「親亡き後」をぶっ壊す「共事者」

最近、読み始めたら止まらない、オモロイ本を読み続けている。今日もそんな一冊のご紹介。

「ぼくは、被災地と呼ばれる場所で暮らしてきて、この『当事者』という言葉に翻弄され、複雑な思いを抱いてきた。当事者の存在を肯定・尊重し、当事者同士がつながりを持つ場を守りつつ、外側の人たちを『非当事者』にすることなく、自分にもある当事者性を自覚し、課題解決にゆるっと解決できるような、中途半端な立場を肯定的に捉えられる言葉があればいいと思うようになった。そこで生まれたのが『共事者』という言葉だ。
『共事』は、当事者性の濃淡や関与の度合い、専門性の高低などを競わない。素人や部外者、ソトモノの価値をもう一度見直しながら、当事者性を、遠くに、そして水平方向に拡張していく。ふまじめで個人的な興味や関心、『いるだけでいい』という低いハードル、だれもがワクワクする課題を社会に開き、既存の当事者の枠を超える新しい関わり方をつくり出すと考えている。」(クリエイティブサポートレッツ+小松理虔『ただ、そこにいる人たち:小松理虔さん「表現未満、」の旅』現代書館、p124)

小松理虔さんは福島県いわき市在住のローカルアクティビストであることは知っていたし、新聞などで彼の記事を読んでいたのだが、この本は積ん読本だった。ちょうど近々直接お目にかかるので目に通しておこうか、と消極的な理由で読み始めたら、抜群に面白くて、一気読みしてしまったのだ。

この本は、小松さんが静岡にある障害者支援の現場、クリエイティブサポートレッツに「観光」に訪れ、毎回そこで感じたことを原稿にした報告書を基に作られた本である。その支援現場の面白さについて紹介する前に、まずこの「共事者」という視点の良さを考えてみたい。

僕は障害者福祉を研究対象にして25年ほど経つが、いつも、どういうスタンスでいるのか、を表現するのは難しかった。現時点では、自分自身に障害があったり、家族に障害者がいた訳ではない。そういう意味では「当事者性」が低い。でも、非当事者と分けられるよりは、事情は知っている。とはいえ、障害者福祉の専門家と言われると、そうでもないような気がする。非当事者の仲間としてアライ(ally)という言葉も最近出てきたが、それがまあまあしっくりくる。でも、カタカナだしなぁ・・・、とモヤモヤしていたのだ。

そんな僕自身の立ち位置の中途半端さを見事に肯定してくれる「共事者」。「自分にもある当事者性を自覚し、課題解決にゆるっと解決できるような、中途半端な立場を肯定的に捉えられる言葉」というのは、実に素敵な言葉だと思う。そして、共事者という言葉は、当事者/非当事者という二項対立を切り開く可能性を持っている。

「ふまじめで個人的な興味や関心、『いるだけでいい』という低いハードル、だれもがワクワクする課題を社会に開き、既存の当事者の枠を超える新しい関わり方をつくり出すと考えている」

この「ふまじめさ」というか、「真面目も休み休みに」という視点が大切なのだと思う。被災地支援なんかでも、しばしば「当事者が悲惨な状況なのに不謹慎だ」という言葉がネットを飛び交う。でも、その当事者を代弁する「巫女」的な言葉遣いが、僕は嫌いだ。当事者に寄り添う気持ちが問題なのではない。「当事者に寄り添えていない」「こんな時に楽しんでいる」「空気を読めない行動をするのは不謹慎だ」・・・と、他者を断罪する姿勢が嫌いなのだ。実際、小松さんは福島で被災した当日、家族で缶詰パーティーをして楽しんでいた、という。そう、被災当事者だって、楽しんでよいのだ。

その上で、当事者という言葉に付随する「支援する・される」という関係性も、小松さんは括弧にくくろうとしている。「する・される」の関係性は、する側がパワーを持つので、気づけばされる側が支配される、という支配関係に簡単に転化しやすい。でも、支援関係を結んでいる訳ではないので、その現場で『いるだけでいい』という関係性。そこに、「新しい関わり方」の可能性があるというのだ。

それは小松さんの「当事者体験」による。

「福島を楽しみ、味わいつくし、その土地の歴史をふまじめに楽しむうち、震災や原発事故に接続してしまい、結果的に、その被害の大きさを知り、犠牲に対する慰霊や供養につながり、社会を見る目が変わったり、ライフスタイルを改めるきっかけをつかんでしまったり、復興の今を知ることにつながってしまう。最初は興味本位や物見遊山だったのに、その人の人生を変えるようななにかを受け取ってしまう。そんな回路を、小さくてもぼくはつくろうとしてきた。」(p77)

このうっかりさがいいな、と読んでいて僕は感じた。真面目な被災地支援は、今は能登地震の緊急避難期だが、本当に必要とされている。一刻も早く避難所への物資がしっかり運び込まれ、仮設住宅や、ホテルでの仮住まいなど、生活の質が向上し、被災者の生活再建が進んでほしい。それは真面目にそう思う。

でも、阪神淡路や中越、東日本、熊本など様々な被災地で、一定の時間が経つと大切なのは、震災後の街の賑わいをどう取り戻すか、である。そのとき、関係人口というか、その街に興味をもって、関わるよそ者の存在が大切になる。そして、そのよそ者は、興味本位で「ふまじめ」であってもよい。でも、そうやって楽しんだり味わったりしているうちに、「うっかり」被災状況とか、現地の歴史を知ってしまう。「最初は興味本位や物見遊山だったのに、その人の人生を変えるようななにかを受け取ってしまう」。ふまじめな関わりから、うっかり「共事者」になってしまう。このプロセスを、東浩紀氏の言葉を借りて、小松さんは「観光」の「誤配」だという。観光のつもりでやってきたのに、うっかりその土地の「共事者」になってしまう。そういう「誤配」が大切だ、と。そして、小松さんがオモロイのは、クリエイティブサポートレッツという福祉現場にうっかり訪れ、「福祉の誤配」に直面するうちに、共事者になっていく、そのプロセスがしっかり綴られている点である。

あるとき小松さんがレッツを訪れたら、言語表現が苦手な太田くんとこうちゃんが、梅雨明け前の7月の暑い日、庭の水道脇の桶で水遊びをしていた。あまりに楽しそうだったので、「思わずちょっとふざけたくなってきた」小松さんは、自分のサングラスを二人にかけてあげる。すると、「香港映画に出てくる怪しい中華料理屋にいそうな太田くん」(p107)になったので、その写真をパチリとる。この写真を見ながら、僕はゲラゲラ笑っていた。その横のページにはこんなことが書いてある。

「そこには『正しい支援』があるのかもしれない。けれど、こんなことをしたら怒られるんじゃないか、これはふさわしい支援じゃないのでは?みたいなことを気にして目のまえのふたりとコミュニケーションする機会を失うより、いま感じている『ノリ』みたいなもので接した方が健康的だし楽しいはずだ。ぼくは上機嫌でシャッターを押して、ふたりのニセ香港スターを撮影した。ふたりは小一時間ほど水浴びして、顔に水をかけたり、ぽちゃぽちゃ水の感触を楽しんだりしていた。隣にいる蕗子さんは、なにか起きたときにすぐに動けるようにしながら水浴びをしていた。なんというか、ものすごくハッピーな空間だなと思った。」(p106)

小松さんはレッツに遊びに来たヨソモノである。でも、彼が来た時に、水浴びしていた当事者二人があまりに面白そうだったので、非当事者ではなく共事者として、サングラスを渡してみる。すると、怪しい中華料理屋にいるニセ香港スターに変身して、みんなでゲラゲラ笑いながら、大撮影大会をする。ふまじめだけれど、ものすごくハッピーな空間だ。ただ、支援が必要な二人なので、支援者の蕗子さんはちゃんとそばに居る。でも、その蕗子さんも暑いので、「なにか起きたときにすぐに動けるようにしながら水浴びをしていた」という。蕗子さんも支援者なんだけれど、共事者として、そこで一緒に遊んでいる。でも、独りよがりになるのではなく、それとなく二人を観察し、見守っている。こういう感覚が、めっちゃええな、と思ったのだ。

そんなレッツに集まっている皆さんは「表現未満、」な状態である。

「ぼくはこう考えている。『表現未満、』とはメガネのようなものだと。それをかけると、『表現以上』の世界で『迷惑行為』とされたものがなぜか許容され、社会的な価値や意図や目的や成果から抜け出した本来の『その人らしさ』がじわじわと浮かび上がって見えてくる。蕗子さんがこうちゃんの水浴びを『飽くなき探究心』といったことにも似ている。『表現以上』の領域からではなく、『表現未満、』つまりその人の本来の『らしさ』を見ようとする、そんなメガネ。」(p31-32)

こうちゃんは水に強いこだわりを持つ。支援者が止めても、ポケットに水を入れたり、下着を濡らしたりする。これは「『表現以上』の世界で『迷惑行為』とされたもの」である。支援者からすると、何度も着替えさせなければならないので、面倒である。でも、「こうちゃんの水浴びを『飽くなき探究心』」と支援者の蕗子さんがラベルを貼り替えると、違う世界が見えてくる。「『表現以上』の領域からではなく、『表現未満、』つまりその人の本来の『らしさ』を見ようとする、そんなメガネ」で捉えたら、その探究心に付き合うのも、蕗子さんの支援という仕事の一つになってしまうのだ。だからこそ、先に紹介した水浴びは、こうちゃんの遊びであり、かつ「飽くなき探究心」の発露であり、それを生活介護という障害者支援の一形態で、蕗子さんは支援している。本人を矯正したり、社会的に好ましいやり方に強要するのではなく(社会的な価値や意図や目的や成果を脇に置き)、ご本人の「表現未満、」な「その人らしさ」に付き合う。だからこそ、「なんというか、ものすごくハッピーな空間」ができあがるのだ。

これは、「ふまじめさ」をもった「共事者」としての小松さんや蕗子さんがいたからこそ、できあがった偶然のエピソードだ。でも、そういう風に現場を作り上げていくことが、このレッツの魅力だと感じる。レッツの代表者、久保田翠さんは、こんな風に語る。

「この事業の肝は『他者』だ。親でもない、介助者でもない、普通の友だちのような知り合いのような人たちがどれほど入り込んでいくか。そしてもう一つ肝なのが『親が考えない』ことだ。つまり、私が考えないこと。親の都合で作らないこと。彼らの第一の理解者、代弁者を『親』と考えないこと。『親亡き後』という言葉がある。『親の死後、わが子が路頭に迷わないために今からなんとかする』といった親心を象徴した言葉。しかし私は『親なき後をぶっ壊せ』と言っている。」(p214-215)

翠さんは、レッツの利用者たけちゃんの母親である。美大の建築学科に進み、大学院で環境デザインを勉強した後、都市計画や地域計画のデザイナーとして働いていた翠さんは、重度知的障害を持つたけちゃんを産んだ後、仕事を辞め家に引きこもっていた。そんな閉塞感を超え、「私自身が生きていくためにレッツという現場が必要だった」(p286)。表面的に見ると、重度障害のある人を受け入れてくれる福祉施設がないから、母親が作った、というストーリーに見える。そして残念ながら日本は国が積極的に動かないので、翠さんのように、わが子がしっかり受け止めてもらえる場を自分で作る家族が沢山居る。その時に、「親亡き後のわが子の幸せを考えて」という「親亡き後」のフレーズはそういう家族が作った施設で、必ず聞く言葉でもある。

でも、翠さんは『親なき後をぶっ壊せ』という。この言葉は、入所施設や精神病院の研究をしてきた僕にとっても衝撃的だった。日本の障害者福祉は、「家族丸抱えか、施設に丸投げか」の二者択一である。そんな現実を「ぶっ壊す」ためには、「障害者の親」という重い十字架をひっくり返す必要があった。それが、「私が考えないこと。親の都合で作らないこと。彼らの第一の理解者、代弁者を『親』と考えないこと」である。これは非常にロックな、既存の福祉的価値観の破壊をも意味する。

実は、日本では家族丸抱えの現実を変えるために、障害者の家族(親)が集まって、多くの作業所や通所施設、入所施設を作ってきた。でも、その時の親たちは、特に子どもが重度障害であればあるほど、親こそが第一の理解者であり、代弁者である、と考えてきた。これは、国が無策だから仕方ない側面もあったが、非常に危うい発想である。本人の都合より、代弁者である家族・親の都合が優先されることで、本人と親が利益相反関係になる可能性があるからだ。そういう意味で、家族が代弁者となり続けると、支援は閉塞的になり得る。その論理を知り尽くした、重度知的障害を持つたけちゃんの親でもある翠さんは、発想の転換、というか、別の論理を構築し、実践する。

「この事業の肝は『他者』だ。親でもない、介助者でもない、普通の友だちのような知り合いのような人たちがどれほど入り込んでいくか。そしてもう一つ肝なのが『親が考えない』ことだ。」

この二つがどれほど大切か。

障害のある子どもの親が責任を背負いすぎている。その現状を変えていくためには、「親でもない、介助者でもない、普通の友だちのような知り合いのような」「他者」が「共事者」として関わっていく必要がある。だから、レッツには、支援者以外のアーティストや見学者を大歓迎している。その上で、親の代行決定ではなく、他者と支援者と本人が共事者として関わり、協働決定していく。実際、たけちゃんは金髪になったのだが、それは親の願いでなったのではない。一緒にたけちゃんと遊んでいた「共事者」が、金髪の方が格好良くない?という発想からはじまったのだ。そして金髪になったたけちゃんは、みんなに褒められてまんざらでもなさそうだった、という。

