バイアスやストーリーの自覚化

僕が、一日で一番本を熱心に読む場所は、もしかしたらお風呂もしれない。

そう言うと、かならず尋ねられる。「本がシワシワになりませんか?」
ご心配なく。日本の本の紙質は非常に良いので、新刊本なら、間違いなくパリッとしている。この前、状態の良い1989年印刷の古本を読んでいたが、それでも何ら問題はなかった。たまに赤ペンまで持参して、風呂の中で線を引いたりコメントするも、大丈夫。その昔、居間の本を片付けない僕を懲らしめようとした家人にイタズラされて、その時読んでいた本を洗濯機に隠されたことに気づかず、そのまま「洗ってしまった」こともあったが、さすがにシワシワになるも、乾かしたらその本は読めたくらいだから。(とはいえ、赤ペンの線は消えましたが・・・)
なぜ、風呂読書が好きなのか。それは、この情報化社会の中にあって、風呂空間だけは、完全に外界と遮断が出来る、ということ。いや、もちろんお風呂にテレビや携帯を持ち込める時代とは知っているが、僕はそれはしない。湯気の中、ある種、胎内に回帰するような空間の中で、ネットや騒音などのノイズを遮断して、本とじっくり対話する時間。当たり前だが、図書館や他者から借りた本は持ち込めないので、自腹本ばかり。そして、自腹本なら、「読むべき本」ではなく、「読みたい本」をお風呂読書のお供にする。
昨日も、気づけば1時間半、ある本の世界にすっかりはまり込んでいた。最相葉月さんの新刊『セラピスト』(新潮社)。ベストセラーの『絶対音感』の著者だ、とは知っていたが、縁あって初めての彼女の著作に触れる。そして、その世界にはまり込みながら、僕自身が精神医学や臨床心理に興味を抱く部分と、彼女の執筆動機が似ている事に気づく。
「自分のことって本当にわからない-。そう。自分のことって本当にわからない。」(p320)
僕自身は、高校生の頃、河合隼雄の名著『こころの処方箋』(新潮文庫)に出会い、中学時代から北杜夫のエッセイ好きもあって、臨床心理や精神医学に興味があった。で、入った大学では臨床心理のコースもあったのだが、心理学実験には苦手な統計が必須であることと、あるユング派セラピストの教官に「君は黙って相手が話し出すのを待つことが出来る?」という問いかけに答えられず、社会学系に切り替えた思い出がある。でも、ずっと興味関心は持ち続け、本書に出てくる河合隼雄や中井久夫、ユング派の論考、木村敏・・・などの著作は読み続けてきた。また、一冊目の拙著『枠組み外しの旅』は、副題が「個性化が変える福祉社会」というタイトルに象徴されるように、本を書き進める中でユングの「個性化」理論を取り入れた事から、思わぬブレークスルーを頂く事が出来た。でも、「自分のことって本当にわからない」というのは最相さんと同じで、時折そんなことを、ブログにも書き付けている。 (「内奥への旅」「人生の正午にさしかかり」・・・)
で、ここ数年、そうやって本を読み続け、自分自身の考えも時折書き続けながら、自分自身や自分の心を巡る問題を眺め続けてきた。同じように、最相さんも、このテーマに取り組み始めた時、臨床心理学者の木村晴子氏から、「この世界を取材するのであれば、あなたも自分を知らなければならない」と言われた。そのことを考え続け、後に河合隼雄氏のご子息で同じく臨床心理学者の河合俊雄氏に尋ねると、こんな答が返ってきたという。
「自分はこう見てしまうといったバイアスや、相手にこういうことをしゃべらせたいという自分なりのストーリーを自覚するということでしょうか」(p319)
自分の「バイアス」だけでなく、「自分なりのストーリー」の「自覚化」。
ああ、と繋がった感覚。それは、この正月からずっと読み続けている、ユング心理学出身で、今では独自のプロセス指向心理学を体系付けたアーノルド・ミンデルの最新邦訳の中にも、この「自覚」がキーワードになっているのだ。
「自覚は戦わない。自覚は戦いに気づき、またその場で起きているさまざまな出来事に気づくが、何かと同一化したり、それらに評価を下したりはしない。自覚があれば、あなたはみんなの自発的な行動に気づくことができ、そこからみんなにとっての最善の道となる思いがけないプロセスが展開するだろう。」(ミンデル『ディープ・デモクラシー』春秋社、p55)
最相さんも、あとがきの中で、僕と同じように「沈黙が苦手」と告白する。「あのう、といわずにただ黙っていることがいかにむずかしいかと思う」(p331)というのは、僕自身にもそのまま当てはまるリアリティである。ただ、彼女が中井久夫へのインタビューから学んだのは、次の視点であった。
「言葉によって因果関係をつなぎ、物語をつくることで人は安住する。しかし、振り回され、身動きさせなくなるのもまた言葉であり、物語である―。中井久夫のそんな言葉が取材中、頭を離れなかった。それは、ノンフィクションといいながらも、自分の見立てやストーリーからはみ出るものを刈り取る行為を意図的に、あるいは無意識のうちにしていることを自覚化していたからである。」(最相、同上、p332)
「言葉によって因果関係をつなぎ、物語をつくることで人は安住する」
だからこそ、この「安住」打ち破られた時、別の「因果関係」に基づく「物語」が打ち立てられる。例えば、「聴覚障害を乗り越えた」「奇跡の」作曲家として売り出されていた佐村河内氏が、実は別の作曲家に作曲を依頼していた問題に関して、マスコミは今度は「偽装だ」「耳は聞こえていたのに」という別の「因果関係」に基づく「物語」で、彼を糾弾する。マッチポンプ的に、ある人を取り上げ、落とす。この国の政治家や芸能人、スポーツ選手などの有名人に、マスコミが行ってきているのは、このような定型的な物語への「安住」と、それが破綻した時に別の物語へと作り替える事で、少なくとも、物語の作者のマスコミと、聴き手の視聴者が「安住」する共犯関係の構築である。しかし、この共犯関係の最大の問題は、「自分の見立てやストーリーからはみ出るものを刈り取る行為」への「無自覚」さ、である。自分の「バイアス」や、「自分なりのストーリー」の癖の無自覚である。
この「無自覚」の何
が問題なのか。それは、ミンデルの議論を「逆さ」にすればわかる。「何かと同一化したり、それらに評価を下」すことに一生懸命になると、「みんなの自発的な行動に気づくことができ」ず、気づけば他者と「戦い」をはじめることになり、「みんなにとっての最善の道」を描くプロセスを歩めない、と。これって、中国や韓国との敵対的感情のマッチポンプ、とも共通項がありそうだ。
ソクラテスではないけれど、「汝、自身を知れ」とは、自らの「バイアス」や「ストーリー」を自覚化せよ、ということだと、つくづく思う。
「自分はこう見てしまう」「相手にこういうことをしゃべらせたい」という、普段主題化されない、ある種の支配的欲望。これに無自覚であれば、自分が選択的に「見てしまう」情報のみを、「ツイッターではみんなこう言っている」と「事実認識」として受け止め、「○○さんもこう言っているではないか」と、自分の聞きたいことを「しゃべらせ」、それを「因果関係」の「物語」でつなぎ、その世界に「安住」してしまう。しかし、そんな狭隘な「因果関係」だけではうまくいかないから、時として、「振り回され、身動きさせなくなるのもまた言葉であり、物語である」のだ。では、どうすればいいのか?
それも、中井久夫の発言の中に、ヒントが隠されている。
「言語は因果関係からなかなか抜け出せないのですね。因果関係をつくってしまうのはフィクションであり、治療を誤らせ、停滞させる、膠着させると考えられても当然だと思います。河合隼雄先生と交わした会話で、いい治療的会話の中に、脱因果的思考という条件を挙げたら多いに賛成していただけました。つまり因果論を表に出すなということです。」(p270)
「脱因果論的思考」とは、なかなか言い得て妙な表現である。「因果関係」を一つの「フィクション」と認識する、ある種の「メタ認識」のこと、ともいえる。「自分はこう見てしまう」「相手にこういうことをしゃべらせたい」という、自分の世界認識に通底する支配欲を認識する「メタ認識」である。この「メタ認識」があると、自分が強く「因果関係」として結びつけやすい要素「以外」の、別の物語、別の可能性が、生まれてくるのかもしれない。そういえば、それを河合隼雄自身が、茂木健一郎との対話の中で、次のように語っていた。以前のブログでも引用しているが、もう一度。
「近代科学は、ご存じのように、関係性を絶って、客観的に研究する。しかし、われわれのほうは関係性がなかったら、絶対、話にならない。だから、その関係のあり方をすごく大事にしていく。それから生命現象というものは、物理の力学のように、これだけ質量があって、位置がこうで、というふうに定義できないんですね。また物理は、目で見えていること以外のことを絶対扱わない。しかも、ほかにどんな可能性があるか、それに気づこうとしない。それに気がついて、そこに注目して、ユングなんかはやったわけですね。」(河合隼雄・茂木健一郎『こころと脳の対話』新潮文庫、p16)
「原因」と「結果」とは、様々な「関係性」の中から、「目で見えていること」の一つを選び取った、複数ある物語のうちの一つ、である。しかし、「関係性」の中から展開される「生命現象」に関しては、一つの「因果関係」以外の、別の「可能性」があり得る。それを、安易に「因果関係モデル」(=客観性)の中に閉じ込めず、生命現象そのものとして眺める事は出来ないか。これが、河合の問いかけである。これは「奇跡の音楽家」「詐欺的行為」などの表面的レッテルで「わかったふり」をして、その「物語」世界に「安住する」、その己の認知のバイアスを認識する「メタ認知」であり、「脱因果的思考」である。
風呂読書が大切なのは、電話やネット、社会的しがらみや立場主義といった、「つながり」によるバイアスから、いったんは自由になれること。その上で、自らの内奥に潜む、自らの「バイアス」「ストーリー」を自覚化しやすい空間である、ということかもしれない。だからこそ、毎日風呂に浸かってどっぷり汗をかきながら、本の世界に浸りながら、実は自分の「物語」世界を「自覚化」する旅に、出ているのかもしれない。

