記事一覧

「創発的価値の生成」への賭け

「絶対的なものはある。ただし、それは複数ある。」

これは佐藤優氏の至言である。彼は「国家と神とマルクス」(角川文庫)の中で、マルクスに基づく資本主義理解と、国体の護持の為の国際外交論、そして神学者としてのキリスト教理解を融合させながら、自分自身の論を進めている。国家主義者、キリスト教主義者、マルクス主義者と、主義者を見た時、確かにこのうち二つは重なっても、3つ全部が重なる事は滅多にない。それは、対象をただ信奉する(鵜呑みにする)「主義者」とは違い、絶対的なものの内在的論理を徹底して掴もうとする努力をしているからである。そのうえで、「複数ある」と宣言する辺りが、非常に説得力がある。
さて、僕自身も、去年辺りまでなら、この佐藤氏の至言は、「そういうものなのかな」というボンヤリした理解だったのだが、今年になってそれは共感を伴いつつある。その導き手のお一人が、新刊をご恵贈下さった。非常に興味深く読み終えた終章で、次のようなフレーズに出会った。
「社会をよりまっとうな方向に動かしていくためにすべきことは、創造的な出会いを通じて、一人一人が自分自身の真の姿に恐れず向き合う勇気を持つことである。暗黙知の十全な作動が価値を生み出すのであり、そのためには創発の作動を疎外するものに勇気を持って目を向け、取り除かねばならなない。個々人のこの努力を背景として、人々は創造的な出会いを積み重ねることが可能となり、それが社会の要素たるコミュニケーションの質を高める。組織もまた同じように、自らの真の姿に直面し、それを改め、社会という生態系のなかにふさわしい地位を見出す必要がある。それは個々人の創造性の発揮を促すことではじめて可能となる。」(安冨歩『経済学の船出-創発の海へ』NTT出版、p258)
この3月、大きく自分の認識がパラダイムシフトをする過程で運命的に出会った「魂の脱植民地化」というフレーズ。この言葉を聞いたのが、阪大の深尾先生との出会いであり、深尾先生に導かれて、共同研究者の安冨先生の主催するセミナーに訪れたのが同月末。その後、安冨先生が書かれた『ハラスメントは連鎖する』『生きるための経済学』『やわらかな制御』と読み進めていった。そして、そこに書かれている世界観が、従来のPDCAサイクルに代表される操作主義的な計画制御(線形的制御)の図式の内在的論理とその限界を指摘した上で、そうではないオルタナティブな視点を、複雑系科学の知を補助線としながら展開しておられることに興奮せざるをえなかった。
率直に申し上げて、僕自身、哲学や思想に関しての理論的な学びは、浅い。それよりも、求められるままに、現任者研修等を通じて福祉現場で働く人の変容や成長の支援に携わったり、あるいは自治体の障害者福祉政策の変容のお手伝いを、この5,6年、続けていた。だが、無鉄砲では臨めないので、折に触れ、お手本を求めて経営学・社会学・社会福祉学・臨床心理学等の理論書・啓蒙書・教科書を独学・後付的に読み進めていったのだが、それらの本の中で書かれている「科学的知識」と、現場で求められている智慧の解離の溝は深かった。本を読んでも読んでも埋まらないどころか拡がる解離を前に、ある時から少しずつではあるが自分の頭で考え始めた。そして、今年、自分事として取り組み初めている事が、安冨先生が言うように、「創造的な出会いを通じて、一人一人が自分自身の真の姿に恐れず向き合う勇気を持つこと」なのかもしれない。
暗黙知や創発、という言葉は、デカルト的心身二元論の世界では扱いきれない領域である。それであるが故に、組織的に科学の世界からはネグレクトされてきた。『デカルトからベイドソンへ』を著したバーマンはそれを、世界の脱魔術化と呼んだが、ベイドソン的世界観や非線形の科学が焦点化しつつあるのは、脱魔術化された計画制御でははみ出してしまう、しかし現実社会ではネグレクトすることの出来ない叡智。バーマンはその世界を「再魔術化」と呼んだが、魔術という言葉でひとくくりにすると誤解が大きい。むしろ、心身二元論を越えた、でも以前の神秘主義や錬金術とは違う、魂と科学の有機的融合、とでも言えようか。こう書くと、ニューエイジ系や新興宗教系と誤解・勘違いされそうなのだが、大きく違う。古来引き継がれて来た自然科学・社会科学・人文科学の体系的叡智を批判的に継承した上で、脱魔術化以後にネグレクトされた魂の問題ときちんと引きつけようとしているのが、安冨先生の一連の仕事なのである(と僕は勝手に理解している)。まさに、「絶対的なものはある。ただし、それは複数ある」とうい視点なのだ。
「もし、飢餓もなく、道具もいつも安く手に入り、情報も氾濫しているとしたらどうであろうか。当然のことであるがこの場合には、商品をいくら供給しても創発は起きない。商品の消費が価値を生まなくなっているのである。欠乏しているのは、商品ではない。商品も情報も過剰な時代に不足しているのは、人々の創発への構えのほうなのである。それを開くことが、価値を生み出すために不可欠である。」(同上、p166)
「今の学生は受け身的」「自発性が足りない」といった言説はよく聞かれる。たが、それは属人的要素の問題ではない。安冨先生が書くように、商品も情報も道具も過剰であれば、「創発への構え」がふさがれているのである。これは、「学びへの構え」と言い換えてもよいだろう。その構えを「開くことが、価値を生み出すために不可欠」という指摘も、深く納得出来る。潜在能力を活かす出会いがなく、学びに対して斜に構えている学生に、自分で探し求める面白さが伝わった時の顔つきの変容ぶり。あるいは、当事者や支援者ときちんと向き合い、試行錯誤しながら新しいシステムを構築する中で福祉政策に携わる面白みに気づいた自治体職員の輝いた表情。そういうダイナミックな気づきや変容を間近で見る中で、逆に現在の教育システムや官僚制に内在する「創発の構え」が塞がれた現実がよく見えてくる。そして、僕の仕事も「構えを開き、価値を生み出す」支援だったのかもしれない、と思い始めている。
そして、「構えを開き、価値を生み出す」のは、何も他人に向けて、だけではない。
「ホイヘンスの共感実験系が、二つの柱時計と接続部分とから構成される一つのシステムであったように、人間の身体も多くの部分が相互に接続されることで構成されている。その全体が、ある一定の人間の身体たるにふさわしいratioを共にしている限りにおいて、身体自身の本質に属することになる。」(同上、p246)
「同期」現象を発見した科学者のホイヘンスは、二つの振動数の異なる柱時計を同じ部屋に置いておくと、両者が自然と同じ振幅数になることを発見した。この共感実験は、二脚の椅子を背中合わせにして、背もたれを渡すように二枚の厚板を起き、それぞれの板から柱時計をぶら下げていると、「共感」し出した、という。そこで人為的に力を加えて「共感」を崩すと、椅子がガタガタ揺れた、という。つまり、二つの振動数の異なる柱時計は、椅子と厚板と共に、一つのシステムとして構成され、「共感」し、「同期」したのであった。このホイヘンスと同時代に生き、親交もあったスピノザの「エチカ」の中に、ホイヘンスの理解を通じて初めてアクチュアルな理解が可能になる箇所がある、と安冨先生は言う。その一つが、人間の身体における同期性を導き出した上記の部分である。
これは、自己の体重変容を成し遂げた今であれば、実感を持って納得できる。これまで、いくら脳みそで「ダイエットしよう」と思っても、三食きちんと食べなければ、という「食毒」状態の時代には、その身体に深く埋め込まれた「食毒」のratioに支配され、決して大規模な体重減少はままならなかった。だが「三食教」こそが呪縛である、と気づいてみると、物事は大きく展開する。「食べなければ」という型にはまった精神から自由になることは、そう簡単ではなかった。だが、「炭水化物の摂取量を減らす」「前の晩に食べ過ぎたら、翌朝食べない・減らす」という単純な原則を実践し続ける中で、身体のratioのリズムが変容し、体重はググッと減少し、1月の80.8キロから、今朝は69.8キロへ。そして、この実際の体重の変容に、精神も魂も大きく衝撃を受け、体重変容後のratioに心も同期しつつある。それが、自分自身のここ最近の変化、と思うと、安冨先生の「エチカ」の解釈も、深く頷ける。
当初はご恵贈頂いた本の書評を書こうかと夢想したのだが、今の僕にはその全体像を描ききる力はない。よって、その断片から受け取った、私自身の「同期」部分の一部を書いただけで、これ程長い文章になってしまった。最後に、この本の中で一番気に入っているフレーズ(の一つ)を引用しておきたい。
「ある仕事が創発的価値を生成するなら、その仕事は有効である。」(p105)
僕は今、幸運な事に今の仕事の中で、「創発的価値の生成」に賭け続けていられる。そのことへの感謝と、いくつになっても、どの仕事であっても、この「創発的価値の生成」こそ、最優先に仕事をしていたい、と強く願っている。

