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ケアへの解像度をぐっと上げる一冊

毎回本を送り合う村上靖彦さんから、またまた魅力的な一冊が送られてきた。『傷つきやすさと傷つけやすさ ケアと生きるスペースをめぐってある男性研究者が考えたこと』(KADOKAWA)である。この本は村上さんの新境地の開拓にも繋がっていると、読んでいて思った。それは冒頭で以下のように宣言されたところから、はじまる。

「ところで、本書では一人称単数形を『僕』と表記する。幼稚かもしれないが、日常生活での僕は、自分を『僕』ないし『オレ』と呼ぶ。今までの著書では日常では使わない『私』を用いていたのだが、そうしてしまうと、僕自身の経験から切り離されてしまうことに気がついた。『私』『私たち』と書いているときには、僕自身が生活のなかで感じたことや戸惑いを切り落としており、記述している事態に対して責任を負っていない。なので、今回は実験的に『僕』と書いてみる。そして多くの人に当てはまるだろう一般的な事態を表現するときに『自分』『私たち』というニュートラルな代名詞で対比する。」(p8)

自分をどう名乗るか。これは大きな問題だと思う。多くの科学論文では、僕や私は登場しない。筆者や発表者、としか語られない。それは客観性が重視される自然科学の伝統に従い、主観性を排除した論理的な構成を目指す時に、僕や私などの主語が邪魔になる、という価値前提である。また、教授会等で発言する場合、あるいは新書や雑誌、新聞など一般向けに書かれる媒体であっても、私と表記する場合が多い。公的に自分の意見を表明する場合、私の方が一般的である、という社会通念がある。

でも今回の村上さんは、それらを分かった上で、敢えて「僕」という表記を使う。これは勇気がいったことだと思う。竹端も個人のブログではずっと「僕」と書いてきた。でも、最初の単著を書く際、どう考えても「私」という主語で書くと、内容が書けないことが見えてきた。それは村上さんの言うように「僕自身の経験から切り離されてしまう」からである。だから、怖々、おずおずと、僕と書いて、当時こんな註もつけておいた。

「例えば論文における「筆者」という立ち位置は、客観性を担保する為の装いであるが、書き手の意図を後景化させる効果がある。また、僕自身は「私」という表現を、個人的にはあまり使い慣れていない。そこで今回は敢えて、客観的な「筆者」や、普段使い慣れない「私」ではなく、普段のブログで書き慣れた「僕」という主語を用いる事で、大学教員というエクリチュールから距離を取ろうとしている。」(竹端寛『枠組み外しの旅 「個性化」が変える福祉社会』青灯社、p214)

なので村上さんのこの態度表明は、「同志発見!」的な嬉しさがあった。

さて、中身に入ると赤線引きまくり、のオモロイ一冊なのだが、その中でも僕自身が特に刺さったフレーズをいくつか引用してみたい。

「家父長的な資本主義が成立したのにともなって、<広い意味のケア>は家のなかで主婦に押しつけられ、<強い意味のケア>は病院などの施設に隔離された。」(村上、前掲書、p56)

これもすごくわかりやすい整理だし、手前味噌ながら、僕が昔書いた論文のタイトル「「家族丸抱え」から「施設丸投げ」へ─日本型“残余”福祉形成史」ってそういう意味だったのだ、と深く納得した。障害者や高齢者のケアは、「家のなかで主婦に押しつけられ」る一方で、それが限界を超えたり、主婦がいない場合、「病院などの施設に隔離された」歴史がある。広義の意味でのケアを<広い意味のケア>としたとき、それは家庭の主婦に押しつけられ、より集中的な支援が必要という意味で<強い意味のケア>は病院や入所施設などに押しつけられる。これはまさに「家族丸抱え」か「施設丸投げ」という、ケアの二者択一的現状なのだ。そして、村上さんは、そのような二者択一を超えるためにはどうすればよいか、を本書で考察している。

介護殺人について触れた場面で、こんな風にも語っている。

「やむを得ない事情から介護の負担を一人で背負い込んでしまっているが、この『やむを得ない事情』の多くは、『家族で面倒を見ないといけない』『人に迷惑をかけてはいけない』という『自助』の意識である。つまり社会が押しつける自己責任論を、内面化したことで生まれた感情だ。本書では『人に迷惑をかけられない』という意識を、『ケアが不足していて困っている』というSOSへと読み替える。」(p63)

ケアの二者択的現状を超えるための第一歩は、ケアに関する認識を変えることである。村上さんはその第一歩として、「『人に迷惑をかけられない』という意識を、『ケアが不足していて困っている』というSOSへと読み替える」ことを提唱する。これは、サラリと書いているが、実は本質的な読み替えである。

拙著『ケアしケアされ、生きていく』のなかで、「迷惑をかけるな憲法」の話を書いた。憲法にも各種条文にも書かれていない「人に迷惑をかけてはならない」を、日本国憲法よりも上位概念として護っている学生が山ほどいることを目にして、そう命名した。介護殺人も、他人の世話になりたくない、とか、他者に迷惑をかけてはならない、というこの規範意識や「迷惑をかけるな憲法」から、「家族丸抱え」に限界が来て、家族内殺人に至るのである。

この現象は確かに、「『ケアが不足していて困っている』というSOS」そのものなのだが、そう読み替えよう、というこの社会のコードはない。ただ、村上さんが長年フィールドワークをして、『子どもたちがつくる町 大阪・西成の子育て支援』(世界思想社)という著作にもまとめられた大阪の西成などでは、多くの支援者達がこの読み替えを自然にしていたのだと思う。そうしないと、虐待やセルフ・ネグレクトなど、かなりしんどい状況にある子どもやその親の苦境に対応することが出来ないからだ。そして、長年その現場に通い続け、支援者の言葉を聞き続けた村上さんだからこそ、「『人に迷惑をかけられない』という意識を、『ケアが不足していて困っている』というSOSへと読み替える」ことが出来たのだ。この命名のし直しは、ケアへの解像度をぐっと上げる効果があるし、「困難事例」を読み解く際の鍵にもなると思う。

「社会的困窮地域の子ども支援での調査を通して学んだのは、西野さんや松浦さんに限らず<かすかなSOSへのアンテナ>が地域の支援で共有されていることだ。かすかなSOSは自発性と能動性のミニマムな姿でもある。ケアの中の暴力の姿の一つは、困窮に気づかれないがゆえにケアを受け取ることができずにいることだ。SOSのかすかなシグナルを発する能動性と、シグナルを受け取る人の受動性を確保することは、ケア的な主体を確保するための最後の砦となる。」(p174)

最も困難を抱えている人ほど、それを言語的に表現出来ない。だから、援助されずに困難の悪循環に陥っている。その時に、支援する側が<かすかなSOSへのアンテナ>を持ち、それが地域の中で共有されているかいなか、によって、その困難を抱える人が放置されるか、受け止められるか、の違いが出てくる。「『ケアが不足していて困っている』というSOS」は、理路整然とした言語では語られない。冬なのに薄着であるとか、着替えがあまりなされていなそうだ、親子とも疲弊しきった顔をしている、怒鳴り散らして困惑している・・・そういう「違和感」を「かすかなSOS」と読み替えることができるか、でケア対象として受けとめるが出来る可能性がぐーんと上がってくるのである。

その上で、本書がこれまでの村上作品から一歩出て、新たな境地になっていると思う箇所について、もう少し述べておきたい。

「どこからか押しつけられた生産性でもなく隔離や排除でもなく、(個人の欲望をゆがめる)競争や管理にも頼らずに、自らのイニシアチブで自分が属するコミュニティを組み立てるほうが、おそらく僕たちは幸せになる。」(p114)

これは言われてみたらその通り、だけれど、「僕」を主語にしなかったら村上さんにも書けなかった記述だとおもう。なぜなら幸せか不幸か、は主観的な世界だからだ。そして、この村上さんの主観にごっつい共感を抱く自分がいる。

「生産性でもなく隔離や排除でもなく、(個人の欲望をゆがめる)競争や管理にも頼らずに」いるためには、その排除や競争、管理の論理そのものと真逆の者目指す必要がある。他者比較や能力主義的な何かと距離を置く必要がある。その時に村上さんは、その可能性がどこにあるかを考えて、「自らのイニシアチブで自分が属するコミュニティを組み立てる」という提案をする。その例として、友人の青木真兵・海青子夫妻がしている私設図書館ルチャ・リブロの話を例に挙げている。僕も何度か訪れ、二人と対話を重ねるなかで、たしかにあの二人が目指しているのも、その有り様だな、としっくりくる。

その上で、ケアをどんな風に変えて行けばよいのか、について出発点として次の二つをあげる。

「1,ケアを家族に、そして家族の誰か一人に閉じ込めない。ましてや主婦やヤングケアラーに押しつけない。家族に担えなくなった人を施設に閉じ込めない。ケアを可能な限り開き、分担する。
2,ケアに浸透してしまった管理と効率の追求を除去する。」(p115)

この二つも、めちゃくちゃ大切なことである。僕が20年以上、精神病院や入所施設を批判する仕事をし続けてきた。そこでの人権侵害や虐待状況の問題性を論じてきた。でも、その問題点を、こんなに端的に示すことは出来ていなかった。さすが、現象学的質的研究の第一人者は、ものごとの本質を射貫き、適切な形で概念や言語として提示するプロフェッショナルだ、と感じる。

1つめのほうは、「<広い意味のケア>は家のなかで主婦に押しつけられ、<強い意味のケア>は病院などの施設に隔離された」というこの家父長制的現実を変える提言である。ケアを中心に据えた社会に移行していくためには、「ケアを可能な限り開き、分担する」ことが大前提として必要になる。

だが、そのケアが抑圧的であれば、それは全体主義化された社会になる。だからこそ、2点目に指摘しているが、「ケアに浸透してしまった管理と効率の追求を除去する」必要がある。パターナリスティックで一方的な管理統制ではなく、この本では「応援」というフレーズを用いている(p131)。「生活を応援する」というのは、あくまでも本人に主体性が残り、その主体性が生きるように支援者も「一緒に○○する」というスタンスである。それは、こうすべきだと指示命令するabout-nessとは真逆の、共に○○するというwith-nessのスタンスである。ケアがこう読み替えられたら、相互エンパワーメント的な関係性が生まれてくる。

まだ一杯引用したいのだが、そろそろ今日の執筆のタイムリミットなので、最後にもう一点、村上さんの実存的な変化について、引用しておきたい。

「僕が一瞬感じた優遇されている側としてのいらだちは、パートナーが世界に対して日々負っているより大きな傷と怒りと鏡合わせになっている。」(p203)

実は村上さんが今回、主語を私ではなく僕にしたのは、この記述に象徴されているのだと思う。彼は、この数年間の間で新たなパートナーと生活を共にするようになり、そのパートナーから様々なことを学び続けている。その学びは、抽象化された情報処理能力の高さで処理できる内容ではない。文字通り、生身の人間とぶつかり合うなかで、身をよじるようにして相手に突きつけられる、実存的な学びである。その学びが、本書の迫力というか、彼の実存の揺さぶりに繋がり、それが村上さんのケア論を新たな地平にもたらす原動力になっている。その部分が、前作『ケアとは何か』(中公新書)との最大の違いであり、読んでいる僕にとっては最も面白い部分であった。

それは一体どういうことか? これ以上書くとネタバレになるし、本書のなかで、村上さんがパートナーから学んだこともしっかり書かれている。またその部分が本書のタイトル『傷つきやすさと傷つけやすさ』の種明かしにもなっている。なので、興味があったら、是非本書を手に取って読んで頂きたい。

精神医療の枠外から捉える「権力・支配・植民地化」

信田さよ子さんの『暴力とアディクション』(青土社)を読む。彼女の文章は大変読みやすいし、内容もめちゃくちゃ面白いのだが、読み通すのに時間がかかる。それは書かれている内容が、あまりに本質的で、かつ私たちの常識をえぐるような内容だからだ。

「家族に対する責任を放棄しながら、家長の権力だけをふりかざしてケアを要求する父親、経済的支柱である父親が倒れないようにケアを備給し支え続ける母親、両親の関心外に置かれ幼少時より親に代わって責任を負う子どもたち。父は仕事に、母は結婚生活にそれぞれ挫折し、子どもは目の前で日常的に繰り広げられる暴力的な両親の関係にさらされ続けることで、自らの存在が親の不幸の源泉ではないかという罪責観を刻印される。アルコール家族のこのような姿は、性別役割分業とプライバシー重視に貫かれた近代家族のひとつの典型のように思われる。誰もがどこかに思い当たる三者の姿ゆえに、それぞれの独立した三つの名前が必要だったのではないだろうか。」(p101)

アルコール依存症の父親と、共依存の母親、そしてアダルト・チルドレンの子ども。それぞれを別々の問題として表現するのではなく、その家族の相互作用の悪循環が極まった結果として三つの「現象」が生じている。しかも、その三つの「現象」を一つずつ因数分解して個別に理解しても、総和としての家族システムの病理にはたどり着かない。その三者がどのような関係性の悪循環に陥っているのか、どのようなパワーバランスの固着や仮の安定をしているのか。そういう力動を読み解かないと、総和としての家族の不幸をそのものとして捉えることができない。

信田さんの本はどれも、これらのダイナミクスをそのものとして捉えようとしている本だからこそ、迫力がある。しかも、それを普段の日常から切り離された「病理家族」として有徴化するのではない。そうではなく、彼女の切り口は常に、「性別役割分業とプライバシー重視に貫かれた近代家族のひとつの典型」として、「誰もがどこかに思い当たる三者の姿」として描こうとする。だからこそ、自分がアルコール依存や共依存、アダルト・チルドレンの当事者「でなくても」、その記述を読んでいたら、思い当たる家族関係の悪循環にたどり着き、グサグサときて、読みやすくて面白い文章なのに、時々に読むのが止まるのである。