社説が暴露する「病院の論理」

2年ぶりに、新聞の社説に意見を書いてみる。

前回は2012年の2月、国の障がい者制度改革推進会議総合福祉部会において、厚労省が「ゼロ回答」をした直後の毎日新聞の「上から目線」に異議を唱えた。今回も、障害者政策に関する記事なのだが、内容は異なる。で、社説はじきにネット上で読めなくなるので、取りあえず該当の社説を引用しておく。
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朝日新聞 2014年1月24日社説 「精神科医療 病院と地域の溝うめよ」
精神疾患で入院している患者は日本に約32万人。入院患者全体のほぼ4人に1人にあたる。
そして年間2万人が病院で人生を終える。何年も入院生活を続け、年老いた統合失調症の患者も多いとみられる。
こんな状況をいつまでも放置しておくわけにはいかない。
病院から地域へ。
日本の精神科医療に突きつけられてきたこの課題について、厚生労働省が近く新たな検討会を立ち上げる。
議論の中心テーマは、既存の精神科病院の建物を居住施設に「転換」して活用するかどうかである。
日本には精神科のベッドが突出して多い。人口あたりで見ると、先進国平均の約3・9倍になり、入院期間も長い。
厚労省は10年近く前、大きな方向性を打ち出した。
入院は短く、退院後は住みなれた地域で、訪問診療や看護、精神保健の専門職に支えられて暮らす――。
しかしこの間、入院患者の数に大きな変化はない。改革の歩みはあまりに遅い。
背景には、精神科病院の9割が民間という事情がある。単にベッドを減らせば、入院の診療報酬に支えられてきた経営が行き詰まる。借金は返せなくなり、病院職員も仕事を失う。
そこで病院団体側は、病院の一部を居住施設に転換できるよう提案し、国の財政支援を要望している。
これに対して、地域への移行を望む患者や支援者は「看板の掛け替えに過ぎず、病院が患者を囲い込む実態は変わらない」と強く反発してきた。
この対立の構図に、いま変化が起きている。患者の退院と地域移行の支援で実績を上げてきた団体が、「転換型」の議論に意欲を示しているからだ。
病院のままでは、入院患者に外部の専門家からの支援を届けにくい。居住施設になれば、患者に接触してその要望を聞き取るのが容易になり、本格的な地域での暮らしにつなげやすい。そんな考え方が背景にある。
むろん制度設計や運用次第で「看板の掛け替え」に終わる危険性も否定できない。反対する側が抱く不信感の源がどこにあるのか、丁寧にひもとく作業が大前提となる。
新年度の診療報酬改定でも、退院促進や在宅医療を充実させる方向が打ち出された。これを追い風に、病院中心から地域中心への流れを加速させたい。
病院と地域の溝を埋め、患者が元の生活に戻りやすくする知恵を今こそ絞るべきだ。
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この社説の中段あたりで、実はかなり事の本質を(恐らく無意識に)突いている記載に出会う。
「この間、入院患者の数に大きな変化はない。改革の歩みはあまりに遅い。背景には、精神科病院の9割が民間という事情がある。単にベッドを減らせば、入院の診療報酬に支えられてきた経営が行き詰まる。借金は返せなくなり、病院職員も仕事を失う。」
この朝日社説の認識では、「精神科病院の経営問題・雇用問題」の目処が立たない・改善されない事が「原因」で、「入院患者数が減らない」、という「結果」とつなげている。社説は会社の看板の主張であるから、まさか社説が、一人の記者の思い込みで構成されている訳ではないだろう。厚労省にも日本精神科病院協会にも、その他の業界団体にも取材をした上で、「裏が取れた」という自信を持って、そう仰っているのであろう。
であるが故に、病理は深い。
そう、この社説のいうように、精神科の入院患者数が減らないのは、「入院の必要な人が減らない」から、ではない。「地域での社会資源・受け皿が足りないから」、でもない。精神科病院の経営問題・雇用問題ゆえに、入院患者数が減らないのだ。裏を返せば、精神科病院に長期入院している人の多くが、「病状の改善が見られないから」ではなく、「精神科病院の安定的経営」および「そこで働く人々の雇用の場の確保」のために、そこに入院させられているのである。これを、奴隷や使役、自由の剥奪、と言わずして、なんと言えば良いのだろう。そして、これは厚労省も病院側も認識を共有するだけでなく、大新聞の社説までもが、それを現実的に認めているのである。さらに言えば、精神科病院の経営問題・雇用問題の安定化のために、今度は空いたベッドには認知症の人をたくさん入れようとしている。
ここで、素朴な疑問が浮かぶ。
「そこで強制的に入院させられている人の権利」を犠牲にしてでも、「精神病院で働く人・経営する人の権利」を護らなければならないのだろうか?
あと、この問題を追いかけてきた立場からすれば、もう一つ、疑問が浮かぶ。
これまで、厚労省や病院団体は地域移行が進まない理由を「地域での社会資源が少ないから」「病状が継続し入院の必要性があるから」と言い続けてきた。だが、実はこれらの理由は「精神病院の経営問題・雇用問題」の「隠れ蓑」、だったのだろうか? 「出来ない100の言い訳」に過ぎなかったのだろうか?
さらに、ここからもう一つの疑問が浮かぶ。
「病院の一部を居住施設に転換」する案を推進する、ということは、結局、「強制的に入院させられている人の権利」はないがしろにして、「精神病院の経営問題・雇用問題」を、これからも優先する、ということか?
社説では、そのあとに、一見もっともらしいことが書かれている。
「制度設計や運用次第で『看板の掛け替え』に終わる危険性も否定できない。反対する側が抱く不信感の源がどこにあるのか、丁寧にひもとく作業が大前提となる。」
これには、ちょっと待ってほしい。「不信感の源」は、「制度設計や運用」の問題ではない。そもそも、病院の敷地内にあり、精神科病院の病棟を建て替えた施設って、たとえ個室にしたところで、どう考えても、「看板の建て替え」ではないか? 長期間、その病院の施設内から出ることが許されず、病院での生活以外の外の世界を知らず、病院の支配的暮らしに飼いならされ、「施設症」になっている入院患者にとって、病棟の敷地内の生活が続くのであれば、どんなものであれ、そこは「病院生活」の継続、である。
以前、精神科病院の目の前のグループホームに「退院」したものの、病院の訪問看護に往診、病院のデイケアに病院からの給食、はては病院のスリッパにジャージ姿で過ごし、「僕はいつ、退院できるのですか?」と仰った「元入院患者」のことを思い出す。「施設症」とは、支配・管理の下に置かれた人にとって、それほどまでに根深い問題なのだ。
本気で「病院中心から地域中心への流れを加速させたい」ならば、すべきことは一つ。「精神科病院の経営問題・雇用問題」を優先させる政策をやめることである。
そういうと、「現実主義」の官僚や記者からは、「非現実な発言」に思われるかもしれない。でも、例えば一般企業であれば、パソコンを使えない、ワープロやガリ版印刷しか対応できません、という企業や個人には仕事がまわらない。必死になって、顧客のニーズに合わせて、提供する商品やサービスを変更しているのが、一般企業の普通の姿である。しかも、国からの補助金をもらわずに、市場原理の厳しい競争の中で、それに耐え忍んでいる。
その一方、国から診療報酬や補助金という名の巨額の税金投入をされながら、精神科病院での治療は、もう「ガリ版印刷」なみに、社会的使命を終えようとしている。これは、実際に精神病院を捨てたイタリア、だけでなく、世界的なスタンダードである。
ちなみに、今回の病床転換型施設構想は、この世界的スタンダードに、表面上の帳尻を合わせようという姑息な側面も見え隠れする。この1月、日本は国連障害者権利条約を批准した。国際条約は、憲法より下位に位置づけられるものの、国内法より上位に位置づけられ、関連する法律を批准時には改定する必要がある。その権利条約の19条a項では、次のように言っている。
「障害者が、他の者との平等を基礎として、居住地を選択し、及びどこで誰と生活するかを選択する機会を有すること並びに特定の生活施設で生活する義務を負わないこと。」
精神病院に長期間入院させられている。しかも、病状や地域の受け皿ではなく、精神科病院の経営や雇用問題のために、入院させられている。これは、見事に、「特定の生活施設で生活する義務を負わ」されていること、そのものであり、差別である。日本政府はこの条約を批准したからには、このことが「差別である」と認めることになる。
であるが故に、病院か、居住施設か、の選択肢を作ることで、この「特定の生活施設で生活する義務を負わ」されている実態を回避しようと狙っている。ただ、それはあくまでもペーパー上の問題であり、長年、病院の管理・支配的な生活に飼い慣らされてきた人々にとっては、病院も敷地内居住施設も、「病院の中から出られない」という意味では、「特定の生活施設で生活する義務」の点で全く同じなのである。
では、実際に変えるにはどうすればいいか?
実は、毎日新聞社説が「非現実だ」と否定してくださった、障がい者制度改革推進会議総合福祉部会の「骨格提言」には、どうすればよいか、の骨子をちゃんと整理している。
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Ⅰ-6 地域生活の資源整備
【表題】 「地域基盤整備10ヵ年戦略」(仮称)策定の法定化
【結論】
○ 国は、障害者総合福祉法において、障害者が地域生活を営む上で必要な社資源を計画的に整備するため本法が実施される時点を起点として、前半期画と後半期計画からなる「地域基盤整備10ヵ年戦略」(仮称)を策定するもとする。 策定に当たっては、とくに下記の点に留意することが必要である。
 ・ 長期に入院・入所している障害者の地域移行のための地域における住まの確保、日中活動、支援サービスの提供等の社会資源整備は、緊急かつ重点的に行われなければならないこと。
 ・ 重度の障害者が地域で生活するための長時間介助を提供する社会資源を都市部のみならず農村部においても重点的に整備し、事業者が存在しないめにサービスが受けられないといった状況をなくすべきであること。
 ・ 地域生活を支えるショートステイ・レスパイト支援、医療的ケアを提供きる事業所や人材が不足している現状を改めること。
○ 都道府県及び市町村は、国の定める「地域基盤整備10ヵ年戦略」(仮称)にづき、障害福祉計画等において、地域生活資源を整備する数値目標を設定るものとする。
○ 数値目標の設定は、入院者・入所者・グループホーム入居者等の実態調査基づかなければならない。この調査においては入院・入所の理由や退院・退所を阻害する要因、施設に求められる機能について、障害者への聴き取り行わなければならない。
Ⅲ-4
【地域移行・地域生活の資源整備に欠かせない住宅確保の施策】
○ 長期入院を余儀なくされ、そのために住居を失う、もしくは家族と疎遠なり、住む場がない人には、民間賃貸住宅の一定割合を公営住宅として借り上げるなどの仕組みが急務である。グループホームも含め、多様な居住サービスの提供を、年次目標を提示しながら進めるべきである。
○ 保証人や緊急連絡先が確保できないために住居が確保できない入所者・入院者に対して、公的保証人制度を確立すべきである。
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「精神科病院の経営や雇用問題」を護るより、まず利用者の権利を護り、精神科病院の入院患者の「移行計画」をこそ、国は真剣に検討すべきである。その際、住居支援と生活支援が、最大の鍵になる。だからこそ、「病棟転換型施設」なる「パッケージ」が安易な解決策として浮かび上がる。だが、これは、繰り返し言い続けるが、入院患者の権利より「精神科病院の経営や雇用問題」を優先させる、非人道的な方法論である。
さらに言うなら、障害者の居住の貧困は、この国の住宅政策の貧困にも裏打ちされている(その辺りは早川和男先生の『居住福祉』に詳しい)。安価な公営住宅の絶対的不足と、生活保護者向けの質の悪い民間アパートの横行、という実態がある。この辺に手を付ける事が大変だから、問題の本質的解決を避けるため、精神科病院を「必要悪」的に温存させている部分もある。
だが、それは、あくまでも官僚や支援者側の理屈、である。サービスの受け手である障害当事者にとって、地域支援の方が遙かに成果が上がることがわかっていながら、自分達のこれまでのやり方を変えるのが面倒だから、そのツケを利用者に押しつけるやり方は、あまりに差別的ではないか? そして、それが障害者権利条約の違反という形で国際問題化するのが面倒だから、と、「看板の掛け替え」で誤魔化そうとするのも、あまりに低俗な解決策ではないか。
長く書いたが、最後にもう一言。「病院・施設の経営・雇用問題」に関しては、先の骨格提言で、次のようにも整理している。
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Ⅰ-5 地域移行
○ 入所施設・病院の職員がそれぞれの専門性をより高め、地域生活支援の専門職としての役割を果すため、国は移行支援プログラムを用意し、これらの職員の利用に供しなければならない。
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実は、入所施設をゼロにしたスウェーデンでは、1990年代に、「2000年までに施設をゼロにする」という時限立法を作った上で、入所施設の職員を地域で働くスタッフにする為の再トレーニングをしている。(このことは10年前の報告書にも書いておいた。) これは、ガリ版印刷しか対応出来ない人がPCで仕事が出来るような再トレーニングと似ている。でも、そのような再トレーニングを「自分には無理だ」と言って、業界を去った人もいる。その一方、試練を乗り越え、地域で再び障害者支援に取り組んでいる人もいる。旧態依然とした精神科病院の経営や雇用を護るより、このような、「地域で働くための、仕事の仕方の再トレーニング」にこそ、国は税金を使うべきであることも、付け加えておく。

