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個性化への道

2週間ばかり、ブログの更新が止まっていた。
連休明けの週末から週明けにかけては、大阪や三重の現場で、研修をしたり、議論をしたり、の外回り。一方、先週末から今週の冒頭は、今取り組んでいる単著の書き直しに没頭。そして、平日は大学の講義もあるし、今年から学内委員会の委員長になってしまったので、その学務の段取りや仕込みもある。とかく、いろいろ忙しい。
だが、そうやって日々動き、考える中でも、とくに今の時期は、自らのあり方を捉え直す時期なのだと感じている。たとえば、個性化について。
何を今更、個性なのよ、と言われそうだ。そんな、くよくよ悩んでいるのですか、と。
いや、そうではない。自らの個性化への道に、素直に向き合いたい、とようやく思うようになってきた、ということだ。
以前のブログで、福田和也氏の本に出てきた「やりたいこと」「できること」「世間が求めること」について、取り上げた。久しぶりに自分が2年前に書いていたブログの内容を読み返して、この2年での変化を感じている。2年前の段階では、「世間が求めること」に取り組むこと、そして「できること」のレパートリーを広げること、に必死になってきたのだが、それだけでいいのだろうか、と疑問を感じ始めた頃だ。もちろん、自らの技芸を磨くことは大切である。また、対価を頂く仕事として、その品質を保つことは社会人として当然の責務である。だが、その一方で、技芸を磨き、責務を果たすだけでは、常に「他者」という評価軸を意識していることになる。その「他者」軸に依拠し続けることに、何だか閉塞感というか、苦しさというか、そういうものを感じ、それを乗り越える為にどうすればいいのか、もがき始めたのが、ちょうどこの2年前という時期であった。
そして、今更ながらだが、個性化についての古典の中に、自らのプロセスが見事に言語化されている一節があった。
「個性化とは、まさに人間の集合的な使命を、よりよく、より完全に満たすことになるのである。というのは、個人の特性に十分な配慮が払われれば、それが軽視されたり抑圧されたりしたときよりも、より大きな社会的功績を期待できるからである。すなわち個人のユニークさとは、けっしてその実質や構成要素が変わっているということではなく、むしろ、それ自体は普遍的な機能や能力の組み合わせが、ユニークであり、分化のしかたが少しずつ違っているということなのである。」(ユング『自我と無意識』レグルス文庫、九四頁)
そう、「人間の集合的な使命を、よりよく、より完全に満たすこと」としての個性化。それは、たんに「やりたいこと」をやるだけでは、僕の場合は恐らく達成できない。「できること」を広げ、「世間が求めること」に応え続けるなかで、少しずつ醸成されてきた何か、ともいえる。
大学の教員になって8年目になるが、去年あたりから、少しずつ変化していることがある。去年までは、講義において、ある程度確定的になった理論や価値観について、その背景知識も含めて説明していた。その際、それを説明なり解説なりする僕の価値観、についての表明はなるべく抑制的であった。僕自身の「押しつけがましさ」という限界は理解しているつもりであり、それが教育場面で逆効果にならないよう、様々な社会問題そのものを学生にぶつけ、そこから考えてもらい、対話しながら論点を深める、という形での講義を展開していた。
その際、学生さんにしばしば問われたことがある。それは、「一つ一つの講義で取り上げる素材は面白いけど、全体としてどう繋がっているのかわかりにくい」ということ、また、「先生はその問題についてどう思っているのか、教えてほしい」ということ。この2つは、何度も言われてきた。でも、敢えて言わない方がいいのではないか、と思い込んでいた。それが、先ほど書いた自らの「押しつけがましさ」に関してのわきまえである。だが、最近波長が少し変わってきた。それでは、学生を信じていないのではないか、と。僕が、「自らの価値観の表明だから、鵜呑みにしなくて良い」と宣言した上で、事実や理論と、自らの価値を分けて表明したら、学生さんにも誤解なく伝わるのではないか、と。
実際、そうしてみると、実に伝わる。昨年より、反応が随分よい。また、僕自身、講義で取り上げるひきこもりや自殺、認知症ケアやシングルマザー支援などについて、講義の最後に自分の価値や考えをしゃべってみると、実はこういう事を「語りたい」と思っていたことに、遡及的に気づき始めた。つまり、僕はこれまで教員として「できること」のレパートリーを広げ、学生に「求められていること」を伝えているつもり、になっているが、それと自らの「やりたいこと」を講義という枠組みの中でつなげきっていなかった。それが、自らの中で消化不良であり、学生さんにとっても不全感や消化不良として残っていたのではないか、と。
僕自身は、音楽や絵画、スポーツなどでの自己表現が得意ではない。ただその分、しゃべったり、書いたり、という表現方法を選んだ。いや、最初のうちは、それしか考えられなかった。でも、その書く・話すという表現方法においても、「できること」の幅を広げ、「世間に求められていること」に応える中で、いつのまにか、「やりたいこと」の追求がおろそかになっていた。そして、数年来感じていた閉塞感とは、この自己表現としての「やりたいこと」の追求が出来ていないことに起因する何かではないか、と感じ始めている。たとえばこのブログでの自己表現だって、読んだ本から考えた事を表明する、という意味で、「できること」の拡充の手段であり、そして、無意識に書く内容を「世間に求められていること」から逸脱しない範囲に勝手に自己規制している側面がある。そういう点で、「やりたいこと」としての自己表現から、随分逸れた中身になっていたと気づき始めた。
そして、昨年あたりから、講義や講演、あるいは書き物で、少しずつ、自己表現しはじめている。話したいことを話し、書きたいことを書く、というシンプルなことだ。すると、今までより評判が良くなってくるから、不思議なものだ。それは、僕の中で、「できること」と「世間に求められていること」の全体像がおぼろげに見えてきた上で、単にそれに応えるだけでなく、その上で、僕が表現したいことを付け加えようとしているから、かもしれない。それが、ユングの言う「普遍的な機能や能力の組み合わせが、ユニークであり、分化のしかたが少しずつ違っている」ということなのだろう。そんなにオリジナルなことを書いても語ってもいない。だが、その「組み合わせがユニークであり、分化のしかたが少しずつ違っている」ことに興味を持ってくださる方が、少しずつ増えてきている、のかもしれない。
すると、この個性化の過程、というのは、何もどんなブランドに身を包んで、とか、どういう思想に傾倒して、ということではない。むしろ、日々の暮らしの中で、「できること」の技芸を磨き、対話の中で「世の中に求められていること」の責務を理解し、それに応えながらも、その2つに埋没しないこと、を意味しているのだろう。そのうえで、自分なら、どのような「組み合わせ」と「分化」を選びたいか。この「したい」の本性を大切にし、この本性の流れに身を任せて、自己表現を続けて行く。それが、僕の場合はたまたま本業に近い、文章を書いたり、講義をしたり、で実現できそうだ。だが本業でなくても、土との対話、もの作り、山登り、絵や音楽、スポーツ・・・でも何でもよい。そういう自己表現の中に本性を落とし込むことができたとき、人は個性化の道をたどり始めるのではないか。
今朝起き抜けに「個性化の過程にいる」と感じた。その直観がどこまで文章に落とし込めたかはわからない。でも、僕自身、そんな個性化の旅に身をゆだねようと決意した。そういう自己表現を大切にしよう、と。今週末も、その創作期間に入ります。

事後対応型を超える為に

ブログを書き始めて、今月で8年目に突入する。

山梨で大学教員になった2005年の5月に、今はウェブデザイナーをしている高校写真部の友人に、ドメイン取得からブログサイト構築までお願いして作ってもらった。やっと定職に就いた、という嬉しさと、大学教員という肩書きのすごさへのビビリと、がないまぜになる中で、身辺雑記的なものを記録しておきたい、と思って始めた。当時はツイッターもFBもなかったので、また僕はミクシィとはご縁がなかったので、身辺雑記のウェブでの公開、というのはブログという手段しか無かった。
で、久しぶりに8年まえのブログを読み返して、自らの当時の「ビビリ」の姿勢がよくわかる。例えばJR西日本の列車脱線事故に関するブログ。事件発生の当時から、マスコミの糾弾の仕方に違和感を感じていた。事故を起こした運転士やJR西日本という会社を徹底的に糾弾する一方、なくなられた方々の遺族に「お気持ちは?」とカメラを向けまくる手法。これは、祇園や亀岡の車の暴走事故や、あるいは長距離バスの追突事故とも全く同じ構図である。確かに、事故は本当に許せないものだし、加害者である運転士・手や、管理する立場の運行会社の問題は、徹底的に追求すべきである。でも、この当時のブログに書き付けた違和感は、加害者の糾弾と、被害者家族に「お気持ちは」と追いかけるだけがマスコミの仕事なのか、という問いである。8年まえはそれを「個々の個人、会社”だけ”の責任なのか?」「時間感覚について」の二点で考えていた。
だが、8年まえは、この二つを書く事すら、こわごわと書いていた。だから、最近のブログと比較すると、実に文章が短い。事故が起きた直後に、こんなことを言うのは「不謹慎」ではないか。そういう「空気」を読んで、マスコミ報道の潮流とは違うことを言うことを、恐れている自分が一方でいた。根拠も無いのに、直感だけでこんなことを言っていいのか。ちゃんと勉強もしていないのに・・・。そんな恐れをなしていた。
あれから8年。今振り返ってわかったことは、直感は案外正しい、ということだ。ただし、ある程度、知識や情報で論理的な肉付や構造化をしないと他者には伝わらない、という限定付きではあるが。
この列車脱線事故にしても、その後の事件報道にしても、この時の直感で感じていたことを、今なら次のように構造化できる。
マスコミ報道の違和感は、問題を「事後対応」型で処理し、しかも「個人モデル」で検討している点にある。
こう書くと、次のような反論も来そうだ。起こってしまった事件を取材するのだから、当然「事件後」の「対応」じゃないか。しかも、過失責任のある個人や、それを監督する立場にある組織の問題を徹底的に追求するのは当たり前じゃないか。
確かに、一見すると、その通り、である。だが、この「事後対応」で「個人モデル」型の糾弾の仕方は、大岡裁きや水戸黄門を見ている観客のように、事故や事件に関係ない一般市民にとって「勧善懲悪」的な関心を持たせる。「本当にひどいねぇ」「言語道断だ」「被害者はいたたまれない」といった感情を持ち、マスコミ報道に「憑依」していく。被害者のつらさに共感し、加害者・組織への怒りを強める。
だが、その感情を、何ヶ月、何年と持続できるだろうか・・・。
マスコミは、毎日毎日、ニュースを追いかける。それはsomething newでありsomething interestである。新しさと面白さがある素材を追いかける。連日報道する内容は、新事実という面白みがなくなった段階で、「賞味期限切れ」であり、次の事件や事故の報道に切り替わる。読者・視聴者も、めまぐるしく報道される新しい何かに釘付けになり、あれだけ怒ったり悲しんだりした以前の事故は、すっかり忘れてしまう。厳しく言えば、「他人事」だから、マスコミ報道に「憑依」して共感や怒りを持ち、「他人事」であるがゆえに、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」。ニュースのワイドショー化が言われて久しいが、事件を「ドラマ」化して、「他人事」として消費している。
だが、本当にある問題を「問題だ」と感じるなら、構造的類同性の方にこそ、目を向けなければならない。8年まえに感じていた「時間感覚」や「個人責任への矮小化」の違和感とは、結局のところ、「問題の一部は自分自身ではないか?」という問いであった。もちろん、その当時、そんな言葉を全く持っていなかったが。
電車が1分でも遅れたら、運転手や車掌が「お急ぎのところ、申し訳ありません」と謝罪する。ちょっと待ってよ。たった数分じゃない。でも、1時間とか2時間とか遅れようなら、駅員に喰ってかかり、時には傷害事件にすら発展する。「そんなに急いでどこにいく」。この「早く」「正確に」という事への強迫的願望が、僕やあなたの中にすくっていて、それが、遅れを許さない、遅れに罰を与える、という鉄道会社の内在的論理に組み込まれた。その内在的論理に抵触する「遅れ」に焦った、「出来の悪い」運転士が挽回しようと必要以上に速度を出した。すると、そういう事を要請した私たち自身の「早く」「正確に」という強迫的願望が、事故の背後にあるのではないか。
そして、これは高速バスの事故でも同じような構造的類同性を感じる。デフレで規制緩和をすることによって、バスの価格破壊がすすみ、安全の担保よりも値下げ競争が強まった。それは、過剰な安さを求めた、僕たち自身の願望の裏返し、とは言えないのか。確かに、日本では必要以上の規制が多すぎるし、それは緩和しなければならない。でも、安全や安心に関わる規制まで緩和の対象にして、本当に大丈夫なのか。これは、混合医療に向けた規制緩和を求める声、あるいは義務教育のバウチャー制度化を求める声、にも同じように感じる危惧である。規制緩和や自由化は、情報の非対称性が強く、安心や安全を担保すべき領域では、馴染まないのではないですか、と。
こういう、出来事の背後にあるパターンや構造こそ、問題がある。これは、8年後なら、やっと言える。最近読んでいる分厚い本にも、こんな風に書かれている。
「なぜ構造の説明が重要かというと、それをもってしか、挙動パターンそのものを変えられるレベルで、挙動の根底にある原因に対処することができないからだ。構造が挙動を生み出すゆえに、根底にある構造を変えることで異なる挙動パターンを生み出すことができる。この意味で、構造の説明は本質的に生成的(根源から創造する)である。また、人間のシステムにおける構造には、システム内の意思決定者の『行動方針』も含まれるので、私たち自身の意思決定を設計し直すことがシステムの構造を設計し直すことになる。」(ピーター・M・センゲ『学習する組織』英治出版、p104)
ある事件や出来事の背景には、共通の挙動パターンや類同性がある。その背後には、何らかの問題が構造化可能だ。そして、その構造を解き明かし、説明することが、問題を本質的に解決するためには必要不可欠だ。本当に感情的に「許せない」と絶叫するなら、その気持ちを、論理的に問題を解決するためのエネルギーとして使った方がいい。だが、加害者やその会社、関連団体に苦情電話や誹謗中傷をするエネルギーがある人も、それを構造問題を解き明かすために使おうとしているかどうかは、甚だ疑問である。祇園の事件の後、日本てんかん協会に誹謗中傷攻撃を仕掛けた人のどれだけが、てんかん病のある人が追い詰められずに働ける構造を作る為の構造的説明に時間をかけているだろうか。
「○○が悪い、許せない、責任者出てこい」
こういう風に他者を誹謗中傷するのは、ある種の人にとっては、勧善懲悪のドラマの主人公に憑依できているようで、気持ちよいだろう。だが、その一瞬の「すかっとさわやか」はあっても、そこから問題を本当に解決しようとしていないのであれば、事件をダシに消費しているだけで、他人事であり、無責任であり、そういう事件を消費して楽しむスタイルだって、言語道断、とは言えないだろうか。
長くなってきたので、結論を急ごう。本当に問題を解決したければ、「事後対応型」の「個人モデル」ではダメだ。起きてしまった事故を繰り返さない為には、事故を教訓に、「事前予防型」の「社会環境改善モデル」を採らなければならない。
「システムの構造を設計し直す」には時間がかかる。そして、そのシステムで安住している自分自身の「根源」も時には揺らぎかねない。変化を求めない人にとっては、個人に問題を矮小化し、「あいつが悪いからあいつが変わればいい」と他人事で見ていた方が楽だ。でも、「挙動の根底にある原因に対処」しない限り、問題は本質的に解決しない。本当に「異なる挙動パターンを生み出す」=つまりは、事故を繰り返さない、ことを求めるならば、「根底にある構造を変えること」が求められる。こういうラディカルさがないと、本質は何も変わらず、「熱さ忘れた」頃に、また同じような事故という挙動パターンを繰り返すことになる。失敗学が提唱している失敗から学ぶ、というのは、そういう「システムの構造を設計し直す」ための学びなのだ。そして、それを設計しなおすことは、そのシステムの構造に影響を与えている・与えられている、意思決定者の一人である僕やあなたの考え方を変える、ということも求められる。だからこそ、問題の一部は自分自身、でもあるのだ。そういう構造的類同性に気づけるか。問題の一部を自分自身、と引き受けられるか。
最後に現在から未来の問題について。原発災害で、脱原発か原発再稼働かで国論を二分している。この時に大切なのも、「事前予防型」の「社会環境改善モデル」で構造から根源的に考え直す視点だ。その時に、別に原子炉の構造や資源エネルギー政策を詳細に熟知している必要は無い。新聞記事レベルでも始められる。「問題の一部は自分自身」という視点で、電力に過度に依存する自分自身とシステムの問題を見つめ直すことが、まず決定的に大切なのだ。自分が変わらないのに、他者に変われ、と言っているだけが、最も他責的で、傲慢なのではないか。僕はそう感じている。
追伸:今日のブログは、ちょっと前に読み終えた佐々木俊尚さんの『「当事者」の時代』(光文社新書)にかなり感化されている部分がある。ただ、研究室にその本を置いてきてしまったので、引用は直接出来なかったが、メンションしておく。分厚いけど、マスコミの「憑依」の問題を徹底的に問い直す、非常に良い本です。あまり売れていない、と佐々木さんはツイッターで呟いておられたが、あれはロングテールのように、長期的に読まれ続ける良書だと個人的には思っている。少なくともAmazonで平均☆三つの評価、は酷い。僕なら間違いなく五つ星にする。