「じつは日本では21世紀になるまで、家族の間に『暴力』は存在しなかった。正確に言えば、妻に『手を上げる』夫はいても、妻に暴力をふるう夫は存在しなかったのである。『法は家庭に入らず』という法の理念によって、『暴力』という判断は家庭の入り口で立ち止まらざるを得なかった。そもそも暴力という言葉には、すでに『正義(ジャスティス)は被害者にある』という価値判断が埋め込まれている。その判断の及ばない世界こそが家族だという考えは、今でも一部の人達に共有されている。家族の美風がそれによって壊されてしまうと真顔で主張する中高年男性は多い。法が適用されない=無法地帯が家庭だったのだ。」(p140)

「家庭」が「無法地帯」と言われると、何だかざわざわする。でも、この記述の通り、虐待防止法は21世紀になってようやく効力を発揮しはじめた。それまで日本に虐待や家庭暴力がなかったのではない。そうではなくて、暴力を暴力として認定しなかったのだ。妻に『手を上げる』夫に対して「暴力」だと判定しなかった。それは、信田さんによれば「『正義(ジャスティス)は被害者にある』という価値判断」と通底する。もしこの正義を被害者である妻に当てはめると、夫は「加害者」として認定される。そして、その夫による家父長的な=パターナリスティックな暴力の認定は、国家による暴力の認定と同じように否定したいことだ。それこそが「家族の美風がそれによって壊されてしまうと真顔で主張する中高年男性」の無意識・無自覚な価値前提ではないか。そういう風に彼女は踏み込んでいく。

「なぜ不介入なのか。この点に関して女性学では公的暴力と私的暴力の共謀性、密約を指摘している。国家の暴力を温存し不可視にするために、家族における暴力(家長である男性の)を温存しているという指摘である。筆者は90年代末までは目の前のDV事例とかかわりながらもがいていたが、この視点を得てまるで霧が晴れたような思いに襲われたことを思い出す。そうか、そうだったのか、と。
性暴力に関する法律も、つい最近改正されるまで明治憲法のままの内容だった。そのことにも国家の意思を痛感させられる。性にまつわる暴力や生殖に関する制度の改変において、国家の意思がもっとも露わになるのではないか。DVの問題も、加害者逮捕や公的な加害者プログラム実施には、防止法制定後20年以上経っても、相変わらず日本は及び腰なままなのである。」(p198-199)

信田さんは、独立カウンセラーとして、公的な=健康保険で支払われる精神医療の「枠外」に居続けていた。そこで「食べていく」ために、精神医療や臨床心理学だけでなく、社会学や女性学、哲学の議論もフル活用して、議論を鍛えていく。その中で、DVの被害者や加害者への自由診療のカウンセリングで見聞きする事例が、国家の暴力と相似形である事に思い至る。彼女が出会い続けてきた「夫が妻に手を上げる」というのは「私的暴力」であると認識し直すことで、「公的暴力と私的暴力の共謀性、密約」が、ありありと彼女に繋がってきた。それと共に、国家の暴力性が最も無意識・無自覚に放置されている現象として、家庭内暴力に対しての法制度の未設置や、性に関する暴力の放置を見いだした。

ぼく自身も、夫婦間のDVや子どもへの虐待の議論が90年代から増えてきたとき、社会のアメリカ化であり、アメリカと日本は違う、と思い込んでいた。でも、「ちゃぶ台をひっくり返す父」としてマンガでも映像でも絵が描かれる父親は、明らかに家庭内で暴力行使をしている。それを『法は家庭に入らず』という形で放置=無法地帯としていた、ということは、その暴力の承認や肯定である。それは、国家による暴力の承認や肯定とのパラレルであり、戦後の日本社会で第二次世界大戦を承認・肯定しようとするモーメントと相似形である、と言われると、なるほど、と頷かざるを得ない。これが信田さんの迫力である。

彼女は自由診療という保健医療の枠の外から眺め続け、現行の制度内精神医療の構造的問題をも知悉しているからこそ、自分たちはそれとは対極の有り様を目指す。

「ヒエラルキーや権威構造とは無縁のイコールパートナーとして、礼を尽くして相互リファーに徹すること。そして医療モデルとは異なる援助論に立脚し、診断的態度や用語とは別の言葉で援助する。その先に見えてくるのは、加害・被害、紛争処理・修復的司法といった問題群であり、権力・支配・植民地化といったキーワードである。」(p182)

日本の従来の制度内精神医療は、あくまでも医療モデルが基盤であり、医師が意思決定権をがっちり握り、看護師やソーシャルワーカー、臨床心理士はパラメディカル、コメディカルという名称で、脇役として据え置かれている。でも、彼女はその枠外を主戦場として、医師に頼らず意思決定の主体者であろうとした。その時に、自分の決定権を独り占めせず、「ヒエラルキーや権威構造とは無縁のイコールパートナーとして、礼を尽くして相互リファーに徹すること」を大切にしてきた。だからこそ、彼女の本を読めば、「医療モデルとは異なる援助論」が見事に言語化されている。そして、その医療モデルではない援助論には、「加害・被害、紛争処理・修復的司法といった問題群であり、権力・支配・植民地化といったキーワード」が基盤になる。

そして、僕が信田さんの本に惹かれ続けるのは、この問題群やキーワードである。精神病を個人の問題として医学モデル的に固着させれば、見えてこない問題群やキーワードである。でも、アルコール依存、共依存、アダルト・チルドレンという個別現象の関連性や連関性を、総体としての家族ダイナミクスとして眺めると、家族にそのような力動性を与える社会の歪みを捉えざるを得ない。それには、「権力・支配・植民地化」といったこの社会の抑圧体系との接点を見いださざるを得ないし、その歪みを減らし、弱毒化していくためには、治療ではなく「「加害・被害、紛争処理・修復的司法」という問題群との接点を見いだしていく必要があるのである。

というわけで、彼女の本は一冊読むと、また別の本を読みたくなる、という強烈な効果があって、これからまた何冊も注文して読み進めようと思う。重い議論で、読むのはしんどいけど、この社会の生きづらさ、生き心地の悪さの根底を理解するためには、信田さんの論考は決して外すことは出来ないことだけは、確信を持っている。

「制約としての男らしさ」と対峙する

以前、四半世紀かけて読めた本としてハーマンの『心的外傷と回復』をブログで取り上げた。今回そのハーマンが前著から30年後に書き上げたのが、今日のブログで取り上げる『真実と修復:暴力被害者にとっての謝罪・補償・再発防止策』(みすず書房)である。

ハーマンは、本質的な事を語る。であるがゆえに、読むと心がえぐられる。それは、僕たちが直視したくないけど、厳然として存在している、この社会の裏ルールのようなものをしっかりあぶり出す事が、「真実と修復」につながるからだ。

「どんな暴君も(彼の妄言に反して)全知全能であることはない。専制支配が続くのは積極的加担あるいは受動的黙許をする大勢があるためである。逆に言えば、それまで傍観者であったものが一歩踏み出して傷つけられたものの側に立つとき、専制は崩れはじめる。暴君につけられた傷を癒やすことは、その周囲にいる人々、つまり当事者だけでないより大きなコミュニティが倫理的責任を自覚して連帯することから始まる。真実を探し出して知ろうとする勇気を手放してはならない。」(p36)

いじめやハラスメント、暴力といった「専制支配が続くのは積極的加担あるいは受動的黙許をする大勢があるためである」。つまり、専制支配に加担しているのは、「受動的黙許」であれ傍観者がそれに異議申し立てをしないからである。ゆえに、「それまで傍観者であったものが一歩踏み出して傷つけられたものの側に立つとき、専制は崩れはじめる」。それには「真実を探し出して知ろうとする勇気」が必要になる。この勇気とは、まさかそんなことがあるはずがない、という常識や思い込みを横に置くことも含まれる。

「私見であるが、女性がお飾りでなくなるほど労働進出するようになると性暴力や搾取が語られるようになり、おもむろに『大掃除(housecleaning)』が始まるらしい。悪人の名を明らかにして、公衆の前に引き出し、権力の座から降ろす運動である。これは手が汚れる仕事だ、しかし誰かがやらなくてはならない。
精神医学界にもその一時代があった。八〇年代初頭、精神科医の女性比率が一五%をこえたころである。アメリカ精神医学会の女性委員会がそのタイミングで声を上げたのは偶然ではなかったはずだ。女性患者を著名医師達が性搾取しているのは周知の事実だった。」(p210)

これを読んで、思い出したことがある。四半世紀以上前、精神障害の当事者グループで出会ったHさんのことである。彼女はたびたび精神病院で性搾取を受けたことを、当時大学院生だった僕にも話してくれた。でも、まさか公立病院でそんなことがおこるはずがないと思い込んでいた。それに彼女はしょっちゅうその話をみんなに話しているし、彼女の話があちこちに飛び、脈絡もつかめず、突拍子もないことを言っているように聞こえてしまった。「恨み骨髄、あの世まで、やで!」としばしば仰っていたのだが、彼女の心的世界と現実世界はもしかしたら違うのかもしれない、と思い込んでいた。それはまさに「受動的黙許」の姿勢であり、精神症状故の「関係妄想」ではないかと勝手に価値判断をしていたのだ。これは、本当に赦されないことである。

これは加害者のDARVOと一致している。それは「否認、非難、責任転嫁(Deny, Attack, Reverse Victim and Offeender」の頭文字である(p65)。性被害者に対して「そっちもその気があったのではないか?」「そんな服装で歩くのが悪い」「あちらが誤解している」などという言い訳がパターン化されて繰り返される。僕の例で言うならば、まさか精神病院で性虐待が起こるはずはない、という否認の感情があったと思う。

そしてこのようなDARVOに繋がるのは、この社会に拡がる「ポルノ動画のイデオロギー」とは無縁ではない。

「『イエスはイエス、ノーはノーだ! 私がどんな服装をしているかに関係なく! 私がどこを歩いているかに関係なく!』と。ヒルシュ教授によれば『実践的』性教育(実際のデート場面に近いかたちでノーと声に出す練習をする)を受けた女性は、大学に入ってからのレイプ被害に遭う確率が半分以下になる。
『性の市民権』概念が男性に求めるものは、性関係が相互的であり同意にもとづいて結ばれるものだと学習することである。これはポルノ動画のイデオロギーを脱学習することでもある。女性たちが心の奥底では『モノ扱いされる』ことを望んでいる、というのがポルノ動画の基層にあるファンタジーである。ポルノ動画は『嫌がる女ほど悦んでいる』という思想を植えつけるものだ。」

「性関係が相互的であり同意にもとづいて結ばれるものだ」というのは、至極真っ当で何の疑いの余地もない内容である。でも、『イエスはイエス、ノーはノーだ! 私がどんな服装をしているかに関係なく! 私がどこを歩いているかに関係なく!』と女性が訴えなければならない背景には、「誘うような服装をしている」とか「夜中に一人で歩くのだから襲われても仕方ない」という「受動的黙許」が社会に蔓延しているからである。「イエスはイエス、ノーはノーだ!」であり、アカンもんはアカン、のである。

その上で、『性の市民権』を「学習」するために、「ポルノ動画のイデオロギーを脱学習」する必要がある、というのも、心から同意する。「ポルノ動画は『嫌がる女ほど悦んでいる』という思想を植えつけるものだ」というポルノ的ファンタジーの構造があり、それを男性は学習し続けてきたからである。そして、残念ながら僕自身も思春期に、「ポルノ動画のイデオロギー」に染まっていた。だが、その「脱学習」をしてくれたのは、他ならぬ今のパートナーである。

「現実世界では従属させられることに快楽をおぼえる女性はまれであるが、しかしそうであるみたいに振る舞わなければならないことが多いので、そのうち擬装するようになっていく。女性が育つのは、男性こそがセックスの主権者であると信じられている社会のなか、男の望むものを差し出すことが女の義務となっている社会のなかである。快楽を装うことはたいていうまくいくもので、これは若い男性の多くがパートナーの欲求を気にかけていないからである。本当に心から気にしていない場合もあるし、男を喜ばせる行為は女をも喜ばせるものだと信仰されている場合もある。」(p183)

僕のパートナーは、ありがたいことに擬装を全くしてくれなかった。「イエスはイエス、ノーはノーだ!」と僕にいつも伝えてくれていた。「男性こそがセックスの主権者であると信じられている社会のなか、男の望むものを差し出すことが女の義務となっている社会のなか」にあっても、嫌なものは嫌だ、とハッキリ口にしていた。付き合いだした当初、「僕の欲求を気にかけてくれていない」と逆上する時もあったが、よく考えたら、それは僕自身が「パートナーの欲求を気にかけていない」ということそのものである。そして、彼女と暮らす中で、支配従属ではない関係性を僕は学んでいくことになった。それが結果的には「ポルノ動画のイデオロギーの脱学習」であり、「性関係が相互的であり同意にもとづいて結ばれるものだ」という「性の市民権」の学習である。そして、こういうことを若いうちから学ぶためには、包括的性教育が本当に重要だと今なら痛感する。

そして、この本の中では「有害な男性らしさ(toxic masculinity)」より、より中立的な「制約としての男らしさ(restrictive mascurinity)」という呼び名が紹介されている(p186)。そしてこの「制約としての男らしさ」はすごく良い名称だな、と思う。

例えば、パートナーとの関係性をどう深めていけばよいか。それに関して、「ポルノ動画のイデオロギー」しか学習素材がないというのは、ずいぶん了見が狭いし、他者とほんまもんの関係性を深める上では有害であり大きな制約である。他者の気持ちや意見をどういうふうに尊重すればよいのか。そして私の気持ちや意見をどう伝えればよいのか。それを「相互的であり同意にもとづいて結ばれる」なかで、少しずつ深めて行く。それが関係性の豊穣さであり、お互いが「モノ扱いされる」ことのない、対等で対話的な関係性の構築である。それはスムーズに進まず、紆余曲折があるだろう。でも、そういうことも織り込み済みで、「イエスはイエス、ノーはノーだ!」とお互いにぶつけ合い、折り合いを付けていく。それがめっちゃ大切なのだと思う。