履歴という名のしがらみ

日常の履歴とは、時として、人の可能性を閉じ込める洞窟であり、イドラではないか。

僕ならば、大学教員、山梨在住、週に2,3回は合気道に通い、山梨県内のいくつかの自治体で福祉政策形成のお手伝いをしている・・・といった「履歴」がある。そして、当たり前の話だが、年を取るにつれて、この履歴はどんどん膨らんでいく。
小さい頃から、同年代の仲間と野球をするよりも、大人の会話に混ぜてもらいたい、ませたガキだった。新聞やニュースを読んで、社会問題に「意見のようなもの」を中学生くらいから、語っていた。受験勉強が大嫌いで、大学のような、自分の世界観を拡げられる勉強に憧れていた。つまり、20代前半までは、一生懸命背伸びをして、大人に認められたい、ちやほやされたい、「世間に求められる人になりたい」、と痛切に願っていた。
それが、30代になって、一転する。
大学教員になって、「世間に求められる」機会が、格段に増え始めた。もちろん、実力が伴わないのに期待して頂いていることも理解していたので、必死になって勉強し始めた。大学院生の頃までは生活費や本・調査代を稼ぐのに必死で、あまりきちんと勉強していなかったので、大学教員になってから、遅まきながら、勉強を集中的にし始めたと思う。現場のニーズに合わせて、On The Job Training的に、学びながら伝え、伝えた現場から学ぶ、という泥縄的な事を繰り返して来た。
その中で、おかげさまで出来ることが少しずつ増えてくる。すると、世間に求められる事も増える。ただ、それは単純に言祝ぐべき事態ではないことに、「求められる事」が増えるまで、気がついていなかった。
「求められる事」が増える、とは、社会の中での関係性が増える、ということである。そして、この関係性が増える事、とは、時として、その人が動ける可動範囲を実質的に制限することにもつながりかねない。これは一体どういうことか?
関わりが増える、とは、その人に求められる役割や期待が増える、ということでもある。ただ、これは自分自身が「したい役割」「望んでいる期待」とは異なる。あくまでも他の人が「僕にしてもらいたい役割」であり「僕に望んでいる期待」である。そして、関係性が増える、深まる、ということは、時として、「求められる役割や期待」を「自分自身が望む役割や期待」より、優先させてしまうことである。しかも、少なからぬ場合、場の雰囲気や流れなどによって、無自覚的に、他者期待を優先させてしまうことになる。これが、その人の役割期待に結びついた「履歴」という名の「しがらみ」になってしまう。
こう書くと、「履歴」というのは、他者から押しつけられた刻印のように見えるかもしれない。でも、よく考えてみたら、その「履歴」という名の「しがらみ」を、喜んで、自分自身で形成している場面がある。それが、ツイッターやフェースブックに代表される、SNSの世界である。
僕はツイッターは一般向け、フェースブックはお顔の見える間柄の人、と分けている(なので、実際のお友達でない方からのフェースブック申請は原則的にお断りしております、あしからず)。だが、どちらにせよ、どちらのサイトでも、積極的に意見表明せよ、なんて、誰からも求められていない。なのに、どうして毎日のように、ツイッターで何度も呟いているのか。ツイッターでは、エゴサーチもしてしまうのか。それって一種の依存症ではないか。
この疑問に関しては、「履歴の更新」という概念を持ってくれば、わかりやすい。そう、実際の社会においては、毎日の労働の中で「関わり」をせざるをえないが、バーチャルな世界でも、わざわざ色々呟いて、バーチャルな世界での履歴を一生懸命構築しようとしているのだ。よく考えてみれば、それは疲れること、ですよね。
僕は、合気道や山登り、温泉、旅が好きだ。これらに共通することは、「履歴を消し去ること」である。合気道をしている最中に、「先生」と言われることはない。山登りの最中には、ひたすら自分の体力との対話を重ねている。温泉では、最初は仕事の事でもやもやしていても、そのうち気づいたら無心になれる。旅に出かけたら、日常の関係性から自由になり、その場でのゼロからの出会いを楽しんでいる。そして、これらは、「履歴」という名の「しがらみ」からは、原則として、自由である。
もちろん、「履歴」とは、慣れ親しんだ関係性の蓄積、の側面も持つ。その「履歴」こそ、アイデンティティや自己同一性と言われるものの源泉にもなっている。だが、一つのアイデンティティが形成される、とは、それ以外の可能性に蓋をしていく、ことにもつながりかねない。役割期待に応える、とは、その役割の範囲内に自らの志向性や言動を制限する、ということでもある。それは、不自由にもつながる。だからこそ、「履歴」が累積されてきた場面でこそ、そこから自由になる、「履歴を消し去る」行為が痛切に必要になるのだ。
そういえば、村上春樹は30代後半の数年間、ローマや地中海の島、ロンドンなど拠点を移しながら、旅をしながら、『ノルウェイの森』や『ダンス・ダンス・ダンス』を書いていた。その時代の旅日記であり、彼の心象風景も真摯に綴られた『遠い太鼓』の中で、彼は異国で暮らし続けることのハードさや、でもそうせざるを得なかった当時の境遇を書いている。東京では、しょっちゅう電話やインタビューなど、関わりを求められ、疲れ果てていた、と。そこで、自身が構築した「履歴」ゆえに「世間から求められること」という「しがらみ」を、一旦断ち切ろうとした。「履歴というしがらみ」から自由になって、自らの「新しい履歴」を積み上げるために、文字通り、人生を賭けたチャレンジに踏み出した、とも言えるのではないか、と感じる。
「履歴」とは、これまでの積み上げた蓄積であり、遺産である。でも、生きていく、とは過去に基づいた未来、に限定されることはない。過去は重要な参照軸ではあるけれども、時として、その参照軸の枠組みでは立ちゆかない、未曾有で想定外な未来が待ち構えている。その想定外の未来を前にして、「自分の想定内とは違う!」と怒りに打ち震えるのか、自分の新たな「履歴」を生み出すチャンスと捉えるのか。この二つで、「履歴」は「しがらみ」になるのか、「創造の源泉」になるのか、大きく異なる。
「履歴」が「しがらみ」にも「創造の源
泉」にもなり得る、ということには、常に自覚的でありたい。そして、「履歴の更新」の場面では、自分自身に、こう問いかけたい。その行為は、「しがらみ」ですか? それとも「創造の源泉」ですか?と。

現象とパターン、そして構造

あけましておめでとうございます。

2014年、最初のブログです。今年もどうぞよろしくお願いします。
年始は急ぎの原稿やゲラチェックをした以外は、ゆっくりと読書をして過ごした。特に年末京都で買い求めたある本が、僕自身の「個性化」プロセスにとって、すごく重要な一冊となり、同じ著者の本を何冊か読み続けている。その話は少し熟して来たら書くとして、今日のテーマは、年末にある自治体担当者と、表題を巡るやりとりをする中で、考えていることなど。
とある自治体で、地域福祉計画策定に向けたアドバイザーとして、お手伝いさせて頂いている。その中で、障害、高齢、児童という領域を超えて共通する課題を整理し、人材育成や権利擁護ネットワーク形成、あるいは地域活動の活性化などをテーマにした部会を作り、関係する人々による議論がスタートしている。
その際、領域横断的な課題をどう抽出したらよいか、を事務局との打ち合わせの際、質問された。これはこの現場に限らず、地域包括ケアシステム構築のアドバイザーをしていると、少なからぬ現場で尋ねられることである。
「個別の事例分析は得意でも、そこからどう地域課題を抽出したらいいのかわからない。」
こういう質問を受けるたびに、表題の三つのキーワードを用いて説明している。それは、たとえば徘徊とか「ゴミ屋敷」など、目の前の現場で生起している現象の背後に、どのような共通するパターンがあるか、を見抜き、その背後にある構造を探るなかで、個別課題は地域課題に変換可能だ、という整理である。事務局会議でも同じ事を話したところ、優秀なる担当者Kさんは、こんな甲州弁で整理し、事務局便りとして出してくださった。
「それぞれの立場から見えることや、実際に地域のなかで起きている困りごと(ケース)を出発点として、議論を掘り下げていきましょう。
 ①今、何が起きてるずらか、何に困ってるらか?(現象)
 ②「現象」を並べてみると共通点は何ずらか?(パターン)
 ③そもそもなんでほうなるでぇ?背景は何ずらか?(構造)
 ④よその部会の話ともつながるじゃんね(互いの交通整理)
上の視点でおおまかな表を作ってみましょう。」
甲州弁は難しいですねぇ(^_^)
それは、さておき、ただ、実際に作業部会で議論をしてみると、この「現象⇒パターン⇒構造」の整理が難しいという意見も出てきた。特に、パターンと構造の違いがよくわかからない、と。そこで年末、さらにコメントを求められた僕は、こんな風に整理してみた。
「パターンと構造の違いは何か。パターンとは一つの領域の中で起こっているもの。構造とは一つの領域を超えて、他の領域にも関係している課題。働く若者、子育て世代、高齢者の各々の領域における現象の背後にあるパターンを整理する中で、全ての世代に共有できる課題の構造が抽出できる。そんな関係性です。」
こう整理した後、仕事納めの日、件の担当者Kさんから、さらに鋭い指摘を頂いた。
「この例を作っていた渦中の自分たちもそうでしたが、『パターン⇒構造』の整理は、一方向的に順序よく行えるものではなく、ブレーンストーミング的に、表層の現象を掘り下げ、『これってつまりどういうことでしょうね?』『なんでそうなるんでしょうね?』の議論を十分に発散させたうえで、最後に整理していく、という方法のほうが現実的なのかな?とも思いました。」
す、鋭い! Kさんの方が、僕より遙かに本質を突いている!!!
そう、Kさんの指摘するように、パターンから構造を抽出するのは、一方通行の話ではない。KJ法の考え方を応用するならば、ばらばらに見える現象の中から共通するまとまりを見出し、それにわかりやすいラベルを付けるのが、パターン化。そして、そのパターンを並べながら、各々の関係性を整理する中で、構造化を果たしながら中見出し、大見出し、そして表題を付けていくのが、抽象化であり、構造化である、と言える。そして、その際に、常に仮説という見通しを立ててパターン相互の関係性を整理しながら、こうも言えるのでは、ああも言えるのでは、と考え合う中で、その仮説を書き換え、より説得力ある構造を見出していく。それが、データに基づく課題抽出の王道である。その際、常に「これってどういうことか?」「なぜそうなるのか?」と問いかけ合いながら、お互いが納得できる整理を見出していく。そういうプロセスが、「現象⇒パターン⇒構造」の整理の醍醐味ではないか。
実はこんな簡単なことに気づいたのは、今ブログに書き付ける中で、上記のKJ法の説明の図を見ながら、思い出したことだった。こういう「道具箱」を作って頂けると、話が早くて助かりますね。
僕は博論でもKJ法に基づいて117人のインタビュー調査を整理した経験があるが、その際大切なのは、常にデータとの絶え間ない対話、だった。ここで言い直すなら、目の前の現象というデータが、何を意味しているのか。他のどの現象(データ)といかなる共通点があるのか。これを、ずっと様々なデータを眺めながら、整理していった。このプロセスは、パターンを見出し、構造化していくにあたって、ずっとし続けたことであった。
社会福祉の現場で生起している現象に基づき、政策課題という構造として提示する。この際、現場のリアリティと、政策言語はしばしば乖離しやすい。現場から見れば、政策言語はあまりに一般的過ぎて、現場のリアリティを踏まえていない、という諦めになる。一方、政策担当者から見れば、現場で生起している現象を、どのように政策に落とし込んでいっていいのか、それが何を意味するのか、を理解するのが難しい。これが、福祉現場と福祉政策のつながりが持ちにくい、最大の要因の一つである、と僕は感じている。
その際、僕のようなプロセス・コンサルタントに求められている最大の役割は、現場のリアリティと政策言語の双方をきちんと有機的に結びつけること。その為に、現象に潜むパターンをあぶり出し、そこから構造化をするお手伝いをすること。また、そのプロセスも含めて言語化していくことで、現場で考える上で使える「武器(=考える素材)」を沢山提供し、現場に役立てること。
僕はここ数年、障害者自立支援協議会や、障がい者制度改革推進会議、そして地域包括ケアシステム構築など、いろいろな現場で関わってきているが、結局僕が得意であり、出来ることであり、社会に求められていることは、現場で生起している、しばしば絡まり合った糸をほぐし、その現象の背後に潜むパターンを探り当て、そこからその現場で成功する解決策を構造化の形で、現場の人と一緒に探りあてていく、そんなプロセス・コンサルタントなのかな、と思い始めている。
新年最初のブログにあたり、今の自分の立ち位置の確認的な内容になった。今年は、さらに進めて、ミンデルさんがディープ・デモクラシーの中で述べていた、サイコ・ソーシャルアクティビストへの道が目指せるかどうか、さらなる修行に勤しみたいと感じている。
そのプロセスや試行錯誤も、このスルメに書き続けていくつもりです。今年もこのスルメに変わらぬご愛顧を、よろしくお願いします。