フーコーという補助線

久しぶりに何もない土曜日。昨日は終電で帰ってきたので11時過ぎまでぐっすり眠り、昼からのんびり読書。こういう平安なる一日が、最近はなかったなぁ、と反省。

お供の音楽は、芸事の導師さまが教えてくださったRCAのLiving Stereo限定復刻版60枚組。日本では売り切れでアマゾンでは2万円が付いていたが、アメリカのアマゾンではまだ在庫があって、送料込みで1万5000円弱。LP録音の最高峰・最良の弾き手・曲目を一枚250円で楽しめるのは、何という贅沢。今年に入ってから、同僚のH先生が、芸事に詳しい導師としてクラシックの世界の奥深くに誘ってくださっている。デュプレやグールド、ペレイラにカザルスといった特定の音楽家の作品しかよく知らず、チェロやピアノの協奏曲が多かった僕にとって、たとえばサンソン・フランソワのショパンに出会ったこと、幻想協奏曲の魅力を知れたこと、あるいは上記の60枚組で未知の楽曲・弾き手とご縁が出来たことは、誠にありがたい限り。自分の使っていない領域が拡がる思いだ。
という前ふりを書いていたら、今日主題化したい内容と結びついていることに、今気づいた。さて、今日のフックはいつもの内田樹さんから。
「日常的な経験からも分かるとおり、私たちは決して確固とした定見をもった人間としてテクストを読み進んでいるわけではありません。(略)テクストの方が私たちを『そのテクストを読むことができる主体』へと形成してゆくのです。」(内田樹『寝ながら学べる構造主義』文春新書p125)
これは今の自分には深い納得が出来る。テクストを楽曲と変えたら、僕自身のここしばらくの変容そのものを体現しているからだ。
「私たちは決して確固とした定見をもって人間として楽曲を聴き進んでいるわけではありません。楽曲の方が私たちを『その楽曲を聴くことができる主体』へと形成してゆくのです。」
僕自身、先達である導師さまに薦められ、自分の興味関心のレインジにはまる楽曲を聴き進めるなかで、「楽曲の方が私たちを『その楽曲を聴くことができる主体』へと形成」してきたのである。これはワインでも同じで、ワインの導師様であるMさんにずっと8年ほどお世話になり、Mさんからワインを買い続けているからこそ、自分の中での「ワインを楽しむことができる主体」が創り出されてきたのだと思う。このようなご縁と繋がりによる豊穣な何かとのアクセス、ほど愉悦的なものはない。
・・・と書いてみて、この文体そのものが、実は内田先生のエクリチュールを結構拝借しているなぁ、と改めて感じる。特にこの「愉悦的なものはない」なんて書き方、以前の僕はしなかった。実は昨日、大学時代の仲間と久しぶりに新宿で飲んでいたのだが、このブログをたまに読んでくれている友人が二人ほどいて、そのうちお一人の麗しきNさんから「タケバタはどんどん学者っぽい文章になっているなぁ」と言われた言葉が引っかかっていた。彼女は企画戦略を練る部署で企業戦略を端的に一枚で伝えるための仕事をしている、という。その立場から見ると、僕の文章は確かに回りくどいし、ブログに用いる語彙もどんどん抽象的なものが増えてきている。言われるように「学者的」なのかもしれないが、それは半ば意識的に、内田樹氏のような知性に憧れ、それを勝手に文体として真似て学ぼうとしているからなのかもしれない。
で、文章がうろうろしているが、実はその内田樹氏の思考プロセスと近似している内容を、別の著者によるフーコーの入門書の中に見いだした。
「この読もうとする主体の中に存在する<盲目性>に、フーコーは固執し続ける。眼の構造には、眼自体を見ることができないという盲点があるが、読むという行為にもある読み得ない<盲点>が存在する。それが意識されないことによって、そもそも読む対象として構成されず、気づかれない領野が存在するのである。」(中山元『フーコー入門』ちくま新書 p17)
この「読むという行為にもある読み得ない<盲点>が存在する」という記述に出会ったときに、僕は数日前に読んだ内田先生による以下の文章を強く思い出さずにはいられなかった。
「つねづね申し上げているように、情報というのは実定的なものには限られない。
実定的な情報のピースを並べて、「絵」を描くことは可能だし、「当然このことについて報道されていてよいはずの情報」が組織的に欠落している場合にも、そこで何が起きているかを推察することは可能である。
要は「文脈を読み当てる」ということである。」(内田樹「なぜ日本に米軍基地があるのか?」
彼は「毎日新聞」を読む中で、公安調査庁が「どういう情報ソースを基におまえは文章を書いているのか?」と疑わせる程の確度の深い『街場の中国論』を叙したと書いている。その事が、新聞報道を読むだけで(ということは特定の深い情報源にアクセスせずに)なぜ可能になったかの理由を書いている上述の部分で、「文脈を読み当てる」と書いている部分が興味深い。つまり、書かれていること、だけでなく、「組織的に欠落している」「当然このことについて報道されていてよいはずの情報」に気付き、そこから推察することで、「文脈を読み当てる」ことが可能だと書いている。これは、読む対象(=書かれていること)にのみ没入するのではなく、「読み得ない<盲点>」があるということに気付き、そこに配慮や眼目を注ぐ、ということに他ならない。そして、「読み得ない<盲点>」も含めて、誰がどのような事を言ったか・言わなかったか、というコインの両面をパズルのように組み合わせ、その推察の中から「文脈を読み当てる」という思考であり、それをフーコーは「系譜学」として高めていったのである。
実はこのことは、内田先生自身が、フーコーに寄せた文章で次のように書いている。
「フーコーはそれまでの歴史家が決して立てなかった問いを発します。それは、『これらの出来事はどのように語られてきたのか?』ではなく、『これらの出来事はどのように語られずにきたか?』です。なぜ、ある種の出来事は選択的に抑圧され、黙秘され、隠蔽されるのか。なぜ、ある出来事は記述され、ある出来事は記述されないのか。その答えを知るためには、出来事が『生成した』歴史上のその時点-出来事の零度ーにまで遡って考察しなければなりま
せん。考察しつつある当の主体であるフーコー自身の『いま・ここ・私』を『カッコに入れて』、歴史的事象そのものにまっすぐ向き合うという知的禁欲を自らに課さなければなりません。そのような学術的アプローチをフーコーはニーチェの『系譜学』的思考から継承したのです。」(内田樹『寝ながら学べる構造主義』文春新書p86)
『これらの出来事はどのように語られずにきたか?』
この問いから、「出来事の零度」にまで辿って考察する内田先生の「推察」のスタイルこそ、自分の眼鏡を押しつけず、相手の眼鏡で「文脈を読み当てる」作業そのものであり、系譜学的思考そのものなのかもしれない。そして、その「読み当て」た「文脈」の確度が深いからこそ、あれだけの説得力と読者層を獲得しているのだと思う。そういう思想家内田樹氏の方法論的秘密に、フーコーという補助線を使って、少しだけ迫れたような気がした。