「暴力の根本にあるのは専制による支配である。これを防ぐには、相互性を学び、実践することだ。相互性とは民主主義における信頼と正義の土台石である。相互性のもとに生きることは皆にとっての利益であり、そのなかで生きることを私たちは幸せと感じrうだろう。」(p217)

他者をモノ扱いするのが、暴力や専制による支配の根源にある。だからこそ、その真逆である「相互性を学び、実践すること」が大切なのだ。それは、前回のブログでも引用した、「対等な存在としての人びとからなる社会」を基板づける「関係の平等主義」を模索する必要がある理由でもある。性虐待や性被害は、局所的で例外的な「他人事」ではない。「制約としての男らしさ(restrictive mascurinity)」が跋扈する社会では、残念ながら普遍的な出来事なのだ。だからこそ、それに抗して、関係の平等主義をどう模索できるか。これもすべての人にとって自分事の課題なのだろうと思う。

そして最後に、この本の訳者の阿部大樹さんが、「否認、非難、責任転嫁(Deny, Attack, Reverse Victim and Offeender」に関して、2011年の東日本大震災の後の原発からの「自主避難者」にも当てはまるのではないか、と指摘していたのも、重要である。あたかも原発事故がなかったかのように「否認」したり、再開発を進めようとする。あるいは被曝への不安ついて「科学的ではない」と「非難」する。ましてや、自主避難する人に「賠償金目当てだ」とあたかも本人のせいであるかのように「責任転嫁」する。これらは、日本政府や東京電力という加害者責任を放置し、暴力を被害者に押し付けるという意味で、まさに性被害者と同様の構造である。さらにいえば、そこに支配—服従の構造も含まれている。こういうDARVOに対して、「積極的加担あるいは受動的黙許」をしてはならない。「それまで傍観者であったものが一歩踏み出して傷つけられたものの側に立つとき、専制は崩れはじめる」のだから、「イエスはイエス、ノーはノーだ!」と言い続けなければならない。これも大切な視点なので、メモしておく。

福祉哲学にも導く入門書

僕はしばしば書くものが小難しくて、哲学的だ、と言われる。福祉やケアを研究対象にしているが、支援現場職員への研修では、僕は技法論や法解釈の話はほとんどしない。昔はしていたが、最近は政策の話もほとんどしなくなった。そんな僕が最近もっぱら研修テーマにするのは、支援現場の価値観を問い直す「モヤモヤ対話的研修」である。それはなぜか? 実は、福祉現場でどのような支援をすべきか、というのは、価値対立の問題でもあると僕は考えているからだ。

たとえば支援者の常識的な指示に従わない対象者は「どうしようもない人」なのか「学習性無力感」に陥っているのか? 前者であれば、「甘やかすな」と一括されておしまいになる。でも、虐待やいじめを受け続けてきて人生に絶望し、自暴自棄になっている後者なら、どうエンパワメントできるか、という支援課題が見えてくる。そして、しばしば同じ人が両方の側面を持っていたりもする。

そんなときに、法律や制度的知識だけでは、太刀打ちできない。対象者とどのような関係を結ぶか、という際に、支援者は相手や自分をどのように捉えているのか、という価値前提が常に問われているし、それは倫理や哲学の問題だと思っている。だからこそ、福祉哲学が必要なのだが、なかなかそれにピタリとくる一冊がなかった。だが、今回取り上げる新書はまさに、切れ味鋭い福祉哲学の入門書でもある。

「自尊とは、①自分にとって重要な生きがいがあり、②それを実際に追求することを実感できる、そのような場合に可能となる、重要な道徳感情である。」
「現実に目を向けると、残念ながら、自尊(セルフ・リスペクト)の社会的基盤はまだ充分なものではない。人種やジェンダーによる差別は依然として残っている。また、そこまで明白な不平等出ないとしても、近年では「セルフ・ネグレクト」と呼ばれる現象が注目を集めている。払ってしかるべき自身へのケアを怠ってしまうという問題である。生活が疎かになり、体調に異変を覚えても病院に行かない、身の回りの整理ができず、といったことが起こる。度合いがひどくなれば、絶望死にゆきつくこともあるだろう。
これはたんに当人の性格の問題ではなく、きちんとした生活をしていた人が、わずかなアクシデントをきっかけに陥ることも少なくない。私も生活が苦しかったころ、乱雑な部屋を片付けもせず、帰宅するとすぐ横になって自堕落に過ごす、という不健康な暮らしになりがちだった。」(田中真人『平等とは何か運、格差、能力主義を問いなおす』中公新書、p33-34)

田中さんは政治哲学が専門で、ロールズという政治哲学者の研究をしている。そして、この本では平等な社会を自尊をキーワードに述べようとしている。その際、自尊(セルフ・リスペクト)の対置として「セルフ・ネグレクト」が書かれていて、おお!とうなった。僕は虐待や権利擁護も専門にしていて、よく聞く言葉なのだが、自分が研修をしていても、セルフ・ネグレクトの反対は「自尊(セルフ・リスペクト)」である、とは言えていなかった。でも言われて見たらその通りで、自分自身の無視・放置であるセルフ・ネグレクトは、「①自分にとって重要な生きがいがあり、②それを実際に追求することを実感できる」という自尊感情が奪われている、失われていく中で、忍び寄ってくる感情である。

しかもこの本が良いのは、政治哲学を論ずる田中さんご自身の「自尊」が脅かされた経験も語ってくれている点である。雲の上の政治哲学、でなく、「きちんとした生活をしていた人が、わずかなアクシデントをきっかけに陥る」「自堕落」について、自身の経験を元に記述してくれていて、セルフ・ネグレクトは決して「他人事」ではない、と書いてくれている点である。こういう記述を見ると、信頼が出来る。ぼく自身は『権利擁護が支援を変える『困難事例を解きほぐす』といった本を書いているくらいなので、セルフ・ネグレクトは「自分事」問題なのだが、政治哲学を論じる人が、こういうアクチュアルな関心を寄せてくれていると、嬉しくなる。

そして、この本は支配なき関係の平等が大切と主張しているのだが、支配は何故だめか、という整理もすごくよい。

「支配は必ずしも苛烈なかたちをとるとは限らない。支配者が独裁者となるケースもあるが、支配者は慈悲深い主人でもありうる。配下に一見やさしく接し、財やサービスをふんだんに提供してくれるかもしれない。だがそれは、配下が主人に反抗しない限りにおいてである。支配者は配下の自律や独立を嫌う。エンパワメントするのではなくクライアントにするのである。
支配関係—非対称的な関係の固定化—がある社会は平等なものとはいえない。」(p18)

四半世紀前の大学院生のころ、所属講座の教員からアカデミック・ハラスメント(アカハラ)を受けていた。僕にアカハラをした教員は、確かに支配者だった。その人は、「一見やさしく接し、財やサービスをふんだんに提供してくれる」「慈悲深い」人と僕は最初思っていた。だが、その人の思うことと違うことをした時、相手は「配下が主人に反抗」したと感じて、強烈なバッシングをした。「あなたみたいな弱い人は、大学院を辞めてしまいなさい!」とはっきり明言された。以後大学に行くのが怖くなり、実際その人の車が大学にあるのを見ると、僕はサッと帰宅することもなんどもあった。

それは、大学院生をエンパワメントするのとは真逆で、自分に従わせるクライアントにするのであって、非対称的な関係の固定化、だったのだ。本当にあの支配は、辛かった。その当時は、、「①自分にとって重要な生きがいがあり、②それを実際に追求することを実感できる」という自尊感情が根こぎにされる状況だった。

では、自尊の社会へと転換するにはどうしたらよいのか。田中さんは二つの条件が満たされる必要がある、という。

「まず消極的には、差別や多大な格差が是正されなければならない。そのうえで積極的には、多様な価値観や生き方が社会に認められていることが重要になる。」(p196)

その上で、この本は差別と格差と差異という三つの不平等を、次の様に書き分けている。

「①差別=否定される不平等—原則としてあってはならないもので、もし存在するとしたら、優先して対策が講じられなければならない。
②格差=容認される不平等—少なくなることが望ましいものだが、実際上ゼロにすることはできないために、一定の範囲内に収まるならば認められる
③差異=承認される不平等—一人ひとりのユニークな違いに由来するもので、これを消去しようとすると、むしろさまざまな問題が生じる。」(p64)

この整理は非常に明確であり、福祉哲学の基盤にもなる三つの不平等の整理である。障害者差別、在日外国人差別などのようなものは、あってはならないものである。また所得格差は、現実に存在しているが、アメリカの大企業のCEOなどはあまりに給料を取り過ぎであり、その格差は「一定の範囲内に収まる」べきものである。他方、差異は、あなたと私は違うのであり、その他者の他者性や己の唯一無二性を消し去ることは問題だ、という事になる。

これを書き写しながら、ノーマライゼーションの同化的側面と差異化的側面についての論争を思い出していた。ノーマライゼーションの原理とは、障害のある人も障害のない人と同じ環境を提供すべきである、という理念であり、後に障害者権利条約の基盤となる「他の者との平等を基礎として(on an equal basis with others)」もこの原理から来ている。(詳しくは以下のブログ拙著を参考にして欲しい)。

で、このノーマライゼーションはnorm(規範)という言葉から派生しているのであり、健常者の規範を押しつける、という誤解が広まっていった。そのことに対して、障害当事者の側から、障害という「差異」を消し去るような取り組みはよくない!という異議申し立てがなされていた(例えば横須賀さんの論文など)。これは、さっきの三つの用語を使うなら、障害者への「差別」はアカンし、障害者ゆえに健常者との経済的「格差」があるなら、それは年金や所得保障、就労支援などを通じて最小化する必要がある。でも、障害者は健常者に同化する必要ななく、障害という「差異」はそのものとして認められ、承認されるべきである、という整理になる。

田中さんもこんな風に書いている。

「平等は、あらゆる違いをなくすことではない。差異の消去や個性の画一化は、いわば等しく不自由になることだ。それは支配の不在の対極に位置する。そしてもちろん平等は、苛烈な差別や著しい格差の放置を認めない。関係の平等主義がめざす『対等な存在としての人びとからなる社会』とは、分離すれども平等(separate but equal)ではなく、差異ゆえに平等(different and equal)というヴィジョンをかかげるものなのである。」(p72)

田中さんの本書には「痺れるフレーズ」が何カ所も出てくるが、「分離すれども平等(separate but equal)ではなく、差異ゆえに平等(different and equal)というヴィジョン」ってめっちゃ格好いい。障害者は隔離や拘束など、分離されてきた歴史がある。そして、入所施設や精神病院、特別支援学校という特別な場所を作り、「分離すれども平等(separate but equal)」と言い張ってきた。でも、これは差別であり、是正すべき事情である。具体的には、普通学級の中で、地域生活のなかで、「差異ゆえに平等(different and equal)」が満たされることの方が、遙かに価値があるのだ。そして、福祉的実践とは、まさに「分離すれども平等(separate but equal)ではなく、差異ゆえに平等(different and equal)というヴィジョン」を掲げ続け、その方法論を模索することに、醍醐味があるのである。

また、僕も2月に『能力主義をケアでほぐす』(晶文社)という本を書いたが、この本にもめっちゃ通底する箇所がある。

「しばしば功績の概念は、各種の不平等、とりわけ経済上の多大な格差を正当化するために用いられる。だがみてきたように、純粋な功績の概念はほとんど効力をもっていないし、かりに市場メカニズムによって評価に多大な違いが生まれるとしても、市場はあくまでも制度の一部であって全体ではない。一部の価値を全体の評価に短絡させるのは、典型的な論理の詐術である。」(p97-98)

新自由主義化された社会に暮らす私たちは、あまりにも『要は経済なんだよ、バカ!』という侮蔑的なフレーズを「そういうものだ」と内面化してきてはいないか。確かに市場原理は重要であるが、田中さんの言うように、「市場はあくまでも制度の一部であって全体ではない」のである。でも、金を稼げないこと=価値がない、かのようにYouTuberなりインフルエンサーが大手を振っている現象って、「一部の価値を全体の評価に短絡させるのは、典型的な論理の詐術」そのものだよなぁと思いながら読んでいた。

これについては、もう一つ引用して起きたいフレーズもある。

「ある思想家がホンモノかニセモノかの基準のひとつは、『まやかしの言論』への感度にある。この問題に意識的でない者は、イデオローグやインフルエンサーではあるかもしれないが、けっして政治哲学をきちんと学んだ者ではない。『よい差別もある』『貧乏になる自由もある』といった粗雑な言葉づかいをまともに受け取るべきではない。」(p7)

ここまではっきり言明してくれると、実に痛快である。そう、学者と名乗る人の中にも、そしてイデオローグやインフルエンサーにも、「『よい差別もある』『貧乏になる自由もある』といった粗雑な言葉づかい」をしている人がいる。その方がPVが稼げて、再生回数も上がって、広告収入が増えるのかもしれない。でもそれは『まやかしの言論』である。そして、忙しい人生において、そんなニセモノの『まやかしの言論』に惑わされている暇はない。本書を読んで、それも改めて思った。

その上で、評価上の平等を目指す上で、重要なことも指摘しておられる。

「アーレントのいう富(資本)のプロセスに回収されない事柄や時間を大切にすることである。金銭が(さほど)介入しないギブアンドテイクの関係性を築くこと、具体的で直接的な人間関係を重視すること、他律的でない趣味に打ち込むこと。それぞれじぶんの時間を生き、忘れがたい一瞬の光景を記憶に刻み込むこと。時間どろぼうに対してノーと言える、自分なりのスタイルをつくりあげることが重要なのだ。そうした人びとが多くなるに連れ、コミュニティや開かれたドアの数もまた増えてゆくだろう。」(p212)