2013年の三題噺

いよいよ今年も、今日まで。

先週末に早めに実家&墓参り1000キロツアーを果たして、昨日は疲れも溜まって「あまちゃん祭り」を10時間見ていたので、やっと年賀状の印刷を果たせたのが、先ほど。ブログ読者と年賀状の送り先は恐らく殆どかぶらないので、年賀状にも書いていた、今年の三題噺を、少し長めに書いてみよう。
①二冊目の単著が出る
何度もブログやツイッターでも言及しているが、11月に二冊目の単著、『権利擁護が支援を変える-セルフアドボカシーから虐待防止まで』を現代書館から出して頂いた。去年に引き続き、二冊目の単著である。「精力的ですね」と言われることもあるが、確かに一冊目の刊行直後から、この二冊目を何とか2013年度中に出したい、という一心で取り組んで来た。
同書のあとがきにも書いたが、大学院生の頃から「権利擁護」については考え続けてきており、様々な媒体に書き続けた原稿を集めたら、既に4年前の段階で、単著一冊分以上の原稿は書きためていた。その当時、単著が一冊もなかったので、当初はこの本を先に書き上げる「つもり」だった。だが、社会学の大家の恩師から、「一冊目が、全てを決める。いきなり寄せ集め論文で本を出したら、その後、誰も読んでくれなくなるよ」と、ありがたいご助言を頂き、全くその通りだったので、この原稿はお蔵入りしていた。その後、合気道やダイエット、「魂の脱植民地化研究」との出会い、そして3・11の衝撃と様々な出来事に遭遇する中で、気がつけば2012年に『枠組み外しの旅-「個性化」が変える福祉社会』の方を、先に上梓することになった。
そして、この『枠組み外しの旅』を上梓した後だからこそ、視座と根性が定まった。権利擁護について考える上で、支援と支配の近接性や、権力構造の分析など、際どい事を書く必要がある。業界慣れしていくに従って、数年前はそこを「自主規制」していた自分がいた。だが、『枠組み外しの旅』は、そのような自主規制や自らの囚われを「意識化」すると共に、そこから自由になって、より本質的な構造を直視する事を目指した、ある種の理論書であり、自己変革を社会変革とつなげる為の道筋を書こうとした書籍だった。その本を書いたからこそ、権利擁護に関しても、これまで書いた原稿を再度点検し、徹底的に手を入れ、いくつかは全く一から書き直すことによって、魂を込めた権利擁護論を仕上げることが出来たのではないか、と思っている。
あと、一冊目は、自分の世界観を構築する為の文章でもあったため、ゴリゴリと鋭角的な文章だった。「講演はわかりやすいのに、本は取っつきにくい」と批判されることも、少なからずあった。一冊目は理論書的に書いたが、二冊目は実践現場に重ね合わせる形で書いたので、なるべくわかりやすく書こう、と四苦八苦した。予備校時代からお世話になっている田平先生に徹底的に校正に付き合って頂き、半泣きになりながら、言葉をわかりやすく言い換える努力をした。お陰で、「一冊目よりわかりやすい」という評価も頂け、少し胸をなで下ろしている。でも、初版1800部を何とか売り尽くすための、講演時の地道な手売り活動は2014年も続けていくつもり。権利擁護関係での講演は、お引き受けしますよ(^_^)
②合気道で初段を頂く
二冊目の単著と共に、今年の二大目標だったのが、実はこの合気道の初段の審査を通過すること、だった。あこがれの袴を目指して、の稽古に精進していた。
思い起こせば、合気道に入門したのが、2009年の5月。入門当初はうぶな事をブログに書いているが、その時の「楽しさ」はおかげさまでずっと続いている。いや、少しずつ技を身体が覚えるようになってくると、出来る範囲も広がり、楽しさやワクワクがむしろどんどん深まっていった、という方が正しいだろう。週1回の稽古も2回、3回と増えるようになり、いつしか稽古の時間を何とか空ける事を日程調整の柱にし始めていた。
そして、昨年あたりから、「袴を着ける」という目標が、現実的になりはじめた。だが、有段者への審査は、白帯・茶帯の時代の審査とは、格段にレベルも内容も異なる。剣や丈などの武器技が増え、自由技もたくさん出来なければならない。だがそれ以上に、基本の技に対する正確さや丁寧さが、級の時代とは比較にならないほど、求められる。それまでは、何となく力技で投げていた、その所作の一つ一つが、問われる。合気道とは、気を合わせる道。つまり、相手と接点を見出しながら、相手と自分の気を合わせながら、うまく導く必要がある。その際、基本動作をきちんと一つ一つ丁寧に運用していくことで、その気が合う基本が出来る。その部分こそ、実は上達するための、最も基本であり、最も難しい壁なのだ。この1年くらい、その壁を前に、ウンウンと唸っている日々だった。
もちろん、7月の昇段審査の後も、劇的に上手くなった、なんてことはない。でも、袴をはいて、初心者の方と一緒に稽古をする中で、自分が先生や同門の先輩に言われ続けてきたことを、気づいたら口にしている自分がいる。「もっとリラックスして(落ち着いて、ゆっくりと・・・)」とは、僕が常に指摘されてきたこと。それを、初心者の方にお伝えしている自分がいる。僕は、人に教えている時が、最も学べる、OJT型の人間なので、実は合気道の学びは、初段から深まりそうだ、とワクワクしている。
③山登りを始める
合気道で基礎体力と足腰の筋肉がついてきたようなので、発作的に5月くらいから、山登りを本格化させた。実は職場のハイキング隊で以前から何度か誘って頂いていたのだけれど、一冊目の単著が出るまでは、なかなかご一緒出来なかった。だが、今年は少し自分のための時間も確保しようと、月に一度、山登りをスタートさせ、これが結構楽しく、ハマリ始めている。
5月 茅ヶ岳(1703m)→6月 鬼ヶ岳(1783m)→7月 瑞牆山(2230m)→8月 東天狗岳(2640m)+甲斐駒ヶ岳(2965m)+赤岳(2898m)→10月 乾徳山(2031m)→11月 小楢山(1712m)
こうして記録を改めて振り返ると、結構沢山登っていますね。ちなみに東天狗岳以外は、全て一人で登っている。
山梨って、実は3000m級の高度な山から、1500mくらいの手頃なハイキングコースまで、沢山の山登りが出来る場所だったことに、今まで住んでいて、全然気づいていなかった。職場の同僚にハイキング隊に誘ってもらい、でも仕事も一杯一杯だったので、なかなかそこから一歩が踏み出せなかった。でも、単著二冊目に取りかかり、合気道も初段審査の近づいた5月の連休辺りに、発作的に「山登りって楽しいかも」と思い立ち、アウトレットでハイキング用のシューズを買い求め、発作的に登り続ける。合気道と同じで、これもすごく楽しい。で、色々装備を少しずつ揃えながら、東天狗岳を登る際、ハイキング隊の隊長に「タケバタさんなら一人で登れるんじゃない」と太鼓判も押され、調子に乗って甲斐駒ヶ岳と赤岳を夏に本当に制覇。すごく嬉しかった、のだが、軟弱なハイキングシューズでの下り坂は随分と危険で、右足の親指と薬指に血豆を作り、結局親指の爪は剥がれて、今小さいのが生え替わりつつある。そんなアクシデントにも見舞われた。
その後、本気のトレッキングシューズも買い直し、その後も登り続けている。合気道に続き、二つ目のハマる趣味が出来てしまった。まあ、そうは言っても、基本は日帰りで天気の良い日にしか登らない、という軟弱スタイルだけれど、それも良し。実は1年前にハイキング隊の隊長に甲斐駒ヶ岳の麓まで連れて行ってもらうも、整備不良で引き返す、悔しい思いをしたが、今年はそれに完全にリベンジ出来た。
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あと、地域包括ケアシステム関連の仕事で、色々な現場の人々とのコラボレーションが面白くなったり、いろいろ書き足りないことはあるけれど、これくらいにしておこう。

来年も、もっとワクワク出来ますように、と願掛けして、今年最後のブログとします。

みなさま、良いお年をお迎え下さい!