親だと保護的になりやすい。でも、原則的に親は子どもより先に死ぬ。その後の「わが子の幸せ」を親が保証することはできない。だから、入所施設を作って三食昼寝付きの生活保障が大切だ、と頑張った親も居た。でも、たけんちゃんの親の翠さんは、あくまでもたけちゃんの「表現未満、」を大切にしたかった。すると、その「表現未満、」に寄り添って、面白がって関わり合う共事者を増やしたかった。だからこそ、『親が考えない』ことを大切にしながら、レッツを作ったのだ。

「レッツでは、利用者がどんどんまちに遊びに行きます。まちの中に行かないと社会は変わりません。問題が起きないと社会は変わろうとしないんです。健常者とはちがう目線や感じ方を持っている彼らがまちに出ることで、波が立つようにあちこちに問題が起きる。それによっていろいろな人が考えたり、見方を変えたりする。だから問題を起こすのが彼らの仕事です。」(p69)

これも翠さんの痺れるような発言だと書き写していて、感じる。『表現以上』の世界で『迷惑行為』とされたものを、たけちゃんやレッツの当事者は持っている。そういう意味で、 「健常者とはちがう目線や感じ方を持っている彼らがまちに出ることで、波が立つようにあちこちに問題が起きる」。翠さんはたけちゃんの母親として、何百回何千回と謝り続けてきたのだと思う。でも、その上で、たけちゃんやこうちゃんの有り様を変えようとはしない。変えようとしたのは、私たちの「メガネ」の方である。「表現以上」の世界の外側にあるなにかを「表現未満、」とつけることで、この「、」のあとに続く世界に余白を作り出す。その余白から、「それによっていろいろな人が考えたり、見方を変えたりする」。実際、ケーズデンキが好きな利用者達が、展示品で遊んでいるのを、店員達が遠巻きに見ている。これは、まさに「それによっていろいろな人が考えたり、見方を変えたりする」可能性を秘めている。だからこそ、「まちの中に行かないと社会は変わりません。問題が起きないと社会は変わろうとしないんです」「だから問題を起こすのが彼らの仕事です」と言い切る。

今の日本社会を生きる若者達は、「迷惑をかけるな憲法」に縛られていると、拙著『ケアしケアされ、生きていく』のなかでは描いた。レッツの当事者は、そんな「迷惑をかけるな憲法」に縛られていない。すがすがしいほどに、この憲法に違反して生きている。それは「表現以上」の世界でみたら、そうなる。でも、そもそもあなたも私も、人は生きていたら、迷惑を掛け合う存在だ。にもかかわらず「迷惑をかけるな憲法」に縛られ、それを守らないと「問題行動」「困難事例」とレッテルを貼られることの方がおかしい。その意味で、レッツの皆さんが街に出かけることで、「問題を起こす」という彼らの仕事」を通じて、私たちの縛られている「迷惑をかけるな憲法」に自覚的になれる。それってしんどいよね、と思った人が、共事者になり、「それによっていろいろな人が考えたり、見方を変えたりする」。そういう展開こそ、ふまじめだけれど、めっちゃ可能性があるのではない、大真面目なインクルーシブ社会のありようではないか、とも思う。

今の障害者福祉は、多くの支援者が真面目で「いい人」であるがゆえに、制度に雁字搦めになってしまい、遊びや余白、ふまじめさに欠けていると思う。「世間にとって都合のいい子」を「脱『いい子』」して、「共事者」として楽しみ合う、オモロイ関係を作るのがすごく大切だと思う。

最後に、小松さんが捉えたレッツの活動の魅力を四点、抜き書きしておく(p222)。

1,社会の側に障害を顕在化させ、ぼくたちに考えさせる。
2,家族や支援者といった閉じた環境に外部を挿入する。
3,本人の周囲にある「当事者『性』」を外し、だれもが共事できる環境をつくる。
4,その人らしい人生や暮らしを、ともに見つけ、ともに歩める社会を増やす。

僕はこれからの福祉や、あるいは福祉教育のこれからを考える際に、この4点は欠かすことのできない鍵になると思う。

僕もレッツの観光事業「タイムトラベル100時間ツアー」に参加してみたい!

『個人で生き延びろ』は嫌だ!

正月は濃厚な読書が続いてきた。

「個人化を問う『能力の共同性』と、資本主義を問う『存在承認』が、本書の未来に向けたキーワードになっています。本書では、能力の共同性を新しく定義しなおし、『能力とは、分かちもたれて現れたものであり、それゆえその力は関係的であり共同のものであり、能力は個に還元できない』ものだと打ち出しました。多様な人々が力を合わせるという意味合いとは異なり、個に還元できない能力論です。『依存先を増やす』というような個人化された共同性は、いともたやすくネオリベラリズムに利用されるからです。『存在承認』は、あなたの存在を認めるよといった承認論ではないことを明確にしました。『共同的なものを規定に、自分を自分で承認しうる所得配分を前提にした状況』と整理をしました。」(桜井智恵子『教育は社会をどう変えたのか—個人化をもたらすリベラリズムの暴力』明石書店、p261)

教育社会学の視点から、桜井さんは能力主義を根源から問い直す。「能力の個人化」が業績主義に結びつき、それが社会の既定路線になっている。それにぼく自身も苦しめられてきたことは、子育てしてやっと言語化が出来るようになり、『家族は他人、じゃあどうする?』『ケアしケアされ、生きていく』でも部分的に言語化してきた。ただ、そのオルタナティブをきちんと言語化できていなかったのだが、桜井さんによれば、それは「能力の共同性」だと言う。『能力とは、分かちもたれて現れたものであり、それゆえその力は関係的であり共同のものであり、能力は個に還元できない』という定義を読んでいて、ぼく自身や娘を見て、思い当たることは色々ある。

娘が11月から、新聞を読み始めた。それは、父が毎朝新聞を読んでいて、ウクライナなパレスチナの出来事に胸を痛めているのを見て、自分も知りたいと思ったからだ。もし、僕が新聞の代わりに、毎日ギターなりピアノを楽しんで弾いていたら、彼女もそっち方面に興味を持ったかもしれない。僕が日曜大工が好きだったら、彼女も進んでトントンカンカンていたかもしれない。もちろん、彼女は僕と違う他人なので、彼女なりの指向性があることは、間違いない。でも、彼女がサッカーより合気道を楽しんでいるのは、明確に「関係的であり共同のもの」なのである。つまり、親が意識的・無意識的にやっていることを見よう見まねで楽しんでいる娘がいて、「個に還元できない能力論」が、その共同性のなかで育まれていく。

でも、資本主義的現実は、それとは真逆の価値観を提示している。

「時代のデフォルトは『個人で生き延びろ』(個人化)である。子どもの貧困問題についても、解決の方法として『学習支援』が注目されたため、子どもの将来に大きく関わっている雇用や深刻な不平等の改善という争点は周縁化され、脱政治化されてきた。現代の市民社会において、人々の生存の軋轢は未解決のま取り残されている。」(p237)

貧困家庭から抜け出すために、「努力すればなんとかなる」のだから、「学習支援」を受けて、高い学歴をつけて、脱出せよ。その価値前提には、『個人で生き延びろ』(個人化)がある。この問題の個人化こそが、そもそも問題なのだ。子どもが努力を必死にしなくても、生き延びられる社会になっていない。「能力の個人化」がデフォルトになっていて、努力できないなら、支援を受けられなくても仕方ない、とされる。そこには非正規労働や同一賃金同一労働ではない労働の不平等など、大きな争点が色々あるのだが、その前提自体は問わない。今の社会の価値前提を揺るがさない範囲での、「働かざる者食うべからず」という論理はそのままにしての支援に限定される。「能力の個人化」がデフォルトになり、その価値体系を揺るがさないままだと、「依存先を増やす」も「個人の努力次第」という形で取り込まれてしまう。

「『個人化』と『業績主義』に基づく社会へと移行した結果、あらゆる問題処理は個人に任せられることになり、社会に見放されて孤立した個人が不安や恐怖に飲み込まれている。
業績重視の資本主義社会で求められるふるまいは、自らのふるまいを監視してゆくのだが、その規律権力によって人々は自ら排除され、自発的に搾取され、剥奪感を抱くことになる。」(p248-249)

これはぼく自身もそうだったし、大学生を見ていても、同じ事を感じる。PDCAサイクルに代表される計画制御を「自己点検」なるもので自分の一年間の仕事ぶりに当てはめるとき、PDCAは「自らのふるまいを監視してゆく」装置として機能する。だからこそ、本来は標準化・規格化された工場労働にのみ適合的なPDCAサイクルは、いつのまにか、新しい行政管理の方法論(NPM)として取り入れられ、大学でも同じような書類を作らされる。これは「その規律権力によって人々は自ら排除され、自発的に搾取され、剥奪感を抱く」業績主義の装置であり、もっともらしいペーパーワークが求められる、という意味で、「クソどうでも良い仕事」である。

学生達が「迷惑をかけるな憲法」に従い、迷惑をかけないように必死に「自らのふるまいを監視」するなかで、その規律権力によって学生達は自ら排除され、自発的に搾取され、剥奪感を抱くようになる。だからこそ、「生きづらさ」がこの10年20年と累積的に子どもたちに広がり、不登校やリストカット、自殺などが増えていく。それはあまりにディストピア的社会である。

では、どうすればよいのか? それは、業績主義=業績承認を疑うことからはじまる、と桜井さんはいう。

「承認論は、再配分を左右する制度的平等の承認原理が、実は業績承認=能力主義と重なっていることを認識する必要がある。現在の価値観のままに『承認』を支援の方法にすることによって、現状を支えてしまう構造的問題は大きい。」(p185)

貧困家庭に学習支援を、という制度設計は、「業績承認=能力主義」を肯定した上で、そこから脱落し塾に行けず基本的な学力が不足する貧困家庭の子どもたちにも、「制度的平等」を果たす再配分を行う、という方法論である。でも、貧富の差の拡大の元凶に「業績承認=能力主義」があるならば、ここを疑うことなく、貧困家庭にも教育をすれば良い、というのは、貧困を生み出す価値前提を問うことなく、結果的に貧困になった人もその価値前提の中で闘うための「制度的平等」を用意し、それでも脱落したら「自己責任」「努力不足」と問題を個人化する論理である。これでは、なにも変わらない。

そのうえで、「業績承認」ではない「存在承認」を以下のように描き出している。

「存在承認とは、自分を自分で承認しうる『社会的状態』の構想である。つまり、非資本主義的に、政治経済構造という規定で、自分で自分を認める、そうなれる状態をどう構想していくかという点があらためて浮かび上がってくる。」(p187)

世間の求める努力をしなくても、つまり「業績」や「学歴」がなくても、標準的な生き方とは違っても、生きていくことが社会的に保障されている。その前提があるからこそ、「自分で自分を認める、そうなれる状態」が生まれてくるのである。それが「存在承認」である。そのためには、学校のあり方も、変わっていく必要がある。

「学級は、相互に似通った均質集団として作為的に作られる。そのようになってはじめて、教師も親も子どもも公正さが保たれていると感じて安心する。しかし、これこそ疑う必要があるのだ。『近代学校は、学級内部の差異を<同質性>として見せかけることを通して、学校での能力主義的支配を実現してきたのではないか。それは、『普通学校』を『差別学校』として存在させ続けている一つの根拠だとしてよいのだと思う。』
岡村の指摘した『普通学校の差別性』とは次のようなものだ。似通った均質集団として分類した学級を通し、学級間の比較を可能ならしめ、評価によって子どもを管理する。環境や構造の変革ではなく、個人に『課題』を求める能力主義を下支えする普通学校制度自体が差別を抱えているというわけだ。」(p119)

本来、子どもは一人一人違う存在である。それを、学年ごとにわけることで、さらに学級という中規模単位にわけることにより、「相互に似通った均質集団として作為的に作られる」。一人の教員が35人を集団管理型一括処遇が可能になる。娘も昨年の4月から、その世界に入って、大きな移行期混乱を経験している。なぜなら、彼女が以前通っていたこども園では、3〜5歳児が混じり合って遊んでいたし、障害のあるお友達も一緒に関わり合っていた。それは、差異をそのものとして、認め合ってきた。でも、「近代学校は、学級内部の差異を<同質性>として見せかける」。少しでもクラスになじめない、先生の言うことが聞けない「問題児」は「発達障害」のある子どもと命名され、特別支援学級に排除される。

ぼく自身はこのような特別支援学校への排除を問題だと考えてきた。ただ、桜井さんや彼女が依拠した教育学者の岡村達雄は、もう一歩踏み込んで、『普通学校の差別性』と命名する。排除される事だけが問題なのではない。もしインクルーシブ教育を進めても、普通学級で排除される差別性が温存されているなら、そちらの方こそ問題なのだ。形だけ普通学級での統合教育を行っても意味はない。普通学校の差別性こそ、問題の本質にある、と二人は喝破する。それは、学力テストに象徴されるように、学級間の比較や学級内での比較を顕著にし、出来ない子ども「個人に『課題』を求める能力主義を下支えする」、差別温存のシステムなのである。これが教育の前提になっていると、桜井さんは言う。

貧困家庭であっても、本人に障害があっても、どのような状態の子どもも、社会的に望ましい振る舞いや能力を発揮していなくても、『共同的なものを規定に、自分を自分で承認しうる所得配分を前提にした状況』が「存在承認」であって。そういう共同性は、努力を前提としない所得配分と結びつかないと、「あの人だけズルい」「働かざる者食うべからず」といった価値規範に引きずられてしまう。そういう悪平等からどう距離をとって、一人一人の「他者の他者性」が認められるか、が問われていると、ぼくは受け取った。

著者は努力を否定しているのではない。でも、努力できる環境が剥奪されている人には、努力の前に、安定的に暮らせる経済的基盤が必要だと説く。それを保障せずに、努力しなさいという競争環境を提起することは、過酷だと言うのである。

