「時間節約家」からの戦線離脱

ルチャ・リブロの青木ご夫妻と、現代書館の編集者向山さんの4人で、「生きるためのファンタジーの会」を続けている。(その経緯は以前のブログにも書いた)

今回の課題図書は、ファンタジーの代表作とも言えるミヒャエル・エンデの『モモ』(岩波書店)。鉄板中の鉄板で、僕も持っていたし、読んだつもり、になっていた。でも、今回読み直して、以前はちゃんと読めていなかったのではないか、と疑うほど、内容は覚えていなかった。でもいまの僕には深く突き刺さった。

モモは実はダイアローグの名手である。

「小さなモモにできたこと、それはほかでありません。あいての話を聞くことでした。なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。話を聞くなんて、だれにだってできるじゃないかって。
でもそれはまちがいです。ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです。そしてこのてんでモモは、それこそほかにはれいのないすばらしい才能を持っていたのです。
モモに話を聞いてもらっていると、ばかな人にもきゅうにまともな考えがうかんできます。モモはそういう考えをひきだすようなことを言ったり質問したり、というわけではないのです。ただじっとすわって、注意ぶかく聞いているだけです。その大きな黒い目は、あいてをじっと見つめています。するとあいてには、じぶんのどこにそんなものがひそんでいたかとおどろくような考えが、すっとうかびあがってくるのです。」(p23)

冒頭に出てくるこの部分が、僕は好きだ。そして、深く頷く部分でもある。

「話を聞くなんて、だれにだってできるじゃないかって。でもそれはまちがいです。ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです。」

話を聞くことは、簡単なことではない。それは聞いているうちに、ついつい聞いているこちら側が、他のことを考えたり、聞いているうちに心に浮かんだことを言いたくてうずうずしたり、としているうちに、「注意ぶかく聞く」ことが疎かになるのだ。ゆっくりと時間をかけて、相手の話を遮らずに、最期まで聞く。しかも、その間、相手に心身を集中する。それは簡単ではない。でも、もしそれが出来ると、相手は自分の話だけでなく、存在そのものも受け止めてもらったと安心する。だからこそ、「あいてには、じぶんのどこにそんなものがひそんでいたかとおどろくような考えが、すっとうかびあがってくる」のだ。

そんな貴重な存在が街の噂になり、「モモのところに行ってごらん」と口々に唱えるようになった。だからこそ、彼女は色々な人から食べ物を提供され、満足した生活を送れていた。時間泥棒の灰色の紳士たちがやってくるまでは。

この灰色の紳士たちは、人々に、生産性や効率性の概念を植え付ける。もっと時間を効率的に使い、短時間でできる限り労働生産性を上げ、無駄なことをするな、という考え方である。そして、モモのところにってじっくり話を聞いてもらう、というのは、金銭的価値を生み出さない、という意味で、無駄なこととカウントされる。

この時間泥棒が植え付けた概念は以下の通りだった。

「時間節約こそ幸福への道!
あるいは
時間節約をしてこそ未来がある!
あるいは
君の生活を豊かにするために—時間を節約しよう
けれども、現実はこれとはまるっきりちがいました。たしかに時間貯蓄家たちは、あの円形劇場あとのちかくに住む人たちより、いい服装はしていました。お金もよけいにかせぎましたし、つかうのもよけいです。けれども、ふきげんな、くたびれた、おこりっぽい顔をして、とげとげしい目つきでした。もちろん、『モモのところに行ってごらん!』ということばを知りません。」(p103)

「時間節約こそ幸福への道」という標語は、ぼく自身の中でも深く内面化していたものである。効率的に働くために、出張中の電車内でもノートPCをカタカタ打ち続け、todoリストを徹底的に潰しながら、原稿をできる限り早く書こうとあくせくしてきた。でも、そうやって時間節約に必死になっていた時は、「ふきげんな、くたびれた、おこりっぽい顔をして、とげとげしい目つき」だったと思う。そして、多分その時代に『モモ』を手に取ったとしても、内容を理解出来なくて、というか、その内容を理解することが己への批判になりそうで恐ろしくて、本質的な理解を拒んでいたのだと思う。もちろん、その当時の僕は「『モモのところに行ってごらん!』ということばを知りません」し、モモのメッセージにも耳を傾けられなかった。

そんな時間泥棒の虜になっていたぼく自身だが、モモが読めるようになったのは、多分二つの契機がある。一つは2017年に受けたダイアローグの集中研修であり、もう一つが同じ年に生まれた娘の存在だ。

2017年にオープンダイアローグの集中研修を受け、対話の認識が文字通り変わった。それまで、相手が話す前に自分が話をしようとしたし、相手が話をしている間も、次の展開をどうすれば良いのか、を必死に考えていた。良い聞き手、ではなかった。インタビュー調査もしていたけど、相手を誘導することもあったかもしれないし、相手により良く評価してもらおうと気の利いたコメントをしていたのかもしれない。とにかく、我が我が、という部分があって、注意深く聞くことが出来ていなかった。

でも、オープンダイアローグの研修で教わったことは、モモが地でいくことである。先入観や専門知識を横において、ただただ相手の話を最期まで遮らずに聞くこと。そして、聞いた内容が合っているか、きちんと相手に確認すること。それに対してコメントや意見をしたくなったら、「いま・ここ」で心に浮かんだことに限定して、相手に確認を取ってから、短めに場に差し出してみること。そうやっていくと、相手の差し出した音と己の音が、一つの音として調和するのではなく、違う音として響き合うポリフォニーが生まれる。すると、そのポリフォニーのあとで、お互いの他者の他者性がよりクリアに理解出来るようになる、というのだ。すると気がつけば、「じぶんのどこにそんなものがひそんでいたかとおどろくような考えが、すっとうかびあがってくるのです」という経験を、ぼく自身も何度もしている。

これは1:1の対話に限らない。ゼミであっても、オンラインの研修打ち合わせであっても、授業の場であっても、「ただじっとすわって、注意ぶかく聞いているだけ」で、物事が動き出し、無理にまとめようとしなくても、自ずからまとまっていく経験を積み重ねてきた。

でも、このじっと聴き続ける、というのは、時間泥棒の敵である。相手が何を話してくれるのか、は予想不可能という意味で、不確実性が高い。一見すると、生産性に乏しかったり、リスクが高まるようにも思える。でも、ここでいう生産性やリスク管理とは、昨日うまくいったやり方の延長線上での今日という意味で、前例踏襲的な生産性・リスク管理である。そこにはまり込むことが「時間泥棒」と言われているのは、ある種の無時間モデルというか、時間的な変化を考慮に入れず、同じことを、同じように繰り返す、という意味で、標準化・規格化された生き方に縮減することだからである。その反復強迫を「世の中こういうもんだ」「どうせいっても仕方ない」と鵜呑みにするからこそ、生産性と効率性は上がり、その分の生きがいのようなものも、時間泥棒に奪われていく。

一方、そういう灰色の世の中に対して、モモは決然とNOを言う。安易に従おうとしないし、人々の生の実存や喜びをじっくり分かち合いたいと願う。そういう、ある種の「前近代性」というか時間の呪いから自由だからこそ、彼女は時間の国のマイスター・ホラと出会い、時間泥棒たちとの命がけの闘いに向かうことが出来たのだ。

10歳くらいの読者には、そのモモの問いかけを、ストレートに受け止める器量があるのだろう。でもこの本を最初に買い求めたのは、奥付から想像すると1996年なので大学生のころ。すっかり僕は能力主義の虜だった。大学院生の頃とか、社会人になって、何度か読もうと思ったが、そういえば挫折していたのだと、改めて思い出した。

そんな僕がモモを読める主体に変化したもう一つの理由が、僕にとっては子育てだ。特に子どもが小さかった頃、子どもの全存在と向き合う日々で、家事育児に必死になっていたら、時間泥棒の入る隙間がない。その当時は「戦線離脱」と思い込んでいたけど、今となっては、「時間節約家」としての戦線離脱だったのかもしれない。そう考えたら、これは名誉な撤退ではないか!と改めて気づくことが出来た。

ただ、あまり書きすぎると、オムラヂの収録で話すことがなくなるので、今日はここまで。『モモ』を巡る対談の収録も楽しみだ。

支配ではなく対話を

信田さよ子さんの本は何冊か読んできたが、彼女の古典的名著は手つかずだった。今回、新版として出された『アダルトチルドレン 自己責任の罠を抜けだし、私の人生を取り戻す』(学芸みらい社)を読んで、多くのことを学んだ。

「“べき”で通し、正しいことを行っている家族がどうして寒々として息苦しいのでしょうか。“べき”とは外側の基準に自分を合わせていくことです。『今』『この』『私の』肯定は、そこにはありません。基準に合致した自分だけが許される。今の家族は条件つきの自分しか許されない場になってしまっています。もうひとつ、“べき”とは、宗教的な意味合いも含んでいます。教義に照らし合わせることで行動の指針を決めているからです。言い換えると、“べき”は裁きの言葉でもあります。勉強すべき、妻は〜すべきという言葉が毎日飛び交うのは、まるで裁判所のようではないでしょうか。これほど息苦しいものはありません。」(p93)

この本の副題に書かれている、「自己責任の罠を抜けだし、私の人生を取り戻す」ためにまず大切なのは、“べき”(=should, must)から逃れることだ、と信田さんは説いている。『今』『この』『私の』無条件な肯定はそこにはない。そうではなくて、親や先生、大人や世間などの「外側の基準」に合致したときだけ許される。そういう条件付きの承認が“べき”なのである。さらに、査定基準としての「裁きの言葉」を内面化することで、それができていない自分をどんどん追い込んでいく。たしかに、学生さんを見ていても、そのような“べき”に追い込まれ、苦しんでいる、でもそこから抜け出せない人は沢山いるようだ。

その際、信田さんは「内なる親」との闘いを勧めている。

「インナーチャイルドよりも『インナーペアレンツ』(内なる親)に注目すること、これは自分で自分をではなく、自分のなかに棲みついた親をどうするか、という作業につながります。親に傷つけられた傷を癒やすのではなく、自分のなかにいる親との関係をどうしていくかという問題だと考えるからです。
日本の場合、ACの苦しみは、親の人生と子どもの人生が未分化で、融合的に『おまえのためだよ』とか『普通でいなさい』とか『人に迷惑をかけちゃいけません』などのように、正しさや常識とともに植えつけられるものが、真綿で首を絞められるようにその人を追い詰めていくことにあります。『親の恩』『親子の絆』とか『私が世話をしないとあなたはダメ』など・・・。
『私がいないとおまえはダメになる』というくらい親にとって甘美な言葉はありません。親の支配の万能さを表しています。」(p115)

大学生を見ていて、「自分のなかにいる親との関係をどうしていくかという問題」を抱えている人が結構いるように思う。私の勤務する大学は「良い子」が多い。そういう良い子の中には、『おまえのためだよ』とか『普通でいなさい』とか『人に迷惑をかけちゃいけません』というフレーズを内面化して、自分の気持ちよりも墨守すべき基準(=“べき”)と頑なに守っている学生達が少なからずいる。それは親や先生、大人による「支配」だと信田さんは喝破する。そして、そういう外的規範が「内なる親」として子どもの中に棲みついた時、「真綿で首を絞められるようにその人を追い詰めていく」のである。

本書のタイトルは、アダルトチルドレン(AC)である。元々はアメリカでアルコール依存症の親を持つ子ども(Adult Children of Alcoholics)の独特の問題として論じられていた。「共依存」や「機能不全家族」という言葉とともに、日本でも爆発的に広まった。

だが、信田さんの慧眼は、このACの根幹に「支配」関係があると見抜き、それは決してアルコール依存症の親を持つ子に限らないと、喝破した点にある。

「私たちはACというコンセプト、ACという言葉で、現代の大多数の、典型的な中流家庭のなかで育ったとてもいい子たち—まわりの目を気にし、周囲の期待を先に先に読んで、おもしろおかしくしてその場をもたせて、明るさを支えている若者たちの、ある苦しさを切り取ることができます。」(p68)

授業やゼミなどで、「とてもいい子たち」の声を聞き続けてきた僕としては、信田さんのいうことがすごくよくわかる。「まわりの目を気にし、周囲の期待を先に先に読んで、おもしろおかしくしてその場をもたせて、明るさを支えている若者たち」は、結構な割合で、生きづらさや苦しさを抱えているのだ。そして、それが「内なる親」や“べき”という外的基準であり、「支配」の問題だと言われると、誠にその通りだと頷く。

「なぜACが肯定言語かというと、まず、ACの基本が『親の支配を認める』ということにあるからです。つまり、ACとは親の支配を読み解く言語なのです。
ACとは私たちの生まれ育った家族における親の影響、親の支配、親の拘束というものを認める言葉なのです。つまりそういう支配を受けて今の私がいるということ、まったく純白のところから私たちが色をつけられたのではなくて、親の支配のもとにあって、影響を受けながら今このように生きていることを認める言葉なのです。自分がこんなに苦しいのは、『私がどうも性格がおかしいのではないか』とか、『私が意志が弱かったのではないか』ということではなくて、そこには親の影響があったのだと認めることで、『あなたには責任はない』と免責する言葉でもあるわけです。」(p210)

