同一平面上からの跳躍

 

ある言説を批判する際、その言説と対になる、という点で、同一平面上からの批判に陥る場合が少なくない。根元的な批判をしているつもりでいて、実は批判対象と同じ土台にいるということに無自覚な場合である。例えばこんな風に。

「旧改憲派は、自分たちをナショナルな他者、国内の他者との関係で自己同定化(アイデンティファイ)している。そこには国外的な他者との関係が脱落している。(略)しかし、旧護憲派も、その事情は変わらない。彼らは、この旧改憲派のナショナルな共同性を否定し、自分たちをインターナショナルな他者、国外の他者との関係で自己同定化することで、反共同性の立場に抜け出たと考えるが、それは単なるイデオロギー的な反転にすぎない。そこでのインターナショナルな他者との関係も、それが国内の他者を廃した同一の他者とのイデオロギー的な連帯に過ぎない以上、わたしのいうイデオロギー的な共同的関係のままである。彼らの理論が、二千万人のアジアの死者への謝罪をいいながら、三百万人の自国の死者をその関係のなかに位置づけられないのは、これも、そこにあるのが単一な他者との同一的な-つまり共同的な-関係であることの現れなのである。」(加藤典洋『敗戦後論』ちくま文庫、p342)

あるものごとを批判する時、そういうやり方ではダメで、こういうやり方こそ正しい、と説く。だが、「そういうやり方」と「こういうやり方」の両者が、その基盤に置く認識自体が共通である限り、優劣を決することができない、つまりはどっちでも「半人前」であることがある。加藤氏はそれを敗戦後の戦争責任における「ねじれ」の問題として鋭く整理し、わかりやすく提示してくれている。だが、これは日本の戦争責任問題に限ったことではない。

最近とみに感じるのだが、私自身も「○○はダメだ(問題だ、おかしい)」という時に、そのダメだと思う状態の文脈を支配する論理の上で、その議論を展開していることがある。まるで、「ダメだ」と主張することによって、返ってそのダメだと言われる主張を反射的に必要とし、強調しているかのように。

ある物事を感情論や表層的な論理でのみ批判していると、批判されている物事と、前提の認識が同じ、ということもある。本当にその物事がダメだ、と思うのであれば、前提の認識こそ揺さぶるような「対論」を出さないと意味がない。しかし、認識そのものを焦点化するにはじっくり考えた上での論理展開が必要。それならば、目の前で出てきている現実をとりあえず叩き、そうではない別の現実を提示すればいい、という理屈になりやすい。だが、その別の現実も、目の間の現実との対比関係の中で初めて現実味を帯びてくる、という前提付きのものであれば、普遍性に欠ける。

正-反-合という弁証法的展開を考えた時、ある「正」に対して「反」を考えるのはもちろん大切。だが、同一平面を考えるだけでは、その両者を止揚する形での「合」にたどり着けない。時代を突き抜け、膠着した局面を打開するためには、正と反が陰陽のように両立するその「同一平面」こそを正反(陰陽)両面から分析し、その両者の存立基盤となる「同一平面」こそを覆すような「合」という新たな局面から、状況を捉え直す事が大切だ。これは、実社会においても、ある活動の肯定的言説と否定的言説を、合わせ鏡のように捉えて見ると、実感することでもある。時として、あることの否定は、その否定された対象への強烈な憧憬を陰に秘めている場合が少なくないからだ。

同一平面の分裂状態を見抜くためには、二項対立的状況に安住するのではなく、その認識基盤そのもの(=つまりは自分の信念そのもの)をグラグラ揺らしてみなければならない。最近身の回りに起こる様々な陰陽図を眺めていて、そう深く感じ入ったのであった。

オンブズマン制度の危機

 

今宵は天王寺のホテルの一室から。

土曜・日曜と勉強会や研究会で久々の来阪。それにしても、お昼過ぎに会場に入るために、6時28分甲府発の「ワイドビューふじかわ」に乗らねばならぬのはきつい。鞄の中には研究会の宿題やら、授業の予習関連の文献や資料をとりあえずどっさり入れてきたが、結局寝不足で静岡までうとうと。静岡でカプチーノを飲んで気合いを入れ直し、満員のひかり号でサクサクあすの研究会用の資料を作る。で、出かけたのがNPO大阪精神医療人権センターの総会。実はこの人権センターが地道に積み上げてきた「精神医療オンブズマン制度」が今、廃止の危機にある。

僕自身、このNPOで大変お世話になり、今自分で血肉化されている視点の少なからぬ部分を、ここでの活動や実践を通じて学ばせて頂いた「ホームグラウンド」の危機故に、とあるMLに次のようなSOSの文章を書かせて頂いた。この問題をご存じない方にお伝えするためにも、長くなるが引用してみたい。

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NPO
大阪精神医療人権センターが取り組んできた病院訪問活動(精神医療オンブズマン制度)が、この8月以降、廃止の危機に立たされています。(そのことを伝える新聞記事はこちら。)

大阪府の橋下知事は、4/11に「財政再建プログラム試案」を策定し、総額1100億円の予算削減案を公表しました。府の単独事業で緊急性が低いものは一律カットという内容です。精神医療オンブズマン制度は「費用対効果が見えないからゼロ査定」という厳しい事態に追い込まれています。

このオンブズマン制度は院内での様々な権利侵害が続いた「大和川病院事件」を受けて、退院促進事業と一緒に創り出された仕組みです。密室的な精神医療の現場に風穴を開けようと民間団体が続けて来た訪問活動が、日本で初めて都道府県レベルの制度として認められ、府下全ての精神科病院の訪問を実現し、現在二巡目になっています。

市民による訪問活動やその後の病院側とのやり取り等を通じて、これまで行政監査でも行き届かなかった具体的な改善(公衆電話が閉鎖病棟に常設された、ベッド周りにカーテンがついた、トイレに鍵がついた、保護室にナースコールがついた)が進み始めています。これは、行政監査や第三者評価とは違い、市民の目線で療養環境を視察し、利用者の声に時間をかけて耳を傾ける活動ゆえの成果です。
(オンブズマン制度の概要は次のHPなどもご参照ください)

ただこの活動は、もっとも声が届きにくい(=声が抑圧されている)精神科病院内の患者さんの声を代弁する、という性質上、府知事の元に「大きな声」として届きにくいのもまた事実です。また、数値的な「費用対効果」を測るものとは最も縁遠いゆえに、活動の重要性が財政当局に理解されにくいものでもあります。それゆえの「ゼロ査定」状態だと認識しています。

