リカバリーとは「矛盾を手なずける」こと

ぶあつーい洋書を久しぶりに真面目に読む。

「矛盾を手なずける:重度の精神障害からのリカバリー(Managing the Contradiction -Recovery from Severe Mental Health)」
12年前にスウェーデン在住時に、誰かに勧められて買ってみたものの、積ん読だったこの本。ネットで調べたら全文がダウンロード出来るのですね。でも分厚い博士論文なので、本で読んだ甲斐があった。
実はこの著者のToporさんの講演を、12月にイタリアのトリエステで聴いた。トリエステ精神保健局長のロベルト・メッツィーナ氏の論文にもたびたび引用されていて、興味を持ったのだが、実際にその講演を聴いて、びっくり。「薬も認知行動療法も、精神療法も、効く人には効くし、効かない人には効かない。では、リカバリーって、一体何だろう?」 こんな刺激的な議論の上で、彼の最新の研究を紹介してくれた。それをツイッターで紹介したら、約9000回ものRTされた。それが、このツイート。
「2015年12月19日: 精神病の人に、50ユーロを9か月間「投与」してみたら、対象群に比べて不安やうつ症状が減り、人間関係も豊かになり、生活の質も向上した、という興味深いスウェーデンの論文→Money and Mental Illness
このツイートで紹介した彼の論文を読んで、これは本気で読まねばならない、と手に取ってみた。(ちなみに、上記論文の概要や12月のトリエステ調査のダイジェストは、3月に発売される雑誌『福祉労働』150号に掲載予定です)
Toporさんがタイトルに込めた「矛盾を手なずける」とはどういう意味か。彼は16人の精神障害者へのインタビュー調査から、こんな結論を引き出している。
「リカバリー実践の物語における重要な要素とは何か。それは、最も強調すべき事は、矛盾を解決することではない、ということだ。むしろ、矛盾とうまくやっていく道を模索することであり、自分自身と折り合いを付ける事が出来るようになり、そのプロセスにおいて痛みをあまり感じずに済むようになるということだ。それこそが、矛盾を手なずける、ということなのだ。リカバーするとは、他の誰かになる、という事を意味していない。むしろインタビューの中では、リカバリーの過程は、人が自分自身を発見する道として表現されていた。それは問題に何とか対処することができ、しかしながら以前とは違うやり方で対処するのである。」(p318-319)
リカバリーの文献をそう沢山読んだわけでもないが、今まで出会ってきたリカバリーに関する表現の中で、最もしっくり来るものの一つだ。そう、「完治」がリカバリーではない、ということ。業界用語では似た表現として「寛解」というのもある。でも、これは病気の猛威が収まること、という意味合いであり、本人よりもどちらかと言えば病気が主人公。Toporさんは、リカバリーを経験した当事者の語りから、「病気の猛威が収まること」よりも、「自分自身と折り合いを付けること」ことをリカバリーと定義する。それは、僕が見聞きした精神障害の経験者の物語とも、共通する要素だ。いや、それだけでない。実は精神病体験に圧倒されないためには、誰にとっても必要不可欠な要素なのかもしれない。
この本の中では、精神病体験を通じて、非合理とラベルを貼られ、通常の人間関係が破綻し、通常の地域生活から排除された人々の経験が語られる。極度の孤独や社会的排除の中で、病状という表現でしか自分を護れない極限状況に追い詰められる。自分自身の言動に振り回され、家族とも敵対的な関係になり、医療や福祉サービスも、時として侵襲的に作用する。薬の副作用がきついときもある。
そんな中でも、例えば幻聴には、社会的な孤立に対処するための、「かなり苦しい対処方法」いう側面もある(P266)。嬉しくはない幻聴だけれど、少なくとも誰も話しかけてくれない、という状態ではない、という意味で、孤独への対処にもなってしまっている。また、家族とのかかわり方が変われば、当人にとっての問題の原因とも、問題に対処する上での強力な味方にもなる(p329)。薬だって、医療者の指示に従わねばならないという意味で他律的要素としても、またどの薬をどれくらい飲むかへの決定過程に参加することを通じて自律を取り戻すこともできる手段ともなる(p333)。専門家が一方的な見方を押しつけたら対象者のニーズに目と耳を塞ぐが、互酬性の関係を構築すれば「同行二人」のパートナーにもなる(p326)。包括性や継続性は、患者のトータルな管理にも、リカバリーの重要な要素ともなる(p330)。
つまり、症状も家族も専門家も薬も、さらには精神障害者への接し方も、どれもが両義的で不確実(ambiguity and uncertainty)な要素が含まれているのだ(p338)。
だからこそ、完治する=異常から健康に「治る」という、白黒付けるという二者択一の姿勢よりも、「自分自身と折り合いを付けること」という意味で、両義的なまま、「矛盾を手なずける」方が、現実的である、とToporさんは結論づける。ここからは、精神病状態に陥る以前の暮らしから、「両義的で不確実」な状態を許容し、「矛盾を手なずける」ことが出来ていたら、しんどい状態にはまり込まなくて済むのかもしれない、とも予期される。
これを読みながら、強く思い出していたのが、日本では超有名なべてるの当事者研究だ。
このべてるの家の実践も、自分自身で自己病名を付けることにより、他者によるラベリング(他律)から、自律性を快復しようとしている。また病気の悪循環サイクルを自分一人で抱え込む状態から、仲間と共に研究することで、社会的孤立への対処をしようとしている。専門家が一方的に病気と判断し服薬を強要するのではなく、当事者の内在的論理を明らかにした上で、しんどい状態を克服するための自律的なコントロール方法を、専門家と共に考えようとする。それは精神病院のような権力装置の中での他律的管理・支配を超えて、街の中で、試行錯誤しながらも、自律的にリカバリーしていく可能性を提供する。
結局、リカバリーの物語は、洋の東西を超えて、圧倒的に苦しい・追い詰められる経験をした後に、当の本人が、周りの人々と共に、どのようにその経験を手なずけ、その経験と共に、以前よりはましな形で、矛盾と共に生きていくのか、というプロセスなのだ。この部分を理解した上で、医療や福祉サービスは何が出来るか、が問われているのだ。それが、イタリアのトリエステの人々にも興味を持たれるポイントであり、メッツィーナさんが日本の当事者研究にも大いに注目していた最大の理由なのだろうとわかった。
そこで問われているのは、日本の精神医療や、日本の障害者福祉は、本当に精神障害者のリカバリーを志向しているか、支援しているか、という問いである。精神障害者が圧倒的な苦しさやしんどさにいる状態から、矛盾を手なずける、非常に個人的なプロセスに寄り添い、じっくりその物語を伺い、ともに次の一手を模索するプロセスに関われているか、という問いである。生物学的アプローチや心理療法的アプローチを否定しているのではない。そうではなくて、両者が(bioもpsychoも)、矛盾と共に当事者が社会の中で生きていくのを応援する、という側面がなければ、リカバリーではなく、他者による管理と支配の手段に堕落する、という点に自覚的であるかどうか、が問われている。それこそが、ほんまもんの生物-心理-社会モデル(biopsycosoial model)のはずだ。それが、今、日本で実現出来ているのだろうか? 精神病を経験した人が、再び「矛盾を手なずける」状態にリカバリーするまで、「同行二人」で「ともに」考え合う支援を出てきているだろうか? もしや、「支援対象者を手なずける」仕事になってはいないだろうか?
様々な問いを投げかけてくれる、実に刺激的な一冊だった。
追伸:16人の経験者の物語は、著者の素材を引き出す旨さにも支えられ、理論的に面白かっただけでなく、単純に物語として面白かった。こういう掘り下げた研究こそ日本でも必要だし、この本は翻訳されるべき本だ、とも思った。誰か、やってくれないかなぁ・・・。