琉球弧と「あいだ」としての沖永良部島

気がつけば12月。師走だけでなく、11月も突っ走っていた、と回顧的に思い出す。このブログに書いていないのは、先週の旅日記。1週間前、鹿児島にいたのだ。

ちょうど親戚の法事の為に、沖永良部島に出かけることになっていた。直行便はないので前回は那覇から往復していたのだが、そういえば鹿児島には小学校時代からの友人が住んでいて、最近結婚したばかりだ。鹿児島には是非とも訪れみたい。でも、沖縄は好きなので、何とか1日でも寄りたいなぁ・・・。そんなよこしまな欲望に魅せられて、航空運賃は高く付いたが、鹿児島→沖永良部→那覇を巡る3泊4日の旅に出かけた。
沖永良部島は、実に興味深い位置づけをしている。その地政学的意味について、今まで考えようとしたこともなかった。だが、こないだ佐賀で「陶磁器から知る、アジアの中の日本」に目覚めたあたりから、文化の伝播における地政学的な遠近の問題に関心をもちはじめた。そこで、今回の旅のお供には、直前に東京駅丸善で買い求めた次の二冊を携えていったのだが、実にキーブックとしては役に立った。
『沖永良部100の素顔-もうひとつのガイドブック』(東京農大出版会)
『沖縄・奄美と日本』(谷川健一編、同成社)
実は旅の直前にもう一冊、フックになる本を読んでいたことが、次の二冊に向かわせるきっかけだったのかもしれない。
「この弧状なす列島の民族史をめぐって、いま、再審のときが訪れようとしている。(略)たとえばそれを、わたしはとりあえず、『ひとつの日本』から『いくつもの日本』への転換と呼んできた。この列島の、縄文以来の民族史的景観にたいして、『ひとつの日本』というフィルーターを自明にかぶせてゆく歴史認識の作法は、すでに破綻している。いたるところに、『ひとつの日本』の裂け目が覗けはじめている。いま、『いくつもの日本』への道行きが、避けがたい課題と化して浮上しつつある。」(赤坂憲雄著『東西/南北考-いくつもの日本へー』岩波新書)
民俗学には全く門外でも、「いくつもの日本」というフレーズには、なにやら魅力的な響きを感じた。僕自身、これまで「ひとつの日本」を暗黙の前提としていたことに、このフレーズに出会って気づいた。そして、中国-朝鮮-九州を巡る陶磁器の伝播の形を直接目にする機会を通じて、東アジアの連続性と、その連続性の中での、様々な土着との融合による変容過程についても、焼き物の色彩・文様の変遷を通じて目にしてきた。その「予習」があったので、鹿児島→沖永良部→那覇と巡る旅の中でも、連続性と変容という「いくつもの日本」が感じられるかもしれない、という予感があったのかもしれない。それは、琉球弧という文言で、実感を伴い始めた。
「琉球弧とは、日本列島西南端の九州島から南約1,260kmの洋上に199余の島々が花緑のように分布し、地理学上で「南西諸島」「琉球列島」などと総称される。現在の行政区分上では北半分の薩南諸島38島は鹿児島県に、南半分の琉球諸島161島は沖縄県に所属する。ちなみに南西諸島という呼称は明治時代中期以降の行政的名称で、それ以前は「南島」や「南海諸島」「西南諸島」と呼称されてきたが、ここでは広く地理学・地学的名称として、国際的に認知される「琉球弧」という名称を使用する。」(小田静夫 「琉球弧の考古学」 より)
不勉強な僕は今回の旅で初めて知ったフレーズなのだが、確かに言われてみれば、鹿児島と台湾の間には、沢山の島々が「花緑のように分布」している。鹿児島から沖永良部にむかう飛行機のなかでも、その島々の多さには目を奪われた。現在は沖永良部島とそのすぐ南の与論島までが鹿児島県、沖永良部から晴れていれば薄く島影が見える沖縄本島からは沖縄県、という位置づけになっている。だが、「100の素顔」でも指摘されているが、沖永良部島の言語・文化的ルーツは薩摩ではなく琉球である。そして、先の沖縄戦の時には米軍は上陸しなかったが、島の人によると海上からの砲撃を沢山受けたという。戦後、米軍統治下で島のレーダー基地建設も米軍によって進められ、実際に米軍も駐留したが、1953年の奄美群島の返還の際、日本に返還された。だが、その当時、北緯27度線以北(徳之島以北)の返還論というデマも飛び交い、薩摩・琉球の常に間の位置づけで揺らいできたのが沖永良部島だと言う。
この沖永良部島での丸一日の滞在は、実に印象深かった。
前日に訪れた鹿児島中央駅は、新幹線の開業と共に再開発されたらしい駅ビルが建っていて、BeamsだのZaraだの、山梨にはない、東京のブランドショップが建ち並ぶ。あまり東京に行かないうちの奥様は、香港以来となるZaraで早速お洋服をお買い求めになっている。店員さんの話し方が薩摩弁であることを除けば、ここが立川(札幌、大津・・・)であっても不思議ではない、郊外の大規模都市の駅ビルである。ある種、日本(ヤマト)的世界の縮図としての鹿児島中央駅の駅ビルである。
そして、翌日に訪れた那覇は、大都会なのだけれど、街並みや風情は台北や香港に似ている。沖永良部から那覇に向かうセスナ機では、沖縄本島西海岸をかなり低空で飛んでいたのだが、普天間や嘉手納などに広大な土地の米軍基地を抱えている。その敷地の広さ、芝生や職員住宅の広さと、その敷地の外の地元民の住宅の密集ぶりの対比の中に、今なお植民地状態に近い沖縄、という位置づけが、意識しなくても目に飛び込んでくる。ここは、間違いなく日本的世界の縮図とは違う。
であるがゆえに、鹿児島と那覇の「あいだ」に浮かぶ沖永良部島は、まさに「あいだ」であり、独自の様相を見せていた。奄美諸島にあって、薩摩藩によるサトウキビの強制植え付けの経験が少ないが故に、独自の商業農業として、ユリやフローラルなどの高収益作物の植え付けが明治期から盛んであった。今は、ジャガイモやマンゴーなども収穫している。そういう先取性と、南国ゆえのノンビリ・ゆったりした暮らし。しかし、過疎地域に共通する職不足故、高校卒業後は職を求めて島外に移り住む子ども達が多く、高齢化率が上昇している(今は3割)。ヤマトと琉球の、魅力も問題点も、それぞれ混ざり合う境界として、しかし独特の魅力を持つ独立した島として、沖永良部は存在していた。
で、一番印象深かったのが、親戚の叔父さんが持っている山にピクニックに出かけた時の事。山に自生するシークルブ(島みかん、沖縄ではシークワーサー)を収穫してご覧、といわれ、楽しいミカン狩りをしていたのだが、ミカン狩りを終え、休憩場所となっている小高い丘に登ってみると、緑の山の向こうには、真っ青な海と地平線。そして、その向こうにうっすら浮かぶ沖縄本島。日々の喧噪など全く忘れて、その緑と青、そしてシークルブのオレンジのコントラストを堪能していたのであった。

内在的論理と僕の3年半

旅先からの帰り道、名古屋駅の売店で見つけた400ページの本を、帰りの汽車の中から読み始め、今日一気に読み終える。博学でストーリーテラーの佐藤優氏の自伝的作品が、面白くない訳がない。

「マルクス経済学を学んでもマルクス主義者になる必要はまったくない。資本主義システムの内在的論理と限界を知ることが重要なのだ。人間は、限界がどこにあるかわからない事物に取り組むときに恐れや不安を感じる。時代を見る眼から恐れと不安を除去するために二十一世紀に初頭のこの時点で『資本論』を中心にマルクスの言説と本格的に取り組む意味があるのだ。」(佐藤優『私のマルクス』文春文庫 p15)
彼の著作で「内在的論理」という概念を知ったいきさつについては、3年前のブログに書き残していた。その時は、次の本を引用している。
「いまから約200年前、ドイツの哲学者ヘーゲルは、『精神現象学』を著し、この世界に現れる出来事をどのように解釈したらよいかについて、ユニークな方法を提示した。(中略)ヘーゲルの分析手法の特質は視座が移動することだ。ヘーゲルは、特定の出来事を分析する場合、まず当事者にとっての意味を明らかにする。対象の内在的論理をつかむことと言い換えてもよい。その上で、今度は、対象を突き放した上で、学術的素養があり、分析の訓練を積んだ”われわれ(有識者)”にとっての意味を明らかにする。更に有識者の学術的分析が当事者にどう見えるかを明らかにするといった手順で議論を進めていく。当事者と有識者の間で視座が往復するのだ。この方法が国際情勢を分析する上でも役に立つ。」(佐藤優『地球を斬る』角川学芸出版 p266-7)
僕はこの「内在的論理」という言葉との出会いで、少しだけ、表層的なものの見方から深められたような気がする。それは改めて三年前のブログを読んでみて感じることだ。僕にとってはまだ3年しか経っていないのか、と驚いたのだが、山梨では2007年から、三重では2008年からご縁を頂き、地域における障害者福祉の支援体制作りのアドバイザーの仕事をしている。その際、ある方にアドバイス頂き、まずは山梨県内全ての市町村を訪問し、その自治体の「内在的論理」を掴むことからスタートした。それは、結局のところすごくよいプロセスだった、と思う。
この3年半で、山梨県内全てに地域自立支援協議会を立ち上げ、県の自立支援協議会も模索しながら座長として運営の一翼を担い続けた。その時に、まずはこのアドバイザーの仕事を始めて一年目に行った、市町村や当事者・家族団体、地域の集まりなどの声を徹底的に聴き続け、「対象の内在的論理をつかむ」試みをまず行ってきた。それがあったからこそ、そのあと「対象を突き放した上で」、山梨の中であるべき自立支援協議会像を描き、それを各地域にお伝えし、上記のあるべき姿が「当事者にどう見えるかを明らかにする」中で、県と地域の自立支援協議会の像を、官民協働チームで描きあげていったのだと思う。このとき、こちらの眼鏡を当てはめるという思考停止・思考の省略を辿らず、相手の眼鏡からものを見ようと「内在的論理」を掴むことに努力したことが、その後の展開にとって大きな一助となったのは間違いない。
「内在的論理と限界を知ること」の大切さは、結局何かを変えようとしても、あるいは守ろうとしても、その営みを成功させるためには必須の事である。僕自身、単なる批判者であった時代には、そのことがわからなかった。だが、3年半前から県の仕事に関わり、今年からは国の仕事に関わる中で、内在的論理を掴むことのない、思いこみや偏見、無理解やコミュニケーション不足に基づく「いい加減な発言」が、いかにして場を壊すのか、を様々に垣間見た。また自分がその加害者、被害者になったこともある。すると、遠回りなように見えても、虚心坦懐に「内在的論理」を掴むことから物事を進めないと、結局はものごとはまとまらない、とわかるようになってきた。今の総合福祉法部会も、4~9月くらいまで、立場の異なる多くの55人の内在的論理を掴み続ける苦労(迷走と批判する人も多いが)をしたから、10月からの作業部会で、意見がまとまり始めているのだと思う。
内在的論理と僕の3年半、に話が逸れたので、佐藤氏の著作に戻ろう。
この本(「私のマルクス」)を通じて、血気盛んだった佐藤氏が、学生時代にいかにマルクスやキリスト教と出会い、この二つを自身の世界観の構築の柱にしたか、を垣間見ることが出来る。それはまた、同志社大学神学部における様々な師との出会いでもある。疾風怒濤の大学時代に、猛烈に勉強し、飲み、学生運動に関わった氏の思考の遍歴を、実に鮮やかに物語として語りながら、しかも「私のマルクス」として伝えられる筆者の力量には、いつものことながら、本当に驚かされる。
僕自身、佐藤氏が出会ったフロマートカや内田樹氏にとってのレヴィナスのような、人生を変える思想家には出会っていない。35歳になってしまったので、もうそういう出会いとしては遅いのかも知れない。あるいは僕にとっては、思想家との出会いだけでなく、様々な現場との出会いがじわじわ世界観を形作ってきたのかもしれない。あるいは、思想家と対峙出来る程の文章を読み解く訓練に欠けているかもしれない。そうであっても、自分にとっての大切な思想家との出会いを、今からでも待ち望んでみたい、そんなことを読後感に持つ一冊だった。