退院促進事業も、元はと言えば大阪府単独の事業であったものが、その普遍的意義が認められ、全国化されました。病院から地域へ、という風穴が開き始めた今、病院内部の精神障害者の権利を護るために市民が直接病棟まで訪問して、「声なき声を聞く」というこのオンブズマン制度は、まさに普遍的意義があるものであり、その原動力を担った大阪で、その火が消えることは、大きな損失でもあります。「費用対効果」では計れない権利擁護課題を財政的理由を盾に反故にしてしまう今回の動きは、障害者権利条約を批准しようとしているわが国の動きとも大きく異なります。また、最も「声なき声」を代弁する役割の火を消すこの事態は、地方分権の逆機能、とも言えます。

人権センターはこの廃止案は絶対に納得ができないということで、存続を求める署名活動を行っています。そこで、是非ともこの署名活動に御協力頂きたい、と願っております。(署名用紙PDFなどは下記に)
http://www.psy-jinken-osaka.org/
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今回大阪の地でこの話をじっくり聞く中で、改めて行政監査でも精神医療審査会でも拾いきれなかった患者さんの本音の声を拾い、それを実際の処遇改善につなげてきた人権センターの取り組みのダイナミズムを垣間見る思いがした。

それと同時に、自立支援法制定時からも指摘されていたが、市町村や都道府県の裁量的経費は権利保障の観点で非常に危うい、というのが現実化されるような気分でもある。小さな政府論に通ずる、「府単独の事業はあらかたカット」「費用対効果が見えにくいものは効率化の観点でお金をつけられない」というロジックを、裁量権を持つ首長が行使するとどうなるか、ということが、目の当たりになったような気がした。地方分権で、住民の身近な行政で地域の実情に合わせて、というが、一方でこのような権利保障の問題は普遍的な問題であり、一定程度の全国一律の最低保障が必要な気がする。

その際、低きに合わせる、のではなく、トップランナーを続けてきた大阪に合わせるのが、真っ当な施策としては求められるラインだが、その大阪で、知事がトップランナーの位置づけを放棄しようとしており、それに対して国レベルでの歯止めがかけられない、というのは、築き上げてきたトップランナーとしての叡智や財産を全部放り投げる暴挙に思えてならない。

では、どうすればいいのか? そのヒントを今日の記念講演の話し手であった野沢さん(毎日新聞)が指し示してくださった。これは非常に示唆に富むのだが・・・そろそろおねむなので、続きはまたあとで。

「どうせ」を超える可能性

 

連休最後の日の甲府は初夏の陽気。
連休中旬に出かけた小旅行の折、旅先で買った一冊が、この連休中の最大の収穫の1つだった。

「『可能性』という語は、二つの反対語に引き裂かれるようにしてしか使われない。不可能だという意味での『可能性』と、現実的だという意味での『可能性』である。そのどちらでもない、純粋な可能性というゾーンは、存在しないのだ。突然、記録を突破した者は、『可能性』という語に孕まれている二つの意味の間の越境を担ったのだと言ってよかろう。すなわち、彼(または彼女)は、空虚な可能性-可能性=不可能性-を、充実した可能性-可能性=現実性-へとカタストロフィックに反転させる触媒としての機能を果たしているのである。壁を突破した者を一人でも想定できるとき、可能性が、現実性としての様相を帯びる。だから、彼に引き続くアスリートたちは、触媒としての最初のアスリートを反復しているのだと言うことができる。最初のアスリートがなした、可能性を現実性へとつなぐ苦闘を、後続のアスリートたちも反復するのである。」(大澤真幸「逆説の民主主義」角川書店、p144)

世の中には「どうせ」「しゃあない」という言葉であふれている。僕自身も、ダイエットだの、髪の毛が薄くなってしまうことだの、に「しゃあない」と何となくやり過ごしてしまいそうになる。そういう時の思考回路は、どうせ元には戻らないという不可逆的な何か、あるいは大澤氏の言葉で言えば「空虚な可能性」(=不可能性)で一杯になっている。

しかし、彼は記録を塗り替えたアスリートを例に出しながら、ブレイクスルーとは、「『可能性』という語に孕まれている二つの意味の間の越境を担った」と整理。なるほどね。出来た人もいるんだ、という「可能性が、現実性としての様相を帯びる」状態を前にすると、「どうせ」「しゃあない」と言っていた自分は、言い訳を探しているだけ、ということになる。そこで、私たちに迫られるのは、「最初のアスリートがなした、可能性を現実性へとつなぐ苦闘を、後続のアスリートたちも反復する」のか、「あれは特殊な能力を持った人だから、自分には無理だよ」と決め込むか、のどちらかだ。

実は、これって福祉の世界でも全く同じ構造が当てはまる。それを具体的に書くために、著者の論考をもう少しだけ追ってみよう。

「さて、同じことは、知的探求に関しても言えるのではないか。一人の触媒を通して、突然、大記録への突破が可能になるように、真理の深みへと突破した他者-それがマルクスであり、フロイトである-の存在を、いっこの事実として想定しうるとき、われわれは、初めて、実際にも、真理へと到達出来るのではないか。われわれが、真理の深みに到達するためには、その深みへとすでに足を踏み入れているはずの他者の存在を想定し、その他者の、困難な抜き差しならぬ闘いを反復し、あらためて現実化しなくてはならないのだ。」(同上、p145)

「真理」とは、実際に到達していない段階では「不可能性」に他ならない。「そんなの無理に決まっている」と言えば、日本の福祉現場でも何度も耳にしたことのある話である。だが、その「不可能性」を超えて、「真理の深みへと突破した他者」がいると、その「真理」は「いっこの事実として想定しうる」。では、その状態になった際、「その他者の、困難な抜き差しならぬ闘いを反復し、あらためて現実化」する試みにこぎ出すかどうか、ここが大きな分かれ目である。この際によく聞くのが、「あれは北欧(福祉先進地、都会、Aさんの所、○○…)だから出来たのであって、うちでは・・・」「○○と違ってうちは人手不足だから」という「空虚な可能性」(=不可能性)の宣言、である。

他人のブレークスルーを前にしても、「空虚な可能性」(=不可能性)の言い訳をしている方が、遙かに「楽」である。というのも、不可能を可能にするためには、後続する自分自身で、「困難な抜き差しならぬ闘いを反復し、あらためて現実化」しなければならないからだ。その際注意しなければならないのは、その現場を克服する主語は先達でもフロイトでもマルクスでもなく、他ならぬ自分自身なのである。自分自身が主体となって、先達の「闘い」を「反復」しながら「困難な抜き差しならぬ闘い」に自らが挑み、そのなかで「あらためて」自ら自身で「現実化」を勝ち取らなければならないのだ。ブレークスルーの後なので、可能性の光は見えている。だが、その光源に届くための現実的苦闘は、あくまでも自分自身が担わなければならない。決してマニュアルはない。その現場にあわせて「あらためて現実化」を一から模索しなければならない。これが大変だから、少なからぬ人が、件の「あれは○○だから」という言い訳(=不可能性の宣言)にしがみついてしまうのだ。