『台湾海峡一九四九』雑感

「人生はときにどこかで誰かの人生と交差する。しかし偶然の一点で交わったあと、それぞれの方向へと遠ざかり、すべてはぼんやりとした全体に含まれて、消える。」(龍應台著『台湾海峡一九四九』白水社、p332)

戦争にまつわる記述は、どちらかといえば「読まず嫌い」のジャンルだったのだが、今年の正月に読んでブログにも感想を書いた『沖縄の記憶-<支配>と<抵抗>の歴史』以来、ジョン・ダワーや色々な著者の本を、ぼちぼち、読んでいる。僕は為政者や政治家、軍幹部がどう考えたか、という大局的・戦略的記述(=ドミナント・ストーリー)より、戦争時代に、一人の個人が、どのような境遇で、何を考え、どう翻弄されたか、という「小さな物語」に、なぜか興味がある。
今回密林をブラウジングしていて、偶然出会ったは、台湾出身の女性作家による歴史ノンフィクション。自らの両親のルーツを辿る物語からスタートさせて、やがて中国・台湾・香港・マレー半島で、1949年を軸に、時代がどのように動き、その時代の波に人々がどう翻弄されたのか、を多くの「当事者」の証言を元に織り上げていく。彼女のドイツ人との息子、フィリップ君が19歳の時、学校の宿題でオーラルヒストリーを習って、龍さんのファミリーヒストリーを聞こうとした時、彼女がこれまで直視してこなかった、一九四九を巡る大きなうねりを、彼女なりに書いてみよう、と思い立った。抗日戦線をそれぞれ戦った国民党軍と共産党軍が、日本軍なき後、両者による内戦につながっていく。その過程で、昨日まで共産党軍だった兵士が、捕虜になり、国民党軍の一員として銃を持たされた。その逆もある。しかも、中国人兵士の多くが、誘拐された元農民である。彼らが、中国本土から台湾へ、台湾からマレー半島へ、様々な形で強制的に運ばれていった。そんな、戦闘や強制収容された経験を持つ市井の人々に、丹念に聞き取りをする中で、「偶然の一点で交わった」、その時代の「交差」ポイントを描こうとする。
「どんな物事であろうと、その全貌を伝えることなど私にはできない。フィリップ、わかってくれるだろうか? 誰も全貌など知ることはできない。ましてや、あれほど大きな国土とあれほど入り組んだ歴史を持ち、好き勝手な解釈と錯綜した真相が溢れ、そしてあまりのスピードに再現もおぼつかない記憶に頼って、何をして『全貌』と言えるのか、私にはひどく疑わしい。よしんば『全貌』を知っていたとして、言葉や文字でどうしたら伝えられるのか。たとえば、一降りの刀で頭を真っ二つに切られたときの『痛み』をどう正確に記述するのか? またその『痛み』と、遺体にしがみつく遺族たちの心の『痛み』を、どう比較分析するのか? 買った側の孫立人郡長は、殲滅された敵軍の死体を見て涙を流した。それも『痛み』というのか?それとも別の何かなのか?
だから私が伝えられるのは、『ある主観でざっくり掴んだ』歴史の印象だけだ。私の知っている、覚えている、気づいた、感じたこと、これらはどれもひどく個人的な受容でしかなく、また断固として個人的な発信だ。」(同上、p161)
この本が400頁を超える大著なのに、一気に読み進められた最大の理由。それは、これが龍さんの「個人的な発信」である、という点だ。俯瞰的に歴史を眺めながらも、あくまでも龍さんや出会った人や資料と対話する中で、彼女の記憶や感覚とリンクしながら、一九四九を挟んだ大きな時代の奔流を、彼女の「主観でざっくり掴んだ」物語として描ききってくれたからこそ、中国の内戦のことを殆ど何も知らなかった日本人の僕にも、スッと受け止められる。第二次世界大戦や日中関係については、「あれほど大きな国土とあれほど入り組んだ歴史を持ち、好き勝手な解釈と錯綜した真相が溢れ」ているが故に、理解しようとしても、「とりつく島」がなく、最初の一歩が踏み出させなかった。でも、龍さんが出会った、着目した市井の人々の「痛み」を巡る物語に立ち会う中で、中国や台湾、日本という文化的な差を超え、一人の人間の人生が翻弄されていく悲劇を、我がことのように共感し、共に「痛む」ことができた。そういう意味で、希有な作品である、と感じた。
香港や台湾、そして沖縄など、戦争と被支配の痕跡がある街を、気づけば旅することが少なくない。今までは旅先で現地人のご老人に出会っても何とも思わなかったが、これからは、市井の人々が関わったかもしれない、激動の時代の痕跡を、思い浮かべながら旅をするかもしれない。
*ちなみに龍さんへのインタビュー記事もネット上にあります。

関係性の捉え直し(増補版)

先週末は、大阪で二つの濃厚な講演会に参加した。

この二つの講演会をつなぐキーワードは、わたしとあなた、を巡る関係性をどう捉え直せるか、という点にある。忘れないうちに、そのあたりを少し考えてみたい。
13日は、イタリア・トリエステの精神医療改革に取り組んだペッペ・デラックアさんが、現象の背景にあるパターンや構造について熱く語っていた。(イタリアの改革については、僕も以前紀要に書いた事がある)。
その中で特徴的だったのが、冒頭に語られた、「強制治療下においては、人間がいない」という指摘だ。精神病院では、「人」はおらず、「モノ」として扱われている、と。だから、非人間的処遇もまかり通る、と。そして、強制医療施設の扉を開く、とは、モノの処遇から、人の処遇へと返ることである、と。これは重要な指摘である。
精神科病院や入所施設の持つ権力構造を分析した社会学者ゴッフマンは、その特徴を次の4点として指摘している。
①生活の全てが同じ空間で一元管理されている。
②一元管理の下で、プライバシーは存在しないか極端に軽視されている。
③毎日の全活動が決められたスケジュール通りにとり行われている。
④強制される全ての活動は、各施設の設置目的を遂行する意図で想定されている一貫した流れに基づき、計画されている。(Goffman, 1961:6、拙訳)
この4つは何を物語っているか。それは、強制的に入れられている・あるいは実質的にそこしかないと思い込んでいる(込まされている)場所で暮らし続ける(=特定の居住施設で生活する義務を実質的に負っている)と、当たり前の市民としての権利を奪われてしまう、ということだ。そして、当たり前の権利が奪われた状態で暮らしていると、支援者と障害当事者の関係性は、いつの間にか「お世話してあげる人」と「支援してもらう人」という非対称性が強まり、ひいては支配-服従の関係につながる、ということだ。で、支配者は服従者を人として扱わず、モノとして扱う。その際、服従する事を良しとせず、支配者に必死に反抗しようと声を荒げたり、拒否的反応をすると、「問題行動」「強度行動障害」「暴力行為」とラベルが貼られ、縛る・閉じ込める・薬漬けにする、という「対抗手段」がとられる。これが、強制治療に関する最大の悪循環である。しかも、その際、縛る・閉じ込める・薬漬けにする行為を行う支配者側のスタンスは、問われる事はない。「治療行為」「支援」という正当化言語の枠内に収まってしまう。
ペッペさんが問いかけたのは、この治療者の正当化言語そのものに対する問いかけだ。治療や支援の文脈の中で合理化・正当化される隔離や拘束、薬物治療。これらの「もっともらしい言語」を使ってみても、やっていることの実態は、市民の権利を著しく制約・剥奪すること。で、そのような制約・剥奪をせずに、本当の支援をするにはどうすればいいか、を徹底的に考え抜くのがトリエステ流のやり方だ、と受け取った。興奮したり攻撃的になるには、訳がある。「精神病(強度行動障害、認知症、BPSD、発達障害)だから」とラベルを貼って「わかったふり」をすることなく、ある行為をする背景に、どのような生きる苦悩の最大化が潜んでいるのか、を徹底的に当事者と支援者が共に考えることで、自分を傷つけたり他人に危害を与える前に、その前兆の段階で芽を摘む支援へと導く。もちろん、言うは易しだが、実践はすごく大変であることは想像できる。でも、専門知識を持つあなたと、生きる苦悩が最大化して困っている私。この二者が出会うとき、あなたが私の生きる苦悩に寄り添うことなく、私の一種のSOSのサインとしての行動や状態のみに目を向け、それにラベルを貼り、そこにしか対応してくれないならば、私の苦悩はさらに深まり、状態は悪化する。私が悪くなる初期段階で、あなたは支配者ではなく、支援者として、その苦悩を減らす・苦悩が悪化し行動化するのを食い止める支援をしてくれたら、もっと救われるのに。
こんな風に彼の発言やイタリアの実践を受け止めてた。だが、これは現在の主流となる精神医療のパラダイムとは、全く異なる。
現在の精神医学の主流は、アメリカ精神医学会が作っているDSM (Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)に大きく依拠している。訳せば「精神障害の診断と統計の手引き」となる。このDSMは、アメリカ中の、そして他国の医師が診察しても同じ診断が下せるように作ったガイドラインである。ということは、裏を返せば、このガイドラインが出るまでは、文化間・医師間での診察はバラバラだった、ということだ。だから、一定程度の標準化・規格化が求められた。つまり、DSMとはあくまでも診断や統計の手引きであり、一つの方法論である。
だが、この方法論が現在、ずいぶん自己目的化しているように思える。たとえば他科と同じように、診断名やカテゴリー分類さえ出来たら、その標準化された治療方法に沿った投薬をすることで、問題は解決する、というクリティカル・パスが導入されている。でも、双極性障害でもアルツハイマー病でも、その症状の現れ方は千差万別。投薬は統計学的に標準化可能化もしれないが、関わり方は、標準化不能である。精神障害を抱えて暮らす、という部分では、治療と支援の双方が必要不可欠だ。その際、治療はある程度標準化可能でも、支援は個別のニーズに合わせながら、支援者のあなたと当事者の私が出会う中で、その関係性の上で成り立つ標準化不能な生命現象である。この部分を、標準化可能であるかのように思い込むから、「一元管理」のような発想が出てくる。そして、そのような集団管理や一括処遇は、一人一人と向き合った支援ではない(=市民としての権利を疎外する)ものだから、当然、本人は納得しない。故に、反発する。その正当な反発に「問題行動」「攻撃性」などのラベルが貼られる。すると、支援や治療のまずさが、いつの間にか本人の問題にすり替えられ、更なる悪循環に陥る・・・。
だからこそ、まずは対象者を「病者」というモノ扱いをせず、どのような人間的な苦悩なのか、に向き合う為にも、強制医療の扉を開く必要がある、という。つまり、卵が先か鶏が先か、の論で言えば、強制医療を最小化することこそが先だ、という議論になるのだ。
「常識」を問い直すことにより、あなたとわたしの関係性が変わる。これは『枠組み外しの旅』でも考えたことだが、実は加害者と被害者の関係性でも同じである、と気づき始めた。
15日の講演会では、西鉄高速バスジャック事件被害者の山口さんと、池田小学校襲撃事件の被害者の主治医であり、時には加害行為をする精神障害者の主治医でもある大久保さんの二人が講演した。このお二人の話は、実に濃厚で、かつイタリア精神医療改革の話と、根本的には通じる部分があった。
山口さんは、バスジャックの犯人の少年に何度も切りつけられ、殺される寸前にまで至った。でも、死刑廃止を求めている。その理由はなぜか。それは、実際にバスの中で少年と出会った際、「モンスター」「悪魔」とは思えなかったから、という。他人事には思えなかった。不登校している娘さんの事も重なり、「少年はこんな事をしなければならないほど、追い詰められている」と共感出来た。すると、相手の背景を納得してしまうと怒れなくなった、という。実際、山口さんは事件の示談の際、「もし少年が会ってくれるなら、私は会いたい」と伝え、その後少年との面会も果たした。そして、事件の後、不登校の子ども達の居場所作りの活動を続けている。「あなたは、あなたでいい」という「ありのまま」の関係性を作る活動が、バスジャック事件の少年のような追い詰められた子どもを作り出さない為にも必要不可欠だ、との確信を持っておられるようだ。
また、池田の開業医の大久保さんは、これまで講演では語ってこなかった池田小学校事件の後のケアの実情や、そこから考えた事を講演で話してくださった。また、虐待やトラウマを抱えた人のケアもするなかで、「不条理」という考え方をどう捉えるか、という根本的な問いを提起する。「不条理」とは、本来理解できない、わけのわからない事態のこと。そこに巻き込まれた時、それを何とか理解するための言葉として、「責任」概念が出てくる、という。だが、この責任概念に基づき、その判断を司法に委ねることで、被害者と加害者は分断され、あとは加害者と司法の二者関係になり、被害者はその二者関係から疎外され、蚊帳の外に置かれる。被告人の人権が軽視されている、という問題構造はここにあり、司法による疎外状態から回復する必要が求められている。それは、被害者の人権の重視・軽視の問題とは全く別次元の話であり、そこを混同してはならない。被害者もその怒りをどこにぶつけてよいかわからないから、加害者への「責任」論になっている部分もある。
このお二人のお話を伺う中で、「被害者と加害者」という位置づけは、支配と服従、のような二項対立的な部分とも、ある種、通じる部分がある、と感じ始めている。犯罪や加害行為はあってはならない。がゆえに、その許されない事が起こってしまった場合、不条理や大きな不幸に突然見舞われた被害者は、絶望的な気持ちになる。その際、山口さんや大久保さんの話を伺いながら感じたのは、不条理の後にどう生き延びるか?という「問い」だと感じた。絶望的な不条理に見舞われながら、その後の人生をどう主体的に生き延びるか? その際、加害者を恨み、責任者出てこいと追求する「被害者」の位置づけに固定されてしまうと、それ以外の人生が全て奪われてしまう。突然の、あってはならない、とんでもない不条理や大きな不幸。だが、それに見舞われた人が、それをどう自分の人生の中に落とし込み、再び生き続けるのか? 山口さんは、それを自分の中で何度も問い続け、講演活動などを通じて、単なる「被害者」役割を超えた、山口さんという人生の主人公として生き延びておられるように、お見受けした。
大久保先生は、加害と被害とは「突然、大声で呼びかけられてしまった関係」とも語っていた。出会いたくなくても、不条理にも出会ってしまった関係。それを、憎しみや恨み、怒りという関係だけで「被害者」の位置づけに固定化されると、被害者は、それ以後の人生を、自分のものとして生きにくくなる。同じように、加害者も、罪を償ったあと、人間として更正していく旅に出る必要がある。つまり、被害と加害の関係を、善と悪の二項対立の物語で「わかったふり」をすることは出来ない。被害者も、加害者も、その被害者・加害者役割に同定されることなく、どうそれ以外の人生を生き直すことができるか、で、二人の物語は大きく変わる。
この部分を、先の医療者のあなたと、支援を受ける私の二人の物語の書き換え、と重ねてみると、どんなことが言えるだろう。その為に、ジャーナリスト佐々木俊尚さんの補助線を使いたい。
「本来われわれは絶対者ではない。絶対的な悪でもなく、絶対的な善でもない。その悪と善の間の曖昧でグレーな領域に生息している。しかしそのグレーな領域で互いの立ち位置を手探りでたしかめている状態、その状態こそが当事者である。われわれはそういうグレーな領域のなかに生息することで、つねに当事者としての立ち位置を確認する。グレーな領域こそが、インサイダーの本質なのだ。そしてこのグレーを引き受けることこそが、社会をわれわれ自身で構築するということにほかならない。」(佐々木俊尚『当事者の時代』光文社新書、p361)
絶対的な悪や絶対的な善はない。グレーな領域で生きている私たち。しかし、医療者側、被害者側に立つと、その役割を引き受ける時点で、「善」の立場が覆い被さる。そして、問題行動を起こす患者や加害者は「絶対的な悪」とカテゴライズされやすい。だが、「絶対的な悪でもなく、絶対的な善でもない」という原則に立ち戻るならば、私たちが陥る二項対立図式から、逃れられるかもしれない。とはいえ、わかりやすい勧善懲悪やパターナリズムを拒否し、「グレーな領域」に居続ける、ということは、ずっとその意味を考え続けなければならない、ということでもある。
「あなたは悪い、私は悪くない」
こう白黒はっきり付けた方が、わかりやすい。でも、それでは、グレーであることを拒否し、いつしか社会を他人事の視点で眺めることになりはしないか。そして、他人事の視点から、自分事になってしまった人に対して、勝手に批評家的に「あいつは悪い、こいつは悪くない」とラベリングして、「わかったつもり」になっていないか。さらに言えば、この「わかったつもり」の善悪の判断こそが、真の理解や本物の再犯防止、あるいは問題の最小化を阻む、最大の壁なのではないか。安易に他者の枠組みやラベリングでわかったふりをせず、「グレーな領域」で考え続けることとは何か。
そんなことを、グルグルと考え続けている・・・。