親として6年暮らしてきたから、よくわかる。「親の支配」は厳然として存在する。そして、私は子どもを支配しようとしているとき、自分自身もまた親に支配されてきたこを、遡及的に思い出す。そして、接している学生達が生きづらさや苦しさを感じている時に、しばしば耳にするのが、『私がどうも性格がおかしいのではないか』とか、『私が意志が弱かったのではないか』というフレーズなのである。だからこそ、虐待を受けたり自傷他害に巻き込まれていない家庭の子どもであっても、「親の支配」が真綿で首を絞めるように及んでいる子どもたちに対しては、『あなたには責任はない』といわなければならない。そして、ぼく自身は娘を「すべきだ」とか「あなたのため」とか「普通でいなさい」というソフトな呪いの言葉で隔離拘束したくない。心から、そう思う。

そして、信田さんは「共依存」や「機能不全家族」にも、新たな光を指し示す。共依存は、アルコール依存症の夫に依存する妻、という文脈でいわれていて、妻が夫をそそのかす、という文脈で使われていたが、それは夫の暴力を免責し、被害を受ける側にも問題があったとする「被害者有責論」につながる危険な発想だという。その上で、以下のように指摘する。

「むしろ共依存は親子関係に代表される『ケア』することの支配性を指摘する言葉として大きな意味を持っています。母親が世話をするという形で子どもを支配し、教育やしつけという形で子どもを自分の思い通りに方向づけて縛っていく姿については、カウンセリングの場で息子や娘の立場から長年聞かされ続けてきました。(略)こうした親は、『すべて子どものために』といいますが、実は、親が子どもへの支配感を満足させるために子どもが自分の思い通りに成長しているかどうかを確認するためであることが多いのです。自分の今の生き方に対する空虚感や不全感を、子どもや夫の面倒を必要以上に見て、自分のいいように仕立てることにすり替えていく、こうして自分の支配感を満足させることができます。」(p50-51)

母親による子どもの支配。それは、父親の不在や欠損とつながっている。父がワーカホリックだったり、家で存在感がなかったり、暴力を振るったり、という中で、母親は「自分の今の生き方に対する空虚感や不全感」を、父親との対話の中で解決することができない。だからこそ、子どもを支配することで、「教育やしつけという形で子どもを自分の思い通りに方向づけて縛っていく」ことで、代償的に実現しようとする。しかも、自分自身の自己実現なら、自分で満ち足りた感覚を抱くことができるが、自分ではない子どものことゆえに、なかなか空虚感や不全感は埋まらない。80点取れたら100点を求めるし、良い高校に入ったら、次は大学で会社で・・・とその要求はエスカレートする。『すべて子どものために』という錦の御旗の下で行うから、子どもは簡単には反論できず、でも“べき”を押し付けられていくから、生きづらさをどんどんため込んでいく。母の支配感の持続は、子どもも摩滅を代償に得られるのだ。なんと不幸な関係!!

こういう不幸な母子の世代間密着を越えるにはどうしたらよいか。システム家族論では世代間密着を「世代間境界の侵犯」と捕らえる、と規定した上で、信田さんは次のように述べる。

「世代間境界の問題は、夫婦の関係の重要性を訴えているのです。その理由は、本書すべてを使って訴えていることに重なります。親(なかでも母)は夫婦仲良く、支えられ支える関係を子どもに見せていなければならないからです。なぜなら、子どもは母の不幸、母の不全感を背負い、自分が悪いのではないか、自分がそうさせたのではないかと思うからです。
子どもを幸せにするには、母が父から支えられていること、そしてある程度満たされて生きていることが、いちばん根底にある条件なのです。」(p162)

母が子どもに必要以上に執着するのは、母が父から支えられていないからである。このメッセージは、本書で通奏低音をなしている。そして、フラストレーションを抱えて子どもを支配している母親達は、夫婦関係が悪く、夫を罵り、馬鹿にして、諦めている。一方、夫もまともに妻に話しかけていないどころか、仕事を理由にして家に寄りつかなかったり、家にいても自室に閉じこもってゲームをしていたり、暴力を振るったり、家族に無関心だったりする。つまり、妻と夫がまっとうに向き合って対話していないからこそ、妻はそのエネルギーを子どもに向け、世代間境界を侵犯するのである。

だからこそ、母が父から支えられ、父も母から支えられ、という「支えられ支える関係」を取り戻すことが、子どもの安心安全に直結する、という信田さんの指摘は、深く頷く。幸い、僕たち夫婦は、高齢出産ということもあり、「支えられ支える関係」を築かないと子育ては成立しなかった。だが、それはぼく自身が、子育てを始めてやっと「仕事依存症」に気づき、禁断症状を抱えながらも、そこから距離を取ってはじめて、できたことである。それに気づけていないと、家族関係は最悪な悪循環に陥っていたと思うと、本当に冷や汗ものである。

最後に、家族機能が欠損していたり、問題を抱える家族を指して、以前は「機能不全家族」と呼んでいただが、信田さんは25年前に本書の元本を作った時と違って、いまはもう使わない、という。

「どこかに機能十全な(完全に機能する)家族があるというのは誤解であり、そんな幻想を抱かせる言葉は、犯罪的であるとすら今は考えているからです。」(p245)

この指摘にも、心から同意する。「機能十全な(完全に機能する)家族」というのは、理念型というか幻想というか、どちらにせよ、現実には存在しない。僕の原家族(両親と兄弟)だって完全に機能していた家族ではないし、僕と妻と娘の家族にだって、至らない点は沢山ある。どこの家族も、なんらかの歪みや至らなさ、欠損を抱えているのであって、機能不全家族がデフォルトなのだ。「うちは機能十全家族です」と誇るような人がいたら、その人の闇は相当深いと思う。

そういう意味では、機能不全家族がデフォルトな社会において、親による子どもの支配から自由になるためにはどうしたらよいか。それは、親が子どもに過剰な期待を抱くのではなく、支配に自覚的になり、なるべく子どもが親から自立して行動できるように応援することなのだと思う。そして、妻と夫は、子どもにのみ注力する(支配欲を行使する)のではなく、子どもを育てながらも、ユングのいう「個性化」を果たしていくことが大切なのだと思う。そのためには、親が子どもを支配するのではなく、夫婦と子どもの間での対話を重ね、支えられ支える関係性を育みつづけられるか、が改めて鍵だと感じた。ものすごく面倒だけれど、こういう地道な対話の積み重ねこそが、隘路を開く入り口にあると思う。

何のために勉強するの?

10月にちくまプリマー新書から『ケアしケアされ、生きていく』という単著を出す。この本を書くプロセスで、読んで確認したいと思った本もあれば、「本を書き上げるまでは読まないでおこう」と思った本もある。今からご紹介する本はその本で、ものすごく魅力的な本で圧倒され、「この本を事前に読んだらかなり自論も引っ張られそうだ」と感じた一冊だ。

「あなたはこれから、善き人を追い求めながら、そのたびにあくどい自分を見いだして絶望しながら、生き抜いてください。人を気遣い、配慮すればするほど、自分に避けがたく悪が忍び寄ることを全身で感じながら、自分の善意にことごとく挫折しながら、それでも強く生き延びてください。」(鳥羽和久『君は君の人生の主役になれ』ちくまプリマー新書、p106)

著者の鳥羽さんは福岡で学習塾を20年行い、小中高の子どもたちと向き合い続けている同世代。実は、僕の新書の編集者が上記の本の編集もしていて、オススメされたのだが、なんとなくこの本に影響されそうだから、と読むのを後回しにしてきた。彼は、10代の子どもたちが、親や先生に翻弄されて、自分を見失ったり自信を喪失するプロセスをずっと垣間見てきたからこそ、大人に手厳しい。そして、10代の子どもたちに向けたメッセージは、生ぬるい優しさは一つもなく、本気のメッセージである。

「悪をなさないとしても、それはあなたが悪を克服したことを意味しません」(p98)とも明言する。政治的な正しさが行き渡り、昭和の時代に比べたら、わかりやすい・物理的な暴力は減ったのは事実である。そして、悪をなさない人も増えただろう。でも、だからといって、悪をなさないことは、悪の克服とは違う、と鳥羽さんは言い切る。ブラック企業で働く人々も、悪人ではない。真面目にしっかり仕事をしようと思ったら、資本の論理に生真面目に従おうとしたら、搾取プロセスの中に組み込まれていくのだ。それが「避けがたく悪が忍び寄ること」なのである。そのことに青年も自覚的であれ、と鳥羽さんはメッセージを発する。悪は善のすぐ側にあり、放っておいても、忍び寄るし、善意はことごとく挫折する。それでも、にも関わらず、悪を克服出来ないことを意識しながらも、善い人生に向けて、生き抜いて欲しい。このような、鳥羽さんの祈りの言葉が各所にちりばめられている。

「あなたを護ることは、同時にあなたを抑圧することになる。でも、抑圧しすぎると子どもは育たない。だからといって、抑圧しなければ私は子どもを育てられない・・・。そうやって延々と逡巡を繰り返すうちに苦しみのループに巻き込まれ、親はその思考からいっときもあなたを手放すことができなくなります。
こうして親は、世間の波に巻き込まれるうちに親としてのこわばりを身につけていきます。親たちは、親として話すようになると同時に、自分独自の言葉を手放してしまうのです。
親は『わたしもちゃんとした親でありたい』と望みます。しかし、親はそのとき、あなたに対してちゃんとしたいというより、世間に対して恥ずかしくないようにちゃんとしたいと思っているんです。そしてしまいには、親はほとんど世間そのものとして、あなたの前にたちはだかるようになります。」(p137-138)

これは、ぼく自身も20歳の大学生と20年近く付き合っていて、本当に強く感じることである。自信を喪失している、○○したいというアクセルより「してはいけない」「どうせ無理」とブレーキを踏み続けている学生に限って、「親はほとんど世間そのものとして、あなたの前にたちはだかる」のだ。特に母親が「毒親」として立ちはだかっている例を、沢山見聞きする。

でも、それは母親のみの問題とは到底思えない。『わたしもちゃんとした親でありたい』と望む母親の強烈な姿を見聞きする一方、父親の存在が不在である場合が多いのだ。ぶっちゃけて言うと、そういう家庭に限って、母と父が対話をしておらず、母は孤独で、父を呪っているケースが結構あるように思う。母が毒親になる、ということは、父が仕事に逃げたり家庭を放棄したり、という父の不在とセットになって、存在しているように思う。いずれにせよ、それは親同士が協働して子どもと向き合おうという努力を放棄し、親自身が抑圧されているからこそ、子どもも抑圧を通じてしか育てられない状況に陥っているのである。

そして、さらに追い打ちをかけるのは、「世間に対して恥ずかしくないようにちゃんとしたい」という日本社会の同調圧力だ。親が自分たちで子どもと向き合う論理を持たない場合、親が最後にすがれるのは「世間」になる。すると、子どもが自分らしい思いを親にぶつけたときに、「公務員の方が安定しているよ」とか、「手に職を付けなさい」とか「もう少し現実的に考えて」という親は、「ほとんど世間そのものとして、あなたの前にたちはだかる」しかないのだ。それは、「親たちは、親として話すようになると同時に、自分独自の言葉を手放してしまう」という残酷なプロセスである。

子どもが自分独自の言葉や思考を持つとき、それは親の支配下を逃れる時である。これまで親が子どもを抑圧してきたならば、その抑圧に抵抗し、その支配を無効にしようと子どもなりに努力する。それは、親にとっては、自らの帝国が崩壊する危機なので、ものすごく恐ろしいことである。だからこそ、親が子への抑圧を手放し・出来る限り減らし、子どもを見守ることが出来るか、が問われている。でも、これまで支配の論理に慣れていた・それでうまく回してきた(つもりになっている)親にとっては、最大の武器を手放し、素手で子どもと付き合うようなものであり、これほど恐ろしいことではない。そう思う親もいるだろう。だからこそ、「世間」という「呪いの言葉」に頼りたくなるのだ。

これは、ぼく自身も、娘が思春期になったときに、当然問われることだと思う。だからこそ、次のフレーズをかみしめておきたい。

「勉強することの大きな意味のひとつは、それを通して子どもが親の思考の影響から距離を取ることができる点にあります。そういう意味で、親の言葉一つに影響を受けすぎるあなたはつくづく勉強が足りないんです。」(p214)

これは学生と接していてもそう思うし、我が子が成長していくなかでも、肝に銘じておかなければならない。だけでなく、ぼく自身の青年期の経験とも合致する。

本を読むこと、思考を深めることの最大の魅力は、自分独自の視点を少しずつ獲得していくことである。それは、「親の思考の影響から距離を取ること」そのものである。京都で暮らした高校時代、母校の仏教系学校の校長である僧侶が、学校の金を使い込み、先物相場で数千万円の損失をして、校長を退職した事件があった。だが、我が家でとっていた地元紙は、宗教法人に遠慮して、深追いする記事を書かなかった。一方、友人が持ってきた全国紙では、そのことを徹底追求して記事にしていた。その時、親の見ている世界を作っているのは、京都の狭い現実であり、京都を相対的に見る全国紙から見ると、違う世界が広がっている、とはじめて気づくことがでいた。また、月に一度の法話で立派なことを言っている人も、「善き人を追い求めながら、そのたびにあくどい自分を見いだして絶望し」ているのだと気づいた瞬間でもあった。