これは脱施設化や退院促進といった実践レベルに限った話ではない。195060年代に、ベンクト・ニイリエやバンクミケルセンが全制的施設の批判を行った時も、彼らはまさに施設のアブノーマルな現実を前にして、何か変えないとだめだ、と模索し、その中から「ノーマライゼーション」思想という「真理の深みへと突破」したのであった。そして、「その深みへとすでに足を踏み入れているはずの他者の存在を想定し」えたからこそ、60年代以後の北欧・北米での急速な脱施設化が進んでいった、という事も出来る。こういうブレークスルーを目の当たりにしたからこそ、では我が国(地域、施設)でも可能だ、と飛び火していったのだ。

ちょうど連休明けの授業では、ニイリエやバンクミケルセンを扱う。その際に、「その深みへとすでに足を踏み入れているはずの他者の存在を想定し、その他者の、困難な抜き差しならぬ闘いを反復し、あらためて現実化しなくてはならない」と改めて感じている。そうしないと、「われわれが、真理の深みに到達する」ことが出来ないのだ。逆に言えばば、自らが主体的に「反復」と「現実化」にコミットして初めて、その「真理の深み」を心から理解する、といえるのかもしれない。これは、もちろん講義や理論レベルだけではなく、実践でもその通り。タケバタの前にもいくつかの「困難な抜き差しならぬ闘い」があるが、しかし全く初めての闘い、ではなく、どこかの参照できる「真理の深み」がある。それらを「反復し」ながら、自分なりに「あらためて現実化」をどうすすめていくか。

普遍性の高い議論からは、数多くの「学恩」を授かってしまった。宝の持ち腐れになるかどうか、可能性という「二つの反対語」をどっちに転がすか? 己の力量次第である。

マッピングと批判的読書

 

年度初めは、色んな事がスタートするので、忙しい。それでも前回更新した第二週目あたりまでは、まだたまにじっくりお勉強する余裕もあった。だが・・・。今期、週に一日、二コマの非常勤をしている。そして、本務校の講義も、半分くらいその内容を変えた。ということは、2.5コマ分の講義を毎週新規構築することになる。これが、結構大変。

もちろん、講義のために内容を整理する中で、自分なりの発見もあり、それはそれで面白い。昔、お世話になったある先生に、「講義を通じて、この本を攻略してやろう、という気概を持つべし」という箴言を頂き、それ以来、教科書以外にも「今週のテーマに関する一冊」を設けてみた。それは第一回講義時にも配っている。そして、今年はその本(あるいはそれに類する本)の、次週に扱う部分を「予習ペーパー」として配ってみている。これは学生に好評で、「予習ペーパーと併せて理解できた」という反響も多い。それは嬉しいのだが、ということは、こちらも準備すべき内容が格段に増えていく。

特に今回「ノーマライゼーション論」という講義の代役(お世話になっている先生がサバティカルなので)を引き受けたので、改めて集中的に「ノーマライゼーション」の議論を読み進めている。1960年代に北米・北欧で沸き起こった理念創出時の議論が、どういう背景から生じているのか、を重ねてみるために、ラッセル・バートンの「施設精神病」やアーヴィング・ゴフマンの「アサイラム」という古典的名作も読み直している。改めて、全制的施設の「構造」を上記二冊で再確認出来ると共に、その全制的施設が「全盛」だったころに、その「構造」を読み解いた上で、アンチテーゼというか、その「構造」を超える理念を打ち立ててきた、創始者たちの理論はそれぞれに深みがある。

非常勤の大学では、学部1コマと大学院の演習を受け持っているので、学部ではその大枠を紹介し、大学院では枠となる文献を毎週何本かまとめて読んで議論している。そのために、改めてノーマライゼーションに関する文献を集めたり取り寄せたりして、時系列的に、そして、北欧と北米で別の議論に進化していくので、その二つに大別して、講義予定に組み込みながら並べていくと、ある理論がどのように受容され、かつ批判されていくのかのマッピングが出来てよい。

先週の大学院演習では、90年代初頭に執筆されたこの理論への批判的論文を「批判的に読む」ということを行った。博論を書いていた時にその論文を初めて読んだ際、何だか変だよなぁ、と感情的反発と不全感を抱いていたのだが、その理由を説明することが出来なかった。だが今回改めて落ち着いて読んでみて、全体的な流れ(マップ)上で眺めて直してみると、なるほどどういう文脈からの批判か、が時代背景と共にわかって面白い。私たちはある言説を、そのものだけで当否・善悪を判断するという間違いをしばしば犯すが、その言説の「文脈」を織り込まないと、「空を切る」かのような「空振り」となってしまう。

5,6年ほど前にその論文を最初読んだ際、そういうマップなく「これは変だ」と憤慨していたおり、その怒りは「何が変だ」という論理的根拠のない「空振り」だったので、説明力に乏しかった。だが、今この講義のためにノーマライゼーションに関する言説の流れを自分なりに再構築する中で読み返すと、その論文が鋭く指摘している問題の、正鵠を得ている部分と、解釈上の問題点と、がくっきり見えてくる。

つまり、以前は「変だ」というメガネで先に見てしまっていたので、そこから叡智を引き出せていなかったが、今回落ち着いて読んでみると、そう解釈するための論理的整理は実に鋭いことが見えてくる。すると、その議論の組み立て方、というか、話法の中からは、私たちが学べることは少なくないのだ。どこまでが説得力があって、どの部分に整合性が危うい部分があるか、を見極める、ということは、「空振り」をしないために、つまりは「的を射る」ためには欠かすことの出来ないことである。何であれ、全否定して「聞く耳持たず」ではなく、きちんと相手の論旨をじっくり聞き取り、その中から尊重できる部分は受け止めた上で、聞き取れない部分・聞き捨ておけない部分については、お尋ねしたり、場合によっては反論を用意する。そういう相手の言説をちゃんと「聴く力」が、改めて問われている、と再発見しつつある。