タケバタヒロシの当事者研究

たまに、普段なら読むことのない本を手に取ることがある。タイトルだけみたら、避けていたかもしれない。でも、とある書評で興味を持って、注文をかけた本が昨日職場に届いていて、結果的に一晩で読み終えた。かつ、今抱えているしんどさの原因が、だいぶすっきりわかってしまった。

「敗者が抱えている問題は『運』と『計画』を区別できないことである。」(マックス・ギュンター著、『運とつきあう-幸せとお金を呼び込む13の方法』日経BP社、p33)
ここには、随分深遠で本質的な命題が書かれている。そして、僕が混乱しているとき、ひどく落ち込むとき、実はここに書かれているように、「『運』と『計画』を区別でき」ていなかった。それは一体どういうことか? まずこの二つの言葉を定義する必要がある。
「運(名詞) あなたの人生に影響を与える出来事であるが、自分で作り出せないもの。」(p11)
ふむふむ、極めて真っ当な、かつわかりやすい定義ですね。確かに「運」は「自分で作り出せない」けど、「人生に影響を与える出来事」だもんね。で、「計画」はどう定義されているのか? 実は運ほどきれいに定義されていないが、次の例を読めば、筆者のいう「計画」の定義がわかる。
「車の運転をするときには自分の腕前(計画)を信じていれば、たいていは無事に目的地にたどりつく。まれに不運がめぐってきて、目的地にたどりつく前に飲酒運転の車に衝突されるかもしれないが、そんな不測の事態が起こる可能性は小さい。こういった状況は計画が運を凌駕する例の一つで、計画が99パーセントを支配し、運の役割は一パーセントにすぎない。」(p35)
確かに車の運転が自分でコントロール不能な「運」に支配されているなら、危なくて仕方ない。自分の腕前というコントロール可能な「計画」が支配的であるから、その基本的な腕前を身につける教習所に通い、検定に合格したら、最低限のコントロール可能性としての「計画」が出来るという免許がもらえるのである。ここまで、すんなり頭に入った。ここから、実に興味深い展開がはじまる。
「人間の欠点や能力と同じように人生も運に支配されている。不運に見舞われたら事態を冷静にみきわめることだ。本当に自分がミスを犯したために失敗することもあるだろう。何かヘマをしでかしたのか、そもそも能力が足りなかったのかもしれない。けれども、9割がたは運に支配されていたにすぎない。それならば『運が悪かった』と認めるのは決して恥ずかしいことではない。ニューヨークの心理療法士、ナンシー・エドワーズ博士は、患者の中でもっとも深刻なのは自分のせいではない出来事について自分を責めるタイプで、そうした人はたいてい不運続きの人生を送っているという。」(p42)
恥ずかしながら、僕自身の大きな課題の一つに、この「患者の中でもっとも深刻なのは自分のせいではない出来事について自分を責める」という行動様式がある。くよくよしがちで、発言に対する他者の対応や反応を気にしたり、あんなことを言わなければよかったという後悔が激しい。それが支配すると、悪夢のようにグルグルと自分の体内を駆け巡る。何度も何度も、スルメをかみ直すように、思い出し「くよくよ」をする。それで、随分心的エネルギーを浪費していると思う。しかも、メールや発言の一言でくよくよしているけど、案外他人は何とも思っていなかったりするので、それが無駄だと頭でわかっていても、やはりクヨクヨする。
少し横滑りするが、連休中にユングを読んでいて、どうもこのクヨクヨは単に否定的傾向、というよりも、一つの人格としての「アニマ」なのではないか、と思うようになってきた。
「男性のあるべき理想像としてのペルソナは、女性的な弱さによって補償される。個体は外的に、強い男性を演じる一方、内的には女性に、つまりアニマになる。ペルソナに対抗するのはほかならぬアニマだからである。しかし内面というものは、外向的な意識に対しては暗く、見えにくいものであり、またひとがペルソナと同一化していればいるほど、自分の弱さを考えることができなくなるため、ペルソナの対立物であるアニマも、完全に暗闇にとどまることになる。したがって、アニマはまず外部に投影されるほかなく、それによって、英雄も妻の尻にしかれる仕儀となるのである。」(カール・G・ユング『自我と無意識』レグルス文庫、p128)
僕は、英雄ではないが、妻の尻には確かにしかれている。また、それを望んで?気の強いパートナーを選んだ部分もある。また、ペルソナとしては、前回のブログで書いた単著の中で分析したけれど、大学教員というペルソナに圧倒されて、違和感を感じ始めたあたりから、どうも身体症状としての冷え性や肩こりが酷くなった部分もある。クヨクヨや後悔、という傾向も、大学教員としての社会的な人格が成長する中で、いっそう強まっていった部分もある。それをアニマ、とラベルを貼ってみたとき、ユングの次のフレーズがすごくすっと心の中に入る。
「彼がなすべき唯一正しいことはアニマの姿を自律的人格として把握し、それに人格的な問いをさしむけることなのである。」(同上、139)
そう、「クヨクヨさん」は、否定すべき、打ち消すべき弱点、ではなくて、「一つの人格」としてのアニマと考えてみたら、どうなるだろう。「それに人格的な問いをさしむける」って、まるでべてるの「当事者研究」そのものだ。確かにべてるの当事者研究は、自分でコントロール不能な幻聴や幻覚、妄想に基づく嬉しくない行動の発露に対して、「幻聴さん」などと「一つの人格」を与え、当事者やソーシャルワーカーなどの「研究仲間」とともに、その一つの人格と向き合い、その行動が変わるためにはどうすればいいか、を「研究する」というスタイルである。
と、研究者的に定義できる「知識」はもっていたが、まさか自分自身が「当事者研究する」とは思っていなかった。でも、そういえば、べてるでは、専門家だって、自分の当事者研究をする、って言っていたよなぁ、と、浦河に訪問したときに聞いた話がよみがえる。でも、あのときは一般論として他人事的に聞いていたのだな、と今、改めて感じる。
さてさて。
で、「クヨクヨさん」と「自律的人格として把握」して、連休中にクヨクヨさんがもたげてきたら、「あんたは、それで何をしようとしているの? どうしてクヨクヨしたいの?」とぶつぶつ問いかけてみた。妻は当然気持ち悪がっていたが。でも、アニマという一つの人格として問いかけはじめた矢先に、先の「運」と「計画」について読んだので、「クヨクヨさん」の構造が、かなりハッキリわかり始めた。長い迂遠の後に、『運とつきあう』の議論に戻る。
先の定義に従えば、運とはコントロール不能なものであり、計画は反対にコントロール可能なものである。努力して頑張れば誰でもその能力が高まるのは、定義に従うと、運ではなく計画である。逆に、頑張ったところで、自分がコントロールすることができないもの、それが運である。
で、「クヨクヨさん」は、運なのか計画なのか。あんなことをしなければよかった、というのは、する事の反省であるから、これは計画である。だが、「クヨクヨさん」が自分の中で支配的な時、それは行動の反省を超えている。その背後で、他の人はどう思うのだろうか、よく思っていないんじゃないか、という他者の評価や思いを推測する気持ちが大変強くなっている。その、他者評価や他人の思惑は、自分でコントロールする事が不能なものだ。ということは、制御可能な計画では無く、制御不能な運、ということになる。つまり、「クヨクヨさん」というのは、自分の行動の反省という「計画」側面が支配的に一瞬見えるが、その実態は制御できない他者評価に妄想的に振り回されているという意味で、実は「運」の側面が支配的な人格なのである。
そして、「もっとも深刻なのは自分のせいではない出来事について自分を責めるタイプで、そうした人はたいてい不運続きの人生を送っている」とは、コントロール不能な運を、コントロール可能な計画と誤認して、「自分を責めるタイプ」である、と見立てると、すっきりする。確かにそういうコントロール不能なことで「クヨクヨ」してたって、何の改善も見られず、疲れるばかりで、「不運続きの人生」になるよね。って、あ、僕自身も「クヨクヨさん」とそういう付き合いをしていたかもしれない!!! これが、タケバタヒロシの当事者研究的には「世紀の大発見」なのである。
これは、何でも計画制御可能である、という近代合理主義に落とし穴のような部分でもある、と感じる。そして、そのことは、計画制御について分析した別の本を想起させる。
安冨歩氏は『複雑さを生きる』(岩波書店)の中で、「調査・計画・実行・評価」という計画制御の枠組みを「人間の関与する事態に適用することは、原理的に不可能」(p109)と言い切る。単純な二足歩行や、砲台からの敵艦射撃を例にあげ、単純に見える動作でも、いかに技術やコンピューターで制御しにくいか、コントロールが難しいか、を分析した後、次のように述べている。
「仏教ではものごとの主要な影響関係を『因果』、副次的な影響関係を『縁起』と区別することがある。『因果縁起』ということばは、ものごとが単線的な原因結果関係で成り立っているというのとは正反対に、物事が複雑な相互関係にあることを示す。このような観点からすれば、世界がなんらかの安定状態にあるということは、事物の複雑な相互関係がそれなりの安定状態を達成するように『なっている』としか言いようがない。これを無理に『因果』だけを取り出して制御しようとすれば、ひどいことになるのはあきらかということになる。」(p119)
コントロール可能な「計画」という「因果」の世界の背後には、コントロール不能な「縁起」という「運」の世界が拡がっている。いくら行動を制御しきったとしても、それは「因果」の世界のみ。「複雑な相互関係」のなかで「世界がなんらかの安定状態にある」とき、それは「因果」だけでなく、「縁起」の部分が大きい。それを「因果」でコントロール可能だ、と思い込むことこそ不遜であり、計画制御やPDCAで全てが解決する、なんてはずはない。コントロールが本来出来ないことまで、計画制御をしたら可能だ、というのは誤認だ。こう、安冨先生は喝破している。
で、これを「クヨクヨさん」の原理に当てはめてみよう。(急に高尚な話から卑近な例に戻るが)
先に、「クヨクヨさん」というのは、自分の行動の反省という「計画」側面が支配的に一瞬見えるが、その実態は制御できない他者評価に妄想的に振り回されているという意味で、実は「運」の側面が支配的な人格なのである、と述べた。自分では「因果」の枠組みで制御可能だと思っているが、大半の部分はそう「なっている」という意味での「縁起」的世界が、クヨクヨさんの支配的構成要素である。そして、先に「クヨクヨさん」はアニマである、と言ったが、ユングが言うように、アニマの存在する「内面というものは、外向的な意識に対しては暗く、見えにくいものであり、またひとがペルソナと同一化していればいるほど、自分の弱さを考えることができなくなる」という性質のものである。つまり、「クヨクヨさん」という僕の中での自律的人格は、無意識の世界で「見えにくい」存在であり、かつ無意識の世界にお住まいの方なので、計画制御でコントロール可能なもんではない、「縁起」的存在である、ということなのである。
で、「縁起」的存在、つまり「運」の要素が強い「クヨクヨさん」と上手くつきあうにはどうしたらいいか。これには、実にシンプルな答えが用意されている。
「結果が悪いのは自分のせいではない。だから力の続く限りがんばればいい。」(ギュンター、同上、p45)
「運」と「計画」を区別する。区別した上で、起こってしまった出来事はコントロール不能な「運」=「縁起」だと割り切る。「うまくいかないのは運が悪かったからだと割り切」る。でも、努力可能な(=つまり「計画」できる)自らの技芸は磨く。それしかない。「クヨクヨさん」という自律的人格が強く自己主張をはじめられたら、こう語りかけたらいいのだ。
「クヨクヨさんは、今回は何をおっしゃりたいのでしょうか? 確かに、『こうすればよかった』と後悔したくなる気持ち、よくわかります。でも、自分でコントロールできない他者評価は『運』まかせ、ですよね。であれば、運でクヨクヨせず、次に出来ることだけを整理して、計画する、というモードに切り替えませんか?」
さらに、もう一つだけ、この「運」の本は「計画」についても、次のように述べている。
「長期的な計画を立てるのが悪いと言っているわけではないが、あまり杓子定規に考えない方がいい。計画は将来を見通すうえでの目安であって法律ではない。思いがけずに幸運が近づいてきたら、躊躇せずに、いさぎよく古い計画を捨てる-。これが運の良い人の態度である。何も考えず自然と振る舞うことによって、『長期計画の罠』に嵌まるのを直感的に避けているのだ。」(p118)
なるほど、知っている人は、ちゃんと「計画」や「因果」の枠組みに過剰に囚われず、「縁起」や「運」との巡り会いを大切にし、「躊躇せずに、いさぎよく古い計画を捨て」ているのですね。僕も「クヨクヨさん」も、この「運の良い人の態度」を見習うことにしよう。一人当事者研究の結論は、そういうことになった。

