、自らの学習=変容課題に少しは気づけたこと。これが最大の収穫。その中で、住民主体型のcommunity developmentが、僕のここ最近の仕事を包含するキーワードであることを再確認できた。このフィードバックは、自分の次の学びの目標を定める上で、凄く大きな収穫であり、成果である、と感じている。
そういうフィードバックに基づく学習こそ、「学びの本質」である、と改めて安冨先生の本から学ばせて頂いた。新たな学びを忘れないうちに、備忘録的に書き記しておく。

現実を変える認知論的転換

こないだシノドスに、精神病棟転換型施設の問題点に関する記事を掲載頂いた。おかげさまで沢山のかたに読んで頂いたようで、様々なフィードバックがある。その中で、知り合いの記者から、こんなことを言われた。

「タケバタさんの文章は、割と哲学っぽいからねぇ」
僕の文章が「哲学」的? 確かに、財源論や具体的な方法論といった政策論は、あの記事では書いていない。むしろ、「精神病棟に住んでいる人は、高齢者で身よりも行き場もない人々だから、病棟を建て替えた入所施設で暮らしてもらうしかない」という「よりまし」論の認知の歪みに関して、「それはオカシイのではないか?」と批判をしたつもりである。ずっと「病状」「受け皿のなさ」を理由に隔離収容を続けておいて、現実に病床を減らす段階になれば、「病院の経営の為に退院させられない」という「釈明」をしても、それで「しかたない」とされてしまう患者の立場になったら、こんな理屈はたまったものではない、という趣旨である。すると、別の医師はとあるML上で、僕のような意見を述べる人々を「在宅原理主義者」と命名された。「実際に退院支援をやった苦労を知らない人間による、無責任な発言は許せない」、と。
こういう批評を読んでいて、感じることがある。
これは、政策論ではなくて、現状認知に関する「ちがい」である、と。
まあ、こういうことを書くから「哲学的」だと言われる。現実を変える政策論ではなく、現状を解釈するだけのアームチェア学者ではないか、と。でも、僕も、国の政策を検討する委員会に入ってみてわかったのだが、本当に政策を変えたければ、政策形成に関わる人々の認知を変える必要がある。いくら現行法からどう変えたら良いのか、という実現可能な対案を示しても、人々が「どうせ」「しかたない」と思っている、その認知枠組みを変えない限り、たとえ首相の肝いりで始めた政策であっても、うまくいかない。(その顛末は、二年前にシノドスに書いた)
だからこそ、『枠組み外しの旅』や『「病気」から「生きる苦悩」へのパラダイムシフト』といった、認知枠組みの転換に関する文書を書き続けてきた。そして、昨日読んだ薄いブックレットの中で、僕よりも軽やかに、そのパラダイムシフトを論じている先達に出会った。
「”意味”とは、ヒトとヒトとの間で『与えられる』ものであり、なんら『実体』を表すものではない。したがって、多くの『問題行動』や『症状』も、それはなんら『実体』を持つものではなく、『これが問題行動だ』『これが症状だ』と、そのヒトビトの中で認識された時点で、『問題行動』となり、『症状』となる、ということになります。」(森俊夫著『”問題構想の意味”にこだわるより”解決志向”で行こう』ほんの森出版、p39)
軽妙な(=オヤジギャグ入りの)話口調で、1時間ちょっとで読めるブックレットだが、中身は、まさに支援現場における認知枠組みにパラダイムシフト(=質的転換)をもたらす本である。森さんは、臨床心理士として数多くの支援現場に携わる中で、「問題行動の意味」にこだわることは、その「問題」に集中し、その行動をする本人や、その「問題行動」で困っている家族が、その「問題」から離れられなくなる、と指摘する。そんな「生じてしまった問題」という過去から現在にとらわれるより、「どうしたいのか」「どう変わりたいのか」という「未来」に目を向け、変わるための方法論を支援者と本人・家族が一緒になって模索する方が、現実的に変わる、と指摘する。
本人は、「問題行動」という悪循環にとらわれてしまって、そこから抜け出す事が出来ない。そのとき、家族や支援者が、その「問題行動」の「意味」や「原因」を追求するのは無駄である、と森さんは指摘する。これは、「悪循環の高速度回転」の構造を指摘した安冨先生の文章を想起させる。
「社会の安定は規範のみによって維持されていると誤解している場合、社会が不安定化しているという事態の『原因』を、規範が緩んでいるということに求めるという誤認が生じる。するとその対策は規範を強化することに求められる。このような対策は逆効果になる可能性が高い。悪循環が生じているときに循環のどこかを加速すれば、回転速度が上昇してしまうからである。状況を放置したままで規範を強化すると、そこからの逸脱がより多く目につくことになり、人が罰せられる回数が増え、与えられる罰が多くなる。これは人々に法からの逸脱が増加しているというメッセージを与え、法の機能不全と秩序の崩壊を感じさせる。この感覚は人々の不信感や放埒を拡大し、秩序をさらに不安定化する。これに対してさらなる規範の強化で臨めば、悪循環は高速度で回転する。」(安冨歩『複雑さを生きる』岩波書店、p105)