現場のリアティを知っている院生の方の中には、「何だかすっごく読みづらい」と仰る方もいたが、その生理的嫌悪レベルで止まるのではなく、そこからどのようなパスを受けられるか、それをマッピングしながら考えるのが大切だよ、と申し上げる。まるで数年前の自分に説得しているかのように。そう、これはダメ、あれは変、と切り捨てるのは、逆に言えば、良いと思われる、自分の納得できる議論の盲信と表裏一体の関係にある。評価できる論文にも、何らかの落ち度はつきものだし、評価できない論文でも、それが一定程度のクオリティのあるものであれば、そこから受け継げる学恩は、ある場合が多い。それを無視して、二項対立的な整理をしていたら、地図は描けず、自分自身のメガネの偏差が極端になるだけだ。批判的読書、とは、単にダメだを繰り返すのではなく、丁寧に読みながら、その議論に内包される順機能と逆機能部分を整理して解釈し、それを吸収すること。それを通じて、自分のメガネの偏差そのもの(何を盲信して、何を毛嫌いするのか、に関してのメタ知識)の内実を認識することにもつながる。

という内容の半分くらいは、前回のゼミ時でも気づいていたのだが、今書いていて、初めて色々わかってきた。いやはや、たまにブログは更新するものである。

「メタの概念」と「構造」

 

春の収穫祭の饗宴が続いている。
南の島から新ジャガをお送り頂き、パートナーのお友達からはブロッコリーにウド、菜の花を頂く。昨日は帰宅してみると、新ジャガはそぼろ肉と煮込み、ブロッコリーはガーリック炒めに、ウドは味噌和えに、菜の花は塩ゆでで美味のマヨネーズに絡ませて、頂く準備が出来ていた。いやはや、様々な皆様方に感謝感謝、である。赤ワインに非常に合う和食となった。

で、酔っぱらいながら読み始めた一冊を、今朝も何となく読み進めてバッチリ目が覚める。

「構造における不変性(『他の一切が変化するときに、なお変化せずにあるもの』)とは、体系のなかに最初からみいだされ、色々変換しても変換されずに残る固有のものという意味ではない。構造という見方においては、変換されえないものなどなく、体系を構成する要素も要素間関係も、一切のものが変換しうる。つまり、要素も要素のあいだの関係もすべて変化しているにもかかわらず、そこに現れる『不変の関係』という不思議なものが<構造>ということになる。
けれども、それが不思議なものに思えるのは、一つの体系のみを考えるからである。レヴィ=ストロースの言葉にあるように、構造における不変の関係とは、一つの集合(体系)から別の集合(体系)へ移行する関係のことである。構造の探求(すなわち構造分析)とは、一つの体系と、それとは別の体系の間に変換の関係をみいだすことにほかならない。つまり、この変換の関係が不変の関係と呼ばれているものなのであり、変換のないところに不変なものもみいだせない-したがって構造もまたない-のである。」(小田亮「レヴィ=ストロース入門」ちくま新書 48-49

ここしばらく、分析とは何か、とか、研究とは何か、という基本的な事がよくわからなくなり、困惑していた。今もまだよくわからないことは確かなのだが、でも以前書いた「説明」「説得」に関することにも現れているように、単なる記述ではなく、「一歩踏み込んで事象の説明による説得の努力をしている」か否かが問われていることくらいは、ようやく体得出来てきた。その一方で、次の一節も、僕の頭の中で引っかかっていた。

「内容が高度になればなるほど、専門的になればなるほど、『共通項』は失われることになる。そのような思惑の下で、『富士山の裾野』を追い求める動きが顕著になり、世界最高峰への登頂を目指して空気の薄い空間で力の限りを尽くす気力は失われていってしまった。(略)共通項を求める運動のベクトルには、裾野にいくのとは違う方向性がありうる。元来、思考とは、より『メタの概念』を求めての精神の無限運動である。普遍的な適用力を持つ概念は、決して『わかりやすさ』の病理に堕することなく、世界全体を引き受けることを可能にしてくれるのである。裾野をうろうろするばかりでなく、世界最高峰への登頂を志してはじめて見えてくることもあるのだ。」((茂木健一郎「思考の補助線」ちくま新書、109

ここに書かれた「メタの概念」とは何だろうか? そして、僕自身は専門分化という名のタコツボ化に陥ったり、あるいは「裾野をうろうろするばかり」になっていないか? こういった疑問が頭の片隅でずっと点滅していたのだ。そう、「共通項を求める運動のベクトル」が自らの内部にあるのだろうか、という疑問があったのだ。もちろん、僕には「世界最高峰への登頂」が現時点で可能だなんて思ってはいない。ただ、裾野にずっといるだけなら、研究者などやめて、実践者になった方がよっぽど為になる。大学に籍を置いて、現場と関わる、ということは、せめて中範囲であれ、客観的に物事を眺めるポジションで、現場のリフレクションのお手伝いをする、そういうことではないか、と思い始めたのだ。そう思って、以前にも引いた方法論の教科書を開いてみると、こんな風にも書かれている。

「社会システム一般の包括的な理論というのではなく、より限定された、到達のレベルを少し低くした理論の<ピラミッド>を設定し、理論的な成果の系統的な整理にみられる厳密な理論への志向と個別的なテーマで行われる経験的な調査研究の累積的な成果との、双方への緊密な関連づけをすることができれば、領域としては部分的で、理論的な射程は中範囲であるが、具体的なデータに支えられて確定度の高い理論を作りあげることになる。これが当面の目標として望ましい、とマートンは考えたのである。」(新睦人『社会学の方法』有斐閣、171)

今までの僕は、「個別的なテーマで行われる経験的な調査研究の累積的な成果」を、そのものとして提示することしか出来ていなかった。そこに「理論的な成果の系統的な整理にみられる厳密な理論への志向」が足りないから、とある査読で修正の上、通過した際の備考欄に「今後のさらなる社会学的考察が望まれる」という査読者からのメッセージが添えられていたのである。その際、「社会学的考察」って何だろう、というそのものが、改めてよくわからなくなってしまっていた。そして、茂木氏の先の「より『メタの概念』を求めての精神の無限運動」を読むにつれ、そういう「無限運動」をせずに、裾野から出てこれない自身のタコツボ的現状がわかって来た段階で、先の「構造」の話に行き着くのだ。

「要素も要素のあいだの関係もすべて変化しているにもかかわらず、そこに現れる『不変の関係』という不思議なものが<構造>」である。今まで多少なりとも関わってきた、「個別的なテーマで行われる経験的な調査研究の累積的な成果」を眺めてみて、一歩引いて、「そこに現れる『不変の関係』」を見出そうとしているか? そういう中範囲の「構造」を掴もうとする努力をすることなく、何か他の理論をこねくってそれっぽく見せていたことはないか? だからこそ、仲間の研究者に「文献研究ではない、論理的枠組みの持ち込みは禁止!!」と指摘されたのではないか?