原点回帰した連休

この連休中は、ずっとブログの更新が出来なかった。毎朝午前中はブラウザを開くことも無く、ずっと原稿を書き続けていた。

『学びの回路を開く』
こんな仮題で、僕自身がこれまでに考えて来たことを、一冊の本にまとめようとしている。生まれて初めての単著へのチャレンジだ。
東大の安富先生や阪大の深尾先生が主催される「魂の脱植民地化研究グループ」の皆さんが出される叢書の一つとして出してみませんか、というお誘いをうけた。実は、僕は共著や編著者の経験はあっても、単著は出した事がない。憧れに感じてはいたものの、まだまだ自分は勉強不足だし、先になる、と思っていた。ふつう、博士論文を単著にされる方もいるのだが、僕の博論は、その時点では満身創痍で提出し、何とか学位は頂いたけど、そのままで出せるものではなかった。自費出版してまで出す気にもなれず、またフィールド調査の新鮮みも失われてしまったので、結局、大学の紀要にまとめてそれでオシマイ、になっていた。
あれから10年弱。そろそろ、自分の言いたいことも溜まってきた。ブログでこうしてずっと書き続けているが、やはり一冊の本として、これまで考えて来たことを、きちんと形にしたい時期になっていた。勉強不足、知らないことが多い、と言い出したら、多分一生書けないままで終わってしまうだろう。確かに、碩学だが一冊の本も出さない先生、というのも、アームチェア学者の中にはおられる。何を聞かれても答えられるほどの博学だが、学べば学ぶほど、自らが知らないことが多くなり、その事に対して恐れるあまり(=知らないことに誠実であるあまり?)、知るという行為を優先し続けた結果、その知った内容をまとめる、書き表す、という事に結びつかない先達のことだ。
だが、僕自身は、明らかにそういう人とは人種が異なる。
まず、そこまで碩学ではないし、溜め込み続けることが熟成になるとは、僕の場合には思わない。ある程度、出力を続けながら考え続けないと、その知識がどのような意味を持つのか、僕自身にとって何の役に立つのか、わからない。僕はレヴィ=ストロースの言うところのブリコラージュ、つまりは「その場で使えるものを使い倒して何とかする」という思考法でしか、前に進むことは出来ない。であれば、自らが学んだ知識も、実際に自分の人生の中で使いながら、その知識を元に考えて、書き進めながら、その知識の使い勝手を学んでいくしかない、という癖を持っている。だからこそ、ブログにも書き続けてきた。そして、そろそろそれは、ブログ上だけでなく、ちゃんと一冊の本にまとめた方がいい、と思っていた。
そんな時期のお誘いだったからこそ、喜んで引き受けた。
とはいえ、400字詰め原稿用紙換算で300枚、というのは、これまで書いた事のない量である。査読論文などは、だいたい50枚以内が多いが、それだってひーふー言いながら書いている。その6倍である。いくら、博論や幾つかの原稿が元ネタとしてあるから、といっても、そう簡単に書ける量ではない。
それから、今回は書くスタイルも、大きな問題だった。なるべく自らの内側に深く切り込んで、前言撤回的に書き進める、ということが、今回の目標だった。それは、次の警句を、本を書きながら、戒めにしていたからだ。
『長く書いて、かつ飽きさせないためには、螺旋状に「内側に切り込む」ような思考とエクリチュールが必要である。そして、そのためには「前言撤回」というか、自分が前に書いたことについて「それだけではこれ以上先へは進めない」という「限界の告知」をなさなければならない。おのれの知性の局所的な不調について、それを点検し、申告し、修正するという仕事をしなければならない。それがないと、「内側に切り込むように書く」ということはできない。前言撤回を拒むものは、出来の悪い新書の書き手のように、最初の5ページに書いてあることを「手を替え品を替え」て250ページ繰り返すことしかできない。』(内田樹 『140字の修辞学』
僕自身が、ここ最近、「手を変え品を変え」同じ事を書き続ける「出来の悪い新書の書き手」のような状態に、実は陥っていた。それは、以前から愛読している「研究者の悪魔の辞典」という恐ろしくも本当のことが書かれているウェブサイトの「30代の危機説」そのものだ。そんなに30代で成功したかどうかは別として、実はこの1,2年、有り難いことに、執筆依頼が増えている。それはいいことなのだが、その依頼をされる方は、障がい者制度改革に関わっていたという「経験」とか、あるいは脱施設・脱精神病院を研究してきたという「業績」を見られて、依頼して来られる。これらの「経験」や「業績」を評価頂くのは確かに有り難いことではある。だがその一方、それは既に「過去」の事である。この「過去」に基づいて、その過去の延長線上の文章を書いていると、「失敗が起こるのは、たいした種がなくても従来型の依頼に応え続けるケース」という指摘に当てはまっていく。従来型の依頼に応えていれば、それに基づいた文章が生産され、それを読んだ人は「この人はこういうことが書けるのね(こういうことしか書けないのね)」と判断され、それに基づいた同種の依頼が再生産され・・・(繰り返し)。という過去の縮小再生産サイクルになりうる。そして、僕自身が実はその縮小再生産サイクルに陥っていたのだ。
そして、それは本人が一番よく気づいていることだが、ありがたいことに、研究仲間のある人から、その縮小再生産サイクルに入っていた論文について、次のような真摯な一言をいただいた。
『これまでの竹端論文を全て読んできたので、コアなファンの眼では「竹端論文ダイジェスト+新事例」という印象で、新鮮な発見が少なかったからかもしれません。もちろん、一般の読者にとっては、要旨明瞭で、竹端論文の美味しいとこ取りの論文だと思いました。』
これは、実は非常に危険な状態である、という警句と受け止めた。
まず、僕の論文を全部読んで下さる、というだけで奇特な方なのだが、その上で、「新鮮な発見が少ない」とお感じになられた、ということは、もう僕が縮小再生産に傾きつつある、という指摘なのだ。つまり、「手を変え品を変え」、依頼に応えるために、角度を変え、新たな事例を入れながらも、同じ事を書き続けているのである。そう気づいた時、ある社会学の大家の先生に言われたキツイ一言がよみがえった。
「それって、埋め草原稿じゃないの?」
新聞や雑誌で、急に原稿内容の差し替えがあり、空白や余白が出る。今から広告だけで調整できない。そんな中で、隙間を埋めるために書かれた記事や原稿のことを指す。別に僕が依頼されて原稿を書く場合、数時間単位で書き上げる、厳密な意味での「埋め草原稿」ではない。だが、どこかで書いた内容の焼き直しに近い内容であれば、それは読者からしたら、「新鮮な発見が少ない」(あるいはない)という意味で、埋め草原稿そのものではないか。それが依頼主にとっては「埋め草」ではなくても、その依頼を断らずに応じて、それで意図的ではないにせよ業績になってしまう、という心性そのものも、「埋め草業績」を認める何かに通底しないか。そのような警句として受け取った。
実は、僕はあるジャンルでは、それをコンパイルしたら一冊の内容を超える位の原稿量は書き上げている。そして、数年前、事実それを書籍化しようとしていた(=だからこそ、それを欲しい、という人には全部コピーして配れる準備も整っていた)。だが、その束を抱えて、件の社会学の大家の恩師に相談に行った時、ハッキリそう言われた。
「一冊目が、何よりも肝心だ。人は処女作を読んで、こんな事を書いている人だ、とあたりをつける。その一冊目がつまらなかったら、この人は所詮こういう人だと、以後、見向きもされなくなる。だいたいおまえだって、◎◎さんや□□さんがぼんぼん出している本を、ちゃんと読み続けているか? また同じ事を書いている、と思って読まないんじゃないのか? それと同じになっていいのか?」
そう、たしかにその先生が挙げた某二人は、書籍を沢山出しているが、だいたい同じような事が書いてあって、かつ難しいので、いつも放っぽりっぱなしにして、読むことはなかった。有名出版社から出ているのに読めないのは、僕が頭が悪いし勉強意欲に欠けているからだ、と思っていた。でも、もしかしたら、知識は沢山詰まっていても、それが「埋め草原稿」的な、「新鮮な発見が少ない」何かである事を本能的に察知して、読まなかったとすれば・・・。
そう思うと、僕は単著の計画を封印して、少なくとも、そのジャンルでは、しばらくは本を出さない、ということに決めた。何よりも、自分にとって、わくわくとした面白さ、新しい発見がないようなプロジェクトは、新たな論文であれ、単著であれ、したくない、と思い始めていた。
であるがゆえに、この連休中の単著執筆は、本気で必死だった。
書いている自分自身にとって、「新鮮み」や「発見」のない原稿を書きたくない。でも、僕が持ち合わせている知識や元ネタには限界がある。それをないから、と新しい本を読むことに必死になったら、クイズ王的なトリビアとしての「新鮮な発見」はあるかもしれないが、内容的には面白くない。むしろ、「新たな発見」とは、これまで見えている景色を、どう新しく解釈できるか、ではないか。それは、新たな情報を探し続けるネットサーフィン的なものではなく、村上春樹流に言えば、「井戸を掘る」ように、所与の前提とされた世界観の奥底に潜む、誰もが知らない集合的無意識のような闇に潜り込み、その中から、自分でしかすくい取れない視点や考え方を掘り当てて、この世の光に照らし直すような営みでは無いか。そして、その営みこそ、内田樹さんは「前言撤回的」と言ったのではないか。
なので、僕は今回、本を書き始めた時、これまでの論文スタイルから、方針を大転換した。
・誰かを説得するのではなく、誰かに評価される事を期待せず、まずは自分が納得する文章を書く。
・私や筆者という、自分の気持ちが完全に乗り切らない主語は使わず、ブログの時のように「僕」という主語で書く。
・「俺はこんなに知っているぜ」的なトリビアな知識の披露を目的とはしない。ならば、そういう知識の塊を引用で散らすことはやめ、本当に伝えたいことのみをシンプルに書く事にする。
・だから、客観性のルールからも、この際、距離を置く。自らの実存やこれまでの経験、あるいは直観として捉え、あるいは考え続けてきたことを、そのものとして書き進める。
・上記の方針を貫徹するため、「自分の内面の振り絞り」を、著作のテーマにして、前言撤回的に、自分の内側にどんどん切り込んでいく。その中から、見慣れた景色を未だ見ぬ何かに変える地点まで、自らを追い込んでいく。
さて、こう追い込んで、結果はどうだったか?
まだ、250枚の初稿を昨日書き終えたばかりなので、結論はつけられない。でも、現時点での感触として、書いていて、非常に何というか、ある意味、自己治癒的であり、ある意味で、「俺ってこんなことを考えていたんだ」とか「確かにこういう風にも考えられるよね」と書き上がったものに頷かされる展開になっていった。単純に言えば、書いていて、すごく面白かった。これは、「埋め草原稿」的な何か、では考えられない楽しさである。
確かに、依頼された原稿にも、もちろん魂を込めて、最善を尽くして書いてきた。もしかしたら、依頼された編集者の方がこれを読んでおられるかもしれないので、敢えて言い訳では無く、誠実に書きますが、誤魔化して適当に書いたつもりはありません。あしからず!!!
でも、単著、という一つの物語の中で、僕が10年かけて考え続けて来たことを、今の視点で並べ直し、再びその文章に火を入れ、息吹を組成させ、ある部分はばっさり落としたり、あるいは大胆に書き加えたりしながら、一つの物語の文脈の中で再度の賦活化をはかる作業は、実にチャレンジングでエキサイティングだった。ほんとうに、めちゃ面白かった。これを書いている間は毎日、ネットやSNSを見ている暇はないほど、原稿書きに没頭していた。書く楽しみ、という原点にやっと回帰できた連休であった。(逆にいえば、それまで没頭するほどの何かに出会えていなかったのかもしれない・・・)
昨日初稿を書き上げた文章は、しばらく寝かせて、再度頭から書き直そうと思う。なので、ようやく、ブログを書く時間が出来た。実はこのブログも、自分の考えをまとめたり、これまでの未分化だった何かに言葉を与える、という意味で、僕が考え続ける上で、非常に大きな役割を果たしてきた、ということも、今回の単著を書くためにブログを読み返していて、非常によくわかった。自分のサイトで幾つかの言葉に検索を書けてみて、「こんな原稿も書いていたんだ」と改めて気づかされたことも、沢山合った。それが単著の原稿にも取り入れられていくのだから、何だか思いも寄らなかった貯金に助けられてしまった格好だ。(ま、書いた内容をすっかり忘れる、というのも、僕の特性なのかもしれないが・・・)
ほんとうは、今日の講義で取り上げた「認知症ケアと魂」の話を書くつもりで、表題もそう書いていたのだが、どうやらその前に、書くべき事があったらしい。結局その話は次に置いておく、として、今日は楽屋話とでも、メタ文章論とでも、あるいは単なる自己治癒的な文章とでもいうべき、書く楽しみという原点についてのお話しでありました。