この本の中で安冨先生は、A→Bという原因と結果の連鎖という「因果論」的思考の限界を指摘する。人間世界でおこる「複雑さ」を縮減して理解する為の、「思考の節約」としての「因果論」的思考。それで、近代科学が飛躍的に発展し、様々な機械製品を発明できたから、私たちはそれが人間界にも当てはまる、と「思い込んで」いる。だが、先の森氏が指摘しているように、人間の「問題行動」には、単一の「原因」はない。問題行動という「結果」は、複雑な要因が絡み合って構成されている。であれば、その「意味」を模索する営みは、たいてい「正解」にたどり着かない。それどころか、これが「原因」だ、と「思い込んだ」内容に関して、その「対策」を打つことは、安冨先生に寄れば、「悪循環が生じているときに循環のどこかを加速すれば、回転速度が上昇してしまう」とさえ言う。「問題行動」に関して、「原因」を追求する営みが、実はこの「回転速度の上昇」につながる、「悪循環の高速度回転」の無限ループにはまり込んでいる可能性はないだろうか。
だからこそ、森さんは、その循環から出よ、と言っている。「問題行動の意味」(=原因)探しではなく、「解決」に目を向けることの重要性を指摘している。しかも、本当に「問題行動」を止めたければ、「どうなればいいのか」という「解決」のゴール設定を「本人が設定する」(p63)ことの重要性を唱えている。だが、支援者と言われるヒトビトは、本人の「どうなればいいの?」と聞く代わりに、「問題は何ですか?」と聞き続けるという。「困りごと」に目を向けてくれるのは良いけれど、「困らないためにどうしたいか」を聞いてくれないので、結局のところ、悪循環の高速度回転を、支援者が後押しする事態になってしまうのだ。そして、では支援者はどうアプローチを変えればいいのか、についても、森さんは次のように指摘している。
「多くの場合、クライエントは、自分が解決の方法を知っているということを知らないのです。今の例でも、先生が『痛くないところはどこ?』と聞いて初めて、クライエントは、自分の身体の中に痛くないところがあるのだ、ということを知ったのです。そんなものなんです。クライエントは『問題』のことしか考えていない、『問題』しか見えていないものなんです。『解決』がそこにあっても、全然目に入っていないんです。だから治療者が『ここを見てごらん』と、『解決』の方向に視線の向きを変えてあげる。これこそが心理療法であるわけです。」(森、同上、p71)
これは、心理療法を福祉的支援と言い換えても、全く同じ事がいえる。支援が必要な状態に陥っている人の中には、「自分が解決の方法を知っているということを知らない」人も少なくない。その際、「知らない」ことの「原因」や「意味」を探索するより、「知っている」ことに気づく支援の方が、遙かに生産的である。その方向性を変える支援こそが、価値があるのだ。そして、「解決の方法」を「本人が設定する」からこそ、これまで「問題行動」という悪循環の無限ループに固着していた本人が、初めてその悪循環構造から脱する事が出来るのである。
そして、僕はこれは、精神科病院に長期間入院して、「学習性無力症」になった多くの社会的入院患者にも通じることだと感じる。彼ら彼女らは、自分たちの過去に生じた「問題行動」や「精神症状」の「原因」や「意味」にのみ向き合わされ、「では、どうしたいのか?」という未来に向けた検討を一緒にやってくれる支援者がほとんどいなかったのではないか? だから、「退行症状」や「無為自閉」と呼ばれるような状態に構造的に追い込まれたのではないか。それって、支援者の作り出した「施設病」ではないか。そして、そのことについて、「病状だから」「受け皿がないから」と本人の退院の求めを拒否し続け、「どうしたらいいのか」について、入院患者本人に聞いてこなかった(=本人が設定する機会を奪ってきた)結果としての、長期社会的入院ではないか。
で、やっとのこと、精神科病床の削減の議論が始まった、と思ったら、今度は、病院経営という「都合」ばかりが主題として論じられる。今まで入院してきたご本人の「どうしたいか」という「設定」こそ大切にしよう、と提案すると、「在宅原理主義者だ」と一蹴される。それって、この悪循環構造にのみ固執する「現実主義」にしか思えない。原因-結果の因果論的思考や経験主義に拘泥し、「これまで地域移行がうまくいかなかったのだから、病棟内施設ではないと問題は解決しない」という自らの認知の偏りや思い込みを、政策に当てはめる思考である。別に、それを一個人の中で「妄想」するには、表現の自由だから、干渉するつもりはない。だが、病棟転換について議論する検討会の委員がそんな「妄想」を抱いているのは、大きな問題である。なぜなら、それは今まで「どうなればいいの?」と尋ねらてこなかった長期社会的入院患者に、また本人に聞くことなく、パターナリスティックに政策を続けることに変わりないからである。もう、こういう本人不在の政策的議論は、いい加減、終わりにしなければならない。
だからこそ、認知論的転換が必要なのだ。本人に聞くことなく、「専門家」が知っているから本人はそれに従えば幸せだ、という専門家主権型の認知枠組みこそ、そろそろ終焉を迎えなければならない。「病院=専門家中心の世紀」は、少なくとも精神医療では、20世紀のうちにとっくに「終焉」を迎えている。このような前時代の方法論を温存させるのではなく、クライエントが「知っていること」をちゃんと尋ね、その実現に向けた支援をするように、認知枠組みをこそ、変えていく必要がある。これが、病院中心のパラダイムから、地域支援中心のパラダイムへのシフトの最大の課題だ。そして、医師が「取れるはずもない責任」まで一手に担い続ける(させられた)歴史からも脱却しなければならない。居住支援や、生活支援まで医師が心配せずとも、ソーシャルワーカーやヘルパー、訪問看護などが力量を上げ、医師ときちんとチームを組んで、「医師には取れない責任」を生活支援側が取れるように、役割と責任の再分担をこそ、考えなければならない。それが、安心して医師が「取れない責任」をとり続ける悪循環から離脱できる条件でもあるのだ。
・・・と、ここまで書いても、僕の意見は「原理主義」なのだろうか?