他の論理的枠組みは、もちろん何かを考える上での「ヒント」につかってもよい。でも、それを無理矢理当てはめた気になっているだけでは、「具体的なデータに支えられて確定度の高い理論」とは真逆の事態になってしまう。茂木氏が問うているのは、借り物の理論に安逸に安住するのではなく、目の前の「要素も要素のあいだの関係もすべて変化している」現実の中から、「そこに現れる『不変の関係』という不思議なもの」がないかどうか、を、「空気の薄い空間で力の限りを尽くす気力」で考え続けられるか否か、であることが、少しわかりはじめた。

さて、どう腰を据えて、現実と理論の「双方への緊密な関連づけをすることができ」るか? 恐ろしい宿題だ。

体型から体系へ

 

4月の頭からひとりサマータイム、である。
我が家の寝室は東向きなのだが、日に日に朝の明るさが増してくる。すると、5時とか6時に目覚めてしまう。以前は二度寝しようともがいていたのだが、どうせ頭が冴えているのなら、サマータイムと考えて起きて活動を始めた方がよい。去年からそれに気づいて、身体の成り行きに任せて、ひとりサマータイム、である。加えて今年は、来週から毎週月曜日は非常勤で東京に行くので、5時起きしないといけないのだし。

家の窓から見える愛宕山の桜だけでなく、JAの直売所でも春を感じる。ウドに菜の花に、バジル。ウドは天ぷらに、菜の花はおひたしにして白ワインと共に食し、バジルの苗は植木鉢に植えてみる。ついでに最近さぼっていた靴も磨き、よい休日を過ごす。この前から部屋の大掃除をして、紙ゴミだけでなく服も靴も、使わないモノをごっそりモノを捨てたので、少しずつ、色んな見通しがよくなってきた。で、外部環境の見通しをよくした後のターゲットは、心の見通しである。

「自分の陰のイメージを、実在しているひとのなかに探すのは、それほどむずかしいことではない。自分の周囲にあって、何となくきらいなひとや、平素はうまくゆくのに、ある点だけむやみと腹が立つようなとき、それらは自分が無意識内にもっている欠点ではないかと考えてみると、思い当たることが多いに違いない。われわれは自分の意識の体系を持っているが、それを簡単に作り替えるのは容易なことではないので、ともかく、それをおびやかすものは、悪として斥けがちになる。自分の知らないこと、できないこと、嫌いなこと、損なことは、ともすると悪と簡単な等式で結ばれやすい。」(河合隼雄著「ユング心理学入門」培風館、p105)

河合隼雄氏の本を読んだのは、随分久しぶりである。一回り以上も前、大学生だったころ、結構河合ファンで図書館であれこれ借りては読んでいた記憶がある。僕の所属した学部には臨床心理学科もあり、密かに心理系に進みたい、と願っていた時期もある。だが、高校時代に精神科医になりたいと漠然と考えていた時、数学と理科の壁に阻まれて諦めたように、統計の授業が面倒くさくて、結局そのコースを選択しなかった。にもかかわらず、精神医療の問題に、大学院以後は社会学的アプローチで関わるようになるのだから、世の中は面白い。かつ、博論が終わるころまでは、何となく無意識の規制が働いてか、精神科医や臨床心理家の書くものすら読まない、という時期もあった。今から思うと、専門家中心主義の問題を社会学的にみようするのに、その専門家の書き物に魅了されていたら、眼鏡が曇ってしまう、と感じていたのだろうか。だが、30代になり、ようやく「それはそれ、これはこれ」と分けて考える器が育ち始めたような気がする。よって、久しぶりにユング心理学の世界に触れる。

自我の形成が今より遙かに未熟だった当時、先に引用した部分をどれだけ、アクチュアルな問題意識として捉えることが出来ただろうか? おっさんになった今、「「自分の陰のイメージを、実在しているひとのなかに探すのは、それほどむずかしいことではない」というフレーズがグサッとくる。そう、鼻につく人、って、自分の嫌な部分の分身(やその極大化)だから、嫌なんだよね。

自分の薄くなった頭皮を初めて手鏡越しに見た時、妻にデジカメで自身の「背脂さん」を撮影された時、そんな見たくもないけど明白な事実を見た時、すごく嫌な気になって、でも何とも出来ない運命論と諦めて、「しゃあないやないか、おっさんやから」と逆ギレする。「自分の意識の体系を持っているが、それを簡単に作り替えるのは容易なことではないので、ともかく、それをおびやかすものは、悪として斥けがちになる」んだよね。でも、余裕がなく、運命論や悪として斥けた20代とは違い、少しだけ余裕が出てきた30代は、その意識体系を作り替える作業に取りかかろうとしている。昨年からブログで時折触れているダイエットもその1つ。今、76キロ前後で止まっているが、これだって最大84キロから比べたら、大部の進化。でも、何とかもう少し痩せられるのでは、という気になり始めている。これも、意識体系の漸進的な「変容」なのではないか、と感じている。

そういう体型の「変容」を実感出来ると、性格や性質といった意識体系の方も、もしかしたら漸進的な「変容」が可能なのではないか、と感じ始めている。「嫌なんだよね」と他責的文法で愚痴を言う暇があったら、その中に自分で引き受けられる部分を探して、ちいとは改善出来ないか? そんなことを思い始めているのだ。陰を糾弾するのは、文字通りジメジメしていて、陰気くさい。ならば、大変だけれど、それを統合すべく、ぼちぼちと1つずつ石を積み上げていった方が、オモロイのではないか。should,must論ではなく、would like toとして、そんな風に感じ始めている。

単なる春の「血迷い」かもしれない。でも、そういうを大事にしたいような気もする。

生き様としての「補助線」

 

世の中には、たった1時間程度で読めて、かつ沢山の内容が吸収できる本もあれば、逆に一生懸命時間をかけてたどっても、からきしその養分をくみ取れない(あるいは元々養分のない)本もある。今日、ジムの近所で買って、運動30分自宅に帰って風呂読書30分で読み終えたのは、間違いなく前者。

「僕はいま怒濤のような忙しさのなかにいます。一年中、常に働いていて、スケジュールがずっと先まで埋まっている。この状態を自分自身で振り返るうちに、面白いことに気がつきました。少し前までは、『ものすごく忙しく仕事をしている』感覚だったのですが、それが『ものすごく忙しく勉強している』という感覚に変わってきたのです。大勢の前で講演する時も、親しい人と話をする時にも、そこでの対話を通して自分の中に新しい自分を発見している。これは、常に新しい発見が出来るような、高いレベルのコミュニケーション能力が身に付いたと言い換えることが出来ます。」(茂木健一郎「脳を活かす勉強法」PHP53-54