これは、手触り感のあるコミュニティをどう作っていくか、という問いでもある。例えばぼくの場合、ワインを買うのはこの店で、服についてはこのショップの○○さんにおたずねし、Macは△△さんに質問し、キャンプなどは□□さんが詳しいし・・・というかたちで、「金銭が(さほど)介入しないギブアンドテイクの関係性」を結構築いてきた。もちろん相手から頼まれたら、自分が出来る範囲で何とかしようとする。また、合気道や山登りを通じて、「じぶんの時間を生き、忘れがたい一瞬の光景を記憶に刻み込むこと」ができた。でも、僕にとっては子育ても、まさに娘や妻との大切な時間を生きるきっかけになっている。子育てをしたからファンタジーと改めて向き合い、「「時間節約家」からの戦線離脱」も、少しずつはじめている。

そして、こういう営みを少しずつ積み重ねる中で、「①自分にとって重要な生きがいがあり、②それを実際に追求することを実感できる」という自尊感情が改めて育まれつつあると本書を読んでいて、改めて感じた。

そういう意味で、この本は平等や運、格差、能力主義を問い直す上で格好の一冊だし、福祉や支援を支える基盤的な思想・哲学を提供してくれている「福祉哲学のバックボーン」になりそうな一冊でもある。

メッシュワークと批判的知性

忙しくなってくると、自分が読みたい本は読めても、自分が慣れ親しんでいない世界の本はなかなか読みにくい。そういう時は読書会に限るよなぁ、と書き出しを書いてみて、以前も同じ表記があると気づいた(こちら)。で、その時と同じように、岡部さんに紹介されて読書会の本に選ばれなかったら、ティム・インゴルドの500ページを超える人類学の大著は、絶対読み通せなかったと思う。でも、面白かった。

インゴルドの人類学本はブームのようになっている、という知識は知っていた。一冊手に取ってみたが、以前は途中で投げ出した記憶もある。だが今回は読書会までに「読まねばならない!」ので、最後まで必死に読み終えた。難解で投げ出したくなるような部分もあったのだが、時折シュッと目が見開かれるような景色に出会えるのが、彼の本の特徴かもしれない。たとえばこんなところとか。

「生物学の哲学者ジョルジュ・カンギレムが1952年に出版した『生命の認識』のなかで書いたように、『生きるということは、放射状にのびることであり、基準となる標点から出発し、その周囲で環境を有機的に構成することである』。有機体はそのとき、次のようなものとして描かれる:

これこそが有機体であり、世界と関わり合う多数の経路に沿って拡張する存在である人間にも同じく当てはまるであろうことは言うまでもない。有機体と人間はそのとき、ネットワークにおける節(ノード)というよりもむしろ、結び目からなる編み物の結ぶ目(ノット)である。そしてある結び目をなす撚り糸が、他の結び目では別の撚り糸と結びつきながら、メッシュワークを構成する。」(ティム・インゴルド『生きていること動く、知る、記述する』左右社、p174)

インゴルドは「生きていること」は、上記の図のような「結び目からなる編み物の結ぶ目(ノット)」であり、それが積み重なったメッシュワーク=網細工だという。こう書いていて、僕が10代の頃から好きなキャロル・キングの名曲Tapestlyを思い出していた。

My life has been a tapestry of rich and royal hue
An everlasting vision of the ever changing view
A wondrous woven magic in bits of blue and gold
A tapestry to feel and see, impossible to hold

ググってみたら、こんな風に素敵に訳しておられる方もおられた。

“私のこれまでの人生は豊かで気高い色合いのタペストリー
それは永遠の夢の様な千変万化の光景
細かい青や金の素敵な織物の魔法
感じ取るものであり、触れはしないものだった”

僕は10代からずっとこの曲を折に触れ聞き、人生とは「つづれ織り」のようなものだと思っていた。見ることも感じることも出来るが、掴むことが出来ないつづれ織り。それは同じく10代から聞いていた中島みゆきの「糸」の歌詞ともつながる。

“縦の糸はあなた
横の糸は私
織りなす布は
いつか誰かを
暖めうるかもしれない”

中島みゆきは、あなたと私の出会いで織りなす布が生まれ、いつか誰かを温めるかもしれないと歌う。一方、キャロル・キングは、一人の人生の中にも様々な出会いや別れのなかでタペストリーが編まれていくと語りかける。どちらも、カンギレムの「生きるということは、放射状にのびることであり、基準となる標点から出発し、その周囲で環境を有機的に構成することである」というフレーズをつながっていく。人と人が出会い、タペストリーを織りなし、それが豊かになって放射状に伸びていく。インゴルドはそれを「結び目をなす撚り糸が、他の結び目では別の撚り糸と結びつきながら、メッシュワークを構成する」と述べている。

そして、読書会で全然知らなかった領域の本を読むことも、まさにメッシュワークだよなぁ、と感じる。これまで自分にはなかった視点からインゴルドが差し出してくる撚り糸が、ぼく自身の実存とある結び目で結びつくことで、キャロル・キングや中島みゆきという別の世界での結び目と結びついて、メッシュワークを構成していくのである。なるほど、確かに。

そしてメッシュワークは絵画の固定的・静的な枠組みを揺らしていく。

「陸と気象のあいだの関係は、大地と天空のあいだの不透過な境界面を横断するものではなく、むしろ世界を結ぶことと解くことのあいだの関係なのである。この結ぶことと解くことに比類なく鮮烈な生命を与えてられているのが、フィンセント・ヴァン・ゴッホの絵画である。美術史家のフィリップ・ローソンはこう述べている。『群れをなす線の差し迫った運動が私たちに示してみせるのは、・・・気象は気象している(weathering)、畑は畑している(fielding)・・・ということである』」(p290)

この本に引用されている鉛筆素描をネットで見つけたので、興味がある人は見て欲しいのだが、麦畑も糸杉も風も、みんな「いま・ここ」で動いている。その動きを動きのままゴッホは捉えようとしているので、「気象は気象している(weathering)、畑は畑している(fielding)」のである。そこには、「世界を結ぶことと解くことのあいだの関係」が現されている。気象している動きの中で、麦畑も糸杉も揺れ、その揺れのなかでも、麦畑は畑していて、糸杉と気象と結びついている。そういうメッシュワークがこの絵画の素描では描かれている。

しかも、インゴルドが取り上げたゴッホの作品は、完成後の有名な絵画『糸杉のある麦畑』ではなく、その作品の元になった鉛筆素描である点が重要だ。そのことに、読み終えてブログを書く段階で気づいた。それは本書最後の方で、こんな記述がなされているからである。

「ギアツの用語を使用するならば、エスノグラファーの記述について言われる『厚さ』は、ブライソンが説明するような絵の動いている状態を覆い消してしまう油絵の具の密度と不透明性を思い起こさせる。この絵をつくるために行われたすべての修正、変更、そして描き損じが、目に見える表面の下に隠されることで、絵画は完結した全体として、再現された現象の全体性の構図を保つ。そして、完全なエスノグラフィーもまた、その記録の痕跡を隠し、生活世界の写実的な絵を、すでにできあがったものであるかのように表面上に提示する。」(p511)

これは実はよくわかる話である。僕も質的研究を続けてきたので、社会学であれ人類学であれ、調査者が現地に入り込んで見聞きしてきたことを描き出すエスノグラフィーを読む機会がある。もちろん優れた記述が多いのだが、たまに美しすぎる・立派すぎる記述を読んでいると、ほんまかいな!?と思うことがある。それは、インゴルドによれば、油絵の具を塗ってしまうことにより、「この絵をつくるために行われたすべての修正、変更、そして描き損じが、目に見える表面の下に隠される」のである。そういうエスノグラフィーは、「記録の痕跡を隠し、生活世界の写実的な絵を、すでにできあがったものであるかのように表面上に提示する」と告発しているのである。そして、インゴルドは油絵の具で塗り固める以前の線描に人類学が戻ることを呼びかけている。

「線描は非構成性という原則を前提としており、閉ざされた社会世界ではなく、開かれた社会のなかで、生はどのように生きられているのかをよりよく理解することを可能にする反全体化の力を秘めている。これらの生は、枠に嵌められているからではなく、絡み合っているからこそ、社会的なのである。すべての生は基本的に多重構造であり、同時に走る多くの線が絡み合っており、この意味において社会的なものなのだ。」(p509)

その直前にインゴルドは「線描の本質は、静的な存在よりも、動的な発展にある」(p498)とも述べている。油絵やエスノグラフィーは完成された作品であり、それは「静的な存在」である。ある意味作品は「閉ざされた社会世界」となってしまう。一方で、線で描くことは、「修正、変更、そして描き損じ」がある、「動的な発展」状態であり、「開かれた社会」である。そして、この完成形とは真逆の「動的な発展」は、「枠に嵌められているからではなく、絡み合っているからこそ、社会的」だと彼は語る。そして、この絡み合いこそが人類学の醍醐味である、と。

「人類学を真に他の学問から区別するのは、前章の結論を繰り返すならば、それが何かに関する研究ではなく、何かとともに行う研究だということである。人類学者は、人びととともに仕事をし、研究する。彼らは共同で作業する環境に身を置くことで、人類学者は教師や仲間たちが事物を見、聞き、触れる仕方を学ぶ。」(p544)

「何かに関する研究ではなく、何かとともに行う研究」というのは、研究対象と自分を分けるabout-ness的志向ではなく、研究対象と自分が一緒に考え合う、という意味でwith-ness的志向である。対象者世界を出来上がった絵画やエスノグラフィーのような「完成形」として塗り込め・枠に嵌めるのではない。そうではなくて、対象者と一緒に考え合い、素描を修正し、変更し、描き損じも含めて共有していくなかで、「動的な発展」を遂げ、「絡み合い」を豊かにしていくメッシュワークが人類学だという。

「人類学が試みているのは、本質的に比較対照であるが、対照されるものは、区分された物体や実体ではなく、さまざまな存在の仕方なのである。それは、異なる存在の方法に対する気づき、あるいは、ある存在の仕方から別の仕方への移行可能性が常に存在する事に対する絶え間ない気づきであり、この気づきこそ人類学的態度を定義するものである。それは、私が『横目で見る』と呼ぶもののうちにある。私たちはどこにいても、何をしていても、常に物事が異なった仕方で行われるかもしれないことを認識している。」(p547)

「ある存在の仕方から別の仕方への移行可能性が常に存在する事に対する絶え間ない気づき」を「人類学的態度」というのなら、それは僕がずっと持ち続けていることである。僕は福祉や医療をフィールドにしながら、常に「これでいいのだろうか? 別の可能性はないだろうか?」と「別の仕方への移行可能性」を問い続けている。

これを書いていて、以前ブログで取り上げた人類学者グレーバーのあのフレーズを思い出していた。

「人間はなにかをつくる前に、それがどのようなものになってほしいのかを心の中で思い描く。だから私たちは別の可能性も想像できる。その意味で、人間の知性は本質的に批判的なものである。」(デヴィッド・グレーバーの『価値論』以文社、p102)

「さまざまな存在の仕方」を想起する、ということは、「別の可能性も想像」することである。そして、グレーバーはそのことを批判的な知性という。そう人類学的態度とは比較対照の中から、「別の仕方への移行可能性」を想像し続ける、物事を「横目で見る」やりかたなのだ。それなら、僕は精神病院をフィールドでずっとしてきたことである。

人類学が比較対照をするのは、「さまざまな存在の仕方」だという。例えば服を着ている、遠い場所なら車や鉄道、飛行機で移動する、月曜日から金曜日まで働き土日は休む、というのが、西洋近代社会の合理性になっている。でも、別の文化・価値体系を持っている人々であれば、裸に近い姿で過ごすのが当たり前だったり、歩ける範囲でしか移動しなかったり、ダラダラするのが基本で食料がないときだけ働くという人々もいる。そういう人は「未開人」などとラベルが貼られている。それを物見遊山で眺める、のは人類学的仕事ではないとインゴルドはいう。そうではなく、彼女ら彼らの合理性を、一緒に何かをしながら学ぶことで、西洋近代的な因果論的合理性を比較対照し、「異なる存在の方法に対する気づき、あるいは、ある存在の仕方から別の仕方への移行可能性が常に存在する事に対する絶え間ない気づき」をもたらすのだ。

精神病になったら、重度の場合は精神病院に一生入院するしかない。

これは、近代合理性の因果律の古いバージョンである。そして、日本の精神医療は未だにこの呪縛に縛られており、それ故に、滝山病院や神出病院、最近ではみちのく記念病院などで、虐待は起こり続けている。これは精神病院が必要悪である、という価値前提に縛られているからである。でも、そこで「別の仕方への移行可能性」を考えることは、精神病院をなくしても機能する社会を想起する、という意味で、批判的思考である。フィンランドやイタリアに調査に出かけたのは、精神病院システムに依存する割合をできる限り最小化する、「別の仕方への移行可能性」を問い続けているからである。

そうか、僕は「ありもの仕事」=ブリコラージュ的な仕事をしてきたけど、それは「人類学的態度」に近いのかも知れない。

そして、インゴルドは「人類学はエスノグラフィーではない」という挑戦的なフレーズを最終章に用いている。

「人類学者は、自分自身に対して、他者に対して、また世界に対して、考えたり話したりするように、書くのである。言葉による呼応のやり取りは、人類学的対話の中心にある。それは、私たちが自分自身を『フィールドのなか』にいると考えるか、あるいは外にいると考えるかにかかわらず、どこでも実行することができる。人類学者は、私が主張してきたように、世界のなかで、そして世界とともに考え、話し、書くのである。人類学を行うためには、世界をフィールドとして考える必要はない。『フィールド』とはむしろ、エスノグラファーが、文章で記述するためにみずから目を逸らした世界について、回顧的に想像するために用いるためにもちいる特殊な用語なのである。エスノグラファーが書くことは、非記述的な呼応(non-descriptive correspondence)の一つというよりも、非呼応的な記述(non-correspondent description)のひとつ、つまり(絵画やドローイングとは異なり)観察から離れた記述である。したがって、もし誰かが肘掛け椅子に引きこもるとすれば、それは人類学者ではなく、エスノグラファーなのだ。探求から記述へと移行するとき、彼は必然的に行為のフィールドから身を引かなければならない。」(p552)