「経済的に苦労している子どもへの支援には、現金が提供されるのではなく、就学や就職への機会が提供されている。機会を奪われているから、機会を与えよう。そこで力を出しなさいという支援は、彼ら・彼女らに機会を与えれば、がんばることができるだろうという自立支援だ。苦労している子どもは、精神的にも社会関係的にも安定を奪われているという現実の見立てができていない。」(p63)

これは、普通学校を差別学校にしないための、根本的な視点になりうる。貧困な家庭の子ども、だけでなく、障害のある子やヤングケアラー、あるいは家族の不和がある、本人が家族や学校とうまく折り合いがつけられないなど、様々に「苦労している子どもは、精神的にも社会関係的にも安定を奪われているという現実の見立て」が、必要なのだ。その際に必要なのは、競争環境の提供ではなく、精神的・社会関係的・経済的な安定の提供なのだ。それはもちろん、学校の役割だけではない。子ども家庭庁が出来たが、子ども福祉として、教育や福祉の垣根を越えて求められるのが、子どもたちの様々な安定的基盤の提供であり、そのサポートなのだ。それがあって初めて、子どもたちは「存在承認」がなされる。そして、自分自身への「存在承認」があれば、他者の存在も認められる。自分たち自身による排除や搾取、剥奪をしあう「迷惑をかけるな憲法」が息巻く社会を越えるためには、そういう価値転換が必要なのだ、と気づかされたキーブックとなった。

家族丸抱えと社会的ネグレクト

昨日、京都の実家に遊びに出かける際、鞄の中に忍ばせた一冊が、圧倒的な迫力で迫ってきて、一気読みした。

「ケアをうまく成就できるということは、病気の家族の変化に反応するすばやい共振性を有しているということであり、それは外界に対してあまりに無防備であるともいえる。つまりケアを成就できる主体というのは、あらかじめ固まることを禁じられ、環境によって変化する可塑性を持っているということではないか。
自分をとりかこむ輪郭線をいつでも崩れさせ、自己と他者の境界を横断することができる。自己の固着という安心からいつでも離れられる無防備さというものが、ケア的主体の真価だろう。」(中村佑子『わたしが誰かわからない ヤングケアラーを探す旅』医学書院、p156-157)

このフレーズを読んでいて、少し前のブログに書いた、「ケアとはままならぬことに、巻き込まれること」というのを思い出していた。能動的で自立的で主体的な存在は、自己責任で自己管理が出来ている、という意味で、自己同一性の保持であり、「自己の固着」である。一方、ケアはその対極の、「自分をとりかこむ輪郭線」の崩壊であり、「ままならなさに巻き込まれること」である。「病気の家族の変化に反応するすばやい共振性」を維持しようとすると、自分だけで決めた目的合理性を手放す必要がある。つまり、「あらかじめ固まることを禁じられ、環境によって変化する可塑性を持っている」というのは、能力主義的社会で適合的な自己防衛や自他の境界線を溶かす・崩壊させることでしか、手に入れられない。

このような事態に巻き込まれることは、両義的な価値を持つと中村さんはいう。

「病の家族のために自分を燃やすように使ってあげたい。それは、自己という壁で隔てられた人と人を結びつけ、失われた連続性を回復しようとする、犠牲的なケア的主体に流れる一つの欲望だ。一方で、それでは社会的な生活が送れないので、どこかの段階で揺り戻しがあり、家族を恨み、捨て、自己を保存しはじめる。
過剰な両極のあいだを行き来し、そのはざまで中間の色彩がさまざまに展開する。犠牲的でありながら、一方でその自分をまた憎み、脱皮させ、羽化させるような行動をとる。そうして今度は、自分に罪悪感を覚え、家族のもとに戻ってくる。行ったり来たり、行ったり来たり。
だからこそ、何かのピリオドを打つことが苦手なのではないか。」(p161-162)

中村さんのお母さんは、精神の病を抱えている。調子の悪いときは、一日ベッドで寝たきりだったという。そんな母に対して、中村さんは小さい頃から、「犠牲的なケア的主体」と「家族を恨み、捨て、自己を保存しはじめる」状態の「過剰な両極の間を」「行ったり来たり」してきた。両義性を抱えてきた。でも、これは必ずしも、善悪の二元論で語れない状態だったという。

「病気の家族の変化に反応するすばやい共振性」をもった「ケア的主体」は、「自己保存」をしている間には生まれてこない。一方で、「自己という壁で隔てられた人と人を結びつけ、失われた連続性を回復しようとする、犠牲的なケア的主体」でいると、「社会的な生活が送れない」という現実もある。そのため、両極を「行ったり来たり、行ったり来たり」なのである。

ぼく自身はヤングケアラー経験はないけれど、この6年間子育てをしてきて、ほんとうに「行ったり来たり、行ったり来たり」なのだと思う。それは、主体的で能動的でキリリと決定したことは確実に実行する、という自己保存的なものが、ケアによりなぎ倒されている経験であり、でも、その両義性の往還のプロセスでの「はざま」なのだと思う。

だからこそ、中村さんは「ヤングケアラー」というくくり方に違和感を抱く。

「部屋のなかで、具合の悪い母と一緒にいる。なぜすぐにだめだとあきらめてしまうのか、なぜ起きてこられないのかが子どもの時分には理解できず、やきもきするような思いを抱えていたわたしは、母をむしばんでいる害があるなら飲み込んであげたい、わたしがそれを抱えて一緒に消滅させてあげたいと願っていた。
それはいったんは死のイメージなのだが、そこでわたしも一緒に再生するような、深い喜びがあった。自己消滅が喜びにつらなるような、ケア的主体がもつ犠牲的で献身的な欲望と言えるだろう。
こういう思いを抱えてケアしている子どもに対して、早く毒親からお逃げなさいと、人は容易く言えるだろうか。」(p195)

上記の記述は、圧倒的な解像度の鮮やかさで、僕の胸に迫ってくる。

精神疾患の親を持つ子どもの場合、「具合の悪い母」のおかげで、子どもが振り回される。その現実を指して「ヤングケアラー」と焦点化・問題化すると、かわいそうなのは子どもとなって、その子どもをケアできない親は「毒親」などとラベルが貼られやすい。すると、「早く毒親からお逃げなさい」と簡単なアドバイスが出来てしまう。でも、犠牲的なケア的主体を子ども自体から引き受けてきた中村さんは、一方的な被害者ではなかった。彼女が親をケアするなかで、「そこでわたしも一緒に再生するような、深い喜び」や「自己消滅が喜びにつらなるような、ケア的主体がもつ犠牲的で献身的な欲望」があった。「ままならぬことにまきこまれる」犠牲的なケア的主体にも、その状況でしか味わえない「深い喜び」や「欲望」もあったのである。

これは、ヤングケアラー問題を当事者の外側から取り上げて掘り下げている、数多の論考では知る事が出来なかった、セルフ・ドキュメンタリーゆえの迫力である。

ただ、僕が中村さんの本を読んで、信頼できる一冊だと思ったのは、そのようなヤングケアラーの内面を描くだけでなく、その社会構造的な抑圧を、そのものとして、しっかり描いているからでもある。

「日本の精神科の常識は人権侵害すれすれで、制圧や、拘束、強制入院、長期入院など、患者の人間的生活を豊かにしようという発想とは真逆の行為がまかり通っている。
一方でそうした入院しか選択肢がないことが、患者とその家族をよけいに苦しめている。他の選択肢がないなかで、『精神科病院に入院させるなんて!』と疑問を呈されたり批判されれば、家族はもっと追い込まれる。
いくら病院が人権侵害的でも、医療措置があり服薬のできる入院か、家に一緒に帰って自分もろとも総崩れを起こすか、どちらかしか選択肢がないとしたら、入院させることのどこに瑕疵があるだろうか。日本の精神科病院の現状は確実に変えていかなくてはいけない社会的課題であろうが、入院しか選択肢のない家族が肩身の狭い思いや罪悪感を抱かなくてよいようにと願ってやまない。」(p124-125)

私は四半世紀にわたり、「日本の精神科の常識は人権侵害すれすれで、制圧や、拘束、強制入院、長期入院など、患者の人間的生活を豊かにしようという発想とは真逆の行為がまかり通っている」ことを、批判的に書き続けてきた。『精神科病院こそ問題だ』と言い続けてきた。ただ、特に子どもが生まれて後、家族の視点、ケア的主体の視点を持つようになると、この批判は間違ってはいないのだが、「家族はもっと追い込まれる」という現状もまた、わかるようになってきた。それは、家族丸抱えか施設丸投げか、の二者択一しかない現状の構造的な問題である。

この構造的な「二者択一」の現実を変えないと、家族を苦しめるだけなのだ。精神病院批判だけでなく、同じように、「家族丸抱え」の現実こそ、批判する必要もある。それだけでなく、「家に一緒に帰って自分もろとも総崩れを起こ」さずにすむような、地域精神医療体制の拡充こそ、提起し、応援し続けていかなければならないと強く思い始めた。だからこそ、中村さんの批判が、深く胸に突き刺さる。

また、この本を読みながら、以前取り上げてブログにも書いた山本智子さんの『「家族」を超えて生きる−西成の精神障害者コミュニティ支援の現場から』や、児玉真美さんの『殺す親 殺させられる親』を思い出す。実家で暮らしたい障害当事者と、実家で支えられない家族は、二項対立や下手をすれば利益相反関係になりやすい。でも、障害当事者と家族を対立させている構造こそ、最大の問題なのである。それを、中村さんが取材した、ヤングケアラー経験があり、いまは研修医をしているかなこさんは、「社会的ネグレクト」と喝破する。

「社会からの虐待と言えば、自分たちに責任があることがはっきりわかるけど、たぶん虐待とまで言えなくて。でもわたしははっきり助けてと言ったのに伝わらなかった経験があるから、よけいにネグレクトだと思う。いまは『助けてと言えない子ども』というのが流行っているんだけど、そういうふうにラベリングすることで、『子どもが助けてと言ったとしてもアンテナが立ってなくてキャッチできない社会がある』という事実が隠されていて。さらに『見つけてくれてありがとう』なんて吹き出しの付いた子どもの絵を精神科の研修で見たり。支援者は子どもにそう言ってほしいんだと思うけど、『てめえら遅えわ!』と。キャッチされないから黙らされているだけなのかもしれないのに、子どものほうの責任にしないでって思う」(p112-113)

SOSを求める子どもたちの声を、社会が「無視・放置」している。その意味で「社会的ネグレクト」というなら、これはヤングケアラーに限らない。成人の家族や親であれば、ギリギリまで障害のある家族を支え続けよ。それが無理なら、入所施設か精神病院に丸投げせよ。この二者択一構造こそ、「社会的ネグレクト」なのだ。「キャッチされないから黙らされているだけなのかもしれないの」は、ヤングケアラーだけでなく、大人のケアラーも同じかもしれない。ケア的主体が、あまりにも家族のデフォルトにされ、やって当たり前になっている現実こそ、「社会的ネグレクト」とも言えるのかも知れない。

「日本では家族はすでに崩壊しているのにもかかわらず、崩壊していない前提で、国も厚労省もケアを家族に返す」(p90)

そう、こここそ、最大の問題なのだと改めて思う。「家族丸抱え」は「すでに崩壊している」のである。にもかかわらず、この国の制度設計やシステムは「崩壊していない前提で、国も厚労省もケアを家族に返す」のだ。これが、ヤングケアラー問題を、かわいそうな子どもの問題に矮小化したり、ケアすべき精神障害を抱えた親を「毒親」とラベルを貼る、などの問題構造のすり替えが行われている背景にある。そして、それを問い直すために、社会的ネグレクトの構造こそ、問われなければならない。家族丸抱えの構造的問題が、社会的ネグレクトの背景にあると直視し、それを変える仕組みを作らねばならない。スウェーデンが20年前に実現したように、入所施設を全廃してスタッフを再教育し、地域支援に切り替えなければ、家族丸抱えは終わらない。

この「社会的ネグレクト」という言葉を流行らせるために、僕はこれからこの言葉をしつこく使い続けようと思う。家族丸抱えの論理構造を越えていくためにも。

2023年の三題噺

毎年恒例の、大晦日に書く、今年一年を振り返っての三題噺。書きながら、三つのテーマで今年を振り返ってみる。

1,5冊目の本があっという間に出来てしまう&凱風館に入門する

10月にぼく自身の5冊目の単著である『ケアしケアされ、生きていく』(ちくまプリマ—新書)を上梓した。前の本『家族は他人、じゃあどうする? 子育ては親の育ち直し』を書き上げたのは、2022年7月。前著を書き上げるまでに、2,3年かかった。初めてのエッセイで、初めてのケア本で、自分と家族の話題を書くのにどういうフレームや文体にしたら良いのか、を試行錯誤し続けてきた。だから、4冊目を書き上げた後、次の単著は数年後になるだろうな、とぼんやり思っていた。でも、今年の初めから、話が急展開する(そのことは本の後書きに書いたが、ちょっとそれを膨らませてここに書く。)

きっかけは、昨年秋から通い始めた整体の無形庵だった。もともと、内田樹先生がツイッターで、姫路で開業する三軸修正法の門人のお祝いに駆けつけ現地を訪れた、と書かれていたツイートを覚えていた。それで、昨年から通いはじめたのだ。その中で、山本さんに勧められて、ファスティングにも成功したことは、去年の三題噺にも書いた。今年も一年、朝は野菜ジュースのみにする生活を続けたら、体重は大学時代の72キロ代を維持できている。これは本当にありがたい。