仕事柄こういう「勉強法」の本は読み漁っている。医師などが脳の機能に基づいた勉強法を書いたものも読んでいた。でも、何だか薄っぺらく、うさんくさい雰囲気が漂う。科学的装いを施した精神論、という臭いがプンプンな本もあるからだ。だが、この本は違う。自分の予備校講師時代の経験、あるいは予備校の恩師から教わった考え方と同じ方向性であるからだ。例えば「速さ」「分量」「没入感」という三拍子が揃って「人の目を気にせず、なりふりかまわずやる」という「『鶴の恩返し』勉強法」。これは、僕自身、大学受験の時に実践していた。

二次試験の前、英作文対策として恩師に指示されたのは、「中学校の1~3年生の教科書をとりあえず丸暗記すること」。予備校生としてなりふり構っていられなかった少年タケバタは、家にいるとついだらけて「没入感」に浸れないので、通学定期を持っていた阪急電車を選んだ。京都河原町-大阪梅田間を走る、昼下がりのがら空きの急行電車。かつて車掌室だったデットスペースに陣取り、なりふり構わずブツブツ音読しながら、京都と大阪を何往復もしていた。そうして20日間で、3年間分を丸暗記する、という「速さ」と「分量」をこなすうちに、稚拙でも文意を損なわない英語のフレーズが出てきた。これは、受験から15年以上たった今でも、海外に出かけた折りに、すごく役立っている。

事ほど左様に、自分自身のたどってきた方法論は、彼自身の方法論とも似ていて、かつ脳科学的にもその通りだ、と言われると、何だか嬉しいし、先に引用した「『ものすごく忙しく勉強している』という感覚」などは、そう考えることも出来るよね、という実感と、それから自分自身もそう考えたいよね、という願望が混ぜ合わさった気持ちを持っている。

「誰しも、仕事があまりに忙しい時は『○○をやらなければならない』といった負荷や重圧のため、ついネガティブな発想をしがちです。しかし、そういう時は脳の特性をあまり活かせていない時でもあります。たとえば『確かに忙しいけど、いろんなことを学べるチャンスだ』と見方を変えるのも手です。」(同上、p55

この冬の反省は、『○○をやらなければならない』と「負荷」モードだったことだ。それよりは、『確かに忙しいけど、いろんなことを学べるチャンスだ』と考えられる方が、確かに楽しいし、楽しいことは脳を活性化させる、というのも、よくわかる話。と、こんな風に紹介すると、やっぱり茂木さんってエンターテナーなの、と思われる方もいるかも知れないので、実は茂木本を読むきっかけになった次の一節も引用しておく。

「一見関係がないと思われるものたちの間に『補助線』を引き、その生き様において自分自身が『補助線』と化して、断片化してしまった知のさまざまの間を結ぶ。そのような、世界の統一性を取り戻す精神運動には、途方に暮れるようなエネルギーが必要とされる。怒りこそが、そのようなエネルギーを私たちに与えてくれるのだろう。破壊する怒りではなく、『魂の錬金術』を通して、さまざまを創造する『白魔術』としての怒り。(略)そんな生成の過程は、奇跡的なことのように見えて、実は生きとし生けるものに普遍的な原理そのものに根ざしている。」(茂木健一郎「思考の補助線」ちくま新書、193-194

この部分だけ引用したら、何のこっちゃ、と思われるかもしれないが、そういう方は同書を直接読んでみて頂きたい。何だか彼のパッションをグッと詰め込んだ同書で初めて、テレビ以外の茂木氏を知り、一気に興味がわいてしまった。そう、僕だって何で福祉分野をフィールドにしているか、といえば、単純に「怒り」なんだと思う。「何でこんなままほったらかせてるねん」とか、「こんな状態でほんまにいいんかいな」といった怒り。その怒りを、「破壊」に向けるのではなく、「魂の錬金術」として、そこから、この現実を変えうる可能性のある何かを生み出すことが出来るか?そのために、「その生き様において自分自身が『補助線』と化し」て、色んなモノをつなぎ合わせながら、役立つ何かを差し出すことが出来るか?

自分自身が媒介役となるために、もっと深い勉強が必要。それが、月並みだけれど、この冬の内省期に気づいた一番のことだった。だからこそ、四月の頭に、「『ものすごく忙しく勉強している』という感覚」という枠組みを知れたのは、ラッキーだった。さて、どういう「補助線」を作り出せるか。知ったのだから、ちゃんと実践あるのみ、ですね。

四年目の春

 

先週大阪に出張の折、久々にこのHPの管理人N氏とお茶をする。このHPの体裁を少しリニューアル出来ないか、という議論。

山梨に仕事が決まった時に、高校の後輩で今ではウェブ関連の仕事をしている彼に、HPのコンセプトを一緒に考えてもらい、一からデザインして頂いた。有り難い友人である。だが、ご案内のように、ブログ以外はほとんど更新が出来ていない。もちろん忙しいから、というのもあるのだが、それ以外に、HPのコンセプトに関する認識が、大学で講義をし始めて、だいぶ変わってきたから、というのもある。それは、自分自身のものの考え方の変化、というものと密接につながっている。

ちょうど4年前の今日、辞令交付式で初めて正規職員としての採用証書をもらった頃は、まだ大学の研究者、というより、頭の中身はそれまでのドメインであった「大学院生」「予備校講師」といったものが支配していた。そういうノリでHPの構築もしたし、授業の組み立てもしていた。勿論、その当時を振り返ってみて、その当時の考え方自体が間違っていた、とは思わない。だが、3年ほど研究や教育にフルタイムのプロ(対価を貰うという意味での)として携わる中で、その職業に関する認識やスタンスは徐々に、時には急激に変化していった。

ここしばらく、このブログ上で自身のスタンスの不甲斐なさ、中途半端さを新しい(再)発見に織り交ぜながら書いていたが、それをご覧になられたM先生が、「タケバタさんは今、反省モードなのですね」と仰っておられた。確かにそのモード、である。誰にもあんまり相手にされない、ぺーぺーの学生、のつもりでいたが、気づいたらその発言が多少影響力を持ってしまう立場に変わっていた。福祉関連の書籍や論文を読んでいて「つまんないよ」とブーたれていた一方的読者の立場から、時には「書き手」として「月並みな文章だね」と批判を受けはじめた。外野席から大声でヤジを飛ばしていた時から、内野席でコーチ兼プレーヤーとして、ヤジも含めて受け止めながら、試合展開に気を配ることになった。そして何より、一緒に学ぼうとしてくれる学生達と出合い始めた

こういったポジショニングの転換の中でも、もちろん元々持つ志向性や思考の癖、のようなものは変わっていない。だが一方、その方法論、というか、メッセージの伝え方、ものの受け止め方、といった広義のコミュニケーション戦略については、変えた方がうまく伝わりそうで、かつそれに合理的な理由があると感じられた時には、変え始めている。そのチャンネルの切り替えが十全に出来ているか、と言われると、それはまた別問題だが、とにもかくにも、職責を全うする、と言う意味でのプロフェッショナルとしては、ちゃんとそれをすべきなんだよなぁ、と感じ、行動しようとしている。その中で、研究者としてのポジショニングがどこにあるのだろう、とこの春休みにずっと考えていたから、ここ最近の(再)発見モードになっていたのだ。