それから、全国紙に切り替えてもらい、図書館で本を色々読むようになった。親の言っていることと、違う切り口や視点を、少しずつ学ぶようになっていった。すると、親の発言だけでなく、自分が過ごした家庭環境そのものを、俯瞰して捉えるメタの視点を身につけられるようになっていった。それが、箱の外に出る勇気だと思うし、自分が嵌入している社会構造の自覚化なのだと思う。ぼくは、10代でそれが出来た訳ではなく、20代からずっと本を読み続け、そこで考えたことをブログで書き続けながら、おっさんになってやっと気づきを深めていった、のかもしれない。

「親の言葉一つに影響を受けすぎるあなたはつくづく勉強が足りないんです」

これはめちゃくちゃドギツイ言葉だ。でも、ぼくも多くの20歳と出会ってきて、深く頷く。親の言葉に囚われていて、その呪縛から抜け出せない人は、もちろん親も悪いのだけれど、自分自身もその呪縛から逃れるための別の視点を持てていないのだ。そして、その別の視点を持つための、最短で確実なプロセスとは、勉強することなのかもしれない。

「大人たちは良かれと思ってあなたにさまざまなアドバイスをしてくれます。でもその多くがむしろあなたを『正しさ』でがんじがらめにしてしまう言葉ばかりなんです。あなたに必要なのはみんなとは違う自分独自の生き方を見つけることなのに、大人があなたに耳打ちするのは、どうすれば『普通』になれるか、みんなとうまく合わせられるかということばかりなんです。」(p245)

「どうすれば『普通』になれるか、みんなとうまく合わせられるか」を必死になって模索すると、世間で浮かない、空気を読んで、同調圧力にもうまく従える「いい子」になれる。でも、それは「世間にとっての都合のいい子」であり、自分自身の魂を毀損する生き方である。そして、「世間にとっての都合のいい子」として歯を食いしばって我慢してきた大人たちは、子どもたちも同じような鋳型にはめ込もうと、「良かれと思ってあなたにさまざまなアドバイス」をする。それは、社会に適合するための『正しさ』であり、「みんなとは違う自分独自の生き方を見つける」方法論ではない。

だから、そんな大人たちの声とは距離を取り、自分の頭で考え、様々な本と対話し、試行錯誤をしながら、自分の声を手に入れてほしい。筆者の懇請が聞こえてくるようだ。

「君は君の人生の主役になれ」

本書はこのタイトルフレーズで終わる。これは、子どもだけではない。子を育てる大人じしんが「自分の人生の主役」であるだろうか。子どものせいにして、子どもをダシにして、自分の人生の主役を引き受けることから逃げてはいないだろうか。僕は、鳥羽さんにそうも問いかけられているように感じた。子どもと生きる私も、子どもと共に、主体的に生きることができる。それは、『ケアしケアされ、生きていく』という本の中に詰め込んだ話でもある。いつか、鳥羽さんと対話をしてみたい。そんなことを感じた。

「思春期」の内在的論理と向き合う

以前から注目していたスクールソーシャルワーカーの鴻巣麻里香さんの新刊『思春期のしんどさってなんだろう? あなたと考えたいあなたを苦しめる社会の問題』(平凡社)を読み終える。たくさんの10代の若者たちと丁寧に向き合い続けてこられた彼女だからこそ、書かれた内容に、頷くポイントがすごく多い。

「合理的な理由がない規則を守らなければならないのは理不尽です。理不尽とは道理が通らないことです。『たとえ合理的な理由がわからなくても、規則は守らなければならない』という世界で過ごすうちに、理不尽や疑問はのみこまなければならない、がまんして受け入れなければならないんだと、刷り込まれてしまいます。
それも一種の色眼鏡です。なぜかというと、社会に出たときに、『理不尽なことでも引き受けなければならない』『疑問はのみこまなければならない』という色眼鏡で世の中を見るようになるし、自分自身を見るようになるからです。」(p41)

実際、大学一年生と議論をしていると、すでにこの色眼鏡をしっかり身体化している学生がどれほど多いか。「おかしいと思ったら、その違和感を表明するか?」とお尋ねすると、多くの学生が『疑問はのみこまなければならない』と応えてくれる。その理由を探っていくと、たとえば高校でスマホの学校持ち込み禁止について、教員に異議申し立てしたけれど、「ルールなんだから従え」以上の理由を教えてくれず、強制された。だからこそ、「たとえ合理的な理由がわからなくても、規則は守らなければならない」という色眼鏡を内面化したという。そして、この色眼鏡は、日本社会の理不尽さを肯定し、理不尽なルールでも同調圧力で従え、という圧を強化していく。授業中に「そうはいっても先生、長いものには巻かれろ、でしょ」と言われて、呆気にとられたこともある。

では、この現状を変えるにはどうしたらよいのか。鴻巣さんは、わかりやすく具体的に説いていく。

「子どもたちにとって必要なのは、『みんなで仲良く』ではなく自分とだれかのあいだの心地よい境界線がどこにあるのか、少しずつ気づいていくプロセスだと思います。それは自分も大事にして相手も尊重することです。人と自分とではちがっていて、自分とだれかのあいだに境界線をしっかり守りたい子も居れば、ファジーでゆるくて、相手と混ざり合うことが心地よい子も居る。(略)
そこに、『仲良くすることはよいことだ』、言い換えれば『だれかを苦手と思うのはよくないことだ』というメッセージが降りてくれば、おたがいに境界線を図り合って距離を取る、つまり自分を大事にする、相手を尊重するということがよくわからなくなってしまいます。」(p63-64)

学校に関わる人で、「みんなで仲良く」という「大前提」に公然と異を唱える人はなかなかいない。でも、あたなも私も、教師も校長も、すべての人と適切な関係性を結ぶことが出来るわけではない。実際に、挨拶をするけどそれ以上深入りしない、あるいは距離を置いて遠ざかった経験は、誰しもある。でも、それは固定的なものではなく、小学校の時は大の仲良しだったけど、その後疎遠になったとか、逆に学生時代は名前を知っているだけだったのに大人になってから唯一無二の親友になるとか、そんなのざらである。

にも関わらず、「みんな仲良くまとまりあるクラス」というテーゼを教員や学校が掲げ、それに従うのが当然という同調圧力がかかると、それを「理不尽」に感じる子どもたちも増えてくる。本当は「おたがいに境界線を図り合って距離を取る、つまり自分を大事にする、相手を尊重するということ」が最も大切なはずなのに、その境界線を取る行為が、『だれかを苦手と思うのはよくないことだ』という形でネガティブに規範化されると、息が詰まってしまう。このあたり、特に小さい頃から人の顔色を見て育ってきた僕は、すごくよくわかる。一方、6歳の我が娘さんは、自分がしゃべりたい人としゃべった後、ふわふわとよそにいく力も持っているので、この圧は親の僕の方が感じているのかもしれない。

また、この本は、親や教師など若者と付き合う大人が、じっくり胸に手をあてて考えてほしいフレーズが沢山ある。たとえば、家にいて若者が苦しいと感じる理由について、以下のような説明がなされている。

「自分の部屋にノックせず勝手に入ってこられる、留守にしている間に机のなかをみられている、家族が無断で自分の物を使っている、事故にあったら心配される前に叱られた、脱衣所で着替え中や入浴中に親(とくに異性の親)にドアを開けられる、女の子だという理由で(弟や兄は免除されるのに)自分だけ家事を手伝わされる、テスト前には外出が許されない、予定を勝手に決められる、週末はきょうだいのスポーツの試合に強制的に同行させられる、成績が下がると外出や部活動が制限される、アルバイト代を親に渡すように要求される、進路について親の希望が優先される、忙しい親の代わりに家事のほとんどを担ったり小さな弟妹の面倒を長時間みなければならない、病気や高齢の家族の介護を担わなければならない(この問題は「ヤングケアラー」として認識されるようになりました)、そして両親の仲が悪かったり、親の精神状態が不安定だったりアルコールに依存していたりでつねに緊張している、親が不在にすることが多かったり親の交際相手が頻繁に家に来て居場所がない、などです。」(p155)

書き写していて胸が潰れそうになるくらい、リアルで現実的な苦しさである。一見些細にみえることでも、これは明らかに対等ではない、支配や抑圧的関係性である。そしてこのような支配や抑圧に対して、「嫌だ」「やめてほしい」「許せない」と言っても「思春期(反抗期)だから」の一言でまともに親や周囲に取り扱ってもらえないと、二次被害をうけて、ますます辛くなると思う。鴻巣さんが指摘している上記の例はどれも「合理的な理由がない規則」であり「道理が通らない」「理不尽」である。学校の校則など、家の外でも理不尽な環境が当たり前で、さらに安心していれるはずの家でも、また別の理不尽に出会い続けたら、生きる意欲が減退するのも当たり前だ。不登校や引きこもり、リストカットや自殺などの「社会的逸脱」と言われるものが、このような学校や家庭における「理不尽」の蓄積に基づいて社会的に構築されていくともいえる。

だからこそ、この本の副題は「あなたと考えたいあなたを苦しめる社会の問題」と書かれているのだ。あなたを苦しめるのは、あなたの内面の弱さではないし、自己責任でもない。社会の問題である事に気づいてほしい。そんな鴻巣さんの祈るようなメッセージが響いている。

あと、若者達は情け容赦ない評価に晒され続け、傷ついているからこそ、次のメッセージは大人としてしっかり受け止めたい。

「たとえば『この子はこういう場面でこんな行動をしました。その行動は素晴らしいと思います』というのであれば、『あなたはこういう子』という決めつけにはなりません。それは観察の描写と感想です。けれども、『この子はこういう行動をしていました。とてもやさしい子です』とか『とても活発です』などとその子の性格を表す言葉で断定的に評価すると、それは性格を決めつけることになります。
その評価を見て『あ、私は先生からこう見えてるんだ。じっさいはちがうんだけどな』と、納得しない場合も多いでしょう。でも『大人から期待される自分』がどんな自分かは察知できます。『自分は大人からやさしくあることが求められてるんだな』『活発であることが期待されているんだ』『リーダーシップが求められているんだ』などまわりからの期待がわかると、人は自然とそれに沿う自分になろうとしてしまうものです。でも、『まわりが期待するからこうあらねばならないんだ』と自分を追い込んだり、『こうあらねばならないのに、なかなかできない』と感じると、苦しくなってしまいます。」(p195-196)

こういう苦しさを抱えている大学生と、何人もあってきた。それは、大人の期待の内面化、および自分よりも大人の評価を気にするスキーマが機能しているのだと思う。でも、ここで問われるのは、そういう子どもの内面の評価、ではない。そうではなくて、子どもにそう思わせる親や教師の側に問題はありませんか、というのが、鴻巣さんの問いかけなのだ。その子の言動を見て、「観察の描写と感想」にとどめず、そういう言動をするから「とても○○な子だ」と評価や決めつけをしていませんか、と。

書きながらギクッとしている。僕も以前、「観察の描写や感想」よりも、「評価や断定」をしょっちゅうしていたな、と。それは、相手の内在的論理を理解しようとするのではなく、「わかったフリ」をして、思考の省略をしたり、あるいは相手にマウントを取るために、やっていたのだと、反省的に書き記す。そして、そういう「わかったふり」や思考の省略は、相手を追い込み、苦しめてきたのだ、と。僕と接点があったのに、フェードアウトしていった学生さんの中には、僕のこのような評価や断定の姿勢があったのだと思うと、本当に申し訳ない。

でも、実は48歳のおっさんの僕が改めて思うのは、ぼく自身も、「観察の描写や感想」をされるより「評価や断定」をされて育ってきた。だから自己正当化したいのではない。そうではなくて、自分がされたことで嫌だった、理不尽だったことを振り返り、それを繰り返さないための自己省察が僕だけでなく、今の大人には欠けているのではないか、という点である。令和の世の中なんだから、昭和的認識をアップデートしようよ、と。

おわりに、でも、鴻巣さんは大人達に具体的アドバイスをしてくれている。

「よいことをするのではなく、害になることをしない。この『しない』が、まずは必要です。たとえば容姿や体型についてコメントしない、女の子だから・男の子だからと精査で役割を決めつけない、不必要に無断で身体にふれない、趣味や予定を押しつけない、秘密を持つことを禁じない、苦労話やがまん話をしない、取り引きしない(○○したいなら△△しなさい、など)、約束を破らない、イライラを態度に出さない、話をきく前に決めつけて叱らない。でないと、子ども達にとって『敵ではない大人』にはなれませんし、そのプロセスをすっ飛ばして子どもの味方や理解者になれるはずはありません。」(p219)

これも、いてて、である。一言で言えば、ハラスメントをするな、につきる。のだが、「イライラを態度に出さない」とか「話をきく前に決めつけて叱らない」を娘の前でちゃんとできているか、といわれると、怪しい場合がある。学生さんに「よいことをする」押しつけがましさはないか、「害になることをしない」という原則をしっかり保持しているか、自己点検しなきゃならないと、改めて思う。