地域支援におけるストレングスモデルへ

ずいぶん久しぶりのブログの更新。ここ最近は、ツイッターで書くことはあっても、ブログにまで手を付ける暇がなかった。5月末から6月前半にかけて、二つの学会の口頭発表に向けたフルペーパー作りに、国際学会の共著のフルペーパーが元々のデフォルト作業に挙がっていた。それだけでなく、大学の学内仕事も急激に立て込み、その上で「精神病棟転換型施設」に関して、放っておけないのでシノドスに原稿を書かせて頂いた。空いている時間はずっとパソコンに向かって何らかの原稿を書き続けていて、割と満身創痍。へろへろ、である。

ただ、そうやってアウトプットをしているようだが、去年までとは違う仕事の仕方をしている。昨年までの二年間は、これまで10年くらい書きためていた内容を、二冊の本にまとめる作業であった。だが、今は新たなジャンルにチャレンジしているので、ある種、書きながら考え、インプットしているような日々でもある。すると、読み返す本でも、別の視点から眺めることができる。
「支援のパラダイムを病理的な観点からストレングスとリジリアンスへと変更することは、クライエントにつていの新たな考え方をもたらしてくれる。それは、クライエントに内在するストレングスや力を引き出す支援体制につながる。それは単に、既存の病理学的なパラダイムに『ストレングスを足して混ぜる』以上のことである。そのようなパラダイム転換は、クライエントの欠点ではなく、技能、適性、能力を評価する新しい創造的なかかわり方をもたらす。」(『ストレングス・モデル 第三版』ラップ&ゴスチャ著、金剛出版、p74)
このラップのストレングスモデルの第一版は、翻訳者が精神科医だったこともあり、非常に医学モデル的な翻訳で、その良さが分からず「積ん読」書だった。だが、大阪府大の三田さんに「翻訳が悪いから、英語で読んで! めちゃ、感動するから」と言われて第二版を英語で読んで、その鮮やかな当事者中心性に魅入られた記憶がある。その後、リカバリー概念をよく理解した福祉研究者たちによる第二版の翻訳も出て、この1月に書き改められた第三版の翻訳も出た。で、たまたまこの第三版を読んでいて、上記の箇所に、別の引っかかりを持ち始めた。これって、個別支援の話に限定されることはないな、と。
ここ数年、地域包括ケアシステムや地域福祉領域で、現場支援の仕事にコミットしている。その視点で、ストレングスモデルを捉え直すと、実は地域への関わりも、これまでは「病理的な観点」ではなかったか、という問いが生まれる。限界集落や、支援困難事例など、家族やコミュニティの「問題」ばかりに焦点化してこなかったか。その地域や家族の持つ「良さ・強み」や復元力(リジリアンス)を信じ、その快復を信じていただろうか、という問いである。家族や地域の持つ「技能、適性、能力」をポジティブに「評価」し、「新しい創造的なかかわり方」をしてきただろうか。専門家が決めた枠組みの中で、「問題家族・限界地域」と固着化し、その「病理」を専門家と家族や地域の相互関係の中で増幅させてこなかっただろうか。
そこから、最近読んだ複雑系の議論にも接続可能だ。
「反復によって、『局所的』な変化で最も小さいものが、無数のたび重なる行動を通じて、予想外の、予想不可能でカオス的な帰結をもたらし、そして時としてエージェントが、自らがもたらそうとしていたものとは正反対のものを生み出すことになる。」(『グローバルな複雑性』ジョン・アーリ著、法政大学出版会、p71)
地域支援においても、例えば介護予防事業などのような「反復」が、正の効果を生み出すか。人々の役割や誇りや生きる希望に着目することなく、ADLにのみ着目する介護予防事業の反復は、一定以上の効果はもたらさず、返って「予想外」の「もたらそうとしていたものとは正反対のものを生み出すことになる」可能性はないか。そして、ここからは暴論だが、実は介護予防のパラダイムも、介護予防対象者をある種の「病理モデル」で捉えているが故の限界、とは言えないだろうか。それを、リカバリーやリジリアンスの視点で捉え直す、パラダイムシフトが求められているのではないだろうか。
具体的に考えてみよう。介護予防の脳トレとか、介護予防体操だとか、現場でされている実践にケチをつけるつもりはない。だが、繰り返し述べるが、人は役割や誇りや生きる希望を持つことが、最大の「生き甲斐」につながる。人の「良さ・強み」や復元力(リジリアンス)の発揮は、これらの役割や誇り、生きる希望と密接にリンクしている。そして、そのストレングスやリジリアンスに着目した支援を展開するか、病理モデルで捉えるか、で、何を「反復」するかも変わってくるのだ。

地域支援においても、問題を予防する、という病理モデルで関わるか、その地域の強みや良さ、復元力を信じ・伸ばすストレングス視点で関わるか、は、全く別の「反復」を生み出すはずだ。「何もない」「問題ばかりがある」と思ってその地域に関われば、支援者は「出来ないところ、だめな部分」を無意識に探そうとする。問題のない地域などないのだから、そのようなアプローチで探れば、実際に問題点はザクザク見える。そして、その問題にのみ「反復」的に関わる事が、結果的のその地域の「問題」のみをクローズアップし、問題に対応し予防しようとしているようで、問題の極大化につながりかねない。これは、例えばスラム地区を「問題地区」とのみ捉えて地域開発を行っても、スラム地区の改善にはつながらない、という海外の事例を思い出す。

一方、その地域は魅力的である、その魅力を探そう、という単純なアプローチは、そもそも関わる側が、「その地域には支援者の知らない何らかの潜在的な可能性があるはず」という前提で関わる。前者との「先入観」の違いによって、支援者と地域住民とのポジティブなコミュニケーションが増幅=反復する中で、その地域に関するネガティブな反復をポジティブに変え、「問題予防」モデルとは「正反対」の成果が浮かび上がってくる可能性があるのだ。これは、例えばチーム山梨の実践の中でも、「御用聞き」モデルという形で実践されはじめている。

こういうアイデアと、出会いながら、学会発表などでアウトプットしながら、新しい何かをつかもうと、インプットし続けているのかもしれない。

「五つのステップ」という学恩

連休後半でようやく時間が出来たので、録画した「ほのぼの屋」の映像を見る。僕がこの「ほのぼの屋」さんの存在を知ったのは、2002年。博論調査をしている真っ最中だった。ちょうどオープンほやほやの「ほのぼの屋」さんを訪問して以来、だったが、今年二軒目のお店を開く、と番組で知り、嬉しくなった。それと共に、博論で掘り下げたことを、もう一度、反芻しながらこの番組を見続けていた。(YouTubeにもアップされています)

博士論文をどういうテーマで掘り下げようかと迷っていたD2の終わり頃、大熊一夫師匠から、こう言われた時には、文字通り頭が真っ白になった。

「タケバタくんは、どうも精神科ソーシャルワーカーに執着しているようだから、いっそのこと、京都中の精神科ソーシャルワーカー全員にインタビューして、そこから発見したことを論文でまとめるように。それがなければ、君に博士論文の道はない。」
それを言われたのが2002年の冒頭で、博論締め切りはその年の12月末。文字通り、1年を切ったタイミングで、まさかの巨大調査。しかし、それをしなければ博論の可能性はない、とまで、師匠に断言されてしまう。強烈なピンチ。だが、迷っている暇もないほど追い詰められていたので、フィールドワーク先の精神科病院のベテランPSWにご協力頂き、京都のPSW協会の当時の会員120人強全員に連絡させて頂き、うち117人からインタビューさせて頂く、という無謀な試みを始めた。そして、確かに師匠の言うとおり、この「ほぼ全数調査」は、博論だけでなく、その後の僕自身の研究を進める上での大きな原点となった。
この調査は2002年の春から秋までのおよそ7ヶ月くらいでやり終えたので、死にものぐるいの調査だった。舞鶴から精華町まで、京都は縦に長い。そして、京都市内だけでなく、郡部にも様々な作業所や授産施設もあり、PSWは点在している。1名の方は電話インタビューだったが、後の方には、全員に会いに出かけた。研究費をどこからも貰っていなかった(助成財団に申請するというアイデアすら浮かばないほど追い詰められていた)ので、家庭教師や塾講師で稼ぎながら、毎日京都中を駆けずりまわり、話を伺い、インタビューデータを整理し、分析する、という過酷な日々だった。だが、その際に指導教官の大熊由紀子さんに、次のようにアドバイス頂いたことが、このインタビューを実りある論文に変えるきっかけとなった。