で、その無形庵の山本さんと、毎週のように施術を受けつつ合気道や内田先生の話で盛り上がっているうちに、1月に梅田で開かれる、友人の青木真兵さんと内田先生の対談イベントに行きませんか?と誘われた。ちょうどセンター試験監督から外れたので、これ幸いに、と出かけ、内田先生にも拙著をお渡しする、というご縁が出来た。終わったあと、内田先生や凱風館の関係者の皆さんが夕食を食べに行く群れに混ぜてもらった。そして、その帰り道に、無形庵の設計も担当した建築家の光嶋裕介さんと芦屋までの20分弱、めっちゃ話し込む。それがおもろかったので拙著を3冊送ると、光嶋さんからもご著書3冊が送られてきた。で、そのうちの一冊である『建築という対話』(ちくまプリマ—新書)が面白かったので、ブログに書いた

そしてブログに書いた後、光嶋さんのパートナーの永山春菜さんが家から30分の場所で、合気道高砂道場を主催されていると知り、2月に娘を連れて体験に伺う。小学生になったら、娘と一緒に合気道に行きたいと思っていたのだ。一緒にお稽古してみて、びっくり。永山さんの所作と技の美しさに惚れ惚れしてしまった。こういう合気道を、娘に身につけてもらいたい、と心から思った。そして、お話をしているうちに、どうせなら僕も凱風館に籍を移し、娘と一緒に学びたいと強く思うようになった。

そして、その体験稽古が終わった後、光嶋さんから「ちくまの編集者に竹端さんのブログ記事を送ったらすごく喜んでくれて、『ケア論を書いてもらう著者を探していた』と言っていたから、声がかかるかも」と言われて、帰宅してみたら、まさにそのタイミングで、筑摩書房の編集者、鶴見さんから「はじめまして」のメールを頂く。こんなことってあるんだろうか、と思うくらいの絶妙なタイミング。そこで、2月中頃にZoomでお目にかかって、妄想たっぷりの話を鶴見さんに聞いてもらい、それを目次案にして頂いて、それを手に入れた内容+「はじめに」に当たる部分を書き上げたのが2月末、編集会議が通って正式にGoサインが出たのが、3月下旬。8万字で4章立てだったので、一章2万字なら一月一章で書けるかも、と思って書き出したら、本当に毎月一章ずつ書き上げていく。すると7月頭に、「どうせならこのまま10月に出してしまいませんか?」と言われ、この流れに乗った方が良いと思い、7月には4章まで書き上げ、7月末にはゲラが届き、8月半ばに「おわりに」と「あとがき」を書いて、10月には書店に並んでいた。

その間、4月には凱風館に僕も入門し、稽古し始める。本当に、頭を打つというか、ゲシュタルトの崩壊というか、これまで学んできたことを身をもってアンラーン=学びほぐしている。今までいかに力んでいたか、力尽くで無理矢理相手を倒そうとしていたか、を嫌と言うほど指摘される。でも、厳しい場ではない。女性の有段者も多いので、皆さんしなやかで竹のようにやわらかく、弾性のある技をされる。僕はゴチゴチの硬さなので、全然違う。だからこそ、凱風館で学び直す意義や価値がある、とめっちゃ感じながら、通い続けている。

2,娘と親の移行期混乱

3月にはこども園の親子ミュージカルも無事終え、こども園を卒業した(そのときのことはブログに書いた)。4月からは近所の公立小学校に通うことになった。その後、大きな移行期混乱に遭遇する。

なにせ、これまで遊びが中心で、サッカーやハンターなど身体を思いっきり動かしていた娘が、毎日5時間目まで、座って勉強し続けなければならない。それが文字通りの価値転換である。その上、こども園時代と違って、39人の詰めつめの教室で、先生が一人、というのも、集団保育が原則で色々な先生が関わってくれたこども園と大きく異なる。そして、柔軟にダイナミックに活動をしていた私立のこども園から、ルールや規則が定まった公立小学校に移行する。実は、父親の方がそれにうまくついて行けないのではないか、とオロオロ・ハラハラしていた。のだが・・・

娘は、有り難いことに、毎日楽しく出かけてくれている。登校班にもなじんで、上級生のお兄ちゃん、お姉ちゃんの輪の中にも入っている。学校でもお友達が出来たようで、わいわいやっている様子を、学校から帰ったら教えてくれる。教科では、絵本を読み続けてきたので国語は得意だけれど、数の概念を頭に入れるのに時間がかかり、算数は手こずる。ただ、それもこども園時代のパパ友が、別の小学校の先生だったので、算数のアシストのコツを教わると、少しずつ、娘も算数がなじんできた。今でも算数の宿題に手こずることはあるが、なんとか出来ている。なにより、「そんなに嫌なら宿題しなくてもいいよ」と言うと、「するー!!!!!」と絶叫してやり遂げようとされる。それがなんだかすごいな、と思って見守っている。

3,表現の場や可能性が広がる

ケアの本を去年と今年に書き、自分自身の表現の場や可能性が、少しずつ広がっているように思う。最近では、ケアに関する原稿依頼も増えてきたし、先月から、Voicyの方に声をかけられ、僕も毎朝しゃべるようになった。このVoicyのチャンネルは、「モヤモヤ対話へようこそ! ケアと福祉と社会のあいだ」と名付ける。そして、開始する際に決めた方針は、「わかりやすい・白黒を明確にする話をしない」「モヤモヤを辿るようにしゃべる」「台本を書かずに、一つのキーワードだけで10分喋りきる」「日常業務に差し障りないように、起き抜けに収録し終える」「お題に一ひねり加える」あたりだろうか。収録の10分という尺は、ブログよりは短いけど、ツイッターは10ツイート分くらいはありそう。そういう時間で、毎日しゃべるので、朝・あるいは前の晩に思い浮かんだキーワードで、とりあえずしゃべり始める。うまくいっても、うまくいかなくても、取り直しはせず、一発取りでそのまま流す。そういう風にして、継続してしゃべり続けると、今までと違う間口が広がるのではないか、と思い始めている。

あと、オンライン読書会は沢山していた。たぶん7つくらいしている(来月だけで、読書会で読む本の締め切りが7つ並んでいる)。結構きつい。でも、そうやって締め切りがあるからこそ、仲間と読むからこそ、読み切れる本が沢山ある。最近、このブログはほぼ書評ブログになっているが、それは読書会で読み続けてきた本がネタ本になることがほとんどである。そうやって、他者との対話の中で、本の読みが深まるし、深まることによって、見えてくる世界も広がっているように思う。

そのうちの一つ、2月から始めた「生きるためのファンタジーの会」が超絶面白い。若い友人、青木海青子さん・真兵さんと、現代書館の編集者の向山さんと共に、毎月海青子さんが選んだ一冊のファンタジーを元に、ポッドキャスト「オムラヂ」でおしゃべりし続ける、という企画。そのうち書籍化を考えているのだが、これは仕事ではなく、ほんまに趣味として面白い。ファンタジーなき男だった僕が、ファンタジーと出会い直し、その世界を3人と語り合いながら、どっぷりと深めていく企画。毎回、同じ話を元に、どんな風にお互いが読み合ったのか、を語るのが超絶面白い。毎回1時間以上と話が長くなるのだが、よかったら「モモ」編と「ゲド戦記」編を聞いてみてくださいませ。

というわけで、色々あったけど、ものすごく充実した一年でございました。来年もよい一年になりますように。そして、みなさん、よいお年をお迎えください。

大人から子どもへの最大のギフト

年末の休みに、娘と一緒に映画『窓際のトットちゃん』を見に出かける。というか、Eテレ以外見ない我が家ではあの名作が映画版になったとは知らなかったのだが、実家の両親が「娘と見たら良いのでは?」と教えてくれたのだ。確かにうちの娘さんもエネルギー満タン娘なので、気に入ってくれたらいいな、と思って、母ちゃんが仕事の日の朝一番の映画館に出かけた。娘がほしかったポップコーンも頼んで。

で、見始めると、数十年前に何度か読んだトットちゃんの世界が、映像化されて一気によみがえる。と共に、最初の方のシーンで、おっさんは既に涙する。トットちゃんが、近所の小学校では「問題児」とされて、トモエ学園にやってきた最初の日、小林校長先生に会って、「さあ なんでも話してごらん 話したいこと 全部」と言われ、延々としゃべり続ける。親は近所の喫茶店で、ハラハラしながら、娘の帰りを待ち続けるが、全然トットちゃんは帰ってこない。トットちゃんは最後まで話し終えたあと、それまでの勢いある調子とは異なり、ぼそっと一言、小林先生につぶやく。

「私は問題のある子なの?」

小林先生は、トットちゃんに答えてこう断言する。

「きみは本当はいい子なんだよ」

このシーンを思い出してブログに書いている僕も、またジーンとして涙を流しそうになる。トットちゃんは、好奇心や興味関心が人一倍で、それを抑えきれないほどのエネルギーがあった。だから、学校の校舎から乗り出してチンドン屋さんを呼び出したり、画用紙の枠をはみ出して塗り絵をしたり、机をバタンバタンさせたり、と、「公的な秩序」からはみ出している。真面目で40人の子どもを統制しようとする公立学校の先生にとっては、先生の秩序を乱す「問題のある子」として映る。そして、他の学校に行って下さい、と排除されるに至る。トットちゃんのことが大好きなお母さんも、娘のエネルギーの強さには手を焼き、次の学校で受け入れてもらえるか、ビクビクしている。

そのときに、小林先生は、トットちゃんやお母さんに色々学校のことを説明しなかった。ましてや、トットちゃんが前の学校を追い出された理由を詮索することなんてなかった。それよりも、「さあ なんでも話してごらん 話したいこと 全部」とトットちゃんに伝えたのだ。

原作が世に出たのは1981年、その後数年以内に親が買ってきて、僕も何度も読んだので、40年前に読んで以来である。そのとき、小学生でよくわかっていなかったが、今、小学生の親を持ってみて、この時の情景がひときわ心に残る。トットちゃんの親は、トモエ学園でも受け入れて貰えなかったらどうしよう、と戦々恐々としていたはずだ。その一方、トットちゃんは学校を追い出されたことはわかっているし、大人が自分のことを「問題のある子」と見なしているのにも、気づいていて、悲しい思いをしている。でも、それ以上に、世界への好奇心は強く、気づきや発見、探検したいことなど、毎日が刺激に満ちている。しかも、トモエ学校では、電車の教室まであり、ワクワクが止まらない。そんな、うれしさも悲しさもハイパーに抱えているトットちゃんに、普通の教師は手を焼き、静かにしなさい・従いなさい・他の人と同じようにしなさい、と抑圧する。でも、小林先生は「さあ なんでも話してごらん」と呼びかけるのだ。

仕事柄、「問題行動」や「困難事例」に関わる事がある。そういう「困難事例を解きほぐす」プロセスのなかで見えてくるのは、大半の場合、本人ではなくて、周囲にとっての「困難」や「問題」である場合が多い、ということだ。さらに言えば、本人も悪気があってそうしているのではなく、そうせざるを得ないような内在的論理=他者の合理性があるのだ。その他者の合理性を理解することが、「問題」「困難」の構造を理解する上で、最も近道なのである。もちろん、そういう話をじっくり聞くのは、ものすごく時間がかかる。でも、手を抜かずに聞き続ける中で、相手の生活史や思考・認識の癖がわかる。それだけでなく、相手は自分の話を真剣に聞いてくれるとわかると、相手のことが信頼できる。全部丸ごと聞いてくれる相手は信頼できるから、その相手の話は聞いてみたくなる。つまり、「ただただ話を聞く」ということが、こういう場合に求められているのだ。でも、「問題行動」「困難事例」とラベルが貼られる、「反社会的」な言動をする人は、じっくり聞かれる機会がない。それよりも、説教や訓示など、話を黙って聞くように強要されるばかりだ。すると、ますます本人はフラストレーションが溜まって、と悪循環に陥る。

このことを40年かけて少しずつ学んできたからこそ、「さあ なんでも話してごらん」とトットちゃんに伝える小林先生のスタンスが、圧倒的な素晴らしさをもって、胸に迫ってくるのだ。小林先生は、トットちゃんを問題児とか困難事例とラベルを貼っていない。それだけでなく、彼女の合理性を、全部しっかりと理解したいと思っている。理解した上で、「きみは本当はいい子なんだよ」と伝えてくれる。そんな小林先生の姿勢がトットちゃんに伝わったからこそ、トットちゃんも小林先生を信用してみたい、この学校で学んでみたいと思ったのだ。

その上で、このエピソードは、僕たちの今の社会にも改めて大きな何かを問いかけていると思う。

まず、トットちゃんのような好奇心が旺盛で、公的な秩序をはみ出す子が、普通のクラスから排除される現象は、戦前の小学校だけだっただろうか? ご存じの方も多いと思うが、今の小学校では、発達障害とラベルを貼られる子がうなぎ登りに増えている。正直に言えば、その中には「発達障害もどき」とも言われるような、学校の過度な規格化、秩序化に合わないだけで「発達障害」と診断され、普通学級から排除される子も、少なくないように思う。そして、おそらくトットちゃんも今なら、そうラベルが貼られ、下手をしたら幼稚園段階で、精神科の薬を飲まされ、行動鎮静させられるが、その後の大スター黒柳徹子は生まれなかっただろうと思う。(それはご自身もそう仰っておられる

それから、大人は、子どもが「問題だ」と思っても、子どもを叱ったり説教したり、子どもを変えようとする前に、小林先生と同じように、「さあ なんでも話してごらん 話したいこと 全部」と、ただただ聞けるかどうか、も問われている。自分の胸に手を当てると、それは怪しい。ついつい「○○しなさい」「ちゃんとしなさい」と叱ってしまうときが、今でもある。でも、その前に、まずじっくり聞けるか、が問われている。じっくり聞いた上で、「私は問題のある子?」と不安になって聞く相手に、「きみは本当はいい子なんだよ」と自信を持って伝え続けること。これが大人から子どもへの最大のギフトだと思う。

それ以外にも、この映画の、戦争に向かう社会の軍国主義の厳しさや陰険さ、戦前の上流家庭の豊かさとか、色々書きたいことはあるのだが、横で宿題をしていた娘さんの相手をそろそろせねばならぬので、今日はこの辺で。年末にこの映画を娘と一緒に見れて、本当に良かった。

「生きた労働」と本源的蓄積

沖縄が好きで、子どもが産まれる前は毎年必ず出かけ、沖縄本も結構読んできたのだが、訳者の増渕さんに頂いたこの本はめちゃくちゃ面白かった。

「生産サイクルの中で必要な労働時間として割り当てられた部分を増やすことは、労働者階級が自覚的なカテゴリーとして出現するにつれ、『生きた労働』(労働者と生産者の需要や欲望に関連した労働)と『死んだ労働』(資本の有機的構成の中で非創造的で非生産的な部分)との闘争として正しく理解された」(ウェンディ・マツムラ『生きた労働への闘い—沖縄共同体の限界を問う』法政大学出版局、p22)

僕は不勉強なので、マルクスが用いた「生きた労働」「死んだ労働」という概念は本書に出会うまで、知らなかった。でも、人間らしい充足感とか、必要以上に働かないことも含めて、労働を自分の裁量の範囲内に収め、強迫観念的に働き続けないことを、「生きた労働」とするなら、今にも通ずる整理だと思う。他方、「死んだ労働」とは、システムや利潤の本源的蓄積の維持・形成・発展のためには必要だけれど、労働者個人にとっては「非創造的で非生産的な」労働を指す。これは今の言葉で言えば、「くそどうでも良い仕事」と訳されるブルシッド・ジョブにつながるのかも、しれない。

私やあなたの仕事のなかに、「生きた労働」と「死んだ労働」の割合は、どれくらいあるだろうか?