問題の一部は自分自身(連作その5)

という表題を痛感する今日この頃。

その事を教えてくれたのは、短期大学の保育科で「地域福祉」の受講生の皆さんたちだ。
実は、この講義は、政治行政学科の「地域福祉論」とかなりの相関性がある。にも関わらず、政治行政学科と保育科では、同じ年の学生が受講してくれるのに、評判が昨年までは全く異なっていた。さて、どちらの方が受けが良かったでしょう?
普通、福祉に興味があるのは、政治行政学科より保育科の学生、と思われだろう。僕もそうだった。でも、蓋を開けてみると、政治行政学科では食いつきがよくても、短大では食いつきが非常に悪いのが、昨年までの通例だった。それは、なぜか?
去年までの僕の仮説は、短大生が内気すぎる、という仮説だった。確かに僕の講義では、毎回のテーマについて、ビデオや資料などを通じて考えた事をワークシートに書かせ、学生さんを当ててその内容を発表してもらい、それに対する問いかけをする中で、講義を深めていく、という形態を取っている。これは、短大でも4大でも、どこの大学でも変わらない展開である。だが、短大生は、去年までは、極度に当てられることを恐れていた。毎回、ワークシートで、「当てないで欲しい」「当てられるのが恐怖だ」というコメントが並んでいた。それに対して、去年までの僕は、短大生が「正解幻想」に囚われていて、間違ったことを言いたくないから、当てられたくないのだ、という仮説を立てていた。
この仮説は、半分当たっている。が、半分は大きく違った。
その最大の間違いは、「問題の一部は自分自身」というテーゼを入れていなかったことだ。つまり、「短大生が悪い」(=僕は悪くない)という他責的な文法で解釈・処理をしようとしていた。これが最大の「問題」であった。
この「問題」に気づいたのは、短大での講義を担当して3年目の今期に入ったときから。どうも僕は短大生にびびられている。そのイメージを変えるにはどうしたらよいか? そこで、第一回の講義では捨て鉢作戦に出た。自分に関する不利益情報や、自分自身が不安に思っていること、困っていることを、一番最初に皆さんにぶつけてみたのだ。
「僕の講義スタイルは、毎回、皆さんが書いてくれたワークシートの内容について、マイクを向けて皆さんのご意見を伺います。その際、『なんで?』と問いかけることがあります。これは、問い詰める訳ではありません。ただ、僕は興奮してくると、つい口調が強くなったり、声が裏返ったりします。すると、問われている学生さんは、『責められてる』と誤解することもあるようです。でも、僕は皆さんをいじめたくて問いかけているのではありません。この講義で扱う地域福祉課題は唯一で正しい『正解』のない問いです。なので、皆さんお一人お一人の率直な声に基づいて、講義をします。当然、僕も価値観を表明しますが、皆さんも価値観を表明して欲しいです。その際、皆さんの価値観が、どういう背景に基づくか、について聞きたいから、『なんで?』と聞きます。でも、繰り返しますが、皆さんを責めるためではありません。いや、むしろ、皆さんと仲良くルンルン講義をして行きたい、と思っています。どうか、怖がらないで、優しく見守ってください。普段の大学での講義は男子が過半数なので、女性の過半数のこの授業で、僕はいつも緊張しています。何百人の聴衆の前で講演するより、今、テンパっているかもしれません。なので、どうぞよろしくお願いします。」
我ながら阿呆だ、とも思うが、どうせなら思っている不安やためらいを全部最初にぶちまけてしまった。
すると、どうだろう。今年の学生さんは、すっとその事を受け止めてくれ、かつ過去二年間とは対比にならないほど、リアクションもよい。毎回の授業での、やりとりの内容も深まっている。理解度も高く、学生さんからの発言も、より深いものになっている。今日の講義も、学生さんのリプライがあまりに興味深かったので、その内容を突っ込んで一緒に検討しているうちに、これまでの講義で考えた事もないことが浮かび、それを整理している僕自身が興奮しながらしゃべっている、という事態だった。そして、その様子を、後から学生さんが、「今日の講義は非常に面白かった」と伝えてくれた。
何が違うのか。それは、たぶんようやく僕自身が、学びの回路を開く、つまり、学生さんからも学ぼうという器が出来、真摯に向き合い始めたのだと思う。
ちょうど、今、パウロ・フレイレの『新訳 非抑圧者の教育学』を読み直している。前のブログでも触れたが、フレイレは教育には「銀行型教育」と「問題解決型教育」がある、という。教える側は知っている人、教わる側は無知の人、だから一方通行で知識を詰め込めばいい、というのが銀行型教育である。一方、問題解決型教育とは、教える側と教わる側の真の対話から、共に学び合い、成長し合う中で、世界に対する見方を変えていく学び、とでも言えようか。この二つが大きく違うのは、教える側の方が、自らも学ぼうとするか否か、の違いである。
そして、そのことは「学びの回路を開く」という事とダイレクトに繋がる。僕自身、去年まで、短大での講義の時に、自分自身の「学びの回路」を部分的にではあれ、閉ざしていた。「短大生は○○だ」と臆断と偏見による都合の良い合理化を行い、その合理化に基づいて、ゆがんだ認識を行い、その認識に基づいて対応していた。また、僕自身がその歪みを学生たちにかぶせたので、学生たちはその呪縛の悪循環サイクルから抜け出すことが出来ず、結果として「タケバタは怖い先生」「この授業はしんどい」という臆断が既定事実化していった。つまり、問題構造を創り出したのは、他ならぬ自分自身であり、悪循環のサイクルに火をつけ、加速させたのも、僕自身であったのである。なんたるマッチポンプ!
そう気づいた後、結局当たり前のことだが、自分自身がまず変わろうとした。「問題の一部は自分自身」。ならば、他人を変えようとする前に、まず僕自身が変えるべき点を洗い出し、それを一つ一つこなしていくしかない。そう思って事態に取り組んでみると、あっけないほどがらっと学生たちの対応が変わった。去年までの学生さん、本当にすいません。おろかなのは、あなた方ではなく、私自身でした。
僕自身、この学びの回路を、教える側である学生さんに開いたからこそ、学生さんからプラスのフィードバックを頂き、その返礼に促されて、授業がルンルンと展開でき、そこから次のフィードバックとして、講義における新たなつながりや関連性の発見へと繋がった。そう思うと、悪循環から好循環へと循環回路を切り替える為に、まず自分自身の循環性そのものに気づき、それをプラスに切り替える一歩を自分から押すべきだ、という、こないだ読んだ『悪循環と好循環』の定義そのものだった。読んだだけでは、中々学べない。自分自身の実践での躓きを通さないと、そこから痛い思いをしないと学ばない。だが、マッチポンプ構造に気づいて、それを変える為に自覚化すると、変わらないと思い込んでいた構造が、丸ごと変容する。そういうダイナミズムを、講義という場面で感じた4月末、であった。

制度の自己組織化

中途半端な研究者(僕のような)より遥かに鋭い視点で問いかけをされるとみたさんが、次のような深刻な指摘をしておられた。

「制度の制度化」とでもいうのだろうか。ことば遊びのようだが、介護保険や障害者自立支援法の「制度」を利用・使用するために、「制度化されたルール」にのっとらないといけなかったり、制度を利用するためにさらに制度を利用しなければならないという循環に陥る。その一つは市場のルールである。
制度について、私のまわりにいる幾人かの人たちが、最近なんともいえない自分たちの違和感を訴えているが、私も含めてそこからお金をもらっている限り、その制度化の循環からは逃れられない。そのことは個人的には意識的でありつづけたい。だからこそ、どう「制度化」されたふりをして制度をつかうかというけとになるのだろう。
しかし、もう戦艦大和にのるしかないところまできているような気がしてならない。
僕はそれを読んでいて、「制度の自己組織化」という言葉が浮かんだ。
あるモデルなり実践例を抽象化して、制度が組み立てられる。自立生活運動から生まれた重度訪問介護、作業所運動から発展した!?地域活動支援センター、宅老所ムーブメントから出てきた介護保険の小規模多機能型。どれも、実践例の抽象化、モデル化、構造化である。だが、その抽象したシステムとは、ムーブメントが持っていた息吹や魂の捨象を伴う。いや、制度に組み込まれる、ということは、とみたさんの言うように、「制度の制度化」、あるいは「制度の自動律」「制度の自己組織化」が始まる。つまり、制度のもともと内在的に持つ志向性や動きに、取り込んだ新たなものも吸い寄せられてしまう。つまり、制度化する以前にもっていた、作業所運動なり自立生活運動なり、宅老所のダイナミズムのようなものは、より大きなシステムである「制度」の規範性の中に取り込まれ、そこに適合的でないものは、捨てられてしまうのだ。
これはどういうことを意味するか。
「制度の自己組織化」とは、「制度」の生存戦略、とでもいえようか。生物学的な比喩を用いれば、「制度」自身が淘汰圧を超えて生き残るために、様々なものを切り捨て、新たなものを取り込んでいく様相を思い起こす。その際、目新しい動き、時代に先駆けた展開も、キャッチアップして取り込んでいこうとする。先述の様々な運動の中から出てきた実践例の取り込みも、その一例である。
だが、この際、気をつけなければいけないのは、あくまでも「制度の根幹」を変えることなく、自らの制度に都合の良いように、新たなな何かを取り込む、ということの問題性である。ここは重要なので繰り返して述べるが、新たな何かを制度に取り入れるとき、特に日本の社会福祉の領域では、制度適合的な部分が選択的に取り入れられ(あるいはそうなるようにモデルが改変され)、それ以外の、特に制度の根幹への根本的な問いは、きっぱりと選択的に忘却される。制度が実情にあっていないなら、その根幹も含めて変えよう、という反省的な営みはそこにはない。実情がどうであれ、制度「さえ」生き残ればいいのだ、という意味での「制度の自動律」であり、「制度の自己組織化」戦略である。それゆえ、制度に取り込まれた新たなモデル、というのは、残念ながら制度化された時点で、その本質を失う運命にある。なぜなら、実情に合わせた支援をしたい、という新たなモデルの理念そのものが、制度化では捨象されてしまうからである。
そして、僕自身が今一番疑いのまなざしを向けているのは、官僚は何のために働くのか、という部分である。本来、制度とは、人々の幸せを導くための方法論であるはずである。その方法論が、現在の実情とずれたなら、方法論を変えて実情にそぐうようにする。これは、誰でもわかる話である。だが、ブログでしつこく書き続けた障害者制度改革の例を挙げるまでもなく、わが国の官僚制システムの中では、その方法論の維持こそが絶対的な目的とされ、実情とのズレは「仕方ない」と目をつぶってしまう。このような、方法論の自己目的化、としての「制度の自己組織化」が実に進展していると思う。とみたさんが「戦艦大和にのるしかないのか」という悲観は、この方法論の自己目的化の自壊的作用についての悲観なのだ。
ではどうすればいいのか?
僕はその処方箋を持っていないが、少なくとも、こうやってその「制度の自己組織化」の逆機能や問題点、方法論の自己目的化の自壊的作用について、指摘し、警鐘を鳴らすことから始めるしかない、と思っている。まずは、その問題性を言語化すること。その違和感を共有すること。それではだめだ、という認識を広げること。迂遠にみえても、ここからはじめるしかない、と思っている。そして、総合福祉部会の骨格提言のように、愚直に見えても、理想論と言われても、「制度の自己組織化」に歯止めをかける提言をし続けることからしか、光は見えないと思う。
制度は、ぬえのように自己組織化を突き進める。ジョージ・オーウェルの「1984」的世界は、今の介護保険制度の自己保身的態度やそのとばっちりとしての自立支援法への固執の論理と、人々の幸せより制度の自己組織化を優先する、という意味で通低する要素があるような気がしてならない。テクノクラートは、何のための技術者なのか。市民の幸せのためか? 制度の自己組織化維持のためか? この本質的な問いを、本当に問うてみるならば、答えはおのずと出てくると思うのだが・・・