根源を問い直すソーシャルワークへ

僕はソーシャルワーカーでもないし、ソーシャルワークの正式な教育を受けてはいない。だが、大学院時代に精神科ソーシャルワーカー117人にインタビュー調査をした博論研究に端を発し、ソーシャルワーカーとは何か、ソーシャルワークが社会に果たす役割とは何か、を気づけばずっと考え続けてきた。今も、地域包括ケアシステムの推進という文脈で、コミュニティ・ソーシャルワークの可能性や、そこでソーシャルワーカーがどう変容すべきか、ということを、現場のワーカーと一緒に考えている。

とはいえ、率直なところ、博論を書いた後、最近あまりソーシャルワークの専門書を読んでいなかった。理由は簡単。ワクワク出来る本がそんなに多くないからだ。技法論の栄枯盛衰は色々あって、生態学的アプローチからリカバリーまで、色々読んでいるけれど、ソーシャルワーク魂が感じられる本に、最近なかなか出会えなかった。だが、久しぶりにワクワクする専門書と出会った。
「過去20年にわたるソーシャルワークへの新自由主義的な攻撃の主要な方向の一つは、ソーシャルワークの教育と実践から『ソーシャルワークの価値をめぐる話題』を削除もしくは格下げしようと企てることであり、またソーシャルワーカーを倫理中立的な職務を遂行する社会的技術者もしくは社会的エンジニアとして再構築しようと企てることであった。しかし、このような企ての意図に反して、ある社会集団を悪魔とすることを含む新自由主義的アプローチは、結局のところ、ソーシャルワークの価値の核となる部分を切り崩すものとして人々に経験され、この経験が、幅広い層のソーシャルワーカーに不満を抱かせ、社会正義と社会連帯に基づいたソーシャルワークの形態に回帰することを求める声が広がっている。」(イアン・ファーガソン『ソーシャルワークの復権』クリエイツかもがわ、p228-229)
何がワクワクするって、最近のソーシャルワークに感じていた不全感そのものをテーマに挙げていたからだ。イギリス人の著者は、精神保健サービス領域のソーシャルワーカーの現場経験を持つ研究者である。イギリスのサッチャリズムやニューレイバー、その背後にある新自由主義的アプローチが、ソーシャルワークのどの部分を変節させたか、を巧みに分析し、何がソーシャルワーク魂を矮小化させているか、をあぶり出す名著である。
この著者は、ケアマネジメントがマネジド・ケアの流れを組む費用抑制的色彩があること、それゆえ個人にのみ着目し、社会的な構造の問題に着目しなかったことを、「倫理中立的な職務を遂行する社会的技術者もしくは社会的エンジニアとして再構築」する営みだ、と厳しく批判している。また、新自由主義的なアプローチは、社会的弱者を「依存する人」という文脈で、「ある社会集団を悪魔とすること」のラベリングを行っている、とも指摘している。その上で、「倫理的中立」を超え、「ソーシャルワークの価値の核となる部分を切り崩」す営みに反旗を翻すことこそ、「ソーシャルワークの復権」にとって必要不可欠だ、と整理している。そして、その際の「価値の核」となるものとして、1970年代に世界各地で広がったラディカルソーシャルワークの「遺産」を次のように整理している。
「①中核的な思想として、「抑圧された立場にある人々を、彼ら・彼女らの生活の社会的・経済的構造の背景から理解する」という特有の信念がある。その信念は、1980年代から1990年代に及ぶ反抑圧実践の発達を活気づけた。
②ワーカーとクライエントの間のより対等な関係への要求である。それは共通する利害の認識とクラエイエントの経験の尊重とに基づいたものであり、10年後の利用者参加の発展を先取りしていた。
③主流のソーシャルワークにおいて留意されることが次第に少なくなっていった集団的アプローチの重視である。それは、1980年代のサービス利用者運動の発展、特に障害者運動や精神保健サービス利用者運動の発展に反映されていた(それらには専門的ソーシャルワークの関与はほとんどなかった)。」(同上、p181)
この3点も、僕自身にとっては実にすんなりと頷ける部分である。
①に関しては、パウロ・フレイレが『被抑圧者の教育学』で取り上げた事であり、僕の単著一冊目の『枠組み外しの旅』でも「反ー対話」と「対話」の対比で取り上げた視点である。また、イタリアの精神医療改革の先駆者、フランコ・バザーリアが重視したのも、精神病に人々を追い込む社会構造について、であった。このことも以前ブログに「個人的苦悩」に対する「社会的苦悩」に絡めて書いたことがある。
②についは、二冊目の拙著『権利擁護が支援を変える』の中で、「支配」と「支援」の違いについて論じた部分でも取り上げた内容もあった。専門家主導がいつの間にか専門家「支配」に簡単に転化しやすいこと、それを防ぐには、ワーカーとクライエントが相互主体的に関わり合う中で、お互いの認識も共有され、クライエントの経験も尊重される、ということである。この点も、以前ブログで「問題行動」と「相互主体」を絡めて考えたことがある。
③については、システムアドボカシーというのは集団的アプローチそのものである。これについては、僕自身がNPO大阪精神医療人権センターに大学院生の時から関わった中で教わったことだし、障がい者制度改革推進会議の総合福祉部会にコミットした時は、ある種、システムアドボカシーのお手伝いの側面もあった、と理解している。
つまり、僕自身、このラディカルソーシャルワークの「遺産」を、実は勝手に引き継いでいる(つもりになっている!?)人間の一人だったのだ、ということを、この本を読んで初めて気づいた。だからこそ、ワクワクするのは当たり前である。
一方で、ソーシャルワークの新自由主義的な「変節」の中では、「選択」や「利用者エンパワーメント」という、一見聞こえの良いフレーズが繰り返されてきたが、それは方法論的個人主義と合理性、市場の優位性という新自由主義の文脈の枠内でのみ、活用されたフレーズであったことを筆者は喝破している。
「『自己利益を追求するために個人
は常に合理的に行動する』という考え方は、社会的ケア市場の消費者としてのクライエントやサービス利用者の在り方を再構成する根拠とされてきた。」(p49)
ダイレクトペイメントという現金給付やパーソナルアシスタンスも、社会運動的な側面で出てきたものである一方、『自己利益を追求するために個人は常に合理的に行動する』という新自由主義の枠組みに適合的であるがゆえに、政策として採用された部分もある。この政策適合性の背後にある社会構造的な枠組み(=新自由主義)の価値前提そのものへの問いが、根源を問い直す、ラディカル・ソーシャルワークにつながる。それは、貧困や障害、病気を「個人の不幸」と矮小化させず、社会構造の問題と捉える「障害の社会モデル」とも通底する視点である。
こう考えてみると、「ソーシャルワーカーを倫理中立的な職務を遂行する社会的技術者もしくは社会的エンジニアとして再構築しよう」とする「企て」とは、ソーシャルワーカーに対して、政策価値に関しても「中立」、いや「忠実」な「社会的技術者」でいなさい、という服従の論理にも見えてくる。厚労省関係者が喧伝する地域ケア会議の実態が、自立支援にケアプランがなっているかどうかをチェックする「お白砂会議」になっているのは、予算削減(=マネジド・ケア)という政策遂行者の価値に「忠実」である事をケアマネに求めている事態そのものである。そのような「価値前提」そのものを「根源を問い直す」営みをソーシャルワーカーがすることは、ある種、現状肯定の論理に関しての価値破壊的側面があるのかもしれない。だが、本来の「本人中心=当事者主体」の論理を貫くならば、そのような現状の政策の根源を問い直すことこそ、必要不可欠とされている。そして、それをソーシャルワーカー自身が問いかけることこそ、求められている。
厚労省が言う、地域包括ケアシステムにしても、総合支援法の見直しにしても、あくまでも政策遂行者の論理に過ぎない。その論理を鵜呑みにする時、それはアドボカシーの価値や理念を忘れた、「社会的技術者」である。ほんまもんのソーシャルワーカーなら、政策遂行者の論理そのものに対しても、当事者主体という自らの「価値前提」を通して、自分の頭で考え直し組み立て直すべきだ。そんな気概を、この本から受け取ったバトンとして記しておく。僕はソーシャルワーカーではないのだけれど・・・。
追記: この本については、山森先生がわかりやすい書評を書かれています。僕とは着目点は違いますが、学びの多い書評です。