ありがたいことに、大学教員という仕事は、割と裁量が残っているので、「生きた労働」の部分が多い。でも、大きな組織に属していると、「お役所仕事」は当然ながらあるし、あるいは自己点検評価のように、方法論が自己目的化したようなペーパーワークは、「非創造的で非生産的な」仕事と思わざるを得ない。前回のブログで「午後4時に帰る」ために徹底的に業務を効率化したデンマークの話を書いたが、それは「死んだ労働」をなるべく減らし、「生きた労働」を増やすための国レベルでの努力なのだと思う。

で、近代日本史を専門とするウェンディ・マツムラさんの本が非常に面白かったのは、「沖縄の近現代史は、このような資本主義の発展過程で、死んだ労働と生きた労働の衝突や、それによって生じる対立のモーメントによって形成されてきた」(p22)という視点から描いていくことである。つまり、唯々諾々と死んだ労働に従うのではなく、生きた労働を勝ち取り続けたいと闘ってきた人々を、沖縄の近現代史からあぶり出しているのが面白いのだ。

「女性神官や霊媒師、不品行な女性への攻撃は、十六世紀から十七世紀にかけて本源的蓄積の過程にあったヨーロッパの魔女狩りときわめて似ている。魔女狩りは、女性たちの財産を没収し、共有地から閉め出し、女性が自分の身体を自分で管理する能力を奪った。沖縄では、古い慣習の近代化という名目で、女性神官から暴力的に土地を奪い、女性の財産に攻撃を加えるとともに、農村における女性の活動を厳しく監視することにより、ジェンダー規範や合理性の再コード化が行われた。土地整理事業でノロから土地が没収されたのと同じ時期に、風俗改良運動は、女性の刺青(ハジチ)、野外での歌や三線の演奏、芝居の鑑賞や役者への部屋の貸し出し、そして他村の人との交流さえも禁止した。
全体としてみると、ミースが言うような、『経済的にも性的にも独立し、新興ブルジョアジーの秩序を脅かす』女性を従属させるための組織的なプロジェクトがあったことは否定できない。」(p164)

明治以前の沖縄では、女性神官や霊媒師が大切にされ、一定の地位や権力を持っていた。ただ、これは西洋の近代的合理性だと、「非合理」である。また資本主義における男性中心主義的な視点に基づくと、そのシステムや秩序から外れたところで自立している女性は「不都合」でもある。また、土地をみんなで使う共有化の思想は、大規模な工場を作ったり、その土地や木材を売買して儲けるという資本の本源的蓄積の観点からすると、「障壁」にもなる。だからこそ、土地整理事業という形で、共有地を私有地や国有地に引き剥がし、風俗改良運動なる名称で女性を秩序化し、「ジェンダー規範や合理性の再コード化」=近代資本主義の合理性にあうように再秩序化したのである。そして、この沖縄の女性神官達への攻撃は、魔女狩りと通底している、という指摘を呼んで、昔のブログに取り上げた一冊を思い出した。

「ちょうど囲い込みが農民から共有地を奪ったのと同じように、魔女狩りは女性からその身体を奪ったのである。こうして女性の身体は、それが労働力を生産するための機械として機能することを拒むいかなる障害からも『解放された』。火刑の恐怖は、共有地の周りに巡らされたどんな柵よりも手ごわい障壁を女性の身体の周りに築いたたのだ。(略) 魔女狩りは、女性が生殖の管理に用いてきた方法を悪魔的手段と断罪することを通じて破壊し、女性の身体を労働力の再生産へ従属させる前提条件として、それを国家の管理下におくことを制度化したのは間違いない。」(シルヴィア・フェデリーチ『キャリバンと魔女』以文社、p296-297)

実は、本書にも『キャリバンと魔女』が引用されている。つまり沖縄近現代史を舞台にした『生きた労働への闘い』という本は、『キャリバンと魔女』の本歌取りというか、「労働力を生産するための機械として機能することを拒むいかなる障害からも『解放された』」女性の存在と、それにあらがった人々の闘いを記録した本とも言えるのである。

そして、「古い慣習の近代化という名目」は、植民地化の発想ともつながる。当時の沖縄の地元資本家が何を恐れていたか、を、当時の「琉球新報」はこのように描いている。

「殖民政治とはどんなものか。其土地を見て其人を見さる政治である。土着人を国民として取扱はず、一種の機械として取扱ふ政治である。土着人の頭を圧へて本国人の利権を保護する政治である。」(p109)

薩摩藩に実効支配をされながらも清とも冊封貿易をしていた琉球王国が、明治の開国の時期に大日本帝国によって吸収合併されていく。この琉球処分の時期において、沖縄は隣国台湾に近いこともあり、文化や慣習が違うこともあっても、台湾と同じように植民地になりかけていた。そのような中で、東京で学び、資本主義の論理を理解し、沖縄でブルジョアになっていった沖縄の知識人層は、このままでは沖縄の利権が剥奪されてしまうことに危機感を抱いた。沖縄が植民地化されると、自分たちも「一種の機械として取扱」をうける。それは嫌だ。だが、そこで一般住民達と「島ぐるみの抵抗」をするのではなく、土着人を支配するのは、本国人ではなく俺たちだ、と考えていく。それを著者は、「「『使う側』の人間になりたいという野心」と喝破する。

「『使う側』の人間になりたいという野心は、十九世紀末に有力な現地指導者の知識人グループであった太田派の最終目標だった。県外からの急激な人口流入や国家による官僚化が進む中で、誰かに雇われることほど不自由なことはないという主張は大きな意味を持っていた。日本帝国における沖縄の自由と現在の地位を維持するためなら、どのような手段も許されるという太田の信念は、この時期沖縄の指導者の多くに共有されていていた。」(p178)

沖縄の自由を獲得する、沖縄を属国化・植民地化させない、という理念は立派だ。「一種の機械として取扱」を受けたくない、「死んだ労働」をさせられるのは嫌だ、と感じると、「生きた労働」への闘いも生まれる可能性がある。だが当時の沖縄の指導者の多くは、そういう闘いをしなかった。それよりも、「『使う側』の人間になりたいという野心」の方が強かった。つまり、自分が統治者になり、資本家になることにより、一般住民を自分たちの秩序に従わせ、雇用関係を結んで搾取することも「野心」の中に含まれていた。近代化された日本帝国の論理を沖縄住民よりもいち早く内面化し、この論理の中で「沖縄の自由と現在の地位を維持するためなら、どのような手段も許される」と思い込んでいた。これは、実に変わり身の早い考え方であり、一般住民からしたら許されない発想である。

だからこそ、沖縄では、支配層への抵抗や闘いが起こった。

「沖縄本島から三百キロ以上南西に位置する宮古島では、数百人の小規模耕作者が、中規模地主や実業家たちとともに、マルクスが言うところのある種の『好機』を見いだし、1893年春に集団的な闘争を始めた。闘争の参加者達は、かつての権力者にはもはや政治的権威はないと考え、明治政府が旧慣政策により手をつけずにいたもの(ドゥルーズとガタリのいう『完全に現代的な機能を持った復古主義』)を廃棄するよう要求した。明治政府が二度目の琉球処分を行ってから十四年後に勃発したこの闘争は、宮古島人頭税廃止運動の名で知られる。本章では、この運動を、アントニオ・ネグリが『圧政に対する抵抗を通して共同体が構築される』と評した構成的権力の一例として分析する。」(p89)

「明治国家は、その形成の初期団塊で辺境地域を植民地化し、それを正当化するために旧慣政策をとったわけだが、宮古島の住民は、従来の『生産諸関係の総体』を維持しようとする国の企てを拒絶し、その正体を白日の下にさらした。明治政府にとって旧慣政策は、いわば首をはねた獲物を役立つ限り手放さないでおくようなものだった。宮古農民が旧慣政策を拒絶したのは、自分たちの生活が根本的に変えられたと気づいたからである。」(p90)

この本の魅力は、沖縄の近現代史を、資本の本源的蓄積のプロセスと捉え、そのプロセスに対抗した市井の人々の闘いを、先ほどの「キャリバンと魔女」と同じように、ネグリやドゥルーズ・ガタリなどの反・資本主義的な分析と接続させて捉えている点である。日本の問題を英語圏の人に紹介する時、「そんな特殊な事例を紹介して、何の意味や価値があるのか?」が問われやすい。現に僕も国際学会で発表した時に、自分の発表にさっぱり関心をもってもらえず、ひどく落ち込んだ記憶が何度もあるが、それは、世界的な歴史や思想、理論と引きつけた議論が展開できていなかったからである。マルクスやネグリであれ、これをヘーゲルやフーコーと言い換えても良いのだけれど、そういう欧米世界でも共有されている思想や理論、哲学と引きつけることによって、宮古島の人頭税廃止運動という局所的でローカルなイベントが、一気に世界史的な文脈を持つ。

とはいえ、この著者はネグリなりマルクスの理論の一事例として沖縄を当てはめようとしたのではない。沖縄近現代史の「死んだ労働」と「生きた労働」の闘いを、資本主義の本源的蓄積のプロセスにおける労働者階級と資本家の闘いとして描くことにより、当時の沖縄知識人が語っていた「沖縄主義」や「沖縄共同体」という理念の危うさを描き出したのだ。沖縄を植民地にしない、という論理はその通りかも知れない。でも、土地整理事業とか風俗改良運動をそのものとして受け入れ、むしろそれを追認・推進した沖縄のリーダーや知識人階級だって、結局のところ、「「『使う側』の人間になりたいという野心」を持っているという意味で、本国人の搾取者と同じ穴の狢だったのではないか、と。それって、植民地化反対運動に見せかけて、つまるところ植民地の支配層としての己の権益保護と通底しているのではないか、と。そういう「野心」によって、一般住民はどんどん「生きた労働」を奪われ、「死んだ労働」へと取り込まれていったのではないか、と。その危機に直面したからこそ、宮古島のみならず、沖縄では様々な農民達が集団的な闘争をしたのではないか、と。

沖縄の本は趣味であれこれ読んで来たけど、こういう歴史の多相性を描いた本は読んだことがなかったので、本当に面白かった。今度沖縄に遊びに行くときにも本書を持参し、そのような「闘いの歴史」に触れられる場所をいくつか見てみたいと思った。

働き方の「カイゼン」と生産性

こういう本を読みたかった、という本に出会い、一気読みした。『デンマーク人はなぜ4時に帰っても成果が出せるのか』(針貝有佳著、PHPビジネス新書)である。隣のスウェーデンに住んでいた20年前でも、みんな午後3時とか4時に平気に帰っていた。でも、労働生産性が高かった。

デンマークは国際競争力やデジタル競争力が国際比較で1位、政府の効率性は5位、ビジネス効率性は4年連続1位という。一方、日本の政府の効率性は42位、ビジネス効率性は47位である(p32-33)。おもてなしで丁寧なのは良いが、効率性は良くないし、競争力も弱い。デンマークもスウェーデンも社会工学的な発想を取って、うまくいくなら大転換をしやすい国だが、現在はキャッスレス社会を通り越して、カードレス社会でスマホで何でも決済できる、という(p38)。

でも、この本が秀逸なのは、そのようなビジネスマンが振り向くフレーズを多用しながらも、一番伝えたいのは、「何のために効率化するのか?」という部分だ。

3人の子育てをしながら、コペンハーゲン市のアートホールの運営統括をしているヘリーネさんは、以下のように語る。

「私はきっと優先順位をつけるのが上手いの。第一優先は家族。第二優先は仕事。三番目が娯楽や、自分のしたいこと。この優先順位はいつも変わらない。」
「だから、友達にあったりする時間はほとんどない。SNSも一切使わない。SNSを見ると、ものすごくエネルギーを消耗するから。ときどきそんな自分に罪悪感を抱くこともあるけど、でも、やっぱりそこに使う時間はないわ」(p69)