最後に、僕がもっとも心に突き刺さった、17歳の「さくや」さんの言葉を引用しておく。

「きいてくれない大人に『思春期だから』って言われても、納得出来るわけではないですよ。大人には、思春期という言葉を慎重に使って欲しいです。葛藤は抑圧するなにかがないと生じないから。必ず抑圧してくるものがあるんです。大人が対応しなきゃいけないのは思春期の子たちの心のなかにはない、私たちのまわりにあります。用紙をジャッジするな、性的に消費するな、理不尽なルールやめろ、いじめ暴力虐待なくせ、です。思春期はいろんな気づきがはじまる時期です。おかしなことやイヤなことに、おかしい、イヤだと思えるようになる時期。大人が向き合うべきは、おかしいって感じる私たちじゃない。おかしなことやイヤなことにたいしてです。」(p186)

子どものパフォーマンスの最大化を疎外し、その芽を摘んでいるのは、大人達である。それが失われた30年を形作ってきた理由でもあると、僕はさくやさんのメッセージを読んで、痛切に感じた。そして、大人が思春期の子ども達を搾取したり抑圧するのではなく、大人自身が、自分自身の抱える「おかしなことやイヤなことにたいして」向き合えるか。大人自身が、この社会の理不尽にたいして、おかしい、へんだ、イヤだと声を上げ続けられるか。それが、率先垂範としての大人に問われている。改めてそう感じた。

わからなさを感じる対話

リアルに知っている仲間二人の往復書簡を書籍として読む体験は初めてである。お一人は、奈良の東吉野村で私設図書館ルチャ・リブロを主催する青木真兵さん。青木さんの出された『手づくりのアジール』で対談させて頂いたこともあるし、彼のやっているポッドキャスト「オムラヂ」で、「生きるためのファンタジーの会」という連載シリーズでおしゃべりし続けている。もうお一人は、建築家の光嶋裕介さん。彼とは青木真兵さんと内田樹先生の対談イベントで出会い、その後本を贈り合うだけでなく、この春から娘と僕は光嶋さんのパートナーの永山さんが主催される合気道高砂道場に通うことになった。なので、合気道仲間であり、今回二人が出された往復書簡の見本が光嶋さんの手元に届いた日がちょうど稽古日で、私にも直接手渡しでお裾分け下さった。

この往復書簡『つくる人になるために』(灯光舎)は、二人の俊英の自在な対話で、実に刺激的である。たとえばこんな感じ。

「<光嶋>生と死や男と女、都市と農村を単純に二項対立させないで、矛盾を排除しない寛大な姿勢で受け入れることで、もっと豊かな視点を獲得し、対立が乗り越えられると思う。そうすることで、何か結果を気にして視野が狭くなることが避けられる。むしろ、何事も揺らぐこと(動き)で結果よりもプロセス(過程)にこそピントを合わせることが出来るように思います。」(p58)

「<青木>じつは僕が「ふたつの原理を行ったり来たりする」ことを提唱しているのは、「寛大さ、寛容さ」というよりも、人間の認識と分析、発信の限界を考えると、どうしても二項対立的にならざるを得ないのではないかと思っているからです。そしてそれをでき得る限り防ぐためには、その二項対立の図式を認めたうえでそれを行ったり来たりすることで中和するという、ちょっとニヒリスティックな考えからきています。」(p207)

二人は結果よりもプロセス(過程)にピントを当てる重要性については同意している。その一方、二項対立に関する認識は異なっている。光嶋さんは「矛盾を排除しない寛大な姿勢で受け入れる」という、受け入れ側の構えとしてこの問題を捉えようとする。一方、青木さんは「二項対立」を人間の認識と分析、発信の限界における必然と捉えた上で、その図式を中和するために、「ふたつの原理を行ったり来たりする」。違うアプローチなのだが、「揺らぐこと(動き)」が生じるというプロセスは共通しているのである。

そして、この揺らぎや行ったり来たりをなぜするのかという問いに、青木さんはこんな風に書いている。

「現代に生きのびる人々が『わからない』状態に耐えきれないことと関係しているのだと思います。現代社会は本当は『わからない』ことが溢れているにもかかわらず、『わかったフリ』をして生きていかなければなりません。そのしんどさに僕は耐えきれなかった。たとえば、なんだか体調が悪いとか、朝いつもと違う道を通って会社や学校に向かいたい気持ちとか、昨日は何事もないように話せたあの人に対して今日は同じように振る舞えないこととか。
本当は僕たち個人個人は『わからない』や『不安定』という感覚でいっぱいいっぱいなのに、社会では『わかる』『安定』を求められてしまう。この社会的要請を乗り越えるためには、『わかったフリ』をするという矛盾を抱えるしかない。これにがまんできなかったんです。」(p20)

二項対立という分類でありラベルは、じつに「わかりやすい」。二つにわけることによって、葛藤なくスムーズに情報処理が出来る。でもこれは情報量の縮減であり、現にあるはずの何かを「ノイズ」として切り落とすことによって成立する。男と女の二項対立に閉じた世界では、LGBTQが完全になかったことにされたり、「精神病」という別のカテゴリーに押し込めることによって、「わかったフリ」を出来たのだ。この二項対立的な図式は実に安定的であり、静的なものである。

でも、若き建築家と思想家の二人は、「わかったフリ」で情報量を縮減しようとしない。「わかったフリ」のしんどさに耐えられない、我慢できないと、なれ合いの世界の外に出ようとする。光嶋さんはこんな風に描く。

「自分で考える力を発揮するには、常時接続を一度切断し、孤独の中で集中する必要がある。孤独を抱えると足元が不安定になり、動きが発生します。そうした揺らぎをもつと自分の中の状態が俯瞰的によく観察できるのだと思うのです。自分の内部に集中していると、意識は逆に外部へと同化的に広がっていきます。こうした空間と身体との相互作用こそ、身体で空間を思考することの証であり、自分が世界の一部であると実感する瞑想的な時間になっていく。このような世界と自己の関係を頭で理解するのではなく、身体全体で空間が浸透してくるように感覚的に考えることで、次なるアクション(行動)へとつなげることができるようになる。勇気をもってジャンプする感じ。」(p166-167)

二項対立図式で「わかったフリ」が出来る世界とは、自分で考えなくてもよい、という意味で、思考の省略であり、長いものに巻かれろ、的な同調圧力に堕しやすい。一方、その社会的・後天的にラベルが貼られた対立軸なりフレームを外すと、自分の頭で考える必要が出てくる。正直、それは面倒くさいことである。なぜならば、ググるとかChat-GPTに要約してもらう世界の「外」に出る必要があるからだ。

そして、このときの「外」とは、自分の内部に意識を集中させることである、という指摘が興味深い。外をキョロキョロ見回すのではなく、内に目を向ける。他の人とは違う動きをすることによる不安や孤独から逃げず、孤独の中で集中してみる。すると、「孤独を抱えると足元が不安定になり、動きが発生」する。

ここでも動きだ。この二人は、確かに移動が多く、沢山本を読むし、多動的にうろちょろしている。でも、そのうろちょろとは、世間やSNSに惑わされるうろちょろではない。「わからなさ」をそのものとして抱え、不安定をそのものとして受け止めるからこそ、「そうした揺らぎをもつと自分の中の状態が俯瞰的によく観察できる」のである。

光嶋さんはこの「空間と身体との相互作用」を合気道の稽古で身につけていった、という。実は僕も合気道を10年以上稽古しているのだが、正直この部分が「わかっていない」。「自分の内部に集中していると、意識は逆に外部へと同化的に広がっていきます」というのは、内田樹先生の文章を僕も読み続けてきたので、なじみのあるフレーズではある。だが、僕は体感として、この部分がわからない。

わからないからこそ、実はこの4月から、ぼく自身も凱風館に入門した。正直、山梨の道場で有段者になったあと、自分がどのように成長していけばよいのか、わからなくなっていったのだ。学んだ型を繰り返す中だけでは、それ以上の上達はしない。でも、それ以外にどのような方法論を用いれば、自分自身のわざとして身につくのか、その方法論がさっぱりわからなかった。そして、こどもが生まれ、姫路に引っ越したこともあり、合気道の練習から遠ざかっていった。

この4月以後、凱風館で稽古をし、娘と共に高砂道場に通う中で、少しずつ感じ始めた事がある。凱風館では、多田宏師範の流れをくみ、呼吸法にかなりの時間をかける。そしてこの呼吸法こそ、「自分の内部に集中していると、意識は逆に外部へと同化的に広がって」いく稽古なのである。・・・ということまでは、頭ではわかった。だが呼吸法を始めて3ヶ月の僕は、意識が外部に同化的に広がっていく、ということは、実感としてはわかっていない。そして、この部分は「わかったフリ」をしたくないと思っている。

「空間と身体との相互作用こそ、身体で空間を思考することの証であり、自分が世界の一部であると実感する瞑想的な時間になっていく」という文言は頭では理解できるけど、合気道の稽古を通じて、身体を通じた実感としては、まだ理解できていない。これを「わかったフリ」をせず、毎回の呼吸法を丁寧に行うなかで、いつか実感として空間と身体の相互作用が感じられるようになりたい。そう欲望している自分がいる。きっとそれは、瞑想やマインドフルネスに至るための第一歩として、呼吸に意識を向け続け、あるがままの状態を感じることである、と「頭ではわかっている」。でも、いかんせん頭でっかちで、身体ではわかっていない。

この身体を通じた「わからなさ」を大切にしたい。頭でっかちになって「わかったフリ」で誤魔化したくない。わからなさを感じ続けたい。二人の往復書簡を読みながら、改めてそう感じた。

その意味で、僕はこの往復書簡自体に同期しているのかも、しれない。光嶋さんの後書きを読みながら、その思いは強くなる。

「自分で書いた言葉を自分で読むことで、自分自身を知っていく。もしくは、自分の中の他者を発見する。自分の中の複数性に気がつかされるといえるかもしれません。それは、自分のあり得たかもしれない『もう一人の自分』と出会うような感覚でした。僕の言葉でいうと『自分の地図』をつくるためには、他者からのパスを起点にして、自己との対話(内省)を通して自分の中の他者性と向き合うことが成熟への道であり、大人になることだと思っていました。綿密なパスまわしです。」(p186)

この二人の往復書簡は、価値観が一緒だねと確かめ合うハーモニー(調和)ではなく、他者性や複数性に開かれる、という意味でポリフォニーである。お互いの投げかけに応答するなかで、新たな異なる音が重なっていく。そして、その音の重なりは、予定調和ではなく、むしろ逆に、「自分で書いた言葉を自分で読むことで、自分自身を知っていく」プロセスなのだろうと思う。それがなぜ、綿密なパスまわしなのか。

ここで言われるパスの「綿密」さとは、計画制御的な、ルートを綿密に定めたパスではない。そうではなくて、相手に託されたパスを受け取って、その瞬間から動きながら自分の身体をくぐらせた上で、暫定的な仮説として相手に提示する。その提示された仮説に相手も呼応し、言葉が紡がれていく。その紡がれた言葉のパスを再び受け取る中で、「自分で書いた言葉を自分で読むことで、自分自身を知っていく」といった、自分の言葉への膨らみがうまれていく。これが、綿密なパス回しであり、この往復書簡の魅力なのだと、今回わかった。対話している相手は、目の前の他者だけではない。かつてその他者に向けて放たれた自分の言葉も、他者性を持って自分に響いていく。他者の他者性だけでなく、己の唯一無二性をも受け取るプロセスが、往復書簡の中に響き渡っている。だからこそ、この往復書簡の風通しがよいのだと思う。

ちなみに、僕の動き方はたぶん光嶋さん寄りなのではないか、となんとなく感じる。自己陶冶的なありようで、スケジュールを詰め込みすぎとか、身体を壊したりしてはじめて色々なことに気づく、という部分で(僕の場合はよく風邪を引く)。でも、青木さんの「いやなものはいやだ」「わからないものはわからない」という潔さも気持ちいいし、そういう部分を、少しずつだけれど増やしつつある。そういう意味で、二人の豊かなポリフォニーから沢山の何かをパスしてもらったような気がしている。

ちなみに、青木真兵さんのパートナーである青木海青子さんの挿絵がめちゃくちゃいい。熊くんや羊さん?の絶妙な挿絵によって、二人の鋭いやりとりに、別の余白が生まれていく。しかも、どの挿絵も、そのシーンにあまりにもぴったりの挿絵なので、思わず「本業ですか?」とお尋ねしたくなる位の魅力。そして、紙質が手触り感のよいざらつきで非常に良い。電子書籍にはぜったい出来ない、「紙の本、ここにあり!」という風合いである。初版本は特製シールまで付いていて、限定版の価値がある。ちなみに僕のは緑の蝋燭シールでした♪

自分の頭で考えてみたい人、わからなさの面白さを感じたい人に、是非手に取ってほしい一冊である。

「決められた道」の外にある想像・創造力

三好春樹さんといえば、介護業界で知らない人はモグリ、なほどのレジェンドで、著作も沢山出しておられる。「関係障害論」とか気になる何冊かは買い求めたけど、積ん読していて、読んではいない。ちょうど介護保険がはじまった頃、大学院の博論の指導教官だった大熊由紀子さんを想定した彼の北欧批判=全室個室批判に遭遇して、ちょっと過激でしんどいなぁ、と思っていたからだ。