「現場で見聞きしたことから、どのような法則があるのか、をまとめてみては? 私も『おゆきの法則』としてまとめているのよ」
由紀子さんがおっしゃる、「作業仮説をたてる⇒法則を発見する⇒実証・検証・分析によって、それを吟味する、というプロセス」は、グラウンデッド・セオリーにも通じる、帰納法的な調査の王道である。だが、当時、グラウンデッドはおろか、帰納法と演繹法の違いも怪しい状態だったので、とにかく「インタビューデータから法則を作るんだ」という言葉を念仏のように唱えながら、現場に通い続け、話を聞き続けていた。その中で、冒頭にご紹介した「ほのぼの屋」の総支配人で、まいづる福祉会に所属するPSWの西澤心さんのお話を伺った頃から、ぼんやり法則のようなものが、僕の頭の中に浮かび始めた。
「僕が『オモロイ』と思うPSWって、現場を変え、社会資源を作り出している人だ。でも、本当に地域を変えた人って、当事者や周りの他人を変える前に、まずは自分が変わることからスタートしているのではないか?」
そういう予感を基に、インタビューデータを読み返して見ると、確かにオモロイ展開をしている人は、精神障害を持つ当事者の「本音」に出会い、まず自らの態度や考え方、既成概念や偏見の限界に気づく。そして、根本的に仕事のあり方を変えようとする。西澤さんが冒頭の番組でも話していたけれど、「障害者でもまともな給料がほしい」という本音に対して、「あなたは○○が出来ないから無理」と決めつけるのではなく、「では障害を持ちながらも、まともな給料が払える仕事を作り出すにはどうしたら良いか?」を考える。「出来ない100の理由」で説得するのではなく、「出来る一つの方法論」を徹底的に考え抜く中から、ブレークスルーとなるアイデアを思いつき、その実現に向けて周囲を巻き込み、渦を大きく展開する中で、無理に思えたことを実現していく。その結果として、障害当事者の役割や誇りを取り戻す支援が展開でき、それが希望につながる。そんなプロセスが見えてきたので、「五つのステップ」という法則にまとめてみた。
<精神障害者のノーマライゼーションを模索するPSWの五つのステップ>
ステップ1:本人の思いに、支援者が真摯に耳を傾ける 
ステップ2:その想いや願いを「○○だから」と否定せず、それを実現するために、支援者自身が奔走しはじめる(支援者自身が変わる) 
ステップ3:自分だけではうまくいかないから、地域の他の人々とつながりをもとめ、個人的ネットワークを作り始める 
ステップ4:個々人の連携では解決しない、予算や制度化が必要な問題をクリアするために、個人間連携を組織間連携へと高めていく 
ステップ5:その組織間連携の中から、当事者の想いや願いを一つ一つ実現し、当事者自身が役割も誇りも持った人間として生き生きとしてくる。(最終的に当事者が変わる) 
(竹端寛 2003 「精神障害者のノーマライゼーションに果たす精神科ソーシャルワーカー(PSW)の役割と課題―京都府でのPSW実態調査を基にー」大阪大学大学院人間科学研究科博士論文)
たとえば、ほのぼの屋の展開に当てはめるなら、それまでのまいづる福祉会がやっていたのは、ごく普通の作業所であり、工賃は1,2万円が上限だった。でも、「まともな給料がほしい」という「想いや願い」に、西澤さんや支援者たちは「そんなの無理」と否定せず、本気で実現するための奔走を始める。その中で、古本屋を始め、それがやがてレストランの運営という物語の展開を引き寄せ、月4、5万円の給料、多い人では月7万円を超える給料を支払うことが可能になり、ご本人の「役割」と「誇り」を取り戻す支援に
つながる。そして、このステップは、ほのぼの屋に限らず、例えば共生型ケアを始めた「このゆびとーまれ」の惣万さんや、精神障害者の地域支援の先駆的存在である「べてるの家」の向谷地さんなど、地域を変えてきたソーシャル・アクションの担い手に共通するプロセスであることも、博論を書いた後になって、気づき始めた。そのことは、博論執筆後10年後にやっと出せた単著、『枠組み外しの旅-「個性化」が変える福祉社会』の中で、整理することが出来た。
社会を変える前に、他人を変える前に、まず自分が変わる。
これは、言うは易く、行うは難いこと、である。特に福祉現場のような支援関係であれば、指導・助言は簡単に支配に転化しやすい。そんな中で、認知症や精神障害を持つ当事者を変えることより、その人が置かれた社会的環境を変えることで、障害のある人でも、認知症であっても、「ごく普通の暮らし」が実現できる。それが、スウェーデンやデンマークなどの北欧で実践されてきた、ほんまもんの「ノーマライゼーション」の中身そのものであり、博論を書いた後、僕自身もスウェーデンで半年暮らす中で実感したことでもある。
そして、僕自身はこの「5つのステップ」という作業仮説を法則化し、吟味するプロセスに歩み始めることが出来たので、その後、障害者地域自立支援協議会や地域包括ケアシステム、あるいはコミュニティ・ソーシャルワークの現場実践に関わるようになっても、ずっとこの「五のステップ」から、眺め続けている。このプロセス化は、僕自身が博論で気づいたこと、だけではなく、その後の10年の、そしてこれからの僕自身の仕事を形成するための、一つの軸というか、視座の獲得につながった。
そんな学恩を、西澤さんを始めとした京都のPSWの方々や、大熊由紀子さん、大熊一夫さんから頂いたんだなぁ、と走馬燈のように思い出しながら、映像に見入っていた。

ほんまもんの「共生社会」とは?

この原稿は、日本知的障害者福祉協会の出している「さぽーと」第61巻第2号に掲載された文章です。入所施設で働く職員や施設長が読まれる雑誌で、お題は「共生社会の実現に向けて」だったので、少し踏み込んだことを書いてみました。長いので、お暇と時間がある方は、どうぞ。

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「私たちが目指す共生社会の実現に向けて」


<はじめに>

「共生社会の実現に向けて」とは、一見すると、支援現場で働く「あなた」にとっては、すごく遠い「お題目」に見えるかもしれない。だが、知的障害のある人と支援者が日々どう向き合っているか、という目の前の課題の「捉え直し」が、共生社会の実現という大きな社会構造にも少なからぬ影響を与える。そのことを、具体例に基づき、考えてみたい。

<フィールドワークの現場にて>

10年以上前、とある入所施設で調査研究を行う際、まずはその施設の実情を学ばせてもらおう、と「一日体験」をさせてもらった。私が受け入れられたのは「重度棟」と呼ばれ、強度行動障害を持つ方や、重症心身障害の方が入所されていた。その棟に足を踏み入れてまもなく、何も言わずにスッと近寄ってきて、私の手を握ってくれた男性がいた。仮にAさん、と呼ぼう。

Aさんは言語的コミュニケーションが難しい方である。私が色々話しかけても、何も答えてくださらない。でも、ずっと手を握って、施設内をあちこち動こうとする。「なるほど、今日は一日Aさんが私にお付き合いしてくださるのだな」と勝手に納得して、手をつながれるまま、施設内をぶらぶらしていた。その後、とある「事件」が起こることなど、全く予期せぬまま。