家族と過ごす時間を充分に確保する。それを優先順位の一位にするから、午後4時には遅くとも仕事を切り上げて、子どもを迎えに行く。金曜日なら、3時に仕事を終える。それはスウェーデンでも同じ傾向である。そして、土日も子どもと共に過ごし、DIYをしたり、キャンプやコテージに出かけたりする。その代わり、飲み屋にはいかず、外食も少なめにする。だからこそ、SNSなんて見ている暇がない。

そうなのだ。SNSって、仕事の集中力が切れたときとか、だらだら見てしまう。あるいは夕食でアルコールが入っている時とか、見始めたら止まらないし、なかなかオフに出来ない。テレビと一緒で依存性がある。だからこそ、そこと距離を取って、付き合わない。限定的な付き合いをする。そうすることで、家族との時間をじっくり取ることができるのだ。

そして、労働生産性を上げるためになされている、いろいろな工夫も紹介されている。

・ポイント8 会議は「終了時刻」も決めておく。延長はしない。
・ポイント14 無駄なダブルチェックをなくす
・ポイント16 「メール対応」の時間を決める

これくらいのことなら、日本の仕事効率化本にも書いてある。だが、そういうマイクロマネジメントだけでなく、マクロマネジメントで大きな価値前提が違うのがデンマークの優位性だと、この本を読んでいて気づいた。

なぜ仕事を定時で切り上げるのか。なぜしっかり休みを確保するのか。その背景にこういう価値観があるという。

「社員が健康で元気に、ベストコンディションで仕事に取り組むことが生産性アップにつながる。逆に、社員が疲れていたり、モチベーションが上がらない状態では、生産性なんて上がるわけがない」(p130)

極めてまっとうなことである。でも、残業や休日出勤も当たり前な日本の企業で、上記の事が守れているだろうか。部下に裁量を渡さず、細かく指示をし直し、何度もやり直しをさせて、なんて内向きの仕事をしているうちに、社員も疲れ、モチベーションも下がり、だらだら残業してはいないだろうか。

それから、デンマークでは週休3日の会社も増えてきているようだが、それができなくても、違う働き方もある、という。

「休みを取りたがらない会社もあるわ。そういう場合は、金曜日に、ほかの働き方をしてみることを提案している。たとえば、金曜日はインスピレーションを得る日にしたり、社員に自分が学びたいと思っている講座を受講してもらったり。週に1日、いつものルーティンとは違うことをしてみるといい」(p138−139)

これは裁量労働制の僕自身に当てはめても、よくわかる。授業や学内業務をする日とは別に、研修や調査に出かけることで、違うインスピレーションや入力、対話をする日を定期的に入れている。すると、普段の事務効率も徹底的に上昇する。というか、事務処理時間が限られているので、その際にできることをえいやっとやりきって、生産性を上げないと、やっていけないのだ。その代わりに、学生との対話時間はなるべくゆっくり確保する。

そして、違う働き方だけでなく、違う評価基準があるのも、デンマークの働きやすさに繋がっているようだ。アメリカで高校と大学を卒業してからデンマークで学び直す学生が、こんなことを言っていた。

「アメリカにいたときは、常に成果を求められている感じで、失敗できる隙がなかったんです。だから、無難に、評価されそうな作品をつくって提出していました。スキルは身についたのですが、自分を探求したり、新しいことを試して実験したりすることができませんでした。
でも、デンマークに来て、失敗もプロセスとして認めてくれる環境のなかで、やってみたかった色んなことを試せるようになりました。やっと、眠っていたクリエイティビティが目覚めて、自分の可能性を開拓できているような気がするのです。」(p177)

アメリカを日本と置き換えても、全く同じ事が言えないだろうか。

日本の学生達を見ていると、「無難に、評価されそうなレポートをつくって提出」する学生が多い。常に大人から査定や評価されていて、成果を求められ、「失敗できる隙がなかった」。だからこそ、一定のスキルは身についているかもしれないし、器用なのだが、自分の意見を他者に伝えたり、面白そうなことに取り組んで一皮むける経験が、極端に少ない学生がいるように思う。でも、「失敗をプロセスとして認めてくれる環境」があると、本当はやってみたかった、でもリスクが高いと諦めていた、いろいろな可能性を試すことができるのだ。これは結果的には、潜在能力の最大化支援でもある。

別のデンマーク人はこんな風にも語っている。

「僕らは仕事を任されていて、自分たちで職場を動かしている感覚を持っている。上司にいちいち確認せず、自分たちで色んな判断ができる。商品の生産工程に関わる中国人の働き方を見ていると、マネジメントの仕方が全然違うと感じる。中国人のスタッフは自分たちでは判断ができなくて、物事を決定するのは常に上司だ」(p165)

上記の中国人を日本人と言い換えても、全く同じ事が言えるだろう。現場のフロントラインに裁量を落とさず、上司が細かくチェックする。お伺いを立ててもらうことが、役職者の仕事だと思い込んでいる。だが、デンマークでは、フロントラインの職員達に、失敗も含めて判断を任せている。とはいえ、それは自由放任とは違う。

「トップや管理職が現場の状況をきちんと把握できていないと、間違った意思決定をしてしまうリスクがある。部下の話をよく聞いて、現場で起こっていることを正確に把握することで、組織として的確に問題解決にあたることができる。組織の中でトラブルも含めてオープンに情報共有できる職場が、良い職場なのだと思う」(p193)

箸の上げ下げまでチェックするのではない。でも、何も見ていないのではない。現場で起こっていることを正確に把握して、問題解決に一丸で取り組む。そのために、トラブルも含めて情報共有をする職場環境を作っていく。これが、生産性の上がる組織なのだと思う。そのためには、部下もこんな思想になる。

「僕は自分の意見を誰にでも言える。上司にも意見を言うよ。一瞬、嫌な顔をされることもあるけど、ポジティブで建設的な提案をすれば、受け入れてもらえる。」(p192)

現場のポジティブで建設的な提案を受け入れる土壌が上司や管理職にあれば、その職場環境はよくなり、生産性は上がる。逆に、ワーカホリックで昭和98年的働き方をしている日本では、前例踏襲とか「できっこない」とかマイクロマネジメントがはびこって、このような「建設的な提案」が反故にされているのでは、ないだろうか。

「もし小さな文脈でしか自分の仕事を理解していなくて、自分の仕事がAさんにどう影響しているのか、Bさんにどう影響しているのか、会社の組織全体にどう影響しているのか、どうつながっているのかを理解していなかったら、それぞれの社員がどんなに仕事をしても、全体としては非効率になってしまう」(p183)

この部分が、恐らく本書の肝なのかも知れない。仕事は、一人でできないチームプレイのものが多い。そして、日本人もデンマーク人も、みんな自分の持ち場、役割で、必死に仕事をこなしている。にも関わらず、両国で差が開いているとしたら、それは単に管理職が・現場の労働者が馬鹿だ、という問題ではない。そうではなくて、それぞれの社員が、全体像を意識しながら、自分の持ち場が全体にどう繋がっているかを考えながら働いているかどうか、である。そして、その現場から見える生産性の向上課題を、しっかり部下が上司に提案でき、それが組織課題として受け止められ、業務改善や生産性向上に向けた組織的学習が組み込まれているか、日本とデンマークでは違いがありそうだ。

とはいえ、実は日本だって、トヨタの工場の「カイゼン」が世界的な用語になったように、工場労働の現場では、生産性向上に向けたチーム学習が徹底していた。でも、サービス産業や福祉、教育などの現場で、現場の裁量が活かされ、そこから労働生産性を上げる努力がなされているだろうか。ジャストインタイム、などの商品コストを下げることを目標にするのではなく、労働時間を減らしながら業務効率を最大化する事が、目標とされていただろうか。この本を読むと、すごく心許ないと思ったし、まだまだ日本の職場には伸びしろというか、カイゼンの余地が沢山残されていると思った。

そういう意味で、デンマークの知見を通じて、日本人の働き方を考え直す、すごく良い一冊だった。

「ままならなさ」で緩むもの

金曜日、高木俊介さんが主催されるACT-Kで、三好春樹さんや宅老所はいこんちょの小林敏志さんとの鼎談があった。僕はたまたまの流れで、司会をさせて頂き、すごく色々考えさせられた。その中でも、小林さんがぼそっとおっしゃったことをフックにして考えたい。

「介護は受け身。自分たちは○○がやりたい、というのがない。能動的でなく受動的な人の方が介護は向いている。」

僕は結構この言葉がずしりときた。なぜなら、僕は小林さんと真逆のタイプだったからだ。「○○がやりたい」とあれこれ画策し、能動的に自分から動きまくって人生を切り開いてきた(と思い込んできた)。そして、この構えは、「介護やケアには向いていない」のである。まさに、その通り! 今なら、よくわかる。子どもが産まれて以来、苦しんできたのは、まさにこの受動性だった。

娘は全く思い通りにならない。こちらの想定は、見事になぎ倒される。

金曜は夜9時まで京都の高木クリニックで鼎談があり、その後の懇親会はビール一杯だけ参加して、早々に新幹線に駆け込み姫路に帰る。翌土曜日の夜は奈良の「ほんの入り口」さんでトークイベントがあったので、京都の実家に宿泊という選択肢もあった。ただ、娘を祖父母のところに連れて行きたい&妻をワンオペから解放したい、とも思い、金曜夜は一度帰宅しようと思ったのだ。さらに言うと、午前中は最近行けてない合気道のお稽古に住吉まで行ってから、午後娘を連れ出そう、とか、あれこれ画策していた。だが・・・

土曜の朝、起きると娘の咳がひどい。聞くと、昨晩は何度も起きたので、妻もふらふらでイライラがマックス。そんな中で、僕だけ趣味で出かけてきます、なんてとても言えない。そもそも夜のイベントは、新刊『ケアしケアされ、生きていく』を巡るイベント。なのにその僕が、実生活では子どもや妻のケアより遊びを優先していては、なんたる言行不一致! そうはいっても今日こそ久しぶりに合気道に行けるぞ!と6時に目覚めたのに・・・。こちらのイライラや葛藤も最大化しつつも、合気道より大切なのは家庭の平和、と思い直して、予定を取りやめ、家事をしていた。

事ほどさように、娘との暮らしの中では、PDCAサイクルとかリスクヘッジとか、コストパフォーマンスとか計画制御とか、生産性至上主義の言語は見事になぎ倒されていく。6歳の娘は、野生がまだ残っている。自己管理が自分で出来ない、という意味で、ケアが必要な状態である。また、自分で心身のコントロールが十分に出来ないからこそ、しょっちゅう風邪をぶり返す。感情に波がある。というか、子どもってそういう存在なのである。それは、十分に社会化されていない、という意味で、未熟かもしれない。でも、認知症のお年寄りと同じで、自分で自分を制御しきれないからこそ、他者のケアが必要なのだ。そして、自分で自分の制御が十分に出来ない人を前に、他者がその相手の支配や制御も出来る訳ではない。振り回されるしかない。つまり、能動的というより、受動的な姿勢が、ケアの構えなのだ。

僕は、元々予定していた土曜のスケジュールに代表されるように、空いている時間に、仕事も余暇も徹底的に詰め込む、生産性至上主義の塊のような生き方をしてきた。子どもが産まれて6年間、そこからだいぶ切り離されていたが、今年娘が小学校に入って、ちょっと昔の悪い癖が戻りつつあり、10月から12月まで繁忙期ということもあって、ああやって予定を詰め込んだ。でも、そんな父のことなどお構いなしに、娘は僕の想定や予定をなぎ倒してくださる。「○○したい」という能動的な構えの僕は、娘の体調不良を前に、思い通りにいかず、イライラが募りかける。だが、そんな娘のケアに振り回されることによって、僕の能動性が弱まり、娘と共に居る時間を取り戻す。

ケアって、巻き込まれてなんぼ、なのだ。そして、それは、リスクやコスト、PDCAや生産性とは真逆の発想である。

自分で業務管理が出来る範囲内なら、その生産性を上げるのは、コツコツ努力をすればよい。僕が30歳で大学教員になった後の5,6年、仕事の効率化とか生産性を上げる方法、などのハック本を100冊以上読みまくってきた。そうやって、原稿を書くのは早くなったし、仕事の効率は徹底的に良くなった。だが、それは自分が想定できる、自分で自己完結できる仕事の範囲内で、という限定が付く。

子どもが産まれたあと、 子どもは全く思い通りにならない存在だ、という当たり前の事実に気づいて、愕然とさせられる。想定外の娘の行動に振り回され、こちらがあらかじめ見積もった時間がどんどん奪われていく。振り回される。主体的で能動的で自己決定に基づいて成果主義的に動く、なんて技法は全く通用しない。事態は流動的だし、少し先でも予測不能だし、娘の状態を観察しながら、出来そうな範囲で動き、それも無理ならその時点で柔軟に予定を変えて・・・と、娘の主体性を尊重しながら動く必要がある。

そういう「ままならないこと」に身を任せながら、改めて気づくのだ。いかに僕は想定内で計画制御的に生きるよう、自分自身に強いてきたのか、と。「努力すれば報われる」という論理を内面化し、「報われるためには、努力し続けなければならない」と論理を転倒して、強迫観念的に働き詰めてきた。一定の成果があっても、通過点に過ぎず、もっともっともっと・・・とせき立てられるように、次の戦略なり計画なり目標達成に向けて、さらに能動的で主体的に動くよう、自分を追い込んできた。

でも、だからこそ、ままならない娘に振り回されると、そうやって能動的で主体的に自分を追い込んできた、自分の強迫観念のようなものが、少し緩むのである。それと共に、生産性至上主義の論理の隙間に、ケアの論理、という別の合理性が入り込む余地が産まれてくる。