内面化された規範の呪縛

どのような社会問題であっても、「逸脱した個人の自己責任」と捉えることも出来れば、「社会の歪みが脆弱な個人に反映された結果」と捉える事も出来る。障害学で言えば、前者は「医学モデル」と言われ、後者は「社会モデル」と言われる。後者は、個人のわがままや努力不足とラベルが貼られている問題に対して、個人の問題は社会的な背景があり、社会の抑圧的構造が悪循環的に個人に作用したとき、その回路から逃れることが出来なくなってしまった果ての、症状化・顕在化であると捉える。そのことを強く感じさせる新書に出会った。
「現代の『ひきこもり』は、自分自身と向き合うこととは違う。既存の価値観を内面化し、自己点検を繰り返し、その内面化した価値観に合わない自分自身が社会に漏れ出すことを必死になって防いでいる。そうでなければ社会での居場所を失うと感じ、その不安と恐怖と戦っている。だが、どのようにしても漏れ出す生身の自分を隠すことはできない。ひきこもりは『自傷行為』だと多くの経験者が言う。そうすることでかろうじて生き延びることができる、その人なりの逃げ道だ。」(杉山春著、『家族崩壊ー「ひきこもり」から問う』ちくま新書、p29-30)
ここに書かれていることは、何も「ひきこもり」に限らない。ちょうど今、卒論指導が佳境に入っているが、ゼミ生達が自らの実存を問い直す論文の中にも、他者肯定を得ようと必死になっていたり、同調圧力と自分自身の実存とのズレに苦しんでいる姿をしばしば垣間見る。KY、つまり「空気が読めない」という言葉に代表されるように、その裏返しの「空気を読め」という同調圧力、つまりは「既存の価値観」の押しつけは、21世紀日本社会では、もしかしたら以前よりきつくなっているのかもしれない。特に、小中高という学校空間では、「スクールカースト」のような序列化がきつく進んでいる、と最近のゼミ生は教えてくれる。その序列や同調圧力の「内面化」を強要され、「その内面化した価値観に合わない自分自身が社会に漏れ出すことを必死になって防いでいる」のだ。それほど、「社会の居場所を失う」「不安と恐怖」はきついのである。
そんな消耗戦に歯を食いしばって耐えろ、と強要するのは、全く人間的ではない。だからこそ、人間的な選択肢の一つとして、「漏れ出す生身の自分を隠す」手段として、「ひきこもる」ことにより、「かろうじて生き延びることができる」。しかし、それは温々と得られた解決策ではない。『自傷行為』という表現にあるように、切れば血が出るような、自らを切り刻む、痛みを伴った行為なのである。逃げないことも、逃げることも、共に苦しいのだ。
ここまでの分析なら、他の「ひきこもり」ルポでも見られる分析である。だが、この新書が類書と一線を画するのは、その「ひきこもり」の背景にある、家族の不安や歪み、また社会的な歪みにも、肉薄していく部分である。ご自身の息子さんも不登校になった経験を持つ杉山さんは、学校の担任の対応に対して、このように書いている。
「『適応できない児童には教師が指導する。母親の甘やかしは困る』という考えが透けて見え、親を指導しようという姿勢も感じた。育ちの偏った息子は学校に受け入れてもらえないのだ。私も母親として、否定的に見られている。私は不安になり、怯えた。このとき、私は学校教育、つまり社会の要請に適応しなければ、という気持ちが強かった。学校へのぎくしゃくした不信が生まれた。困難を理解してもらえないことへの、怒りの気持ちが含まれていた。」(同上、p95)
学校で標準化された価値観に「適応」することのみが「正しい」とされると、「適応できない児童には教師が指導する」という一方的、反-対話的アプローチが強化される。これは、支援ではなく、支配である。「育ちの偏った息子」という言葉も、100人いたら、標準偏差と同じように、中央値からずれた子どもが1割か2割存在する。だが、学校が認める偏差の枠内に収まらないと、「適応できない児童」とラベルが貼られ、適応すること=その偏差の枠内に収まることのみが、「社会の要請」の主要な課題となる。のびのび・すくすくと、その子の特性が活かされた形で育ってほしい、というのは、現代日本「社会の要請」ではないのだ。標準化・規格化された枠内に収まることが、「社会の要請」の強い圧力として、子どもだけでなく、親にも当てはめられるのである。
この経験を元に、杉山さんはこうも語る。
「ひきこもりの背後には、『抑圧』や『暴力』がある。その連鎖はどこから来るのか。どのように抜け出すのか。その謎は、私自身の中にもある。」(p116)
人を「自傷行為」せざるを得ない状況に追い込むこと。これは、確かに「抑圧」であり「暴力」である。この「抑圧」や「暴力」は、学校空間の中でも、「連鎖」として、自己反復・自己増殖的に蔓延している。そして、杉山さんは「その謎は、私自身の中にもある」と書いているが、まさに社会の構成員としての私たち自身の中に、「抑圧」や「暴力」の「連鎖」の「謎」が内包されているのだ。
「取材を続ける中で気付くのは、高度経済成長期かそれ以前に就職した若者たちは、少々の偏りを抱えていても、社会の中に居場所を見つけることが今よりも容易にできたということだ。就職時、過酷に振り落とされることなく、会社が大きくなるにつれて、仕事の種類は膨れあがり、ポストは増え、力を発揮できる場が次々に発生する。目の前の仕事をこなしていくことで、力をつけ、人との関わりを持ち、経済的に恵まれ、親世代の収入を超えた。
能力が吟味され、その力によって仕事をあてがわれるようになるのは、70年代半ばに入って、経済成長が鈍ってからだ。その頃から、不登校やひきこもり、育児不安という現象が顕在化していく。自分はうまく適応できるだろうか、対応できるだろうかという未来に対する不安が生まれていくのだ。」(p48)
社会の第三次産業化は、規格化や標準化圧力の強化でもある。高度経済成長期までの日本社会は、第一次産業も第二次産業に労働力が吸収された割合も高く、第三次産業が膨張化する以前の状態であった。だから、「会社」で働こうと、「工場」や「田んぼ」で働くのと同じように、どんな労働力であっても、その現場に役に立つものであれば、必要とされた。「振り落とす」なんてこともなく、猫の手も借りたいくらい、の状態であった。
だが「経済成長が鈍り」、第一次産業や第二次産業が、他国との価格競争で脅威にさらされる中で、70年代以後、日本社会は急速に第三次産業化していく。米や車、など「モノ」を売っていた時代から、「サービス」という付加価値を売る形態に社会が変化していく。すると、「モノ」の標準化だけが求められていた時代から、「サービス」の標準化に、ひいてはその「サービス」を提供する、人間の標準化・規格化圧力が強まったのではないか、と僕自身は考えている。
杉山さんは70年代から「不登校やひきこもり、育児不安という現象が顕在化して」いった、と述べているが、僕はこの表現を見て、2000年前後から、発達障害という現象が「顕在化」していった事に、強く重なって捉えている。
例えば、映画の「寅さん」は、今であれば明らかに特別支援学級に送り込まれる対象者と有徴化されただろう。杉山さんの表現を使うなら、「既存の価値観を内面化」できず、適応的な「価値観に合わない自分自身」が常に「社会に漏れ出」している。つまり、「社会の要請に適応しなければ」という規範や同調圧力に従わず、周囲の「指導」にも従わない。こういう「偏りを抱え」ている人であっても、以前は社会自身の標準化・規格化が進んでいなかったがゆえに、「しょうがない奴だなぁ」と「社会の中に居場所を見つけることが今よりも容易にできた」。だが、社会自身の標準化・規格化・制度化が進む中で、このような「偏り」は「魅力」ではなく、「逸脱」と捉えられる。その中で、「逸脱」を障害や症状として捉える社会的合意が構築されていったのではないか、と僕自身には思えてならない。
余談であるが、精神病院や入所施設は、産業革命以後の社会で構築されたものである。工場労働には成年男子の労働者が大量に供給され、その規格化された労働力の外にある、子ども、高齢者、障害者をケアする役割として、「専業主婦」も発明される。その上で、手のかかる子どもは「学校」に、高齢者や障害者は「老人ホーム」や「入所施設」「精神病院」に預けることで、より効率的に社会を規格化し、労働生産性を高めようとした。この社会の労働生産性を重視した結果として、労働生産性という価値に不適合な、つまりは社会が「標準」と定める価値規範から逸脱している個人が排除されていく。そして、多くの人はその排除を「不安や恐怖」と捉え、その排除から免れるために、労働生産性という標準化された価値規範を内面化し、それを常に自分の参照枠として「自己点検」し、必死になって同調しようとしているように、僕には思える。
この視点は、杉山さんの視点にも重なっている。
「ひきこもりの背後には、『自分に課す規範から自由になれないことがある。その規範が与えられるのは、多くの場合家庭=イエである』と私は書いてきた。規範を求めるのは高度化した産業社会だ。人の能力を計り、選別し、社会に配置するシステムを持つ。(略)共同体と呼ばれていたものが形を失う時、家族が孤立すれば、家族内の『規範』は偏り、次世代を苦しめる。次世代が生活する社会のあり方が、親世代の『規範』とは大きくずれる場合もある。」(p198)
「『私』の願いや怒り、価値観を我が子に伝えるよりも、我が子に他者を感じていほうが、社会に繋ぎやすい。我が子に他者性を持つことは、実は、現代の新しい『規範』なのではないか。だが、親自身が自分自身が生きてきた規範から自由になることは、案外難しい。それ以外の生き方を知らないからだ。」(p199)
親が子に対して過剰な「願いや怒り、価値観」を押しつけること。これが、不登校やひきこもり、家庭内暴力など、様々な形で子どもに顕在化される拒否反応である。このように顕在化しなくても、親や社会の「規範」に雁字搦めになり、そこから自由になれず、その「規範」が示す「良さ」を前にして、自分自身の「願いや価値観」を「抑圧」して、親や社会の顔色をうかがい、その範囲内に自己を矮小化する若者が多いことも、ゼミ生達との対話で強く感じていることでもある。これは、旧来の共同体的価値批判が団塊世代によって壊された後に、社会的連帯のベースとなる価値規範が作られることなく、家族が「孤立」していった帰結でもある。
だからこそ、ひきこもりを社会的に解決するには、ひきこもりの「矯正」ではなく、社会の構成員一人一人が、自らにも「内面化」された「抑圧」や「暴力」を自覚することが必要不可欠なのだ。僕自身はそれを「枠組み外し」と命名した。「自分自身が生きてきた規範から自由になる」ことが、自分を開き、他者を開き、他者の価値観、つまり「他者性」を肯定することでもある。同調圧力が強い、標準化・規格化された社会とは、この「他者性」が極端に抑圧された、単調な社会である。その息苦しさをどう突破していくか。
改めて、僕自身のライフワークでもある、標準化・規格化という呪縛と、それへの対抗策というテーマを考えさせられる一冊だった。

沖縄への植民者、という自覚

遅い正月休みを沖縄で過ごした。2年ぶりである。南国好きで、台湾や香港にも行くが、それ以上に沖縄には何度も通う。そして、いつものように旅先でゆっくり本の世界に浸るのも、僕にとっての休暇の楽しみの一つ。ただ、その本の世界が、自分の実存そのものにグイッと食い込む旅になろうとは、出かける前に想像できなかった。

きっかけは、行きの移動中に読んでいた新書のフレーズだった。
「もし、明日の新聞に、いきなり四国の独立運動グループが活動を開始したとか、『北海道の人のための北海道でなければならない』とかそのような記事が載ったとしたらびっくりするでしょう? でもそのときの衝撃は、そんな感じだったのですよ。人々は狼狽し、そして憂慮したのです。植民地の独立と地域ナショナリズム、これら二つの要素によって、ナショナリズムの新しい捉え方の重要性を、人々はあらためて認識するようになったのです。」(『ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る』光文社新書 p37)
英国内のスコットランドやスペインのバスク、カタルーニャ地方などが1970年代に声を上げた「地域ナショナリズム」運動の事を語るアンダーソンは、そのたとえで四国や北海道の独立を出していた。その時は引っかかりがなかったのだが、四国や北海道を「沖縄」に変えると、アンダーソンが2007年に指摘したことが、2016年の沖縄ではかなりアクチュアルな問いになっている、という自覚が、僕にはまだなかった。
そのことをまざまざと教えてくれたのが、「沖縄戦の図」を見に佐喜眞美術館を訪れた際に買い求めた、知念ウシさんの一冊だった。
「旅先とは、自分の地域とは別のところ、例えば外国である。さらに、この両地域の権力関係の種類によって、癒やしの旅は二つに分けられるだろう。対等なものと、不平等、すなわち植民地主義的なものである。後者では、己の責任から離れ休息を取る以外に、政治、経済、社会、文化的に強者の地域から弱者の地域にやってきて、優位に立てて優越感が持て精神的に楽しい、というのも重要な『魅力』である。
沖縄はおよそ百三十年前日本国に併合され、それ以来固有の文化が破壊され、日本化が進められている。また、現地でどんなに軍事基地に反対しようとも、本国の圧倒的多数の国民が沖縄に基地を置くことを認めているために、なかなか撤廃できない。それが経済、社会、文化、自然環境にもふかい影響を与えている。それなのに本国国民が責任を問われず、沖縄の主人公のようにもてなされる観光地化が進む。このような沖縄は植民地主義的な癒やしの旅の行く先として、代表的なものだろう。」(知念ウシ『ウシがゆく 植民地主義を探検し、私をさがす旅』沖縄タイムス社、p122)
彼女は、本当の事を、オブラードに包まずわかりやすい言葉で書く。以前朝日新聞の記事を読んだ時もそう感じたが、地元の新聞に連載し続けた彼女のエッセーを読みながら、最初のうちは深く頷き、興味深く読んでいた。だが、この部分を読んだあたりから、気持ち悪くなりはじめる。胃のむかつきや消化不良感がグワッと出てきて、苦しくなる。オモロイ本を読んでいるはずなのに、胃だけでなく頭の中も混乱し始める。それはなぜか。
そう、僕自身もまさに「植民地主義的な癒やしの旅」の真っ最中ではないか!
そんな問いというか気づきが、グサリと突き刺さったからである。本土資本の大型リゾートホテルに宿泊し、本土資本のレンタカーで沖縄を乗り回し、その上で「沖縄でお金を落としているのだから」なんて優越感に浸っている。しかも、無自覚に。そう思うと、彼女の言葉は、「あなたは日本人の一人として、一体どう思っているの? どう責任を取ろうとするの?」とグイグイ問われているような気がし始める。しかも、「主人公のようにもてなされる観光地」沖縄に、日本国内の75%もの在日米軍基地を押しつけておいて、である。
そう考え始めると、沖縄が好きです、なんて言いながら、癒やしと称しながら、対等ではなく権力関係で僕自身が何らかの搾取をしているのだろうか?とか、そういう問いが頭の中をグルグルし始め、胃も苦しくなり、混乱する。一体、このことをどう考えたらよいのだ、と。妻とも話をしたり、那覇の街中を歩いたりしながら、本屋で新たに買い求めたもう一冊の本を読んでいるうちに、その混乱が収まる。しかも、もっとドギツいフレーズに出会って。
「ポストコロニアリズム研究とは、第一に、植民者の問題化を不可欠とする学問的実践である。なぜなら、植民者の存在があってはじめて植民地主義は成立しているからだ。日本人に特化して述べれば、ポストコロニアリズム研究とは、日本人という植民者を一貫して問題化することを通して、植民地主義を実践しつづけている日本人の政治性を解明し、植民地主義を継続させる権力的メカニズムを批判的に分析することによって、日本人の植民地主義の終焉を構想する学問的実践である。つけ加えておけば、日本人がみずからの植民地主義を終焉させたとき、彼/彼女らが植民者でなくなるのはいうまでもない。その点、ポストコロニアリズム研究とは、日本人が植民者から脱却する方法についての思考でもある。」(野村浩也「植民者とは誰か」『植民者へ-ポストコロニアリズムという挑発』松籟社、p41)
「植民地主義を実践しつづけている日本人の政治性を解明し、植民地主義を継続させる権力的メカニズムを批判的に分析すること」
これって、僕が『枠組み外しの旅』で問い続けて来たことに通底しているのではないか。そう思うと、僕の中で一つの筋が見え始めた。日本人がどのような「植民地主義」を実践したり継続させたりしているのか。この問いは、日本人がどのような枠組みに囚われ、それを所与の前提にしているのか、の問いでもある。野村氏も喝破するように、植民地主義は、植民者をも囚われの身として、植民者に居着かせる論理構造を持っている。しかも、この植民地主義は、隠蔽されることによって、より持続可能なものになりやすい、という。
「植民地主義の隠蔽は、植民地主義の存続に大きく貢献する。なぜなら、隠蔽されればされるほど、植民地主義の存在を意識することが困難になるからだ。植民地主義の存在に気付かなければ、それを問題化することもありえない。そして、問題化されることがなければ、植民地主義は無傷のまま温存されることになる。(略) 植民地主義は、『現にあること』として存在するにもかかわらず、隠蔽されることによって、存在しないことになってしまう。その結果、植民者が自分の行為を植民地主義と認識する可能性はきわめて低くなる。」(同上、p38)
沖縄は法的に日本の領土であり、日本人と同じ権利を法的には所有している。だが、米軍基地の75%を沖縄に押しつけ、知事選を通じて県内移設をしないでほしいという民意を示しても、決して沖縄以外に移転することがない。これは僕が住んだ事のある山梨県や兵庫県、京都府では一度も経験したことのない、一県民への差別の常態化である。つまり、沖縄人から見れば、実質的な植民地主義の温存である。
そもそも琉球「処分」(=筆者はこれを琉球「征服」という)や日本語の強要、沖縄戦時には琉球語を使う人々をスパイとして日本軍が射殺していた事など、明らかに植民地政策である。これは、多くの研究者が述べているが、日本政府が韓国や台湾で行った植民地政策と共通している方法論である。また、沖縄が「本土復帰」を求めていた事実はあるが、彼らが求めていたのは、米軍占領下から本土復帰する事による、米軍の撤退である。だが、米軍占領下に日本本土から米軍が沖縄に移されることはあっても、日本復帰後に沖縄の米軍が日本本土に移されることは、決してない。地政学的重要性とか、「もっともらしい言い訳」をつけながら、日本は本土に米軍基地を置くことなく、沖縄に押しつけ、ぬくぬくと平和を享受している。これが、隠蔽された植民地主義であり、隠蔽されているので、植民者である日本人自体がこのことに無自覚である。これを、沖縄人は告発しているのである。
「敗戦後の日本人は、『平和憲法』と民主主義に守られながら、平和を唱え、核兵器廃絶を自由に叫んできた。一方、沖縄人は、日本国という『唯一の被爆国』を核の傘で守るための犠牲を強制されることとなった。(略) 他者を暴力的に犠牲にすることによって成り立つ平和とは、民主主義とは、自由とは、いったい何なのか。そんなものは、植民者的な偽善でしかない。」(p62)
このフレーズを読みながら、日本的システムの歪みとは、「隠蔽された植民地主義の歪み」ではないか、と思い始めている。不都合な部分を植民地的に、簡単に言えば金の力で何とか押さえつけ、民主主義的な合意形成を形式的には作った上で、押さえ込んで文句を言わさない。沖縄の米軍基地や福島の原発、に限らず、水俣病などの公害問題の隠蔽や、障害者の入所施設・精神病院への隔離収容など、この国が進めてきた社会的排除の構造の背後に、このような「植民者的な偽善」があった。それを、「でもそんなことを言ってもしょうがない」「どうせ今更何も出来ない」と「どうせ」「しゃあない」という呪文で抑圧してきたのである。
だが、その呪文というか、蓋は、開きつつある。
野村さんや知念さんが主張している「沖縄人に押しつけている米軍基地を日本人の手で日本に持ち帰らなければならない」(同上、p67)は、沖縄ナショナリズムの極端な発言に見えるが、その意見への賛同は拡がりつつある。
例えば『琉球独立宣言』を唱える松島さんは、こんな風にも述べている。
「沖縄戦、米軍統治時代、そして今日まで軍隊は住民を守らない、つまり抑止力ではないという事実を、琉球人は体験を通じて嫌というほど知っています。日本人の大部分は軍事基地の実態を知らないのか、または忘れているのです。『米軍=抑止力』という虚構の論理に従ったままなのです。(略) 2004年に普天間基地所属の軍用縁が沖縄国際大学に墜落したとき、『事件現場』で米軍のなかにはトランプに興じている軍人がいました。米軍はしばしば琉球人を殺害し、レイプしており、同じ人間として琉球人をリスペクトしていません。」(松島泰勝『琉球独立宣言』講談社文庫、p236)
また、野村さんや松島さんへのインタビュー記事も載せるだけでなく、琉球がそもそも一国として日本や中国から独立していたこと、それが「琉球処分」時に暴力的に奪われたことを解き明かし、その上でパラオやスコットランドなどの自主独立を勝ち取った・そうなりつつある国々を取材した地元紙琉球新報社が『沖縄の自己決定権-その歴史的根拠と近未来の展望』(高文研)という本を出している。この二つの本は、2015年に出ている。
つまり、沖縄の中では、明らかに日本の居丈高な植民地主義に我慢ならず、自己決定権を返してほしい、独立も視野に入れて考えるぞ、そもそも米軍基地を本土に引き取ってほしい、という主体的な意見が強まっているのである。
だからこそ、沖縄好きの僕自身には、問われているのだ。沖縄で植民者的に楽しむのではなく、沖縄と対等に付き合うにはどうすれば良いか? 個人としては、沖縄資本の宿やレンタカー、お店を選ぶ、という小さな実践も、もちろん大切だろう。でも、僕自身が実践というか、研究にコミットしている「魂の脱植民地化」研究の一環としては、日本人に根深く根ざす「植民地主義」についての自己研究が必要不可欠であり、その更なる言語化がもっと必要だ、と感じている。
「日本人が『日本人=植民者/沖縄人=被植民者』という二項対立を記述して徹底的に意識することは、それを解体するための不可欠のプロセスである。日本人がこの二項対立を意識することは、沖縄人に対する植民地主義を実践することによってそれを構築している自分自身を意識することである。そして、日本人自身が植民地主義をやめないかぎり、この二項対立の解体もありえないし、植民地主義が終わることもない。」(野村、同上、p46)
沖縄はこうすべき、とか、植民者がとやかく言うべきではない。そうではなくて、沖縄や福島に対して、「植民者」として振る舞う日本人の「二項対立」を、隠蔽することなく自覚化し、それを言語化することが、植民地主義の「解体」の前提にあるのである。自分自身で抑圧(隠蔽、忘却・・・)して「なかったこと」にしている、植民地主義的な心性を、そのものとして言語化し、それはアカン、ときちんと口に出して言い、では他にどうすれば良いか、を考える営みに漕ぎ出すこと。これは、知念さんの副題を借りれば、日本人が「植民地主義を探検し、私をさがす旅」に出ることである。
僕は「枠組み外しの旅」を書いた前後も沖縄に来ているが、日本人の「植民地主義」について、無自覚なまま、この本を書いた。だが、沖縄での植民地主義、植民者としての日本人という「二項対立」を自覚した後には、植民地主義という「枠組み」を外すプロセスを我が物にする必要がある。今回のブログも、そんな「二項対立を記述して徹底的に意識する」プロセスの入口として書いてみた。
ゆっくり休暇が出来た上に、研究上の大きなバトンまで(勝手に)託されてしまった。これから、このバトンを持って、走り始めたいと思う。