雑種の先にあるもの(連作その4)

前回のブログでは慣れない丸山真男論を書いてみたので、今回はもういちど「学びの回路を開く」の連作シリーズに戻る。とはいえ、この連作、がっちりとした骨組みに基づいて書いているのでは無く、主題に関して思いつくままに書いているので、かなりの振幅の広い(とういか、とりとめのない)内容になっている。これを何とかまとめて一つの著作にしよう、という無謀な事も考えているが、まあ、そのための「ホップ」とでもいえようか。

で、今日取り上げるのは、前回のブログで「戦後啓蒙主義」の丸山真男が「共同体を超える」ために「する」こと論理を取り出した事に関連している。丸山は「である」ことに内在する地縁・血縁の呪縛からの解放を「する」ことに託したが、それから50年たって、そもそも「すること」の商品化・自己組織化が進んでいないか? 「する」ことに人間が支配されていないか?という問いかけを前回のブログでは書いた。
そのような意味で、上記の問いは「モダン」を問い直す問いである。で、そういうお仕事は、理論社会学の分野で展開されているよなぁ、そういえば・・・と書架から引っ張り出したのは、大学時代からお世話になっている社会学の大家の先生に頂いた近著。紐解いて見ると、ちゃんと整理して下さっている。
「モダンの変容といった場合、二つのケースがあることに気づく。そのひとつが、欧米の歴史のなかで蒙ったような変容。もうひとつが、異なった社会的・文化的コンテクストのなかに移転されるなかで蒙る変容。前者が時間的移動に基づく変化とすれば、後者は空間的移動に由来する変化といえよう。ポストモダンとは時間的=歴史的経過に注目したモダンの変容の特徴付けのひとつである。空間的な移転あるいは文化伝播によって蒙るモダンの変質を何と呼んだらいいのか。文化伝播に伴うモダンの変容を『ハイブリッドモダン』と名づけることにしよう。」(厚東洋輔『グローバライゼーション・インパクト』ミネルヴァ書房、p27)
ハイブリッドとは、プリウスで一気にお馴染みの言葉になったが、蓄電とガソリンの混合で動く、つまり「雑種」という意味である。そう、僕らの世代なら受験勉強で必ず読んだ、加藤周一氏の「日本文化の雑種性」のことを、「ハイブリッドモダン」と指す。それなら、よくわかる。欧米で花開いた産業革命や市民革命の成果である工場制労働や議会民主主義を、「空間的な移転」として「輸入」し、「和魂洋才」という形で日本文化の中に入れ込んだのだから、確かに内発的なモダンでは無く、内発的文化と輸入した文化との融合という意味で、ハイブリッド・モダンそのものである。また、モダンの種別的特性として「高度な移転可能性」がある、とも厚東先生は述べる。
「近代文化とは移転可能性が極限にまで上りつめた文化複合体と規定できるだろう。とはいえ合理化されさえすれば移転可能性の程度が高まるというわけではない。合理化の進行が移転可能性の高まる方向で進んだのが西欧合理主義のひとつの特徴といえるだろう。モダンはたしかに西欧を基盤に生誕した。しかし異なった文化圏に移植されても有効に作動し続けるのがモダンである。モダンの種別的特性として高度な移転可能性がある。モダンにとっては移転に移転を重ね、『グローバライズされること』が運命となる。その限りでモダンの本来の故郷は、西欧ではなく、『グローバル・ソサイエティー』ということになるだろう。」(同上、p25)
なるほど、モダンの果てにグローバライゼーションがある、のではなくて、もともとモダンというのが「高度な移転可能性」を基軸に組み立てられるなら、その合理化の進行は当然の帰結として「グローバル・ソサイエティー」に至るのですね。タイでもトルコでもパリでもマクドナルドが幅を利かせているのも、「高度な移転可能性」の格好の例であり、それが「マクドナルド化する社会」なんて言われたりもした。だが、そのことよりも、この「移転可能性」で興味深いのは、「モジュール化への動き」について、である。
「モジュールとは、社会制度の機能単位のことで、社会制度はこうした(相対的に)自己完結した機能ユニットから組み立てられている『モジュール連結体』とみなされる。モジュールは、他の制度的要素からの支援をうけることなく、独自な情報-資源処理を通して、特定のタスク実現=課題達成を果たす事が出来るところに、その真骨頂がある。こうしたモジュールは、ギデンズの言葉を用いれば、コンテクストへの依存を断ち切られた『抽象性システム』の典型といえよう。もしもこうしたモジュールが識別可能なら、文化移転の基本単位はこのモジュールということになる。(略)モジュールをひとつずつ慎重に吟味し、その過不足のない移転の積み重ねによって、制度全体を作り変えていく。オリジナルな制度をモジュールに分解し、そのモジュールの無駄のない組み合わせによって新しい制度を作り上げる。モジュールを戦略地点に選ぶのが文化移転の最も効率的な方策であろう。」(同上、p37)
明治維新の時以来、日本がイギリス、アメリカ、フランス、ドイツなどの欧米列国で盛んに学び、導入した科学的英知は、実はモジュール単位だった、といえば、すごく納得が出来る。どうして別の国々の思想なり文化を移植する事が出来たのか。この問いには、それぞれの領域において、その国の「自己完結した機能ユニット」である「モジュール連結体」が、日本に役立つ、と思ったから入れられたのだ。で、この「モジュールの無駄のない組み合わせ」としての「モジュール連結体」の移転は、欧米から日本へ、だけでなく、日本国内でも中央主権的に地方に移転されていった。都道府県というシステムは、「モジュール連結体」を日本の隅々に移植するにあたって、270もの藩単位に一気に普及させるにはコストやエネルギーがかかりすぎるから、その上位機構として47というブロック単位を作った、という理解をするとわかりやすい。規格化・標準化されたモダンの「モジュール」としての病院、学校、工場、道路、法制度、警察・・・というシステムを一気に広めるには、そのようなコントロールが当時の伝播にふさわしい、という判断があったのだろう。そして、日本は幸運なことに、この「モジュール連結体」の移植で大成功を収めた。
だが、一世紀から一世紀半前に移植し大成功を収めた様々な「モジュール連結体」は、その制度疲労、というか、その限界に達している。丸山真男などの「戦後啓蒙」派の人びとは、日本に根付かなかった「市民革命」的な市民の主体性や自立性という「モジュール」を「する」ことの論理に仮託して、日本に移植しようと試みた。その成果があったのかどうか、はさておくとして、丸山らが当時負の遺産として考えていた身分・家柄・地縁・血縁などの「しがらみ」としての「共同体主義」(=「である」ことを支える論理)は、あれから60年で見事に吹っ飛んでしまった。それも丸山が希求したような「オープンな対決と競争を通じて、議会政治の合理的な根拠を国民が納得していく」という形で「共同体主義」が塗り替えられたのではない。前回のブログにも書いたように、むしろ「する」ことの商業化・自己組織化が進む中で、自己決定や自己選択に思える内容もマスコミや広告による巧みな誘導(洗脳?)として市場化されていった。これは「広告」「マスメディア」という「モジュール連結体」の大きな勝利でもあり、この「高度な移転可能性」のあるメディアと広告の力によって、「標準的な都市の論理」が日本の郊外の隅々にまで移転し、シャッター通りや過疎化・限界集落と国道沿いの金太郎飴のような大規模店の全国展開、が進んでいったのである。これもそのような「モジュール化」の大成功、とも言えるだろう。
とはいえ、それが限界に来ているのだ。丸山の時代は、ハイブリッドモダン化するにあたり、戦後民主主義という「モジュール」をどう日本に成功裏に移転するか、が課題であった。あれから60年を経て、今の日本社会で暮らす私たちに突きつけられている課題は、「出来上がってしまったハイブリッドモダンをどう乗り越えていくか?」という問いである。つまり、以前は「空間的移動」が主題化されていたが、それが変容しながら内在的論理になった今、問い直されるのは、そのハイブリッドモダンの「時間的移動に基づく変化」とどう向き合うのか、である。ポスト・ハイブリッドモダンとでもいえようか。日本社会でモダンを問い直す、ということは、そういうことを意味するのでは無いか。
で、ここでようやく「学びの回路を開く」という連作シリーズに戻ってくるのである。(今回も長い迂回路ですいません)
たとえばこのブログで主題化している、過疎化や少子高齢化の中でどうやって住み慣れた地域で、障害があっても、高齢になっても、シングルマザーでも、ターミナルケアの状態でも、自分らしく暮らしていくことができるか、それをどう支えるシステムを作るか? この問いに答えるためには、実はこれまでのモジュールそのものを問い直す必要があるのだ。厚東先生の言葉を借りるなら、「オリジナルな制度をモジュールに分解し、そのモジュールの無駄のない組み合わせによって新しい制度を作り上げる」必要があるのである。そういう視点で眺めてみると、以前のブログで紹介した岡山モデルや高知モデルも含めて、その推進役である小坂田先生や地域包括ケアを進める人びとがしてきたのは、「モジュールの分解と分析、再統合」であった。これは、その後のブログでご紹介した、中山間地の再生に取り組む各地の実践とも通底している。そして、これらの「先進地」で行われていることを、「コンテクストへの依存を断ち切られた『抽象性システム』の典型」としての「モジュール」として昇華させた上で、「移転可能性」を高めて他の地域に移植すればいい、という案が浮かび上がってくる。現に、厚労省の言う地域包括ケアの絵は、そういうものとして描かれている。
しかし、である。それはあくまでもハイブリッド・モダン時代の発想ではないか。ポスト・ハイブリッドモダンの時代にあっては、単に「抽象性システム」としての「モジュール」を当てはめるだけでは、うまくいかなくなっているのではないか。
ここからは、文献を離れて、ぐっと夢想的・妄想的な話をする。
戦後のハイブリッドモダンを移植する段階では、まだまだ土着的な土の力は、かなりの強固なものであった。丸山真男ら「戦後啓蒙世代」が必死になって引きはがそうとしても、なかなか人びとの心を支配している「村社会」の土着性であった。だが、「する」ことの市場化と「である」ことのハイブリッド化の進展の中で、この土着性こそ、とことん根絶やしの方向に進んでいったのではないか。たとえて言うなら、土壌改良されまくり、本来の力を失った土、というイメージが思い浮かぶ。「ジャスコ」や「洋服の青山」「パチンコ屋」「マクドナルド」「くら寿司」が並ぶ街並みをみて、どこの郊外か全くわからないほどの無表情化している、ということは、ある種の土着性の去勢のようにも思えてならない。それが「文化の伝播」の「学習」なら、真面目に学びすぎた結果でもある、といえるだろう。
で、去勢され、勢いがなくなった土着性は、実は人びとの「しがらみ」だけでなく、「帰属意識」も「安心感」も含めた「ふるさと」そのものを葬り去ろうとしている。雑種文化=ハイブリッドモダンによって日本は繁栄を得たが、それは均一化をもたらし、個々人のアイデンティティを裏打ちする個性や豊かさを奪う部分もあった。変な言い方をすると、「均一な雑種」とでも言えようか。「あなた」が「私」や「彼」と入れ替わっても、「甲府」の郊外が「八王子」や「堺」のそれと入れ替わっても、何の問題もなく動き続けていくシステム。その無表情なシステムの中で、個々人の魂が蓋をされ、「均一な雑種」がやがて、個々人の存在の発露に蓋をする呪縛として覆い被さる。それはあたかも以前「しがらみ的共同体」が蓋をしていたのと同じように。
そこから自由になるにはどうしたらいいのか。もう一度、呪術的な土着性に戻るべきなのか。そこに補助線を入れるとしたら、「世界の再魔術化」という副題のある本を思い出す。
「『対抗文化(カウンターカルチャー)』のさまざまな要素を結び合わせる共通の絆はあるのだろうか? おそらくそれは『回復』(recovery)という概念である。それらがめざすのは、本来の我々のものであるはずの、身体、健康、性、自然環境、原初的伝統、無意識の<精神>、土地への帰属、共同体人間同士の結びつきの感覚、そうしたものを回復することである。そこで唱えられているのは、単に『ゼロ成長』とか工業の減速だけでは無く、この四半世紀の間に失われたものを過去から取り戻そうという姿勢である。前進するために後退する。つまり、それは未来を取り戻そうとする試みなのだ。」(モリス・バーマン『デカルトからベイドソンへ』国文社、p328)
ただ、バーマンの表記は一見すると「復古主義」的に見えるので、注意が必要だ。リカバリーというと、精神障害者支援の分野でも最近「ブーム」から常識へ、と展開している。とはいえ、このリカバリー概念も、以前の状態に戻る、という単純な意味で使われているのではない。リカバリーモデルの提唱者の一人、リック・ゴスチャは「精神障害者は、自分の人生を取り戻し、再生し、改善させることが出来る」といっている。精神障害になり、それまでの仕事一辺倒とか家族関係とかそういう以前のシステム体系が一旦破綻してしまった、という前提のもと、その「人生を取り戻し、再生し、改善させる」か、が鍵になる。「回復」とは「以前と同じにするのではなく、今の状態からどう次のゴールを取り戻し、再生し、改善されるのか」という問いでもある。
そう思ってバーマンの定義をみると、「失った『本来の我々のもの』」としての「身体、健康、性、自然環境、原初的伝統、無意識の<精神>、土地への帰属、共同体人間同士の結びつきの感覚」を、復古主義的にではなく、現代のコンテキストの中で、どうリハビリテイトさせるか、という課題である。
ポスト・ハイブリッドモダンとは、「均一な雑種」の「先にあるもの」を探す営みである。そして、「均一な雑種」からの離脱であるならば、それを既存の「モジュール連合体」の文化伝播という形で乗り切る、という前時代の「ハイブリッドモダン」の振る舞いそのものを再帰的に振り返り、反省し、乗り越えていくことが求められる。つまり、「モジュール化」が「コンテクストへの依存を断ち切られた『抽象性システム』」によって支えられたとするならば、それによって土壌が改良されて土着力が根絶やしにされかかっているとするならば、その去勢された「コンテクスト」という土着力を、現在の視点で再発見し、その土地のポジティブな力として再生させる、という方向でしか、息吹を吹き返さないのではないか。「均一な雑種」の先にいくには、その「均一な雑種」が蓋となって抑圧してきた、その土地独自のローカリティを、「均一な雑種」とどう接合させるか、が課題になっている。
ただ、この際、土着の危険さにも注意が必要だ。
「モダニティの平板さに飽き飽きして、代わりに、差異を産み出す源泉として、土着の文化・文明にスポットライトがあてられる傾向もある。ここにファンダメンタリズム=原理主義が跳梁する根拠がある。」(厚東、同上、p59)
原理主義は、モダニティという平板さの否定として立ち現れる。だが日本社会で暮らす私たちは一方で、ハイブリッドモダンの恩恵を十分に受けていて、それを捨ててまで原理主義的になることは出来ない。であれば、この土着の文化・文明への「スポットライト」のあて方も、単に復古主義的なそれではなく、ハイブリットモダンの文脈と、土着の文化・文明の文脈を、どう対等な形で接合させるか、という視点が必要になる。それでこそ、「均一な雑種」から、その土地らしい「雑種」への昇華・変容が可能になるのだろう。そして、その際の方法論として厚東先生が示唆しているのが、文化と文化の間の相互作用としての「マクロ・インタラクション」である。
「今後問題なのは、二つの文化が出会ったとき、いったい何が起こるかである。相互に排斥し合う、あるいはどちらかが模範とされる、という両極端な場合は、もはや起こりえないであろう。お互いに、他の文化を学習し合い、自己変革を遂げることになると思うが、その結果どういう文化が生まれるのかについて考えようとすると、頼りになる指針が存在しないことにあらためて気づかされる。」(同上、p105)
この際の二つの文化、とは、ハイブリッドモダン化された日本の文化、とポストモダンでスローフードを実践しているイタリアのそれ、といったものにも当てはまるが、それだけではないと考えてみると、面白い。例えば「均一な雑種」としての都市と、徳島県上勝町のような「文化再生を果たした田舎町」、あるいは「均一な雑種」としての現代都市文化と、その同じ都市の150年前の文化、こういった、空間・時間的な文化の比較の中から、「他の文化を学習し合い、自己変革を遂げる」ヒントが隠されている。そういう学習のサイクルを回す中で、「未来を取り戻そうとする試み」としての「回復」が展開されていく。それこそが、ポスト・ハイブリッドモダンの時代に求められる展開なのではないだろうか。最後に厚東先生による近代化の定義を引用しておきたい。
「近代化とは伝統が消滅し近代のみが勝ち誇る過程ではなく、同時代を地平に『新(モダン)』と『旧』の新たな差異化が行われる過程である。伝統は消滅するのではなく、理念的に再編されるだけである。近代化とは伝統を<地>に近代が<図>として描き出される『複層的』過程である。」(同上、p130)
<地>だけ見ると原理主義に陥り、<図>だけに浮かれると開発至上主義者になる。そのどちらも、限界が来ている。だからこそ、既存の「モジュール」としての(=制度化された)設計図を当てにせず、その地域独自の<地図>を描き直す試みが必要なのだ。そして、この独自の<地図>の描き直しこそ、「学びの回路を開く」ことそのものなのだ。