陶磁器から知る、アジアの中の日本

始まりは今年の8月、ソウルを訪れた時にさかのぼる。

学会発表のための3泊4日の滞在だったのだが、初日だけ少し時間が出来たので、国立中央博物館に出かけた。この博物館は、以前は韓国総督府の豪華な建物を使っていたのだが、植民地時代の禍根、と壊され、合わせて郊外に移転したもの。生まれて初めての海外が韓国への修学旅行だったので、20年前に、旧の博物館に訪れたことがある。だが、その時には文化や芸術は「他人事」に過ぎなかった為、一つ一つの展示品についての記憶は全くなかった。
だが、この夏の訪問では、大きく「自分事」に転換する。陶磁器や仏像の歴史についての展示品が、どれも中国(大陸)と日本の「中央=あいだ」としての朝鮮半島という位置づけで展示されているのだ。考えてみれば当たり前のことなのだが、仏教はインドから中国、朝鮮を通じて日本に渡る。陶磁器だって、中国の景徳鎮から朝鮮半島を経て、日本に辿り着いている。確かに教科書的には「知っているつもり」だったが、その両者がどのような変遷を経ているのか、を「実物」の展示に沿って辿ることが出来ると、リアリティが全く違う。陶器に関しては、シルクロードを通じてトルコにまでどう伝わったか、も展示しており、その1ヶ月前にトルコ・イスタンブールのトプカプ宮殿を訪れていた自分にとって、バラバラだった断片が少しずつ「つながる」面白さを感じ始めた。このときから、アジアの中の日本、というキーワードが少しずつ自分事になりはじめたのかもしれない。
それがより強固なものになったのは、9月に調査で訪れたロンドン、調査の合間にホテルから歩いていけた大英博物館。ここも15年前の大学生の時に訪れているはずだが、今回はかなりじっくり眺めた。しかもご一緒くださったI先生は文化的素養に溢れる先達。なので、日本史も世界史も高校途中で投げ出した阿呆な僕にも、わかりやすく世界の至宝の背景を教えてくださる。そういう前提があったので、アジアの陶器コーナーに行った時に、これまた圧倒された。イギリスは基本的に世界中の財宝を集めて(かっぱらって?)きたので、チャイニーズという英語が与えられた陶器も、中国-朝鮮-日本のコレクションが半端ではない。それらをじっくり眺めるうちに、先月韓国で感じた三国のつながりがより強固なものになり、アジアの中の日本、という言葉がより響き渡り始めた。
そういう流れの中で、昨日から佐賀に来ている。今日開かれるチャレンジフォーラムin SAGAで地域移行のシンポジウムの司会を仰せつかったのだ。ただ、甲府から佐賀までは6時間かかるため、前後泊することになった。ならば、と福岡空港からレンタカーを走らせ、有田に向かったのである。ソウルやロンドンで見た陶磁器文化を、ちゃんと国内でも確認してみたい、と。そこで、これもI先生から教えられた佐賀県立九州陶磁文化館に訪れて、いやはや実に楽しかった。
ちょうど開館30周年記念として「珠玉の九州陶磁展」をやっていたのだが、この特別展示に出展されていた陶磁器が実に魅力的なものばかり。1670年代という江戸時代に、こんなに鮮やかで、粋で、大胆で、かつ細密な焼き物が生まれていた、という事に、改めて驚かされた。確かに当時のオランダ人が見たら、絶対持って帰りたくなるよね、とも。東インド会社を通じてドイツのマイセンやイギリスの陶磁器文化にも伝播したことも、改めて頷けた。
それから、一つ一つの展示品を見ていて、改めて気づいたのは、一枚の皿の中に籠められた世界観の豊かな広がりについてである。例えば色絵橘文大皿。ただのミカンの木、と侮るなかれ。幹の描かれ方の豊かさ、力強さが濃い青色で、実り豊かな橘の実は黄色で、そして葉っぱは黄緑色で描かれていて、白磁の背景に実に活かされている。今この文章は、感動のあまり初めて買った美術館のカタログを見ながら書いているのだが、実物の照り具合や質感は、残念ながら写真では再現されていない。その鮮やかさ、力強さと、一枚の皿の中の世界観が見る者をまさしく魅了する。そんな展示品だった。
で、そういうご縁ができたので、その後1時間半しか時間がなかったのだが、現代の有田焼の窯元や直売店でもいくつか気に入ったものを買い求める。染付宝尽文の大皿、染付唐草の半月皿、そして青磁の小皿に箸置き・・・単に美しい、というだけでなく、自分が直前に見た歴史や伝統との繋がりを感じさせる、現在の作品の数々。古伊万里でなくても、今のデザインの中に、過去との繋がりを感じさせる作品の数々に出会い、過去ともつながりを持てた気がした。時間がなかったので足早に去ったが、有田の街の豪奢な建物の数々に、明治期以後にいかに有田が反映し続けたか、の足跡も感じられた。佐賀は大陸が近くて黄砂が強かったこともあいまって、焼き物を通じてアジアの中での日本というテーマが自分事になった一日であった。さて、そろそろ仕事に出かけます。

エクリチュール、パラダイムと社会モデル

ブログは二週間ぶり。ツイッターは毎日ブツブツやっているが、長めの文章を自分用に書く余裕がなかった。6000字の依頼原稿に、講演用パワポを2,3本作って、あと授業でも新ネタをするのでその仕込みににわか勉強したりするうちに、あっと言う間の二週間。そして、今日は久々のお休みなのだが・・・

朝ご飯を食べたところで妻から、「今日は大掃除をします!」という宣言。ちょっとダラダラしたいなぁ、と思うものの、我が家での主導権が僕にあるはずもなく、「埃っぽいでしょう?」といわれたら、全くその通り。それから衣替えも中途半端だし、仕事部屋のエントロピーも増大しすぎ(ようは汚いだけ)だったので、一念発起。妻から渡されたマスクをして、窓も開け放ち、午前中一杯かけて、ゴミを捨てまくる。
この商売をしていると紙ゴミが死ぬほどある。DMも色々届く。それにデジカメやらレコーダーの空き箱も散乱している。そういうものをバシバシ捨てて、「とりあえず入れておく箱」なるものを作ったがゆえに死蔵されていた様々な本・雑誌・書類も、「読んでいなけりゃ、ただのゴミ」と捨てまくる。ついでに仕事部屋の床に投げ散らかしていたマフラーやら上着やらも、洗濯機に放り込んだり洋服棚に返したり。
まあ、こう書くだけで、如何に整理が出来ていないカオス状態だったかが丸わかりでお恥ずかしい限りだが、9月半ばの海外調査帰国後からの1ヶ月は目の前の原稿書きで忙殺され、その後も出張だの講義だの急ぎの仕事に追われていたので、やっとこさの掃除。何度か以前に触れた事があるが、『ガラクタ捨てれば自分が見える―風水整理術入門』(カレン・キングストン 著、小学館文庫)ではないけれど、部屋からガラクタが少なくなると、だいぶと仕事がはかどるのです。あと、石油ストーブのタンクに灯油も入れて、手袋も冬用靴下も出してきて、これで冬支度までとりあえずは完了。つくづく今日の晴天に感謝。
閑話休題。ちょうど昨日ツイッターで、メモ的に書いておいた事を、少し膨らませてみたい。昨日の連続ツイートで、こんなことを考えていた。
 
認識枠組みその1  内田樹 『階層社会の本質的な邪悪さは、「階層社会の本質的な邪悪さ」を反省的に主題化し、それを改善する手立てを考案できるのが社会階層上位者に限定されているという点である』 
 
認識枠組みその2 自分の常識や前提が、偏った体系を選び取っている、他の可能性もあり得る、と理解するのは簡単ではない。それを分かりやすく語るのは、内田氏もそうだが、山本七平「空気の研究」も思い出す。でも、分かりやすく語る為には特定の文脈依存が避けられず、今の学生には理解がしにくい。
 
認識枠組みその3 授業で障害の医学モデル・社会モデルの話から、常識の捉え直しの話をすると、共感と反発の双方に別れるのが面白い。障害者のために、であれば理解出来ても、自分も含めた社会の常識こそ問題、と言われると、その常識=自分と思いこんでいる人は、自己否定された様な気になる。
 
認識枠組みその4 元々社会から否定されてきた障害者にとっては、社会の常識を相対的に見る事を強いられてきたのであるが、その経験のない人(=『健常者』)にとっては、認識枠組みを揺さぶられる事は非常に不愉快。だから隔離収容といった「見ない振り」の選択肢が生まれてきた部分もある。
 
認識枠組みその5 障害の異化モデル、って、常識の揺さぶりやメタ認知への誘いの部分がある。ただ、揺さぶった後に、どのようなオルタナティブがあるのか、という世界観まで提示できないと、それはよく言われるように「対抗文化」で終わり、ドミナントストーリーの書き換えではなく強化にも繋がる。
 