客観的で科学的な情報に基づいて出来る限り予想をし、リスクを分散し、費用対効果を最大化するように動く。これは生産性至上主義の合理性である。でも、野生の娘が、いつ風邪をひくか、嘔吐するか、鼻血を出すか、は予想不能である。娘と外に出るときは、いつどうなってもよいように、嘔吐袋とティッシュを多めに持参することは出来ても、それでリスク分散とはならない。そもそも、子育てのコストや手間、リスクを考えたら、子育ては費用対効果が不明だし、費用対効果を高めたいなら、子どもを産まない方が良い。でも、それは生産性至上主義の論理の範囲内では、である。

ケアの論理という別の合理性で考えると、全然違ってみえてくる。ままならない娘に巻き込まれながら、「思い通りにする」とか「巻き込まれない」というのは、自己と他者を切り離し、他者や自分を支配統制し、無理を自他に押し付ける思想だと改めて気づく。娘が親の言うことを簡単に聞いてくれない時、親が無理矢理子どもに押し付けようとしている生産性至上主義の論理を、娘は命がけで拒否しようとしている、と捉えると、全然別の世界が見えてくる。父ちゃんは、実は恐ろしいアイデアを娘に押し付けているのではないか、と。

「枠組み外しの旅」とか「当たり前をひっくり返す」とか書いてきたけど、子育てというケアの当事者として、いまだに「ままならなさ」と主体性、「巻き込まれること」と能動性、の狭間で身もだえしている。それは、魂の脱植民地化の大切なプロセスなのかもしれない、と思って、こうやって備忘録を書いておく。

ちなみに、妻が仕事でワンオペ日曜日にこうやってブログに書けたのは、おばあちゃんが娘のままならなさに、喜んでご一緒してくれているから。僕も40年前、そうやって引き受けてもらったのだ、としみじみ二人を眺めながら、ブログを書き終えた。

「分かる」を手放し、蔵書を開く

青木海青子さんから新刊『不完全な司書』(晶文社)をお送り頂く。彼女の書く文章は、決してグイグイと主張が激しい内容ではないし、大所高所を論じることもない。その逆に、ご自身の感情や感性を、丁寧に描いていく。ただ、自分が感じた違和感や思いを、静々と積み重ねて書く中で、いつの間にか圧倒的な迫力を持って、読む人に迫ってくる。そんな不思議な文体である。

彼女が精神科の閉鎖病棟に入院した際、本の検閲や荷物の検査をされた。そのことを後で思い出した時、こんな風に感じたという。

「私は目の前に管理する側によって線が引かれた時、何もしませんでした。むしろそれを積極的に受け入れるような気の持ちようすら示していました。そのことが暴力性を是認し、暴力性を内包した場を強化したり、一緒に構築してしまうような行為だったのだと、後の読書会の時に知らされたような気がしました。本を没収されたことにもっと反発したり、悲しんだり起こったり、きちんと反応すべきだったと。私がそのことを黙って物分かり良さそうに飲み込んだことで、その暴力性が後から来る他の誰かにも向かうのではないかというところまで、想像を巡らせるべきだったと後悔しました。」(p147)

精神科の閉鎖病棟では、自傷他害の防止、あるいは治療上の必要という理由で、手荷物の持ち込みが制限されている。海青子さんはその時には、そういうものだ、と思い、「むしろそれを積極的に受け入れるような気の持ちようすら示してい」た。ご自身にとって大切な本を没収された時も、「そのことを黙って物分かり良さそうに飲み込んだ」。ただ、退院した後、読書会でハンセン病療養所に暮らした詩人による小説を読んだ際、似たようなエピソードに遭遇した時に、ある人が「これってものすごい暴力性を内包するエピソードですよね」と言われて、げんこつを喰らったような気になった。

彼女がそれほど衝撃を受けたのは、「本を没収されたことにもっと反発したり、悲しんだり起こったり、きちんと反応すべきだった」ことに、この言葉に出会うまで、気づけなかったからだ。自分の大切にしていたものを、「本は先生の許可が降りてから」と取り上げられる。いくら治療上の必要とは言え、自分にとって大切なものを、他者が勝手に必要かどうかを判断し、その判断や意思決定権を奪われる。そのことは本来ならば屈辱的で腹立たしいはずなのに、正常性バイアスが働き、「そういうものだ」と自分自身を納得させてしまった。それは、自分自身に向けられた暴力を、鵜呑みに受け入れてしまったこと、そしてそれが暴力だったと気づけなかったことだ、と後々に気づくのだ。

恐らく、彼女の荷物をチェックして「預かっておきますね」と伝えた看護師も、日常業務として、入院時のルーティンとして、「そういうものだ」と思って行っていた、という意味では、海青子さんと変わらない。でも、没収する側も、没収される側も、「そういうものだ」と思い込んでいる、その「そういうものだ」の中に、「そのことが暴力性を是認し、暴力性を内包した場を強化したり、一緒に構築してしまうような行為だった」という気づきや思考を奪う、「暴力性」を消極的に肯定する思考停止の論理が内包されていたのだ。そのことに、海青子さんは後々気づき、後悔したのだ。

このような内面への観察力の鋭さは、彼女の子ども時代から培われてきた、という。

「本と出会った頃の私、子どもだった私は、病院で出会った人達や入院している自分自身と同じで、『他の場所へは行けない、隔絶した世界にいる』という感覚を強く抱いていました。うまく意思の疎通がはかれない家庭や学校の中で、それでもここで何とかやっていかなければならない、という閉塞感を感じていました。だからこそ、窓外の景色に強く憧れ、『桜島』の村上兵曹のように『何故此のやうに風景が活き活きしているのであろう』と感じ、そこに見える木々の枝葉一つ一つを必死に写し取ったのだろう、と、入院時の自分と、本を読み始めた頃の自分を重ね合わせて思います。そしてそのことが、当時の私を救ってくれたとも感じます。」(p159)

『他の場所へは行けない、隔絶した世界にいる』という感覚を、海青子さんは子どもの頃も、入院していたときも、感じていたという。そして、彼女は本を読みながら、その本に描かれていた、「窓外の景色に強く憧れ」ていた。この憧れは、現実への絶望とセットになった時、より強化される。そして、僕はこれほどの隔絶や絶望を感じたことは ないが、似たようなつらさを思い出した。それは、鉄橋と共に。

何度かブログで書いているが、小学校5,6年生の頃、クラス内で激しいいじめが蔓延して、学級崩壊状態だった。あのとき、人生で一度だけ、11階の自宅マンションの欄干から下を眺め、「もうちょっと身体を乗り出せば、間違いなく死ねるんだな」と思っていた。でも、そうする勇気もなく、煮詰まっていた。その時、少年ひろしは、本に救いが求められなかった。本を通じて「窓外の景色」に出会えることを、理解していなかった。だからこそ、チャリに乗って、しょっちゅう近所の河川敷の鉄橋まで出かけた。電車オタクだったこともあり、通り過ぎる新幹線や特急列車を見るたび、「電車に乗って、どこか遠くに行きたいな」と思い続けていた。

この本の記述を読むまで全く忘れていたのだが、あのときの10才前後の僕は間違いなく、「窓外の景色に強く憧れ」ていた。それは、『他の場所へは行けない、隔絶した世界にいる』という感覚に近いものだった。そして、そういう感覚を持っていた、ということを、海青子さんの文章を読んで、ありありと思い出したのだ。僕は、鉄橋でぼんやり電車を眺めたことを、スケッチブックにも日記にも書き残していない。でも、今強烈に思い出すのは、「窓外の景色に強く憧れ」ていたからであり、「風景が活き活きしている」のを心に刻み込んでいたから、とも、海青子さんの文章から気づかされた。

この本は共感することだらけで、赤線引きまくり、なのだが、印象的な箇所をもうちょっとご紹介したい。

「私自身、精神障害で倒れて退職した頃は息をすることも辛く感じられ、生きるか死ぬかを自らに迫りそうになったことがありました。ですが大怪我の後には『分からない』ことに身を委ね、今ここの自分で決めようとしないことで、一日一日を生き延びてきたんだと思いました。そういう意味で、私にとって『分からない』ことが希望になっていたのです。ですから、『分からない』という言葉でコミュニケーションを断とうとする人を見ると気がかりに感じてしまいます。『分からない』ことを不快として遠ざけ、今ここの自分で分かることだけに囲まれていると、そこに隠された希望に気づかず、いつか行き詰まってしまうのではないかと思うのです。」(p188-189)

「生きるか死ぬかを自らに迫りそうになった」というのは、言葉を換えると、生き死にを自分で決断する、という意味で、その判断を自分で了解して行う、自分はそのことを「分かっている」ということにもなる。でも、彼女は大怪我で入院した後、「『分からない』ことに身を委ね、今ここの自分で決めようとしないことで、一日一日を生き延びてきたんだ」と視点が変わった。それまで「分かる」ことに必死になってしがみつき、自分を追い込み、世間が求める「ちゃんとする」「しっかりする」の基準を分かっている自分は、それをちゃんと真面目に護らなければならない、と自分を追い込んだ。それで、仕事が出来ないくらいなら、「生きるか死ぬかを自らに迫りそうになった」くらい、「分かる」に拘っていた。

でも、いったん「分からない」に身を委ねると、「『分からない』ことが希望になっていた」という。自己責任論を強く内面化すると、「分かる」への強迫観念が強まるが、それを一旦脇に置き、どうなるか「分からないこと」に身を委ねてみよう、今日や明日はどうなるかわからないけど、「一日一日を生き延び」てみようと思うと、「分かる」の強迫観念の下に隠されていた「希望」が見えてきたのだ。

「『分からない』ことを不快として遠ざけ、今ここの自分で分かることだけに囲まれている」と、自分の理解出来る内容だけに囲まれているから、表面的には心地よく思える。でも、ちょっと引いてみれば誰にもわかるが、この社会は「分からない」ことだらけだ。「今ここの自分で分かること」は、ほんの一部分にしか過ぎない。にも関わらず、それに拘ってしまうと、それ以外の世界の複雑性を切り落として、自分に都合良く理解しようとしてしまう。それはエコーチェンバーのように、「分かる」だけを強迫反復していき、ますます「分からない」世界とは敵対的になってしまうのだ。

さらに言うと、「分からない」を受け入れる、とは自分の信念体系でできあがった「正しさ」を脇に置くことでもある。否定するのではない、脇に置くのだ。分かる・分からない、というのを、Yes/Noの二者択一モードにしてしまうと、「分かる」世界は受け入れ認め、「分からない」世界はなかったことにしてしまう。それは信念強化に繋がるが、それ以外の世界の複数性の拒否にも繋がる。その時に、「分からない」けど身を委ねる、というのは、確かに怖いし、勇気もいることだ。でも、そういう「分からない」世界に身を委ねるうちに、いつしか自分の「想定外」の世界にたどり着く。その「想定外」を楽しむためには、自分の培った「正しさ」が時として邪魔になる。それを脇において、流れ流されてきた想定外の世界を楽しむことが、実は希望に繋がっているのかもしれない。

そんな海青子さんとパートナーの青木真兵さんは、奈良の東吉野村の自宅を開き、私設図書館ルチャ・リブロを運営している。海青子さんはそこで司書をしている。なぜそんなことをしているのか。彼女はこう語る。

「自分達だけでは抱えきれない問題があったから」

博愛でも正義漢でもなく、問題の共有のために私設図書館を開く!?これは一体どういうことなのだろうか。

「私達にとって自分の蔵書というのは、自分達が何で悩んだり、何を問題だと考えてきたりしたのかをそのまま閉じ込めた思考のあとさきのようなものです。その蔵書を開くということは、自分たちの問題意識をそのまま外に開くということと同義です。つまり私達にとって私設図書館を構え蔵書を一般に開いたことは、抱えきれない問題意識を開き、『一緒に考えてくれないか』と誰かを呼び込んだということだったのです。」(p41)

二人は人生で行き詰まったとき、東吉野村に退却した。でも、以前に住んでいた西宮から隠遁する、というより、新たな場で「自分たちの問題意識をそのまま外に開く」ことにした。それが「自分達が何で悩んだり、何を問題だと考えてきたりしたのかをそのまま閉じ込めた思考のあとさき」である「蔵書を開く」ことであり、私設図書館を構えることだった。

これは究極な形での「無力」を認めることだと思う。蔵書を自分で抱え込んでいる間は、自分一人で何とか解決しようと、自己責任論で頑張ってきた。でも、にっちもさっちもいかなくなったとき、「抱えきれない問題意識を開き、『一緒に考えてくれないか』と誰かを呼び込んだ」というのは、究極の構造転換だ。悩みを隠さず、悩みを開く。それは昔読んだ本には「悩みを市に出す」という形で表記されていたが、私設図書館という公共空間に悩みを差し出して、『一緒に考えてくれないか』とお客さんを呼び込む、というのは、自分自身が無力だと認め、その無力の絶対的肯定をしないとはじまらない。そして、それは以前のブログに書いた当事者研究の論理とも通底している。

入院前から構想を練っていた私設図書館を辞めようか、という話が持ち上がった時に、彼女がだからこそ図書館をしたいと思った理由も、以下のように綴られていた。

「『横に立つ人』が図書館の利用者であれば、私は『障害のある人』でもあり、『図書館員』でもあれるのです。『図書館員』であるところの私は支えられる存在であると共に、相手を助け支えることもできる存在になります。たとえそれが『不完全な司書』であっても。」(p27)