Aさんと私は、日中はデイルームとして開放されている、食堂の片隅に座っていた。やがて夕食の配膳の準備が始まると、支援スタッフがそこにいた当事者のうちの何人かを食堂の外に出し、食堂の扉の鍵を一旦施錠する。多くの利用者は、食堂の外からガラス越しにこちらを眺めている。私とAさんはその光景を、食堂の中からぼんやり見ていた。

そして、支援スタッフは当日の夕食の配膳を始めた。味噌汁にご飯、おかずと各テーブルに並べていく。Aさんと私が座っているテーブルにもその食事が並べられていった。すると突然Aさんは、目の前のおかずを猛烈な勢いで食べ出した。必死の形相で、目の前の一人分だけでなく、他の人の分まで食べようとする。私はオロオロして、「Aさん、食事時間まで待とうよ!」と語りかけ、ご飯を食べる手を押さえようとするものの、Aさんは食事に集中して聞いてくれない。するとベテランスタッフ達が「しまったなぁ」という顔でやってきて、暴れて抵抗するAさんを二人がかりで抱きかかえ、食堂の外に連れ出す。オロオロしながら後から私もついて行くと、「静養室」と書かれた部屋にAさんを入れ、外から鍵をかけた。Aさんは必死に扉をガンガン叩いているが、あるスタッフは「もう今日の晩飯は十分に食べたから、オシマイ」と言って、食堂に戻っていった。

後でそのスタッフに伺うと、食堂の配膳時には、きちんと食事まで待てる人以外は外に出ておいてもらわないと今日のようなことが起こるということ、そしてAさんは普段は外に出される人であるということ、今日は私が一緒にいたのでそれをしなかったこと、が語られた。私には、「静養室」の中から扉を叩きながら私を見つめるAさんの表情が、今でも脳裏に浮かぶ。そして、「静養室」から出された後のAさんは、私と目を合わせず、決して手もつないで下さらなかったことも・・・。

<どちらの視点で眺めるか>

このエピソードを誰の視点で眺めるか、によって、見えて来る風景は大きく異なる。

まず、支援者の視点で眺めてみるならば、私の行為は「招かれざる客」による、「秩序を乱す行為」に映ったのかもしれない。ただでさえ少ない人員配置基準で、特に夕食時の配膳にも時間がかかる。その際、Aさんのように支援者の制止が聞かない利用者は、外に出しておくしかない、というのは、この棟でのある種の「裏ルール」である。なのに、外部者(私)がそのルールを破ったが故に、面倒なことになった。こっちだってAさんの気持ちを尊重したいのは山々だが、管理栄養士が一日の栄養バランスをきっちり調整してくれている食事なので、みだりにその量や内容を変えたくはない。そもそも、Aさんにじっくり付き合いたいが、50人の入所者を数人のスタッフで支援する為には、その余裕はない。すると、申し訳ないが、手のかかる事態になった場合は、静養室で落ち着くまで居てもらうしかない。言葉でそのことを伝えてわかっていればいいのだが、あいにくAさんはそれもわかってくれないので、力尽くでもそうするしかない・・・。

この視点も、支援者側にとっては、一つのリアリティを構成している。だが、別の視点で眺めてみると、別のリアリティも浮かぶ。

Aさんには、重い知的障害があり、言語的なコミュニケーションは取れない。IQ測定不能、と言われる。気に入らない・思い通りにならない事が起こった時には暴力行為を起こす、と記録されている。だが、Aさんは、他者との日常的接点を求めている人かもしれない。他人と手をつないでいると、安心感が広がり、心穏やかでいられる。いろいろと感じることも、考えることもあるのだが、とにかくそれを言葉として表現する事が出来ない。また、支援者が言うことは聞こえていても、どう判断し、考えればいいのか、を落ち着いて整理出来ない。また、そのような経験も少ない。その昔、家族と共に暮らしていたときは、食事だって自分の分がしっかり用意され、自分のペースで食べる事も出来た。だが、今暮らしている施設では、他の人に取られてしまう心配もあるので、とにかく早く食べなければ、とガムシャラになった。あと、不安が強くなると目の前のことしか見えなくなり、言葉や行為で制止されても、その意味がわからず、ますます不安が強まり、必死に反発する。本人にとってはSOSの自己表現なのだが、それが「暴力行為」と見なされて静養室に閉じ込められる。でもAさんは、不安故に必死になっているだけなのに、なぜそれで閉じ込められるのか、さっぱり理解できず混乱は深まり、必死に扉を叩いて抵抗する。「ここは恐ろしいところだ」と恐怖を感じながらも、毎日を必死で生きている・・・。

<グレーの立ち位置から>

このような整理の仕方には、様々な「反応」が考えられる。

Aさんの日常生活を支援していない『外野』は、好き勝手なことを言える」「現場の苦労も知らないくせに」「うちにもAさんのような人はいそうだ」「やってもいないものが、余計な口出しをするな」・・・

断っておきたいが、私は裁判官でも評論家でもない。どちらの、誰の見方が「正しい」「悪い」と査定・糾弾したい訳ではない。ただ、知的障害のある人との「共生」を考えるなら、上記の二つの見解の相違をつなぐ橋を架けなければならない、と考えている。その際、大切なのは、白と黒、善と悪を二項対立的に並べることではなく、むしろグレーの位置から考える、ということである。ジャーナリストの佐々木俊尚は、自らの新聞記者経験の自戒を込めて、次のように整理している。

本来われわれは絶対者ではない。絶対的な悪でもなく、絶対的な善でもない。その悪と善の間の曖昧でグレーな領域に生息している。しかしそのグレーな領域で互いの立ち位置を手探りでたしかめている状態、その状態こそが当事者である。われわれはそういうグレーな領域のなかに生息することで、つねに当事者としての立ち位置を確認する。グレーな領域こそが、インサイダーの本質なのだ。そしてこのグレーを引き受けることこそが、社会をわれわれ自身で構築するということにほかならない。(佐々木俊尚『「当事者」の時代』光文社新書、p361)

的障害のある人に関わる支援者も、「グレーな領域に生息している」。ゆえに、徹底的に当事者主体を貫くことも、逆に徹底的に支援者主導を貫くこともできる。

当事者主体を本気で貫くならば、集団管理や一括処遇をしなければ運営が成り立たない入所施設の人員配置基準そのものを問わざるを得なくなる。20118月に出された『障害者総合福祉法の骨格に関する総合福祉部会の提言』のパーソナルアシスタンスの定義の中で言われた、「1)利用者の主導(支援を受けての主導を含む)による、2)個別の関係性の下での、3)包括性と継続性を備えた生活支援」こそが、知的障害のある人への個別支援にも必要不可欠な制度だ、と感じるようになる。すると、入所施設という構造そのものへの問いが生まれて来る。