密画と略画の重ね描き

「正しさ」を疑うことは、簡単なことではない。
特に、自らが寄って立つ基準にしている「正しさ」、以前から空気のように当たり前に思っている「正しさ」。それらが、「もしかしたら違うかも知れない」と言われると、自らの土台が崩されるようで、「ほんまかいな!」「そんなはずはない!」と絶叫したくなる。
例えば、311や原発災害の後、言われているのは、「科学万能主義」への大いなる懐疑である。「専門家」と称する人が、原発災害について、それこそ全く違うことを言っている。それぞれが根拠とする数値や「科学性」を根拠に、「安全」「危険」など異なる価値表明をしている。その価値表明に、一喜一憂しながらも、本来「唯一の正解」を出せる「はず」と思っていた科学者達が、現実に対してこうも違う見解を述べる事に、大きな違和感を感じている。
その中で、哲学者の大森荘蔵の言う「科学は常識に密着したより詳しいお話」という考え方をヒントに、生命誌研究家の中村桂子さんは、「まずは一人一人が『自分は生き物である』という感覚をもつこと」の重要性と、そこから近代科学を問い直す論考を提示してくれいる。
中村さんは、大森荘蔵の「略画」と「密画」を、「常識」を問い直すキーワードとして提示している。
「日常、自分の眼で物を見、耳で音を聞き、手で触れ、舌で味わうという形で外界と接している時に私たちが描く世界像を、大森は『略画的』と呼びます。(略)それに対して、近代科学が生まれたことにより可能になった世界の描き方を、大森は『密画的』と呼んでいます。『密画』は、(略)ここでは可能な限り最小の単位まで還元し、分析的にものを見ていく見方を指しています。基本的に科学は密画を描くものであり、世界を密画化していく、というのが大森の考え方です。」(中村桂子『科学者が人間であること』岩波新書、p98)
これはすごくよくわかる二分法である。日常的には、僕たちは「略画」の世界で生きている。そこでは好き・嫌いや五感が大切にされる、はずである。だが、一方で、僕たちは近代科学の「密画」世界も徹底的に「学習」して、それを常識(=略画世界)の中に取り込んできた。賞味期限とか、平均体重とか、正常値の範囲内とか、そのような数値化・標準化可能な「分析的」な「密画」のデータを、日々の生活(=「略画」)の世界に取り込んできた。テレビでも毎日、そんな「密画」を紹介したり、それを取り込むバラエティ番組や情報番組で溢れている。その中で、ある価値転倒が生じている、と中村さんは指摘する。
「重要なことは、『科学的』だからといって、密画の方が略画よ『上』なわけでも、密画さえ描ければ自然の姿が描けるわけでもないということです。密画を描こうとする時に、略画的世界観を忘れないことが大切なのです。」(同上、p109)
これは、科学(=「密画」)を万能と捉え、何でも科学で説明出来るはずである、というある種の「科学信仰」と、その裏表の関係として、科学を否定し科学を敵と見なす「略画信仰」の双方に対する批判である。つまり、密画と略画は、どちらが優れている訳でも、どちらか「だけ」が大切な訳でもない。その両方が併存する中で、初めて人間理解が進み、より良い暮らしへのヒントも得られる、という視点である。これは、「密画」(=科学)万能主義を唱える機械論的世界観が、人間を「死物化」したことへの批判でもあり、その一方で、人間的復権を求める「略画」万能主義は、近代科学が成し遂げた「より詳しいお話」を全否定するという意味で、蒙昧にならないか、という指摘である。
では、どうすればいいのか? その時に大切なのが、「重ね描き」である、という。
「科学で『知る』ことによって自然を全て理解することはできないとしても、それは大きな問題ではありません。科学の役割は、密画を略画に重ね合わせることえで、自然(人間・生命を含む)のわかり方がより豊かになることを楽しめるようにすることなのですから。密画と略画を重ねて見えてくる全体像をもとに、自然・生命・人間について考える世界観を、機械論的世界観に対して、『生命論的世界観』と呼ぶことにします。これは人間が本来持っている略画的世界観に近いもの、というよりそれと同じと言ってもよいと思うのですが、ここに密画を重ねることを拒まないという新しい視点を入れます。」(同上、p138-139)]
ふだん生命論とか自然科学系の本をあまり読まない僕なのだが、この部分の記述を読んで、「ああ、そうだよなぁ」と深く納得した。そして、これは前回のブログの最後で書いた部分と重なる、と感じている。ちょっと、引用してみたい。
「僕が書いていることは、一見すると論理に飛躍があり、非科学的に見えるかもしれない。でも、そのパンを美味しいという人がいて、その支援で助かったという人がいるならば、その「目に見えない(=非線形的)」理由に基づいていても、「目に見える結果」を重視すべきではないか。科学を否定するのではない。科学のみが万能である、という科学万能主義のパラダイムこそ疑い、「美味しいパン」「満足できる支援」という成果を徹底的に追求すべきではないか。」
「腐る経済」に基づいて、天然酵母に基づく美味しいパン作りをしているタルマーリーさんの実践と、入院しかないと言われていた重度精神障害者を訪問支援チームで支え続けているACT-K。この双方の実践は、「密画」的世界の限界を、ある種、超えている。
「『腐らない』食べものが、『食』の値段を下げ、『職』をも安くする。さらに、『安い食』は『食』の安全の犠牲の上に、『使用価値』を偽装して、『食』のつくり手から技術や尊厳をも奪っていく。」
これが、「腐らない経済」=近代資本主義経済の基本だった。そしてそこには、計量経済学や様々な密画的な技法が駆使され、べらぼうな額の「腐らない」金銭取引が日夜続いている。それが利潤と貧困を大きくしてもいる。だが、タルマーリーさんの実践は、その「腐らない経済」を否定するのではない。「密画」世界の中で成立した「どんな山奥から東京までも1日でパンが運べる」ロジスティックや、山奥の店でもインターネットで全世界に発信できる通信網などのお陰で、タルマーリーさんのファンは増えてい
る。同じように、ACT-Kだって、薬物治療を否定する「反精神医学」ではない。そうではなくて、投薬による治療をチーム医療の方法論の一つと捉え、それ以外の「寄り添う支援(=「ひとぐすり」的なサポート)を展開する事で、幻覚や妄想に苦しんだり、医療中断で症状が悪化した人を、強制入院という非人道的な処遇に戻さず、地域の中で支え続ける方法論を見出したのである。
これは「密画」という科学に基づく世界観の否定ではない。そうではなくて、「密画」の限界を知り、「密画」だけで対処出来ない領域を、「略画」の世界でカバーする「重ね描き」をする中で、ほんまもんの「おいしさ」「満足できる支援」を作り出す、というシステムなのである。「密画」のみを「信仰」するならば、「菌を豊かに育てるためには新築よりも古民家の方がいい」「悪霊に苦しんでいる当事者には一緒にお札を貼ってみる」という行為や発言は、「密画」の外にある世界観故に、「非科学的だ」と一笑に付されることも少なくない。だが、それはあくまでも「密画」以外の世界を「ない」とする、一つの信仰である。「密画」世界に「のみ」拘泥せず、密画と略画を「重ね描き」する実践を通じて、現にそれで「おいしい」「満足できる支援」が展開されているのに、それを標準値から逸脱した「例外的事象」と割り切ってしまう考え方こそ、「非科学的」とは言えないだろうか。
「科学は常識に密着したより詳しいお話」というスタンスに立ち戻るなら、その「より詳しいお話」には様々なバリエーションがありうるということ、そして「詳しいお話」だって、軌道修正が必要なことがあること、密画と略画の重ね描きが双方の「お話」の世界観をより豊穣にしてくれる可能性があること・・・これらの「生命論的世界観」こそが重要視されているような気がする。そして、自然科学を社会科学と言い換えるなら、「密画」の絶対信仰からの脱却としての現象学的還元は、拙著『枠組み外しの旅』の重要なテーマでもあった、ということを、最後に付け加えておく。

「腐る経済」と本人中心支援の共通点

ここ一ヶ月、落ち着いてブログ更新が出来なかった。先週末、新刊の『権利擁護が支援を変える』も上梓され、やっと一息付ける。で、今日のテーマは昨日の朝、京都駅の本屋で買い求め、甲府に帰り着く間に一気に読み終えた一冊から。