だが、ふと思い立って、中高生向けに書かれたちくまプリマ—新書『介護のススメ! 希望と創造の老人ケア入門』を読んだら、これが面白い。すいません、読まずギライ、しておりました。ものすごくロジカルで、見通しが良い本である。

「介護の『介』は、この媒介の『介』なのです。つまり、『他のもの(=介護者)を通して、あるもの(=主体としての老人)を存在せしめること」、これが介護です。
老人が自分の身体と人生の主人公になるために、私たちが自分を媒介にする、つまりきっかけにすることです。
老人が主体、私たちは老人にとっての手すりや杖なのです。でも単なる杖ではありませんね。パスカルの名言をもじりました。『介護者は考える杖である』。」(p198)

介護者を通して、主体としての老人を存在せしめる。つまり、ご本人が自分の身体や人生の主人公であることを、認知症や虚弱などで失いつつある・奪われているときに、介護者が媒介として機能することによって、介護者を手すりや杖として用いることにより、老人が主体性を回復する。そのための介護だ、というのは、心からの納得である。

その上で、徘徊や暴力行為、叫びなどの「問題行動」についても、「考える杖」として、別の視点を差し出す。

「認知症の人は、体の中からの不快感ばかりがあって、その理由がわからない。不安だから眠れない、徘徊する。そして藤田ヨシさんのような寝たきりの人は、徘徊する代わりに大声で歌う、叫ぶんでしょう。
そうすると私たちが『問題行動』と呼び、『BPSD』なんて言い換えてきたものは、認知症老人が体の不調を私たちに訴えているものだということになります。つまり『便秘に気がついていない介護によって引き起こされた行動』ということになります。
『問題行動』、つまり藤田ヨシさんの『歌』、叫び、幻覚めいた訴えは、私たちへの非言語コミュニケーションだったんだ。だとしたら、こうした『問題行動』を薬で抑え、おとなしくさせようというのは、二重の意味で間違っていることになります。」(p148-149)

徘徊する、大声で歌う、叫ぶ。注意をしても、制止をしても、その行為が止まらない。このような状況を、業界用語では「問題行動」「困難事例」と言う。本人に問題があり、本人が抱える困難だ、というラベリングだ。

でも、三好さんは「問題介護によって生じた老人の行動」(p140)と読み替える。ご本人にとっては、「体の中からの不快感ばかりがあって、その理由がわからない。不安だから眠れない、徘徊する」という内在的論理がある。歩けない人なら、大声で歌う。これらを反社会的・逸脱行動で認知症の周辺症状(BPSD)だからと「わかったふり」をしても、ご本人の身体と人生を取り戻す介護や支援にはつながらない。ではどうすればよいか。「『歌』、叫び、幻覚めいた訴えは、私たちへの非言語コミュニケーションだった」と気づき、何を伝えたかったか、を克明に見ていく。すると、藤田さんの場合は、便秘の時に大声で歌うことが見えてきた。であれば、ポータブルトイレでの排泄支援をすると、声は出さなくなったそうだ。

ただ、今の老人ケアだけでなく、精神科病院でも行われているのは、このような非言語な訴えを理解しようという「考える杖」とは真逆の営みである。それは、「こうした『問題行動』を薬で抑え、おとなしくさせよう」という抑圧的支配の論理である。これが、医学的なもっともらしさ、で正当化される。確かに、大声や徘徊はそれで止まるかも知れない。でも、本人の身体と人生は「薬漬け」の被害を受け、取り戻すことは出来ない。周囲にとってはケアが楽になるかも知れない。でも本人の尊厳はズタズタになるのだ。

なぜ、こういう重要なことに、医者は気づけず、三好さんは気づけたのか。それは、彼が「道を外れた」経歴だったからかも、しれない。

早熟だった高校生の三好さんは、学生運動にコミットして高校を退学処分。中高一貫校でいい大学を出て良い会社に入って出世して定年、という理想的世界から10代にしてドロップアウトして、トラック運転手などを経て、介護の世界にたどり着く。そこで、「望ましいレール」なるものが、胡散臭いことに気づくのだ。

「老人たちの人生を知ればするほど、『決められた道』なんてないんだと思うようになるのです。人生はみんなバラバラ。ここで暮らしている一人一人もじつに個性的ですが、ここに至る過程も個性的。一人一人が波瀾万丈、すごいエピソードがあるんです。(略)
そう思うと私は気分がスッと楽になりました。道を外れてしまったことを悔やむ気持ちもなくなりましたし、逆に、元の道に戻ってやるものかといった気負いもなくなったのです。『道』に拘る必要なんかないんですから。」(p68-70)

今の学生を見ていても、「決められた道」を固く信じて、そこから外れることを極端に恐れ、腹が立っても、理不尽に思っても、黙って従っている学生が沢山いる。三好さんは、その理不尽さに異を唱え、黙っておらず行動して、高校を退学処分になり、中高一貫校の標準的ルートである良い大学・良い会社から決定的に外れた。でも、波瀾万丈の人生を経た個性的な老人と出会い、「決められた道」の幻想というか、うさんくささに気づいてしまう。それよりも、自分の「個性」を活かすことのほうが意味や価値があると気づく。それまで「道を外れてしまったことを悔やむ気持ち」を持っていたが、「『道』に拘る必要なんかない」と気づく。

このフレーズを読みながら、「決められた道」を「標準化・秩序化された支援」と言い換えてみたくなる。教科書を読んで、標準的な知識や正解を先に暗記してから、介護や医療、福祉に携わるようになると、この「決められた道」=正解を外れることはしにくい。でも、一人一人の人生に関わる介護現場において、標準的な介護なるものはない。波瀾万丈の人生を経た、個性的なご本人が、身体的な状態との相互作用の中で、どのようなしんどさがあるのか、便秘やうつ症状など様々なつらさをどんな風に表現しているのか。そういう個別の事情を、その人と向き合いながら、共に探すしかない。「決められた道」から外れた人を「縛る・閉じ込める・薬漬けにする」のではなく、なぜその人がいかなる理由で「決められた道」から外れるかをアセスメントする、それが標準化・秩序化された支援を超えた、個別支援なのだと、この部分を拝読して改めて感じた。

そして、これが可能になったのは、彼が理学療法士としての勉強をし始めたのは、老人介護をはじめた後、28才の時に大検をとった後だったという背景もあるようだ。彼は、元々勉強ギライだったが、この専門学校の勉強は面白かった、と語る。

「学校で教わることが、みんな、老人の顔と名前に結びつくんです。ある病気について教わると、その病名のついていた入所者が頭に浮かびます。そうすると、その人が訴えていたことの意味がわかってきたり、自分が病気についての知識がなかったため、見当外れの対応をしていたことを反省したりするのです。
もちろん、出会ったことのない病気や障害についても学びますが、生活場面を体験しているので、そんな人には入浴ケアで何を気をつけるべきか、食事ケアでは、と想像を働かせながら勉強できるのです。
ここでは勉強は試験のための暗記ではなく、いい介護をするための武器を手に入れることなんです。」(p72-73)

強いて勉める勉強ではなく、自発的に学ぶ喜びが、この文章の中に溢れている。自分がやっている仕事の中で生まれた疑問や「問い」を深め、理論を知り、解決可能性に気づき、また問いや解決策がズレていたことに発見する。それは、己の愚かさとの出会いでもあるが、新たな試行錯誤の可能性との出会いでもある。三好さんはそれを「いい介護をするための武器を手に入れること」と述べていた。このような暗記ではない、ほんまもんの学びを理学療法の学校でしたからこそ、彼はその後、その学びを現場で探求していく。理論だけでもなく、実践だけでもなく、理論と実践の往復をご自身の中で深めていったのだ。

実は三好さんがお好きではない!?北欧では、こういう社会人の学び直しが当たり前になっている。高校卒業後、一旦社会人経験をしたり、あるいは介護現場で働いた後、問いを持って大学に入ってくる学生は少なくない。だからこそ、現場でぼんやり感じた疑問や問いを深めることが出来るし、それは良い武器になるのだ。日本でも、現場経験を踏まえて社会人大学院生になる人が最近増えてきて、僕のところでも今年から一人、現場のソーシャルワーカーが社会人院生をされているが、そういう「現場での問い」を持って学ぶことは、めちゃくちゃ深くてオモロイ学びにつながると思う。

その上で、三好さんは介護には「想像力」と「創造力」の二つの「ソーゾーリョク」が必要だという。(p41)

この人はなぜお風呂に入りたがらないのか、徘徊をするのか、大声で歌うのか。それに対して、ああでもないこうでもないと本人の内在的論理を「想像」する「想像力」。そして一旦「こういう背景があるのではないか」と仮説を立てたら、その仮説をもとに、ではどうやったら現状を変化させることが出来るのか、を現場で考えて、実際に変化を起こしていく「想像力」。これが介護には満載で、こんな風に「工夫」できることが、介護という仕事の魅力なのだ、と彼は語る。

なるほど、三好さんが主催される雑誌のタイトルがレヴィ・ストロースの名言「ブリコラージュ」(ありもの仕事)なのも、そんな「工夫」と「創造力」が介護の原点だからなのだな、と改めて納得した。この本は、福祉や介護に興味のある若者、だけでなく、福祉現場で働く人も、自分の仕事を見つめ直す上で、オススメの一冊です。

診断名をカッコにくくる、の先にあるもの

10年以上前、精神病という病気ではなく、生きる苦悩に目を向けよ、というバザーリアの言葉に衝撃を受けた。そのことは、論文にも書いた。診断名をカッコでくくる、という現象学的精神医学の面白さは、『当たり前をひっくり返す』の中でも描いた。だが、診断名をカッコでくくったあと、ではどうするのか、がもう一つぼんやりしていた。

今日ご紹介するのは、その生きる苦悩にどのように焦点化すると、医学モデル的な診断に依存しなくても、精神病状態に関わることができるのか、が理論的にも実証的にも整理された、迫力ある一冊、イギリスの臨床心理士二人による大著『精神科診断に代わるアプローチ PTMF 心理的苦悩をとらえるパワー・脅威・意味のフレームワーク』である。読み始めたら面白くて、他の本を放り出して、読み終えてしまった。

眠れない、幻覚や妄想に囚われる、不安感が強い・・・そういった状態に、世界的に用いられているDSMなどの標準化された診断基準を当てはめるのではなく、Power(パワー)、Threat(脅威)、Meaning(意味)のFramework(フレームワーク)から以下のように問い直すという。

・「どんなことがあなたに起きましたか?」(パワーは人生にどのように作用しているのか)
・「その出来事はあなたにどのような影響を及ぼしましたか?」(そのことは、どのような脅威をもたらしているのか)
・「あなたはそのことをどのように理解しましたか?」(そうした状況と経験の意味はどのようなものか)
・「生き延びるために、何をする必要がありましたか?」(どのように脅威へ反応しているのか)
・「あなたの強み(ストレングス)は何ですか?」(パワーリソース(力を与えてくれるものや人)と、どのようなつながりをもっているか)
そしてこれら全てを統合するために、
・「あなたのストーリーを教えてください」(p32)

これって、岸政彦さん達が主張している「他者の合理性の理解社会学」そのもの、である。そのことはブログにも書いたが、相手の人生に生じた生きる苦悩や不安の最大化状態を、そのものとして理解しようとする試みである。一方、標準的な精神医学であれば、DSMのマニュアルに記載されている内容に沿った話が聞かれ、それ以外の内容は「診断基準に関係ないから」と切り落とされている。でも、睡眠障害や幻覚妄想などが同じ状態であっても、なぜそのような状態に至ったのか、のプロセスは千差万別で、標準化できない。それを標準化できる範囲に切り落として聴くのが診断的な聞き方とするなら、PTMFで焦点化しているのは、それとは全く正反対の聞き方である。相手の実存的苦悩を、相手の内在的論理を、他者に非合理に見えても本人には合理的なプロセスを、そのものとして聴く、ということである。その聞き方は、恐らく生活史の聞き方と通底しているはずだし、というか、精神病状態に至った生活史を伺っていくのなら、上記の質問は必要不可欠になる。

しかも、この聞き取りの際に、生きる苦悩を個人の悲劇と矮小化せずに、その苦悩の背後にある社会構造の抑圧を、そのものとして捉えようとする。例えば、こんな風に。(p92)

DSMの診断基準:「現実にあるいは想像上で見捨てられることを避けるための尋常ではない試み」
現実:何十年もの間、扶養者や家族から強制的に引き離された

DSMの診断基準:「アイデンティティの障害:顕著で不安定な自己イメージあるいは自己の感覚」
現実:家族、親族とのつながり、故郷、祖国の喪失

DSMの診断基準:「慢性的な空虚感」
現実:度重なる喪失、トラウマと力を失うことに寄る悲嘆、絶望感

DSMの診断基準:「不適切な、激しい怒り、あるいは怒りのコントロール困難」
現実:迫害や強制的な同化政策、司法や医療、教育制度での差別によって、さまざまに蓄積されたトラウマ

ここで描かれている対比は非常に示唆的だ。一見すると、DSMの診断基準は、目の前で起きている状況を適切に描いているように思える。だが、「尋常ではない試み」や「慢性的な空虚感」「激しい怒り」・・・がなぜ・どのように生じるのか、の背景を探ろうとしない。そういう状況にあるのだから、この薬を処方すれば、その急性症状は治まる、という発想である。