一方、支援者主導を重視するなら、重度障害者の安心・安全や「親亡き後の我が子の幸せ」を現実的に護るセーフティーネットの機能として、入所施設は必要不可欠だ、と整理出来る。その入所施設の人員配置基準そのものが低い現行法内で対応するには、少ない人数で効率的に当事者を支援する事も求められるため、時には「支配」的な関わりをしても、「しかなたい」とされる。そして、集団管理と一括処遇を続け、なかなかじっくりと一人一人に関われない中で、支援者の口頭での指導で応じない当事者に対しては、時として強制的な「指導」をすることも「やむをえない」雰囲気が出てくる。

支援をする「支援当事者」も、「グレーな領域に生息している」。ただ、支援者のあなたがそのグレーを「どう」引き受けるか、で、どのような「社会をわれわれ自身で構築する」のか、が変わってくる。そして、それはあなた自身が、社会をどのような「枠組み」で捉えているか、で変わってくる。

<二つの視点>

具体的に考えてみよう。私はしばしば講演で次の「二つの視点」を用いて皆さんに問いかける。あなた自身は、普段どちらの視点で物事を眺めていますか、と。

①「○○法・制度・体制での現実」の分析

  法自体やその枠組みを自明で変えられないもの(暗黙の前提)とし、「出された法・制度・体制の中でどう今の現実・事業・問題に適用しようか」と考える

  社会システム適応的視点(目の前のものを見る)

② 「法・制度・体制の枠組みや問題点」の分析

  制度や法内容を知った上で、その内容・説明を「鵜呑み」にしない。「私や私たち、地域の皆が豊かで自分らしく生きていける社会を作るためには、どこが問題・ツボなのか?」という視点から、法や制度、データを検討する

  社会システム構築的視点(鳥の目でものを見る)

「現実主義」を標榜する人ほど、①の視点で見ているかもしれない。確かに、②は一見すると理想論を追いかけるだけで、現実と乖離しているように、見えなくもない。だが、ここで問いかけたいのは、「法自体やその枠組みを自明で変えられないもの(暗黙の前提)」とする、という視点である。実は、知的障害のある人との共生を妨げているのが、法や制度の枠組みそのものである、としたら、どうだろう?

一人一人の支援当事者が、一生懸命、心を込めて知的障害者に向き合いながら支援をしていても、その現場の、一法人や一個人の努力だけでは解決出来ないことがある。それが、「重度障害者は入所施設での支援が『当たり前』」とされる制度設計であり、入所施設では個別支援が不可能で集団管理型一括処遇をせざるを得ない人員配置基準である。また、グループホームも20人以上の大規模型でも「しかたない」とされる論理である。

率直に申し上げて、これらの法制度の枠組みには「どうせ」「しかたない」の壁が立ちはだかっているように、私には見える。「昔から決まっているから(社会保障費はこれ以上増やせないから、知的障害者は生産性が低いから、国民の理解が得られないから・・・)」「どうせ」「しかたない」の壁。だが、これらの「出来ない100の理由」こそが、知的障害のある人との「共生」を妨げる最大の壁ではないのだろうか?

<枠組み外しの旅>

こう書くと、「そんなこと言われても、一人の支援者が法や制度、システムに関わる事など出来る訳がない」という批判が来るかもしれない。確かに、あなたや私「だけ」では、マクロな現実は変わらない。でも、社会やシステムの総体を変える前に、まず、あなたや私の関わり方そのものを、変える必要はないのだろうか? 社会システムに対する「どうせ」「しかたない」という「諦め」や「出来ない100の理由」を、知的障害のある人への支援の際にも、無批判に適応・転嫁していないだろうか? そうではなく、現場レベルから、「出来る一つの方法論」を徹底的に考え抜く実践を展開出来ているだろうか?

2012年に出版した『枠組み外しの旅-「個性化」が変える福祉社会』(青灯社)の中で、私自身が問い続けてきたのは、これらの問いであった。「支援当事者」は、支援対象者と関わり合う中で、支援を構築している。その際、支援制度やシステムという「所与の前提」の中で、関わり合うことが基本とされている。だが、その支援現場で、「支援当事者」であるあなた自身の関わり方を変えたら、個人やシステムそのものに影響を及ぼすことも、不可能ではない。あなたや私が変わる事で、あなたや私が関わる世界に変化をもたらすことが出来る。その渦は、最初は小さくても、やがて渦が拡大する中で、あなた自身の「個性化」にもつながり、それは社会変容とも重なるのではないか。それを論じた。

その実例が、スウェーデン人のベンクト・ニィリエである。彼は、知的障害者の家族会(FUB)のオンブズマンをしていた1960年代に、知的障害者が処遇されている数多くの入所施設・特殊病院を訪れた。そして、入所施設の個々の支援(現象)に共通するパターンや構造が集団管理型一括処遇である、と気づき、それは「アブノーマル」である、と結論づけた。それを変える為に、1969年、「ノーマライゼーションの原理」(注1)を発表した。

1,ノーマライゼーションは、知的障害者にとっての一日のノーマルなリズムを意味している。

2,ノーマライゼーションはまた、ノーマルな生活上の日課も含んでいる。

3,ノーマライゼーションはまた、本人にとって意味のある休日や家族と一緒に過ごす日々を含む、一年のノーマルなリズムを経験することを意味する。

4,ノーマライゼーションはまた、ライフサイクルにおけるノーマルな発達的経験をする機会を意味している。

5,ノーマライゼーションの原理はまた、知的障害者本人の選択や願い、要求が可能な限り十分に考慮され、尊重されなければならないことを意味している。

6,ノーマライゼーションはまた、男女が共に住む世界に暮らすことを意味する。

7,知的障害者にできるだけノーマルに近い生活を獲得させるための必要条件とは、ノーマルな経済水準を適用することである。

8,ノーマライゼーションの原理で特に重要なのは、病院、学校、グループホーム、福祉ホーム、ケア付きホームといった場所の物理的設備基準が、一般の市民の同種の施設に適用されるのと同等であるべきだという点である。

ニィリエが提示したこの「8つの原理」は、「出来ない100の理由」ではなく、「出来る一つの方法論」の提示であった。この原理に基づいて、欧米でも、日本でも、知的障害者本人の「ノーマルな生活環境」の構築が進められてきた。スウェーデンでは、19991231日までに入所施設を全廃する法律まで作り、実際に2003年にはゼロになった。それは、パーソナルアシスタンスなど地域で支援する制度を知的障害者の権利として保障するLSSという法律が作られたからこそ、実現した成果であった(注2)。