「『腐らない』食べものが、『食』の値段を下げ、『職』をも安くする。さらに、『安い食』は『食』の安全の犠牲の上に、『使用価値』を偽装して、『食』のつくり手から技術や尊厳をも奪っていく。(略) そしてもういひとつ。時間による変化の摂理から外れたものがある。それが、おカネだ。おカネは、時間が経っても土へと還らない。いわば、永遠に『腐らない』。それどころか、投資によって得られる『利潤』や、おカネの貸し借り(金融)による利子によって、どこまでも増えていく性質さえある。これ、よく考えてみるとおかしくないだろうか? この『腐らない』おカネが、資本主義のおかしさをつくりだしているということが、僕がこの本で言いたいことの半分を占めている。」(渡邉格著『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』 講談社 p74)
渡邉さんは、岡山の勝山で「タルマーリー」というパン屋を営むご主人。経営理念に「利潤を出さないこと」を掲げ、辺境革命を冒頭では宣言している。その革命の原動力が、表題の「腐る経済」だと言う。食の偽装が次々と暴露される昨今、マルクスの資本論も引きながら彼が整理する、「腐らない」食べものの問題点についての指摘は、実にアクチュアルである。そしてそれは、彼がイースト菌や偽装された天然酵母と決別し、ほんまもんの発酵や菌と出会う過程の中で気づかれた、現場からの叡智である。そして、ほんまもんの天然菌に基づく酒種パンを作り上げるためには、菌を変えるだけでなく、菌に馴染みやすい地元の自然栽培の麦や美味しい水が不可欠であることや、そのような「菌の声」に基づく「菌本位制」のパン作りをするならば、安く大量に作るという「腐らない経済」とは決別し、「パンを正しく高く売る」必要がある、という。
この「菌本位制」の「腐る経済」の話はめちゃくちゃ面白いので、ご興味がある人は是非とも手にとって読んでほしいのだが、僕はこの本を読みながら、僕自身が考えてきた「支援」の世界にも共通する話だ、と興奮していた。
それは、「腐らない経済」が障害の「医学モデル」に代表される科学万能主義に、そして「腐る経済」が「関係性」と「生命現象」を重視する、障害の「社会モデル」やナラティブ世界と通底している、と感じ始めているからである。ちょっと整理してみよう。
近代科学やそれを内包した20世紀型の「医学モデル」は、線形的な因果関係を重視してきた。AならばB、という時、Aが原因でBが結果、というモデルである。そして、その流れは標準化可能であり、ゆえに画一化と効率化の対象にもなる。ベルトコンベアー式労働とは、手工業の複雑なプロセスをできる限り因数分解し、原因と結果という細かい線形のパッケージに組み立て直し、各部分のみを分担する分業制を徹底化させる中で、職人の熟練を、未熟練の単純作業に分割した。その上で、それは機械労働や低賃金国での単純労働にどんどん置き換わっていく。「安く」「大量に」というこの高度消費社会のメカニズムの中で、生産者の尊厳はどんどん劣化していく。渡邉さんの先の発言の「食」を「モノ」に置き換えると、こんな風にもいえる。
「『腐らない』モノが、『モノ』の値段を下げ、『職』をも安くする。さらに、『安いモノ』は『モノ』の安全の犠牲の上に、『使用価値』を偽装して、『モノ』のつくり手から技術や尊厳をも奪っていく。」
食品偽装の前には建築偽装など、日本人は勤勉で生真面目、と言われて、もの作りニッポン、なんて言われた時代も凋落しつつあるが、その背後には、大量生産や大量消費を煽り、「腐らない」おカネ(=利潤)を大量に生み出すことを目的にした、「腐らない経済」の弊害があるのではないか、と渡邉さんも指摘する。
そして、実はこの問題は支援パラダイムの根幹にもある。
例えば入所施設や精神科病院に長期に社会的に入院・入所させられている障害者が何十万人といる。そのような、入所施設や精神科病院という、全生活を一元的に支配・管理するような施設のことを、アメリカのゴフマンという社会学者は「全制的施設 (total institution)」と名付けた。そこでは、集団管理と一括処遇がパッケージとして行われ、少人数の支援者で大人数の入居者を「効率的」に「処理」することが求められている。全ては施設の「決まり」と「タイムスケジュール」の中で進み、寝起きの時間や食事の時間もそのスケジュールに従わねばならない。この「支配的支援」は、いくらよい支援者がそこで働いていても、抑圧的な施設構造そのものの問題であり、その抑圧的構造そのものを問題視しないと、問題は解決されない。(その辺りの詳しいことは、『権利擁護が支援を変える』でも議論した。)
で、この「全制的施設」での画一化・効率化・標準化されたケアとは、まさに「腐らない経済」の論理そのもの、なのである。そして、問題は、支援とは本来、生きている人(=つまりいつかは「腐る」存在になる人)を対象にしている。「腐らない」モデルは、時間による変化を想定しないモデルである。標準化も画一化も、時間による変化を考慮に入れないからこそ、考えられる視点だ。だが、人間は、発達や成長、老化や病気など、様々な要因で、日々刻々と変化する存在である。つまり「死に至る」(=少しずつ劣化していき、いつかは「腐る」)存在なのだ。ただ、その劣化の仕方は、人それぞれで違う、だけでなく、その人がどのような関わりをするか、でも大きく変わる。近代科学は再現性と線形性を大切にしてきたが、実はパンでも人でも、「腐りゆく存在」と考えれば、そこに見過ごされているのが、「関係性」と「生命現象」という視点である。
実はこの「関係性」と「生命現象」とは、臨床心理学者の河合隼雄氏が、脳科学者の茂木健一郎氏との対談の中で語った内容である。
「近代科学は、ご存じのように、関係性を絶って、客観的に研究する。しかし、われわれのほうは関係性がなかったら、絶対、話にならない。だから、その関係のあり方をすごく大事にしていく。それから生命現象というものは、
物理の力学のように、これだけ質量があって、位置がこうで、というふうに定義できないんですね。また物理は、目で見えていること以外のことを絶対扱わない。しかも、ほかにどんな可能性があるか、それに気づこうとしない。それに気がついて、そこに注目して、ユングなんかはやったわけですね。」(河合隼雄・茂木健一郎『こころと脳の対話』新潮文庫、p16)
医学的に説明がつかないけれども、治癒する、ということがある。これは、線型モデルの中では説明がまだ出来ないけれど、現象として変化が生じている、ということである。「目で見えていること以外」をも認めるかどうか、というパラダイムが問われている。タルマーリーでは、毎日菌と対話しながら、作り方の条件を変え、菌が喜ぶようにパン作りしている、という。これは、明らかに数式や標準化という「目で見える」以外の事を扱っている。でも、そこから美味しいパンが出来るなら、タルマーリーの皆さんは、菌とよい「関係性」を保ち、その関わりの中から聞こえてくる変化に合わせて作るプロセスを変化させる中で、一回性の生命現象として、「今日のパン」を作り続けている、とは言えないだろうか。そして、それこそが「腐る経済」であり、「腐る」という「生命現象」を持つパンだからこそ、「腐らない」、規格化と標準化されたパンとは違う本気の味わいがあるのかもしれない。
で、今日はもう少しだけ続けたいのだが、この「関係性」と「生命現象」を重視した「腐る経済」の論理は、支援においても必要不可欠だ、というのが、今日一番伝えたいことだ。それを実感したのは、精神科病院にずっと社会的入院を続けているような、「重度」と言われた精神障害のある人を、地域で支え続けているACT-K(集中的地域支援)のチーム支援の本に、まさにそれと合い通じる内容を見つけたからである。
「急性期状態が過ぎると、1日1回1時間程度の定期訪問に少しずつ戻していった。『玄関から悪霊が入ってくる』との訴えには、本人と相談し神社のお札を玄関に貼り、大きな杉の木の棒で玄関を固定し、中からでしか開けられないように工夫を凝らした。その工夫が功を奏したのか安心感が徐々に出てこられ、幼少期にいじめにあい不登校でほとんど勉強していないことや、勉強したいことなど自分自身のことや希望を話すようになった。」(高木俊介監修、福山敦子・岡田愛編『精神障がい者地域包括ケアのすすめ』批評社、p64)
『玄関から悪霊が入ってくる』というのは、普通の人にとっては明らかに「目で見えていること以外」のことであり、再現性や標準化不能なことである。近代科学はそれに「幻覚・妄想」というラベルを貼って標準化し、それに薬物治療という対処療法を当てはめて、対応しようとした。もちろん投薬でその状態が治まるならば、それでよい。でも、この例に出てきたカズマサさん(仮名)の場合、そのような投薬では全く治まらないどころか、幻覚や妄想で様々なトラブルを起こし続け、強制入院と退院を30年繰り返して来た人である、という。
このような悪循環の増幅作用を何とか阻止し、好循環に変える為に支援チームがとった戦略。それが、一見すると「非科学的」に見える、「お札を玄関に貼る」「玄関の戸締まりを強化する」という戦略だった。それは、標準化された科学の枠を明らかにはみ出している。だが、ACT-Kの支援チームは、本人の『玄関から悪霊が入ってくる』という訴えを、幻覚や妄想と切り捨てず、それにより「困っている」という生命現象に着目した。そして、その「悪霊」に苛まれて悪循環プロセスから抜け出せないなら、まずは「悪霊」を一緒に退治する関わりをカズマサさんとし始めた。その関係性の変化の中で、これまで周囲の人を全て敵だと思っていたカズマサさんが、初めて自らの困り事や本音を語り出す、という形で、カズマサさんを巡る生命現象が、固着状態から開き始め、動き始めたのである。それによって、精神科病院という「全制的施設」での標準化されたケアでは治癒不能だったカズマサさんに、安心感が生まれ、「地域で安心して生活できる」状態を少しずつ取り戻しつつある、という。これこそが、科学中心主義ではなく、本人中心型の支援の醍醐味だ。
さて、ここから何が言えるのだろうか。
渡邉さんがタルマーリーで挑戦し続けているのは、「菌」の声を聞き、菌が喜ぶような素材を選び、素材を活かしながら(素材との関係性を深めながら)、日々刻々と変わる条件を加味して、パンという生命現象を作り上げている姿であった。一方、ACT-Kのチーム支援とは、支援対象者の声に基づき、一見すると科学の範囲の外であっても本人の声に寄り添う中で当事者との関係性を深め、その中でご本人の「強み」や「想い・願い」を活かした支援を展開し、ご本人の生活状況を向上させる支援を展開しているのだった。どちらも、「腐る経済」という視点で考えると、一期一会の関係性を重視し、作り手と素材、支援者と対象者を切り分けず、関わり合い、相互変容を行う中で、酒種パンや地域生活支援という生命現象を作り上げてきた、とは言えないだろうか。
僕が書いていることは、一見すると論理に飛躍があり、非科学的に見えるかもしれない。でも、そのパンを美味しいという人がいて、その支援で助かったという人がいるならば、その「目に見えない(=非線形的)」理由に基づいていても、「目に見える結果」を重視すべきではないか。科学を否定するのではない。科学のみが万能である、という科学万能主義のパラダイムこそ疑い、「美味しいパン」「満足できる支援」という成果を徹底的に追求すべきではないか。それこそが、ベルトコンベア的な生産や支援が見失った「職人魂」、なのではないだろうか。つまり、「腐る経済」とは、21世紀型の「職人魂」の全人的復権、とは言えないだろうか。
そんな「妄想」が昨日から頭の中をグルグル巡っている。