先ほどのゴッホの絵画でいえば、出来上がった「糸杉のある麦畑」は、完成形として閉ざされて、そこに対話の余地がないという意味において、「非呼応的な記述(non-correspondent description)」である。そして、エスノグラフィーという作品も、同じように呼応(correspondence)を閉じていないか、をインゴルドは鋭く問う。人類学者は、あくまでも呼応に開かれていると。ゴッホの鉛筆素描は、まだ書き足す余地がある、という意味で、「非記述的な呼応(non-descriptive correspondence)」なのである。対象世界「について」書くのがエスノグラフィーだとするならば、人類学的記述とは、対象世界「とともに」書く。それが「世界のなかで、そして世界とともに考え、話し、書くのである」ということの意味である。

たとえば、42歳で子どもが産まれ、家事育児という「ままならぬものに巻き込まれる」と、外に出かけて比較対照する仕事が出来なくなってしまった。その渦中で、ケアの本を読み漁り、目の前の子どもや妻と対話をし続けてきた。そのプロセスをウンウンと唸りながら書き上げたのが、『家族は他人、じゃあどうする? 子育ては親の育ち直し』(現代書館)というエッセイだが、よく考えたらあの本は、「世界のなかで、そして世界とともに考え、話し、書く」行為だったと思う。それは、「非記述的な呼応(non-descriptive correspondence)」を部分的にでも言葉にした、という風にも言えるかも知れない。

そうであるならば、僕は人類学を勉強して来なかったのだけれど、案外インゴルドの主張する世界と近いところにいるかもしれない。そんな読後感だった。

文脈を踏まえた価値選択を読み取る

世の中には、購入して・発売後にすぐ読む本もあれば、ずっと寝かせている本もある。僕の部屋や仕事場には10年物、20年物とかざらにある。そして、今回は2014年に初版が出てすぐ買いながら、なかなか読むご縁がなかったもの。人類学を学ぶさーやさんが、「日本の精神医療のフィールドワークと言えばこの本しかありませんよ!」と言うので、やっと読めたのが中村かれんさんの『クレイジー・イン・ジャパン』(医学書院)

おっさんになったから告白するが、正直、嫉妬で読めなかったのだ(苦笑)

そう書いてみたら、ほんまにダサい!理由。でも、イェール大学の人類学者がべてるの家でフィールドワークをして、それを超人気レーベルである「ケアをひらく」シリーズで売り出した。何重の意味でもキラキラしているように見えて、近親憎悪ではないけれど、自分には出来ないことをしている優秀な研究者へのやっかみのようなものがあって、読む気にならなかったのだ。そして、そこから10年寝かして、己のうちに黒々とトグロを巻く能力主義とは新刊『能力主義をケアでほぐす』でだいぶ成仏出来たので、やっと読めるようになった。ものすごい長い前置きですね。

さて、確かにこの本は真っ当な人類学者によるフィールドワークである。べてるの家については、向谷地さんの本も沢山出ているし、斎藤道雄さんのルポも読んだ。でも、それらとは違う、魅力的なエスノグラフィである。というか、僕らが知るべてるの家のイメージをアップデートする、というか捉え直す力がある。

まず、べてるのキャッチフレーズが英語訳と共に書かれているのを眺めて、めちゃ面白かった(p66-67)。

Meeting is more important than eating. (三度の飯よりミーティング)
Weakness binds us together.(弱さを絆に)
Just letting it be is good enough.(そのまんまがいいみたい)
Recaim your problem.(苦労を取り戻す)

実はこの日本語を機械翻訳にかけてみると、全然違う英訳が出てくる。

have a meeting rather than eating three meals
Weakness as a bond
They like it just the way it is.
Reclaiming the hard work

ポンコツな機械訳と中村さんによる達意の翻訳。この二つを比較して改めて思うのは、中村さんはフィールドワークでべてるの家の大切な価値観を学び、その価値前提を英訳の中に取り込んでいる、ということだ。「三度の飯よりミーティング」というのは、ご飯を食べるという基礎的な営みよりもミーティングの方が「はるかに大切だ」という価値表明である。「弱さを絆に」は「弱さ」が「人々を一緒に結びつける」紐帯になる、ということである。そのまんまがいいみたい、というのは、単にそれが好きだとかそういう話ではなく、そのまんまで「充分なので無理しなくて良い」、ということだ。苦労を取り戻すというのは、しんどいことではなく「自分自身の問題」と向き合おう・取り戻そう、ということである。

こういうべてるの家が大切にしたい理念をしっかりわかっているからこそ、中村さんは本質をしっかり捉えながら、英語としてもすごくクールなフレーズに置き換えられたのである。これだけでも、フィールドワーカーとしての彼女の本領発揮、と言える。ついでに言うなら、今のところ機械翻訳は、こういう価値観が濃密に含まれたフレーズをしっかりずばりと翻訳できない、という限界である。なぜならば、そこには「どのような背景がその言葉に含まれているのか」という文脈を踏まえた価値選択が出来ないからだ。そして、この文脈を踏まえた価値選択を読み取ることこそ、フィールドワークの極意なのである。という意味でも、この翻訳は二重三重に味わい深い。

この本の最も魅力的なのは、べてるの家の住人達の物語である。特にUFOと集団妄想という副題のついた「耕平の物語」は圧巻だった。襟裳岬にUFOが来るからと操縦しなきゃとべてるを出て行こうとする耕平さん。それを聞いて、UFOの遭遇経験のあるメンバーも含めてミーティングをするべてるメンバー達。そして、浦河では操縦するには免許がいるとみんなから聞いて、免許は「川村宇宙センター」で取れるから、と浦河赤十字病院の川村先生のところに連れていかれ、「UFO探検の前に精神科病棟で2,3日休んでいたほうがいいといわれて、本人も納得して入院する。

このエピソードだけでも充分魅力的なのだが、実はこの山根耕平さんの歴史を辿る中で、彼が狂わざるを得なかった「日本社会の狂い」を中村さんは見事に描き出している。山根さんは三菱自動車のエンジニアで、顧客やディーラーから寄せられる欠陥情報の解析をしていたが、その情報を上司に隠蔽するように指示され、ましてや本社で監査の際の隠蔽の練習にまで加担し、それはオカシイと異議申し立てしたらいじめられるようになり、狂っていった。そこで、たまたま斎藤道雄さんと山根さんの母親が友人で、べてるの取材に連れていってもらって、そこからべてるに住むようになった、という。

そして、べてるの家にいても、隠蔽しなきゃ・言ってはいけない、というのが根底にあって、なかなか自分の苦しさを伝えられなかった。それが、UFOのエピソードくらいから、ミーティングで言わなければならない、そしてみんなが自分の話を聞いてくれるようになり、徐々に自分自身を抑圧して言えなかったことが、少しずつ言えるようになってきた。そして、そのエピソードの二年後に、三菱自動車の隠蔽事件がマスコミで発覚し、「おまえ、走ってる車のタイヤがとれるだの、エンジンから火噴くだの言ってたけど、本当だったんだなぁ」と回りから認めてもらい、本人も落ち着くようになったという。社会の狂いを内面化して苦しんでいた山根さんは、その狂いを「外在化」できたことで、やっとすくわれていった。そのプロセスがしっかり描かれていて、魅力的だった。

さらに、最後の方で、べてるの家が社会福祉法人になることによって、当事者メンバーが組織運営から外れていき、健常者メンバーが監査対応などで「きっちり」「しっかり」仕事をする、「官僚主義化と合理化の傾向が強まっている部分が大きい」「日本の他の施設と違わなくなってきている」という制度化の限界が述べられている(p209)。ただ、これはべてるの家に限らず、介護保険法や障害者自立支援法などの法制度で事業を展開する、社会運動的な団体が少なからず同じような影響を受けている。そのことは「ソーシャルアクションの担い手から、サービス提供への雁字搦めへ」という文章で書いたこともある。

そしてこの本の最後の方に、最も優れたまとめが書かれていた。

「理想郷『ユートピア』が、暗黒鏡『ディストピア』になってしまうのは、どのようなときだろうか。おそらく両者は客観的に区別できるものではなく、価値観の問題なのだろう。私は、べてるがカルト教と類似していると感じたことは何度もあった。カリスマ的リーダーがいて、強い信念の体系があって、緊密なコミュニティ生活が強調されている。それでもカルトと似ていないのは、誰もが自分の好きなことをする自由があるからだった。」(p216)

ここまでストレートに書くのか、と思うほど、本質を突いている。そう、べてるの家は、その立地の特異性(北海道浦河の過疎地)や向谷地さん、川村さんなどのカリスマリーダーの存在、そして「三度の飯よりミーティング」に代表されるような濃厚で凝縮的なコミュニティが、カルト教と類似した雰囲気を醸し出す。現にそういう批判を聞くこともある。でも、べてるの家という濃密なコミュニティがそれでもカルト教と異なるところは、「誰もが自分の好きなことをする自由がある」という部分だ。

逆にいえば、この「誰もが自分の好きなことをする自由がある」という部分は、精神病院に代表される全制的施設とは真逆なのだ。そして、より集中的な支援が必要な精神障害者であっても、「誰もが自分の好きなことをする自由がある」コミュニティをどう地域の中で作り出せるのか。それが、この本が差し出す大きな問いなのだと思った。

「しているふう」「しぐさ」を問う

世の中でカシコイ人、というと、どういう人を思い浮かべるだろう? 早口で、エビデンスやセオリーなどの数字とカタカナ語を述べまくって、反論する相手を「はい、論破」とか、「それってあなたの感想ですよね」と潰しにかかる、あの手の人の事を思い浮かべないだろうか? これはテレビタレントだけでなく、研究者の世界にも、一定数いて、面倒くさい。

で、今日ご紹介する勅使川原真衣さんは、そういうカシコサとは別の位相・次元で聡明な人だと感じる。

「『覚悟』のような、強固そうな響きがあれど、中身はあいまいなことばで過去を振り返った気になる場面こそ、本筋から目を逸らしているのではないか。そう思ってみると、皮肉なもので、『覚悟』論を振りかざすときほど、揺らぐ情動、合理的な説明のつかなさ、概して『弱さ』『怖れ』のようなものから逃げ惑う様相が目に浮かぶ。」(勅使川原真衣著『格差の“格”ってなんですか? 無自覚な能力主義と特権性』朝日出版社、p99)

彼女の語り口は非常にソフトで、小難しい言葉や概念はめっちゃ知っているけど、ほとんど使わない。そして、カシコイ男子がしばしば無視する・なかったことにする・言及しない『弱さ』『怖れ』といった「情動」の揺らぎに目を向ける。いくら強がって「覚悟が足りない!」とか述べたところで、それは合理性がありますか? 「本筋から目を逸らしているのではないか」と。

あるいは別の所ではこんな風にも述べる。

「周りと同じことをするとは、『よりうまくやる』『より効率よくやる』といった軸の競争に自ら飛び込むことになるのだ。それも、私たちが今しがた生きるのは、分け合いの原資自体を拡げられていない社会だ。拡がらないパイに人が殺到するとなれば、当然、奪い合う方向になる。奪い合いとは、競争に勤しむことに他ならない。その地獄絵図は、どう考えても若者が望む『安心』とは真逆であろう。」(p79)

冒頭から述べているカシコイ男子って、「『よりうまくやる』『より効率よくやる』といった軸の競争に自ら飛び込む」競争の勝者である。株やストックオプションで儲けた、とか、そういうことを勝ち誇る、「奪い合い」の勝者である。だからこそ、自分が勝ち続けてきたゲームのルールを変える気は毛頭ないし、その奪い合いを批判する人々に向かって「負け犬の遠吠えだ」とピシャリと反論した気になる。

でも、勅使川原さんの批判は、位相が違う。この「拡がらないパイに人が殺到」する「奪い合いの社会」自体がおかしい、それは「若者が望む『安心』とは真逆」だと指摘している。『よりうまくやる』『より効率よくやる』ことが称揚されている前提である、「周りと同じことをする」ことに、本当に価値がありますか?と。ボルタンスキーの『批判について』を借用するなら、カシコイ男子達は、ゲームのルールの勝者として、「はい、論破」とか、「それってあなたの感想ですよね」という日常性批判を行っている。でも、勅使川原さんは、このゲームのルール自体がおかしいし、『よりうまくやる』『より効率よくやる』ことが求められる=「周りと同じことをする」こと自体に問いを挟んでいる。ボルタンスキーはそれを「メタ批判」と述べているが、彼女が本書で一貫して問い続けているのは、メタ批判である。しかも、小難しい理論やカタカナ語はもちろん彼女は知っているけど横に置き、あくまでも日常語でメタ批判をするのが、本書を読んでいてしびれる理由である。

「何かを『問題』だと提起するのなら、それをどう植えつけて達成しようか、と躍起になる前に、何がそれを『問題』にしてしまったのか。そこには個人の能力や資質の問題以前に、構造的な闇がないか。そんなことを思いめぐらすことが当たり前になればと思う。」(p59)

本書のテーマである「リスキリング」とか「自己肯定感」「つぶしが利く」「タイパ」「赦す」など、なんとなくよさそう、と思われている言葉を、彼女はじっくりあぶり返す。バッサバッサと切り捨てる、のではないし、「はい、論破」とか、「それってあなたの感想ですよね」とも言わない。そうではなくて、本書を一貫しているのは、「何がそれを『問題』にしてしまったのか。そこには個人の能力や資質の問題以前に、構造的な闇がないか。」という問いである。問題が個人化され、自己責任化されやすいこの社会において、そうやって個人責任に帰することで利益を得ている「構造的な闇がないか」を炙り出そうとしている。あなたが問題ではなくて、「何がそれを『問題』にしてしまったのか」という問題を生み出す構造を、しつこく、粘り強く、でも柔らかな言葉で、問い続ける。このふだん使いのメタ批判が、本当に迫力がある。

「一見とおりのいい言説に出くわしたときは、
・そう説くことで誰かが潤っているのではないか?
・逆に、誰かの発言権は奪われてはいないか?
とねちっこく一考したって何の問題もない(これまた学校は教えてくれないし、企業でも煙たがられる)。」(p82)