まり、ニィリエ個人の「枠組み外し」は、それが「原理」として示される中で、多くの人や社会に影響を与えた。1960年代には入所施設ケアという「枠組み」は、世界的に変えられない「常識」であった。だが、このニィリエの「枠組み外し」の「原理」は、その後たった30年で、スウェーデンでの入所施設ケアを終焉に導く原動力になったのである。あなたの支援現場では、この8つの原理は護られているだろうか? 「出来ない100の理由」と「出来る一つの方法論」のどちらが重視されているだろうか? これらの問いかけは、知的障害を持つ人との共生を考える上で、大切な問いとなる。

<セルフアドボカシーについて>

ころで、このニィリエの提唱した8つの原理の中で、当時、家族会から最も反発が強かったのが、5の自己決定・自己選択の原理であった。「自分独自の意見や考えを持つこと」は、親の支配下からの「巣立ち」を意味している。「そんなこと出来るはずがない!」と思い込んでいた家族達の眼には、ニィリエはある種の「危険思想」を吹き込む人に見えたのだろう。彼はこの原理を提起してまもなく家族会から実質的に追い出されるのだが、その背景にも、「知的障害者はあくまでも親の主導に従うこと」という信念体系があった。

この信念体系について、「対岸の火事」と笑い事に出来るだろうか?

「支援」現場において、「する・される」の関係は、「グレーな領域」である。たとえ言語的コミュニケーションが殆どとれない対象者と相対しても、支援される側の表情や眼の動き、行動パターンなどから支援者が学び続け、本人の笑顔や心地よさが増える支援を心がけることも出来る。一方、支援者の都合に合わせて、当事者をコントロールすることも可能である。「支援」は、「支配」に転嫁する可能性を多分に秘めている。意思決定支援も、その支援に携わる支援者が「支配的」な支援をしているならば、本人の意思決定を豊かにするどころか、身近な抑圧者にすり替わってしまう危険性を孕んでいる。これでは、知的障害を持つ本人にとっては、「共生」社会ではなく、「強制」や「矯正」を強いられる事態となりかねない危険性もある。

そこで大切な視点が、セルフアドボカシーの考え方である。

セルフアドボカシー(self-advocacy)とは、一言で言えば「自分自身や同じ経験を持つ仲間による権利擁護」である。従来型の権利擁護やアドボカシーは、「必要なことなら何でもしてくれる擁護者(advocate)」にお任せする形が主流であった。ここでは擁護者の専門性と性善説に基づき、あくまでも依頼者は「援護の客体」として擁護者に全面的に依存する、という流れのなかに位置する。あたかも弁護士や医師に対して「全面的にお任せ」するように。

一方、セルフアドボカシー支援では、問題解決の主体は擁護役ではなく、本人自身であると位置付ける。ただ、自分だけでは解決できない(しにくい)から、「自分の問題を解決するために必要な戦略や技術を学ぶのを助けてくれる人」(the self-advocate)に頼る。しかし、それは一時的・部分的なものであり、セルフアドボカシー支援の目標はあくまでも「自分のために発言し、自分の人生に影響を与える決定に参画できるよう力をつけること」である。

ただ、このセルフアドボカシーの考え方については、「身体障害者や軽度の知的障害者には当てはまっても、重度の知的障害者にはそぐわないのではないか?」という疑問を抱かれるかもしれない。しかし、私が出会ったAさんだって、セルフアドボカシーの視点で支援を考えていれば、その後の展開は随分異なったのではないか。今なら、そう言えそうだ。

<権利擁護が支援を変える>

Aさんが必死の形相で目の前のご飯を、他人の分まで食べていた。それまで落ち着いて私の手を導いてくれていたAさんとは、全く他人のように豹変した姿。そこには、食事に対する強いこだわりや、あるいは切迫感のようなものがあった。それを「職員の制止が効かない逸脱行動」と捉えるのは、本人の行動を管理・支配したい支援者側の欲望が現れた視点、とは言えないだろうか。普段落ち着いている人が、なぜ食事に関してだけは、落ち着きをなくすのか。そこに、本人なりの強烈な「○○したい」という思いや願い、切迫感のあるSOSの自己表現が存在する。そう捉えるならば、その「問題を解決するために必要な戦略や技術」を支援者と支援対象者が一緒に考え合うのが、セルフアドボカシーに基づいた支援戦略、とは言えないだろうか。

繰り返し述べるが、支援と支配は紙一重の関係にある。「問題行動」を制止する事が目的になれば、支援は簡単に支配に成り下がる。2013年の暮れに発覚した千葉県の袖ケ浦福祉センター養育園の虐待事件でも、暴行行為の理由として、「支援がうまくいかず、手を出してしまった。安易な方法に頼ってしまった」と職員が答えていた、という(注3)。「支援がうまくいかない」というのは、支援現場でしばしば見られることだ。この際、チーム支援や相談できる関係性が組織的に保たれていないと、抱え込み・燃え尽きや、今回のような虐待・暴行などの結果を生み出しかねない。支援現場とは、常に「グレーな領域」なのである。

だからこそ、対象者がどのような障害・状態であろうとも、支援現場で常に求められるのは、ご本人が「自分のために発言し、自分の人生に影響を与える決定に参画できるよう力をつけること」というセルフアドボカシー支援である。自傷他害や問題行動という形でしか「自己表現」(=発言)が出来ない人が、その命がけの自己表現で何を伝えようとしているのか、を、支援チームで探る姿勢である。その中から、ご本人の人生によい影響が生まれるように、本人と支援チームが一緒になって共同決定していく姿である。一人の支援者が本人の気持ちを勝手に代弁して意志決定支援をせず、支援チームと本人が想いを共有するなかで、より良い支援の方向性を一緒に模索する、「出来る一つの方法論」を探る姿である。そういう権利擁護に基づいた仕事の仕方こそ、支援現場を変えていく。

そんな思いを込めて、昨年、『権利擁護が支援を変える-セルフアドボカシーから虐待防止まで』(現代書館)という本も上梓した。支援現場では、矯正・強制の方向にも、また共生の方向にも進みうる、「グレーな領域」である。であるからこそ、「出来ない100の理由」も、「出来る一つの方法論」も展開しうる現場である。制度やシステムを変えるのは簡単ではない。だが、支援者であるあなたが、セルフアドボカシーを学び、権利擁護に基づいて支援を変えていく中で、支援現場は少しずつ、変わり始める。その姿勢が、社会を変える第一歩となる。支援現場のあなたが、権利擁護実践をどう展開出来るか。この個別支援の試行錯誤が、知的障害を持つ人との共生に向けた、大きな一歩となるはずだ。