先週末の大阪では、山梨に引っ越す前にずいぶんお世話になっていた、あるNPOに立ち寄り、大阪の「お母様」と「妹」と慕う二人の麗しい女性と議論。その場でもすごく感じたのが、「自分はもう、現場の人間ではない」という当たり前の事実だ。確かにそこにはコミットし、年に数回はその現場の活動に参加するし、電話でのやり取りも結構行っている。だが、3年という月日の流れの中で、当然の事ながら、その現場のリアリティは、第一線としては感じられなくなっている。だが、それを単に否定するのではなく、その上での「自分がその現場に返せる役割って何だろう」と考えていた。研究者として、生煮えの中途半端に小難しい言説を吐くことが、決して私に求められている訳ではない。そうではなくて、その現場の実践を、別の立場・角度から分析、整理、説明した上で、その現場の活動・営みが再び元気に・よりよくなってもらうような仕事がしたい、と願っている。明らかにアクションリサーチ的な、対象から離れて客観的に掴む、というより、その対象と寄り添いながら、しかも、その現場が上手く変遷していくお手伝いをしたい、という志向性が昔から強い。だからこそ、では「どう寄り添うのか」、「どう整理するのか」、「どう再定義し直すのか」といったことが問われているのだと思う。

これは自身が関わらせて頂いている県の仕事でも同様だ。昨年度1年間動き回ってみて、必死になって関わる中で、一定程度の認知と多少の信頼は、市町村行政や現場支援者、当事者の方々に持って頂けたのではないか、と思っている。そして、あと1年の任期の間に、では何が出来るか、が問われている。当然そこで求められるのは色んな要素があると思うが、寄り添い方、整理の仕方として現在自分が考えているのが、「特別アドバイザーの任期が終わった後も持続するシステム・考え方・方向性を、どのように作るか」ということだ。これまで行政に一貫性がない、とか、担当者が変わればコロコロ方針が変わる、と批判されてきた。当事者の思いや願いに基づいた政策、ではなく、あるいは政策主体的、とも言い切れず、その場その場で変わる部分は、どの行政をみても、ゼロとは決して言えないと思う。そして、そう批判される行政の中には、一担当者の思いではどうにもならない、構造的問題が色々あることも、少しは学んだ。

そういう所与の条件を加味した上で、自立支援協議会という枠組みを舞台に、どう当事者主体のしかけを作れるのか、そしてそれをどう引き継げるのか、が大きな課題だ。この仕事の後半戦に入って、変えてはいけないスタンスと、そろそろ変えた方が良い部分と、感じている。

そう、教育も、研究も、実践も、新年度で心機一転が求められている。そういう意味で、あのときの決意表明は「エイプリールフール」だったんです、なんて格好悪いことを言わなくてもいいようにしないと、ねぇ。

説得の視点

 

この一週間は旅の日々だった。そして、旅先に持って行ったり、途中で買い求めた本から、改めて大切なことを教わった一週間でもあった。

「『記述』(description)という作業は、観察や記録をもとにして事象の実態を正確または精密に述べることを目的としている。これに対して、『説明』(explanation)という作業は、結果として生じている事象がいかなる原因またはそれに準じた理由を用意して、その関係について納得を得ることを目指している。(略)記述することは、基礎的な作業であって、どのような高度な数理分析も正確で精密な記述データなしには成り立たない。けれども、多くのすぐれた社会学者の作品が私たちを魅了する理由の重要な1つは、単なる概念や事実記述だけでなく、そこから一歩踏み込んで事象の説明による説得の努力をしているからであろう。」(新睦人『社会学の方法』有斐閣、p188-189)

旅先で読み始めたこの方法論のテキストの中で、一番ハッとさせられたのが、上記の部分だ。僕自身の最近の仕事は、「一歩踏み込んで事象の説明による説得の努力をしている」だろうか? 単なる概念や事実記述でお茶を濁していないだろうか? 多忙を理由に、「説得の努力」を放棄していないだろうか? そう振り返ってみて、沖縄行きの機内で読んでいたあるフレーズを思い出す。

「事件や現象はそんな一面的なものじゃない。もっと多面的なはずだ。でもメディアは、その多面性からどうしても目をそらす。そしてその帰結として、事象や現象はかぎりなく単純化される。こうして世界はメディアによって矮小化される。そしてこの矮小化された単純簡略な情報に馴れてしまった人たちは、複雑な論理を嫌うようになる。つまり胃袋が小さくなる。後はもう悪循環。わかりやすさを好む視聴者や読者によって、メディアは事件や現象の単純化を当たり前のようにこなし始め、そのスパイラルが加速する。」(森達也『視点をずらす思考術』講談社現代新書、p138)

15日は大学の卒業式。二回目の卒業生を送り出した後、沖縄行きの最終便に乗り込む前に羽田空港の売店で買い求めたのが、上記の新書。いつものように森達也氏の視点が面白くて、結局那覇のホテルで床につく前には一気に読み終わる。この森氏のメディアへの警句は、書き手としての僕自身への警句としてもグサリときたのだ。

伝え手が、「説得の努力」をしていないだけでなく、その基盤となる「記述」に際しても、「単純化」「一面化」していたとしたら、目も当てられない。複雑な論理を解きほぐしながら説明する、ということから全く遠ざかり、「単純簡略な情報」として記述しているようでは、それは「記述」以前となってしまう。

1月から3月にかけて、やっつけ仕事のようにバタバタとスケジュールをこなしながら、心身共に不全感が蓄積されていった。で、ご先祖のお墓参りのついでに休養をとろうと南の島まで逃避行するフライトの中で、早速自身の精神的不全感の原因について気づかされる。「説明」する仕事が出来ていないばかりか、「記述」する姿勢もなっていなかったのだ。

「僕のメディア・リテラシーの定義は、『メディアは前提としてフィクションであるということ』と『メディアは多面的な世界や現象への一つの視点に過ぎない』という二つを知ること。自分の視点をずらすだけで新しい位相や局面が、断面や属性が、まるで万華鏡のようにあらわれる」(同上、p42