そう、こういう問いは、カシコイ男子達は嫌がる。『よりうまくやる』『より効率よくやる』ことで「奪い合い」の勝者になってきた人たちに向けて、そのもっともらしい言説は、あなたをより潤わせ、私の発言権を奪うためになされていませんか? ゲームのルールを強化するだけの発言ではないですか?と問うことは、もっともされたくない問いだからである。だから、勅使川原さんの本は売れているけど、一定数の「奪い合い」の勝者には煙たがられたり、あるいは無視されたりするのだと思う。

「少子化問題を『(経済的)メリット』で語ることは、家族主義の前提を暗黙に了承、内面化している意味で、問題解決しているふうをとる体制側にとっては、誠においしい展開と心得たい。そして本当に未来を構想するならば、いかに皆で子を育て、生き合うか? 家族に閉じないか? という脱家族主義を解題せねばならない。」(p211)

この本の真骨頂は、一見するともっともらしい言説が、じつは「問題解決しているふう」という「しぐさ」を装っているだけで、現状の勝ち組(権力者、金持ち)のシステムに結果的に利する構造である、ということを喝破しているのである。少子化をカネの問題に矮小化してしまえば、選択的夫婦別姓問題とか、家父長制問題には手を付けなくても済むから、支配側にとっては「誠においしい展開」なのである。昭和100年の今年、昭和的なOSを入れ替えたいと思うなら、「いかに皆で子を育て、生き合うか? 家族に閉じないか? という脱家族主義」に向き合わないと社会は回らないのだけれど、それを「カネの問題」に矮小化したいから、103万の壁とか、高校の無料化でお茶を濁したくなるのだ。

本当なら「奪い合う」勝者だった彼女が、なぜ自らの立ち位置の前提を揺るがす発言をし続けるのか。それは、確かに彼女が進行性乳がんになったから、という背景があるのだが、でもそれ以前に、彼女が譲れない一線として抱えている本質的な部分で、彼女の唯一無二性があるのだ。

「でも私は、『ってことですよね?』構文も、切れ味という名の一刀両断しぐさも、自分がされてすごく嫌だった。だから相手の話を最後まで、何なら声にならない部分も含めて聞いてただその場に居る。洗練とは程遠い、謎の『ものわかりの悪いコンサル』であろうと務めてきました。」(p226)

彼女はされて嫌だったことを、ちゃんと「嫌だった」という情動も含めて、記憶している。ぼく自身も「『ってことですよね?』構文も、切れ味という名の一刀両断しぐさも、自分がされてすごく嫌だった」けど、それは僕が愚かだから、と思っていた。また、こういう「構文」や「しぐさ」を、子どもが産まれるまで、ダイアローグを学ぶまで、し続けてきた苦い記憶もある。彼女は洗練された外資系コンサルにいながら、同僚からポンコツだと罵倒されながらも、「『ものわかりの悪いコンサル』であろうと務めてき」たからこそ、もっともらしい「しぐさ」や「構文」から距離が取れたのである。「ものわかりの悪さ」というのは、『よりうまくやる』『より効率よくやる』ことを称揚するこの社会のルール自体を、「ほんまかいな?」と疑い、「個人の能力や資質の問題以前に、構造的な闇がないか」を深く深く掘り下げていく、メタ批判なのでもある。

このあたりについて、もっと色々書きたいが、その話は3月2日に隣町珈琲さんでの勅使川原さんとの対談に取っておきたい。というわけで、よかったらこちらもどうぞ。

トラウマの並行プロセスと回復共同体

読み始めたら圧倒的な迫力で、著者渾身のメッセージがビシバシ伝わってきたのが、毛利真弓さんの『刑務所に回復共同体をつくる』(青土社)である。彼女は日本ではじめて官民協働の刑務所での回復共同体(Therapeutic Community: TC)の立ち上げ支援をした心理専門職である。

このTCについては、坂上香さんによって『プリズン・サークル』として映画化されたので、ご存じの方も多いだろう。僕もコロナ下でオンラインで観てブログを書き、坂上さんの著作もブログで取り上げた。昨年1月には岡山の上映会でもう一度見て、坂上さんとも対談させて頂いた。その映像の中で、現場で訓練生と向き合う毛利さんの姿は非常に印象的であり、その甲高い声もまだ僕の中で残像として残っている。

ただ、彼女はその後大学教員になったと知っていたので、この経験を活かして研究者に転職されたのだろうと思っていた。そして、彼女の博論を元にした本著を見つけ、読むのを楽しみにしていた。読み始めて、序章からのけぞった。なぜなら、彼女は自発的に辞めたのではなく、TC現場に「出入禁止」!となったと書かれていたからだ。

「極めつきは、受刑者の前で刑務官に意見を述べた民間スタッフが次々と現場出入禁止になったことである。出入禁止を命じるのではなく、あくまで民間側が自分たちの判断で自粛したという形にさせるというのも嫌な感じが残った。実は私も、その出入禁止になった一人である。そして一年半後、現場には戻してもらえずそのまま退職した。ものを言えない雰囲気が作られていき、みんなが叱られないように頭を低くし、忖度して目立ったことをしないようにし始める。
それは、私がアミティで体験し、作りたいと思ったものとは真逆の場であった。刑務所で対話の場を作ることは、ある意味最も対等な対話が難しい場所で対話の場を作るという、非常に困難な、いわゆる『無理ゲー』への挑戦に近かったと思う。」(p14-15)

これを読んで、正直なところ、やっぱりそうだったか、とも思った。

僕は以前、オープンダイアローグが日本に広まった初期の頃、「精神病院の中でのダイアローグは無理だ」と東大講堂で言い放って、物議を醸したことがある。精神病院においては患者と医療者の非対称性が強く、「縛る・閉じ込める・薬漬けにする」ことが可能な病院のなかで、「利用者と対等に話しましょう」なんて簡単なことではないと思っていた。患者を治せない病院では、職員や病棟組織にもトラウマ状態が連鎖する「トラウマの並行プロセス」に置かれるからである。そして、こないだ矢原さんが書かれた本を読んで、刑務所内でもまず必要なのは職員同士の対話なのだと思った。そして今回毛利さんの本を読んで再度気づかされたのは、刑務所内での対話不全な組織環境の構造的問題である。その歪みが最も弱い部分で最大化され、毛利さんも「出入禁止」となったのだ、と。

「刑務所の組織は男性社会で、弱音を吐くことが許されないのは当然のこと、努力したことをほめてもらえる機会はほとんどなく、1つの失敗は単なる失敗と受け止められ叱られる。そしてそれらの評価は即、職務配置(どの部署でどんな仕事をするのか)に反映され、自分がどう評価されているかが自他に瞭然になる。大きなヒエラルキーの中にいて、下の者が上の者に物を言うなど許容されない。何より、彼らにも刑務官人生の中で傷ついたり失敗したりして自分なりに処遇スタイルを確立してきたというプライドがある。そんなところに、官民協働だかなんだか知らないが法務省の方針というお墨付きを得た民間の支援員達がポッと現れたら、自分たちのパラダイムを変えられるのではないかという脅威を感じるのも当然だろう。専門資格を持っているという支援員が新しい刑務所についての処遇理論や理念を話していたら、自分たちのこれまでの処遇を否定されるような思いを抱いたかもしれない。そのおそれは、変わることへのおそれと、変わることはこれまでの自分たちを否定することと同義だと誤解してのおそれだ。当の刑務官達は『おそれなんか抱いていなかった』と言うかもしれない。でも本当におそれを抱いていなければ執拗にたたきに来たり、いちいちマウントを取りに来たりする必要などなかったはずだ。本当に力のある人たちは『俺は偉い、お前はだめだ』と言って優位性を保とうとしたりしない。」(p244-245)

書き写していても、彼女の文章の気迫を感じる。彼女が刑務所という構造から排除されざるを得なかった(=出入禁止になった)背景論理や、マウント被害にあった現実に肉薄していく。そして、彼女の書いていることに、思い当たることがありまくる。それはぼく自身も、毛利さんほどではないが、批判の矢面に立ったことがあるからだ。

クローズアップ現代という番組で病院での身体拘束の問題がテーマになった際、ゲスト出演した。身体拘束に批判的なコメントをした後、ツイッターでは軽い炎上状態になり、「自分たちはこんなに頑張っているのに、あいつの発言は理想論だ」「現場をわかっていない」「おまえがやってみろ」と罵詈雑言を浴びせられた(これもブログに書いた)。四半世紀前、大学院生の頃、生まれて初めて担当した非常勤の授業で、「身体拘束やミキサー食は人権侵害だ」と述べた後、精神病院で夜勤をしている准看護師達から強烈に反発を喰らったのも同じ構造である。どちらも、毛利さんの言葉を用いるなら、「変わることへのおそれと、変わることはこれまでの自分たちを否定することと同義だと誤解してのおそれ」なのである。そして、現状肯定にはこのような「おそれ」がつきまとう。

「変わることはこれまでの自分たちを否定すること」というのは、学生たちと話していても感じることだ。授業で能力主義の構造的問題を議論していると、「それは受け入れがたい」という学生に出くわす。なぜかと深掘りしてみると、能力主義の「批判」は、自分自身の受験勉強の「否定」に思えるからだ、と。だから、最近では授業の冒頭で、「批判」と「否定・非難」の違いを必ず述べるようにしている。ぼく自身は存在や経験を「否定や非難」したいのではない。そうではなくて、現状とは違う、よりましな、別の可能性を探りたくて「建設的批判」をしているのだ、と。(これは僕のオリジナルではなく、人類学者のグレーバーが「別の可能性も想像できる」という意味で「批判的」と使っているのを真似ている。)

ただ、その現場「しか知らない」人は、しばしば「別の可能性」が想像できない。そのようなインプット経験もない。しかも知っている現場が、「弱音を吐くことが許されない」「下の者が上の者に物を言うなど許容されない」マッチョで懲罰的な究極の縦型組織だったら、どうなるだろう。すると、刑務官自身も心を落ち着けて働けず、ビクビクおびえながら仕事を続けるようになる。ちょうど新聞記事にもなったが「仕事にやりがいはない」と感じる刑務官だって増えていくはずだ。

先ほどの引用の直後に、毛利さんはこうも書いている。

「非常に感情を消費する仕事であるうえに、こうして何も迷いのないふりをして堂々としていることを求められるのは、心に強い負荷がかかるのだと感じた。傷付きを負った対象者を扱うことで自身も傷つく二次被害と、彼ら自身の傷つきの双方があるにもかかわらず誰にも扱われない、『トラウマを受けた組織の影響を受けている人たち』という言葉が頭に浮かんだ。」(p245)

これも精神病院と共通している。本来、病院は通過施設であり、治療をし回復すれば地域に戻すことが求められている。だが、現実の精神病院の多くが、長期に社会的に入院させ続けてきた。実際に病院に長期間入院させることによって「施設病」状態になっても、入院させ続けるしかないと思い込んで、抱え込んできた。「家族丸抱えか施設丸投げ」の二項択一構造に国自身も加担してきた。地域の中で精神障害のある人の回復を支える支援は日本の中でもあちこち芽生えているのに、厚労省は脱・精神病院やコミュニティメンタルヘルス推進に向けた政策誘導する仕組み作りは、本当にずっと放置されてきた。

厚労省と同様の放置が、法務省でもあったのだと、毛利さんの論考を読んでいて感じた。本来、刑務所も通過施設であり、受刑者を再犯しないように更生させて地域に戻すことが求められている。でも、秩序を護ることのみが重視され、受刑者の更生についても、「反省の色が見えない」(p285)などのパターナリスティックで主観的・情緒的判断が主になっている。毛利さんもこの言葉を言われて出入禁止が継続したので、この主観的評価は職員相手にもなされている。ということは、これはろくでもない刑務官個人とか、良くない個々の刑務所組織、といった単独の問題ではない。日本の矯正行政において、どのように受刑者の傷付きや生育歴に向き合うか、その上でいかにして受刑者の生き直しを支援するか、というアプローチを全く取ってこなかった。そういう組織風土が醸成されてきたのであり、それを温存していた法務省の政策的瑕疵なのである。

だからこそ、遅まきながら刑法改正に伴い、2025年7月から拘禁刑を導入し、対話実践なども入れようと、刑務所改革が始まっている。その中で、どういう方向性を目指せば、受刑者の更生可能性があるのか。それについても、本書の中でふんだんに触れられている。

まず、犯罪についての私たちの認識を改める必要があると毛利さんは述べる。

「犯罪をする人全員に当てはまることではないが、犯罪行動は、自分のしんどさを抱えられずに外(誰かもしくは何か)に解決を求める行為である。したがって、まずは、言葉にする前のしんどさを抱える力を伸ばすところからだった。もちろん抱えることができても、今度は握りしめていたものを手放すこと(語ること)も難しい。そしてそれが難しいのは、罪を犯した人たちだけではなかった。」(p13)

もしかしたら正義漢の強い人にはこの表記だけでも許せないかもしれない。犯罪者を甘やかしている視点ではないか、と。誤解なきように付け加えたいが、毛利さんは犯罪を正当化するためにこのような論理を述べているのではない。そうではなくて、犯罪行動とは何か、なぜ・どのように生じるのか、というパターンや構造を理解し、個々の受刑者がそこに陥った背景構造も理解した上で、そのことに向き合わない限り、ほんまもんの意味での再犯防止には繋がらない、という非常にロジカルな視点である。薬物依存領域で「ダメ、ゼッタイ」がダメなのと同じように、厳罰主義では何も変わらないのである。

では回復共同体は受刑者達を甘やかしているのか? 実際のやりとりを見ていると、単なる刑務作業より、ある意味かなりキツいやりとりが行われていた。

「個人としても、社会にいれば『あいつは嫌い』と言って口もきかなかった存在と話をする貴重な経験ができる。実際にTCの訓練生から他人の悪口を聞くことも多かったが、『嫌っているのはあなたの心で相手のせいじゃないですよ。なんで嫌いか考えてみてください』と言うと、偉そうだった父親を思い出すとか、いい顔ばっかりしているのが嫌いだったが自分も周囲に評価されたい気持ちが強いのにそれを認めていないだけだったなどと考え、結局は自分の問題だったと気づく。TCは『方法としてのコミュニティ』とも言われるが、コミュニティ内でリアルタイムに起こるいざこざを通して、自分を知り、他人を知り、感情と行動をコントロールしつつ、適切に自分の考えや気持ちを相手に伝える方法を学ぶことに重きを置いている。」(p153)