認識枠組みその6 こないだ読んだ「デカルトからベイドソンへ」も、今読んでいる、「社会とは何か」も、社会を巡るドミナントストーリーがどのように書き換えられて来たのか、の歴史を辿っていて、面白い。その中で、ようやくフーコーを読む「必然性」のようなものも生まれてきた。
 
認識枠組みその7 僕が全部読んでいる池田晶子と内田樹、この二人に共通しているのも、認識枠組みそのものへの問い、である。しかも二人は平易な言葉で、僕にも分かるように語る。二人の補助線があったからこそ、僕もメタの学問である形而上学に近づけた。さて、ここからどう自分なりに書き出すか。
 
内田樹氏の「エクリチュール」論から、アイデアを拝借して始めたこの連ツイ。内田氏はよく言っているが、例えば批評家の物言いも、クールに批評出来ているようでいて、その言い方自体が実は定型的である、という。それを彼は「やんきいのエクリチュール」という絶妙なる比喩で指し示しているが、確かに「やんきい」は、一旦その表象を選び取った段階で、その振る舞い方の枠組みから自由になることができない。おなじことが、批評家であれ、政治家であれ、言えるのではないか、と。そのうえで、そのエクリチュールに自覚的である、メタ認知が出来ているかどうか、が、エクリチュールの牢獄から抜け出すために必要不可欠であることを、彼の文章から感じ取っていた。
 
そして、これはその3~5あたりで書いた事だが、実は障害者というカテゴリーに当てはめられた人は、「健常者」なるものから差異化され、排除されるなかで、意識的に「健常者」のエクリチュールを相対的に眺めざるを得ない位置に立たされる、とも言えないか、と考えてみた。ただもちろん、障害者カテゴリーに追いやられた障害者が、健常者エクリチュールなるものに自覚的にすぐになるわけではない。ただ、社会学者ゴフマンが名著『アサイラム』で示したのは、入所施設や精神病院などの「全制的施設」における施設利用者エクリチュールが極めて標準化されたものであることと、それを分析する事によって、健常者社会のエクリチュールも逆照射が可能である、という卓見であった。
 
「個人の自己が無力化される過程は一般に、どの全制的施設においてもかなり標準化している。この種の過程を分析することによって、われわれは、通常営造物がその構成員に常人としての自己を維持させることを心掛けるとすれば、保されなくてはならない仕組みはどんなものか、を知ることができるだろ う。」(E・ゴッフマン (1961=1984)『アサイラム?施設被収容者の日常世界』誠信書房、p16)
 
それまで主流であった「障害」を「治療の対象」と見なす思想を「障害の医学モデル」とラベルした上で、障害者は治療の対象ではなく、障害のままでの自分らしく生活したい、という自立生活運動が沸き起こる中で生まれてきた「障害の社会モデル」。この中では、施設で障害者として「個人の自己が無力化される」ことを良しとせず、逆にその無力化の過程は「社会の抑圧・差別」である、と、健常者エクリチュールの相対化と徹底的な批判を産み出していった。これはフェミニズムの論法から多いに触発されたものでもあるが、あるエクリチュールの構造的論点を浮かび上がらせ、ドミナントストーリーの書き換えを目指す、という点で、画期的な考え方でもあった、と言えると思う。
 
今年の「地域福祉論」の講義では、テーマを「生きづらさ」としている。認知症や依存症、統合失調症や自殺、ホームレス、貧困などの問題を扱いながら、それらの問題の当事者の方々が語る「生きづらさ」を通じて、今の日本社会そのものを捉え直せないか、という大風呂敷を、こんなに忙しい時期にもかかわらず、画策しながら自転車操業の日々である。「生きづらさ」という境界が、ドミナントストーリーの境界ともつながり、社会の常識という名のエクリチュールを浮き彫りにする輪郭線になるのではないか、と。そんなことを考えている中で、ツイッターにも書いた『デカルトからベイドソンへ』では、このエクリチュールの自覚にも繋がる重要な記述がなされている。
 
「ベイドソンの言うように、人間の行動は第二次学習に支配されている。第二次学習の結果習得した予測の型にコンテクスト全体がうまく適合するような行動をとるのである。言いかえれば、第二次学習は自分で自分の正しさを規定する。この性質は大変強力であるため、たいていの場合は生まれてから死ぬまでずっと存続する。むろん『回心』を経験し、ひとつのパラダイムを捨てて別のパラダイムを探るようになる人も少なくない。だがいくらパラダイムが変わっても、第二次学習のパターンそのものにはとらわれたままであり、このパターンの正しさを『証明』するような『事実』を見しつづける点は変わらない。ベイドソンの考えでは、この束縛から逃れるための唯一の道は『学習Ⅲ』である。『学習Ⅲ』においては、ふたつのパラダイムのどちらが良いかということはもはや問題ではなくなる。パラダイムというものそれ自体の本質を理解すること、それが学習Ⅲである。」(モリス・バーマン『デカルトからベイドソンへ』国文社、p248)
 
「やんきい」から「アイドル」へ、エクリチュールを変えた人もいる。あるいは「大学生」から「会社員」のそれへと変える人もいる。「ひとつのパラダイムを捨てて別のパラダイムを探るようになる人」であっても、自分が受け入れた新たなパラダイムの「パターンの正しさを『証明』するような『事実』を見しつづける点は変わらない」ようであれば、それはそのエクリチュール・パラダイムの内部にいて、そこから自由になれない。そこから自由になるためには、「パラダイムというものそれ自体の本質を理解する」「学習Ⅲ」が必要である。この記述は、内田樹氏の次の発言ともつながる。
 
「エクリチュール批判は「自らがいま書きつつあるメカニズムそのもの」を対象化しうるエクリチュールによってなされなければならない。はたして、それはどのようなエクリチュールであるのか。自分たちが嵌入している当の言語構造を反省的に主題化できる言語、自分たちが分析のために駆使している言語の排他性そのものを解除できる言語。そのような不可能な言語を私たちは夢見ている。」(内田樹「エクリチュールについて(承前)
 
「自分ちが嵌入している当の言語構造を反省的に主題化できる言語」こそ、学習Ⅲの言語につながるのではないか、ということまではたどる事ができた。そして、それは障害の社会モデルが提示しようとしたものとも、ある種の共通性を持つのではないか、とも感じている。この学習Ⅲが導き出す、「パラダイムというものそれ自体の本質を理解する」プロセスを、さまざまな「生きづらさ」の論点に照射して眺めることが出来ないか。逆に言えば、「生きづらさ」の論点から、現代日本社会のエクリチュール・パラダイム自体の「本質」を理解することが出来るのではないか。
 
そんな大風呂敷を広げているがゆえに、毎週の授業でえらい困っているのであった。さて、火曜日に向けて、そろそろ予習に励まなくちゃ。

「偶有性」から始まる旅の途上

今朝の甲府は気持ちがいい朝。昨日は一日、ひきこもって読みたい本を読み続ける「研究日」だったし、熟眠も出来たので、すこぶる調子が良い。こんな朝は、珍しく二日続けてブログに向き合う。どうしても、現時点での感想を書き付けておきたい一冊に出会ったからだ。