だが、家族から強制的に引き離れたり、トラウマによる絶望感がひどかったり、生きていく中で差別を繰り返し受け続けたり、という「社会的現象」は、薬を飲んでも消えない。薬を飲んでぼんやりするという「副作用」によって、その苦しみは一時的に負担感が減るかも知れない。でも、鋭敏な感覚が戻ってくると、怒りや悲しみ、不安や恐れは何度も何度もぶり返す。それくらいの圧倒的な体験をしているのである。とはいえ、DSMの診断基準では、その圧倒的な体験にアプローチすることはないので、その「症状」と折り合うことは難しい。

著者達は、こんな風にも書いている。

「ほとんど全ての苦悩の体験の根底には、自分がどう考え、感じ、行動し、人生を送るべきかという(多くは隠された)前提と、基準や理想に従って生活することの失敗(事実であれ、そう思ったのであれ)とのぶつかり合いがあることも見てきました。こういったことは、現実の困難に直面しているのか、目指しているものが非現実的なのかにかかわらず、結果として自分を責めることになり、さまざまな心の痛みを伴う意味に繋がるのです。(略)
診断モデルと対照的に、PTMFは私たち個人の意味づけに関して、その源である社会的な期待やイデオロギーの圧力にまで遡ってみることを推奨しています。」(p94)

確かに、ぼく自身が経験してきた苦悩も、「どうしたいのか」と「どう失敗した・うまくいかなったのか」の「ぶつかり合い」がある。そして、○○したい、という基準や理想には、新自由主義的価値前提とか、消費者主義とか、偏差値至上主義、親や先生に褒められたい・評価されたい・・・など、様々な「社会的な期待やイデオロギーの圧力」がある。それをそのものとして炙り出すことが、すごく大切なのだと実感する。

最近、スキーマ療法の本も読み漁っていて、個人の認知枠組みを変える威力はすごいな、と思っていた。そういう認知枠組みを変えるフレームワーク(認知行動療法:CBT)の威力を認めつつ、著者達は以下のように警鐘をならす。

「CBTには有用な側面もありますが、そのほとんどが、社会的文脈の役割を軽視し、問題と解決策を主に個人の中に置くことで、診断的思考を支持し、維持するものです。」(p114)

たとえば前回のブログに書いたが、ぼく自身の早期不適応スキーマとして、他者評価や他者比較を自動思考的にしてしまう、というスキーマがある。そして、その認知の歪みを理解し、それをどう変えていくのか、がCBTやスキーマ療法で問われている。だが、その社会的文脈を掘り下げるなら、僕は団塊ジュニアで、僕の両親は団塊世代だった。父親は出張が多く、戦時中に父親を亡くし、母子家庭で育って、「もう家事はしたくない」と思って結婚し、家事育児を専業主婦の母親に丸投げした。そして母親は、3歳下の弟が生まれたあともワンオペ家事を続けて一杯いっぱいだった。そんな母親を見ていて、「お兄ちゃんだからしっかりしなければ」と刷り込まれた3歳のひろっちゃんは、親の目線を内面化して、ちゃんとする、きちんとする、しっかりする、を頑張って守ってきた。これが「他者評価や他者比較に縛られる僕」の社会的文脈であり、男性稼ぎ主型モデルがもたらした弊害でもある。この専業主婦モデルのパワーが竹端家にどのように働き、いかなる脅威をもたらしたのか、を見ることなく、「僕の認識を変えればよい」になると、それは自己啓発本の世界になる。だが、そこで、昭和的頑張りズムが団塊ジュニア世代にどのように作用したのか、という社会構造の歪みと個人の歪みの相互作用を、そのものとして捉えることに、このPTMFの意味や価値があるのだと改めて思う。

そして、社会構造がどのように個人の認知に作用しているのか、について、以下のように指摘している。

・脅威とパワーのネガティブな影響の蔓延について、それを認識することへの抵抗が社会の全てのレベルにおいて存在する。
・脅威と脅威への反応を切り離し、「医学的な病」のモデルを維持することには、個人、家族、職業、組織、コミュニティ、ビジネス、経済、政治などの多くの既得権益が絡んでいる。
・このような影響が相まって、自分の経験を自分の言葉で意味づけるための、社会的に共有された思考の枠組みが奪われている。(p110)

「どうせ」「しゃあない」「世の中はそういうものだ」・・・こういう諦念の中には、「脅威への反応」である場合が少なくない。あるいは、薬物やアルコールの濫用、リストカットやオーバードーズ、不眠症や幻覚妄想などの「医学的な病」も「脅威への反応」と言えるかもしれない。だが、「脅威とパワーのネガティブな影響の蔓延」を、そのものとして認識することは恐ろしい。なぜなら、自分はそういうものに襲われている、と思うと、生きているのが不安になるからだ。だからこそ、「どうせ」「しゃあない」と蓋をして、見ない振りをしたくなる。しかし、それに目を背け、蓋をしても、蓋をしきれないほどの不安やしんどさがあふれかえってくる。だからこそ、薬物やアルコールの濫用、リストカットやオーバードーズ、不眠症や幻覚妄想などの「医学的な病」という形で「脅威への反応」をするのだ。

その際に、そういう「脅威への反応」をなぜしてしまうのか、を分析し、蓋をそのものとして見つめ直す必要がある。「自分の経験を自分の言葉で意味づけるための、社会的に共有された思考の枠組み」を取り戻す必要があるのだ。僕は東日本大震災の直後、一次的存在論的安定の蓋が取れてしまい、気が狂いそうになった。その直後からブログを書きながら、最初の著書『枠組み外しの旅』に結実していくのは、呪縛的に機能した脅威への反応としての思考枠組みの蓋を外し、自分の経験を自分の言葉で意味づけるための、新たな別の思考枠組みを構築するための、命がけの旅だったのだ、と思う。それをすることで、僕は気が狂う一歩手前で、戻って来れた。これは、まさにぼく自身に降りかかっているパワーを分析し、そこにいかなる脅威があるのか、を読み解いた上で、そうした状況と経験の意味はどのようなものか、を価値付け直した。それを、ぼく自身が取り組んで来たストーリーに紐付けて著作化した、という意味では、今思えばあの本はPTMF的な本だったのだ、と気づいてしまった。

だからこそ、このPTMFのフレームワークは、僕を強くエンパワーしてくれるし、色々これから考えて行く上での補助線になりそうだ。もっと色々書きたいけど、とりあえず今日はこのくらいにして、興味を持ったら、是非ともこの本を買って読んでみて欲しい。

スキーマと子育て、枠組み外し

最近、スキーマ療法の本にはまっている。きっかけは、中核的感情欲求という考え方に出会ったことだ。日本でスキーマ療法を広めた伊藤絵美さんの本には、このように紹介されている。

「1,愛してもらいたい、守ってもらいたい、理解してもらいたい。
2,有能な人間になりたい、いろいろなことがうまくできるようになりたい。
3,自分の感情や思いを自由に表現したい、自分の意思を大切にしたい。
4,自由にのびのびと動きたい。楽しく遊びたい。生き生きと楽しみたい。
5,自律性のある人間になりたい。ある程度自分をコントロールできるしっかりとした人間になりたい。」
伊藤絵美『つらいと言えない人がマインドフルネスとスキーマ療法をやってみた。』医学書院、p146)

この5つの概念とは、この6年間、娘を育てるなかで、試行錯誤しながら、大切にしてきたことだった。また、お世話になったこども園の理事長先生から、繰り返し学んできたことであった。たとえば、こんなふうに。

「誰かにやってもらって、完結して満足する子どもはひとりもいません。子どもは、自分でやりたいのです。でも、あらゆることが未熟でうまくできず、お手伝いが必要ですそれは受け入れますが、そのお手伝いは自分でできるようになるまでのひとときの方策なのです。ということは、親には『子どもがひとりでできるように手伝う』という工夫と知恵が求められているわけです。つまり、手伝いは『過小でもダメ、過剰でもダメ』ということです。」
赤西雅之『親のねがい。保育者のことば。 手をとり合って、子どもを育てる』郁洋舎、p93)

この記述を中核的感情欲求に当てはめてみよう。子どもが「自分でやりたい」というとき、2「いろいろなことがうまくできるようになりたい」し、4「自由にのびのびと動きたい」し、5「ある程度自分をコントロール」したい。「でも、あらゆることが未熟でうまくできず、お手伝いが必要」だ。ただ、親はこの際、3「自分の意思を大切にしたい」という子どもの思いを大切にし、「『子どもがひとりでできるように手伝う』という工夫と知恵が求められている」。そして、そのような関わりを親がすることによって、子どもは「1,愛してもらいたい、守ってもらいたい、理解してもらいたい」という中核的感情欲求が満たされるのだ。

6歳児の親として率直に申し上げると、この5点を子育てで重視するのは、「言うは易く行うは難し」である。「手伝いは『過小でもダメ、過剰でもダメ』」とは、頭ではわかっていても、実際にそれを親として実行しようとすると、色々な壁が立ちはだかる。僕の場合は、「ちゃんとしなさい」「しっかりしなさい」と言ってしまったことが何度もあった。でも、幸いに3年間、こども園で娘がしっかり遊びながら、「自由にのびのびと動きたい。楽しく遊びたい。生き生きと楽しみたい」という中核的感情欲求を満たされる関わりをしてもらった。また、親もこども園の様々な行事に参加し、一緒に遊ぶようなチャンスをもらえた。だからこそ、「手伝いは『過小でもダメ、過剰でもダメ』」ということが、少しずつ身体で理解できるようになってきた。

そんなプロセスを経た後だからこそ、この中核的感情欲求という概念には、「あ、こんなふうに概念化されているんだ!」と驚きだったし、この5つの欲求が満たされない時、「認知構造」という意味合いを持つ「スキーマ」の領域で、心の傷や損傷を受ける、という説明も、深く頷くことができた。

「1,人との関わりが断絶されること
2,『できない自分』にしかなれないこと
3,他者を優先し、自分を抑えること
4,物事を悲観し、自分や他人を追い詰めること
5,自分勝手になりすぎること」(『つらいと言えない人が・・・』p146)

娘が通ったこども園で、赤西先生は毎月「保護者学習会」を開催してくださっていた。それは、保護者の「初心者マーク」で、教習も受けないまま子育てをしている新米保護者に、子育ての軸や基盤を伝えてくれる、ありがたい学習会だった。ただ、彼がその学習会や、グループ懇談会などの場で伝えてくれる内容は、親にとっては、時にはかなりきつかった。なぜなら、彼はこう断言するからだ。

「子どもをみたら、家庭環境や親と子の関わり方がすべてわかる。」

つまり、こども園で子どもが過ごす様子を観察する中で、親がどのように子どもに関わっているのか、夫婦の間でコミュニケーションがとれているか、親はどのような価値観を大切にしているのか、が見えてくるというのだ。そして、実際にグループ懇談会の場で、様々な子どもの行動の背景にある、親や家庭環境の状況や課題をズバリと指摘し、涙を流すママ友たちもみてきた。そして、彼が指摘していたのは、上記の5つの部分で、保護者が傷ついている・課題を抱えていて、それが子どもにも反映されている、という指摘であった。

理事長先生の職人芸的な世界をすごいな、と思っていつも参加していたのだが、実はそれは子どもたちのスキーマ領域における傷つきの理解と、そこに影響を与えている保護者のスキーマ領域における課題との相関関係の指摘だ、と、「スキーマ療法」を知ることによって、見えてきた。そして、この際に重要なのは「早期不適応スキーマ」である。伊藤絵美さんの別の本には、「人生の早期に形成され、形成された当初は適応的であったかもしれないが、その後のその人の人生において、むしろ不適応的な反応を引き起こすスキーマ」として定義され、以下のよう特徴があるという。

「・全般的で広範な主題、もしくはパターンである。
・記憶、感情、認知、身体感覚によって構成されている。
・その人自身、およびその人とその人をとりまく他者との関係性に関わっている。
・幼少期および思春期を通じて形成され、その後精緻化されていく。
・かなりの程度で非機能的である。」
伊藤絵美『スキーマ療法入門』星和書店、p29)

こども園という「人生の早期」の段階で、親から中核的感情欲求が満たされていないと、「『できない自分』にしかなれないこと」「他者を優先し、自分を抑えること」といった否定的な感情を抱く。それは、「幼少期および思春期を通じて形成され、その後精緻化されていく」ものである。自分の中で「パターン化された思考」であり、その「パターン化された思考」枠組み=スキーマに支配され、「その人自身、およびその人とその人をとりまく他者との関係性」が規定されていく。

小難しく書いたので、僕の場合でみてみよう。

僕は子育てをしているとき、子どもが言うことを聞かないとき、制止をきかずに勝手な行動をするときに、無意識・無自覚に「ちゃんとしなさい」「しっかりしなさい」と叱ることがあった。このような無意識・無自覚に出てくる言葉は「自動思考」である。そして、この自動思考が生まれてくるのは、「パターン化された思考」枠組み=スキーマである。

僕の場合、中核的感情欲求の傷付きとして、おそらく「3,他者を優先し、自分を抑えること」「 4,物事を悲観し、自分や他人を追い詰めること」が当てはまる。それは、第三領域の早期不適応スキーマである「ほめられたい」「評価されたい」スキーマ、および第四領域の「完璧主義的『べき』スキーマ」が、支配的だったと改めて気づかされる。