2015年の三題噺

ここ数年は、一年最後のエントリーはその年を三題噺で振り返る、という題目である。この1年をどう振り返ってみるか、書き始めた段階では一つ目しか浮かんでいないけれど、とにかくそれからスタートしてみよう。

1,精神医療の社会学、という「原点回帰」
事の発端は、9月に訪れたトリエステだった。雑誌「福祉労働」に、精神病院を廃止したイタリアの医師フランコ・バザーリア、脱施設化の旗手であったスウェーデンの理論家ベンクト・ニィリエ、そして権力関係の認知転換を『被抑圧者の教育学』で説いたブラジルの哲学者、パウロ・フレイレの三人を巡る連載をしはじめた。その連載もあって、イタリア・トリエステに、バザーリアの実践の「その後」を調べに出かけた。
その時、時間を取って議論につき合ってくれたのが、現トリエステ精神保健局長のロベルト・メッツィーナ。2014年の11月に日本での講演を聴いて、そのロジカルでパワフルな語り口に感銘し、その続きの話をしたい、とトリエステに押しかけた。そして、彼と議論をしている最中に、ふと気づいた事がある。「精神医療の社会学を、自分はきちんと追い求めなければならない」と。
大学院のフィールドワークは精神病院だったし、2003年に提出した博論は、「精神障害者のノーマライゼーションに果たす精神科ソーシャルワーカーの役割と課題」だった。博論の一部は『枠組み外しの旅』にも入れ込んだし、関わり続けているNPO大坂精神医療人権センターのことや、アメリカでの権利擁護研究のまとめは『権利擁護が支援を変える』にも整理して入れ込んだ。とはいえ、この二冊で「仕上がった」訳ではない。まだまだ精神医療の問題について、病棟転換型施設の問題や、精神科病院が「司令塔役割」と位置づけられた認知症の「オレンジプラン」問題など、追求すべき課題は沢山ある。でも、どこかで、「精神医療の問題は、二人の師匠(大熊一夫さん大熊由紀子さん)の仕事だから」と遠慮していた部分もあった。
でも、ロベルトと議論しているうちに、社会学者としてきちんと精神医療の現状と課題を整理したり、どう変えていくべきか、について整理するのはとても大切な仕事だ、と改めて認識する。精神科医や看護師、当事者などの様々なアクターがどのように構造転換に関われるか、を社会学的な視点で分析したり、提起する仕事が必要かも知れない。そう思い始めたのは、イタリアに行く前にフィンランドでオープンダイアローグの現地取材をした事も大きいのだが、このトリエステ方式とオープンダイアローグの事を色々読んだり、考えたり、話したりしているうちに、この3ヶ月はあっという間に過ぎた。久しぶりに研究が滅茶苦茶面白いし、何というか、一から学び直している、という感覚が強い。大学院生に戻ったようだ。そういう意味では、40才という文字通りの「人生の正午」で、原点回帰の一年になったようだ。
2,ダイアローグを本気で考える
先に触れたフィンランドのオープンダイアローグについて、11月末東京で、ケロプダス病院の医師と看護師を招いた講演会が開かれた。その際の前座で登壇した僕は、「精神病院の中でのオープンダイアローグは、権力関係を問うことなく行うなら、矛盾である」と発言した。そのことについて、「反精神医学だ」とラベリングされたり、「トリエステ主義者がオープンダイアローグを乗っ取ろうとしている」と揶揄されたりもした。なぜ、そんなラベリングをされるのか、が全くわからず、ずいぶんくたびれた。

でも、結局精神医療について本質的な議論をするとき、このような既存の精神医療の構造そのものを問い直すか、現状や病棟の中で出来る可能性を探すのか、が二項対立的に分かれて、その溝が深い、ということを、改めて学んだ。これは、前回のブログでも書いたが、原発や辺野古移設を巡る賛成派と反対派と同じくらい、溝が深い、ということも、よく分かった。これらの問題に関して、「意見の対立を避け、お互いもう少し歩み寄って、相手の立場を理解しよう」という形でアプローチすると、どちらかに取り込まれるか、激しい反発を食らうか、という二項対立図式から逃れられないことも見えてきた。

ではどうしたらよいのか。まだ完全なる解法は見えていない。だが、12月にトリエステのバザーリアセミナーで伺ったTrialogueというアプローチが、一つのヒントになるのかもしれない。ダイアローグが二者の対話だとするなら、トライアローグは三者の対話。精神病院で言うなら、本人と家族と支援者が、対等な立場で話をする、ということ。これは治療ではなく、お互いの理解を深める為の対話で、病院でも患者の家でもない、公共の施設などで行う、という。オープンダイアローグが治療関係のパラダイムシフトだとするならば、トライアローグはその前提というか、互いの認識や価値観の違いを認め合う基盤作りだ、と、この考え方を提唱したウィーンの精神科医、アメリングさんは述べていた。

異なる価値前提の人々が、お互いを糾弾し合うことなく、自分の価値前提を見つめ直し、相手の価値前提を学び、その中から「ともに」考え合い、別のアプローチを協働して作り上げていく。これって、自立支援協議会や地域ケア会議で求められていることでもあり、僕自身が色々な研修の場でも大切にしてきたことである。それらの研修が僕にとってのOJTになって、研修における価値前提の違いを乗り越えるファシリテーションは、それなりに出来るようになってきたのかも、しれない。そして、僕が学んできたこの方法論は、精神病院や入所施設の価値前提を捉え直すためにも有効な方法だ、というのは、頷ける。大切なのは、誰かを責めたり糾弾したりすることなく、でも支配-被支配の関係を超えた場をどのように設定するか、ということである。このようなダイアローグの場を作り上げることが出来るか、は、来年に向けた宿題でもある、と書きながら感じた。
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3,出張と座談を繰り返す
9月以後、大きく僕の中で認知転換を果たしていったが、そもそも今年は出張や様々な人との座談・議論の場が多かった。グーグルカレンダーで振り返ってみると、主なものだけでも、こんな感じ。
海外出張:ニューヨーク(2月)、香港(6月)、フィンランドとイタリア(9月)、イタリア(12月)
国内出張:岡山(7回)、大阪(4回)、三重(4回)、大槌・釜石(2回)、その他日帰りでの東京出張多数、一回の講演・研修会もあちこちで
思えばニューヨークのエンパワメントセンターで議論をしていたのも、まさにリカバリーの話だったし、香港のソーシャルワーカーの集会では、いかにしてソーシャルアクションに関わる事が出来るか、を議論し合っていた。この時、まさか2ヶ月後の日本で、雨傘革命やジャスミン革命にも似た、SEALDSやママの会などのソーシャルアクションが自然発生するとは思いも寄らなかった。国内に目を向けると、岡山には毎月のように通い、「無理しない地域づくりの学校」の校長役を務めながら、尾野「教頭」や西村「用務員」だけでなく、オモロイ岡山の人々から多くを学び、旨い酒と肴に舌鼓を打ち続けた。大槌や釜石での半年に一度の地域づくりのお手伝いも板についてきたし、三重では相談支援体制の底上げが少しずつ果たされ始めていると実感する。大阪に戻ると、いつものように「議論の続き」が待ち構えている。
そういう意味では、忙殺されながらも、去年よりも一段と学びを深め、インプットし、吸収することが多い一年だったのかも知れない。
そうそう、3月末には編著『自分たちで創る現場を変える地域包括ケアシステム』(ミネルヴァ書房)も上梓し、地域包括ケアについて取り組んできた成果を少しは形に変える事も出来た。
さて、来年はどんなオモロイことが展開出来るか。今から楽しみである。
ついでに言えば、山登りは念願だった北岳・間ノ岳・農鳥岳の白峰三山は制覇出来たが、山登りの回数自体は激減。合気道もじっくり腰を据えて稽古できなかった。その代わりに、ランニングシューズも買って、出張先で観光ランニングをする、というI先生の得意技を真似始め、茨城や京都、岡山やケミ、トリエステで走っている。来年は、もう少しこちらの方面にもエネルギーを注ぎたいが、果たしてどうなりますやら。
みなさん、よいお年をお迎えください。
たけばたひろし