「自分の人生にまとわりついている偶有性の目眩く深淵に思いを致すと、私は不安の中に投げ込まれる。同時に、何故かは知らないが、根源的な生の喜びの中に人知れず胸がときめく。すっかり固定化したもののように思えていた自分の人生が、揺れ動き、ざわめき、甘美な予感に満ちた風が吹き始める。その時、私は『まさに生きている』と感じる。
『私は、全く他の者でもあり得た』
自分に時々そう言い聞かせることは、人生をその『偶有性』のダイナミックレンジの振れ幅のすべての中で味わい、行動し尽くすためにどうしても大切なことである。そして、私たちは往々にしてその呼吸を忘れてしまう。」(茂木健一郎『生命と偶有性』新潮社 p35)
「風が吹き始める」瞬間。その瞬間と、今年になって出会ったが故に、このフレーズに出会った時に電気が走った。「あ、あのことを指している」と。
何度か書いているが、35歳の今年、僕自身は大きな変容の渦の中にいる。直接的には、体重が10キロ落ちた(1月の80.8キロ→今朝は70.2キロ)とか、旅先の香港で気づきを得られた、とか、いろいろ理由を述べられる。だが、実際に僕の身の中で起こった事は、『まさに生きている』という実感を取り戻したことであり、それは『私は、全く他の者でもあり得た』という気づきをえたことでもあったのだ。他者の「○○だから仕方ない」という決めつけが大嫌いな筈の自分が、自分自身のダイエット出来ない事に関して、その呪縛をはめていた。それが体重の変化という形で、信念体系を揺るがす変化として現前化すると、「仕方ない」という言い訳が呪縛であったことや、「全く他の者でもあり得る」という「偶有性」そのものに気づき、「自分の人生が、揺れ動き、ざわめき、甘美な予感に満ちた風が吹き始め」たのである。
「目的に『居付いて』はならない。心身を柔らかく保たなければならない。何よりも、脳や身体の運動は、あらかじめ意識的に『目標』を設定し、それに向かって『制御』するいう形式にそぐわない。どのような事態に至るかわからないという『偶有性』を前提とし、柔軟に対応できるような構えでなければ、脳の潜在能力が発揮できないのである。」(同上、p176-177)
ひとたび「風が吹き始め」ると、上記のフレーズもしっくりと心の中に染み込んでくる。僕自身のこれまでは「目的に『居付いて』」いる場面が多くはなかったか。狭い意味での線形的な因果関係に引きずられ、ガチガチで狭い「目標」を設定し、それを「制御」することに必死になってはいなかったか。そして、その「目標」に「居付く」ことによって、その「目標」以外の周辺世界を見ないようにしてはいなかったか、と。
それを実感したのは、ちょうど昨日の晩にやっていた、NHKの「世界ふれあい街歩き」を見たときのこと。ちょうどスウェーデンの首都、ストックホルムの旧市街、ガムラスタンから南の島、スルッセン近辺へとカメラが進んでいった際のこと。僕はストックホルムにではないけれど、スウェーデンに半年住んだこともあり、ガムラスタンやスルッセンには何度も出かけている。見知った風景もある。だが、そこで取り上げられたスウェーデン人の生活の一コマとまったくといっていいほど出会っていなかった。何度もスウェーデンに訪れるのに、スウェーデン人の友人はごくわずか。福祉の調査で出かけるのだが、調査するという「目標」の「制御」に「居付く」あまり、それ以外のスウェーデンのリアリティにぜんぜん気づけていなかったのだ。「木を見て森を見ず」とは、まさに当時の自分自身を指していたのである。「風が吹く」前の自分は、「偶有性」の大海から目をそらし、狭い範囲の「目標」に必死になってしがみついていたのだ。
そういう以前の自分自身の愚かさ、視野狭窄状態が今なら分かるが故に、次のフレーズも心に響く。
「そう簡単に、自分の正体を知られてはいけない。自分でも決めつけてはいけない。見通す事のできない暗闇の中に倒れ込み続けてこそ、私たちの生はその本分を発揮する。
見知った領域から離れた精神の異界への飛躍を敢行しなければならない。次から次へと。倦まずに、停まらずに。自らの存在を脅かされる時に、もっとも純粋な形で生の悦ばしき知識を得ることができるのだ。」(同上、p55)
僕自身、昔から「自分の正体」を「わかったふり」をして「決めつけて」いた。ある狭義の「目標」を設定して、そこに向けてのみ自分を投射する形で、自分自身への限定(呪縛)をかけていた。だが、この春の「偶有性」の「風が吹」きはじめて以来、「見知った領域から離れた精神の異界への飛躍を敢行」しはじめている。この「命がけの跳躍」(quantum leap)が僕をどこに運ぶのか、僕自身にはさっぱりわからない。だが、その「わからなさ」の中にこそ、「純粋な形で生の悦ばしき知識」があるのではないか、と感じ始めている。だからこそ、「わかる」範囲に居付くことをやめ、「見通す事のできない暗闇の中に倒れ込み」はじめている。
この「跳躍」によって、どこに運ばれるか、はわからない。でも、ふと振り返ればどこか知らない、以前とは違う地点に立っているのではないか、と予感している。そんな旅の途上である。

「物語」を紡ぐために

今日は久々に研究日らしい研究日。

大学の教員の仕事としては、教育、研究、社会貢献と3つの役割が一般的に課せられている。ま、それだけでなく、近年はどこの大学でも「学内業務」というのも時間・役割的にも重くなってきている。僕もご多分に漏れず、入試委員なので、明日の土曜日もオープンキャンパスで出勤。また、福祉業界は秋は研修が多いので、授業のない月曜とか金曜は、研修の講師をしている事も多い。例えばこの月曜日は、三重での市町職員エンパワメント研修だったし、来週月曜日は精神保健福祉ボランティアの研修、金曜日のサービス管理責任者研修初日。さらには来週火曜の午後は障がい者制度改革推進会議総合福祉法部会もある。そうそう、とある市の移動支援の会議の打合せも水曜日だったっけ。社会貢献も、大切な仕事だ。
そして、忘れてはいけない本業である教育も、後期が始まったので、もちろんエネルギーを注ぐ。後期は講義としては「地域福祉論」「ボランティア・NPO論」。あとはゼミ・演習系が4コマ。このうち「地域福祉論」は、生きづらさ、をテーマにし始めたらナラティブ論に進み始めているので、「当事者の語りから見える生きづらさとコミュニティ」をベースに再構築し始めている。自殺や精神障害、引きこもりに認知症、社会的排除やホームレス問題を全部扱おうとするので、かなり昨年度と結果的に内容を入れ替えてしまい、面白いけど予習が大変。また、「ボランティア・NPO論」は「もしドラ」のケーススタディーから入ったので、非営利組織のマネジメントをサブテーマに進める。これも、昨年とは違う展開なので、火入れが面白いけど、大変。さらに3・4年のゼミはいよいよ卒論に向けた議論がスタートし、毎週2コマぶっ続けで連続ゼミ。とまあ、ちゃんと教育も力をいれている。
すると、恐ろしい事に、義務や強制力が一番少ない所に、最もしわ寄せが来る事に。それはどこかって? 研究なのです。だって、やるのもやらないのも自由。共同研究だったらお相手から声がかかったり、依頼原稿だったら〆切もあるけど、それ以外については、勉強する自由(としない自由)があるため、忙しいとどうしても「先延ばし」。それが、自分自身の「知の劣化」に繋がると、ひしひし分かっていながらも、なかなか緊急・重要な案件に縛られ、「緊急でないけど重要」な研究が置いてけぼりになる。こういう事態が続いてきた。で、これではアカンと一念発起して、ここしばらく、海外の学会発表をしたり、査読に投稿をしたり、と、バーを自ら上げて闘って来たのだが、ようやく一区切り着いたので、ちょっとここらで「頭の中の棚卸し」。今日は〆切仕事から離れ、ここ最近気になる事象について、着想的に言葉を拾う旅に出たのだ。キーワードは「物語」と「メゾ」、そして「社会起業家」。少し、今日潜ってみたさわりを書いておきたい。
フックはツイッターからだった。ちょうど障害福祉領域における社会起業家についての論文の校正を終えた後、山梨県での相談支援専門員の研修会や三重県での市町エンパワメント研修などを通じて、あれこれ考えが沸き起こってきたのを、備忘録的にツイートしておいたのだ。たとえば、こんな感じ。
この5,6年、支援組織の改革や人材育成、自立支援協議会の支援などをしているが、どれもメゾレベルの支援という共通性がある。マクロな福祉計画、ミクロの個別援助の専門家はいても、メゾレベルの支援に長けた専門家やコーチが決定的に不足している。だから僕みたいな若造にもお鉢が回ってくる。
 
福祉分野の、現場に役立つ非営利組織論や組織開発、人材育成論が少ない。本人中心の個別支援計画の作成プロセスを通じた職員・当事者の相互エンパワメント、ミッションの(再)定義に基づく支援組織の改革など、考えるべき課題は沢山あるというのに。ま、批判の刃は自分にも突き刺さるのですが。
 
メゾの議論、というのは難しい。マクロの圏域・県レベルの全体像と、ミクロの個別の相談支援のリアリティの双方を理解した上で、その双方の解離を解きほぐす必要がある。ただ、ミクロとマクロは独自の動きを持っており、両者の出会いは同床異夢になる可能性が少なくない。どうすれば同じ夢になるのか。
 
メゾは一番理解されにくい。マクロな「大きな物語」も、ミクロの「個人の物語」も、他領域の人にもストーリーとして理解しやすい。だが、その二つがどうつながっているか、についての物語は、メタ物語的であり、下手をすれば「空理空論」「タコツボ理論」になりやすい。つなげる物語のリアリティとは?
 
「以前の活動家は外からの変化を求めてアクションするのに対して、社会起業家はシステムの内と外の両側からの変革をもたらそうとしている」というフレーズを、ボーンスタインのSocial Entrepreneurshipの中に見つけた。今、活動家ではなく、社会起業家を目指す自分がいた。
 