これは子育てをしながらつくづく痛感しているのだが、団塊世代の父親は出張が多く家事は一切しなかった。母親は、専業主婦でワンオペ家事をし、3歳下の弟のお世話も大変だった。だからこそ、僕は小さな頃から、お兄ちゃんとして「ちゃんとしなきゃ」「きちんとしなきゃ」を深く内面化した「良い子」だった。そんな少年ひろしくんの「幼少期および思春期を通じて形成され、その後精緻化されていく」「ちゃんとする」「きちんとする」は、学校や勉強への適応面でプラスになった。結果的に大学教員になれたのは、このスキーマゆえだったとも思う。

でも、この早期不適応スキーマは、僕の心をむしばんだ。そのことに気づかされたのが、東日本大震災後の危機だった。ボランティア・NPO論を教え、自分も阪神淡路大震災でのボランティア経験があり、「被災地に行かなければならない」と思い込んでいた。でもその一方、政府の審議会の仕事は佳境を迎え、原発爆発に恐れおののいて、「行きたくない」と強烈に思っている自分もいた。あの時期、全速力でアクセルとブレーキを同時に踏み込み、気が狂いそうになっていた。そのとき、必死になって正気でいるために書いていたのが、ブログ「存在論的裂け目」である。

このときから、自らを縛る思考枠組みや暗黙の前提とした規範を、気が狂いそうになりながら見つめ直し、疑い始めた。たまたま前の年に「魂の脱植民地化」概念と出会っていたこともあり、自分自身の魂が植民地化されているのは、自分を縛る「すべきだ」「しなければならない」という思考枠組みだと気づいた。そして、それを観察し、決別するために、とにかく原稿を書き続け、翌年は初の単著となる『枠組み外しの旅—「個性化」が変える福祉社会』(青灯社)という本を書き上げた。

そして、振り返ってみると、僕が外そうと文字通り命がけで格闘した枠組みは、「早期不適応スキーマ」でもあったのだ。その当時、不勉強でそれを知らないまま格闘してきた。また、「早期不適応スキーマ」はあくまでも個人が親世代との関係性の中で引き受けたスキーマだが、僕が問うた「枠組み」=「魂の植民地化」は、家族内関係がそのような「早期不適応スキーマ」として連鎖するような、そのような抑圧的な社会システムへの問いだった。そういう意味では、アプローチや登ろうとする山は、すべて一致している訳ではない。だが、この「早期不適応スキーマ」という言葉と出会えたことで、自分が必死でもがいてきた「枠組み外し」とは、「早期不適応スキーマ」から距離をとる、という意味で、スキーマ療法的な世界に近かったのだ、と、今頃になって気づかされた。

そして、子育てをしていて改めて感じるのは、冒頭に述べた中核的感情欲求を、まずは親自身がしっかり学び、自らがその中核的感情欲求を満たされてきたか、をセルフモニタリングすることの重要性である。率直に言えば、この部分を、全く傷つけられていない人はたぶん少ないと思う。みんな、なにがしかの傷を抱えている。それは、僕や妻だけでなく、ゼミ生や娘のママ友を見ていても、そう思う。伊藤絵美さんも、まずは自らのセルフケアから始めた、といっていた。

だからこそ、子育ての最初の方で、この中核的感情欲求の重要性を学び、自らの心の傷や、「早期不適応スキーマ」を理解することで、子どもの中核的欲求を大切にしやすくなっていく。親が『子どもがひとりでできるように手伝う』ためには、子どもに関わる親が、自らの子ども時代から「早期不適応スキーマ」を見つめ直し、それを無意識・無自覚に子どもにすり込まないように、批判的に意識化していくことが大切なのである。

そして、ぼくはそれを、文章を書くプロセスの中で、考え続けてきた。そういう意味では、昨年上梓したエッセイ『家族は他人、じゃあどうする? 子育ては親の育ち直し』(現代書館)の中でも、そうとは書いてはいないけど、ぼく自身の「早期不適応スキーマ」の問い直しがずいぶんなされている、と今更ながら気づかされる。

そういう意味では、僕にとっては、先にスキーマ療法の世界を知るのではなく、「いま・ここ」で出会えたのは非常に意味や価値がある、と感じている。伊藤絵美さんは、支援者向けのセルフケアのワークブックなども書いておられるので、引き続き読ませてもらい、学びを深めてみたい。

構造的暴力と有責性

精神科医の高木俊介さんは、「統合失調症への病名変更の立役者」であり、病院中心型の精神医療を変えるため、重度の精神障害者を多職種チームで訪問しながら在宅で支えるACT-Kを主催している、改革派精神科医の旗手の1人である。オープンダイアローグを日本に紹介した第一人者としても知られており、縁あって彼との関わりが深まり、2017年にはACT-Kで行われた集中研修にも参加させていただき、ACT-Kのチームの皆さんとも仲良くなった。

そんな高木さんは中井久夫も見田宗介も読み込む大の読書家であり、著作も沢山出しておられる(何冊か頂いたこともある)のだが、ブログで紹介するのは初めて。今回の本は、精神医療の構造的暴力が、現場の中の人(精神科医)によって、それこそ社会学的な視点で描かれて、実に印象深かった。例えば、「暴力」に関して。

「私が使命感に燃えて往診し、暴力的に入院させてきた患者が何人もいるのであるが、10年後にその病院を去る時に、一人ひとりの患者に挨拶していった。その時には、私が『暴力』で治療した患者、つまり力で押さえ込んできた患者のうち、良くなって喜ばれた患者は退院して目の前にいない。残っている患者の多くが、私が勤務を離れた慢性病棟の病室の隅で、人を拒否して時に暗く険しい表情でうずくまっている患者になってしまっていた。あるいは、病棟の中で一番扱いに困る患者になってしまっていた。
その時まで、ずっと同じ病院にいながら、自分は見ないようにしていた、あるいはすべて患者の病状のせいにして済ませていた。それらに気づいた時、私は愕然となった。この人たちは自分が作ったのだ。人が自分の暴力性に気づくことの難しさというものを、私は自分自身で体験したのである。治療という正当な『力』を行使しているつもりが、それは自分の力ではなく、病院というシステムの中にある力で、その力に自分自身が振り回されていたのだ。力を操るという自分の意気込みは、すべて病院の力であり、自分は精神病院という『全制的施設』が振るう力の操り人形にすぎなかったのだと気づいたのである。』(高木俊介『危機の時代の精神医療 変革の思想と実践』日本評論社 p83-84)

精神科医には、権力が付与されている。自傷他害の恐れのある患者に対して、本人の同意を得ることなく強制的に入院させることのある権限が付与されているのだ。そして、ここで描かれているのは、家族の要請に基づいて往診し、自傷他害の恐れがありと判断した患者を、病院チームが「暴力的に入院させてきた」事例である。強制入院経験のある多くの当事者は、この拉致監禁のような「暴力的な入院」そのものがトラウマ経験になった、と語る。だが、家族が困り切っていたから、とか、他の代替手段がなかったから、などの理由で、強制入院は未だに日本では多く行われており、そのうちの大半が、行政命令ではなく、家族の同意に基づく入院という玉虫色の「医療保護入院」である。(この構造的問題は以前、シノドスに書いた)。

当時の高木さんは、「患者さんの治療のために」という使命感をもって、自分が率先して往診していた。だが、病院を離れる際、「『暴力』で治療した患者」のうち、病院を退院出来ていない患者の大半が、「人を拒否して時に暗く険しい表情でうずくまっている患者になってしまっていた。あるいは、病棟の中で一番扱いに困る患者になってしまっていた」ことに気づく。

この時、高木さんが他の精神科医と違ったのは、「この人たちは自分が作ったのだ」と気づいた点である。専門家は、特に経験年数を経れば減るほど、無謬性に取り込まれる。専門性を持っている玄人の俺が間違うはずがない。治らない患者は、患者の気質や病気・病状の酷さ故に治らないのだ、と。これは、一見すると専門家によるアセスメントや見立てのようでいて、実は自らを免責し、患者に責任を押しつける、責任回避の論理を「科学的合理化」するプロセスでもある。医療過誤の中には、このプロセスがしばしばありそうだが、それはなかなか明るみに出ない。なぜなら、医師と患者には治療情報に対する圧倒的な非対称性があり、かつ精神科医と精神障害者では、社会的に付与された「立場性」にも恐ろしいほどの格差があるからだ。だからこそ、精神科医の「科学的合理化」は信奉され、患者の命がけの抗議や意義申してては「病状のせい」「興奮や幻覚・妄想状態」とラベルが貼られ、さらなる強制医療の犠牲になりやすい。

高木さんは、ご自身が病院を退職するとき、「自分は見ないようにしていた、あるいはすべて患者の病状のせいにして済ませていた」重大な真実に気づいてしまった。それは「この人たちは自分が作ったのだ」という、自らの有責性である。相手に責任を押しつけている間は、病気のせい、に出来てしまう。だが、自分に責任があるとなると、なぜ・どのように責任があるのか、という解釈フレームががらりと変わる。

「治療という正当な『力』を行使しているつもりが、それは自分の力ではなく、病院というシステムの中にある力で、その力に自分自身が振り回されていたのだ。力を操るという自分の意気込みは、すべて病院の力であり、自分は精神病院という『全制的施設』が振るう力の操り人形にすぎなかったのだと気づいたのである。」

これは、文字通り地と図が反転するようなパラダイムシフトであり、ルビンの壺の「壺」が「顔」に見えるようなゲシュタルトの転換の瞬間であった。それまで、往診して、強制的に入院させることは、「治療という正当な『力』の行使」であり、患者さんんには申し訳ないけれど、治療という良いことをするために、「しかたのないこと」だと思い込んで来た。そして、善意に基づく自らの行為を、そのような形で自己正当化してきた。

だが、それは「暴力」という権力行使だとラベルを貼り替えると、全く違う世界が見えてくる。自らの善意や「治療のため」という信念は、「強制入院を正当化する病院システム」を維持するために用いられていたのだ。そこから高木さんは、「力を操るという自分の意気込みは、すべて病院の力であり、自分は精神病院という『全制的施設』が振るう力の操り人形にすぎなかったのだ」という事に気づく。自分が主体的に治療している、と思い込んでいたが、それは「精神病院という『全制的施設』」が、その暴力的な管理支配を維持し正当化するための「力の操り人形にすぎなかった」のである。暴力的な精神病院システムの温存のために、自らの善意が搾取され、でもそのことに気づかず、自らの「使命感」を長らえさせてきたのだ。

恐らく、その構造的な暴力や、自らがその構造的暴力の手先になっていることに気づいた医療者は、高木さんだけではなかっただろう。だが、そのことに気づいても、「生活のため」と蓋をして暴力行使をし続けていると、滝山病院のようになってしまう(この問題についてはブログにも書いた)。あるいは、自分には何も出来ないと、そっと現場を離れて、口を紡ぐ人も沢山いたと思われる。

高木さんが違ったのは、「この人たちは自分が作ったのだ」と気づき、それを今回の本のように、自らの有責性を明るみしたことである。それだけでなく、「自分は見ないようにしていた、あるいはすべて患者の病状のせいにして済ませていた」構造への有責性を引き受け、その後ACT-Kを主催し、暴力行使を最小化しながら、入院をなるべくしない地域精神医療のシステム構築にその後の人生を賭けてきた点である。

この本を読んでいて、改めて高木さんの発見は、イタリアで精神病院廃絶に向けた立役者になった精神科医フランコ・バザーリアのそれと一致すると感じた。

「病気ではなく、苦悩が存在するのです。その苦悩に新たな解決を見出すことが重要なのです。・・・彼と私が、彼の<病気>ではなく、彼の苦悩の問題に共同してかかわるとき、彼と私との関係、彼と他者との関係も変化してきます。そこから抑圧への願望もなくなり、現実の問題が明るみに出てきます。この問題は自らの問題であるばかりではなく、家族の問題でもあり、あらゆる他者の問題でもあるのです。」 (ジル・シュミット『自由こそ治療だ』社会評論社、p69)

バザーリアは、治療すべき客観的対象だと思われていた「精神病」という「病気」を、「生きる苦悩」が最大化した状態だ、と置き直した。それは、精神医療におけるパラダイムシフトである。「病気」であれば、治らないのはその「病気」のせいである。医者の責任は最小化される。一方、「苦悩」が根源だと見立てやアセスメントを変えると、「彼と私との関係、彼と他者との関係も変化」する。その人の「苦悩」の一部が、強制的に入院させられたことへのトラウマや傷つきであるならば、その「苦悩」という「問題の一部」の責任は、強制入院を認めた・暴力的な権力行使をした精神科医自身にも降りかかってくる。だが、そういう形で自らの有責性を認めることで、「この問題は自らの問題であるばかりではなく、家族の問題でもあり、あらゆる他者の問題でもある」という構造的理解が、精神科医に出来るようになるのだ。

(このことについては、論文「「病気」から「生きる苦悩」へのパラダイムシフト : イタリア精神医療「革命の構造」でじっくり論じたので、ご興味のある方は、ご一読いただきたい。)