アクチュアルな「論語」の「知」 (連作その3)

先月末の研究会で、安冨先生から、書店に並ぶ直前の新著を頂いた。読み始めて、あまりの面白さに一気にその世界にひきこまれてしまった。その本で一番大きかったのは、次の公式である。

(知/不知)→知
これは一体どういうことであろうか。
安冨先生の『生きるための論語』(筑摩新書)によると、論語に出てくる基本的用語である「知」とは「自己言及的表現」(p36)であるという。これはどういうことかというと、「『知る/知らない』という状態よりも、世界への認識の枠組みを遷移させる学習過程としての『知』」(p43)であるといい、それは「運動」でもある、という。これは、最近になってすごくよくわかる。
受験勉強などの「詰め込み型」の知識であれば、単に「知らないことを覚える」という形での「知」であった。そこにはワクワクやドキドキなどが伴わないので、僕はついつい読書やラジオに走ってしまった。(ネットがあったら絶対勉強しなかっただろうから、受験生時代にネットがなくて本当に良かったと思っている)。だが、受験勉強が終わった後、特に「知る」ことより、「知らなかった」ことに気づける事に、すごく嬉しさを感じる。興味の無いものには、そもそも「知りたい」という動機さえ沸かない。もっと知りたい、と希求する時、「こんなことを知らなかった・わかっていなかった」と前景化することは、恥ずかしい事では無く、むしろ取り組むべき課題が明確化された、と感じるのだ。それを「運動」と安冨先生が呼ぶのは、次のような理由がある。
「新たに産出された『知』は最初の『知/不知』に跳ね返って、また新たな『知』を創り出す。このような回路が繰り返し作動する。この全体が『知』である。『是知也』という断定によって、最初の『知』の意味が変化し、『知』が知っているという状態であると共に、『知』と『不知』を分別するその過程でもある、という意味が膨らむ。このとき、変化しているのは『知』の方ではなく、知ると知らざるとを分別している『私』自身である。言葉の論理展開とともに、それを展開し理解する『私』が変化し、その変化が言葉の意味を豊かにする、というダイナミクスが生じている。この自分自身の変化を伴う解釈の過程は、『学習過程』だと言ってよいであろう。」(p38)
「知る」事の魅力とは、単にクイズ王のように断片を頭の中に放り込んでいくことではない。「知る」過程の中で、「何をまだわかっていないか? 知らないか」が明確になる。すると、以前のその「知る」主体である「私」自体が変容し、それに伴い「知っている」内容も変遷する。「自己言及的表現」とは、「知る」という行為を続ける限り、常にその「知」の枠組みや構造自体が書き換えられ、それに基づいて「私」自身も変容していく、という好循環のプロセスに入る、ということである。そして、それこそ「学習過程」である、という。
「自分自身の既存の枠組みの中に外部から何かを取り込むことが『学』であり、それが自分自身のあり方に変化を及ぼして飛躍が生じる瞬間が『習』である。上の図式では、『知/不知』という部分の過程が『学』であり、それが自らに跳ね返って『知』が変貌する瞬間が『習』に相当している。」(p38)
上記のフレーズを打ち込みながら、改めて僕がブログでし続けてきたのは、この「学習過程」である、と強く感じている。例えば今回は、この安冨先生のテキストに強く感化された自分がいて、それをブログという媒体を通じて「取り込む」という「学」を行っている。だが、僕はこうして7年間ブログを書き続ける中で、「自分自身のあり方に変化を及ぼして」きた。そして、前回の連作や今回の連作を書き続ける中で、おそらくは「飛躍」が生じ始めているのだと思う。そのワクワク・ドキドキの瞬間やプロセスこそ「習」であり、僕の言葉で言えば、「枠組み外し」でもあり、「学びの回路を開く」ことでもある。そのことによって、まさに「知が変貌する」瞬間に、自ら立ち会いつつ、このブログを書いている。それは、少しオーバーな表現を使わせてもらえば、それを「知る」ことによって、以前とは違う景色が見えること、そして、見えてしまった景色を前にすると、もう以前の景色、以前の「私」(の認識)に戻れないこと、を指す。論語には、そしてそれを私たちにアクセスしやすく解説して下さる安冨先生のこの『生きるための論語』には、そのようなパラダイムシフトが内在されているのだ。
そして、この自己言及構造(A/非A)→Aは、「論語の論理構造」(p40)としてあちこちに出てくる、という。仁や和、も不仁や不和を知ることを通じて、一段と高いレベルでの仁や和を獲得する、という意味で、この論理構造の範疇にある、というのだ。そこには、論語の次のような人間観がある、という。
「自分を常にモニタリングして、人の言うことに耳を傾け、自分の間違いに気づいたら、直ちにそれを受け入れ、更に自分の行動を改める。これが孔子の追求する人間としてのあり方の根幹にある。」(p57)
これは多分に自戒を込めて書くのだが、「中途半端にわかっている人」ほどたちの悪いものはない。全くその領域を知らない人なら、それを知る為に必死になる。例えば福祉領域で言うと、毎年4月は、多くの自治体職員が新たに福祉課の担当になる。2,3年で次々に担当を変わる、という現行システムが良いかどうかは別問題として、多くの職員がゼロからのスタートになる。これは、一方では事業の継続性として大きな弊害ではある。ただ、必死になって福祉に関する法や制度、現場の事などを学ぼうとする行政職員の中には、しばらくの間、(A/非A)→Aというプロセスが働いている。その一方、長年同じ福祉現場で働いている職員の中には、「そんなことは知っている」とお高くとまっている人もいる。確かに「ある程度」は知っているが、では深く知っているのか、現時点の課題や他領域の動向も含めて幅広く知っているのか、というと、怪しい人も少なくない。「井の中の蛙」としては「知っている」としても、「大海」に照らせば、全然知らないくせに、「知っている」として、更に知ろうと努力をしない職員も少なくない。
その一方、正しく(知/不知)→知の回路を回し続けた自治体職員の中には、最初の半年こそ現場職員に比べて「知」のレベルが劣るものの、気づけば現場職員よりその本質や構造をよく「知っている」人はいる。現
場の人は「事例」は知っているかもしれないが、事例の背後に潜む構造までちゃんと「知っていない」場合が多く、さらに、それを「知らない」ということも知らない。そういう意味では、実は「自分は何を知らないのか」に無自覚な人は、この学びの回路から阻害されている、とも言える。そして、中堅職員やベテラン、と言われる人の中に、この「知らない」を知る、という自己言及プロセスからの阻害を往々にして感じる。だからこそ、「中途半端」なのだ。(こういう悪口を書き出したら筆が止まらなくなるが、今日の本題から外れたので、またにしておく)
さて、安冨先生のこの本では、他に引用したい部分も一杯あるのだが、学びの回路を開く、という僕の今日の主題と関連する部分を、あと二箇所ほど取り上げたい。
「ここに、AとBという二人の個人がいるとしよう。二人が相互に学習過程を作動させており、『仁』の状態にあるなら、Aの投げかけるメッセージをBは心から受け止めて自己を変革し、そこから生まれるメッセージをAに返し、Aもまた同じことをする。このとき両者のメッセージの交換は『礼』にかなっている。このときAとBとがそれぞれに解釈して把握する意味は、常に互いに異なっている。より正確に言うなら、違う人格がそれぞれに把握している『意味』が、相互に一致しているかどうかなど、原理的にわからない。そのわからなさを無視し、互いに『同じ何かを共有している』という思い込みを形成するのが『同』である。小人は『同』がなければ不安でたまらない。しかし、君子はこのようなことを必要としない。人は人、自分は自分である。人が自分の考えを共有してくれるかどうかなど、問題とならない。それはそもそも不可能なことだからである。それゆえ、君子の交わりは、相互に考えが一致しているかどうかなど問わず、むしろその相違を原動力として進む。こうした相互の違いを尊重する動的な調和を『和』という。」(p103-104)
ここには、福祉現場で昨今耳にたこができるほど言われている「連携」の本質が隠されている。論語や安冨先生は、「違う人格がそれぞれに把握している『意味』が、相互に一致しているかどうかなど、原理的にわからない」、とはっきり言う。だから、「同じ何かを共有している」というのは、あくまで「思い込み」である、と。では、同じ目標の共有に基づいた多職種連携というのは、原理的に不可能なものなのだろうか。それは、「『同じ何かを共有している』という思い込み」という「同」の状態に陥っていないか、と気づくことから始まるのだ。医師と看護師、ソーシャルワーカーと民生委員と、職種や社会的立場、そして個性も人格も違う人びとが、もともと「同じ何かを共有」している、というのは幻想である。でも、そこに集う人びとが「相互に学習過程を作動させて」、相手の「投げかけるメッセージをから受け止めて自己を変革」をしようとするならば、その「メッセージの交換」がその集った人びと全体の中で相互作用化するならば、そこにはお互いの「相違を原動力として進む」「動的な調和」としての『和』が作動する。
「和して同ぜず」とは、「相手も自分と同じ事を思っている(→だから自分が正しい)」という「同」の前提に立つことではない。むしろ、違う考えやスタンスの相手と学習過程を作動させながらコミュニケーションすることによって、一人の考えでは突破できなかった課題に対して、お互いの「相違」に基づきながらどのような風穴をあける「原動力」を見出していくのか。そのような「動的な調和」を「学習過程」中でどう作り込むか。そのためのコミュニケーションはどうあるべきか。これを「礼」にかなったやり方で追求する。これが「連携」の本質なのかもしれない。
あと一つ、どうしても取り上げておきたいのが、「正名」、つまり「名を正す」ということである。
「日本人はアジア太平洋戦争の際に、侵略を『聖戦』と呼び、侵略軍を『皇軍』と呼び、退却を『転進』と呼び、全滅を『玉砕』と呼び、自爆攻撃を『特攻』と呼び自分の国のことを『神国』と呼んだ。このような歪んだ名を与えて思考すると、何が起きるかは明らかであろう。これが『名を正す』ということの意味である。怖いものは怖い、嫌なものは嫌、好きなものは好き、やりたい事はやりたい、やりたくない事はやりたくない、死にたくないなら死にたくない。このように『名』を正しく呼ぶことが、人間がまともに生きるための第一歩なのである。ここを歪めてしまうと、そこから先は何が起きるかわからない。というのも、人間は、世界そのものを認識しているのではなく、『名』によって世界の『像』を構成し、それによって思考しているからである。名と名の関係性を組み替えたり、あるいは名を与えられた像の運動を構成したりすることで、我々は思考し、行動している。それゆえ、名を歪めてしまうと、我々は自らの世界に生じる事態についての正しい像を構成できなくなってしまう。(略)それゆえ孔子は、何よりもまず名を正すべきだ、と言うのである。名が正される人なら、どんなにひどい事態であっても、創造的に対応することができる。」(p138)
「『名』を正しく呼ぶことが、人間がまともに生きるための第一歩」なのである、が、この世界に、その反対の「名を歪める」事態が、どれほど起こっていることだろうか。
例えば、2月に集中的に書き続けたが、3月13日に閣議決定された「障害者総合支援法」。これなんて、明確に「名を歪め」た法律である。その根拠は以前シノドスに書いた原稿などにみっちり書いたのでこれ以上くどくど書かないが、結局のところ、「総合福祉部会」で提言された「骨格提言」を厚労省は「やりたくない」というか「やる気はない」のだが、裁判の和解(基本合意文章)の中で「新しい法律に変えます」と約束したから、「名前『だけ』変える」という、実に姑息なやり方である。そもそも今日は口が悪いので、悪口ついでにいうと、「障害者自立支援法」というのも、実に「歪んだ名を与えて思考」した法律だと感じる。本当に障害者の「自立」を「支援」するならば、応益負担問題以前に、入所施設や精神科病院への長期社会的入院という構造そのものに手をつける必要がある。だが、それは「セーフティーネット」なるこれも歪めた名をつけて温存し、地域社会への資源や財源配分を傾斜することなく、介護保険法に吸
収合併する為の骨格構造を描く主目的は全く「名」として前景化せず(しかもみんな知っている)、障害者運動が大切にしてきた「自立支援」という「名」だけをパクって、さも理解しているかのような法律にする。これぞ、欺瞞そのものである。この欺瞞を正そう、「名」を正そうとしたのが、障害者自立支援法違憲訴訟のはずだったのに(詳しくはHPを参照)、そして国は一旦「名を正す」ことを約束したのに、それを、この2月になって反故にしたのである。
この厚労省の「名を歪めた」思考や動きを批判すると、「訳知り顔」の方々が、「タケコプター的理想論だ」とか、「できねぇよ」とか、「現実論から遊離している」とか、「そもそもそれは政治の問題であって厚労省の問題ではない」とか、いろいろな反論をされる。僕自身も、山梨や三重で公務員の方々と一緒に仕事をする機会が多いので、人員削減を一律にする中で、障害者福祉行政の方々が、どれほど残業を繰り返し、必死になって現場を護ろうと努力しておられるか、はよくわかっている。だから、マスコミがやるような官僚バッシングをしたい訳ではない。ただ、明らかに厚生労働省は自立支援法の前あたり、つまり支援費の雲行きが怪しくなった2004年の当初あたりから、「名を歪め」た思考になり始めているのである。それが、支援費のたった100億程度の予算超過を「アンコントローラブル」と言ってみたり、上述の「自立支援法」なる歪めた名の法律を作ったり、その延長戦上で総合福祉部会の骨格提言を潰しにかかったり、という動きに出ている。大変厳しい言い方をすると、東大を出て優秀なはずの霞ヶ関のキャリア官僚の皆さんが「名を歪めてしまうと、我々は自らの世界に生じる事態についての正しい像を構成できなくなってしまう」という状態に陥っているのではないか、という強い危惧である。
だがら、僕は「何よりもまず名を正すべきだ」という孔子=安冨先生の提案に心より賛意を示すし、その一環として、2月あたり、集中的に厚労省批判の文章も書いてきた。これについて「学者の名を借りた運動家」という評価もあったが、僕自身は、「名を正す」ことは、学者としてすべき大切な仕事である、と感じている。こう書くと、「官僚は学者と違って出来ないとは言えない立場なのだ」という反論も来るかもしれない。しかし、何があって、政治主導で「名を正す」と決め、その決定に基づき国の審議会で議論の上でまとめられた「骨格提言」が実現できないのか、それは財源論の問題なのか、それとも本当にこの提言が机上の空論であったのか。そういう理由をきちんと厚労省は応答する責任がある。それでこそ、「名が正される」のである。そのことなく、「現行法でも裁判の和解内容は遵守できています」という本人も信じていない嘘を平気でつくのは、明らかに「名を歪めた思考」であり、それは天下国家を論じるべき厚労省のキャリア官僚がしては、自爆行為なのである。長く書いたが、厚労省のキャリア官僚には、「『名』を正しく呼ぶことが、人間がまともに生きるための第一歩」であることを思い出してほしい、という、懇請のような思いで、この間批判を書き続けていた。
随分長く書いたが、まだまだ安冨先生のこの本からくみ取れる部分、これに関連づけて自らの気づきを展開したい箇所が沢山ある。この本を読む前には、「論語」がこんなに自らの「学び」や生き方そのものにアクチュアルに響くとは思っていなかったけれど、安冨先生の本を読んで、僕は文字通り(知/不知)→知のサイクル、つまり、知ってしまった以上、今までとは違う景色を見始めている。その意味で、繰り返しになるが、この『生きるための論語』は僕自身の「学びの回路を開く」ためのキーブックとして位置付いている。