対立を超える対話に向けて

原発や沖縄米軍基地、あるいは精神病院に関して、「それは必要だ」という人と、「それはいらない」という人々は、今の日本社会で大きく対立している。そして、こう対立して固着することが、疾病利益的に良い、と思う人々も、残念ながら存在するようだ。

さて、この問題をどう考えたらよいか。そう思っていた時に、3年前に書いた拙著をめくってみて、びっくり。その解決のヒントになるようなことを、当時の僕は書いていた。現時点で、自分が考え進めるためのヒントとして、当該部分を備忘録的に掲載しておきたい。
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言語哲学者のオースティンは、陳述文の中には、単に生起した事実・出来事について記述する「事実確認的発言」だけでなく、「行為遂行的発言」と命名される、別形態の発言がある、という。
「行為遂行的」という名称は、「行為」(action)という名詞と共に普通に用いられる動詞「遂行する」(perform)から派生されたものである。したがって、この名称を用いる意図は、発言を行うことがとりもなおさず、何らかの行為を遂行することであり、それは単に何ごとかを言うというだけのこととは考えられないということを明示することである。(オースティン一九七八、一二頁)
(略)
「原発」を推進する側の論理として、「代替エネルギーの安定的供給には、まだまだ時間がかかる」「原子力発電所の存在がある種の核抑止力になる」「安価な電気を安定的に供給する為には必要不可欠だ」「高度な原子力技術を持ち続ける事で、世界のリーダー的存在になれる」と言った価値前提がある。あるいは、「沖縄の米軍基地」を容認する側の論理として、「日米同盟での戦略的重要性がある」「北朝鮮や中国の潜在的脅威から日本を護るために必要不可欠だ」という価値前提がある。だが、これらも事実確認的言説に見えて、行為遂行的言説に過ぎない。本当に「原発」や「米軍基地」が必要かどうか、は、無くしてみないとわからないのである。だが、推進側にはその存在が「正しい」という立場に拘泥され、「原発」や「米軍基地」がゼロになった場合の電力供給や安全保障に関する具体的なシナリオが描けない。その代わり、これまで「出来ない一〇〇の理由」を必死になって構築してきた。原発災害は、事実確認的言説と行為遂行的言説の取り違えがもたらした惨事でもあった。
だが一方で、反「原発」や反「沖縄米軍基地」運動も、「出来る一つの方法論」を具体的に提示できていただろうか。他国で原発や米軍基地を無くした事例などを論拠としても、反・非「○○」は「正しい」という価値前提に基づく行為遂行的言説を事実確認的言説と取り違えて発言していれば、「正しさ」を巡る互いの綱引きの段階を超える事が出来ず、「泥仕合」になってしまう。両者が「説得」モードで互いを批判しても、お互いが「納得」できない限り、「地すべり的移行」は起きない。
では、どうすればよいのか。まず、お互いの推進・反対の論拠となる価値前提の違いをハッキリとさせる必要がある。どのような背景や思惑、不安等があって、推進・反対の論拠が構築されて来たか、について、お互いの立場を超えて学ぶ必要がある。そのことを精神科医の名越康文は次のように述べている。
「福島第一原発の事故後、原発反対派と原発推進派がすごく対立していますが、その対話は、多くの場合、不毛なものに終わっているように見えます。反対派が推進派と話すときには、相手の中に自分と同じ要素を見つけつつ、自分の中に原発推進賛成派の人の論旨を見出すような営為がなければ、その議論は避けがたく不毛なものになってしまうでしょう。」(名越二〇一二、一九八頁)
この発言は、横塚の「重症児を自分とは別の生物とみるか、自分の仲間である人間とみるか(その中に自分をみつけるのか)の分かれ目である」という論理と通底する。「自分とは別の生物とみる」ならば、それは「反―対話」でしかない。「相手の中に自分と同じ要素を見つける」、つまり相手の意見の「中に自分を見つける」ことが出来ないと、対話は始まらないのだ。
例えばあなたは原発反対派であるとしよう。原発推進派という自分とは真逆の意見を持つ人が、どのような価値前提と内在的論理に基づいて、そのような推進・賛成の見解を構築したのか。それを、批判や糾弾という審判的・評価的態度で決めつけるのではなく、虚心坦懐に「自分の中に原発推進賛成派の人の論旨を見出すような営為」をすることが出来るか。意見(論理)も感情も大きく対立する問題に関しては、その感情的嫌悪感の波に呑まれやすい。だが、一方的で「反―対話」的な「説得」「恫喝」「糾弾」ではなく、対話の中から両者の「納得」を探るためには、まず自らと相手の立場に関する「枠組み外し」を徹底的に行う中で、膠着状態での安定の基盤にある「一次的存在論的安定」そのものを問い直す必要がある。
さらに言えば、「原発」や「沖縄米軍基地」問題は、国論が二分した状態で、何十年も「一次的存在論的安定」状態が続いている。その悪循環構造がなぜ止まらないのか、何が構造的制約なのか、についても考える必要がある。この悪循環構造が解決しないことは、誰にとって、何のメリットがあるのか。つまり、この構造の背後にある「世界の定立」とは何か、についても考える必要がある。最近では、その「世界の定立」に関して、アメリカの思惑という補助線を引くことにより、日本がアメリカの属国状態に置かれる事を「世界の定立」とする事によって、第二次大戦後の復興と経済的繁栄を勝ち取ってきた、その代償としての「原発」であり「沖縄米軍基地」である、とする言説が見え始めている(例えば吉見二〇一二、孫崎二〇一二)。
「原発」や「沖縄の米軍基地」についても、「どうせ」「しかたない」「無理だ」という言説は、明らかに宿命論的呪縛そのもののである。一方で、ただ反・非「○○」と唱えているだけでは、表面的な対立という悪循環構造から抜けられない。この表面的対立構造を超えて、「構造的制約」や「世界の定立」そのものに向き合う事を通じて、「○○」であり続けることにより、どのような「自分の権利を獲得」する機会を失っているのか、を理解する事が可能になる。この視点を持つと、事実と価値を取り違える失敗を繰り返さなくてもよくなる。
「『蓋』の上の人格」に気づき、蓋を開け、箱の外に出ようとすること。これはこれまで自らが「正しい(客観的な)世界観」と思い込んでいた価値前提に対して「正解幻想」というラベルを貼り直し、「枠組み外し」を行う事である。その中で、支配的言説(=ドミナントストーリー)を単に否定する(Aに対して非Aを対置させる)のではなく、その信念対立の前提についての現象学的還元を続け、「世界の定立」を問い直し、ドミナントストーリーを「非中心化」することによって「脱実体化」させる、という「地すべり的変容」に持ち込むことでもある。このような「枠組み外し」のプロセスに自ら一歩踏み出すことによって、「蓋」の「下」に潜む「真の<明晰>」に出会い、「生き方を解き放つ」ことが出来る。このプロセス全体が、「その循環のプロセスを含む循環性を認識すること」を通じて、「『みずからがいま書きつつあるメカニズムそのもの』を対象化しうるエクリチュール」を体得する、という「学習過程」そのものでもある、と言えるだろう。
そして、このようなプロセスを体感できる人こそ、「問題の一部は自分自身」であることに気づき、「反-対話」の論理を超え、自らのコミュニケーションシステムの不全感をまず変えようとする「対話」の論理を身につける事が出来る。そして、このような真の「対話」の論理の中から、「出現する未来」を導き出す事が出来る。

専門性を脇に置く勇気

僕の師匠、大熊一夫氏に教わった大切なことの一つに、「わからないことを、『わかったふり』しない」という格言がある。僕自身、小さい頃から「知ったがぶり」をして、それで周囲から尊敬されたい、と高望みするガキだったので、師匠のこの姿勢には、すごくビックリした。知識人自らが「わかりません」と口にして良いのか、と驚いた。でも、大人になればなるほど、その姿勢がどれほど大切であり、かつ実践するのが難しいのか、を痛感するようになった。そんなことを思い出させてくれた本と、先週末出会った。

「私たちが未知を恐れる理由のひとつは、自分自身と向き合わざるを得なくなり、自分の弱さ、不完全さをつきつけられるからだ。」「肩書きや役割は、すっぽり身を包むマントのようなものだ。私たちはその中に隠れて、知らないことによって脆弱になるのを避ける。」「人は、知らないという内面的体験と、有能という印象を維持したい外面的問題とのあいだで、葛藤を感じる。」(『「無知」の技法 not-knowing』デスーザ&レナー著、日本実業出版社、p108-109)
そう、社会人や職業人として、「肩書きや役割」を持つと、その「すっぽり身を包むマント」に依存する。いや、そのマントと共依存の関係に陥るのかもしれない。その肩書きを護る為に、という名目で、「知らない」という「脆弱」性から逃げようとするし、また「専門家が言うから」とそのマントが「隠れ蓑」の役割を果たしてくれる。そのことにより、「有能という印象を維持したい外面的問題」を護ることが出来、「知らないという内面的問題」から逃げる事が出来る。それは、確かに言われてみれば、「自分自身と向き合」うことからの逃避、つまりは「葛藤」の回避そのものである。
そういえば、東大話法で有名な安冨歩先生は、それを「立場主義」と命名した。「立場を守るためなら、何をしてもよい」という立場主義のテーゼは、結局「知らないと言う内面的体験」を抑圧し、その葛藤をなかった事にすることによって、「脆弱性」や「不完全さ」を棚上げするのである。だから、「想定外」の事態に直面した時に、全く役立たない思考となる。僕自身は、以前のブログにも書いたが、タケバタヒロシという実存と、「准教授」という肩書きの間でずいぶんの差異を感じ、苦しんでいたが、でもその「葛藤」を何とか抑圧せずに保ち続け、危機を乗り越えられたのも、思えば師匠の教えに従っていたからかもしれない。
そして、この『「無知」の技法』は、「わからない」「知らない」ことを、ポジティブな可能性に置き換える点が、非常に魅力的である。
「『知らない』を『ない』でとらえるのをやめ、そこには機会と可能性が『ある』ととらえなければならない。」(p134)
こないだから書いているオープン・ダイアローグの話を聞いた時にも、この視点の転換が必要不可欠だと感じた。例えばクライシスの状態にある人と出会うとき、多くの専門家は、「この人はどのような症状であり、診断名は何だろう?」と「見立て」ながら聞くという。でも、ケロプダス病院の看護師や臨床心理士は、口を揃えて、「ただ聞く」ことの重要性を指摘する。こちらが診断名やカテゴリーわけをしたい、という「予断」を持って聞くと、患者さんの生きる苦悩の最大化の危機、という問題の本質を見失い、大切な事を聞き逃す、というのだ。
とはいえ、多くの専門家にとって、診断名という見立てを適用せずに、「ただ聞く」ことは、専門性の否定であり、不安に思うかも知れない。でも、それはこの本が言うように、専門性の否定ではないのだ。専門性を脇に置くことで、「知らない」「わからない」という事実と向き合うことで、「そこには機会と可能性が『ある』」のである。これは一体どういうことか。
「不可知の道とは、単なる『ものを知らぬ無知』とは異なる。(略)『知ある無知(learned ignorance)』『愚者の知恵(foolish wisdom)』という意味だ」(p 152)
「知ある無知(learned ignorance)」というフレーズに出会って、なるほど、と思わず膝を打つ。師匠は、確かに単なる「ものを知らぬ無知」ではない。いろいろな事をジャーナリストとして知っている。でも、初めて出会った内容について、安易にわかったフリをせず、自分の知っていること・わかっていること、と対比させながら、その新しい内容について、色々考えながら、一体それがどういうことなのか、を自分自身に照らして考え続けているようだ。その中で、「知らない」「わからない」部分と、これまでの経験や知識と共通する「知っている」「わかっている」部分を腑分けする。その上で、「知らない」「わからない」部分を、そのものとして受け止めて、自分の新たな検討課題として受け取っているのだと感じる。それが、「そこには機会と可能性が『ある』」の意味することなのかもしれない。
オープンな対話、とは、実は「知ある無知」に開かれた対話、と言い換えてもよいのかもしれない。それは、専門性の否定ではないし、反精神医学とも全く違う。そうではなくて、専門家が、ある特定の対象者(や家族)の、一回きりであり非常に個別性の高い「生きる苦悩の最大化の危機」に接した時に、「知らないという内面的体験と、有能という印象を維持したい外面的問題とのあいだで、葛藤を感じる」ことを、否定しない、ということである。むしろ、その「葛藤」にオープンになることによって、「有能という印象」の枠から飛び越えることが出来る。これは、僕が「枠組み外しの旅」の中で、「エクリチュール」という「箱の外に出る勇気」として整理した部分でもある。
専門性が「既知」への固着へと結びつくことがある。その「既知」への固着を超えて、未知の、一回性の新たなにかに対して、文字通りオープンマインドで、「知ある無知」の状態で、「知らない怖さ」を素直に認めながら、その新たな世界に飛び込んでみる。これが、固着を超えた、未分化なsomething new & interestへの向き合い方として大切なのである。
この部分について、イギリスの精神分析医のビオンを引き合いにだしなが
ら、こんなことを著者達は述べている。
「ビオンは、人には『複眼の視点』が必要であると語っている。知っていることと、知らないことに、同時に焦点を置くのだ。」(p190)
シンプルだけど、名言である。
専門家になればなるほど、いやこれは年齢を重ねれば重ねるほど、といった方がよいのかもしれないが、「知っていること」「経験していること」の手垢がいっぱいついて行く。すると、新しい一回性の出会いに関しても、「知っていること」「経験していること」という「既知」の枠組みに当てはめ、ものをみようとする。その方が、思考が節約できるし、判断が速くなる。だが、そうすることによって、単眼思考に陥るのだ。それは、「知らないこと」がもたらす、新たな「機会と可能性」を見落としてしまう、ということである。ここを見落とせば、いつの間にか、「知ある無知」から「もの知らぬ無知」に堕落・劣化してしまう可能性もあるのだ。
「知らない」「わからない」ということは、肩書きや立場の「マント」でかくしている限り、「脆弱性」である。それは、自分自身の「知らない」「わからない」という葛藤の表現を抑圧しているがゆえの、脆弱性である。だが、その「葛藤」をそのものとして引き受け、「知ある無知」のまま、自分自身の目の前で展開されている「知らない」「わからない」世界を、共に探求することができれば、それは葛藤を引き受け、「ない」を「ある」に変える旅に船を一歩漕ぎ出すことにもつながる。そこからしか、「不可知の道」を歩み始めることは出来ない。それが、オープンマインドにつながり、その姿勢がないと、オープンダイアローグは始まらないのではないか、とさえ、思う。
そういえば、この本は、U理論のオットー・シャーマーも推薦しているが、U理論の中でも、「盲点」への気づきが創発につながる、と書かれていた(U理論と盲点については、以前論文を書いたこともある)。その「盲点」=「知らないこと」を「知らない」ものとして素直に認め、その事実を知ることって、葛藤を引き受けるだけでなく、ソクラテスの言う「無知の知」そのものであり、これは知的な営みのαでありΩなのである。
そんな原点回帰の「きほんのき」、を改めて教えてくれる、大切な一冊だった。
追記:不勉強な僕は、この本で初めてビオンさんと出会った。何冊か面白そうな訳本も出てみるので、これも読んでみようと思う。そういう意味では、成果がすごくたくさんありました。