そう、独自の「説明」するためには必要不可欠な、「自分の視点をずらす」ということが、できてなかったんだよね。自分自身の頭を通して、自分の眼鏡でしか見えないものをみて、そこから稚拙でも自分なりに説明する。このサイクルが出来ていなかったのだ。情けないけれど。だからこそ、月並みな論理、月並みな記述、月並みな説明しか浮かんでこない。月並みな説明なら、ネットをちょっと引っかければ五万と出てくる。何も僕がしゃしゃり出る必要は全くない。そういう「ゴミ文章」を自分は書き散らしていたのか、と思うと、ドッと倦怠感が襲う。でも原因がわかってくると、多少力もわいてくる。

南の島で木曜日まで心身ともに充電し、金曜日の朝に6日ぶりにメールを開いてみるが、恐れていたほど処理に時間もかからない。なあんだ、メール&パソコン依存症状態だったんだね、とわかる。どうも最近パソコンの前にいる時間が長すぎて、じっくりと考え、視点をずらし、論理を構築する時間的余裕をつくっていなかったようだ。きちんと休みを取ること、自分の頭で考えること、この二つは、真っ当な仕事をするために、必要不可欠。研究の上でも、実践の上でも、今、もう一皮むける必要性を感じている。この一皮むけるためには、情報に溺れて「知ったかぶり」することなく、落ち着いて自分なりに論理構築をする時間的余裕を作るのが前提なんだよね。

と、何だかゲームのやりすぎをたしなめる親や教師の「お小言」に近い文言を書いてしまった。さて、パソコンはこれくらいにして、ちゃんと考える時間をとらないと。

ステップを合わせる

 

寝る前の、しかもこんな丑三つ時にパソコンの前に向かうのは、安眠のためによくない。こないだニュースでも、就寝直前のPCとの接触が、睡眠の妨げになるって言ってたっけ。でも、にもかかわらず、最終の「かいじ」で家に戻る車内で読み始めた本を、風呂につかりながら読み進めていて、どうしても、短い時間でいいから、今晩中に触れておきたいフレーズに出会った。

「ストーリーテリングはダンスである。このことは、1人の人が誰か他の人に、『あなたは変わるべきである。もしあなたがこうしたら、○○はより良くなるだろう』ということではない。もし、それがただ彼らに語られたものであるだけであるなら、そして彼らがその会話で何も経験しないなら、1ヶ月後、誰がそのことについて考えるだろうか? あなたが物語を語っているとき、そして、より重要なことだが、あなたが誰か他の人からの物語から刺激を受けて新たに物語を創り出しているとき、それが2人の会話であろうと、20人の会話であろうと、そのときそのすべての会話がダンスになる。それは行ったり来たりするし、さらに来たり行ったりする。そして、より重要なことだが、もしあなたが真に聞き、そしてあなたが真に知りたいなら、物語の交換から生じる率直さ、誠実さは、エネルギーを与える経験になる。人々がそうしたエネルギーをもらったその後に、彼らは自分たちが言ったことはちゃんと聞かれていると感じるし、さらには認められているとさえ感じる。彼らは、それが自身の本能や心の中でひびいていると感じることができるのである。このエネルギーによって、彼らはできるかぎり何か新しいものを見始めることができる。」(カタリナ・グロー「教育用ビデオ制作におけるストーリーテリング」『ストーリーテリングが経営を変える』同文館出版所収、p218-9

読んでいて思った。そうか、多くの場面で僕は「独り相撲」してたんだ、と。

先日も、同様の失敗をしてしまった。ある現場での講演会において、私ともう1人の方が講演をしていた。当日、開催時間が遅れたこともあってか、終了時刻を過ぎても、こちらが伝えたい話が伝えきれずにいた。後数分でまとめよう、と焦りながら話していたとき、フロアのある男性が、突如大声でこう仰った。

「そろそろ話を切り上げたらどうですか!」

まったく思わぬ方向から飛んできたタマに、大パニックになってしまった。ここからある程度話をまとめて、という展開が、ボキッと折られたのだ。一息ついて、深呼吸をして、謝るところから、スタートすべきだった。なのに、なのに。思い出すだけでも情けないのだが、あろう事か、逆ギレ、とまではいかないものの、怒りながら話をまとめている自分がいた。一度そうやって短気に火がついてしまうと、収集が全くつかない。今までの1時間半以上かけて暖めてきた(であろう)雰囲気もぶちこわし、さんざんな講演会だった。自分自身、すっかり嫌になってしまっていた。

で、なぜその時、そのオジサンがそんなことを仰ったのか。理由は色々あるかもしれないが、今にして思うと、僕のその時の語り口が、『あなたは変わるべきである。もしあなたがこうしたら、○○はより良くなるだろう』的なものだった部分に起因するような気がする。実は、数日前、その会に参加していた他の方にお逢いした際、同様のことをやんわり注意されていたのだ。だが、その時は、まだ気づけずにいた。しかし、風呂読書の中でこのフレーズに突き当たった時、氷解していった。そうか、またいつもの“I am right, you are wrong!”的フレームワークをやっちゃんたんだ、と。

馬鹿な話だが、最近まで、こちらが一生懸命語りかけることが大切だと思い、そのことにのみ専心している自分がいたことに気づいた。だが、「彼らがその会話で何も経験しないなら、1ヶ月後、誰がそのことについて考えるだろうか?」というフレーズが、まさに僕にも問われている。僕の、少なくともその日の講演では、その場の参加者が「何も経験しな」かったのだ。「物語の交換」をするどころか、延々と「タケバタの物語」を押しつけていたのだ。それを2時間もやられたら、そりゃ、僕だってたまらない。早く終わらないか、と気になって当たり前だ。つまり、「行ったり来たりするし、さらに来たり行ったりする」ようなダンスを踊れていなかったのだ。

自分以外の誰かに「できるかぎり何か新しいものを見始める」ようになってほしいと願うとき、お説教モードの独り相撲では絶対に動かない。ちゃんとまず僕自身から、相手のストーリーを伺い、相互交換する中から、少しずつ、共鳴する部分を探り出していくべきなのだ。そういう、チューニングを合わせる作業、つまりはダンスのステップを合わせる作業をしていく「行き来」の共同作業の中から、信頼と、心を溶かすきっかけが産まれるのである。脅すのでも、教化するのでも、こじ開けるのでもない。大切なのは、向こうから開くのを、一緒にステップを踊りながら、誠実に待つことである。

これは、会話でも講演でも同じ部分があると思う。その場の雰囲気にちゃんと共鳴し、その流れにうまくチューニングを合わせ、ステップを踊れるか? 逆ギレする、というのは、僕自身が踊る資格がないことを白日の下にさらしている、と証明しているようなものだ。情けない。1:1でも、50人を前にしても、きちんと相手をみて、相手とダンスできるように心がけられるか? 自分自身の勝手なストーリーを押しつけていないか? 1人であろうと、集団であろうと、その相手と共にダンスを踊ろうとしているか? 

明日からは、まずステップの練習からだね。