1・・・Nirje, Bengt. 2003. Normaliseringsprincipen. Stockholm:
Studentlitteratur. (
ハンソン友子訳 2008『再考・ノーマライゼーションの原理 : その広がりと現代的意義』現代書館)

2・・・竹端寛「スウェーデンではノーマライゼーションがどこまで浸透したか?」平成15年度厚生労働科学研究障害保健福祉総合研究推進事業 日本人研究者派遣報告書 

 http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resource/other/takebata.html

注3・・・毎日新聞 20131215日 『袖ケ浦の少年死亡:施設虐待「最も悪質」 実態解明を要求』 http://mainichi.jp/select/news/20131216k0000m040009000c.html

立場主義の呪縛を自覚化する

年度末から新年度にかけて、仕事がみっちり立て込んできた。その間、3月末に墓参を兼ねた旅に出かけたら、見事に沖縄で風邪を引いてしまう。でも、向こうで養生して、甲府に帰ってきたら治ってしまい、仕事仲間から「甲府での緊張感が抜けたのですね」「向こうで緩んで、帰って来たら仕事モードなのですね」と言われて、ハッとさせられる。反論したいが、全くその通り。

で、そのことの意識化、だけでなく、自分自身が今、強く意識化していることがある。それは、手前味噌ながら、拙著に書いておいたことだ。
「実は僕自身、大学講師の時は、「大学教員」というエクリチュールの「虜囚」性をそれほど意識していなかったし、それがマイナスの循環性である事にも気づいていなかった。しかし、「准教授」という肩書きに変化した後、しばしば自分の中で「山梨学院大学法学部政治行政学科准教授」という肩書きが鳴り響く。それは、「准教授」という肩書きが求めるエクリチュールや役割期待と、「タケバタヒロシ」という実態との乖離の部分もある。おそらく「准教授」役割(エクリチュール)を当たり前のものとして引き受けるか、あるいは逆に「タケバタヒロシ」という個性や本性を突き通せば、この乖離はなかったのだろう。だが、僕自身は准教授の肩書きと個性の間で揺れ動いていたので、この肩書きから召喚の声と一体化できずに、でもその声を聞き続けていた。」(竹端寛『枠組み外しの旅-「個性化」が変える福祉社会』青灯社、p42-43)
エクリチュールとは、「社会的に規定された言葉の使い方」という意味で、ロラン・バルトが提唱したものである、と僕は内田樹先生の本を通じて学んだ。このエクリチュールが大きな問題になるのは、単なる言葉の使い方を超えて、「生き方とセットになっている」という点である、と内田先生は指摘している(『街場の読書論』)。例えば「やんきい」でも「国会議員」でも「教師」でも、単にそれっぽい言葉の使い方をするだけでなく、表情や感情表現、服装やはたまた宇宙観までが影響される、というのだ。確かに、「やんきい」が政治を論じる姿はあまり見かけないし、本来バカではないはずの「国会議員」が反知性主義的な発言をする。政治を論じたい「やんきい」も、反知性主義を諫めたい「国会議員」も、それぞれのエクリチュールに拘束されて、その枠組みやパッケージに反する言動を自己抑制してしまう、というのだ。
そして、「教師」という自分の仕事でも、同じことが言える。引用部分で述べたかったのは、大学院生時代のメンタリティーを持っていたタケバタヒロシくんが、「准教授」という肩書きになった後、「山梨学院大学法学部政治行政学科准教授」というエクリチュールと、「タケバタヒロシ」の本性とが、乖離・分裂した状態のままで、非常に違和感を持ち続けた、ということだ。「僕自身は准教授の肩書きと個性の間で揺れ動いていたので、この肩書きから召喚の声と一体化できずに、でもその声を聞き続けていた」結果、僕は大きな「危機」に陥る。それが、『枠組み外しの旅』を書かせる原動力になった。
その「危機」の話にご興味がある方は拙著をご高覧頂くとして、今日書いておきたいのは、「その後」の話である。「准教授」というエクリチュールと「タケバタヒロシ」の分裂の危機を、『枠組み外しの旅』を書きながら、何とか乗り越えてきた。その後、あのしんどさは何だったのだろう、と思っていると、この本でもお世話になった安冨先生が、非常に明快に整理して下さった。それが「立場主義」である。
立場主義三原則
1,「役」を果たすためには、なんでもしなくてはならない。
2,「立場」を守るためなら、なにをしても良い。
3,人の「立場」を脅かしてはならない。
エクリチュールが生き方とパッケージになっている。これは、「立場」を守るためなら何をしても良いし、「役」を果たすためにはなんでもしなければならない、という「立場主義」そのもの、である。「准教授」という「立場」や、それに付随する「役」。それを守るために、そのイメージを汚さないために、様々な思いや感情を持つ「タケバタヒロシ」に蓋をして、「准教授」に適合的な部分だけを表出せよ。そういう社会的な同調圧力に対して、どこかで身体が納得しきれなくて、「肩書きから召喚の声と一体化できずに、でもその声を聞き続けていた」のであった。それが、「一次的存在論的安定」に亀裂をもたらす、深刻な危機に僕自身を追い込んだ。3年前の今頃、ある種、自分の中の何かが分裂する危機にいたのだ。
だが、その自らを追い込む呪縛の構造を自覚化し、その「枠組み」を外し、「箱の外に出る勇気」を持つことによって、僕は、何とか快復していった。今から思えば、この『枠組み外し』本は、「立場主義」という「箱の外に出る勇気」を持つために、ある種の自覚化を促し、結果論として自己治癒的に書いた本なのかもしれない。
そして、その「自覚化」が出来たからこそ、今、僕自身が直面している、より強固な「立場主義」の「呪縛」についても、そのものとして「自覚化」出来ている。
四月から、肩書きから「准」が外れてしまった。
そのことが何を意味するのか、よくわからない。だが、多分に「立場」や「役」の拘束力や呪縛が、以前の肩書きより遙かに強固であることは、想像に難くない。実は、この肩書き変更は、真剣に辞退しようと考えたのだが、結果的に立場主義三原則に抵触する可能性もあり、辞退しない選択をした経緯もある。既に、審査の段階で、立場主義の呪縛の枠内にいたのだ。
ただ、以前と違い、「箱の外に出る勇気」を持てている。自らの本性に対する違和感が「立場主義」である、という自覚化が出来ている。さらに言えば、その「立場主義」からの「枠組み外し」の方法論も、自ら一度くぐり抜け、整理してきたので自覚化出来ている。僕自身が人間らしく生き続ける為に必要なのは、この「自覚化」である、と強く感じている。自己呪縛を乗り越えるのは、自覚化である。その「武器」
を手に入れた分だけ、以前よりもずいぶん楽に暮らせそうだ。