この1週間の自分のツイートをいくつか抜き出してみたが、ツイッターは思考のフックとしては適した媒体だと改めて感じる。140字というのは、書けないようでいて、そこそこの内容が伝えられる。まとまった内容以前の、アイデア出しの段階で、インタラクティブに考えを深めていけるのも、このツイッターの魅力なような気がする。妻からは「ついったーヒロシ」という嬉しくないあだ名を頂いてしまったが、決して遊んでばかりいるわけではありません(笑)
閑話休題。
前々回のエントリーで村上春樹の物語論に触れていたが、小説家が自身の内奥から沸き上がるストーリーの具現化を目指すとして、研究者である僕はどういう立ち位置で、何を書きたいのだろう、とずっと考えていた。ちょうど、1週間前にはこんな事も書いていた
僕自身にとって、ある物語を、それが論文という形式を通じてであれ書くことの切実さ、を感じ始めている。今は少し疲れたので、これから
再びインプットの時期に戻るつもりだが、また遠くないどこかで、次の物語を書きたい、と漠然と思っている。どういうテーマになるかは、まだ内的必然性を持って迫ってこない。でも、書くべきときに、書くべきことを、書き残しておきたい。
僕によって書かれることを求められている「物語」とは何だろう。そう1週間前に問いかけて(外在化させて)みた。そして、この一週間の間に浮かび上がってきたのが、どうやらメゾレベルの物語であるらしい、ということだ。というか、僕自身がずっと興味関心を持ち、かかわり続けているのが、このメゾレベルの物語なのである。それに関連して、今朝めくっていた本の中で、興味深いフレーズに出会う。
「臨床的知識と科学的知識が別の観点のものであることは、末期的状況を考えてみれば明白です。<何が道理に適っているか(reasonable)>と<何が筋道が通っているか(logical)>は別物です。(略)<語り>があつかう知識も、状況のもつさまざまなロジカルな矛盾のなかでリーズナブルな解を探すものです。<語り>の生み出す知識は、ロジカルなものではないとすれば、状況というパラドックスに満ち、多義性や曖昧さに溢れた複雑さに直面し、人間の分厚さ、豊穣さを知る具体的な人間だけが、相互に打ち合うことによって発展させることができるものだということになります。」(高井俊次「ことばが人に届くとき」『語りと騙りの間』ナカニシヤ出版 p16)
「状況のもつさまざまなロジカルな矛盾のなかでリーズナブルな解を探す」というフレーズは、僕自身がずっと追いかけて来たことである。例えばとある福祉組織の組織論的な問題に取り組んだ事があったが、これも、その施設の職員達の<語り>の中から、「リーズナブルな解を探す」取り組みの一つであった。あるいは、山梨や三重でやっている地域自立支援協議会の立ち上げ・運営支援も、その地域毎によって違う、「状況のもつさまざまなロジカルな矛盾のなかでリーズナブルな解を探す」場とそこで探索する主体者のエンパワメント支援をし続けているのかもしれない。そして、それは現場で求められている「相手と共に語る」専門家の人材育成に絡む事でもある。
「専門家は専門家としての知識や意見があるにもかかわらず、それが相手を黙らせてしまわないのなら、共同の目標に向かうための資源に活用されるのなら、『会話のパートナー』になれるはずです。それは、水平かつ民主的、権威的や父権的ではない関係の中で、会話は成立し推進力を得て行きます。両者にとっての未知の領域に足を踏み入れることが可能になります。」(野村直樹『ナラティヴ・時間・コミュニケーション』遠見書房 p58)
この「会話のパートナー」という発想は、もちろん本人中心という意味で、個別支援の際には大切なポイントであるだけでなく、地域作りというメゾレベルにおいても、非常に大切だと思う。今、地域自立支援協議会がうまく行っている所とうまくいっていない所の差も、実はここにあるのではないか、と思う。例えば行政の担当者が、マクロレベルの福祉計画や財政のみに目を奪われ、ミクロレベルの当事者・支援者の<語り>を「よくわからない」と突き放したり、逆に「わがままだ」と耳を塞いだり、「指導しなければ」と上から目線で考えていれば、どうしたって垂直関係になる。一方、ミクロレベルの当事者-支援者関係が水平でなければ、マクロレベルの行政担当者が「そういうものだ」と思いこむのも無理はない。つまり、ナラティブセラピーに代表される「物語的真実」とは、個別支援の部分だけでなく、地域の社会資源作りのコンテキストにおいてもすごく大切ではないか、と思い始めている。そう、僕が今まで出会ってきた「地域を変える先駆者」って、「共有出来る物語」を産み出す語り部でもあった。
こう考えてみると、実はメゾレベルで地域を変えている人々は、社会的起業家(Social Entrepreneur)でもあるのだ。そういえば、社会的起業家について最も定評ある定義を用いると、社会起業家は次の5つの行動を通じて、社会セクターにおけるチェンジ・エージェントの役割を果たすという(Dees2001:4)
・(単なる私的な価値ではなく)社会的な価値を創造し維持する使命を採用する
・そのミッションに貢献する新たなチャンスを認識し、執拗に追求する
・継続な創造、適応、学習のプロセスに従事する
・現在手に入る資源に限定されることなく、大胆に行動する
・対象とする顧客層への、また創造する結果に対して高い説明責任を果たす
この中で、「社会的な価値を創造し維持する使命」とは、これもひとつの「物語」とみなすことが出来る。その地域のローカルなコンテキストに基づきながら、「現在手に入る資源に限定されることなく、大胆に」望ましい、あるべき姿を模索する「物語」。専門家と当事者が「共同の目標に向かうため」の道しるべとなる、そんな「物語」。そういう「物語」を紡ぎ出そうという使命がある人間だからこそ、「状況というパラドックスに満ち、多義性や曖昧さに溢れた複雑さに直面し、人間の分厚さ、豊穣さを知る具体的な人間だけが、相互に打ち合うことによって発展させることができる」存在に昇華していくのではないか。そう考え始めているのである。
まだ今日はとっかかりなので、決してブログの文章もこなれてはいない。だが、メゾレベルで物語を紡ぎ出す社会起業家が障害者福祉領域にこれまでもいた、だけでなく、これからも求められるのではないか、と思っている。それは、当事者・家族・支援者・行政・・・どういう立場であってもいい。少なくとも民主的・水平的な「会話のパートナー」として、メゾレベルの場を切り盛りしていく存在。その中で、その地域における解決が困難な事例を、地域のシステムとして昇華させていく「物語」を紡ぎ出せる存在。あるいは、地域の中でバラバラになった夢や関係を紡ぎ直し、共有出来る「物語」として再構築出来る存在。そういう存在・物語について、もう少し整理したり、追いかけたりしなければいけない。今日、一日のんびり考えていて、ここまでは整理出来た。

溺れずに泳いでいくために

一昨日は東京、昨日は三重と仕事続き。なので、今日は身体がだるい。火曜は東京の仕事が良く入るが、今日はたまたまその予定もなく、1限の講義の後も、学内でなんやかやと雑用をしている。なので、お昼の時間にアップ出来る。

さて、一昨日は東京駅でI先生とワインを二本も飲んでしまった後、津まで向かったのだが、近鉄電車で乗り過ごしてしまうし(幸い戻って来れた)、気がついたらipodくんが探しても見つからないし、とんだ顛末だった。昨日仕事の合間に、新幹線にも近鉄にもタリーズにも飲み屋にも会議場にも電話したけれど、どこからも出てこず。まあ、なくした直後に何となくご縁が切れたような気がしてしまったので、やっぱり…と思いつつ。しかもipodくんは第6世代に移行していて、小さくはなったけど、バッテリーの持ちも悪くなったとか。ごめんよ、以前のipodくん。離別して知るその有り難さ。
気を取り直して、音楽なく松坂から東京にまで戻り、「かいじ」乗り継ぎの途中で寄った本屋で見つけた一冊に引きこまれ、久し振りに一気に読み終えてしまう。
「自分の交際範囲の構成者とその連なりのパターンは、かけがえのなく世界に唯一のものである。人々が一人一人固有に持っている、過去からの人間関係の蓄積。それまでの生涯で出会った他者が与えたすべての影響の結果として、私たちは存在している。それはアイデンティティともパーソナリティとも見なしうる。私はこれを『ネットワーク・アイデンティティ』と呼んでいる。(略)ネットワーク・アイデンティティこそが、その人の行動や思考を形作り発動させる。あなたが日本語をしゃべるのは、たまたまあなたの両親や周囲の人々が日本語を話していたからにすぎないのだ。あなたの言語しかり、動作や、趣味しかり。能力や資質でさえ、生まれて以来、出会ったありとあらゆる人々とのインタラクション(相互作業)の賜だ。」(『「つながり」を突き止めろ』三宅雪著、光文社新書p42-43)
ネットワーク・アイデンティティが行動の準拠枠にある、という視点は、言われてみたら確かにそうだよな、と思う。自分の行動や思考のかなりの部分は、「出会ったありとあらゆる人々とのインタラクション(相互作業)」の中で形成されている。著者が言うように、能動的に切り開ける「誰かとの繋がり」だけでなく、管理やコントロールしにくい「誰かからのつながり・影響」も含めて、多くのネットワークの網の目の中で、自分が形成されてきた。家族や学校の担任などは、自分から選べないような「誰かからの繋がり」だし、友人関係を作り直したり、転職したり、ひっこししたり、等はネットワーク・アイデンティティの能動的リセット、ともいえる。
ちょうど今日の地域福祉論では「ひきこもり」についてべてるの家の「ひきこもりのすすめ」というビデオを観ながら考えるコマだったので、早速このネットワーク・アイデンティティの概念を講義の説明の中に取り入れてみた(まさにfrom hand to mouthそのものだ)。現前にあるネットワーク・アイデンティティに対して疑問や怒り、辛さや不満を持った時、尚かつそのネットワークを能動的に切る(=筆者なりに言うと「橋を燃やす」)ことが出来ない人の場合、自発的に・あるいは何となく、そのネットワークから退却すること。それが「社会的ひきこもり」の一つの側面とは言えないか、と。あるいは引きこもるのも、「橋を燃やす」行為の一形態か、とも。
現にビデオに出てくるべてるの家の当事者のみなさんは、浦河に来たら話せるようになった、つながるようになった、と複数の人が述べている。切れてしまったネットワークの再生が、セルフヘルプグループのような「わかちあい」の出来る場だからこそ出来るのではないか。そういうインキュベーションの器にたどり着かない限り、これまでの自分のネットワーク・アイデンティティに納得も積極的再構築も出来にくいからこそ、「ひきこもり」という形での積極的な行動化に出るのではないか。また、逆に言えば、日本社会のネットワークに対する同調圧力の強さが、自殺や引きこもりといったそのネットワーク・アイデンティティからの「逃走」「退却」を助長しているのではないか、と。
ただ、そうはいっても、このネットワークには、直接対面したネットワークだけではなく、本当は本や映画などの二次元ネットワークの影響も入れた方がいいような気がしている。例えば僕の今の仕事のスタンスは、実際に師事した指導教官や親しくさせて頂いている諸先輩方といったリアル空間のネットワークから、もちろん大きな影響を受けている。だが、僕自身の生き方・考え方は、こういったリアルネットワークだけでなく、このブログにも何度も紹介しているが、全巻を読み続けた村上春樹、池田晶子、内田樹といった作家からも、文章を通じて大きな影響を受けている。お三方とも勿論逢ってみたいが、池田晶子さんは会わないうちに夭逝され、村上春樹氏や内田樹氏とも今のところネットワークでつながっていない。しかし、つながりのある程度深い友人よりも、僕はこのリアルな繋がりのない3者から大きな影響を受けている。そして、これらの著者が僕と同じように本を通じて多くの影響を受けているドストエフスキーやソクラテス、レヴィ=ストロースからも、間接的に大きな影響を受けているし、改めて自分で読んでみても大きな出会いを感じている。
そう考えると、一方的な出会い(ファン)も含めたネットワーク・アイデンティティが自分自身なんだな、と改めて感じる。先の社会的引きこもり論に戻ると、リアルな世界でのネットワーク・アイデンティティから一度退却した引きこもりの当事者は、ネットやビデオ・ゲーム、漫画や映画といったネットワークの網の目の中で何とか自分を保っている、という。このあたりも、現実のネットワークからの遊離を、バーチャルなもので代用しているという実態と、それだけでは代用出来きれない限界、また実際のネットワーク・アイデンティティを再構築したいけど出来ない、という当事者の想いとズレ、なども見えてくる。
ついでに言えば、バーチャルな世界でのネットワークが、自分自身のアイデンティティにとっての大きな構成要素となるためには、リアルな世界でのネットワーク・アイデンティティとのインターアクションを通じての活性化が必要なのかも知れない。単にゲーム好き、マンが好き、読書きです、というだけでなく、実際にその作家からの影響を何らかの形で外在化させ、現実の言動の中に入れ込み、それを通じた他者とのコミュニケーションの中に反映させることを通じて、初めて自分自身のネットワーク・アイデンティティに昇華するのかもしれない。
今年僕は特に意識して、これまで読まなかった新たなジャンルの本を取り入れようとし、自分の可動領域を拡げようとしている。その中で、新たに「つながった」人だけでなく、本や考え方も少なくない。そして、気づいた中身をこうやってブログやツイッターに書きながら、またその書いた内容についてメールやツイッター、お会いした方との議論などを通じて影響を受けながら、変容の途上にいる。また、国の制度改革推進会議にコミットすることになった結果として、「自分に向けられていて自分がまだ気がついていない、他者からの潜在的な援助や愛情、避けるべき悪意や妨害も含めて、他者から自分に向けられてくる関係」(同上、p235)も加速度的に増えていると感じている。
関係づけ、関係づけられる。このインターアクティブな関係の大海の中で、溺れずに泳いでいくために、改めて自分から外部に求めるネットワークの意識化、だけでなく、「行為者が受けている関係、そして関係の性質」(p237)にも目を向けねば、と気づかされた一冊だった。