「抱えきれない問題意識を開き、『一緒に考えてくれないか』と誰かを呼び込んだ」という意味では、彼女は「障害のある人」であり、「支えられる存在」である。でもそんな彼女が、「支えて下さい」ではなく、「一緒に考えてくれないか」と呼びかけるとき、それは一方的に私を支えて下さい、という呼びかけでない。そうではなくて、私も教わりたいけど、あなたのお悩みを聞かせてもらったら、私も司書として、あなたを「助け支えることもできる」かもしれない。そんな双方向性が担保されているのである。

これは確かに普通の図書館司書とは違う。私情を挟まず、プロフェッショナルな意識をもって、来客者の要望に応える公立図書館の司書。それは、サービス提供のプロではあるが、双方向性はそこに期待されてはいない。でも自宅を開き、蔵書を開くことで、そもそも海青子さんは脆弱性に晒される。でも、そのような形で開くことこそ、彼女にとっての最大の生存戦略であり、支えられるだけでなく自分も誰かを支える存在であり続けることが出来る。それは司書の標準的な基準からすると「不完全な司書」かもしれない。でも、圧倒的に人間的で、魅力のある司書なのだ。

ちなみに、個人的にも僕は「不完全な司書」さんにめちゃくちゃお世話になっていて、ファンタジーなき男が中年になって、「生きるためのファンタジーの会」をはじめたのは、まさに海青子さんとの出会いや、彼女が差し出してくれるファンタジーの数々があったからだ。また、この本の中には、そんな僕とのやりとりも出てきて、自分のことがこんなに他者のエッセイの中に出てくるなんて、とちょっとこっぱずかしく、でも嬉しく思いながら読み終えた。

すごく素敵な本なので、多くの人にジワジワ広がってほしい、と思う一冊です。

実存的苦悩と客観性

先週、札幌で向谷地さんにインタビューした時のことは、前回のブログで書いた。その際、向谷地さんがぼそっと仰ったことが、ひっかかっている。

「精神障害を抱えて生きる人の実存に向き合わないと」

精神障害を抱える人は、生きる苦悩が最大化した人でもある。ということは本人にとっては、生きる苦悩という実存上の課題が極まった状態の人でもある、と言える。その時に、エビデンスベースで標準化・規格化された「一般的な答え」は、部分的には役に立つかもしれないが、本質的な意味で、本人の実存的課題の解決策につながらないのではないか、と感じていた。

そのことを、別のルートで指摘している一冊に出会った。

「性格を把握することは、課題解決の最初の一歩でしかない。知ったうえで、『誰と誰を業務で組み合わせようか?』『どう仕事を割り振ろうか?』といった現場の調整がすべてなんだ。」(勅使河原真衣『「能力」の生きづらさをほぐす』どく社、p180)

著者の勅使河原さんは、コンサル会社で能力開発業務に従事した後、今は独立して組織開発の仕事に従事し、2人の子どもを育てている。ただ、2020年に授乳中の違和感から乳がんが発覚し、あちこちに転移している。そんな闘病中の彼女は、子どもたちにメッセージを残したいと、あえて「自分が死んだ後」の2037年に、成人した子どもたちと対話形式で、この社会に蔓延する能力主義について解きほぐしていく、という体裁を取っている。

この本の中で、組織開発に従事する経験に基づき、勅使河原さんは、社員の性格や能力を分析しただけでは、業績が向上しない、と語る。入試の偏差値はペーパーテストの情報処理「能力」によって決まるが、そもそもそれは個人の表層的な知識や経験、スキルである。勅使河原さんによれば、その下に見え隠れしているのは、意識や意欲、心構えや価値観などの「マインドセット」だと言う。さらに深層の、普段は見えない部分には「性格特性や動機」などの感情の素が隠されており、これは「若年期に固まり安定、変容はかなり難しい」としている(p175)。

そして、この「若年期に固まり安定、変容はかなり難しい」「性格特性・動機」こそが、本人の生きる苦悩をもたらす源泉であり、実存上の課題だ、と架橋すると、話の見通しがよくなる。病気や失業、離婚や親族トラブルなど、様々な「悪循環」に襲われたとき、情報処理能力などの知識や経験、スキルではなんともならなくなる。そういう苦境の時こそ、その人のマインドセットが問われるし、それは性格特性や実存的課題と直結している。それは、会社の業績悪化などでも同じで、そのような「ピンチ」の時こそ、表層的なスキルでは対応出来ず、本人の人間性が問われる、というのだ。

だからこそ、性格特性を心理テストで計れば、それで組織開発が出来るわけではない、という勅使河原さんの話もよくわかる。「性格を把握することは、課題解決の最初の一歩でしかない。知ったうえで、『誰と誰を業務で組み合わせようか?』『どう仕事を割り振ろうか?』といった現場の調整がすべてなんだ。」というのは、本人の性格特性を活かしつつ、それが業績や欲しい成果と結びつくためにどうしたらよいのか、を考えるプロセスなのだという。こういう泥臭い「現場の調整」をしないかぎり、組織の苦境は越えられないのだ、と。

なぜ勅使河原さんは、こういうことを書籍で訴えるようになったのは、彼女自身が乳がんになって、以下の視点をもつようになったからだった。

「私を静かに追い詰めていたのは、一元的な『正しさ』だったのだと。『能力』の呪いもそういうこと。多様なはずの人間に対して、画一的なあり方を社会が要請する。これに辟易してきたんだ。」(p245)

「能力が高いほうがよい」「お金持ちなほうがよい」というのは、「一元的な『正しさ』」の最たるものである。確かに、能力やお金は、あるにこしたことはない。でも、そこ「だけ」が正しさの価値基準だとすると、「多様なはずの人間に対して、画一的なあり方を社会が要請する」ことになる。社会に迷惑をかけずにそつなくこなす「世間にとって都合のよい子」だけが社会的に認められ、その範囲でしか自己表現してはならない、とすると、あまりに世の中はしんどいし、苦痛が多い。それは、私自身の実存上の課題が切り捨てられ、標準化・規格化された「一元的な『正しさ』」の範囲内で査定・評価・批判される枠組みへのしんどさ、である。こないだ出した『ケアしケアされ、生きていく』の中では、「他人に迷惑をかけるな憲法」に呪縛されている、と表現したが、こういう「憲法」は、個人のパフォーマンスの最大化を抑圧する最大の呪縛装置だと思う。

そして、乳がんになった際、エビデンスに基づいて仕事をしていた勅使河原さんは、気がつけばスピリチュアル系整体師にハマって沢山つぎ込んでいた、という。なぜ、高学歴で情報分析能力にも長けた彼女が、医療機関の客観的情報に満足せず、アヤシい新興宗教のような内容にはまり込んでいったのか。彼女はこんな風に振りかえっている。

「『私』という個別具体へのソリューションを一般論から、ポンポンと繰り出すのではなく、まず『私』についての一次情報をがっつり受け取ってくれた。結果、『これだけ私の話をさせてもらえたんだから、この人(整体師)は私のことを最もよく理解した人として適切なソリューションを実行してくれるだろう』—そんな信頼感が、巡り巡って醸成された。ソリューションは何でも良かったのかも」
「窮地にある個人が『私』に特化した情報がほしいときに、医療などの科学がエビデンスを両立させながらその願いに応えることは、以下のステップを踏めば、不可能ではなさそうだ。
まずは、相手の話をとにかく聞くこと。聞くことこそが、相手にしてみれば欲しくてたまらなかった『私』に関する情報を『教えてもらった』も同然の信頼を紡ぎ出す。そのうえでなら、どこかの誰かの話である客観性、エビデンスについても、安心して聞く耳が持てる。そういうことかもね。」(p232-233)

乳がんや精神疾患は、風邪や骨折とレベルが違う。それは、それまでの生き方を継続できないかもしれない、という実存上の課題を突きつける疾患だからだ。確かに、治療は可能である。でも、心身の痛みや苦しさが最大化し、さらに言えばこれまでの働き方や価値前提を変えないと、予後が良くならない可能性もある。つまり、表層的な「知識・経験・スキル」ではなんともならず、「意識や意欲、心構えや価値観」のような「マインドセット」の変更だけでなく、個人の「性格特性や動機」をも深く揺さぶられるような、生きる苦悩が最大化した疾患である。

つまり、自分自身の実存が揺さぶられ、苦しんでいる。

その時に、一般論や客観的なデータをいきなり伝えられても、相手の心には届かない。なぜなら、「なぜ他ならぬ私が、よりによっていま・ここで、乳がんや精神疾患になってしまったのか?」という実存上の問いには、客観的なデータは全く答えてくれないからだ。そのしんどさや苦しみ、モヤモヤといった「『私』についての一次情報をがっつり受け取ってくれた」かどうか、は、実存が揺さぶられている人には、ものすごく大きな出来事である。

『これだけ私の話をさせてもらえたんだから、この人(整体師)は私のことを最もよく理解した人として適切なソリューションを実行してくれるだろう』

この勅使河原さんの内的合理性は、窮地に追い込まれた人に共通しているのではないだろうか。実存が揺さぶられ、しんどくて苦しくて、理解してもらえない、聴いてもらえない苦悩やモヤモヤを、ここまで共感して聞いてくれた。アドバイスや助言は横におき、私のことを親身になって理解しようとしてくれた。それだけ話を聞いてくれ、私のことを理解してくれる人だから、信用出来るし、その信用出来る人のアドバイスなら聞いてみたい。

この部分は、オープンダイアローグのプロセスとうり二つなのだ。ただ、この後に「水子の祟り(夫婦関係の悪さ、風水・・・○○)のせいだ」と即答し、「だから御札(壺、除霊・・・○○)をしたらよい」と断言すると、スピリチュアル系になる。一方、オープンダイアローグでは、その生きる苦悩をじっくり伺った上で、どうしたらよいか、をチームでモヤモヤ考え合うプロセスなので、断言も即答もしない。でも、一緒にモヤモヤ考え合う、というwith-nessは持ち続ける。そんな違いがある。

そして、実存上の苦しさと医学的な客観性はどのように両立可能なのか。実際、スピリチュアル系に行きかけた経験をもとに、勅使河原さんは明快に次の様に語る。

「まずは、相手の話をとにかく聞くこと。聞くことこそが、相手にしてみれば欲しくてたまらなかった『私』に関する情報を『教えてもらった』も同然の信頼を紡ぎ出す。そのうえでなら、どこかの誰かの話である客観性、エビデンスについても、安心して聞く耳が持てる。」

「相手の話を聞くこと」。それは一見すると、何も情報提供をしていないように、見えるかもしれない。でも、他者に私の実存上の苦しみに関心を持ってもらい、素直に尋ねられること。それは相手の側からすると、実存上の苦しみを、はじめてくらいのタイミングで、言語化するチャンスでもある。自分一人で考えていたら、グルグル同じ所に陥って袋小路に陥っていたことも、興味を持ってくれた相手の問いに答える形でお話しているうちに、整理されることがある。そのとき、聞き手はアドバイスや批判、査定は横に置き、謙虚さと好奇心をもって理解しようと相手の実存上の苦悩を聞き出す伴奏者になっていくと、話す側からすれば、それだけで、実存上の苦悩が他者にも承認された、わかってもらえた喜びがある。そのような喜びは、「欲しくてたまらなかった『私』に関する情報を『教えてもらった』も同然の信頼を紡ぎ出す」のだ。

信頼関係の基本は、情報提供の前に、Just Listen! ただただ、話を聞くことにあるのだ。

「そのうえでなら、どこかの誰かの話である客観性、エビデンスについても、安心して聞く耳が持てる。」

その前提があってはじめて、自分以外の「似たような症状・状態」に陥った「どこかの誰かの話である客観性、エビデンスについても、安心して聞く耳が持てる」。逆に言えば、「安心して聞く耳が持てる」信頼関係を構築することなく、客観性やエビデンスの話をまくし立てても、実存上の苦悩に支配されている本人の耳には全く入ってこないし、下手をしたら不信感を募らせるばかりだ、というのだ。

客観性やエビデンスが無駄、なのではない。そうではなくて、実存上の苦悩を理解することなく客観性やエビデンスを振り回しても、本人に伝わらない、という意味で、客観性やエビデンスが無効化されかねないのである。

ここまで書いてきた話は、大学で出会う学生たちにも当てはまる。彼女ら彼らは、客観性やエビデンスに振り回され、雁字搦めになり、苦しんでいる。そんな学生たちの話を、ゼミや面談でゆっくり伺っていると、泣き始める学生もしばしばいる。それは、自分の実存上の苦悩が聞かれていなかったことの表れでもある。これは、学生だけに限らない。福祉現場で働く人でも、じっくり話をうかがっているうちに、生きる苦悩の話をされる場合もある。こちらはアドバイスも何も出来ないので、ただただ聞いているのだが、聞いている間に、自分で答えや方向性を見いだし、すっきりする人もいる。

もちろん、僕も多少なりとも何らかの知識や専門性という客観性やエビデンスを持っている。でも、それを振りかざす前に、まずはじっくりトコトン相手のストーリーを伺うことが大切なのだ。興味や関心をもってその話を伺っていると、話を聞いているうちに、方向性が見えてくることがある。それは、話を聞いている私と、話している相手が、共に作り出していく方向性だったりする。それは本人にとって、自分事だし、納得しやすい。客観性やエビデンスが「説得」材料になりやすいが、実存的課題に直結していると「納得」を生み出しやすい。その両者をどううまくブレンドさせるのか、が課題であると思った。

だからこそ、冒頭の向谷地さんの発言に戻るのだ。

「精神障害を抱えて生きる人の実存に向き合わないと」

精神障害者に関わる医療や福祉現場の支援者が、どれだけ相手の実存に寄り添えているか。それ以前に、支援者が自分自身の実存的課題にどれほど向き合えているのか。それこそ、本質的な課題だと思った。