僕にもあなたにも、「嫌いな奴」はいるだろう。そして、大体「あいつは嫌い」というとき、あいつのどこが嫌いなのか、と相手に矢印が向いているだろう。でもTCでは、「嫌っているのはあなたの心で相手のせいじゃないですよ。なんで嫌いか考えてみてください」と矢印が相手ではなく、自分に向けられる。しかも「コミュニティ内でリアルタイムに起こるいざこざ」を元にして、そこから自分自身を見つめ直す作業をさせるのである。これはめちゃくちゃキツいことだ。そしてこの見つめ直しは、先ほど引用した「言葉にする前のしんどさを抱える力を伸ばす」ことや、「握りしめていたものを手放すこと(語ること)」につながる。さらに言うと、こういう「しんどさを抱えること」や「握りしめていたものを手放すこと」が不得意なのは、受刑者に限らない。専門職や一般人、あなたも私も、みんなこれに慣れていない。回復共同体(TC)では、訓練生だけでなく、ワークを行うスタッフ達にも、この力が問われていた。そういう意味では、支援者が訓練生を教え導く、のではなく、共に自分を見つめ直し、相手に伝え合うコミュニティが徐々に形成されていったのだと、読んでいて感じた。

また、日本の刑務所TCが参考にしたアメリカのアミティの教材では、こんなことも述べられていた。

「自分自身をかわいそうと思うこと(自己憐憫)と、心から後悔することは違います。多くの人にとって、これを区別するのは難しいことです。あなたが本当に変化しようと思うならこの区別を正しくすることが非常に大切です。
自己憐憫は逃げようのない罠になりますが、心から後悔することは、それができるなら自由と解放につながります。
多くの人が心からの後悔のサイクルの途中でひっかかり、後悔が自己憐憫へと麻痺し、ついには自己破滅、恨み、自己破壊的行動を育んでいるのです。
あなたが自分自身をかわいそうと感じたときのことを思い出してください。」(p190)

これも結構キツいワークである。

受刑者が出所後再犯するプロセスの中には、「後悔が自己憐憫へと麻痺し、ついには自己破滅、恨み、自己破壊的行動を育んでいる」部分が多分にあるだろう。「自分はかわいそうなんだんから○○しても許されるだろう」というのは、その認識枠組みを一度持つと「逃げようのない罠」になる。自分はかわいそうなんだから悪くない、というパターンもあり得る。犯した犯罪に対しての「心からの後悔」は、矢印が自分に向くしんどい作業である。自分や他人を深く傷つけた言動を振り返り、それと向き合うのは、先ほどと同じで徹底的に自分の心と向き合うことである。刑務作業をしていても、あるいは独房に閉じ込められたり、刑務官から説教されていても、「心からの後悔」は生まれない。後悔と自己憐憫の違いを考えるワークに向き合わないと、こういう感情は生まれてこないのだ。

「少なくともこれからの人生を自分でコントロールできる、自分次第だと思えた人は、強い。もちろん自分のしたことを忘れてはいけないが、これからの人生では、被害者でも加害者でもなく、犯罪者でも前科者でもなく、一人の人として自他を傷つけない生き方を選ぼうとすることができるようになる。罪を犯した人生からの回復にまず必要なのは、被害者の痛みを知らせることや、刑務所でしんどい思いをさせて事件の重大さを痛感させることではない。学習と成長の場と、自分の人生の主導権を取り戻す機会だ。自己憐憫を引きずったまま主導権を取り戻せなければ、『自分が』被害者に傷を与えたという本当の意味での責任は自覚できない。」(p193)

日本の刑務所で回復共同体を手探りの中から作り上げてきた第一人者の毛利さんだからこそ、「罪を犯した人生からの回復にまず必要なのは、被害者の痛みを知らせることや、刑務所でしんどい思いをさせて事件の重大さを痛感させることではない」と断言する。これは非常に重要なことである。懲罰は再犯防止に直接的な効果がないとはっきり述べている。その上で、自己憐憫に引きずられることなく、「学習と成長の場と、自分の人生の主導権を取り戻す機会」が作れるかどうか、が回復可能性や心からの後悔につながると述べる。それが犯罪からの「自由と解放」につながるのだ、と。

そして、これは刑務所で働く刑務官にも、同じ事が言えるだろうし、むしろそういう職場に変わっていく必要があると、本書を読んで痛感した。マッチョで上意下達で上司の命令はゼッタイな組織であれば、そこで働く個々人の刑務官の「学習と成長の場と、自分の人生の主導権を取り戻す機会」がない。そんな現場では、受刑者に対しても、同じように上意下達でマッチョで懲罰的な言動が繰り返される。これがトラウマの並行プロセスである。だからこそ、先進他国で常識とされているダイナミックセキュリティ(動的保安:刑務官と受刑者との信頼関係の構築、積極的な処遇の展開が、刑務所の保安にとっても大きな役割を果たすことができるという考え方)を、刑務所組織で学び、その風土を取り入れていくために、矯正職員自身が成長する機会を取り戻すことが大切だ。それを通じて、刑務官ひとりひとりが、まずは自分自身の「声」を取り戻せるかが鍵なのだろうと、この本を読んでいて感じた。

最後に、素敵なフレーズを引用しておく。

「また、是非自分のことを語る経験もしてほしい。私たちは皆、何かしらの当事者性を持っている。そして以外と、人に自分のことをじっくり聞いてもらう機会はない。話してみると、思いもよらぬ傷を思い出したり、傷つけられて二度と回復しないと思っていたしこりが変化したり、これが自分だと思っていたものが違っていたことに気づいたりするかもしれない。ぜひ、発見を楽しんでいただきたい。」(p352)

回復共同体の魅力をぎゅっと凝縮したフレーズである。また拘禁刑の導入と共に刑務所に導入されることになった「対話実践」のコアでもある。対話をしたからと言って、すぐに改善や更生、社会復帰が出来るのではない。でも、「人に自分のことをじっくり聞いてもらう機会はない」のは、受刑者だけでなく、刑務官も同じである。精神病患者だけでなく、精神病院で働くスタッフも同じである。まず支援する側が、「人に自分のことをじっくり聞いてもらう機会」を持たないと、他者の話をじっくり聞くことはできない。そして、「じっくり聞いてもらう」なかで、「思いもよらぬ傷を思い出したり、傷つけられて二度と回復しないと思っていたしこりが変化したり、これが自分だと思っていたものが違っていたことに気づいたり」という「発見を楽」めないと、他者とも対話ができない。

刑務所や精神病院だけでなく、入所施設や老人病棟、児童養護施設など、社会学者ゴッフマンが「全制的施設(total institution)」と述べた全ての場で真っ先に必要とされているのは、そこで働く支援スタッフの人々が、「人に自分のことをじっくり聞いてもらう機会」を作ることである。こうやって支援スタッフの「学びと成長」を保証し、彼ら彼女らが自らの人生の主導権を取り戻せる場でに変わることでしか、トラウマの並行プロセスを逃れる可能性はない。

化学物質ではなく心と社会の不均衡

貧困研究や若者研究が専門の知り合いが高く評価していたので、ヨハン・ハリ著『うつ病 隠された真実』(作品社)を読んだ。圧倒的な迫力で、普遍性が高く、確かに読ませる1冊である。

この本が信用できるのは、まず世界中の精神医療関係者へのインタビューを行い、膨大な論文を読みあさったジャーナリストによる著作であるという点、しかも著者のヨハンさん自身もうつ病で苦しんだ経験当事者であり、その視点から「本当に薬は効くのか?」という問いをぶつけ続けてきた「研究成果」であるという点だ。

死別によるトラウマが専門のジョアン・カッチャトーリ氏とのやりとりが、特に印象的だった。

「ジョアンはぼくに言った。わたしたちは『状況を考慮にいれること』をしない、と。人間の感じる痛みというものを、あたかも人生とはまったく切り離された一つのチェックリストによって査定でき、脳の病気であるとレッテルを貼ることができるかのように振る舞っている、と。
それを聞いたぼくは、自分も13年間抗うつ薬を処方されていて、用量も次第に増えていったのだけど、その間、ぼくがそのように苦痛を感じる理由が何かあるかと、医者から尋ねられたことは一度もないという話をした。ジョアンはぼくに言った。ぼく自身に異常があるわけではない、ある種の災害のようなものだ。医者たちのメッセージ—われわれの感じる痛みは単に脳の機能不全に由来する—こそが、わたしたちと『わたしたち自身との絆を断ち切る、ということはつまり他者との絆も断ち切るのだ』と。」(p57)

うつ状態を「脳の機能不全」だと単純化するならば、それは私たちの生きている「状況を考慮に入れること」がなくなる。近代科学においては、そうやって個人因子を取り去って生物学的な機能面での同一性にのみ着目する「操作的定義」を行う。そうやって「ノイズ」を除去し、「科学的」な原因を特定し、結果を一元的に把握し、その因果モデルに則った対処療法となる薬を開発する。「セロトニンの不足には、この薬が効果的です」と。

ただ、抗うつ薬を処方する際、「そのように苦痛を感じる理由が何かあるかと、医者から尋ねられたことは一度もない」のは、ヨハンさんだけではないと思う。もしかしたら、標準的な生物学的治療を信奉する精神科医にとって、「操作的定義」が排除する個人の悲劇を聞いていても、時間が取られるだけだし、それは「ノイズ」だと感じる人もいるかもしれない。あなたが苦痛に感じる理由を聞いたところで、それはあくまでも個人の主観に過ぎませんよね、と。

だが脳の機能不全に原因を単純化すると、見えなくなることがある。それが、「わたしたち自身との絆を断ち切る、ということはつまり他者との絆も断ち切るのだ」という点である。この部分は、本書の本質的な核になる。本書の英語の原題は“Lost Connections: Why you’re Depressed and How to Find Hope”であるが、つながりや絆を失うことで、絶望的な経験はますます深まっていく。その際に、どう視点を切り替えればよいのだろうか?

「ジョアン・カッチャトーリと話してからだいぶん時が経って、自分でも大幅に調査を進めたあとで、ぼくは再びこのときのインタビューの音声を聞き直した。そのときぼくは、悲嘆とうつが同じ症状を呈するという事実には、何か重要なところがあるのではないかと考え始めたところだった。その後のある日、うつを抱えた人たちに話をきいたあと、ぼくはふと自問した。うつが、実は悲嘆の一形態だったらどうだろう。本来あるべき状態にない自分たちの人生を悲しんでいるのだとしたら? あるいはぼくらが失ってしまった、でもまだ必要としている絆を惜しんでいるのだとしたら?」(p59)

悲嘆とうつが同じ症状を呈する。言われてみれば、ものすごく当たり前のことなのだが、操作的定義がされてしまうと、そうではなくなる。「本来あるべき状態にない自分たちの人生を悲しんでいるのだとしたら? あるいはぼくらが失ってしまった、でもまだ必要としている絆を惜しんでいるのだとしたら?」と問うてみると、すべきことは「しっかり話をきく」こと一択なのだ。でも現実は、ヨハンさんがいうように、「13年間抗うつ薬を処方されていて、用量も次第に増えていったのだけど、その間、ぼくがそのように苦痛を感じる理由が何かあるかと、医者から尋ねられたことは一度もない」のである。これが、うつ病を巡る、単純だが最大の落差なのである。そうやって、患者は自分の苦痛や苦しみの理由について話を聞かれることはなく、自分や他者とのつながりを断ち切られ、薬に依存し、でもそれでは治らず、袋小路に陥るのである。

ではどうすればよいのか?

そのことのヒントが本書にはちりばめられているのだが、どうしても紹介したいのが次のエピソード。抗うつ薬もプラセボも変わらないと主張する、『抗うつ薬は本当に効くのか?』の著者アーヴィング・カーシュに真っ向から反論した抗うつ薬の擁護者、ピーター・クレイマー博士は、自身の論を正当化するために製薬会社の治験会場に赴く。法律で謝礼が40ドル〜75ドルと制限されているなかで、うつ状態の人に治験薬を受け入れてもらうために、こんな努力がなされていたという。

「ピーターは、貧しい人々がバスに乗せられて町外れから連れてこられ、日頃家では得られないような上等な心遣いの数々を受けるさまをじっと観察していた。たとばセラピー。そこでは誰もが話をじっと聞いてくれる。あるいは一日中くつろげる温かな場所。医療。そして貧困ライン以下の者にとっては収入が二倍にもなるお金。
こうしたことを観察したピーターは衝撃を受けた。このセンターに姿を見せた人たちは、たまたまそのときそこで検証されているどんな条件にも自分が合っているように見せかける強力な動機があるということだし、また治験を実施しているのは営利企業なのだから、その人たちの言うことを信じているように見せかける、これまた強い動機があるということになる。」(p46)

これは非常に象徴的である。薬が効くか効かないか、以前に必要とされていることを、実は製薬会社も知っているのである。

「たとばセラピー。そこでは誰もが話をじっと聞いてくれる。あるいは一日中くつろげる温かな場所。医療。そして貧困ライン以下の者にとっては収入が二倍にもなるお金。」

つまり、じっくり話をきいてもらえる、心からくつろげる、自分のことを心配してくれる人がいる、お金の事で心配しなくてもよい・・・といった、自分や他者との絆(Connections)が取り戻されている状況があれば、その人は安心が出来るのである。そして、そのような安心できる環境で治験をすれば、それは薬は効くにきまっているのである。だからこそ、「科学界を代表する抗うつ薬の擁護者であるピーター・クレイマーが、薬を擁護するために、薬が効果的だとする科学的エビデンスをくずだと言った」。

「治験そのものが、ペテンだ」(p47)