復讐から贈与へ(続 学びの回路を開く)

パラダイムシフトについて、非常にわかりやすく書かれた本にであった。

「人は別のサイクルに入ることでしか、あるサイクルから抜け出ることは出来ない。復讐というマイナスの相互性から贈与交換というプラスの相互性に移行するときには、眺めている時間の方向が逆転するのと同時に循環性が保存される。『これからくれる人に与える』、私がこのようにプラスの交換を定義したのは、復讐と贈与との間にある対立関係と並行関係に同時に注目させるためなのである。もし私が、『すでにくれた人に贈る』と言ったとすれば『殺した者を殺す』という公式にもっとも近いところにとどまっていただろう。『すでにくれた人に贈る』というのは伝統的な交換の概念に一致しているかもしれないが、それは、復讐と贈与の二つの相互性の間の並行関係しかつかまえておらず、復讐と贈与のそれぞれが目を向けている時間の方向の違いは見ていない。このような見方が不十分であるのを知るためには、復讐における最初の行為と贈与における最初の行為を比較するだけで十分である。復讐における最初の行為はいつでも過去に先行してなされた攻撃に対する反応であって、未来に受け取る贈与を予期しての反応ではない。他方、最初の贈与は先手を打つことでなければなされない。」(マルク・R・アンスパック『悪循環と好循環』新評論、p34-35)
モースの贈与論から互酬性の形を再考した同著で、一番興味深かったのが、「すでにくれた人に贈る」と「これからくれる人に与える」の比較である。これは、非常に本質的で、含蓄の深い「対立関係と並行関係」である。
復讐に代表される「すでにくれた人に贈る」という論理は、時間の方向で言うと、常に「後追い」である。自分ではコントロール不可能なある行為に大きく影響され、それに何とか返礼するための「贈る」という行為。PTSDであろうと、「お中元のお返し」であろうと、自分が予期せずあるサイクルに巻き込まれてしまい、それへの返礼として「贈る」という論理である。内発的論理というより、外在的に、どこかせかされた感じで「せねば」という気持ちに急き立てられる論理、ということも出来るかもしれない。
一方、「これからくれる人に与える」というのは、文字通り「先手を打つ」ことである。相手がどうするのかわからないけれど、まず「贈与」する。その際、「せねば」と追い立てられるような義務感はない。文字通り「与えたいから与える」のである。「せねば」と比較するならば、「したい」からするのである。これは、魂の赴くままの贈与でもあり、自らの感情に無理矢理鋳型をはめたり蓋をしなくても出来る行為であり、内在的論理に基づく。
この「後追い」と「先手を打つ」の違いは、アジェンダ(=枠組み)設定とも関係している。「すでにくれた人に贈る」のであれば、「すでにくれた」という枠組みや論理にどう対応するか、に主眼が置かれている。その際、既に駆動している他者の意図や枠組みを、肯定にしろ否定にしろ、どうしても参照しなければならない、という点で、相手のペースに乗っている・乗らされている。一方、「これからくれる人に贈る」という際には、最初から誰に何を贈るか、も含めて、こちらで枠組み設定が出来る。振り回されることはない。
「すでにくれた」というのは、「最初に受け取るから得だ」という誤解も生み出す。だが、実は受け取ってしまう、ということは、ある種の返礼義務を課し、さらには復讐やPTSDなどのように被害も受けると、心の傷まで取り込んでしまうことになる。そして、この悪循環贈与のサイクルは、それを意識しないと、ずっと炉心はネガティブな回路で燃え続ける。相手から受けた呪縛の論理が自らに乗り移り、その他者の枠組みでずっと自らの内面を燃やし続ける、というしんどい回路にはまり込むのである。では、それをどうやって抜け出せばよいか。
「悪循環から抜け出るためには、その循環のプロセスを含む循環性を認識することが重要である。そしてすべての循環性を否定するのではなく、別の方向へと出発するプラスの循環に入ることである。人が復讐から逃れるのは、マイナスの循環をプラスの循環に反転させることによってだけなのである。」(p174)
実にシンプルな答えである。「すでにくれた人に贈る」循環性に自らが陥っている、ということに、気づくことでしか、抜け出せない。前回のブログでも触れた拙稿が載っている東洋文化92号の副題が「『箱』の外に出る勇気」とされていたが、このこととつながる。これは、この特集号の編者である深尾先生と安冨先生がスタンフォード大学の別府晴海先生から受け取った言葉である。東洋文化の中で、先生の言葉がこのように引用されている。
「新しい概念を創出することが『箱の外に出る』ことだと思います。『箱の外に出る』ことは必ずしも生産性のある創出にはなりませんが、『箱の外に出る』勇気が、学問にはいると思います。英語でもthink outside the boxと表現します。『自己の呪縛を乗り越える』と同時に、『(学問上の)常識(ドミナントストーリー)の呪縛を乗り越える』ことだと私は理解しています。」(東洋文化92号、p12)
内田樹先生の考えを借用すれば、学問とは、前時代の叡智を受け取り、発展させ、後生にパスをするリレーである。ということは、常に「すでにくれた人に贈る」という論理からスタートする。知識の獲得とは、もちろん、「既にある知識を受け取る」ことからスタートする。だが、どこかで「受け取る」ことを基盤にした「後追い」の枠組みには限界が来る。その時に、実は大切になるのは、「自己の呪縛を乗り越える」という意味での、「後追い」からの開放なのだと思う。それがあって、はじめて「(学問上の)常識(ドミナントストーリー)の呪縛を乗り越える」ことが可能になる。それは、自らが呪縛されているシステム全体を見つめることであり、それは「箱の外に出」て、「悪循環のプロセスを含む循環性を認識する」ことである。そして、それが出来て初めて、「別の方向へと出発するプラスの循環」に入ることが可能になるのである。するとようやく「これからくれる人に贈る」という主体へと変遷が可能なのだと思う。
この悪循環から好循環への、後追いから先手への、立ち位置の転換。「学びの回路を開く」上で、このパラダイムシフトは欠かすことが出来ない点であろう。

学びの回路を開く

昨年の7月、ブログに書き続けた「枠組み外し」に関する一連の考察が、かなり手を加えた上で論文となった。ご縁あって、東大の東洋文化研究所の紀要『東洋文化』の92号「特集 脱植民地化(3)-「呪縛」からの脱却・「箱」の外に出る勇気-」という論文集の中に、「枠組み外しの旅-宿命論的呪縛から信の<明晰>に向かって」というタイトルで、掲載頂いた。