「書き残さなくてはならないもの」

昨日、「最後の夏休みの宿題」を脱稿。夏休み明けに宿題を泣きながらやる学生そのものの気分が、ロンドンから帰って1ヶ月、ずっと続いていた。へとへとだった。

何だか今年は様々なものが一気に引き寄せられる。国際学会に7月8月と連続で出かけたのだが、エントリーする時には、そんなに忙しくなるとは思いもしなかった(いや、少しは想像しろよ、と突っ込みたくもなるが・・・)。そして9月は半月ほどスウェーデン→イギリスと調査旅。
そんな中で、4月から7月に書き続けた論文2本の査読が、スウェーデンに発つ直前と、イギリスにいる間に帰ってきて、「若干の修正をすれば掲載可」と言われる。ただ、査読者のコメントを読んでみると、どちらも「ある程度書き直した方が良いよ」というメッセージ。頭の固い僕は、パッと文面を読んだ時、全面的な改訂を求められているのかと勘違いし、目の前が真っ暗になる。だが、こういう時に、「大阪のお母さま」と敬慕する方から言われた、頭に入ってくる秘密を思い出す。「頭に入ってこうへん文章は、一字一句違わず書き写してみたらいいのよ。」 この助言を思い出し、コピペをせずに、査読者の文章を一字一句、ワードで書き写す。すると面白いもので、査読者の方が、どういう論理展開で、どういう思いで、この文章を書いているのか、がジワジワこちらに伝わって来るではないか。更に言えば、どちらも「もうひと頑張りしたら良くなる」という励ましの思いまで伝わってくる。
なので、ロンドンから帰国した後、まずは査読者の思いを理解した上で、何度もそのコメントを読み直し、対話するつもりで、自分の文章を削って、新たな視点を書き入れていった。そう、ワインバーグの文章作法について書いた以前のブログを思い返しながら、15%くらい文章を削り、指摘されたポイントについて、自分なりのレスポンス(応答)という形で書き入れていく作業。削った中身については、結構自分の主張やこだわりが全面に出ている部分も含まれていたのだが、逆にそれに囚われて、文全体の主旨から逸脱しているようにも見えるところは、バッサリと切った。だが、ワインバーグ氏の言う「たまねぎ風味のバター」よろしく、「もうそこにない言葉の風味がとじこめられている」言葉や文章の方が、味わいが深くなったような気がする。そんな書き直し作業を、この1ヶ月、ずっと続けながら、間に12000字の依頼論文も書いていたので、本当に書く事に追いつめられたような1ヶ月だった。
だからこそ、前回にも引用した村上春樹インタビュー集に出てくる文章論には、本当に引き込まれている。彼の本は時期を置いて何度か読み返すのが通例なのだが、今回は間をおかずに読み返している。その中で、ちょうど文章書きに一区切りが着いた今だからこそ、ビビッと来る部分がある。
「僕に言えるのは、音楽を作曲したり、物語を書いたりするのは、人間に与えられた素晴らしい権利であり、また同時に大いなる責務であるということです。過去に何があろうと、未来に何があろうと、現在を生きる人間として、書き残さなくてはならないものがあります。また書くという行為を通して、世界に同時的に訴えていかなくてはならないこともあります。それは『意味があるからやる』とか、『意味がないからやらない』という種類のことではありません。選択の余地なく、何があろうと、人がやむにやまれずやってしまうことなのです。」(村上春樹『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』文芸春秋 p177)
これは欧米の研究者の世界で言われる”publish or perish”(書くか、消えるか)というのとは、性質が違う表明だ。この”publish or perish”というのは、あなたが発見した事を書かなければ、あなたの業績は誰にも記憶されない、という意味合いがある。「発見した事」に焦点化しているようでいて、結局は「あなたの業績」という属人的要素に還元する論理が見え隠れする物言いだ。だが村上春樹氏は、自身の小説を指して、「人がやむにやまれずやってしまうこと」という。つまり、書き残される事を求めるストーリーを、媒介者として立ち上げていく、というのが、彼のメッセージである。もちろん、そこに村上春樹という人物を通じて、という属人的要因がかなり絡んでいる。だが、それが優先順位の第一位ではなく、あくまで立ち上がる物語が第一位にある、という点が、先の”publish or perish”とは大きく違う点だ。
そう考えていくと、ささやかながらこの1ヶ月間で書き直していた論文という名のストーリーについても、それも書いている私より、書かれている対象世界について、「書き残さなくてはならないもの」という思いを強く持って書いた内容だった。どちらも僕が沢山の事を学ばせて頂いた現場・人物のストーリー。僕はそれを小説という形式では書けないので、事実と理論から構成される論文という媒体で書き表した。そこには「客観性」「再現性」などのルールがある。そのルールを守りながらも、「たまねぎ味のバター」のように、自分自身の両者への思いを仮託させながら書き直した。そういう意味合いでは、村上春樹氏と立っている場所は勿論違うけど、自分なりに書くという事に真剣に向き合った1ヶ月だったような気がする。だからこそ、次のフレーズも、今の僕には、よくわかる。
「本を書き終えたあとの僕は、本を書きはじめた時のぼくとは、別人になっている、ということです。小説を書くことは、僕にとって本当にとても重要なことなんです。それはたんに『書くこと』ではありません。数ある仕事のうちのひとつというわけにはいかないんですよ。あなたがおっしゃったように、それは通過儀礼のひとつのあり方でしょう。さまざまな障害に直面する主人公とともに、僕も進化するんです。」(同上、p155)
僕自身、どれほど進化したかどうか、別人になっているほどその論文世界に入り込めたか、というと、正直覚束ない。だが、その通過儀礼を経て、少なくとも「たんに『書くこと』ではありません」という心境については、自分事として理解出来るようになってきた。僕自身にとって、ある物語を、それが論文という形式を通じてであれ書くことの切実さ、を感じ始めている。今は少し疲れたので、これから再びインプットの時期に戻るつもりだが、また遠くないどこかで、次の物語を書きたい、と漠然と思っている。どういうテーマになるかは、まだ内的必然性を持って迫ってこない。で
も、書くべきときに、書くべきことを、書き残しておきたい。この1ヶ月を経て、気づけばそう思い始めている自分がいる。