それ、言うたらあかんやん奴やん・・・! 抗うつ薬の擁護者は、治験現場を見て、科学者であるがゆえに、嘘がつけなかった。製薬会社も被験者も言わないことを、言ってしまったのだ。「王様は裸だ」と。

そして、この本がすごいのは「うつと不安の9つの原因」を述べるだけでなく、「絆の再建」のために大切なこともしっかり提起している点である。しかも「社会的処方」や「ベーシックインカム」、「意味ある仕事につながる」「子ども時代のトラウマを認め、乗り越える」といった、極めて真っ当な解決策を提示している。しかも方法論だけではなく、そもそもうつ病に向き合う価値前提も捉え直そうとする。

「『うつは一種の自意識の拘束なんです』と、ビル・リチャーズはぼくに語った。ビルはジョン・ホプキンス大学での治験チームの一人だ。『うつの人たちは自分が誰か忘れてしまっている、自分に何が出きるのかを忘れてしまっている、自分がのめり込んでいたものを忘れてしまっているのだと言っていいかもしれません。・・・多くは自分の痛みしか、自分の受けた傷しか、自分の恨みしか、自分の失敗しか見えなくなっているのです。青い空も黄色く色づいた葉も目に入らないのです。わかりますか?』 自意識をもう一度開いていくプロセスによって、この拘束を壊すことができる。そしてそれによって、うつを壊すこともできるのだ、と。そのプロセスはエゴの壁を取り払い、たいせつなものと絆を結ぶために自分を開いてくれるのだ。」(p324)

「自分の痛みしか、自分の受けた傷しか、自分の恨みしか、自分の失敗しか見えなくなっている」状況とは、想像するだけでも息苦しくなる。そして実際、うつとはそのような息苦しい状態であり、「自意識の拘束」=「エゴの壁」である。「どうせ」「しかたない」と可能性に蓋をしてしまう。その際、確かに脳の何らかの気質の特性や異常があるのかもしれない。でも、他ならぬ私自身の痛みや傷、恨みや失敗は、あなたのそれとは異なる。生物学的な状況がたとえ特定できたとしても、傷や痛み、恨みや失敗は、薬だけでは癒えない。ゆえに多くの人が「自意識の拘束」=「エゴの壁」に囚われてしまう。その悪循環から脱出するためには、「自意識をもう一度開いていくプロセス」が必要不可欠だと筆者は述べる。なぜなら、自意識の拘束を超えることで、自分が誰かを思いだし、自分に何が出きるのかを思いだし、自分がのめり込んでいたものを思い出すことが可能になるからだ。

イギリスで社会的処方に取り組む医師のサムは次のように言う。

「とりわけうつや不安の場合は、『どうしましたか?』と尋ねるのではなく、『あなたにとって何が大切ですか?』を尋ねるようにしなくてはならないことを学んだとサムは言う。解決策をみつけたいと思うなら、うつや不安を抱えた人が、人生で何をなくしてしまっているのか耳を傾け、なくしてしまったものを取り戻す途を見つける手助けをしなければいけない、と。」

自分自身の「痛みや傷、恨みや失敗」に苦しめられ、そこから抜け出せない人に、「どうしましたか?」と尋ねても、傷口に塩を塗り込むだけかもしれない。であれば、それより「あなたにとって何が大切ですか?」と聞く方がよい。それは、不安や心配ごとではなく、希望や夢に目を向けることだからだ。だからといって、しんどい状況について尋ねないわけではない。「人生で何をなくしてしまっているのか耳を傾け、なくしてしまったものを取り戻す途を見つける手助けをしなければいけない」というのは。その人の悲嘆や喪失の物語をじっくり伺った上で、ではどうすればそこから何かを取り戻せるのか、を一緒に考えることである。これは、薬の処方では出来ないことだ。

その上で、筆者はうつ状態に苦しみ始めた10代の自分に向かって、こんな風に最後語りかける。

「君は脳内の化学物質の不均衡で苦しんでいるんじゃない。君が苦しんでいるのは、われわれの生き方における社会の不均衡、心の不均衡だ。これまで君が聞かされてきたことのほかに、はるかにたくさんの問題がある。セロトニンじゃない。社会なんだ。君の脳じゃない。君の痛みなんだ。君の生物学的機能の不調が、君の苦悩を悪化させることは確かにある。でもそれは原因じゃない。それは後押しをするだけだ。だから一番の解決策を求めているなら、探すのはそこじゃない。」(p351)
「うつは、有意な程度に、われわれの文化の中のおかしな方向に進んできてしまった部分に由来する集団的な問題であると理解した以上、その解決も—有意な程度に—集団的なものでなければならないのは明らかだ。つまりぼくらは、文化を変えなければだめなんだ。そうやってもっと多くの人たちがそこから解放されて、自らの人生を変えることができるようにならなければだめなんだ。」(p356)

生物学的な精神医学では、うつは「脳内の化学物質の不均衡」と説明される。だが、この本の結論では、「化学物質の不均衡」説は退けられ、「われわれの生き方における社会の不均衡、心の不均衡だ」と著者は喝破する。「セロトニンじゃない。社会なんだ。君の脳じゃない。君の痛みなんだ」と。社会的な抑圧や力の不均衡、そしてそれが個人に内面化された際の、個人の不安やストレスの最大化。そういった悲嘆や苦しみ、生きる苦悩の最大化こそが、うつの元凶にある。そして、それは個人的な問題ではない。物質主義化した西洋近代社会という「集団的な問題」である、とだからこそ、パキシルを飲んでも状況は改善しない。本当に状況を変えるためには、「文化を変えなければだめなんだ」と。

本書では、オープンダイアローグもイタリアの精神医療改革も、一切登場しない。でも著者のこの結論は、病気から生きる苦悩へのパラダイムシフトを果たしたバザーリア達の達観とも通じるし、近代合理主義に自閉した人工的な生態系を越えて、「一神教的な裁定者・裁定システム」の限界を超えた結論なんだと改めて感じた。

『どうすればよかったか?』を観て

映画「どうすればよかったか?」をやっとみた。(今日のブログは映画のネタバレあり!です)

両親が医師で研究者でもある、というエリート家庭で育った藤野雅子さん。親の期待を一身に背負い、4度目でやっと医学部に入学する。そして、在学中に統合失調症らしき状況に陥り、救急車で父の教え子のいる精神病院に運ばれるものの、翌日には「彼女は病気ではない!」ときっぱり言い切る父が連れて帰る。以後25年間、精神科を受診することなく、家に閉じ込められた状態だった。その姉のことがずっと気になっていた8歳下の知明さんは、「研究者の父と母は偉そうに理屈を言うが、姉に対し無力で事実をかくす嘘つきだと感じた」(パンフレットp5)という。彼は、研究者の夢を捨て、映像学校に通ったあと、2001年からずっと家族3人を被写体にカメラを回し続ける。そして出来上がったのが、本作である。

知り合いが何人もみて、色々な感想を教えてくれた。でも、僕は見る踏ん切りがつかなかった。それは、「家の中で鍵をかけて閉じ込めている」「25年間の未治療」・・・といった前情報でうんざりしていて、わざわざしんどい気持ちになる映像を2時間も見てられるだろうか、が不安だったからだ。ただ、精神医療に詳しい友人たちが「モヤモヤするけど、見る価値はある」と教えてくれたので、ようやく重い腰をあげた。

で、見てどう感じたのか。それは友人の評価と一言一句変わらない。「モヤモヤするけど、見る価値はある」という感想である。

まがいもない本物の「家族の葛藤と修羅」が描かれていた。

幻聴や妄想に支配されたのか、独自の世界について語り続ける雅子さん。それに対して、医師の父母は、幻覚妄想を聴いてはいけない、というその当時の医学教育を踏襲してか、彼女のしんどい言葉や叫びにまったく応答しようとしない。でも、毎日ご飯を作り、食事を囲み、彼女を「まともな人」であると思って付き合おうとしている。見ているようで、見ていない。聴いているようで、聴いていない。退職後立てた都市郊外の立派な外見の邸宅の中で、夫婦で研究所を作り、医学部を卒業して家の中にいる娘を手伝わせていた、という。彼女の葬式の際、父は娘と一緒に書いていた論文を棺に入れた。あくまでも、彼女を「親が想定するまともな人」の枠の中で捉えて、それ以外の部分は「見て見ぬ振り」をしているように見えた。

にもかかわらず、雅子さんは強烈な存在として、あの家の中で存在した。嵐を避けるかのように歯を食いしばってじっと様子をうかがっているか、と思えば、饒舌に「あちらの世界」からの呼びかけに応答している彼女がいる。時には叫び、苦しいことを伝えようとする。その映像を見ると、幻覚妄想に支配された「あちら側の人」に一見思える。以前の僕なら、そう思い込んでいたかもしれない。でも、どんなにしんどい時でも、叫んでいる時でも、「お茶あるよ」という声かけに一瞬応答したり、黙り込んで自分の世界にこもっているように見えるときでも、カメラ越しの知明さんをちらっと見ている雅子さんがいた。つまり、彼女は「あちらとこちら」を行ったり来たりしながらでも、強烈に存在していたのである。それを、知明さんはずっと捉えようとしていた。その一方で、父と母は、見ようとしていなかった。

そして、母が認知症になり、父は母も娘も一人で支えきれないと思って、やっと知明さんの提案に応じ、精神科への入院を決断する。三ヶ月で合う薬が見つかり、家に帰ってきた際には、「あちら側の人」の部分がずいぶんなりをひそめ、「こちら」の世界で生き始めた。母が亡くなった後は、朝食を作るようになり、買物や宝くじを買いに行き、好きなタロット系の買物もし、父と知明さんと三人で旅行にも出かけた。25年分の青春を取り返すように、少しずつ、生活を楽しみ始めた。正直言えば、彼女のこのリカバリーの部分が映像に入っていたから、この映像は、何とか最後まで見ることが出来た。

で、知明さんは、この映画を、姉の統合失調症の発病の原因を探ったり、両親を糾弾することが目的で作ったのではない、という。だからこそ、僕もそれはしない。彼はパンフレットにこうも書いている。

「我が家は統合失調症の対応の仕方としては失敗例でした。
現在は統合失調症を発症しても通院しながら仕事に就いている方々の話も聞きます。
医学の助けを借りることはもちろん、家族会や専門家、書籍、ネット、色々な助けがあります。隠したり、閉じ込めたりしたら、その先は袋小路です。それだけは確かです。」(p8)

そう、知明さんが書くように、「隠したり、閉じ込めたりしたら、その先は袋小路」なのだ。その家族の修羅や葛藤を、彼は隠さず、閉じ込めることなく、「どうすればよかったか?」という映像として私たちに示してくれた。

「私はどうすべきなのか、25歳くらいで自分なりに答えを出しました。
まず事実を受け入れて、次に解決のための行動をとる。
しかし両親を説得し姉を受診させるまでに25年もかかってしまったのはあまりに長すぎました。
もっと良い方法はなかったのか、今も自問しています。
このタイトルは私への問い、両親への問い、そして観客に考えてほしい問いです。」(p8)

ここからわかることは、医師で研究者の両親は雅子さんのしんどい状況を、そのものとして「事実を受け入れ」ることが出来なかった。そして、おだてて医師免許を取らせようとさせたり、それが無理なら家の中で一緒に研究をしたが、「解決のための行動をとる」ことを頑なに拒否した。知明さんはその状況を理解しながら、息子・弟という「立場」で、一人で状況を変えることが出来なかったのだ。

この映画評で、オープンダイアローグを実践する医師である斎藤環さんはこんな風に述べている

「「ぼくならどうするか?」は言える。僕はお姉さんと「対話」してみたかった。誰からもスルーされた意味不明な話題に食いついて、理解できそうな断片を掘り下げたり、どこがわからなかったか感想を伝えたり、すれ違い続ける対話に家族みんなを巻き込みたかった。それができると強く感じた。」

僕もこれに強く同感する。

雅子さんは、「あちらの側」のエネルギーに強く巻き込まれている時でも、「こちらの側」との接点は確実にあった。カメラを向ける知明さんを認めていた。だからこそ、彼女がその状況でどう苦しくて、どんな風に感じているのか、その声を聴いてみたかった。話すまで待ってみたかった。知明さんは書いているが、「母は私が姉に話しかけても姉の代わりに答えることがしばしばありました」(p5)そうだ。お母さんに奪われる前の、彼女の声が聴きたかった、というのは、僕が映像を見ていていも、強く感じた。

そして、知明さんがカメラを持って果敢にチャレンジしたことは、カメラという「第三者」を持ち込んで、「すれ違い続ける対話に家族みんなを巻き込」もうとする努力だった。でも、知明さん一人とカメラだけでは、医者であり研究者という親の圧倒的で時に抑圧的な、有無を言わせぬパワーに対抗しきれなかった。そして、母が認知症になる、という形でパワーを失いかけるまで、状況が25年続いたのだ、ともいえる。

「どうすればよかったか?」を僕は軽々に言う気にはならない。

でも、これからの社会で、雅子さんと同じような状況に合っている人と出会った際、「これからどうすればよいか?」は言える。それは、家族以外の第三者を巻き込んだ対話をしていくことである。「すれ違い続ける対話に家族みんなを巻き込」みながら、袋小路の回路を開くことである。

雅子さんが発病した90年代とは異なりオープンダイアローグやACTなどが、日本でも展開され始めた。以前紹介した近田真美子さんの『精神医療の専門性—「治す」とは異なるいくつかの試み』(医学書院)の舞台であるACT-Kのようなチームが藤野家に関わることができれば、雅子さんの苦悩、だけでなく、父や母の孤立や頑なさ、にも別の視点から関わる事が可能だ。そういう意味では、入院させることなく、地域の中で、25年後に雅子さんが笑顔で暮らしていたような支援が、今では日本でも可能なのだ。だからこそ、「これからどうすればよいのか?」の可能性が、既にそこかしこにある。

そのことを言語化しておきたくて、今日のブログを書いた。いずれにせよ、やはり見て良かった映画だった。