一昨日の木曜日、その特集号の合評会が東洋文化研究所で開かれ、その論文集の著者や、あるいは「魂の脱植民地化」研究に関連の深い方々と議論をするチャンスに恵まれた。その時、様々な刺激や気づきを受けたのだけれど、その議論を通じて一番大切に感じているのが、今回の表題にもある「学びの回路を開く」というフレーズだ。
これは、前回のブログで、「魂の脱植民地化」研究の先鞭を切っておられる安冨先生の著作を引用する中で、心惹かれたフレーズである。そして、この「学びの回路を開く」ということが、コンテキストを変え、渦を作り出し、何かを創発していくために、本当に必要不可欠なのだ、と感じている。
「学びの回路を開く」とは何か。これは、この研究会の議論の際に思いついたフレーズを使うとすると、「服従」と「学習」の違いから説き起こすことが出来ると思う。
「服従」の論理とは、一方通行の論理。教える側と教えられる側、支援する側とされる側、という権力の非対称性の関係をそのまま内包した論理。一方が何かを授ける・与える。他方はそれをそのまま受け取る。その際、一方の側の枠組みを、他方は例え内心疑ってたとしても、口に出してはいけない。ありがたく受け取るのみ。そして、その枠組みの中で、従順に受け止める事が「よい子」「扱いやすい利用者」として評価される。逆に与える側の差し出す何かを素直に受け取れない人は「不良」「問題行動」「逸脱」というラベルが貼られ、治療や処分の対象とされる。この際、権力が非対称の関係なのだから、権力保持側(=つまり与える側)の論理が疑われることはない。オカシイのは、そのせっかく「与えてやった」何かをありがたく受け取らない逸脱者の側にあるのだ。そして、誰のどのような行為を評価・罰するのか、を見ている教えられる側・支援される側は、権力の非対称性という自らにとっては不利な環境を生き抜くために、「服従」する事を学び取り、「お伺いを立てる」という構図を身体化させる。それが、自らの生存戦略上有利になる、と肌身に感じているからだ。ただし、「服従」を学ぶ事からは、「学びの回路」が「開かれる」ことはない。盲目的に従うことのみを学ぶのだから、むしろ「閉ざされた学び」とも言えようか。
一方、「学びの回路を開く」という意味での「学習」とは何か。安冨先生のフレーズを借用するならば、好循環のフィードバック機構を創り出す営み、とでも言えようか。前回のブログで引用した安冨先生の文章を再掲すると、こういうことになる。
「働きかける側と対象となる側に切り分けるのではなく、両者を、相互に依存し、影響しあう一つのシステムとして認識しようとする姿勢である。この共生的関係を明確に認識しあいながら、そこに結ばれる新しい関係によってなんらかの新しい価値を創出することがめざすべき方向となる。」(安冨歩『複雑さを生きる』岩波書店、p128)
そう、教える側・教えられる側や、支援する側・される側といった「切り分け」をやめ、「両者を、相互に依存し、影響しあう一つのシステムとして認識」する。すると、知識や介護をA→Bへと一方的に渡す、という「服従」的論理は崩壊する。なぜなら、AからBに何かを伝える時、切り分けの思考から脱することが出来れば、BからAへも何かが伝わっていることに気づけるからだ。それが「わかった」「ありがとう」という言葉だったり、あるいは「聞きたくねえよ」「そんなことされたら嫌だ」という表情かもしれない。知識や支援内容が物流のようにA→Bへと一方的に伝わるのではなく、その知識なり介護なりが与えられる際、当然そのリアクションが相手から帰ってくる。そのフィードバックを、B→Aのコミュニケーションと受け止めて、その言語・非言語のコミュニケーションを自分に向けたメッセージだと受け取り、そこから新たな何かを差し出す、という関係性に漕ぎ出すことが出来るか、がAの側に問われている。AとBの間に一つのシステムとしての双方向な関係性がある事に気づくか、の分岐点でもある。
その際、「これは決められたルールだから」「教科書にこう書いてあるから」「これは僕の仕事ではないから」・・・と、B→Aで伝えられるメッセージやコミュニケーションを受け取ることを事実上拒否したのなら、それは双方向コミュニケーションの断絶であり、そこからA→Bの一方的なメッセージの増幅と「服従」の論理が強化される。だが一方、「B→A」のメッセージにきちんと応答し、自分なりにそのメッセージを受けとめた上で、相手に何らかのフィードバックをしよう、と働きかけるならば、それは「対話の回路」が開かれることになり、そこから「学びの回路を開く」という循環が始まる。
そう、ここまで書いてきて気づいたのだが、僕が「学びの回路を開く」という際に大切にしているのは、教えられる側・支援される側の回路を開くことももちろんだが、それよりむしろ遙かに開きにくい、教える側・支援する側の「学びの回路を開く」、ということなのかもしれない。
そして、これは先述の昨年7月の連作シリーズの中でも、今回の「東洋文化」の原稿でも引用した、パウロ・フレイレの有名なテーゼと繋がってくる。
「『銀行型』教育の概念では教育する者は教育される者を偽の知識で『一杯いっぱいにする』だけだが、問題解決型教育では、教育される側は自らの前に現れる世界を、自らとのかかわりにおいてとらえ、理解する能力を開発させていく。そこでは現実は静的なものではなく、現実は変革の過程にあるもの、ととらえられるのである。」(パウロ・フレイレ著、三砂ちづる訳、『新訳 被抑圧者の教育学』亜紀書房、p107-108)
以前は僕自身、この銀行型教育と課題解決側教育の違いを、一方通行か双方向か、の違いでは捉えていたが、それでも主に教わる側・支援される側が、「服従」するのではなく、「学び合う関係」「問いかけ合う関係」に変化できるか、という視点で捉えていた。だが、今ようやく気づいたのだが、実は、教える側・支援する側が、「服従」の論理で相手を「一杯いっぱいにする」のか、教わる側・支援される側と一緒に「変革の過程にあるもの」を眺め、その動的プロセスの中にダイブする事が出来るか、が問われているのである。そして、前者の方が前例踏襲的で「常識」的であり、後者に踏み出すことは、時として大きな負荷がかかる。
社会のドミナント・ストーリーは、前例踏襲的な「常識」である場合が多い。「子どもは黙って従うもの」「支援されるだけで有り難い」といった押しつけは、それが「社会化」されるなかで、有無を言わさぬ恫喝的ドミナント・ストーリーとして、「服従」の論理に転化しやすいし、そういう本人もその枠組みを所与の現実として内面化しやすい。だが、社会のドミナント・ストーリーや「常識」は、実は固定的なものではない。
ちょうど昨日、半年前に放映された「STOP虐待! ニルスの国のたたかない子育て」という番組の録画を見ていた。その中で、スウェーデンでは30年前に親子法という法律の中で次のように規定された。
「子どもは世話と、安全と、質のよいしつけを享受する権利を有する。子どもはその人格と個性を尊重しながら扱われなければならず、体罰にも、その他のいかなる屈辱的な取扱いにも、遭わされてはならない」
これに関してセーブ・ザ・チルドレンの実に良いパンフレットを見つけたのだが、このパンフレットにも、その後30年間で、体罰を実際に行う人が劇的に減り、体罰に関する肯定的評価も同様に劇的に減ったことが図で示されている。体罰は仕方ない、という「服従」の論理は、1960年代までのスウェーデンでも支配的であったのだが、1970年代に社会問題になり、1979年に体罰を禁止する法制度を整えて以後、「どうしたら体罰をなくせるか」という「学びの回路」が国の政策レベルでも開かれた。その中で、様々な両親へのサポート体制なども整えられる中で、30年後には、見事に「体罰をしない子育て」を学び取り、社会が変わっていったのである。つまり、「たたく側」である両親(=教える側・支援する側)が、「たたく」という行為を「しつけ」から「体罰」と認識転換し、それをしてはいけない、という社会的な風土を作り替える動的プロセスの中に身を置くことが出来たため、スウェーデン社会は変わっていった、とまとめる事はできる。そして、切り分けない一つのシステムとして考えれば、以前「たたかれていた」子どもは、「たかれない」(=暴力の服従の論理に従わなくて良い)という環境下で生育することにより、本人の成長や個性の尊重に、よい影響を受けていることは、十分に想像出来ることだ。
僕は以前スウェーデンに住んでいた事もあるので、どうしてもスウェーデン贔屓になってしまうのかもしれない。もちろん日本の方が良い部分も一杯あるが(消費生活をするなら間違いなく日本の方が楽しい)、でも、問題があったら社会的にそれを蓋をせずに可視化し、前例踏襲の呪縛から抜け出して、何とか変えようとする、という「学びの回路を開く」福祉システムはすごく好きだし、日本にも学べる部分はあると思う。具体的なこういう制度を取り入れたらいい、というのも勿論あるが(以前はその事に目が行きがちだった)、それより思考法、というか、誤りから学んで変わるフィードバックシステムと学びの回路を開く、という姿勢こそ、スウェーデンの福祉社会から学べる点である、と感じる。法や制度は文化や土地の歴史・文脈に強く依拠しているものであるが、「学びの回路を開く」というフィードバックシステムは、文化や地理的距離を超えた、ユニバーサルな何かだ、と感じている。
まあ、そういうことを書いても、学びの回路を閉ざしている人は、「所詮スウェーデンは人口規模も違う」「25%の消費税、43%の所得税国家とは違う」「キリスト教が支配的な国とは違う」・・・という反論が必ず出てくる。以前はそういう時にムキになって反論した事もあった。だが、今回のブログを書きながら非常にすっきりしてきたのは、確かに文化も制度も考え方も違う国であっても、「失敗から学ぶ」「学びの回路を開く」「開いた上で新たな試みに賭ける」という部分は、通文化的な何かがあるのではないか、と感じている。そして、「スウェーデンとは違う」という際に、単に文化や制度の違いだけで無く、通文化的な「学びの回路を開く」ということまで否定してしまうと、それは「閉ざされた学び」となり、「服従」の論理への埋没では無いか、と危惧するのである。
そして、この論考を閉じる前に、もう一つ、触れておきたい論点がある。
「主体は関係のなかに存在していることを、そしてすべてを記号に置き換えてシステム化させる構造が関係的主体をみえなくさせていることを、私たちは直視しなければならないのです。『正常』と『異常』という記号を基にシステムをつくり上げるのが現代社会です。それが関係のなかにある主体をみえないものに変え、個のシステムのなかに自ら取り込まれていってしまう。こう考えていけば、『正常』、『異常』というかたちで記号化するのではなく、ともに生きていく関係をどう取り戻すのかが見えてきます。」(内山節『内山節のローカリズム原論』農文協、p155)
内山節氏の論理も、安冨先生の論理と通底する部分が多い。影響を与える側・与えられる側を「切り分ける」のではなく、「両者を、相互に依存し、影響しあう一つのシステムとして認識」する。このことは、「主体は関係の中に存在」する、という事と等価であり、「関係的主体」として生きる、ということでもある。しかし、この「関係的主体」という視点が後景化しているのは、「記号」化システムである。高度消費社会とは、マーケット化、記号化することによって、記号そのものへの欲望を加速させ、ある商品を購入しても、またその商品とは違う記号(=差異)のある別の何かを欲望することで、商品購入を加速させるプログラムを構築した。そして、商品購入のゲームが前景化する社会とは、その商品を購入している自分自身が「関係の中に存在している」ということを、見えなくさせていた。
たとえば、胃薬は、それを必要とする人しか飲まなければ、必要以上に売れない。だからこそ、「食べる前に胃薬を飲む」という論理転換(倒錯?)を広告で流し、胃痛の予防的に飲み続けることで、いつしか胃薬無しでは暮らせない人を創り出す。だが、それが製薬会社の儲けの最大化との関係の中で購入している、という自らの「関係的主体」に気づかれては、売り手の側は困るわけである。だからこそ、さらなる「記号」をテレビで流し続け、その「関係的主体」を後景化し、「記号的主体」として、ある特定の「正しさ」を信じ込むように人びとを誘因してきた。そのコマーシャル内容に自主的に「服従」する人びとを生み出してきた。
ながーい迂回路になったが、「学びの回路を開く」とは、「正常・異常」「よい子・悪い子」「標準的行動・問題行動」といった二項対立的で、時として背後に権力や情報の非対称性の大きい局面で、「服従」の論理に従わせるのではなく、フィードバックの回路の中からお互いが学び続けること、である。それは、「真理の探究」と言ってもいいのかもしれない。「たたくのはしつけ」とは、前時代の「真理」だったかもしれない。でも、それがオカシイと感じるなら、「それ以外にしつけの方法はないか」と「探求」するのが、「真理の探究」である。私たちは、その「真理の探究」よりも、昨日と同じ明日、という意味での「日常性の保持」や前例踏襲的な「服従の論理」に傾きやすい。しかし、その宿痾が、現在の日本社会に蔓延する閉塞感であったり、あるいは矛盾の表出であるとするならば、それは「学びの回路を閉ざした結果」とも受け止められるのではないだろうか。
どうやって「学びの回路を開く」ことが出来るか?  何かをする側・される側の双方が、切り分けられるのでは無く、関係論的にフィードバックを交わし続ける中で、どのような変革の動的プロセスや渦、ムーブメントが創発していくのか。「そこに結ばれる新しい関係によってなんらかの新しい価値を創出すること」はどうしたら可能か? 「ともに生きていく関係をどう取り戻すのか」?
このあたりを、もう少し考え続け、再び書き進めようと思う。(もしかしたら、連作化する、かもしれない)。