施設病というダブルバインド

【追記的前書き(11月28日):統合失調症の理由がダブルバインドである、というのは、現在の精神医療では棄却されているし、また本論は、「だから母が悪い」という「母源病」に与するものでもありません。ただ、ダブルバインド的コミュニケーションが患者を拘束する、という論理が、施設病における患者の拘束と類同性を持つ、というのが、本論で書きたいことです。この点について、首都大学東京の長沼先生にご教示頂いた事を、記してお礼申し上げます。】

ベイトソンの提唱した有名なダブルバインド(二重拘束)概念。その原著を紐解くと、こんなふうに書かれている。

「母との絆を保つためには、彼女に愛を示してはならない。しかし愛を示さなければ母を失う。-これが患者を捕らえた解決不能のジレンマである。」(ベイトソン『精神の生態学』新思索社、p308)
入院患者の元に、母が見舞いに訪れた。「お母さん、来てくれたんだ」と抱きつこうとしたら、母がスッと身を引いた。「なんだ、お母さんは結局僕を好きじゃないんだ」と後ずさりすると、それを見破られたくない・自己正当化したい母は、「どうしたの、そんなに怖じ気づいて!」と説教をする。すると、子どもは「彼女に愛を示してはならない」という身体表現上のメッセージと、「愛を示さなければ母を失う」という言語メッセージの矛盾に引き裂かれ、そこで宙吊り状態になってしまう。これが「患者を捕らえた解決不能のジレンマ」である。ベイトソンは、なぜこのような現象が生じるのか、について、次の様に述べている。
「ダブルバインディングなコミュニケーション状況は、母親の心の保全にとってきわめて重要なものである。ということはつまり(論理的にいって)それが家族のホメオスタシスにとって必須のものだということだ。そうだとすれば、治療が次第に効果を発揮し、子どもが母親の制御を振り切って次第に独り立ちしていくにつれて、子どもを制御することに依存していた母親の心のバランスを失していくことが観察されるだろう。自分と子供との関係の力学を医師から説明されるというだけでも、母親は大きな不安を喚起されるはずである。(略)治療中の患者が家族と持続的な接触をもつ場合(特に家から通院する場合)、母親に-時として母親、父親、兄弟姉妹の全員に-しばしば激しい動揺と混乱のようすがみとめられた。」(p311)
簡単に言えば、ダブルバインドは、この場合で言えば「母親の面子とプライド」を護るために必要不可欠な要素である。自己欺瞞を隠蔽するためには、自分が悪いのではなく、「子供が病気だから」というラベルを、自分と子供、だけでなく、その家族全体が「鵜呑みにする」ことが求められる。「それが家族のホメオスタシスにとって必須のものだ」ともベイトソンは言い切る。このホメオスタシスは「恒常性」という日本語訳がついているが、ベイトソンはこの恒常性について「家族間の相互関係の(この場合歪んだ)バランス」と書いている。歪んだバランスであれ、家族間の相互関係が保たれて居る場合、子供がその矛盾に気づき、そこから脱しようとするならば、母親にとってそれは「自分と子供との関係の力学」の変化の可能性に映る。これは、母親だけでなく、歪んだ仮の安定に依拠している父親や家族全員にとっても「大きな不安を喚起」する可能性が高い。だからこそ、この矛盾と向き合おうとすれば、「しばしば激しい動揺と混乱のようすがみとめられた」のである。
はっきり言えば、家族も本人も、混乱する、という危機である。その際、治療者や治療チームはどちらの方向に向こうとするか、で、「その後」は大きく変わる。簡単に言えば、①患者本人の問題に矮小化して、矛盾を「本人の問題」と切り分ける、か、②その矛盾を社会ネットワーク全体の問題とみた上で、その関係性の不全に踏み込むか、の二つのアプローチが考えられる。
ベイトソンは、前者の①「本人の問題」と切り分ける、ことに関連して、次の様にも述べている。
「サイコセラピーの場でも、病院内の環境でも、ダブルバインド状況は生み出されるということ。われわれの仮説からすると、病院側の患者側に対する”善意”が、はたして患者のためになるものかどうか疑問視せざるをえない。病院は患者のために存在するのと同様に-同程度に、あるいはそれ以上に-病院のスタッフのためにも存在するのだから、そこで『患者のため』という名目で、職員の居心地を一層良くすることを目的とする活動が続けられる時には、矛盾も生じるだろう。病院側の目的に添うように組織された制度を、『患者のため』と宣告することは、患者にとっての分裂症的状況を永続化していくことにほかならないとわれわれは考える。」(p315)
「あなたのために」と言いながら、そう発言する「私」にとっての「居心地を一層良くする事を目的とする活動が続けられる」。この構造は、先の母と息子の関係と同じだ。これは、母と子という1:1の関係だけでなく、病院・入所施設職員と患者という集団的な関係でも同じだ、とベイトソンは言う。「あなたのために療養や入所が必要です」と述べていても、その現実は、「あなたが入院(入所)してくれているから、うちの病院の経営は成り立つのです」という論理で支えられているのであれば、これは「病院は患者のために存在するのと同様に-同程度に、あるいはそれ以上に-病院のスタッフのためにも存在する」という事態そのものである。そして、残念ながらこの事態は、ベイトソンがこの論文を発表した1956年から60年近く経った今も、全く変わっていない。以前、病棟転換型施設問題についてシノドスに書いた時に引用した、病院長の発言を再び引用する。
「千葉潜委員(青仁会青南病院院長)は、長期入院している精神障害者をグループホームに移行させた場合、赤字経営を強いられる可能性が高いとする試算を紹介。それでもあえて入院患者の地域移行を進める病院は、精神医療の改革を意識した良質な病院であるとし、『そうした病院が病床を減らしても食べていけるような裏付けがなければ、長期入院する精神障害者の地域移行は進まない』と訴えた。」
これは、矛盾の表出例のサンプルとして、大変わかりやすいものである。病院は、精神科であれ内科であれ、公式には「患者の治療の為」に存在する。ということは、治療が終われば、退院してもらうのが当たり前である。だが、一方で「病院は患者のために存在するのと同様に-同程度に、あるいはそれ以上に-病院のスタッフのためにも存在する」。だからこそ、「そうした病院が病床を減らしても食べていけるような裏付けがなければ、長期入院する精神障害者の地域移行は進まない」、つまりは「病院のスタッフ」「の居心地を一層良くすること」が「裏付け」されない限り、「長期入院する精神障害者」は退院させられない、というのである。これは、病院の公式な目的と、病院の本音との明かな矛盾である。
そして恐ろしいことに、医者は診断名を武器に「あなたはまだ病気が消失していないから(保護者の同意がないから、一人で生活する力がないから、刺激に耐えられそうにないから・・・○○だから)退院出来ない」と宣言することができる。これは、自己欺瞞をしている母親が、その欺瞞の隠蔽工作を計り、矛盾を入院している息子に押しつける構図と全く同じである。本来であれば、この自己欺瞞こそが、息子のダブルバインド状況を作り出している。この場合であれば、「入院する必然性」がなくなったら、即時退院させるのが当たり前である。だが、それが出来ずに、長期間入院させていることで、患者が病院側にとって「固定資産」になっている。それを維持することが、「職員の居心地を一層良くする」がゆえに、安易に退院を言えない。すると、患者も「ここしかないのか」と矛盾を自分の中に治めてしまう。
僕は、大学院生のころ、NPO大坂精神医療人権センターのボランティアとして、精神病院を沢山訪問して来たが、そこで「退院意欲のない」とラベルを貼られている患者さんに沢山出会ってきた。だが、その後「施設病」という言葉を知り、入所施設や病院が、そこから退院・退所出来ない構造を作り出している事にも気づき、そのことは『権利擁護が支援を変える』の中にも書いた。だが、もう一歩進めるならば、「施設病」に陥っている入院・入所者は、ダブルバインドの「矛盾」、その施設なり病院に住み続けることが、家族や施設・病院職員にとっての「居心地を一層良くする」ということが本音にあって、その「本音」と、「早く治ってほしい」「しっかりと生活してほしい」という建前の矛盾に苦しんで、生きる意欲が喪失し、施設や病院での暮らしに唯々諾々として従っていくのではないか。その「矛盾」を病気や障害のせいにすることによって、「患者にとっての分裂症的状況を永続化していくことにほかならない」のではないか。そう感じはじめている。
だからこそ、気になることがある。
例えば、オープンダイアローグ。
オープンダイアローグは、ブログでも何度か紹介しているが、②その矛盾を社会ネットワーク全体の問題とみた上で、その関係性の不全に踏み込む、アプローチである。決して、①患者本人の問題に矮小化して、矛盾を「本人の問題」と切り分ける、ことではない。だが、日本でこれが広まっていくとき、
「精神病院の中でのオープンダイアローグ」
という、笑うに笑えない「矛盾」が生じる危険性がある、と感じている。なぜ、病院の中でのオープンダイアローグが笑止千万なのか。ここまで読んで下さった方々はもうお気づきかもしれないが、長期入院患者や長期入所者は、ダブルバインド的な矛盾を一人で受け止めるように、構造的に追い込まれている。その中で一生暮らす事を選択するように、暗黙の内に強いられている。「お母さんは嘘つきだ」という自己欺瞞の告発を息子が出来ないのと同じように、「この施設・病院の存在そのものが自己欺瞞だ」と言えない状況に追い込まれている。しかも、職員-患者という権力関係によって、発言に蓋がされている。その前提の中で、「さぁ、自由に語りましょう」と言うこと自体が、お笑いというか、自己欺瞞なのだ。
本当に精神病院の中でオープンダイアローグをしようとするなら、「その矛盾を社会ネットワーク全体の問題とみた上で、その関係性の不全に踏み込む」なら、精神病院という構造の「矛盾」をも、自由に話すことが出来なければならない。
「あたなは寛解しています。地域に出る事だって、出来ます。でも病院の経営上(食べていくために)、あなたはここに居てもらわなければならないので、退院は出来ていません」
という「矛盾」を相手に伝えた上で、その「矛盾」をどう解消していくか、医療者と患者が共に考えること。これが、精神病院の中でのオープンダイアローグである。これは、言うは易く行うは難し、である。というのも、医療者側が、自己欺瞞とまず向き合う必要があり、当然、先の母親と同様「激しい動揺と混乱のようす」を見せる可能性がある。つまり、本気で「矛盾」と向き合う事は、病院や入所施設内の「相互関係の歪んだバランス」というホメオスタシスを大きく揺るがす事態につながる。それは、「入所・入院者を制御することに依存していた支援者・医療者の心のバランスを失していくこと」にも直結しかねない。だからこそ、地域移行や脱施設は、本人とではなく支援者・医療者のホメオスタシスを崩す事であり、「激しい動揺と混乱」を引き起こすことが容易に想像出来るため、施設や病院側は尻込みするのである。そして、入所・入院する本人はその「矛盾」を貝のように固く閉ざして引き受けるのである。この矛盾の貝殻を本気でこじ開けるつもりが無い限り、「精神病院の中でのオープンダイアローグ」は、「病院内でのSST」と同様、擬似的効果しか発揮しない可能性がある。
そして、ここまで書いていて思いだしたのだが、実はイタリアのトリエステでは、本気で病院内でのオープンダイアローグをしたのである。それが、「アッセンブレア」である。そのことは、雑誌「福祉労働」にも書き、一部はブログにも書いたことがある。精神病院の中で開かれた、誰でも参加や発言が可能な討論集会。そのアッセンブレアは、こんな様子だったという。
「イタリアのアッセンブレアとは、衝突のステージであった。というのも、ベッドや閉鎖病棟に隔離拘束されていないとしても、長年沈黙してきた人々による表現であったからだ。アメリカやイギリスの治療共同体とは違って、アッセンブレアは精神力道的な解釈や治療プロセスへの第一義的関心は避けられていた。つまり、そのミーティングは、スタッフによって運営も誘導もされなかったのである。実際、これらの集まりはまとまりもなく、コントロール不能で、怒りや熱情、無秩序に開かれていた。そこは、他人との関係の、あるいは自分自身の精神的な問題について控えめな表出をするための安全な場所以外の何物でもなかった。」(Scheper-Hughes, Nancy and Anne M. Lovell eds., 1988, Psychiatry Inside Out: Selected Writings of Franco Basaglia New York: Columbia University Press.14-15)
「怒りや熱情、無秩序に開かれていた」環境であり、「スタッフによって誘導」されなかったからこそ、「長年沈黙してきた人々による表現」が可能になった。これまで入院する中で自分が抱え込んできた「他人との関係の、あるいは自分自身の精神的な問題」という「矛盾」を、そのものとして話すことが出来る場だったのである。このアッセンブレアを提唱したバザーリアは、こんな風にも言っている。
「医師と患者の間の、看護師と患者の間の、そして医師と看護師の間の矛盾の表現の中にこそ、新しい可能性や新しい役割が生まれるであろう。私たちの仕事の治療的な側面とは、矛盾についてのこの対話的実践である。このような矛盾は無視されたり隠されたりすることなく対話的に直面される時、そしてスケープゴートを探す技術が、『しかたない』と受け入れられる代わりに対話的に議論される時、コミュニティは治療的だと呼ばれるのだろう。」(同上、p75)
オープンダイアローグによって、医師と患者の間の、看護師と患者の間の、そして医師と看護師の間の矛盾」が明らかになってこそ初めて、精神病院の中での「対話」には「新しい可能性や新しい役割が生まれる」。「矛盾についてのこの対話的実践」を「治療」として、精神病院のスタッフが踏み出すことが出来るか、が大きく問われている。精神病院が「食べていくために」患者を収容している。図らずも精神病院のオーナーが述べたこの矛盾をそのものとして認めた上で、「矛盾は無視されたり隠されたりすることなく対話的に直面される時、そしてスケープゴートを探す技術が、『しかたない』と受け入れられる代わりに対話的に議論される時、コミュニティは治療的だと呼ばれるのだろう」。
ここまでの覚悟を持って、「精神病院の中でのオープンダイアローグ」が進むのか。それは、ダブルバインドを「施設症」的に隠蔽するか、病院構造の力学を根本的に変化させるために用いるのか、の分かれ目でもある。