高木さんの本に戻ろう。高木さんは、上記のプロセスを以下のように総括している。

「私たち精神医療従事者にとってもっとも解決困難なものが、今も昔も、精神医療そのものが生みだしてしまう暴力であろう。収容所環境—密室環境というものはどうしても暴力を生みやすくなる。さらに、その環境の全体が、E・ゴフマンの言う『全制的施設』となっている。その中で、私がそうだったように、治療者としての役割に誇りを持っていながら、勘違いしてしまう。『力(force)』のつもりで行使したものがいつの間にか『暴力(violence)』に変容している。そういうことを精神医療の現場は生み出す。
それに対抗するように、患者自身がその支配システムに抗議を行うための暴力、対抗暴力がある。そういう暴力に対して、私たちは精神医学の言葉でそれを『無効化』する。彼の怒り、抵抗、抗議—それが正当な抗議でも、『衝動性』『拒否性』『易怒性』といったレッテルを貼って治療の対象にしてしまう。このような患者の感情の否定、無効化は、精神病院の中だけでなく地域の中の処遇でも起こるものだ。精神障害者と私たち支援者との関係性の中で起こる問題である。」(p88)

支援対象者と支援者の「支配ー服従」関係の中で生じる暴力。それは、精神障害者に限った話ではない。「問題行動」「困難事例」「多問題家族」と地域でラベルを貼られ、支援者の指示・誘導に従わないクライアントは、人格障害などのラベルが容易に貼られ、「暴力」と「対抗暴力」のぶつかり合いになりやすい。その中で、支援者も当事者も共に傷つき、支援拒否に至り、地域で問題を拗らせ、強制入院など不幸な結末に陥る場合もある。

この時、「『力(force)』のつもりで行使したものがいつの間にか『暴力(violence)』に変容している」という現実に、治療者や支援者がどれだけ自覚的か、が大きく問われる。そして、「彼の怒り、抵抗、抗議—それが正当な抗議でも、『衝動性』『拒否性』『易怒性』といったレッテルを貼って治療の対象にしてしまう」という構造的暴力にも、しっかり意識化・自覚化が出来ているか、で変わる。それは、バザーリアの言葉を借りるなら、「病気ではなく苦悩に向き合う」ということである。病気なら「治療する・される」の関係性は、非対称になりやすい。だが、「彼の苦悩の問題に共同してかかわるとき、彼と私との関係、彼と他者との関係も変化」するのだ。

他にも引用したい素敵なフレーズがちりばめられているのだが、長くなったので、もう一カ所のみ、引用したい。

「今世紀になってますます加速する中間的共同体の崩壊によって、親密な人間関係は同一世帯の中にまで切り詰められ、家族の葛藤は行き場を失って家庭内に煮詰められる。社会の問題であった暴力は、いまや家庭内の問題となる。社会性を獲得するモデルは親子関係と夫婦関係にしか求められず、世代間の仕切りは失われ、社会と家族の間の防壁もあいまになる。
社会の成長の終焉は、個人の成長をも神話にする。『成長する人間』は理念型としての『人格』を形成していくが、その成長を失えば個人はそれぞれの発達段階に応じた『特性』の束に過ぎないものとなってしまう。精神医学において人格障害という診断が下されることが激減したように、社会からもその構成員の『人格』という概念が消滅していくのだ。
同時に『人格』に取って代わった『特性』は、社会的な評価としての『能力』で計られ、数値化されていく。こうして発達障害こそが、社会への不適応、社会からの逸脱、コミュニケーションを阻む『欠陥』として、教育の過程で、社会化の過程で絶えず見いだされる現代精神障害という地位に押し出されてきた。
これが今、私たちが立ち竦んでいる場所なのだ。」(p222-223)

高木さんは、臨床の中から見えてくる社会の構造的変化のダイナミズムを、社会学的に記述する能力にも長けている、と改めて思う。20世紀の終わりから21世紀の初めにかけて、確かに「人格障害」という名前はニュースや書籍のタイトルでしばしば目にした。だが、その名称が話題にならなくなるのと同時に、「発達障害」ブームが今に至る形で席巻している。それは、バブル崩壊以後の「社会の成長の終焉」と共に、「成長する人間」としての「人格」の終焉なのかもしれない、という高木さんの指摘は、実に深い投げかけである。そういえば最近、「人格の陶冶」という言葉も、とんと聴かない。

一方で、中間的共同体の崩壊の中で、夫婦関係や親子関係以外の関係性が見失われていくに従い、「発達特性」と「発達障害」が有徴化されるようになってきた。これは、社会の閉塞感、社会的規範の先鋭化、逸脱への監視や許容力のなさ、が個人に転嫁されたものだと考えると、わかりやすい。その人の「人格」や「個性」と言われていたものが、「能力」で計られ、情緒障害、適応障害、多動障害などの形で、欠陥として指摘される。それは、発達障害とラベルを貼られた児童生徒の急増や、そこにリンクする形での放課後デイサービスや療育事業の隆盛を見ていてもわかる。娘の通う学校でも、そのようなお子さんが沢山いる。

「これが今、私たちが立ち竦んでいる場所なのだ」と高木さんが指摘する時、「この人たちは自分が作ったのだ」という有責性を、僕には感じた。それは、他者や個人に責任を押しつけて、治療してあげるという善意や、批評家としてラベリングするような「高みの見物」をするのとは、正反対だ。この社会において、抑圧的な構造・システムにも関わる構成員の一人として、この社会的排除のシステムにどう抗っていけばよいのだろう、という意味で、コミットメントや責任を分有する感覚である。そして、このような開かれの感覚にこそ、次の時代を考えていくヒントがあるような気もする。

ろくでもないこと「も」起き続ける日本社会において、自分自身の有責性を自覚して、現場で出来ることからし続けること。それが、高木さんからもらったバトンかもしれない。

「バカヤロー」と言われた時に

アダム・カヘンの本を最初に読んだのは、2010年に読んだ『手ごわい問題は、対話で解決する』だったとブログを検索してしる。僕はブログを外部記憶装置として活用しているので、めっちゃ助かる(^_^) この本を読んだあたりから、システム思考やU理論の本などを猛然と読み進めていった。

で、検索すると2015年には『社会変革のシナリオ・プランニング』を興奮して一気読みしたことも綴られている。つまり、アダム・カヘンの本はぼくの性分に合うようだ。

今回、最新刊の『共に変容するファシリテーション』(英知出版)も読んだ。以前は仰ぎ見るだけだったけれど、今回は彼が沢山自分の失敗を書いてくれていた&この十数年の間に、ファシリテーターの数を沢山こなしてきた&2017年にダイアローグの集中研修を受けたあとぼく自身のあり方も大きく変容した、こともあり、すごく親近感を持って、この本を読み終えた。

その中で、色々なことを思い出したエピソードは、カナダの先住民の人々とのワークショップを行った際、彼らの代表の1人のマスワゴンがカヘンに述べた、次の一言だ。

「お前さんは信頼できない」

実はぼく自身も、ファシリテーションの現場で「バカヤロー」と叫ばれたこともあるし、「あんたの言っていることは理想論だ」とも言われたこともある。そして、このような、ある種の全否定的な発言と対峙する際、ファシリテーターの全存在が問われているのだ、と思う。

カヘンは、その際のことを、こんな風に述べている。

「多くのファシリテーターはよく考えもせず、参加者たちが『ただ気難しいだけ』と想定してしまうものだが、私はそうではないことを理解した。カナダでは(他の国と同様に)何世紀もの間、先住民が植民地化され、虐殺され、抑圧され、疎外され、白人に騙されてきたのだ。白人達は自分たちのやり方で傲慢に物事を押しつけてきた。このワークショップの参加者は、私がこの垂直型の『正しい答えを私たちが持っている』というアプローチを再現していると考え、それを受け入れる余地がなかったのだ。彼らは、このプロセスを自分たちの状況ややり方に合った方法で実行することを望んでいた。」(p206-207)

僕が「理想論だ」と突きつけられた時のことを今から振りかえると、「垂直型の『正しい答えを私たちが持っている』というアプローチ」を取っていた。僕が持っている「正解」の価値観を押しつけようとしていて、相手は別の「正解」を価値観として持っていたので、僕の価値観の押しつけに我慢ならなかったのだ。そして、「バカヤロー」と叫ばれたのは、あるシンポジウムの終了直前で、「うまく話をまとめられた」と安堵した瞬間だった。その人は、「バカヤロー」に続けて、「俺にしゃべらせろ!」と怒鳴ったのである。どちらの時も頭が真っ白になる、自分の積み上げてきたプロセスが自己否定されるような事態であった。

で、カヘンはその後、どうしたのか。彼が説明を全て終えた後に、仲間のファシリが「お前さんは信頼できない」と発言したマスワゴンに、「今なら信頼できるか」と尋ねた。すると、相手はこう言ったという。

「いいや。しかし、このプロセスは信頼する」

それに対して、カヘンはこんな風にリプライした。

「あなた方に私やそのプロセスを信頼せよとは申しません。次のステップに進み、そしてどのような進捗があるか、次に何を行うかを確認することを提案しています」

その上で、カヘン達のチームは、自分たちが当初計画していたやり方を一部修正し、先住民達の伝統的なスピリチュアルな儀式を最初と最後に用いたり、先住民メンバーによるファシリテーションの時間を増やしたりした。その中で、マスワゴンにも許されるようになった。そのことを、カヘンは以下のように振りかえっている。

「私が、他の文脈で成功したアクティビティを使うことを主張した(それまでに形成された理論や実践をダウンロードしている)際、私はそのときその場所で自分たちが直面している特定の状況に十分に注意を払っていなかった。しかし、マスワゴンの発言で、ファシリテーション・チーム全体がこの状況をより明確に捉えることができ、うまく方向転換することができた。」(p208)

自分の積み上げてきた「正しさ」に縛られず、「そのときその場所で自分たちが直面している特定の状況に十分に注意」を払う。これは容易なことではない。10年以上前、僕の発言に「理想論だ」と反論した相手に対して、僕はあろう事が頭に血が上ってしまい、100人以上の受講生がいるその現場で、言い合いになってしまった。それは「垂直型の『正しい答えを私たちが持っている』というアプローチ」を相手に押しつけることであり、相手は猛反発し、場は荒れ、すごく嫌な雰囲気に場が支配された。まさに問題の一部は自分自身だった。

一方で、「バカヤロー」と言われたのは、その後ダイアローグを学びはじめた後だった。だからこそ、「そのときその場所で自分たちが直面している特定の状況に十分に注意」を払おうとした。残り3分で、会場の完全撤収までも10分くらいしかない、かつ主催者も司会も誰も凍り付いている300人くらいが集まった場において、みんな僕を見ていた。状況をハンドリングするのは、シンポジウムのファシリの僕だけ、だった。だからこそ、その場に意識を集中し、「しゃべらせろ!」と怒鳴った本人にマイクを渡しながら、時間はない中でも本人にも語りかけながら、緊迫した対話を繰り返した。本人の思いのコアを聞き取り、シンポジウムの登壇者がその方と同じ思いであることを伝えると、本人は「わかった、以上!」と締めくくってくれた。緊迫したセッションは3分で閉じることが出来、完全撤収の時間も間に合った。本人は、某大学の名誉教授で、そこで議論された内容について是非とも意見を述べたかったけど述べる場がなかったのでつい激高した、と後で謝ってくれた。

そのことを思い出しながら、以下のフレーズを読むと、味わい深い。

「政治的・心理的に、自分を外側に、そして上に置くこと(「私は無実である」)に慣れている人々にとって、このような責任を引き受けること(「私は無実ではない」)は、不快なストレッチを伴う。したがって、コラボレーションを通じて変容をもたらそうとする際の重要な課題は、自分がいかに問題の絡み合う状況の一部分であるかを理解出来るようになることである。」(p215)

ファシリテーターが、自らの正解にしがみついていると、「問題の一部は自分自身」と引き受けることは出来ない。「あんたの言っていることは理想論だ」と言われた際、ぼくは自らの正義を守りたくて、そして「自分を外側に、そして上に置くこと(「私は無実である」)」に慣れきっていて、それを否定されたことが悔しくて、躍起になって相手を叩き潰そうとしていた。それは、本当にやってはいけない権力行使だったのだと、今になって深く反省する。

そして、その後ダイアローグを学ぶ中で、「バカヤロー」と言われた際、残り三分しかない場でそれを言われたことの意味を引き受けようと思った。「このような責任を引き受けること(「私は無実ではない」)は、不快なストレッチを伴」ったが、そこから逃げてしまったら、意味がないと覚悟した。でも、そうやって緊迫した3分間を相手とコラボレーションする中で、場が変容していくのを実感した。「自分がいかに問題の絡み合う状況の一部分であるかを理解出来るようになる」ことは、ファシリテーターが場の変容にコミットする上で必要不可欠だ、と気づけたのだ。

『共に変容するファシリテーション』を読んで、13年前には出来ていなかった苦労を、この間僕もしてきたのだな、と感じた。そして、ダイアローグをまなび、いま・ここでの場の変容に向けて共にコミットする面白さを感じていたが、それは改めて理にかなっているのだ、とリスペクトする「ファシリ仲間」のカヘンから改めて教わった。そんな読後体験だった。