必然性という囚われからの自由

フランスの社会学の大家、ブルデューの翻訳者でもあり、ブルデューと個人的親交を深めておられた加藤晴久氏によるブルデュー論が、すごく面白かった。ブルデューの足跡をたどれるだけでなく、彼の社会学の価値前提のようなものまで、学ぶことができた。たとえば、ブルデューの肉声を伝えるこんなフレーズ。

「わたしが必然性というものをこれほど鋭く知覚するのはたぶん、わたしが必然性を何にもまして耐えがたいものと思うからです。貧しい人であれ富んだ人であれ、誰かが必然性にとらわれているのを見ると、わたし個人として、みずからのこととして苦しく思います。」(加藤晴久『ブルデュー 闘う知識人』講談社選書メチエ、p181)
この部分は、すごく深く頷いて共感する。僕自身が3年前に「枠組み外し旅」を上梓するきっかけになったのも、「どうせ」「しかたない」といった「必然性へのとらわれ」に対して、「みずからのこととして苦しく思」ったからだ。それは、同書の冒頭にも書いている。
「「どうせ」「しかたない」というフレーズは、自らの潜在能力の最大化にとって最大の「蓋」であり、「呪縛」の言葉である。「どうせ」「しかたない」と述べることで、自分の、社会の、世界の変容可能性を拒絶し、旧来の世界に閉じこもることを容認している。」(竹端寛『枠組み外しの旅-「個性化」が変える福祉社会』青灯社、p15)
僕自身が問いかけた、この「どうせ」「しかたない」という認識論的な「必然性」という枠組みに対する問いを、ブルデューは自分事として問いかけ、僕よりもずっと前から問い続けてきた。
「社会学はわれわれが演じているゲームを理解するチャンス、そしてわれわれが生きている界に作用する諸力の影響とわれわれの内部で作用する身体化された社会学的諸力の影響を縮小するチャンスを与えてくれます。」(加藤、同上、p180)
そう、「どうせ」「しかなたい」と、世の中で起こる事を「必然性」でとらえると、それに従うしかない。でも、なぜ「どうせ」「しかたない」のか、変わることは出来ないのか、という構造を問い続ける中で、「どうせ」「しかたない」と諦めているこの社会の「ゲームを理解する」ことが可能になる。そのゲームの構造やルールを意識的に理解することを通じて、「われわれが生きている界に作用する諸力の影響とわれわれの内部で作用する身体化された社会学的諸力の影響」を自覚化することが出来る。これが、「どうせ」「しかたない」という「呪縛」を解き放ち、脱魔術化し、「蓋」を外して新たに社会をとらえ直す上で、必要不可欠なのだ。加藤さんは、上記二つのブルデューの言葉を引用したあと、こんな風にも整理している。
「今ある社会秩序を人々が疑うことなく、むしろ進んで受け容れているという事態を昔から不思議に思ってきた。人々が抱いている、とらわれているこのドクサ(臆信)がパラドクス(背理)であることを明らかにすること、歴史が自然に、文化的恣意や自然的恣意に変換されてしまう過程を分解することが社会学の仕事だという訳である。」(p185)
加藤さんは本来フランス文学者だが、中途半端な社会学者より、遙かにわかりやすく社会学の仕事を定義する。前回のブログにも書いたが、精神医療における「合理化」とは、「文化的恣意や自然的恣意に変換されてしまう過程」であった。それが、DSMやGAFという分類体系によって正当化される過程であった。だが、正当化や合理化のプロセスは「ドクサ(臆信)」への「とらわれ」であること、「合理性」を重んじる科学の中で「合理化」が行われることは「パラドクス(背理)」であること、は、精神医療という「界」の構造を分析すべき、社会学者の仕事なのである。他人事ではない、僕自身もそれをちゃんと自覚化して、必要な仕事をしなければならない、と感じ始めている。
「界で進行する諸闘争はその界の特性をなす正当な暴力(界固有の権威)の独占をめざすたたかいなのです。終局的には、界固有の資本の分布構造を保守するか転覆するかの闘争なのです。」(p226)
以前のブログでご紹介したオープンダイアローグやトリエステ方式は、日本に伝えられると換骨奪胎される恐れがある。それは、日本の伝統的な精神医療の「界固有の資本の分布構造を保守」したい勢力は、その「転覆」の可能性のある価値前提を去勢し、技法論に矮小化して、伝統的なヒエラルキーの下部構造に位置づけたいからである。リカバリーやピアサポートも、そのような諸闘争の中で、「医師の指示の下で」「病院の中でも出来る」技法に矮小化された部分もある。だが、オープンダイアローグやトリエステ方式が本来問い直しているのは、技法ではなく、価値前提である。医師を頂点とした垂直型構造が、患者の治癒には有効ではない、という価値前提に立ち、治療構造を水平的関係に変えていこう、というパラダイムシフトである。これは、「あたなのために」から「あなたとともに」へのパラダイムシフトである。そして、それをすると、伝統的な精神医療だけでなく医師「固有の権威の独占」が出来なくなるため、これらの新しい価値前提は、技法論に矮小化される「闘争」にさらされている。
そして、社会学者の僕は、精神医療の科学の言葉で語られる背後にある、このような「固有の資本の分布構造を保守するか転覆するかの闘争」を、精神医療という「通常科学」の言葉で「合理化」してわかった気にならず、「精神医療の社会学」として、その「合理性」を分析していく必要があるのだ、と思い始めている。
「すべての支配関係の根源には『恣意性』がある。この恣意性を無意識の領域に抑圧し、支配関係を当然のこと、自然なこと、普遍にもとづくものとして受け入れさせるためには、支配者側が体現する世界観、見方、分け方原理を正当なものと受け入れさせる必要がある。つまり社会関係は力関係の場であると同時に意味の場でもある。支配の現実である力関係を隠蔽し、正当なものとして受け入れさせる象徴的権力、これがブルデューの言う象徴的暴力である。」(p233)
日本の精神医療の現場で今も続く精神病院への隔離拘束とは、「支配の現実である力関係を隠蔽し、正当なものとして受け入れさせる象徴的権力」が機能している実態である。日本の精神医療には「象徴的暴力」が働いている。この「象徴的暴力」の「正当化」論理を疑い、どのような「恣意性」が働いているのか、を問い直すことは、実はイタリアでは、フランコ・バザーリアが40年以上前に実践していたのであった。
「医師も看護師も患者も、この新しくて、改良された、「良い」施設を創り上げるのに貢献している全ての人が、自分自身が創り上げた牢獄に閉じ込められている事に気付くかもしれない。自分たちが影響を及ぼしたと考える現実から疎外されていることや、最も明らかな欠点をふさぎ、より大きな欠点をもたらすことになるシステムに再統合されるのを待っている、ということに。唯一の可能性とは、患者が自分自身の歴史が、常に虐待や暴力の歴史と繋がっていると主張する事であり、その虐待や暴力の起源をはっきりと覚えておくことである。」(Scheper-Hughes, Nancy and Anne M. Lovell eds., 1988, Psychiatry Inside Out: Selected Writings of Franco Basaglia New York: Columbia University Press. pp84)
「自分自身が創り上げた牢獄に閉じ込められている」とは、精神医療の象徴的暴力への無自覚な従順であり、それを「必然性」「どうせ」「しかたない」と受け容れることである。これは「ドクサ(臆信)」への盲信・猛進である。だが、自分たちの医療行為が、「虐待や暴力の歴史と繋がっている」と「はっきりと覚えておくこと」によって、「支配の現実である力関係を隠蔽」せずに、自覚化することができる。バザーリアが民主精神医療(psichiatria democratica)を主張したのは、このような「象徴的暴力」の自覚化と、そこからの脱出を目指したから、とも言える。
ブルデューのような仕事が出来る自信はないが、精神医療における「必然性」への囚われから自由になるために、研究者が出来ることは、このような社会学的分析なのかもしれない。改めて、そう感じた一冊であった。

了解不可能性を超える複雑性

先週末、イタリアのトリエステ精神保健局長であるロベルト・メッツィーナさんのセミナーに出かけた。精神科医やコメディカルを主な対象としたセミナーで、濃厚な議論が展開された。その中で、精神病院に頼らず、地域で支え続ける人材を養成するにはどうしたらよいか、という質問に、メッツィーナさんは次の様に答えていた。

「フランスのエドガー・モランという複雑性思考の哲学者の言うように、還元主義に基づかず、複雑性に対処するトレーニングは理論のレベルではすこしは出来る。だがこれは理論的抽象的な話。真のガイドは、目の前にいる具体的な人。その利用者本人の自分の持っている苦しみに与える意味が、治癒への道筋を指し示す。それは人によって違うし、治癒の道も全く違う。具体的に目の前にいるその人が導いてくれるし、それしか複雑性に対処できないが、それが最もよい対処の方法である。」
この話を聞きながら、頭に何か微弱な電流が走った。モランって・・・家に帰って書棚をみたら、やっぱり読んだ事のあるモランだった。5年ほど前、複雑系の本を貪るように読んでいた頃は、それが何につながるのか、さっぱり理解していなかった。でも、昨日読み返してみて、精神医療の変革に必要不可欠である、と改めて気づかされた。
「精神の現代的病理は、現実の複雑性にたいして人間を盲目にしてしまう超-単純化のなかにある。」(エドガール・モラン『複雑性とはなにか』国文社、p25)
例えば診断名も、「超-単純化」の一つとは、いえないだろうか。統合失調症の○○型、とラベルを貼ることで、ある程度の「見立て」はすることが出来る。だが、そのラベルを貼られた人が、そういう状態に至るまでの生きる苦悩という「現実の複雑性」に対して、ラベルを貼れば「盲目」になり、ラベルから見える問題のみに焦点が当てられる、という意味で、「超-単純化」の「病理」に陥っているのではないか、という指摘である。そして、モランはこのような「超-単純化」とは、「合理性」ではなく、「合理化」である、という。
「合理化とは、ある一貫したシステムのなかに現実を閉じ込めようと欲することである。そして現実のなかでこの一貫したシステムに逆らうものはすべて退けられ、忘却され、脇におかれ、錯覚ないしただの見かけであるとみなされてしまう。」(同上、p104)
この合理化の話は、ちょうどメッツィーナさんとの質疑応答の部分で焦点化されていた。質問したのは、以前トリエステ研修でご一緒した精神科医のFさん。こんなことを聞いていた。
「ある患者さんが、治療契約の場面では『錯乱時には○○してほしい』といっていても、実際にその状態になったら違う事を口にしたり、以前言った事を忘れてしまったりする。あるいは、急性期を過ぎたあとにそのことを指摘しても、『覚えていない』という。こういう人の『主体性』をどう支援すれば良いのか」
これに対して、メッツィーナさんは非常にわかりやすくこう答えた。
「あなたは、主体性を限定的に捉えていませんか? 主体性とは、デカルト以来の論理実証主義的な言語で表現されるものだけでしょうか? 理性的ではない、非言語の表現も含めたものの中に、主体性が表現されていることはないでしょうか? 忘れてしまったり、覚えていない、あるいは幻聴に支配されている、という形での表現もあるのではないでしょうか? その意味を探ることが大切ではないでしょうか?」
科学的な思考の中では、言語的やりとりという「一貫したシステム」の中で判断しやすい。すると、錯乱や幻聴・幻覚などで、論理的な言語によるやりとりが出来ない、と見なされた人は、「一貫したシステムに逆らうもの」とされる。すると、その人の語り、だけでなく、下手をしたらその人そのものも「すべて退けられ、忘却され、脇におかれ、錯覚ないしただの見かけであるとみなされてしまう」可能性がある。しかし、メッツィーナさんがいうのは、それは言語的なやりとり、という「ある一貫したシステムのなかに現実を閉じ込めようと欲する」意味で、「合理化」に過ぎず、「超-単純化」だ、と指摘する。そして、モランに戻れば、このような「合理化」は、科学ではない、という。本当の科学的思考は、「合理化」ではなく、「合理性」である、と。それは一体どういうことか。
「合理性とは、われわれのうちでたえまなく行われている対話の働きであり、それは論理的構造を作り出し、論理的構造を世界に適用し、この現実の世界と対話を交わす。この世界が、われわれの論理システムと一致しない場合は、論理システムが不十分なもので、現実の一部にしか出会っていないのだと認めなければならない。合理性とは、いうならば、けっして現実全体を論理システムのなかに汲みつくそうとするのではなく、自分に抵抗するものと対話することを欲する。」(同上、p104)
錯乱や妄想などで、言語的なやりとりが通じない。この時、「一貫したシステム」から外れ、「対話」が出来ない、と見なすのが「合理化」思考である。一方「合理性」の思考は、一見すると「自分に抵抗するものと対話することを欲する」。ということは、言語的なやりとりが出来ないのであれば、その人の非言語の表現とか、妄想や錯乱がどのような訴えかけをしようとしているのか、を対話的に考える。言語表現という「論理システムが不十分なもので、現実の一部にしか出会っていないのだと認め」た上で、「現実全体を論理システムのなかに汲みつくそうとするのではなく」、その「論理システム」の限界を認識し、「対話」の中からその限界を乗り越えようとする。これが、精神症状のある人の「主体性」を取り戻す上で必要不可欠だ、というのだ。
「単純性のパラダイムとは、世界に秩序をもたらし、世界から無秩序を追い払うパラダイムである。秩序はひとつの法、ひとつの原理に還元される。単純性は一、あるいは多を見るのだが、<一>が同時に<多>でありうることを理解できない。単純性の原理は、結びつけられているものを切り離すか(分離)、多様なものを統一するか(還元)、そのどちらかである。」(同上、p87)
この人は狂っていて、言語的な理解や了解が不可能である。これは「結びつけられているものを切り離す」(分離)という単純化である。あるいは、このような了解不可能性のあるひとは、双極性障害である、というのは、「多様なものを統一する」(還元)である。このとき、了解不可能(分離)に一見思える人が私とどう同じ人間としての苦しみを抱えているのだろう(還元)という、「<一>が同時に<多>でありうることを理解できない」のが、これまでの旧態依然の(日本のドミナントな)精神医療のパラダイムではなかっただろうか。だからこそ、メッツィーナさんは、複雑性というキーワードをセミナーの中で何度も繰り返し表現していた。
さて、ではその「複雑性」とは何か。モランはこのように定義している。
「まず第一に、複雑性は、切り離しがたく結合した異質な構成要素によって織りなされたひとつの織物である。複雑性は一と多のパラドクスを提起する。第二に、複雑性は、実際には、われわれの現象の世界を構成する出来事、作用、相互作用、遡及作用、諸決定や偶発性によって織り成された生地である。」(同上、p22)
言語的に了解不可能に見える言動を発する人(多)が、同じ人間としてどのような生きる苦悩を抱えているか(一)の「パラドクス」を、そのものとして受け止めること。それは、その人と周囲や世界、支援者として目の前にいる私との「出来事、作用、相互作用、遡及作用、諸決定や偶発性によって織り成された生地」を、そのものとして眺めることである。
「異常だ」「オカシイ」とラベルを貼られた人とも「たえまなく行われている対話の働き」を続ける。そのプロセスの中で、外から見たら支離滅裂に見える言動の内在的論理を探り出し、その人の中での論理プロセスの筋道を明らかにする。それが、「正常」という形で「合理化」「単純化」された世界の論理構造を超えていても、その正常と異常の「相互作用」や「遡及作用」を捉えることで、正常と異常という「切り離しがたく結合した異質な構成要素によって織りなされたひとつの織物」の構造を捉えようとする。
モランは、単純化や合理化の限界を、次のようにもいう。
「西欧的・デカルト的形而上学は、すべての生き物をそれぞれ閉じた本質存在とみなしただけで、それらがみずからの開放性のなかで、その開放性によって、それらの閉鎖性(つまり自律性)を組織するシステムであるとは考えなかったのである。」(p33)
「異常な人」を、「閉じた本質存在」と留め置くのは、<多>ではあっても<一>ではない。その人の「異常」な状態とは、「正常」との関係性の中で、「正常」のカテゴリーの外にあるという理由で、「異常」と見なされる。「正常」と「異常」は、全く関わりを持たない「閉鎖性」システムではなく、相互作用や遡及作用しあう「開放性のなかで」「閉鎖性(つまり自律性)を組織するシステム」なのである。
事実、数十年前には、LGBTは「性的志向の乱れ」、不登校は「学校恐怖症」と、それぞれ「異常」「逸脱」のカテゴリーが張られていた。だが、ご案内の通り、それらの「症状」にみえる状態の内在的論理が、主に当事者達のカミングアウトによって明らかにされ、マジョリティにも理解されるうちに、これらのカテゴリーは大きく変更し、「異常」に留め置かれなくなったのである。つまり、これらのカテゴリーは、つねに「開放性」のあるカテゴリーなのだ。
そこから彼は次の様にも指摘する。
「開いたシステムという考え方からは、次の様な二つの主要な結論が引き出される。その第一は、生体組織化の法則は平衡の法則ではなくて、安定化したダイナミズムによって捕捉された、あるいは代償された非平衡の法則だ、ということである。(略)第二の帰結は、システムを理解する鍵は、システムのなかだけではなくて、システムとその環境とのあいだにある関係のなかに求められなければならないということ、そしてまたその関係は、たんなる依存関係ではなくて、システムそのものを構成する関係である、ということである。こう考えることができれば、現実は、開いたシステムとその環境とのあいだの区分けにあるのと同じ程度に、それら両者の結びつきにある。」(同上、p33)
ここで筆者が強調する太字部分が、僕自身も今回読み直して、一番しっくりと来た部分である。
異常という「現実」だって、「開いたシステム」であり、「その環境」(=正常)「とのあいだの区分けにあるのと同じ程度に、それら両者の結びつきにある」。正常とされる論理の中で、あるいは言語的には「了解が不可能」に思える現実には、「異常」というラベルが貼られる。でも、このラベルを「閉鎖性」で捉えてはならない。あくまでも、正常という環境との「あいだの区分け」であり、それと「同じ程度」に「正常」と「異常」は「結びつ」いているのである。

これまでブログにも書いてきた「ゴミ屋敷」の問題でも、それを「異常」と片付けたところで、何も解決は生まれない。その家の主が、どのようなプロセスを経て、ゴミを溜め続けてきたのか。「ゴミ屋敷」を「異常」とラベルを貼って分かったフリをせず、その「開いたシステム」の中にある、「ゴミを溜めていないご近所」との「結びつき」を分析する中で、例えば周囲から孤立していき、孤独が深まり、ゴミを溜める行為が深まった、という悪循環の構造が析出される。

これも先月のブログに書いたが、「悪循環とは、ある人が自身の置かれている状況を問題のあるものとみなし、これを解決しようとする行動に出るが、この解決行動自体がとうの問題を生み出してしまうというメカニズムを持ち、しかもこれが反復的に繰り返されるもの」(長谷正人『悪循環の現象学』)であった。ということは、悪循環に陥る人は、勝手に陥るのではない。「解決行動」という環境との相互作用が、悪循環を生み出すのである。「ゴミ屋敷」の人だって、本人にとっては「解決行動」に思えることが、世間からは「ゴミを溜めること」の「反復」だと見なされ、周囲との軋轢が深まり、本人は孤独になり、それを解消するために、ますますゴミを溜めるという「解決行動」以外の行動に出られない、という「悪循環」のループに陥っているのだ。これも、「ゴミ屋敷」を「異常」と「単純化」して「合理化」する危険である。

その際、私たちに求められるのは、「合理化」ではなく、「合理性」を持って向き合うことである。もういちど、そのフレーズを引用し直しておこう。
「合理性とは、われわれのうちでたえまなく行われている対話の働きであり、それは論理的構造を作り出し、論理的構造を世界に適用し、この現実の世界と対話を交わす。この世界が、われわれの論理システムと一致しない場合は、論理システムが不十分なもので、現実の一部にしか出会っていないのだと認めなければならない。合理性とは、いうならば、けっして現実全体を論理システムのなかに汲みつくそうとするのではなく、自分に抵抗するものと対話することを欲する。」
ゴミ屋敷は、「われわれの論理システムと一致しない」がゆえに、異常だと析出される。だが、異常とラベルを貼ることは、「論理システムが不十分なもので、現実の一部にしか出会っていない」単純化や合理化である。単純化や合理化が切り落とした「汲み尽くせない」部分という、「自分に抵抗するものと対話すること」の中からこそ、正常と異常の切り分けを超えた、「開いたシステム」の真っ当なやりとりが展開される。それが、了解不可能に思えた「異常」の物語を理解し、了解するための、入口である、というのだ。

ここまで整理すると、メッツィーナさんの冒頭のメッセージが、よりクリアに見えてくる。

「真のガイドは、目の前にいる具体的な人。その利用者本人の自分の持っている苦しみに与える意味が、治癒への道筋を指し示す。それは人によって違うし、治癒の道も全く違う。具体的に目の前にいるその人が導いてくれるし、それしか複雑性に対処できないが、それが最もよい対処の方法である。」
「目の前にいる具体的な人」は、生きる苦悩が最大化して、苦しんでいる。その「苦しみに与える意味が、治癒への道筋を指し示す」。その大枠に従って、あとは「具体的に目の前にいるその人が導いてくれる」その人の物語世界を、単純化や合理化で「わかったふり」をせず、異常とラベルを貼られる部分の「開いたシステム」をながめて、「正常」世界との結び目をたぐり寄せるなかで、その人の生の「複雑性」を少しでも理解して、「治癒への道筋」をたぐろうとするのが、治療者の役割なのである。
DSMやらGAFという単純化・合理化のカテゴリーを「ガイド」にするのではなく、「目の前にいる具体的な人」こそを「真のガイド」にすべきだ、というメッツィーナさんの主張は、非科学的な「反精神医学」ではない。複雑性科学に支えられた、実りのある可能性との「対話」なのである、と改めて学び直した、モランの再読であった。
追伸:トリエステ方式とオープンダイアログの共通点は、単純化・合理化をすることなく、この複雑性を大切仁して、「目の前にいる具体的な人」を「真のガイド」に、複雑な物語をそのものとして理解し、その物語の固着を「対話」の中から揺り動かすことに、あるのかもしれない。

地域福祉の人材育成と可能性開発

ここしばらく、毎月のように岡山に通い続けてきた。岡山県社会福祉協議会が主催した「『無理しない』地域づくりの学校」という人材育成塾の校長役としてお手伝いさせて頂いたのだ。教頭には、全国各地で地域興しの人材育成に携わり、自らも障害者就労に取り組む起業家でもある尾野寛明さんをお迎えする、という豪華な顔ぶれ。社協の10年後の役割を見据えた県社協の俊英、西村さんが用務員役として全体統括してくれ、実現したのだった。(尾野さんとの出会いや、西村さんとの出会いは、リンク先に)
プレセミナーにはじまり、5回の本セミナーの中では、岡山県内各地から、地域づくりで新しい事にチャレンジしたい実践者達が受講生となってくださった。社協の生活支援コーディネーターだけではなく、包括の社会福祉士や施設のソーシャルワーカーなど、多彩な受講生がそろった。皆さんには、尾野さんの地域づくり塾で用いられている「マイプラン」を作成する事が求められ、毎回のセミナーでその内容を発表し、仲間や他の参加者から意見をもらい、添削され、次の機会までに新たな課題を調べて掘り下げ、ブラッシュアップし、次のプレゼンで発表する、というプロセスを重ねてきた。そして10月には、これまで練り上げた成果を最終発表会で報告する、というところまで辿り着いた。
先日、その最終発表会に参加する中で感じたこと。それは、こういう地道な人作りが、やがて地域を変える起爆剤になるだろうということと、そのためには単年度ではなく、少なくとも3~5年かけて息長く人材を養成し続けていかなければならない、ということだ。
これまで、僕自身は全国各地で地域福祉に携わる人々に向けた研修を行ってきた。だが、その中でいつも感じていた不全感がある。それは、「一回こっきりで連続性がない」という事と、「仕事の枠内での研修であり、全人的関与を求めていない」という二つである。
一度の研修で、講師の話を全て吸収して、即現場で活かせる人材も、もちろん存在する。だが、そういう人は、実はそんなに多くない。特に、地域課題を発見し、その課題を解決するための方法論や、具体的なアプローチを1時間半の研修の中で紹介して、それだけで「では、やってみてください」とお願いしても、「話はわかったが、実際にどうやっていいのかわからない」という声を聞く。最近、教育業界でもアクティブラーニングの重要性は何度も繰り返されているが、地域福祉だって、一方的に話を聞く座学ではなく、実際に自分でも考えて企画書を書いたりモデル事業をやってみて、それを何度も仲間と議論しながら練り上げていく、というOJT型の、実践を伴った学びでないと、知識や理論を自分のものには出来ないし、実力という形で身にもつかないのだ。
また、地域福祉の課題は、社協や包括の業務だからやる、という事業ベースでの関与に限界がある。確かに地域福祉に関わる人々の大半は、事業だから関与する。そのこと自体を否定しているのではない。だが、事業で関わる人であっても、地域住民に関わり、地域住民「と共に」地域課題の解決を模索する時、「私たちはどうしてあなたのやることに応援しなければならないの?」という素朴な疑問を住民からぶつけられる。その時、一般的には「住民さん達のために」という話が出てくるが、住民たちは「そんなの自分たちは必要ない」と拒否的になることもある。それを「住民が無理解だ」と切り捨てるのは簡単だが、実は支援者の側が、住民のほんまもんの思いや願い、ニーズに出会っていない場合も少なくない。また、住民との協働とは、言うは易く行うは難し、の典型例である。協働を模索する支援者自身が、その協働課題や実践を「自分事」と認識し、「私たちの共通課題」という思いを持たないと、事業はうまくいかず、2年やって別の担当者に引き継げば、「三歩進んで二歩下がる」という事態に矮小化される場合も少なくないのだ。
そこで、岡山の「『無理しない』地域づくりの学校」では、これらの壁を乗り越える仕組みと仕掛けを入れ込んだ。毎回の講座では、地域福祉の分野で「一皮むけた先駆者」の話を伺う。その中で、どうすれば地域課題を解決出来るのか、の方法論を学ぶ。その上で、受講生は毎回、自分の「マイプラン」の進捗状況を発表し、バタ校長や尾野教頭、その日のゲストを始め、多くの人々からコメントをもらう。そうやって、次回までに自分が明確にすべき課題を抱え、また地域の中に飛び込んでいく。つまり、OJTとスーパーバイズという、地域福祉で最も欠けている要素を、講座の中に取り入れたのである。
また、福祉の専門家にとって、「マイプラン」という概念自体が、もしかしたら革命的に響いていたかもしれない。なぜなら、これまでの福祉は「科学的」「客観的」であることを志向してきた。それは、医学モデルを真似た福祉が、標準化・規格化された知識の重要性を強調してきたからである。確かに病院医療においては、クリティカルパスに代表されるような、ある程度の標準化や規格化は可能だろう。でも、地域福祉には、実は標準化や規格化の発想は、百害あって一利なし、である。なぜなら、甲府と岡山では、社会資源も人間性も、地理的性格も人口構成も高齢化率も、全く異なる。それに標準的な地域福祉モデルなるものを当てはめたって、絶対地域は変わらない。だがこれまでは「○○モデル」が厚労省から紹介されるたびに、その先進地には視察がわんさか訪れ、その先進地の猿まね実践を企て、見事に玉砕する、という「屍」実践が山と積まれてきた。それらが失敗した最大の理由、そこには標準化された正解を真似すれば何とかなる、という他力本願を客観的なる表現でオブラートにくるんで誤魔化してきた歴史的経緯がある。
そこで、大切なのは、「わたし」という主体の存在である。この地域に関わる一人としての「わたし」は、この地域をどう見立てるのか? 地域課題をどのように捉えて、何から優先順位を付けて解決していくか。この部分には標準的な解答例、なるものはなく、実際には主観的な見立てやアプローチで取り組んでいく。ただ、チームで議論し、住民にも納得してもらう、という合意形成を計る中で、主観的な要素が客観化されていくのである。しかし、主観的な要素としての「わたし」が抜けた「事業」であれば、「何が何でもそれを実現しなければならない」という粘りや必死さが抜ける。すると、率直に申し上げて「事業だからとりあえずやってみる」というレベルに成り下がり、住民もそれに気付くから協力はしてくれない。そこで、年度末消化のように会議だけやって「やったふり」して、「結局住民は協力的でないのでうまくいきませんでした」と、「出来ない100の理由」を述べ立てるのである。
一方、先述のマイプランは、その真逆の戦略である。「わたし」の計画であるから、当然、そこに介在する私がどう動くか、が大切になる。その前に、マイプランには自己紹介や自分の人物像、自分がなぜそのマイプランをしたいのか、という動機や思いも書き込んで、その部分が毎回の講座の中で質問される。これは「事業」でやってきた「お仕事」にはない展開である。だが、繰り返しになるが、自分事でないと、人は必死にならない。「なぜこのプランを実現したいのか?」という問いは、仕事の問いであると同時に、それを仕事として私はなぜ取り組みたいのか、という自分自身の実存への問いである。そして、本気で地域を変えてきた実践者達は、仕事として地域福祉に取り組む一方で、その課題を「自分事」として捉え、どうしてもその課題の解決が必要不可欠だ、という熱意を持つ。これが、仕事に魂を込める原動力になる。そして、地域住民さんだって、魂を込めて地域づくりに取り組む人には、魂レベルで「ほうっておけない」のである。つまり、地域づくりにおいては、それに取り組む人の「わたくし」という「自分事」の介在が必要不可欠なのだ。それが、マイプランに迫力を与えるのである。
尾野さんは、この手法を、中山間地でコミュニティビジネスや起業をしたい人々への人材育成塾において開発してきた。起業、というと、地域福祉には縁がないように、一見聞こえる。だが、地域福祉の実践者を「社会起業家」と位置づけると、見える地平は一変する。社会起業とは何かについて、ボーンスタインとデイヴィスは次のように定義している。
「世界を変える仕事-社会企業とは、社会問題を解決するために新しい組織をつくり出したり、あるいは既存の組織を改革する仕事です。ここでいう社会問題とは、たとえば、貧困、病気、環境破壊、人権侵害、組織の腐敗などを指します。これらを解決して、多くの人々の暮らしをよりよいものにしようというものです。」(ボーンスタイン&デイヴィス『社会起業家になりたいと思ったら読む本』ダイヤモンド社、p166)
「社会問題を解決するために新しい組織をつくり出したり、あるいは既存の組織を改革する仕事」。これは、地域福祉で最も求められているプロセスである。生活困窮者へのサポートの仕組み、認知症の人の見守りネットワーク構築、困難事例や多問題家族への対応、重度の障害者でも病院や入所施設へ排除されない地域作り・・・など、今の日本社会で顕在化している「社会問題」は、既存の制度だけでは十分に解決出来る訳ではない。だからこそ、「新しい組織をつくり出したり、あるいは既存の組織を改革する仕事」が必要であり、コミュニティソーシャルワーカーと呼ばれる存在は、その担い手に成熟することが求められるのである。つまり、地域福祉を担う人材であるコミュニティソーシャルワーカーに求められるのは、社会起業家精神なのである。
そして、それを研修で身につけてもらうためには、起業家養成塾と同じように、社会問題に関する「マイプラン」を立ててもらい、そのプランを何度も練り直す中で、先駆的に解決するプランへと高めていく、岡山でやったような研修が必要不可欠とされているのである。そして、全国を見回しても、たぶん岡山で初めて、このような社会起業家精神を育てる実践的なコミュニティソーシャルワーカー養成研修が実現したのである。
それが冒頭に書いた、「こういう地道な人作りが、やがて地域を変える起爆剤になるだろう」と思えた理由である。そして、この一連のプロセスを岡山で試行的に実践して分かった事がもう一つある。それは、「単年度ではなく、少なくとも3~5年かけて息長く人材を養成し続けていかなければならない」ということである。
上記で述べたようなマイプラン作りとその添削は、非常に手間暇かけたものである。だから、受講生自体は5~10人程度でないと、きめ細かい支援は出来ない。その一方、こういう最先端の人材育成は、ノウハウも試行錯誤の中で蓄積するので、市町村レベルでは実現不可能だ。だからこそ、県社協がやる広域性と専門性がある。そして、県社協として地域を変えるコアな人材を「マイプラン」作りを通じて養成するためには、少なくとも1期ではなく、3~5期かけて、人材を養成し続けるプロセスが大切である。その中で、地域作りを本気で取り組む人材に層が生まれ、またその塾生達の学び合いや世代を超えたネットワーク形成が進む中で、岡山における地域福祉の担い手の質的転換が生じ始めるのだ。
これは、尾野さんが取り組む他の地域での「地域づくり塾」でも同様だ、という。例えば、マイプランの中から訪問看護ステーションが生まれてきた島根県雲南市の幸雲南塾も、5年目を迎える中で、多層的な人材のネットワーク化が進み、そこから新たな事業や展開、そのハブ機能となるNPO「おっちラボ」など芋づる式に生まれてきた、という。そう、最初のうちは、地域福祉の担い手の種をまき続け、ある時期からその人材達が仲間としてのネットワークを形成し、それが地域やシステムを動かし、変える原動力に育っていくのである。
これは、僕自身が博士論文で京都のPSW117人に聞き取り調査を行い発見した、地域福祉を変える5つのステップとも、全く共通している。つまり、こういう形をとらないと、ほんまもんの地域変革は進まないのだ。だからこそ、1期で終わらすことなく、3年から5年、種から芽が出て、発芽し、シナジーが生まれて現場が変わるまで、継続的な投資が必要不可欠なのである。
近年は福祉の領域でも企業の論理が跋扈して、四半期決算的な「成果」が求められる。だが、人材育成は四半期決算で成果をはかれるものではない。最低でも3~5年育て続けないと、その成果が具体的な形にならない。多くの一回こっきりの研修は、せっかくいい研修をしても、一度きりで終わってしまうので、事業の継続性がなく、投資した資金が無駄に終わってしまうことも少なくない。この岡山の事業も、その危険性がある。だからこそ、研修がどう効果的なのか、をちゃんと言語化する必要がある。それって、僕自身が地域福祉において考えるべき「マイプラン」の課題なのだ。
そんなタイミングだったので、今日は5388字も使って、岡山でのこの1年間の取り組みをざっくりと言語化してみた。さて、書いてみて、今後、このストーリーをどうブラッシュアップしていくか? まさに、自分事の課題である。